タグ:レイチェル・マクアダムス

 なんつうか、観終わった瞬間、ああ、こりゃあ前作のScott Derrickson監督は手ぇ引くわ、とわたしは思った。それほど、前作とはもう全然変わっちゃったな、という作品になり果てており、わたしとしてはかなり残念に思っている。
 なんのことかって? わたしの大好きなMarvel Cinematic Univers最新作、『DOCTOR STRANGE IN THE MULTIVERS OF MADNESS』の、偽らざる感想である。この映画は、わたしとしてはMCUの中でも相当下位に位置するイマイチ作品だったと言わざるを得ないのが1回観て感じた結論だ。
 まずは予告を貼っておこう。Disneyの公式予告はすぐ削除されちゃうので、公式じゃないところにUPされたものを貼っときます。

 本作の予告は、公開が近づくにつれ、だんだん情報量が増えて行ったわけで、わたしも新しい予告を観るたびに興奮は高まっていたのは間違いない。うおお、マジ早く観てーぜ! と、本当に超楽しみに昨日はIMAX Leser 3D版を観に、劇場に向かったわけだが……。。
 本作の感想を、どうまとめたものかと思案したのだが、やはりもう、ポイントごとに箇条書きで書き連ねてゆくしかないと思うので、さっそく初めてみようと思います。
 もちろん、ネタバレには配慮せずに、思ったことを書いてゆくので、また見ていない方はこの辺で退場してください。検索してこんなBlogを読んでいる暇があったら劇場へ今すぐ行くべきです。さようなら。

 はい。それではよろしいでしょうか。行きます。

 ◆テレビシリーズの視聴が必須な物語
 わたしとしては、MCUというシリーズは、その名の通り「Cinematic」である点が大いに魅力であり、あくまで「映画館の大画面・大音量で観るべき」作品だと思っていたけれど……『END GAME』以降、Disneyは、自らの配信サービス「Disney+」において、『WandaVision』『The Falcon and the Winter Soldier』『LOKI』『What IF...?』といったミニシリーズの展開を始めたのは周知の事実であろう。
 これらのDisney+で展開する物語があくまで補完的な物語であるなら、それはそれでファンサービス的な意味で存在意義はあると思うし、実際、その制作予算規模はまさしく「Cinematic」であるので、文句を言うつもりはないけれど、わたしとしては、当面はDisney+に加入する必要はないだろう、と思っていたのに、本作は完全に「それらを観ていないとついていけません」という物語になってしまったのは、率直に言って残念だと思う。
 そう、本作を観る際には、もう完全に『WandaVision』を観ていることが前提となっているのだ。
 しかし、わたしがある意味憤っている(?)のは、実はそのことではない。わたしも、予告を観た時に、ああ、こりゃあ、Disney+に加入して予習しとかねえとアカンな、と思って、ちゃんと予習はバッチリな状態で劇場に向かったのに……本作は、『WandaVision』をある意味無意味にしちゃっている点が、実に腹立たしいのだ。
 その『WandaVision』は、短くまとめると、Visionを喪い、精神に異常をきたしたワンダが謎の「カオス・マジック」を「無意識」に発動して街を丸ごと、そこに住む人たちを巻き添えにして、閉鎖空間に閉じ込め、夢想していた理想の結婚生活を送る、が、ラストで自分が間違ってた、と改心して街と囚われていた人々を開放してめでたしめでたしとなるという、はっきり言って夢オチに近いような、なんとも微妙な物語だったわけだけど、本作では、なんと、その「夢想の結婚生活で出来た想像上の双子の子供をどうしても取り戻す」という夢想の夢想に囚われて、恐怖の大魔王に転生してしまったというお話なのである。もちろん、『WandaVision』の真のエンディングは、子供を忘れられないワンダがスカーレットウィッチの姿で「ダークホールド」を読み解いているシーンで終わったわけだけど、それでも、あれっ!? 反省したんじゃねえの? うそでしょ!? そんなバカな! とわたしは開始20分で思ったし、ワンダがカマータージの魔術訓練生たちを無慈悲にぶっ殺しまくるところで、もう完全に心が冷えました。あのワンダが、とんでもねえキャラに成り下がってしまったことに、心から残念に思う。わたしはてっきり、ワンダを操る真の悪党(例えばマルチバースの扉をどうしても開きたい征服者カーンの手先とか)が存在していて、最終的にはワンダとドクターがそいつを倒す、という物語を期待したのに、全くそんなことはなく、最初から最後まで、ワンダ一人が今回のVillainでした。ホント残念。
 なので、主人公であるはずのドクターは、巻き込まれて事態の収拾に必死で動く、という、スパイディ騒動と同じ構造で、気の毒な大人として描かれているのだ。ついでに言うと、Disneyが公式サイトにUPしているあらすじも、とんでもない嘘で、この点も実に問題があると思う。あくまで、核心を避けて、観客の興味を引くような、「ミスリード」ならもちろんアリだし、問題ないけれど、今回は完全なる嘘なので、そりゃあもう、ナシ、インチキとの誹りを免れようがない、ヒドイあらすじだと言わざるを得ないだろう。
 Disneyが公式で曰く、「最も危険とされる禁断の呪文によって“マルチバース”と呼ばれる謎に満ちた狂気の扉が開かれた」とあるが、実際、ドクターはそんな魔法は使わないし、「何もかもが変わりつつある世界を元に戻すため」に戦う物語でもない。さらに「もはや彼ら(=ドクター&ワンダ)の力だけではどうすることもできない恐るべき脅威」でもないし、「驚くべきことに、その宇宙最大の脅威はドクター・ストレンジと全く同じ姿」もしていない。
 もう観てきた人なら、なんだこのインチキ文章は!? と誰しも思うのではなかろうか。ひどいよなあ。。。本当に。
 ◆新キャラ「アメリカ・チャベス」
 まず、「マルチバース」の扉を開くのは、ドクターの呪文ではなく、新キャラであるアメリカ・チャベスの能力であり、そしてその能力を得るために、狂った(=Madnessな)ワンダが彼女を追い掛け回す、というのが本作の本筋だ。
 ワンダは「妄想の妄想」である我が子が元気にしている「別の宇宙」へ行くために、その扉を開く力がどうしても欲しい、そのためなら人殺しも全くいとわない、という完全にイカレた女になってしまったのが本当に残念でならない。
 そして一方のアメリカ・チャベスはというと、子供時代に、蜂に刺されてうっかりきゃーー!と「感情を爆発」させてしまった時に、マルチバースの扉を開いてしまい、母を失ったそうで、もう何じゃそりゃとツッコミたくなるような過去を持っている少女だ。
 まあ、そのうっかりな過去はどうでもいいし、「身の危険が迫ると別の宇宙に通じる扉を開いて逃げ込む」という設定は、それはそれで受け入れてもいいと思う。そして以来、彼女は72の宇宙を渡り歩いているそうで、とある宇宙でワンダの放った化け物に追われ、その宇宙に存在するドクターに助けられてあと一歩というところで追いつかれ、我々の住む宇宙に逃げ込んできて、我々が知るドクターに助けられた、というオープニングは、非常に見ごたえもあったし、極めて映像も素晴らしかったと賞賛したいと思う。
 なので、アメリカ・チャベスに関しては何の問題もないし、わたしとしては全然アリだ。
 けどなあ……。恐るべき脅威、宇宙最大の脅威は「スカーレット・ウィッチ」になり果てたワンダだし、何もかも変わりつつある世界を元に戻すための戦いは、どうやら次回以降(?)のようだし、とにかくもう、なんというか……ガッカリとしか言いようがありません。
 ◆まったく無意味に登場し、しかも弱すぎて泣けた「イルミナティ」
 本作では、予告の段階から、とあるキャラの登場がほのめかされていて、マジかよ!?と我々を歓喜させていた。それは、あの! 『X-MEN』のプロフェッサーXでお馴染みの、チャールズ・エクゼビアの登場だ。そしてモルドのセリフで「イルミナティ」が現れること、さらに『What IF...』で活躍したキャプテン・カーターの登場もほぼ確定していて、一体全体、どのように物語にかかわるのだろう? と我々を興奮させていたわけだが……登場した「イルミナティ」は、さらに驚くべきことに「ファンタスティック4」のリーダー、ゴム人間でお馴染みのリード博士、さらに「インヒューマンズ」の「しゃべるとヤバい」ことでお馴染みのブラックボルトまで登場するというファン感涙の驚きをもたらせてくれたのに……その弱さはもう、悲観の涙にくれるしかないほどのゴミキャラで、登場した意味は完全にゼロ、ならば出て来ないでほしかったとさえ思う程、ひどい扱いであった。ブラックボルトの死に方、ありゃもう笑うしかないよ……。
 強いて言えば、それほどスカーレット・ウィッチに変貌したワンダが、バランスブレイカーなレベルで強すぎたわけだが、その時点でやっぱり間違っていると思うし、脚本的に0点だと言わざるを得ないと思う。ひどいよね、実際。何のために出てきたのか。。。こういう点が、MCUにかかわってきた前作のDerrickson監督が、手を引いて降板した原因ではなかろうか。。。
 ◆Sam Raimi監督を起用した意味
 なので、本作の脚本は、ある意味これまでMCUとは無関係、だけど、マーベルコミックを知っていて、腕の立つベテラン監督に任せるしかなかったのだろうと思う。その意味で、Sam Raimi監督はきっちり仕事をしたと評価すべきだろう。とりわけ、誰しも感じたと思うけれど、悪の大魔王になり果てたワンダ、に操られた、別の宇宙で平和に暮らしていたワンダ、が血まみれで足を引きずりながら(=もうその様は痛ましくてかわいそうで悲しい!)ドクターたちを追いかけるシーンは、もうRaimi監督の真骨頂であるホラー映画そのままだし、どうでもいいけどRaimi監督の盟友Bruce Campbelll氏もちゃっかり登場するなど、映画としての演出や映像としてのクオリティは極めてハイクオリティで、その点は素晴らしいと思う。けれど……こんな物語(=脚本)を許容したのは、完全にMCUを統括するKevin Feige氏の責任だろう。
 ◆MCUとしての整合性
 そしてKevin Feige氏の責任という点では、例えば『LOKI』において、「Madness」という言葉は重要な意味があったのに、本作ではほぼその意味が踏襲されていないし、これだけの事態がワンダに起こるのであれば、当然『WandaVision』で登場して、ラストでどっかに飛んで行ってしまった通称ホワイト・ヴィジョン、元のVisionの記憶をすべて引き継いだはずの(?)The Visionが介入してこないものおかしいし(そもそもワンダは想像上の息子たちよりも最愛のVisionについて何も思わないのも、わたしとしては悲しい)、ついでに言えばNYCであれだけの騒動が起こったのなら、新キャップことサムの登場もあり得たはずで(スパイディが出て来ないのも変だけど、版権上無理なのは理解できる)、MCUの最大の魅力である「共通した世界観」が機能していない点が、非常に問題だと思う。どうも,MCUのPhase4は、かつてのような緻密に計算された大きな観点がみられず、劣化しつつあるように思えてならない。
 マルチバースという言葉も、結局は「なんでもアリ」のための方便に過ぎず、どうもわたしには、『END GAME』や『LOKI』で言及された「時間の分岐」と、今回の「マルチバース」なるものが同じことを意味しているのか、全く分からなくなってしまった。さらに言うと、いまだに『Shang-Chi』や『ETERNALS』も今後どのように絡んでくるか見えないところがあって、かつてのように「インフィニティ・ストーン」という共通アイテムによって、大きな一本の軸となっていたものが、Phase4においては現状見当たらないのは実に残念だ。
 まあ、おそらくは、数年後に「そういうことだったのか!」と我々を驚かせてくれることになる……のだろうと、今は期待するしかないけれど……なんというか、もう宇宙を創った神様は出てくるわ、死後の世界だとか、神話の世界だとか、別の宇宙(マルチバーズ)だとか、もはや我々「人類が頑張って何とかする」領域を超えてしまっているのは明らかで、そんな物語が面白くなるのかどうか、かなり不安な状態だ。
 そう言えば昨日完結した『MOON KNIGHT』も、もはや完全なるファンタジーで、歯切れも悪く、どう理解したらいいか分からん物語で幕切れだったのも、なんか……不安を増幅させているように思う。はっきり言って、Disney+で配信されているシリーズは(What IF以外)どれも2時間半でまとめれば面白い映画になり得る物語、なのに、TVで全6~9回と長く、どうでもいいような部分もあって、正直ノれないっすな。。。
 ◆理解されないドクターが不憫……。
 わたしは常々、優れた人がわざわざ優れていない人のレベルに降りて、へりくだる必要はないと思っている。なので、ドクターに関して公式で「上から目線」とか表現されるのが好きではない。だって、実際に明らかに「上」な凄い人なんだから、そりゃ当たり前じゃん、と思うからだ。
 もちろん、ドクターは、凄い優れた人間であるにもかかわらず、ちゃんと善良でイイ人なわけで、トニーと同様に、いくら優れていても間違いは犯すし、自分が間違ってたと思えばきちんと改心して、より善い人間であろうと努力しているわけです。わたしとしては、そんなドクターを分かってやってくれよ、と思うのだが……本作では冒頭でいきなり、かつての恋人、ドクター・クリスティーン・パーマーが「別の男と結婚する」その結婚式に参列するシーンから始まる。これはツラいよなあ。。。わたしは男なので、ドクターのつらさ、ドクターが感じる淋しさは心に刺さるし、かと言ってクリスティーンを責めるつもりはないけれど、せめて、全世界でクリスティーンだけは、ドクターのことを理解してくれている人であってほしかったと思った。この点は女性目線だと違うのかもな……。
 ちなみに、本編終了後のおまけ映像に、いきなりCharlize Theron様! が登場したのはビビったすねえ! わたしは詳しくないけど、あのキャラはダークディメンジョンの支配者ドルマムゥ(=ドクター1作目に出てきたアイツ)の妹の娘、つまり姪っ子のクレアというキャラらしいすね。そしてクレアはドクターの弟子であり恋人、になるらしいので、もうクリスティーンはMCUに出て来ないのかもしれないすね。。。はあ、ホント、あんなに頑張ったドクターが不憫でならないす。。。
 
 とまあ、こんな感じ……だろうか。
 そういえば、ワンダや後にドクターも使えるようになる「ドリーム・ウォーク」なる呪文は、別の宇宙の自分を操るというものだったけど、わたしとしてはジョジョ第7部『Steel Ball Run』でお馴染みの「Dirty Deeds Done Dirt Cheap」=D4Cに似てると思ったすね。別次元の自分を連れてくるアレです。まさしくワンダの行為は「いともたやすく行われるえげつない行為」でしたな。

 というわけで、結論。
 超期待したMCU最新作『DOCTOR STRANGE IN THE MULTIVERS OF MADNESS』をさっそく観てきたのだが……昨日の夜、ざっと調べたところでは、大絶賛しているレビューが多いみたいなので、ちょっとわたしにはその心理が理解しがたいのだが、わたしはワンダが狂った理由である、愛するものを喪った痛みに共感することは全くできない。そのような痛みは、わたしもとっくに経験済みであり、それを克服できない人間はいないと思うし、克服できるのが人間だと思うからだ。スパイディのピーター・パーカー君はキッチリそれを克服して前に進み、「大人」になったわけで、ワンダの精神的な幼さ、あるいは、究極のわがまま? は、到底人類が許せるものではないし、もう明確に、人類の敵であると断罪せざるを得ず、これまで描かれてきたワンダというキャラを崩壊させるものだと思う。こんな形でワンダがMCUから退場するなんて……人間であることを自らの意志でやめてしまったワンダ。その点が、極めて残念だ。
 そして事態を収拾させるために頑張ったドクターは本当に素晴らしいし、スパイディ騒動だって全くドクターの責任ではなく、むしろ冷静に対処しようとしたのを邪魔されたわけで、ホント、ドクターを理解してくれない世の中はひどいと思う。
 つうか、なんだかPhase 4に入って、MCUはどんどん変な方向に行っているような気がしてならないですな。。。まあ、数年後、あっさりと、「やっぱりMCUは最高だぜ!」と感想を述べている自分がいそうな気がするし、そう思わせてほしいものです。次は『THOR:Love and Thunder』ですな。まあ、正直あまり期待してませんが。。。そして『LOKI』のシーズン2が超楽しみっすね! 
 そして、わたしが今回、劇場に行って、それもIMAX-3Dで観て良かった! と思った最大の事件は……『AVATAR』新作の3D映像を観ることが出来たことっすね! 超キレイ!! そして超3D! コイツはマジで超期待できそうっすよ!! 以上。

↓ もはやどうしても、Disney+加入は待ったナシです。


 さっきちょっと調べたところ、わたしがWOWOWに加入して観始めたのは、どうやらまだ学生だった1991年のことのようだ。映画オタクのわたしにとって、WOWOWは大変ありがたい存在と言うか、実に重宝していて、デジタルになって3ch体制になってからは飛躍的に番組数も増え、ほぼ毎日楽しんでいる。が、実はWOWOWの、わたしにとっての真価は映画ではなく、LIVEイベントの中継にある。要するに、WOWOWでしか見られない番組が結構多いのだ。これは、デジタル化以前のアナログ時代においてもそうだったのだが、スポーツのビックイベントや、音楽・演劇系の中継も、例えばテニスの4大トーナメントや、アカデミー賞授賞式なども、そういったWOWOWならではのオリジナルコンテンツとして、わたしは楽しんでいる。
 で、わたしがアナログ時代からかなり好きで、ずっと観ているのが、 ボクシングの「Excite Match」という番組で、他では見られない中~重量級のタイトルマッチなどは、ほぼすべてこの番組で放送されている。90年代のMike Tyson王座時代の試合は、たぶんわたしは全部観たんじゃなかろうか。しかも生放送である。有名な、Holyfield VS Riddick Bowe戦のパラシュートマン乱入事件や、Holyfield VS Tyson戦の噛み付き事件もわたしは生で観て仰天した思い出がある。フォアマンの復活戦も観たなあ。そんなわたしなので、ボクシング、特にアメリカ、もっといえばラスベガスやNYCのマジソン・スクウェア・ガーデンを中心とするBIG MATCHは大変思い入れがあるわけで、ボクシング映画となると、もうとりあえず問答無用で観たいと思ってしまうのである。
 というわけで、わたしが今日観た映画は、『SOUTHPAW』。日本公開タイトルはそのまま『サウスポー』。なかなかグッと来る映画であった。

 大体の物語は、上記予告の通りである。実は、わたしは最初にこの映画のことを知ったとき、へえ、そんな選手がいたっけ? と、実話なのかと思っていたのだが、これはまったくのフィクションであった。なので、ああ、なんだ、フィクションなんだ。てことはつまり、要するにこれは往年の名作『CHAMP』的なお話かな? と思って劇場へ向かったのだが、結論から言うと、まあ、似ているようで似ていないお話であった。そしてこれも、最初に言ってしまうけれど、かなり、テンプレ通りの展開で、脚本的にははっきり言って普通の出来であると思う。それほど深い感動的な作品、とはちょっと違うような気がする。
 物語上の問題点として、わたしが最も、これはちょっと……と文句をつけたいのは、ありがちなテンプレ進行についてではなく、タイトルの『SOUTHPAW』に関わる部分だ。正直、この映画が『SOUTHPAW』というタイトルである意味は、物語的にはほぼないと言っていいのではなかろうか? ラストの逆転必殺技が、かなり物語的にとってつけた感があって、わたしは大変残念に思った。もっと面白く出来たと思うのだが……冒頭、主人公のファイトシーンから始まるこの映画、わたしはてっきり主人公は左利き(=サウスポー)ボクサーで、左のストレートをフィニッシュブローとするファイターなのかと思っていたが、思いっきり右利き、いわゆるオーソドックススタイルで、ガードをほとんどしない選手だということが分かる。その時点でわたしは、アレッ!? サウスポーじゃないじゃん!? と思ったのだが、物語が進展しても、まったくサウスポースタイルの話にならない。中盤の再起を賭けたトレーニングで、チラッとだけ出てくるだけだし、ラストの試合も、最後の最後だけ、サウスポースタイルにスイッチして大逆転、という展開である。なんというか……若干ぽかーーん、としてしまった。
 わたしが脚本家だったら、右の拳に怪我をさせて、もはや以前のスタイルでは闘えない、再び勝つためにはサウスポースタイルをとらざるを得ない、という展開にしたと思うな。いわゆるアレだ、「巨人の星」において左腕を破滅させた星飛雄馬が、右投げ選手として復活する「新巨人の星」ですよ。まあ、わたしのそんなアホな妄想はどうでもいいとしても、作中において、「サウスポー」で闘うことの意義をもっと重くしてもらいたかったと思うのだが、復帰に当たって主人公が強化するのは、ディフェンスである。要するにガード、ですな。しかし、世界チャンプ(しかもWBC,WBA、IBFの統一チャンプという設定だった)まで到達した男が、いまさらショルダーガードを身に着けて、以前とは見違えるように闘う、というのは如何にも地味すぎるし、ボクシング好きとしては、若干、ううむ……と醒めてしまった。ここはやっぱり、右のナックルが、それまですべての試合で相手を叩きのめした右の拳が、以前の破壊力を失ってしまったという、何らかの出来事を入れ込んで、それ故にサウスポーとして再びリングに立つ、みたいな展開にしてほしかったのだが……。わたしとしては、タイトルと物語がイマイチ合っていないような気がしたのが大変残念だと思う。
 しかし、である。テンプレ通りのストーリー進行であり、「サウスポー」という戦闘スタイルがあまり物語に生かされていないという脚本上の問題点があるとはいえ、やはりわたしは、この映画を観てかなりグッと来た。それは、恐らく物語、脚本というよりも、役者の渾身の芝居から来るものだろう、と思う。
 主人公はちょっと後で語るとして、とりわけイイのが、主人公の娘のちびっ子だ。眼鏡っ子のかわいらしい子役が演じる娘がですね、ひじょーーーにいいのです。彼女の演技に敬意を表して、わたしはこの映画はアリ、だと判定したい。演じたのはOona Laurenceという2002年生まれの子だが、大変達者で素晴らしい演技だったと思う。どうやら彼女は、Broadwayミュージカル出身で、なんと2013年に『Matilda』という作品でタイトルロールを演じ、TONY賞の栄誉賞(?)を獲得している実力派らしい。その時11歳ってことだよな。これは凄いというか、たいしたものだ。ちょっと、彼女の名前は覚えておきたいですな。今後の活躍を期待します。
 で、主人公のボクサーを演じたのが、わたしの結構好きな俳優Jake Gyllenhaal氏である。彼は若い頃からいろいろな映画に出ていて、演技派でもあるし、アクション大作にも出ることがあるし、わたしとしては、彼を鑑賞するならやはり、リアルBL映画としてお馴染みの『Brokeback Mountain』と、ディザースタームービーでも有名な『The Day after Tomorrow』をおススメしたい。両方とも10年以上前の作品だし、内容も全然違うけれど、Jakeのカッコ良さは堪能できると思います。最近では今回の映画でも話題になった通り、出演する作品に応じた肉体改造が激しくて、カメレオン役者的な評価をされている。今回も、きっちりボクサーの体になっていて、肝心のボクシングシーンは凄い迫力だし、やっぱり、娘との交流だったり、再起を賭けて依頼するコーチとのやり取りなどは大変見ごたえアリの素晴らしい芝居だったと思う。大変良かった。
 あと二人、この映画で観るべき俳優がいるので紹介しておこう。まずは、主人公の奥さんを演じたRachel McAdams嬢。今年のアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた『Spotlight』で注目された彼女だが、キャリア的にはそれなりに出演作が多く、わたしが一番彼女で覚えているのは、やっぱり『Sherlock Holmes』でのアイリーン・アドラー役だろうか。ちょっと癖のある顔立ちだけど、まっとうな美人さんですね。今回も、主人公の美人妻としてかなり印象に強く残る芝居振りであった。そしてもう一人、 主人公の再起を支えるコーチを演じているのが、もはやベテランのForest Whitaker氏だ。わたしはこの人の作品、かなりたくさん観てるんだよな……Wikiによるとデビュー作は、80年代のわたし的名作の『First Times at Ridgemond High(邦題:初体験リッジモンドハイ)』だし、わたしがこの人で一番印象に残っているのが、かの名作『Platoon』だ。主人公のクリス(演じたのはCharlie Sheen)と同じPlatoonに配属された、ちょっと気のいい黒人兵役で、わたしはとても良く覚えている。あの時から、ホントにこの人は鶴瓶師匠に似てんなーと思っていたが、 2006年の『The Last King of Scotland』で黒人俳優4人目のオスカーウィナーになったわけで、演技も大変渋くて、今回も大変存在感のある芝居振りだったと思う。そういやこの人は、年末公開の『ROUGE ONE : A STAR WARS STORY』にも出ているんだっけ。今からとても楽しみだ。
 最後、監督について備忘録をまとめておこう。本作の監督は、Antoine Fuqua氏。『Training Day』でDenzel Washington氏にオスカーをもたらせた職人肌の監督ですな。この作品含めて10本の作品を発表しているようだが、wikiを見たところ、わたしは7本観てるらしい。あんまり意識してないのだが、どうも結構わたし好みの作品が多いみたいですな。現在は、『七人の侍』のハリウッドリメイク『荒野の七人』を、さらにリメイクした作品『The Magnificent Seven』が公開スタンバイ中らしいすね。Denzel Washingtonがリーダー、Chris Plattが三船敏郎的キャラみたいっすな。

  US公開は9月らしいけれど、果たして日本で公開されるのか……若干心配だが、まあ楽しみに待っていよう。

 というわけで、結論。
 『SOUTHPAW』という映画は、正直、脚本的には良くあるパターンだし、肝心の「サウスポースタイル」でのボクシングシーンがないのがちょっと残念だけれど、役者陣の熱演は非常に素晴らしく、少なくとも、わたしは劇場で観てよかったと思います。なかなかグッと来ました。どうなんだろう、ボクシングに興味のない人は全然問題なく感動できるのかな。そこんところは、ちょっとわからんす。以上。

↓ わたし、全巻持ってます。おっと、最新刊は今月発売か。いつも買うの忘れちゃうんだよな……。

↑このページのトップヘ