今、本屋さんの文庫売り場に行くと、表紙カバーにコミック調のイラストを起用した作品がやけに多く目立つ状態にあるのは、もうお馴染みの光景だろう。わたしは、その先鞭をつけたのは、「メディアワークス文庫」というレーベルであると思っているのだが、その、「メディアワークス文庫」の書店店頭における存在感を一躍押し上げたのは、間違いなく『ビブリア古書堂の事件手帖』という作品だと思う。思うというか、間違いない。この作品のミリオンを超える大ヒットによって、似たような、ヒドイ言い方をすればパクリ企画が横行したのは、たぶん出版関係者なら、口では認めなくても心の中では認めるはずだ。わたしも、この『ビブリア古書堂の事件手帖』は、一番最初の(1)巻が発売されたときから読んでおり、大変面白く、楽しませてもらっている作品である。
 その物語は、ごくざっくり説明すると、北鎌倉の駅のそばにある「ビブリア古書堂」という古書店を舞台に、超美人の店長、栞子さんが、古書や文学史・出版史にまつわるトリビアを交えつつ、店を訪れる人々の問題を解決するというもので、実に面白い作品である。膨大な知識に基づいた、ある種の安楽椅子探偵じみた推理は読んでいて実に爽快だし、またキャラクターも大変よろしい。まあ、残念ながらこの現世には、モテない読書好きの男が夢に描く理想を体現したかのような「栞子さん」は存在しないと思うが、とにかく、少なくともわたしの好みには、物語も栞子さんも超ど真ん中のジャストミートである。
 というわけで、一応の(?)完結編となる第(7)巻が発売になり、わたしもさっそく読んだ。以下、ネタバレも混ざっているので、気にする人は以下は読まないでください。

 ちなみに、どうでもいいことなのだが、実は紙の文庫版では2月にとっくに発売になっていて、電子書籍では1か月遅れでやっと発売になり、ようやくわたしも読むことができた。しかし電子での発売日に買って読み始めて1.5日で読み終わってしまったので、読み終わったのはもう数日前になる。なんだか、この記事を書くのに妙に時間がかかってしまった。一応ですね、わたしもそれなりにちゃんと働いておりますので、ヒマではないのです。
 そしてもうひとつちなみに、本書は、明確に続きモノで、いきなりこの(7)巻を読んでも全くわからないと思う。まあ、いきなり(7)巻だけ読んでみようという人はいないと思うが、実のところ2年2カ月ぶりの新刊になるのかな、わたしはもうすっかり、前巻がどう終わったのか忘れていたので、(7)巻の電子版発売前に、復習として少し前の巻をパラパラ読み直しておいた。あ、わたしが持っているシリーズは電子書籍だから、パラパラ、じゃないか。1巻から4巻まで紙で読んでいたけれど、5巻が出た頃に、電子で全部買い直しました。
 で。何から書くか……。続きモノなので、説明すると膨大になるんすよね……この(7)巻の物語における前提がいっぱいあるからな…… ひとつだけ、大きな前提となるポイントとして挙げておかなくてはならないことは、栞子さんの母親についてであろうか。
 栞子さんは、北鎌倉に妹の文香ちゃんと二人で暮らしている。栞子さんはもう大学を卒業していて、文香ちゃんはまだ女子高生、(7)巻時点で、栞子さんが26歳(?)で文香ちゃんが3年生かな。 この姉妹のお父さんはすでに亡くなっているのだが、母親は、「10年前に失踪」してしまっている。一応、物語の中でチョイチョイ姿を現すものの、家には帰ってこない。そもそも栞子さんは母親の身勝手さを許していないし、母親も、破天荒というかまったく娘たちを放置していてるひどい状況にある。栞子さんは母親が嫌いだし、母親は栞子さんの書籍知識をまだまだだと思っている。そんな、世間一般的でない関係の二人なのだが、母がなぜ「失踪」したかというと、どうもなにやら幻の本を追って世界中を巡っているらしいことしか分からない。そしてまさしく今回の(7)巻で、その因縁の「本」にまつわる物語は一応の決着がつくという形になっている。それゆえ、冒頭で「一応の完結編」と書いたのだが、三上先生のあとがきによれば、キャラごとのスピンオフ的なものはまだ書く気がある、とのことなので、今後もまだ、『ビブリア』キャラたちに会えることもあるみたいですね。
 さてと。肝心の(7)巻だが、読んでわたしが何を感じたかというと、完結と言っても、なんかすっきりしたような、しないような、若干微妙な感じを真っ先に受けた。唯一すっきりしたのは、栞子さんと五浦くんの関係ぐらいだろうか。
 この巻で問題となる本は、Shakespeareの「ファースト・フォリオ」というものである。去年、また1冊発見されそうで、2016年4月時点で234冊現存するそうだが、要するに、世界で最初に出版された、Shakespeare最初の全集本で、没後7年経った1623年に出版されたもの、なんだそうだ。栞子さんのお母さんが探し求めていたものがまさにこの本で、作中の記述によればその価値は億円単位らしい。この、世界にその存在が認めらていない幻の本(推定1億円以上)を巡って、栞子さんのおじいさん世代の因縁がからんでの謎解き合戦となる。
 今回登場する悪役的なキャラは、かつておじいさんの番頭的なポジションだった男で、当然年寄りなのだが、非常に『ヴェニスの商人』のシャイロック的な言動で(勿論わざとであって、自らそういうキャラを演じているのだが、素でそういう男なのかも。よく分からん)、栞子さんと、栞子さんのお母さんに挑戦してくる。それは、おじいさんが持っていたとされるファースト・フォリオがこの4冊のコピーのうちの一つにまざっている。それを見分けられるかな? 的なもので、古書店協会の競売に出品して、お母さんと栞子さんがそれをめぐってオークションバトルをするというのが本編のクライマックスだ。
 だけど、その競りも結構あっけないというか、所詮は持ち金の多寡で決まってしまうわけで、売れば億単位のものなんだからもっと必死で競ればいいのに、と、わたしは無責任に思った。結局はいくら資金を用意できるかの問題であって、栞子さんが相当な覚悟で金を用意してきたのに、お母さんはそんなもんなんだ、というのがわたしが感じたあっさり感の源であろう 。まあ、わたしなら五浦くんの10倍、はきついけど5倍ぐらいは用意しただろうな。そう、なんかその本を手にしたいという迫力というか執念のようなものがまるでないんすよね。結局、本を手に入れる目的が金のため、だからなのだろうか? 心の底からその本が欲しい、とは到底感じられなかったのが、どうもわたしの感じるあっさり感の根底にあるような気がする。読んでいて納得できるような執着心がなく、じゃあアナタはなんで欲しかったの? というのが良くわからなかった。
  加えて言うと、まあ結局のところ、栞子さんは無事にGetでき、借金もしないで済んだし、文香ちゃんの大学進学資金もできたし、おまけに五浦くんからきちんとプロポーズされて、OK出したし、めでたしめでたし、なわけだが、お母さんとの関係は、正直あまり変わっておらず、お母さんはまたさっさとどっかへ行ってしまうエンディングには、なんというか、どうも全てすっきり終わったとは感じられなかった。
 うまく言えないのだが……やっぱりこれで完結、という気がどうにもしない。その点がわたしとしては若干残念に感じたポイントだろう。栞子さんも、ズバリ、あまり初登場時から成長していないし。唯一、五浦くんとラブラブになって、ちょっと積極的になったぐらいだろうか。ラブコメならこれでいいけれど、なんというか、栞子さんの成長がきちんと描かれてほしかったように思う。
 ちなみに、本シリーズは、基本的には五浦くんの一人称語りであるため、正確に言うと主人公はこの語り手である五浦くんであるというべきだろう。ただ、まあ、五浦くんは大変イイ奴だし、栞子さんをモノにする(我ながらなんてゲスな表現!)のは実にうらやまけしからんけれど、彼も成長したのだか、初めからあまり変わっていないのだか、実に微妙な気がする。読んでいる時は面白いからいいけれど、うーん、まあ、栞子さんと五浦くんの将来に幸あれ、と読者としてはクールに去るのが礼儀だろうか。ま、ホント、お幸せにな、お二人さん! あばよ!
 あと最後に、今回の最終巻に合わせて、アニメ化と実写映画化が発表されるというトピックスもあった。わたしはアニメは観ないと思うけれど、映画は、「誰が栞子さんを演じるか」には大変興味がある。数年前のTVドラマ版はなあ……あの女優は別に嫌いじゃないし、実際可愛いと思うけれど、栞子さんと言えば「黒髪ロング&巨乳」なのに、なぜショートカット&つるペタだったんだろうか……わたしは彼女には全く罪がないと思う。むしろ絶対いろいろな批判が出る役なのに、ホント頑張ったと讃えたいぐらいで、そもそも批判されるべきなのはキャスティングしたプロデューサー以外いない。だって、いわば、ケンシロウの役にアンガールズの山根くんをキャスティングするようなものじゃあないか……。ま、いずれにせよ、映画に関してはキャストの続報を楽しみに待っていたいと思う。
  
 というわけで、まとまらないけれどもう結論。
 メディアワークス文庫『ビブリア古書堂の事件手帖』の本編完結となる(7)巻が発売になり、さっそく読んでみたところ、まあ、安定の面白さ、であることは間違いないのだが、結末的にどうも完結のすっきり感が乏しく、また、一番の謎だった母親の求めていた本への執着もあまりなくて、ちょっと……なんというか、だいぶあっさり感を感じた。でもまあ、間違いなく言えることは……栞子さんは最高です。以上。

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