「このうえもなく美しく、このうえもなく不幸なひと、キャロル」
 わたしとしては、近年まれにみる、美しくて素晴らしいキャッチコピーだと思う。加えて、去年観た『The Monuments Men』 において、突如Cate Blanchett様の美しさに目覚め、それまで何本もCate様主演作を見ているのに、なんて綺麗な人なんだということを今更ながら認識していたため、わたしとしては非常にこの映画の公開を待ち遠しく思っていた。
 ので、さっそく観てきた『CAROL』。US国内では、MetacriticRotten Tomatoesなどの格付けサイトでも軒並み非常に高い評価がされており、その期待を裏切らない、素晴らしい演技と美しさで、わたしはもう大満足&大興奮である。

 恐らく、上記予告を観ても、どんな物語なのか想像が付きにくいと思う。ある意味予告通りの物語だし、一方ではまったくこの予告では物語が描かれていないとも言えるだろう。わたしも、一度物語のあらすじを書いてみたのだが、やっぱりここには記さないことにした。何故なら、ネタバレとかそういう意味ではなくて、文字で物語の流れを書くと、実につまらなそうなまとめになってしまうからだ。ただ、この作品の舞台となる時代と、原作小説の書かれた時期が同じだということは、注目に値する。この作品は、『見知らぬ乗客』『太陽がいっぱい(別名『リプリー』)』などのサスペンス・ミステリー系小説で有名な、Patricia Highsmith女史による小説が原作で、書かれたのは1952年、物語の舞台と全く同じである。日本で換算すれば昭和27年という戦後間もない時期に描かれた作品であることを考えると、当時はおそらくセンセーショナルだっただろうし、今の我々が読んでも、この物語の現代性にはかなり驚くと思う。しかし、現代人の感覚からすると、やっぱり物語としては出来事自体はそう目新しいものではなく、それほど面白そうだとは思えないかもしれない、と、自分でストーリーをまとめてみて良くわかった。

 では何がわたしをしてこの映画は素晴らしいと思わせたか。
 それはやはり、キャラクターと、そのキャラクターを演じた女優陣の演技がお見事だったからであろうと思う。何度かここで書いたような気がするが、映画や小説において最も重要なのは、わたしはやはりキャラクターであると思う。描かれているキャラクターを好きになれるかどうか、が、その作品に対する好悪の決定的なポイントとなるはずだ。その点において、わたしはこの映画で描かれた二人の主人公、キャロルとテレーズの二人にもうぞっこんである。
 まず、キャロルのように、「心に従って生きる」ことを旨とする、強くて、たまに弱い女性に出会ったら、完璧に惚れてしまうだろうと思う。キャロルは現代用語でいうところの「バイセクシャル」であり、当時の社会風俗からすればかなりとんでもない存在であろう。しかし、「そんなの知ったことか」と強く見える一方で、どうしてもそういう社会の眼に勝てず、愛する娘の養育権を手放さなくてはならない事態を前にしては、嘆き悲しむ弱さを見せる。わたしとしては、そりゃあそうだよ。だって人間だもの。と、みつお風に思わざるを得ないわけで、わたしはそのような、強くて弱い女性を見かけると、とても放っておけない気持ちになる。そんなキャロルを演じたCate Branchett様の演技は完璧だったと思います。本当に素晴らしかった。
  一方、キャロルに一目ぼれしてしまうテレーズといううら若き女子を演じたRooney Mara嬢も、実にお見事だった。わたしにとって彼女は、どうしても『The Girl with the Dragon Tatoo』のリスベット役が忘れられないが、どうもいつもあまり笑わない役が多いような気がする。そんな彼女が今回、たまーに見せる、ちょっと幸薄そうで、恥ずかしがるような笑顔は絶品であったと記録に残しておきたい。わたしはテレーズにも惚れました。
 テレーズがキャロルに視たのは、おそらくは「こうなりたい自分像」だろう。地味だし日々迷っているし何よりもまだ先がまったく真っ白なテレーズ。キャロルは、自分とは正反対のテレーズを「My Angel, flung out of space」と呼ぶ。「宇宙から放り出された、わたしの天使」。既に母親であるキャロルには、最愛の娘がそのまま大人になったような、愛さずにはいられない、宇宙から放り出された一人ぼっちの女の子と見えたのだろう。この相思相愛の関係は、他人からどんな目で見られようと、もはや分かつことのできないもので、わたしは今回のエンディングは、非常に良かったと思う。パンフレットによれば、監督は決してこの作品をバットエンドに撮りたくなかったそうで、良かった良かった、で、この後はどうなるんだ? という終わり方にしたかったそうだ。その意図は、見事に表現できていると思う。
 また、今回の映画で、わたしが画として、お、これは、と思った点が二つある。一つは画の質感の問題。今回は非常に柔らかさと粗さの混ざったような、現代の超高画質時代には珍しい画になっている。どうやら、撮影はコダックのスーパー16フィルムで撮影したようだ。それをアップコンバートしているらしい。それが全編なのか、ポイントだけなのか分からないが、時代を感じさせる画作りは物語の空気感をよく反映していると思う。もう一つは、この作品では非常に「手」の動きをとらえた画が多いように感じた点だ。しかもそれがとても効果的で、「手」の動きに非常に感情が込められているように思った。こういった手先までの動きの美しさは、とりわけ舞台役者やダンサーで重要だとわたしはいつも思っているが、映画でここまで「手」を意識した演技と演出を観るのは珍しいように思う。特に、ラスト近くでのキャロルとテレーズの「手」の演技に、是非とも注目していただきたいと思う。監督Todd Haynes氏の作品を観るのは、わたしは今回が初めてだが、非常に技巧派のように感じられた。ちょっと過去作もチェックしてみたいと思った。
  ところで。男同士の関係を描いた映画で、『Brokeback Mountain』という傑作がある。まあ正直、男のわたしから見ると、ええーー!? ヤっちゃうんだ!? と激しく衝撃的でドン引きしてしまったのが現実だが、直接的な男同士SEX描写がなければ、わたしとしては万人にお勧めしたい映画である。アレはちょっとマジ衝撃的なのであまり万人にお勧めしていいのか自信がないのだが、今回の『CAROL』にも、女性同士の直接的描写がズバリ出てくる。しかし、なんでなんだろう、非常に美しく、全く普通に受け入れられたのは、わたしが男だからなのか?? 女性が観たらまた全く違うことを思うのかもしれないので、一応、そんなシーンがあることだけはお伝えしておきます。

  ……あーあ、やっぱり上手くまとまらない。実は今回、この記事を書くのに何度も書き直したり、順番を変えたりしているのだが、全然うまくいかない……。このBLOGを初めて早半年。今回、これまでで最も時間がかかってしまった。なんでだろうな……この『CAROL』という映画、わたしは非常に素晴らしいと思うのに、その素晴らしさを上手に伝えることができない。それほど複雑な話じゃないし、うーん、要するにこれはアレか、あまりにわたしの心に響くものが多すぎて、まだわたしの頭の中でまとまってないという事か。難しいのう。いずれにしても、わたしとしては、一人でも多くの方が、この映画『CAROL』を劇場に観に行っていただけることを祈ってやみません。

 というわけで、結論。
 映画『CAROL』は、このうえなく美しく、このうえなく切ない素敵なお話です。
 今回のアカデミー賞で、主演女優賞と助演女優賞の両方にノミネートされた二人の愛の物語を、ぜひ劇場で堪能してください。わたしは本当に素晴らしいと感じました。今年暫定2位です。
 ※1位はまだ『The Martian』かな。

↓ 以前も紹介した原作小説。Highsmith女史の作品で唯一日本語訳されてなかったそうで、今回の映画に合わせての発売です。初版時のタイトルは『The Price of Salt』。実際これを書いた時のHighsmithさんは、テレーズのようにデパートでバイトしていたそうですよ。
キャロル (河出文庫)
パトリシア ハイスミス
河出書房新社
2015-12-08