というわけで、またこの季節がやってまいりました。
そうです。年に1回か2回、大変楽しみにしている『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の最新第6弾にして最終作『VI 誕生 赤い彗星』が公開になったのであります。わたしも、いつも通りガンダムが大好きな元部下のMZ君から連絡を受け、どうしても、とMZ君が希望するので、わたしの大嫌いな新宿ピカデリーへ、安彦監督はじめ声優のみなさんによる舞台挨拶付きの回を観てきたのであります。
わたしとしてはとにかく新宿ピカデリーの客動線の悪さと構造的に大混雑となる施設自体が大嫌いなので、MZ君から新宿にしましょうと言われたときは、やだよ、とあっさり断ったのだが、今回は『THE ORIGIN』シリーズ最終作ということで、安彦先生の生の発言を聞く価値はあるか……と説得に折れ、推参した次第である。
そして作品としての評価は、もう毎回書いている通り、素晴らしくハイクオリティで文句なしに楽しめたのだが、今さらというか……わたしは観ていて、この『機動戦士ガンダム』で描かれる「ジオン公国の独立」というものが良くわからなくなってきてしまったのである。一体、彼らの求めるものは何なのか、どうすれば「勝利」なのか、そのゴールが、なんだか今さら分からなくなってしまったのだ。
というわけで、以下、その辺りをつらつらと書きなぐってみたい。もうとっくに作品としては完結しているので、もう今さらネタバレもないので、ネタバレには一切考慮せず書きます。
この『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』という作品がどのようなものかはもう今までも散々書いているので短くまとめるが、当時の角川書店(現KADOKAWA)の「ガンダム・エース」というコミック雑誌に連載されていた漫画で、安彦良和先生が直々に執筆された、「1年戦争」を新たに描いた物語だ。かつてのTV版のオリジナルに追加・修正された要素が多く、まあ、30年以上前にガンプラをせっせと作っていた30代後半~40代~50代のおっさんとしては、間違いなく興奮できる非常に優れた作品である。コミックス単行本では全23巻(+1冊後日譚の特別編)で、その「追加」されたエピソードとして特徴的なのは、ジオン・ズム・ダイクンの死から「1年戦争」開戦までの流れがとても丁寧に詳しく描かれていて、その過去の回想部分が、アニメ化され、劇場公開されているわけである。コミックス単行本で言うと、第9巻から第14巻までの6冊にあたり、それが1巻ずつ、1つのエピソードでアニメ化されているわけで、今回の『VI 誕生 赤い彗星』では、コミックス第14巻の内容が描かれているわけだ。
これまでの具体的な内容は前回の『V 激突 ルウム会戦』の時の記事を読んでもらうとして、今回の『VI』において描かれるのは、ルウムでのジオン大勝利と、レビル拿捕→脱出→南極条約締結という政治面での展開を軸に、その時、シャアやアムロ、セイラさんたちがどこで何をしていたか、なんてことが描かれる。このアニメ版『THE ORIGIN』は、とにかくコミック原作に忠実なのだが、今回はコミックにない新たな追加シーンも比較的多かったと思うが、とりわけ「おおっ!?」というような驚くべきものはなく、内容を補完する程度のものだったので、どこがどう原作コミックと違うか、とかそういうことはもう書かない。
で、わたしが観ていて、どうしても良くわからないのが、レビル将軍の行動だ。レビルは、ルウム会戦でまんまと黒い三連星に拿捕され、捕虜となる。そしてデギン公王と謁見し、お互い休戦の方向で意見の一致を見たかと思いきや、脱出後、徹底抗戦を唱えてデギンの怒りを買うことになる。そもそも、脱出は、おそらくデギンの指示を受けたキシリアと、キシリアと内通している連邦のエルランの手引きによって行われたものだと思うのだが、どうしてレビルは、デギンとの密約?である休戦を唱えず、徹底抗戦の演説をしたのだろうか?? これは非常に重要なポイントだと思うのだが、わたしには実は良くわからない。コミック版を何度読んでも、分からん。
このポイントが分からないので、なんだかそもそも、対立構造である「ジオン独立」の意味も、わたしには良くわからなくなってしまっているのである。
「独立」して、一つの国家として主権と自治権を勝ち取り、その後、ジオンはどうしたいのだろうか? そしてそもそも、その「独立」は、どうすれば勝ち取れるのだろうか? 連邦が、もう分かったから、いいよ、独立しなよ、と文書で認めればいいのかな? それではなぜ、連邦はそれを認めないのか。そして双方とも戦争継続を選んだのはなんでなのか?
デギンは、ブリティッシュ作戦(=コロニー落とし)の惨事を見て、もう人殺しにはうんざりしている。それゆえ、もう休戦をしたい、と思うのは、おそらく普通の人間なら自然な選択だ。その選択を取らず、さらに殺し合いを続けようと思うのは、明らかに不自然であり、前作でセイラさんが涙を流していったように、もはや「けだもの」と言わざるを得ないだろう。しかし、「けだもの」に落ちてまで得ようとするものは一体何なのか。それがわたしには良くわからんのだ。
そもそも、ジオンの国力がどのようなものかよくわからないが、「ジオン公国」が仮に「独立」を手にしたとしても、自給自足できるとは思えないし、まさか鎖国のような形で、連邦と一切の交流を断つとも思えない。そして連邦も、その「連邦」がどのようなものか知らないが、そもそも地球圏全体が統一国家となるようなことはまず考えられないし、そこには民族や思想、旧国家を源としたいくつものグループが存在し、そこに対立が存在しないとも決して思えない。一枚岩になることはまずありえず、常に紛争の火種、あるいは紛争そのものがそこにはあるはずだ。そんな中で、「ジオン」グループにある程度の自治を認め、「独立」させてやる、といいながら、経済的に連邦の一部として取り込むのは、意外と簡単にできることなのではなかろうか。
何が言いたいかというと、人類の半数を死に至らしめるまで殺し合う理由があるとはわたしにはあまり思えないのだ。ジオンサイドから見れば、休戦し、連邦の一員になっても、逆に連邦に潜り込んで、連邦の中枢を支配する方がうまみは大きいだろうし、連邦サイドから見れば、戦争継続よりも、和平条約の中で条件闘争する方がよっぽど安上がりだし、何より人命を失わずに済むはずだと思うのだが……。
おそらく、わたしが理解できない根本的な部分は、「アースノイド」と「スペースノイド」の心理的な、そして決して相いれない、対立構造なのだろうと思う。
たぶん、ギレンを動かす衝動は、いわゆる選民思想に基づくもので、「なんで優秀なオレ様が下等な地球人どもに膝を屈せにゃならんのだ」というもので、一方の連邦側の高官たちによる徹底抗戦も、「なんで我々高貴なる地球人が下等な宇宙奴隷どもの言うことを聞かなきゃならんのだ」という思想によるものだろう。要するにハートの問題だ。しかし、ハートの問題と言っても、所詮は権力や金といった私欲であり、巻き込まれた一般市民はたまったものではない。
まあ、現代の移民問題もまさしくそういったものであり、一般市民層ですらそういった感情を抱えているのは間違いないけれど、この対立を乗り越える存在として、ニュータイプというものがある、とする解決策のようなもの?を提示した『ガンダム』という作品はすげえなあ、とわたしには思える。
よく、「人と人は分かり合えない」という。実はわたしも、結構そう思っている。そして分かり合えないが故に殺し合いを続けているともいえるが、それが、ニュータイプなる「分かり合えちゃう人類」が誕生したらどうなるか。でも、はっきり言って上記のような、お互い、オレの方が上に決まってんだろ、みたいな闘争は、ちょっと分別があれば、アホくせえことだと現生人類たるホモ・サピエンスにも十分「分かり合える」と思うんですけどね……。でも、実際わたしだってそういった感情がゼロであるとは決して言えないし、少なくともわたしが生きている間に人類は先へ進めそうにはないですな。
話は盛大にそれてしまったが、レビルがなぜ徹底抗戦を主張したのか、正直わたしには良くわからない。しかしあの徹底抗戦演説が「1年戦争」を生んだことは恐らく間違いなく、あの時点がPoint of NO RETURNだったのだろうと思う。その意味では、本作は極めて重要な、人類の分岐点が描かれているわけで、大変面白かったです。つうか、レビルは後にデギンとともにソーラ・レイの直撃を受けて死亡するわけで、完全に選択ミスだったな、とわたしは冷ややかに思いました。連邦の政治的なTOPって誰だったんだろうか? そういや、よく考えると完全なる軍閥ですな。民主的な国家統一だったわけではなかったんですかねえ……。その辺も、詳しく知りたくなったっす。
最後に、舞台挨拶のことを少々。
わたしが観に行ったのは、安彦総監督と、池田秀一さん、そしてザビ家の皆さんの声を担当された声優陣勢ぞろいという豪華な舞台挨拶付きで、銀河万丈さんの「生ギレン」は超迫力がありました。お約束のジーク・ジオンも、万丈さんの生ボイスだとすごいすね。そして、安彦先生は、以前『THE ORIGIN』を全部アニメ化する的なことをおっしゃっておられたが、残念ながら今回が最終作ということで、その野望はかなえられずに終わってしまい、わたしには非常に悔しい?と思っておられるようにお見受けした。安彦総監督曰く、観た皆さんが宣伝し、声を上げていただければひょっとしたら……的な希望を述べられていたのが印象的だった。わたしも、是非最初からすべて新たに作り直した『ガンダム』を観たいので、今回で終わってしまうのはやっぱりちょっと残念です。
というわけで、もうさっさと結論。
わたしの大嫌いな新宿ピカデリーへ、恒例の『機動戦士ガンダム THE ORIGIN VI 誕生 赤い彗星』を観てきたのだが、もちろんいつも通り極めてハイ・クオリティな作品で、とても楽しめた。しかし『ガンダム』という作品は、いろいろ考えさせられるところが多く、やっぱり『傑作』でしょうな。この『THE ORIGIN』アニメシリーズ全6作は、ホント、かつてガンプラで遊んだことのある40代以上のおっさんには是非観てもらいたいと思う。絶対に興奮すると思うな。安彦先生、ホントお疲れさまでした。「次」がいつか実現することを祈ってますし、応援しております! 以上。
↓ 今回のお話は(14)巻です。つうか、全部読んだ方が絶対イイですよ。この本は全巻キッチリそろえておくのが大人のたしなみですよ。
そうです。年に1回か2回、大変楽しみにしている『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の最新第6弾にして最終作『VI 誕生 赤い彗星』が公開になったのであります。わたしも、いつも通りガンダムが大好きな元部下のMZ君から連絡を受け、どうしても、とMZ君が希望するので、わたしの大嫌いな新宿ピカデリーへ、安彦監督はじめ声優のみなさんによる舞台挨拶付きの回を観てきたのであります。
わたしとしてはとにかく新宿ピカデリーの客動線の悪さと構造的に大混雑となる施設自体が大嫌いなので、MZ君から新宿にしましょうと言われたときは、やだよ、とあっさり断ったのだが、今回は『THE ORIGIN』シリーズ最終作ということで、安彦先生の生の発言を聞く価値はあるか……と説得に折れ、推参した次第である。
そして作品としての評価は、もう毎回書いている通り、素晴らしくハイクオリティで文句なしに楽しめたのだが、今さらというか……わたしは観ていて、この『機動戦士ガンダム』で描かれる「ジオン公国の独立」というものが良くわからなくなってきてしまったのである。一体、彼らの求めるものは何なのか、どうすれば「勝利」なのか、そのゴールが、なんだか今さら分からなくなってしまったのだ。
というわけで、以下、その辺りをつらつらと書きなぐってみたい。もうとっくに作品としては完結しているので、もう今さらネタバレもないので、ネタバレには一切考慮せず書きます。
この『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』という作品がどのようなものかはもう今までも散々書いているので短くまとめるが、当時の角川書店(現KADOKAWA)の「ガンダム・エース」というコミック雑誌に連載されていた漫画で、安彦良和先生が直々に執筆された、「1年戦争」を新たに描いた物語だ。かつてのTV版のオリジナルに追加・修正された要素が多く、まあ、30年以上前にガンプラをせっせと作っていた30代後半~40代~50代のおっさんとしては、間違いなく興奮できる非常に優れた作品である。コミックス単行本では全23巻(+1冊後日譚の特別編)で、その「追加」されたエピソードとして特徴的なのは、ジオン・ズム・ダイクンの死から「1年戦争」開戦までの流れがとても丁寧に詳しく描かれていて、その過去の回想部分が、アニメ化され、劇場公開されているわけである。コミックス単行本で言うと、第9巻から第14巻までの6冊にあたり、それが1巻ずつ、1つのエピソードでアニメ化されているわけで、今回の『VI 誕生 赤い彗星』では、コミックス第14巻の内容が描かれているわけだ。
これまでの具体的な内容は前回の『V 激突 ルウム会戦』の時の記事を読んでもらうとして、今回の『VI』において描かれるのは、ルウムでのジオン大勝利と、レビル拿捕→脱出→南極条約締結という政治面での展開を軸に、その時、シャアやアムロ、セイラさんたちがどこで何をしていたか、なんてことが描かれる。このアニメ版『THE ORIGIN』は、とにかくコミック原作に忠実なのだが、今回はコミックにない新たな追加シーンも比較的多かったと思うが、とりわけ「おおっ!?」というような驚くべきものはなく、内容を補完する程度のものだったので、どこがどう原作コミックと違うか、とかそういうことはもう書かない。
で、わたしが観ていて、どうしても良くわからないのが、レビル将軍の行動だ。レビルは、ルウム会戦でまんまと黒い三連星に拿捕され、捕虜となる。そしてデギン公王と謁見し、お互い休戦の方向で意見の一致を見たかと思いきや、脱出後、徹底抗戦を唱えてデギンの怒りを買うことになる。そもそも、脱出は、おそらくデギンの指示を受けたキシリアと、キシリアと内通している連邦のエルランの手引きによって行われたものだと思うのだが、どうしてレビルは、デギンとの密約?である休戦を唱えず、徹底抗戦の演説をしたのだろうか?? これは非常に重要なポイントだと思うのだが、わたしには実は良くわからない。コミック版を何度読んでも、分からん。
このポイントが分からないので、なんだかそもそも、対立構造である「ジオン独立」の意味も、わたしには良くわからなくなってしまっているのである。
「独立」して、一つの国家として主権と自治権を勝ち取り、その後、ジオンはどうしたいのだろうか? そしてそもそも、その「独立」は、どうすれば勝ち取れるのだろうか? 連邦が、もう分かったから、いいよ、独立しなよ、と文書で認めればいいのかな? それではなぜ、連邦はそれを認めないのか。そして双方とも戦争継続を選んだのはなんでなのか?
デギンは、ブリティッシュ作戦(=コロニー落とし)の惨事を見て、もう人殺しにはうんざりしている。それゆえ、もう休戦をしたい、と思うのは、おそらく普通の人間なら自然な選択だ。その選択を取らず、さらに殺し合いを続けようと思うのは、明らかに不自然であり、前作でセイラさんが涙を流していったように、もはや「けだもの」と言わざるを得ないだろう。しかし、「けだもの」に落ちてまで得ようとするものは一体何なのか。それがわたしには良くわからんのだ。
そもそも、ジオンの国力がどのようなものかよくわからないが、「ジオン公国」が仮に「独立」を手にしたとしても、自給自足できるとは思えないし、まさか鎖国のような形で、連邦と一切の交流を断つとも思えない。そして連邦も、その「連邦」がどのようなものか知らないが、そもそも地球圏全体が統一国家となるようなことはまず考えられないし、そこには民族や思想、旧国家を源としたいくつものグループが存在し、そこに対立が存在しないとも決して思えない。一枚岩になることはまずありえず、常に紛争の火種、あるいは紛争そのものがそこにはあるはずだ。そんな中で、「ジオン」グループにある程度の自治を認め、「独立」させてやる、といいながら、経済的に連邦の一部として取り込むのは、意外と簡単にできることなのではなかろうか。
何が言いたいかというと、人類の半数を死に至らしめるまで殺し合う理由があるとはわたしにはあまり思えないのだ。ジオンサイドから見れば、休戦し、連邦の一員になっても、逆に連邦に潜り込んで、連邦の中枢を支配する方がうまみは大きいだろうし、連邦サイドから見れば、戦争継続よりも、和平条約の中で条件闘争する方がよっぽど安上がりだし、何より人命を失わずに済むはずだと思うのだが……。
おそらく、わたしが理解できない根本的な部分は、「アースノイド」と「スペースノイド」の心理的な、そして決して相いれない、対立構造なのだろうと思う。
たぶん、ギレンを動かす衝動は、いわゆる選民思想に基づくもので、「なんで優秀なオレ様が下等な地球人どもに膝を屈せにゃならんのだ」というもので、一方の連邦側の高官たちによる徹底抗戦も、「なんで我々高貴なる地球人が下等な宇宙奴隷どもの言うことを聞かなきゃならんのだ」という思想によるものだろう。要するにハートの問題だ。しかし、ハートの問題と言っても、所詮は権力や金といった私欲であり、巻き込まれた一般市民はたまったものではない。
まあ、現代の移民問題もまさしくそういったものであり、一般市民層ですらそういった感情を抱えているのは間違いないけれど、この対立を乗り越える存在として、ニュータイプというものがある、とする解決策のようなもの?を提示した『ガンダム』という作品はすげえなあ、とわたしには思える。
よく、「人と人は分かり合えない」という。実はわたしも、結構そう思っている。そして分かり合えないが故に殺し合いを続けているともいえるが、それが、ニュータイプなる「分かり合えちゃう人類」が誕生したらどうなるか。でも、はっきり言って上記のような、お互い、オレの方が上に決まってんだろ、みたいな闘争は、ちょっと分別があれば、アホくせえことだと現生人類たるホモ・サピエンスにも十分「分かり合える」と思うんですけどね……。でも、実際わたしだってそういった感情がゼロであるとは決して言えないし、少なくともわたしが生きている間に人類は先へ進めそうにはないですな。
話は盛大にそれてしまったが、レビルがなぜ徹底抗戦を主張したのか、正直わたしには良くわからない。しかしあの徹底抗戦演説が「1年戦争」を生んだことは恐らく間違いなく、あの時点がPoint of NO RETURNだったのだろうと思う。その意味では、本作は極めて重要な、人類の分岐点が描かれているわけで、大変面白かったです。つうか、レビルは後にデギンとともにソーラ・レイの直撃を受けて死亡するわけで、完全に選択ミスだったな、とわたしは冷ややかに思いました。連邦の政治的なTOPって誰だったんだろうか? そういや、よく考えると完全なる軍閥ですな。民主的な国家統一だったわけではなかったんですかねえ……。その辺も、詳しく知りたくなったっす。
最後に、舞台挨拶のことを少々。
わたしが観に行ったのは、安彦総監督と、池田秀一さん、そしてザビ家の皆さんの声を担当された声優陣勢ぞろいという豪華な舞台挨拶付きで、銀河万丈さんの「生ギレン」は超迫力がありました。お約束のジーク・ジオンも、万丈さんの生ボイスだとすごいすね。そして、安彦先生は、以前『THE ORIGIN』を全部アニメ化する的なことをおっしゃっておられたが、残念ながら今回が最終作ということで、その野望はかなえられずに終わってしまい、わたしには非常に悔しい?と思っておられるようにお見受けした。安彦総監督曰く、観た皆さんが宣伝し、声を上げていただければひょっとしたら……的な希望を述べられていたのが印象的だった。わたしも、是非最初からすべて新たに作り直した『ガンダム』を観たいので、今回で終わってしまうのはやっぱりちょっと残念です。
というわけで、もうさっさと結論。
わたしの大嫌いな新宿ピカデリーへ、恒例の『機動戦士ガンダム THE ORIGIN VI 誕生 赤い彗星』を観てきたのだが、もちろんいつも通り極めてハイ・クオリティな作品で、とても楽しめた。しかし『ガンダム』という作品は、いろいろ考えさせられるところが多く、やっぱり『傑作』でしょうな。この『THE ORIGIN』アニメシリーズ全6作は、ホント、かつてガンプラで遊んだことのある40代以上のおっさんには是非観てもらいたいと思う。絶対に興奮すると思うな。安彦先生、ホントお疲れさまでした。「次」がいつか実現することを祈ってますし、応援しております! 以上。
↓ 今回のお話は(14)巻です。つうか、全部読んだ方が絶対イイですよ。この本は全巻キッチリそろえておくのが大人のたしなみですよ。