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 「モービーディック」と言えば、日本では『白鯨』として知られる小説である。
 Herman Melvilleによるその小説は、アメリカ文学史上燦然と輝く古典として有名なわけだが、わたしも確か大学院生のころに読んで、かー、こりゃまた読みにくい、と思った覚えがある。さっきわたしの本棚を漁ってみたら、岩波文庫版の<上><中><下>の3冊が出てきた。奥付によると、1994年発行のものであるらしい。もう読んだのは20年以上前なので、「読みにくかった」という印象しか残っていないが、まあ、この作品が書かれたのは1851年、つまり江戸時代、幕末期なので、そりゃあ読みにくいのも当たり前と言ってよかろう。翻訳も、いわゆる古典めいたものなので、その読みにくさは結構ハンパない。
 ただ、その物語が実話をベースにしていることは、正直知らなかったというか、全く意識したことはなかった。岩波文庫の解説(なぜか<上>の巻末に掲載されている。<下>じゃなくて)にも、Melvilleが『白鯨』を書くに至った時代背景などは妙に詳しく書かれているけど、ちょっと引用してみると、「メルヴィルはこれを書くに当たっては、自分の海洋生活の体験を元としたことはいうまでもないとして、捕鯨についての多くの記録を渉猟したのである。たとえば、抹香鯨に1820年に沈められたエセクスという船があったり(略) しかし、そういう体験や勉強を基として、メルヴィルは測り知ることのできぬほど強力な想像力をはたらかせ」ることで、書いたものだそうだ(※岩波文庫版<上>P.331より)。なので、わたしは全くのフィクションだと思っていたし、まあそういう認識でいいのだと思う。
 というわけで、相変わらず無駄に前書きが長くなったが、昨日観た映画、『IN THE HEART OF THE SEA』(邦題:白鯨との闘い)は、Melvilleの『白鯨』を映画化したものではなく、その元となった実話(ベースの本)を映画化した作品で、まさしく、上記に引用した部分で触れられている「エセクス号」の物語だ。

 たぶん、一番世の中的に、へえ、そうなんだ? と誰もが思うポイントは、この物語は1820年という、日本で言うと江戸時代の話であるという事ではなかろうか。当時の世界情勢をちょっと振り返っておくと、まず舞台となるアメリカは、南北戦争よりずっと前であり、まだいたるところでインディアンが虐殺されている時代で、西海岸はまだスペインやメキシコ領だったり、今とは全く国境線も違う時代である。ヨーロッパはというと、ナポレオンが失脚してまだ数年しか経っていない頃合いで、ようやく、今のヨーロッパに近い(あくまでも近いだけで詳細はかなり違うけど)国境線が出来つつある頃だ。文化的に言うと、まだ文豪ゲーテは現役だし、ベートベンなんかも「第9」を書いているころである。日本はというと、当然鎖国中で、将軍家としては11代将軍家斉の時代である。そんな時代の話だということは、意外と誰しも、へえ~? と思うのではなかろうか。
 すなわち、産業革命前の世界であり、蒸気機関も生まれたばかりでまだ船の動力としては使われておらず、本作で登場する捕鯨船も、もちろんのこと帆船である。また当然電気もない。石油が発掘されて産業に利用されるのもまだ数十年後だし、ガス灯も、かろうじてイギリスで設置されていた程度で、普及していたとは言いがたい時代である。何が言いたいかというと、この時代、人類が夜を克服するための明りとして「油」は非常に貴重で、かつ需要も高かったということだ。そして当時のアメリカにおいて、さまざまな「油」がある中で、「鯨油」は重要な産業資源であったということである。
 なので、現代アメリカ人には捕鯨反対を声高に訴える連中がいるが、そもそもお前らが乱獲したんだろうが!! という歴史がある。もちろん、日本でも捕鯨は盛んであったようで、Wikipediaによれば享保から幕末にかけての130年間で21,700頭にも及んでいたそうである。もちろん、鯨油が欲しかったのは日本もそうだが、日本人は食糧としてもおいしくいただいていたわけである。
 ま、こんな話は今回はこの辺にしておこう。
 一応、こんな歴史的背景を知っておいたほうが、本作はより興味深いとは思うが、実は、本作の一番の見所は、わたしとしては捕鯨ではなく別のところにあった。
 まず、本作の物語の構造を簡単に説明しておくと、作家Melvilleが、エセックス号の事件の30年後に、唯一まだ存命の生存者に取材に行き、その生存者が少年の頃に遭遇した悲劇が回想として描かれる構成になっている。そして、エセックス号はいかなる航海を経て「白鯨」と出会い、沈没するに至ったのか、が語られる。そこでは、船長と一等航海士の確執があったことや、初めてクジラを仕留めたときの興奮などが描かれるが、わたしが一番の見所だと思うのは、エセックス号が白鯨によって沈められた後の、漂流の顛末である。そこで描かれる極限状態ゆえに、少年は老人となってMelvilleが取材に来るまで、「あの時何が起こったのか」を誰にも語ることが出来なかった。そのすさまじい様子は、ぜひ劇場で観ていただきたい。
 いわゆる「漂流もの」は、今までいろいろな映画で描かれているが、最近で言えば、まさかのアカデミー監督賞を受賞した『LIFE OF PI』だろうか。あの映画はなんとなくファンタジックなところがあって、ちょっと微妙だが、わたしのイチオシ「漂流」映画はやはり『CAST AWAY』であろう。わたしがあまり好きではない、Tom Hanksのベストアクトだとわたしは思っている作品だが、とにかく、漂流後のガリッガリに痩せたTom Hanksの、悟りを開いた仙人のような眼差しが凄まじい映画である。今回も、一等航海士を演じたマイティ・ソーことChris Hemsworthの、げっそり痩せた姿を観ることができる。あれって、CGかな? 本当に痩せたのかな? ちょっと、わたしにはよく分からなかったけど、結構衝撃的にげっそりしたマイティ・ソーは、劇場へ行って観る価値があると思う。
 役者陣としては、あと3人、わたしに深い印象を残した演技を披露してくれた。
 まず、事件当時最年少の船員を演じた、Tom Holland君である。彼は、日本では2013年に公開された『The Impossible』でスマトラ島沖地震による津波に遭う家族の長男を演じて注目を浴びたが、何しろ今後、彼をよく覚えておいて欲しいのが、次期『SPIDER-MAN』を演じることが決まっており、今年のGW公開の『CAP:CIVIL WAR』に早くも出てくることが噂されている。今年20歳になるのかな、まずまずのイケメンに成長するのではないかと思われる注目株である。本作でもなかなか悪くないです。本作で早めのチェックをお願いしたい。
 次は、Cillian Murphy氏である。もうかなりの作品に出ているが、わたしがこの男で忘れらないというか、この男を初めて観たのが、Danny Boyle監督の『28Days after』だ。冒頭、無人のロンドンをうろつく彼は非常に印象的だが、その前の、素っ裸で目覚めたばかりの彼の股間がモザイクナシでブラブラ映っているのが、わたしは椅子から転げ落ちそうになるほど驚いた。えええ!!? だ、大丈夫かこの映画!? と妙なことが心配になったものだ。本作では、Chris Hemsworthが一番信頼する航海士を演じており、彼もまたガリガリに痩せて髪はボサボサ髭ボーボーの姿を見せてくれる。
 で、3人目に挙げたいのが、若きQとしてお馴染みのBen Wishaw氏である。本作では、作家Melville役で出てくるのだが、この人、わたしとしてはどうにも『CLOUD ATLAS』でのBLシーンが強烈な印象が残っていて、3月公開の『The Danish Girl』(邦題:リリーのすべて)でも、2015年のアカデミー主演男優賞を受賞したEddie Redmayne氏と熱いラブシーンがありますね。どうにも、目つきからしてBL臭を感じさせる独特の空気感を持った男だが、どうやら本物らしく、同姓婚したそうです。別にわたしは偏見はないので、お幸せになっていただきたいものだが、全国の腐女子の皆様のアイドルとして日本でも人気が出るといいですな。※2016/01/18追記。この男、『Paddinton』で紳士過ぎる熊さんの声も演ってるんですな。へえ~。
 最後に監督のRon Howard氏であるが、さっきこの監督のフィルモグラフィーを調べてみたら、たぶんわたしは全作観ているんじゃないかということが判明した。手堅いベテラン監督で本作もいつも通り見せるところは見せながら落ち着いた演出であったと思う。見所となる「白鯨」のCGは質感も高く、本当に生きているようで申し分ナシである。が、やはり本作は3Dで観るべきだったのかもしれない。わたしは2D字幕で観てしまったが、3Dであればもっと迫力の映像だったのかも、とは思った。まあ、いずれにせよ、なるべく大きなクリーンで観ていただくのが一番であろう。 

 というわけで、結論。
 どうでもいいことばかり書いてしまったが、『IN THE HEART OF THE SEA』(邦題:白鯨との闘い)は、わたしとしては「白鯨」よりも、船内の緊張感や沈没後の漂流の様子のほうが見所だと思った。役者陣の熱演もなかなかですので、ぜひ、本作は劇場の大スクリーンで観ていただきたいものである。以上。

↓ Ron Howard監督は今、「ラングトン教授」シリーズ最新作、『INFERNO』を撮影中だそうですよ。
インフェルノ (上) (海外文学)
ダン・ブラウン
角川書店
2013-11-28

インフェルノ (下) (海外文学)
ダン・ブラウン
角川書店
2013-11-28




 

 どんな望みも10個叶えられるとしたら、何を願うか?
 つい先日わたしが読み終わった小説は、非常にファンタジックでいてリアルな、不思議な作品『ヘブンメイカー スタープレイヤーII』である。実はサブタイトルにある通り、この作品は、2014年に出版された『スタープレイヤー』という作品と同じ世界観で描かれており、続編ではないものの、シリーズ第2弾ということになる。前作とのつながりは、ネタバレになるので内緒ってことにしておこう。
ヘブンメイカー スタープレイヤー (2)
恒川 光太郎
KADOKAWA/角川書店
2015-12-02

 ちょっと探してみたら、前作のPVがあったので貼っておきます。

 著者の恒川光太郎先生は、2005年に『夜市』という作品で第12回日本ホラー小説大賞を受賞してデビューした方なのだが、今回の『スタープレイヤー』シリーズはまったくホラーではなく、異世界ファンタジー、と言っていいのかな。ここ数年で散々出版されているような、いわゆる「なろう系」によくあるような異世界召喚モノに基本的な骨格は近い。けれど、面白さは比べ物にならないぐらい高品位で、きわめて質の高いエンタテインメント小説であるとわたしは思う。
 物語は、唐突に始まる。
 ある日、主人公は顔から何から白塗りの、身長2メートルの謎の男から、「運命の籤引き」を引かされ、「1等:スタープレイヤー」を引き当てる。すると、どことも知らない異世界に飛ばされ、「スターボード」というタブレット端末のようなものを手にする。なんでも、「フルムメア」という存在が全てを統括しているらしいのだが、そこには、以下のような「スタープレイヤー」のルールが書いてある。
--------------
一.スタープレイヤーは、スターボードを使用し、<十の願い>という力を与えられる。
一.ただし、元の世界に戻るという願いは、スタートより百日後でないと叶えられない。
一.元の世界に戻る、と願ったら、残りの願いの数にかかわらず終了する。
一.願いはスターボードで文章の形にする必要がある。
一.文章を送ると、フルムメアが審査し、それが通れば、願いを確定させることができる。
一.抽象的だったり、観念的だったり、物理法則の土台を変えてしまうような願い、また十の制限をとったり、矛盾をはらんだ願いは却下される。
一.願いをかなえられるのはこの惑星の中だけであり、スターボードの地図に記入されていない場所には何もできない
--------------
 このルールの下で、いくつかポイントとなる点がある。
 ■願いを上手くつなげる文章にまとめることで、複数のことを実現できる
 →例えば、「最新型のポルシェ911を1台。なお、ガソリンは満タンであり、予備部品も5台分用意し、その整備工具や消耗品の油脂類10年分、整備場なども同時に召喚する」といったように書けば全部呼び出せるし、ついでにガソリンスタンドの設置や予備ガソリン1億ガロンとか、文章次第で、「1つの願い」として申請できる。
 ■まず、願いが通るかどうか審査があり、とりあえず審査だけしてキャンセルするのは自由。
 →まず、可能かどうかだけをチェックできるので、それを利用していろいろできる。また、死者を蘇らせることや、元の世界から特定の誰かを呼び出すことも可能。なので、何かの事故や病気で死んだら、18歳の肉体で蘇る、その際、記憶は引き継ぐ、とかそういう自分の死亡リスクについて願って保険をかけておくこともOK。

 こういったルールの元に、異世界での生活を余儀なくされた人々を描いているのが『スタープレイヤー』シリーズという小説である。生活を進めるうちに、いろいろな出来事が起き、最初のうちは、貴重な「十の願い」を無駄使いしてしまったり、後半になると、その異世界にもともと住んでいる現地人が出てきたり、また別のスタープレイヤーと出会ったり、非常に面白いお話となっている。
 2014年に出版された第1作は、主人公が女性であったが、今回の『ヘブンメイカー』は男が主人公。主人公の追想録と、主人公によってこの世界へ召喚された少年の物語が交互して語られるスタイルである。そして最後はその二つの物語が交差し、いろいろなことが判明するという仕組みになっていて、読んでいてわたしは実にワクワクした。また、第1作目とのつながりも、最後の方で示され、すっかり1作目の内容を忘れつつあるわたしは、もう一度読んでみようかとも思わされた。なお、実を言うと、本作の『ヘブンメイカー』というタイトルからして、「ああ、今回はあそこの話なんだ」と最初からピンと来るべきなのだが、わたしは1巻目の内容をだいぶ忘れてしまっていたので、最後の方で1巻の主人公の女性が出てくるまで、ぜんぜん気が付かなかった愚か者である。恒川先生、ごめんなさい。なので、1巻目を読んでこの物語が気に入った人ならば、本作のタイトルを見ただけでワクワクしたのかも知れない。ちなみに言うと、本作を読んでから、1作目を読むというように順番を逆にしても、なんら問題はないと思うし、本作単独でも、十分に楽しめます。
 というわけで、十の願いを(ほぼ)なんでもかなえられるとしたら、どんな願いを抱くか、がこの作品では一番の重要時になる。もちろん、最初は異世界での生活を快適にするための願いであろう。そして孤独に耐えられなければ、人を召喚したり、現地人と接触しようとするかもしれない。本作、『ヘブンメイカー』の主人公も、序盤はそういう流れで「願い」を消費してしまうが、様々なことを体験し、また多くの人々と出会う事で、「願い」は複雑で高度なものへと成長していく。そして、いよいよ最後の「願い」を使う時が訪れるが、その「願い」はとても重く、わたしはいたく感動した。感動? いや、なんだろう、清々しさというか、そうきたか、という納得であろうか。今回のエンディングは、わたしとしては前作よりも深く心に響いたような気がする。ああ、やっぱりもう一度前作を読み直そう。そう思ったわたしであった。しかし、これだけ面白いと、きっとまた映像化の話が出てくると思うが、くれぐれも、変なアニメや実写映画化は勘弁して欲しい。やるなら、きっちりと金をかけて、気合の入ったものをお願いしたいものである。

 というわけで、結論。
 恒川光太郎先生の『ヘブンメイカー スタープレイヤーII』という作品は、万人にお勧めできる非常に面白い小説である。この小説がどのくらい売れているか分からないが、もし10万部以上売れていなかったら、営業担当者は相当のヘボであろうと断言する。こういう作品を売らないでどうするんだよ、と怒鳴りつけてやりたい。実に面白く、そこらのクオリティの低い素人小説の5万倍は面白いと思います。以上。

↓ 1作目がこれ。本棚にどうしても見当たらないので、もう一度買うか……電子で。たぶん当分文庫にならないんだろうな……文庫になるとしたら、今年の夏フェアかなあ……。ちなみにこの1作目は、NHK-FMでラジオドラマ化されました。
スタープレイヤー (単行本)
恒川 光太郎
KADOKAWA/角川書店
2014-08-30

 世の女子の中で、わたしが常々、謎に思っている人々がいる。いわゆる「だめんず」を愛してやまない女子たちだ。「だめんず」とは、ごく簡単に言えば、「ダメ」な男のことで、具体的には、ヒモ体質の働かない男や口先だけの男、あるいは広義ではDV暴力野郎など、わたしに言わせればクズ同然のゲス野郎どものことである。なんでまた、そんなダメ男を好きになるわけ? と真面目に生きる男としてお馴染みのわたしとしては憤懣やるかたないわけだが、 実際に生息するそのような女子を見ると、つまりキミは人を見る目が無いわけですな、と結論付けることにしている。そしてそんな自分が大好きな残念女子なのであろう。なるべく近づかないのが一番だ。ちなみに、さきほどわたしがお世話になっている美しいお姉さまから聞いたところによると、夢を追いかけると言っていつまでもうだつの上がらない野郎もここに含まれ、残念ながら、あんたもその傾向があるじゃないの、と言われてしまった。マジか……。そしてそういう男の世話をしたくなるのは、女子的DNAにプログラミングされているので、ある程度はやむなしだそうだ。なるほど……なんともはや、神様は残酷である。
 で。昨日わたしが観た映画、『CRIMSON PEAK』は、そんな「だめんず」野郎に恋した女子がとんでもない目に遭うホラーテイストあふれる映画であった。

 わたしは、この映画をホラーだと思って、どんな超常現象に襲われるのか楽しみに劇場へ向かったのだが、劇場を出たわたしは、若干ぽかーん、である。昨日は14日、TOHO(トーフォー)の日で1100円で観られるので観に行ったのだが、定価で観ていたら、ちょっといたたまれず、どこかでタバコを吸いながらコーヒーでも飲んで、気持ちを落ち着けてから帰ろうと思ったに違いなかろう。
 物語は、年代がはっきり分からないけれど、おそらくは20世紀初頭ぐらいだと思う。日本的に言えば、おそらくは明治の終わりごろから大正初期ぐらいだと思えばイメージしやすいだろう。主人公の女子は、ちょっとしたお嬢様で、小説家志望の、日本で言えばハイカラガールである。そして彼女にはひとつ特徴があって、ま、視えるんですな。ヤバイものが。そんな霊感ハイカラお嬢様はNYに住んでいるわけだが、以前から、お嬢様は幽霊から「クリムゾン・ピークに気をつけろ……近寄ってはならぬ……」と警告を受けているのだが、何のことかよく分からずにいると。そんな彼女は、ある日、お父様の会社に出資のお願いのためにイギリスからやってきた準男爵様と出会うと。で、典型的だめんずの夢追い人である準男爵は、自分の領地内で粘土採掘事業を進めるための運転資金が欲しいのだが、しっかりしている父はあっさり断る、のだが、とある大事件が起きて、結局、そんなダメ野郎(しかも重度のシスコン野郎)にすっかりFall in Loveで、一緒にイギリスに行ってしまう。そして、そのお屋敷の建つ地が「クリムゾン・ピーク<真紅の山頂>」と呼ばれていることを知り……とまあそんな話で、ともかくお嬢様はひどい目に遭う展開である。冒頭からの雰囲気は、これは『The Shining』的なお話なのかな……? と思って観ていたのだが、結論としては全く違ってました。
 とにかく、この映画は、監督Guillermo del Toroの趣味が全面的に炸裂していて、映像はいつもの通り豪華と言えばいいのか、なんだろう、絢爛? な画を見せてくれるが、登場キャラクターはどうにも変であった。
 霊感ハイカラお嬢様を演じたのは、わたしも大好きな素朴ガール、Mia Wasikowskaちゃん。なんかこの娘さんは、剥きたてのゆで卵のようなつるっとした美しい肌ですね。日本的に言うと、能年玲奈ちゃんに似ているような気がする。1989年生まれのオーストラリア人。『Alice in Wonderland』で世界的に大ブレイク後、順調にキャリアを重ねてますな。日本では今年の夏公開かな、『Alice2』の予告も既に公開されてますね。
 とんでもないシスコンで夢追い人のだめんず準男爵様を演じたのは、これまた宇宙一ダメな弟、ロキを演じたことでお馴染みの、Tom Hiddleston氏。マイティー・ソーの義弟として、宇宙規模のだめんずぶりを発揮した彼であるが、今回の映画もまたひどい。ロキも若干マザコンだったし、今回も重度のシスコンで、なんでこんな男がモテるんだと、わたしとしては理解できないが、世の女子たちは、だがそれがいい、と言うのだろう。あのですね、もうちょっと、男を見る目を養なった方が、幸せになれると思いますよ。と、モテない男を代表して申し上げておこう。まったくもって、ガッデムである。
 で、そのシスコン野郎のお姉さまを優雅に、そして恐ろしく演じているのがJessica Chastainさん。今回はとんでもなくおっかない、サイコ女子を迫力たっぷりに演じてくれたのだが、やっぱりこの人、綺麗ですね。わたしはまた、彼女や弟が、実は人外の存在で……という展開かと思っていたのに、まったくそんなことはなく、その点は非常になーんだ、で終わってしまったような気がする。もうちょっとひねった脚本であればもっと面白かったのにな、と思いました。
 最後。霊感ハイカラお嬢様を密かに愛する純情青年医師を演じたのが、Charlie Hunnam氏。彼は、del Tro監督の前作『Pacific Rim』の主人公パイロットですな。なんか半端なロンゲで、かなりイメージと違うけれど、今回唯一の常識人で、彼もまたとんでもなくひどい目に遭う気の毒なお医者さん役であった。確か設定は眼科医だったかな? でも、その眼科医という設定は一切、どこにも何にも生かされず、それなら普通に外科医とかの方がよほど物語に絡めることができたような気がする。まあ、主人公の霊感ハイカラお嬢様は眼鏡っ子なので、そこだけっすね、接点は。

 というわけで、結論。
 『CRIMSON PEAK』という映画を観に行って、一番なるほど、と思ったのは、Tom Hiddleston氏の女性人気の高さである。30代(と思われる)美人女子の一人鑑賞がすごく多かった。観た劇場が日比谷シャンテだったからかな?? つまりあれか、世にはだめんず愛好女子が多いってことか。まったくもって残念なお知らせである。ええと、映画としては、まあまあです。期待は下回りました。とは言え、Tom Hiddleston氏を愛してやまない淑女の皆さんは、ぜひ劇場へお出かけください。以上。

↓ 確かこの映画では、Tom Hiddleston氏は、かの有名な作家F Scott Fitzgerardを演じてましたね。『The Great Gatsby』とか、『Benjamin Button』の著者ですよ。
ミッドナイト・イン・パリ [Blu-ray]
オーウェン・ウィルソン
角川書店
2013-10-25


 わたしが一番好きな映画は、やっぱり『STAR WARS』である。
 とうとう公開された『EPISODE VII』。
 今、観終わって、興奮しているところである。
 まず、ネタバレが困る人は、上映前にパンフを買っても1ページ目すら絶対に開いてはダメ!!!
 開くといきなり、『STARWARS』冒頭の文字が飛んでいく前後関係の説明の字幕のアレが載ってるので、開くことすらしちゃダメです(そのものではないと思う。ちょっと要約したモノが書いてあります)。
 はい。もうこの先は読まないでください。ここから先は、ネタバレ全開で行きますよ!!!
 あと、どうでもいいですが、昨日書いたわたしの妄想は、1個も合ってませんでしたw それだけは言っておきますw
-----<以下、自己責任で>-------
(※2015/12/21追記:結構ストーリーの順番・流れ・セリフがかなり適当ですが、致命的じゃないものはそのままにしておいた。わたしの勝手な脚色入りです)
 というわけで。まず最終予告からおさらいしておこう。
 
 もう、のっけから言う。100点満点で言うと、86.5点。
 どうしてこういう半端な数字かというと、90分ぐらいまでは、もう完全に100点満点でもいいとわたしは思った。が、残りの46分は、どう考えても60点程度だろう、とわたしは感じたからだ。(90÷136×100)+(46÷136×60)=86.47というわけで、正確な時間は計ってないので、あくまでアバウトなわたしの感覚であるが、次回、来週もう一度3D版を観に行ったときにきちんと計測してみようと思ってます。もちろん、回りにご迷惑をかけずに、そっと、ね。
 とにかく今回、解明されていない謎がそのまま残りすぎていて、まったくすっきりしない。超・生殺しですよJJさん!! とわたしは感じたのである。なので、レイがレンに捕まるあたりまではもう最高、と言いたいが、結局最期まで明かされない謎が多すぎだというのが、今回のわたしの不満である。
 ただ、明らかに言えることは、『EP:I』~『EP:III』より面白かったと思う。
 つか、『I』~『III』は観てなくても全然大丈夫な作りだったね。

 さて。それではさっそく、一人反省会を開催するとしようか。
 明日また落ち着いてから気づいたことを書くと思うので、今回はその(1)です。

 【1.わたしが絶賛する前半90分まで何が描かれたか】
 今回は、ある意味イベント上映と位置づけるべきだと思うので、それゆえ、だと思いたいのだが、冒頭、Lucas Filmのロゴに次に、すぐ A long time ago in a galaxy far, far away....といきなり始まるのは、はっきり言ってちょっと拍子抜けである。なんとなんと、20th Century Foxのロゴとファンファーレはなかった。オイオイ、なんだよもう、どうなってんだ? という時点でわたしとしてはマイナス10点ぐらい付けたところだが、もはやどうしようもない。そして、いつも通り、『STAR WARS』のロゴが来て、銀河に字幕が流れていく。EPISODE VII。間違いなく本編だ。わたしはこのEPISODE VII が出るまで、なんか過去のおさらいの特別映像じゃね? とかそんなことも思ったのだが、ファンファーレなしで本当に本編が始まっちゃったわけである。
 (※2015/12/19_AM02:31追記:今、グースカ寝てたのに出し抜けに目が覚めて、突如気が付いた。当ったり前だよ!! だって、Disney配給だもん。FOXのファンファーレが鳴るわけないじゃん!!! アホかオレ!!! でも、アレがないとホント寂しいもんですね……)
 そして、前後関係が文字で説明される。
 曰く、「ルークが消えた。しかし、今や再び銀河に暗黒勢力がはびこり、救えるのはルークだけである」ことが説明され、そして「ルークの消息を知る男の元に、反乱軍のエースパイロットと相棒のBB-8が派遣された」ことが説明される。
 ファーストショットは、とある惑星(まったく説明はないが、後にジャクーという惑星であることが分かる 冒頭の流れていく字幕で惑星ジャクーであることが示されてた)に巨大戦艦スターデストロイヤーの影がじわじわじわ・・・と侵食していく宇宙空間からの画で、場面はすぐにその惑星の地表に移り、エースパイロットが、ルークの消息を知る謎の男からMAPを保存した記録媒体を託されるところから始まる。
 ここまでは、まったく問題なし。カッコイイ。エースパイロットの名はポー・ダメロン。謎の男の名はロア・サン・テッカというが、この二人は、今までのSAGAには出てきていない新キャラだ。わたしは、ロア・サン・テッカって、そんなジェダイいたっけ? と思って観ていたのだが、なんとなんと、役者はMAX VON SYDOWじゃねーか!!! と気づいて、もう一気にわたしのテンションはMAXである。来た、まさかのマックス・フォン・シドーがSAGA初出演である!! 知らない人は、Wikipediaでも見といてくれ。超有名なスウェーデン人役者で、ベルイマンの『第七の封印』とか、『エクソシスト』で超おなじみのおじいちゃんである。
 また、地図を託され、それを反乱軍秘密基地に持って帰ろうとするのは、完全に『EP:IV』の冒頭と同じシチュエーションである。さすがJ・J・Abrams、お前ほんとに分かってる奴だな!! と、わたしはもう、冒頭のファンファーレなしを許していいとさえ思った。とにかく、『EP:IV』を思わせるシーンがこの後、すごく多い。物語の展開もちょっと似ている。だから、まあ、これまでのシリーズを見ないで今回の新作を観ようという人は、普通はいないだろうけど、『IV』~『VI』は絶対に観てないとダメ、だけど、『I』~『III』は、観ていなくても大丈夫だと思った。
 で。物語は、すぐにポーとロア・サン・テッカの元に、「ファースト・オーダー」と名乗る銀河帝国の残党的集団がやってくる。まずストームトルーパーがわーっとやってきて、その後から「カイロ・レン」が登場。カイロ・レンが何者か知っている銀河の旅人・テッカは殺され、ポーも捕まってしまう。だが、ポーは捕まる前に、記録媒体とBB-8に託し、BB-8を逃がしていた。ここも、まさしく『EP:IV』っぽい。
 そして、このわーっと出てくるストームトルーパーの中で、一人、挙動不審な奴がいる。どうも、無慈悲な殺戮をを躊躇している。それがFN-2187という番号しか持たないストームトルーパーである。その後、スターデストロイヤーに戻ったファーストオーダーご一行様は、捕らえたポーを拷問にかけるが、口を割らない。が、カイロ・レンのフォースであっさり心を読まれ、BB-8に記録媒体を託したことがばれると。(※2015/12/19追記:じゃあ最初からそうすればいいのに、拷問意味なかったじゃん、と思うかもしれないけど、ここが微妙で、何かとカイロ・レンと張り合うファースト・オーダーの若い将軍がいて、そいつの拷問ではポーの口は割らすことが出来なかったけど、レンのフォースの前には歴戦の勇者ポーもなすすべがなく、どうだ、オレのほうがお前より有能なんだよ、と上司の最高指導者に見せつける意味で、ちょっとだけ重要、かも?)
 一方その頃、逃げたBB-8は、砂漠で一人生きている謎の女子と出会う。今回の新ヒロイン、レイの登場である。なんと彼女の家は、AT-ATの朽ちた残骸であった。この辺も、ファンにはたまらないですな。そして、ピポピポしか言わないBB-8となぜか会話が出来てしまうレイは、スターデストロイヤーとかそういう朽ちた兵器から部品をばらして、それを売って生きてるらしいことが描写されるが、なんでまた一人で生きているのかは、家族を待ってる、ということだけしか分からない。彼女も、まったく記憶を失っているらしい。
 この後、「オレ今日で仕事辞めますわ!!」と、仕事に嫌気のさしたゆとり世代のFN-2187は、さっさと職場からバックレたい、けど、宇宙船を飛ばす技量はない、ので、じゃあ、捕らえた反乱軍のパイロットを助けて、操縦してもらおう、おさらばだぜ!! というわけで、ポーを連れてスターデストロイヤーから脱出すると。で、あっさりビーム砲を一発食らって、再び惑星ジャクーに墜落と相成る。その最中、ポーは、FN-2187に、「お前の名は? FN-2187? なんだそりゃ。わかったよ、じゃあ、フィンって呼ぶけどいいな?」というやり取りがあって、フィンと名づけ、以降FN-2187も自分をフィンと名乗るようになる。で、フィンは緊急脱出装置で辛くも助かったけど、ポーの姿はない。仕方ないので、落ちてたポーのジャケットを着て、砂漠をあてどもなくさまようと。
 で、フィンはレイと出会い、BB-8とも出会う。そういや、ポーは、丸型の、白とオレンジのドロイドを回収するためにジャクーに戻るんだと言ってたな、あれ? お前も丸くて白とオレンジだな、つーかお前か!! と相成ると。しかし、二人が出会ってすぐ、ファースト・オーダーの追っ手がやってきて大ピンチ、逃げろー!! となって、船を捜すと。よし、あっちの新型船を奪おう、というところで敢え無く新型船は砲撃を食らって大破、しょうがない、こっちのオンボロを奪うわよ!! と二人が駆け寄ったのが、なんとなんと、ミレニアム・ファルコン号じゃないですか!! ここまで25~30分ぐらいだと思う。いきなりのファルコン号登場に、もう大興奮ですよ。そして何故かメカにめちゃ強いレイが操縦するファルコン号でタイファイターを撃破して、宇宙に逃げる二人。一息ついて、これからどうすんべ? と相談してるところですぐに、デカイ貨物船? に拿捕されてしまう。どうしよう、ファースト・オーダーだったらヤバイ、と隠れる二人。しかし、ハッチが開いて入ってきたのは、これまた驚きの、ハン・ソロ船長&チューバッカさんご本人様たちの登場である。まさかこんな登場とは!! どうやら、ファルコン号はパクられて、ハン・ソロも探してたと。だけど、まーたソロ船長は借金が溜まってたようで、すぐにギャング的な連中がソロの元にやってくる。このときのギャングたちの名前を覚えてないのだが、ここでもわたしは驚いた。なんと、インドシナ映画で大ヒットしたアクション格闘映画『THE RAID』のあの二人じゃんか!!! えーと名前忘れた。そうそう、イコ・ウワイス君とヤヤン・ルヒアン氏ですよ。全然チョイ役だけど、SAGAに出られるなんて、心の底からうらやましい限りである。
 ちょっと、ストーリーを全部追って行くとキリがないので、以下、かっ飛ばしますが、どうも今回の悪役であるカイロ・レンは、まだ暗黒面のフォースを習得したばかりのようで、なんだかライトセーバー振り回して八つ当たりしたり、まだ一人前じゃないっぽいことが明かされ、また、ファースト・オーダーの最高指導者がスノークという存在であることも明かされ、極度にルーク復活を恐れていることがわかる。一方そのころ、ソロ船長の口からは、ルーク失踪の謎の原因が明かされる。なんでも、新たなジェダイ育成に頑張っていたのだが、一人の若者の反乱にあって、失敗したと。そして、その若者こそが、ハン船長の息子であり、まさしくカイロ・レンであることがほのめかされる。 ここまで大体50~60分ぐらいだと思う。で、ルークの居場所を知るには惑星タコダナ(JJが言ってた「高田馬場」をもじった惑星)にいる助っ人に会う必要があると。で、そこで謎のエイリアン的存在に出会って、レイは謎の声に導かれ、地下に置いてあった箱を開けてみる……と、そこにはライトセーバーが!! レイは恐る恐るライトセーバーを手にする、と、急に過去のビジョンがフラッシュバックして、どうやらレイは、かつて少女時代にルークの元にいたっぽいことがほのめかされる。と、その様子を見ていた謎エイリアンは、そのライトセーバーはルークのものだと言う。何でまたそんなモノが? さらに謎エイリアンは、レイに、フォースのお導きじゃ……と告げるが、受け入れられず、森をさまよううちに、ファースト・オーダーの新型惑星破壊兵器が炸裂して、共和国の母星は破壊されてしまう(この破壊される惑星は、どう見てもコルサントなんですが、パンフによるとコルサントから遷都した新しい惑星だそうです)。その強力なビームが惑星タコダナの空を過ぎり、そうこうしている内にレイたちがタコダナにいることも通報されていて、カイロ・レン率いるファースト・オーダーたちがタコダナへ襲来し、バトル開始。なすすべなく捕まるソロ船長たちだが、ここぞというときに、ポー率いるX-WING部隊が救援に。ポーはちゃんと生きてた!! と思う間もなく、レイはレンに捕まり、連行されてしまう。

 と、ここまでが大体90分ぐらいだと思う。ここまでは、わたしとしてはもうずっと大興奮で、やっぱりJJはすごい!! これは100点満点ですよ!! と思っていたわけです。
 しかし、もういい加減長いので、今日はここまで。
 明日は、【2.多くの謎を残したまま、物語はクライマックスへ】と、【3.残された謎と問題点についてまとめ】について書く予定です。ホントにサーセン!!
 ※2015/12/19追記:というわけで、続きはこちらへ●

 最初にまず告白しておきたいのだが、わたしはこれまで、山田洋次監督の作品をほとんど見ていない。もちろん、『男はつらいよ』は何本か見ているが、とりわけファンというわけでもないし(もちろん、観た寅さんは大変面白かった)、最近の作品も数本しか見ていない。なので、山田洋次監督作品と聞いて、よーし観に行くか、という気にはあまりならない男である。また、井上ひさし先生の芝居も著作も、実際のところほとんど観たことがないし読んだこともほとんどない。なので、わたしが昨日観てきた映画『母と暮せば』という作品が、井上ひさし先生による『父と暮らせば』という作品と対になっているなんてことは、全く知らなかったし、今も、それは別にどうでもいいことだと思っている。
 というわけで、映画や小説や芝居を愛してやまないオタク野郎のわたしであっても、上記のようにまるで山田洋次監督や井上ひさし先生について思い入れがないわけで、じゃあ、なんでまた『母と暮せば』を観に行こうと思ったかというと、理由は2つあって、ひとつは、主役の二宮和也くん、吉永小百合さん、そして黒木華(くろき・はる、と読む)の3人の芝居ぶりを観たかったのと、もう一つは、現実に年老いた母と暮らすわたしとしては、タイトルが非常に気になったからだ。そして実際に観て、あろうことが劇場で号泣するという醜態をさらす結果となったのである。大変お恥ずかしい限りである。

 わたしは観る前にストーリーを少し知って、ああ、これは大林宣彦監督の名作『異人たちとの夏』のようなお話かな、と思っていた。死んでしまった大切なあの人にもう一度会いたいと思う主人公が、幽霊となって現れたその人に出会うという物語は、実際のところ洋の東西を問わず結構数多く存在しているものだが、わたしとしては日本映画の中では『異人たちとの夏』という作品が一番好きである。まあ、若干『牡丹灯籠』も混じったテイストの不思議な映画だが、この作品では、当時、たぶん役者として初めて本格的に映画に出演した片岡鶴太郎さんが演じるお父さんが非常に素晴らしい。

 たいていの場合、人生の岐路にある主人公が、既に亡くなった大切な人の幽霊と出会って、再び生きる道を見つけ、最後は幽霊とお別れして終わるというのが王道パターンであろう。なので、本作『母と暮せば』もまた、そういうお話であろう、と勝手に思い込んで観に行ったのだが、半分正解で、半分全然違っていたのであった。いや、サーセン。半分も正解じゃないか。8割方想像と違ってました。
 まずもって、これまでの既存のお話と大きく違うのは、幽霊となって現れるのは、息子、である。父や母といった、「通常であれば先に亡くなった人」が幽霊となって会いに来るのではない。先に息子が亡くなっていて、母が一人遺されているという「普通ではない」状態である。それは舞台が1948年の長崎であることからも明らかなとおり、1945年8月の段階では長崎医科大学の学生だった息子は、投下されたプルトニウム爆弾によって、一瞬のうちに亡くなっているわけだ。その悲劇から3年が経ち、遺された母がやっとの思いで、息子の生存をあきらめるところから物語は始まる。何しろ遺体もないし遺留品もない。亡くなったことが信じられない母は、3年かかってやっと、息子の死を受け止めようとするわけであるが、3年目の命日に、墓前で、亡き息子の婚約者だった女性に、あきらめよう、と言うことで心の区切りをつける母。その日から、ひょっこりと息子は幽霊となって母の前に現れる。息子の幽霊は言う。
 「母さんは、いつまでもぼくのことをあきらめんから、なかなか出て来られんかったとさ」
 この、出現の動機も、原理?的なものも、最後まで説明はないが、まあ説明できるわけがないよね。幽霊なんだもの。母を慰めるために出てきたのか、単に現世に未練があって出てきたのか。それは、最後まで観た人がそれぞれに思えばいいことなので、まあ、詳しくは書きませんが、「あきらめてくれたからやっと出てこられた」というのは非常に面白い。
 そして出てきた息子の幽霊に、思わず母は聞く。「元気だった?」と。それに対して息子は答える。
 「なーに言ってるの母さん。ぼくは死んどるよ。相変わらずおとぼけやね」
 こんなやり取りは、たぶん誰にも経験があるのではなかろうか。久しぶりに会う人に、見るからに忙しそうでゲッソリしていて、明らかに元気じゃないのに、つい、「元気か?」と声をかけてしまうような。わたしはもう、この冒頭のシーンからすっかり物語に入り込んでしまった。この息子の幽霊は、生前からおしゃべりだったという性格のまま、幽霊なのにやたらとおしゃべりで、全く変わることがない。母を心配し、遺してしまった婚約者のことを想っている。婚約者の幸せを望みつつも、誰かの妻となることに素直に祝福できない。そりゃあそうだろうなと、わたしもすっかり主人公の気持ちと同化してしまう。戦後の厳しい時代を懸命に生きようとする母と婚約者。母からその苦労や自分のいなくなった世界の話を聞いて、「悲しくなって涙を流す」と姿が消えてしまう幽霊。こんな3人の芝居は、本当に素晴らしいものであった。

 この映画で、何がわたしをして号泣せしめたか。物語? 脚本? 演出? どれも間違いなくYESであろう。だが、おそらくはわたしのハートに直撃したのは、役者の演技そのものだ。二宮くん、吉永さん、華ちゃん、この3人の演技がものすごく素晴らしいのだ。二宮くんは、わたしが最も好きな監督No.1であるClint Eastwoodに認められた男である。おそらく、ジャニーズにおける演技王決定戦を開催したら、岡田准一くんと優勝を争うことになろう素晴らしい俳優だ。彼の素晴らしいところはその表情とセリフ回しであろう。何とも普通な、自然な表情にかけては、岡田くん以上かもしれない。そしてしゃべり方、話し方も、極めてナチュラルでいて、観ている者のハートに突き刺さるのは何故なんだろう。たぶん、脚本上のセリフではなくて、表情や声や話し方という、演技そのものにグッとくるのだとわたしは思う。岡田くんも、もちろんのこと素晴らしい俳優だが、彼の場合は役になりきる系と言えばいいのか、ナチュラルというより作りこみの結果なのではないかと思う。上手く言えないが、そういう点で非常に対照的だと思うのだが、二人とも最高級に素晴らしい役者であるのは間違いない。とにかく、二宮くんの芝居は必見であると言って良かろうと思う。
 母を演じる吉永さんは、正直なところ、いつもの吉永さんの芝居であるとも言えそうだが、今回は、そもそもの脚本が吉永さんを念頭に当て書きしたものらしいので当然かもしれないけれど、キャラクター的にはちょっと天然で可愛らしい女性、だけど、母としては芯が強く、慈愛に満ちているという、恐らくは吉永さんご本人そのままなんじゃないかという人物設定で、「戦後の、美しく老いていく母」そのもののように感じた。とりわけ、後半以降の吉永さんが弱っていく過程は、わたしも観ていて本当に、母さん大丈夫かよ……と心配になってくるほどで、ラストシーンはもう、ぐすんぐすんと鼻をすすらざるを得ないことになってしまったわけである。吉永さん主演の作品は、わたしは結構見ているつもりだが、泣かされたのは初めてである。
 そして婚約者を演じた黒木華(くどいようだが「はる」と読む)ちゃんだが、この女性はまあ、世に「昭和顔」と称せられるように、どこか懐かしい感じの正統派和風美女であると言って良かろう。わたしは前々から気にはなっていたのだが、きちんとこの人の演技を観るのはたぶん初めてだ。が、観ていてなるほどと思ったのは、まず顔の昭和テイストが非常にわたし好みであるのが一つ、そして身体つきも非常に昭和っぽいといえそうな気がする。腰から足のラインが、現代風に作られた(?)美しさではなく、自然な女性らしさと言えばいいのかな、とにかく人工的・技巧的なラインではなく、きわめて自然な体形だとわたしには強く感じられた。妙にウエストや手足が細かったり、やけに胸はでかいとか、何か努力や作意が働いた結果のラインではなく、いわば、ド天然の女性のラインなのだ。たぶん、わたしはそこにグッと来たのだと思う。もちろん顔も、ド天然である。スーパーに並べられた、規格に沿った見栄えの美しい野菜ではなく、まったくの天然モノ。それがどうやらわたしが黒木華という女優に感じる魅力なのだとわたしは了解することにした。声もいい。芝居ぶりも自然。極めて上物である。大変気に入った。
 わたしが今回、非常にグッと来たのは、華ちゃんが、主人公を亡くし、その魂とともにずっと一人で生きていく、それは私の運命なのだから、と母に告げるところで、母は「それは違う。運命なんかじゃあない。地震や天災で亡くなるのは、そりゃあ運命かもしれない。どうにもできないのだから。でも、浩二は原爆で死んだ。原爆は人の行いで、避けることができたはずのものなんだから。だから、運命なんて言ってあきらめないで。あなたは幸せになっていいのよ!!」的なこと(※正確なセリフは再現できてないと思います)を言って華ちゃんを諭す。このシーンでの吉永さんと華ちゃんは非常に良かったです。
 あともう一人、今回の作品でわたしが素晴らしいと感じたのは、『上海のおっちゃん』という役名で出てくる加藤健一氏である。この人は、演劇人でテレビや映画にはほぼ出ていない役者だが、わたしがこの人で一番記憶に残っているのは、中学生のころに観た映画『麻雀放浪記』における「女衒の達」というシブイ役である。若き日の真田広之や鹿賀丈史と戦う雀士としての演技が非常にカッコ良かったのだが、今回は27年ぶりの映画出演だそうだ。ひそかに母に恋心を抱いていて、せっせと闇物資を運んでくるちょっとお調子者のおっちゃんを、とても印象的に演じてくれている。

 というわけで、わたしは結構何も考えずに観に行った『母と暮せば』という作品だが、この作品が観る人すべてに涙を約束するかというと、これは全く断言できない。おそらくは、女性が観ると全く違う感想を抱くのではないかと思う。この作品は、明確に母と息子の物語である。なので、たいていの男は、吉永さん演じる母に、自分の母を重ねることだと思う。その実際の母が年老いていれば、相当この物語にグッとくるとは思う。
 だが、女性が観たらどう思うか? これはかなり微妙かもしれない。例えば、華ちゃん演じる婚約者に対しても、女性目線であれば、わたしのようにコロッと簡単に好感を抱くかどうかはちょっと怪しい。また、幽霊である息子が、婚約者の女性に対してある種の執着を見せるのも、男ならそうだよなと思っても、女性からすればかなり、そりゃ違うと思うかもしれない。わたしが尊敬する、とある女性は、「女は過去なんて忘れるものよ。ごくあっさりね。先のことしか見ない生き物と思っていいわ」と仰っていたので、そうだとすれば、息子の婚約者に対する想いは、最終的には生きている婚約者の幸せを最優先に考えるものの、ちょっと引くかもしれないとは思った。なので、全女性に対してオススメかというと、正直なところ、わたしは良くわからんです。


 というわけで、結論。
 『母と暮せば』は、男に対しては強くオススメできる。特に、自分の母が年々老いてきて心配な男は観るべし、である。そして女性は……まあ、二宮くんの大ファンは必見ということで。結構若い女性客が多かったけど、まあ二宮くん目当てなんでしょうな。それはそれでアリです。
 あと、わたしとしては、この作品を「演劇」で観たいと強く希望する。
 これは、生の役者の生の演技で、ぜひとも見てみたい。場面転換も、登場人物も絞れるので、非常に舞台向きだと思う。そして、舞台化は、絶対のこの3人のキャストはそのままでお願いしたい。二宮くん、吉永さん、黒木華ちゃん。この3人でないと絶対ダメというか、この3人以外では観たくないかも……。こまつ座で実現してくれないかな……あ、こまつ座で実現したら、役者が変わっちゃうか。うーん。ジャニーさん、よろしくお願いします!! 以上。

↓ というわけで俄然、山田洋次監督作品および黒木華ちゃんが観たくなってきたので、コイツを見てみようと思います。たしか、WOWOWで録画して、HDDの中に埋もれているはずなので……発掘してみるか。
小さいおうち Blu-ray
松たか子
松竹
2014-08-08
 

 アメリカでは大ヒットなのに、日本では全く売れない、という現象は、実のところ結構良くあることではあるが、この『HUNGER GAMES』も、残念ながらそんな映画のひとつである。シリーズ第1弾は、アメリカ国内で4億ドル(=約480億円)を稼いだ大ヒットだったが、残念ながら日本では、数値が明確でないけどたぶん5億円も行っていない。つまり百分の一以下という事になる。先週公開されたシリーズ完結編となる本作も、アメリカでは若干パワーダウンしたとはいえ、公開3日間で1.6億ドル(=約200億円)と日本では考えられない数字をたたき出している。ちょうどその公開時にニューヨークにいたわたしも、映画館の前の結構な行列を見て驚いたのだが、日本では、週末2日間で0.5億円ほどと、非常に淋しい数字であった。
 というわけで、わたしもこのシリーズは原作小説を最後まで読んだし、Jennifer Lawrenceちゃんを応援する身としては当然、映画もこれまでの全作を観ており、今回の完結編も、早速観てきた。

  はっきり言って、原作小説は全く面白くない。小説としてのクオリティはたいしたことはない。ただ、ひょっとしたら翻訳がイマイチなのかもしれないという疑惑は残るが、いずれにせよ、とにかく描写が分かりにくく、一体どのようなことが起きているのか、読んでいて想像しにくい。つまり、下手っぴなのだ。実のところ、この作品は児童文学出身の著者が手掛けた、紛れもないライトノベルで、完全に読者は中高生をターゲットとしているため、やけに表現やセリフ回しが子供っぽい。まあ、だからと言って下手で許されるかというとそれは全然別の話だけれど。
 ところで、何をもって「ライトノベル」と定義するか、おそらくはいろいろな意見があるだろうと思うが、わたしの定義はごく簡単である。ズバリ、主人公が10代の若者であれば、それはもうライトノベルと言っていいと思っている。この作品のストーリーをごく簡単にまとめると、こういうお話である。
 一種のディストピア、終末世界のお話である。「パネム」と呼ばれる国家がある。年代や地理的な説明は特になかったと思うが、その国家は「キャピトル」という首都を中心に、12の地区に分割されていて、各地区は「工業」地区、「林業」地区、「鉱山」地区といったように明確に役割が地理的に分割されていると。で、年に1回、「ハンガーゲーム」と呼ばれる行事があって、各地区から17歳以下の少年少女を男女1名ずつ選出して、最後の一人になるまで殺し合うデスゲームを行わせると。それは、「キャピトル」に住む贅沢暮らしの選民たちにとっては娯楽であり、各地区に住む国民にとっては政府に対する不満のはけ口というかストレス解消的な意味を持つものであり、勝者は一生ぜいたくな暮らしができるし、最終勝者を輩出した地区も1年間いろんな特典アリ、ということになっている。だけど、当然各地区は、自分の娘や息子が命がけのゲームに出ることを強要される可能性もあるわけだし、そもそもずっとキャピタルの選民に搾取され続けて貧しい暮らしをしているので、潜在的にパネムの独裁者(?)たるスノー大統領憎しの土壌があるわけだ。
 で、主人公カットニスは第12地区の娘さんで、妹が第74回ハンガーゲーム出場者に選ばれてしまったため(選出は名前の書いた紙をキャピトルの人間が引くくじで決まる)、それならわたしが出るわ! と志願すると。志願者がいればそっち優先で、抽選はチャラになるので。で、カットニスは普段から森で狩りをして暮らしていたので、弓矢だけは得意ですよと。で、同じ第12地区からはペータというパッとしないパン屋さんの息子がくじで選ばれると。彼は、特に特技はないけれど、日頃重い小麦の袋を持ち上げたりしてたので、何気に怪力だし、一応頭はいいというキャラで、実は昔からカットニスにぞっこんでしたという男の子ですよと。
 その後、二人はキャピトルに連れていかれていろいろ訓練を受け、いよいよ第74回ハンガーゲームが始まるのだが、この作品の一つのポイントとしては、終末世界の割にはやけに科学技術が発達していて、いろいろなテクノロジーは普通に機能しているんだな。その辺が妙にラノベチックというか、小学生が書いた小説のような荒唐無稽さがあって、わたしとしては若干苦笑せざるを得ないのだが、まあとにかく、最終的には、第74回ハンガーゲームはカットニスとペータが最後の二人に残ると。で、二人で殺し合って、最終勝者を決めないといけないのだが、そんなことをしたくない二人は、「わたしたち、愛し合ってるんです! だから、二人で一緒に死にます!!」という芝居を見せつけて、キャピトルの観客たちの共感を得て、「ちょっと待ったー!! 若い恋人たちよ、二人とも優勝でいいよもう!!」という判定を受けて終わると。以上が、第1作のあらすじです。ね? めっちゃラノベでしょ?
 もう、いろいろ突っ込みどころ満載なのだが、実際のところ、この物語は日本の『バトルロワイヤル』のパクリじゃね? という意見もあったようだが、あんなつまらん作品よりも、どちらかというとわたしの大好きなStephen Kingの、『The Long Walk』(邦題:死のロングウォーク)と、『Running Man』(邦題:バトルランナー)に近いと思う。


 この二つを足して2で割ると、『HUNGER GAMES』になると思う。そもそも、『バトルロワイヤル』こそこの2作を日本流に換骨奪胎したものだしね。このStephenKingの作品2つは超面白いのでスーパーおすすめです。『バトルランナー』は、Schwarzenegger主演の超B級面白映画があるので、あっちを見てもいいけれど、まあ、小説の方が面白いかな。映画も最高です。原作小説とはだいぶ話が違いますが。
 
 で。『HUNGER GAMES』の第2作は、翌年の話。スノー大統領は、前年の戦いの最中に、カットニスがなにかと反抗的で、国家に対してけしからん人間だと思っていると。というのも、カットニスの戦いぶりが、これまでの出場者たちが無慈悲に殺し合う姿勢だったのと違って、なんで私たちにこんな無意味な戦いをやらせるのよ、喜んでいるのはキャピトルだけ、スノー大統領だけでしょ! こんな殺し合い、したくないわ!的なアピールがあって、各地区の労働者たちも、そうだそうだと反キャピトル的気運が高まってきていると。そういう中で、じゃ、今年のハンガーゲームは第75回記念大会なので、これまでの優勝者を集めたチャンピオン・カーニバルにしよう、ということになる(えーと、ツッコミ禁止です)。というわけで、せっかく前年生き残ったカットニスがまた召集されると。で、今回は過去の優勝者ばっかりなので、癖のある連中ぞろいで、しかも強い奴らばかりだと。カットニスも、ペータと一芝居打ったけれど、わたし、ペータが好きなのかしら、いや、そんなことないわ、だってわたしにはゲイルという頼りになるイケメン幼馴染がいるもの、とまた微妙な三角関係に陥っており、ペータはペータで、カットニス大好きなので、僕はカットニスを守る、命に代えても、みたいな決意で第75回ハンガーゲームに挑むわけです。結局、最終的には、歴代優勝者たちも実は前年のカットニスの戦いぶりに感化された連中がいて、ゲーム中に反逆すると。で、最後はゲームフィールド大爆発で、カットニスは半死半生のまま反乱組織に救出され、ペータは生死不明で闘技場に消えた……というところまでが第2作。しつこいけど、やっぱりラノベ展開ですわな。
 続く第3作では、カットニスが目を覚ますところから始まる。彼女を救ったのは、かつて反乱を起こしてキャピトルに廃墟とされて生存者はいないとされていた、幻の第13地区の連中だったことが判明すると。で、カットニスは反乱の象徴としてアイドル的に祭り上げられ、本格的な対キャピトル反乱戦争に巻き込まれていくと。で、ピータはピータで生きていて、逆にキャピトル側に洗脳(?)されていて、反乱はやめるんだ!というキャピタルサイドのプロパガンダに利用されてしまう。映画版では、ピータをキャピトルから救出して、二人が再会するところで第3作目は終了。そして先週公開された完結編で、いよいよ最終戦闘が始まる、という物語の流れである。なお、原作小説版は一気に最後まで書かれていて3部作になっている。

 とまあ、こんなお話なので、相当微妙というか、えーーーっ!? というツッコミを入れたくなって仕方ないところではあるが、映画は結構面白い。なにしろ、小説ではピンとこなかったゲームフィールドの状況とか、周りの様子が映像で明確に示されるのでわかりやすい。その映像もきちんと金がかかっていて、日本映画のようなチャチさはなく、それなりに見ごたえがある。そして、やっぱり俳優陣の熱演が、やっぱり小説よりも共感を生みやすいと思う。特に、わたしは最初からJennifer Rawrenceが大好きなので、応援せざるを得ない。貧しく厳しい環境で生きてきた割には、やけに発育が良くむっちりしているのは、まあご愛敬ということで許していただきたい。大人陣も、非常に良いと思う。特に、カットニスと同じ第12地区出身で、数年前のハンガーゲームを勝利したヘイミッチというキャラクターが、ずっとカットニスのサポートというか家庭教師的な世話役で出てくるのだが、この役を演じたWoody Harrelsonが非常に良い。ヘイミッチは、小説では飲んだくれのダメな奴イメージが強いが、映画版では、もちろん飲んだくれではあるけれど、かなりカットニスの強い味方として頼りになる(いや、そりゃ言いすぎかな……)し、いつも悪役や危ない野郎の役が多いWoody Harrelsonにしては、(態度はアレだけど実は)とてもいい奴なのが新鮮。また、スノー大統領を演じるDonald Sutherlandも、御年80歳、相変わらず怪しく渋い演技を見せてくれているし、第3・4作目に出てくる反乱組織の長・コイン首相を演じるJurianne Mooreも、何か裏のありそうな首相を貫禄たっぷりに演じている。なお、去年亡くなったPhilip Seymour Hoffmanはこの作品が遺作となったのかな、彼の演じるキャラが最終的に微妙にあいまいなのは、最後のシーンが撮れなかったからかもしれないね。

 というわけで、結論。
 『HUNGER GAMES:MOCKINGJAY part2』 は、少なくとも小説よりは全然面白いです。シリーズを見てきた方はもちろん必見だし、Jennifer Lawrenceちゃんを応援したい人は是非、劇場へGO!! 以前書いた通り、Jennifer Lawrenceはキメキメばばっちりメイクよりも、すっぴんに近い素顔の方が魅力的だと思います。

↓ まあ一応……。

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