この年末、わたしはせっせとHDDにたまっている未視聴の映画(主にWOWOWで録画)を観ていたわけだが、まあ、残念ながらハズレが多くこのBlogに書くネタとしてはちょっとなあ……と思うような作品が多かったのだが、読書の方は、結局1冊しか読まなかった。
その1冊とは、買ったのは2週間ぐらい前なのだが、発売をずっと楽しみにしていたコイツであります。なお、紙の本ではもう数年前にとっくに出ていた作品なので、正確に言うと、電子化されるのを待ってたわけです。
去年2016年に、わたしをとても楽しませてくれた上橋菜穂子先生による「守り人」シリーズの番外編第2巻、『炎路を行く者』である。本編は既にちょっと前にこのBlogで書いた『天と地の守り人』で美しく完結しているが、この番外編は2つの中編から成っていて、一つはタルシュ帝国の密偵であり、元ヨゴ皇国民であったヒュウゴの幼き頃のお話であり、もう一つは、シリーズの主人公バルサの15歳当時のお話であった。
まず、ヒュウゴを主人公とした中編「炎路の旅人」は、なぜヒュウゴが自らの故国を攻め滅ぼしたタルシュ帝国の密偵となる道を選んだのか、が語られる、なかなか泣かせるお話でありました。このお話によると、ヒュウゴは元々ヨゴ皇国内における帝の親衛隊「帝の盾」の家系であり、いわば裕福層の武人家庭に育ったお坊ちゃんだったのだが、タルシュ帝国の侵略により、ヨゴ皇国は吸収併合され、枝国となる。その際、タルシュ帝国は、一般のヨゴ皇国民の生命は保証する代わり、後の復讐を抑えるため、軍人(=武人)階級のみ、一切の例外なく粛清する。その粛清の嵐の中、ヒュウゴは母と妹とともに逃げる際、自分一人だけ助かってしまい、落ち伸びると。で、瀕死のところをとある少女に助けられ、なんとか少年時代を過ごすのだが、その少年時代は常に虚しさを抱えたものであり、街の悪ガキとなってヤクザ予備軍として顔役的な存在までのし上がっていた頃に、自らも別の枝国出身であるタルシュの密偵と出会い、その男の話を聞いて心が揺らぐという展開である。
曰く、彼もまたタルシュに征服された国の出身なので、ヒュウゴから見たら卑怯な男に見えるかもしれない。しかし「<帝の盾>の息子殿にはとうてい許せぬ、やわな忠誠心だろう。え? 卑劣な風見鶏に見えるか? いいや、おれは石よりも硬い忠誠心を持っているよ。仕えているいる相手への忠誠心じゃないがな。おれは、自分に忠誠を誓っている。――それは決して揺るがぬ。殺されてもな。」
いやはや、大変カッコイイセリフだと思う。
つまりこの密偵は、「自分の目で世界を見極めろ」という話をしているわけで、彼の言葉をきっかけに、ヒュウゴは自らの狭い視野に映っていた小さな世界からの脱出を決意するわけだ。それは、それまでヒュウゴがまったく考えていなかったものであり、たとえばタルシュに併合されたことで、逆にヨゴ枝国の生活インフラがどんどん整っていったり、武人は殺されたのに帝本人はどうやら生きているらしい、といった現実など、様々な思惑の結果としての現在を改めて見つめ直すきっかけとなるわけで、この後のヒュウゴの活躍の基礎となる話なので、シリーズとしては結構重要なお話だと思いました。ヒュウゴがいなかったら、チャグムは故国を救えなかったし、そんな重要キャラの行動の動機を知ることができて、わたしは大満足です。ズバリ、面白かった。
そしてもう一本収録されているバルサの話「十五の我には」は、『天と地の守り人』でチャグムと別れる直前の夜に交わした会話をバルサが思い出し、もっと気の利いたことを言ってやればよかったと思いながら、自分がチャグムぐらいの時なんて、もっともっと幼かった……と回想するお話である。
『天と地の守り人』で、バルサとチャグムが別れる時に話していたのは、殺人を経験してしまったチャグムが、この苦しみはいつか心の折り合いをつけられるのか、それとも永劫に続くのか、と問うものであった。その時バルサは、その苦しみはなくならない、というよりもなくしちゃいけない、と答えた。その答えに自信のないバルサが、かつて自分にはジグロという素晴らしい先生がいたことを想い、自分はチャグムの心を支えてあげられたのだろうか……と想いながらかつての少女時代を思い出すという展開である。バルサの過去話というと、番外編第1巻『流れ行く者』でも語られたバルサの少女時代と重なっているお話で、当時、いかにジグロに守られていたか、そして厳しいながらもなんと幸せだったか、という感謝となつかしさ、そして、それをまるっきりわかってなかった自分に対する自嘲めいた痛み、が語られる。
いまや30歳を超え、15歳の時に見えなかったものがたくさん見えるようになった。けれど、それでもまだまだ分からないことが多い今。あの日のジグロのように、わたしはチャグムにとって良き先達となっているのだろうか、と述懐するバルサは、やっぱりとてつもなく優しく、まっとうな女だと思う。
用心棒稼業で、身を守るためとはいえ、人を傷つけあまつさえ命を奪うことすらある毎日を、バルサは悩みながらも、「仕方なかった」と心を麻痺させることなく、常に痛みを忘れずにいるという覚悟をバルサは持っている。やっぱり、カッコいいですな。カッコいいってのは違うか、なんだろうこれは。バルサに対するわたしの敬意、なのかな。まあ、現代日本に平和に生きる我々には持ちようのない、想像を絶する境地だろうと思う。しかし、想像を絶するけれど、想像してみることに意味があるんだろうな、きっと。ホント、わたしは上橋先生による「守り人シリーズ」に出会えて良かったと思います。ちょっと大げさか、な。バルサやタンダ、そしてチャグムに幸あれ、と心から願いたいですね。素晴らしい物語でした。
というわけで、結論。
上橋菜穂子先生による「守り人シリーズ」の、最後の物語『炎路を行く者』を読み終わってしまい、本当に、これでもうお別れとなってしまった。とても淋しく思う一方で、読者としてとても幸せな余韻がまだわたしの心の中に漂っている。いやあ、本当に面白かった。いよいよ今月から始まるNHKの実写ドラマ第2シーズンも楽しみですね。成長したチャグムに早く会いたいですな。そしてもちろん、綾瀬バルサにも、また会いたいです。以上。
↓ しかし第1シーズンのバルサとチャグムの別れのシーンは泣けたっすね……あそこのシーンは原作を超えたといっても過言、じゃないと思うな。
その1冊とは、買ったのは2週間ぐらい前なのだが、発売をずっと楽しみにしていたコイツであります。なお、紙の本ではもう数年前にとっくに出ていた作品なので、正確に言うと、電子化されるのを待ってたわけです。
去年2016年に、わたしをとても楽しませてくれた上橋菜穂子先生による「守り人」シリーズの番外編第2巻、『炎路を行く者』である。本編は既にちょっと前にこのBlogで書いた『天と地の守り人』で美しく完結しているが、この番外編は2つの中編から成っていて、一つはタルシュ帝国の密偵であり、元ヨゴ皇国民であったヒュウゴの幼き頃のお話であり、もう一つは、シリーズの主人公バルサの15歳当時のお話であった。
まず、ヒュウゴを主人公とした中編「炎路の旅人」は、なぜヒュウゴが自らの故国を攻め滅ぼしたタルシュ帝国の密偵となる道を選んだのか、が語られる、なかなか泣かせるお話でありました。このお話によると、ヒュウゴは元々ヨゴ皇国内における帝の親衛隊「帝の盾」の家系であり、いわば裕福層の武人家庭に育ったお坊ちゃんだったのだが、タルシュ帝国の侵略により、ヨゴ皇国は吸収併合され、枝国となる。その際、タルシュ帝国は、一般のヨゴ皇国民の生命は保証する代わり、後の復讐を抑えるため、軍人(=武人)階級のみ、一切の例外なく粛清する。その粛清の嵐の中、ヒュウゴは母と妹とともに逃げる際、自分一人だけ助かってしまい、落ち伸びると。で、瀕死のところをとある少女に助けられ、なんとか少年時代を過ごすのだが、その少年時代は常に虚しさを抱えたものであり、街の悪ガキとなってヤクザ予備軍として顔役的な存在までのし上がっていた頃に、自らも別の枝国出身であるタルシュの密偵と出会い、その男の話を聞いて心が揺らぐという展開である。
曰く、彼もまたタルシュに征服された国の出身なので、ヒュウゴから見たら卑怯な男に見えるかもしれない。しかし「<帝の盾>の息子殿にはとうてい許せぬ、やわな忠誠心だろう。え? 卑劣な風見鶏に見えるか? いいや、おれは石よりも硬い忠誠心を持っているよ。仕えているいる相手への忠誠心じゃないがな。おれは、自分に忠誠を誓っている。――それは決して揺るがぬ。殺されてもな。」
いやはや、大変カッコイイセリフだと思う。
つまりこの密偵は、「自分の目で世界を見極めろ」という話をしているわけで、彼の言葉をきっかけに、ヒュウゴは自らの狭い視野に映っていた小さな世界からの脱出を決意するわけだ。それは、それまでヒュウゴがまったく考えていなかったものであり、たとえばタルシュに併合されたことで、逆にヨゴ枝国の生活インフラがどんどん整っていったり、武人は殺されたのに帝本人はどうやら生きているらしい、といった現実など、様々な思惑の結果としての現在を改めて見つめ直すきっかけとなるわけで、この後のヒュウゴの活躍の基礎となる話なので、シリーズとしては結構重要なお話だと思いました。ヒュウゴがいなかったら、チャグムは故国を救えなかったし、そんな重要キャラの行動の動機を知ることができて、わたしは大満足です。ズバリ、面白かった。
そしてもう一本収録されているバルサの話「十五の我には」は、『天と地の守り人』でチャグムと別れる直前の夜に交わした会話をバルサが思い出し、もっと気の利いたことを言ってやればよかったと思いながら、自分がチャグムぐらいの時なんて、もっともっと幼かった……と回想するお話である。
『天と地の守り人』で、バルサとチャグムが別れる時に話していたのは、殺人を経験してしまったチャグムが、この苦しみはいつか心の折り合いをつけられるのか、それとも永劫に続くのか、と問うものであった。その時バルサは、その苦しみはなくならない、というよりもなくしちゃいけない、と答えた。その答えに自信のないバルサが、かつて自分にはジグロという素晴らしい先生がいたことを想い、自分はチャグムの心を支えてあげられたのだろうか……と想いながらかつての少女時代を思い出すという展開である。バルサの過去話というと、番外編第1巻『流れ行く者』でも語られたバルサの少女時代と重なっているお話で、当時、いかにジグロに守られていたか、そして厳しいながらもなんと幸せだったか、という感謝となつかしさ、そして、それをまるっきりわかってなかった自分に対する自嘲めいた痛み、が語られる。
いまや30歳を超え、15歳の時に見えなかったものがたくさん見えるようになった。けれど、それでもまだまだ分からないことが多い今。あの日のジグロのように、わたしはチャグムにとって良き先達となっているのだろうか、と述懐するバルサは、やっぱりとてつもなく優しく、まっとうな女だと思う。
用心棒稼業で、身を守るためとはいえ、人を傷つけあまつさえ命を奪うことすらある毎日を、バルサは悩みながらも、「仕方なかった」と心を麻痺させることなく、常に痛みを忘れずにいるという覚悟をバルサは持っている。やっぱり、カッコいいですな。カッコいいってのは違うか、なんだろうこれは。バルサに対するわたしの敬意、なのかな。まあ、現代日本に平和に生きる我々には持ちようのない、想像を絶する境地だろうと思う。しかし、想像を絶するけれど、想像してみることに意味があるんだろうな、きっと。ホント、わたしは上橋先生による「守り人シリーズ」に出会えて良かったと思います。ちょっと大げさか、な。バルサやタンダ、そしてチャグムに幸あれ、と心から願いたいですね。素晴らしい物語でした。
というわけで、結論。
上橋菜穂子先生による「守り人シリーズ」の、最後の物語『炎路を行く者』を読み終わってしまい、本当に、これでもうお別れとなってしまった。とても淋しく思う一方で、読者としてとても幸せな余韻がまだわたしの心の中に漂っている。いやあ、本当に面白かった。いよいよ今月から始まるNHKの実写ドラマ第2シーズンも楽しみですね。成長したチャグムに早く会いたいですな。そしてもちろん、綾瀬バルサにも、また会いたいです。以上。
↓ しかし第1シーズンのバルサとチャグムの別れのシーンは泣けたっすね……あそこのシーンは原作を超えたといっても過言、じゃないと思うな。