わたしは月に3本以上映画館で映画を観ているので、かなりの予告編を目にする機会がある。さらに言うとわたしが通うシネコンは、その9割方が家の近所か会社の近所のTOHOシネマズであるため、東宝が制作・配給する邦画の予告もかなり多い。ハリウッド洋画が大好物なわたしでも、そんな邦画の中には、もちろん、お、これは面白そうかも、という作品があるわけで、去年ぐらいか、今年に入ってからか、もはや全然覚えていないが、やけに何度も目にした邦画作品がこれだ。

 最高ですよね、この「予告」は。これはもう、観るしかあるまい、阿部ちゃんは相変わらずキてんなあ! と誰しもが思う、相当傑作な「予告」だ。なので、わたしも公開初日の昨日の金曜日、会社帰りに日本橋TOHOへ向かったわけである。タイトルは「のみとり侍」。女性相手の売春を行う「のみとり屋」稼業に身をやつした真面目な男を描いた喜劇である。わたしは、観る前は、こりゃあ相当の傑作に違いない! とか思って期待していたのだ。
 そして、実際に観てみたわけだが、結論から言うと、物語はおおむね予告通りで、大変笑えるシーンも多いし、熟練の役者陣の演技合戦はとても素晴らしい、のだが……ズバリ言うと、映画の出来としてはいろいろ文句をつけたくなる作品で、ちょっと、いや、かなりもったいないような、若干残念ムービーであったと結論付けざるを得ないように感じた。
 その点を以下、いろいろと覚書として記しておきたいのだが、おそらくネタバレに触れる可能性が高いので、まだ観ていない方はここらで退場していただいた方がよいと思います。まずは映画館へ行って、観てきてください。

 さてと。映画そのものの出来に関しては、残念ながらイマイチ肯定的な感想が書けそうにないので、まず先に本作で描かれる、日本の性文化について、思ったことをまとめておこう。
 わたしは数年前、永青文庫にて開催された『春画展』にも行ってみたのだが、「春画」を観て、そして本作を観て、つくづく思うのは、どうも江戸時代は、性に対してもっとオープンというか、人間なんだからセックスは当たり前だし、誰だって好きっしょ? 的な雰囲気だったのではないかと想像する。これはどうしても根拠が見つからなかったので、単なるわたしの想像だが、現代人たる我々が抱く、セックスに関する抑圧された?というかタブー的な思想は、ひょっとすると西洋キリスト教文化の影響なのではなかろうか。汝誨淫を禁ず、的な。純潔思想も、もちろん日本でも嫁入り前の女子が処女でないことは大いに問題があっただろうし、神道的なというか儀式的?な面でも重要視されたと思うけれど、純潔、あるいは貞操観念なるものは、どうも西洋っぽく、日本では近代以降の思想、常識のような印象を受ける。正しいかどうかはわからんけれど。
 しかし事実として、江戸時代の日本においては、春画というエロ本が多くの人々に受容され、楽しまれていたようだし、売春もある意味普通に行われていたし、男目線からすれば、武家が「家」を永続させるという名目のもとに「側室」をそばにおいてヤリまくっていたのだし、また現代的に言えば最高級コールガールである花魁、その最高峰である「太夫」という存在は、人々のあこがれでもあったわけだし、さらには、本作でも描かれるように、江戸時代は女性が男を買う、なんてこともあったわけで、まあ、セックス大国JAPANはいわば日本の伝統でもあったように思う。夜這いなんてのもあったしね。
 何が言いたいかというと、だから現代はダメなんだということではなく、江戸時代というのは本当に平和で、本当に自由だったんじゃないかしら、ということだ。もちろん厳格な身分制度があって、いわゆる民主的な自由はそこにはないだろう。また、飢饉や意味不明な法令もあって、一般庶民には厳しい時代だっただろうし、貧農から人身売買で売られてきた女性たちの悲劇など、人権的に見ればもうどうしようもなくひどい時代だったことは間違いない。ので、「普通の(?)江戸市民」に限定した方がいいのかもしれないけれど、1600年から1868年という時代は、西洋諸外国においては、そりゃあもう戦争して殺し合いをしまくっていた時期に当たるわけだし、アジア各国は侵略されまくって植民地化されていた時代なわけで、少なくとも、おそらく当時世界最大の都市である江戸に住まう人々は、現代人が思うほど不便でなく、毎日を生き生きと、自由闊達に暮らしていたのではないかしらという気がする。
 本作は、「のみとり屋」なる女性相手の売春宿を中心としたお話だが、まあ、なんつうか、そりゃあ女子だって性欲旺盛ですわな、しかも全然こっそりじゃねえし! という点はとても新鮮で面白かったし、もちろん、日本伝統の男色のための男 for 男の売春夫もいたりなんかして、わたしとしては非常に興味深く物語を堪能することができた。つうか、「のみとり屋」ってフィクションですか? ホントにあった商売なのか? パンフによると本当にあった職業らしいが、なんかホント、江戸という大都会は世界一だったんだなあ、なんてことを非常に強く感じた。
 というわけで、本作『のみとり侍』は、実際笑えるし、ネタとしても大変面白かったのだが、どちらかというと面白いというより興味深い方向にわたしは観ていた。が、残念ながら、映画としては……冒頭に記した通り、残念な部分が多く、いささか期待を下回る感想を持つに至ったのである。
 わたしが感じた残念ポイントは、脚本・演出・音楽の映画三大要素とわたしが感じている根幹の部分で、この芯の部分が若干アレだったのがとても残念である。
 まず、脚本だが、物語として、阿部寛氏(以下:阿部ちゃん)演じる主人公・寛之進が「のみとり侍」に身をやつした理由の裏には、バカ殿の不興を買ったためではなく、実はある種の陰謀があったと分かる後半は、ちょっと問題アリのように思う。物語の背景には時の老中・田沼意次と綱紀粛正を目指す白川藩主・松平定信の権力争いがあって、どうやら主人公の仕えるバカ殿=越後長岡藩主である牧野忠精は田沼への贈賄をしていて、真面目で融通の利かない寛之進がうっとおしかったため、理由をこじつけて藩から追い出した、というれっきとした動機があったのだが、わたしはその理由がナシ、ではないと思うし、むしろアリだけど、その秘密の暴露が、描かれ方的に何の伏線もなくとても突然で、なーんだとしか思えず、非常に残念に感じたのである。また、脚本的に田沼に肩入れしすぎた部分が正直意味不明で、一方の松平定信はほぼなにも描かれず、善悪の対比も明確でなく、結果としてエンディングはなんだか強引に物語が終わってしまうのもいただけない。ついでに言うと、寛之進が「女の悦ばせ方」を指南してもらう江戸No.1プレイボーイ清兵衛の後半の扱いは相当雑で、もはや意味が分からず、非常にガッカリした点であったと思う。
 あと、脚本的にわたしがちょっとなあ、と一番強く感じたのは、寛之進のセリフだ。彼は、どうやら藩邸内や藩の仲間に対して(?)はお国言葉を、江戸市中においては江戸弁を、というしゃべり方の違いを意図しているように感じたけれど、本編内で頻繁に使われる寛之進の心の独白的ナレーションが、お国言葉だったり江戸弁だったりするのはやっぱり変だと思う。おそらく寛之進は江戸詰めが長いのだろうから、全て江戸弁で、もっと武士っぽい言葉遣いにするのもアリだろうし、映画的に面白くさせるためなら、もっと言葉に派手な方言を織り込んで田舎者感を強めた方がよかったと思う。とりわけ、阿部ちゃんの朴訥で真面目なナレーションが一番(?)笑いを誘うんだから、ここはもっとポリシーをもってデフォルメしてほしかった。
 そして演出面では、やっぱり若干古臭さが漂っていたのは誰しも感じるところではないだろうか。もちろん、ここ数年のコミック原作映画のように、コミック的誇張表現をそのまま映像化するような安っぽさやガキ臭さは必要ないと思う。けど、なんつうかなあ……具体的に指摘できないんだけど、せっかくこんなポップで明るい話なのに、昭和っぽいんすよね……。編集もなんだかテンポが悪く、冒頭なんておっそろしくポンポンと話は進むのに、中盤~後半はやけにじっくりだったり、物語の流れの緩急が、妙にリズムが悪く感じられた。これは音楽にも言えることで、なんでもっと明るくポップで派手な音楽にしなかったんだろうか。そして音楽やSEも、ここだ! というタイミングからちょっとズレているとは観れば誰しも感じるのではなかろうか。音楽を担当したのは41歳と若い羽岡佳氏で、アニメや戦隊ものの音楽を担当するなどポップで明るい曲も書ける人のはずなのだが……観終わった後で、全く曲が頭に残らないし……なんだかとても残念です。いっそ、スカパラ的な音楽が似合うと思うんだけどな。
 まあ、御年78歳?の鶴橋康夫監督では、やっぱり古臭いと感じられてしまうのやむないことだろう。昨日わたしが観た回の観客は7割方シニア客だったので、客層には合っているのかもしれないし、若い監督が何か勘違いして漫画のようにしてしまうよりずっとマシだったかもしれないけど、実際問題として、78歳のおじいちゃんがキャッチーなコメディを獲るのはちょっとキビかったように思う。これじゃあ、若い客は観に来てくれないだろうな……。こんなに笑える物語なのに、ホント残念す。
 最後に、そんな脚本演出をものともせず、見事な演技を披露してくれたキャスト陣をざっと紹介して終わりにしよう。
 ◆寛之進:主人公。越後長岡藩士。ド真面目。ド不器用。演じた阿部ちゃんはもうホントに最高でした。この映画も『テルマエ』同様、阿部ちゃんでないと成立しない作品だったと断言できる。「下手くそ……」とショックを受ける寛之進はもう最高すぎて大爆笑必至ですよ。
 ◆清兵衛:もと旗本の次男坊(要するに武士)だが、商人の家に入り婿した色男。寛之進のセックス師匠。演じたのは豊川悦司氏。この人は年を取って太ってしまったのが残念すね……20年前はホントにカッコいい男だったけど、あの頃の体形に戻してほしい。演技ぶりはまあいつもの豊川氏だが、何気にこの人もコメディはいける口なので、本作でも豊川氏のの魅力は大いに発揮されていたと思います。
 ◆甚兵衛:のみとり屋の主人。江戸っ子的なせっかちなオヤジというか、どんどん勘違いして一人納得する様は観ていて笑える。演じたのは風間杜夫氏。ええっ!? なんてこった、風間氏は現在69歳だって。うっそだろ、もうそんな年齢なんだ……演技ぶりは一番素晴らしかったとわたしとしては称賛したい。
 ◆おみね:寛之進の最初のお客の女性で、寛之進の亡くなった奥さんに瓜二つの女性。田沼意次の妾? 最初はド下手くそな寛之進に激怒するも、清兵衛の薫陶を受けてテクを身に着けた(?)寛之進の若干勘違い気味の激しいセックスにもうメロメロに。好きですのう! 演じたのは寺島しのぶさん。わたしはこのお方を今まで気にしたことはなかったけれど、なかなか色気もあって大変良かったと存じます。
 ◆おちえ:清兵衛を婿に取った商家の女主。もともと純情な娘だったのに、清兵衛に性開発されてしまってすっかりハードなドS女に変身。清兵衛さんに浮気防止のためそのイチモツにうどん粉を塗るなど、強烈なキャラに。清兵衛さん……あんた……完全に自業自得だぜ……w 演じたのは前田敦子ちゃん。激しいドSぶりも大変可愛らしいと存じます。
 ◆越後長岡藩主・牧野忠精:寛之進の仕える殿様。演じたのは松重豊氏。バカ殿の演技ぶりはもう最高に良かった! けど、脚本的になあ……ラストの心変わり?も唐突だし、もっと物語に関与できたはず……ホントもったいないと思った。
 ◆田沼意次:様々な時代劇や歴史小説で悪役としてお馴染みだが、本作ではどうも若干イイ人的描写もあって、なんか軸がブレているようにも感じた。演じた桂三枝あらため6代目桂文枝氏も、はっきり言って演技としてはかなり微妙。この人を使う意味はほぼなかったと思う。
 あーーーもうキリがないからこの辺にしておくか。

 というわけで、まとまりなくだらだら書いてしまったのでぶった切りで結論。
 予告を観て、これは相当キてるぞ!? と期待して観に行った映画『のみとり侍』だが、確かに、役者陣の熱演は素晴らしく、とりわけ阿部ちゃんこと阿部寛氏のキャラは最高に笑わせてもらったのだが、映画としての出来は、正直いまいちだったような気がする。本作は阿部ちゃんでなくては絶対に成立しない作品だったとわたしは断言してもいいぐらいだが、ホント、もっともっと笑えて泣ける話に出来たはずなのだが、エンディングはかなり唐突かつぶった切りで、もう少し脚本的になんとかできたはずだと思うととても残念である。ま、変に漫画のようになってしまうよりマシか。でも、音楽も演出も、もっともっとポップでキャッチーな作品できたはずで、興行成績的にも『テルマエ』クラスに大ヒットしたかもしれないのにな。きっとこの映画、10億は超えるとしても、20億30億は厳しいと思うので、来週からの興行成績を注目したいと思う。以上。
【2018/06/11追記:興行的には4週目でもうTOP15ランク圏外=10億は到底無理だったようです。ホントにもったいない……】

↓ ちゃんと原作小説があります。どうやら短編集らしいすね。読んでみるかな……。