だいぶ興奮から醒めてきた。もちろん、『BATMAN v SUPERMAN DAWN OF JUSTICE』(邦題:「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」、以下『BAT v SUP』と略す)を観ての興奮のことである。今日は、落ち着いてもう一度、この映画のことを書こうと思う。昨日は、興奮のあまり適当にポイントに絞って書いただけだが、今日は、物語の中であまり触れられていない、Batmanって何者なんだ? という点と、これはいらなかったんじゃね? と思う点をまとめてみようと思う。
映画ファンなら別に説明は必要がないと思うが、そうでない人々、特に世の女性たちは、まあ普通はBatmanという存在について誤解していると思う。今までの映画を観てないから。現実的にわたしの周りの女子たちも、わたしがBatmanやAvengersの話をしても、(映画公開時に話題となるので)興味はあるようだが、大抵の女子たちは映画館まで足を運んでいない。なので、わたしがBlu-rayを貸してあげてやっと観て、その面白さにはまる人、あるいはピンと来ない人と別れてしまう場合が多いのだが、とにかく、映画ファンとしてはびっくりするほど、日本におけるアメコミヒーローの認知度は低いと思う。それは興行収入を見ても明らかで、あの大傑作と映画ファンなら誰しもが認める『The Dark Knight』ですら、日本では16.1億しか稼いでいない。まったくもって残念至極だ。
いわゆる「男の子視線」で見ると、Batmanはヒーローである。しかし実際のところ、Batmanは明らかにOUT LAW、法の外にいる存在で、簡単に言えば犯罪者である。ゆえにBatmanは「The Dark Knight=暗黒の騎士」なのだ。それは法では裁けない悪を退治するには悪をもって征すしかないという信念から来ていて、恐怖には更なる恐怖をもたらすべきだと考えているために、そのシンボルとして蝙蝠の姿をとっているわけだ。その点ではもう完全にテロリストと言わざるをえない。だたそれは、法が機能し、平和に暮らすことが出来ている(いや、あんまり出来てないか?)我々だからこそ言える事であって、法が(ほとんど)機能していない街=悪の栄える町=Gotham Cityでは、もはやBatman的な存在に頼るしかない、というのが基本的な設定である。まあ、漫画なのでちょっと苦しい理由だけど、そういうことです。なので、映画『The Dark Knight』においては、Gothamの闇を光で照らそうとする、正しい法の番人が登場したことで、ブルース・ウェインはもう、Batmanは必要なかろうと引退を決意するわけだ。これが、Batmanの基礎知識その(1)です。
で。そんなBatmanを支えているのが、金と頭脳と肉体と、そしてアルフレッドという有能な執事の存在だ。まず金。これは、最初から大金持ちであるし、世界的大企業ウェイン・エンタープライズのCEOとして、ビジネスマンとしても優秀である(※注:原作ではたしか筆頭株主という立場で、CEOではないような気がするが、今回の映画では明確に社長と呼ばれていた。ただし字幕での表現なので、正確な英語表現はまたBlu-rayが出たときに確認します)。もちろん頭もいいし、強靭な意志を持つ男であり、肉体的な鍛錬も重ねていて、めっぽう強い。そして世を欺く姿としてプレイボーイとして遊びまくって慈善事業も手広くやっていて、世間的には遊び人のアホな金持ちと認識されている。つまり世間はブルース・ウェイン=Batmanであることを知らない(Ironamnことトニー・スタークと似た境遇であるが、性格はまったく違うし、人々は皆、Ironman=トニー・スタークであることを知っている)。なので、Batスーツも自分でせっせと秘密裏に開発しているし、Bat-MobileやBat-Wingという機動兵器も自家所有である。IT系ソフトウェアも揃っていて、ハッキングもお手の物だ。そして、その開発やハッキングも全部一人で出来るわけもなく、その手伝いをしているのが、これまたスーパー有能な執事、アルフレッドだ。ブルースが生まれる前からウェイン家に仕える忠実なおじちゃんで、ブルースよりもしっかりとした常識を持ち、時にはきっちり、それは間違っているとブルースに忠告したりする、頼れる執事である。今回の映画『BAT v SUP』では、オスカー俳優Jeremy Irons氏がとてもカッコいいアルフレッドを演じてくれた。この人は、わたし的にはかなり久しぶりに、ひょっとしたら『DIE HARD3』以来かも? ぐらい久々にスクリーンで会いましたが、実に渋くてカッコ良かったですね。
とまあ、この通り、あくまでも人間であり、金持ちで超人的な努力をしている男であり、またアルフレッドという頼もしい味方がいる、というのがBatmanの基礎知識(2)である。
なお、今回の『BAT v SUP』では、ブルース・ウェインが言う通り、「悪は雑草と同じだ。抜いても抜いてもあとから生えてくる」のであって、Batmanはなかなか引退できていない。もう20年ほど、活躍していてすっかりおっさんになってるわけですな。今回の映画では、両親が殺されたのが1981年という設定だったが、その時10歳と仮定すると、現在45歳ぐらいという設定になっていました。今回のBatmanを演じたのはBen Affleck氏。監督としてオスカー・ウィナーとなったBen Affleck氏だが、非常にカッコ良かった。この冒頭の、幼い女の子を抱きしめながら、空に浮かぶ宇宙人(=Superman)に対して、「許さない!!!」という決意の表情を浮かべるブルース・ウェインは痺れるカッコ良さだった。わたしは密かに、Nolan-Batmanを演じたChristian Bale氏よりもカッコイイとさえ感じた。歴代Batman史上、最高に良かったのではなかろうか。
で。
この基礎知識(1)(2)を踏まえて、ある日、Metropolice上空に宇宙人が舞い降りてきて、壮絶な大喧嘩を始め、その余波で自分の会社の社員たちが大勢死んでしまったらどうなる? そりゃあもう、怒り心頭だよね。あの化け物は、法が通じない相手。ならばオレが、必ずぶっ飛ばす!! そう思うのは、Batmanとしては当然だ。Batmanにとっては、もう完全にSupermanも粛清対象になるわけだ。ちなみにMetropoliceの街並みはNYCそのものだが、あくまで架空の都市で、Batmanの活躍するGotham Cityではない。わたしは正直詳しくないのだが、Gotham CityとMetropoliceは、湾あるいは湖(?)をはさんだ対岸の位置関係らしい。普段はGothamの悪を相手にしているBatmanも、ウェイン・カンパニーMetropolice支社(?)全壊の事態に当たっては黙っているわけがない。
以上が、今回の『BAT v SUP』ではほとんど語られていない、前提、である。これが分かっていないと、今回の映画は良くわからないと思う。ちゃんと描いてくれないと不親切だ? いやいや、これ、常識っす。
ところで、今回Batmanは何故怒っているかというと、もちろん前述の通り、愛する社員たちを殺された個人的怒りもあるのだが、それよりも、BatmanはSupermanの「危うさ」に、非常に腹を立てているのだ。昨日も書いた通り、Supermanことクラーク・ケントは、所詮は田舎者で都会を知らず、世間も知らない。もちろん、善良な普通のアメリカ人としての常識や正義感は持っているわけだが、残念ながらその精神は幼稚である。物語は、Metropolice空中大決戦から18ヵ月後に移る。世界各地で、人々を助けるSuperman。その活動はすっかり世間ではヒーローとして、あるいはもはや「神」として認知されるも、当然一方ではMetropoliceをぶっ壊した恐ろしい「Illegal Alien」とも思われていて、世論は微妙に分かれている状況にある。そりゃそうだ。で、とある議員がSupermanの行動を極めて恣意的でテキトーな行為だとして糾弾するに至る。まあ、それはそうかも、ですわな。ここが難しいところだが、とあるTVレポーターは、その議員に問いかける。「じゃあ、Supermanなら助けられる状況でも、彼の助けを求めるべきではないのか?」。しかし、どういうわけかこの映画はその点にはほとんど回答を示さず、流してしまったように思える。
が、わたしは逆に「アリ」だと感じた。そんな質問は「サンデル教授の白熱教室」に任せておけばいい。問題は、Superman自身がどう思っているのか、という方が重要だろうと思う。で、Supermanはどう考えているかというと、実際のところなーーーんにも考えていない。Metropoliceを破壊した反省もしていない。目に入る範囲の人々と、自分の愛するロイスのピンチを救うだけで、それよりも、Gotham Cityでなにやら蝙蝠の格好をして「違法な正義」を振りかざしているBatmanをけしからんと思って、上司の命令も聞かずに独自取材をしている始末だ。会社員としても、新聞記者としても0点である。なので、レックス・ルーサーの悪事にもまったく気が付かず、結果、ロイスや地球での母を人質に取られてしまえば、あっさりと悪の元に跪く。実にもろいハートの持ち主だ。そして、それは非常に危険なことである。
今回の『BAT v SUP』では、忠実な執事アルフレッドが、「Supermanは敵じゃない」とブルース・ウェインを説得する。しかし、「たとえ1%でも、危険な点があるなら、それは敵だ!!」と断罪する。もう、このガキは1回ぶっ飛ばしてやらないといけないわけで、対決が不可避なのは、昨日書いたとおりである。
しかし、本作『BAT v SUP』は、またも実に余計なことをいろいろ描いていて、上映時間152分は明らかに長い。ここはいらないね、とわたしが感じたシーンはいくつかあるのだが、ちょっとそれをまとめておこう。残念ながらそういう無駄シーンのおかげで、全体的にゴチャゴチャしているように思う。
■一番要らないシーン筆頭。ブルース・ウェインの夢のシーン。
Batmanは、いろいろな自分ルールを持っているのだが、その中でも有名なのが「銃は使わない・人殺しはしない」というものだと思う。それは少年時代に両親を銃で亡くしているからなのだが、この映画では、なんとBatmanが銃を乱射してかなり多くの人を殺すシーンが出てくる。わたしはBatmanが絶対にやらないことだと知っているので、ま、これはどうせ夢かなんかでしょ、と思ったら本当に夢だった。あの夢のシーン、必要かな? まったくいらないと思うんだけどな。ほぼ無意味だったし。鍵はロイスだ、という謎のお告げも間違ってたし(鍵はロイスじゃなくてお母さんだった)。
■SupermanとDoom's Dayを核攻撃するアメリカ合衆国。
これも、せっかく本作で唯一、Supermanが正しい選択をしたのに(Doom'sDayを宇宙空間に追放しようとした)、邪魔するUSAって何なんだ。もちろん、現実的シミュレーションをすると、実にあり得る選択だとは思うが、あれはいらなかったね。何の意味もないし、たぶん、核の直撃を食らって瀕死(?)のSupermanが何故復活できたのかも、詳しくない人には伝わらなかったと思う。一応、Supermanのエネルギーは太陽の光だという設定があるので、それで復活できたということだと思うが、そんなこと知らない普通の人には全然意味不明だったと思うな。
■レックスの行動の謎
昨日も書いたとおり、レックス・ルーサーの背景がほとんど描かれないので、よくわからないのだが、議会爆破って意味があったのかな? たぶん、アンチSuperman世論を炊きつけるための作戦だったんだと思うけど(?違うかな?)、あの作戦のせいで、優秀な秘書マーシー・グレイブスも死んでしまうし(?死んだよな?生きてるのか?)、おまけに自分の研究所を留守にしてた間に、まんまとブルース・ウェインにクリプトナイトを奪われてしまうというアホな失態をやらかすし、まったく無意味で必要なかったとしか思えない。
ついでに言うと、冒頭のテロリストを取材に行くロイスと、そのピンチを救うSupermanの行動も、結果的にはまったく無意味で必要なかったのではないかとさえ思う。あれは要するにレックスの陰謀だったわけだが、残念ながら物語にはほとんど影響を与えていない。ロイスの取材でやっとレックス=悪党だと言うことが分かってもまったくもって後の祭りで、全然必要なかったと思う。そしてこれは完全な蛇足だが、Wonder Womanを演じたGal Gadot様があまりに美しく可愛い過ぎて、ロイスがまったく可愛く見えず、おまけにまた存在感も薄く、今回もまた、ほとんどロイスは不要キャラになってしまっているようにも観えた。必要だったのはお母さんだけだったね。ロイスとSupermanの関係性が浅すぎるのは、この映画にとってなんとも残念かつ欠点のひとつだろうと思う。
■Superman特攻!!!
Doom's Dayとのバトルで、なんでまたSuperman自身が、自分の一番苦手なクリプトナイト製の槍を持って飛んでいかなきゃならなかったんだ!? という点も、わたしは良くわからなかった。ロイスを助けて、槍を確保するまでは確かにSupermanしか出来ないことだったと思うけど、槍を回収したところで、Batmanが「たまには役に立つな(ニヤリ)。後は任せろ!!」ぐらいの余裕で、Wonder Womanと協力してDoom's Dayを倒せばよかったのに。そもそも、槍をうりゃあッ!! と投げつけてやりゃ良かったんじゃね!? 彼の特攻はまったく意味不明です。あまつさえ、原作通りとはいえ、死んでしまうとは……。(←ここはさすがに白黒反転させておきます)
■いろいろ散りばめられたトリビア的小物&台詞
わたしのようなオタクには、げええーーっ!? と驚き喜ぶことでも、普通の人には全然通じないことが結構散りばめられていましたね。端的なのは、Bat-Cave(=Batmanの秘密基地)に飾られていた「Robin」のコスチュームでしょう。知っている人には常識だが、RobinはBatmanの子分ですな。どうも、既にJokerによって殉職あるいは引退させられてしまっているような設定になってる風でしたね。ブルース・ウェインの台詞にも、「ピエロ野郎(=Jokerのことだよな?)には手を焼いた」的な言葉があったし。そういうのは、別にいらなかったのでは? これをやるなら、もうちょっとだけでもWonder Womanの描写に力を入れてほしかったとわたしは思った。
はーーーー。ヤッバイ。今日も書き過ぎた。これ、もう読んでる人なんていないだろうな……。
というわけで、なんともぶった切りですが結論。
わたしとしては、昨日も書いた通り『BAT v SUP』は十分以上楽しめましたし、以降のDCヒーロー作品が非常に楽しみです。ただ、まあ、この映画は120分でもっとすっきりまとめられたと思います。それに、Batmanを知らない人には、実際良くわからなかったのでは? と思うと、ちょっとだけ残念です。以上。
↓ SupermanとDoom'sDayの戦いを描いたのはこれかな。このコミックと今回の映画はまったく別物ですが、Doom's DayはSupermanを殺したVillanとして有名です。大丈夫、ちゃんと復活しますよ。映画ではどう描かれるのか、楽しみっすね!
映画ファンなら別に説明は必要がないと思うが、そうでない人々、特に世の女性たちは、まあ普通はBatmanという存在について誤解していると思う。今までの映画を観てないから。現実的にわたしの周りの女子たちも、わたしがBatmanやAvengersの話をしても、(映画公開時に話題となるので)興味はあるようだが、大抵の女子たちは映画館まで足を運んでいない。なので、わたしがBlu-rayを貸してあげてやっと観て、その面白さにはまる人、あるいはピンと来ない人と別れてしまう場合が多いのだが、とにかく、映画ファンとしてはびっくりするほど、日本におけるアメコミヒーローの認知度は低いと思う。それは興行収入を見ても明らかで、あの大傑作と映画ファンなら誰しもが認める『The Dark Knight』ですら、日本では16.1億しか稼いでいない。まったくもって残念至極だ。
いわゆる「男の子視線」で見ると、Batmanはヒーローである。しかし実際のところ、Batmanは明らかにOUT LAW、法の外にいる存在で、簡単に言えば犯罪者である。ゆえにBatmanは「The Dark Knight=暗黒の騎士」なのだ。それは法では裁けない悪を退治するには悪をもって征すしかないという信念から来ていて、恐怖には更なる恐怖をもたらすべきだと考えているために、そのシンボルとして蝙蝠の姿をとっているわけだ。その点ではもう完全にテロリストと言わざるをえない。だたそれは、法が機能し、平和に暮らすことが出来ている(いや、あんまり出来てないか?)我々だからこそ言える事であって、法が(ほとんど)機能していない街=悪の栄える町=Gotham Cityでは、もはやBatman的な存在に頼るしかない、というのが基本的な設定である。まあ、漫画なのでちょっと苦しい理由だけど、そういうことです。なので、映画『The Dark Knight』においては、Gothamの闇を光で照らそうとする、正しい法の番人が登場したことで、ブルース・ウェインはもう、Batmanは必要なかろうと引退を決意するわけだ。これが、Batmanの基礎知識その(1)です。
で。そんなBatmanを支えているのが、金と頭脳と肉体と、そしてアルフレッドという有能な執事の存在だ。まず金。これは、最初から大金持ちであるし、世界的大企業ウェイン・エンタープライズのCEOとして、ビジネスマンとしても優秀である(※注:原作ではたしか筆頭株主という立場で、CEOではないような気がするが、今回の映画では明確に社長と呼ばれていた。ただし字幕での表現なので、正確な英語表現はまたBlu-rayが出たときに確認します)。もちろん頭もいいし、強靭な意志を持つ男であり、肉体的な鍛錬も重ねていて、めっぽう強い。そして世を欺く姿としてプレイボーイとして遊びまくって慈善事業も手広くやっていて、世間的には遊び人のアホな金持ちと認識されている。つまり世間はブルース・ウェイン=Batmanであることを知らない(Ironamnことトニー・スタークと似た境遇であるが、性格はまったく違うし、人々は皆、Ironman=トニー・スタークであることを知っている)。なので、Batスーツも自分でせっせと秘密裏に開発しているし、Bat-MobileやBat-Wingという機動兵器も自家所有である。IT系ソフトウェアも揃っていて、ハッキングもお手の物だ。そして、その開発やハッキングも全部一人で出来るわけもなく、その手伝いをしているのが、これまたスーパー有能な執事、アルフレッドだ。ブルースが生まれる前からウェイン家に仕える忠実なおじちゃんで、ブルースよりもしっかりとした常識を持ち、時にはきっちり、それは間違っているとブルースに忠告したりする、頼れる執事である。今回の映画『BAT v SUP』では、オスカー俳優Jeremy Irons氏がとてもカッコいいアルフレッドを演じてくれた。この人は、わたし的にはかなり久しぶりに、ひょっとしたら『DIE HARD3』以来かも? ぐらい久々にスクリーンで会いましたが、実に渋くてカッコ良かったですね。
とまあ、この通り、あくまでも人間であり、金持ちで超人的な努力をしている男であり、またアルフレッドという頼もしい味方がいる、というのがBatmanの基礎知識(2)である。
なお、今回の『BAT v SUP』では、ブルース・ウェインが言う通り、「悪は雑草と同じだ。抜いても抜いてもあとから生えてくる」のであって、Batmanはなかなか引退できていない。もう20年ほど、活躍していてすっかりおっさんになってるわけですな。今回の映画では、両親が殺されたのが1981年という設定だったが、その時10歳と仮定すると、現在45歳ぐらいという設定になっていました。今回のBatmanを演じたのはBen Affleck氏。監督としてオスカー・ウィナーとなったBen Affleck氏だが、非常にカッコ良かった。この冒頭の、幼い女の子を抱きしめながら、空に浮かぶ宇宙人(=Superman)に対して、「許さない!!!」という決意の表情を浮かべるブルース・ウェインは痺れるカッコ良さだった。わたしは密かに、Nolan-Batmanを演じたChristian Bale氏よりもカッコイイとさえ感じた。歴代Batman史上、最高に良かったのではなかろうか。
で。
この基礎知識(1)(2)を踏まえて、ある日、Metropolice上空に宇宙人が舞い降りてきて、壮絶な大喧嘩を始め、その余波で自分の会社の社員たちが大勢死んでしまったらどうなる? そりゃあもう、怒り心頭だよね。あの化け物は、法が通じない相手。ならばオレが、必ずぶっ飛ばす!! そう思うのは、Batmanとしては当然だ。Batmanにとっては、もう完全にSupermanも粛清対象になるわけだ。ちなみにMetropoliceの街並みはNYCそのものだが、あくまで架空の都市で、Batmanの活躍するGotham Cityではない。わたしは正直詳しくないのだが、Gotham CityとMetropoliceは、湾あるいは湖(?)をはさんだ対岸の位置関係らしい。普段はGothamの悪を相手にしているBatmanも、ウェイン・カンパニーMetropolice支社(?)全壊の事態に当たっては黙っているわけがない。
以上が、今回の『BAT v SUP』ではほとんど語られていない、前提、である。これが分かっていないと、今回の映画は良くわからないと思う。ちゃんと描いてくれないと不親切だ? いやいや、これ、常識っす。
ところで、今回Batmanは何故怒っているかというと、もちろん前述の通り、愛する社員たちを殺された個人的怒りもあるのだが、それよりも、BatmanはSupermanの「危うさ」に、非常に腹を立てているのだ。昨日も書いた通り、Supermanことクラーク・ケントは、所詮は田舎者で都会を知らず、世間も知らない。もちろん、善良な普通のアメリカ人としての常識や正義感は持っているわけだが、残念ながらその精神は幼稚である。物語は、Metropolice空中大決戦から18ヵ月後に移る。世界各地で、人々を助けるSuperman。その活動はすっかり世間ではヒーローとして、あるいはもはや「神」として認知されるも、当然一方ではMetropoliceをぶっ壊した恐ろしい「Illegal Alien」とも思われていて、世論は微妙に分かれている状況にある。そりゃそうだ。で、とある議員がSupermanの行動を極めて恣意的でテキトーな行為だとして糾弾するに至る。まあ、それはそうかも、ですわな。ここが難しいところだが、とあるTVレポーターは、その議員に問いかける。「じゃあ、Supermanなら助けられる状況でも、彼の助けを求めるべきではないのか?」。しかし、どういうわけかこの映画はその点にはほとんど回答を示さず、流してしまったように思える。
が、わたしは逆に「アリ」だと感じた。そんな質問は「サンデル教授の白熱教室」に任せておけばいい。問題は、Superman自身がどう思っているのか、という方が重要だろうと思う。で、Supermanはどう考えているかというと、実際のところなーーーんにも考えていない。Metropoliceを破壊した反省もしていない。目に入る範囲の人々と、自分の愛するロイスのピンチを救うだけで、それよりも、Gotham Cityでなにやら蝙蝠の格好をして「違法な正義」を振りかざしているBatmanをけしからんと思って、上司の命令も聞かずに独自取材をしている始末だ。会社員としても、新聞記者としても0点である。なので、レックス・ルーサーの悪事にもまったく気が付かず、結果、ロイスや地球での母を人質に取られてしまえば、あっさりと悪の元に跪く。実にもろいハートの持ち主だ。そして、それは非常に危険なことである。
今回の『BAT v SUP』では、忠実な執事アルフレッドが、「Supermanは敵じゃない」とブルース・ウェインを説得する。しかし、「たとえ1%でも、危険な点があるなら、それは敵だ!!」と断罪する。もう、このガキは1回ぶっ飛ばしてやらないといけないわけで、対決が不可避なのは、昨日書いたとおりである。
しかし、本作『BAT v SUP』は、またも実に余計なことをいろいろ描いていて、上映時間152分は明らかに長い。ここはいらないね、とわたしが感じたシーンはいくつかあるのだが、ちょっとそれをまとめておこう。残念ながらそういう無駄シーンのおかげで、全体的にゴチャゴチャしているように思う。
■一番要らないシーン筆頭。ブルース・ウェインの夢のシーン。
Batmanは、いろいろな自分ルールを持っているのだが、その中でも有名なのが「銃は使わない・人殺しはしない」というものだと思う。それは少年時代に両親を銃で亡くしているからなのだが、この映画では、なんとBatmanが銃を乱射してかなり多くの人を殺すシーンが出てくる。わたしはBatmanが絶対にやらないことだと知っているので、ま、これはどうせ夢かなんかでしょ、と思ったら本当に夢だった。あの夢のシーン、必要かな? まったくいらないと思うんだけどな。ほぼ無意味だったし。鍵はロイスだ、という謎のお告げも間違ってたし(鍵はロイスじゃなくてお母さんだった)。
■SupermanとDoom's Dayを核攻撃するアメリカ合衆国。
これも、せっかく本作で唯一、Supermanが正しい選択をしたのに(Doom'sDayを宇宙空間に追放しようとした)、邪魔するUSAって何なんだ。もちろん、現実的シミュレーションをすると、実にあり得る選択だとは思うが、あれはいらなかったね。何の意味もないし、たぶん、核の直撃を食らって瀕死(?)のSupermanが何故復活できたのかも、詳しくない人には伝わらなかったと思う。一応、Supermanのエネルギーは太陽の光だという設定があるので、それで復活できたということだと思うが、そんなこと知らない普通の人には全然意味不明だったと思うな。
■レックスの行動の謎
昨日も書いたとおり、レックス・ルーサーの背景がほとんど描かれないので、よくわからないのだが、議会爆破って意味があったのかな? たぶん、アンチSuperman世論を炊きつけるための作戦だったんだと思うけど(?違うかな?)、あの作戦のせいで、優秀な秘書マーシー・グレイブスも死んでしまうし(?死んだよな?生きてるのか?)、おまけに自分の研究所を留守にしてた間に、まんまとブルース・ウェインにクリプトナイトを奪われてしまうというアホな失態をやらかすし、まったく無意味で必要なかったとしか思えない。
ついでに言うと、冒頭のテロリストを取材に行くロイスと、そのピンチを救うSupermanの行動も、結果的にはまったく無意味で必要なかったのではないかとさえ思う。あれは要するにレックスの陰謀だったわけだが、残念ながら物語にはほとんど影響を与えていない。ロイスの取材でやっとレックス=悪党だと言うことが分かってもまったくもって後の祭りで、全然必要なかったと思う。そしてこれは完全な蛇足だが、Wonder Womanを演じたGal Gadot様があまりに美しく可愛い過ぎて、ロイスがまったく可愛く見えず、おまけにまた存在感も薄く、今回もまた、ほとんどロイスは不要キャラになってしまっているようにも観えた。必要だったのはお母さんだけだったね。ロイスとSupermanの関係性が浅すぎるのは、この映画にとってなんとも残念かつ欠点のひとつだろうと思う。
■Superman特攻!!!
Doom's Dayとのバトルで、なんでまたSuperman自身が、自分の一番苦手なクリプトナイト製の槍を持って飛んでいかなきゃならなかったんだ!? という点も、わたしは良くわからなかった。ロイスを助けて、槍を確保するまでは確かにSupermanしか出来ないことだったと思うけど、槍を回収したところで、Batmanが「たまには役に立つな(ニヤリ)。後は任せろ!!」ぐらいの余裕で、Wonder Womanと協力してDoom's Dayを倒せばよかったのに。そもそも、槍をうりゃあッ!! と投げつけてやりゃ良かったんじゃね!? 彼の特攻はまったく意味不明です。あまつさえ、原作通りとはいえ、死んでしまうとは……。(←ここはさすがに白黒反転させておきます)
■いろいろ散りばめられたトリビア的小物&台詞
わたしのようなオタクには、げええーーっ!? と驚き喜ぶことでも、普通の人には全然通じないことが結構散りばめられていましたね。端的なのは、Bat-Cave(=Batmanの秘密基地)に飾られていた「Robin」のコスチュームでしょう。知っている人には常識だが、RobinはBatmanの子分ですな。どうも、既にJokerによって殉職あるいは引退させられてしまっているような設定になってる風でしたね。ブルース・ウェインの台詞にも、「ピエロ野郎(=Jokerのことだよな?)には手を焼いた」的な言葉があったし。そういうのは、別にいらなかったのでは? これをやるなら、もうちょっとだけでもWonder Womanの描写に力を入れてほしかったとわたしは思った。
はーーーー。ヤッバイ。今日も書き過ぎた。これ、もう読んでる人なんていないだろうな……。
というわけで、なんともぶった切りですが結論。
わたしとしては、昨日も書いた通り『BAT v SUP』は十分以上楽しめましたし、以降のDCヒーロー作品が非常に楽しみです。ただ、まあ、この映画は120分でもっとすっきりまとめられたと思います。それに、Batmanを知らない人には、実際良くわからなかったのでは? と思うと、ちょっとだけ残念です。以上。
↓ SupermanとDoom'sDayの戦いを描いたのはこれかな。このコミックと今回の映画はまったく別物ですが、Doom's DayはSupermanを殺したVillanとして有名です。大丈夫、ちゃんと復活しますよ。映画ではどう描かれるのか、楽しみっすね!