我ながら、いまだに謎なのだが……わたしは昨日の会社帰りに、1本の映画を観て帰ることにした。その映画は、まあ、女性向け、なんだろうと思う。しかし、なぜか予告を観た時にやけに魅かれてしまい、コイツは観よう、と思ったのである。その「なぜか」がいまだ分からないのだ。なんで、どこに、わたしは心惹かれたのだろうか??
 その映画は『Tully』。日本語のタイトルは『タリ―と私の秘密の時間』という作品である。この日本語タイトルや、都内では日比谷のシャンテでしか上映されていないことからも、映画オタク的にはまあどうせ泣かせる系の映画なんでしょうよ、とピンとくると思う。予告もよく聞く特徴的な女性の声でのナレーションが示すような、やさしい系泣ける系の雰囲気を醸し出しており、どうせアラフォー女子の自分探し的なアレでしょ、と、普段のわたしなら、確実に「ケッ!」とか思って無視するはずの映画、のように思えるのだが、何かがわたしの心に刺さったらしい。
 しかし本作は、観終わった後でも、やっぱり自分が何でこの映画を観に行こうと思ったのか、正直良くわからないでいる。面白かったかって? いや、うーん、まあ、面白かったのは間違いない。脚本的な出来のほどは極めてレベルが高く、「あっ!? えっ!? そ、そういうことなの!?」という相当な驚きをもたらす脚本で、非常にびっくりした物語であった。しかし……女性でもなく、出産・子育てもしていないわたしには、正直なところよくわからない映画であったのもまた事実だ。
 というわけで、まずはわたしが何故か魅かれてしまった予告を観ていただこう。今回は核心に迫るネタバレはしないように書こうと思います。ラストの驚きは、知っていたらもう全てがパーになるので。

 わたしはこの予告を観て、きっと子育てに疲れ果て疲弊しきった女性のもとに、スーパー・デキル女子が「Nanny」(=子守)としてやってきて救われ、同時にこのスーパー女子は一体何者なんだ? という展開から、そのデキル女子も問題を抱えていることが判明して、主人公も女子も、ともに心救われる物語なんだろう、という予想を抱いていた。言ってみれば、『メリー・ポピンズ』の現代版的な物語かな? とか思っていたのである。たぶん、その点にわたしは興味を持ったのだろう、と今は思える。今年ミュージカル版の『メリー・ポピンズ』を観たばかりだし、映画版も見直したばかりだったし。
 しかし、結論をズバリ言うと、わたしの予想はまったく見当違いで、全く想像していなかった物語であったのである。普通に観ていて、あの種明かしは恐らく誰しもがびっくりすると思う。ただ問題は、その種明かしに共感できるかどうかにあり、わたしはアリと言えばアリ、だけど、どうかなあ……といまだ評価が定まらないのである。たしかに、観終わった後だと、結構、ああそういえば、というような伏線は敷かれていたと気付けるので……やっぱりお見事だったと賞賛すべきかなあ……。
 最初にもう、各キャラと演じた役者についてメモしておこう。
 ◆マーロ:かつてはBrooklynでイケイケな青春を送っていた彼女も、今や40代、娘と息子を持つフツーの主婦。そして3人目の、計画外の妊娠で出産間近。と言ってもすぐ出産するので間近じゃないか。ともあれ、娘は小学生でなかなか賢く、しっかりしたちびっ子である一方で、弟は若干問題を抱えていて、癇癪がすごいと言えばいいのかな、すぐに暴れ出す情緒不安定なところがあって、超手こずっている。ただでさえ子育てにもう超イライラ&ヘトヘトなところで3人目が生まれ、夜泣きにもう心身ボロボロ。そんな時、兄が薦めてくれた「夜間専用子守」に電話するのだが、やってきた子守(Nanny)は、その見かけは完全イマドキガールで、こんな人で大丈夫かしらと不安に思うも、もはや限界で頼らざるを得ず、お願いすることに。するとそのイマドキガールは、掃除もキッチリやってくれたりと、ウルトラ有能なことが判明するのであったーーーというわけで、マーロは久しぶりに熟睡することができたり、徐々に元のマーロに戻っていくのだが……てな展開。演じたのはオスカー女優Charlize Theron様43歳。このお方は基本的に「キッ!」としたその鋭いまなざしが特徴の美女だけど、今回はもう、ホントに疲れ果ててます。この映画のために18kg太ったそうだが、その「だらしない」体はビジュアルとして恐ろしくインパクトがあって、撮影後、元の体型に戻すのに1年半かかったとか。アカデミー主演女優賞を獲った『MONSTER』の時より、わたしはショックだったすね。そのビジュアルに。
 ◆ドリュー:マーロの旦那。普通のサラリーマン。悪い奴ではないものの……子育てはマーロに任せきりで、自分は夜な夜なPlayStation4でゾンビ退治にいそしむ男。まあ、女性から見れば、もっと手伝ってよ、と思うのだろうとは思う。ま、世のお父さんたちは彼の姿を観て、ギクッとするんでしょうな。演じたのはRon Livingston氏51歳。すっごくありがちな顔で、どっかで見たことあるような気がするものの、全然名前も知らない方で、これまで出演作は多いものの、わたしはどうやらこの方を2作ぐらいしか観てない模様。演じぶりは、とりわけすごいとか感じることもなく、なんつうか、ミスター平凡、のような気がする。まあ、それがすごいことなんだと思うけど。
 ◆タリ―:マーロのもとにやってきた超デキるイマドキガール。謎の存在。その正体は書きません。ぜひ劇場でご確認を。演じたのはMackenzie Davis嬢31歳。カナダのバンクーバー出身だそうで、本作の撮影もバンクーバーらしいすな。彼女は、わたし的に2作、非常に印象的な役を演じたお方で、超傑作『THE MARTIAN』のNASAの職員で、一番最初にワトニーは生きてるのでは?と気づく、あの画像解析オペレーター(?)の彼女ですな。そしてもう一つはウルトラ大傑作『BLADE RUNNER2049』で、主人公Kに近づく娼婦で、JoiちゃんとKのヴァーチャルHの体を提供する彼女ですな。特徴的な顔つきで、若干面長なのかな、まあ、普通に美人ですよ。本作での彼女は、とても魅力的な、まさしくメリー・ポピンズばりのスーパーナニーでしたね。
 ◆サラ:マーロとドリューの長女。眼鏡が可愛いちびっ子。物語的にはほとんど役割ナシ。演じたのはLia Franklandちゃん。まだ10歳ぐらいか? よくわからんけどTwitterもInstagramもFacebookもやってるおませさんですな。どうも普段から眼鏡っ子の模様です。可愛く美しく育つのだぞ……。
 ◆ジョナ:マーロとドリューの長男でサラの弟。小学校低学年。癇癪もち(?)で暴れまくり、マーロの兄に勧められた私立を追い出されそうなちび。マーロはこの情緒不安定を直そうと、毎日体を「馬のように」ブラッシングしてあげているのだが、彼の望みはそんなブラッシングではなくーーーというエンディングは、なかなかグッとくるものがありました。妹が出来て、お兄ちゃんとしてすくすく育つのだぞ……と思わずにはいられないエンディングでしたな。演じたのはAsher Miles Fallica君。超すきっ歯がトレードマークのやんちゃ坊主。イケメンに育っておくれ……。
 ◆クレイグ:アジア系美女と結婚していて、事業も成功している金持ちで、マーロの兄貴。でも決して嫌味な奴ではなく、妹のマーロをいつも気にかけている優しい兄貴。まあ、奥さんはちょっと意識高い系のスノッブ系女子なのでアレだけど、クレイグはイイ奴ですよ。演じたのはMark Duplass氏41歳。この方は役者だけでなく監督としてもキャリア豊富なんすね。出番は少ないですが、なかなかいい味を出してましたな。
 とまあ、キャラクターに関しては以上かな。本作を撮った監督についてもメモしておこう。本作は『JUNO』や『Up in the Air(邦題:マイレージ・マイライフ)』でアカデミー監督賞にノミネートされたJason Reitman監督の作品だ。この監督は、こういう物語が得意なんでしょうな。どこがすごいかを説明するのが難しいけれど、端的に言うと、すごく丁寧、なんだろうな、と思う。本作では音楽がちょっとした重要な役割を務めていくのだが、選曲のセンスは大変結構かと思います。昼間の光と夜の雰囲気も、対比がアクセントになってたように思う。

 というわけで。書きながらいろいろ考えてみたけれど、やっぱり自分がなぜこの映画を観たいと思ったのかについては、依然良くわからない。このところマイブームだったメリーポピンズを思い出したのか? うん、まあそれも理由の一つだろう。しかし……おそらく、だけど、予告で垣間見える、「疲弊しきった女」の表情のTheron様に、どうしちゃったんだよ……? という心配というか同情?というか、とにかく放っておけない気持ちになったのではないだろうか。そして、そのデキる女子は一体何者でどんな秘密があるんだろう? という好奇心がムクムクと首をもたげた、という比較的単純なことではなかろうかと思う。
 そして、観終わって、その謎は解消されたわけだが、正解があまりに予想外で、かつ、わたしの希望する回答とは若干ズレていたために、なんだかモヤモヤしているのではなかろうか。でもまあ、この作品の描いた回答は、実際アリだし、断然ナシとは思いません。どうぞ、劇場へ観に行って、ご自身の判定を下してください。
 つうか、わたしの身の回りにも、現在絶賛子育て中の連中が多いのだが、彼らがこの映画を観たらどう思うのだろうか。その辺がとても興味あるっすね。それから、子育ての大変さを説く人々がいっぱいいるこの現代において、わたしがとても謎なのは、それじゃあどうして、世の母親たちはの無事に我々を育てられたんだろう、保育園なんかなかったし(あったけどわたしの身の回りには保育園行ってたという奴はいない)、間違いなく親父たちはまったく何もしてないはずで、一体、現代と40年前は何が違うんだろうか? ということだ。そりゃ無事に、と言っても、母親たちが超苦労していたのは想像に難くない。けど、現代と40年前で、何が決定的に違うのだろうか?
 普通に考えるに、まず「情報」の量が全く違うし、そして情報だけでなく、いろいろな意味での「環境」が全然違うのは間違いない。でも、同じ人間であることも間違いなく、何が一体決定的な違いなのか、それがすごく謎だ。わたしは何となく、どんどんと世の中に人間の「悪意」が蓄積されて行って、その悪意の総量が40年前と現代では全く違うのではないか、という気がしてならない。
 このわたしの推測は間違っていると思いたいものだ。人間の持つ邪悪さが、人間の持つ善良さよりも多いとは考えたくないす……ま、謎を解きたければおめーも子育てしろよ、ってことなんでしょうな。その機会は永遠に来ないと思いますが。あれっ!? イカン、わたしがダメ人間であることがこの映画で証明されたってことか。なんてこった……!

 というわけで、結論。
 ふと見た予告が妙に気になって仕方なく、観てきた映画『Tully』(邦題:タリ―と私の秘密の時間)は、想像していたのとは全く違う物語で、その結末に非常にびっくりし、また戸惑ってしまったわけだが、結論としては、子育ては大変であり、かつ、その先には明確に幸せが待っている、ということなんでしょうな。子育てを経験してない&経験する予定もないわたしは、このままずっと、半人前なんだろうな……きっと。ヤバい……書いてたら悲しくなってきた……。まあ、迷惑をかけることなく、この世界の片隅で、ひっそり真面目に生きようと存じます。以上。

↓ そういや、原作をちゃんと読んでみたいす。岩波から出てるんすね。