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 というわけで、土曜日は愛する宝塚歌劇を観劇した後、日比谷から千代田線に乗って乃木坂へ赴き、ちょっくら美術鑑賞もしてきた。なんでも、その展覧会には、かのエリザベート皇后陛下の肖像画が来ているらしく、おまけにフランツ・ヨーゼフ1世皇帝陛下の肖像と対になっているそうで、コイツはヅカオタとしては、皇帝夫妻(の肖像)が日本に来ているなら、ご挨拶申し上げねばなるまい、と思ったのである。その展覧会が、こちら、『ウィーン・モダン クリムト。シーレ 世紀末への道』であります。
WienMordern
 まあ、19世紀末のウィーンというテーマで、Gustav Klimt氏やEgon Schiele氏の作品をメインに据えてみましたという展覧会なわけだが、ミュージカル『エリザベート』が好きな方なら是非、行ってみていただきたいと思う内容になっていて、実に興味深い展覧会だとわたしは感じた。
 というのも、絵画だけではなく、当時の食器やいすなどの調度品や服、それから建築など、当時のウィーンの生活や風景が感じられるような展示物が多く、なんとなく想像力を掻き立てるのです。そこが大変面白いと感じました。
 わたしはドイツ文学を専攻した男なので、それなりにウィーンという街の歴史や建物のことは知っているつもりだし、ドイツ語も普通の人よりずっと読んで話せるため、いちいち、作品に記してあるドイツ語を読んでみたり、知識としては知ってる、けど実物としては知らなかったBurgtheater(=ブルク劇場)やRinkstraßeのことなどが結構出てきて、ドイツ語文化を学んだ人も、おお、これが、的にいちいち面白いと思う。ひとつ、笑ったというか、へええ?と思ったのは、なにやら螺鈿細工で装飾された椅子が1脚展示してあって、ドイツ語でなんか書いてあるわけですよ。これを読んでみると、こう書いてあったんだな。
 「DEM BÜRGERMEISTER HERRN KARL LUEGER ZU SEINEM 60. GEBURTSTAGE」
 これは簡単なドイツ語なので初心者でも意味が分かると思う。英語にすると
 「To the Mayer Mr.Karl Lueger, to his 60th.Birthday」みたいな感じで、要するにウィーンの市長、カール・ルエーガーさんへ60歳の誕生日に送られたもので、そのメッセージが、思いっきり螺鈿で記されているのです。現物がこんな奴なんだけど……
isu
 この椅子は、なんかルイ・ヴィトンのモノグラムみたいでちょっとカッコイイし、おしゃれ、つうか、ゴージャスなんだけど、メッセージはいらねえっつうか、むしろ台無しじゃね……みたいな。なんでまたそんなメッセージを入れた?と作った方に聞いてみたくなったりします。ちなみに1904年の品だそうで、つまり日本で言うと……明治37年、日露戦争中ってことか。
 そう、展示物が19世紀後半から20世紀初頭のものが多くて、わたしはいちいち、日本で言うところの明治直前か、とか、大正●年ぐらいか、とか考えてしまい、それほど遠くない過去だという妙な実感がして、なんか面白かったすね。その、それほど遠くない過去、ということもあって、展示されていた銀食器などはもう新品のような輝きだし、服もそれほど傷んでなくて、大変興味深かったす。
 あまり関係ないけれど、20世紀初頭の建築物の模型とか写真もいっぱいあって、それを見ていたら、そういや東京駅っていつ建築されたんだっけ?ということが気になって調べてみたところ、東京駅が出来たのは1914年なんですってね。つまり大正3年、だそうで、今回展示してあった様々な建築作品と結構同時代で、観ながら東京駅を連想したのも、なるほど、であった。ちなみに東京駅を設計したのはドイツ人のFranz Baltzerさんという方だそうで、ウィーンの都市建築にはほぼ関与してないようだけど、ベルリンで活躍してた人みたいですな。へえ~。
 いけねえ、本題からズレまくってしまった。まあ、わたしは作品を観ながら、こういった余計な横道にハマりがちなんですが、やっぱり、わたしが一番見たかった皇帝夫妻の肖像は、意外とデカくて、趣ありましたなあ……!
Elisabethe
 というわけで、↑ こちらがエリザベート皇后陛下の肖像であります。1855年の作だそうで、描かれたのが1855年の皇后陛下だとすると、御年18歳だか19歳ぐらいのハズ。嫁に来て2年目だから、『エリザベート』の劇中歌でいうところの、「2ね~んめ~におん~なのこがうま~~れた~~」の頃なんでしょうな。つまり、ゾフィー様とのバトル勃発中というか、「むすめはどこ~~」「ひきとりました~~」「かえしてください~」「おことわりよっ!!」のあたりなんだと思うけど、要するに絶賛嫁姑バトルの真っ最中のはずなんだけど、それにしては、意外と生き生きとした、イイ表情に見えますね。
 で、これと対になっているフランツ1世皇帝陛下の肖像もあるんだけど、それは是非、会場へ直接観に行ってください。とても若々しくて、まあ、イケメンと言って差し支えないと思います。皇帝陛下に関しては、一つはまずその対になっている肖像画の、額がやけに質素なもので(エリザベート皇后の方はちょっと豪華な額)、ちょっと驚いた。想像するに、きっとあの肖像はこれまで相当流転の運命にあったのか、持ち主が変わって行ったり、ぞんざいな扱いを受けたのではなかろうかと、勝手に妄想したりもしました。
 そしてもう一つ、フランツ1世皇帝陛下が自室で何かしている別の絵画も展示されているんだけど、それは1916年の作品で、もう完全にお爺ちゃんぽく年老いている陛下なんですが、その部屋にですね、まさしく上に貼ったエリザベート皇后陛下の肖像画が飾られているのが描かれているんだな。
 なんつうかもう、わたしはその作品を観た時は、頭の中でずっと「夜のボート」が鳴りやまなかったすね。若き頃の最愛の女の肖像を、自室にひっそりと飾っているわけですよ。「い~つ~か~ たが~~いの あ~や~まちを~~み~と~め~あえ~るひ~が くる~~でしょう~~」とエリザベート皇后は歌ったわけですが、フランツ皇帝陛下は皇后亡き後、一人遺された自室で、そんな自らの過ちに思いをはせていたんすかねえ……男としては泣けるっすわ……。。。
 で。
 メインのGustav Klimt氏に関しては、特に説明はいらないだろう。しかしわたしは一つの作品の前で、すげえテンション上がったす。それは、作品制作前の鉛筆かな、素描というか下書きだったのだが、それはまさに、わたしがNYCのMetropolitan美術館で観て、一番気に入った、あの作品の下書きだったのです!! その作品とはこちら!
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 ↑これは、写真撮影OKって書いてあったので、わたしがMETで撮影したものなんですが、Klimt氏の「メーダ・プリマヴェージ」という作品で、これの下書きが今回展示してあって、わたしは、こ、これは! NYCで観たアレだ! と一発で分かった。わたしはKlimt氏でこんなピンクの可愛らしい、ポップな作品があることなんて全然知らなかったので、METで観た時強く印象に残ったんだけど、うれしかったなあ、また日本で会えるとは! 

 というわけで、まとまらないのでぶった切りで結論。
 かのエリザベート皇后陛下の肖像が来ているというので、宝塚歌劇とミュージカルを愛するわたしとしては、それは是非ご挨拶に行かねばなるまい、というわけで、宙組公演を観た後ちょっくら乃木坂の国立新美術館にて絶賛公開中の『ウィーン・モダン クリムト。シーレ 世紀末への道』という展覧会へ行ってきたのだが、思いのほか、絵画以外の美術品の展示も多くて、大変楽しめたのでありました。『エリザベート』が好きなら、足を運んでみる価値はあると思います。もう、フランツ1世皇帝陛下が自室でなにか物思いにふける画が最高なんです。その部屋にはエリザベート皇后陛下の肖像が飾ってあるなんて、泣けるっすなあ……というわけで、まだ会期は8月までとだいぶ残ってるようなので、是非、行ってみてください。おススメであります。つうかアレか、本物のファンなら、やっぱり一度、ウィーンに行け!ってことか。行きてえなあ……くそう。マジで行ってみたいすわ……。以上。

↓ つうかマジで計画立てるしかないね! できればザルツブルグとかも行きたいなあ……!

 わたしは映画や読書や観劇以外にも、高校生ぐらいからかな、美術館へ絵画を観に行くことを趣味としているわけだが、その辺のことは以前も書いた通りである
 で、その時も書いたのだが、たぶん、日本で一番人気のある作家は、やはりPierre-Auguste Renoir氏だと思う。まあ、いつも通り根拠はありませんが。時代的には、1841年生まれの1919年没、なので、江戸末期から大正8年までの方であり、活動期としては、ほとんど明治時代のお方である。フランス人なので、1870年の普仏戦争にも従軍しているし、第1次世界大戦には息子が従軍して負傷したんだそうだ。まあ、そんな時代の画家であり、Claude Monet(1840-1926)とは完全に同時代人である。わたし的には、Renoir氏よりもMonet氏の作品の方が好みだが、やはりRenoir氏の大きな展覧会ならば、そりゃあ行っとかねえとな、と思うわたしである。
 というわけで、4月から開催されていて、現在、残りの会期が1カ月ほどとなった『オルセー美術館・オランジェリー美術館所蔵 ルノアール展』に超・今さらながら、行ってきた。そして、やはり日本でのRenoir氏の人気はすげえなあ、と思いつつ、そういいながらわたしもせっせと出かけているわけで、やっぱりその作品には人を惹き付ける、「何か」があるように感じた展示であった。
 まあ、詳しいことは、こちらの公式Webサイトを見てもらった方がいいでしょうな。
 そして↓こちらが、チラシのスキャン画像です。右側の<田舎のダンス><都会のダンス>のセットがとてもいいですな。この対になっている作品が揃って来日するのは45年ぶりだそうですよ。
ルノアール01
 というわけで、行く前から想像していた通り、やはり結構なお客さんが集まっていて、大変賑わっていた。わたしが出かけたのは、おとといの水曜日の午前中で、ぽっかりスケジュールが空いたので、そうだ、そろそろ行かねえと終わっちまう! と思い、当然のように10時開場の10分前ぐらいに現場着だったのだが、もうすでに数十人のおばさまたちが、今か今かと開場を待っている有様で、へえ、さすがだなあ、と感じた。何しろ、もう開催から3カ月が経過しているし、ド平日の朝イチである。ま、わたしの場合、既にわたしの仕事ぶりに文句を言える人間は存在しないので、時間が空けばさっと会社を出られるわけだが、平日なのに並ぶんだなあ、というのはさすがのRenoir人気と言っていいのではないかと思う。おそらくは、土日はもっと大変な混雑となるのではなかろうか。ちなみに、わたしの会社から乃木坂までは15分ほどなので、観て、すぐ帰れば1時間半程度、席を不在にする感じである。
 で、会場内に入ると、もう、かなり人はばらけるので、ズバリ言えばかなり空いている中で、自由に気に入った作品の前でぼんやりしたり、(怒られない程度に)作品に顔を近づけたりと気ままに観ることができて、たいへん快適であった。
 今回の展示の目玉は、おそらくは上記チラシの左側の作品、すなわち『ムーラン・ド・ギャレットの舞踏会』と題された作品だろうと思う。想像よりも大きくて、図録によればサイズは131.5cm×176.5cmだそうだ。たいへん迫力があり、強めの紺色をベースとして、やはり手前のピンク&青の縦ストライプのドレスと、その右後ろでダンスを踊る女性のピンクのドレスに強い印象が残る。また、その女性の柔らかな表情も、もう誰がどう見てもRenoir作品そのものだ。
 これは会場で自由に喋りまくるおばさまたちのおしゃべりから漏れ聞こえたことなのだが、「優しいお顔ねえ~」と言っているおばさまの声を3回ぐらい聞いた。勿論まったく別々のおばさまたちなのだが、要するにその、「Renoir氏独特の人物の表情」がRenoir人気の最大のポイントなのだと思う。この点に、人々はひきつけられるのだろう。
 しかし、わたしの場合は実のところ、人物の表情よりも、Renoir氏の作品で一番、うおお……と唸ってしまうのは、「肌色の表現」の多彩さと言うか、複雑さ?にある。
 Renoir氏は、結構な数の裸婦像も残している画家だが、わたしはいつも、その「肉の色」にグッとくる。まあ、Renoir氏による裸婦は、かなり高い確率で「ぽっちゃり系女子」が多いのだが、その肉付きというか、肌色がとにかく凄い、といつも思う。何と言えばいいのか分からないけど、そのむっちり感ではなくて、肌の色、なんですよね、わたしがグッとくるのは。なお、解説に書いてあったので、わたしは初めて知ったのだが、Renoir氏も、結構な数の「お花」の静物画を遺しているのだが、お花の絵を描くのは、画家にとっては「色の実験」のため、という側面もあるのだそうだ。自然に存在する美しい色を最も象徴的に体現しているもの、それは「お花」である、ということで、「お花」を描くことで、色の感性を磨くというか、絵の具の可能性、再現性を実践して試していたということらしい。へえ~、ですな。
 ↓こちらは、上に貼ったチラシの裏側です。
ルノアール02
  このように、今回も当然、裸婦を描いた作品も多く、わたしの言うところの「肉の色」がこれでもかと堪能出来て、わたしは大変お腹がいっぱいで大満足である。
 以前もこのBlogに貼りつけたけど、わたしはNYのMetropolitan-Museumで観た絵が大好きなのだが、どうも、わたしの記憶では、20数年前まで、親父の部屋にこの絵(のレプリカ)が飾ってあったような気がしてならないんだよな……。あの絵は一体どこに行っちまったんだろう……23年前に家を建て替えた時に捨ててしまったのかなあ……。もう一度会いたい……。
 ↓これっす。どういうわけか、超見覚えがある。NYで出会って、あれっ!? この絵知ってるぞ!? とびっくりした。
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 で、わたし的に、今回の展覧会で、気に入った作品は、以下の3点すね。
 まずは、冒頭にも取り上げたこの2点。
ルノアール05
 これは、左側が【田舎のダンス】というタイトルが付いていて、右側が【都会のダンス】というタイトルが付いていた。ご覧の通り、まあ、セットですな。ちなみに、会場ではこれが左右逆に展示されていました。【田舎】が右側、【都会】が左側だったすね。そこ何か意味があるんだろうか? あと、【田舎】の方の赤い帽子をかぶったご婦人は、なんとRenoir氏の奥様だそうです。奥様になる直前、だったかな? いや、もう奥様だったと思うけど自信なしです。いい表情すね。Renoir氏は奥様が大好きだったらしいすよ。大変いいお話すなあ。
 そしてもう一つ、わたしが気に入ったのがこちら。
ルノアール04
 膝に抱く猫も非常にいい表情だけれど、女の子も、これもひじょーにいいすねえ。たぶん、天使クラスに可愛らしい女の子だったんでしょうな。1887年制作なので、えーと、明治19年、てことか? どんな人生を送ったのだろう。この時10歳とすると、第2次大戦でパリが陥落した時には恐らく60歳をちょっと超えてるぐらいだよね。きっと子供も従軍し、いろいろつらい目に遭ったんだろうな。でも、戦争を生き抜き、幸せな最期を迎えられたと信じたいですな。こういう絵画を見ると、ホントにいろんな妄想が沸きますね。
 あっ!! すげえ!! さすがインターネッツ。何でも情報が転がってるものだなあ。彼女の<ジュリー・マネ>という名前から察するに、画家のEdouard Manetの娘かな、と思って調べてみたら、どうやらManetの弟の娘、つまり姪っ子みたいすね。しかもお母さんは女流画家のBerthe Morisotさんで、Manetのモデルとしても良く知られてる方ですね。ああ、やっぱり娘のジュリーは1878年生まれだから、この絵は11歳の頃の絵ですな。英語版のWikiには、ちゃんとJulie Manetの記事がありますね。それによれば亡くなったのは1966年7月14日だそうです。えっ!? 7/14だって!? なんだよ、昨日じゃん。わたしが国立新美術館で観たのがおとといだから、命日の前日だったんだなあ。何たる奇遇だ。つか、7/14って、パリの革命記念日じゃん。へえ~。しかし、無事に戦争は生き延びられたんだなあ。88歳まで生きたなんて、天寿を全う出来たんだね。良かったなあ。いやー。安心したわ。しかもWikiには15歳当時の写真も載ってますね。ああ、これは美人だ。間違いない。素敵な女性に成長したんですなあ……。
 うおっ!! すげえ!! さらに面白い情報を発見した。

 このジュリーちゃんは、日記を遺していて、出版されてるんだ。へえ~。相当賢い娘さんだったんだなあ。ヤバイ。どんどん面白くなってきた。この日記も読んでみたいなあ……とっくに絶版なので、図書館に行ってみるかな。いかんいかん、もう完全にストーカーめいてきたので、この辺にしておこう。

 というわけで、ぶった切りですが結論。
 絵画がお好きな方は、おそらくほとんどの方がRenoir氏の作品も好きだと思う。であれば、今すぐ乃木坂の国立新美術館へGO!! でお願いします。なお、Renoir氏以外の作品も数点、ちょっとだけ展示されてました。GoghとかPicassoとか。で、お気に入りの作品を見つけて、わたしのようにいろいろ妄想すると楽しいと思いますよ。ま、わたしはちょっとやりすぎ、すかね。しかし、それにしてもJulie Manetちゃんは大変可愛いと思います。以上。

↓ 部屋に飾りたい……。この時ジュリーちゃんは15歳ぐらいすね。かわええ……。

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