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 はあ……読み終わったす……。
 なんだけど、実は読み終わったのはもう2週間ぐらい前で、なかなかこの感想を書くまでに時間がかかってしまいました。
 というのも。
 まあ、はっきり言いましょう。ちょっとですね……なんかイマイチだったすね、結論としては。何の話かって!? そんなのコイツのことに決まってるでしょうが!!
King_sleepingbeauty
 そうです。わたしがこの世で最も好きな小説家、Stephen King大先生の「日本語で読める」最新作『SLEEPING BEAUTIES』のことであります。
 上巻を読み終わったのは前回の記事の通り10/29のことで、今回の下巻を読み終わったのは11/3ぐらいだったかな、まあ、もはや結構前なのだが、なんつうか、後半、ちょっと厳しかったすね……。
 本作は、謎の「オーロラ病」なる現象が世界を包み込む、という、現代のCOVID-19を思わせるようなお話なんすけど、「オーロラ病」というのは、「眠れる森の美女」でお馴染みのDisneyプリンセス、オーロラ姫、から命名された謎の現象で、女性しか罹患せず、一度眠ってしまうと、体からなにやら糸状組織が分泌され、繭の様なものを形成してしまう、というものだ。しかも、その繭を破って、女性を助けようとすると、クワッ! と目覚めて、繭を破った人間(及びその時周りにいた人)をブチ殺そうとする凶悪な行動に出て、ひとしきり暴れた後は、また繭を形成して眠りに落ち、目が覚めない、というような、おそろしい病(?)だ。
 で、上巻では、ついに主要人物である主人公の妻であり、町の警察署長を務めていた女性が、ずっと眠らないよう頑張って来たのに、ついに!眠ってしまう、というところまでが描かれたわけです。詳しい人物関連図は、前回の記事を観てください。
 というわけで、上巻読了時には、これからどうなる!? 的なドキドキ感でわたしは大変ワクワクしていたわけだが、一方では、上巻の終わり時点ですでにこの「オーロラ病」現象が、完全にSupernaturalな存在によるもの(?)であることもはっきりしたので、若干、嫌な予感もしていたのは事実であります。
 Supernaturalとは、すなわち超常現象であり、科学の及ばない謎現象、なわけで、その原因となる謎の存在、「イーヴィ―」という女性の姿をした謎の存在(上巻時点で完璧に「人間ではない」ことが確定していた)は、いったい全体、何者なのか、何が目的なのか? が本作で一番のカギであったと思うのだが……まあ、結論から言うと、最後まで「まったくわからねえ!」というエンディングだったのは、正直かなりガッカリいたしました。
 この肝心な部分が分からないので、なんていうかな、「勝利条件」がよく分からず、その結果、主人公はいったいなぜ、イーヴィ―をかたくなに守ろうとするのかがピンと来ないんすよね……。
 物語は、下巻に入って、こんな感じの対立構造となるのだが……。。。
beauties02
 はっきり言って、なんで殺し合いにまで発展するのか、わたしには全く理解できなかったす。イーヴィ―を渡せ! それはできん! どうしてもか!? どうしてもだ! よろしい、ならば殺し合いだ! という展開は、ホントに読んでいて、アメリカって国は本当にどうしようもないというか、我々日本人では絶対こうはならんわな、と、わたしとしては相当冷ややかな目で物語を追うことになったす。殺し合う前に、もうちょっと普通に、クリント側もフランク側も、話し合う余地はあったと思うのだが……。完璧にお互いケンカ上等だもんね。メリケン人はみんなこうなんすか?
 おまけに、クリントが信じた勝利条件(?)である、「イーヴィ―を火曜日まで守り抜く」ことも、ほぼ意味がなかったし、眠ってしまった女たちが謎世界から元の世界の戻ることにしたくだりも、イーヴィ―はほぼ何のしてないし(女たちは、結局、男がどうとかそういうことでは全くなく、単純に元の世界に帰りたがった)、結局、何のために女たちは眠り、謎世界で生活することを強いられたのか、についても、ほぼゼロ回答だったと思う。
 もちろん、普通に読んで、イーヴィ―の目的は、「虐げられた女たち」に「虐げ続けた男たち」のいない世界を提供し、どっちがいいか選ばることだった、的に理解することはできるけれど、それって意味があるのかな? 「元の世界」がいいか「男のいない世界」がいいか、という強制的な二択は、どう考えたって、最初から答えが出てると思うんだけど。まあ、5万歩譲って、そりゃ聞いてみなきゃわからんぜ? 選択肢を与えてみる意味はあるんじゃね? と考えたしても、アメリカ北東部の小さな町の数百人(?)の人々に、ある意味人類の運命を背負わせる意味って、ある? 全くないよなあ、やっぱり。だいたい、メリケン人どもの判断に世界を託すなんて、まあ、ズバリ言えば、まっぴらごめんだね!
 また、結局男たちは殺し合い血を流し合い、女たちは話し合いで全会一致の結論を得た、とかそんな読み方もできるんだろうとは思う。けれど、「男たち」にひとからげにされるのも、やっぱり不愉快すね。メリケン人と一緒にしないでほしいし、とにかく、なんつうか……これは日本人が読んで面白いと思える物語ではないんだろうな、というのがわたしの結論です。なんなんだろう、本作はアレかな、息子のOwen氏との共著なわけで、Owen成分が混ざったのがわたしの気に入らなかったんだろうか? とにかく、なんか、いつものKing大先生作品とは、どこか味わいが違っていたように思えてならないす。
 で、最後に一つ、King大先生の他の作品との比較なんですが、わたし、最初は謎の病が蔓延する世界だし、Supernaturalな存在も出てくるということで、『THE STAND』に似てるのかな……と思いながら読んでいたのですが、まあ結論としては全く似てなかったし、一方で、閉鎖空間に閉じ込められた人たちの対立と狂気、という点では、『UNDER THE DOME』的な? と思いつつ読み進めた結果、やっぱり『UNDER THE DOME』とも全然似てなかったすね。わたしはもちろん、『UNDER THE DOME』の方が面白いと思います。なにしろ、悪党がものすごい悪党で、主人公なんてもう心身ともにボロッボロになって、からの、大逆転だったし、謎のドームに閉じ込められるという謎現象にも、ちゃんと回答があったもんね。まあ、結局「謎の宇宙人によるいたずら(ってことでいいのかアレは?)」という口あんぐりな結末だったけど笑。少なくとも、今回のイーヴィ―よりは納得性(?)はあったと思います。いや、ないか!? まあ、そこは個人のお好み次第ってことでお願いします。

 というわけで、もうさっさと結論。
 わたしがこの世で最も好きな小説家はStephen King大先生であるッ! というのは永遠に変わらないと思いますが、実はたまーに、コイツは微妙だぞ……という作品もありまして、今回の『SLEEPING BEAUTIES』という作品は、その「微妙作」であったとわたしの心に刻まれると存じます。うーん、やっぱりなあ、イーヴィーをどう理解するかでこの作品に対する評価は変わると思うっすね。わたしはダメでした。一体全体、何をしたかったわけ?? ぜんっぜん分からんかったす。そしてわたしが明確に理解したのは、アメリカ合衆国ってのはホントにアカン国ですな、という無責任かつテキトーな事実であります。銃社会ってさ……アンタらいつまで西部開拓時代のつもりだよ。21世紀の現代において、明確に否定していただきたいですなあ、マジで。ドラッグもいい加減にやめて、みんな真面目に生きなよ。話はそれからだ! 以上。
 
↓↓文春よ、速くこっちを日本語化しておくれ! 頼むよ!
The Outsider: A Novel
King, Stephen
Scribner
2018-05-22

The Institute (English Edition)
King, Stephen
Hodder & Stoughton
2019-09-10

 わたしがこの世で最も好きな小説家は、Stephen King大先生であるッッッ!
 と、いうことは、もう既にこのBlogにおいて30回ぐらい書いていると思いますが、来ましたよ! 新刊が!! 今回日本語化されて出版されたのは、なんと共著として息子のOwen氏の名前がクレジットされている『SLEEPING BEAUTIES』であります。とっくに電子書籍野郎に変身したわたしですが、いつも通り、KING作品に限ってはまず紙の本を買いました。もちろん、「本棚に並べて悦にいるため」だけの行為であり、電子版もそのうち買うつもりです。
King_sleepingbeauty
眠れる美女たち 上 (文春e-book)
オーウェン・キング
文藝春秋
2020-10-29

眠れる美女たち 下 (文春e-book)
オーウェン・キング
文藝春秋
2020-10-29

 Beauties、美女たち、と複数形なのがミソ、なんですが、まあそれはともかく。本作はWikiによれば2017年刊行だそうで、実はわたしとしては、今すぐ読みたいと思っていたのは、この作品の後にもうとっくに刊行されている2作品の方でありまして、2018年の『The Outsider』と、2019年の『The Institute』の方だったので、なあんだ、Beautiesか、とほんのちょっとだけがっかりしました。まあ、文春はちゃんと、1年後ぐらいには日本語訳を発売してくれるだろうから、待つしかないですな。。。。だってさあ、『The Outsider』はなんとあのホリー(ホッジス三部作のあのホリー!)が主人公の話なんだぜ!? もう今すぐ読みたいに決まってるよね。おまけに『The Institute』はバリバリSci-Fiらしいじゃないですか。もう超楽しみにしてたんすよ……。。。
 まあ、そんなに読みたきゃ英語の原本を読めってことすよね……わたしの元部下の英語ペラペラガールのA嬢は、もうとっくに両作を英語で読んでいて、感想として超ヤバイ! とおっしゃっていました。はあ、くそう、早く読みたいのう……。
 とまあ、そんなこともともかくとして、だ。『SLEEPING BEAUTIES』であります。
 本作のあらすじは、もう帯にもおもいっきり書いてあるけれど、ある日、女性だけが罹患する謎の「眠り病」(=Disneyの眠り姫でお馴染みオーロラ姫にちなんで「オーロラ病」と呼ばれる)が蔓延した世界を描くものだ。その「オーロラ病」にかかり、一度眠ってしまうと、体内から何やら未知のたんぱく質で構成された糸状組織が発生し、「繭」のように全身が包まれて、眠り続けてしまう。そしてその「繭」を破って起こそうとすると、全く別人格のような凶暴な性格となって繭を破った人間(および周囲にいる人間)に襲い掛かり、しばらくすると再び繭を形成して眠りにつく、という恐ろしい奇病だ。
 こんな物語なので、わたしはKing大先生の長男Joe Hill先生(※姉がいるので第二子。本作の共著者Owen氏の5歳年上の兄貴)が書いた『THE FIREMAN』に似てるな、という予断を持って読み始めたのだが……まあ、似て非なるものすね。つうか全く別物すね。そして、ズバリ言うと、完璧にSupernaturalな存在が登場し、むしろ『THE STAND』に似た趣(?)でありました。
 で。どうしようかな、まだ上巻を読み終わった段階で何かを書くのは、ちょっとアレなんだけれど、とにかく今回も登場人物が多いので、ちょっとだけ、キャラをまとめておこうかと思います。下巻を読み始める自分のために。図で示してみるとこんな感じでしょうか。まあ、各キャラの詳細な紹介は全部読み終わってからにした方がいいかな。現状では下記の図で十分でしょう。なお、全員ではないし、上巻の段階ですでに死亡したキャラも含まれてます。
sleepingbeauties
 本作は、ある意味では現在の我々が直面しているCOVID-19パンデミックとも共通する面はあるものの、もっと深刻かつ謎が多すぎていて、科学で立ち向かえないのが恐ろしいところだろう。さらに言うと、全世界で「オーロラ病」は蔓延しているものの、描かれるのは舞台となるアメリカ東部、アラパチア山脈にほど近い田舎町(Washington D.C.まで車で数時間)での出来事がメインなので、よりパーソナルというか、人類VSオーロラ病というスケールではなく、あくまで登場人物たちそれぞれの個人的な動きが描かれている。
 結果として、極めて生々しいというかですね、まあ、ホント、アメリカって国はマジで終わってんなあ、という感想を抱かざるを得ないですな。ドラッグや銃が普通に生活の中にあって、科学的な話を誰もせず、勝手な思い込みでみな行動するわけで、本作ではもう、どうしようもなく邪悪、どうしようもなく自分勝手、どうしようもなく愚かな人物が数多く登場します。とにかく、他人はどうなろうと自分さえよければいい、ってのが根本にあるのが、とにかくまあ、恐ろしいというか、不愉快ですなあ。おりしも現在US大統領選が始まり、4年前、US大統領の椅子は金で買えることを証明した国家なので、読んでいてホントに暗い気持ちになる物語ですよ。これが後半、どう終息、あるいはどう破滅していくのか、もうホントに超ドキドキワクワクで下巻を読み始めようと思います。

 というわけで、さっさと結論。

 わたしがこの世で最も好きな小説家はStephen King大先生である! そして日本語で読める最新刊『SLEEPING BEAUTIES』は、想像してたのとは全然違う、Supernaturalなお話、のようです。上巻読了時点においては。いよいよもって主人公は、King大先生の作品ではお約束の通り、もうどうしたらいいかわからないほど「のっぴきならない事態」に陥りつつあり、これから後半、どう物語が展開していくのか、ホントにわくわくが止まらないですな! 結論から言うと、最高であります! まだ上巻ですが! 以上。

↓ ホントはこっちが読みたいんだよオレは。。。早く日本語版でねーかなあ。。。

The Institute: A Novel (English Edition)
King, Stephen
Scribner
2019-09-10

 いつものセリフで恐縮ですが……
 わたしがこの世で最も好きな小説家は、ダントツでStephen King大先生である!!
 というわけで、ここ数年、再びKing大先生の作品が映画化されるのがちょっとしたブーム?のような気がするけれど、その流れの一環として、かつてかなりなB級映画として製作されたことのある、あの作品が、最新Verとして再映画化される日がやってきました!
 その作品とは、King大先生の作品でも比較的初期作品である『PET SEMATARY』であります! ちなみに「Semetary」が英語として正しい綴りで、本作が「Sematary」となっているのは、子供がつづりを間違えたという設定のためで、そもそもの原作小説も「Sematary」だし、文春の日本語版も「セマタリー」と表記されてます。
 というわけで、さっそく観てきたわけですが、なんつうか、やっぱり原作小説とおおむね同じ、だけどラストはまったく違う筋書きに改変されていて、まあ、ズバリ言えば相当後味の悪いBAD-ENDになっていて驚いたす。いや、原作小説もなかなかのBAD-ENDなんだけど……主人公の行動はまるで違うもので、なんか……まあ、観てスッキリはしないエンディングだったと誰しもが思うのではなかろうか。
 ま、原作と違っている点に関しては、まったく構わないけれけど、そうだなあ、確かに、変にきっちりとしたGOOD-ENDに改変してしまうよりは、原作のテイストは込められているのかな。なので、結論としてはアリ、ではある。けど、うーん……まあ、あまりお勧めはできないな……物語的にもアレだし、ちょっといろいろと……映画としてアレでもあるんだよなあ……。。わたしとしては、1989年版の方が、B級感あふれてて好きっすね。

 まあ、物語はこの予告通りと言っていいだろうと思う。
 都会から田舎に引っ越してきた家族。広大な森が敷地内にあって、うっそうとしているが、家からすぐのところに、ビュンビュンとトラックがかっ飛ばしてるような国道(と言えばいのか?)が通っている。ある日、家族の飼い猫がその国道でトラックにひかれて死んでしまう。父は、まだ小学生ぐらいの娘に、命についてまだ教え切れておらず、どうしたものかと思っていると、敷地の隣に住む老人が、森の奥にある、「PET SEMATARY」のさらに奥の、謎の土地に猫の遺骸を埋葬するよう指示する。すると、死んだはずの猫が家に帰ってきた! なんてこった、これは一体!? とか思っていたのだが、戻ってきた猫は邪悪な性格に変わってしまっていた。そしてとあることから次に娘を失くした父は、禁断の地に娘を埋葬するのだった……てなお話です。サーセン、テキトーにはしょりました。
 えーと。まず、ズバリ原作小説との違いは、上記のわたしがまとめたあらすじで明らかでありましょう。そう、原作小説で亡くなるのは息子、末っ子の弟で、本作映画版では娘で、お姉ちゃん方なんだな。観ながらわたし、あれっ!? お姉ちゃんが死ぬんだっけ!? と思って映画館を出た後で原作をパラ読みしたら、確かに小説では息子の方でした。
 でもまあ、上に書いた通り、別にこの改変はまったく構わないと思う。問題は……亡くした子を復活させようとする親の心理、であろう。この点に関しては、実は原作小説でもわたしはイマイチ理解できなかったのだが、本作映画版では、わたしは全く理解できなかった。
 まあ、普通に考えて、そりゃ生き返るというなら、どんな手段も取ってしまうかもしれない。本当にやるかどうかは、ま、単なる思考実験なのでどうでもいいというか結論は出ないけれど、少なくとも物語としては、主人公たる父親に共感はできなかったのが偽らざる感想だ。
 わたしは観ながら、結局これは、キリスト教的な「復活」のイメージなのか、あるいは、アメリカ人が大好きな「ゾンビ」モノの一種なのか、「死者の蘇り」がこれほどいろいろテーマになるってのはどういうことなんだろう? とそのことばっかり考えてしまった。
 実のところ、わたしの愛するKing大先生の小説作品でも、結構「蘇り」はテーマとして書かれているわけで、アメリカ人、だけじゃなく世界中の人々が大いに関心あるいは興味を持っているんだろうとは思う。でもそれは一体、なんでなの?? というのが、わたしにはよくわからないでいる。
 わたしも親をはじめ、今まで多くの大切な人(や家族たるわんこやにゃんこ)を看取ってきたので、実体験が少ないからだよ、とか、実際にその身になってみたことがないからだろ、とは言わせない。一つ思うのは、現代日本では普通である「火葬」という弔い方が影響してるのかも? という点だ。火葬にして、骨を骨壺に納めて、という弔いを何度も経験してきたわたしとしては、もう「ゾンビ」ってありえないんだよね、実際のところ。
 本作では、亡くなった猫を、主人公はきちんと娘に説明して、「死」について教育しようとするが、奥さんに「まだ早いわ、いなくなったことにしましょう」的なことを言われ、問題の禁断の地に埋める展開となってしまうが、まあ、ズバリ言えばこれが最悪の事態をもたらしたわけで、やっぱりちゃんと火葬してあげればよかったのにね、と思わざるを得なかったす。そして猫であろうときちんとお墓をたててあげてほしかった。「墓」って、やっぱり「そこにいる」という実感と「祈りの場」としての意義において、重要だと思うすね。
 まあ、そんなことを思いながらわたしはこの映画を見ていたのだが、メモとして思ったことをいくつか残しておこう。
 ◆びっくりさせる安い演出はやめてくれ……
 本作は、結構しつこいぐらいの頻度で、大きい音や急なカットインなどで、観客を「うおっと! ビビったぁ!!」とビクッとさせる演出が入る。けど、なんつうか……品がないというか……好きじゃないすなあ、ああいうのは。小手先すぎると思うんだけど……。
 ◆すれすれのところを爆走するトラックが怖い!
 King大先生のファンならお馴染みの通り、King大先生は1999年6月19日に、近所を散歩していてライトバンに跳ね飛ばされて重傷を負い、本当に死にそうになったことがある。まあ、このことを知ってる人なら、本作でやけに描かれる「すれすれのところを爆走するトラック」には恐怖を感じたでしょうな。わたしは観ながら、あっぶねえ! つうかKing大先生もこんな感じだったんだろうか、と、妙に怖かったす。なお、本作の原作小説が発表されたのは1983年なので、King大先生が遭った事故の影響で、本作の設定が生まれたわけじゃありません。
 ◆エンディング曲はあの!!
 エンドクレジットで流れる曲の歌詞、ちゃんと聞いてた方がいいすよ。「I don't wanna be buried in a Pet Semetary~」ってのがもう、耳に残りすぎて嫌!!笑! わたしは完璧に忘れていたんだけど、この曲は、なんと1989年版映画のエンディングで使われた曲で、Wikiによるとかの「ゴールデンラズベリー賞」の主題歌賞にノミネートされたらしいす。要するに、すげえ悲しいBAD-ENDに全くそぐわない曲ってことでのラジー賞ノミネートだったそうです。今回も、わたしもこの曲に関して、なんだこの歌、あわねえなあ!? と思いました。つうか、なんだこれ、と笑っちゃった。おれもペットセメタリーには埋められたくないわ! みたいな笑。
 というわけで、最後にキャラクターとキャストをメモして終わりにします。
 ◆お父さん(ルイス):医師。奥さんが何と言おうと、ちゃんと「死」を教育すべきだったね。ラストがだいぶ小説と違うと思う。今回はより一層、悲劇的だったかも。演じたのはJason Clarke氏。わたし的には4代目(?)ジョン・コナーなんすけど、比較的普通の家庭の父親、な役は初めて見たような気がします。演技ぶりは、フツーです。
 ◆お母さん(レイチェル):普通の主婦。猫ちゃんをきちんと弔ってあげていれば……。エンディングは原作と相当違います。お姉さんのエピソードは、原作小説より怖さ5倍増しになってたような気がします。超ヤバし。演じたのはAmy Seimetzさんという方だけど、正直知らないなあ……と思ったら、『ALIEN:COVENANT』で科学者(結構最初の方で爆死)の役で出てたみたいす。サーセン。完璧忘れてました。
 ◆娘(エリー):推定小学校低学年。決して悪い子じゃなかったのにね……蘇ったエリーは超邪悪です。演じたのはJeté Laurence嬢12歳。将来なかなかかわいく育つ見込み大だと思います。
 ◆息子(ゲイジ):推定幼稚園~保育園児。原作小説で亡くなって蘇るのはこの子です。小説の蘇ったゲイジは超邪悪でヤバイ! 演じたのは、全然データがないけどHugoとLucasのLavoleさんちの双子の兄弟みたいすね。二人で演じてたとは全く気が付かんかったわ。
 ◆ジャド:家族の近所に住まう老人。あんたが余計なことを教えなければ……確か原作ではその妻である、おばあさんも出てきたような……気のせいかも……。演じたのは大ベテランのJohn Lithgow氏74歳。Lithgow氏と言えば、なんかいつも「怪しい隣人」なイメージがあるのは何故なんだ。今回は、悪い人じゃないんだけど……いつもの通り怪しさ満点でしたな。
 ◆チャーチ:家族の愛猫。あれは種別としては、メインクーン、だろうか? 大変愛らしい毛長猫。もう、冒険しちゃだめって言ったのに、バカちんが……悲しい……。なお、エンドクレジットによると4匹のお猫様が演じていたようです。猫演技は完璧でしたね。


 というわけで、書いておきたいことがなくなったので結論。

 わたしの大好きなStephen King大先生の作品が映画化されるなら、確実に観に行くわけですが、なんかここ数年、再びのブームなんすかね? やけに本数が増えてるような気がします。TVシリーズ含めても多いよね、やけに。まあ、それだけ面白いお話であるのは間違いないのだが。今回はKing大先生の初期作品『PET SEMATARY』がリメイクされて登場と相成りました。結論から言うと、原作小説と違う部分はある、けど、アリ、だと思います。ただ、おっそろしく後味の悪いBAD-ENDなので、Kingファンなら見るべきだと思うけど、そうでない方には基本オススメはしません。なんつうか、やっぱりきちんと弔うこと、それが生きている我々のためでもあるわけで、ペットだろうと火葬してきちんと供養してあげたいすね。変なところに埋めちゃダメに決まってるっつうの。ホントにアメリカ人はゾンビが好きだなあ、と、見当違いな感想を抱きました。そしてあの曲が耳にこびりついて、すげえ嫌な感じっす。笑。以上。

↓ 久しぶりに1989年版を見てみるか。たしかWOWOW放送したのをBlu-rayに残してるはず。
ペット・セメタリー (字幕版)
ブラッド・グリーンクイスト
2013-11-26

↓ そしてこちらが、伝説のウルトラB級の続編。なかなかヤバイす笑。
ペット・セメタリー2 (字幕版)
エドワード・ファーロング
2014-07-01

 このBlogで、もうおそらく50回ぐらい書いているのだが、今回も敢えてこのセリフから始めよう。わたしがこの世で最も好きな小説家は、Stephen King大先生である!
 というわけで。2年間、35M$の予算で製作され、公開されるや全世界で700M$も稼ぎ、大ヒットとなった映画『It』。1USD=108JPYとして、37.8億円投資したものが756億円で戻ってきたわけで、莫大な利益をもたらした作品だが、King大先生のファンであるわたしは、公開前は結構懐疑的だったのである。なんで今さら「It」なんだ? そもそもあの長大な『It』が2時間で描けんのか? という感じで、ズバリ言うとほとんど期待はしてなかったのである。
 しかし!
 公開された『It』は、予想を大きく上回る面白さで、とりわけ、子供時代編と現代大人編の2つの時間軸がある原作を、その子供時代編だけに絞って切り取り、超見事に映像化されていたのであった。さらに言うなら画面のクオリティは極めて高品位で、特に「黒」の表現が非常に巧みであった。なるほど、現代最先端の技術を使うとここまで鮮明で見事な映画になるんだな、という当たり前のことが妙に新鮮だったのである。
 そして2年前に公開された『It』は、そのラストで正式?なタイトルとして『IT Chapter1』と堂々とクレジットされるに至り、おお、つまりこれは、「大人編」も作る気満々じゃねーか! とわたしは歓喜したのであった。
 というわけであっという間に2年の月日が流れ去り――とうとうその続編たる『Chapter2』が公開されたので、わたしもさっそく観てきたわけである。
 が……うーん、そうだなあ……まず一言で言うと、原作とかなり違う。正直わたしは原作小説のラストを明確には記憶していないけど、これは間違いないと思う。そして、原作はとりあえず抜きにしても、映画として、まず長い。そして、若干、あれっ!? というエンディングであったような気がしている。これは……なんかいろいろはしょられたというよりも、別物になっちゃったかな、という気がする。
 ただし、だからと言ってつまらなかったとは言わない。わたし的には、この映画には3つの見どころがあって、その点では非常に満足であります。大絶賛はしないけど、十分面白かったすね。可能なら、『Chapter1』をもう一度見て、すぐこの『Chapter2』を観るのが一番いいような気がするっすね。ちなみに本作『Chapter2』も、US本国及び諸外国では9月にもう公開になっていて、USでは245M$稼ぎ、全世界合計では456M$稼いで大ヒットとなっている。すげえなあ!

 ところで、前作でも書いたが、日本版タイトルには意味不明などうでもいいサブタイトルがついているが、まったくセンスを感じないのでゴミ箱行きでいいだろう。なのでその邦題サブタイトルは一切記載しない。
 というわけで、お話は『It』の27年後である。メイン州デリーという、King大先生の作品で非常によく出てくる街には、27年周期で大量殺人(というより行方不明者というべきか)が起きていて、前作『Chapter1』では1988年、そしてその27年後、2015年の出来事を描いたのが本作『Chapter2』だ。まあ、簡単に言うと、前作では「それ=It」に出会ってしまった少年少女たちは、超がんばって「それ」を撃退することに成功したものの、完全な駆除には至っておらず、今回、ケリをつけるというお話だ。前作では、スクール・カースト最底辺の「負け犬クラブ=Losers」のちびっ子だった彼ら&彼女は、今やすっかり大人となって、それぞれの生活をしている。が、一人だけ27年間デリーから離れずにいたマイクから、「アレがまた出た!」という電話を受けて、再集合するところからお話は始まる。
 ここでさっそく、わたし的見どころその1)を紹介しよう。
 そうなんです。今回の「大人編」は、前作でちびっ子時代を演じた子役のみなさんと、ことごとく似ている、面影のある役者で作られているのであります! まずはこのキャスティングがスゴイというか素晴らしい! とわたしは讃えたいと思う。
 さらに、わたし的見どころその2)も紹介しておくと、もうわたしは劇場で大興奮して、登場した時思わず、おおっと!? と声を出してしまったのだが、なんとなんと、Stephen King大先生ご本人がとあるキャラクターで登場するのであります!!! King大先生の顔を知っている人なら、すぐわかったはずだが、恐らく劇場の皆さんは全然気が付かなかったんだと思う。けど、マジでわたしはまさかのKing大先生登場に興奮したっすねえ!! しかも、台詞もあるし、何気に登場シーンが長い! ヒントは、主人公ビルがかつて自分が乗っていたチャリンコを発見して300ドルで買い取るシーンですよ! このKing大先生のまさかの登場からわかることは、つまりKing大先生もこの作品をとても気に入っているということで、原作とかなり違った物語だけど、全然アリ、King大先生納得済みということだろうと思う。
 で。物語的にわたしが残念に思ったのは、原作で(あるいはKingワールドで常に「善」を体現するものとして)登場する「亀」が物語に絡まなかったことだ。前作でも今回でも、「亀」はチラッと登場するけど、「It=それ=邪悪なる存在」と対になる「善なる存在」としての「亀」が物語に何の役割も与えられなかったことだけが残念だ。
 そして、どうしてもキャラクター一人一人の過去と感情を追わなくてなならない必要があるために、結果的に映画全体が長くなってしまう。本作は上映時間169分もあるのだが、仕方ないとはいえ、やっぱり長いし、それにしてはエンディングが結構あっさりしちゃっているので、その点もちょっとだけ残念だったかもしれない。
 しかし、そういった物語上のアレな点を帳消しにしてもいいぐらい素晴らしかったのが、わたし的見どころその3)、映像そのものの素晴らしさ、であろうと思う。とりわけ原作ファンでも大興奮できたのは、「It」の最終形態である「蜘蛛」型Itの映像化ではなかろうか。あれはもう、原作では想像するしかなかった姿を見事に映像化してくれましたなあ。若干エイリアン・クイーン的でもありましたが、原作を読んだ時のわたしの想像を超える見事な造形だったと思います。そして今回も、「闇」、とりわけ「黒」が見事でしたなあ! これは話題のDOLBY-シネマで観るべきだったと悔やまれますな。他にも映像的にはペニーワイズと風船なんかも、どのシーンでも非常にシャープというか鮮明で、実に映像として美しさすらあって、とても印象的でしたな。こういう映像力は小説の文字を超える力があると思うっすね。実にお見事でした。
 というわけで、最後に今回の「大人編」を演じた負け犬クラブの面々をメモして終わりにしよう。見どころ1)で書いた通り、子供辺と大人編ですげえよく似ている役者が起用されてるわけですが、その外見はもちろんなんだけど、キャラクターとして、きっちり似ているというか統一されてるというか、まさしくこの子が大人になったらこうなるっていうのが見事に表現されてたと思うっすね。
 ◆ビル・デンブロウ:演じたのはヤング・プロフェッサーXでお馴染みJames McAvoy氏。子供時代編を演じたJaeden Martell君に似てますな、やっぱり。どもりもすっかり治り、作家として活躍する大人ビルも、デリーに帰郷し、Itと対峙するとどもりが再発してしまうのだが、若干、McAvoy氏のどもり演技は不自然だったような……その点は子役のJaeden君の方が上手かったような気がしますね。
 ◆ベバリー:負け犬クラブ紅一点の勇敢な女子。演じたのはJessica Chastainさん。子供時代編を演じたSophia Lillisちゃんとはちょっと雰囲気が違うすね。今回唯一子役とイメージが違うような。目が違うのかな。。。
 ◆ベン:子供時代はデブで奥手ないじられキャラだった彼が、大人になってからはすっかりスリムなイケメンに成長。でも、ちょっと写真をよく比べていただきたい。大人編のJay Ryan氏と、子供時代編のJeremy Ray Taylor君、なんかね、似てんすよ、やっぱり。特に目が面影あるんすよねえ! 大人編のJay氏は、若干ドクター・ストレンジっぽいんすけど、やっぱベンなんすよ。これはお見事なキャスティングだったと思うすね。しかしベンも27年を経てやっとベバリーへの想いが通じてホント良かったね!!
 ◆エディ:喘息持ちで毒舌なエディも大人編を演じたJames Ransone氏とJack Dylan Grazer君は同一人物のようなキャラ同一性が保たれてましたな。ちなみにDylan君は、かの『SHAZAM!』でフレディを演じてくれたあの子です。アレも見事な演技でしたな。
 ◆リッチー:メガネの毒舌トーキングマシンなおしゃべりキッズ。しつこいけど、大人編のBill Hader氏と子供時代編のFinn Wolfhard君はホントによく似てます。
 ◆スタンリー:大人編のスタンリーはすぐに自殺してしまうので(これは原作通り)ほぼ出番はないですが、回想で出てくる子供時代編のWyatt Oleff君と大人編のAndy Bean氏はやっぱりホントに似てますね。ちなみにWyatt君は、かの『Guardians of the Galaxy』で地球から連れ去られる子供時代のピーター・クィルを演じてくれた彼っすね。
 ◆マイク:唯一デリーに住み続けて、「It」の謎を追い続けていたマイク。ホントしつこいけど、子供時代編のChosen Jacobs君と今回の大人編のIsaiah Mustafa氏はマジそっくりす。
 とまあこんな感じだが、最後に監督のAndrés Muschietti氏を称えて終わりにしよう。アルゼンチン出身の監督だが、わたしがほめたたえたいのは、その映像のシャープさと言えばばいいのかな、キレがあるんすよね。非常に高品位だと思う。目に鮮やかな風船の赤と真っ暗闇とか、やっぱり色のセンスなのかな? 色の対比、色彩設計が非常に見事だったと思う。そして音楽のつけ方もとても上品かつ効果的で良かったすねえ! 今後、どんな作品を取るのか知らないけどIMDbによれば、『Attack on Titan(=進撃の巨人)』ハリウッド版の監督に、なんてアナウンスされてるようで、非常に気になりますな! とても才能ある監督だと思います。

 というわけで、もうまとまらないので結論。
 2年前からずっと楽しみにしていた『IT Chapter2』がとうとう日本でも公開になったので、さっそく観てきたわけだが……原作と比較すると、かなり違いがあってもはや別モノ? という気もするし、とにかく2時間49分は長い! と思うけれど、一方では、とにかくキャスト陣が子供時代編とつながっている感が保たれた、似ている俳優ぞろいで実に興味深かったし、映像的にもとてもキレがあって、結論としては大変楽しめました。なにより、King大先生の大ファンとしては、King大先生がスクリーンに登場して、台詞も結構ある役を演じる姿に大興奮であります! このシーンだけでもわたしは楽しめました。ホラー映画?とカテゴライズするのが普通なんだろうけど、実際、物語を知ってても、うぉっと、やっべええ!! といちいちびっくりするような演出も楽しめたっす。素っ裸の老婆がベバリーを襲うシーンがわたしは一番怖かったす。アレはヤバかったすね! というわけで、原作とは違っていても、この映画はアリ! が結論です。以上。

↓ あーあ、2年も時間があったんだから、もう一度ちゃんと原作読んどくべきでした。アホだった……電子で全巻全館買い直しておいたのに。。。そしてもう一度『Chapter1』を見直しておくべきでした……。
IT(1) (文春文庫)
スティーヴン・キング
文藝春秋
2017-10-03


 わたしがこの世で最も好きな小説家は、ダントツでStephen King大先生であるッ!
 ということは、このBlogにおいてもう何度も書いてきたが、来ましたよ! King大先生の日本語で読める最新刊が! そしてそれは勿論! 「退職刑事ビル・ホッジス」シリーズ第3弾にして完結編の『END OF WATCH』(日本語タイトル:任務の終わり)であります! やったー!
endofwatch
 日本の出版業界の慣例として、書籍はいわゆる「公式発売日」の前日には書店店頭に並ぶことが多く(※都内ならば)、実のところ2営業日前には本屋さんに届いちゃう場合も多くて、わたしは文藝春秋社が公式にアナウンスしている9月21日発売という日付から、ひょっとしたら、今日もうおいてあるかもな、と昨日の会社帰りに本屋さんに寄ってみたところ、実はまだ棚には陳列されていなかったけれど、その近くの運搬用ワゴンにひっそり置かれているのを発見して(誰がどう見ても、もう客が手に取って買っていいような状態だった)、おおっと! あった! やった! わーい! と内心超ニヤニヤしながら、外面は超クールな顔をしてレジに向かい、購入し、さっそく帰りの電車内で読み始めたのであります。
 ズバリ言うと、ファンならもう、のっけから大興奮ですよ、これは。詳しい感想は読み終わってから記しますが、いやあ、コイツは相当面白そうすねえ! 物語には全く関係ないことですが、わたしはとにかくKing大先生のDirty Wordが大好きでありまして、今回、一番最初のp.9で、わたしとしてはもうホント最高だな! と笑っちゃったDirty Wordが二つも! あったのでメモしておこう。なお、まだ英語原文を当たっていないので、翻訳した白石先生の日本語訳です。
 「きょうの朝はウッドチャックのケツの穴並みに真っ暗で、時刻は夜明け寸前だったからだ」
 「(とある人物がマクドナルドの看板を見つけて)やったぞ! アメリカの黄金のおっぱいだ!」

 いやあ、こういう表現が大好物なんす、わたくし。夜明け前の真っ暗闇を「ウッドチャックのケツの穴並みに真っ暗」だとか、マクドナルドのM(ダブルアーチ)を「黄金のおっぱい」と表すなんて、King大先生以外にはいないすよ。ホントに最高すね! 
 そして現在上巻の120ページほどまで読み進めているわたしだが、コイツは相当ヤバいすねえ……! ホッジスは完全に大丈夫じゃなさそうですな。p.35というほぼ冒頭の描写からも、ああ、こりゃあきっと最後は……という予感がひしひしと伝わりますね。そしてタイトルの『END OF WATCH』というのがどういう意味なのかは、p.28に書いてあった。曰く、警官が退職することをEND OF WATCH(任務終了)というそうです。そしてこの言葉の本当の意味は、これからもっと深く明らかになると思うので、そうだなあ、上下巻で1週間はかかるかな、ゆっくりじっくり、味わおうと存じます。

 というわけで、さっさと結論。
 日本全国のStephen King大先生のファンが待ち望んだ『END OF WATCH』日本語版。いよいよ明日発売ですが、まあ、都内近郊なら、本屋さんに行けばもう置いてあるかもしれないすよ! そしておもむろに手にし、自動的にレジへ向かってください。そこには一切の思考は必要ありません。間違いなく今すぐ買いです。文庫になるまで待つのは、もうわたしはやめました。どうせ数百円しか違わないし、特急料金として、単行本ですぐに読む方がいいと思います。そして電子書籍は紙の書籍同様、明日から配信開始ですが、わたしはKing大先生の作品だけは、本棚にずらりと並べて悦に入りたいおっさんなので、さっさと紙書籍を買いました。ちなみに、電子書籍は紙書籍版より結構安い価格設定になってるようです。しかしなんつうか、いやー、やっぱりKing大先生は最高すね! 以上。

↓ ネット書店で買うのではなく、本屋さんへ行かれてみてはどうすか? いち早く読めますよ! たぶん! そしてアマゾンだと、紙版よりも200円以上、Kindle版の方が安いみたいです。
任務の終わり 上
スティーヴン・キング
文藝春秋
2018-09-21

任務の終わり 下
スティーヴン・キング
文藝春秋
2018-09-21






 わたしが世界で最も好きな小説家は、ダントツにStephen King大先生である。
 このことはおそらくこのBlogでもう10回以上書いているような気がするけれど、King先生の作品はとにかく面白くてわたしは大好きである。そして、King大先生の『ダーク・タワー』と言えば、書き始めから20年の時を経てようやく完結した長大な物語(最新の角川文庫版では外伝込みで全14冊、しかもそれぞれ分厚い)としても有名なわけだが、誰が何を思ったのか知らないけれど、今般、映画となって公開される日がやってきたのである。しかも、上映時間は95分と短く、一体全体、どんな映画になり果てたんじゃろうか? とわたしは全く想像がつかないまま、今日は劇場へ足を運んだわけである。実のところ、US本国の評判はかなりよろしくなく興行成績もイマイチであったことは既に報じられていたので、わたしもかなり猜疑心に溢れ、またどうしようもないクソ映画なんじゃあないのか……という嫌な予感をひしひしと抱いていたのは事実だ。
 そして実際に観てきた今、結論を先に言うと、まあ、ズバリ言えば「別物」であった、と思う。そもそもあの長大な物語を95分で描けるわけないし。しかし、だ。様々に描かれる、『ダーク・タワー』テイストは観ていて大変好ましく、おまけにKing大先生のファンならばニヤリとできるような、ちょっとした描写も数多くあって、本作は、相当な玄人Kingファン向けの、ファンムービーだったかもな、という気もした。つまり、King大先生のファンで、オレはそこらの素人じゃあなく黒帯ファンですよ、という自覚がある人なら非常に楽しめる、けれど、そうでない人にとっては、普通?なデキ、な映画であったように思う。
 というわけで、以下、そもそもの「ダーク・タワー用語」を解説なしで書いてしまうと思うので、「ダーク・タワー」を読んだことのない人は完全に意味不明だと思います。

 まずは最初に、主人公であるローランドについて書いておこう。わたしは10年以上前に、『THE DARK TOWER』のグラフィックノベルを買って読んだことがある。↓これ。
 このグラフィックノベルは、とにかくやけにかっこよく、大満足の一品だった。そして、主人公ローランドの風貌に関しては、わたしとしてはこのグラフィックノベルで描かれるローランドよりも、やっぱりKing先生がイメージしたという、Clint Eastwood氏的な面差しをずっと脳裏に描いていたのだが(とりわけ名作『Pale Rider』でのEastwood氏をわたしは妄想していた)、上記に貼りつけた予告の通り、今回の映画版のローランドを演じるのは、MCUでの門番ヘイムダルでお馴染みのIdris Elba氏だ。ズバリ言うと黒人、である。その点について、一部では文句を言う人もいるらしいが、まあそんな人とは友達にならない方がいいでしょうな。はっきり言って、わたしはもう最初に登場したシーンから、ローランド=Idris氏のイメージが出来ちゃったほど、画面のIdris氏はローランドそのものにしか見えなかった。いやあ、本当にかっこよくて、わたしとしてはこのキャスティングは、超アリ、である。
 で、次に本作、映画版の物語を簡単にまとめておこう。
 舞台は現代NYC。一人の少年ジェイク・チェンバース君は、何やらこのところ、妙な悪夢を見るようになった。それはどうも消防士だった父が亡くなって以降のことらしいが、その悪夢の内容は、「ここではないどこか」の世界で、何やら少年少女が謎の装置に拘束されて、その謎装置から発射されるビームによって「天まで届く暗黒の塔」が破壊されようとしている様子だった。折しも、その夢で「塔」が攻撃されて衝撃が走ると、現世のNYCにも地震が起こり、おまけにどうやら東海岸西海岸とも、そして世界各地、東京などでも地震が相次いでいるらしい。しかし、大好きなお母さんはジェイクの夢を信じてくれないし、クソ野郎の継父は、邪魔なジェイクを追い出そうと施設に入れようと画策している。
 そんなしょんぼりなジェイクの元に、施設の職員を名乗る男女がやって来る。しかしその職員は、ジェイクで夢で見た「人の皮をかぶって偽装している化け物」であるしるしが! 逃げるジェイク。そして夢で見た家がブルックリンに存在していることを知り、その家に行ってみると、謎の装置があった。ジェイクは恐る恐る、その謎装置に夢で見た座標「19-19」を入力。すると起動した装置によって「中間世界」へのゲートが開き、ジェイクは「中間世界」へ。砂漠を彷徨ううちに、これまた夢でみたガンスリンガー、ローランドと出会うのであった……てな展開です。
 そしてローランドが倒そうとする「黒衣の男」ウォルターは、力を持つ少年少女を狙っており、なんとジェイクにはKingファンならおなじみの、強力な「輝き=Shine」能力が備わっており、ウォルターの第1目標となって追われることに……というわけで今、「ガンスリンガー」ローランドと「黒衣の男」ウォルターの熾烈な戦いが中間世界と現世を行き来しながら繰り広げられる! 的なお話です。いかん、ぜんぜんうまくまとめられないわ。
 というわけで、本作、映画版は、小説原作と全く違うと言っていい物語だ。ただ、最初に言った通り、雰囲気は非常によく、たぶん、原作ファンならそれなりに楽しめると思う。
 小道具というかちょっとしたことなのだが、例えば、ジェイクが中間世界へ行く「ポータル」という謎装置なのだが、やけにハイテク装置で驚きだったけれど、わたしが一番うれしくなってしまったのは、座標入力の液晶画面に、「NCP」という会社のロゴが映っているわけですよ。これはもう、ファンなら一発で分かるもので、「ノース・セントラル・ポジトロニクス社」のことだ!とか、わたしはもう、そういうちょっとしたことにいちいち興奮してしまった。
 そして、一番わたしがわくわくしたのは、やっぱり、数々の「知ってる」台詞が登場することだろう。「サンキー・サイ」とか「Long days, Pleasant Nights(=長き昼と快適な夜を) 」といった有名なフレーズを生きたキャラが言うシーンを観られただけでも、わたしとしてはもう大満足である。まあ、エディやスザンナ、オイなどの原作での「カ・テット」が出てこないのはもうしょうがないよね。一応、ちゃんと「ダーク・タワー」だったのは間違いないと思う。なお、パンフレットには、本作の中でチョイチョイ出てくる、King先生ワールドの小ネタが結構詳しく載っているので、ファンは買った方がいいかもしれない。わたしは1/3ぐらいは気が付かなかったので。クリスティーンとか14-08は気づけたけど、まさかリタ・ヘイワースのポスターまで映ってたとは気が付かなかったわ。これで意味が通じない人は、もうこの映画観てもあまり意味がないと思います。そういう人は、ラストで再びジェイクとローランドが入っていった建物のシャッターに描かれた「薔薇の絵」にも、全く何も感じないだろうな。わたしは結構、ここで薔薇が来た!とうれしくなったすね。
 では最後に、各キャラと演じた役者を紹介して終わろう。
 ◆ローランド・デスチェイン:最後のガンスリンガーと呼ばれる物語の主人公。演じたのは前述の通りIdris Elba氏。いやあ、かっこよかったすね。わたしは、さんざん偉そうに書いている割に、実はもう原作の詳細は覚えていないのだが、確か原作でも、ローランドが現世の薬を飲んで、コイツは良く効くな、的なことを言う場面はあったような気もする。今回はばっちりありました。そして、本作では毒?に侵されたローランドがふらふらになって右手が使えなくなるシーンがあるけど、あれは原作2巻の殺人毒毒ロブスターのシーンのオマージュかな? 原作では2巻でもうローランドは殺人毒毒ロブスターとの戦いで指を失っちゃうけど、今回の映画版では、指を失わずに済んでよかったね。それにしても雰囲気はバッチリで、わたしとしてはIdrisローランドはアリ、です。
 ◆ジェイク・チェンバーズ:ローランドと出会って後に「カ・テット」の一員として旅を共にするNYCの少年。演じたのはTom Taylor君16歳。おっと、なんか今はずいぶん成長しちゃってるっぽいな。ジェイクは、原作では一度ローランドに見捨てられるという悲しい出来事があるけれど、映画版ではその辺りはバッサリとカットでした。なので、ジェイクというとわたしはとても悲しい顔をしているイメージがあったけれど、今回は結構アクティブな元気な少年でしたな。なお、ジェイクは原作でも、「タッチ」という人の思考に触れる能力を持っているけれど、今回の映画版では、King用語では有名な「輝き(Shine)」と変更されていた。これはまあアリなんじゃなかろうか。何のことかわからない? 要するに「シャイニング」のことです。King世界では有名な超能力の一種ですな。
 ◆黒衣の男=ウォルター:「塔」を破壊しようとする「クリムゾン・キング」の手下として有名な男で、King世界では様々な形で登場する。原作的には、ローランドが最も許せない不倶戴天の敵。今回の映画版で演じたのはMatthew McConaughey氏で、非常に雰囲気のあるウォルターぶりだったように思う。ただちょっとあっけなかったかな……。今回、恐らく原作と一番違うのが、この闇の勢力の描かれ方で、中間世界と現世を結ぶポータルの謎装置の描写は、わたしは結構気に入った。あんなに自由に行き来するとは、大変興味深いすね。
 と、もう一人わたしの知っている役者が出演していたのでメモしておくか。なんと、ウォルターの手下でNYCのポータルの管理人?をJackey Earle Haley氏が演じていた。彼は、わたしのオールタイムベストに入る大好きな映画『WATCHMEN』の主人公ロールシャッハを演じたお方ですな。
 
 というわけで、なんかもう取り留めないのでさっさと結論。
 わたしが世界一大好きな小説家Stephen King大先生の長大な叙事詩『THE DARK TOWER』が映画化された。それだけでもうわたしには大ニュースなのだが、残念ながらUS本国では散々な評判と興行になってしまい、わたしも、こりゃあ地雷かもな……という危惧を抱いて、劇場へ足を運んでみたところ……確かに、確かにこれは全くの別物だと言わざるを得ない、とは思った。何しろあの長大な作品を95分にまとめられるわけないし。しかし、随所に漂う雰囲気や、そこかしこにちりばめられたKing世界の小道具にはいちいち興奮してしまったのは確かだし、キャラクターたちが話す「知っている台詞」の数々には、もう大興奮であった。要するに、結論としては、わたしはかなり楽しめたのである。ただし、それはわたしがKing大先生の大ファンであるからであって、そうでない人がこの映画を見て楽しめるのか、それは全くわからない。たぶんダメなんじゃないかな……。そういう意味では、本作は完全にKing先生ファン黒帯以上を対象とした、ファンムービーだったように思う。しかし、やっぱりあれだな、もう一度、最初から全巻読み直さないとダメだな。すでに電子書籍では全巻買い直してあるので、よし、今夜から読み始めよっと! 以上。

↓ King先生の作品を映画化したもので、一番好きなのは? というのはKingファンなら一度は議論したことがあると思いますが……わたしは、やっぱりこれかなあ……そういえば、黒衣の男・ウォルターは、小説を読んでいるときのわたしの脳裏にあったのは、この映画の頃の若きChristopher Walken氏でした。この映画はもうホント大好きっす。結末が超悲しい!

 このBlogを書き始めた一番最初の記事の冒頭で宣言した通り、わたしが世界で最も好きな小説家はStephen King大先生である。これはもう何度も書いてきたことだが、とにかく面白い。たまーに、微妙作もあるのは認めよう。だけど、やっぱりダントツナンバーワンでStephen King先生の作品が好きだ。
 まあ、日本の小説家の先生の中にも、King先生のファンを公言している作家はいっぱいいるし、ちょっとインターネッツなる銀河を彷徨えば、わたしよりはるかに凄い、重度のKing先生のファンの方もいっぱいおられるのは間違いないのだが、残念ながらKing先生の作品は、それほど日本で売れるわけではなく、新刊が出てもあっさり品切れ重版未定という名の絶版に追い込まれるわけで、とにかく見かけたら買うべし、が掟である。そんなファンの中で、おそらく人気TOP5に入るのではないかとわたしが根拠なく勝手に思っている作品、それが文春文庫から出ている『IT』である。
IT〈1〉 (文春文庫)
スティーヴン キング
文藝春秋
1994-12-01

 文春文庫版で全4巻にわたる長いお話だが、わたしも当然20年近く前に読んでいるし、その後10年ぐらい前に1回読み直したことがある作品だ。わたしとしては、長編で言うとこの『IT』よりも『THE STAND』の方が大好きなのだが、この『IT』は映像化も当然過去になされている(TVミニシリーズ)作品である。そもそも出版されたのもずっと前だし。
 だが、この度、どういう経緯か知らないが、今再びその『IT』が劇場映画となって帰ってきた。しかも、9月から公開されているUS国内はおろか全世界でも、おそらくは大方の予想を超える超ウルトラ大ヒットである。US国内ではすでに3億ドルを突破し、日本以外の全世界でも3億ドルを超え、合計6億7千万ドル(1$=114円として765億円)を既に超えて大ヒットとなった新・映画版『IT』。わたしとしては、早く日本で公開にならねえかな……と待つこと2か月。いよいよ今日から公開となったのでさっそく観てきたのだが、結論から言うと、わたしのオレ的2017年ナンバーワンかもしれないほどの出来の良さで、ウルトラ大ヒットも納得の仕上がりとなっていた。実に面白かった。そして実にハイクオリティであった。
 以下、ネタバレ全開になるはずなので、知りたくない人は読まないでください。

 まず、どうでもいいことからメモしておくと、日本公開タイトルは、何やらセンスのない邦題が付いているが、全く不要なので本Blogでは一切その邦題を記さないことにする。この映画は『IT』であり、日本語で言うなら「それ」、強いてタイトルとして表記するなら『イット』とカタカナで表記する以外になかろうと思う。つまらん邦題はゴミ箱行きでよかろう。
 そして、King先生による原作を読んだことがある人なら、絶対に思うのは、「あの長大な物語をいかにして2時間チョイに収めたのだろうか?」という疑問であろうと思う。わたしも実際、それが一番気になっていたし、どういう脚本になったのかについて最も興味を持っていた。
 この点について、もうのっけから書いてしまうが、King先生の『IT』という小説は、過去の少年時代編(1957~58年)と、大人になった現代編(1984~85年)、に分かれているのだが、今回の映画版は、完全に「大人編」を切り捨て、「子供時代編」のみに絞って描かれていた。しかも今回の少年時代編は1988~89年に改変されていた。これは大胆といえば大胆だが、かえってストレートに物語が進行し、結果的には大成功だったのではないかと思う。ちなみに、エンディングで「CHAPTER:1」と出るので、「大人編」を「CHAPTER:2」として今後製作するのかもしれない。何しろ本作は、製作予算3500万ドル(=約40億円)と、ハリウッド基準では低予算であるため、もはや黒字は確実で、同じ規模なら続編を3本ぐらい製作できるほど稼いだのだから。そして、時代を1988~89年に変更したのは、その27年後(※27年周期、が重要なのは後に書きます)がまさしく2015~2016年と現代にするためではないかと思う。要するに、大人編を作る気満々ってことと理解してもよいとわたしは確信している。
 さて。以下物語を追ってみよう。なお、今回はあえて、映画版のみを話題とし、原作小説とどう違っていたかは記さないものとする。なぜなら……ええ、正直に告白しよう。比較できるほど原作小説の細部を覚えてないからです。サーセン。
 物語の舞台は、King作品では超おなじみのメイン州にある町、デリーである。もうKing先生の作品では、同じくメイン州「キャッスルロック」と同じくらい舞台になっている町で、架空の町だ。デリーに住む少年、ビル・デンブロウ君13歳は、1988年の10月の雨の日、弟のジョージーを失う。ジョージーは、ビルの作ってあげた紙の船を雨の中流して遊んでいて、行方不明になってしまったのだ。それから数カ月、デリーの町では少年少女の失踪が相次ぎ、ジョージーの死を受け入れられないビルは、仲間の「負け犬クラブ」のさえない少年たちと、デリーの町の地下を流れる下水道に調査に向かうのだが、そこには恐るべき「それ」が棲んでいて……てなお話である。
 とにかくこの作品の面白さは、やっぱり「負け犬クラブ」のダメ少年たちと、紅一点の勇気ある少女べバリーのキャラにあると言っても良いだろうと思う。そして、超おっかないピエロの格好をした謎の「それ」、ペニーワイズの恐怖がヤバいのだ。わたしは今回の映画で、ペニーワイスのビジュアル的な怖さも凄いと思ったし、やっぱり少年少女たちキャストの熱演がとても素晴らしかったと思う。また、演出も、闇と光、それからカメラアングルあたりは、ホラーとして古典的かもしれないけど、非常にハイクオリティだったと称賛したいと思う。また、いままで脳内で描いていたデリーの町を実際の映像で見せられるとこうなるんだ、というのも非常に興味深かったし、ジョージーの原作での忘れられないセリフ「お兄ちゃん、プカプカ浮かぼうよ……」も、実際の映像で「浮かんで」いる様が観られてわたしは大興奮であった。
 というわけで、以下、キャラ紹介とキャストについてまとめておこうと思う。
 ◆ビル・デンブロウ:演じたのはJaeden Lieberher君。2003年生まれらしいから14歳かな。ビルは、吃音のある少年で、ひょろっとして色白な、若干虚弱少年だが、愛する弟が死んだのは(行方不明になったのは)自分のせいだと心を痛めている。勇気は十分で、なんとなく学校の「負け犬クラブ(Losers Club)」のリーダー的存在。彼は大人になってホラー作家として成功する(くどいけど今回の映画は子供時代のみ)。
 ◆べバリー:演じたのはSophia Lillisちゃん15歳。2002年生まれだそうです。目鼻立ちの整った美人に成長する可能性大ですな。べバリーは、学校のイケてる派の女子たちからいじめられていて、おまけに、お父さんがクソ野郎(原作小説でもそうだったか思い出せない……)という気の毒な境遇にあるが、彼女もまた度胸の座った勇気ある少女。とあるきっかけで負け犬クラブの仲間に。クラブの紅一点で、実はビルもべバリーも、お互いが大好き。べバリーは大人になってからファッションデザイナーとして大成する。なお、ビルとべバリーは、なんとKing大先生の『11/22/63』にちらっとゲスト出演している。まさかまたビルとべバリーに会えるとは思ってもいなかったので、『11/22/63』を読んだときは大興奮しましたな。※追記:間違えた!さっきチラッと『11/22/63』をパラパラ流し読みしたところ、ビルじゃなくてリッチーとべバリーが出てくるのが正解でした。サーセン。間違ってました。
 ◆リッチー:演じたのはFinn Wolfhard君。リッチーはメガネのおしゃべり少年でずっとDirty Word連発で下ネタギャグをかます突っ込み役。ビルと一番仲がいいんじゃなかったかしら。大人になってからはLA住まいのDJとして暮らす。
 ◆エディ:演じたのはJack Dylan Grazer君。この子はイケメンにの成長するんじゃないかなあ。エディは喘息もちで超過保護?なお母さんの元、常に薬を持ち歩いている少年だが、結構毒舌で喧嘩っ早くて活発とも言えそう。病弱には見えない。薬やバイ菌に詳しくみんなの傷の手当担当。後半、自分も腕を骨折し、そのギプスに、薬局のブス女にLOSERと書かれてしまい、SをVに自分で書き直す(LOVER)涙ぐましい努力をする。大人になった彼はたしかNYCでリムジン会社を経営してるのではなかったかな。
 ◆スタンリー:演じたのはWyatt Oleff君。彼はなんと『Guardians of the Galaxy』の冒頭の少年時代のピーター・クィルを演じた子ですって。全然気が付かなかった。で、スタンリーはユダヤ教のラビの息子。結構おどおど君だが仲間の中では明るく元気。負け犬クラブ内ではいつも慎重派。大人になったスタンは裕福な会計士だったかな。
 ◆ベン:演じたのはJeremy Ray Taylor君。ベンは、太っちょの転校生で友達がいなくて、いじめられているところを負け犬クラブのみんなに助けてもらって仲間入り。図書館に入り浸っていて、べバリーに恋心を抱いていた。詩を送っちゃうような内気な少年。大人になったベンはすっかりスリムに変身、建築家として成功している。なお、ベンが図書館でデリーの歴史を調べているときに、どうやら「27年周期」でデリーでは大量に人が死ぬ事件が起きたり失踪事件が相次いでいたらしいことを発見する。
 ◆マイク:演じたのはChosen Jacob君。マイクは原作で黒人少年という設定だったか覚えていないけど、羊を飼育する農家の少年で、大人になってからも唯一、デリーで暮らしている。彼もまたいじめられているところを、負け犬クラブのみんなに助けてもらい一番最後に仲間入り。大人編は、デリーにいまだ住んでいる彼からの電話で物語は始まる。
 こうしてみると、大人編もぜひ映画化してほしいものですなあ! 現代に置き換わるはずだから、メールとかFACEBOOKとかで連絡とるような描写に変わるんだろうな……。
 そして、少年編で本作は終わってしまったので、実際のところ、真のエンディングには達していない。重要な「亀」がチラッと出てきたのは、原作小説を知らない人には全く印象に残らなかっただろうと思うし、「それ」の真の姿も出てきていないというべきだろう。
 だが、それでも本作はとても面白かった。むしろ、大人編は結構トンデモ系なお話になってしまうような気もするので、純粋にホラーとしては少年時代編のみに絞ったのはとても良かったようにも思う。少年時代という事で、本作は同じKing先生の『Stand by me』的な空気感というプロモーションを見かけたような気がするけれど、お話の構造としては、大人編と少年時代編が分かれている『DREAM CATCHER』の方が近いと思う。そしてその『DREAM CATCHER』も映画化されたけれど、かなりキツイ、トンデモ珍ムービーになってしまったのは、ひょっとしたら大人編・子供時代編を一気に描いたからなのではなかろうか……まあ、『DREAM CATCHER』は明確に分けられないだろうから仕方ないけどね……。
 で、最後に、本作を撮った監督をメモしておこう。
 本作を撮ったのが、Andrés Muschietti氏というアルゼンチンの方だ。キャリアとしては、まだ本作が長編2作目だそうで、1作目は『MAMA』というホラーだそうだ。待てよ……この映画、わたしWOWOWで観たかもしれないな……Jessica Chastin嬢が主役だったらしいから、観てるかも。

 これか……いや、これは観てないなあ……怖そう……。ま、とにかく、『IT』における演出技法としては実に正統派というか古典的で、実にしっかりとられた作品だと思う。ペニーワイスの怖さはもう、ホントヤバいすよ。映像が実にクリアというか、ピントがきっちり合っているというか……非常に見やすく、光と闇のコントラストがはっきりしている印象を受けた。たぶんこのことは、King先生の作品においては重要なことで、光の先、日常のちょっと隣に怪異が棲まうという空気感を醸成するのに貢献していたように感じた。この監督が撮る、ホラー作品以外も観てみたいと思います。
 あ、なんだ、もうすでにIMDbに、『CHAPTER:2』がアナウンスされてますね。2019年公開か……これは楽しみだ!

 というわけで、まとまらないので結論。
 わたしが世界で最も好きな小説家はStephen King先生である! このことはもうこのBlogで何度も書いてきた。そんなわたしが、映画『IT』を楽しみにしていないわけがない。そして実際に観てきて、わたしの期待は十分かなえられたと断言できる。大変面白かったし、実にクオリティの高い作品であった。長大な原作を、「少年時代編」のみに集中した選択も実に効果的だったと思う。もしこの映画を観て、負け犬クラブの彼らに「その後」があることを知らない方は、今すぐ原作小説を読んでほしい。つーかわたしも読みたくなってきたのだが、本棚にどういうわけか3巻だけないんだよな……誰かに貸しっぱなしなんだろうな……くそう! あ、ちゃんと電子書籍版が出てるじゃないか! いつの間に……この映画に合わせて10月に電子版を出してたのか……これはさっそく買うしかないすね。以上。

↓ というわけで、電子書籍版が出てました。
IT(1) (文春文庫)
スティーヴン・キング
文藝春秋
2017-10-03

IT(2) (文春文庫)
スティーヴン・キング
文藝春秋
2017-10-03

IT(3) (文春文庫)
スティーヴン・キング
文藝春秋
2017-10-03

IT(4) (文春文庫)
スティーヴン・キング
文藝春秋
2017-10-03

 いやーーーやっぱり最高でした。とても面白かったっす。
 何の話かって? そりゃあ、わたしが世界で最も大好きな作家、Stephen King大先生の日本語で読める最新作『FINDERS, KEEPERS』のことに決まってますよ! 先週、<上巻>を大興奮のうちに読み終わり、この<下巻>はもうじっくり味わって読むぞ! と思ってたのに、実は2日で読み終わってしまっていました。でも今週は忙しかった……はあ……というわけで、やっと感想を書こうと思っているところであります。もう一度、書影を張っておこうかな。
 なお、<上巻>の感想はこちらです→Stephen King『FINDERS, KEEPERS』_<上巻> スティーヴン・キング「ファインダーズ・キーパーズ<上>」
finderskeepers

ファインダーズ・キーパーズ 上
スティーヴン・キング
文藝春秋
2017-09-29

ファインダーズ・キーパーズ 下
スティーヴン・キング
文藝春秋
2017-09-29

 すでに電子書籍でも絶賛発売中であり、おまけに本作はなぜか電子書籍の方が300円ぐらい? 紙の本よりも安いです。いつでもどこでも読めるという点では、電子書籍に分があるような気もしますが、わたしはKing大先生の作品に関しては、まずは紙で買うことにしています。その理由は<上巻>の感想を書いた時のとおり、本棚に並べて悦に入りたいからです。それだけ。文庫化まで待つのは、ほぼ意味ないと思いますよ。文庫化で安くなる分を特急料金として払ってでも、読みたいときに読むべきです。
 で。<下巻>であります。<上巻>の時も書いた通り、ある意味<上巻>は、壮大なプロローグであるとわたしは思っていましたが、今となっては、それはちょっと違ったかも、という気がしています。なんというか、重大な出来事はほぼ<上巻>で語られており、<下巻>はとにかく展開が早く、事件の終息まで一直線で、それゆえわたしは、「じっくり読もう」と思っていたにもかかわらず、ぺ、ページをめくる手が止まらねええええ!という事態となったのでありました。
 なので、物語についても、<上巻>の時に書いた以上のことはもう書けません。
 1978年、一人の有名(だけど隠棲していた)作家が強盗に殺害されるシーンから始まるこの作品ですが、その犯人の一番の目的であった、「膨大な未発表原稿」の行方がこの物語の一番中心にあります。犯人は、まずその「未発表原稿」をこっそり土中に埋める、そしてまったくの別件で逮捕されて終身刑に。その後、2010年にとある少年がそれを発見、しかし一方で犯人も35年ぶりにシャバに戻ってくる、というわけで、この犯人と少年の出会いが確定し、そこに、少年の妹のつながりで、この「ビル・ホッジス」三部作の主人公である元刑事のホッジスが登場したところまでが<上巻>で描かれました。
 なので、おそらくは<下巻>で、我らがホッジスおじさんが大活躍するのだろう、と思って読み始めたわけですが、その読みはちょっと外れていたといわざるを得ないでしょう。そうなんです。ホッジスおじさんは今回、ほとんど何もしないまま事件は終わりを迎えるのです。
 まあ、何もしない、というのは言い過ぎかもしれません。実際、ホッジスがいなければいろいろマズいことになってたでしょうし。しかし、ある意味後手後手に回り、事件の解決にはほとんど寄与していないとはいえそうです。その代わり、原稿を偶然見つけた少年ピーターくん(作中ではピートとも呼ばれている)が一人テンパりながら、妹のために頑張り、そしてホッジスの助手となっていたホリー(前作『ミスター・メルセデス』の下巻で大活躍した若干精神に問題を抱えている女性)も、機転を利かせて頑張りました。さらに、<下巻>ではジェローム君(同じく前作で大活躍したホッジスの近所に住む青年)も、今回はなんとハーヴァードに進学した大学生となってさっそうと(?)登場し、盛り上げてくれましたね。というわけで、わたしとしては大満足だったわけですが、ここで<下巻>でのポイントをいくつか挙げておこうと思います。
 ■最終的な「原稿」の行方について
 最後、どうなるかはあえて書きません。いや、えーと、ごめん、嘘です。ダメだ、書かないと説明できないな。わたしとしては、最終的な原稿の運命には、やっぱりとても残念というかもったいないと思いました。我々のような小説好きならば、自分の好きな、既に亡くなった作家の「未発表原稿」が存在し、おまけにそれが自分の大好きなシリーズの「真の完結編」であったなら、もう、どんなことをしてでも読みたいと思うだろうし、それが存在したのにもうこの世にはない、なんてことを知ったら、どれだけ悔しい思いをするだろうか。相当つらいエンディングだったと思う。
 ただ、作家を殺してでも、とはもちろん思わないし、その原稿を入手するために人殺しをしようとはもちろん思わないのが普通でしょう。しかしそれでも、やっぱり読めないなんてつらすぎますよね。そういう意味では、物語的にはめでたしめでたし的な感じではあるけれど、小説ファンとしてはもう、これは大変な悲劇的エンディングだったとわたしは思いました。人類の宝が……とわたしは結構呆然というか、本と読んでいてつらかったっす。
 ■「Finders, Keepers=見っけたもん勝ち」のアメリカ。
 まあ、最終的に、少年ピーターくんは、「僕が見つけたのが間違いだったんだ、僕が見つけなければよかったんだ、僕が最初から図書館に寄付とかしてればよかったんだ」と深く後悔し、事件を巻き起こしてきしまったことに反省をするわけですが、本作の状況で、素直に警察に届けるとか、そういう行為を我々日本人でもできたかどうか、実にあやしいだろうと思う。我々日本人は、まあ、大金だったりすごいお宝を見つけたら、それをネコババしようという気持ちには、あまりならないかもしれない。ただそれは、最初は独り占めしようと思うにしても、結局はその「秘密を抱えることの重圧」に耐えられないが故、なのではないかとわたしは考えている。道徳心というよりも、心理的プレッシャーが我々を動かすんじゃなかろうか、という気がするのだ。でもまあ、その心理的プレッシャーを我々の心に生み出すものこそ、いわゆる道徳心なんだとも言えるのかもしれない。幸いなことに、日本では落とし物は届ける、というのが身についているので、「見っけたもん勝ち」という思想は、ちょっと恥ずかしい考えと誰もが思っているようにも思う。
 でもなあ、自分の大好きな作家の、幻の原稿を見つけてしまったとしたら、金よりもそっちはもう、とりあえず読むよね。間違いなく。そしてそのあとで届ける、かな、わたしだったら。でも、わたしが思うのは、わたしだったら、絶対にそれを独り占めしたいとは思わないという気がしてならない。これは全世界に発表すべきだ、と考えちゃうような気がする。ピーターくんも葛藤したけれど、さっさと原稿だけ、世界に発表しちゃえばよかったのにね。金はネコババしていいからさ。
 ■作家を主人公とするKing作品
 って、かなり多いすよね、話はいきなり変わりますが。『MISERY』もそうだし、『DARK HALF』もそうだし、そのほかにもいっぱいありますな。まったく根拠はないけれど、King大先生は、作家を主人公とする作品を最も多く書いている人なんじゃないかとすら思う。おまけに、たいていの場合、作家と読者、の関係が重要なんすよね。作家は書きたいものを書く、けど、それが読者の望むものと一致しているかどうかは別の話なわけで、『MISERY』の場合は、作家を監禁してまで「自分の思う通りの作品」を書かせるというおっかない読者、自称「世界一のファン」の物語でした。今回の犯人であるモリスも、まあ、『MISERY』に近い、ある意味狂った読者ですわな。しかし、世間一般的には明らかに狂っているし、作家本人から見てもそりゃあ狂っているとしか思えないだろうけれど、モリスやミザリーほどでないにしても、我々のようなわがままな読者、は、相当数存在しているし、結局、作品が売れていればより一層、そういう読者も多くなるはずで、上手く表現できないけれど、いわば「作品」は作家の手を離れてしまうんだろうな、という気がする。しかし、生み出した作家本人からすれば、大変迷惑な話で、作家と作品と読者、という関係は、役者と役柄とファン、の関係と等しいようにも思えます。うーーん、上手く整理できないなあ。要するに、役者と演じた役柄は、同一のようで全く別物だろうし、作家と作品も、やっぱり同一視されても困るものなんだろうと思うわけで、King先生にもそういう区分ができない困ったファンが多くて、きっと日々様々に、なんだかなあ、と思うことが多いんだろうな、という気がします。ダメだ、何を言いたいか自分でわからなくなってきた。
 ■真の物語は―――
 わたしは、事件の結末を見届けて、なんか今回はホッジスおじさんはあまり活躍しなかったなあ、と感じ、それは上の方でも述べた通りなのですが、実は―――この「ビル・ホッジス三部作」第2巻にあたる本作の、真のエンディングは、もう大興奮のヤバい出来事が描かれていました。そうです。前作『Mr. Mercedes』の犯人、ブレイディ・ハーツフィールドの超ヤバい「その後」がチラ見せされて終わるのです。これには本当にもう、やっばい、次! 早く次を読ませてくれ! とKing先生のファンならもう誰もが興奮すること間違いなしだと思います。ちょっとどう展開するのかは想像できませんが、どうやら、ブレイディが次の3作目で、再びホッジスおじさんの前に立ちはだかるのは、もう確定的に明らかなようですね! ちなみにUS本国ではとっくに発売になっており、マジで文春が本気を出して早く刊行してくれることを祈るばかりです。でもどうせ文春だから、来年の今頃だろうなあ……。↓ これがUSペーパーバック版です。
End of Watch
Stephen King
Hodder Paperback
2017-03-28

 くっそう! 今すぐ読みたい! Kindle版で677円か……ちくしょー買っちまおうかな……どうも、これは全くのわたしの妄想ですが、ブレイディが「謎の能力」を身につけたっぽいんですよね……ここにきてとうとう、King先生の真骨頂たるSUPER-NATURAL要素が投入されるのでしょうか!? これはもう、超期待ですなあ!!
 はあ……わたしの元部下のA嬢はNYCで働いていたことのあるバリバリの英語遣いで、わたしの影響?でKing先生の作品をKindleで英語版をバリバリ読み始めた女子なのですが、もうとっくに3作目まで読んでいるようで、実に悔しい限りです。うらやましいというか実にけしからんですな!
 ■おまけというかメモ
 わたしは、King先生の作品の何が好きって、とにかく会話に現れるDirty Wordsが大好きなのですが、やっぱり今回はこれでしょうね。
 Shit don't mean Shit。文春版日本語訳では、「クソはクソの価値もない」と訳されているこのフレーズですが、これをメリケン人の前でボソッとつぶやきたい……! そういえば、このフレーズは、King大先生の『DREAM CATCHER』で何度も出てきた「SSDD」(Same Shit, Different Days)に似てますね。まあ、大変Dirtyな言葉ですが、その意味するところは深いわけで、そういう点がわたしは大好きです!

 というわけで、もういい加減にして結論。
 わたしが世界で最も好きな小説家であるStephen King大先生による、日本語で読める最新作『FINDERS, KEEPERS』を上下ともに読了した。その感想はもう、最高でした!の一言に尽きます。とてもとても面白かった。そして、シリーズを読んできた方なら、その「真のエンディング」に、な、なにーーーー!? と驚愕すること間違いなしだと思います。いやあ、本当にもう次の3作目が楽しみですなあ! 早く発売してくれないかなあ……! 文春よ、「文藝」春秋社を名乗るなら、どうでもいい週刊誌なんかで稼ぐより、こっちを早く出してくれ! 頼むよ! いやーーそれにしても、Stephen King大先生は最高ですね! 以上。

↓ わたしはこっちも読みたいのだが、わたしの大嫌いなFuck'n小学館が一向に発売してくれません。早く、どこか別の出版社が、Joe Hill先生の版権を買っていただきたい! なお、ご存知の通りJoe Hill先生は、King大先生の次男です。超天才作家。そしてこちらもA嬢はとっくに読んだというのだから腹が立つ! 英語力の低い自分に!

 先週の水曜日、わたしが世界で最も好きな作家であるStephen King大先生の日本語で読める最新刊『FINDERS, KEEPERS』がもう店頭に並んでねえかなあ(正式発売日は金曜日の9/29)、と神保町の一番デカい本屋さんに行ってみたところ、1階の新刊書・話題書のコーナーには見当たらず、ちょっと早すぎたか、とガッカリしたのだが、いつ入荷するんだろうな、と思って店内検索機で探してみて、ひょっとしたら入荷情報とか載ってるかも、と期待を込めて検索したところ、ごくあっさり、「店内在庫アリ」と出てきた。な、なんだってー!? と興奮し、良く見ると2階の文芸の棚にあるという表示なので、マジかよと慌てて2階に行ってみたところ、検索機の表示する番号の棚にきちんと置かれていた。というわけで、すぐさまGetしたのだが、まず、わたしが家で撮影した↓この画像を見てもらいたい。
finderskeepers
 ま、要するに、上下巻で、並べるとカバーイラストが1枚の絵になるわけだが、実に嘆かわしいというか残念なことに、その本屋さんは、思いっきり、上巻を右、下巻を左、にして平台に置いていたのである。意味わかりますか? タイトルも絵も、つながらないんすよ、それでは。わたしはこの一事をもって、やっぱりもう本屋は衰退するしかねえんだなあ、と悲しくなった。誰がどう考えたって、ちょっと気を利かせてちゃんと上記画像のように置くよね? そういう気が利かないというか、忙しすぎてそこまでの余裕がないんだろうか。それとも、そんなのどうだっていいという判断なのだろうか。しかしこれは、まったくどうでもいいことじゃあない。そういうことしてちゃ、ホント、なんだかなあという気持ちになってしまう。実にしょんぼりである。
 まあ、以上は全くの余談であるが、もう一つ余談を加えておくと、わたしはすでに電子書籍野郎に変身しており、漫画はほぼ100%電子書籍へ移行しているのだが、小説の場合は、電子で買えるなら電子で買うし、電子で発売されていなければ紙で買う、という状態になっている。そして本書は、実は電子書籍と紙の本が同日発売なので、通常のわたしであれば、本書も電子書籍で買うのだが、こと、Stephen King先生の作品に関しては、「紙」の「単行本」で買うことにしている。
 何故なら。まず、「紙」の書籍で買う理由だが、それは単に、本棚に並べて悦に入りたいからである。それだけ。しかし、さっき調べてびっくりしたのだが、なんと本作は、紙の書籍が1800円+税、電子書籍だと1481円+税と値段が違っていた。まあ、別に319円の違いぐらいどうでもいいけど、紙と電子で値段が違うのは初めてのような気がする。そういう時代なんすねえ……。ますます紙で買う理由がなくなっていくなあ……。
ファインダーズ・キーパーズ 上
スティーヴン・キング
文藝春秋
2017-09-29

ファインダーズ・キーパーズ 下
スティーヴン・キング
文藝春秋
2017-09-29

 そしてもう一つ、「単行本」で買う理由は、もう、単純に文庫化されるまで待てないからだ。かつては、わたしも文庫化されるまで待つ派だったのだが、King先生の作品の場合は、文庫化されても上中下とか分冊されるのは確実なわけで、おまけに昨今は文庫本でも高いものは高く、結果的に文庫化されてもどうせ1000円程度しか値段が違わないことに気づいたため、その差額はいち早く読める「特急券」として納得することにし、さっさと単行本で読んだ方がいい、と判断したためである。そもそも、読みたくてたまらないし!
 というわけで、さっそく木曜日から読み始め、さきほど上巻を読了したので、まずは上巻の感想を以下にしたためていこうと思う。なお、いつもどおりネタバレ全開になる可能性が高いので、知りたくない人は今すぐ立ち去ってください。自己責任でお願いします。
 さてと。
 本作は、もうファンならご存知の通り、King大先生の初めての本格ミステリー(?)三部作「ビル・ホッジス」シリーズの第2巻であり、『Mr.Mercedes』の続編である。US本国では最終巻までもうとっくに発売になっているが、日本語ではようやく2作目が読めるというわけだ。
 しかし、読み始めて意外だったことに、なんと、上巻は313ページあるが、主人公ホッジスが登場するのは第2章、223ページからである。つまり、第1章はまるまる二人の別のキャラクターの現代にいたるまでの過去が交互に語られる形式となっており、いわば長いプロローグなのだ。しかし、その長い前振りがめっぽう面白く、ははあ、この二人が現代で出会ってしまうんだな……という予感で、わたしとしてはもう、読んでいて超ドキドキというかワクワクである。
 まず語られるのは、今回の悪党であるモリス・ベラミーというクズ野郎が1978年に犯した犯罪の記録だ。このクソ野郎はとにかくなんでもすべて自分のせいじゃないと思いたがる下衆野郎で、36年前(※現在時制は2014年みたい)に、とある超有名な老作家の家に侵入し、作家と強盗仲間をぶっ殺して現金と「未発表原稿」を奪っていく。そしてその金と原稿を川べりの木の根元に埋めたところで、不安から酒を飲んで酔っ払い、レイプ事件を起こして終身刑を喰らうという展開になる。
 そしてもう一人語られるのが、2009年、あの就職フェアに並んでいたために「メルセデス・キラー事件」に巻き込まれ、重傷を負った父親を持つ少年のお話で、こちらの少年は実に賢く、ある日偶然、モリスが30年前に埋めた「地中に眠る現金と原稿」を発見し、その金でせっせと家族を助けながら、一方では原稿にも夢中になって、すっかり文学青年成長していく過程が描かれる。
 そして第1章ラストでは、2014年、ついに現金が尽きた少年は、原稿を売れば金になるかもしれない、と思いついてしまい、「人生最大のミス」を犯してしまう少年の様子が描かれ、一方ではついに仮釈放が決定してシャバに戻ることになったクソ野郎が、とにかく早く埋めといた原稿を読みたくてたまらないぜ、と行動を起こしそうになるところ、すなわち二人の出会いが運命づけられてしまったところで終わる。
 どうすか? もう読みたくてたまらなくなりませんか? わたしはもう、この時点でページをめくる手が止まらないほど、やっべえ、こりゃあマズイことが起きるに違いないぜ? とワクワクしてました。ホント、King先生は最高ですなあ!
 で、第2章から、我らが主人公、ビル・ホッジスの登場である。冒頭から驚いたことに、何とホッジスは「メルセデス・キラー事件」の後に探偵事務所を開業していて、あの超人見知りのコンピュータ遣いのホリーが助手として事務所を切り盛りしているのだ。事務所の名前は「ファインダーズ・キーパーズ探偵事務所」。なんでも人探し専門の探偵らしい。わたしは、本書の『FINDERS, KEEPERS』というタイトルから、きっと、「見つけたもん勝ち」、すなわち、期せずして何かヤバいものをGetしてしまったキャラクターのもとに、そのヤバいものの本来の持ち主が取り返しに来る、みたいなお話で、きっとホッジスはそのGetした人物に依頼されて事件に巻き込まれるのだろう、と予想していた。なのでその予想は、今のところどうやらほぼ正解だったわけだが、まさかホッジスの探偵事務所の名前だとは思わなかったので驚いた。
 というわけで、上巻での重要人物のキャラ紹介をしてみよう。
 ◆ジョン・ロススティーン:隠棲している老作家。『ランナー』という戦後アメリカ文学を代表する名著の第3巻までを書いて引退、世捨て人と世間では思われている。しかし隠棲後もほぼ毎日手書きでノートに小説や詩などを書き溜めていて、『ランナー』シリーズの未発表原稿がどっさりあり、実は『ランナー』シリーズにはその先があった、のである。冒頭でモリスに撃たれて死亡。まあ、なんというか、こういうアメリカ作家はサリンジャーとかそういう人を思い起こさせますな。1978年の死亡時で79.5歳(半年後に誕生日)だった。
 ◆モリス・ベラミー:前述のとおりクソ野郎。要するにコイツは、大学教授の母に厳格に育てられるも、そのことで結局クズ野郎に成長したわけで、見事な教育失敗作なわけだが、10代で『ランナー』シリーズにドはまりするも、3巻目の結末に納得がいっておらず、やきもきしていた。ある日、古本屋の店員の友達に、実はその続きがあるらしいぜ、という話を聞いてロススティーンの家に強盗に入り、原稿と多額の現金を奪取。ついでに引き上げる際に一緒に強盗に入った仲間二人も撃ち殺し逃亡。早く原稿を読みたくてたまらないものの、作家殺害が全国ニュースで流れる事態となって、まずは金と原稿を埋めてほとぼりを覚まそうとしたが、どうやらこいつは酔っぱらうと記憶をなくす質のようで、本人は全く記憶にないものの、レイプ事件を起こして逮捕、終身刑で刑務所にぶち込まれる。その後、2014年に仮出所。現在、とにかく原稿が読みたくてうずうずしている、けれど、保護観察官の目があるので、とにかく慎重にやらないと、と大人しくしている状態。今のコイツは、原稿を読むことと、かつて友達だった元古本屋の友達(あいつのせいだと逆恨み中)に復讐することしか考えてない危険人物。1978年当時20歳そこそこのクソガキ。現在59歳。しかし、アメリカ人ってアル中が多すぎというか……アレなのかな、生理化学的にアルコール耐性が低いのかな? やたらとこういうアル中を映画や小説で見かけるけど、なんなんだろう。日本にもいっぱいいるけどわたしの周りにいないだけなのか?
 ◆アンディ・ハリディ(通称ドルー。アンドリューが正式名):1978年当時は20代のただの古本屋バイトだったが、2014年現在は自分の店を持つ店主。ただし、コイツもクソ野郎で、過去に盗品売買をして逮捕されそうになったことも。まあ、要するにまっとうな男じゃあない。わたしの予感では、下巻で死亡するような気がしている。それはそれでざまあではあるけど、どうなるかな。
 ◆ピーター・ソウバーズ:2010年に、埋められていた現金とロススティーンの原稿を偶然発見した少年。その時14歳(かな?)。父は2009年の「メルセデス・キラー事件」に巻き込まれ、重傷を負って障害がのこった。元々父は2008年のリーマンショックで不動産屋での職を失い(なので、あの就職フェアに並んでいた)、母も同じく不景気で、学校の先生だったがパート扱いの非常勤講師に格下げされ、家計がどん底に苦しく、夫婦げんかが絶えず、ピーターは子供ながらにこりゃあうちの両親は離婚まっしぐらだと悲しんでいた。そんなとき、大金を手にしたため、定期的に自宅へ500ドルを匿名で郵送することで、家計を助けてきた。その後景気も回復し、父は自分の会社を立て、母も安定的な収入を得られるようになったところで、埋まっていた金も使い果たす。が、かわいい妹ティナの学費や、自分の大学進学資金を出せるほどの余裕はなく……悩みぬいて、原稿を売ろうと決意、よりによってクソ野郎のアンディの店に持ち込むという「人生最大の過ち」を犯してしまう(ピーターとしては、過去に盗品売買をしていた事実を知り、コイツならこのヤバい原稿にも興味を持つだろう、と完全に藪蛇を突っついてしまった)。なお、ピーターは、埋まっていた原稿を読むことで文学に目覚め、成績も優秀で大学は英文学科に進んで文学研究をしたいと思っている。ポイントは、どうやら妹のティナにあるらしく、ティナはピーターから見ると若干頭の悪い今どきガール、のようだが、実はもっと頭のいい女子中学生なのではないかという予感。なぜなら、この妹は、最近お兄ちゃんが変なの、と気が付いており(ついでに言うと記憶力抜群で、家に500ドルを送っているのはお兄ちゃんだろうとほぼ確信している)、そして、あの「メルセデス・キラー事件」をホッジスとともに解決したジェローム君の妹の友達で、様子のおかしいお兄ちゃんの相談を受けたジェローム君の妹から、ホッジスにつながるという展開のようだ。なお、ティナも、本当ならあのメルセデス・キラーが爆破しようとしていたアイドルコンサートに誘われていて、一緒に行く予定だったが、お金がなくてあきらめた経緯があるらしい。ちなみに、このソウバーズ家が現在住む家は、40年前にモリス・ベラミーが住んでいた家であり、あのメルセデス・キラーことフレイディ・ハーツフィールドの住んでいた家のご近所らしい。
 ◆ビル・ホッジス:前作の主人公の元刑事。現在は前述のとおり私立探偵。事務所は前作の後半で大活躍したホリーが切り盛りしている模様。上巻の段階では、二人ともほとんど出番なし。なお、ジェローム君はすでに大学生となって、どこか遠いところに行っている模様。
 とまあ、上巻では上記の人々だけで十分だろう。とにかくわたしとしては、もう今すぐ下巻に突入したいのだが……焦るな……時間はたっぷりある……ぜ。こいつはじっくり味わうんだ……クックック……という我ながら意味不明の心理状態にあるため、ゆっくり読もうと思っております。
  あと最後に備忘録:P.239にある「夜郎自大の下衆男」って……誤植か? と思ったら、ちゃんとした日本語だった。クソ、わたしも大したことねえなあ、と恥ずかしくなったっす。夜郎自大=自分の力量も知らず威張っている、という意味のたとえ、だそうです。使ったことねえなあ、この言葉は。

 というわけで、もうこれだけでも長いのでさっさと結論。
 わたしが世界で最も大好きな作家、Stephen King大先生の日本語で読める最新刊『KEEPERS, FINDERS』(日本語タイトルはそのままファインダーズ・キーパーズ)が発売になったので、さっそく読み始めたのだが、上巻読了の段階で、早くもかなり面白い展開である。下巻が楽しみだなあ! そして、本書は完全なる『Mr. Mercedes』の続編なので、いきなり本書を読むのはやめた方がいいと思います。しかし……メリケン人にとっては、見つけたもの勝ち、は常識なんだろうな。やたらと、日本では落とし物や忘れ物が帰ってくる、感動した! という外国人の声を耳にしますが、我々日本人であっても、ピーターくんのような状況で、見つけたお宝を素直に警察に届けることが出来るかどうか……その辺を考えながら、下巻を読もうと存じます。以上。

↓ もし読んでいないなら、今すぐ読むべきでしょうな。大変面白いす。そして今のところ、この第2巻『ファインダーズ・キーパーズ』の方が面白い予感です。
ミスター・メルセデス 上
スティーヴン・キング
文藝春秋
2016-08-22

ミスター・メルセデス 下
スティーヴン・キング
文藝春秋
2016-08-22

 わたしが世界で最も好きな作家がStephen King大先生であることは、もうこのBlogで何度も書いている。そしてこれも、何度も書いたが、確かに大好き、ではあるけれど、すべての作品が超最高だとはもちろん思ってはいない。たまーに、これはちょっとなあ……という作品もあるのは残念ながら認めざるを得ない。しかし、それでもやっぱり、わたしはStephen King大先生の小説が大好きであり、新刊が出れば、もう文庫化まで待たずに即買って読む、という方針を採っている。理由は簡単で、我慢できないから。早く読みたくて堪らないから、である。
 ところで。Kingファンの方にはもはや言わずもがな、であるが、King大先生のライフワークともいうべき超大作『THE DARK TOWER』シリーズは、第1巻がUS本国で発売されたのが1982年だそうで、日本においては1998年かな、角川文庫から発売になった。たぶん、このタイミングでの日本語版刊行は、US本国において第4巻が1997年に発売されたことに合わせて、だったのだと想像する。その後、角川文庫はその第4巻までを刊行した(わたしの記憶では第3巻だったような気がしたけどさっきWikiを見たら4巻まで刊行してたそうです。そうだっけ?)―――のはいいのだが、なんと肝心のKing大先生の筆は止まってしまい(→ご存知の通り1999年6月19日に、King大先生はすさまじい交通事故に遭ってしまい、瀕死の重傷を負って本当に死にかけた)、第5巻のUS発売は2003年まで、つまり6年後まで待たなければならないことになった。そしてなんと、角川書店は、4巻目までで刊行をやめちゃったのである。まあ、待てなかったんだろうし、実際売れなかったんだろうな、とその状況は今となっては確かに想像できる。
 しかし、である。当時の我々King大先生のファンにとっては、その角川書店及び角川文庫は、「ダーク・タワーへの旅を途中リタイヤした裏切り者」として嫌われることになったのである。ええと、サーセン。これはわたしだけかもしれないので、「我々」というのは若干嘘ですが、とにかくわたしは当時、猛烈に頭にきて、もう角川文庫なんて買ってやるもんか!ぐらい腹が立っていたのは間違いない。その後、2005年になって結構突然第1巻から新潮文庫が出し直しを敢行し、最後の第7巻(※ただし、それぞれすげえ長くて、上下巻や上中下巻と分割されているので、新潮文庫で言うと全16冊かな)までを発売してくれたので、わたしも最初から全巻買って読み、大いに感動して主人公たちの旅の最後を見届けたわけである。これも今思えば、USで最終巻までの発売を見届けてから、新潮文庫は刊行スタートしたわけで、ある意味、横取りというかかっさらった的なズルいやり口ともいえるのかもしれない。
 ともあれ。わたしは今でもよく覚えているが、新潮文庫から最終巻が発売されたのが2006年の年末で、その年末年始の休みに読み終わり、その壮大な旅のラストに大感動し、明けた2007年の4月から、わたしは会社を一日も休まず土日だけを利用してお遍路の旅に出たのだが、最後の88番目のお寺が見えた時(丁度坂になっていて、えっちらおっちら登って徐々に見えてくる)は、本当に物語の主人公、ローランド・デスチェインのような心境になって、とうとうオレはここまで来た、とやけにジーンとしたものである。まあそれはどうでもいいか。
 で。わたしにとってKing大先生の『THE DARK TOWER』シリーズは忘れられない大傑作となったのだが、なんと! 今年2017年1月から、あの「裏切り者」である角川文庫から、ふたたびシリーズ全巻が発売されることが決定したのである。恐らくこの、普通に考えて有り得ない出し直しという(いい意味での)暴挙の背景にあるのは、ハリウッドでの映画化である。

 既にUS本国では先週末からいよいよ映画版が公開になっているが、まあ、それに合わせての、まさかの角川版出し直し、ということだろうと思われる。わたしとしては、かなり今さらかよ、という思いが募るが、まるでその贖罪かのように、シリーズ完結後(新潮版もすべて完結後)にUS発売になった幻の外伝『The Wind through the Keyhole』(4巻と5巻の間のお話で、4.5巻目にあたる物語)も角川はちゃんと出すというのだから、その決意やよし、貴様の謝罪は確かに受け取った! とわたしはあっさり許すことにし、この機会に、電子書籍ですべて買い直すこととした。おまけに、すべて描き下ろしのイラスト表紙がやけにカッコイイじゃあないか! サンキー・サイ・カドカワ!

 現在、新装・角川版は第5巻『Wolves of Calla(カーラの狼)』まで発売されており、問題の幻の4.5巻はとっくに発売になっている。そしてわたしは、全巻購入完了してから、最初から順番に読み直そう……と思っていたのだが……ついうっかり、どうしても4.5巻を読みたくてたまらなくなり、ちょっとだけ、最初だけ……とか思ってたらまんまとその面白さに引きづり込まれ、昨日読み終わっちゃったのであった。だが結論から言うと、やはりもう一度、最初から読み直すべきであろうという思いは強まっている。何故なら、この第4.5巻はやっぱり抜群に面白かった! のは間違いないものの、結構忘れていることが多く、このキャラってまさか……というような点が残念ながらわたしの低レベル脳では味わいきれなかったのではなかろうか、という思いというか不安?が強いからだ。
 というわけで、恐らく今後、初めから読み直すのは間違いないので、今回読んで思ったことやひょっとして、と思ったことをまとめておき、後に、ああ、オレはバカだったなあ、という確認をするために今現在のわたしの感想をここに記すことにする。しかしなあ……この『THE DARK TOWER』シリーズは、完全にラーメン二郎の大、トッピングもマシマシにしちゃったくらいのウルトラハイカロリーなので、味わい尽くすにも準備がいるからなあ……でも、それでもオレは読む! 「カ」の導きに従って!

 さてと。本作は、散々もう書いた通り、Stephen King大先生による一大叙事詩『THE DARK TOWER』シリーズの第4巻と第5巻の間に当たるお話で、通称第4.5巻と呼ばれている。4巻までにどんな事件があったか、また、そもそもこの『THE DARK TOWER』ってなんぞ? といった説明はもう書かない。それだけでわたしは軽く5時間しゃべり続ける自信はあるが、文字に起こすと恐らく25万字ほど費やすことになることは確実なのでやめておく。今のところは。
 なので、この第4.5巻のことだけを書くことにするのだが、非常に興味深いことに、本作は3つの物語が入れ子構造になった、いわゆる枠小説の形式をとっている。カタカナ好きな小僧が使いそうな表現で言うと、いわゆるメタフィクションという奴だ。簡単にまとめると、
【本筋】
 主人公たち「カ・テット」の4人+1匹が、第4巻での「狂えるなぞなぞ列車・ブレイン」との熾烈ななぞなぞバトルを終え、次なる地へと向かって旅を続けている。もちろん、次なる地は第5巻の「カーラの狼」の舞台であるカーラ、である。そこへの道中、主人公たちは、スターク・ブラストという嵐に遭遇し、とある小屋で一夜を過ごすことに。そしてその小屋で、ローランドは若き日に父から指令を受けて「スキンマン」という謎のシェイプチェンジャー(獣とかに変身できるバケモノ)を退治しに行った時の話をみんなに聞かせる。
【若き日のローランド(15歳)の話】
 第4巻後半で語られた、若き日のローランド(14歳)の悲恋と母殺しの傷がまだ完全には癒えていない頃のお話。ガンスリンガーとして認められたローランドは、父の指令によりデバリアで起こっている謎の連続猟奇殺人事件の捜査へ、友のジェミーと二人で派遣される。犯人とされる男は、人間ではあるものの、獣に変身して人を襲うシェイプチェンジャーらしい。そして惨事から辛くも生き残った少年ビルを保護したローランドは、おびえるビルに、かつて母から読み聞かせてもらって大好きだった物語「鍵穴を吹き抜ける風」を語って聞かせるのだが――。
【鍵穴を吹き抜ける風】
 後に伝説のガンスリンガー「豪気の」ティムと呼ばれることになる少年ティムの冒険物語。ティムは父をドラゴンに殺され、母は再婚するが、この再婚相手がクソ野郎でとんでもないDV野郎だった。そして彼らの住む森に年に1度現れる徴税士、黒衣の「契約者の男」と出会い、父の死の真相を知ったティムは母をいやす魔法を得るために森の奥へ旅に出るのだが――。

 という3つの物語から成っている。【鍵穴を吹き抜ける風】も、【15歳のローランドの捜査ミステリー】も実に面白く、とりわけ15歳のローランドの話の結末は、シリーズ前作(第4巻)を読んでいる人なら確実に泣けるお話で、いや、わたしは泣きはしなかったけど、深く激しく感動した。これは第4巻の真のエンディングだとわたしは大いに興奮しました。ここで、母からローランドへの愛が語られるとは……! しかもそれが「ハイ・スピーチ語」で記述されていて(我々には全く読めない!)、ファンならもう超胸が熱くなること請け合いであろうと思う。その、母からの最後の言葉を、一番ラストで、ぼそっとスザンナだけに伝えるシーンはもう大感動ですよ。
 まあ、シリーズを読んでいない人には、わたしが何を言っているかさっぱりわからないだろう。だが、読んでいる人ならば、これだけで相当興味が魅かれるのではなかろうか。

 もういい加減に長いので、本作だけ(?)に出てくると思われるキャラについて、備忘録としてメモしておこう。もう「カ・テット」の4人+1匹については説明しませんし、「カ・テット」とは何か知らない人は、まあ、今すぐシリーズを読むか、退場してください。

 ◆ジェミー:若きローランドと同年代のガンスリンガーになりたての少年。アランとカスパート(4巻で語られる過去話に出てくるローランドの親友)の二人は今回出番なし。代わってジェミーという新キャラが今回の相棒として登場。ただ、ひょっとしたら彼も既に第4巻に登場していたのかもしれないけど、既に覚えてません……ガンスリンガーなので当然腕は立つ頼れる仲間で、ローランドの信頼も厚いが、とにかく無口で真面目な童貞ボーイ。結構カッコイイ。★2018/02/11追記:おれのバカ!! 現在、1巻目から読み直しているところですが、思いっきり1巻からジェミーは登場してました。鷹のデイヴィットを使ったコートとの対決の時、仲間の一人としてジェミーはいましたね。ごめんよ、すっかり忘れてた!
 ◆ティム:「鍵穴を吹き抜ける風」というおとぎ話(?)の主人公の少年。12歳。スーパー勇気のあるガッツあふれた少年で、この冒険譚がすさまじく面白い! そしてローランドも彼にひどく感情移入して語られており、実に興奮する物語となっている。
 ◆契約者の男:ティムの勇気を認め、とある魔法で真実を突き付けるのだが、実は単に事態を面白がっているだけ? のようで、しかもどうやらシリーズ最大の悪「クリムゾン・キング」の手下、なのかもしれない。この物語当時の「黒衣の男」=「ランドル・フラッグ」的な存在らしい。ただし、物語の中ではそれほどの悪党ではなく、むしろティムを気に入り、一応は手助けしてくれたともいえる、ちょっと理解が難しいキャラ。彼も、以前に登場していることをわたしが既に忘れちゃってるだけかも。
 ◆ダリア:ティムが旅の途中で手に入れるディスク型ポータブルナビゲーションの機械。どうやらGPS搭載でティムの旅を何気にサポートしてくれる。もちろん「ノース・セントラル・ポジトロニクス社」の製品。この社名だけで、わたしは興奮できます。シリーズを読んでいる人なら同意してもらえると思う。ダリアは「指令19」というものに縛られているようで、ティムの質問に回答できないこともあるのだが、King大先生のファンならば、「19」という数字だけで軽く3時間は議論が出来ますな。意味の分からない人はもう帰ってください。
 ◆北の森クノックに建つドガン:ティムの冒険の終着地点。どうやら<獅子のビーム>の塔らしい。元々の守護者はライオンの「アスラン」のはずだが、どうやらアスランは生きているとすれば遥か彼方にある雪の途絶えない国にいるらしい。これって……まさしく「ナルニア国物語」のアスランのことですな。他にどんなビームの塔があって、それぞれの守護者の動物がどんなだったか、もう忘れちゃったよ……第3巻冒頭の、殺人サイボーグ熊「シャーディック」との激闘が懐かしい。ビームの塔が6本あるのは確かなのだが、くそう。ちゃんと読み直さないとダメだ! ファン失格! コートならば確実に落第を言い渡すであろう!
 ◆虎:魔術師マーリンが転生させられ、ドガンに拘留されていた時の姿。いい魔術師で、ラストではティムの活躍で虎の姿から元に戻り、母の目をいやす魔法を授ける。このマーリンも、これまでの物語に出てきたか覚えてない。ただ間違いなく、いわゆる「アーサー王物語」に出てくるあの魔術師マーリンであることは確実。一応言っておきますが、エルドのガンスリンガー(=主人公ローランド)はアーサー王の末裔という設定です。

 はーーー。本当に興奮したわ……マジ最高です。  
 まあとにかく、Stephen King大先生による『THE DARK TOWER』は、その長大さに普通の人は絶対に手に取らない、相当ハードルの高い物語だとは思うけれど、少なくとも、Stephen Kingファンを名乗るならば絶対に避けて通れないイニシエーションであろうと思う。わたしは読み終わった時、本当に胸に深い感動を覚えたわけで、それを共有できる友が当時一人いたことを、当時のわたしは本当に嬉しく思ったものだ。わたしは今でも、その友とはサンキー・サイ、と言い合う仲だし、メールの文末は必ず、「長い昼と快適な夜を(Long Days and Pleasant Nights)」という言葉で結んでいる。鹿児島に住む彼とはもう2年ぐらい会ってないなあ……また会いに行くか……と思ったわたしであった。分からない人には全くわからないと思うが、シリーズを読んだ人なら、わたしの気持ちが伝わるものと信じたい。

 というわけで、結論。
 わたしがこの世で最も好きな作家は、ダントツでStephen King大先生である! それは動かしようのない厳然たる事実だ。そして、かつてわたしを裏切った角川文庫が、今年に入って突如、『THE DARK TOWER』シリーズ全巻の新装出し直しを開始し、あまつさえ、日本語未翻訳だった幻の外伝第4.5巻『鍵穴を吹き抜ける風』をも刊行してくれたので、抗いがたい誘惑に負け、ついその4.5巻だけ読んでしまったわたしであるが、その物語の面白さに興奮し、かつて共に物語を旅したお馴染みの「カ・テット」に再会することができて、実にわたしは嬉しく思う。いやー、最高ですよ。ホントに面白かったす。以上。

↓ そしていよいよ来月発売が決定! 偉いぞ文春! 『Mr.Mercedes』の続巻です! 一日も早く読みたい!!!
ファインダーズ・キーパーズ 上
スティーヴン・キング
文藝春秋
2017-09-29

ファインダーズ・キーパーズ 下
スティーヴン・キング
文藝春秋
2017-09-29



 はあ……もうページをめくる手が止まらなくて……読み終わってしまった……次がもう楽しみすぎてつらい……。何の話かって? そんなの『Mr. Mercedes』の話に決まってますよ。木曜日の夜から、ちょっとずつちょっとずつ、と思いながら読んでいたのに、昨日の火曜日の夜、読み終わってしまった……。以下、ネタバレがかなりあると思うので、ネタバレが絶対に困る人は、今すぐ立ち去ってください。サーセン。いや、だってネタバレせずに書けっこないすよ。
ミスター・メルセデス 上
スティーヴン・キング
文藝春秋
2016-08-22

ミスター・メルセデス 下
スティーヴン・キング
文藝春秋
2016-08-22

 というわけで、わたしが最も好きな作家であるStephen King氏による、日本語で読める最新刊、『ミスター・メルセデス』の下巻も読み終わってしまった。結論から言うと、もちろん面白くて最高だったものの、正直に告白するが、『11/22/63』的なラストの感動(?)のようなものだったり、『Under the DOME』的なラストの超すっきり感(?)のようなものは若干薄くはあった。
 まあ、それもある意味当然の話で、今回の作品は今までよりもスピーディーな展開だし(時間経過も短い)、敵キャラも意外と弱く、主人公は孤独ではなく味方がいるので、いつものような、一人で戦う主人公が、これでもかという超絶ピンチにズタボロになるわけではなかった。いつものKing作品の主人公は、もう本当に読んでいてつらいほど、心身ともにズタボロになり、もうやめたげてーー!! と言いたくなるくらいにひどい目に遭うので、その点では、Kingファンには不足を感じても、普通のミステリー愛好家には標準的だったのかもしれない。良くわからないけど。まあ、その分、サブキャラも魅力たっぷりで、わたしとしては大変楽しめました。

 さて、何から書くか……。キャラ説明や簡単なストーリー概況は昨日の記事を見て下さい
 そうだ、まず、昨日書いた、事件に使われたメルセデス・ベンツの話からにしよう。
 ◆ベンツ「SL500」の謎。
 わたしは昨日、「SL500」についての違和感を書いたのだが、そのあとですぐに、Amazon Kindle版の試し読みで少し原文を読んでみたところ、明確に「SL500」と書いてあり、「セダン」であることも明記されていたので、間違いないようだ。しかし……「SL」の「セダン」はあり得ないんだけどな……メルセデスのセダンは、TOPグレードが「S」シリーズという奴で、昨日も書いた通り「S500L」ならあり得る。ただし、「SL」と「S」は明確にキャラクターが違う車で、「S」シリーズというものは、基本的には「運転手に運転させて自分はリアシートにどかっと座る」車だ。そして「SL」は、リッチなアメリカ人が自分で運転する車としては最高レベルの車で、おしゃれでもあり、確かに、本作で描かれたオーナーが自分で運転していても全く違和感はない。だから、「SL500」で間違いないはずだ。でも、セダンじゃないんだよな……。しかし作中で3人で乗るシーンがいくつかあるので、セダンでないと困るわけで、「SL」のような2シーターはあり得ないのだが……ま、これはマジで、US仕様の、2004年モデルにはわたしが知らない車種があったと思うしかなかろう。わたしがこだわっているのは、「SL」と「S」では車のキャラクターがまるで違うし、車重も結構違うはずなので、事件の被害規模も変わっちゃうんじゃないかな、と思ったからなのだが、ま、細かいことはどうでもいいか。
 いずれにせよ、メルセデスをはじめ、今現在はもう多くの車でもそうだが、暗号化されたチップを搭載した正規のキーがないと、エンジンがかからないのが現代の車だ。なので、不正規にドアを開けようとしただけで、警報が鳴り響くし(わたしの車も、ちょっと飛び上がるぐらいけたたましいホーンが鳴り響くのでビビる。おまけにすぐさま、携帯に「なにかありましたか!?」と電話がかかって来る)、エンジンも、アメリカ映画で良く見るスターター直結なんてことは、基本的に不可能なわけで、犯人は一体どうやってこの車を盗めたか、という点も一つのポイントとなる。ただ、この点は、ごくあっさり解かれるというか、ちょっとしたガジェットを使ったというだけで、特にトリックはないので、大きな驚きはないのだが、それよりも、盗まれたオーナーの主張を、誰も信じなかったという事実がわたしはかなりゾッとした。日本で、盗まれた車が多くの人をひき殺す犯罪に使われたら、その車のオーナーはこんなに叩かれるものだろうか? どうだろう、わたしは不謹慎ながら、秋葉原のあの痛ましい事件を思い出してしまったが、あれはたしかレンタカーだったよな……その時、なんであいつに車を貸したんだ!! というような、レンタカー会社を叩くような世論は出たんだっけ? 本作では、そういったオーナー叩きの世論を醸成するのに警察が手を貸してしまった的な流れで、それもあって、主人公ホッジスは贖罪の意味も込めて犯人探しに取り組むわけで、この流れは、非常に恐ろしい話だけど、説得力と言うか納得性は高かったように思う。
 ◆下巻で大活躍のホリー・ギブニー!!
 昨日は上巻について書いたので、登場しなかったのだが、下巻から登場するホリー(43歳だったっけ?)のキャラクターがとてもイイ。本格的に活躍し始めるのは下巻の後半以降だけれど、最初の登場時からは全く想像していなかった活躍ぶりでした。とあるキャラクターのまさかの退場で、代わって頑張るホリーは大変良かったです。彼女は、今後もシリーズに登場するみたいですな。今後の活躍を楽しみにしたいと思います。完全に『ミレニアム』シリーズのリスベット的な、社会不適合なパソコンに強い女性なので、わたしが読みながら脳内に想像したビジュアルイメージは、完全にNoomi Rapaceさんでした。ちょっと若すぎるか?
 ◆毒餌……まさかの展開!!
 上巻の最後の章は「毒餌」という章タイトルがついていて、下巻とまたぐ形になっている。そのタイトル通り、≪メルセデス・キラー≫が主人公ホッジスを苦しめるために、ホッジスの友達のジェロームの家が飼っているわんこに、毒入りハンバーグを喰わせて、苦しみながら死ぬ姿を見て、お前も苦しむがいい!! とひじょーに回りくどい邪悪な攻撃を仕掛けてくるのだが、これがなんとも意外な、えええっ!? という展開になってびっくりした。お前……何やってんだよ……ほんと、愚かな男ですな、犯人は。いやー、わんこが無事でよかったw
 ◆データ天国へ昇天……w
 わたしが今回、大変気に入ったフレーズがこれです。PC上のデータが完全に削除されている様子を表現したフレーズなのですが、わたしはやけにウケました。わたしは、こういうKing作品独特の表現が大好きなので、その点では、本作はもう完全にれっきとしたKing作品だといえると思う。他にも笑える表現がいろいろありました。これは、原文をあたって、英語表現を確認したいすね。わたしが今までのKing作品で一番好きなフレーズは、『ドリームキャッチャー』での「SSDD」とか(Same Shit Different Days=違う時代でもクソはクソ)とか、これも同じ『ドリームキャッチャー』だと思うけど、確か新潮文庫の日本語訳では、「参った参った、参ったバナナは目に染みる!」みたいな変な訳になっていて、原文を読んでみたら、「Jesus Bananas!」と実に簡単なフレーズだった。そしてこの言葉、珍映画として有名な映画版では、「そんなバナナ!」という字幕がついていて、なんて素晴らしい字幕なんだと思ったことがあります。わたしはこういう下品なフレーズがすごく好きで、日常会話でも「Jesus Bananas!」は超頻繁に使ってますw 本作冒頭部分の、ホッジスがテレビを観ながら思う下ネタバリバリの下品な表現は最高ですね。冒頭部分だけでも英語で読んで、わたしの全く役に立たないボキャブラリーを増やそうと思います。「射出速度は弾丸にも負けない」……笑える……英語でなんて言うんだろうか……w
 ◆上巻にあったネタ
 そう言えば昨日書き忘れてましたが、上巻に、2回、Kingの他の作品をネタに使った会話がありました。まず、上巻のP104にある「下水道にひそんでいるピエロの話のテレビ映画」は、もちろんKingファンなら誰でも知っている『It』のことだし、 もうひとつは、場所が思い出せないのだが、確か、『Christine』をネタにした部分があったと思う。まあ、だから何だと言われると何でもないのですが、最近、King作品は自作をネタにする場面をたまに見かけるような気がしますね。

 というわけで、まったく取り留めなく無駄な文章を書き連ねてしまったが、結論。
 わたしがこの世で最も愛する作家は、ダントツでStephen King氏である。そして日本語で読める最新作『ミスター・メルセデス』はやっぱり相当面白かった!!! と、昨日と全く同じ結論です。もしKingファンでまだ読んでいない方は、今すぐ読んで楽しむべきです。文庫まで待つ? それ……あんまり意味がないと思いますよ。たぶん、文庫まで待っても、文庫1000円として、上中下の3冊になれば3000円でしょ? 本書は2冊買って4000円弱。その差額1000円は、文庫化までの3年間(?)をすっ飛ばす特急料金ってことで、十分払う価値ありだと思います。置き場に困る? じゃあ、今週末配信開始の電子書籍でいいじゃないですか。文庫より場所は取りませんよ!! そして主人公ホッジスのビジュアルイメージですが、そういえば、意外とMichael Keaton氏なんかアリじゃね? と電撃的にひらめきました。年齢はちょうどいいし、太鼓腹になりつつあるし、どうでしょう、ちょっと顔が怖すぎるか……? 誰かこの役者がピッタリ、と思う方がいれば教えて下さい。以上。

↓ 今日も貼っておこう。実は、もう観たくて観たくてたまらない……。
 
そしてこちらの文庫は単行本が出てから3年経っての発売です。3分冊みたいすよ。最強面白いす。
スティーヴン・キング
文藝春秋
2016-10-07

スティーヴン・キング
文藝春秋
2016-10-07

スティーヴン・キング
文藝春秋
2016-10-07

 というわけで、わたしが超・楽しみにしていたStephen King氏による(日本語で読める)最新作、『Mr.Mercedes』を鋭意読んでいるわたしであるが、まあ、とにかくイイですな。これは面白い。
 現在、まだ下巻の半分辺りで、いよいよ物語はクライマックスへ突入しそうな予感がしているけれど、とにかく面白くて、1回の記事にしてしまうのはちょっともったいないので、先に、上巻についての備忘録を書いて、2回の連載記事にしようと思い、さっさと書き始めることにした。なるべくネタバレにしないようにするつもりだけど、ネタばれてたらサーセン。絶対ネタバレは嫌な方は、どうぞ立ち去ってください。
 しかしこの作品は、かなり今までのKing氏の作品と違うような気がするし、King初心者の方でも全く問題なく楽しめると思うな。今のところ、ですが。超・面白いっす。※ちなみに電子書籍はこの週末から配信開始だそうです。それまで待てず、わたしは紙の本を買いました。
ミスター・メルセデス 上
スティーヴン・キング
文藝春秋
2016-08-22

ミスター・メルセデス 下
スティーヴン・キング
文藝春秋
2016-08-22

 ちょっと、上に貼った画像ではわかりにくいから、先週このBlogに貼った、わたしが撮影した書影をもう一度、貼っておこう。
MrMerzedes
 というわけで、本作は、King氏初めての「3部作」であることは、もうとっくに明らかにされていて、おまけに、実際のところUS本国では既に第3部まで、刊行されて完結している。読んでいないから、「完結」してるのかは知らないけれど、まあそういうことです。
 そして、本作が、King氏初めての「捜査ミステリー」であることも、もう散々取り上げられているので、Kingファンにはお馴染みだろう。下巻の帯にも、上記写真に思いっきり書いてあるよね。
 ≪退職刑事VS卑劣な殺人鬼≫
 実際、物語はその通りだし、わたしも、読む前からその知識はあったので、わたしはその主人公たる≪退職刑事≫がメインで、捜査を行い、徐々に犯人を追い詰めるお話かと思っていた。それはそれで間違いないのだが、ちょっと違っていたのは、冒頭といってもいい70ページ目で、もう犯人が出てきて、どういう人間か分かって来ると言う点だ。まあ、ちょっと違うけれど、言ってみれば「刑事コロンボ」的というか、「古畑任三郎」的というか、要するに、我々読者は犯人を知りつつ、主人公と犯人の心理バトル(?)を味わうことができる構成になっている。ただし、「コロンボ」や「古畑」のように、直接お互い面と向かって話すことはなく、主人公はずっと犯人が何者か知らないまま、一方犯人は主人公を認識している、というハンデバトルになっているので、その意味ではちっとも「コロンボ」的でないし、「古畑」的でもない。また、古典的なハードボイルド小説のお約束である「一人称」でもなく、ある意味、「普通」のミステリーと言っていいような気がする。いかにもKing的なSupernatural要素もないし。ただ、ひとつ気付いた点としては、動詞の時制がほとんど現在形で、過去形での語りではないのは、これは……ミステリー小説の流儀なのかな? そこまでわたしは詳しくないのでわからんですが、ちょっと特徴ある文章のように思った。
 なので、Kingファン以外の方が読むと、実に普通に面白い小説、という評価で終わってしまいそうな気がするが、我々Kingファンには大変おなじみというか、わたしだけかもしれないがとにかく、キャラクターの会話に現れるDirty Wordsが最高なのです。そして、やはりキャラクターも最高だし、段々と主人公サイド・犯人サイドの話が積み重なって、とうとうそれが交わり、一気にクライマックスへ!! という流れは、やはりいつものKing節のような気がします。とにかく今は、まだ全部読み終わっていないので、「~ような気がする」としか書けないのだが、わたしとしては現状、超面白くてたまらない状態です。
 では、自分用備忘録として、物語の簡単な流れとキャラクターを4人だけ、紹介しておこう。あー、サーセン、ここから先はもうホントにネタバレなしで書く自信がありません。
 本作の冒頭に描かれるのは、就職フェアの開場を待つ失業者たちの列に、メルセデス・ベンツが突っ込み、多くの死傷者が出た事件の詳細だ。ここは非常にKing作品っぽいキャラクター造詣で、とてもイイ。いや、描かれている内容は気の毒な話なので、良くないんですけど。なお、本作は舞台となる街の明確な地名描写はなく(あったっけ?)、中西部としかわからない。いや、どうもシンシナティ、みたい(自信なし)。時は、これは冒頭に明記してあったが、2009年4月に起きた事件だそうだ。
 それから、これはまったくどうでもいいのだが、犯行に使われたメルセデスは、『SL500』の2004年モデル(事件の5年前に購入とあるのでたぶん2004年モデル)と書かれており、おまけに「セダン」という描写もある。これは、車の大好きなわたしにはかなり違和感があって、メルセデスの「SL」というのは車好きなら誰もが知っている、2シーターオープンカーなので、「セダン」という点で、わたしは「ん!?」と思った。メルセデスのセダンなら、「S」シリーズの恐らくはLongボディタイプの、「S500L」が正しいと思う。また、「V12気筒エンジン」という描写もあったが、SL500(あるいはS500L)はV8エンジンだと思うので、そこもちょっと「アレッ!?」と思った。V12気筒が正しいならSL600だし、セダンが正しいなら、SシリーズのLongボディのS600Lが正しいはずなんだが、まあ、まさかKingの編集チームがそんな些細なミスを残したままのわけはないと思うので、US仕様では別なのかな? と思うことにした。もちろん、白石先生の誤訳ということもまずあり得ないだろうし。なお、表紙カバーに描かれているのは、誰がどう見ても、作中に出てくる2004年モデルのSL500ではありえない。2004年モデルであれば、CクラスもEクラスもSLも、有名な「丸型ライト」の時代で、現行型とは全然ライトやフロントグリルの形が違う。強いて好意的に言えば、最新モデルの現行型のSL500には、ちょっと似てるけど、ま、文春の編集チェックはそんなもんだろうということで、別にどうでもいいや。
 そして場面は変わり(事件からどれぐらいの時間が経過したかは正確には良くわからない)、半年前に警察を退職した主人公の元に、≪メルセデス・キラー≫から手紙が届く。主人公が恐らくは最後に手掛けた重大犯罪で、未解決のまま退職したわけで、主人公にとって≪メルセデス・キラー≫は「やり残した」仕事なわけだ。そういった不完全燃焼な気持ちや、すっかり燃え尽きたような気持ちを日々抱え、退職後はもう何もやる気のなかった主人公は、自殺すら考えるほどの精神状態だったのだが、その手紙を読んで再び闘志を燃やし、ある意味生きがいを再び見出す事になってしまう。「なってしまう」、と書いたのは、その手紙で≪メルセデス・キラー≫は主人公を役立たずのゴミ人間と精神に傷をつけることで、さっさと自殺でもしちゃえよ、という意図で手紙を送りつけたわけで、つまりその意図と全く逆の効果をもたらしてしまったためだ。こんな感じに、冒頭から犯人のイカれ具合と実はたいして頭が良くない(?)点や、ホッジスのキャラクターが分かるような始まり方になっている。そしてその戦いは、基本的に頭脳バトルで、読みごたえはもうバッチリである。
 というわけで、重要キャラクターとして、その主人公と犯人、それから主人公を支える二人の人物、の合計4人を簡単に紹介しておこう。
 ◆ビル・ホッジス退職刑事:どうやらこの物語の現在時制は2010年らしいが、主人公ホッジスは62歳。太鼓腹。バツイチ。娘は30歳(元・妻も娘も一切登場しない)でサンフランシスコに住んでるらしい。極めて有能な刑事だった(らしい)。愛車はトヨタのおんぼろセダン。読んでいた時のわたしのビジュアルイメージでは、もうちょっと若くて、2014年に若くして亡くなってしまったPhillip Seymour Hoffman氏のような感じだったのだが、映像化するとしたら、誰が適役かなぁ……60代で太鼓腹でしょ……うーーん……下巻を読み終わるまでにまた考えておきます。
 ◆ブレイディ・ハーツフィールド:≪メルセデス・キラー≫として知られる異常者。ミスター・メルセデスとも呼ばれる。普段は全く普通の平凡な20代の若者で、とあるショッピングモールに勤務している。PCの出張修理だったり、アイスクリームの移動販売なんかを担当していて、街ではむしろ好青年だと思われている。が、超邪悪なイカれた精神の持ち主。わたしのビジュアルイメージは、どういうわけか最初からずっと、Nicolas Hoult君な感じ。『MADMAX』のニュート役だったり『X-MEN』のビーストだったり、現在とても人気の高い彼っすね。なんかピッタリだと思うな。イカレた男を演じるのもとても上手だし。
 ◆ジェローム・ロビンスン:ホッジスの近所に住む、唯一(?)の友人。まだ高校生。非常に性格が良く、大学もハーヴァードでもどこでも行けるほど頭が良い優等生。ホッジスのPCはいつも彼が直してくれるし、ホッジスの家の芝生が伸びてるな、と思うと、言われなくてもきっちり綺麗に刈ってくれる気が利く男で、黒人だけれど、そのことを別に気にしていない爽やかな未来ある若者。わたしのビジュアルイメージは、これまた理由は我ながらさっぱり不明だけれど、オリンピックで活躍したケンブリッジ飛鳥君なんだよな……。彼はほんと爽やかイケメンで性格も良さそうすよね。ジェロームにぴったりなイメージです。
 ◆ジャネル・パタースン:≪メルセデス・キラー≫が犯行に使ったベンツSL500の持ち主、の妹。姉であるベンツオーナーは、世間から「お前がベンツを盗まれたからあんな事件が起きたんだ!!」というバッシングにさらされてしまって、自殺してしまった。実はその自殺の裏には、犯人からの執拗な精神攻撃があり、姉の汚名を雪ぐために、ホッジスに捜査を依頼する。美人。44歳。バツイチ、子どもナシ(?)。わたしとしては、ぜひとも愛するCate Blanchettさまにこの役を演じていただきたい!! のだが、ちょっとイメージは違うかもな……。もうちょっと世慣れた、疲れた空気感があるので……20年前のKim Basingerさんあたりがピッタリなんだけどな……。

 というわけで、実はこの記事をちょこちょこ書きながらも読み進めていて、極めて大変なことが起きたり、超ヤバい展開がもうどんどん進行していて、イカン……もう今日の夜には読み終わっちゃいそうだ……頁をめくる手が止められない……もったいない……そして面白い……!!
 ※追記:というわけで今日の夜「下巻」も読み終わってしまった……「下巻」の記事はこちらへ。最高でした。

 というわけで、とりあえず現状の結論。
 わたしがこの世で最も愛する作家は、ダントツでStephen King氏である。そして日本語で読める最新作『ミスター・メルセデス』はやっぱり相当面白い!!! だけど、やっぱり、今までのKing作品とはかなり空気感が違いますな。Supernatural要素は今のところ全くなく、実にまっとうな、ド・ストレートのミステリーです。はあ……いま、クライマックス近くのどんどん作中テンポが速く加速しているところで、もう、ホントにページをめくる手が止まらないです!!! 以上。

↓ 現在、STAR-Chanelで鋭意放送中、ですが、わたしは観てません。つーか、愚かなことに第1回を録画しそこなっちゃった……ちくしょう……Blu-rayが出たら買うからいいもん!! 原作小説は、最強に面白いです。


あっ!? もう文庫出るんだ。単行本出たのはもう3年前か……もう文庫化の頃合いですな。文庫では(上)(中)(下)の3冊構成みたいすね。ふーん……。
スティーヴン・キング
文藝春秋
2016-10-07

 というわけで、昨日の帰りに、予想通り既に販売開始していた、わたしが最も愛する作家Stephen King氏の日本語で読める最新作『Mr. Mercedes』(ミスター・メルセデス)を店頭で発見・確保・購入したわたしである。
 出版界の常識として、書籍はいわゆる「搬入発売」、すなわち一部の発売協定品を除いて「店頭に到着したらすぐに売っていい」という慣習があるため、版元の発売予告が月曜日であるなら、おそらく、都内ならば前週の金曜日には店頭に並ぶ、うまく行けば木曜日の午後にも並ぶ可能性があるな、と予想していたので、帰りに大きな本屋さんに寄ってみたら、ごくあっさり展示・販売されるのを見つけた次第である。地方の方には申し訳ないが、さっそく昨日の夜から、もう大興奮のうちに読み進めている。冒頭からもう、最高です。コイツは期待通り面白い!!
MrMerzedes
 ところで、わたしは前日の夜か当日の早朝に、このBlogを毎日せっせと書いているのだが、昨日の夜は、この『ミスター・メルセデス』を興奮しながら読みつつ、当然読み終わらないとBlogネタにならないので、ヤバい、明日のネタがなんにもねえ、と思い、ふとこのBlogの一番最初の記事を見て、椅子から転げ落ちそうになるほど驚いた。
 なんと、ちょうど1年前の2015/08/18にこのBlogを書き始めたのだった。
 しかも、第1回目の記事の内容は、まさしくStephen King氏による『Dr.Sleep』である。
 おおう、マジかよ!? 超・奇遇!! まさしくこれは<>に導かれたって奴か!? と、この1年を思い返してびっくりしたわけで、まったく光陰矢の如しとはこのことよ……とひとり感慨にふけったわけである。
 ※<カ>とは、Kingの作品を読んでいる人なら誰でも知ってるキーワードです。
 ちなみにその時のわたしの家の室温は30.2℃。暑くて雨上がりでベトベトして不愉快極まりなく、また、愛する猫がたまに部屋にやって来て、本棚の奥に入ろうとゴソゴソやるのを、
 「埃だらけになるからやめて。ね?」「ニャーン」
 「だから、やめて。いい子だから、ね?」「ニャーン」
 「だからやめろってば……」「ニャッ!?」
 「頼むから……もうやめて……いい子でしょう?」「ニャーン」
 「だからしつこいんだよこの野郎!!!」「ニャッ!!」 →最初に戻る。
 という感じに何度も繰り返し、最終的に激怒したばかりで、血圧も若干上昇気味であった。 はーー……やれやれ。まあ、可愛いから許すけど、しつこいっつーの。

 で、なんでこのBlogを書き始めたか、そのいきさつも思い出した。
 このBlogを書き始めたきっかけは、何人かのとある偉い人たちから、まったく同じことを言われたからだ。曰く、「君が興奮しながら話す、映画とか本とか、芝居や美術展の話は、なかなか面白いから、なんかの形で残したらいいと思うよ」とのことであった。わたしは日頃、無口で冷たい男だと認識されているが、一度話し出すと、へえ、コイツこういう奴だったんだ、と思われることが多いようで、それはそれでわたしとしては大変心外で、オレは最初からこういう男ですよと言いたいところだが、確かに、会社というか仕事上では必要ないことは何もしゃべらないし、他人にもほぼ無関心なので、まあ、そう思われても仕方ないのは間違いない。ただ、わたしは営業経験が長かったので、必要とあればまったくどうでもいいTalkで話し続け、相手の関心を得る営業スキルを会得しており、その中でも映画や本の話は鉄板ネタだっただけであるのが事実である。
 なので、実はその偉い人たちから「君の話は面白い」と言われたことは、若干嬉しく思い、ちょっと図に乗ってこのBlogを始めたことは否定できない。が、実際のところ、一番大きな動機は、「とにかく最近病的に忘れっぽい」という何とも情けないというものであった。しかも、どういうわけか、昔のことはやけにはっきり覚えているのに、最近のことがまるで忘れてしまうのである。
 あれって、いつのことだっけ?
 あいつ、名前なんだっけ?
 このキャラって、何したんだっけ?
 こんな、ちっくしょー、思い出せねえ、という事のために、この備忘録を始めたのである。
 わたしの忘れっぽさは、本当に深刻で、仕事上でも、あ、あれやんなきゃ、と思って手を動かし、こんなもんかな、と思ってファイルを保存しようとすると、「既に同じ事をもうやってあった」ということを発見する、なんてことが頻繁に起こる。大抵は、さて、どうやるか……? と考えながら、エクスプローラーで材料となるデータや素材のあるフォルダを探している段階で、「このファイルは何だっけ? あれっ!? なんだ、やってあった!!」と発見することの方が多いので、さんざん手を動かしてから見つけることは少ないのだが、それにしても、自分でやった仕事を忘れて、後でそれを見つけて、「スゲエ、さすがオレ、既にやってあったわ」と半ばあきれ、半ば感心するのがわたしのいつものパターンである。これは、わたしの周りの人々には、超・お馴染みの風景であろう。わたしが、「あれっ、なんだ、それ、もうやってあるわ」と言うと、元・部下たちは「出たよ、またっすか!? つか、さすがっす」と言ってくれる優しい人々なので救われているが、おそらく彼らは「このオヤジ、もうホントヤバいんじゃね?」と内心思っているのは間違いなかろうと思う。
 ちなみに、さっき読んだ『ミスター・メルセデス』の中で、最高に気に入ったフレーズがありました。主人公の退職刑事ホッジスが、レストランで考え事をしていて、店のオーナーの女性に肩を叩かれるまでぼんやりしていたシーンでの、ホッジスの内的独白です。もう店には誰も客がいなくなっていて、ウエイターたちが皆、心配そうにホッジスを見つめていることに気づいた彼は、こう心の中で思います。
 ≪あの連中には、わたしが特急アルツハイマー号に乗って、まっしぐらにボケ老人ランドへむかっているように見えたのではあるまいか≫
 わたしはこういうKingの文章表現が大好きなのです。しかし……オレもマジで若年性の特別快速アルツハイマー号に乗車しちゃってるんじゃなかろうか。実に心配だ。
 こんな病的な症状は、やはり、40歳を超えたあたりから顕著のような気がする。実はわたしは、20代前半のサラリーマンになりたての頃から、毎月の給与明細の内容をExcelファイルにまとめていて、過去20年以上の毎月の給与の内容・控除の内容を完璧に表にしているのだが、同じファイルには、別Sheetで、「オレ年表」を作って、どこか旅行へ行ったとか、車を買ったとか、宝塚歌劇を観に行ったとか、そういった日常のイベント(出来事)も、表に記入している。
 それを作ろうと思ったのも、その病的な物忘れの激しさからだったので、もう20代の頃から危険な兆候だったのかもしれない。また、これはわたしが昭和の人間だからなのかもしれないが、とにかく、年号が分からない。西暦で言ってもらわないとホントにパッと思い浮かばない。平成何年、と言われても、本当に、計算しないといつのことか分からないのだ。これは、とりわけ役所に提出する書類とか、決算書を見る時にいつもイラッとする。
 たとえば、平成23年? それっていつだよ? ええと、今年が平成……何年だっけ、28だっけ、てことは、5年前だから、ああ、2011年のことか、何だ、大震災の年じゃねーか、最初から2011年って言ってくれよ……みたいな。これって、わたしだけなのかな? オレが異常なんでしょうか?
 
 なので、わたしは書く。書いて残す。
 でもまあ、この1年間、毎日休みなくきっちり書き続けたので、今後はちょっと無理せず――この1年は無理して無理矢理書いてたので――、ホントにネタのない日は何も書かないことを自分に許そうと思います。なので、毎日このどうでもいいBlogを閲覧している人はいないと思いますが、「あれっ!? 今日更新ないじゃん!? アイツ、死んだか?」と心配しないでください。

 というわけで、結論。
 わたし以外の人間にとっては完全に無意味なこのBlogを書き始めて1年。実は個人的にはかなり大きな人生の岐路的な出来事もあったが、それに関してはさすがに書かなかった。それは書かなくても忘れようがないことなので。まあ今後も、映画を観たり、本を読んだり、ミュージカルを観たりしたときには、せっせと備忘録として書き続けたいと思います。そして今は、『ミスター・メルセデス』が面白すぎて最高に楽しいのであります。あ、明日は愛する宝塚歌劇の月組公演を観て来ますので、そのネタになると思います。以上。

↓ とにかく、今すぐ本屋さんへ急行してください!! もう、都内なら売ってると思いますよ。文庫になるまで待つ人も多いと思いますが、たぶん、文庫だと、800円ぐらい×4冊=3200円ぐらいでしょ? 今買っても1850円×2=3700円+税だぜ? 500円のために、2年ぐらい待つのは意味ないと思うな。買える時間は買えばいいのでは? お、電子でも8/26配信開始らしいすね。わたしは我慢できずに紙で買いました。
ミスター・メルセデス 上
スティーヴン・キング
文藝春秋
2016-08-22

ミスター・メルセデス 下
スティーヴン・キング
文藝春秋
2016-08-22


   

 もう何度も何度もこのBlogに書いていることだが、わたしがこの世で最も好きな小説家は、ダントツでStephen King氏である。そしてこれも何度も書いているが、そりゃあ、たまに、「これは……ちょっとなあ……」と思う作品もなくはない。が、それでもダントツに、わたしはStephen King氏の作品が大好きである。
 というわけで、先日、朝、新聞を読んでいたところ、わたしの嫌いな出版社のTOPクラスである文藝春秋より、いきなり文庫で新刊が出ることを発見した時のわたしの喜びは極めて大きく、くっそう、文春め、誉めてやってもいいぞ、と極めて上から目線で思い、発売日に即、本屋さんへ出向いて買って来たのである。
 その新刊のタイトルは『JOYLAND』。日本語タイトルもそのまま「ジョイランド」である。わたしはこのタイトルを見て、おっと、こっちが先に出るんだ、と大変うれしくなった。
ジョイランド (文春文庫)
スティーヴン キング
文藝春秋
2016-07-08

  というのも、この作品がUS本国で刊行されたのは結構前で、2013年のことである(執筆されたのは2012年らしい)。しかも、珍しく「ペーパーバック」描き下ろしであり、ハードカバーは後に出るという珍しい展開であったし、この作品の後に出た(と思われる)『Dr. Sleep』の方がもう日本語訳が発売になっていたので、次に日本語で読めるのは、『Dr. Sleep』の次に書いた『Mr.Mercedes』の方かと思っていたからだ。まあ、ペーパーバック書き下ろし作品だから、文春も気を利かせて文庫で発売したのではないかと思うが、大変分かっている配慮であり、これは悔しいが誉めてしかるべきだろう。文春よ、お前、分かってるじゃあないか、と。しかも、帯の表4(背中側)には、「近刊予告」として、『Mr. Mercedes』も「2016年晩夏に日本上陸!」とあり、実にファンを喜ばせる、大変うれしいお知らせ付きである。つか、「晩夏」っていつなんだよ!? と担当編集を軽く問い詰めたい気分だ。9月まで出なかったら許したくないですな。
 ま、『Mr. Mercedes』に関しては、King氏初の3部作シリーズであり(USではもう3部作全部刊行済み)、初のハードボイルド・探偵モノであり、期待は高まるばかりであるが、詳しくはその「晩夏」以降語ることとしよう。まずは、本作『JOYLAND』である。

 ところで。実はちょっと前、たしか6月の終わりごろ、わたしの愛する電子書籍販売サイトBOOK☆WALKERで、なんか面白そうなのねえかなあ……と探している時に、文藝春秋からKing氏の作品が結構な数で電子書籍化され販売が始まったことを知った。わたしはそれを発見した時、うぉっと!! マジかよ!! と、とりあえず全てカートにブチ込んでやったのだが、実はまだ買っていない。まあ、50%コインバックとか大きなフェアの時にでも買うか、と保留してしまったわけだが、今回の新刊が出るという告知を新聞で見て、すぐさま、電子でも買えるのかしら? と思ってチェックしたところ、影も形もない。なーんだ、新刊はお預けかよ!! と若干イラッとしたが、ことKing氏の作品ならば、電子での発売まで待てるわけがない。すぐさま、紙の本で購入である。
 そして読んだ。一気に読むのがもったいなくて、ちょっとずつ、と思っても、3日で読んでしまった。そしていつも通り、大変面白く、やっぱKingは最高だぜ、というのが本作の結論である。非常にいいすね、本作も。
 お、King氏が本書について語っている動画があったから、とりあえず貼っとくか。

 さて。
 本作『JOYLAND』は、久しぶりにKing作品としては短めだと思う。そして、久しぶりに「スタンド・バイ・ミー」的な、70年代を舞台にした昔の回想録である。もちろん、King氏特有のSuper-Natural要素もあって、ラストではきっちりそれが効いてくるが、基本的には穏やかな、そして珍しくミステリー要素も持った作品で、なんとなく新鮮に感じられた。へえ、こういう作品もアリなんだなあ、とKing氏の脳みそにはまったくもって脱帽である。なお、今回は、わたしが大好きなDirty Wordはほとんど出てこない、大変「優しい」お話であった。
 物語は、1973年のノースカロライナの海辺(要するに東海岸で、フロリダより全然北でDCやリッチモンドより南)が舞台で、主人公は(King作品なら当然のことながら)メイン州出身で、21歳、ニューハンプシャー大学の学生さん(3年生か?)であり、ちなみに童貞である。彼は、彼女と早く「あれ」をしたくてたまらないのだが(※作中で「あれ」と表現されている。さっき、英語Kindle版のプレビューを観たら、「It」と表現されていた。「IT」はKingファンには特別な意味がありすぎますな!!)、ずっとじらされていて、未だ童貞であると。そんな彼が、大学の食堂でバイトしている時に、ひょんなことから「JOYLAND」というノースカロライナの海辺にあるちょっと古くてボロイ遊園地の夏のバイト募集告知を見かけ、応募するところから物語は始まる。
 曰く、
 ――1行めにボールド書体で、天国の近くで働く!とある。これを読んで釣られない英文専攻の学生がいるだろうか。彼女を失うかもしれない恐怖に苛まれた暗い21歳が、歓喜の国(ジョイランド)という名の職場で働くことに魅力を感じないものだろうか――
 というわけで、主人公は、最近どうもつれない彼女がボストンでバイトをするといっているので、じゃあどうせ夏を一緒に過ごせないなら、オレはコイツに行ってみよう、と思うわけである。なお、物語は現在60歳を超えた主人公が、21歳の忘れられないあの1973年の日々、を回想している形式になっている。2013年の刊行だから、40年前、ってことですな。
 で、主人公は、「JOYLAND」で生涯の友を得たり、離れている彼女にはあっさり振られたり、青春の思い出を過ごすわけだが、その描写が非常に美しく(?)、面白く、実に痛くて(何しろ童貞なので、振り返ると大変痛くてほろ苦い)、大変好ましい空気に包まれている。また、「JOYLAND」も非常に雰囲気が良く、おそらくアメリカ人が読めば誰しも子供時代の原風景として感じられるような、うらびれた遊園地だ。そんな職場で、主人公は、友と毎日を忙しく過ごし、ベテランのおっさんたちとも仲良くやり、そして「JOYLAND」のマスコットキャラの着ぐるみを着て場内を練り歩く仕事で暑くて死にそうになりながらも、子どもたちの心からの笑顔で癒されながら、生涯忘れなられないバイト生活を楽しむ。とあるおっさんが、「オレたちの売り物は、喜びさ!」的なセリフを言うのだが、主人公はその言葉を実感として理解するわけで、毎日何のために働いているのか分からないリーマンには実に心躍るセリフだと思う。そういう仕事が一番ですよね。また、主人公が、着ぐるみのまま、そのキャラに大興奮しちゃったせいでホットドックのソーセージを喉に詰まらせてしまった少女を救うシーンなんて、非常にKing作品ぽくて最高である。スポーーーン!! と抜けるソーセージにわたしは非常に笑ってしまった。
 そして物語は後半、夏が過ぎ、バイト仲間たちも学校に戻り、「JOYLAND」もすっかり客足が途絶えた季節に移る。主人公は彼女に振られ、その傷心を引きずっていて、「JOYLAND」に留まって機械類のメンテナンス要員となる。そして、毎日通う道すがらで出会う、豪邸に住む男の子とその母親と知り合う。男の子はとても人懐っこいが、筋ジストロフィーで車椅子生活であり、母親はどうやら地元では「氷の女王」と呼ばれているような人を寄せ付けない人物だ。そして愛犬のジャックラッセル・テリア。この二人と1匹と徐々に心を通わせる主人公、という展開なのだが、とにかく主人公は、いい奴で、とても気持ちがいい。童貞だけど。
 で、問題はその車椅子の男の子である。ネタバレかもしれないが結論から言うと、彼はどうやら、King用語でいうところの「The Shining」=「輝き」能力があるようで、「JOYLAND」で噂になっている、かつて「JOYLAND」で発生した殺人事件とその被害者の幽霊が出るというお化け屋敷について、何かを感じているらしいことが描かれる。このお化け屋敷に出るという噂の幽霊話は、実は冒頭からずっと語られているのだが、主人公は観ることができない。が、友達は目撃してしまい、だからこそさっさと学校へ戻ってしまったのだが、後半から、学校へ戻った友達にその殺人事件をいろいろ調べるようにお願いしたり、ちょっとしたミステリー風味も加わって来る。
 全然調べていないけれど、この「輝き」能力を持った少年は、ひょっとしたら『Dr.Sleep』にもちらっと出てきてたりするのかな? あり得るけど、ま、調べるのがめんどくさいのでべつにどうでもいいや。大変賢く、非常に気の毒な少年でした。また、母親も、ツンが解かれてややデレになっていく展開もとても良かった。童貞野郎としては、年上の美しい女性、なんてもう最高でしょうな。非常に各キャラクターも良くて、大変楽しめた。まあ、殺人事件の犯人捜しの展開は、若干想像できるしやや急ではあるけれど、わたしは十分アリだと思います。
 というわけで、最終的に殺人事件の謎は解かれ、また、主人公を少年の能力が救い、万事 収まるところに話は収まる。少年を「JOYLAND」に連れていくシーンや、ラストのエピローグは、大変ジーンとくる感動というか、グッとくるものがあって、わたしはとにかく大満足で本書を読み終わりました。いやー、やっぱりStephen Kingはいいですね。最高です。

 というわけで、結論。
 わたしがこの世で最も好きな小説家は、ダントツでStephenKing氏である。そして日本語で読める最新刊『JOYLAND』は、いつも通り大変楽しめた。ただまあ、いつもの激しいというか、すっげえ展開のKingではなく、『スタンド・バイ・ミー』的な優しい白King作品なので、黒King好きには物足りないかもしれない。そういう方は、もう永遠に『The Stand』辺りを読んでいればいいと思います。そしてこの作品は、King初心者にも十分楽しめる作品であり、万人にお勧めできると思います。最高です。以上。

↓ 早く日本語で読みたいですなあ。文春が気合を入れて8月中に出版することを祈ります。「晩夏」じゃねえっつーの。
Mr Mercedes
Stephen King
Hodder & Stoughton Ltd
2014-06-03

↓ そして文春よ、こっちの日本語出版権も取得するんだ!! 小学館じゃダメだよもう……
 

 というわけで、NY滞在のDAY-01に、TIMES SQUARE周辺をうろついていて、うおお!? マジか!! と一番驚いた出来事は、2日前に書いた通り、実はこれを見かけたときである。
 ↓これね。
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 わたしの大好きなStephen Kingの『MISERY』が、なんとあのBruce Willis主演で舞台化されていたのである。いや、実際のところ、そういう情報は得ていたのだけれど、まさかホテルから歩いて3分のところにある劇場でやっているとは思わなかった。なので、どうしよう、これは観るべきですよね? と一晩悩んで、DAY-02 に劇場に行き、チケットは買えるのかを聞いてみたところ、DAY-03の昼の回を希望してみたら、「HAHAHA!! 水曜日の昼の回、一人かい? OK、調べてみるよ……おっと、1枚でいいならVery Good Seatがあるよ!! ラッキーだね、Sir !!」なんてことをまくしたてられ、よっしゃ、じゃそいつをもらおうか!! と思わず日本語で言ってしまってから、英語で言い直して買ってみた。
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 席は、E列というから、5列目かなと思っていたけど、実際は、最前列と2列目がAA、BBという列があって、7列目であった。そしてど真ん中の位置である。これは確かにいい席だ、素晴らしい。と劇場に入って初めて分かった。なお、このBROADHURST THEATREは、キャパシティ的にはたぶん1000人は入らないぐらいの中小規模劇場で、2階席は解放していなかったようだ。ま、日本の感覚だと十分にデカいけれど、横に広くて、列数は少ない印象で、非常に芝居向きの劇場だと思う。外観は↓こんな感じ。
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 ちなみに、この劇場の向かい側、すなわちこの写真を撮っているわたしがいる側を30mほど西へ進むと、今年のアカデミー作品賞受賞作でおなじみの『Birdman』で出てくるSt.JAMES Theatreがある。つまり、Michael Keatonがパンイチで歩くあのシーンは、まさに今わたしが立っているあたりだ。で、開場の15分前ぐらいに劇場前に行ったら、意外と行列ができていて驚いた。が、もちろん全席指定なので慌てる必要はなし。ぼんやり撮影などしていたらすぐに開場になって、入場できた。セットは非常にコンパクト。劇場が横に広いとさっき書いたけれど、ステージ自体はそれほど大きくなくて、極端に言うと半円形のような感じになっているわけです。
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 芝居が始まるまで、↑この、アニー・ウィルクスの家の外観がステージにはセットされている。で、場面ごとに、ぐるーっと舞台が回転して、寝室になったり玄関先になったり、キッチンになったりするわけです。簡素な割にはすごくよく考えて作られていました。Kingの『MISERY』を読んだ、映画を観た、という人なら、↓この写真で結構ピンとくるのでは? ポール監禁部屋ですな。これは終演後、みんな撮影してたのでわたしも撮ってみた。
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 ところで、『MISERY』について、一応、ごく簡単にどんなお話か説明しておくと、主人公ポール・シェルダンは人気作家である。人気シリーズ「ミザリー」の完結編が発売になる間近の彼は、すでに新しい別の作品を書き終わり、その原稿を持って、雪の降りしきる中、山道を車でかっ飛ばしていた。が、途中で案の定大事故を起こし、崖下に転落、雪の中に消えてしまう……そして、そんな彼を救ったのが、ポール・シェルダンの世界一の大ファンを名乗る元看護婦の中年女性だった。名をアニー・ウィルクスという彼女は、自宅でポールを介護するのだが、ポールとしてはさっさと病院なりエージェントに連絡してほしいのに、「いやー雪で電話線が切れてるのよねー」みたいなことしか言わない。なんなんだこの女? と思いながらも、そこらじゅうが骨折しているポールは身動きが取れない。そしてその後、「ミザリー」シリーズ完結編が発売になり、発売日に買いに行ったアニーは、さっそく読んで、完結編では主人公ミザリーが死ぬことを知ると、態度が激変する。「よくもわたしのミザリーを殺したわね!! あたしのために、「ミザリー復活」の新作を書きなさい!!!」とイカレた要求をしだすのであった……という、ひじょーーにおっかないお話です。
 基本的に、登場人物は、ポールと、アニーと、保安官ぐらいしか出てこない。そして密室が舞台となるわけで、良く考えたらこれほど演劇に適した小説はないんじゃね? と思うほど、舞台演劇にとって都合のよい物語で、実際、非常に舞台は楽しめました。
 で、わたしがこの芝居で、ちょっと驚いた点や、なるほど、と思ったことがいくつかあったので、以下まとめておこう。正直、非常によく考えられて作られた芝居だったと思うな。
 1)物語の始まり
 ファーストシーンは、うす暗闇の中で、ベッドに横たわる男と、それをかいがいしくいたわる女性である。つまり、もう事故後のアニーの家で、ポールが意識を取り戻すところから芝居は始まる。これはナイスアイディアですね。本当は、ポールが新作を書き終わるところから始まるんだけど、その辺は一切カット。これはアリですな。なお、上演時間は1時間45分の休憩なし。非常に集中した緊張感あふれる芝居でした。
 2)小道具類
 舞台上で火は使うし、ワインは飲むし、火薬も使うしでちょっと驚いた。少なくともわたしは、演劇の舞台上で火を使うのは初めて観たような気がする。『MISERY』を知ってる人なら、火を使うシーンと言ったらピンとくるのでは? ヒントは「原稿」。そう、あのシーンはホントに燃やしちゃって、Bruce Willisが、アチチッ! という顔でちょっと笑っちゃった。火薬は、銃です。銃を使うシーンは……ヒントは「保安官、うしろうしろー」ですな。あのシーンも、いきなりズドンと来て、メリケン客たちは一斉にびくっとしてました。わたしの隣に座ってたおばちゃんはギャッ!! と悲鳴上げました。
 3)マイクはナシ。生声での芝居
 明らかに、マイクはナシだった、と思う。明確に役者の方向から声は聞こえたし、マイクらしきものも見当たらず。全部で20列だったので、マジで生声だったと思うな。
 4)生Bruce Willis
 やっぱカッコイイね、このハゲオヤジ。わたしにとっては永遠のマクレーン刑事なわけだけど、このハゲは声がいい。渋い、いい声だと思う。で、やっぱり顔の表情がすごい豊かな役者だね。今回の芝居では、基本的に寝てるか車いすなんだけど、非常に素晴らしい演技だったと思う。が、それはやっぱり声と顔の表情からくるもんなんじゃなかろうか。
 5)映画版『MISERY』でおなじみの、誰もが「やめてーー!」と思うあのシーン。
 と言えば、わたしがどのシーンのことを言ってるかわかりますよね? ヒントは「ハンマーを振りかぶって…オラァッ!!」。わかりますよね、あの痛そうなシーンです。あれも、今回の舞台では登場する。いきなり、ボキーンとやったので、思わずわたしも、うわっ!? やった、やりおった!! と声を上げてしまった。もちろん、観客騒然。OH!! だの、MY GOD!! だの大変な騒ぎでした。いつの間にか、本人の生足だと思ってたのが、作り物に変わってたわけで、全然気が付かなかった。さすがハリウッドの国ですな。すごいびっくりしたわ。
 とまあこんな感じかな。
 あと、昨日も書きましたが、とにかくメリケン観客はリアクションが騒がしい。とにかくよく笑う。そこ笑うとこじゃねえべ? というようなところでも笑う。なんなんだもう、変な人たち!! 

 というわけで、結論。
 ブロードウェー舞台版『MISERY』は1時間45分と短い芝居でしたが、わたしは非常に楽しめた。これは観に行って良かったと思う。アニーを演じた女優は、わたしは知らない人だったけど、なかなかいい感じに狂っていて良かったと思います。しかし、ほんとおっかねえ話ですな。もう一度、小説を読みたくなりました。

 ↓ KINGの密室もの(?)でわたし的に『MISERY』並みにやばいと思うのはこちら。SMプレイ中の、手錠で両手をガッチリとベッドにつながれている女子が主人公。パートナーに、ついイラッとして、このボケが死ね! と蹴っ飛ばしたらホントに死んでしまい、ふーせいせいしたわこのクソが!! と一息ついてふと思う。どうやって帰ればいいのわたし……? その状況から、主人公たった一人の悪夢のような脱出作戦が始まる……という恐ろしいお話です。そんな話、良く思いつくよな……マジ天才ですわ。
ジェラルドのゲーム (文春文庫)
スティーヴン キング
文藝春秋
2002-09

 おそらくこの先も、何度も書くとは思うが、最初に言っておく。
 わたしが一番好きな小説家は、この地球上ではダントツ1位でStephen King だ。

 よく、映画が好き、だとか、だれだれ先生のファン、とかいう話になると、たいてい「どの作品が一番好き?」 と聞かれるものだが、そんなこと聞かれても困る。だって、全部好きなんだもの。
 もちろん、大ファンの私でも、ちょっと……こいつはイマイチかのう……と思わんでもない作品もそりゃあるが、とにかく面白い作品ばかりで、1番、は何だろうな……やっぱり『Dark Tower』シリーズになるのかな……でも、最近の作品では『Under the Dome』も『11/22/63』も、もちろんのこと、すっごい面白かった。

 ともあれ。
 Stephen Kingが偉大なる作家であることは、大方の日本の小説家の先生方も認めるところではないかと思う。キングファンを公言する作家は、わたしが知る限りでもけっこういるし、今回わたしが取り上げる『Dr.Sleep』も、読売新聞紙上で宮部みゆき先生がレビューを書いていたし、有栖川有栖先生も日経で書評を書いていたのを読んだ。両先生とも、基本的に好意的な書評だったと思う。
 なお、わたしがいつもチェックしている、わたしの数万倍のスーパーキングファンの方が運営してる『スティーヴン・キング研究序説』というサイトがあって、そこをチェックしておけば、新刊情報を逃すことはないので非常に頼りにしてます。勝手にリンクしていいのかわからないので各自Google検索でもしてくれ。

 Stephen Kingのすごいというか恐ろしいところは、毎回ページ数がかなり多い作品なのに、年に2冊近いペースで作品を発表し続けていることだ。これは、日本の出版界の人間、特に文芸系の人間ならば、そのすごさが実感できることだと思う。
 もちろん、Stephen Kingの執筆スタイルの詳細を知らないので、こういう適当なことが言えるが、ひょっとしたら、日本の週刊連載を持つ漫画家のように、ものすごいブレーンというかチームというかスタッフがごっそりいて、分業がなされているからこそ、できるのかもしれないし、ひょっとしたらKing自身が書いてるのはプロットだけとか、そんな裏事情があるのかもしれない。知らないけど。それでも、どんな執筆体制を構築していようとも、あのクオリティの作品を次々と発表するその「作家魂」は、世界一レベルだとわたしは思う。
 この背景には、Kingが1999年6月19日に交通事故(普通に散歩してたら車にはねられた)に遭い、瀕死の重傷を負って、本当に死にそうになり、生還したことが影響している、と本人が『小説作法』というエッセイの中で言っている。
 超適当に凝縮して言うと、要するに、「この世界って、マジでいつ死ぬかホントわかんねえんだな。だから、とにかく毎日書きまくって、心残りのないようにして毎日を過ごさないと、ホントにダメなんだな。(なので、20数年間放っておいた『ダーク・タワー』シリーズを最後まで書き抜いて完結させよう)」って思ったらしいです。
 ↓ この本。
書くことについて (小学館文庫)
スティーヴン キング
小学館
2013-07-05


 あれっ!? わたしが持ってるのは『小説作法』っていうタイトルの四六判の単行本なんだけど、いつの間にか小学館文庫から出てたのか。しかもタイトル変わってるし。原題は『On Writing』だから、まあ、このタイトルでいいか。小学館文庫か……なかなか売ってねえんだよな……。Joe Hill(※Kingの息子で恐ろしく才能のある作家。彼の作品もKing並に相当面白い)の作品探すのに、いつも苦労するよ……。

 というわけで、とにかく前振りが長くなったけど。『Dr.Sleep』。
 今回、King は、40年近い作家生活の中で、初めて自作の<続編>というものを書いてくれた(注:『Dark Tower』シリーズは長~い1本の作品としてカウントするので、ノーカン)。今回の『Dr.Sleep』は、かの『The Shining』の30年後の物語。あの惨劇を生き延びた、「ダニー」少年(当時5歳)が、なんとアル中のおっさんとなって登場する! というあらすじをアメリカのサイトで知った時、わたしの感激はいかほどだったことか! もう、それだけで面白いにきまってるじゃねーか! と当時の部下に、不条理にキレたものだ。アメリカでの発売が2013年9月。英語でもいいから読むか? と悩んで放置して約2年。やっと日本語版が出てくれた。ありがとう、白石朗先生。あなたの翻訳は素晴らしいです! 発売日当日は興奮しながら丸善御茶ノ水に向かったわたしであった。
 
 物語は、『The Shining』の直後から始まる。先に言っておくが、キューブリックによる映画の『シャイニング』は、別に嫌いじゃないけど、明らかに別物なのでどうでもいいとして、原作の『The Shining』は読んでおいた方がいい。宮部みゆき先生のレビューでは、別に読まなくていい、と書いてあったけど、やっぱり、読んでおいた方がいいと思う。
 映画しか見ていない人の方が多いだろうから、ひとつだけ、重要なキーワードを説明しておくと、そもそもタイトルの『The Shining』とは、日本語版の小説では「かがやき」と訳されている。そう、『The Shining』という小説は、「かがやき(=The Shining)」と呼ばれる特殊な能力を持つ少年、ダニーの物語なのだ。
 なお、「かがやき」能力は、予知だったり、テレパシーだったり、若干の念動力だったり、ちょっとした超能力のようなものと思っていい。やけにカンがいいだけ、とか、「かがやき」能力の程度はどうも個人差があるようで、一定ではないのもポイントの一つ。
 映画しか見てない人は、えっ!? そうだっけ!? と思うかもしれない。けど、そうなのです。
 「かがやき」能力を持つがゆえに、かのオーバールックホテルに棲みつく幽霊どもに悩まされ、しまいには父親が幽霊に憑依されてひどい目に合う、というのが、前作『The Shining』のあらすじだ。
 
 そして今回のお話は、中年になったダニー元少年(本書では「ダン」と呼ばれている)と、ダニーがアル中から立ち直るきっかけとなった出来事が起きたころに生まれた少女と、そして、今回新たに登場する謎の集団”Ture Knots”と呼ばれるSuper Naturalな、人間の精気(?)を吸う事で生きながらえる不老不死の存在の3つのストーリーから成っている。
 そしてその3つの流れが合流したとき、物語は一気にクライマックスへ加速する――! みたいな話だ。

 どうやら、Web検索なんぞをしてみると、今回の『Dr.Sleep』は筋金入りのキングファンからすると「敵が弱い」とか「バトルがあっさり終わっちゃう」とか、ご不満な方が多いようだ。わたしも筋金入りのつもりだが、わたしとしてはまったくそんな風には感じず、非常に楽しめたのだが……。確かに、たいていのKing作品では、敵が恐ろしく強大だったり、狡猾だったり、とにかく「邪悪さ」がハンパなく、たいていの主人公は、もう本当にひどい目に合う。文字通り、体も精神もズタボロにされる場合が多い。だからこそ、この主人公マジで大丈夫か? とハラハラドキドキで読めるわけだが、一方で、それ故に最終的に勝利するときは、あれっ!? とあっさり勝って逆転してしまうこともある。
 
 確かに、今回の敵である”True Knots”は、超邪悪だけど、歴代のKing作品の敵の中ではそれほど強くはない。今回、白石朗先生は、かれらを「真結族」と訳してくれた。knot=結び目のことね。ネクタイの結び方でウィンザーノットとかあるでしょ? あのknot ね。さすがは白石先生、非常にいい訳だと思う。読み方的にも「血族」ともかけているんだろうと思う(しんけつぞく・真の血族、みたいな)。

 それはともかく、彼ら「真結族」は、良くわからないが少なくとも1000年ぐらい前には存在していて、人の精気を吸って生きているわけだけど、面白いのが、どうやら「かがやき」能力を持っている人間の精気が、とにかく濃密で、美味らしいんだな。これってアレか、JOJOでいうところの柱の一族じゃんか! と、当然私としては盛り上がるわけですよ。(注:柱の一族は人間を吸収してエネルギーとするが、普通の人間よりも、高カロリーな、石仮面をかぶって吸血鬼化した者の方が美味いというあの設定ね)
 で、「かがやき」能力をもつダニーと、そしてダニー以上の非常に強力な「かがやき」能力を持って生まれたアブラという少女が、「真結族」にロックオンされるわけだ。しかも、人間の精気は、とてつもない苦痛を受けているときが一番美味いらしく、ものすごい拷問をするんだな。まあ、極めて邪悪ですよ、本当に。読者としては、やっべえ、アブラ超ピンチ! うしろうしろ! 逃げて―――!! とか、もうドキドキなわけ。

 ダニーとアブラの交流も読みごたえがあるし、戦い方もちょっと変わっていて非常に面白い。また、ダニーがDr.Sleep と呼ばれるようになるいきさつも、非常にいい。
 そして、最後の戦いでは、なんとあのオーバールックホテルで死んだダニーの父、ジャック・トランス(※映画のジャック・ニコルソン)も深く関係してきて、最後はちょっと泣けたね。

 あと、かなり冒頭の方で、『The Shining』の惨劇直後の少年ダニーが、今後の生活で幽霊に悩まされないために、「かがやき」能力の先輩である老人(※前作『The Shining』で最終的にダニーと母を助けてくれたコックのおじいちゃん。映画にも出てくる)から習う、とある方法があるのだが、そのやり方が、小説はすげえ面白いけど映画版は超B級映画の代名詞となってしまった『Dreamcatcher』に出てくる「頭の中の書庫」と似ている点も、わたしとしては面白いと思った。
 曰く、頭の中に金庫を思い浮かべて、そこに幽霊どもを閉じ込めて、厳重に鍵をかけるのじゃ、そして頭の中の倉庫に放り込んでおけばいい、みたいな感じ。
 この「頭の中の書庫」のモチーフは、ほかのKing作品でも出てくるし、最近では映画『INTERSTELLER』で天才Christopher Nolanが描いた「多次元世界」のイメージになんとなく似てるような気もする。ああ、そういえば、同じくNolanの『INCEPTION』ではまったく同じ表現がされてたね。頭の中に入って金庫に保管されている情報(=記憶)を盗む、冒頭の方のシーンはまさにこれだ。
 

 というわけで、結論。
 『Dr.Sleep』は超面白かったです。ぜひ、読んでいただきたい。
 もちろん、『The Shining』を先に読んでから、ね。

↓わたしとしては、やはりこいつを読んでいることが必要条件だと思う。映画は、別にどうでもいいや。
シャイニング〈上〉 (文春文庫)
スティーヴン キング
文藝春秋
2008-08-05

シャイニング〈下〉 (文春文庫)
スティーヴン キング
文藝春秋
2008-08-05

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