永青文庫、というところをご存じだろうか? 目白台の椿山荘のすぐ近くにある、まあ博物館というか美術館のような施設なのだが、元々は、肥後熊本藩、細川家の江戸屋敷があった場所だそうで、細川家伝来の美術品や工芸品などを展示・研究することを目的として昭和25年に財団法人化され、昭和47年からは一般公開をしているんだそうだ。ちなみに熊本藩細川家といえば、宮本武蔵を客分として迎え入れ、武蔵終焉の地としてもおなじみだが、もう一つ、細川家といえば、元首相のあの人の家でもある。実際、現在の公益財団法人永青文庫の理事長は、まさにあの細川元首相その人である。まあ、永青文庫とはそんなところで、わたしも、母校に近いのでかつて2回か3回は訪れたことがあるのだが、今、連日大変な来場者でにぎわっているというニュースが報道されている。何故かというと、とある展示会がめっぽう評判だからである。わたしも、開催前からこいつは観に行く価値があるな、と思ってチケットを早々に入手していたのだが、やっと昨日、観に行ってきた。↓これ。
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 そう、わたしが観てきたのは、『SHUNGA 春画展』である。報道通りかなりの盛況であったが、これが想像よりもはるかに生々しく、ちょっと、女子と一緒に行くと若干アレかもしれないが、一度観に行った方がいいと思う。わたしが行った時は、だいたい50人ぐらいかな、人が並んでいて、まあ、会場内のうるせえことといったらもう、もうちっと静かに鑑賞できんのかね? というぐらいみんな感想を喋りまくっていて、それもちょっと驚いた。
 とはいえ、わたしも順番に展示を見始めて、すぐに理解した。確かに、観ていてしゃべりたくなる気持ちがすごくわかる。なんというか、この展覧会に限って言うと、黙って神妙な顔をして観ている方がちょっと変かもしれない。なので、わたしも、とある春画の前では、マジか、なんだこれすげえ! とか声に出してしまったり、ちょっと笑ってしまったり、普通の絵画展とはちょっと違う、なんとも不思議時空が発生していたことが印象的である。だって、展示されている絵のほぼすべてが、Hしてる絵だよ? そりゃ異様だわな。なんというか、とりあえずなんかリアクションしないと、と思ってしまう気持ちは、たぶん実際に行って体験してもらえば分かってもらえると思う。アレだね、家族でTVを観てるときに、ちょっとお色気シーンが出てきた時のような、なんとも微妙なあの空気感に近いのではなかろうか。

 というわけで、『SHUNGA 春画展』である。そもそもは、2013年秋から2014年にかけて、かの大英博物館にて開催された春画展を、日本でも開催しようとして主催者は各方面に働きかけたらしいのだが、どこの美術館も、「いやー、それ最高っすね、やりたいなー。でも、うち、公立なんで、なんかくだらんクレームとか問題視されたらマズイんすよね、いやー残念だなー、うちで開催できればなー」と、ことごとく断られてしまったんだそうだ。そういう状況で、「うちでやりましょう」と名乗りを上げてくれたのが細川家のある意味私有地である永青文庫だったんだそうだ。まあ、残念だが各美術館関係者が尻込みする気持ちもわからないではない。そして求めに応じた永青文庫はなかなかあっぱれだと思う。
 わたしがそう思うのは、実際に実物を観たからである。これは……いくら芸術だと言っても、馬鹿な文句をつける奴は絶対いるであろうということは想像に難くない。わけのわからん人権団体だとか、プロ市民の目に留まったら、一発で問題視される可能性があると思う。それほど、マジですごい生々しいというか、まあ、実際のところエロ本だもの。

 ところで、わたしが興味があるのは、春画で描かれている絵柄とか芸術性ではなくて、春画という存在そのものである。なんと言えばいいかな、絵じゃなくて、なんでそんな絵が存在しているのか、というその理由だ。いわゆる、レゾンデートルって奴ですな。
 わたしは、職業上これまでにいわゆるエロゲーと呼ばれるものもやったことがあるし、エロゲーの原画集や、もはやこれはエロ本としか言いようがないのでは、という本も仕事の中で接してきたし、そういうイラストを描くイラストレーターと仕事をしたこともあるので、実際のところ、全く抵抗はない。それは商売として成り立つ以上、倫理的にこれはちょっと……というものでない以上は、冷静にその価値を判断できないといけないわけで、別に恥ずかしくもなんともない。そんな、エロイラストに慣れ切っているわたしでも、生で見る「春画」は、すごいインパクトである。だいたい、「春画」って、いったいどういうものなんだろう? 目的は? 誰向け? など、そういうことをわたしは知りたいのだ。なので、わたしは今回の展覧会でその謎が解けるのではないかと期待したのだが、そういう、そもそも論については、会場ではちょっとわからず、やや残念であった。いや、実際には冒頭のボードに書いてあったかもしれないけれど、混んでて読めなかった。また、各作品にもきちんと解説が付いていたが、これもやっぱり人が多くて、じっくり読んでいられなかった。そんな状況なので、9割方はわたしの努力不足だったかもしれない。が、もうちょっと……分かりやすくしてほしかった。
 なので、その辺の解説を期待して、ある意味仕方なく図録を買ったのだが、これが4,000円と、まあ高い買い物になってしまった。なお、この図録は、変な判型(B5変形か?)で、また束(厚さ)も60mmあって非常に読みにくい。この点では問題アリだと申し上げておこう。本は、デザイナーはそりゃシャレオツなものを作りたがる気持ちは十分に分かるけれど、この判型・このデザインはないよ。これじゃあ、保管もしにくいし。絵が小さいのも致命的で、4,000円は高すぎると思う。ただ、紐綴じなので、180°以上開くことが容易で、単に絵を見るだけなら見やすくはある。が、なんだかすぐにバラけてぶっ壊れそうな気もしてちょっと怖い。もう少し、何とかしていただきたかった。そろそろ、業界的な統一フォーマットと統合販売ポータルサイトを準備して、図録を電子化してもいいんじゃないかな。いろんな情報もバラバラだしね、美術館ポータルサイトがあれば、非常に便利だと思う。

 ともあれ、会場内での解説や、図録を読んでいろいろ分かったことがある。これがまたすっごく面白知識満載で、ちょっと全部は披露できないが、いくつかわたしが知ったことをご紹介しよう。
 ■大きく分けて2つに分類される
 どうやら「春画」には2種類あって、肉筆(直筆)のものと、木版画の2種類に分けられる。もちろん木版画は、江戸以降の浮世絵の発達によるもの。そして肉筆のものは、かなり保存状態の良いものが多い。なんでか分かる? こっそりしまわれている場合が多かったから、だそうだ。そりゃあ、堂々と家に飾っておくものではないわな。何でも、客が来た時などに、ちょっと見せて、「どうでゲス、すごいでやんしょ? グフフフフ……」みたいなことが多かったようだ。ちょっと笑える。
 ■そもそも、何のために「春画」というものが生まれたのか?
 どうやら、「春画」には時代時代によっていろいろな存在意義があったようだ。展覧会の冒頭に展示されていた「勝ち絵」と呼ばれる春画は、なんと戦に赴く武士の鎧櫃に入れておくものとして開発されたものだそうで、春画を入れておくと勝つ、みたいな俗習があったんだそうだ。まあ、日本各地には男根崇拝とかいろいろあるわけで、ははあ、なるほど、である。ほかにも、お嫁に行くうら若き女子に、母親がそっと渡すなんてことも普通にあったらしい。要するにその場合はHow To本という事だと思う。で、江戸以降になると、木版によって大量生産が可能になり、広く一般市民にも行き渡ったそうで、貸本屋の常備シリーズとして大人気だったらしい。まあ、はっきり言って現代の「エロ本」と同じ、と言ってよいだろうと思う。みんな大好きですな。しかも、どうもこの当時は、女子も普通に見て楽しんでいたようだ。これはわたしの推論だけど、要するに、Hに対するタブー的な思想は、たぶんキリスト教的価値観なんじゃなかろうか? 江戸時代にはそんなものはなかったわけで、どうも現代人よりオープンだったように思える。
 ■同人誌の原点?
 観ていて、へえー、と非常に感銘を受けたのだが、実は江戸期の「本」の体裁になっている「春画」には(※体裁としては、屏風絵や掛け軸のような1枚ものと、木版印刷により本として綴じられているものの2種類がある)、そもそも元になる物語の本が別にあって、そのエロ・パロディともいえる2次創作本が非常に多かったらしいのだ。
 それってまさに同人誌じゃん!? とわたしはちょっと驚いた。そして笑ってしまったのが、かの葛飾北斎の作品だったのだが、絵の背景に、セリフがすごい書き込んであるのよ。そのセリフはもちろん我々素人には全く読めない崩し字なんだけど、会場にはきっちりなんて書いてあるか解説があって、その内容が、もう完全にエロ同人漫画なんだな、これが。喘ぎ声や擬音まで入ってて、それがまあ、いやらしいわけw。ここはわたしは思わず声に出して笑ってしまった。好きですのう、北斎先生!! ちなみに、北斎はもとより、歌麿や北尾正成、菱川師宣といった超一流のプロ浮世絵師たちはほぼ全員、「春画」を描いている。彼らこそが、プロ同人作家の元祖だったわけだ。しかも、おそらくはすべて版元(=出版社)からの発注で描いているわけで、そういう意味ではまさしく現代のイラストレーターと完全に一致している。これは面白い!! だから、高尚な芸術である、と理解する必要は全くないと思うな。実際エロ本だと思うよ。
 ■取り締まり
 いつの時代にも、これはわいせつじゃ!! けしからん!! と言い出す奴はいたようで、江戸期にも、お上の弾圧はあったそうだ。いわゆる寛政の改革によって、一時期「春画」は取り締まられ、発禁となったらしい。18世紀末のころのことで、かの有名な版元の蔦谷重三郎は財産を半分なくしてしまったそうである(もちろん全部が「春画」のせいではないけれど)。でも、そういう取り締まりが行われたからといって創作活動をやめるわけもなく、単に地下に潜っただけのようで、そのあたりも現代と全く変わりないわけだ。これは、たぶん表現の自由とか、そういう問題じゃないと思う。純粋に、商売として儲かるから、ほしい人がいっぱいいたから、続けたんだと思うな。我々現代人にとっては、表現の自由は絶対に守られるべきものではあるけど、江戸人にそんな感覚はなかったと思う。
 ■BLの起源!?
 はい、腐女子の皆さんお待たせしました。ありましたよ、ばっちり。いわゆる「衆道」の「春画」も結構展示されていた。ので、観て、うわぁ……とやや引きました。どうも江戸以前の作品に多かったような印象です。BLとか衆道という言葉が分からない良い子の皆さんは、わからなくていいんだよ……。

 もっともっと、いろいろなことを書きたいが、キリがないのでこの辺にしておく。なお、わたしとしては果たしてこういう「春画」的なものは日本独自のものなのか、それとも世界中どこにでもある文化なのか、それが非常に知りたかったのだが、その辺の解説のようなものがなくて残念であった。ただ、やっぱり幕末期に日本を訪れた外国人は皆一様に驚いたらしい。なんじゃこりゃ、と。あと、中国やインドあたりでは古くから、いわゆる『カーマ・スートラ』的な、「房中術」として春画めいた絵はあったようだが、基本的にはHow Toとしての実用書的性格のものだったようだ。娯楽としての春画は、まだわたしもはっきりわかっていないが、どうもCOOL JAPAN ORIGINALっぽい。実際のところどうなんだろう。たぶん、西洋キリスト教文化においては存在し得ないものではなかろうか? あったとしても、もっと全然アングラというか素人的なものしかなかったんじゃないかな……。もうちょっと調べてみたいと思う。

 というわけで、結論。
 『SHUNGA 春画展』は、真面目な話、かなり必見であると言っておきます。非常に興味深い。ただ……どうなんだろう、性的なものに対して抵抗のある方、免疫のない方は、やめたほうがいい。完全モロなので、そういう方にはちょっと刺激が強すぎると思います。一人で行った方がいいのかな……ぼっちのわたしは自動的に一人で行かざるを得なかったが、さすがに、仲の良い女子に「春画展行こうぜ」と誘う勇気はなかったです。平日は20時までやってますので、定時ダッシュ出来れば見れますよ。あと、この展覧会も前期展示と後期展示に分かれるようなので、後期展示を観にまた行くつもりです。

↓ コイツでも買って、ちょっと真面目に勉強してみたい。高っけえんだよな……27,000円ナリ。