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 実際のところ、わたしはDCコミックのキャラクターにあまり詳しくない。勿論、BATMANやSUPERMAN、WONDER WOMAN、それからAQUA-MANやGREEN LANTERN辺りは分かっているつもりだが、そのVillain(悪役)を全部知ってるわけではなく、正直に告白すると、全然にわか野郎である。
 それでも、映画オタクとしてはDC-Extended Univers(DCEU)は当然楽しみにしていたわけで、今日から公開された『JUSTICE LEAGUE』を初日にさっそく観てきたわけである。わたしは本作を観るにあたって、ポイントとなるのは2つ、Villainが誰か、そして、前作『BATMAN v SUPERMAN』で見事殉職したSUPERMANがいかにして復活を遂げるか、にあると思っていた。しかし一方では、実はわたしが最も楽しみにしていたのは、実際のところもはやストーリーではなく、美しき闘う女神、Gal Gadot様が演じるWONDER WOMANのワンダーな美しさを堪能することのみにあったと言っても過言ではない。
 で、結論から言うと、Villainは訳が分からんし、SUPERMAN復活もあまり劇的でなく、ただただ、Gal様の美しさと可愛さとセクシーさがワンダーな作品であったと言えるような気がしている。というわけで、以下、ネタバレ満載になる可能性大なので、知りたくない人は今すぐ立ち去ってください。では、中身を観ていこう。

 というわけで、事前に公開されていた予告では、一切SUPERMANは出てこない。けど、出てくるのは100%間違いないのは誰しもが分かっていることで、それがどう、感動的な復活となるか、が本作の本来の一番の鍵であったはずだ。が……どうなんでしょうなあ……アレは……。
 物語は、どうやら『BvS』の数か月後、らしい(よって『SUICIDE SQUAD』と時間軸的に被るのかも? よくわからん)。『BvS』で殉職したSUPERMAN不在の地球には、何やら謎の、羽の生えた昆虫めいた気持ち悪い化け物が現れていた。その化け物は、どうやら人間の感じる「恐怖」が大好物?らしく、20年間、Gotham Cityを守ってきたBATMAN曰く、こいつらは偵察隊だ、とのこと。一体何の偵察なのか? それは「侵略」であった。WONDER WOMANの話によると、この地球に3つある「箱」は、かつてアマゾン族とアトランティス族、そして人間が力を合わせて守ったもので、ウルトラパワーを秘めていて、それが一つになると超ヤバい事態になるらしい。そんな時、WONDER WOMANの故郷セミスキラで保管されていた「箱」が化け物の親玉に奪われる事態になってさあ大変。ブルース・ウェインは仲間を増やすためにFLASHとAQUA-MANを、そしてダイアナことWONDER WOMANはCYBORGをスカウトするために出かける。
 FLASHはごくあっさり仲間入りするも、AQUA-MANにはごくあっさり断られるブルース。そしてダイアナの方はというと、CYBORGは、どうやらその「箱」のパワーで誕生したらしいが、最初は警戒心バリバリで誰も信じようとしなかったものの、結局はWONDER WOMANの真摯な説得と美しさにノックアウトされて仲間入りを果たす。そんなころ、海中のアトランティスに現れた化け物の親玉=Steppen Wolfに、AQUA-MANもまるで歯が立たず余裕で「箱」を奪取され、最初は誘いを歯牙にもかけず断ったくせに、事ここに至って仲間入りする。かくして、「正義同盟」が成立、最後の箱を守るためにSteppen Wolfと戦う、のだが、これがまた恐ろしく強く、ならば、と天才的頭脳を持つブルースと超頭脳を授かったCYBORGが考えた結論は、死んだSUPERMANを「箱」パワーで蘇らせよう、というものだった―――てなお話でありました。
 どうですか? あんまり面白そうじゃないでしょ?
 やはり、決定的にMarvel Cinematic Univers=MCUと違うのは、BATMANとWONDER WOMANの二人以外はかなりキャラが薄いという点だろう。そして、SUPERMANも、わたしがさんざんコレジャナイ、と憤っている『MAN OF STEEL』での設定を踏襲しているので、相変わらず頭が悪いし、能力がスーパーすぎるチートキャラだ。最後はいつもの通り、超絶バトルとなるのだが、もう、またこれか、としか感想を抱けなかった。そもそも、殴っても殴られても、全く痛くもかゆくもない超人同士がどかーんと殴って吹っ飛び、さらにずばーんと殴り返して吹っ飛び、という、あの戦闘は意味があまりないような気がしてならない。アレが始まると、いかんともしがたい退屈さを感じてしまうのだが……。どうも、Warnerの幹部は、DCEUは暗いとか描写が暴力的とか、そういう点を反省材料としていて、軌道修正を図ろうと懸命のようだが、本作でそれが払しょくされたかというと、あまりそうは思えず、確かにFALSHのキャラはギャグ担当なんだろうけど特に笑えないし、ただの友達のいないおかしなガキにしか見えなかったのも残念だ。そもそも、Warner幹部の反省点がズレていて、ダークでも真面目でも暴力的でもそれは一向に関係なく、単に、キャラクターの設定が間違っているのだとわたしは思う。とりわけSUPERMANがマズイ。あれはイカン。
 今回、蘇ったSUPERMANは、当初記憶が混乱しているようで、『BvS』でボコられたこと(だけ)を覚えているにっくきBATMANをボコり返し、あまつさえ我が女神WONDER WOMANにこぶしを振り上げ、FLASHもAQUA-MAN、CYBORGもボコられる。あのシーン、本当に必要だっただろうか? いらないと思うのだが……まったくもって。素直に、善なるSUPERMANであればいいのに……。そして再生のきっかけも、謎の箱のパワーであるのはいいとして、やっぱり鍵は恋人のロイスか、母のマーサ・ケントであるべきだったと思う。今回もロイスはまるでどうでもいい扱いだったような気がしたのは残念過ぎる。なお、今回のロイスは、暴れまくるSUPERMANを止める単なる猛獣遣い役で、復活には一切関与せず、で、わたしはもう、がっかりであった。
 そしてあろうことか、VillainたるSteppen Wolfも、復活したSUPERMANにボコられ、うっかり、コイツ、怖え……とか恐怖を抱いてビビッてしまったために、恐怖が大好物の手下の化け物たちにむしゃむしゃ齧られてしまい、チクショー、覚えてろよー! と逃げてしまうオチ。なんじゃい! 笑うところだったのか、あれは?
 というわけで、かなり、何というか、もはや何も言えないような、決してつまらなかったとは思わないけれど、なんか……これでよかったのか? と良くわからない映画であった。
 なお、本作は、DCEUでは珍しく、エンディング後のおまけ映像が二つあるので、長~いエンドクレジットが終わるまで、席を立ってはいけない。一つ目は、すぐ現れるのだが、FLASHとSUPERMANどっちが速いの?選手権大会開催というある意味ギャグ映像なので、これは全くどうでもいい。問題は二つ目、エンドクレジットが全部終わってから映される映像だ。そこでは、アーカム(?)を脱獄したレックス・ルーサーが豪華なクルーザーで、とある有名Villainと会合を開くシーンが描かれている。このVillainはDeathstrokeという奴で、DCコミック的に言うとTVの『ARROW』にも出てきた悪役だ(※ただし役者はTVとは別人)。まあ、今後こいつとルーサーのタッグでSUPERMANとBATMANを苦しめるんでしょうな。DCEUが今後も続くなら、だけど。
 わたしとしては、DCEUは、SUPERMANのキャラクターを抜本的に変更しない限りダメだと思う。今回、前作『BvS』でさんざんSUPERMANをぶっ飛ばしたブルース・ウェインも、俺じゃなくてアイツの方が必要なんだ、とか、すっかりSUPERMAN擁護派になっていて、わたしとしてはなんだか興ざめだ。だって、今回だってBATMANのリーダーシップで何とか事件を解決できたようなものだし。なぜそんなにSUPERMANを持ち上げるのか良くわからない。なんというかな……正義のヒーローたちは、基本的に「愛の戦士」であるべきだとわたしは思うのだが、彼ら・彼女は、所詮身近な恋人のことばかりで、「愛の戦士」ではなく、単に「恋愛の戦士」のようにわたしには思える。それじゃあ薄っぺらくてダメだと思うなあ……。その点では、まともなヒーローはBATMANだけではなかろうか? ゆとり星人SUPERMANは、もっとちゃんとロイスやお母さんだけじゃなくて、人類への愛を持たないと、ヒーローになれないとわたしは思う。その点が、一番の問題だとわたしは思うのだが、Wanerの幹部はそんなことには気が付いてないのではなかろうか。かつての、Chjristopher Reeve版のSUPERMANは、人類のための戦士であり、そのためにはロイスでさえある意味見捨て、その結果死んでしまったロイスを復活させるために、地球の自転を逆回転させて時間を巻き戻すという荒業を使ったわけで、ああいった姿こそがSUPERMANだとわたしは思うのである。
 はーーーやれやれ。ポイントポイントは大変良かったけっれど、とにかくSteppen Wolfがザコ過ぎたのと、SUPERMAN復活のくだりが全く感動的でない、この2点においてわたしは深く失望した作品であった。
 しかし! 最後に、良かった点もちゃんと書いておこう。良かった点、それはもう、間違いなくWONDER WOMANのワンダーな美しさですよ。とにかくカッコよく、きれいで、可愛くて、セクシーで、もう満点です。冒頭の爆弾処理シーンもカッコよかったですなあ!! あの自動小銃乱射でばら撒かれた銃弾をすべてカキーーンと弾き返すGal様の美しさは失神モノでありました。本当に最高です。そして、役者陣では、やっぱりケツアゴでおなじみのBen Affleck氏演じるBATMANはカッコよかったし、アルフレッドのJeremy Irons氏も実にシブくてカッコよかった。新キャラ3人は、まあ、もちろんその見かけはカッコいいけど、キャラ的には微妙な感じすかね……一人、わたしが、おお!と思ったのは、CYBORGのお父さんの博士をJoe Morton氏が演じてましたな。『TERMINATOR2』で後にスカイネットを生みだしてしまう運命のマイルズ・ダイソン博士を熱演した彼ですね。え! うそ、今年70歳だって!? そうか、そんな歳なんですなあ。『TERMINATOR2』が公開されたのは1991年、もう26年前の映画か……やれやれだ。
 あともう一つ、わたしがこの映画で素晴らしいと褒め称えたいポイントは、音楽だ。今回音楽を担当したのは、1989年のTim Burton監督版の『BATMAN』で音楽を担当したDanny Elfman氏で、今回1989年版のオリジナルテーマもチラリと使われており、大変良かったと思う。わたしは1989年版のスコアはCDも持っているぐらい大好きで、Danny Elfman氏の音楽の大ファンなので、今回の音楽は非常に素晴らしかったと思います。

 というわけで、もうさっさと結論。
 DCコミックのヒーロー映画は、現在DC Extended Universという共通世界観で描かれているわけだが、その最新作『JUSTICE LEAGUE』は、わたしとしては2つの大問題があるように感じられた。それは、敵がショボいこと、そしてもう一つは、SUPERMAN大復活の様子が全く感動的でない点である。墓を掘り起こして死体まで見せる必要はあったのだろうか……。この2つがある意味最大のポイントだったはずなのに、見事にイマイチ感漂う仕上がりにあってしまっていて、非常に残念に感じた。ただし、今年の夏から大活躍のWONDER WOMANの美しさは際立っており、実はわたしはそれだけでもう、この映画を見に行って良かったと思えるほど大満足である。いや、本当にGal様は最高です。ホント可愛いよなあ……そして美しい……マジ最高です。Gal様は。以上。

↓ ちゃんと読まないとダメかもなあ……
ジャスティス・リーグ:誕生(THE NEW 52!) (ShoPro Books THE NEW52!)
ジェフ・ジョーンズ
小学館集英社プロダクション
2012-12-15

 わたしによる、テキトーなことしか書いていないこのBlogの定期的な読者様は、どうも20人ぐらい存在しているようなのだが、その皆さんには、わたしがいわゆる「アメコミ・ヒーロー」モノが大好きだということはもうおなじみであろうと思う。わたしの、今年2016年の現在時点でのナンバーワン映画は、まぎれもなく『CAPTAIN AMERICA:CIVIL WAR』だ。完璧な脚本、完璧な撮影、完璧な役者陣。どれをとっても、100点満点パーフェクトである。あれほど多くのキャラクターが登場し、なおかつ新キャラもきっちりと描き、わたしとしてはもう、本当に素晴らしい映画だと思っている。いわゆる「MCU」、Marvel Cinamatic Universの完璧な物語作りのなせる技であろう。すべてが共通の世界観で統一され、きちんと一つ一つの作品がパーツとなって、大きな物語を構成しているというわけである。
 しかし、である。
 「アメコミ」のもう一方の雄であるDCコミックの場合は、Marvelよりも先行して、天才Christopher Nolan監督を起用してBATMANに新たな解釈をもたらし、見事に再生したものの、MCU的なほかのヒーローとのクロスオーバーは全く意識されていなかったのだが、Marvel Studioによる「Avengers計画(=MCU)」の構築が明らかになると、すぐさまDC=Warnerも同様に、ヒーロー集合を意識し始めることになった。
 その第1弾である 2013年公開の『MAN OF STEEL』について、もうこのBlogで何度も「コレジャナイ」とわたしは書いてきたので、もはや繰り返しても仕方あるまい。そして今年、その続編たる『BATMAN v SUPERMAN』が公開されたわけだが、かなり方向性として修正されたというか、実際面白くなってきたものの、肝心の物語については、相変わらずよくわからない点が多かったり、そうじゃねえんだよなあ……という点が残ってしまったのは、おそらく誰しも感じたのではなかろうか。いずれにせよ、DCコミックによる『JUSTICE LEAGUE』はもう企画進行中であり、夏のComi-Conで予告編が公開されているわけで、おそらくもはや大きな軌道修正は不可能だろう。
 しかし、その、DCユニバースともいうべき作品群に、一体今後、どういうかかわりを持ってくるのか? さっぱりわからない映画がこのたび公開となった。ヒーローたちに逮捕されたVillan(=悪役)たちを主人公とした、『SUICIDE SQUAD』である。実はわたしはこんなに偉そうに語っているけれど、実はDCコミックはあまりよく知らないので、今回登場したVillanたちも、知っていたり知らなかったりするキャラクターたちなのだが、今日、14日トーフォーの日として1,100円で映画が観られるため、帰りにちょっくら観てきたところ、はっきり言って物語も全く意味不明のなんじゃこりゃ、であった。以下ネタバレ満載です。

 わたしがこの映画で一番驚いたのは、この映画が、明確に『BvS』の続編であるという点だ。これは全く予想していなかった。本作は、明確に『BvS』の事件の後のお話で、『MAN OF STEEL』で明らかになった「宇宙人襲来」に対して無防備な地球には、頼みの綱のSUPERMANももはやこの世にいない。ならば、またどっかの宇宙人がやってきたらヤバイ。おまけに、どうやら「メタ・ヒューマン」という超人類がいるらしく、そいつらの犯罪なんかが起こったらこれまたヤバイ。じゃあ、そいつらに対抗できる連中を集めて、政府の秘密部隊を結成しとけばいいんじゃね? という流れであった。で、その中でも、「地球上に6000年以上前から存在している魔女」に憑依された女性を中心に、かつてBATMANやThe FLASHにとっ捕まって刑務所に入っている「超常的な力を持つ、あるいは特殊技能を持つ」悪党どもを集めてチームを作ろう、悪党どもならどうせ消耗品だしね、ということになる。
 もはやこの時点で、なんだそりゃ、である。
 いやいやいや、ちょっと待ってよ、今、BATMANことブルース・ウェインがメタ・ヒューマン集めしてるんでしょ? その設定はどこ行ったんだ? そもそも、既に存在が確認されているThe FLSHとかAQUA-MANを呼び出した方がいいじゃん。なんでまた悪党を? もうわたしには、のっけから物語の意味がさっぱり分からない。
 で、あっさり魔女に逃げられ、その魔女を退治するという方向に物語は進む。おい、ちょっと待てよ、あまりに杜撰すぎないか? 魔女制御装置の心臓は何だったんだよ!? と、わたしはもう、開始30分で帰りたくなった。そしてラストは魔女を退治して終了、である。もはや唖然とするしかない。
 以下、わたしが、これはナイだろ、と思った点を列挙していこう。

 1)脚本がヤバイ
 まず、数多くのキャラクターたちの紹介が、いちいち過去の回想に入って語られるため、異常にテンポが悪い。これは誰しもが感じることだと思う。わたしがもう、思わず、ええーーーっ!? と劇場でごく小声でつぶやいてしまったのが、クライマックスへ向かう自殺部隊の面々が、戦闘放棄してバーに入って酒を飲みだすシーンだ。オイィ!? お前ら、魔女退治はいいのか? そもそも、魔女が作っている(?)謎マシーンも、結局最後までどんな代物なのか一切語られなかったし、自殺部隊の魔女退治のモチベーションもまったく低いので、もはやどうでもいいのだが、まさかあそこで物語の流れをぶった切って、バーに入って回想に入るとは思わなかった。ありゃあ、マズいだろ……常識的に考えて……。
 そしてキャラ造形も極めて薄く、実に何者なのかよくわからないままだし、とにかく自殺部隊の面々の素性がよくわからない。いや、デッドショットは娘のため、とか、ディアブロは家族を殺してしまった、とか、いろいろ語られるのだが、本来自殺部隊の彼らは、それぞれヒーローと戦って敗れたわけで、その物語こそきちんと一本の映画になるのに、もはやダイジェストに過ぎず、底が浅い。ハーレー・クインの話なんて、十分120分で描ける題材なのに、実にもったいない。今回、ダイジェストで語ってしまったので、もう、今後のDCユニバースでBATMANと絡めなくなってしまった。しかも、しかも、ですよ!? なんと、ごく短いどうでもいいキャラのセリフで「ハーレー・クインとジョーカーがロビン(BATMANの相棒)をぶっ殺した」話が軽~く流されてしまった!! 前作『BvS』において、BAT-CAVEにロビンのコスチュームが飾ってあって、ジョーカーのものらしき落書きまでされていたけれど、まさかあんなどうでもいいキャラの説明セリフで片付けられてしまうとは、わたしはもう、マジで帰りたくなった。もう、本当にこの脚本は0点だと思う。こりゃあ、ナイよ。

 2)各キャラ造形のムラがありすぎてヤバイ。
 確かに、ハーレー・クインやデッドショット、ディアブロなんかは活躍しますよ、ええ。過去もそれなりに語られましたよ、はい。でも、それ以外はもう全部空気じゃんか。キラークロック、ブーメラン、スリップノット、カタナ、彼らが何者か、絶対この映画だけじゃわからないと思う。おまけに何なんだあのカタナにぶっ殺されるやくざの下手くそな日本語は。バカにしてんのか!? カタナを演じた福原かれんちゃんは大変頑張っていたけど、なんで変な日本語しゃべるのよ……。どうせ現場じゃ誰もわからないんだから、きっちり日本語の芝居すればいいのに。もう本当にがっかりだよ。
 MCUでは、こういうことが一切ない。『Avengers』のようにキャラクターが増えても、きっちりと各キャラ見せ場もあるし、背景もきちんと描かれている。そもそも、集合する前にほかの映画できちんと描かれているわけで、そのような、最初から大きな絵を描けているのがMCUの最大の特徴であり強みだ。残念ながらDCユニバースにはそのような配慮がなく、結果としてキャラ造形に濃淡が出てしまう。それじゃあダメなんだよなあ……。あれはナイっすねえ……。0点です。

 3)行動が意味不明すぎてヤバイ
 まず、一番わけが分からんのが、今回自殺部隊を招集する政府高官の黒人女性だ。全く彼女の行動の意味が分からない。部下をあっさり銃でバンバン撃って「機密保持のためには已む無いわ」って、おいちょっと待て!! そりゃねえべ!? 全部あんたの杜撰な計画のせいだよね? なんなのもう! あと、なんであんた、ハーレー・クインを選んだんだ? 彼女は全然強くないじゃん。バット振り回すだけだぜ? 逆に、魔女に改造された可哀想なゾンビ兵が弱すぎるってことなの? あれならオレでも勝てるわ!! と、とにかく、あの政府高官の女性は人格的にも好きになれないし頭の具合もかなりよろしくないようにわたしには思えた。 おまけに! 魔女にぶっ殺されたと思ったら普通に生きてたし!! ど、どういうことなんすかあれは。0点。断じてナイね。

 というわけで、、もう何もかも0点。なのだが、唯一、わたしがこの映画で素晴らしいと思った点も挙げておこう。それは、誰しも感じると思うのだが、とにかくハーレー・クインがエロ可愛いのだ。ハーレー・クインのビジュアルだけは、100点だと思います。もうね、ホント、きちんとハーレー・クインが誕生するいきさつを、きっちり一本の映画にしてほしかった……それがあれば、もうチョイましになったかもしれなかったのに、あーあ……本当に残念だ。そうだ、あともう一つ、この映画でいいところがあった。終了後のおまけ映像は、ブルース・ウェインに政府高官の黒人女性がメタ・ヒューマンの資料を渡すシーンであった。ここでのブルースのセリフがすげえカッコいい!! ここは大変素晴らしかった。ちなみに、このおまけ映像のあとは何もないので、このシーンを観たらもう席を立って構いません。
 はーーーしかし、もう、いつものレビューのように、役者や監督について書く気力が沸かない……ので、ぶった切りですが、もう終わりにします。

 というわけで、結論
 何度も言うが、DCユニバースの問題は、「世界観を統一した大きな物語」が最初から設定されていない点にある。実に場当たりだ。この『SUICIDE SQUAD』という作品は、5本あとに作るべきだった。来年の『WONDER WOMAN』、『JUSTICE LEAGUE』をきちんと作り、その次に『BATMAN』単独作品を作り(その時のVillanはもちろんジョーカーとハーレークイン。デッドショットを絡めてもいい)、そしてその次は『The Flash』単独映画を製作して、Villanをきちんと描いて、そのあとで、作るべきだったとわたしは思う。
 なので、わたしはこの映画に対して、こう言って締めくくりたい。
 「……腐ってやがる!! 早すぎたんだ!!!」
 簡単に言うと、0点です。以上。

↓ わたしはとにかくこれが一日も早く観たいです。カッコいい!!!
 

 『BATMAN Begins』の大成功により、当然WarnerとしてはBATMANシリーズは継続、次回作の製作も当然じゃ! ということになり、第2作もNolanの手に委ねられるわけだが、Nolanは、Warnerから第2作の前に君の好きな作品を撮ってもいいぜ、というご褒美をもらう。その映画が2006年に公開された『The Prestige』である(※日本公開は2007年)。正確にはオリジナルではなく、原作小説のある作品ではあるが、非常によくできており、わたしは結構面白いと思う。主役には『Begins』で苦楽を共にしたChristian Baleと、『X-MEN』で既に大スターになっていたHugh Jackmanの二人を迎え、さらには今やNolan組には欠かせないMichael Canieが脇を固め、ヒロインには、わたしがオレの嫁認定しているScarlett Johanssonを充てるという、必勝態勢で臨んだ作品だったが、いかんせん、『Memento』チックな技巧に寄ってしまい、やや万人受けはしないものになってしまった。なんというか、Nolanの初期のころの作品作りは、いわゆる日本の叙述ミステリーに近いものがあり、なんか、作者の「してやったり」みたいな作意が感じられてしまって、どうにも鼻につく。
 まあ、この作品はヒーロー映画とは全く関係がないのでこれ以上言及しないが、気になる方は是非見てくれ。悪くない。

 話を戻そう。続く『The Dark Knight』だ。
 この作品では、とうとうタイトルからBATMANという名前さえ外してしまった。ノーランにとっては全く不要で当たり前の選択だったのだろうが、おそらくはWarner本社では相当な抵抗があったことが想像できる。わたしも、看板シリーズの名前をタイトルに入れない、なんて作家が言い出したら、全力で説得するだろう。勘弁してよ……と。
 しかし、それでもこの作品は大ヒット。タイトルにBATMANが入っていなければならないという必要性はまったくなかったと、結果が証明してしまった。全世界で10億ドル、US国内だけでも5億ドル稼いだこの作品は、アメリカ国内では歴代5位の興行成績を残す結果となった(※公開した当時は歴代3位だったが、その後『Marvel's The Avengers』と『Jurassic World』に抜かれちゃった)。

 はっきり言って、この『The Dark Knight』は超傑作である。この映画を評価する人は多いし、この映画をつまんねーという奴は、ほぼ確実に、1)物語をそもそも理解できない頭の悪い人間、か、あるいは、2)とりあえず人と違うこと言ってる俺かっけえ、と勘違いしている、やはり頭の悪い人間だと断言して構わない。なるべく付き合わないことをお勧めする。
 そもそも、BATMANというキャラクターは、常に眉間にしわを寄せ、とてもじゃないが気さくなヒーローではない。夜中に目撃したら、何も悪いことをしてなくても、ビビッて逃げるしかない。それはなぜか。BATMANは、恐怖の象徴だからだ。幼少時に、両親を殺された若きブルース・ウェインは、悪が許せない。絶対に。そんな彼が出した結論は、悪には悪を。恐怖にはそれを上回る恐怖を! というものなのだ。だから、彼は決して光り輝くヒーローではない。あくまでも、毒には毒を持って制することを旨とする、法律無用のOUTLAWなのだ(ただし殺人だけは絶対に犯さない)。故に、The Dark Knight=暗黒の騎士なのである。まったくもって、いまだ厨二病をわずらうクズ人間のわたしからすれば、カッコイイこと甚だしい。ブルース・ウェインの財力か、トニー・スタークの天才頭脳&財力があればオレだって……と、全世界の男子を虜にせざるを得ない。
 この本質を、きっちりとそしてリアルに描いた作品が、Nolanによる『The Dark Knight』である。BATMANを、そしてJokerさえも、一人の苦悩する人間あるいは病んだ人間として描き切ったNolanの脚本・演出は、完璧だ。
 Nolanは、「もし本当に、BATMANが存在していたら?」という着眼点から出発して、リアルさを追求することで、『The Dark Knight』という超傑作を生み出した。ここで描かれるBATMANは、もはや従来のBATMANとは全く別人の、Nolan BATMANと呼ぶべきものだ。Jokerも、あの不気味な口は痛々しい傷痕となって表現され、Joker自身が語る傷の由来も、Joker自身がいろいろなパターンで語るので、全部嘘かもしれないし適当なジョークかもしれないが、例えば父親に切り裂かれたとか、語る内容は現代的で実にありそうな、リアルな話ばかりだった。決して、Tim Burton版で描かれたような由来ではないし、クリーチャーめいた漫画的存在でもない。Nolan版のJokerは、普通にあり得る精神異常犯罪者として描かれている。まさに、リアル、である。そしてそれ故に、『The Dark Knight』は偉大な超傑作になったのだ。

 しかし、である。 『Begins』にあって、『The Dark Knight』では失われてしまった、BATMANという物語できわめて重要な要素がある。それは、Gotham City という街がもつ特異性だ。Gotham Cityは、BATMANを描くためには必要不可欠な、重要な舞台装置である。Nolanは、『Begins』ではGotham Cityを、ウェイン・カンパニーが作り上げた都市としての特異性をモノレールなどで表現していたが、続く『The Dark Knight』 では、全く普通の都市として描いてしまった(撮影はChicagoで行われたようだ)。しかし、このことによって、Nolanが追求する「リアルさ」を付与することに成功してはいるし、「もし本当に、BATMANが存在していたら?」というNolanの基本コンセプトにも適っているが、肝心の、「Gotham City=悪の栄える街」という重要なポイントが消失してしまったのだ。もちろん、『The Dark Knight』においては、物語上重要なキーとなる「警官の汚職」が描かれており、その点ではきちんと悪徳の都としてのGothamを象徴的に描いているとも言える。だが、それは全世界のどこにでもある悪事で、Gothamの強烈なイメージまでは表現できていない。こうなってしまうと、BATMANの存在意義は極めて小さなものになってしまう。究極的にはその存在意義さえ失ってしまうのではなかろうか。だって、悪が憎いのだから、世界中の悪をぶっ飛ばしに行けばいいじゃない。IRONMANみたいに。そう。Nolanが描いたBATMANは、普通の街を守る、ご当地ヒーロー(いや、ヒーローじゃないんだった。依頼がないのに仕事をする必殺”自主的”仕事人か?)になってしまったのだ。

 わたしは、この、街に対する表現の違いが、DCヒーローと、MARVELヒーローの最大の違いだと常々思っている。DCヒーローたちの住む世界は、基本的に架空の町であり、MARVELヒーローたちの住む世界は実在の街(地球に住むヒーローに限る)なのである。もし、『The Dark Knight』において、Jokerが現れたのが、SUPERMANの住むMetroplisだったら、BATMANは戦いに赴いただろうか? おそらく、No, であろう。たまたまGotham Cityに現れたから、BATMANはJokerと戦ったのだと思う。この点は、『The Dark Knight』では、全く問題ではなく、特に気にしなくていい点だが、続く第3作『The Dark Knight Rises』では、物語上において消化しきれないしこりとして、現れてしまっているように思える。

 ――ところで、第3作を作る前に、またもNolanはご褒美として、自分の好きな作品を撮ってもいいというお許しを得ている。そして作ったのが、非常なる傑作『INCEPTION』だ。この作品は、完全にオリジナル作品で原作は存在しない(正確に言うと、着想を得た小説が存在してはいる)。わたしは、常々、映画よりも小説の方がイマジネーションを全開放できるという点では優れているのではないかという持論を持っていたが、この映画を見て、考えを改めた。よく、「映像化不可能」という惹句で宣伝される小説はあるが、まさしくこの映画は「小説化不可能」だと思う。本当に、この映画は素晴らしいと思う。観ていない人は、絶対に観るべきだ。
 
 『INCEPTION』の素晴らしさを語るのは別の機会に譲るとして、問題の第3作、『The Dark Knight Rises』である。公開前から、今回はCatwomanが出る(しかも演じるのはAnne Hathaway! しかもネコ耳復活でオレ大歓喜!)とか、スタジアム崩壊の迫力あるシーンだとかがちらちら露出され、いやが上にも気分は盛り上がりつつ、わくわくしながら劇場へ赴いたわけだが……観終わった時は、BATCAVEを後のRobinに引き渡す最後のシーンで猛烈に感動して、やっぱNolanすげえ! と打ち震えた私だが……しばらくして感動が落ち着いてみると、どうにも、んんん……? と理解できないことがあって、なんとも複雑な思いが残った。
 それは、たぶん観た人なら恐らく誰でも感じる「Bain、弱っ!」というものだ。ビジュアルイメージからして、なんか、イマイチ強そうじゃないし、彼の持ち味は、原作上は天才頭脳と無敵の肉体という両面を持ったBATMAN最強の敵の一人なのだが、その頭脳部分のすごさがどうにも感じられない。前作のJokerを一人の病んだ人間としてリアルに描いたNolanなのに、このBainの薄っぺらさはいったい何なんだ、と。
 このようになってしまった要因は、わたしはやはり、Bainが言う「オレはGothamの申し子だ」という主張が、全く伝わらなかったせいではないかと見ている。リアルを追求してきたシリーズなのに、急に、非現実世界が割り込んできたのである。Gothamを普通の街として描いてしまったこのシリーズでは、Bainの言っていることがさっぱりわからない。Nolanをもってしても、Bainというキャラクターを「リアル」に掘り下げることはできなかったのね……と断罪せざるを得ない。もちろん、最大限の努力はしたと思う。しかし、結果的には、どうにも薄っぺらい、正直まったくどうでもいいキャラクターとなってしまった。他の部分が徹底的に「リアル」が故に、思いっきり、浮いて目立ってしまっているのだ。結果、確かに興行成績は十分以上の成果を残し、全世界興収では記録を伸ばしたが、内容・映画としての完成度としては、2作目の『The Dark Knight』を超えることはできなかった。

 この、リアルとファンタジーの境界線こそ、わたしが主張したいDCコミックスのはまった迷宮である。
 散々引っ張って、言いたいことはそれかよ! と思われたあなた!
 ――アッハイ。その通りです。でも、このNolan流の「リアル」路線が、後の「DCコミックヒーロー映画」に与えた影響は大きいと思う。

 MARVELのヒーロー作品は、上手く「コミック」であることを逆手にとって、トンデモ技術やなんだこりゃというものを平気で描いているが、Nolan以降のDCヒーロー映画は、「リアル」を基本としてしまったために、どんどんと泥沼にはまっていってしまったとわたしは感じている。


 それが明確になるのが、DCの次の作品『Man of Steel』である。
 わたしにとっては、『Man of Steel』は2013年に観た映画で一番がっかりした作品で、個人的に「コレジャナイムービーNo.1」の称号を与えている。これは、明らか、Nolanにより開発された「リアル」路線の悪影響だとわたしは断言する。あれはNolanだからこその大リーグボールだった。たとえ製作総指揮でクレジットされていようとも、残念ながら他の誰にも、真似ができるものシロモノではなかったのだ。


<終わらなかったので、その4に続く。次で終わるはず!>

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