角田光代先生といえば、2014年に映画化された『紙の月』をはじめ、数多くの著作で有名な日本屈指の小説家の一人である。その活躍は、直木賞などのさまざまな賞を受賞している小説に留まらず、エッセイも多数刊行されているし、絵本の翻訳などもあり、非常に精力的な作家として、ファンも多い大先生なので、もはや説明の必要はなかろう。
 しかし残念ながらわたしは、それほど多くを読んでいるわけではないので、ファンを名乗るもの恥ずかしいぐらいだが 、先日久しぶりに角田先生の著作を買って読んでみた。タイトルは『坂の途中の家』。これがまた非常にわたしには難解で、どう理解したらよいものか、読み終わった今でも全くわからない、非常に重いお話であった。
坂の途中の家
角田光代
朝日新聞出版
2016-01-07

 誤解のないように説明しておくが、わたしが「難解」だというのは、文章的な難しさとか、物語の複雑さとか、そういうものでは全くない。単純に、主人公の内面や考えが、どうしてもわからないというものだ。要するに、主人公という人間が良く分からないのである。
 それは端的に言うと、わたしが男であるからであり、また、わたしが子育てをしたことがないし、結婚すらしていないからであろうと思われる。
 どういうお話か、簡単にまとめてみよう。
 主人公、山咲里沙子は、33歳主婦。4年前に結婚して仕事を辞め、今年4歳になる娘を育児中である。夫は2歳年上。晴れやかないい男で、全く不満はなく、夫の両親とはうまくやっている。ただし、自分の親とは折り合いが良くない。そんな彼女が、ある日裁判員に選ばれる。娘は一番手のかかる時期であり、全く気が進まないが選ばれてしまったのだから仕方がなく、娘を夫の実家に預け、毎日霞ヶ関に通うことになる。担当する事件は、里沙子と同年代の女性の起こした、生後8ヶ月の娘の殺人容疑。裁判の焦点は、殺意があったのかどうか、犯行時の精神状態は責任能力を問えるのか、というものになる。そして、さまざまな証人たちの証言を聞くうちに、里沙子の精神は容疑者の心理に重なっていき、容疑者と自分を重ねるようになって……というお話である。
 検察側は、当然殺人での起訴であり、殺意があった、責任能力アリ、という主張を裏付ける証言を集めてくる。曰く、容疑者は派手好きで夫の稼ぎにも文句を言っていた、理想と離れていく現実に、娘さえいなければ、と思うようになっていた、と。
 一方弁護側は、容疑者は精神的に追い詰められており、その原因は夫や夫の母の言動に問題があった、犯行に殺意はなく、一時的な精神失調であり、自分が何をしているか分からない状態にあった、という証言を集める。
 そういった、相反する証言を聞くうちに、里沙子はどんどん容疑者の境遇に自分を重ねていく。 
 というわけで、わたしには全くどちらが正しいのか、さっぱり分からない。言わばこれは、芥川龍之介の『藪の中』に近いお話だ。どちらが正しいのか、残念ながら分かりようがない。
 しかしこの物語は、事件の審判を下すことにはあまり意味がない。誰の言い分が真実か、誰が嘘をついているのか、というようなミステリーでは全くない。なぜなら、証言をする誰もが、「自分は間違っていないと信じていること」を語っているに過ぎないからだ。
 この物語の最大のポイントは、裁判員として緊張を強いられる状況で公判を聞いている里沙子の精神的な混乱にある。もちろん、混乱するのは良く分かる。誰でもそうなるだろうと思う……のだが、里沙子が物語の最後で下す判断が、それって、本当か? 本当にそういうことなのか? という点が、わたしにはさっぱり理解できないのだ。ついでに言うと、里沙子の最終的な行動も、あんた、本当にそれで良かったったのか? と、わたしには全く理解できない。そういう点で、わたしには非常に難解な物語だった。

 以下、完璧ネタバレなのですが、ちょっと書かずにはいられないのでお許しを。
 里沙子は、公判が進むにつれ、今までの自分の夫や夫の母の言動の底にあるものの正体に気づく。理沙子はそれを、「悪意」だと結論付けた。すべて、自分を攻撃する悪意ある言動だったのだ、と理解する。そして容疑者も、まさしくその「悪意」に攻撃され続けてきたのだと気づく。
 しかし、それって本当にそうなのか? 今でもわたしは良くわからない。本当だとしたら、わたしもきっと、その無意識の「悪意」を人にぶつけてきたのだということを、自覚せざるをえない。でも、でも本当に、そうなのか??
 さらに里沙子は、それはきっと誰にも理解されない、本人以外に分かることではないものだと結論付け、審理に参加しないで、傍観するだけで当たり障りのない、空気を読んだ意見を述べて裁判員の役割を終える。
 本当にそれで、良かったのか?? わたしは、この事件の後に、里沙子は夫とどう暮らすのだろうと心配でならないというか、離婚を決意するのかとさえ思ったのだが、物語は、判決が下り、仲良くなった別の裁判員の女性とぱーっと飲みに行こう! というところで、あっさり終わってしまう。 
 もう、わたしにはさっぱり分からない。
 時間が経てば、あの時のわたしはホントどうかしてたわ、で済む話なのか? それとも、ある種の悟りに近いものを得たということなのか? 非常に難解というか、もう全然分からない。
 なので、これは女性に読んでもらって、意見を聞いてみたい。
 実はわたしも、読んでいて、里沙子の結論である「夫や周りの人の悪意」については、確かにそうなんだろうな、と納得しつつあった。しかし、どうにもエンディングが分からん。結局里沙子は何も成長しなかったのか? それとも、その悪意を理解し、今後の人生も悪意に甘んじる決意をしたということなのか? ……だめだ。さっぱりわからん。

 というわけで、釈然としないまま結論。
 『坂の途中の家』という小説を読んで、わたしがあらためて学んだことがあるとすれば、ただひとつ。それは、自分の言動には気をつけ、常に、自分の常識だけではなくて、相手を思いやることを忘れないようにしよう。ということです。でもまあ、それが難しいわけですが……。以上。

↓ わたし的には、映画版も良かったけど、NHK版の方が良かったかも。だって知世ちゃんだもの。
紙の月 [DVD]
原田知世
NHKエンタープライズ
2014-10-24

紙の月 Blu-ray スタンダード・エディション
宮沢りえ
ポニーキャニオン
2015-05-20