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 はーーーしかし映画が全然観に行けない……つうか、観たい映画がない……。
 というのがここ2カ月ぐらいの状況だったわけだが、9月になっていよいよ、待望の映画公開が続々と近づいてまいりましたね。わたし的には今週末の『TENET』を早く観たいす!
 というわけで、今週末は、とりわけ強力に観たかったわけではないけれど、とある上場企業の株主優待で「ムビチケGIFTカード」を6枚もらえてしまったので、有効期限もあることだし、どんどん使おう! ということで、『MIDWAY』を観に行くことにした。
 まあ、題材的に我々日本人としては当然、いろいろ思うことはあるわけだが、日本人キャスト陣もしっかりしているし、少なくともトンデモおバカムービーにはなっていないだろう、という期待を込めて観に行こうと思ったところ……結論から言うと、なんかまとまりがないというか、物語的な軸がないというか、何て言えばいいんでしょう……これは断片的な再現記録映像集、みたいな感じなんだろうか? なんともポイントの絞れない緩慢ムービーだったような気がします。あと、演出的にも、いかにも中華作品(=本作は中華資本が投入されています)っぽい「うそくさいCG」、例えば爆発炎上した機体の爆炎から主人公機がずぼーーっと出てくるみたいな、全く好きになれない画作りはちょっと食傷気味というか、極めてアレだったすね。
 ただし、映像そのものの空母や戦闘機の質感だったり、演じた役者陣の演技ぶり、特に二人の日本人キャストの頑張りはとても素晴らしかったので、わたしとしては観て良かった、とは思っております。はい。あと、歴史的な正しさに関しては、わたしはこれは映画なんだから、と割り切ってるので、特に問題にしません。
 というわけで、以下、ネタバレに気にせず書いてしまうと思うので、気になる方はまず映画館で観てきてからにするか、退場してください。

 はい。それではよろしいでしょうか?
 というわけで、本作は真珠湾攻撃からミッドウェイ海戦における大日本帝国海軍航空母艦「飛龍」の最後まで、が描かれている。実はその飛龍の最後のあとはもう、エピローグ的にこの人は後にこうなった、という形で映画は終わっちゃうのです。まあ、それはそれで、山口多聞少将(死後に中将)の最期のカッコ良さが際立っていたので、アリではあるけれど、なんか、結局ミッドウェイ海戦の意義は何だったのか、とか、上記予告にあるような、勝敗を分けたものは何だったのか、というものはまるで感じることはできなかったような気がする。
 本作は、登場人物が有名な実在の人物ばかりで、わたしは予告を観た時は、情報戦を描くのかしら? と思っていたのだが……なんか、その点も薄くて、かなりあっさり風味でしたな。
 アメリカ側での主人公Dick Best氏は、正直わたしは知らない人だったけれど、彼の航空機操縦テクがやたらと描かれる場面が多く、ミッドウェイでも大活躍するのだが……はっきり言ってBest氏の航空テクが戦況をひっくり返した的に、個人の技を英雄=ヒーローに仕立て上げられているようにも感じられて、なんか、思ってたのと違う……という感覚は最後まで消えなかったす。
 たしかに本作では、US-NAVYの情報士官Edwin Layton氏率いるチームの暗号解読も描かれるけれど、なんかホントにほんのちょっとだけだったすね。そこが少し残念す。
 ほか、歴史的には有名、だけど、わたしがこの映画を観て実は初めて知ったのが、Doolittle爆撃隊の顛末だ。Doolittleは初めて日本本土を爆撃したわけで、その攻撃で日本は、コイツはヤバい、と焦りだすわけだけど(Wikiによれば被害は微少だったらしい)、本作では皇居の近くに着弾して昭和天皇が防空壕へ退避するシーン(※これは事実なのかわからんですが)もあって、日本人としてはそんなシーンがあると、確かにこれはもう、軍部は超慌ててヤバかっただろうな、と思えるような場面でありました。そしてこのDoolitle爆撃隊は、劇中では燃料残量からどこに不時着するかわからん、片道切符だけど俺たちは行く!的な英雄行為として描かれていて、結局日本爆撃後は中国にたどり着いて、地元中国人に助けられるというさまも描かれてました。これはどうやら史実通りらしいけど、さすが中華資本作品だな、と、どうでもいいことで苦笑しちゃったす。ただし、中華資本とはいえ日本側を貶めるような描写は一切なかったのも事実で、その点はキッチリとフェアだったと思います。ちなみにWikiによると、蒋介石は日本軍の報復を恐れて、受け入れを嫌がってたみたいすね。なるほど、そうなんだ。
 というわけで、わたしもポイントの絞れない緩慢レビューしか書けそうにないので、各キャラと演じた役者をメモして終わりにしよう。
【大日本帝国海軍】
 ◆山本五十六海軍大将:本作は冒頭、1930年代後半(正確な年は忘れた)の東京から始まる。そしてアメリカに留学し、在US日本大使館に武官として駐在したこともある山本氏が、きっちり英語でのちに暗号を破るEdwin Layton氏と会談するシーンが描かれる。ここは非常に印象的で、演じたトヨエツこと豊川悦司氏のカッコ良さと確かな演技が非常に素晴らしいシーンだ。ここから始まるので、これは面白くなりそうだぞ……と期待したけれど、正直ここ以外はあまり出番もなく、ちょっとさびしいというか、もったいなかったような気がしますね。とにかく、トヨエツ氏のカッコ良さは間違いないです、はい。そして、写真で見る山本五十六氏に、どことなく似てますね、やっぱり。いや、誰がどう見てもトヨエツ氏だし、Wikiによれば五十六氏は身長160cmだったそうなので、180cmを超えるトヨエツ氏と似てるわけないけれど、その佇まいというか雰囲気的なものは極めて五十六氏でした。お見事です。年齢も、どうやら現在のトヨエツ氏(58歳)と当時の五十六氏はちょうど同じぐらいだったみたいすね。ただ、本作ではやっぱり五十六氏の人物像はつかめないすね。有能なキレる男だったのか、凡庸だったのか、わたしにはよくわからなかったす。なお、五十六氏が乗艦したかの「戦艦大和」は、ほんのちょっとだけ登場します。
 ◆山口多聞海軍少将:わたしのようなオタク野郎にとっては漫画『ドリフターズ』でお馴染みの多聞少将。実は『ドリフターズ』で描かれる少将は、残っている本人の写真に非常に忠実な容貌で描かれているので、わたしは50代後半ぐらいのおっさんなのかと思ってたけど、さっきWikiで49歳没というのを知って驚いた。意外と若かった! そして今回、多聞少将を演じた浅野忠信くんは現在46歳か、わたしは『ドリフ』の多聞少将しか知らなかったから、やけに若いなあ、とか思ってたんだけど、意外と年が近くて、このキャスティングはアリだったんすね。本作での多聞少将は、見た目の良さだけじゃなく、やたらと言動が男らしくてカッコ良くて素晴らしかったす。
 ◆南雲忠一海軍中将:なんか本作では、妙に判断力の劣るダメ将官として描かれていたような印象。そんなことないはずなんだが……。。。演じたのは圀村隼氏64歳。南雲氏は当時56歳とかそんなもんだったみたいだから、ちょっと年齢差がありますな。
【US-NAVY=アメリカ合衆国海軍】
 ◆ディック・ベスト:前述の通りUS側主人公。航空機パイロット。ドッグファイトも爆撃もこなすエース(?)パイロット。彼のキャラ付けも、正直よくわからんというか、単なる勇猛果敢なカウボーイ野郎と言えばいいのか、とにかく、これぞアメリカン・ヒーロー的な描かれ方に見えるのはちょっと気の毒な気もする。演じたのはEd Skrein氏で、あーこの顔絶対知ってる……けど誰だっけ、とずっと分からず、劇場を出てすぐパンフを開いて思い出した。この特徴的な笑顔、口元のしわは、『Alita:Battle Angel』で、やたらと主人公アリータに突っかかってくる嫌な野郎、だけど結構あっさりやられまくるかませ犬的キャラだったザパン、を演じた彼っすね。
 ◆エドウィン・レイトン:海軍情報主任参謀。ホントなら彼の大活躍を観たかったというか知りたかったけど、なんかいまいち存在感は薄め。演じたのは、わたしにとっては永遠に『WATCHMEN』の「ナイトオウルII世」としてお馴染みPatrick Wilson氏。USキャストで唯一、五十六氏とのシーンで日本語をしゃべる。その日本語は、下手だけど十分に聞き取れたし、問題なく合格点だと思います。
 ◆チェスター・ニミッツ太平洋艦隊司令長官:かの有名人ニミッツ元帥を演じたのはWoody Harrelson氏なわけですが、さっきWikiでニミッツ氏の写真を見て驚いた。結構似てるっすね!? わたし的にはスキンヘッドじゃないHarrelson氏を観るのは久しぶりなような気がするけど、非常にキレ者めいた眼光の鋭さは大変良かったと思います。
【US-ARMY=合衆国陸軍】
 ◆ジミー・ドゥーリトル:前述の通り初めて日本本土を爆撃した男。出番はとても短いが、演じたのはさまざまな作品でお馴染みのAaron Eckhart氏。わたしはまた、US-NAVYとARMYの確執のようなものも描かれるのかな、とか思ったけど、ほぼなし。ついでに言うと大日本帝国海軍と陸軍の確執も、ほんの少しほのめかされる程度でした。本来的には結構重要なファクターだと思うけどな……ま、いいや。
 とまあ、キャスト陣に関してはほかにも有名役者が多く出演しているけれど、この辺にしておきます。最後に監督についてメモしておくと、本作は、わたしの大好物な「ディザスター」ムービーでお馴染みのドイツ人、Roland Emmerich氏の作品であります。まあ、その映像の派手さは本作でもいかんなく発揮されていますが、このところ自分で脚本を書いてない作品が多くて、その点はちょっと残念すね。本作も脚本は別人です。
 ちなみに、パンフによると、本作は当初、日本での配給権買い付けの手が全然挙がらなかったそうだ。まあ、内容的には確かに、日本市場においてどんなリアクションされるかわからんので、ビビったんでしょうな。で、日本サイドが描かれてるシーンを積極的に観せて営業をかましたところ、手を挙げるところが増えて、結果、木下グループが買って公開となったわけだけど、なんつうか、わたしがバイヤーだったとしても、試写で全編観て、これは面白い、買いたい! とは思わなかっただろうな、と思います。理由はもう最初に記した通り、なんかいろいろまとまってないというか、淡泊で薄口なのがちょっとアレだと思います。

 というわけで、ホントまとまらないので結論。

 日本人にとっては極めていろいろな想いのある「ミッドウェイ海戦」を、ハリウッド派手映像王のRoland Emmerich監督が描くとこうなる、という映画『MIDWAY』を観てきた。結論としては、映像的な迫力はさすがのEmmerichクオリティだし、戦艦や空母、航空機というオブジェクトのCGは本物の質感を備えていてそれなりに見ごたえはある。が、肝心のお話が……薄口というかまとまりがない、と感じられた。なんか、だからなんなの? というオチがないというか、ミッドウェイ海戦の意義や戦況のターニングポイントが、わたしの期待したようなものがあまり重要視されてないように思えたのであります。なので、まあ、それほど人にお勧めできないかな、というのがわたしの結論です。ただし、トヨエツ氏による山本五十六、浅野忠信氏による山口多聞氏はとてもカッコ良かったです。以上。

↓小学生の時に観たっすね。懐かしい。。。
連合艦隊
金田賢一
2013-11-26

 現代の世において、「宗教」というものについて真面目に考えるのは、それなりに意義深いことだとわたしは思うが、残念ながら情報の溢れるこの現代では、ほとんどの人が「宗教」というものにほぼ無関心であろうと思う。形骸化した宗教の残滓にかかわるぐらいしか、現代のわれわれは体験したことがないのが普通だろう。
 それはいい悪いの問題ではなく、単純に現代人には「宗教」にまつわる行為や思考に費やす時間がないのだから、まあ、実際のところ仕方がないと言えるのではなかろうか。かく言うわたしも、それほど深い信仰は持ち合わせていないし、おそらく平均的な日本人と比較すれば、ちょっとだけ深い、ぐらいの程度なので偉そうなことは全く言う資格はなかろうと思う。
 というわけで、今日観てきた映画は、江戸初期に日本へやってきた宣教師の目を通して、キリスト教における「神の沈黙」について、真正面から 取り上げた作品『沈黙―サイレンス―』である。原作は、狐狸庵先生でおなじみの遠藤周作氏。そして監督は、偉大なる名匠とうたわれるMartin Scorsese氏。わたしはこの作品を日本人監督では撮れなかったことがなんとも残念に思う。映画として、わたしは久しぶりに完璧だと感じたスーパー大傑作であった。

 はっきり言って上記予告はかなり出来が悪い。余計なナレーションが入っていたり、映像の編集も時系列が乱れている。ので、あまり参考にならないかもしれないことは一応一言言っておこう。以下、いつも通りネタバレ満載ですので、読む場合は自己責任でお願いします。
 さて。キリスト教における「神の沈黙」。それをごく簡単に普通にわかりやすく言うと、「どうして神様は助けてくれないの? なぜ黙っているの?」ということに尽きるのだろうと思う。本作で舞台となるのは、江戸初期のキリスト教が禁止されていた時代で、禁止どころか時には死罪にもあたるほど、激しい弾圧が加えられていた時代だ。まさしく島原の乱が起こって鎮圧され、鎖国が始まったころの話である。本作は、そんな時代に日本にやってきた宣教師が、日本人なら誰しも習う、「踏み絵」を踏めるかどうかの話だ。踏めば、自由の身、そして信者たちもおとがめなしで解放される。しかし断るならば、信者を殺す。そう突き付けられたときに、宣教師は「踏める」のかどうか。そしてそんなウルトラ大ピンチに、神はどうして何も言ってくれないのか。信者の命を見捨てることで保たれる信仰とは何なんだ、というのが本作のポイントであろう。
 おそらく、わたしを含め、キリスト教信者でない現代の日本人から見ると、もうさっさと踏んじゃえばいいじゃん、それでも心の中ではバーカって言ってりゃ済むじゃん。死んじゃあどうしようもないでしょ、と思うのではないかと思う。実際、登場する日本の武士階級の役人たちも、形式的でいいし、軽く、ちょっと踏むだけでいい、だから頼むから踏んでくれ、オレたちはお前が憎いんじゃないしお前たちを傷つけたくはないんだ、と頼み込む。それは、武士たちにとっては完全に法であり、政策であり、行政ルールだからだ。ごみは分別して出してくれ、と同じぐらいのレベルの話であろう。そして主人公たるロドリゴは、悩みに悩みまくる。
 おそらくこの状況は、登場する日本人武士の方が現代的であり、ロドリゴの方がプリミティヴというか原始的な思考だと言えそうな気がする。どうしてもわたしには、ロドリゴの苦悩が、本質的によく分からない。というのも、わたしは信仰とは心の持ちようであり、生きてこそ、だと思っているので、いかに心の中で、相手に対してクソ野郎だと持っていても、殺すと言われればその靴を余裕で舐めるにやぶさかでないからだ。そこに、神様助けて、と思うような感情は間違いなく発生しないし、クソ野郎の靴を舐める行為が神罰に値するとも思わないし、クソ野郎の靴を舐めたからと言って傷つくプライドも信仰心もないからだ。
 だからもし、ロドリゴが最後まで「踏まず」に、信者を見殺しにして「殉教者」として自らの死を願ったとしたら、わたしの目にはロドリゴは現代のイカれた狂信テロリストと全く同じに見えただろう。だが、ロドリゴは、ある種の決意をもって、「踏んだ」。そして信者を救うことを選んだ。この葛藤は、絶望によるものなのか、神との決別なのか、生への執着なのか、これは観た人それぞれの判断に任せられるポイントだろう。いずれにしても、神は沈黙したままである。神がおわすならば、だが。
 しかし、本作では、どうもやはり、当時のいわゆる隠れ切支丹のキリスト教信者たちも、若干の原始的な信じ方をしているようで、祈れば救われる、天国、パライソへ行けると本気で信じている節がある。そういう意味では来世を信じる仏教的な思想(と言っていいのかな?)とまじりあっているような気がするが、おそらくそれは、キリスト教を侵略の手段として利用しようとしていたヨーロッパの思惑も影響しているのだろう。その点は現代テロリストたちと意外と共通しているのではなかろうか。その意図に気づいたからこそ日本ではキリスト教が禁止されたともいえるわけで、そこに気が付いていないロドリゴたち宣教師は一番の被害者だったのかもしれない。とりわけ信長あたりは、宗教と政治の対立には痛い目に遭ってきた経験もあるわけで、そのカウンターとしてキリスト教を利用しようとした信長と、逆に脅威とみなして禁止した家康と、キリスト教にとっては対照的だが、実際やっていることは同じだったのではなかろうかとも思う。当時の宗教と政治は、日本だけでなく世界中で切り離せないものであったのはきっと確かだろう。それは現代でも、狂信テロリストを生み出す土壌でもあるし、ある意味宗教は道具として使われてしまっている面があるのは間違いなかろう。要するに人心掌握の手段というわけだ。
 そして、本作で一番理解するのが難しいのが、ロドリゴの葛藤よりもキチジローの行動の方だ。キチジローは、家族の前で「踏み」、村の信者の前でも「踏み」、おまけに金のためにロドリゴの居場所を密告したりもする。そしてその度にロドリゴに告解し、許しを求める。こうして書くと、とんでもない裏切り者の、まさしくユダ的人物のように聞こえるかもしれないが、どうしてもわたしには、その時のキチジローの脳裏には、おそらく全く何の悪意もないように見える。死にたくないから「踏む」。金が欲しいから密告する。だけどそんな自分に猛烈に心が痛む。だから助けて司祭様、という、実際のところ心に素直に従っているだけ、の純粋な野郎と言ってもよさそうである。そしてその、言ってみれば「生への純粋さ」のようなものに、ロドリゴは苦しめられる。コイツ、何なんだよ、と、ロドリゴには若干不信もあっただろうし。しかし、キチジローのそういったある意味ボン・ソバージュ的なところは、聖職者であるロドリゴにとっては、どうしても切り捨てることができなかったのだろう。なぜなら、人間誰だってキチジローなる部分を持っているからだ。わたしはキチジローに対して、とんでもねえ野郎だ、とか、そりゃそうなるよなあ、とか、頭に来たり共感したりと色々な感情をもって観ていたのだが、それを苦しみながらも抱え込もうとするロドリゴの姿には、これが聖職者というものであり、また、キリスト教的(というより正確にはカトリック的か?)な許し、なんだろうなあ、と思うに至った。最終的に、ロドリゴは棄教し、江戸で生涯を終えるわけだが、その死までに何度も私は棄教しました、的なことを書類で提出させられたんだそうだ。しかし、ラストで描かれたように、ロドリゴの心には常に神があったわけで、周りからは「転んだ」卑怯者的な扱いを受けても生き抜いたその姿は、やっぱり立派というか、わたしの胸にはとても響くものがあったのである。
 というわけで、そのロドリゴを熱演したAndrew Garfield君は大変素晴らしかったと思う。わたしにとって彼は、SPIDER-MANをぶち壊した野郎ではあるものの、彼に非は全くなく、監督と脚本がダメだっただけで、実際のところ彼は何気に演技派だし、今回の演技は本当に素晴らしかったとほめたたえたい。USではとっくに公開されているけど日本ではこれから公開される『Hacksaw Ridge』も期待してます。
 また、同僚司祭として一緒に日本にやってきたガルペを演じたのが、宇宙一の親不孝者カイロ・レンでお馴染みのAdam Driver君。いつもの汚い長髪&髭面と、相変わらずひょろ長い手足で不気味な男ですが、今回はAndrew君とともに、やはり素晴らしい芝居ぶりでありました。まあ、後半は出番がないのでアレですが、殉教シーンはグッと来たね。STAR WARS次回作ではさっさと善に戻ることを期待します。
 次。二人の司祭の師匠であり、日本で消息を絶った先輩司祭を演じたのが、我らが戦うお父さんことLiam Neeson氏。この人はやっぱり師匠的な役が似合いますね。終盤登場してロドリゴと再会するシーンの問答は静かなシーンなのにすごい熱量でした。あそこも見どころの一つでしょうな。 
 そして日本人キャストも非常に素晴らしかった。キチジローを演じた 窪塚洋介氏、通詞を演じた浅野忠信氏ともに非常な熱演だったし、とりわけわたしは井上筑後守を演じたイッセー尾形氏の芝居が非常に印象に残った。どうやら、原作においては、通詞も井上筑後守も、もとは切支丹で棄教した男、という設定らしいですね。その設定は映画では触れられずであったけれど、そこも描いたらもっと深く感動があったのではないかと言う気がします。それから、可哀想な運命をたどる信者の女子を演じた小松菜奈嬢も大変可憐でしたなあ。芝居ぶりも大変素晴らしく、失礼ながらちょっと驚きました。
 あと、どうでもいいことだけれど、とにかく、役者の着る服、汚れたメイクなど、映像の質感もさすがのハリウッドクオリティで、まあ、ほぼ台湾ロケだったそうなので、風景や村の様子などは若干日本ぽくはないような気もするけれど、 日本映画ではこうはいかなかっただろうなと思う。予算規模も全然違うだろうしね。
 ところで、最後に語られる、「この国にはキリスト教は根付かない」。なぜならこの国は沼地だからだ、という話はどうなんだろう。あれは、要するにまだ日本は戦国を経て江戸幕府という政治形態が生まれたばかりであり、ぐちゃぐちゃだということを意味しているのか、それとも、日本という国の精神性・文化的歴史を沼地と例えたということなのか。このことについては、わたしはまだ理解は出来ていない。この解釈は難しいなあ……わからん……泥の沼……うーん……これを理解するには、原作小説を読むべきかもしれないな……。

 というわけで、キレが悪いですがもう長いので結論。
 Martin Scorsese監督による、遠藤周作先生原作の『沈黙―サイレンス―』は非常なる傑作だと思う。脚本・撮影・演技ともに素晴らしく、パーフェクトとわたしとしては激賞したい。まあ、なんでも神に頼っても、神は 沈黙でしか答えてくれないわけで、やはり自分自身の心のありようが信仰の最も核になるのだろうと思う。なんでも神任せにしたら、イカれた狂信テロリストと同じだもんね。そしてなんといっても、生きてこそ、なんでしょうな。そして、信仰の自由が一応認められている現代は、やっぱり少しは人類は進化したと言っていいのかもしれないすね。なんかどうもキレが悪いけど、以上。

↓ マジで読むしかないような気がします。
沈黙 (新潮文庫)
遠藤 周作
新潮社
1981-10-19
 

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