1990年代、わたしは大学生~大学院生~サラリーマン序盤という人生を送っていたわけだが、当時は結構リア充だったんじゃねえかという気はするものの、映画に関しては小学生からずっとオタク道を邁進しており、90年代も様々な映画を映画館に行って観ていた。
 その中でも、比較的忘れられない面白かった映画として記憶に残っている作品の一つに、1991年に観た『FLATLINERS』という作品がある。どうやらUS公開は前年の1990年だったようだが、Wikiによれば日本公開は1991年の2月らしいので、わたしが観たのもその辺りだろう。当然当時のパンフレットは持っているし、後にWOWOWで放送されたのもHDDに眠っている。さっき、ちょっと部屋を発掘したところ、こんなのが出土されたので、スキャンした画像を貼っとこう。
flatliners
 これ、当時の前売券の半券、ですな。わたしはオタクとして馬鹿みたいになんでも取っておく、余人には全く理解の得られない習性を持っているが、まあ、そういうわけです。
 というわけで、わたしはこの映画をかなり覚えていて、主演たるKiefer Sutherland氏がまだ20代で(現在51歳・当時24歳か?)、実際カッコイイ野郎だった彼が、「Today is a good day to die」今日は死ぬにはいい日だ、と冒頭でつぶやくシーンもはっきり覚えている。そしてわたしの大好きなKevin Bacon氏(現在59歳・当時32歳)も大変カッコ良かったことが思い出される一作だ。この作品を撮ったのは、80年代後半から2000年代まで、結構な売れっ子だったJoel Schmacher監督で、この監督と言えば「赤」と「青」を象徴的に使うことでもお馴染みだ。「赤」=死、「青」=生、みたいな。いや、逆か? 青が死、かな?
 お話としては、結構とんでもないお話で、臨死体験者の話には、「光」や「近しい人」が出てくると言ったような共通点があり、いっちょ自分で心臓を止めて「死」を自分で体験し、その謎を解こう、そして見守る仲間に蘇生してもらって「臨死」を経験(near death experience)するのだ、というもので、医学生たちの禁断の実験が、とんでもない恐怖を招いた―――的なサスペンスホラー? ともいうべきものだ。
 というわけで、またもや以上は前振りである。
 今般、この映画『FLATLINERS』が今再びリメイクされ、当然キャストも一新された新作として公開になったので、わたしとしてはもう、マジかよ! とワクワクしながら劇場へ向かったのである。
 結論から言うと、わたしは結構楽しめた作品であった。内容的にちょっと1990年版から変わっていて、とりわけ主人公の身に起こる出来事が、全く予想外でわたしは大変驚いたのである。以下、クリティカルなネタバレにも触れる可能性が高いので、気になる方は絶対に読まないでください。

 探したけれどこの30秒Verしかなかったのでやむなくこれを貼っときます。しかし、相変わらずSONY PICTURESの予告はダサいというか、日本語ナレーションは全く不要だと思うのだが……。まあいいや。この予告ではさっぱりわからないと思うけれど、お話としては上の方にわたしが書いた通りです。どうでもいいけれど、たしか1990年Verは舞台がシカゴだったような記憶があるけれど、今回はトロントでした。シカゴ大学もトロント大学も、医学部は名門みたいすね。
 さて。前述のように、わたしがびっくりしたのは、主人公の運命が1990年Verと大分違っていたことなのだが、ズバリ、ネタバレを書いてしまうと、この、「人工的臨死体験」をした医学生たちは、幻覚に悩まされるようになるんだな。それも、過去の、「ひどいことをしてしまった」という罪悪感が幻覚となって現れ、精神的に追い詰められてしまうわけだ。そしてそれを克服するには、その原因となった人に対して、心からの謝罪をするしかなく、そうして自分も相手も、完全ではないだろうけど、心の落ち着きを取り戻せる、という展開になる。しかし問題は、その「ごめんなさい。あの時のおれはホント最低でした」と「謝りたい相手」がもう既にこの世にいなかったら? という点がポイントになるわけだ。
 というわけで、今回のキャラクター達と、演じた役者を紹介しておこう。
 ◆コートニー:主人公の医学生の女子。実験を考え付いた首謀者。9年前、自らが運転する車で、うっかり携帯を見ながら運転するというミスを犯し大事故を起こしてしまい、同乗していた妹を亡くす。演じたのはハリウッドきってのちびっ子でお馴染みEllen Pageさん30歳。この人はかなりの演技派で、今回も大変良かったと思う。しかしまさかあんな最期を迎えるとは……。主人公なのに途中退場という衝撃の展開にわたしはかなりびっくりであった。
 ◆レイ:仲間の中では一番のキレ者?的な、医学生。元消防士で救急蘇生は慣れているらしい。社会人経験のある年長者で、事件の中で唯一、人工臨死を体験しない男。演じたのは、顔を見て一発で、あれっ!? キャプテン・アンドーじゃん!と分かるDiego Luna氏37歳。去年の今頃『ROGUE ONE』で活躍した彼っすな。彼がこの映画に出ていることをまったく予習してなかったので、アンドーが出てきて驚いた。今回はロン毛を縛って若干マスター・クワイ=ガン風で、実にイケメンないでたちでした。そして、なかなか演技も素晴らしく、文句は何一つありません。カッコイイじゃん。
 ◆ジェイミー:2番目の人工臨死体験者。金持ちのボンボン。LAで美容外科医として金儲けがしたいと思っているドスケベ野郎。彼には、かつて妊娠させた女子を裏切った過去があって、その女子が恨めしそうな表情で幻覚となって彼に襲いかかることに。つまり生霊、みたいなもんですな。演じたのは、James Norton君32歳。わたしは知らない方です。あまりイケメンとは思えないけれど、まあ、モテるんでしょうな。前作で言うところのWilliam Boadwin氏が演じた役柄に近いかな。前作では、自分が連れ込んだ女子とSEXしているところを隠し撮りしてコレクションする変態でしたが、今回はそれはなかったす。
 ◆マーロー:3番目の体験者。金持ちのお嬢さん。彼女は、1年前?に急患で運ばれてきた男を投薬ミスで死なせてしまった過去があり、深く後悔している。レイのことが好き。演じたのはNina Dobrev嬢28歳。ブルガリア生まれでトロント在住だそうな。なかなかお綺麗な女子だが、今まで観たことはないかな……。
 ◆ソフィア:4番目の体験者。いまだ自宅暮らしで、シングルマザーの母親が、人生の全てを「娘を医者にする」ことに賭けていて、それ故にちょっとプレッシャーに負けそうなおとなし目の女子。高校生時代に、自分よりデキる女子の携帯をハックして、保存してあったセクシー自撮り画像を拡散させて笑い者にしてしまったことに、罪悪感を抱いている。演じたのは、これまたわたしには知らない人のKierseyClemons嬢24歳。主にTVで活躍されている方のようですな。
 とまあ、こういう5人の物語である。ちょっと、ついでに、オリジナルVerではどうなっていたかも短くメモしておこうかな。たしか、各キャラ以下のような「罪悪感」を背負っていたような気がする。
 ◆Kiefer Sutherland氏演じた役:首謀者で1番目の体験者。子供時代いじめ?が行き過ぎて、事故死してしまった子がいた→もはやこの世にいないこの子に、主人公がどう謝るか、そして許しは得られるのか、がポイント。なお、今回のリメイクVerではKiefer氏が主人公たちの先生として登場する。わたしはまた、オリジナル版の主人公のその後かと思って、「まさか君たちは、『あの実験』を始めたというのか!?」的に、物語に絡んでくる役なのかとドキドキしたのだが、そんなことはまるでなく、別人としての出演でした。ちょっと残念。
 ◆William Baldwin氏演じた役:2番目の体験者。数多くの女子を泣かせた。どう謝ったか覚えてない……。
 ◆Kevin Bacon氏演じた役:3番目の体験者。子供時代、黒人の女子をいじめていた→謝罪に出向いて許してもらう。わたしは今回のレイが、Kevin氏の役に近いかと思って観ていたのだが、レイは人工臨死を体験しなかったすね。そしてかつていじめていた相手に謝りに行って、許してもらうのは今回はソフィアでした。
 ◆Julia Robertsさん演じた役:4番目の体験者。確か、お父さんがベトナム帰りで、精神を病んで自殺してしまったが、自分のせいだという罪悪感をずっと抱いていた。→幻影の父に許される。
 ◆Oliver Platt氏演じた役:確か最後まで人工臨死を体験しない慎重派(というより臆病だったっけ?)、みたいな記憶だけど自信なし。アカン。こりゃあまた観ないとダメだな……
 こんな感じだったと思うので、今回はいくつかの役が混じっていたり、役がチェンジしているような印象だが、それは別にまったく問題ないと思う。それよりも、本当に主人公コートニーの運命にはびっくりした。まさか途中退場とはなあ……妹の幻影に許されてもいいと思うのだが……。オリジナル版でのめでたしめでたし感は、本作ではコートニーの悲劇によって若干薄らいでしまったように思える。むしろわたしはマーローの方が許されないと思っていたけど、本作ではコートニー以外の体験者3人はきちんと落とし前をつけたわけで、それはそれで、観ていてよかったね、と安堵したのも確かだ。
 しかし……やっぱり、人類にとってのカギは、「赦し」にあるんだとわたしはつくづく思う。そこには、「赦す」側と「赦される」側の2つがあって、どちらかと言えば謝罪をする側よりも、それを「赦す」側の方が、気持ち的に難しいような気がしますね。いや、書いといていきなり否定するのもアレだけど、それはどうかなあ……。わたしは、幸いなことに罪悪感のようなものを持つべき相手よりも、「赦せねえ!」と思っている人間の方が多い、ような気がするけれど、それはわたしが単に、自分の中で解決してしまっているだけで、本当はわたしが「ごめんなさい」というべき相手がいっぱいいるのかもしれねえなあ、という気もすごいしてきた。そうかも。そうかもな……。「赦す」前に、「赦されている」ことに気づいていないだけかもしれないすね。
 となると、やっぱり、わたしが気付いていないわたしの罪を赦してもらうためにも、わたしも「赦せねえ」連中を、わたしの方から赦していかないといけないんだろうな……という気がとてもします。なるほど、これが「にんげんだもの」ってやつか。やっぱみつをはすげえなあ……。

 というわけで、話は逸れたけれどもう結論。
 27年ぶりのリメイクとなる、新版『FLATLINERS』を観てきたのだが、メインプロットは変わらないものの、キャラクターの言動は変わっており、意外と新鮮に観られた映画であった。まさか主人公が途中退場するとは思わず、大変驚いたけれど、「赦し」ってのは、非常に人類にとって重要な、重いテーマですな。ただ、それがどうして臨死体験と繋がるのか、そこんところは実際良くわからんです。これはオリジナル版でもたしか明確には描かれていなかったような気がする。ちょっと気になるので、HDDに録画してあるはずのオリジナル版を、ちょっくら発掘して観てみよう。と思うわたしでありました。以上。

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