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 ライトノベル、という言葉が普通に通じる世になって、もう15年近くたつのではなかろうか。たぶん21世紀はじめの頃だとテキトーに思うので、15年ぐらいとテキトーに発言したが、今、本屋さんへ行くと、文庫コーナーはまあなんつうか、カバーに漫画的イラストを用いる作品が多く、何をもってライトノベルというのか、実際良くわからない状態になっているように思える。
 そもそもは、中高生向けのファンタジー小説を起源としているのは間違いないと思うが、わたしが思うライトノベルの定義は、簡単かつ厳格だ。ズバリ言うと、わたしは「主人公が10代の少年少女であること」、この1点をもってライトノベルと見做している。この認識はおそらく世間一般とずれていることは自覚しているけれど、なぜわたしがそう思うのかについても、ごく簡単な理屈である。それは、「主人公が10代の少年少女」である時点で、現実の10代の少年少女が読んでも面白いはず、だと思うからだ。つまり、「10代の少年少女が読んで面白いもの」、それすなわちライトノベルである、という理屈である。
 そしてある意味逆説的?というべきなのか、若干怪しいけれど、そういったわたしの言うライトノベルが、10代だけが面白いと思うかというとそんなことは決してなく、わたしのような40代後半のおっさんが読んでも十分以上に面白い作品はいっぱいあるのは、厳然たる事実である。
 何が言いたいかというと、たとえカバーが漫画チックであったり、一般的にライトノベルといわれるレーベルであったりしても、面白い小説を読みたいならばそこに変なフィルターは全く必要なく、貪欲に本屋さんで渉猟すりゃいいんじゃね? ということだ。
 というわけで、今朝の電車内で読み終わった本がこちらであります。

 これは、わたしには大変思い入れのある(?)、竹宮ゆゆこ先生による『あしたはひとりにしてくれ』という作品で、何でも3年前「別冊文藝春秋」に連載されたのち、2年前に文庫として発売された作品だそうだ。なので、もはや超今さらなのだが、先日、わたしが愛用している電子書籍販売サイトで、大きめのコインバックフェアがあった時、なんかおもしれ―小説ねえかなー、と探していて見つけ、買って読んでみたのである。全然本屋さんで出会ったわけではないのが上で書いたことと矛盾してるが、ほぼ毎日本屋さんに通っていても、こうして見のがす作品もいっぱいあるわけで、世はわたしの知らない「面白いもの」が溢れているものよ、とテキトーなことを言ってお茶を濁そうと思う。
 さて。竹宮ゆゆこ先生というと、アニメ化された作品もあり、いわゆるライトノベル界でも有名だし、近年はその活動をいわゆる一般文芸の世界にも広げており、わたしが思う日本の才能ある作家TOP10に余裕で入るお気に入りの作家のお一人だ。実際この本は文春文庫というレーベルから出されているわけで、それゆえ「いわゆる」と表現してみたけれど、その1点をもってのみ、一般文芸とするのは、冒頭に記した通りわたしとしては変な感じで、わたしの感覚では、本作は紛れもなくライトノベルであった。
 わたしが思うゆゆこ先生のすごいところは、なんで先生は女性なのに、男子高校生の日常及び心の中を、これほど詳しくあからさまにご存知なんすか!? という点に尽きる。とにかく、先生の描く主人公(大抵は男子高校生、たまに大学生)がおっそろしくリアルで、そしてその周辺の友達たちとのやり取りが、もうこれ、当時のおれたちそのまんまじゃん、と思えてしまうほどナチュラルで、そして愛すべきバカばっかりなのだ。
 ゆゆこ節とも言える、主に会話文で繰り広げられるキャラクター達のやり取りは、そりゃあ万人受けるすものではないのかもしれない。とりわけ女性受けするのかどうか、わたしには良くわからない。だが、かつて男子高校生だったわたしにはもうジャストミートである。これはもう、わたしがいかに面白いかを語ってみても無駄なことで、読んでもらわないと通じないだろう。
 物語は、ざっと要約すると、とある男子高校生が謎の女性に出会い、いつしか彼女を愛するようになる顛末を描いたものだ。こりゃざっと要約しすぎだな、うん。でもまあ、物語の筋は結構複雑なため、要約するとこうとしか書けない。なのでいつも通り、キャラ紹介をまとめておこう。
 ◆月岡瑛人:主人公。通称「エイト」。高校2年生。それなりな進学校に在籍し、日々の「ルーティン」を守って「イイ子」であることを己に課している少年。なぜエイトが「イイ子」であろうとするのかは、結構序盤で分かると思う。出生の秘密は意外とすぐ明かされるし、本人も周りに秘密にしているわけではないので。
 ◆高野橋さん:月岡家に居候している「親戚のおじさん、またはお兄さん」。20代?の無職の男。エイトを溺愛し、甘やかす。この人の秘密はラスト近くで明かされるが、え!と驚くけどそれほど感動的じゃあないかな。いずれにせよ、普通にはないシチュエーションだと思う。
 ◆アイス:エイトが「拾って」きた女性。どうやら20代。華奢。土に埋められていた。アイスの本名や、一体何者かということも当然ラスト近くで明かされるが、意外と現実的というか、現実的じゃないか、なんつうか、ずっとその存在はこの世のものならぬというか、不安定?な感じを受けるけれど、実のところ普通の人間だという秘密の暴露は、なんか安心、あるいは納得できた。
 ◆お父さん&お母さん:おっそろしく心の広い夫婦。なんつうか、この二人が一番ファンタジーなのではなかろうか。
 ◆月岡歓路:エイトの妹。体育科の有名な女子高に通う。彼女はレスリング部で、それゆえ身体能力が高く、朝練のため朝も早い。頭の出来は残念な女子高生。みかんが好き。
 ◆藤代:エイトの友達A。分厚い眼鏡を着用し、肩下までのロン毛をきゅっと一つに束ねている少年。まあ要するにキモオタ風な容貌らしいが、大変面白いイイ奴。
 ◆車谷:エイトの友達B。自称「わがままボディ」のデブ少年。絵にかいたような「食いしん坊」キャラ。コイツも大変イイ奴。
 とまあ、主なキャラクターは以上の通りだ。
 本作のどこが面白いのか、もちろん端的に言えばそのキャラクター(の言動)だろう。いそうでいない、絶妙なファンタジーでもあると思うし、細部のやり取りなんかは妙にリアルだし、そのバランスがとても見事な作品だとわたしは思う。まあ要するにですね、安定のゆゆこ節はやっぱおもしれえな、ということで、わたしはとても好きであるというのが結論です。

 というわけで、結論。
 いや、結論はもう書いちゃったけど、久しぶりに読んだ竹宮ゆゆこ先生の作品はやっぱり面白かった。本作、『あしたはひとりにしてくれ』は、珍しく? 男子高校生と年上の女性の関係が描かれているけれど、その恋愛?というよりも、それ以上に、メインテーマは「家族」と言っていいんでしょうな。シチュエーションがかなり特殊なため、深く感動したとか共感したとかそういう感想は持たなかったけれど、最後まで大変面白かったっす。以上。

↓ この辺りはまだ読んでないので、そのうち買って読むか……。これは主人公が社会人のようなので、わたし的にライトノベルじゃない判定す。
応えろ生きてる星 (文春文庫)
竹宮 ゆゆこ
文藝春秋
2017-11-09


 ライトノベル、というと主に中高生を対象としたファンタジックなイラストの付いた小説、というイメージがあるが、実際のところ読者層は幅広く、30代40代でも読んでいる人は多いし、小説としての完成度も、大人が読んでも十分以上に面白い作品はそれなりに多い。もちろん、そうじゃない、どうしようもない作品の方もまた多いと思うが、とにかく、ライトノベル、というレッテルで作品を評価してしまっては、その本当の価値に気づけないと思う。
  2009年に創刊された「MW文庫」というレーベルは、ライトノベルナンバーワンの電撃文庫というレーベルから、「ライトノベルを卒業した大人」に向けて企画開発された小説文庫で、特徴として「書き下ろし」で「カバーイラスト」を用いるという、まさしくライトノベルの手法を用いているが、そこから多くのヒット作が生まれ、『ビブリア古書堂の事件帖』がミリオンセラーに至った後、各出版社もこぞって、書き下ろしで、イラストカバーの付いた小説文庫を出版するようになった。ま、要するにパクリ、と断言してよかろう。
 というわけで、今、本屋さんの文庫売り場に行くと、 とにかくカバーがカラフルで、イラストを用いている作品がとても多い。これは、MW文庫創刊以前には見られなかったことで、それだけ見ても、MW文庫の先見性は証明可能だと思う。
 そして3日前、本屋さんの店頭で、なんか面白そうな作品はねえかなー、とずらりと並んでいる文庫をぼんやり眺めていたところ、とある文庫のカバーイラストに描かれた少女と目が合ってしまった。ん?と手に取ってみると、著者は、電撃文庫で大変おなじみの竹宮ゆゆこ先生であり、タイトルも、ちょっと気になるものだったので、へえ?と思って良く見たら、わたしが嫌いな出版社の筆頭クラスである新潮社の本だったので、マジか、新潮社の本かよ……とそっと元に戻して立ち去ろうとしたのだが、どうにも、カバーに描かれた少女の目が気になって気になって仕方なく、「買わないのね……そう……残念だわ……」という幻聴すら聞こえたような気がするので、ええい!分かったよ!! 買います、読ませてください!! と、レジに並んだ次第である。その本が、これ、です。

 いいイラストですな。本屋さんで目が合ってしまったら、手に取らざるを得ないというか……わたしには、このイラストの表情は、なんというか悲し気な、「いいわ、仕方ないもの……」といったセリフが聞こえるような気さえした。このイラストを描いたのは、浅野いにお先生で、大変人気のある漫画家である。わたしは『ソラニン』の1巻しか読んだことがないので、ファンでも何でもないのだが、このカバーイラストは非常に素晴らしいと思った。
 で、著者の竹宮ゆゆこ先生は、電撃文庫では数多くの作品を発表していて、アニメ化された『とらドラ』を始め、大変人気のある作家だ。わたしも竹宮先生の作品はたぶんほぼすべて読んでいるが、わたしが竹宮先生の作品で凄いと思うのは、女性なのに、どうして男子高校生の日常や心理をここまでリアルに分かっているんだろう? という点で、とにかくキャラクターの造詣が毎回素晴らしく、わたしは特に、女子キャラよりも男子キャラの心理描写が非常に上手だといつも思う。なので、竹宮先生の作品なら、外れナシだろう、と、全く何の予備知識もなく、あらすじすらチェックすることなく、購入し、読み始めた。
 で、読み終えた。
 結論から言うと、大変面白かった。わたしは本屋さんでカバーを付けてもらっていて、読みながら一度も外さなかったので、ついさっき初めて帯をしげしげと見たのだが、帯の惹句はこんな感じである。
 ≪最後の一文、その意味を理解したとき、あなたは絶対、涙する≫
 ま、結論からするとわたしは涙しなかったので、この帯の惹句には、ふーん、としか思わないが、確かに、構成的に最後になって初めてわかるトリッキーな部分があった。わたしももちろん、ラストで、あ、そういうことなんだ!? と驚いたし、帯の表4(裏側)にある、伊坂幸太郎氏の推薦文にもこう書いてある。
 ≪高校生活の日常やキャラクターの掛け合いがメインとなるこういった小説を苦手な方もいるのではないでしょうか。実は僕もそうなのです。けれど、この作品を読み終えた時、その野心的な構造に興奮しました。この作家は、キャラクター小説を小説の持つ悦びの深いところまで繋げようとしています。≫
 とまあ、良く読むと若干上から目線なことが書かれているが、はっきり言って、そんな構造上のトリックというか試みなんかは、二の次でいいと思う。わたしが一番この作品でグッと来たのは、伊坂氏が苦手というキャラクターの掛け合いに他ならない。それはもはや「ゆゆこ節」とも言うべき、竹宮先生の真骨頂であり、そこを楽しめないでこの作品が楽しめるわけがないとわたしは思うわけで、伊坂氏の推薦文には妙な違和感しかわたしは抱かなかった。じゃあアナタは、ずっと面白くねえなあと思いながら、最後に、あ、そういうことか、こりゃあ面白い、とでも思ったのだろうか? 良くわからんけれど、わたしはもう、最初からずっと、それぞれのキャラクター達に魅了され、とても本作を楽しめたのである。むしろ、最後に明かされるものは、意外すぎて、あれっ!? アレッ!? ちょっと待って、そういうこと!? と逆に戸惑ったぐらいだ。

 とにかく、本作はその部分のネタバレは、別にそれほど大きな意味を持たず、事前に知っていても、特段問題ないような気がするが、それよりも、とにかくストレートに作品世界に没入するのが正しいと思う。そして、各キャラクターに共感し、一緒になって笑い・怒り・悲しむべきではなかろうか。
 実は意外と重い、本作の物語の流れを書くつもりはないが、わたしはとにかく、主人公濱田清澄のキャラクターにとても共感したし、ヒロイン(?)蔵本玻璃の可愛さにも非常に萌えた。また、脇を固める清澄の親友やクラスメイトの女子もとてもイイ。わたしは男なので、やはり一番清澄が気に入ったのだが、その勇気は素直に称賛したいと思う。たぶん、わたしには出来ないことだろうと思うから。たぶん、清澄の言葉で一番彼を表すのが、次の文章だ。
 ≪俺は誰かが友達になってくれることが当たり前ではないと知っている。誰かが俺を大事に思ってくれることも、全然当たり前のことなんかではないことを知っている。「在る」のが「難しい」から「ありがたい」のだと知っている。それを知ることができたのは、あの孤独があったからだ。あの孤独の中で、自分の無価値さと向き合うしかない静かな闇を、一人で味わって生き延びたからだ。そこに差し伸べられた手が、俺なんかに向けられた友情が、どれほど嬉しかったことか。(略)今の俺にとって、孤独だった頃は、正直あまり思い出したくない手痛い過去ではある。でも同時に大切な宝物で、財産でもある。捨て去ることなど決してできない。(略)孤独は一人で抱えていればやがて宝にもなるものだが、いじめはそうじゃない。いじめは、痛みと傷しか残さない。叩き潰されれば未来を失う。それに耐える意味などない≫
 清澄は普通のバカな男子高校生だけど、まったく立派ですよ。そういう点では、わたしは大いに感動したといってもいいと思う。
 そして、こういう作品を読むと、男子校で6年間過ごしたオレって、ホント人生損したのかな……と若干ほろ苦い気持ちも浮かび上がって来る。もちろん、男子校には男子校にしかない素晴らしいくて楽しい点はいっぱいあるし、わたしは男子校に通ったことを常日頃後悔はしていないのだが、それでもやはり、あの、素晴らしき青春時代に女子がいたら、どうなっていたのだろうか、と、こういう作品を読むととても心に響く。まあ、もう完全なおっさんなので、ノスタルジーってやつですな。結局、明確に言えることは、過ぎ去った過去であり、どうにもならんことは承知しつつも、そういった憧れめいた思いに胸を焦がせさせるような作品は、大変素晴らしいってことでしょうな。そして、恐らくは現役で青春真っ盛りな若者も、たぶんこの作品を読んで思うところはいっぱいあるはずだ。なので、わたしとしては全年齢に向けてお勧めしたいと思うのであります。

 というわけで、もう長いし纏まらないので結論。
 わたしがいいたいこと、それは、竹宮ゆゆこ先生による『砕け散るところを見せてあげる』は、大変面白かった、ということです。日本の文芸界は、狭く閉鎖的でいまだに「書き下ろし文庫」に対して、一段下のものという認識がなされている部分があるが、決してそんなことはなく、レーベルや形態に妙な先入観を持たずなく、本屋で出会った作品を片っ端から手に取って読むのが一番楽しいと思います。出版社によって好き嫌いの激しいわたしが言うのも大変アレですが。以上。

↓ これは新潮文庫Nexの創刊ラインナップじゃなかったっけ? だいぶ前に読んだけど、今回の作品『砕け散る~』の方がわたし好みでした。

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