昨日は4月1日。新年度の始まりである。
 わたしは昨日の朝、市ヶ谷と靖国神社の真ん中あたりにあるとある役所へ会社の手続きの用事があったので、8時半開庁に間に合うように、朝っぱらから 、靖国神社と武道館周辺の桜を愛でながら歩いていくか、と思い立った。ちなみになんでそんな朝行くの? と思う方もいるだろう。あのですね、4月1日は超激混み必死なわけですよ。ならば朝イチがわたしにとっては当然なのである。
 普通に歩けば、わたしの足なら30分かからない。なので、8時前に出れば十分なのだが、ふと、ああ、そういやきっと、わたしがこのところ楽しく読んでいる『みをつくし料理帖』の主人公、「澪ちゃん」もきっと同じような道のりを毎日歩いてたんだろうな、と気が付いた。澪ちゃんが住んでいるのが、たしか神田金沢町。神田明神に程近いところだったはずだ。そして「昌平橋」を渡って、それから半時(=1時間)ほどかけて、「俎橋」を 渡って、勤務場所「つる屋」のある元飯田町に至ると。そんな経路なので、恐らくはこんな感じだろう、と見当をつけた。
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 これは現代の地図だけど、分かるかな? 今でも「神田明神」「昌平橋」「俎橋」は上記のように存在している。東京の地理に明るい人なら、ああ、要するに「靖国通りを真っ直ぐ行くだけね」と分かると思う。古地図を確認したわけではないので、全然適当な予想だが、上記の地図で言うと、おそらく、昌平橋からすぐに左に曲がってショートカットすることはなかったと思う。なぜなら、昌平橋から現在の御茶ノ水駅方面へは、上り坂なのだ、「駿河台」という小高い丘になってるのです。なので、おそらくは昌平橋を渡って、そのまま駿河台を迂回する形で、現在の靖国通りあたりまで南下してから、西へ向かったはずだと思う。もちろん、靖国通りはたぶん当時はなかったと思うので、そのものズバリではないと思うが、まあ、方向は間違いなかろう。
 というわけで、30分でいける道のり+澪ちゃん通勤経路探索&桜見物30分を含めて、昨日は朝の7時半から、スーツ姿でLet's Walk と洒落込んでみた訳である。まさか澪ちゃんも、210年後の未来にこんなストーカーじみた目に遭うとは思ってもいなかっただろうな。そう考えると、わたしもまあ物好きと言うか、もはや変態である。
 いいの!! 面白いから。
 
 で。まずは、「神田明神」と澪ちゃんが毎朝渡り、夜くたびれて帰ってくる「昌平橋」からスタートだ。現在の様子はこんな感じ。
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 神田明神は今現在でも大変多くの参拝者の集う、将門公を祀る江戸の総鎮守様だ。最近ではすっかり「ラブライブ」の聖地にもなっていて、昨日のアキバはラブライバーがいっぱいいましたね。朝はガラガラで大変気持ちがいい。
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 で、これが現在の昌平橋。上を走っている緑の鉄橋が、JR総武線ですな。これは、上で貼った地図で言うと、南から北の方向で撮影している。澪ちゃん的には、帰りの景色ですね。このあたりを歩いていたら、この写真で言うところの、橋を渡って向こう側へ行き、右に曲がった反対側へ行ったところに小さな公園があって、桜が1本佇み、綺麗な花を咲かせていたのだが、そこにはこんな、案内板があった。
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 おっと、古地図があるじゃないですか。なるほど、神田旅籠町、か。いやいや、ちょっと待って、神田旅籠町って、「源斉先生」が住んでるところじゃん!? と気が付いて、若干のテンション上昇である。ほほう、やっぱこの辺か。なるほど。で、古地図の部分を拡大すると……
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 おっと!! あった!! あるじゃん、「神田金沢町」。神田明神のちょっと北(左下にある神田明神のちょっと上)。おお、しかも旧つる屋のあった「神田御台所町」や源斉先生の住んでいる「神田旅籠町」もすぐそばだ。なるほど、まさしくここだ。そして、昨日はぜんぜん気が付かず、今さっき写真を加工してて発見したのだが、この地図の右上の端っこの方に、「稲荷社」ってのがありますね。これが澪ちゃんが通う、「化け物稲荷様」かな? どうだろう? もう一度読み直して描写をチェックして見ないと分からないな。現地は今度またチェックしておきますわ。
 てな感じで、完全にもうストーカーなわたしであるが、なんだか朝から気分がアガッて来ましたぜ。こいつぁ、たまらねぇ。である。※一応解説しておきますが、種市おじいちゃんの真似です。
 というわけで、ここから澪ちゃんは歩いてんだなーと、Walking開始である。その道筋は、別に面白くないので割愛します。最初に貼った地図の通り、ツカツカと靖国通りを西へ向かうだけなので。
 で、わたしの足ではやはり、30分もかからず、ごくあっさり「俎橋」まで来た。以下が現在の俎橋であります。
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 九段下の、ちょっと手前に「俎橋」の交差点の看板アリ。で、もちろん「橋」としても残っていて、
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 ずどーんと、立派にネームプレートが設置されてます。
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 が、ご覧の通り、この日本橋川の上には首都高が通っているため、暗~い感じになってます。
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 この写真の、左岸が、新しい「つる屋」のある元飯田町ですな。今はすっかり面影なし。土手もなく、コンクリート製だし。この川辺で、澪ちゃんやふきちゃんは、何度泣いたことでしょう。200年、人類は進歩したんだか、変わってないんだか、分からんですな。
 なんてことを思いながら、わたしはまだ『みをつくし料理帖』の3巻までしか読んでいないけれど、続きを読むのがもっと楽しみになって来ました。男の、たぶん常人よりはるかに勝る脚力を持つわたしがツカツカ歩いて30分かからないほどの距離だが、女子であり、着物であり、草履であり、また道も悪い状況で……と考えると、やっぱり澪ちゃんの足では小1時間はかかるかもな、というのは納得できた。これを毎日通っていたわけで、そりゃ遠いとは思わないけど、楽ではないわな。澪ちゃん、4巻以降どんな艱難辛苦に苛まれるか、まだわたしは知らないけど、幸せになっておくれ。と願わずにはいられないわたしであった。
 以下、おまけ。
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 靖国神社や武道館周辺は、もう満開でした。人出も多く、昼以降はもう、歩くのも大変な混雑だと思う。ま、夜桜を観て酔っ払うのも、それはどうぞご自由に、だが、やっぱり朝、少し肌寒いくらいの澄んだ空気の中、ぼんやり過ごすほうが、粋だと思いますよ。大変綺麗で、昨日一日、とても気持ちよく過ごせましたとさ。おしまい。

 というわけで、結論。
 現在の秋葉原と御茶ノ水の間にある「昌平橋」から、現在の九段下にある「俎橋」まで、1.9Kmほどである。1802年当時の女子の足では、まあ小一時間はかかるだろうなと言うのは良くわかった。江戸中期に生きた澪ちゃんと、平成の世に生きるわたしとでは210年ほどの時の隔たりがあるが、まあ、きっと、人間としての中身はそれほど変わらんのだろうと思う。澪ちゃん、毎日の通勤も大変だろうけど、幸せになっておくれ。オレも真面目に生きてみます。以上。

↓ こういうの買って、ちょっと思いを馳せてみるのも乙ですね。つーか、もう完全にオレの趣味、老人レベルなんじゃないかと心配です。