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 出版界において、ある出版社から刊行されていたある作品が、時を経て別の出版社から再び出し直される、ということはフツーにあることだ。ま、元の出版社からすればいろいろ思うことはあるだろうけど、別に読者にとってはほぼ関係ない。ちょっとだけ困るのは、出し直されたときにタイトル変更をされると、やった、新刊キタ!とか喜んで買って読んだら、これもう読んだやつじゃん!ということが分かった時のイラ立ち感は、経験したことのある方もおられるだろう。わたしもあります。つうか、タイトル変わってないのに、新刊かと勘違いして買ったことすらあるっすね。まあ、ちゃんと奥付近くに「本書は●年に●文庫から刊行されたものを改題したものです」とか書いてあったりするけれど、買うとき気が付かなきゃアウト、である。自己責任なんだろうけど。
 というわけで、わたしがずっとシリーズ第51巻まで読み続けた時代小説『居眠り磐音』シリーズが、元々刊行していた双葉社から、どういう経緯か知らないけど、今年の2月から文藝春秋社に移籍して出し直されることとなった。そして恐らくはそれを盛り上げるため?に、このお正月に文春文庫から『磐音』にまつわる「書き下ろし新刊」がまさかの発売となったのである。まあ、シリーズを愛してきたわたしとしては、これは買って読まない理由は皆無であり、さっそく楽しませていただいたわけである。
 そのタイトルは『奈緒と磐音』。まあ、このタイトルだけで、ファンならば「おっ!?」と思うだろう。わたしはマジかよ、と思った。主人公磐音の幼少期からの幼馴染であり、許嫁であり、悲劇によって引き裂かれてしまった奈緒。ここで奈緒と磐音の物語かよ、これは……切ない予感がするぜ? なんて思い、コイツは読みたいぜ欲がムクムクと立ち上がったのであります。

 しかし―――もう最初にズバリ言っておくと、物語はわたしの想像とまるで違っていて、本書は1754年~1770年ごろの、主人公磐音が9歳の頃から江戸勤番で佐々木道場に入門して1年半ぐらい過ぎたころまで、が描かれていて、折々の出来事が語られる5つの短編から構成されるものであった。
 なお、上記の年代は、本書のP.262に、1769年に24歳の磐音が初めて江戸に行ったことが書いてあったので、逆算したものです。なので、±1年ズレてるのかも、です(そして以下、この情報から年を逆算して記しています)。
 では、さっそく本書の感想をまとめていきたいのだが、その前に、自分用備忘録として簡単に年代と磐音の年齢を記しておこうかな。ちょっと既刊本が手元にないから確かめられないので、ホント単純逆算です。そしてネタバレにも触れてしまうかもしれないので、まだ読んでいない方はここらで退場してください。ファンならば、こんなBlogを眺めるよりも、今すぐ本屋さんへ行って買って読んだ方がいいと思います。
 ◆1772年:磐音27歳:『磐音』1巻での悲劇が起きた年。
 ◆1795年:磐音50歳:『磐音』51巻の年かつ『空也十番勝負』の開幕、だったと思う。
 ◆1798年:磐音53歳:『空也十番勝負』最新刊の時代。空也20歳でいいのかな(?)
 ええと、なんでこれを書いておいたかというと、前述の通り本書はある意味短編集なのだが、それぞれのお話の冒頭は、磐音が還暦を過ぎていて(=1805年以降ってことになる)、穏やかな毎日を過ごしつつ、若き日を回想する、という形式をとっているためであります。つまり、還暦をすぎた磐音が暮らす江戸には、まず間違いなく空也くんが武者修行を終えて帰ってきている可能性が高い、とわたしは思ったのだが、勿論本書には、空也くんは一切登場しません。そりゃまあ、ある意味当然でしょうな。登場したら十番勝負の方が台無しになっちゃうしね。ま、読者としては、無事に修行を終え、眉月ちゃんと幸せにしている思いたいですな。
 さてと。それでは本書で語られたエピソードをまとめておくか。
 【第1話:赤子の指】
 磐音9歳の頃(1754年)の話。磐音・慎之輔・琴平の三人が湾内の無人島へ、いわばキャンプに行くお話だ。幼い3人組は、どこの道場に入門するかということがもっぱらの関心事で、各々考え方が違っていて、三人それぞれの性格が良くわかるエピソードになっている。また、この段階で早くも『磐音』シリーズ序盤の大問題、関前藩の財政破綻と宍戸文六の暗躍もほのめかされていて大変興味深い。なんつうか、ズバリ言ってしまうと、磐音の生涯でずっと続くことになる苦労は、ほぼすべて藩主たる福坂実高の無能によるものだったわけで、ある意味、主を選べない侍ってのもつらいですなあ……ホントに。そして磐音は9歳にしてすでにしっかりしたお子様だったことが分かるこのお話は、大変面白かったと思います。そしてタイトルにある「赤子」とは誰なのか、は読んでお楽しみください。ここも大変良いエピソードでありました。運命って奴なんですかねえ……。
 【第2話:梅雨の花菖蒲】
 磐音13~14歳の頃(第1話の4~5年後=1758~1759年ぐらいか?)の話。ちなみに磐音の母は、妹の伊代ちゃんを妊娠中。お話としては、いよいよ三人が中戸信継先生の神伝一刀流道場に弟子入りした日に起きた出来事が描かれている。さらに、ここでは琴平の家の窮状や、奈緒(4歳!)の「磐音様のお嫁になります」宣言なんかもあって、たれこむ暗雲の気配と後の悲劇への序章的な、なんとも心苦しい部分も感じられて、ちょっとつらい気持ちになったす。
 【第3話:秋紅葉の岬】
 磐音17歳(1762年)の話。豊後15家の大名家が数年に一度、主催する大名家の城下に若侍を集めて「豊後申し合い」というトーナメントをしていて、それに磐音たち三人が関前藩福坂家代表として出場するお話である。この時すでに磐音の剣術家としての基礎というか、ベースがしっかり築かれている様子が語られるけれど、まだ磐音は、これでいいのか、と絶賛悩み中でありました。そしてこの話でも、小林家の窮状は悪化していて、ホント、読んでいて、こりゃあいろいろとマズいなあ……と後の歴史を知るだけに、気の毒な想いがしました。かと言って、磐音はこの時に出来る、おそらくは最善のことをしたわけで、後の悲劇を避けるための分岐点はとうに過ぎていたんだなあ……的なことも感じたお話であった。
 【第4話:寒梅しぐれ】
 磐音22歳(1767年)の話。関前に100年に一度ぐらいの大雪が降った日のこと。そんな雪の中、他の門弟はみんな来れない中、中戸先生の道場にやってきたのは磐音一人。磐音は中戸先生の提案で雪見酒をご相伴するが、その時中戸先生は、いよいよ江戸勤番が決まりかけた磐音に対し、とある極秘ミッションを託すのだった―――的なお話で、この雪見酒の半年後に初めて磐音は中戸先生から「そなたの構えはなにやら春先の縁側で居眠りをしている年寄り猫のようじゃな」といわれたそうです。そしてこの話のラストは、磐音初めての真剣勝負が! 大変面白かったすね。そして、この話で初めて、後の磐音と行動を共にすることが多くなる中居半蔵様が登場して、わたしは興奮しました。この頃からの付き合いだったんですなあ。
 【第5話:悲劇の予感】
 磐音24歳(1769年)で初めて江戸勤番として東上し、佐々木玲圓先生と会い、住み込み弟子となる。そしてそれから1年半後には、関前から慎之輔・琴平も江戸へやって来て合流、住み込みをやめて通い弟子となって、藩政改革の第一歩を踏み出した頃のお話。もうタイトル通り、悲劇の予感ですよ……。
 
 とまあ、こんな5話構成で、なるべく肝心なことは書かなかったつもりだが、とにかく思うのは、磐音というキャラクターは本当に子どものころからよく出来た人間で、すげえや、ということです。そして本書は、そんな磐音が、どうしてそうなったのか、ということも分かるような物語になっている。しかし、一つだけ、タイトルの『奈緒と磐音』が示すような、奈緒との大恋愛エピソードのようなものはなくて、生まれた時からの縁、のようなものだったのがやや心残り……かも。何といっても、奈緒は生まれた時から磐音が大好きで、ずっと一途に惚れぬいている。そして磐音もその想いに応えていた、というような感じで、とりわけきっかけめいたものはなかった。
 でも、だからこそ、のちの悲劇と数奇な運命が残酷に感じられるのかな……。いずれにせよ、磐音は子供のころから凄かったというのがはっきりとわかるお話であり、わたしとしては大変楽しめましたとさ。
 ところで! この『居眠り磐音』と言えば、かつてNHKでドラマ化されていたわけですが(わたしは全然観てませんでしたが)、ついに! 映画化が決定ですよ! しかも磐音を演じるのは、わたしが若手俳優で一番イケメンだと思っている松坂桃李くんです。カッコイイ……けど、どうなんだろう、磐音にあってんのかな……そして他のキャラはどうなのかも気になるし、これは観に行って確かめようと思います。予告によればシリーズ2000万部だそうで、それすなわち、印税は、640円×10%×2000万部=12億8千万円てことですな。すげえなあ! 本当にスゲエや! 


 というわけで、さっさと結論。
 双葉社から文春文庫へ移籍となる『居眠り磐根』シリーズ。物語は完結しているし、現在では磐音の息子、空也くんの新シリーズが展開されているわけだが、移籍&出し直しに合わせて、磐音の子供のころから青年期にかけての書き下ろし新作が発売となった。タイトルは『奈緒と磐音』。二人は大変な悲劇に見舞われ、結ばれることはない、という運命を知っている我々読者としては、幼少期の奈緒と磐音、そして慎之輔や琴平の、懐かしい過去を読むことができたのは大変うれしいことであり、実際大変面白かったと思う。悲劇の裏には、故郷関前藩内部の権力闘争があったわけだが、ま、ズバリ言うと藩主である福坂実高が無能だったわけで、のちに奥さんの反乱(というべき?)も出来して、ホントダメな殿様だと思うな……。しかし、かつての親友との日々を読むと、ホントに『磐音』1巻の悲劇が悲しいすね……なんか、また51冊、読み返したくなりますな。文春版を買い直す気はまったくありませんが。以上。

↓ 文春の「決定版」とやらは来月発売です。


 はーーー……やっぱ面白いすなあ……
 というのは、今朝読み終わった小説の感想である。そうです。わたしがずっと読み続けてきた『居眠り磐音』シリーズの続編ともいうべき『空也十番勝負』最新刊が発売になったので、すぐさま買って読み始め、もったいないからちょっとずつ……とか思ってたのに、上下巻を3日で読み終わってしまったのでありました。たまには書影を載せとくか。こちらであります。
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 というわけで、もはやこのBlogでも散々書いてきたので詳しい説明はしないが、本作『空也十番勝負 青春篇 未だ行ならず<上><下>』は、磐音の息子、坂崎空也くんの武者修行の旅を追ったもので、今回は5作目となるわけだが……上記に貼りつけた写真の帯に書かれている通り、「完結編」と銘打たれている。なので、わたしはその「完結」という文字を見た時、おいおい、十番勝負なのに、5番勝負で終わりなの? うそでしょ!? うそって言ってください佐伯先生! ぐらいわたしは大きなショックを受けた。
 この「完結」ということに関しては、ズバリ言うと<下巻>のあとがきに佐伯先生自身の言葉で理由が明確に記されているので、まあそちらを読んでいただければと思う。ただし、本編を読み終わった後に読んだ方がいいと思いますよ。そして、せっかちな方に申し上げておくと、あくまで「青春篇」の完結であって、空也の旅はまだ続くものと思われますので、ご安心いただければと思う。つうかわたしが安心しました。
 さてと。物語としては、前作の続きで、平戸から長崎へ向かい、五島で出会った長崎会所の高木麻衣ちゃん、そして対馬で出会った長崎奉行所の鵜飼寅吉くんと再会し、長崎に結構長く逗留することになるのだが、その逗留期間で空也くんが出会った人や出来事、そして当然、空也くんを狙う東郷示現流の酒匂一門との対決へ、という流れで締めくくられる。まあ、それはもう、シリーズを読んできた人なら誰でも想像がつくことですな。そしてもちろん、愛しの眉月ちゃんとの再会もあるし、一方そのころ江戸では、という部分も丹念に描かれ、薬丸新蔵くんのその後も描かれるのだが、まあとにかく、今回は上下巻ということで、様々な出来事が起こり、非常に読みごたえのある物語だったと思う。
 今回は物語の流れについて記すのはやめにして、本作を読んで、わたしの心に残った出来事について、箇条書きでまとめておこうと思う。書いていく順番は、物語の流れとは一致しません。単に思いついた順に記します。
 ◆福岡藩士・松平辰平はさすが空也の兄弟子ですよ!
 空也くんが長崎へ到着し、長崎には福岡黒田家と佐賀鍋島家が長崎警護のために詰めている、ということを知って、わたしとしては当然、かつて自らも武者修行の旅に出て、途中で磐音一統に合流した佐々木道場の弟子、松平辰平くんが登場するものかと思っていた。辰平くんは、博多のとあるお嬢さんと恋に落ちて、黒田家に仕官して福岡住まいとなったのに、『磐音』シリーズのラストで磐音たちが九州にいた時は入れ違いで江戸に赴任していたため、空也くんの旅立ちには立ち会えなかったのがわたしはとても残念に思っていたのだが……いよいよ長崎で会えるか!? と期待したわたしの考えは、まったくもって甘すぎたのであります。どういうことかというと、ズバリ、会いたい、けど会えない、けどやっぱり会いたい……という思いの詰まった「ぶ厚い」手紙だけを託して、辰平くんは空也に会いに来なかったのです。それは、空也が物見遊山で長崎にいるわけではなく、武者修行の身であり、そんな旧交を温めてる場合じゃねえ、と思うからなわけです。さすが辰平、こういう点が、空也にとっては尊敬する兄弟子なわけですよ。あれっすね、これが利次郎だったら、きっと普通に会いに来てるでしょうな。そして辰平の手紙に書かれていた「初心を忘れるな」が空也くんの胸にも響くわけです。真面目な朴念仁だった辰平らしいと、わたしはとてもグッと来たっすね。
 ◆狂剣士ラインハルトとの死闘は意外と(?)大事だった。
 前々巻で闘ったラインハルトは、長崎会所と長崎奉行所のおたずね者で、空也くんは見事勝利したわけだが、そのことは結構大きなことだったようで、空也くんは長崎の様々な場所で、あのラインハルトを倒した男か、と歓迎を受けることになる。中でも印象的だったのは、出島の阿蘭陀商館からも大歓迎を受けて、オランダ製(?)の短刀を頂くことに。この時、空也くんは麻衣ちゃんが用意した南蛮衣装を着せられていて、その情景が非常にわたしの脳裏に印象に残ったすね。ちなみにその衣装と短刀は、江戸へ向かった眉月ちゃんに託され、磐音やおこんさんのもとに届けられました。この、眉月ちゃんと磐音たちの対面も、とても良かったすね。そうなのです。今回、とうとう眉月ちゃんは江戸へ戻ることを決意し、まずは長崎へ行って空也くんと再会したのち、眉も長崎に残りとうございます、的な泣かせることを言いながら、江戸へ先に向かったのです。超積極的な眉月ちゃんと空也くんが江戸で再会できるのはいつの日でありましょうなあ……その日が楽しみですなあ……。
 ◆長崎と言えば……奈緒どのの悲劇のスタート地点でしたなあ。
 作中時間で20数年前、身売りした奈緒が最初に連れていかれた場所であり、そして、その後を追って若き磐音が、医者の中川順庵先生とともにやってきた地でもあるわけです。しかし奈緒の超絶美人ぶりに、こりゃあ長崎じゃもったいない、江戸の吉原へ、とすぐに連れていかれ、長崎には数日しかいなかった奈緒。そして入れ違いに会えなかった磐音。そして磐音は、奈緒が描いた絵と句を見て運命の残酷さを知った若き日。今回、そのかつての悲恋がちょっとだけ触れられ、そんなことは全く知らなかった空也くんは初めて父の若き日のことを知るわけです。このエピソードは、今回折に触れて語られ、わたしとしては非常に時の移ろいを感慨深く思ったし、空也の心のうちにも、非常に大きなものを残したようですな。大変結構なことかと存じます。
 ◆武左衛門、お前って奴は本当に……。
 今回、江戸パートでは、新蔵が新たに自分の道場をたてることになるけれど、江戸の人間からすると新蔵の道場は土間で稽古も裸足という点で、ちょっとアレだなあ、と全然弟子希望者が集まらないような状況に。そこで武左衛門が、かわら版屋にテキトーで盛りに盛った話をして、そのおかげで弟子殺到、みたいな展開となるのだが……ホントに武左衛門よ、お前って奴は……まあ、ある意味今回は結果オーライだけど、わたしはこの男を『居眠り』シリーズの時からどうしても好きになれないす。こういう奴って、ホント、いるんだよなあ……いつの時代も……。
 ◆憎しみの連鎖は、一体どうすれば……酒匂家の運命は……。
 空也くんと新蔵には非はないとしても、憎しみや恨みというものは理屈ではないわけで、今回も当然、酒匂一派に狙われているわけだが、本当にどうしようもないことなんだろうか……。
 酒匂家当主:空也1番勝負で敗北。尋常な勝負であるときちんと理解していた。
 長男:謎に包まれた酒匂家最強剣士。今回とうとう登場。結果は本編を読んでください。
 次男:江戸在府の剣士。今回、新蔵に挑む! 結果は本編を読んでください。
 三男:兄弟で一番体がデカイ剣士。空也2番勝負で敗北したが、空也に一太刀浴びせ重傷を負わす。
 しかしまあ、なんというか、死をもってしか決着できないというのは、現代人としてはとても悲しく、つらいすね……。剣術は、どうしても「人殺しの技術」に過ぎないんすかねえ……だとすれば、それを極めようとするってのは、非情に尽きるのかなあ……。
 今回の空也くんは、端的に言えば「武者修行」ってなんなんだ? という壁に突き当たることになる。折しも時代は銃や大砲が実用化され、武力としての「剣術」も、形骸化しつつある世の中だ。そんな時代に「剣の道」を征こうとする空也くん。おまけに言うと、空也くんは、武者修行と言いながらも、相当な超リア充でもあって、行く先々で人々の好意に助けられ、お互い愛しあう人もいて、さらに今回の長崎では、そのリア充ぶりは拍車がかかっているようにも思える。カステイラを食して喜んでる場合じゃないだろうにね。
 こんなリア充の空也くんが、いかんいかん、こんなんじゃダメだ、と思うのは、自らが命を狙われているからであって、逆に言うと、酒匂一派との因縁がなければ、果たして空也くんは厳しい「武者修行」を続けることが出来たのだろうか、という気すらしてくる。空也くんは、当然のことながら無用な戦いはしたくない、けれど、命を狙われている状況だからこそ、武者修行にも魂がこもる、とも思えるわけで、わたしは今回の空也くんの悩み?に対して、実に皮肉だなあ……と感じたのでありました。まあ、その皮肉な運命にケリをつけようと、空也くんは今回長崎へ来たとも言えるわけだが……この後どうするのか、続きがとても楽しみですなあ!
 ◆「捨ててこそ」とは?
 この言葉は、武者修行を行う空也くんが一番心に留めているものだ。「捨ててこそ」。超リア充である空也くんには、いろんな「捨てたくない」ものがあるはずで、眉月ちゃんへの愛、そして偉大なる父に感じる無意識のプレッシャーなど、背負っているものがいっぱいある青年だ。決して、失うものなど何もない、ような状況ではない。そんな空也くんが思う「捨ててこそ」とは、一体いかなるものか。これが、わたしが思う本作の最大のポイントである。本作を読んで、わたしはまだ空也くんが悩みまくっているように思えたし、そりゃ当たり前だとも思っている。だからこそ、本作はタイトルが「未だ行ならず」なわけだしね。
 空也くんは、高野山の奥で生まれたことから、大師様=空海からその名を「空也」と名付けられたわけだけど、「くうなり」とも読めるのがわたしとしては大変興味深い。仏教でいう「空(くう)」。この概念をわたしは理解しているとは言い難いし、大学時代、「空」について卒論を書いた哲学科の友達の受け売り程度の知識しかないわたしだが……別に全てを捨て去ることが「空」ではないと思うのだが……空也くんの考える「捨ててこそ」は、若干、命すら投げ捨てる方向のようにも感じられて、かなり心配である。まあ、それが正しい解釈なのかどうか分からないけど……難しいというか、まだわたしにはわからんすね……。とにかく思うのは、空也よ、お前は絶対に、生きて江戸に戻らないとダメなんだぞ! という親心のようなものです。きっとそれは、この作品を読んでいる人全員が思ってることだと思います。

 というわけで、もう長いしまとまらないので結論。
 シリーズ5作目にして最新作『空也十番勝負 青春篇 未だ行ならず<上><下>』が発売になったのでさっそく買って読んだところ、やっぱおもしれえなあ、というのが第一の感想でありました。そして主人公・坂崎空也くんの5番勝負が終わったところで、作者の佐伯泰英先生のあとがきによれば、次作の刊行はちょっと時間が空くらしいことが判明した。「青春篇」はこれにて完結だそうで、続く「再起篇」を期待したいですな。しかしなんつうか、わたしとしては長崎会所の高木麻衣さんが大変気に入っております。間違いなく美人でしょうな。空也くんはホントにリア充だなあ……。リア充で武者修行が出来るのかはともかく、ホントにマジで! 生きて江戸へ戻って来るのだぞ! そして眉月ちゃんの愛に応えるがいい! その日を楽しみにしたいと存じます! 以上。 


↓ なんと!『居眠り磐音』は文春文庫から出し直し&双葉文庫版は絶版になるらしく(?)、その新装版刊行に合わせて、こちらの描き下ろし新作も発売になるそうです。マジかよ……文春め……!

 というわけで、そろそろかな、と思っていた新刊が発売になっていたので、さっそく買って読んだ。昨日の土曜日、わたしは朝の8時ぐらいから会社で仕事をしていたのだが、駅前の本屋さんが開く10時過ぎに買い、そのまま仕事をして12時過ぎには一区切りついたため、やれやれ、かーえろ、と乗った電車内で読みはじめ、そのまま昨日はずっと読んでいたら18時くらいには読み終わってしまった。やっぱ面白いわ。というのが端的な感想である。
 で、何を読んでいたかというと、もうこのBlogではおなじみの、佐伯泰英先生による「居眠り磐音」の続編シリーズ最新刊、『空也十番勝負 青春篇 異郷のぞみし』であります。「十番勝負」というのだから、まあ、おそらくは全10巻になるんでしょうな。今回の新刊は、その「第4番勝負」の模様を描いたもので、主人公・坂崎空也くん19歳の冒険を読者は味わうことができる。

 以下はネタバレに一切考慮せずに書くので、未読の方は、ここらで退場してください。まあ、できれば今すぐ本屋さんに行って、買って読むことをお勧めします。こんなBlogを読んでる場合じゃないすよ。今回は、前回よりかなり面白かったように思いますぜ。
 さてと。これまでの空也くんの旅をざっとおさらいすると、「磐音」シリーズ最終巻での大団円ののち、磐音の息子である空也くんは、父の故郷である豊後関前藩(架空の藩・まあ大分のあたりなんでしょう)から武者修行の旅に出た。その時16歳。そして薩摩へ向かい、運命の出会いを経て、東郷示現流との「1番勝負」に勝利。そしてその後、人吉藩~熊本藩に出て、追ってくる示現流との「2番勝負」にも勝利、そこから船で今後は五島列島へ渡り、狂える神父剣士との「3番勝負」に勝利したところまでがこれまでのお話である。
 ちなみに旅に出てから既に2年半経過していて、今回の「4番勝負」は、1798年の正月、空也くんは19歳まで成長している。そして今回の場所は、五島から北上して対馬から物語は始まる。対馬は、朝鮮との貿易の窓口なわけだが、まあ、ある意味当然、外国貿易をしている裏にはなにやら「お上に知られたくない」ことがあるようで……という流れはまったく自然に読めるし、実際面白い。しかし、実のところそういった政治めいた部分は、あまり関係がない。そりゃそうだ。空也くんは武者修行であって、密偵でもないし、水戸黄門的な世直しの旅をしてるわけではないのだから。
 そもそも、空也くんが対馬へ向かった理由は、もうシリーズを読んでいる方には想像がつくだろう。そうです。空也くんがぞっこんLOVEな運命の女子、眉月さまには高麗の血が流れているわけで、愛する女子のもう一つの故国をその眼で見たかったから、でありますよ。冒頭で対馬の北の端っこの岬に立ち、「眉姫様、それがし、そなたの祖国をわずか十二里の海を挟んで見ておりますぞ」と見つめる空也くんは大変カッコイイというか、その情景が浮かびますね。
 で、当然今回は対馬での戦いになるのだろうと思ったら、そうではなかった。対馬での抜け荷をめぐる冒険で、幕府密偵?と出会い、さらには朝鮮剣士との戦いはあるものの、結構あっさり対馬を去り、壱岐島のすぐ北にある辰ノ島へ舞台は移る。そしてそこで、後々いろいろ影響が出てきそうな孤高の朝鮮剣士との無言の修行の日々があって、その後で平戸島に上陸する。そしてその地で若き平戸藩主・松浦清と出会い、充実の稽古と、今回の「4番勝負」に勝利したのち、いよいよ本土に戻り、長崎を目指すことになる。長崎と言えば、前巻で知りあった密偵女子の高木麻衣ちゃんを思い出すが、まあ、再会は次回あるものと思いたいですな。そして今回出会った幕府密偵のトラ吉も。きっと今後ちょいちょい出てくるのでしょう。つうか、平戸って島だったんですな。無知なわたしはそんなことも知らなかったす。今は橋でつながってるみたいだけど、平戸は元々は貿易港として栄えたけれど、鎖国以降の、本作の舞台となる時代ではその地位はすっかり長崎に取られてしまってたんですな。そんな歴史豆知識も今回は非常に興味深く味わえました。
 というわけで、空也くんは充実の武者修行継続中なのだが、なんつうか、やっぱり何度も書いている通り、『密命』シリーズの清之助くん的な、超人的強さがどんどん身について、スーパーマン化しつつあるのが、物語の面白さという意味において若干心配ですな。そしてもう4番勝負が終わってもまだ九州にいるわけで、これから今後当然江戸方向に向かうにしても、10番じゃすまないような気もしてきます。あれかな、どこかから船で一気に東上するのかしら。まあ、兄弟子ともいえる辰平の仕える福岡はもうすぐだし、利次郎の生地である土佐、それから自らの生地である高野山あたりも行かないとイカンのではなかろうか。
 で、本作でも当然、一方江戸では……という様子も描かれており、今回江戸での磐音周辺ではいくつかの、今後に影響する出来事があった。まず一つ目は、すっかり小梅村が気に入ってしまったことでお馴染みの薬丸新蔵くんの元に示現流一派が喧嘩を売りに来て、まあごくあっさり撃退するも、これ以上ここにいたら迷惑なのでは、と新蔵くんは出て行ってしまう。江戸での新蔵くんとの戦いが最後の十番勝負なんじゃないかという気もするけれど、彼もまた、間違いなく今後出演してくれるでしょう。
 二つ目は、現在の11代将軍・徳川家斉がなんと尚武館にお忍でやってきて、薩摩藩前藩主・島津重豪と対面するシーンがある。これは、速水様がしくんだっぽい対面なのだが、要するに、もう示現流の連中が空也くんと新蔵くんを追うのはいい加減にしとけ、という釘を刺すためのもの?とわたしは受け取ったが、この理屈がわたしには面白く感じられた。つまり、空也くんは、将軍様が直々に対面して授けた刀である「備前長船派修理亮盛光」を携えているわけで、ある意味天下御免の存在なわけだ。そして空也くんは賢いことに、薩摩入りした時はその刀を持っていかず、丸腰だったことも効いていて、「薩摩での出来事は(おれがくれてやった刀は持ってなかったから)許してやる、けど、今は、(その刀を持っている)空也になんかあったらマジ許さんぜ」と将軍は言ってるんだろうとわたしは理解した。まあ、薩摩藩としては最初から空也くんも新蔵くんも別に敵だとは思っておらず、示現流の連中の勝手な暴発なわけで、それはちゃんとお前の責任で何とかしろ、という釘を刺したということなんだろうと思う。困ったすね、薩摩藩的には。実のところ、将軍・家斉の正妻は島津重豪の娘なわけで、つまりは舅なんだけど、この対面シーンがわたし的には非常に印象に残った。
 そして薩摩で言うと、今回は江戸にいる眉月ちゃんのお父さんも尚武館を訪れ、磐音と対面するシーンもあったし、なにより眉月ちゃんも、そのお父さんから江戸に戻って来いとの文を受け、絶賛お悩み中である。眉月ちゃんは今後、空也くんの足取りを推理しながら長崎へ行くのか、それとも江戸へ直行するか分からないけど、まあ、江戸での再開は間違いないだろうし、おっさん読者としては、幸せにな、お二人さん! と見守るしかなかろうと思います。
 そして今回は、空也くんが人吉で知り合った常村又次郎くんもまた江戸にやってきて、空也くんが薩摩でもらった刀を磐音に届けるシーンもあった。ここでの、空也くんの妹である睦月ちゃんの素朴な疑問が大変良かったすね。
「兄がどうしてかくも皆様方に好意的に受け入れられるのか、妹のわたしにはわかりませぬ」
 まあ、そりゃ睦月ちゃんからしたら、兄貴は単なる朴念仁の剣術野郎だもんな。これに、又次郎くんが何と答え、睦月ちゃんは納得したのかは、ご自身で読んで味わってください。ま、要するに人柄ってことなんすかね。いずれにせよ、空也くんの武者修行の旅はまだ当分続きそうだし、出会いもこれからまだまだいっぱいあるのでしょう。江戸に帰ってきて、修行を終えた空也くんがどんな男になっているか、旅に同行しながら味わいたいですな。
 最後に、ひとつふと思ったことが。本書の舞台は冒頭に記した通り1798年であるわけで、それはつまり、明治維新の約70年前ってことで、ということは、空也くんの子供か孫世代=磐音の孫かひ孫世代は、幕末を生き抜いてるんだなあということだ。何が言いたいかというと、現代を生きる我々の5~6世代ぐらい前、なわけで、意外と近いような気がした、ということです。サーセン、それだけ。特にオチはないす。

 というわけで、結論。
 わたしが新刊が出るのを楽しみにしている、佐伯泰英先生の『空也十番勝負』の新刊が出たので、さっそく買って読んだところ、なんか今回は一番? 面白かったような気がします。いや、1番?かどうかは分からないけど、前巻よりはかなり面白かったすね。しかし、わたしは五島も対馬も壱岐も平戸も行ったことがないけれど、なんか行きたくなりますな。空也は19歳で、まあ、言わば着の身着のままのぶらり旅を敢行中なわけだが、どんな景色を見て、何を思っているんすかねえ……現代人には想像がつかない旅だけど、まあ、なんつうか、カッコいいすな。ホント、どんな男となって江戸にもどってくるか、大変楽しみであります。もうほぼ無敵だし、重大なピンチもこれから訪れるだろうけど、きっと見事に修行を終えることでありましょう。まったく、お前は大した野郎だよ。そして空也よ、江戸で眉月ちゃんを娶って、幸せになるがよい! 以上。

↓ 今回のお話で登場する、平戸藩主・松浦清はかなりやり手の頭のいい男として描かれてました。参勤の折は尚武館に弟子入りしよう、とか思うほど、剣術の腕もある男で、なんかいい殿様だったすね。というわけで、平戸に今わたしは超興味津々す。
日本の城 改訂版 69号 (平戸城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2018-05-08


 やっぱり最初に言っておいた方がいいと思うので書いておきますが、ズバリ結末までのネタバレを書いてしまうと思うので、未読の方は今すぐ見なかったことにして立ち去った方がいいと思います。知らないで読む方が絶対楽しいと思いますよ。

 さてと。前巻が出たのが去年の9月だから、4カ月ぶりか。この度、わたしの大好きな時代小説のシリーズ『居眠り磐音』シリーズの続編で、主人公を磐音の息子、坂崎空也に据えた新シリーズ『空也十番勝負』の第3巻が発売になったので、よっしゃ、待ってたぜ! と発売日に買い求め、さっそく読み始めた。ら、1.5日ほどで読み終わてしまったのでありました。

 まあ、結論から言うと、今回の三番勝負は面白かったけれど、肝心の三番勝負の相手がなかなか登場せず、登場したと思ったら結構あっさり敗れ、空也くんのスーパーマンぶりが増してきていて少し心配になってきたのである。まあ、仕方ないよな……敗北=死、だし。
 そしてズバリ今回の三番勝負の相手は何者が、を書いてしまいますが、わたしがこのシリーズの1巻目の感想をこのBlogで書いたときに、こんな相手もアリっすよねえ、と妄想したことが現実になってしまったのであります。そう、今回の相手はなんと異人! サーベル使いの狂える(?)自称プロイセン人でありました。まあ、タイトルからして「剣と十字架」なわけで、実際わたしは読む前から、もしや……と思っていたので、わたしと同じように想像した方も多いでしょう。正直に告白すると、わたしとしてはもう少しその相手のバックグラウンドや人となりが知りたかったように思う。そういう点ではキャラが薄く、若干の物足りなさを感じたのは事実である。
 ただし、その三番勝負へ至る直前に出てくる、一人の女性が大変キャラが立っていて、この新キャラ女子にはまた会いたいな、と強く感じたのも間違いない。彼女については、大体の経緯は説明されるけれど、まあ、間違いなく美人でしょうな。というわけで、ヒロイン眉月ちゃんの出番が少ない中、空也くんを中心とした恋のライバルになりえるような気もするので、今後の展開も大変楽しみであります。
 というわけで、ざっと物語をまとめておこう。今回も、空也くんの武者修行の旅と江戸での磐音ご一統様たちの様子、という二元中継な形であった。そりゃ当たり前か。
 まず空也くんだが、前巻ラストで本人もどこに行くかわからない船に乗って、東郷示現流の追手から逃れたわけだが、着いた先はなんと五島列島最大の島、福江島である。

 おっと、今は空港もあるんですなあ。当時は福江藩五島家の支配地であり、お城もあったけれど、本作の空也くんが訪ねた時代には、城はもう焼失していて陣屋だけしか残ってない、ようなことになっていた。そして空也くんは福江島にある道場にまた居候させてもらいながら修行をつづけ、また山に登ったりと、ほんのひと時の平和な時間を味わうけれど、八代でとある事件が発生して、ここにも示現流の手が伸びる、が、その直前に、ここまで船に乗せてくれた船頭さんが手配した船で、さっさと中通島へ移動。さらに、船頭さんとの密談で、さらに北の野崎島で落ち合う約束をする。
 しかし、野崎島へ行く前に、中通島で出会いがある。それが、わたしの言う新キャラ女子で、新キャラ女子は、どうやら長崎会所に所属する密偵?的な役職らしく、長崎で謎の通り魔殺人を犯した犯人を追跡中なのだとか。かくして出会ったふたりは、お互い信頼できないような関係ながらも、西洋剣術使い討伐のためにチームを結成、隠棲していると思われる野崎島へ上陸するのであったーーー的な展開でありました。
 一方江戸の様子はというと、小梅村が超気に入ってしまった薬丸新蔵くんのお話を中心に、武左衛門さんと新蔵くんがちょっと仲良くなったり、睦月ちゃんの恋の行方がちょっと進展?したり、あるいは真面目な常識人でおなじみの品川柳次郎くんがちょっと出世したりというエピソードを交えながら、基本的には空也くんが心配でならないおこんさん、暇そうな(?)磐音、の元に何度か熊本から手紙が届いて一喜一憂するーーー的な、いつもの展開でありました。熊本の眉月ちゃんは今回あまり出番なし、です。手紙はよく書きますが。

 というわけで、わたしとしては面白かったものの、若干の物足りなさもあって、読み終わったそばから続きが読みたくてたまらない状態であります。しかしなあ、せっかく熊本にいたのに、剣聖・武蔵がらみの話はなかったのが残念す。そして適当にわたしが妄想した、西洋人との戦いが実現して驚いたすね。本作ラストで、再び船に乗ってどこかへ向かった空也くん。今度は、どうやら空也くんの希望の地へ行くようで、どうもそれは、対馬~朝鮮半島のような気がしますね。
 というのも、実は設定として、空也くんの愛する眉月ちゃんには、高麗の血が混ざっていて、空也くんとしては、その源流の地を訪ねてみたい、と思っているようなんだな……。わたしは全く詳しくないのだが、当時の朝鮮半島事情はどうなっているのだろうか? 秀吉の侵攻以降、100年以上経過してるのかな。100年じゃすまないか。えーっと? 物語の現在時制は……1798年かな? てことはもう朝鮮攻めから200年経ってるか。てことは当時の朝鮮半島は……? わからん! Wikipedia先生教えてください! とサクッと調べてみると……高麗が滅んだ後のいわゆる李氏朝鮮の後期で、カトリックが中国経由で伝来していた頃、なんだな。ああ、でも弾圧されているっぽいな……てことは今回の西洋剣術使いの因縁もありうるのだろうか? つうか、どういう武術が盛んだったのかはわからないな……基本は中国拳法的なものだろうか? わからんわ。
 まあ、もし空也くんが高麗(正確には李氏朝鮮)を目指したとしても、そう簡単にはたどり着けないような気もするし、まだまだドラマが待っていそうですな。対馬あたりで止まっちゃうかもしれないし、おまけに示現流の追手も絶対に追跡をやめないだろうし、今後の空也くんがどんな旅をして、どんな出会いを経験するのか、大変楽しみですな。
 あと、もう一つ、今回ちょっとわたしが興味を持ったのは、もう既に、この時代、鉄砲が進化した短筒、つまり拳銃の元があったわけで、そんな「もはや剣の時代は終わった」時代に、何故剣術修行をするのか、という根本的な問いだ。
 空也くんも、今回大砲や短筒を目にして、そんな時代であることを実感するわけだが、彼は、とある人に「なんで今どき剣なのか?」と尋ねられた時にこう答えるシーンがあった。
 「剣術とは、技を磨くことだけが目的ではございますまい。万が一の大事に至った折り、肚が据わっているかどうか、そのために鍛錬するのではありませんか」
 わたしはこの言葉に、結構グッと来た。まあ、精神修行だってことだろうし、剣は手段であって目的は別にあるってことなんだろうな、と思う。要するに、相手を倒すことが目的では全くなく、強いて言えば相手は自分自身であり、自分自身をより高めるための修行、という事なんでしょうな。
 まだ空也くんは18歳(本作ラストで19歳)。とてもしっかりした男ですよ、やっぱり。さすがは磐音の息子ですな!

 というわけで、さっさと結論。
 わたしの大好きな時代小説シリーズ3作目となる『空也十番勝負 青春篇 剣と十字架』が発売になったので、さっそっく買ってきて読んだ私であるが、実際面白かったのは間違いない、けれど、ちょっとだけ物足りないかなあ、というのが偽らざる感想である。今回、主人公坂崎空也くんは、五島列島の島々で修業を行い、とある新キャラと出会って、西洋剣術使いとの死闘を演じることになり、三番勝負を終える。しかし、この時代にプロテスタントが日本いたってことには驚きでした。これって常識なんだろうか? ともあれ、残りは7番。どんな戦いが待ってるか、大変楽しみです。そしてわたしとしては、今回の新キャラ、高木麻衣ちゃんのいる長崎にもぜひ立ち寄って、再会してもらいたいと存じます。そしてもちろん、大きく成長した空也くんが江戸でヒロイン眉月ちゃんと再会する日が楽しみであります。以上。

↓ ちょっと興味がわいてきたっすね。色々調べてみたいす。


 



 去年のちょうど今頃、わたしがずっと読んできた、いわゆる時代小説のシリーズが51巻でめでたく完結した。NHKでも実写映像化されていた、『居眠り磐音』というシリーズである。完結に当たって、わたしは、主人公・坂崎磐音の息子、空也が武者修行の旅に出るエンディングに対して、空也の物語は読者が想像するのが良い、ここでシリーズを終わらせた、著者の佐伯泰英先生は素晴らしい、と、このBlogにも書いた
 あれから1年。
 この年末の新聞に出ていた広告を見て、わたしは驚愕し、げえーーー!! な、なんだって―――!? と声を上げ、マジか、マジなのか!? と、やおら興奮したのである。なんと、その空也を主人公とする新たな物語が、佐伯先生の手によって上梓されるという驚愕のお知らせであった。
 というわけで、年末に初めてそのことを知り(抜かってた……全然知らなかった……)、マジかよ、マジなのかよ……と発売を楽しみにし、発売日にすぐ買ったのだが、まだ読んでいる本があったので、ちょっとだけ待っててくれ、と興奮を抑え、一呼吸置いたところで、おとといから読み始め、上下本なのに3日で読み終わってしまった。
 そして、その作品は紛れもなく、正真正銘、坂崎空也の旅のお話だったのである。いやー、佐伯先生、ありがとうございます!!! まさか空也に、いや、磐音ファミリーみんなにまた会えるなんて、1年前は全く考えてなかったよ……というわけで、もうのっけから結論を申し上げますが、最高でした。「居眠り磐音」シリーズを読んできた人ならば、今すぐ最寄りの本屋さんへ走り、絶対に買って読むべきです!!! 


 というわけで、物語は、まさしく「居眠り磐音」第51巻の後のお話であった。以下、ネタバレもあると思うので、気になる方は今すぐ立ち去ってください。そして読む場合は自己責任でお願いします。
 さて。前作、あえて「前作」と言わせていただくが、「居眠り磐音」の最終巻51巻がどういうエンディングを迎えたか覚えているだろうか? わたしは明確に覚えていた。すべての事件が終結し、九州の関前藩(※架空の藩で実在しない。大分?のあたりっぽい)ですべての決着をつけた主人公磐音一行は江戸へ戻るが、16歳の嫡男、坂崎空也は一人、武者修行に旅立つところで物語は終わったわけである。
 空也の目指す地は、まず島津。薩摩藩である。しかし、これは世間一般にも知られている通り、島津家薩摩藩は超・閉鎖的かつ武門の誉れも高い、ヤバい国である。そんな地へ何もあてもなく赴く空也に、母親のおこんさんならずとも、読者一同大変心配していたわけである。大丈夫かしら、いや、大丈夫に決まってるよ、磐音の息子だもの、と読者たるわたしは思い、きっと空也は立派な青年となって、剣術もすさまじい腕に育つのだろう、空也よ、江戸に帰ってくる日を待っているぞ――と、物語に別れを告げたのであった。
 なので、まさかの佐伯先生による、その空也の武者修行の旅が読める日が来るとは! と感慨もひとしおであり、もう楽しみで仕方がないわけです。が、物語は、とんでもない衝撃的な幕開けから始まる。
 江戸の磐音の元へ、薩摩藩江戸屋敷から、一人の使者がやって来るのだ。そして伝えられた報せは―――なんと、空也、死す、の訃報であった。
 これには、磐音ならずともわたしももう衝撃のあまり絶句である。マジかよ、空也、お前何やってんだよ!!! と嘆くしかない。だが、である。江戸はおろか、日ノ本最強の武士である坂崎磐音の息子である。幼少期から体を鍛え、やっと道場でのけいこが許されたばかりとはいえ、きっちりと基礎体力は叩き込まれた若者だ。死ぬわけない!!! と、普通は思うだろうし、わたしもそう思った。
 というわけで、江戸では磐音が空也死す、の報を受け、一方九州では、利次郎と共に九州に残った霧子が、空也の誕生からずっと成長を見守り、ともに苦難を共にした姉として、危険な薩摩国境へ、空也のその後をたどるために、利次郎の許しを得て旅立っていた(時間軸的には磐音のもとへ訃報が届く半年前という設定)。そんなオープニングである。
 で、かつては忍びの者であった霧子にもなかなかその足跡はたどれず(なにしろ空也はある意味素人なので、動きが読めないし、とある事件に巻き込まれていた)、ようやく空也の姿を捕らえた霧子が観たのは、薩摩国境を守る影の集団に襲われ、滝つぼへ転落する場面であった――というのが上巻である。
 しかし、ある意味当然、空也は瀕死の状態ながらも生きており、きっちりと復活する。おまけに、なんと空也in LOVEですよ。今回、下巻で空也をかいがいしく看病し、その復活を手助けしてくれる姫さまがとてもいい。こりゃあ、空也ならずとも、もうぞっこんですよ。ただし、空也は平成の世に生きるゆとりKIDSとは違い、薩摩入りに際しては「無言の行」を己に課しているため、一切喋らない。この、しゃべらない空也と姫さまが心を通わす展開が実にイイのです。
 というわけで、下巻では、空也復活から、姫さまとの交流を描きつつ、薩摩藩内部の抗争に巻き込まれながらも、生涯の友、と言えそうな男との出会い、そして「野太刀流」という剣の流派の技を身に着けていく様など、非常に読みごたえがある。
 結局、空也が薩摩に行こうと思った本来の目的である「東郷示現流」を学ぶことはできないが(門外不出のため、どうしてもできなかった)、それでも薩摩へ来た価値は十分すぎるほどあって、ラストは空也の恋の行方も大変気がかりのうちに幕を閉じる。まあ、修行中ですから、恋はお預けですよ。江戸での再会が、もう、我が子のように空也を思ってしまうおっさんのわたしとしては、大変楽しみであります。
 なお、本作は、そのタイトルにある通り、「十番勝負」なわけで、今回が最初の「一番勝負」ということで、まだ先が読めそうで大変楽しみだ。また、今回のサブタイトルである「声なき蝉」というのも、上下巻を読み通せばその意味は非常に深く意味が分かるだろうと思う。いやはや、本当に素晴らしい物語で、わたしは大感激であります。

 ただ、ですね。わたしは佐伯先生の『密命』シリーズも大好きだったのですが、『密命』でのラストは、若干残念に思っているのです。つーかですね、『密命』シリーズの後半は、もはや完全に主人公が、元の主人公である金杉惣三郎から、その息子の清之助に移っていくのですが……この清之助も武者修行で各地を回る展開なのだけれど、とにかく強すぎなんですよね。
 無敵すぎて、なんというか……強さのインフレが進行してしまった感が若干あります。登場時は子供だったし、惣三郎のいうことを聞かないで、あろうことか年増の女と心中騒ぎまで起こす、ちょっとした問題児だったのに。まあ、その後、鹿島で修業を積んで、心身ともに鍛え抜かれたわけですが、とにかく後半の清之助はもう超無敵すぎで、父の必殺技である「寒月霞切り」をしのぐほどの「霜夜炎返し」を編み出して、もう事実上無敵になっちゃたんすよね……まあ、父を超えることは男の生涯の目標であろうし、牙をむく息子に真っ向から応える惣三郎もカッコイイし、納得はできるのですが……もう異次元の強さになんだよな……
 なので、この『空也十番勝負』も、そういった無敵すぎる空也、になってしまうような気がして、実はわたしは大変心配です。ただ、負けて死んでしまっては話が成立しないので、仕方ないかもしれないなあ……まあいずれにせよ、空也のこれからの修行の旅と、そして恋の行方の方も、大変楽しみであります。薩摩がらみの問題は、まだ完全解決したとは言えそうにないし、次はどこへ行くんでしょうかね……でも、空也もまた、柳生新陰流とは無縁でいられないだろうな……尾張での対決は避けられないだろうな……今のところまだ九州にいるから、まずは熊本で剣聖・武蔵がらみの話も出てくるのかなあ……長崎で、異人との闘いなんかもあってイイと思うな……いやあ、夢が広がりますねえ。マジ楽しみっす!!

 というわけで、結論。
 わたしにとっては突然の発売となった『空也十番勝負』という佐伯泰英先生による小説は、驚きの「居眠り磐音」事実上の続編であった。そしてさっそく読んでみたところ、シリーズのファン必読の、素晴らしい物語でありました。武者修行を続ける坂崎空也の旅の「一番勝負」は、島津・薩摩での死闘。生き残ることはできたものの、この先も、どんどん強敵が出てくることでしょう。しかし、空也よ、強くなるのだぞ! そして、江戸で姫さまと再会するのだ!! その日まで精進あるのみぞ!!! いやあ、マジ最高でした。以上。

↓こちらが『密命』シリーズ。佐伯先生の言によれば、「月刊佐伯」としてフルスピードで書いていたため、今思うとかなり直したいと思うポイントが多いそうで、「完本」として現在出し直し中です。

 おととい、『居眠り磐音』シリーズという、人気時代小説について、つらつらと書いたが、昨日の朝の通勤電車の中で、とうとう完結となる、第51巻『旅立ノ朝』を読み終わってしまった。本当に終わってしまった『磐音』。なんとも非常に淋しく、そして、同時にまた非常にすがすがしい、気持ちのいいエンディングであった。

 主人公・坂崎磐音は、元々は九州豊後の「関前藩」という架空の藩に属する藩士。父は中老。江戸詰めの磐音は、多額の借財を抱える藩政改革に燃え、朋友の二人とともに関前に帰国する。が、 国家老の陰謀により、朋友を上意討ちする役目を背負わされる。婚約者の兄である朋友を斬ることで役目を果たすも、すべてを失った磐音は故郷を去り、江戸市井の長屋に住まう浪人となった。ちなみに磐音は剣の達人でめっぽう強いのですが、「まるで年老いた猫が日向ぼっこしながらうとうと眠っている」ような剣風・スタイルなので、タイトルは「居眠り磐音」なのだと思います。
 とまあ、こんな主人公が、うなぎ料理屋でうなぎ割きのバイトを得て、つましく暮らしながらも、両替商の用心棒に雇われたことを契機に、波乱にとんだ生き方が始まるのだが、その51巻にわたる物語は本当に面白かった。
 たぶん、この長ーい物語は、いくつかのパートに分けられると思う。序盤の磐音は、町奉行所の手伝いをしたり、困っている市井の人々を助けたり、また 古巣の関前藩のために、藩内部の陰謀を阻止したり、関前藩の特産品を江戸で売るビジネスモデルを作ってあげたり、まあとにかく、いろいろな人の、いろいろな事件や困難を助けてあげるという話が続く。いろいろな人と出会って、非常に人脈も広がり、そしてみんなが磐音が大好きになる展開ですね。その人々も、市井の人もいれば、非常に高い身分の人もいて、さまざまな人が、坂崎磐音という男に借りができる。こう書くと、なんだそりゃと思うかもしれないけれど、1巻1巻非常に面白くて、途中でやめる気には全くならない魅力があると思う。やっぱり、この作品は、磐音が出会う人々も非常に生き生きとしていて、キャラクター小説として極めて上等であろう。
 転機となるのは、14巻の、将軍家日光社参に同行する話だろうと思う。 ここで、磐音は、将軍家と接点ができる。ちなみに、時代背景としては、10代将軍・家治の時代。第1巻が1772年のことで、この14巻の出来事は正確な年号は原本を探して確認してみないとわからないな。いつぐらいだろう? たぶん、1777~1778年ぐらいじゃないかな。いずれにせよ、将軍は家治で、この14巻で、将軍家治の長男、家基(15歳ぐらい?)と磐音は親交を結ぶことになる。そして、このことが磐音の運命を決定的に変えてしまうわけです。というのも、家基が1779年に16歳で亡くなってしまうから。これは歴史上の事実。で、この『居眠り磐音』という物語においては、非常に優秀で賢かった家基が、田沼意次に批判的であったために、意次の手の者によって暗殺された、という展開になっていて、そこから磐音と田沼意次の長ーい戦いの話になっていく。それが32巻。ああ、サーセン。これ、ネタバレですね。
 14巻から32巻までの間も、磐音にとっては大きな出来事がいくつもあって、まず、遊女になってしまった元・婚約者が、吉原のTOP大夫になって、山形のお大尽に見受けされた話があって、その後、ずっと磐音のことが大好きだったおこんさんを嫁にもらったと。で、さらには剣の師匠の養子になって、道場の後継になると。そのような磐音にとっては非常に大きな人生の転機があるので、おこんさんとともに故郷の両親に会いに行ったと。これが20巻ぐらいまでのお話。で、帰って来て、主人公坂崎磐音が、佐々木磐音と名前が変わるのが23巻かな。
 で、33巻からは、磐音&おこんさん夫婦は長い流浪の旅に出る。田沼意次が磐音の命を狙っているから。で、旅の途中で長男も生まれて、もちろん刺客もバンバン襲ってくると。ちなみに、歴史上、家基の死から、田沼意次が失脚するまでは、確か7年の歳月が経ってるはず。なので、わたしは7年ずっと旅を続けるのかな? と思っていたのですが、磐音の旅は3年(?)で終わって江戸に戻ってくると。ま、そこからまたいろいろな戦いがありつつ、すべての決着はきちんとついて、エンディングとしては、もうこれ以上ないとわたしは思う。
 もちろん、実際のところ、続けようと思えばまだまだ物語は続けられるはずだ。
 最終巻では、旅の途中で生まれた長男、坂崎空也も16歳まで成長し、凛々しく、そして強く育った姿を我々読者は味わうことができる。磐音の母や元・婚約者には、「空也はおこんさん似で、磐音の若い頃よりずっとイケメン」とか言われちゃうし。そんな空也を物語の中心にして、話を続ける手は十分にあるはずだと思う。だけど、きっとそれは、今、佐伯先生が書くべき物語ではないのだとも思う。佐伯先生の体の具合もあるし、到底数巻程度で終わる話じゃないだろうから、今からそれを書いてくださいと願うのは、酷な話であろう。もちろん、佐伯先生が書きたくなったら、止めないけれど、でもやっぱり、ここがまさしく幕の引き時であり、余韻を残しながら、物語は実に美しく完結できたのではないかと思う。佐伯先生、お疲れ様でした。わたしは『居眠り磐音』を最後まで読めて、とても幸せでした。

 最後に、自分用備忘録として、結構気に入っていたサブキャラたちがどうなったかだけ、まとめておこう。ああ、これもネタバレかも。サーセン。
 ■奈緒:磐音の元・婚約者であり、元・吉原のTOP花魁、白鶴太夫。現・前田屋奈緒。一番可哀想な女子かもしれない。姉を兄の親友(=姉の夫)に斬られ、その親友を斬った兄を、婚約者(=磐音)に斬られ、お家断絶となり、遊女に身を落とし、山形で紅花栽培をする大金持ちに身請けされて、やっと幸せになれると思ったらその亭主にも死なれ、頑張って女手一つで子供を育てながら紅花栽培を続けるも、まーた悪い奴に栽培・販売権を奪われそうになり、江戸で紅屋(=要するに当時の最高級コスメショップ)開店に至って、またようやく落ち着いたと思ったら、50巻、51巻で語られるように、松平定信のいわゆる寛政の改革により、江戸ではコストカット・贅沢禁止が世を覆ったため、故郷の関前で紅花栽培を行うことに。とまあこの女子は本当に波乱に満ちた人生をたどる。でも、最終的に故郷に帰ることができて、本当に良かった。故郷での紅花栽培も51巻では苦労の末にようやく花開いて、感慨もひとしおでしょう。第1巻の悲劇も、約20年の時を経てようやく、本当の意味で決着できたね。あとはもう、幸せにおなりなさい。
 ■幸吉くん:磐音が浪人生活を始めるにあたって、うなぎ割きのバイトを紹介してくれた、「本所深川生活の師匠」。初登場時は10歳にも行ってなかったんじゃなかったけか? そんな幸吉くんも、50巻で、めでたく幼馴染のおそめちゃんと結婚できました。良かったな、幸吉。お前のこと、結構気に入ってたぜ。最後にちゃんと出番がもらえて嬉しかったよ。この二人の行く末がきちんと語られたのが一番うれしかったかも。
 ■辰平&お杏さん:江戸と福岡という遠距離恋愛を成就させたナイスカップル。結婚後は福岡住まい。でも、50巻での磐音の宿願達成時には、辰平も江戸にいてほしかったなあ。51巻では、故郷の関前に向かった磐音一家と入れ違いに江戸に来ていたので、成長した空也にも会えずだったのがとでも残念。まあ、空也には、51巻の完結後の未来に、確実に会えるだろうからいいかな……。
 ■利次郎&霧子ちゃん:この二人は、50巻では、とある極秘ミッションで関前に行っていたので、やはりこの二人も磐音の宿願達成時には江戸不在だった。まあ、51巻では大活躍だからいいかな……。霧子に怒られてばかりだった利次郎よ、お前も本当に強くなったな。二人で幸せにな。
 ■向田源兵衛:50巻でいきなり再登場した向田源兵衛殿。わたし、あなたのことすっかり忘れてました。調べたら、26巻に出てきたあの人だったのね。向田殿も、帰る家が出来て良かったね。小梅村は、あんたに任せたぜ。若僧どもをしっかり支えてやってくれよ。
 ■福坂家:磐音の仕えた関前藩主一族。しかし……殿、福坂実高様。あのね……ずっと言いたかったんだけど、はっきり言ってアンタが無能なせいで、どれだけ磐音が苦労したか、わかってんのか!! 51巻でようやく、隠居し、俊次に家督を譲ったけど、遅せえよ!! かなりの事件が、全部お前の無能のせいだぞ。しかし51巻での堂々とした俊次はカッコ良かったよ。さすが磐音に鍛えられた男。お前に関前藩は任せたぜ。
 ■武左衛門一家:まあはっきり言って、武左衛門の空気を読まないアホさ加減は最後まで直らなかったけど、50巻のラストで亡くなる、どてらの金兵衛さんの死を一番悲しんだのはお前さんらしいね。娘たちがしっかり者に育ったのは、お前さんを反面教師として生きてきたからなんだから、そういう意味では、大いに貢献したな。早苗ちゃんも母になり、秋世ちゃんも紅屋の江戸本店店長で頑張ってるし、息子二人もしっかり職人として生きる道を見つけたし、お前さん、ホント幸せだよ。良かったな。
 ■品川柳次郎一家:武左衛門とともに、磐音の用心棒時代の仲間。君も貧乏旗本とはいえ、お有ちゃんという嫁ももらって幸せそうだね。磐音と出会えて、本当に良かったな。最後まで、お前は一番の常識人だったな。幸せになるんだぞ。
 ■笹塚孫一&木下一郎太:南町奉行所コンビ。笹塚様、50巻で久しぶりに会えて良かったよ。一郎太も元気で良かった。江戸の町は二人に任せたぜ。
 ■チーム今津屋:今津屋さんも磐音と出会えて良かったね。50巻でも、相変わらずの大盤振る舞いで、ほんとに今津屋さんには世話になったね。由蔵さんもそろそろ引退だろうけど、後身をしっかり育ててください。
 ■関前藩士たち:中井半蔵様、やっとバカ殿が隠居して、実は一番安心してるのはアナタでしょうな。51巻では磐音の父、正睦様もやっと隠居できて、後任の国家老を押し付けられてしまったけど、ワンポイントリリーフなのは承知してるわけで、磐音の代わりに坂崎家に養子になった、磐音の義弟、遼次郎のことはアンタに任せたよ。遼次郎もなかなか見どころのある奴だからな。
 
 ああ、いっぱいキャラクターがいすぎて、もうキリがない!!!
 磐音は、50巻、51巻では、とりわけ空也に、「運命」を語る場面がある。波乱万丈の人生だけど、それも運命のままに生きてきただけだ、と。ただし、磐音が言いたいのは、何もかも運命で決まっているから、なにも抗えないとか、努力したってしょうがない、みたいな意味では断じてない。むしろ全く逆で、運命は自分の行いで決まる、不断の努力や、人へのふるまい、そういった、すべて自分の選択した道が、運命を定めるものであり、運命は自分自身が切り拓き、変えることができるものなのだ、ということを磐音は息子である空也に伝えたかったのだと思う。いわばこれも、「人間賛歌」なんでしょうな。JOJO的に言うと。わたしは深く共感します。
 ま、磐音も心配しなくていいよ。空也は、分かってる男だもの。だって、あんたの息子だぜ。51巻、完結のラストで旅立つ空也。帰って来た時、どんな奴になっているか。それは佐伯先生に書いてもらうのではなく、最後まで読んできた我々読者が、それぞれに想像するのが、一番正しいのだと思います。
 (※2016/01/11追記:なんと!!! 空也主役の新シリーズが始まりました!!! マジかとさっそく読みましたが、もうすげえ感無量というか、最高です。記事は↑のリンクへ) 

 というわけで、結論。 
 ついに完結してしまった『居眠り磐音』シリーズ。わたしは大変楽しめました。佐伯先生、ありがとうございました!!! なんか、また最初から読みたくなってきたよ。ちょっと、かなり本棚の奥の方に置いてしまったような気がするので、週末は本棚発掘作業でもするか。

↓ 1巻は2002年か……あの年は、ワールドカップもあって、楽しい年だったなあ……。もう14年前か……老いたわけだよ、オレも……。

 もうずいぶん前、わたしの記録によると2004年のことのようだ。
 当時、急速に時代小説が流行し始めており(もっとも、とっくに流行っていたのだと思うが、わたしが、これは売れてるな、と意識したのがこの頃)、それじゃ、市場調査として、最近何かと評判の佐伯泰英先生の作品を読んで、どんなものか知っておくべきだな、と思ったことがそもそものきっかけであった。
 その当時、なぜ佐伯先生が注目され始めていたかというと、とにかく筆が速く、「月刊佐伯」と呼ばれるほど毎月新刊が発売になることで有名になっていて、へえ、そんなにすごい作家なんだ、と思って、まずはその代表作とされる作品を読んでみようと思った次第である。
 その時、わたしが買ったのは2作あって、一つは『密命』シリーズと呼ばれるもの。
 




 このシリーズは既に2011年に完結しだが、確かわたしが1巻目を買って、こりゃあ面白い、次の巻を読もう、と思った時にはすでに10巻ぐらいまで出ていて、こいつはヤバイ作品にはまっちまったな、と思ったものである。その後最終巻26巻まで、非常に楽しませていただいたわけで、最後の結末は、はっきり言ってちょっとだけ不満だけれど、十分に面白い作品だったと思う。
  そしてもう一つ、わたしが買って読んでみたのが、『居眠り磐音 江戸双紙』というシリーズである。

 こちらも、わたしが1巻目を買った時は、たしかまだ10巻までは出てなかったかな。この『磐音』も、とにかく1巻目から大変面白く、これまた、長ーい付き合いとなったわけで、いよいよ2016年1月4日に最終巻となる第50巻・51巻の2冊が同時刊行となり、とうとうその物語は完結を迎えたのである。 

 というわけで、おとといの発売日にこの2冊を買い、さっそく読み始めたところ、くそう、面白い、けど終わっちゃう、もったいない、落ち着け、ゆっくり味わって読むんだ!! と思いながら読んでいたのに、昨日の帰りの電車内でまずは第50巻の『竹屋ノ渡』を読み終わってしまった。
 この第50巻での舞台は、1793年なので、最初の1巻が1772年だから、作中時間は21年か。ずいぶん時間も経過して、当たり前だけどその分、キャラクターの年齢もずいぶん上がったものだ。1巻の主人公、磐音は27歳。そして完結巻で48歳ってことか。なるほど、わたしの年齢を少し追い越されてしまったのか。そういう意味でも、感慨深いんだな、とさっき気が付いた。
 で。
 どうしようかな、この第50巻の話にすべきか、シリーズ全体の話にするか。
 完結にあたっての感想は、本当の完結巻51巻を読んでからにすることにして、今日は、なんでまた、この佐伯先生の作品がここまで人気が出たか、についての考察にしておこう。
 (2016/01/08追記:読み終わりました。こちらへどうぞ)
 実は、一番最初に読んだとき、ああ、これは売れますよ、そりゃそうだ、と思ったことがある。それは完結を迎えた今でも考えは変わっていないので、総括的な話として、自分用備忘録であるここにまとめてみよう。
 わたしが2004年に初めて読んで、一番最初に思ったことは、以下の二つである。
 ■愛すべき主人公
 わたしが読んだ、『密命』も『磐音』も、ともに共通するのは、
 ・主人公は、強い。剣の達人である。
 ・一方で、優しく、藩から抜けて江戸市井に暮らす浪人さん。
 ・しかし浪人であっても、元の主家を想い、藩のために行動する。
 ※特に『密命』は、そのタイトル通り藩からの密命で、脱藩した経緯アリ。
 ・主人公の人柄は、周りの人々の信頼を得、誰もが主人公を頼りにし、また助けてもくれる。
 といった特徴があり、読んでいて非常に心地いいのである。
 こういった、物語の筋書きよりもキャラクターに魅せられる作品は、世間的にはキャラクター小説と呼ばれているが、映画でも漫画でも小説でも、何でもいいけれど人はたいてい、物語に共感するというよりそのキャラクターにより深く共感するものだとわたしは思っている。たとえば……そうだなあ、いい例えかどうかわからないけど……『DIE HARD』という映画があるでしょ? で、おそらく誰しも見たことのある映画だと思うんだけど、いきなり、シリーズ3作目のストーリーって覚えてる? と聞かれて、きっちり答えられる人はあまりいないと思う。だけど、「たしか、あれでしょ、NYの街が舞台で、またマクレーン刑事が超絶ピンチで、黒人のおっさんとNY中を駆け回る話だよね?」みたいに、どんな出来事だったか覚えてない、けど、そのキャラクターは明確に覚えてるわけだ。もちろん、そのキャラクターが遭遇する事件や出来事が面白くないと、作品として「今回はイマイチだったな」という判定になってしまうけれど、主人公というキャラクターが愛すべき存在であれば、今回はダメでも、「まあ、次に期待するか」という事は思ってもらえるかもしれない。このような、キャラクター造詣という点で、1巻目は非常に重要なわけだが、わたしが初めて読んだ佐伯先生の作品、『密命』と『磐音』は、読者の気持ちをグッと掴むにふさわしい人物描写がなされており、何度も書くが、「読んでいて心地いい」でのある。故に、これは売れるとわたしは思った次第である。
 ■飢えていた読者
 恐らくは、少なくともわたしのような40代以上の日本人にとっては、TVの時代劇ドラマというものは確実に慣れ親しんできたもので、誰しもがきっと、何らかの番組を観ていた経験はあるはずだ。改めて考えると、そういったいわゆるTV時代劇は、たいていが江戸時代を舞台にし、場所も江戸市井であることが多い。そして主人公は基本的に正義の男で、腕も立ち、そして優しく周りから愛されるキャラクターである。そういったドラマをずっと普通に観て楽しんできた我々にとって、小説の世界では、ドラマの原作となった池波正太郎先生や司馬遼太郎先生の作品群だったり、あるいは、舞台は江戸でないことが多いけれど藤沢周平先生の作品だったりが、ド定番として存在してきたわけだ。
 しかし、である。そういったド定番は、もちろんのこと多くのファンが存在し、名作ぞろいであるけれど、一つだけ、極めて残念な共通点がある。それはズバリ、先生方がすでに亡くなっており、「もう新刊が出ない」という点だ。なので、TV時代劇が好きな我々おっさんは、小説を読みたくても、既にド定番作品はとっくに読んでいて、その流れを汲む「新刊の発売」に飢えていたのだとわたしは考えている。折しも、TVからはどんどん時代劇が減っていき、その「飢餓感」に近いものが醸成され、高まっていたのではなかろうか。たぶん、そんな背景があって、佐伯先生の作品は売れていく下地ができていたのではないかと思う。しかも、「月刊佐伯」である。次々に刊行される新刊は、そういった「飢えていた読者」にとってはこの上ないごちそうに見えたのではなかろうか。さらに加えていうと、当時はまだ少なかった、「文庫書き下ろし」というスタイルである。普通、文芸小説は大判の単行本が出て、そのあとで文庫化されるのが通常の売り方だが、「文庫書き下ろし」として買いやすくしたことも、ヒットの要因だと思う。今はもうそこらじゅうの出版社が文庫書き下ろしを当たり前に出しているが、その先鞭をつけたのは、間違いなく時代小説とライトノベルであろう。
 時代劇が好きだったり、藤沢周平先生の作品が好きな皆さんは、おそらくは「口の肥えたうるさ型の」人々が多かろうと思う。だからもちろん、面白くなければ、売れることはない。佐伯先生の作品が、そのような「優しくない読者」をも、きっちりと掴むことができたのは、はやり前述の「心地よさ」であったのではないかと思うが、わたしの知り合いのとあるおじさんなどは、佐伯先生の作品はちょっと軽いというかぬるい、藤沢先生の作品と一緒にするな、と言っていたので、そりゃあ読んだ全員がはまったわけではなかろう。しかし、かえってその軽さのようなものは、今までの時代小説にはなかった「女性読者」という新たな読者層開拓にも成功するのではないかという気もした。故に、こりゃあ売れるな、と思ったわけで、実際、どうやら佐伯先生の作品は、特に『磐音』あたりは女性読者も多いそうです。出版界としては大変喜ばしい才能の登場と言って良かろうと思う。

 ああ、いかん。まーた長くなってしまった。
 というわけで、結論。
 今回の『磐音』完結は、わたしとしては非常に感慨深い思いでページをめくっているわけである。佐伯先生は、50巻で完結させる、という決意があったそうだが、51巻での完結となったわけで、50巻を読み終わった今、たしかに、もう一つきっちりさせなきゃいけないことがあるな、とわたしも納得のストーリー展開である。読み終わった50巻では、主人公磐音の宿願が果たされた。また、ただ一人残っていた、決着を付けなければならない剣者との立ち合いも済んだ。だが、最後にまだ、磐音にはやらなくてはならないことが残っている。それをきっちり51巻で描いてくれるのだろう。非常に楽しみに、そして惜しみつつ、大切に1ページ1ページ堪能したい。ああ、もうちょっとで終わってしまう。これで終わりとは、淋しいのう……。以上。

↓ 『磐音』はNHKでドラマ化されていました。わたしは全部は見ていないけど、結構イメージと違ってたり、逆にイメージにピッタリだったり、キャスト的にどうなんしょう。アリなんですかね……?

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