わたしが世界で最も愛する小説家は、ダントツでStephen King氏である。
 このことは、もう何度もこのBlogで書いてきたが、これも何度も書いた通り、実は大ファンとはいっても、King氏の全作品が常に面白い、とは思っていない。たまに、「こ、これは微妙だぞ……」と思うような作品も、ある。例えば、最近で言うと『Lisey's Story(邦題:リーシーの物語)』とか『Duma Key(邦題:悪霊の島)』あたりは、ちょっとイマイチかなあ……と思っているわけで、もはや全然最近ではないけれど、10年前に新潮文庫から発売が予告された「携帯ゾンビ(仮)」についても、発売前はその仮タイトルに大興奮で、「何なんだこのタイトルは……超読みたいぜ!!!」と思っていたけれど、実際発売になり、読んでみたところ、「こ、これはまた微妙だ……」と思ったことをよく覚えている。
 その作品は、発売時は結局、原題通り『CELL(セル)』というタイトルとなってしまったのだが、簡単に話をまとめると、携帯電話(=Cellphone)の謎電波によって人々が正気を失くし、狂暴化して殺し合いを始め、偶然携帯のバッテリーが切れていたために難を逃れた主人公が、自宅に待つ息子のもとへと帰ろうとするサバイバルを描いたものである。その人々の狂気ぶりがさながらゾンビめいているので、「携帯ゾンビ」という仮タイトルで新潮社は発売告知をしたのだと思うが、実際のことろ、ゾンビ、では全くない。一応生きてる。完全に正気を失っているけどね。
 そんな、わたし的には少し思い入れのある『CELL』が、この度映画となった。しかも主人公コンビを演じるのは、わたしが密かにKing原作映画の中でも屈指の名作と思っている『1408』(邦題:1408号室)でもコンビで演じたJohn Cusack氏と、Samuel L Jackson御大だ。わたしとしては、どんなに上映館が少なくとも、これは絶対に観ないといけない作品なのである。というわけで、昨日の午前中はアニメ映画『ソードアート・オンライン』を観て、午後からはこの『CELL』を観てきたわけである。日本広しといっても、この2作品を同じ日に連続で観た人間は、おそらくわたし以外にはいまい。いたら、ぜひ友達になりたいものである。

 というわけで、もう物語については説明しないが、↑この予告を観て感じられるのは、とてつもないB級感である。そして観終った今、結論として言えることは、間違いなくこの映画は、相当なB級映画であったということだ。
 しかし……今更白状するのもお恥ずかしい限りなのだが、実はわたしはこう偉そうに書いているけれど、原作を読んだ事は間違いない、のだが、詳しくはもう全然覚えていない。だってもう10年前に1度読んだだけだもの。大体の筋と、読後感として微妙だったことしか覚えちゃいないのである。ラストはどうなるんだっけ、とか、そんなあいまいな記憶なので、本作が原作にどのくらい忠実か、あそこが違うとかここはそのまんまだとか、そういうチェックは詳しくは出来ない。
 なので、観ながらわたしは、そうそう、こういう話だよ、とか思いながらぼんやり観ていたのだが、わたしが覚えている限りでは、原作小説では、狂える人々のリーダー的存在が現実に登場して、それがKingファンにはお馴染みの悪を体現する存在「ランドル・フラッグ」「黒衣の男」を思い起こさせるようなキャラだったのだが、それが今回は現実の存在なのか幻影なのかよく分からない存在として描かれていた。この点はたぶん明確に違うような気がする。それから、途中で仲間になる少年が、この現象をもう少しわかりやすく説明してくれるようなシーンがあったはずなのだが、その辺はバッサリなくなっていたような気もする。校長先生の死に方も、今回の映画ではこんな死に方だったっけ? と思うようなアホなミスが原因だったけれど、これはもう原作小説でどうだったのか、全然覚えていない。そして、問題のエンディングも、今回の映画では、ぽかーんとしてしまうような終わり方で、正直全然わけのわからんエンディングだったが、ここが原作とどう違うか、まるで思い出せないけれど……確かに覚えがあるように感じた。
 あーダメだ、やっぱり全然覚えていない。もう一回読むしかないかな……誰かに貸しっぱなしで、家にあるのかどうか、発掘してみないと分からんな……。やっぱり原作との違いをチェックするのは無理だ。やめた。
 というわけで、今回の映画についての話だけにしておこう。一応最初に備忘録として書いておくと、今回の映画の脚本は、King氏本人もクレジットに入っていたので、少なくともKing氏自身のチェックが入った正統なもの(?)と言って良いようだ。なので、あまり脚本についてケチをつけたくないのだが、残念ながら脚本もダメだし、撮影、演出も安っぽい。そういう点が全体のB級感を醸成しているのだが、わたしが最も、こりゃあイカンと思ったのは、CGの質感がひどく低品位な点だ。
 まず、脚本の一番まずいと思う点は、この現象についての説明がまるでない点と、主人公のモチベーションがひどく希薄な点だ。一体全体何が起こっているのか、正直観客には最後までわからない。これではどうにも物語に入り込めないわけで、単に、携帯の謎電波で人々が狂いだす、という一発ネタに留まっているのは問題だろうと思う。そして主人公が危険を冒してでも息子に会いたいという動機の部分も、実際全く説得力がない。いや、そりゃあ父親だったら息子に会いたいと思うのは当たり前かもしれないけれど、息子がまだ正常な状態で生きている、と確信を持って行動する説得力はまるでない。息子がこの状況でも絶対に助かってオレを待っている、と確信させる何かが絶対必要だったと思うのだが……。
 それからCGについては、大量のイカれた人々の描写にCGが用いられているのだが、暗がりということもあって、かなりテキトーなCGで、ここはかなり興ざめだ。スタジアムを埋め尽くす人々や、ラストでの電波塔周辺を埋め尽くす人々のCGは、相当安っぽい。そしてそれらのイカれた人々の群れをドッカーーーーン!!! とやらかすエンディングは、もうほんと、わたしはえええーーー!? と笑ってしまった。こりゃあ、まごうことなきクソB級映画ですよ。たぶん、この映画は、King氏の小説を映画化した作品の中では、珍映画として名高い『Dreamcatcher』並のドイヒーな作品として、わたしの心に記憶されるであろう、と思うのである(※なお、原作小説の『Dreamcatcher』は最高に面白い)。
 いやはや……ごちそうさまでした。
  最後にキャストについて備忘録をまとめておこうと思ったが、主人公二人以外はほぼ知らない人ばかりだったので、もうどうでもいいかな……まず、主人公を演じたのは、John Cusack氏。 この人は、なんというかこういうピンチに陥って困る男の役が非常に似合いますな。実に頼りなげな表情がこの人の持ち味なのではないかという気がしますね。今回も、大変なピンチの連続で、ずーっと困った顔でたいへん気の毒でした。そして主人公と行動を共にする、やけに戦闘力の高い地下鉄運転手を演じたのがSamuel L Jackson御大で、演技というかもう素なんじゃね? というようないつもの御大ぶりで、特に書くことはないす。

 というわけで、ホントにもう書くことがないのでテキトーに結論。
 Stephen King氏による小説『CELL』が映画化されたので、さっそく観に行ったわけだが、予告から感じられる通りの相当なB級映画で、おそらくは、この映画だけ観ても全く面白いとは思えないだろうと思う。なので、普通の方には全くお勧めしない。わたしのようなKing氏の小説のファンであっても、まあ、観に行かなくてもいいんじゃないかなあ……ただ、わたしが実に残念だと思うのは、このように珍映画が多くなってしまうと、世間一般のStephen King評に悪影響が出るんじゃないかということで、映画の方が有名になってしまって、肝心の小説まで変な印象がついてしまいやしないか、それだけが心配だ。 頼むからKing作品の映像化に際しては、原作を超えてやるぜ!という気概を見せてほしいと思います。例えば、Frank Darabont監督の『The Mist』は、King氏をもってして、「畜生、このエンディングを執筆時に思いついていれば……!!」と悔しがらせた名作であり、そういうガッツあふれる映像化を期待します。以上。

↓ ほとんど覚えてませんが、小説の方が面白いと思います。たぶん……。
セル〈上〉 (新潮文庫)
スティーヴン キング
新潮社
2007-11-28