タグ:竹屋ノ渡

 おととい、『居眠り磐音』シリーズという、人気時代小説について、つらつらと書いたが、昨日の朝の通勤電車の中で、とうとう完結となる、第51巻『旅立ノ朝』を読み終わってしまった。本当に終わってしまった『磐音』。なんとも非常に淋しく、そして、同時にまた非常にすがすがしい、気持ちのいいエンディングであった。

 主人公・坂崎磐音は、元々は九州豊後の「関前藩」という架空の藩に属する藩士。父は中老。江戸詰めの磐音は、多額の借財を抱える藩政改革に燃え、朋友の二人とともに関前に帰国する。が、 国家老の陰謀により、朋友を上意討ちする役目を背負わされる。婚約者の兄である朋友を斬ることで役目を果たすも、すべてを失った磐音は故郷を去り、江戸市井の長屋に住まう浪人となった。ちなみに磐音は剣の達人でめっぽう強いのですが、「まるで年老いた猫が日向ぼっこしながらうとうと眠っている」ような剣風・スタイルなので、タイトルは「居眠り磐音」なのだと思います。
 とまあ、こんな主人公が、うなぎ料理屋でうなぎ割きのバイトを得て、つましく暮らしながらも、両替商の用心棒に雇われたことを契機に、波乱にとんだ生き方が始まるのだが、その51巻にわたる物語は本当に面白かった。
 たぶん、この長ーい物語は、いくつかのパートに分けられると思う。序盤の磐音は、町奉行所の手伝いをしたり、困っている市井の人々を助けたり、また 古巣の関前藩のために、藩内部の陰謀を阻止したり、関前藩の特産品を江戸で売るビジネスモデルを作ってあげたり、まあとにかく、いろいろな人の、いろいろな事件や困難を助けてあげるという話が続く。いろいろな人と出会って、非常に人脈も広がり、そしてみんなが磐音が大好きになる展開ですね。その人々も、市井の人もいれば、非常に高い身分の人もいて、さまざまな人が、坂崎磐音という男に借りができる。こう書くと、なんだそりゃと思うかもしれないけれど、1巻1巻非常に面白くて、途中でやめる気には全くならない魅力があると思う。やっぱり、この作品は、磐音が出会う人々も非常に生き生きとしていて、キャラクター小説として極めて上等であろう。
 転機となるのは、14巻の、将軍家日光社参に同行する話だろうと思う。 ここで、磐音は、将軍家と接点ができる。ちなみに、時代背景としては、10代将軍・家治の時代。第1巻が1772年のことで、この14巻の出来事は正確な年号は原本を探して確認してみないとわからないな。いつぐらいだろう? たぶん、1777~1778年ぐらいじゃないかな。いずれにせよ、将軍は家治で、この14巻で、将軍家治の長男、家基(15歳ぐらい?)と磐音は親交を結ぶことになる。そして、このことが磐音の運命を決定的に変えてしまうわけです。というのも、家基が1779年に16歳で亡くなってしまうから。これは歴史上の事実。で、この『居眠り磐音』という物語においては、非常に優秀で賢かった家基が、田沼意次に批判的であったために、意次の手の者によって暗殺された、という展開になっていて、そこから磐音と田沼意次の長ーい戦いの話になっていく。それが32巻。ああ、サーセン。これ、ネタバレですね。
 14巻から32巻までの間も、磐音にとっては大きな出来事がいくつもあって、まず、遊女になってしまった元・婚約者が、吉原のTOP大夫になって、山形のお大尽に見受けされた話があって、その後、ずっと磐音のことが大好きだったおこんさんを嫁にもらったと。で、さらには剣の師匠の養子になって、道場の後継になると。そのような磐音にとっては非常に大きな人生の転機があるので、おこんさんとともに故郷の両親に会いに行ったと。これが20巻ぐらいまでのお話。で、帰って来て、主人公坂崎磐音が、佐々木磐音と名前が変わるのが23巻かな。
 で、33巻からは、磐音&おこんさん夫婦は長い流浪の旅に出る。田沼意次が磐音の命を狙っているから。で、旅の途中で長男も生まれて、もちろん刺客もバンバン襲ってくると。ちなみに、歴史上、家基の死から、田沼意次が失脚するまでは、確か7年の歳月が経ってるはず。なので、わたしは7年ずっと旅を続けるのかな? と思っていたのですが、磐音の旅は3年(?)で終わって江戸に戻ってくると。ま、そこからまたいろいろな戦いがありつつ、すべての決着はきちんとついて、エンディングとしては、もうこれ以上ないとわたしは思う。
 もちろん、実際のところ、続けようと思えばまだまだ物語は続けられるはずだ。
 最終巻では、旅の途中で生まれた長男、坂崎空也も16歳まで成長し、凛々しく、そして強く育った姿を我々読者は味わうことができる。磐音の母や元・婚約者には、「空也はおこんさん似で、磐音の若い頃よりずっとイケメン」とか言われちゃうし。そんな空也を物語の中心にして、話を続ける手は十分にあるはずだと思う。だけど、きっとそれは、今、佐伯先生が書くべき物語ではないのだとも思う。佐伯先生の体の具合もあるし、到底数巻程度で終わる話じゃないだろうから、今からそれを書いてくださいと願うのは、酷な話であろう。もちろん、佐伯先生が書きたくなったら、止めないけれど、でもやっぱり、ここがまさしく幕の引き時であり、余韻を残しながら、物語は実に美しく完結できたのではないかと思う。佐伯先生、お疲れ様でした。わたしは『居眠り磐音』を最後まで読めて、とても幸せでした。

 最後に、自分用備忘録として、結構気に入っていたサブキャラたちがどうなったかだけ、まとめておこう。ああ、これもネタバレかも。サーセン。
 ■奈緒:磐音の元・婚約者であり、元・吉原のTOP花魁、白鶴太夫。現・前田屋奈緒。一番可哀想な女子かもしれない。姉を兄の親友(=姉の夫)に斬られ、その親友を斬った兄を、婚約者(=磐音)に斬られ、お家断絶となり、遊女に身を落とし、山形で紅花栽培をする大金持ちに身請けされて、やっと幸せになれると思ったらその亭主にも死なれ、頑張って女手一つで子供を育てながら紅花栽培を続けるも、まーた悪い奴に栽培・販売権を奪われそうになり、江戸で紅屋(=要するに当時の最高級コスメショップ)開店に至って、またようやく落ち着いたと思ったら、50巻、51巻で語られるように、松平定信のいわゆる寛政の改革により、江戸ではコストカット・贅沢禁止が世を覆ったため、故郷の関前で紅花栽培を行うことに。とまあこの女子は本当に波乱に満ちた人生をたどる。でも、最終的に故郷に帰ることができて、本当に良かった。故郷での紅花栽培も51巻では苦労の末にようやく花開いて、感慨もひとしおでしょう。第1巻の悲劇も、約20年の時を経てようやく、本当の意味で決着できたね。あとはもう、幸せにおなりなさい。
 ■幸吉くん:磐音が浪人生活を始めるにあたって、うなぎ割きのバイトを紹介してくれた、「本所深川生活の師匠」。初登場時は10歳にも行ってなかったんじゃなかったけか? そんな幸吉くんも、50巻で、めでたく幼馴染のおそめちゃんと結婚できました。良かったな、幸吉。お前のこと、結構気に入ってたぜ。最後にちゃんと出番がもらえて嬉しかったよ。この二人の行く末がきちんと語られたのが一番うれしかったかも。
 ■辰平&お杏さん:江戸と福岡という遠距離恋愛を成就させたナイスカップル。結婚後は福岡住まい。でも、50巻での磐音の宿願達成時には、辰平も江戸にいてほしかったなあ。51巻では、故郷の関前に向かった磐音一家と入れ違いに江戸に来ていたので、成長した空也にも会えずだったのがとでも残念。まあ、空也には、51巻の完結後の未来に、確実に会えるだろうからいいかな……。
 ■利次郎&霧子ちゃん:この二人は、50巻では、とある極秘ミッションで関前に行っていたので、やはりこの二人も磐音の宿願達成時には江戸不在だった。まあ、51巻では大活躍だからいいかな……。霧子に怒られてばかりだった利次郎よ、お前も本当に強くなったな。二人で幸せにな。
 ■向田源兵衛:50巻でいきなり再登場した向田源兵衛殿。わたし、あなたのことすっかり忘れてました。調べたら、26巻に出てきたあの人だったのね。向田殿も、帰る家が出来て良かったね。小梅村は、あんたに任せたぜ。若僧どもをしっかり支えてやってくれよ。
 ■福坂家:磐音の仕えた関前藩主一族。しかし……殿、福坂実高様。あのね……ずっと言いたかったんだけど、はっきり言ってアンタが無能なせいで、どれだけ磐音が苦労したか、わかってんのか!! 51巻でようやく、隠居し、俊次に家督を譲ったけど、遅せえよ!! かなりの事件が、全部お前の無能のせいだぞ。しかし51巻での堂々とした俊次はカッコ良かったよ。さすが磐音に鍛えられた男。お前に関前藩は任せたぜ。
 ■武左衛門一家:まあはっきり言って、武左衛門の空気を読まないアホさ加減は最後まで直らなかったけど、50巻のラストで亡くなる、どてらの金兵衛さんの死を一番悲しんだのはお前さんらしいね。娘たちがしっかり者に育ったのは、お前さんを反面教師として生きてきたからなんだから、そういう意味では、大いに貢献したな。早苗ちゃんも母になり、秋世ちゃんも紅屋の江戸本店店長で頑張ってるし、息子二人もしっかり職人として生きる道を見つけたし、お前さん、ホント幸せだよ。良かったな。
 ■品川柳次郎一家:武左衛門とともに、磐音の用心棒時代の仲間。君も貧乏旗本とはいえ、お有ちゃんという嫁ももらって幸せそうだね。磐音と出会えて、本当に良かったな。最後まで、お前は一番の常識人だったな。幸せになるんだぞ。
 ■笹塚孫一&木下一郎太:南町奉行所コンビ。笹塚様、50巻で久しぶりに会えて良かったよ。一郎太も元気で良かった。江戸の町は二人に任せたぜ。
 ■チーム今津屋:今津屋さんも磐音と出会えて良かったね。50巻でも、相変わらずの大盤振る舞いで、ほんとに今津屋さんには世話になったね。由蔵さんもそろそろ引退だろうけど、後身をしっかり育ててください。
 ■関前藩士たち:中井半蔵様、やっとバカ殿が隠居して、実は一番安心してるのはアナタでしょうな。51巻では磐音の父、正睦様もやっと隠居できて、後任の国家老を押し付けられてしまったけど、ワンポイントリリーフなのは承知してるわけで、磐音の代わりに坂崎家に養子になった、磐音の義弟、遼次郎のことはアンタに任せたよ。遼次郎もなかなか見どころのある奴だからな。
 
 ああ、いっぱいキャラクターがいすぎて、もうキリがない!!!
 磐音は、50巻、51巻では、とりわけ空也に、「運命」を語る場面がある。波乱万丈の人生だけど、それも運命のままに生きてきただけだ、と。ただし、磐音が言いたいのは、何もかも運命で決まっているから、なにも抗えないとか、努力したってしょうがない、みたいな意味では断じてない。むしろ全く逆で、運命は自分の行いで決まる、不断の努力や、人へのふるまい、そういった、すべて自分の選択した道が、運命を定めるものであり、運命は自分自身が切り拓き、変えることができるものなのだ、ということを磐音は息子である空也に伝えたかったのだと思う。いわばこれも、「人間賛歌」なんでしょうな。JOJO的に言うと。わたしは深く共感します。
 ま、磐音も心配しなくていいよ。空也は、分かってる男だもの。だって、あんたの息子だぜ。51巻、完結のラストで旅立つ空也。帰って来た時、どんな奴になっているか。それは佐伯先生に書いてもらうのではなく、最後まで読んできた我々読者が、それぞれに想像するのが、一番正しいのだと思います。
 (※2016/01/11追記:なんと!!! 空也主役の新シリーズが始まりました!!! マジかとさっそく読みましたが、もうすげえ感無量というか、最高です。記事は↑のリンクへ) 

 というわけで、結論。 
 ついに完結してしまった『居眠り磐音』シリーズ。わたしは大変楽しめました。佐伯先生、ありがとうございました!!! なんか、また最初から読みたくなってきたよ。ちょっと、かなり本棚の奥の方に置いてしまったような気がするので、週末は本棚発掘作業でもするか。

↓ 1巻は2002年か……あの年は、ワールドカップもあって、楽しい年だったなあ……。もう14年前か……老いたわけだよ、オレも……。

 もうずいぶん前、わたしの記録によると2004年のことのようだ。
 当時、急速に時代小説が流行し始めており(もっとも、とっくに流行っていたのだと思うが、わたしが、これは売れてるな、と意識したのがこの頃)、それじゃ、市場調査として、最近何かと評判の佐伯泰英先生の作品を読んで、どんなものか知っておくべきだな、と思ったことがそもそものきっかけであった。
 その当時、なぜ佐伯先生が注目され始めていたかというと、とにかく筆が速く、「月刊佐伯」と呼ばれるほど毎月新刊が発売になることで有名になっていて、へえ、そんなにすごい作家なんだ、と思って、まずはその代表作とされる作品を読んでみようと思った次第である。
 その時、わたしが買ったのは2作あって、一つは『密命』シリーズと呼ばれるもの。
 




 このシリーズは既に2011年に完結しだが、確かわたしが1巻目を買って、こりゃあ面白い、次の巻を読もう、と思った時にはすでに10巻ぐらいまで出ていて、こいつはヤバイ作品にはまっちまったな、と思ったものである。その後最終巻26巻まで、非常に楽しませていただいたわけで、最後の結末は、はっきり言ってちょっとだけ不満だけれど、十分に面白い作品だったと思う。
  そしてもう一つ、わたしが買って読んでみたのが、『居眠り磐音 江戸双紙』というシリーズである。

 こちらも、わたしが1巻目を買った時は、たしかまだ10巻までは出てなかったかな。この『磐音』も、とにかく1巻目から大変面白く、これまた、長ーい付き合いとなったわけで、いよいよ2016年1月4日に最終巻となる第50巻・51巻の2冊が同時刊行となり、とうとうその物語は完結を迎えたのである。 

 というわけで、おとといの発売日にこの2冊を買い、さっそく読み始めたところ、くそう、面白い、けど終わっちゃう、もったいない、落ち着け、ゆっくり味わって読むんだ!! と思いながら読んでいたのに、昨日の帰りの電車内でまずは第50巻の『竹屋ノ渡』を読み終わってしまった。
 この第50巻での舞台は、1793年なので、最初の1巻が1772年だから、作中時間は21年か。ずいぶん時間も経過して、当たり前だけどその分、キャラクターの年齢もずいぶん上がったものだ。1巻の主人公、磐音は27歳。そして完結巻で48歳ってことか。なるほど、わたしの年齢を少し追い越されてしまったのか。そういう意味でも、感慨深いんだな、とさっき気が付いた。
 で。
 どうしようかな、この第50巻の話にすべきか、シリーズ全体の話にするか。
 完結にあたっての感想は、本当の完結巻51巻を読んでからにすることにして、今日は、なんでまた、この佐伯先生の作品がここまで人気が出たか、についての考察にしておこう。
 (2016/01/08追記:読み終わりました。こちらへどうぞ)
 実は、一番最初に読んだとき、ああ、これは売れますよ、そりゃそうだ、と思ったことがある。それは完結を迎えた今でも考えは変わっていないので、総括的な話として、自分用備忘録であるここにまとめてみよう。
 わたしが2004年に初めて読んで、一番最初に思ったことは、以下の二つである。
 ■愛すべき主人公
 わたしが読んだ、『密命』も『磐音』も、ともに共通するのは、
 ・主人公は、強い。剣の達人である。
 ・一方で、優しく、藩から抜けて江戸市井に暮らす浪人さん。
 ・しかし浪人であっても、元の主家を想い、藩のために行動する。
 ※特に『密命』は、そのタイトル通り藩からの密命で、脱藩した経緯アリ。
 ・主人公の人柄は、周りの人々の信頼を得、誰もが主人公を頼りにし、また助けてもくれる。
 といった特徴があり、読んでいて非常に心地いいのである。
 こういった、物語の筋書きよりもキャラクターに魅せられる作品は、世間的にはキャラクター小説と呼ばれているが、映画でも漫画でも小説でも、何でもいいけれど人はたいてい、物語に共感するというよりそのキャラクターにより深く共感するものだとわたしは思っている。たとえば……そうだなあ、いい例えかどうかわからないけど……『DIE HARD』という映画があるでしょ? で、おそらく誰しも見たことのある映画だと思うんだけど、いきなり、シリーズ3作目のストーリーって覚えてる? と聞かれて、きっちり答えられる人はあまりいないと思う。だけど、「たしか、あれでしょ、NYの街が舞台で、またマクレーン刑事が超絶ピンチで、黒人のおっさんとNY中を駆け回る話だよね?」みたいに、どんな出来事だったか覚えてない、けど、そのキャラクターは明確に覚えてるわけだ。もちろん、そのキャラクターが遭遇する事件や出来事が面白くないと、作品として「今回はイマイチだったな」という判定になってしまうけれど、主人公というキャラクターが愛すべき存在であれば、今回はダメでも、「まあ、次に期待するか」という事は思ってもらえるかもしれない。このような、キャラクター造詣という点で、1巻目は非常に重要なわけだが、わたしが初めて読んだ佐伯先生の作品、『密命』と『磐音』は、読者の気持ちをグッと掴むにふさわしい人物描写がなされており、何度も書くが、「読んでいて心地いい」でのある。故に、これは売れるとわたしは思った次第である。
 ■飢えていた読者
 恐らくは、少なくともわたしのような40代以上の日本人にとっては、TVの時代劇ドラマというものは確実に慣れ親しんできたもので、誰しもがきっと、何らかの番組を観ていた経験はあるはずだ。改めて考えると、そういったいわゆるTV時代劇は、たいていが江戸時代を舞台にし、場所も江戸市井であることが多い。そして主人公は基本的に正義の男で、腕も立ち、そして優しく周りから愛されるキャラクターである。そういったドラマをずっと普通に観て楽しんできた我々にとって、小説の世界では、ドラマの原作となった池波正太郎先生や司馬遼太郎先生の作品群だったり、あるいは、舞台は江戸でないことが多いけれど藤沢周平先生の作品だったりが、ド定番として存在してきたわけだ。
 しかし、である。そういったド定番は、もちろんのこと多くのファンが存在し、名作ぞろいであるけれど、一つだけ、極めて残念な共通点がある。それはズバリ、先生方がすでに亡くなっており、「もう新刊が出ない」という点だ。なので、TV時代劇が好きな我々おっさんは、小説を読みたくても、既にド定番作品はとっくに読んでいて、その流れを汲む「新刊の発売」に飢えていたのだとわたしは考えている。折しも、TVからはどんどん時代劇が減っていき、その「飢餓感」に近いものが醸成され、高まっていたのではなかろうか。たぶん、そんな背景があって、佐伯先生の作品は売れていく下地ができていたのではないかと思う。しかも、「月刊佐伯」である。次々に刊行される新刊は、そういった「飢えていた読者」にとってはこの上ないごちそうに見えたのではなかろうか。さらに加えていうと、当時はまだ少なかった、「文庫書き下ろし」というスタイルである。普通、文芸小説は大判の単行本が出て、そのあとで文庫化されるのが通常の売り方だが、「文庫書き下ろし」として買いやすくしたことも、ヒットの要因だと思う。今はもうそこらじゅうの出版社が文庫書き下ろしを当たり前に出しているが、その先鞭をつけたのは、間違いなく時代小説とライトノベルであろう。
 時代劇が好きだったり、藤沢周平先生の作品が好きな皆さんは、おそらくは「口の肥えたうるさ型の」人々が多かろうと思う。だからもちろん、面白くなければ、売れることはない。佐伯先生の作品が、そのような「優しくない読者」をも、きっちりと掴むことができたのは、はやり前述の「心地よさ」であったのではないかと思うが、わたしの知り合いのとあるおじさんなどは、佐伯先生の作品はちょっと軽いというかぬるい、藤沢先生の作品と一緒にするな、と言っていたので、そりゃあ読んだ全員がはまったわけではなかろう。しかし、かえってその軽さのようなものは、今までの時代小説にはなかった「女性読者」という新たな読者層開拓にも成功するのではないかという気もした。故に、こりゃあ売れるな、と思ったわけで、実際、どうやら佐伯先生の作品は、特に『磐音』あたりは女性読者も多いそうです。出版界としては大変喜ばしい才能の登場と言って良かろうと思う。

 ああ、いかん。まーた長くなってしまった。
 というわけで、結論。
 今回の『磐音』完結は、わたしとしては非常に感慨深い思いでページをめくっているわけである。佐伯先生は、50巻で完結させる、という決意があったそうだが、51巻での完結となったわけで、50巻を読み終わった今、たしかに、もう一つきっちりさせなきゃいけないことがあるな、とわたしも納得のストーリー展開である。読み終わった50巻では、主人公磐音の宿願が果たされた。また、ただ一人残っていた、決着を付けなければならない剣者との立ち合いも済んだ。だが、最後にまだ、磐音にはやらなくてはならないことが残っている。それをきっちり51巻で描いてくれるのだろう。非常に楽しみに、そして惜しみつつ、大切に1ページ1ページ堪能したい。ああ、もうちょっとで終わってしまう。これで終わりとは、淋しいのう……。以上。

↓ 『磐音』はNHKでドラマ化されていました。わたしは全部は見ていないけど、結構イメージと違ってたり、逆にイメージにピッタリだったり、キャスト的にどうなんしょう。アリなんですかね……?

↑このページのトップヘ