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 わたしは、黒澤明監督の作品が大好きなわけだが、まあ、やっぱり、一番好きなのはどれかと聞かれると、実はかなり悩むし、未だに結論は出ない。結局のところすべて好きであり、一番はちょっと決められないのが現実なのだが、それでもやはり、『七人の侍』に関しては、一番かどうかは分からないけど、TOPクラスに好きであるのは間違いない。
 とにかく、すげえ。
 わたしは黒沢映画を見ていない人は、断じて映画好きとは認めないし、いろいろなところでそう言っていることはすでに周りではおなじみなので、まさか『七人の侍』を観ずして、わたしの前で「いやあ、オレ映画が好きなんすよ」と抜け抜けと言える人間はもはやいないと思うが、 観ていない人はマジで一度観た方がいいと思う。とにかく、すげえ、のである。
 わたしの記憶では、一番最初に観たのは80年代中頃のTV放送だと思う。1989年~91年まで、わたしはビデオレンタルのバイトをしていたが、当時、『七人の侍」のビデオソフトは発売されていなかったと思う。少なくとも、わたしがバイトをしていたレンタル屋には置いていなかった。その店はかなり大きな店で、置いてあったのは『乱』『羅生門』『静かなる決闘』『白痴』『デルス・ウザーラ』と言った東宝以外の作品と、東宝作品では確か『用心棒』『椿三十郎』ぐらいしかなかったと記憶している。単に置いてなかっただけなのか、発売されていなかったのか、実はよくわからないのだが、とにかくそんな状況だったので、わたしが黒沢作品をすべて見たのは、今はなくなってしまった銀座の「並木座」という名画座での「黒澤明の世界」という特集上映で、あれはたぶん1991年か1992年のことだと思う。
 そして、その当時、わたしの友だちがロスに留学していたのだが、まだインターネッツなどなく、当然メールも携帯すらもない時代、たまに手紙をやり取りするぐらいだった友達から、ある日国際電話がかかってきた。もちろん、家の固定電話に、である。その時のことはいまだに明確に覚えている。こんな電話で、わたしは大興奮したのである。
 友だち「た、大変だーーっ!!」
 わたし「ど、どしたの!? 何があったんだ!?」
 友だち「さっき、こっちのモールで買い物してたんだけど、大変なものみつけちゃった!!」
 わたし「は? 何を?」
 友だち「七人の侍!! ビデオ売ってる!! 49ドル99セント!!!」
 わたし「……な、なんだってーーー!?」
 友だち「どうする? ほしいよね? 買う!? 送ろうか!?」
 わたし「買いでお願いします……!!!!」
  というわけで、当時の友だちもわたしも金がなかったのだが、郵便局でMONEY ORDERという外国郵便為替? みたいなので50US$を送金したのである。懐かしい……。そして、3週間後ぐらいに友だちから送られてきたのが、これ↓である。久しぶりにわたしの本棚から引っ張り出してみた。
7samurai
 全然関係ない写真のパッケージが笑えるけれど、まぎれもなく『THE SEVEN SAMURAI』であり、中身はちゃんと『七人の侍』で、なんと、当たり前だが英語字幕入りである。「たわけ!!」が「FOOL」と訳されていて笑える。要するに、わたしにとっては『七人の侍』という作品はかなり思い入れがある、ということを言いたかっただけです。以上、前振り終了。

 というわけで、いつも通り無駄な前置きが長くなったが、今日、久しぶりにまた、劇場の大スクリーンで『七人の侍』を観てきた。2週間前に観た『生きる』同様、4Kマスターによる「午前十時の映画祭」である。
 この「午前十時の映画祭」という企画は、A日程の劇場とB日程の劇場と別れていて、A日程の劇場ではすでに2週間前に公開されていて、わたしもTOHO新宿へ観に行こうと思ったのだが、さすがに『七人の侍』は大変多くの方が劇場に駆け付けたようで、土日などは完売が相次いだそうだ。わたしが行こうとした初日も完売であった。で、仕方ないので、B日程の始まった昨日、TOHO日本橋へ観に行こうと思ったらまたしてもほぼ完売で、いい席がもうとっくになかったので、今日、地元市川にて観てみることにしたわけである。感心したことに、TOHO市川はちゃんと2番箱を『七人の侍』のために用意していて、キャパ317人の2番目に大きいスクリーンでの上映となっていた。そしてお客さんの入りも結構多く、人気のほどがうかがえる様相を呈していた。まあ基本、60代以上のおじちゃんばっかりだったけど、ちらほら、若い映画オタ候補の青年たちも観に来てましたね。よしよし、えらいぞ君たち。
 そして、肝心の4K修復だが、わたしがこの記事を見て仰天したことは、既にこのBlogでも書いた通りで、かなり、というか相当画質はクリアになっている印象だ。まあ、『生きる』の時も書いたけれど、元のノイズだらけの画像を知らない人だと、ある意味普通に思えることだろうが、はっきり言って超クリアである。音声の方も、一部はどうしても聞き取りずらい部分はあるが(何しろ怒鳴っているようなしゃべり方だし)、それでも、主要キャストのセリフはかなり明瞭になっていると思う。素晴らしい修復だとわたしとしては惜しみない称賛を送りたい。ほぼ、ごみやノイズはゼロ。コントラストもはっきりしていて、実に観やすく分かりやすい映像になっていた。この修復もすげえと思う。苦労のほどは、上記のリンク先のAV-Watchの記事をどうぞ。
 ところで……もう『七人の侍』については説明いらないよね? 物語については、もはや誰でも知ってるよな、観てなくても。なので、今回は自分用備忘録として、七人の侍たちの名前と、最終的に生き残ったのかどうか、をまとめつつ、わたしが名言だと思う名セリフをあげつらっておこう。なので、以下はもう完全ネタバレ全開です。
 ※以下動画は、「午前十時の映画祭」について仲代達也氏が語っているもので23分あります。

 【島田勘兵衛】
 侍たちのリーダー。演じたのは、『生きる』の渡辺さんこと志村 喬氏。最高です。
 百姓たちが侍探しをしているとき、盗人をとある侍が退治する現場に遭遇し、その腕を見込んで百姓たちが一番最初にスカウトした男。ちなみに、勘兵衛に斬られた盗人が小屋から出てきて、バタリ、と倒れるスローモーション(?)のシーンは超名シーンの一つ。はじめ勘兵衛は百姓のオファーを断るが、百姓たちのねぐらにしていた宿で、百姓たちを常々バカにしていた眉がつながった人足(わたしはそのつながり眉から、両さんと呼んでいる)が、「おい!お侍!これ見てくれ!これはお前さんたちの食い分だ!ところが、この抜け作たちは何食ってると思う!? 稗(ヒエ)食ってるんだ。自分たちは稗食って、お前さんたちには白い飯食わせてんだ!! 百姓にしちゃ精いっぱいなんだ!! 何言ってやがるんでい!!!」と怒鳴られ、「よし分かった。もうわめくな。この飯……おろそかには食わんぞ」と言って、百姓の依頼を受けることにする。
 最後まで生き残り、ラストでは「……今度もまた、負け戦だったな……いや、勝ったのはあの百姓たちだ……わしたちではない……」と言って去る。最終決戦当日、「勝負は……この一撃で、決まる!!」と百姓を鼓舞するシーンは超名シーン。カッコいい!!
 【勝四郎】
 唯一の「前髪」で、まったくのゆとり侍。戦経験はナシ。村娘の「しの」とヤっちゃう(ちなみに、むしろしのの方から誘われて行為に至る。最初は手が出せず意気地なし!!と言われちゃうのが笑える)。最後まで生き残るものの、ラストではしのにはあっさり振られる。もっとも、「しの」は生き残るため、という打算をもって勝四郎に近づきモノにしたとも見られ、生き残ることが確定した時点で勝四郎はお払い箱となったわけで、もてあそばれたのは純情な勝四郎坊やの方だった、という見方も十分以上に可能だと思う。いや、むしろその観方が王道かな。
 勝四郎は勘兵衛が盗人を退治するときのやじ馬の一人で、その剣の腕にほれ込み、弟子入りを願う。もちろん断られるがずっとついていき、最初はお前はダメだと勘兵衛にダメ出しを食らって仲間に入れてもらえないが、五郎兵衛と平八に「子供は子供で、働くぞ。もっとも、大人扱いしてやればだが」「じゃ、勝四郎を大人扱いしてやるか」と助け舟を出されて、やっと仲間に。なお、ほとんど戦わない。代わりに伝令係として活躍(?)。演じたのは木村功氏。黒沢映画の常連。わたし的には、『野良犬』の復員兵が一番印象深いかな。
 【片山五郎兵衛】
 勘兵衛が百姓の依頼を受けてから仲間探しを始めて、一番最初に腕を見込んでスカウトした人。勘兵衛による腕試しを「ご冗談でしょう」の一言で見抜いたデキる男。髭もじゃで、笑顔がとても印象的な気のいい男で、事実上ナンバーツー扱い(?)。最終決戦の前に、火縄銃で狙撃され、殉職。なお、その狙撃シーンはなく、銃声と、戸板に載せられて運ばれてくる亡骸だけ。生き残ってほしかった……。演じたのは稲葉義男氏。
 【林田平八】
 金がなくて、茶屋でまき割りをしているところを、そのひょうひょうとした人柄と、腕の良さを見抜いた五郎兵衛がスカウトした侍。勘兵衛には「まき割り流を少々」とふざけた自己紹介をする。後に侍たちの旗印になる旗(有名な○○○○○○△のアレ)を書いた男。野武士のアジトを夜襲した際、妻を野武士にさらわれた百姓の利吉を助けようとして、残念ながら、一番最初に死んでしまう。平八も火縄銃による狙撃でやられてしまった。演じたのは千秋実氏。黒沢映画の常連で、わたし的には『蜘蛛巣城』の三木義明の役(=マクベスでいうところのバンクォウ)が最高。
 【七郎次】
 勘兵衛の旧知の侍。出会いのシーンはなく、勘兵衛がそこでばったり出会ったとアジトに連れてくる。その時、七郎次は俸手振りかなんかをやってた模様。曰く、二の丸が焼け落ちたときはもう終わりかと思ったが、堀に身を沈めて忍び、頭に水草を乗っけて隠れていたそうで、勘兵衛としてはもうとっくに死んだかと思ってた、らしい。勘兵衛曰く「古女房」。小太り&月代がきれいにそられたちょっと丸い人。唯一の槍遣いで、最後まで生き残る侍のうちの一人。演じたのは加東大介氏。わたし的には、『陸軍中野学校』の草薙中佐としておなじみ。
 【久蔵】
 町で果し合いをしているところを勘兵衛たちが見かけ、スカウト。最初は仲間にはならんだろうと思っていたが、ふらりとやってきて仲間に。剣の達人。町での果し合いも、「……無駄だ。真剣なら死ぬぞ……」と忠告したのに、相手がかかってきてしまったので、やむなく斬った。戦いの中でも、火縄銃を「わしがなんとかする」とふらりと一人消え、翌朝、銃とともに村に帰ってくるような孤高の戦士。そのカッコよさに、勝四郎は大感激し、あなたは素晴らしい人だ!! と絶賛。照れくさそうに苦笑いをする久蔵さんが超クール!! そして、最終決戦では大雨の中、野武士のボスの放った銃弾に倒れる……。演じたのは宮口精二氏。『生きる』でもやくざの親分としてちらっと登場。
 【菊千代】
 勘兵衛が盗人退治したときのやじ馬の一人で、以来勘兵衛に付きまとうが、相手にされていなかった。が、久蔵が仲間入りした後で、百姓たちが「すげえ人見つけました!!」とぐでんぐでんに酔っぱらった菊千代を連れてきて、やっと晴れて仲間入り。乱暴な言動だが、実は一番の仲間思いで、優しい男。元々百姓出身。村はずれの家が焼かれて、そこから助け出された赤ん坊が泣きわめくのを抱きしめ、「これは……これはオレだ!! オレもこうだったんだ!!」と思いやりを見せたり、平八や五郎兵衛の墓の前で、いつまでも一人しょんぼりと悲しんでいたのも菊千代だった。
 また、戦いの準備中に、百姓たちが落ち武者狩りで実は鎧や刀を大量に保管していたことを見つけ、勘兵衛たちに、こんなに武器があったぜー!! とウッキウキで報告に来るシーンも、かなりの名シーンだと思う。勘兵衛たちは、浪人であり、それは要するに負け戦を体験し、落ち武者となったことがあるわけで、一同は百姓たちが落ち武者狩りをしていたことに対して、強い反感を抱くのだが、「百姓はバケモンだ。だが、そんなバケモンを作ったのはお前ら侍だ!!!」と菊千代が激怒することで、侍たちと百姓のわだかまりを、とりあえず収めるような、何気に重要な役割を果たす。そんな菊千代も、残念ながら、久蔵さんを狙撃した野武士のボスと相打ちになり、侍最後の殉職者に。
 わたし的には、菊千代と言えば、村に野武士が攻めてきたのを見つけ、「野郎~~~~!! 来やがった来やがったァッ!!!  ヒャッハァアァッツ――――!!」と超うれしそうに(ひょっとしたら恐怖を隠すためのハイテンションで)叫ぶシーンが一番好きですね。最高です。演じたのは、もちろん若き三船敏郎氏。最高です。この人、本当にイケメンだと思う。ちなみに、戦いの中盤で、久蔵さんが一人で火縄銃を奪ってきた活躍をまねして一人で行動し、火縄銃を奪ってくる活躍をするのだが、その潜入ミッションの際に、野武士に化けるために野武士から奪った鎧を着用し、それ以降はずっと、下半身はふんどしのみ&ケツ出しスタイルで暴れまくる。死んだときもケツ出しなのがカッコイイというか哀愁を誘うというか、とにかく最高です。マジで。

 というわけで、わたしは『七人の侍』のBlu-rayも持ってるので、実際のところいつでも見られるのだが、やっぱり映画館の大スクリーン&大音響で観るのは格別ですね。4Kリマスターもホントにクリアで見やすかったと思う。
 そしてこの映画でのポイントの一つは音楽ですよ。不安をあおるような重低音だったり、有名なメインテーマだったり、この『七人の侍』という作品は、その映像だけでなく音楽も非常に素晴らしいと思う。なんとなく、不協和音めいた重低音を響かせる音の使い方は、現代のChristoper Nolan作品の、Hans Zimmer氏による音楽を連想させるような気がした。もちろん、オリジナルはこちらですが。
 しかし……やっぱり、黒沢映画は最高ですね。もし、今まで『七人の侍』を劇場で観たことのない人がいたら、マジで今すぐ、「午前十時の映画祭」のチケットを予約すべきだと思う。大丈夫、あなたがいなくても会社は回りますよ。上映時間が3時間を超える作品なので(途中で10分インターミッションアリ)、10時から始まって14時近くまでかかるけど、この映画を見るためなら、ちょっと会社を休んでも劇場へ行く価値はあると思う。今回を逃したら、まあ、当分映画館で観る機会はないと思うし。あと週末は1回しかないので、次の週末にでも、劇場へ是非観に行って欲しいと思う。

 というわけで、もう全然まとまらないけど結論。
 黒澤明監督による『七人の侍』は、誰が何と言おうと超・傑作です。わたしは、黒沢映画を見ていない人間を映画好きとは一切認めません。当たり前でしょ。ありえないっすよ。黒沢全部見てから出直して来な。とわたしは常日頃申しております。最高です。4Kマスター、Blu-ray出たら買うべきかもな……。つかあれか、ちゃんと最新のAVアンプを買って、音響もきっちりそろえるかな。黒沢映画を観るために、なんかまた無駄遣いしたくなってきましたよ。わたしのアンプはもう20年物の、DOLBY SURROUND PRO-LOGIC2が出た頃のやつなんだよな……最新マシンが欲しい…・・・。以上。

↓ 配信で観てもいいですが、今、せっかく劇場で観られるこの機会を逃しては、映画オタは名乗ってはいけないと思います。
七人の侍
三船敏郎
2015-04-22


 

 わたしは25年ぐらい前の学生時代に黒澤明監督作品をすべて観たのだが、その時の話は以前このBlogでも書いたのでもういいとして、わたしが思う黒澤映画のすごいところは、その「現代性」にある。とりわけ、現代劇の場合に顕著なのだが(現代劇といっても、作られた昭和20~30年代当時の現代)、今の平成の世に生きる我々が見ても、全く通用するテーマが描かれている作品が多くて、とにかくその先見性というか普遍性というか、現代社会の問題点を60年70年前にとっくに作品として残しているのだ。要するにそれらの問題点は、今もなお問題であり続けているわけで、結局人間はいつの時代にもかわらねえんだなあ、と、黒澤作品を観るといつも思うのである。なので、なんというかわたしは、黒澤作品を観ると、過去を学ばないで同じことを繰り返す人間の性、のようなものに愕然とし、しょんぼりし、恥ずかしくなるのである。
 で。
 黒澤映画は、もはやどんなに状態のいいフィルムでもひどい映像で、とりわけ音声が潰れてセリフが聞き取れないような状態にあるのだが、近年、デジタル化の技術向上により、かなり画質も音声も良好になった、いわゆる「デジタルリマスター」の製作が進んでおり、だいぶ前にこのBlogでも取り上げた通り、とうとう黒澤作品の本命である東宝作品も、4K技術によりデジタルマスターの作成が進んでいる。
 わたしがこの記事を見て仰天したことは、既にこのBlogでも書いたが、なんと光学録音されたサウンドトラックを、「画像データとして修復」するという目からウロコの荒ワザで、音声の状態もかなり良くなったらしい。そしてその4Kマスターの『七人の侍』と『生きる』が、「午前十時の映画祭」で公開されるというニュースを知ったのが今年の2月のことで、わたしはもう、ずっと今か今かと待っていた。そしてとうとう先週から『生きる』の上映が始まり、わたしも超・楽しみに劇場へ向かったわけである。ちなみに、TOHOシネマズ日本橋では、次の次の作品が『七人の侍』であるので、自分用備忘録としてメモっとこう。10/22~11/4だから忘れんなよ、オレ!!

 というわけで、とうとう、4Kマスターの実力を味わってきたのだが、おそらくは、映写機側も4K対応機でないと意味がないわけで、たぶん、わたしが観たTOHOシネマズ日本橋は、TOHOシネマズとしては新しく建った部類に入るけれど、4K対応映写機かどうか、かなり怪しいような気がした。わたしが使っている4Kテレビは、異様なほどきれいで逆に違和感を感じるくらいにくっきりはっきりだけれど、どうだろうな……ちょっと分からない(※追記:どうやらTOHO日本橋はSONY製4K映写機を導入しているっぽいです)。しかしそれでも、映像も音声もかなりクリアになっている印象だ。でも、これはたぶん、それまでの従来の映像・音声で見たことのある人でないとわからないと思う。初めて見た人なら、これが普通、と思うのではなかろうか。特に音声は、オリジナル(というか古いフィルム)の状態はとにかくセリフが聞き取れないレベルなのに、今回は明確に聞き取れて、これは非常に良いと思った。この分だと、『七人の侍』も相当期待できそうな修復レベルであろうと、今から楽しみだ。
  ところで、もはや『生きる』という作品について、説明はいらない……よね? はっきり言って最高に面白い。しかし、わたしももう10回ぐらい見ている作品なのだが、今回初めて、ああ、『生きる』ってコメディだったんだな、と初めて認識した。実はわたしが観に行ったのが今週の月曜日の朝で、ちょっと仕事をサボって観てきたのだが、客の入りは結構多くて、かなり多くの人々が、この映画を観て笑い声をあげている現場に遭遇したのである。
 ただし、コメディといっても、これは皮肉・風刺・デフォルメが込められた、ブラックコメディである。わたしはもう何度も観ていて物語を知っているし、周りの人々から「アイツは真面目な野郎だ」と称される人間なので、主人公の姿は非常に痛々しく、とても笑う気にはなれないのだが、なるほど、普通の人からするとこういう真面目に生きてきたことだけが全ての男の生きざまは、笑いの対象なんだな、と初めて理解した。何とも悲しいというか残念なお知らせだが、それが普通、なんだろうね、きっと。おまけに、ラスト近くの、左卜全さんの名セリフ「……助役って言えぇッ!!!」で笑いが起きるなんて、わたしはちょっとびっくりしたよ。あそこは、一緒になって怒るところだとわたしは思ってたのに。
  と、ここまで、わたしが何を言っているか分からない人と、自分用の備忘録として物語を少しまとめておこう。以下、完全ネタバレです。これから見ようとする人は自己責任で。そして、どうせ皆さん見やしないだろうから遠慮なく書きまくります。

 『生きる』は1952年、すなわち、ええと、昭和27年になるのかな、もう64年前の作品である。ちなみに、この作品の次に黒沢監督が撮ったのが『七人の侍』で、1954年公開です。
 主人公の渡辺勘治は、とある市役所の「市民課」の課長である。どうやら、お役所行政の世にあって、市民の声の窓口として、「市政に関する皆様の不平・不満・注文・希望、何でも遠慮なくお申し出ください」という意図で設置された部署らしいが、そこの課長として毎日働く渡辺さんの、胃のレントゲン写真が画面に映し出され、淡々としたナレーションからこの作品は始まる。ナレーション曰く、
 「これは、この物語の主人公の、胃袋である――。噴門部に胃がんの兆候が見えるが、本人はまだそれを知らない」そしてそこに、奥さん連中がやってきて、近所の水たまりになっている空き地を何とかしてくれ、臭いし蚊はわくしでたまらん、公園にでもしてほしいのだが、という陳情にやってくる。せっせと書類にハンコを押し続ける渡辺さん。話を聞いた部下が、陳情が来てますけど、というと、顔も上げずに一言「土木課」とだけ答える。そして再びナレーション。
 「これがこの物語の主人公である。しかし、今この男について語るのは退屈なだけだ。なぜなら――彼は時間をつぶしているだけだ。彼には生きた時間がない。つまり彼は生きているとは言えないからである」
 すると突然、市民課の女子が笑い声をあげる。なんだ? とみんなが驚くと、女子は、回ってきたメモを読んで笑ったらしい。メモ曰く「君、一度も休暇を取らないんだってね」「うん」「君がいないと役所が困るってわけか」「いや、僕がいなくても全然困らんということがわかっちゃうと、困るんでね」課内はシーーン、である。そして再びナレーション。
 「ダメだ、これでは話にならない。これでは死骸も同然だ。いや、実際、この男は20年ほど前から、死んでしまったのである。その、以前には、少しは生きていた。少しは仕事をしようとしたことがある」
 ここで、せっせと押していたハンコに、朱肉が詰まったようで、渡辺さんは引き出しを開けて、紙を破りとる。その紙には、昭和5年に提出した、「業務効率化に関する私案」と書かれている。かつての渡辺さんの熱意が分かる一瞬のシーンだ。そして再びナレーション。
 「しかし、今やそういう意欲や情熱は少しもない。そういうものは、役所の煩雑きわまる機構と、それが生み出す無意味な忙しさの中で、まったくすり減らしてしまったのだ。忙しい。まぁったく忙しい。しかしこの男は、本当は何もしていない。この椅子を守ること以外のことは。そしてこの世界では、地位を守るには、何もしないのが一番いいのである。しかし、いったい、これでいいのか? いったいこれでいいのか!? この男が、本気でそう考えだすには、この男の胃がもっと悪くなり、それから、もっと無駄な時間が積み上げられる必要がある……」
 そして場面は、奥さんたちの見事なまでのたらいまわしが映される。
 市民課→土木課→公園課→保健所→衛生課→環境衛生係→予防課→防疫係→虫疫係→再び市役所の下水課→道路課→都市計画部→区画整理課→消防局→再び市役所の児童福祉係→市議会議員→市役所助役→市民課(スタートに戻る)。この一連の、役人連中の無責任さと責任のなすりつけあいは、確かにもう、笑うしかない。
 しかし、奥さん連中にとっては笑えない話であり、市民課に再びやってきた奥さんたちはとうとう、ブチ切れる。「あたしたちはねえ、あんたたちヒマ人と違うんだよ!!! だいいちねえ、あたしたちはあの臭い水たまりを何とかしてくれって言ってるだけじゃないか!!! 市民課でも土木課でも保健所でも消防署でも、そんなことはどうでもいいんだよ!! それを何とかしてくれるのが市民課じゃないのかい!!」 ちなみに、このブチ切れる奥さんは、若き日の菅井きんさんである。
 ここまで、映画が始まって冒頭10分しか経過していない。そしてこの10分で、観客はもう完全に物語に入り込むことができるだろうと思う。見事なオープニングだ。
 そもそも、ナレーションで語られる、主人公の仕事ぶりは、おそらく、この映画を観る社畜リーマンの観客でも、まだ「死んでいない」人からすれば、これはもう完全にウチの会社のアイツだ、と思い当たることだろうし、主人公と同様に「死んでいる」ようなどうしようもないダメリーマンが観れば、もしまだ心が残っているなら、「これはオレだ」とドキッとするだろうし、完全に死骸となったゾンビ・リーマンに成り下がっていれば、他人事として笑えることだろう。スクリーンに映る渡辺さんが自分自身であることに気が付かずに。こういう点が、わたしの言う黒沢映画の「現代性」だ。これって、ほんと、今のサラリーマンが観ても、すぐ自分や自分の周りに置き換えて観ることができるよね。そこがすごいわけです。
 で、物語は、主人公ががんであることを知り、息子に打ち明けようとするも、息子と嫁は、さっさと家を出たい、ついては父さんの退職金も結構あるだろうから、なんて皮算用をしている。そんな話を聞いた主人公は、、自暴自棄になり、飲み屋で知り合った小説家とキャバレーやストリップに行ったりする。そして、冒頭で爆笑していた市民課の女子と町でばったり出会い、市役所を辞めるからハンコをくれ、いや、うちに置いてあるから来る? 行く! という展開になって、その後、その女子と仲良くなっていく。そして、息子に対する愚痴を言う。今までは息子のために頑張ってきた。けど、その息子も全然自分のことなんてどうでもいいと思ってるんだ。
 その時、女子は、もう既に市役所を辞めて、おもちゃ工場で働いているのだが、こんな話をする。
 「うちのお母さんもそんな話を時々するわ。お前のために苦労してきたって。でも、生まれたのは赤ん坊の責任じゃないわよ。息子さんに、そんな(課長が一生懸命働いてきたことに対する)責任はないわよ」
 そういわれた主人公は、意を決して息子夫婦と話をしようとするが、大失敗。とにかく口下手で話ができず、挙句に、最近の放蕩を説教されてしまう。しょんぼりする主人公は、また女子と会い、とうとう打ち明ける。
 「つまりそのう……」
 「つまりなんなのよ!」
 「つまりそのう……わしは君とこうやってると……楽しいから……」
 「老いらくの恋!? だったらお断りよ!」
 「そうじゃ……わしはただ……」
 「ねえ、もっとはっきり言ってよ! そんな雨だれみたいにポツンポツン言わないで」
 「…………わしは、そのう……自分でもわからない。どうして君の後ばかり追い回すのか……ただ、わしに分かっているのは………………きみっ! わしはもうすぐ死ぬんだ!! わしは胃がんだ。君、わかるかい? どんなにじたばたしても、あと、1年か半年で……子供の頃に溺れかけたことがあるが、その時とそっくり同じなんだ。目の前が真っ暗で、もがいでもあばれても、な、何にも捕まえられない……ただ、君だけ……しかし、しかし君を見てると、何か、何かあったかくなる。その……つまり君は、若い、健康で、ただその……つ、つまり、つまり、君はどうしてそんなに活気があるのか、まったくそのう、活気が、それがそのう、わ、わしには、それがうらやましい。わしは死ぬまでに、一日でもいい、そんな風に、生きて死にたい!! それでなければ、と、とても死ねない!! わしは、な、何か、することが、いや、何か、したい。そ、ところが、それが、分からない。ただ君はそれを知ってる。い、いや、しらんかもしれんが、現に君は……教えてくれ! 君のように……」
 「わたし、働いて、食べてるだけよ!!」
 「そ、それだけか!」
 「それだけよ!! ほんとよ!! あたし、ただこんなもの作ってるだけよ!!」
 工場で作っているおもちゃを取り出す女子。
 「こんな物でも、作っていると楽しいわよ。これを作り出してから、日本中の赤んぼと仲良しになったような気がするの……ねえ、課長さんも、なんか作ってみたら?」
 「役所で……いったい……何を……」
 「そうね……あそこじゃ無理ね……あんなとこやめて、どっか……」
 「………もう……遅い……(1分以上の長い間)………いや……遅くない……いや、無理じゃない。あそこでもやればできる。ただ、やる気になれば……!!」
 そして女子と別れて喫茶店を出る主人公。この時、喫茶店では女学生たちが誕生日会をやっていて、盛大に「Happy Birthday」の歌がかかる。まさしく、主人公が新たに生きはじめ、新たな「誕生」を迎えた超・名シーンだ。
 そして、場面は、5か月後、主人公の葬式の場面に移る。そしてお葬式では、どうやら主客と思われる市役所の助役が偉そうなことばかり言っている、そのうち、新聞記者が、「あの公園を作った立役者は渡辺さんですよね」と取材に来たり、冒頭の陳情奥さん軍団もお焼香に現れ、渡辺さんを想って涙を流す。それを見ている市役所の連中と助役。助役はいたたまれなくなって、さっさとバックレ、助役がいなくなると、今度はみんなで助役の悪口を言う。最初は、みんなも役所の各部門の成果だと言ってたのに、一人だけ、心ある課員が、渡辺さんを称える。すると、そういえばこんなことがあったんですよ、と、5カ月にわたる渡辺さんの、ある意味不気味な執念が、回想で描かれる。やくざ者の脅しや、助役の強硬な態度にも、まったく屈しなかった渡辺さん。そりゃあそうだよね。もう、何も怖いもの、失うものがないんだから。そして場の空気は、みんなが、やっぱ渡辺さんスゲエ、というように変わっていく。そして、渡辺さんの手柄を横取りするあいつは許せない、という話になったところで、もうべろべろに酔っ払った市民課課員のおじちゃんが怒鳴るのである。「(アイツじゃなくて、ちゃんと)助役って言えぇ!!」と。そしてみんな、よーし、これからはオレたちも、渡辺さんを見習って、生きた仕事をしようぜ、お―!! 的な空気になって場面は終わる。そしてラストは、一人心ある課員の視点だ。結局、葬儀の場で盛り上がったみんなも、なーーんにも変わらない。残ったのは、この公園と、公園で遊ぶ子供たちの笑顔だけだ……と、物語は終了する。
 このエンディングは、『七人の侍』とよく似ているとわたしは思う。『七人の侍』のラストは、無事に野武士団を撃退した村の百姓たちが、歓喜の下に田植えをしているシーンで終わる。その百姓たちを見て、激闘を生き残った七人の侍のリーダー、勘兵衛はつぶやく(言うまでもなく、勘兵衛を演じたのは、『生きる』で主人公・渡辺勘治を演じた志村 喬氏。最高です)。「勝ったのは、わしらじゃあない。百姓どもだ……」命をかけて戦い、散って行った侍たちは顧みられることなく、後に残るのは村と村人のみ。そして生き残った侍はクールに去る――。こういった、人間のエゴ(?)を黒澤監督は生涯テーマとして描いていたとわたしは思っているが、別にほめられたいから、誰か人のために、人は行動するのではなく、あくまで人は自分自身のために、自分の「納得」を求めて生きる。『生きる』の渡辺さんも、実のことろ、陳情奥さん軍団のために公園を作ったのでは決してなくて、あくまで、自分自身が「生きている」実感を得るため、なんだよね。わたしは黒澤映画を観ると、いつもそんなことを思うわけであります。黒澤映画は最高です。

 はーーー長すぎた。もう好きすぎてカットできなかったわ……そして台詞を書き出すために、わたしが持ってるBlu-rayを見ながら書いたので、映画館に行った日からかなり時間がたってしまった……やれやれ。
 どうですか。このクソ長い文章を最後まで読んでくれた人はほとんどこの世にはいないと思うけれど、面白そうでしょ? つーか完全ネタバレですが。
 
 というわけで、結論。
 黒澤明監督による『生きる』は、誰が何と言おうと超・名作です。4Kマスターは、やっぱり私の持ってるBlu-rayと比較してもかなりクリアな映像と音声ですね。4Kマスター版のDiskが発売になったら、買ってもいいかも。そして、黒沢映画を見ていない人は、わたしは一切、映画好きとは認めません。絶対に。そこは譲れませんな。映画好きと名乗りたいなら、黒澤を全部見てから出直して来な、とわたしは周りの連中によく言ってます。最高です。以上。 

↓ ほほう、今は配信でも見られるんですな。わたしとしては『七人の侍』の4Kリマスターも超楽しみっす!!
生きる
志村喬
2015-04-22
 

 というわけで、結構あっさり黒部ダムに到着することができた。これなら、ふと思い立ったときにまた来れるなと思い、今日はさっさと撤収。だいたい1時間ぐらいしかいなかったが、面白かった。
 本当は、わたしがずっと行ってみたいと思っている「日電歩道」から「水平歩道」を歩いて、欅平まで歩いてみたいのだが、今日はあまりに突然思い立ったのでおとなしくやめておいた。まあ、とりあえず黒部までの道のりは良くわかったので、また機会があれば日電歩道~水平歩道の旅も挑戦してみようと思う。どんなところかは、このNaverまとめでも見といて下さい。ここ、すごくね? 超行ってみたいわ。
 
 わたしは、どうも旅に出ても写真を撮る習慣がないので、今回もろくな写真がない。テンションが上がってて、撮影し忘れることが多く、ちょっとあとで残念に思うことしきりである。 
 ↓ これは、トロリーバスのチケット。往復で2,750円ナリ。これは……高……ええい、このトンネルを掘削した苦労を考えれば安いと思う事にしよう。 わたしはこのトンネルをチャリで爆走したかったが、当然NG。トロリーバス専用道である。
bus_ticket
 トンネル内部がどんなかと言うと、↓ こんな感じ。バスの幅目いっぱい。途中で、すれ違いのための待機所があるので、一時停止する。写真は出発したばかりのポイントで明るいけど、進んでいくとトンネル内は真っ暗に。幅も、あまり余裕なし。
kurobe_Busnaka
 で、↓これがダムの壁の上。真ん中へんにある展望台が分かるかな? ちなみに、かの有名な「黒部ダムカレー」は、右下のレストハウスと、扇沢のバスターミナルと、さらに扇沢から車で5分ほどのところにある「くろよんロイヤルホテル」で食べられるらしいが、華麗にスルー。興味なし。
kurobe_damue
 ↓ これは、壁の上から、黒部湖側と放水側をそれぞれ撮ったもの。
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 黒部ダムと立山を結ぶ、いわゆる「立山黒部アルペンルート」は、まずこのダムの壁の反対側にケーブルカーの駅があって、そのケーブルカーでまた山をくりぬいたトンネルを通過し、「黒部平」に行く。次に、そこから「立山ロープウェイ」で「大観峰」に行き、
立山連峰をくりぬいたトンネルを通る「立山トンネルトロリーバス」で「室堂」へ。そこからは高原バスで「美女平」まで下って、最後は「立山ケーブルカー」で立山に降りるというルートだ。ちなみに、毎年ゴールデンウィークあたりにニュースでよく取り上げられる「雪の大谷」は、室堂からの高原バスで通る道の頂上付近にある。あれも一度行ってみたいものだ。なお、「日電歩道」をずっと歩くと、宇奈月温泉から出ている「トロッコ列車」の終着地である欅平に着く。それも行ってみたいのう……。
 ところで、今、興味本位で調べてみたのだが、黒部ダムまでを公共交通機関で行くとどのくらいの時間と料金がかかるのかを調べてみた。まず、東京駅から信濃大町までだが、長野まで新幹線を使う最速ルートで検索してみると、3時間34分、10,210円で行けるようだ。信濃大町から扇沢までは、タクシーなら27分、5,680円ほどらしいし、路線バスでも40分、1,360円ほどだそうだ。車で行くと、どうしてもスタート地点の車を置いた場所まで戻らなくてはいけないので、立山黒部アルペンルートや、あるいは日電歩道もワンウェイで行くとなるとどうしても公共交通機関を使わざるを得ないので、いつか行くときのための備忘録として、自分用にメモっておいた。まあ、扇沢から立山や宇奈月まで、車の回送サービスをやっている会社があるようだが、きっとヘトヘトだろうから、楽に帰るには車で行くなってことだろう。アルペンルートについては、このページにまとまってるのでどうぞ
 ちなみに、↓ これが扇沢のトロリーバスの駅。 kurobe_ohgisawa
 うーん、ガラガラ……。

 なんか、他にめぼしい写真がないので、今日はここまで。
 四季演劇資料館と大王わさび農場についてはまた明日。サーセン。

 ↓ちゃんと予習していくべきだったかもな……と若干悔やまれる……ま、また行けばいいや。

 

 昨日の朝、このBlogのアクセスログを眺めていたら、どういうわけか圧倒的に劇団四季で検索してきた人が多いことが分かった。あ、そうなんだ。とまあ、ふーんと思ったのだが、劇団四季を調べてみたら、なにやら長野の大町市というところに、「四季演劇資料館」なるものがあることを知った。へえ。なるほど、倉庫にもなってるわけか。へえ。すごいなーと、漠然と思ったのだが、具体的なロケーションを調べてみると、どうやら黒部ダムへの玄関口で知られる扇沢というところから、車ですぐらしいことが分かった。

 ほほう……じゃ、行ってみっか。

 というわけで、今日、日曜日を利用して、ちょっと車を飛ばして行って来た。

 とりあえず、黒部ダムも行ったことないし、目的地としては、黒部ダム、四季演劇資料館、そしてついでに安曇野に行くなら、ずっと行ってみたかった「大王わさび農場」も行ってみよう。

 ということを3分ぐらいで決め、まずはナビのセットだ。わたしの車のナビは、Webで目的地をセットすると車側で連動してくれるので、PCで目的地を設定した。まずは、「扇沢トロリーバス乗り場」にセット。どうやらうちから300Km弱。標準タイムは4時間半程度らしい。中央道をぶっ飛ばして諏訪湖の先で長野道へ入り、安曇野インターを降りて1時間チョイってとこか。なら、うーん、うちをAM5時に出れば、黒部ダムを見物しても余裕で午前中で片がつくぞ、と。それから四季演劇資料館に寄り、大王わさび農場は安曇野インターからすぐだから、帰りに寄ればいいと。昼飯もそこで行けるかな。で、昼飯食ったらさっさと帰れば、夕方前には帰ってこられるな、なんてテキトーなプランを立てた。ちなみに、なぜ大王わさび農場に行ってみたかったかというと、映画オタクならピンと来ると思うが、ここは、かの黒澤明監督の『夢 DREAMS』の最終話、「水車のある村」のロケ地なのだ。エンドクレジットで映されるあの清流と水草が印象的なあそこが、実は大王わさび農園なのである。まあ、有名なのかな。かなり観光地化されていてわたしとしてはあまり近づきたくない場所だが、ずっと憧れの風景だったので、近くを通るなら絶対に行かないとダメだろ、と内なる声が聞こえてきたので、行くことにした。 
 
 往復で600Kmほどなので、満タンで、かつ高速での燃費のいい移動行程ならば、おそらく行って帰ってくるまでガソリンはもちそうだ。てことは、ガソリン入れてこよう、など、ばたばたと準備をし、あとは天気が良ければ言うことなし、天気が悪くても……まあそうなったら人出も減るから良しとするか、というわけで、あっさり準備は完了。あとは、朝ちゃんと起きられるかだな、と思ったが、わたしは、もう老人クラスに朝型なのでいつもよりちょっと早いぐらいだから大丈夫であろう、と22時にはさっさと寝た。

 で。今日はAM4時に起き、パンを焼いて食い、熱いコーヒーを飲んであっさり30分ほどで準備完了。AM4:45には家を出た。うちから首都高に乗って、高井戸から中央道に入り、そのまま真っ直ぐぶっ飛ばすだけ。大月を過ぎ、甲府を過ぎ、八ヶ岳SAでちょっと休憩。今のところまったく渋滞ナシ。そしてこの先も渋滞はない模様。渋滞は誰しも嫌いだと思うが、このぐらいの時間に出れば、まあ、たいてい渋滞には出会わないで済む。順調順調。その後、そのまま中央道を突っ走り、諏訪湖を過ぎ、長野道に入り、安曇野ICで高速を降りた。そこからは一般道で、結構距離はあるのだが、まったく道に迷うことなく、AM8時チョイ過ぎぐらいには、ほとんど人のいない「扇沢」に着いた。駐車場もガラ空き。ふいー。やれやれ。
 途中、相模湖のあたりですっごい激雨で、こりゃあかんと思ったが、扇沢は曇りではあったが雨は降っておらず、涼しく快適でありました。
 扇沢から黒部ダムに行くには、「トロリーバス」というのに乗る。ええと、どういうのかというと、電車のようにパンタグラフがついていて、そこから電力供給を受けてモーターで走る、要するに電気自動車だ。山をくりぬいたトンネルが通っていて、そこを通る専用車両がトローリーバスである。乗客は20人とかそんなもんだったかな、ガラガラで快適でした。たぶん、あと2週間もすれば、紅葉でものすごく人であふれるんだと思う。あと、これは帰りに分かったことだが、どうやらやっぱり時間が早かったことが良かった様で、わたしが帰るときの扇沢の駐車場は満杯だった。早起きは三文の得なり。

 で。トロリーバスは30分間隔で運行されていて、08:30発に乗る。乗車時間は16分だそうだ。意外と早いというか近い。が、しかし、このトンネルを作った苦労はすさまじいものだったことは、かの『黒部の太陽』を観ればわかる。石原裕次郎と三船敏郎が共演したあのすごい映画の舞台へこれから行くんだと思うと、どんどんテンションがあがってくる。
 そしてトロリーバスは「黒部ダム」駅に到着。そこから、なんでも220段の階段を登ると展望台に行けるし、60段の階段を下りると、ダムのあの壁の上に行けるという案内があったので、迷うことなく220段を駆け上がる。そして、展望台に上がると、黒部ダムの全貌が目の前に現れた。
 ↓ こんな感じ。
Kurobe_DAM
 いやー。はるばる来た甲斐があった。すげえすげえすげえ!!!
 で、この写真に写っている、ダムの壁の上にも当然行きました。階段をまたかなり下りなきゃいけないんだけど、まったく苦にならない。

 というわけで、今日はここまで。
 四季演劇資料館と、大王わさび農場はまた明日書きます。サーセン。

 ↓ いやー、やっぱりこいつはもう一度見ようかな。たしか録画したのがあったはず。
黒部の太陽 [通常版] [Blu-ray]
三船敏郎
ポニーキャニオン
2013-03-20

 ↓ そういやこれもあったね。
プロジェクトX 挑戦者たち 厳冬 黒四ダムに挑む ~断崖絶壁の輸送作戦~ [DVD]
国井雅比古、久保純子、膳場貴子 ほか
NHKエンタープライズ
2011-01-21

 

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