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 このBlogにおいて、わたしは何度か書いているような気がするが、わたしはいわゆる「会社側」の人間として仕事をしている期間の方が長いので、労働者の権利とか言われたら、権利を主張する前にちゃんと義務を果たせよ、とか思ってしまうし、一般社員へ会社の決定をすべて知らしめる必要なんてないと、実は考えている部分が多い。同様に、政府が国民に知らせないで、政策を進めることだってそりゃあるだろうと思うし、それはそれで別に構わないと思っている。
 こう書くと、けしからん!と言われるとは思うが、わたしがそう思うのは一つ大前提があって、あくまで会社や政府には「大義」がなくてはならず、要するに、凄いひどい言い方をすると、いちいちうるせーこと言わねえで、何も考えられないお前らに代わって、お前らの働く会社、お前らの暮らす国のことを考えてやってんだから、心配すんな、という(上から目線のものであっても)「善意」らしきもの、なんつうか、「大義」と書くとなんでも許される感がアレだから、そうだなあ……「良心」としておこうか。自らの胸に手を当ててやましいと感じられない、無私のもの。そういった「良心」が絶対に存在していること。それが大前提だ。
 しかし、その前提がなく、私欲や狂信のようなものに憑りつかれた場合は、もうアウトである。そんな私欲や狂信にかられた人間がTOPにいる会社や国は、滅んでいくのは間違いなかろうと思うし、それでもそんな悪党がのさばるならば、闘うしかない。まあ、そういう闘いは極めて困難なもので、非常に勝ち目は薄いのだが、会社の場合なんかは、取締役が結託して叛乱するしかないだろうし(一般社員にはTOPの行動に違法性がない限りまず不可能。会社の経営に異を唱えられるのは株主か取締役だけ)、国の場合は、「大勢の国民(=mass)」が「情報を分かち合い(=communication)」声を上げていくしかなかろう。その際、情報を分かち合う媒体が必要になるわけで、それすなわち、「マスメディア」というわけだ。
 まあ、現代日本では、文春砲なるものがマスコミを称しているが、あんなものは雑協のデータによると発行部数65万部に過ぎず、仮に8割売れているとしても50万ちょいの規模なので、たいしてマスではないけれど、あんな主観バリバリなものの記事で国会がオタオタするのだから、もう滑稽としか思えない状況だ。
 というわけで、以上はどうでもいい前振りである。昨日、わたしは『The Post』(邦題:ペンタゴンペーパーズ/最高機密文書)という映画を観てきたのだが、その映画を観てわたしがぼんやり思ったのは上記のようなことだ。この映画は、ニクソン政権(及びその前の数代にわたる大統領たち)の取った私欲にかかられた行為に対して、「The Post」、すなわちThe Washington Postというワシントンの地方紙が戦いを挑む姿を描いた映画である。結論から言うと、意外なほど「The Post」の闘いは、権力への監視というよりも、やっぱりマスコミとしての名誉欲の方が大きかったんだろうな、という展開で、想像していたものとはかなり違うものであったのが新鮮だった。以下、ネタバレに一切配慮せずに書きなぐると思うので、まだ見ていない人は読まない方がいいと思います。

 この映画は、上記予告からわたしが想像した話とはかなり違っていて、いや、違うというよりもっと規模がデカイというべきなのかな、とにかく、ああ、そういうことなんだ、と観ていて非常に興味深かった。簡単にまとめると、以下の4つの陣営の思惑が交錯するお話である。
 1)大統領を頂点とするUS政府
 泥沼化するベトナム戦争に対し、国内は反戦運動が勢いを増している中、おそらく本音としては、さっさとこんな戦争からは撤退したいと思っていたはず。だが、撤退する理由と方法が見つからず、まさしく泥沼化していたわけで、大統領の頭にあったのは「アメリカ建国史上初の<敗戦>大統領になりたくない」というある種の恐怖であり、決断できない状況なのだったと想像する。これは、ペンタゴン文書暴露事件(1971年)当時の大統領ニクソンに限らず、ベトナム戦争にかかわった歴代大統領全員が擁いていたはず(?)の感情で、JFKでさえそうだった、とこの映画では描かれている。ただし、ニクソンの違法性は甚だしく、本作はウォーターゲート事件発端のあの事件(ウォーターゲートビルへの不法侵入及び盗聴)の始まりが描かれて幕を閉じる。わたしとしては同じスタッフ・キャストでそちらも描いてもらいたいと思った。
 2)情報を漏らした人々
 そもそもの「ペンタゴン文書」は、JFK及びジョンソン大統領時代の国防長官ロバート・マクナマラが、「今は戦時で非常時であり冷静な判断はできない。のちの世の歴史家によって判断が下されるべき」として当時の状況を、だれが何をどう判断したのか、つぶさに記録せよ、と命じてまとめられたものと本作では説明されていた。Wikiによるとちょっと違う?ようだが、その動機や事実はどうあれ、変な官僚の忖度という改変などがない、生情報として記録されたことは大いに価値のあることだろう。
 そしてそれらが外部に漏れた経緯として、漏らした張本人ダニエル・エルズバーグの心情は、本作の冒頭に描かれている。彼は要するに、お役人、いわゆる官僚で、ベトナムの状況を調査するために最前線の兵士に同行して現地を生で体験し、その体験から、こりゃあアカン、という文書を作成、上司はその報告をもとに、軍に対しては何しとんのじゃあ!と叱責するも、国内に帰ってマスコミの前では、ええ、わが軍は快進撃中です、なんて大本営発表をかます。そんな姿を見て、これはもうダメだ、と情報漏洩を決意したように本作では描かれていた。
 問題は、この情報漏洩行為の違法性だ。おそらく、普通に考えて重大な犯罪行為だろう。しかし、この泥沼化する事態において、大統領サイドに大義がなかったとしたら? ということが大きな問題となって浮かび上がってくるのだ。つまり、納得の問題で、エルズバーグはどうしても納得ができないわけで、自分にできることは何なのかと考えた時、これは国民の判断を仰ぐべきだと考えたのだろう。もちろん違法ではあるかもしれない。しかし、納得できない以上、ここで黙っていることはどうしてもできないのだ。そういう意味で、わたしは本作の主人公は彼、エルズバーグだと思う。
 3)The Postの現場編集チーム
 そして「ペンダゴン文書」は、NY TIMESによって暴露される。そう、The Postではないのだ。実はわたしの目には、(本作の名目上の主人公である)The Postの記者たちのモチベーションは、TIMESにすっぱ抜かれたことに対する焦りと記者としてのプライドばかりが目についた。彼らは要するに、文春砲に負けた週刊新潮で、ひどい言い方をすれば二番煎じ記事なのである。折しも、TIMESには、政府から「文書」の記事公開停止の仮処分も出ており、チャンス!という状況でもあった。彼らは、政府による検閲だ、そんなの許せるか!と憤って、自らも「文書」を入手し、記事をまとめようと奮闘する。そりゃあ当たり前だし、間違っていないとは思う。けれど、どうもわたしの目には、お前らも結局「スクープをものにしたい=有名になりたい、金を稼ぎたい」っていう私欲が一番根底にあっで動いてんじゃん、義憤なんてそれを美しく言い換えただけだろ、というように見えてしまい、実のところ彼らに肩入れする気にはなれなかった。勿論それが悪いことではないと思うし、当たり前の行動だとはわかっているけれど、そういう意味でわたしとしては、なーんだ、という気にもなってしまったのである。
 4)The Postの経営陣
 わたしがこの映画で、一番立派だと思えたのが、The Postの社長であるキャサリン・グラハム女史の決断だ。彼女はFRB議長を務め、The Postをメイヤー家から買収したユージン・メイヤーの娘である(ちなみに現在のThe Postは、Amazonのジェフ・ペゾスが買収してます)。父から夫に受け継がれ、夫の自殺によって当時のThe Postの社主・発行人の立場にある彼女は、父の影響で政界にも太いつながりがあり、「文書」作成を命じたマクナマラともお友達だ。おまけに経営者としてはお嬢さん育ちの素人(のように見えた)で、The PostのIPOに向け、銀行や投資家への説明に悪戦苦闘しているところである。さらに言えば、記者としての経験もなく、記事内容に関してもド素人だ。
 そんな彼女に対して、The Postの法律顧問や取締役会は「文書」の公開に反対する。それはIPOの際の趣意書に反する行為ではないか(その結果上場廃止の可能性も)、また「文書」入手の経緯、それから「文書」公開そのものも違法なのではないか、という理由があるからだが、彼女は、たった一つの理由から、「文書」公開にGOサインを出す。
 その理由は、端的に言うと「アメリカの若者の命を救うこと」である。彼女は、Tom Hanks氏演じる編集主幹に問う。「この文書を公開することで、若者がベトナムに行かなくて済むようになるのね?」これに主幹は「100%」と答える。それに対する彼女の答えは、「ならやって」である。これももちろん、私欲とも言えるかもしれない。しかしそこには、明確な「大義」と「良心」があるとわたしには映った。そして、彼女は、本心でそう思っている。訴訟リスクは高く、経営者にとってこの判断は相当気合がないとできないものだと思う。この判断は損得ではないわけで、その点にわたしは非常に共感できてしまったのである。まあ、映画なので事実なのか知らないけれど、演じたMeryl Streepさんはさすがですな。最初はお嬢さん育ちのお飾り社長かと思わせておいて、見事に将たる器のある女性を演じきっていたと思う。こういう役柄は、Merylさんじゃあないと、ダメでしょうな。(主演/助演合わせて)21回のアカデミー賞ノミネートは本物ですよ。

 最後に、本作を撮ったSteven Spielberg監督について少しだけ。本作は非常に金がかかっていて、さすがのSpielbergクオリティで大変見ごたえがあったと思う。冒頭のベトナムの様子なんて、ほんの数分しかないのに完全に本気で全力で撮っていて、根拠はないけど邦画1本分、あるいは余裕でそれを超えるぐらいの予算を使っているんじゃないかしら。また、舞台は70年代なわけだけど、それなりにロケシーンが多いにもかかわらず、もう街は完全に70年代のにおいがするし、機械類(数千ページの「文書」をコピーするコピー機が超ドでかい70年代マシン!)だったり、ファッションだったり、いちいち金がかかっていると思う。故に本物感がすごいわけだが、本作に登場する人々の、実際の写真を先ほどいろいろWikiなどで観てみたところ、ちゃんと本人に似せてメイクもされてるんですね。ま、当たり前だけど、なんというかな……手抜きの一切ない徹底ぶりは、ほんとにSpielberg監督作品だったな、とわたしは感じた。そして音楽はもちろんJohn Williams御大で、安定のゴールデンコンビであったと思います。Spielberg監督ももう71歳だって。日本では数週間後に最新作『READY PLAYER ONE』の公開も迫っており、衰えることなく大変お盛んですな。80年代が青春だったおっさんのわたしとしては、これからも活躍を期待し、作品を楽しみたいと思う。

 というわけで、結論。
 実は特に理由もなくあまり観るつもりのなかった『The Post』(邦題:ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書)という映画を観てきたのだが、マスコミ嫌いのわたしには、The Washington Postの現場連中に対してはあまり魅かれるものは感じなかったものの、社長であるキャサリン・グラハム女史にはいたく感服したのである。それは恐らく、彼女の願いが私欲ではなく、大義に基づいているようにわたしには感じられたためで、大義に基づいた決断ができるTOPというのは、まさに将たる器がある人物だということなのではなかろうか。演じたMeryl Streepさんも、まあ見飽きた顔だけど、やっぱりお見事ですよ。もちろん映画なわけで、全部が事実だとは思えないし、かなり美化された部分もあるのは分かっているつもりだが、Merylさんの貫禄と説得力には脱帽すね。そしてわたしとしては、同じスタッフとキャストで、ぜひ「ウォーター・ゲート事件」の顛末も描いてもらいたいと強く感じた。ここで終わりかよ! とエンディングで思った方は少なくないと思います。そういう意味では、この映画は「前編」として、ぜひ続きが観たいすね。以上。

↓ 一応原作というか、キャサリンさん本人の回顧録もあります。まあ、そりゃあ美しくいいことしか書いてないんでしょうな、きっと。読んでみないとわからんす。

 わたしがDave Eggers氏なる小説家の作品『The Circle』を読んだのは、去年の12月のことで、その時このBlogにも散々書いたが、おっそろしく後味の悪い、実に気味の悪い作品であった。しかし、たぶん間違いなく、Eggers氏は確信犯であり、読者を不愉快にさせ、SNSなんぞで繋がってる、なんて言ってていいのかい? というある種の皮肉を企図している作品なので、その手腕はなかなかのものだと思った、がーーーいかんせん、物語に描かれたキャラクターがとにかく絶望的にひどくて、とりわけ主人公の女性、メイのキャラには嫌悪感しか抱かなかったのは、その時このBlogに書いた記事の通りである。
 ↓こちらが原作小説。あ、もう文庫になってら。映画合わせか。そりゃそうか。
ザ・サークル (上) (ハヤカワ文庫 NV エ 6-1)
デイヴ エガーズ
早川書房
2017-10-14

 というわけで、わたしがこの小説を読んだのは、この作品が映画化されることを知って興味を持ったためなのだが、その映画作品がようやく日本でも公開されたので、さっそく観てきた。
 ズバリ結論から言うと、映画版は小説のエッセンスを濃縮?というか、要するに短くまとめられており、雰囲気は非常に原作通りなのだが、結末はまったく違うもので、映画版はほんのちょっとだけ、すっきりすることができる仕上がりとなっていた。まあ、原作小説通りの結末だと、わたしのように不快に思う人がいると思ったからだろうか? わからんですが。しかし、なんか、うーん……そのせいで、若干中途半端であり、かつ、ある意味、本作の持ち味は相当薄れてしまったようにも思える。
 以下、いつも通りネタバレに触れる可能性が高いので、これから観に行く予定の人は読まないでください。つーかですね、わたしのBlogなんて読んでないで、原作小説をちゃんと読んだ方がいいすよ。

 さてと。えーと……今、ざっとWikiのこの映画のページを読んでみたのだが、ストーリーを記述した部分は……ちょっと違うんじゃね? と思える部分があるので、あまり信用しない方がいいと思う。わたしももう、ストーリーに関しては、さんざん小説版の記事で書いたので、もう書かない。以下に、原作とちょっとキャラの変わった二人の人物を簡単にまとめてみようと思う。
 ◆メイ:主人公。基本設定は小説版のまま変わってはいない、が、やはり、演じているのがハーマイオニーあるいはベル、でおなじみの元祖美少女Emma Watsonちゃんであるため、原作通りの頭の悪い女子を演じさせるのは難があったのだと邪推する。映画版のメイは、小説版よりほんの少しだけ、まともな人間になっていた。なお、小説版ではメイは何度かセックスシーンがあるが、映画版では一切ございません。別に期待したわけでは全くないけれど、メイのキャラクターを表す行動の一つだったので、その点でも映画版のメイは「まともな」人間に見えました。序盤は。わたしが印象的だったのは、かなり序盤で、入社1週間目にやって来る二人のイカレた男女に、結構露骨に嫌そうな顔をしていたシーンだ。その二人がどうイカレているかというと、メイは入社して1週間、頑張って仕事をしていたので、全く自分のプロフィールを編集したりする暇もなく、大量に寄せられるメッセージへの返事なんかも放置していたわけですよ。それを、「なんであなた、プロフィール公開しないの? え! カヤックが好きなの? なんだ、僕も好きなんだよ! それを知ってたら一緒に行けたのに!」とキモ男に言われるのだが、観ているわたしは、(なんでてめーと一緒に行かねえとならんのだこのボケが!)とか思っていたところ、Emmaちゃん演じるメイも、(……なんであんたと行かなきゃいけないのよ……)という顔を一瞬して、すぐに「ええ、ご、ごめんなさい、ちゃんとプロフィールも入力するわ」と慌ててつくろった笑顔を向けるという流れで、わたしはこのシーンにクスッとしてしまった。しかしこのシーンはこの物語を示すのに非常に象徴的であったとも思う。
 そしてラストに描かれる、「メイの元カレを探そう、イエーイ!」のコーナーも、小説版では極めて後味が悪く腹立たしいシーンだが、映画版でも実に気持ち悪く描かれていた。ここは原作通りなのだが、映画版ではこの事件をきっかけに、メイはまともな人間の反応を示す方向に行ったので、ここは物語が大きく原作と変わる重要ポイントとなっていた。そりゃそうだよ、映画版の反応は普通の、自然な反応だと思う。たぶん、小説版ではそれまでの出来事がかなりいっぱいあって、それらは映画版ではかなりカットされてしまったので、小説版のような反応をする説得力を持たせられなかったのではなかろうか。そのため、ごく自然な人間の反応を映画版は描かざるを得なかったように思う。そういう意味では、やっぱり映画版はかなりの短縮版だったと言えそうだ。
 ◆タイ:The Circleの創始者。会社経営のために雇ったCEOともう一人の重役の暴走を傍観するだけの役立たず、であり、小説版ではメイには正体を隠して仲良くなり、最後はごくあっさりメイに裏切られる愚か者、というキャラだったが、映画版では中盤? 前半?の段階でメイに正体を明かす。そしてキャラとしてもかなり変わっていたし、そもそも名前も変わっている。演じたのは、FN-2187ことフィンでおなじみのJohn Boyega君25歳。STAR WARSの”フィン”は確かに熱演だったと思うけれど、あれは元々が素人同然だから頑張ったと称賛できるわけで、はっきり言って、彼はまだ演技が全然だと思う。存在感が非常に薄く、物語的にもほぼ活躍しない。その結果、なぜタイはメイをこいつは使える、と見染めたのかもよくわからないし、エンディングも何となく、小説版のショッキング(?)なものではなく、若干のとってつけた感を感じた。
 とまあ、以上のように、小説がはらむ猛烈な毒はかなり薄まっているような気がする映画であった。小説版が猛毒なら、映画版は軽いアルコールぐらいな感じだとわたしには思えたのが結論であろうか。
 ただし、やっぱり映画という総合芸術の強みはその映像にあり、小説では脳内で想像するしかなかった「Circle」の各種サービスが鮮明な映像として提示されると、非常にリアルで、ありえそう、という実感が増していると思う。
 しかし思うのは、本当に現実の世はこの作品(小説・映画とも)で描かれる世界に近づいているのだろうという嫌な感覚だ。まあ、一企業のシステムに政府そのものが乗っかる、というのはあり得ないかもしれないけれど、現実に、納税とか公共サービスの支払いを既にYahooで支払えたりできるわけで、「あり得ない」が「あり得る」世界がやってきてしまうのも時間の問題なのかもしれない。わたしが願うのは、そうだなあ、あと30年だけ、そんな世界が来るのは待ってくれ。30年経ったらわたしはくたばっているだろうから、そのあとはもうどうでもお好きなように、知ったことかとトンズラしたいものであります。しっかし、メイにプロフィールを更新しろだのメッセージに返事しろ、コミュニティに参加しろ、なんて、「自由意志」よ、といいつつ「強制する」恐ろしい連中に対して、生理的嫌悪をいただかないとしたら、もうホントに終わりだろうな。おっかねえ世の中ですわ。
 あと、そういえばこの映画でわたしがとても痛感したのは、日本の国際的プレゼンスの失墜だ。本作では、主人公メイが透明化して以来、画面にさまざまな言語でコメントが現れるのだが、ロシア語や中国語、アラビア語なんかはかなり目立つのに、わたしが認識した範囲内では、日本語は一切現れなかった。とりわけ中国語が目立つわけで、なんというか、20年ぐらい前はこういう未来描写に日本語は必ずと言っていいほど現れてきたのに、残念ながらそんな世はもうとっくに過ぎ去ったんですな。実に淋しいすねえ……。
 というわけで、他のキャストや監督、脚本については特に思うことはないので終わりにするが、最後に、名優Tom Hanks氏演じたCEOと、メイの父親を演じたBill Paxton氏についてだけ記しておこう。
 本作映画版に置いて、Hanks氏演じたCEOは、結局は金の亡者(?)ともとれるキャラで破滅エンド(たぶん)を迎えたが、小説版ではもっと、本気で自分のやっていることがいいことだと信じて疑わない天然悪だったような気がする。そういう意味では小説版の方がタチが悪く、キャラ変したキャラの一人と言えそうだ。
 そして、Bill Paxton氏だ。彼と言えば、わたしが真っ先に思い出すのは、『ALIENS』でのハドソン上等兵役だろう。お調子者で文句ばかり言う彼が、最後に見せる男気が印象的な彼だ。Paxton氏は今年の2月に亡くなってしまい、エンドクレジットで、For Bill(ビルに捧ぐ)と出るので、本作が遺作だったようだ。享年61歳。まだお若いのに、大変残念であります。
 あ、あともう一人メモしておこう。主人公メイをサークルにリクルートする友人アニーを演じたのが、Karren Gillan嬢29歳。アニーのキャラは、ほぼほぼ原作通りであったが、演じたKarenさんは、わたしは観たことない顔だなーとか思っていたら、なんと、『Guardians of the Galaxy』の超危険な妹でおなじみのネビュラを演じた方だそうです。素顔は初めて見たような気もする。いや、初めてじゃないか、『The Big Short』にも出てたんだ。全然知らなかったわ。意外と背の高い彼女ですが、素顔は……うーん、まあ、わたしの趣味じゃないってことで。

 というわけで、またしても全くまとまりはないけれど結論。
 去年読んだ小説『The Circle』の映画版が公開になったので、さっそく観に行ったわたしである。その目的は、あの恐ろしく後味の悪い嫌な話が、映画になってどうなるんだろうか? という事の確認であったのだが、エンディングは全く変更されており、ほんの少し、まともな結末になっていたことを確認した。まあ、そりゃそうだろうな、といまさら思う。小説のままのエンディングだったら、相当見た人に不快感を与えるであろうことは想像に難くないわけで、映画という巨大な予算の動く事業においては、そこまでのチャレンジはできなかったんでしょうな、と現実的な理解はできた。それが妥当な理解なのか、全く根拠はありませんが。しかしそれでも、世はどんどんとこの作品で描かれる世界に近づきつつあり、小説版を読んだ時の感想と同じく、わたしとしてはその前にこの世とおさらばしたいな、と思います。切実に。長生きしていいことがあるとは、あんまり思えないすねえ……以上。

↓ どっちかというと、この作品で描かれる未来の方がわたし好みです。結構対照的のような気がする。こちらは完全なるファンタジーかつ、わたしのようなもてない男の望む世界、かも。
her/世界でひとつの彼女(字幕版)
ホアキン・フェニックス
2014-12-03




 先日読んで、このBlogでもレビューを書いた『The Circle』という小説がある。ま、詳しいことは過去の記事を読んでもらうとして、その内容は実に後味悪く、恐ろしい近未来を描いた作品だったが、作者は確信犯であり、あえてひどい近未来世界を描くことで、現代を皮肉っているのは間違いないわけで、その手腕はなかなかじゃないか、と大いに感じるものがあったのは確かだ。
 その、著者であるDave Eggers氏とは何者なんだろうと調べてみたら、同氏の別の作品が、映画化されると知って、へえ? と思い、 予告編をチェックしたところ、なかなか面白そうだったので、日本公開を待っていたのだが、今週からいよいよ公開となったので、さっそく劇場へ足を運んだ次第である。ちなみに、わたしが読んだ『The Circle』もEmma Watsonちゃん主演で映画化されるので、まあきっと売れっ子作家なんでしょうな。
 というわけで、わたしが今日見た映画のタイトルは、『A Hologram for the King』。「王様のためのホログラム」という直球の邦題がつけられている。そして観終った今、思うことは、まず第一に、予告から想像できる物語とはまるで違っていたな、ということと、正直なところ、それほど面白くはなかったかな、という2点である。というわけで、さっそく予告を観てみていただきたい。あ、いつも通りネタバレ全開ですので、以下を読む場合は自己責任でお願いします。

 どうですか? 上記予告はご覧いただけただろうか? 上記予告を観たら、誰だって、主人公は敏腕営業マンで、ホログラムを使った画期的な会議システムをアラブの王様に売りに来て、そのあまりのカルチャーギャップに苦戦しながらも、最終的には見事にプレゼンをこなし、契約を得て、やったぜ!! で終わる――的な物語を想像するのではなかろうか? 少なくともわたしはそう思っていたし、きっと、なっかなか会えない王様にようやく会えてかますプレゼンがクライマックスなのだろう、と勝手に思い込んでいた。
 が、しかし。本作は、正直それは全くもって二の次で、実のところまるで違う物語だったのである。まず、名優Tom Hanks氏演じる主人公のキャラからして、全く敏腕営業マンではなかった。彼は、もともとUS国内では超有名な自転車メーカーSCHWINNの取締役で、わたしのようなチャリンコ野郎なら誰もが知る通り、SCHWINNは、現在もブランドとしては残っているけど会社としてはとっくに倒産・買収されて消滅した会社である。
 主人公は、90年代(かな?)に、生産工場を中国に移して、US国内の工場を閉鎖に追いやった張本人で、実際のSCHWINN同様、会社を消滅させた男の一人で、しばらく無職暮らしをしてから、現在のとあるIT大企業に転職したという設定になっていて、経済的に苦しい立場にあり、そのこともあって離婚と相成り、娘の大学の学費を払えと元妻に迫られている状況だ。
 また、どうやら彼は、ある種の燃えつき症候群的な状況にあって、何もやる気が起きず体もだるく、アラブの王様へ最新ホログラムシステムを売って来い、という上司の命令にも、かなりやる気がない。なにやら、背中に脂肪種らしき瘤ができてしまっていて、なにもかもこの瘤のせいだ、とか抜かしている。わたしは正直、こういう過去の名声だけだったり、無能なくせにやる気の見えないおっさんが大嫌いなので、ズバリ言うと観ながらほぼずっと、イライラしていた。空気も読めないし、酔っぱらってほぼ毎日遅刻するし。なので、物語は遅々として進まない営業活動の傍らで、毎日を異文化で暮らす中年おやじ、いや初老オヤジだな、の毎日を追うだけ、とまとめてもあながち間違いではなかろう。
 そんな彼が、酔っぱらって背中の瘤にナイフを突き立てて、翌日背中が血まみれになり、病院へ行くことになるのだが、そこでのアラブ人女医との出会いが、ほんの少しだけ、彼をまとも(?)に変えていくというのがこの映画の本当のメイン部分だ。ただし、その出会いから、最終的にお互いが魅かれあう姿に発展する模様も、正直なんだかピンと来ない。そしてラストは、プレゼンは好評を博したものの、ライバルの中国企業に負けて契約は取れず、主人公はそのままサウジアラビアにとどまって、仲良くなった女医さんと共に暮らしながら、王族の専任営業マンに転職し、かつての生き生きしていた頃のように楽しく暮らすのでありました、おしまい。的なエンディングであった。わたしとしては、かなり、なんじゃそりゃ感が大きくて、若干唖然である。
 こんなお話の映画であったので、わたしは、きっとこれは、原作を相当はしょったんじゃねえかしら、と思った。主人公にはどうにも理解できない、ある種不条理な状況に巻き込まれ、遅々として物事が進まない様子は、わたしは観ながら、さながらカフカの『審判』とか『城』みたいなお話だな、と思っていたのだが、この映画の場合は、物事が進まないのは、アラブの独特の文化が原因というよりも、単に主人公がダメ人間な方に理由があるとも言えそうで、そんな点もわたしとしてはイライラの募る物語であった。
 ただ、主人公を案内するアラブの青年は非常にキャラが立っていて、演技ぶりも良くて大変気に入った。彼は、とある金持ちの人妻と仲良くなって、その金持ち男から命を狙われているという状況で、こちらの方がよっぽど面白い物語になるような気がしたが、結局ラストであっさり単に仲良くなっただけで決してやましいことはしていない、と金持ちと和解(?)したようなシーンが5秒ぐらいあるだけで、全然どうでもいい扱いにされてしまったのが残念だ。ちなみに演じたのはAlexander Black氏というNY生まれの青年らしいが、全然見たことがないのは主にTVで活躍しているかららしい。彼は大変良かったすね。
 そして主人公と恋仲になってゆく女医さんは、演技ぶりは堅実であったけれど、イマイチ背景がわからないままで、文化的な面もわかりづらく感じた。彼女は、現在離婚手続き中なんだそうだが、アラブ社会での離婚、と聞いただけで、そりゃあきっと大変なんだろうな、と想像できるし、実際作中でも大変だった、的なセリフがあるけれど、もうちょっと描いてくれないと全然ピンとこない。豪邸に住んでいるけどその豪邸は彼女のものになったのか、夫の家なのかもわからない。そういう細かい説明が省かれすぎてて、どうにも主人公と恋仲になる気持ちの動きもピンとこないし、最後までよく分からないままであったのは実に残念。これも、きっと原作小説にはきちんと描かれていると信じたい。演じたのはSarita Choudhuryさんという方で、London出身の英国人だそうですな。この方は、『HUNGER GAMES』のラスト2作に出てたみたいす。
 最後。監督はTom Tykwer氏という方だが、この方の前作はTom Hanks氏主演の『CLOUD ATLAS』だそうだ。でも、あの作品って、『MATRIX』シリーズでお馴染みのWachowski姉妹が監督じゃなかったっけ? ははあ、共同監督だったのか。たしか3時間ぐらいの長い映画だったけれど、あれはとても面白かった。そうだ、『CLOUD ATLAS』で思い出した。あの作品で、リアルBLシーンを演じた、若きQでお馴染みのBen Whishaw君が、本作でも出演してました。しかも、本社の開発担当者として、主人公が売ろうとしているホログラムでの出演w ま、友情出演的な扱いなんすかね。あまりのチョイ役ぶりにちょっと笑えました。

 というわけで、どうもまとまらないけれど結論。
 『A Hologram for the King』という映画は、その原作小説の著者であるDave Eggers氏に興味があるので観てみたわけだが、はっきり言ってイマイチであった。それは、主人公のキャラに共感できないのと、あとは、想像だが原作小説を相当はしょってんじゃねえかという各キャラの背景の薄さによるものである。うーん、だからと言って、原作小説を読むか、という気には今のところなれないなあ。まあ、Eggaer氏の『The Circle』の映画は期待して待ってます。以上。

↓ 一応原作が読みたくなった時のために貼っとくか。ひょっとしたら映画と全然違うのかもな。
王様のためのホログラム
デイヴ エガーズ
早川書房
2016-12-20

 はーーー。なんというか……超後味が悪い小説を読んでしまった。
 先日、わたしの愛用する電子書籍販売サイト「BOOK☆WALKER」にて還元率の高いフェアがあったので、何か面白そうな小説はねえかしら、と渉猟していた時、あ、これ、この前予告が公開されてた映画の原作じゃん? と思って買った作品がある。その映画は、主役にハーマイオニーでお馴染みの、そして来年の春には『Beauty and the Beast』のベルとしてきっとお馴染みになるであろうEmma Watsonちゃんを迎え、Tom Hanks氏も出るというので、へえ、と思ってチェックしていたのだが、どうやら原作小説があるということはそのとき知ったものの、愛する早川書房からとっくの昔に翻訳が出ていたことは知らなかった。なので、たまたま見かけたので、電子書籍で買って読み始めたわけである。
ザ・サークル
デイヴ エガーズ
早川書房
2015-01-29

 タイトルは『The Circle』。邦題もそのまま「ザ・サークル」である。とあるSNSをWeb上で提供しているIT巨大企業を舞台としたお話だ。こちらがその映画の予告編です。まだ日本語字幕はないっす。

 まずはごく簡単に物語を紹介しよう。ズバリ単純だ。ネタバレもあると思うので、気になる人は即刻立ち去るか、自己責任でお願いします。
 US西海岸――どうやらSan Franciscoのようだが――に、SNS「Circle」を運営する「Circle」という会社がある。主人公メイは大学時代の3つ年上の友人アニーが勤務する「Circle」に、コネで採用される。夢に見た素敵な会社に転職できてうれしくてたまらないメイ。そして、最初はカスタマーサポート部署に配属され、優秀な仕事ぶりで次第に認められていく。しかし、この会社及びSNSは、その巨大な資金力と技術力で、次々と新しいサービスを展開してゆき、ついにはそこら中にカメラを設置して誰でもどこでもライブ映像が見えるようになり、他にも、子供の誘拐防止のため、という名目で子供に電子チップを埋め込んだり、と暴走してゆき、とんでもない事態になっていく。そしてその中心に主人公メイが巻き込まれて(というか自ら進んで入り込んで)いき、狂気の事態に……てなお話である。
  わたしは、読みながら、そして読み終わった今も、実に腹立たしく気持ち悪い思いでいっぱいだ。はっきり言って、読まなきゃよかったとさえ思っている。実に不愉快な結末に、怒りの持って行きようがない。
 ただし、これは、確実に、作者による確信犯だ。作者は、あえて読者を怒らせ、不愉快にすることで警鐘を鳴らしていると解釈すべきだろう。間違いなく、この物語を肯定してほしいと思っていない。こうなるかもしれないから、SNSなんかで「繋がってる」とか言ってちゃ、ヤバいんじゃねえの? という問題提起として受け取るべきだろうと思う。 その問題提起には、わたしも全く同意なので、LINEのアカウントすら持っていない「繋がってない」わたしとしては、現代の世に溢れている「なんでも共有したがる」気味の悪い人々にはぜひ読んでもらいたいと思う作品であった。
 そういう意味で、主人公メイは、典型的な「意識高い系」女子そのものだ。気にするのは他人による評価だけであり、常に不安を抱え、深刻な精神疾患を患っているとしか思えない女子である。まず、彼女のプロフィールを簡単にまとめておこう。
 ◆出身はCiscoから車で2,3時間(?)ぐらい離れた、西海岸の田舎らしい。両親は健在だが、父はとある重病を患っている。元カレは地元でインテリア製造なんかをやっていて、それなりにデザインセンスはあるらしい。とっくに別れているが、両親と元カレは今でも仲がいいようだ。ちなみにメイは一人っ子。そして大学卒業後は、地元の電気水道局(?)で地味に働くも、周りのおっさんたちにうんざりしていて、「わたしが働く場所はここじゃない」と妄想していた。まあ、おっさんのわたしから言わせれば、そんな君の居場所なんてこの世のどこにもないよ、と申し上げておこう。
 ◆大学でアニーと出会う。アニーは金持ちの娘で思考も行動もブッ飛び系だが、妙に気が合う友として大学時代を共に過ごした。そしてメイは、何不自由ないアニーに対して、ずっと心の奥底で嫉妬している。そしてアニーが働く「Circle」に口利きしてもらって入社できることになり有頂天。「こここそあたしの働く場所よ」的な感じ。そしてその転職に両親も大喜び&鼻高々。これまたわたしに言わせれば、コネ採用で喜ばれてもなあ……と申し上げたい。
 ◆基本的に脊髄反射で生きている。貞操感覚ゼロ。好きでもない男と「淋しいから」余裕でSEXする。つーか、どこでもSEXする、ある意味性欲旺盛肉食女子。謎の男とトイレでヤッたり、元カレとはかつてグランドキャニオンの崖っぷちでヤッたこともある。まあ、確かにEmma Watsonちゃんとイイ感じになったら、愛はなくても断れねえっすね。なお、謎の男に関しては、登場3回目ぐらいでその正体の想像がつくのだが、物語的には最後の最後で正体が判明して、メイもその時初めて正体を知る。ちょっと考えればわかるので、全く驚きはなかったし、いまさら何やってんだコイツ、と思った。出てくるの遅すぎでもはや全て手遅れになって、最悪のエンディングで幕切れとなる。
 ◆基本的に自分がない。故に影響されやすい。実に愚か。この点がわたしは一番許せない。
 あーイカン。もうわたしはこういう女子が大っ嫌いなので、憎しみがこもってきてしまうのでこの辺にしておこう。たぶん、一番のポイントは、「想像力の欠如」だと思う。自らの行動がどのようなことをもたらすのか、がまるで意識に登らない(故に脊髄反射とわたしは評した)ので、考えが浅すぎるのが致命的だ。また、自分の狭い視野にしか思いがよらず、他者の気持ちや考えに想像が及ばない。この様相は、「自ら(の浅はかな考えで)閉じている」という意味においては、逆説的ではあるが、新種の自閉症と言っていいのではなかろうか。コミュニケーションが取れているようで、その実、全く成立していない。これは、現代のゆとりKIDSたちの特徴だと常々わたしは指摘しているが、経験のなさが問題ではなく、単に、「ごく近視眼的に浅~くしか考えてない」だけなんだと思う。そういう意味では、そこらにいっぱいいそうで実にリアル、ではあると思った。

 そして、何より恐ろしいのがCircleというSNS&会社そのものだ。わたしがゾッとしたというか、気持ちわりぃと思った点はいっぱいあるのだが、いくつか紹介しよう。
 ◆超ナーバスな気持ち悪い人々
 たぶん、一番最初の出来事は、メイがとあるコミュニティーからの誘いを放置していたところ、このコミュ主が、オレ、嫌われてるのかなあ、どう思う? もう人間不信だよ……みたいなクレームをメイの上司に突き付け、上司立会いの下で、メイ、君はひどいんじゃないか? いえいえ、ごめんなさい、そんなつもりはなかったの、と仲直りさせてそれをSNS上で和解宣言させる出来事だろう。回答を強要する「お優しい」世界。つねに100を望む、ほんの少しの拒絶も耐えられない、実にもろいハート。最悪ですね、ホント気持ち悪い。ちなみに、この回答の強要と、少数意見の排除はどんどんエスカレートしていきます。
 ◆「透明化」という名のプライバシーの放棄
 メイは、シーカヤックが好きなのだが、会社から「なんでその経験をみんなと共有しないの?体が不自由でカヤックなんてできない人にその体験を伝えないのは、むしろそういった体が不自由な人の楽しむ権利を奪ってると言えないか?そのために当社が開発した超高性能小型カメラがあるじゃないか!どうして使わないんだ!?」と言われ、ええ、そうですね、わたしが間違ってました、次からは必ずカメラを身に着けていきます、と約束しちゃう。
 さらに、メイは黙ってカヤックを借りて海に出て、帰ってきたところで全てがそのボート屋に設置されていたカメラで見られていたために、(無断借用で)逮捕されそうになる。そして翌日、会社でつるし上げられる。
 「どうしてそんなことをしたんだ」
 「……常連だし、誰も見てないからいいかなって……」
 「じゃあ、君はカメラにすべて写っていると知っていたら、あんなことはしなかったかい?」
 「……はい、そうですね、しなかったと思います」
 「ほらみろ、当社のカメラは犯罪防止につながるんだよ!」
 「そうですね。素晴らしいと思います。じゃあ、もうわたし、24時間カメラを身に着けます!」
 という展開になる。ここに至るには、既に政治家がどんどん24時間すべてを公開し始めたという背景もあって、「秘密は嘘。分かち合いは思いやり。プライバシーは盗み」と大勢の前で宣言する羽目になってしまう。この宣言は、実際に物語を読まないとピンと来ないかもしれないけれど、とにかく恐ろしい事態になり、わたしはこの時点で、本書を読むのをやめようとさえ思った。しかもメイは、その時本気でそう思っているからタチが悪いというか愚かしい。
 結局、物語はどんどんエスカレートして、完全に「プライバシーは悪」という風潮になっていく。風潮、という言葉じゃあ生ぬるいな、常識、あるいは当たり前のこと、というニュアンスかな。これはもはや、完全に「洗脳」と言っていいだろう。たとえば、メイはうっかり両親のエッチ現場を撮影してしまうのだが、周りのみんなは、「いやあ、エッチは誰でもする当たり前の行為なんだから、恥ずかしいことじゃないよ!」とあっさり丸め込まれて、確かにそうね、とその映像を普通に公開しちゃったりもする。極めてタチが悪いことに、耳障りのいい言葉ばかリで、明確に反論・反証・論破するためには、かなり高度な頭脳が必要な点であろうと思う。完全に誘導尋問であり、回答に気を付けないと、主人公メイのように、誰しも「アッハイ、そうすね」と答えてしまう危険性は極めて高いと言えるかもしれない。
 そしてCircleの会員数は10億を超え、世界中で、Circleのカメラで覗けない場所がほぼなくなっていく。そして極め付けが、メイの元カレ(彼は物語の中でほとんど唯一まともな考えで、Circleの危険性を訴え続けていたが、もはやどうにもならんと絶望し、山奥に隠棲していた)を探しだそう、いえーい的なイベントの標的とされてしまうくだりだ。そしてそのイベントはとんでもない悲劇に終わるのだが、メイは全く反省しないし危険性も認識しない。むしろ、Circleを拒否した元カレの罪だ、とさえ思うようになる。もう完全に狂ってますな。

 わたしは、この愚かな人間(たち)が最後はどんなひどい目に合うのか、出来れば自殺か殺されるか、そういう悲劇を期待することだけをモチベーションに最後まで読んでみたわけだが、ラストはもう本当に気分の悪い、いやーな終わり方であった。ホント最悪でした。
 ただ、幸いなことに、この物語のようなことが、実際に起こるかというと、おそらく現状では技術的な問題と法的な問題の両面から、NOであると言えそうだ。
 まず、簡単な技術面で言うと、おそらくカメラについてはバッテリーの問題が現状の技術では解決不能だろうと思う。その点の説明は一切ない。寝るときに充電していると仮定しても(そんな記述はないけど)、ペンダントサイズで、24時間365日駆動し、HD動画を通信し続けられる小型カメラは無理だ。そして、通信インフラの問題もあるだろうし(世界の10億台の高画質24時間365日ストリーミングを支えることはどう考えても無理では?自前衛星をもってしてもとても無理だと思う)、そして膨大なデータを処理するプロセッサ及びサーバー容量も、非現実的なのではないかと思う。ただ、これはわたしが無知なだけで、実は実現できるのかもしれないな。
 あと、ソフトウェア的な詳しい話は一切出てこないので、AIについては全く言及がないのも、物語を若干ライトなものにしているようにも思う。おそらく作中で描かれる各種サービスは、高度なAIに支えられているものと想像できるが、おそらくはそういった部分は全く人々に意識されることがないために、何も書かれていないんだろうと思う。でも、どうだろう、本作で描かれている各種サービスは実現できるのかなあ。よく分からんです。
 それに、そもそも完全実名でしか参加できないCircleというSNSサービスも、まあ、ちょっと無理でしょうなあ。どうやって実名&本人確認するのか、書いてあったかどうか、もうよく覚えてません。
 そして法的問題で言うと、これはまずありえなかろうと思う。元カレに起きた悲劇は、たぶん簡単に犯罪行為として刑事告発可能であろうし、裁判となれば有罪間違いなしではなかろうか。そしてプライバシーの問題でも、たぶん数多くの違法行為があるし、そもそもCircleの収入源である広告事業も、たぶん違法行為を前提にしていると言えそうだ。あくまで、現状の法においては、だけど。
 わたしは、Googleのサービスを様々に享受しているし、実際便利だと思ってる。けれど、ふと訪れたWebサイトで、勝手に自分の住んでいる街のマンションの広告が表示されたりするのは、正直ぞっとするし、amazonで「あなたにお勧め!」とか言われると、うるせーよ、と嫌悪感を感じてしまう。しかし、残念ながらというか恐ろしいというか、そう思う人間はどうやら圧倒的に少数派で、むしろ普通の人はそれを便利で有り難いと思ってさえいる。たぶん、この、わたしによるどうでもいいBlogにも、そういう機能はついているので、お前が言うなと怒られそうだけれど、実際、得体のしれない不気味な世の中ですわな。
 これはわたしとしては、ほぼ確信に近いのだが、この物語で描かれたような世界が現実のものとなったとしたら、おそらく、わたしはもう生きていたくないと願うと思う。もはやそんな世には何の未練もないし。絶望とともに死ぬだろうな。ちょっと想像すれば、それがどれだけ恐ろしいか、すぐわかることだと思うのだが、残念ながらメイにはその想像力は備わっていなかった。まさしく全体主義。物語の中で、メイたちは「完全な民主主義、全員参加の真の民主主義が実現した」と浮かれているのだが、ホント、狂ってるとしか言いようがない。そんな世には、わたしのようなおっさんに生きる場所はねえですよ。死ぬしかないでしょうな、もはや。NO Place for Old Man、ですよ。
 そして物語のエンディングで描かれた世界は、まさしくわたしが生きていない世だろう。まったくもってソーシャル乙。あっしはお先に失礼しまーす、とでもほざいて、さっさとわたしはあの世へ行くだろうな、と思った。まあ、どんな映画になるか、非常に楽しみです。

 というわけで、まとまらないしもう長いので結論。
 Dave Eggers氏による小説『The Circle』は、実に最悪な世界を描いた恐ろしい物語であった。もちろん、Eggers氏は、この物語を、警鐘として描いているはずだろうと思う。でも、ここまで極端ではないにしても、確実に世界はこの物語で描かれている世界に近づいているわけで、実にゾッとしますな。残念ながら、Eggers氏にも、わたしにも、この流れを変えることは出来ない。もはや流されるだけ、かもしれない。まあ、長生きはしたくないですな。この先いいことがあるとは、残念ながら思えないすね。たぶんこの小説は、読み終わって怒り狂うのが正しいというか、Eggers氏の望むリアクションだと思います。以上。

↓ この著者が、他にどんな作品を書いているのか、少しだけ興味があります。おっと?この作品もTom Hanks氏主演で映画化されてるんすね。読んでみようかしら……。
王様のためのホログラム (早川書房)
デイヴ エガーズ
早川書房
2016-12-31

↓こちらが予告です。なんか面白そうじゃん。これは観たいかも。

 普段わたしはいかにも教養ありげに、そしてクソ偉そうにこのBlogを書いているわけだが、実のところ結構苦手分野というか全然知らないことも多く、その度にせっせと勉強しているインチキ野郎である。そして、わたしが一番自分の性に合わないというか、どうもピンと来ないため、ほとんど知識として蓄積できていない分野が、イタリアのルネサンス期である。もちろんその歴史的背景などは興味深いし、宗教観などもそれなりに勉強したつもり、ではいる。けれど、どういうわけかイタリアのルネサンス期に関しては、あまり興味が持てないでいる。自分でも理由は良くわからない。多分食わず嫌いだと思うのだが、何なんだろう、あまりに巨人すぎるというか、天才文化で民衆から離れているように感じるからなのか(それが正しいのかどうかすら良く分かっていない)……。実際、わたしとしては宗教革命以降の16世紀以降の方が断然興味深い。
 というわけで、日ごろ海外翻訳ミステリーが大好きな男として周囲にはお馴染みのわたしなのに、2004年に日本でDan Brown氏による『The Da Vinci Code』が出版されたときは、全然読んでみたいと思わなかった。未だ自分の心理が良くわからないが、「ダ・ヴィンチ」と聞いて何故か敬遠してしまったらしい。そして続くシリーズも、当然(?)未読である。その結果、周りの人々にはこぞって、面白いから読め、つーか君が読んでいないなんて超意外!! とまで言われる始末であった。
 なので、映画化されたときも、それほど観たいとは思わなかったものの、M君が大絶賛で絶対に観るべきとうるさかったので、結局映画は観た。そして映画2作目の『Angels & Damons』も、一応観た。結論としては、もちろん面白かった、けれど、どうも良くわからない部分がいくつかあって(例えば、わたしは未だに『Da Vinci Code』で冒頭の人体図に模した死体の意味が良くわかっていない。ヒントを残すために瀕死の状態で素っ裸になってポーズをとって息絶えたってこと?)、絶賛とまではいかない感想であった。これはひとえに、わたしの理解力のなさに起因するものであって、作品の責任ではないと思う。全然勉強せずに観たわたしが悪い。
 というわけで、この度、映画版シリーズ第3弾『INFERNO』が公開されたわけだが、こんなテンションのわたしなので、今一つ超観たいぜ的なワクワク感はなく、いわば義務的に劇場へ向かったのであるが、本作は前2作に比べてかなりトリッキーな展開で、かなりワクワクドキドキ感は高かったものの、想像するに、おそらくは原作をかなり短縮・濃縮したものなのではないかという気がする。おまけに、わたしは情けないことに、Dante の『神曲』も、3回挑戦して3回とも最後まで読めずに挫折したダメ人間なので、実際、若干良くわからないところが残るという、これまでの2作と同じような感想を持つに至った。うーん、やっぱり原作未読だとキツイのかも? そして、これはどうでもいいことですが、原作的には『INFERNO』は、ラングトン教授シリーズ第4弾で、3作目の『The Lost Symbol』を飛ばしての映画化である。原作読んでないので、その飛ばした理由は全然知りません。映像化すると途方もなく金がかかりそう、とかそういうことなのかしら?

 というわけで、今回もラングトン教授inイタリア、である。物語の大筋は、上記予告の通りである。わたしはちょっと勘違いしていて、今回は謎のウィルス(上記予告では「菌」という字幕だけど、ウィルスだと思うのだが……)を巡る争奪戦なのかな、と思って劇場に向かったわけだが、実のところ争奪戦というよりも、既に今回の事件の首謀者は死んでおり、首謀者がどこかに仕掛けたウィルスを探し当てる、いわば宝探しゲームであった。全然宝じゃないけど。
 そして今回は、肝心のラングトン教授が、病院で目を覚ますところから物語は始まる。自分はアメリカにいると思っている教授は、目を覚まし、窓の外を見ると、まぎれもないフィレンツェの街並み。あれっ!? オレ、なんでフィレンツェにいるんだっけ? と、どうも記憶にない。おまけに頭に傷を負っている。聞けば銃撃の痕らしい。おまけに冒頭から、病院には謎の刺客が現れて銃をぶっ放してくる。ナンデ? 一体何が!? という状況からのスタートだ。 そして病院の女医さんを相棒に病院を脱出し、謎の「地獄絵図」の幻視に悩まされながら、段々と記憶を取り戻しつつ、謎のウィルスの仕掛けられた場所へと迫っていく――というのがお話の大筋である。
 なので、ポイントは、一体なぜ、ラングトン教授はフィレンツェにいたのか、なぜ命を狙われているのか、そして、ラングトン教授をフィレンツェに派遣したのはどの勢力なのか、ということになる。
 今回は、ラングトン教授と同じように、ウィルスを確保しようとする勢力がいくつかあって、金のために確保しようとしている(ように見える)連中、そしてウィルス拡散を防ぎたいWHOチームがラングトン教授を追いかけてくる。そしてラングトン教授は、いつもの超博識な頭脳でピンチを切りぬけ、核心に迫っていくわけだが、結局この映画は、その博識さが一番の観どころになってしまっているように感じられた。
 なので、肝心の、首謀者の主張である人類半減計画(正確には人口半減計画)が、どうにも薄っぺらに感じられる。首謀者の主張は、このまま人類の人口が増え続ければやがて地球は破滅に至る、だから今、勇気をもって半分にしちゃおう、という中2病めいたもので、ある意味、シャア的な、いろいろな作品でお馴染みのものだ(そしてどうやら、ウィルスの正体については原作と違うみたい(?)。おまけにエンディングも全然違うらしい)。なので、わたし個人としては、その主張に、実はある程度賛同できるのだが、やはり常識的に考えればどうにも軽い。そして、どう考えても回りくどい。まるで阻止されることを願っているようかのな回りくどさが、わたしにはどうもピンと来なかった。さっさと実行しちゃえばよかったのに。そしてこれはどうでもいいけれど、WHOがあんな重武装の戦闘部隊を保有しているのもわたしは全く知らなかった。アレって、本当に実在するんだろうか? どうなんだろう……まあ、存在するんだろうな、きっと。
 というわけで、結局本作も、わたしとしては「きっと原作読んだらもっと面白いんだろーなー……」という感想しか持ちえず、であった。
 ただし、いつも通り、映像は完全に本物ぞろいで、その点の観ごたえは十分以上の迫力である。まあそれが映画の醍醐味なんでしょうな。すっげえところでよく撮影出来たなー、と思うようなショット満載である。しかし、いつもこういう映画を観ると思うのだけど、イタリアの美術館や博物館や世界遺産的なところって、あんなにも警備がザルなものなのだろうか? あまりに楽勝すぎて、ホント心配になる。日本でもあんなに簡単に「関係者以外お断り」の場所に忍び込めるものなんですかね? やってみたことないし、わざわざやってみたいとも思わないけれど、ラングトン教授が博識で、そこら中の抜け穴や出口に詳しいのはいいとしても、潜入が楽勝すぎてびっくりしました。欧米人よ……もうチョイ、仕事熱心&セキュリティ万全な方がいいと思うな……。

 で。役者陣は相変わらず豪華というか、見事な演技者ぞろいである。
 もう主役のラングトン教授を演じたTom Hanks氏はもう何も書かなくてもいいすよね? ホントにまあ、相変わらずの大活躍ですな。先日の『SULLY(邦題:ハドソン川の奇跡)』では来日したそうですが、うちの会社の近所の蕎麦屋に来たそうで、一度生Hanks氏と出会ってみたいものです。この人、身長どのくらいなんでしょう? 結構デカいすよね? あ、Wikiに書いてあった。185cmか。やっぱデケエすね。
 そして今回わたしが、実のところこの映画を観に行った最大の動機でもあるのが、教授とともに逃げる女医さんを演じたFelicity Jones嬢33歳を観ることでした。もう皆さんご存知の通り、公開が1か月後に迫った『ROUGE ONE―Star Wars Story』で主役の「ジン」を演じるのが彼女なわけで、わたしは彼女の顔は『The Theory of Everything』の時しか思い出せないので、今回じっくり観て見たかったのです。オックスフォード出身の才媛ですな。前もどこかで書きましたが、まず声が大変可愛らしいと思う。そして、今回じっくり見て、わたしは彼女の、若干出っ歯気味な、リスっぽいデカイ前歯が大変気に入りました。実に可愛いすね。ええ、わたしはそういう、変態じみた視点で女性を観察する男なので、口を閉じているのにチラッと覗く前歯にわたしはもう大興奮ですよ。変態でサーセン。
 ほかには、事件の首謀者の大富豪を演じたのがBen Forster氏36歳。この方の顔を見て、わたしが真っ先に思い出したのは、『X-MEN:Last Stand』で演じたミュータント、エンジェルすね。あの時と比べると、当たり前だけど若干歳を取りましたな。それから、この人が一番カッコイイのはやっぱり『LONE SURVIVOR』のアクセルソン兵曹の役じゃなかろうか。もの凄く悲しいけど壮絶にカッコ良かったすね……。若干チャラ目の言動ながら、最後まで立派でした。おっと!? マジか! わたしは観ていない映画なんだけど、『疑惑のチャンピオン』でLance Armstrong役を演じたのが彼なんだ。そうかーーー。自転車ロードレース好きとしては超観たかったんだけどなあ……。WOWOW放送を待つか……。
 あと二人。WHOフランス支局員の怪しい男を演じたのがOmar Sy氏38歳。彼で一番有名なのは、もちろん出世作の『Intouchables』。日本語タイトル「最強のふたり」は日本でも大ヒットしましたね。そして非常に面白かった映画です。ちなみに彼も、『X-MEN』でミュータントを演じてますが、アレはちょっと能力的に微妙だったすね。ほかにも、ずっと前にこのBlogでレビューを書いた『Good People』だとか、『JURASSIC WORLD』なんかにも出てましたな。結構活躍中です。
 ラストに紹介するのは、今回謎の組織を率いて教授を追う男を演じたIrrfan Khan氏49歳。49歳!? なんだよ、わたしよりチョイ上なだけじゃん。もっと全然年上かと思ってた。この方はインドの方ですが、特徴的な顔なので、わたしが真っ先に思い出したのはやっぱり『Slumdog Millionaire』の警部すね。そしてこの方も、『JURASSIC WORLD』に出てましたな。役名は忘れたけれど、パークの社長(?)で、社長なのに意味なく自らヘリで討伐隊に出発して、あえなくプテラノドン(だっけ?)の群れに遭遇して撃墜される、良くわからない最期を迎えたあの人、すね。今回彼が演じたキャラクターが、非常に怪しく、いい人なのか悪者なのか、というのも物語のキーになってます。
 そして、監督はシリーズ3作すべてを撮っているRon Howard氏62歳。今年の初めに観た『In The Heart of Sea』もそうだったけれど、実に堅実というか、職人的な監督ですな。とりわけ凄いと思わせずに、実はかなり凄い映像を本物のように撮る監督、とわたしは思っています。例えば今回の、教授がフラッシュバックで時折見ることになる「地獄絵図」の映像は、アレは何気に凄く金もかかってるしエキストラも考えたら相当大規模な撮影だったんじゃなかろうか。そういうのをまったくメインストーリじゃないところでチラッとしか使わないのに、きちんと撮っているのは流石だなあと変なところでグッときました。あと、そうだ、本作の音楽を担当しているのはHans Zimmer氏58歳でした。58歳で若手というのはアレですが、現在の映画音楽作家の中では、若手ナンバーワンでしょうな。特徴的な重低音の不協和音のようなな使い方(うまく表現できない!)は今回ももちろんあります。
 
 はー。いい加減長いので、ぶった切りですが結論。
 ラングトン教授映画シリーズ第3弾『INFERNO』を観たが、やはり、どうも原作の方が面白いんじゃないかしら、という気がしてならない。また、ひょっとしたら原作を読んだ方は、超絶賛する人と、原作の持ち味が薄れていると怒る人と、二分されるような気もする。単純に映画としてどうだったか、と聞かれると、十分面白かったと言うにやぶさかではないけれど、どうなんだろう、人類半減計画(人口半減計画)って……日本のアニメや漫画ではまったくもってありがちというか、おなじみだからなあ……それならもうチョイ、計画は単純にして実行できたんじゃね? と思ってしまいました。まあ要するに、そこまで首謀者は絶望していたわけではなく、人類の愛ゆえに計画し、そして愛によって倒されたかったということかもしれないですな。ラオウ様的に。いろいろ解釈は許容されると思います。以上。

↓ これは4回挑戦して4回目でようやく読了できた、とわたしの25年前の日記に書いてあった。どうも読みにくく、コイツのせいでルネサンス期のイタリアが苦手になったような気がしてならない……。
デカメロン
ボッカッチョ
河出書房新社
2012-10-11

 

 Clint Eastwood監督は、たぶん現役の映画監督でわたしが一番好きな監督であり、もちろん役者としても大好きで、おそらくわたしは、監督作品も出演作品も、すべての作品を観ていると思う。わたしが映画野郎になった80年代初めごろから、とっくに活躍していたし、その頃からすでに監督もやっていて、もちろんすべての作品を観ていると言っても当然すべてを劇場で観たわけではなく、80年代以前の作品は全部TV放送での視聴だ。
 まあ、いかにおっさんのわたしとはいえ、年齢的に当たり前といえば当たり前だが、それ故に、わたしはEastwood氏の声といえば、もちろんのことながら山田康雄さんの吹き替えもかなり好きである。高校生の頃は、TVでEastwood氏の映画が放送された翌日は、「いやーやっぱり『不機嫌なルパン』は最高だな」と友達と話したものだ。説明しなくてもわかるよね? 長年ルパンの声でおなじみの山田康雄さんがEastwood氏の声を演じると、妙に不機嫌でおっかないルパンになるわけだ。特に『Unfogiven』では、わたしは劇場に3回観に行ったほどだが、後年、DVDを発売日に買って、さっそく観たときはあえて山田Eastwoodで観たわけで、本当に最高にしびれるカッコ良さだったことが忘れられない。ああ、山田Eastwoodの声で『Gran Torino』や『Million Dollar Baby』が観たかった……。
 ま、そんなことはともかく、Eastwood氏の監督作品の中で、わたしは『Unfogiven』(邦題:許されざる者)、『Million Dollar Baby』『American Sniper』の3本がとりわけ大好きである。 Eastwood作品ならもう、絶対に観に行くのは確実なわけで、先週公開になった最新作『SULLY』(邦題:ハドソン川の奇跡)もさっそく昨日の帰りに観てきた。ホントは初日に行くつもりが、風邪でぶっ倒れてたのです……情けなし。

  この映画は、もはや説明するまでもなく、実話ベースのお話である。2009年1月15日15:30頃に起きた、USエアウェイズ1549便不時着水事故である。くわしくは、←のリンクにWikiのページを貼っといたのでそちらを見てもらうとして、この事故は日本でも大きく報道されたので、世界的にも有名であろう。
 映画の中でも何度も出てくるが、NYのラガーディア空港を離陸して、ハドソン川に不時着するまで、わずか208秒。たった3分チョイのことだ。その曲芸的なハドソン川への不時着水は、乗客155人全員生還したことからも奇跡とも言われているわけだが、この映画の視点は非常に客観的というか、機長であるChesley Sullenberger氏、通称Sullyさんをヒーローとして描くのではなく、熟練したプロのパイロットして描くことで、事件の全貌を観客に提示してくれるものだ。もちろん、結果的にSully氏は凄いことをしたヒーローなわけで、世論的にも大変な英雄として扱われたのだが、上記予告のように、機長は審問にかけられることになる。
 これは冷静に考えれば当然の話で、1機10億円する航空機(エアバスA320)がおしゃかになってしまったら、そりゃあ、事故の原因がバードストライクと明らかであろうと、「なんとかラガーディア空港に引き返せなかったのか?」と思うのは、その経済的損失の額からすれば、ビジネスの世界では当然突っ込まれることだろうと思う。
 この、「引き返すことは無理だったのか? ハドソン川に不時着するしか方法はなかったのか?」が、この映画の最大のポイントとなる。
 主人公、Sully機長は、当然、それしかなかったと思っている。いや、ひょっとすると、それしかなかった、と「思いたがっている」のかもしれない。なにしろ、一歩間違えば、自分を含め155人が死んでいてもおかしくなかったし、地理的に言えばマンハッタンに突っ込んで2次被害ももっと拡大していたかもしれない。そんなウルトラ大ピンチを切り抜けた直後なんだから、精神的なショックも大きい。ふと外を見れば、マンハッタンに墜落する最悪の事態の幻視に悩まされてしまうほどだ。おまけに、事故調査の連中は、「いやー、コンピューターシミュレーションではラガーディアに戻れたって結果でしたよ」なんて平気で言う。なんでも、データによれば片側のエンジンはラガーディアへ戻る推力を出せたかも、らしいのだ。ちょっと待ってくれよ、じゃあ10億を鉄くずにしちまった俺が悪いっつーのか!? こんな緊張感というかストレスも重なり、おそらくはアドレナリン全開でピンチを切り抜けた直後の機長としては、普通の人なら精神ズタボロだろうと思う。
 しかし、そんな二重の大ピンチを、Sully機長は、冷静に、ありのままの事実を述べて、それしかなかった奇跡を証明する。おそらく、真に機長が英雄なのはその態度だろうと思う。プロとしての矜持、プロとしての判断力と技能が、彼を英雄にしたんじゃなかろうか。
 そんなSully機長を演じたのは、わたしがあまり好きではないTom Hanks氏だ。どうだろう、Eastwood氏の作品に出演するのは初めてじゃないかな? わたしがHanks氏をあまり好きではない理由は、どの映画を見てもいつも同じだからなのだが、うーーん、やっぱり上手いとしか言いようがないな。わたしがHanks氏の主演作で一番好きなのは、『Cast Away』なのだが、なんだかんだ言ってほとんどの作品を観ているし、いつもやっぱり上手いと思ってしまうわけで、わたしのHanks氏評はどうも単なるイチャモンに過ぎないような気もする。安定感抜群だもんね、やっぱり。今回も非常に、どうみてもTom Hanksなんだけど、やっぱり良かったっす。
 役者としては、あと副機長を演じたAaron Eckhart氏ぐらいだろうか、メジャーどころは。彼は、ずっと機長を、「大丈夫大丈夫、あなたは英雄ですよ」と励まし続けてくれる良き相棒なわけだが、若干自信がないような、微妙な心情も感じられて、その感情のある種のビビり具合?が絶妙でとてもよかったと思います。この人、わたしよりちょっと年上なだけなんだよな……今回はやけに老けて見えましたね。あの髭のせいか?
 そして監督のEastwood氏だが、Eastwood作品の特徴である「独特の色調」は今回は抑え目というか、画的には意外と普通だったような気がする。いつもは、カラーなのにモノクロめいた色調の薄い乾いた画が多いと思うけれど、今回は割合普通だったかも。IMAXカメラのせいかな? よくわからんです。しかしEastwood監督もCGを躊躇なく使ってますね。わたしは全然悪いことだと思わない。むしろ最新技術をバンバン使うおじいちゃんとして、Eastwood崇拝はますます高まるばかりですな。たぶん、ハドソン川不時着~救助のくだりはCGでしょう。つか、ロケなんて無理だし。それでも、まったくCG感はなく、本物そのものにしか見えないのはさすがのクオリティです。
 それから、Eastwood作品として、ひょっとしたら最大の特徴である音楽については、今回はEastwood監督による曲ではなかったけれど、Sully機長が奥さんと電話で話す時だけ、ピアノの曲が入る、という使い方をしていて、ここは非常にわたし的には重要に思えた。あくまで奥さんと話す時だけ、機長の感情が表されているようで、実にピンポイントな美しい音楽使用法だったように思う。そして、エンドクレジットでは、本物のSully機長と事故当時の乗客たちが出てくるのだが、わたしとしてはちょっと驚いたことに、この時の曲に、ボーカルがついているのです。そしてもちろんその曲はEastwood監督による作曲だったみたい。作詞もなのかな? クレジットでは、
 Flying Home (Theme from "Sully")
 Written by Clint Eastwood, Tierney Sutton and J.B. Eckl
 Performed by The Tierney Sutton Band
 と、なってたのだが、歌ってるのはTierney Suttonさんであるのは間違いないんだけど、writtenって、曲のことか詩のことかわかんねえ。ま、いずれにせよ、大変良い曲でしたよ。

 というわけで、結論。
 現役映画監督でわたしが最も好きなClint Eastwood監督。その最新作『SULLY』は、カメラは非常に客観的な、ありのままを映し出すというとてもEastwood的な作品であった。別にすげえ感動した、泣けたわ、という作品ではないけれど、実に、ある意味冷徹な、プロの仕事をみせられた思いであります。御年86歳。もう、マジで100歳まですげえ映画を撮り続けてください。たぶん、ずっとファンでい続けると思います。以上。

↓ 初めて劇場で観たとき、エンドクレジットの美しい風景と美しいギターソロの曲に涙腺が緩み、師匠である「セルジオ・レオーネドン・シーゲルに捧ぐ」と一番最後に出たとき号泣した。ウルトラ・大傑作。山田康雄Eastwoodの頂点。
許されざる者 [Blu-ray]
クリント・イーストウッド
ワーナー・ホーム・ビデオ
2010-04-21

↓ 初めて劇場で観たとき、主人公が、愛弟子の女子にそっと「モ・クシュラ」の意味を伝えたときに号泣した。こちらも超・ウルトラ・大傑作。音楽も素晴らしい。
ミリオンダラー・ベイビー (字幕版)
クリント・イーストウッド
2013-11-26


 

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