というわけで、すぐ観たかったのに、時間が合わなくて先延ばしになっていた『殿、利息でござる!』を観てきた。いきなりだが、やはり、真っ先に思うのは、タイトルのセンスの良さである。2年前の映画、『超高速!参勤交代』のレビューを書いた時にも触れたが、タイトルだけで、「ん?」と思わせるのは映画を商業作品として考えた場合、非常に有効なことだ。
 いまだに、映画業界人の中には、「映画は公開してみないと(ヒットするかどうか)分からない」と寝言をほざく古き人々がいるが、わたしは、断じてそれは許しがたいと思っている。
 少なくとも、関係者は、「いや、この映画は絶対売れるっす!!!」と、根拠がなくたって構わないので断言すべきだし、そのためのあらゆる努力をすべきだ。公開する前から「分からない」というのは、100%言い訳というか、予防線を張っているだけのChicken Shit以外の何者でもない――と、わたしは偉そうに考えている。違うかな?
 で。既に『殿、利息でござる!』は公開されてもう2週間以上が過ぎており、興行収入もちょっと見えてきた。わたしのあまり当てにならない計算では、おそらくは、最終的に15億に届くかどうかまでは行くものと予想している。公開土日の数字は、最終的に15.5億を稼いだ『超高速!参勤交代』より若干少なかったと記憶しているが、その後のランキングの推移を観ると、どうも同等か、チョイ下か、ぐらいだからそう予想するわけだが、ズバリ、観てきた今現在、わたしとしては『参勤交代』よりも『利息でござる』の方が面白かったので、わたしの予想が外れてもっと売れてくれればいいなー、と思っている。なお、15億稼ぐと仮定すると、これは十分な大ヒットと言っていい数字であろうと思う。製作費や宣伝費などはまったくデータがないので、想像するしかないが、15億稼げば、余裕で黒字であろう。劇場公開といういわゆる1次スクリーンだけで黒字というのは、素晴らしいことだ。あ、いや、どうかな、時代劇は金がかかるからな……余裕で黒字かどうかはあまり自信はないです、はい。
 ちなみに、わたしが観たのはおとといのファーストデーの夕方の日本橋TOHOシネマズだが、もう公開2週間以上経過しているにもかかわらず、結構なお客さんの入りであった。スーツ姿のおっさん&お姉さんの二人組がやけに目に付いたし、どういうわけか一人客のお姉さんも結構いたのがちょっと意外だった。もっとおじいちゃん・おばあちゃん主体かなと思ってたのに、へえ~、である。 
 ※2016/06/20追記:7週時点でまだ12億程度のようで、ちょっと15億は難しそうな情勢です……残念だなあ……

 物語については、大体上記予告の通りと言っていいと思う。おまけに言うと、予告の最後にある通り、実話だそうだ。ただ、この予告では描かれていない重要なポイントが二つある。というか、わたしはこの予告を観て、二つ、ええと、どういうことだろう? と疑問に思ったことがあった。
 1)お上に金を貸す……ってなんで? お上は金に困ってるの?
 2)貸す原資はどうやって調達するんだろ? 予告では「家財道具を売り飛ばし」的な流れのようだけど、それで足りるのか? 貧しいんだろ?
 という点だ。なのでわたしは、その点に大変興味があって観に行ったのだが、共に本編内できっちり説明さていて、それでいて、とんでもない無茶な設定でもなく、実にグッと来る、いいお話であったのである。わたしは、結構感動した。以下、もうネタバレ全開ですので、自己責任で読むなり去るなりしてください。

 まず、第1のポイントは、結論から言うとお上は金に困っていた。
 舞台となるのは、仙台藩で、時代としては1766年から7年(8年か?)ぐらいにわたる、意外と時間軸的に長期のお話であった。なので、この物語で言う「お上」とは、伊達家のことである。時の藩主は、仙台藩伊達家7代当主の伊達重村である。昨日、ちょっとWikiで調べてみたところ、重村は1742年生まれ。なので物語の始まる1766年時点で24歳ってことか(ちなみに家督を継いだのは1756年・15歳の時らしい)。わたしは全く予備知識がなかったので、「お上」=江戸幕府のことかと思ってたが、全然違ってました。
 そして今回、その重村を演じたのが、ゴールドメダリストとしてお馴染みの羽生弓弦くん。彼は今、えーっと、21歳、なのかな? なので、重村より若干若いけれど、十分許容範囲内というか、全然問題ナシだし、実際、芝居振りも、意外と言ったら大変失礼だけど、全然違和感なくお見事であった。仙台出身だしね。なので、このキャスティングをひらめき、そして実現させたプロデューサーはもう、素晴らしい仕事を成し遂げたと褒め称えられるべきだとわたしは思う。お見事だ。
 で、なんで金に困っているか。仙台藩といえば、一般常識的には大きな名門で、金に困ってるとはあまり思えないのだが、どうも、残念ながら、7代の重村は15歳で当主の座に着いたからなのかわからないけど、Wikiによれば「失政」をやらかし、おまけに天明の大飢饉も重なって、財政的に大変ピンチに陥ったそうである。ただ、天明の大飢饉は、1782年~1788年ぐらいらしいので、今回の物語よりも後の話だから、まあ、それはあまり関係がないかもしれない。よくわからんけれど。
 なので、今回のお話の段階で、仙台藩が金に困っていた状況というのは、「若き重村が官位を賜るために京の有力者たちへの工作資金が必要だった」と映画では説明されていた。しかも官位が欲しい理由は、なにかと張り合っていた薩摩藩島津家に負けないため、だったらしい。そういう背景があったんだなあ、というのは、わたしはまったく知らない話だったので、へえ~、と面白く感じた。ははあ、なるほど、である。恐らくその点は史実通りなんだろうと思うが、まあ、はっきり言って庶民からすれば大変迷惑な話ですな。

 で。第2のポイント、一体全体、つましい暮らしをしている庶民がどうやって金を集めたか、である。ズバリ言うとこの点がこの映画の根本的なお話で、その金集めに苦労する顛末を描いたお話であると言っていいと思う。結論から言うと、とある人物がせっせと貯めていた金が決め手になるわけで、その、何故せっせと金を貯めていたのか、が実に泣けるというか、グッと来るのだ。
 物語は、京での商いから帰ってきた村の切れ者の男・篤平治が、藩から押し付けられている「伝馬」という仕事で財政的に疲弊している自分が住む村の窮状に、「そうだ、藩に金貸して、逆に利息をもらって、その利息で伝馬を運営すればいいんじゃね?」とひらめくところから始まる。そして、その貸す金集めが始まるのだが、当然、みんなそんなに金を持っているわけがない。おまけに、ここが一つのポイントで、実に分かりにくいのだが、正確に言うと、藩に「金を貸す」のではない。「金を上納する」のだ。つまり、出した金は「帰ってこない」のである。これはとても分かりにくいとわたしは感じた。返ってくる金なら出してもいいけど、返ってこないんでしょ? というわけで、なかなか金を出してもいいという人は集まらないのである。そりゃそうだよね。
 たぶん、この構造は、現代的に言うと、出資であろう。出資金は、はっきり言って普通は帰ってこない。そのかわり、出資者(もっと分かりやすく言うと株主と言ってもいいかも)は、「配当」をもらうわけだ。この映画では、その配当を、村のために使おう、という構造なんだろうと思う。どうだろう、ちょっと自信がないな。わたしの理解は正しいのかな? なので、この映画は、実際のところ、金を貸して、利息をもらう、というものではなくて、出資してリターン(配当)をもらう、という方が正しいように思った。まあ、上場株であれば、出資(=株を買う)しても、いつでも時価で売って現金化できるけれど、まあ、非上場の小さい会社なんかの場合は、出資した金はめったなことでは返ってこないのが普通なので(いや、もちろん株を買い取れと請求すればいいんだけど)、そういう行動と今回の映画は似ていると思う。
 というわけで、ちょっと話は脱線してしまったが、要するに金を出しても自分に返ってこないわけで、そりゃあなかなか金が集まらない。そこで、今回の物語で最大の鍵となるのが、「無私の心」という思想である。コレが非常にグッと来るわけです。物語は、なかなか金が集まらない中、村のみんなからは、「あいつはケチでがめつい守銭奴野郎だ」と言われていた男が、自らの身代をつぶしてでも金を出そうと申し出ることで、道が開ける。そして、何故、今まで、ケチでがめつく金を貯めていたかが明かされる。このエピソードがいいんすよ、とても。しかも、その男を演じた妻夫木聡くんの演技がまた抜群にいいんだな。これはぜひ、劇場で味わっていただきたいと思う。
 どうやらその「無私の心」というものは、パンフレットによると関一楽という人の書いた儒学の書物「冥加訓」にベースがあるらしいのだが、要するに、「善を行えば天道にかなって冥加(=神仏の助け・加護)があり、悪を行えば天に見放されて罰が与えられる」という思想らしい。これって、本当に、心に留めておきたいことだとわたしは激しく感動した。それと、金を出し合うメンバーはみんなで「慎みの掟」を定めて、その掟を守ることを連番状にまとめるのだが、その内容が、お互い喧嘩はやめようとか、自分が出資者であることは内緒にして、村を救ったなんてひけらかすようなことは慎みましょう、とかそういう内容で、大変気持ちが良かった。これって、現代で言うところの「株主間協定」と呼ばれる契約書そのものですよ。しかし現代の株主間協定というものは、基本的に相手を信用していない、裏切りを前提とした、実につまらんことをあげつらった契約が大半なので、たいていの場合、読むとウンザリするものだが、この映画でみんなが決める掟は実に「善なる」行為を表す美しいものだったと思う。
 というわけで、この映画は、基本的にはコメディで、芸達者な阿部サダヲ氏や瑛太くんの面白くも感動的(?)な芝居振りが予告をはじめ各種のプロモーションでは前面に押し出されているけれど、じつはかなり多くの名言が出てくる感動作だったのがわたしは結構意外だった。この映画、実のところすっげえド真面目な映画ですよ。そういう不意打ちも、実に見事だとわたしは思った。予告にもあるけれど、「あんたはどっちを見て仕事をしてるんだ!!」という瑛太くんの叫びは、日本全国のサラリーマンに観てもらいたいと思う。これは、藩の上級武士と村のみんなの板ばさみになってしまった、村の長的なキャラクターへ向けた怒りの爆発シーンなのだが、サラリーマン生活をしていると、ホント、そういう奴はいっぱいいますよね。上ばっかり見て、下のみんなを見ない野郎。現代のそういうクソ野郎は、大抵何を言っても無駄で、変わらない野郎ばかりだけれど、この映画ではきっちりと改心してくれて、みんなの味方になってくれるわけで、きっとこの映画は、サラリーマンが観るととてもグッと来ると思います。大変良かった。ぜひ、多くの方がこの映画を観て、そして、自らをちょっとでもいいから振り返って欲しいものです。

 ああ、もういい加減長いのでこの辺にしておこう。本当はキャスト一人一人書こうと思ったけど、もうあきらめた。はっきり言って、全員素晴らしい演技だったと思う。とりわけ、妻夫木くん、瑛太くん、阿部サダヲ氏、西村雅彦氏、他にもゴセイレッドとしてわたしにはお馴染みの千葉雄太くんも良かったし、意地悪な役人の松田龍平くんも大変良かった。女優陣も、竹内結子さんや、出番は少ないけれど草笛光子さんなど、みんな本当に素晴らしかったです。
 あとそうだ、もう一つ。わたしはずっと「金(=カネ、お金)」と書いてきましたが、実はこの物語でみんなが集めるのは「銭=ゼニ=硬貨=コイン」であって、「金=キン=GOLD=小判」ではない。この点もちょっとしたポイントになっているのも面白い。「武士は、銭は受け取れん。金(=小判)で持ってこい」と仙台藩の役人に言われてしまうのだ。で、銭と小判の両替レートが現代の為替のように流動的なんだな。だから、せっかく目標額に達しても、両替すると、やべええ!! 結構足りねええ!! みたいなことが判明したりと、意外とわかりにくい江戸期の通貨制度についておもしろ知識も得られて、わたしとしては大変満足の行く映画でありました。非常に面白かったと思う。

 というわけで、結論。
 『殿、利息でござる!』という映画は、コメディではあるけれど実話ベースの真面目なお話で、はっきり言って感動作である。わたしは非常に気に入った。そりゃあ、「無私」という思想を徹底して生きることは非常に難しいとは思う。けれど、やっぱりですね、真面目に生きて、少なくとも自分は「善」だと思える自分でありたいわけで、インチキをしたり、他人を踏みにじるような生き方はしたくないわけですよ。この映画を観て、そう思う人が増えるなら、日本人もまだまだ、世界に誇れるんじゃないすかね。少なくともわたしは、そう生きたいと思ってます。以上。

↓ 一応原作らしい。どうも、そういう無私に生きた日本人のエピソードを集めたものなのかな? 小説なのかな? ちょっと、読むしかねえかもな……。
無私の日本人 (文春文庫)
磯田 道史
文藝春秋
2015-06-10