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 今日は朝から映画を2本はしごしてきた。他にやることないのかよ、と我ながら残念なお知らせだが、そりゃあ、あるといえばありますよ? けど、映画を観ることが優先されるのである。それが映画オタクとしての現実なのだ。と、強がっておこう。はあ……。生きててもいいことないので、映画でも観て現実逃避しているのかもしれないな……わたしの場合は。
 というわけで、今日わたしが観てきたのは、『DOWNSIZING』と『THE SHAPE OF WATER』の2本だ。両作とも、ズバリ結論を言うと、期待以上ではなかったような気がする。なんか……残念です。それでは、観た順番に、まずは『DOWNSIZING』から書いていこう。

 わたしが劇場で何度も観た予告が見当たらないので、上記のものを張っておきます。ほかの予告は結構、ええっ!? とわたしが劇場で驚いたネタバレが含まれていたので、貼るのはやめときました。
 といいつつ、わたしもネタバレを書いてしまうと思うので、以下はまだ見ていない人は読まない方がいいと思います。ここらで退場してください。
 さてと。物語は、上記動画にある通り、人間を約7%(身長180cm→12.8cm)に縮小してしまう謎技術が発明された世界で、縮小されることを選択した一人の男の身に起こる悲喜劇を描いた作品だ。わたしはそのぐらいのぼんやりした知識しか予習していなかったので、次々に描写される「DOWNSIZING」技術とその結果としての小人生活のうさん臭さに、かなりの頻度で、心の中で突っ込みが発動してしまう事態となったのである。この作品はコメディだろうから、笑えればいいのだろうけど、結構深刻ですよ、この話は。
 ◆DOWNSIZING技術の原理:一切説明ナシ。謎の薬物を点滴投与して、謎の電子レンジめいた装置に入れて、チンするだけで出来上がり、である。その手軽さにわたしは笑っちゃった。まあ、映画としてそんな細かいことを説明する必要なんてないので、説明ナシ、は十分アリだろう。しかし、「小さくなる」と聞いてわたしが真っ先に思い出したのが、わたしの大好きなMARVELヒーロー『ANT-MAN』なのだが、なぜ、ANT-MANがフルフェイスのヘルメット&マスクを着用しているかご存知ですか? 第一にはピム粒子充填のためだけどそれはどうでもいいとして、実は、体を縮小化したことで、酸素分子が逆にデカすぎて、肺に直接摂取することができないから、そして微細なホコリなんかが縮小した体にはデカすぎて肺に詰まっちゃうから、それを防ぐためにマスクをしてるという設定なんすよね(ただしどう処理しているかの説明はANT-MANにもない)。そういった、生理科学的な説明も一切ないのはちょっと残念に思った。自らの体(細胞)が小さくなる=他の自然界に存在する物質は逆にがデカくなる、ということなわけで、何らかのケアをしないと、確実に呼吸器系・循環器系が適応できずに生きていけないと思うのだが……一切そういう説明はなかった。死んじまうぞ……。
 ◆小さくなったら超リッチ!のうさん臭さ:普通に考えて、確かに、自らが消費する食料やその他物品の物理的な量は減るだろう。そりゃそうだ。だけど、だからって、金持ちになるなんてあり得るか? まず第一に、小人たちは経済的にも物質的にも、自立できていない。間違いなく普通サイズの人間の世話が必要だ。たしかに、小人コロニーは自立しているように描写されてはいたが、小人サイズの服だって家だって食べ物だって、自給自足しているとは思えない。仮に自給自足しているとしても、小人社会の経済活動が普通に行われれば、金はそれなりにかかるだろう。そもそもは、人口爆発による地球環境の破壊を防ぐために発明された技術だけど、普通サイズの人間なしに生きていけないなら、意味なくね? DOWNSIZING技術の会社も、普通サイズの人間なしには運営不能なわけで、この辺の説明も、一切ナシ、であった。小人がリッチなのは、あくまで普通サイズの人間がいるからで、それと比較するとリッチ、という相対的な価値観だと思う。だとすれば……そもそものDOWNSIZING技術発明の趣旨に反してるじゃん。おかしくね? まあ、だからこその、あのエンディングにならざるを得なかったのだとわたしは思うし、あのエンディングは、実際のところ、人類滅亡が前提なので、なんというか……生きててもいいことねえな、という、わたしが常に感じる悲観的未来を象徴しているかのようであった。なお、本作のエンディングに関しては、もう書く気になれません。
 ◆小人と普通サイズの共存は可能か?:おそらく無理だろうとわたしは直感的に感じた。世界から戦乱がなくなることはないわけで、小人化した人間はその武力も縮小してしまうわけだし、まあ、ズバリ踏みつぶされたら終わりだ。だって、7%に縮小した状態というのは、逆に言うと自分以外が約14倍にデカくなるってことなわけで、えーと、例えば身長130cmの小学生が、小人化した人から見たら18メートルのガンダムぐらいデカく見えるってことだぜ? そりゃもう、あかんすわな。
 また、劇中では、小人化を決意した主人公夫婦が小人化される直前に開催された送別会が描かれ、そこに、酔っ払いが「へえ、そりゃ結構なこった、でも、小人の権利は普通サイズと一緒なのか? 社会貢献しないで自分の小人コロニーに閉じこもって、税金だってほとんど払わないのに? それなのにお前らに選挙権があるっつーの?」と、至極まっとうな疑問を振りかざして絡んでくるシーンがある。これは恐らく将来的な火種として決して解消されない、普通サイズVS小人たちの対立を予感させるものだと思う。そりゃそうだよな。実に危ういとしか思えない。また、どうやらこのDOWNSIZING技術の機密情報は、もう既に全世界に公開されているっぽい描写だったが(世界中の各地で縮小化は行われている)、作中でも描かれた通り、国によっては政治犯などの反政府思想の持ち主を強制的に小人にしてしまうという非人道的な利用も行われているらしく、事態はもう非常に深刻だと思う。

 まあ、上記はわたしは感じた謎のほんの一端だが、本作はほぼそういった謎についての回答を用意していない。これが、完全なるコメディーで明るい物語なら、そんな説明はなくても別に問題ないのだが……意外と本作はシリアスな問題が取り上げられていて、どうにも笑ってすます気にはなれなかったのである。わたしが結構驚いたのは、小人となって夢のような贅沢三昧の暮らしを送る、かと思いきや、小人社会にも厳然たる「持てる者と持たざる者」の階層社会になっていて、小人コロニーに貧民層の集まる汚い場所があったり、全然楽しいだけじゃない現実が描かれてゆくのだ。まあ、冷静に考えれば、小人社会であっても、誰かがごみ収集だってしないといけないし、遊んで暮らせるわけもないわけで、じゃあ、どうしてまた小人になってまでそんな仕事に従事する人々がいたんだ? という謎もわたしの頭には浮かんできてしまう。それも、一切回答ナシ、である。
 たぶん、この映画に求めるのはそんな夢の生活とその裏に暮らす貧民層、みたいな社会の縮図(文字通りの縮図!)なんかではなかったように思う。なので、後半は全く笑えない展開で、映画として実に微妙な作品になってしまったような気がした。ついでに言うと、上映時間135分は明らかに長い。テンポが非常に悪く感じられたのは、きっとわたしだけじゃあないと思う。
 わたしが言いたいのは、数々の謎に答えてほしい、というものではなく、そういう謎を感じさせないような明るい話だったらよかったのにね、ということだ。なんか……この人類縮小化というネタは、80年代にEddy Murphy氏主演で作ったら楽しく笑える作品になりそうだったのにね。そう考えると、ちょっと残念だ。
 
 なんだか文句ばっかりになってしまったので、最後に意外と真面目な物語を真面目に、時に明るく演じてくれた役者陣を紹介して終わりにしよう。役者陣は全く素晴らしい熱演だったので、わたしとしては一切文句はありません。
 ◆ポール:主人公。元の職業は食肉加工会社?専属の理学療法士(作業療法士か?)。夫婦で小人化を決意して、小人化して、目が覚めても、なかなか妻が現れない。どうしちゃったんだろ? と思っていたら、なんと妻が超土壇場で「やっぱりやめる!」と逃げてしまい、あえなく離婚。小人化したことをずっと後悔する失意の毎日を送る羽目に……演じたのは、マーク・ワトニー博士でお馴染みのMatt Damon氏。しかし……小人化する際、歯の詰め物とかそういった生体以外のものを全部外すというのは分かるとして(それらのものは縮小化されないので外しておかないとヤバいという設定)、なんで全身の毛を剃る必要があったんだろうか?? 毛髪は縮小できないのかな? うっそお? 0.1mmぐらい髭とか生えてたらどうすんだよ。そんな点も一切説明ナシ、であった。
 ◆オードリー:ポールの妻。髪をそられ、眉毛を片方剃られたところで、ビビッてばっくれるひどい人。前半30分で出番終了。演じたのはおととしの夏、大復活した女性版『GHOST BUSTERS』のリーダー役でお馴染みのコメディエンヌ、Kristen Wiigさん。この人、結構可愛いと思うんだ……。
 ◆ドゥシャン:小人化されたポールの住むマンション?の上階に住む、パーティー大好き人間。演じたのは助演男優賞ハンターとしてお馴染みのChristoph Waltz氏。今回のはじけたパーリィピーポー役は大変良かったすね! 非常に楽し気に演じておられましたな。さすがの演技派すね。
 ◆ユルゲン博士:DOWNSIZING技術を発明したノルウェー人医師。いや、スウェーデン人だっけ? ともかく、演じたのは、あの! わたしが原作小説を読んで大感動した『幸せなひとりぼっち』の映画版で主役のオーヴェおじさんを演じたRolf Lassgård氏ですよ! わたしは冒頭の発明完成シーンから、あれっ!? 今の博士、ひょっとして? と気が付き、後半、主人公が会いに行った博士として出てきて、やっぱりこの人は! オーヴェおじさんだ! と確信に至った。ハリウッドデビューおめでとう!
 ◆ノク・ラン・トラン:ベトナムで反体制思想の持ち主として収監され、強制的に小人化された気の毒な女性。テレビの箱に潜り込んで?アメリカに亡命。その時の劣悪な環境で左足を失った。演じたのは、Hong Chauさんという方で、ひどくなまりのある、いかにもな英語だったけれど、この方はタイ生まれだけど現在はれっきとしたUS国籍のアメリカ人だそうです。よーく見ると、かなり可愛いお方とお見受けしました。

 というわけで、結論。
 予告を見て、これは面白そうだと思ったので観に行った『DOWNSIZING』という映画なのだが、実際に観てみたところ、どうもコメディーとしてはやや半端ではじけ切れておらず、意外とまじめな方向に話は進むという予想外の物語であった。縮小化技術そのものについては、別の細かいことまで描けとは全く思わないよ? でも、そこから発生するいろいろな「?」については、説明してほしいわけではなくて、そういう「?」を感じさせない物語にしてほしかったと思う。そのような数々の「?」を考えさせてしまった時点で、この映画は微妙としかわたしには判定できないす。もったいない……ホント、かつてのEddy Murphy主演作のような、腹を抱えてゲラゲラ笑える物語をわたしは期待していたのだが……残念ながらその期待はかなえられなかったす。ま、役者陣には何の罪はないので、役者陣に関しては素晴らしかったと賞賛の拍手を送りたいと存じます。以上。

↓ 例えばこれとか。最高に笑えるんすけどね……。


 先週読んでみて、超面白かったスウェーデンの小説、『幸せなひとりぼっち』。
 その面白かった感想は先週の記事を読んでもらうとして、 その時も書いたけれど、去年映画が日本でも公開されていて、おまけにこの前発表されたアカデミー賞でも、外国語映画賞にノミネートされたほど、非常に評価が高かったらしいことを小説を読んで初めて知った。日本での公開は、もうとっくにファーストランは終わってしまっているのだが、先週読み終わって、何だよくそー、映画も観ればよかった!と抜かっていた自分に地団駄を踏んだわけだが、映画の公式サイトで上映館を調べたら、なんと3/18(土)から、新宿シネマートという小さい映画館で上映されるという情報を得た。
  おおっと、マジか。と、いうわけで、今日3/18(土)に、さっそく観に行ってきた。結論から言うと、まあ、やっぱり小説の方が濃度が濃いとは思うけれど、映画は映画で、やっぱりビジュアルの力は強いわけで、とりわけ過去の回想部分は大変良く、気持ちよく映画館を後にすることができた。いいすねえ、やっぱり。ほんと、主人公オーヴェは幸せですよ。まったくもって、なんというか……うらやましいす。わたしから見ると。

 ちょっと先週とは違う動画を貼りつけておこうかな。もう、物語は先週の小説版の記事で散々書いたので説明しません。詳しくはそちらを読んでください。59歳の偏屈オヤジが周りの人々と交流を持つことで、幸せなひとりぼっちを生き抜くお話である。
 まあ、映画になって、小説とここが違う、あのエピソードがない、とか、そういうことをあげつらっても仕方ないけれど、たぶん、この映画単体だけ、よりも、小説も読んでおくとより一層楽しめるのではないかと思います。ズバリ、小説からは結構カットされている部分が多いので。
 まず、主人公の偏屈オヤジ、オーヴェだが、映画になってビジュアルを得たことで、オーヴェの偏屈オヤジぶりはより具体的というか、形になっていて、面白さは増している、とは思うのだが、若干、小説の方が偏屈ぶりは強烈であったように感じる。映画版のオーヴェは、意外といい人でした。演じたのは、Rolf Lassgardさんというおっさんで、まあ、見るからにおっかなそうなおっさんである。この人、わたしが一番苦手だった教授にそっくりで笑える。いや、笑えるのはわたしだけですけど。しかし、原作にある細かい点、たとえば、かならずドアは鍵がかかってるか3回引っ張るとか、蹴って確かめるとか、当たり前だけどきっちり再現されてて、原作読んどいてよかったと思った。
 しかし、映画になってより一層魅力的に、映画ならではの良さが一番感じられるのは、亡き妻・ソーニャだろうと思う。非常に可愛い、イメージ通りのソーニャで素晴らしかったすね。演じたのはIda Engvollさん。笑顔がとにかくかわいい!85年生まれだそうなので、今年32歳になるのかな。いやあ、最近北欧出身のハリウッドスターが非常に多いので、彼女の今後もとても楽しみですね。主に地元スウェーデンのTVで活躍されてるみたいです。笑顔がですね、新生STAR WARSのレイでお馴染みのDaisy Ridleyちゃんに似てる感じなんすよね。やっぱり、女子は笑顔に限りますな。とても良かったと思います。
 あと、若き頃のオーヴェを演じたFilip Berg君も、イランからの移民の妊婦パルヴァネを演じたBahar Parsさんも、ともに大変良かったですね。読んでいるときはもっと若いイメージ、そう、日本でお馴染みのサヘル・ローズさん的な美人を想像していたのだけれど、結構もっと迫力があって、十分アリでした。映画を観た今となっては、もうパルヴァネはBaharさんしかありえないすね。大変素晴らしかったと思う。
 そして、映画で相当凄い演技を披露してくれたのは、名前を付けてもらえない猫ちゃんですよ。まあ、なんて美猫なんでしょう。かわええ……毛長種なんですな。この猫様の演技が素晴らしいんすよ。ちゃんと、小説通りのふてぶてしさもあるし、健気にオーヴェに付き従う姿が最高だったすね。

 つーかですね、もう小説の方で散々書いてしまったから書くことがあまりないんすよね……。
 というわけで、短いけどもう結論。
 映画版『幸せなひとりぼっち』を、今日、まさしく一人ぼっちで観てきた私だが、言いたいことは以下の通りである。
 ◆面白かった!映画は映画で魅力あふれるキャラクターが生き生きとして素晴らしい。
 ◆とりわけ、若きソーニャが超イイ!
 ◆そして猫も大変よろしい。すげえ演技ぶりで驚き!
 ◆ただし、内容的にはやっぱり小説の方が濃いと思う。
 ◆なので、もし映画だけの人は、ぜひ小説も読んでほしい。超オススメ!
 でな感じです。手抜きでサーセン。以上。

↓ ぜひ読んでいただきたい!
幸せなひとりぼっち (ハヤカワ文庫NV)
フレドリック バックマン
早川書房
2016-10-21

 



  

 先日、わたしの愛する電子書籍販売サイトBOOK☆WALKERにて、還元率の高いフェアをやっているときに、早川書房で絞り込んで、何か面白そうな小説はねえかなあ、と渉猟していたのだが、ふとそのタイトルに魅かれて、あらすじをチェックしてみたところ、なかなか面白そうだったので買った本がある。
 日本語タイトルは『幸せなひとりぼっち』 といい、原題はスウェーデン語で『En man som heter Ove』というらしい。意味としては、あとがきによれば「オーヴェという名の男」ということらしいが、ちょっと調べてみたらなんと映画も去年公開されていたそうで、わたしは全然知らなかったけれど、原作も映画も本国スウェーデンでは大ヒットした作品だそうだ。というわけで、へえ、そうなんだ、と思いつつ、さっそく読み始めてみた。
幸せなひとりぼっち (ハヤカワ文庫NV)
フレドリック バックマン
早川書房
2016-10-21

 そして、のっけから結論を言うと、わたしは猛烈に感動してしまい、これはもっともっと売れてほしい!と強く思う次第である。よって今回は、大絶賛の方向で本書の内容をまとめつつ、万人にお勧めしようと思う。
 たぶん、まずは映画の予告編を見てもらった方が、どんなお話か伝わるかもしれないので、こちらをさっそく貼っておこう。

 ん……んん……ちょっとアレだなあ、自分で貼り付けておいてなんですが、ズバリ、原作の方が面白い、かもしれないなあ……原作を読んだ今、上記予告で描かれるシーンがどういうシーンか、分かるところと分からんところがあるのはちょっと驚いた。映画は原作通りじゃないのかもしれない。まいいや。ちょっと、まずは簡単に物語を紹介しよう。
 主人公・オーヴェは59歳。妻に先立たれ、会社を「早期退職」という名のリストラで放り出されたおっさんである。彼は、いわゆる「頑固おやじ」で、周囲には相当煙たがられている。それは、オーヴェには明確な「自分ルール」がいっぱいあって、それを忠実に守って生きているためで、決して妥協しない、口論上等、超けんか腰な、はたから見ると恐ろしくやっかいな、なるべく関わり合いになりたくないおっさんだ。ただ、しつこいけれど何度でも言うが、オーヴェにはオーヴェの理論があって、自分がまともであって、周りがおかしい、と本人は思っている。
 そんな彼が、妻を亡くし、仕事を失くした今、実行しようとしていることは、ズバリ自殺だ。もはや生きている理由はない。そして、愛する妻のもとへ行きたい。ならば死ぬだけ、というわけで、彼はすべての準備をきっちり、まさに一部の隙もないほど死後のことを手紙にしたため、妻の好きだったスーツを着用し、死のうとする――が、どういうわけかその度に邪魔が入り、ことごとく失敗する。例えば、さて、準備OK。さ、死ぬか、と思った矢先に、きっちり手入れした庭にへったクソな運転で車が入って来たり、よーしじゃあ、ガレージで車の中にマフラーから排ガス入れて死のう、とすると、ガンガンガンとガレージを叩く音がして誰かがやって来るし、別の日、じゃ、しょうがねえ、電車に飛び込むか、と思って駅へ行けば、後はもう轢かれるだけ、というタイミングで、ホームで卒中を起こしてぶっ倒れる奴がいて、思わず助けちゃってヒーローとして新聞記者がやってくるし、とにかくもう、ことごとく、ああもう!なんなんだよ! 死なせてくれよ! という展開が繰り広げられる。
 しかし、そんな出来事が続くうちに、煙たがっていた周りの人々は、あれ?このおっさん、実はすげえんじゃね? 何でも直せちゃうし、何でも超詳しいし、と気が付いて、どんどんオーヴェを頼りとし、オーヴェもまた、この馬鹿もんが!と怒鳴りつけながらも、どうにも放っておけない。それは、亡き妻が生きていたなら、絶対に、「あなた、助けてあげなさいな」と言ったに決まっているからで、死んでからあの世で妻に再会した時に、大好きだった笑顔を向けてくれないのではないかと思ってしまうからだ。
 とまあ、そういうわけで、本作は、超偏屈親父の生き様と、それに感化されていく周りの優しい人々を描いた物語だ。形式としては、短いエピソードが連なる短編連作(全39章からなる)と言ってもいいかもしれないが、その短いエピソードが非常に濃度が高くて、実に毎回面白い。そして作中では、時折オーヴェの生い立ちから妻との出会いも描かれ、それがなかなか美しく心に迫るものがあって、とても読後感は爽やかだ。
 実はわたしは、最初のうちは、オーヴェというおっさんが全く好きになれなかった。ただのイカレたクレーマー親父か? 老害もいい加減にしとけよな……みたいなヒドイ感想を持ってしまい、最後まで読み通せるのか心配になったほどだ。
 ところがですよ。最初の1/4ぐらいからもう、あれっ? このオヤジ……なんだよ、面白いな……と思い始め、ついにはわたしもオーヴェに好感を持ち、ラストはもう泣ける展開で、実に楽しめたのである。
 思うに、わたしはオーヴェに自分を見たのではなかろうか。59歳なんて、日本ではまだ全然おじいさんじゃないすわな。まだ普通に働いていている人の方が圧倒的多数だろうし。でも、オーヴェのように、「ひとりぼっち」でいる男は、ごまんと日本にもいると思う。そして実に残念なことに、まさしくわたし自身もそうなりそうな気配濃厚だ。そして、さらに残念極まりないことは、オーヴェをものすごく幸せでうらやましい、とさえ思ってしまったのだ。オレ……絶対こんな幸せな人生を生きられねえだろうな……と思ってしまい、自分が情けなく悲しくなってしまったのである。はあ……まったくもう、いやになるわ……何もかも。わたしも、きっと相当偏屈な親父と思われているだろうし、わたしの若者を見る目は、まさしくオーヴェ的だ。たぶん、わたしのことを知っている人がこの本を読んだら、マジでわたしのことを思い出すんじゃないかってくらい、十数年後の自分が描かれているようにさえ思った。やっばいなあ……どうしたらいいんでしょう……。
 ま、もはやわたしの人生はどうにもならんので、物語の各キャラクターを自分用備忘録としてメモしておいて、記憶が失われたときのヒントを残しておこう。
 ◆オーヴェ&ソーニャ夫妻
 オーヴェは、幼少期に母を喪い、少年期に父を喪った孤独な男。以後、黙々と働き続け、ひどい扱いを受けて過ごす。そのせいで、役所は大嫌いだし人も信用しない。作中の言葉を引用すると「人を信用しないただの偏屈屋だと一部の人から思われていることは、オーヴェもよくわかっていた。だがはっきり言ってそれは、信用すべき理由を他人から示されたことがいまだかつてなかったせいだ。」そんな彼は、一部の人からは、超真面目に仕事をきっちりやる男として評価を受けていたし、気に入られてもいたので、何とか最低限の暮らしはできていたし、いろいろな技能を教えてもらって生きていたのだが、青年期にソーニャに出会い、恋をする。この恋がまた不器用でイイんすよねえ……。ちなみに、オーヴェは頑固に「SAAB」以外の車は乗らないし認めない。同じスウェーデンのVOLVOもダメ。BMWやAUDIなんてありえない。トヨタ車なんておもちゃ同然。フランスのルノーを買おうなんて気が狂ってるし、韓国のヒュンダイはもう論中の論外という持論を持つ。このあたりの車の話は、車好きのわたしには大変笑えるポイントでした。
 そして妻のソーニャは、対照的に明るく社交的で超美人。周りからは、なんでまたあんな男と? と反対もされていたのだが、ソーニャはオーヴェの、「正義、公正、勤勉な労働、正しいものが正しくある世界、それを守ることでメダルや卒業証書や誉め言葉がもらえるわけではないが、それが物事のあるべき姿だという理由で、信念を貫く」姿に惚れ、「そうした男がもうあまりいないことを、ソーニャはちゃんと理解していた。だからこそ、この男をしっかりつかんだ」のだそうです。まったく、世の女子たちもこういう男を見る目を養っていただきたいものですよ。
 しかし、こんな幸せな二人も大変な不幸に襲われる。妊娠中に事故に遭い、子どもは流れソーニャは一生を車椅子となってしまう。幼少期からの辛い暮らしやこの事故によって、オーヴェは完全に神を憎悪する男になってしまうが、しかしそれでもソーニャは明るく楽しい女性だった。先生として数多くの生徒を育て、「ねえ、オーヴェ、神さまはわたしたちから子供を奪ったわ。でも、千人ものほかの子供を与えてくれた」と言うぐらい、いい先生として晩年まで過ごした。ほんと、ソーニャに関する記述は非常に泣けるイイ話が多い。
 ◆パトリック&パルヴァネ夫婦&七歳児&三歳児(ナサニン)の姉妹
 オーヴェのお向かいに引っ越してきた一家。まず夫のパトリックはかなり呑気な男で、極めて不器用かつスットロイ。車の運転も絶望的にヘタ(愛車はどうもトヨタ・プリウスらしい)。ちなみに名前が判明するのは結構あとの方で、ずっとオーヴェは「うすのろ」と呼んでいた。序盤で、オーヴェから梯子を借りて家の窓の修理をしようとして転落、以後、ずっと松葉杖のまさしくうすのろだが、性格は穏やかなイイ奴。そして妻のパルヴァネも、そんな夫にイラついていて、オーヴェに車を入れ直してもらったことから(一方的に)仲良くなる。イランからの移民。かなりオーヴェと気が合う。オーヴェに車の運転を習う。オーヴェが怒鳴っても負けない気合があって、オーヴェが認める、ほとんど唯一の人。妊娠中。ラスト近くで三人目の子を出産します。
 で、この夫婦の子供が二人の姉妹で、上の子が通称「七歳児」。名前が出てきたか全然覚えにない。ずっと七歳児と呼ばれている。おしゃまな子で、偏屈なオーヴェを最初のうちは嫌っているが、徐々にその心も溶けていき、最後はもう、かなり泣かせるとってもいい子。そして妹の通称「三歳児」はちゃんと「ナサニン」という名前が出てくる。この子は三歳児らしい天真爛漫なかわいい子で、最初からかなりオーヴェが大好き。この子がまたかわいいんすよ……。
 ◆猫
 名前のない猫。オーヴェの家の前で傷だらけで雪の中で半分凍えていたところを、オーヴェ&ご近所のみんなに助けられる。ちなみにオーヴェは全く猫が好きではないけれど、ソーニャが猫好きだったし、パルヴァネ達もうるさいので介抱してあげただけ、と本人は思っている。ちなみにその時、パトリックはネコアレルギーで病院行き。本当に使えないうすのろですよ。(間違えた!)猫アレルギーはイミーだ。オレの腹で温めよう!と言ってくれたはいいけど猫アレルギーで発疹ができちゃうんだった。なお、この猫は非常にオーヴェに似た、確固たる意志を持っているようで、実にその似た者同士振りが笑いを誘う重要キャラ。
 ◆ルネ&アニタ夫婦
 オーヴェ&ソーニャと40年前の同じころに新興住宅地に引っ越してきた夫婦。ルネは、昔はオーヴェの数少ない友の一人だったが、とある出来事がきっかけで仲は決裂、以後数十年、不倶戴天の敵として数々のご近所バトルを戦ってきたが、数年前からアルツハイマーを患い、戦線離脱。オーヴェはそのことが何気に淋しいと思っている。車はVOLVO派で、SAAB派のオーヴェとは何かと対立していたが、ある日BMWを買ったことで完全にその溝は埋まらないものに。日本でも、トヨタ派、日産派の、それ以外を認めようとしないおっさんっていますよね。この車の話はとても面白い。
 そしてアニタは、ずっとソーニャの一番の友人だった優しい女性だが、現在、体が弱り、ルネの介護も難しくなってきていて、在宅介護をちょっと申請してみたところ、あなたに介護能力なし、とお役所に判定されてしまって、ルネをホームに入れるよう勧告されてしまっている。このお役所バトルも本筋の一つ。しかし、福祉先進国として有名なスウェーデンも、こういうやりすぎ福祉というか、おせっかいともいえるお優しい現実があるんだなあ、と勉強になった。
 ◆アドリアン
 郵便配達員。郵便配達だけじゃ収入が心もとないので、カフェでバイトもしている。ゆとり青年。もともと、彼女の自転車を直してやろうと、自転車放置禁止の場所に自転車を置いていたことで、オーヴェに説教を喰らうが、その自転車をオーヴェが直す手伝いをしたことで急速に「オーヴェさんすげえっす!」と懐いてくる。実は、ソーニャの元教え子であり、オーヴェはそれを知って、このガキに冷たくしたらソーニャが怒るだろうな、と思って、手助けしてやっただけ。最初はルノー車を買おうとしていたけど結局トヨタ車を買った。オーヴェ的には、ルノーやヒュンダイに比べれば、まだ許せるみたい。
 ◆ミルサド
 アドリアンのバイトするカフェの店員。ゲイ。そのことを父親に言えずずっと苦しんでいる。オーヴェは、お前……あっちの人間か? という反応で、だからどうした、と特に差別意識はないようで、そのあけっぴろげな質問にミルサドはオーヴェを信頼し、後にカミングアウトするに至る。
 ◆アメル
 ミルサドの父。カフェオーナー。息子がゲイであることを知って大激怒。ミルサドを家から追い出す(そしてミルサドはしばらくオーヴェの家に居候する。オーヴェはうちはホテルじゃねえ!と激怒するもちゃんと泊めてやる)。しかし、オーヴェがカフェにやって来て、めったに飲まないウイスキーをアメルと二人で吞み、男同士の話し合いをすることでやっとアメルの心に息子を理解しようとする気持ちが芽生える。
 ◆イミー
 オーヴェのご近所に母親と一緒に住む、汗っかきのデブ。ITオタク。アプリ開発者。凍えた猫をその腹で温めてやる活躍を見せる。だけど猫アレルギーで病院行き。笑っちゃった。また、七歳児への贈り物(iPad)の買い物にも付き合ってくれたり、かなりイイ奴。後にミルサドと同性婚を挙げる。
 ◆アンデッシュ
 オーヴェのご近所さんの一人。オーヴェの家の前でいつも小便をする小さいわんこを連れた、通称「金髪の棒っきれ」というヒステリックな女と付き合っている。Audiに乗る「かっこつけ」と呼ばれていた。しかし女が「あの偏屈じじい、あたしの犬のことを「毛皮のブーツ」なんていうのよ、キ―――ッ!!!」と怒った時に、「毛皮のブーツ、最高じゃん、わっはっは!!」と大爆笑したことで破局。以来、オーヴェに好意を抱いたらしい。トレーラー会社経営で、ラスト近くでちょっとした活躍をする。
 ◆レーナ
 新聞記者。偶然オーヴェが駅で助けた男の話を聞いて、取材にやって来る。オーヴェとしてはずっと相手にしていなかったけれど、最終お役所バトルで活躍。のちにアンデッシュと結ばれる。

  とまあ、こんなキャラクター達が見せる、とても暖かいお話で、読後感はとても爽やかだ。今、ふと思ったけれど、そういえばこの物語は、なんとなく有川浩先生の『三匹のおっさん』に通じるものがあるような気がする。TVドラマも3シーズンまで作られた人気作なので、ご存知の方も多いだろう。そして、『三匹のおっさん』が人気になるこの日本においては、本作『幸せなひとりぼっち』も、大いに受け入れられる素地はあるのではなかろうか。ぜひ、ぜひ読んでいただきいたいとわたしは心から願います。最高でした。
 最後に、作家について備忘録としてまとめておくと、日本語で読める記事がインターネッツ上にほとんどないので良くわからないのだが、あとがきに結構詳しく書いてあった。なんでも、元々は雑誌などのライター出身で、ブロガーとして人気者になった人だそうだ。そのブログで人気を集めたのが、偏屈で頑固なおっさんの話をオーヴェという架空のキャラにのせて面白おかしく書いた記事だったんですって。で、その面白ブログがウケて、小説に仕立て上げたのが本作、ということらしい。2012年に発売になったらしいですな。へえ~。そして人口990万のスウェーデンにおいて80万部売れ、全世界でも注目されたんですと。そうか、スウェーデンって、日本の人口の1/10もいないんだ……てことは日本の感覚で言えば数百万部ってことか。それはすごいや。本作の後にも、年1作のペースで作品を発表しているそうで、他の作品も読んでみたいですな。宝塚に遠征した新幹線内で、いつもわたしはグースカ寝てしまうけれど、今回はずっとこの作品を読んでいました。いやー、ホント楽しかったよ。


 というわけで、結論。
 ふとしたきっかけで読んでみたスウェーデンの小説『幸せなひとりぼっち』という作品だが、最初のとっかかりは、若干イラッとするような、嫌なおっさんの図が描かれるけれど、まあとにかく読み進めてみてくださいよ。きっと、いつのまにか、この超偏屈なオーヴェというおっさんが好きになっていると思います。 つーかですね、やっぱり映画版も観ないとダメかなあ……先ほど調べたところでは、来週から新宿で上映があるみたいなんだよな……行くしかねえか……。よし、観に行こう!決めた! 以上。

↓ なるほど、英語版はタイトルがそのまんますね。邦題の『幸せなひとりぼっち』。読み終わった今思うと、なかなかいいタイトルじゃあないですか。。
A Man Called Ove: A Novel
Fredrik Backman
Washington Square Press
2015-05-05

 

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