というわけで年末である。
 大掃除、というものは、普段からせっせときれいにしていれば、とりわけ必要がないわけで、わたしも別に部屋の大掃除はしないが、それよりも……と、HDDにたまっている、WOWOWで録画したはいいけれど観てねえ、というたまった映画を大掃除する必要があった。
 ので、昨日の夜からせっせと観始めているわけである。まず一発目として、じゃ、観てみようと再生ボタンを押してみたのが、日本映画の『人生の約束』という作品だ。公開されたのは今年2016年の1月。ちょうど1年ほど前ということになるが、散々劇場で予告は観ていたものの、正直どんな映画なのか、まるで予備知識はなく、予告で観た竹野内豊氏のカッコよさと、江口洋介氏が相当怒っている表情が印象的だったので、観てみようと思った次第である。どうも、原作小説などは存在しない、オリジナル脚本のようですな。そして観終った今、結論から言うと、役者陣の熱演は素晴らしいし泣けるお話であある。しかし、どうも演出や、やっぱり脚本かなあ、とにかく、ポイントポイントで、若干残念というか、もっと面白くできたんじゃねえかなあ、と生意気な上から目線の感想を抱くに至ったのであった。

 予告はいくつかのVerがあるようで、わたしが去年の今頃劇場で散々見た予告は別のものだったように思うが、上記の予告は、比較的物語を伝えてくれていてわかりやすい。まあ、だいたい上記予告のような物語である。ただし、少しだけ補足しておいた方が良かろうと思うので、ちょっと大まかな流れを説明しておこう。
 竹野内豊氏演じる主人公は、新興IT企業で、上場もしている大きな会社のCEO。現在大きなM&Aの最中であり、完全なワンマン社長で、200億でまとまりそうなバリュエーションも、180億まで叩け、と取締役たちや経営企画の若造どもといった、取り巻きのイエスマンたちに指示している。そのやり口は強引であり、一人異論をはさむ若者(演じたのはシンケンレッドこと松坂桃李くん)に対しては、あいつはクビにしろ、とイエスマンどもに命じるような男だ。
 そんなCEOのもとに、数日前からとある男から電話が何度もかかってきている。が、取らないで放置していたところ、あまりに何度もかかってくるので、ええい、なんだよもう!と取ってみたところ、無言電話。何なんだよ、と思うも、その相手は、かつて主人公とともにこの会社を起業した親友であり、経営方針をめぐって解任した男(当時の副社長)で、もう3年会っていないし消息も知らない男であった。そんな男の携帯からの着信、そして無言電話。そのやり取りを見守っていた有能な秘書(演じたのは優香ちゃん。相変わらずかわいい)は、何かあったのでは、一度お会いした方が良いのでは、確か故郷に帰られてるはず、と具申し、CEOもやけに気になるので、秘書を伴い、親友の故郷である富山県氷見市へ向かう。そこでは、まさにその親友の葬儀が行われていて――てなお話である。
 そして親友が大切にしていた地元の祭りで象徴として町中が大切にしていた山車が隣町に譲渡されてしまったことや、祭りを通じて「繋がる」ことの意味を知ってゆく主人公、さらには、東京では自分の会社が金融商品取引法違反(どうやら粉飾決算)で東京地検特捜部の強制捜査が入り、自らも任意出頭を求められるなど会社として超マズい状況にも陥り、すべてを失ったことで主人公は、亡くした親友の存在がかけがえのないものだったことを知ってゆくのだった――という展開である。
 わたしも経営企画として会社の経営に携わり、M&Aも数多く経験しているので、冒頭のあたりは思い当たる光景が続き、ああ、懐かしいと非常に身に染みて思った。ま、会社のTOPだけしか見ていない取り巻きのイエスマンなんてのはきっとどの会社にもいるんだろうし、わたしだって、そりゃあ積極的にイエスマンになった覚えはないけれど、結果的には、心の中でそりゃあ違うんじゃねえすか、と思っても明確に反対意見を表明するようなこともせず、へいへい、そうっすか、と従ってきた身としては、この映画で戯画化されているイエスマンどもと本質的な違いはなかろうし、明確に反対意見を述べる松坂桃李くんのキャラは、現実的にはこんな奴ほぼいないとは思っても、やっぱりとてもまぶしく見えた。そして会社側の人間であった身としては、CEOの気持ちもわからないでもない。はっきり言えば、多かれ少なかれ、会社のTOPはこの主人公に通じるものがあると思う。このあたりは、たぶん普通の人には全く伝わらないことだろうし、普通の人が観たら冒頭の主人公は単なるイヤな野郎にしか見えないと思う。
 というわけで、わたしはかなり主人公よりの視点でこの映画を観ていたわけだが、どうしてもここは……と思う点がいくつかあった。
 ◆やけに素直でイイ奴な主人公
 おそらくはまだ若いからかもしれないが、主人公はやけに素直でイイ奴だ。きっちり自分の非を認めるし、自分が起業した会社を手放すことになっても素直に応じる。それはそれで美しいし、泣かせるポイントでもあるけれど、まあ、現実はこうはいかねえだろうな、とわたしは冷ややかに思った。加えて言うと、IT企業のTOPたる男が、親友の正確な所在地を知らぬまま、取り敢えず故郷の町へ行ってみようと行動するのも若干違和感がある。親友の葬儀に偶然行き着いたわけで、あれは変というか、ばっちり調べてから行くか、秘書が知ってた、という流れであるべきだったと思う。空振りだったらどうするつもりだったんだろう。
 ◆ポイントとなる親友と、その残された娘
 この亡くなった親友は、逆光での影と声しか登場しない。キャストクレジットにも、誰が演じたか公開されていない(声は上川隆也氏っぽかったけれど、どうだろう?)。故にどうも実在感がない。おそらくこの親友とのやり取りがリアルであれば、主人公の改心にも説得力が増したはずだが、そこが若干薄いのが残念に思った。この親友を一切見せなかった演出は、結果論としてはかなり微妙だと思う。もちろんあからさまに登場させても全く別の感想になった可能性が高いわけで、どっちが良かったのかは正直分からないけれど……。また、カギとなる親友の娘も、どうしてもよく分からない。彼女は、亡くなった親友(彼女にとっては父)のことを、「あの人」と呼び、若干心の距離があるようなのだが、その点についてほぼ説明がない。彼女にとっての父がどういう存在だったのか、その点も非常にドラマとして重要だと思うのだが……そして父のことを嫌っていた的に描かれているのに、妙に主人公になついていく様子も正直よく分からない。もっと言えば、主人公がこの親友の娘の存在を知らなかったという点も、どういうことなのか分からない。ただし、娘を演じた高橋ひかるちゃんはウルトラ可愛くて、とても魅力的だった。超可憐です。名前を憶えておきたいと思った。
 ◆カット割りや演出面
 正直イマイチ、だと思う。間がわざとらしいというか……たとえば、主人公が東京の豪華マンションで携帯を机に置く。そして数秒そのままのカット。わたしはきっとこの携帯が鳴るんだろうな、と思うと、その通り携帯が鳴り、主人公はそれを取る、みたいに、意図が分かるというか先が読めるような場面が多いし、場面のつなぎもテンポが悪い。それに……ラストシーンの中途半端感が半端ないように思う。どうも余韻というか、え、ここで終わり感もあったように感じる。わたしはまたエンドクレジットでなにがしかのその後の物語を示唆する映像があるのかと思った。あそこで終わらすならもうちょっと別のラストショットがあっても良かったような気がしてならない。

 というわけで、脚本や演出面でわたしとしては若干残念に思う所があったものの、一つ一つのセリフや役者陣の熱演は素晴らしく、その点ではとても美しくて良かったと思う。胸にグッとくる名セリフはいっぱいあったなあ。上記に貼り付けた予告にも、それらのグッとくる台詞は収録されていますね。
  つっぱしるだけじゃなく、立ち止まってしか見られない風景もある。
 人生の踊り場。過去も未来も見渡せる年齢。
 失くしてから気付くことばっかりだよ、人生は。 
 全くその通りなんだろうな、と、まさしく主人公たちと同年代のわたしには心に響く。まあ、わたしは主人公たちよりちょっとだけ上なのかな。もう人生の踊り場を過ぎて、先に登ってしまったわけで、後はもう登りきるだけ、なのかもしれない。キャスト陣も、良かったすねえ。町会長の西田敏行氏、親友の奥さんの兄の江口洋介氏、イヤーな隣町の町会長を演じた柄本明氏、など、皆さん芸達者でグッとくる演技を見せてくれます。その点では非常に上質で素晴らしかったと思います。

 というわけで、結論。
 『人生の約束』という映画は、美しく泣ける話、ではあるものの、演出や脚本には若干残念なところもある微妙作、というのがわたしの総合判定である。ただし役者陣の熱演は素晴らしく、見ごたえは十分であろう。興行的には10億に届いていないので、最終的には赤字かなあ。だとしたら大変残念だ。オリジナル作品が売れてくれないと、ホントに邦画の未来は暗いとしか言いようがないのだが……今に邦画はコミック原作とアニメしかなくなっちゃうぜ。なんか、とても残念です。以上。

↓ もうとっくに配信もされてるし、いつでも観られます。
人生の約束
竹野内 豊
2016-07-06