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 以前も書いた通り、わたしの愛するハリウッド女優は何人もいるが、その中でも最高レベルに、もはや女神とさえわたしには思える二人のスーパー美女、その双璧がCate Blanchett様と、Gal Gadot様のお二人である。これはほぼ確信に近いのだが、おそらくわたしは生のお二人をその目にしたら、その美しさと神々しさの前では、自然と跪き、失神もしくは失禁することは間違いなかろうと思う。とにかく美しく、かわいくて、セクシー極まりない、人類の中で最も女神に近いお方だとわたしは感じている。
 しかし、わたしとしてはどうも不思議なのだが、わたしは映画オタクとして何度もお二人をスクリーンでお見掛けしているのにもかかわらず、それまでは普通に綺麗な人だな、程度の想いしかなかったのに、とある映画を観た時から急にその神々しい美に魅了され、大ファンとなったのである。まあ、要するにわたしの目は節穴だったということに過ぎないのだが。Cate様の場合は、どういうわけか2015年公開の『Monuments Men』(邦題:ミケランジェロ・プロジェクト)という作品を観て急に好きになったし(それまでさんざんCate様出演作を観てるのに!)、Gal様を好きになったのは、去年の『Batman v Superman』を観てから、である。
 Cate様について語るのは、11月公開予定の『THOR: RAGNAROK』の時に譲るとして、今日はとにかく、Gal様について書くつもりでいる。なぜかって? そんなの、今日、待ちに待った『WONDER WOMAN』を観て大興奮してきたからに決まってるでしょうが!
 というわけで、『BvS』で初登場した女性ヒーロー(こういう場合ってヒロインと呼ぶのか?)、WONDER WOMAN単独主演作品がとうとう日本でも公開になり、さっそく観てきたわたしである。ズバリ、結論から言うと、非常に面白かった。が、本作を単独映画として観た場合はもうパーフェクト! と大絶賛したいけれど、一方で、本作がDC Extended Universの一つのピースであるという観点に立つと、若干、ほんの若干だが、問題は残るように思えた。
 というわけで、以下はネタバレが含まれる可能性が高いので、気になる方は読まないでください。まずはいつも通り予告を貼っておこう。

 ダメだ、日本語字幕版はひどいセンスのナレーションが入ってたり、どうしようもないキャッチが極めて下品かつ不愉快なので、US版を貼っておくことにする。
 わたしは、本作『WONDER WOMAN』を観る前から、今回はどんな映画になるのだろうかと『BvS』が終わったそばから大変期待していたのだが、『BvS』のエンディングシーンからわたしが想像していたのは、おそらくWonder Womanことダイアナは、100年前の出来事によって人類に失望し、隠棲を決意するに至った何か悲劇的な出来事が起こったのだろう、と想像していた。ちょっと、『BvS』のラストでの、葬列を見送るダイアナとブルース・ウェインの会話を以下に記しておこう。わたしのリスニング能力は全くあてにならないので、一部間違ってるかもしれないことはお許しいただきたい。
 ダイアナ:A hundred years ago I walked away from mankind; from a century of horrors... Men made a world where standing together is impossible.
 ブルース:Men are still good. We fight, we kill, we betray one another, but we can rebuild. We can do better. We will. We have to.
 わたしは『BvS』におけるこのセリフで、もう完全にダイアナことWonder Womanは人類にうんざりしちゃっているんだろうなと感じた。
「100年前、わたしは人類から逃げたの。あの恐怖の世紀から。人類は世界を共に立つことができないようなところに変えてしまったわ……」直訳するとこんな意味である。それに対するBATMANのセリフがかっこいいすよね。
「人はまだ善を忘れちゃいないさ。俺たち人間は、お互いに争い、殺し、裏切る。でも、それでも俺たちはやり直せるし、もっと善くなれる。善くありたいし、善くあらなきゃいけないんだ」
 こんなBATMANの言葉に、ダイアナは再び立ち上がり、秋公開の『JUSTICE LEAGUE』へつながっていくわけだが、肝心の「100年前」に何が起こったのか、そしてなぜダイアナは人類に背を向けてしまったのか。これがきっと、本作での一番のポイントだろう、とわたしは想像して劇場へ向かったのである。
 というわけで、本作は、『BvS』事件ののち、現代のパリのルーブル美術館で働くダイアナの元に、ブルース・ウェインから100年前のダイアナが写っている銀塩写真のネガのガラス板が届くところから始まる。ブルースの手書きメモには、原版を見つけた、これは君のものだ。なんて書いてある。もう、大富豪はやることが粋でカッコイイじゃねえか、とのっけからわたしは大興奮である。ここから、ダイアナの想いは100年前の写真に記録されている「あの頃」へ移り、幼少期から過去が語られていく展開となる。先にエンディングを言ってしまうと、回想を終えたダイアナは、うっすらと微笑みながら、ブルースに「ありがとう。大切な人にまた会わせてくれて」とお礼のメールを送って物語は幕を閉じるのだが、その物悲しくもうれしそうなダイアナを演じるGal様の表情は超最高であった。※ちなみに、エンディング後のおまけ映像はありません。てっきり、『JUSTICE LEAGUE』の何らかの映像が入るかと思ってたのに。
 しかし、だ。肝心の「100年前に起きた悲劇」に関しては、かなり予想と違っていてわたしは驚いたのである。100年前といえば、真っ先に思い浮かぶのは第1次世界大戦だ。2次ではなく、1次のほうである。世の中的に、2次大戦の方は様々な映画や物語で描かれているように思うが、ふと考えると1次大戦の方を描いた作品は意外と少ないように思う。すぐ思いつくのは、名作『西部戦線異状なし』ぐらいだが、とりわけヨーロッパにおいては、1次大戦の方がより苛烈な印象を残しているんじゃないかとわたしは思っている。なぜそう思うかというと、1次大戦に従軍した芸術家がいっぱいいて、画家や作家が多くの作品を残しているからだ。従軍した結果、精神を病んでしまった芸術家もいっぱいいることは、あまり知られていないかもしれないけれど、『西部戦線異状なし』の著者Erich Remark氏も従軍した一人で、その凄惨な戦場の模様は有名であろう。そんな、人類初の大規模・多国籍間紛争である第1次世界大戦に、ダイアナは参加しているのである。そこで目の当たりにした人類の醜い争いが、ダイアナをして人類に失望させたのだろう、というざっくりとした予想は、結論から言うとおおよそ合っていた。しかし、細部に目を転じると、そこには、ダイアナに「人の善」を説く男の存在と、邪悪を体現する「軍神アレス」という存在があったのだ。これは全然想像していなかった点である。
 まず、アレスの方から見てみると、そもそも、ダイアナは汚れを知らない箱庭世界ともいうべき「セミスキラ」という島で生まれ育った非・人類である。ちなみにいうと、粘土で作られた人形に命が吹き込まれた存在、だそうだ。彼女および彼女の属する「アマゾン」族は、世に戦いをもたらす「軍神アレス」への対抗手段としてゼウスが作った一族(?)で、「GOD KILLER」という神を殺せる剣を持っている。つまりダイアナは、アレスがこの世に現れたら、わたしが倒す、と子供のころから考えていて、母は世は平和なのよ、アレスはもういないのよ、と言い聞かせていたものの、平和な箱庭たるセミスキラに、一人の男が流れ着き、彼を追ってきたドイツ兵たちとの戦闘によって、どうやらアレスが現れているに違いない、わたしはアレスを倒すために外の世界へ行くわ! と、半ば強引に我々の世界へ旅立つという展開になる。しかし、セミスキラで膨大な書物によって世界の勉強をしてきたダイアナであっても(なんと超多数の言語もペラペラ!)、実際に目にする「世界」はまさしく別世界で、初めて食べたアイスクリームの美味さにうっとりと目を細め(ここのGal様も超かわいい!)、あなたはこの味を誇るべきよ、なんて売り子に真面目に言ったりする、ちょっとズレた面も持った美女である。
 しかし、彼女の目的は、アレス討伐であって、アレスさえ倒せば、世は善で満ち、戦いはなくなると固く信じる幼い少女でもある。そんな彼女を見守り、保護する男がスティーブ・トレバーという男だ。スティーブは言う。一人を倒したって、世界は変わらない。段取りを踏んで、協議によって戦いを止める方法があるんだ、とスティーブが言っても、ダイアナには若干ぴんと来ない。そこに葛藤が生まれるわけで、ここにドラマがあるわけだが、残念なことに、本作の脚本としては、結果論ではあるかもしれないけれど、結局はダイアナの言うことの方が正しく、単に、ダイアナもスティーブも、アレスの本体を見誤っていただけのことになってしまう。
 最終バトルで、アレスだと思っていた悪党をぶっ殺したダイアナ。それでも全然戦争は終わらない。そこにけっこう唐突に(脚本的には確かにこいつはきっと悪党なんだろうなとは思わせてはいた)別の男が実はアレスでした、と正体を現してからは、完全に神VS神、いうなれば『Man of Steel』で描かれたSUPERMAN vs ゾット将軍のような超絶バトルが始まってしまうのだ。わたしは正直、まーたこの展開かよ、DCコミックってやつは……と若干あーあ、と思ったのは事実なのだが、一方で、人を護るために殉じたスティーブの姿には、やけに感動してしまったし、そのスティーブの哀しい最期を見て、真の力を開放し、自らこそがGOD KILLERだった、として戦うダイアナの勇姿にも、もちろん大興奮であった。ダイアナは哀しみによって真の力を得たわけであり、そしてその哀しみは、スティーブの説く愛、によって生じたわけである。なるほど、まさしくわたしの大好きな『北斗の拳』的で、お見事である。しかも、わたしが注目に値すると思ったのは、スティーブはダイアナに対して、わたしが上の方で引用した『BvS』におけるブルース・ウェインとほぼ同じセリフで、ダイアナに人間の善を説くのである! この流れは確かに大変見事な脚本だとわたしは感じた。
 なので、わたしは本作が、完全に独立した一つの作品であるならば、この大感動とともに劇場を後にすることが出来たはずだと思う。しかし、である。ふと頭によぎるのは、じゃあダイアナは、2次大戦の、ナチスドイツに対しては何もしなかったのか? ということだ。絶望はしたけれど、愛の尊さは知ったダイアナ、という展開は確かに美しかったけれど、ひょっとしてアレなの、愛するスティーブがもうこの世にはいないことに絶望しちゃってたの? という思いが頭から離れないのである。『BvS』でのダイアナを見る限り、そして本作の回想部分のラスト、スティーブの写真にそっと触れた時のダイアナの哀しみをたたえた美しい表情を見る限り、まあ、きっとそういうことなんだろうと思う。でもそれって……ちょっと……どうなんでしょうなあ……原爆投下も、わたしには関係ないわ、と、どこかに隠れて見ていたのだろうか……。
 こういう点が、DC Extended Universの微妙な点で、おそらくは、本作に問題があるのではなく、『BvS』での描き方が悪かったのではないかとわたしは思う。つまり、やっぱり最初からきちんとした大きな絵が描けておらず、Wonder Womanの背景をきちんと美しく描いた本作の構想を先に練っておいてから、公開の順番は本作の方が後でもいいので、きちんと『BvS』に反映すべきだったんじゃないかという気がしてならない。
 ダイアナは、スティーブを失った哀しみで、2次大戦は完全にスルーしていた、ということにしよう。それはそれで、本作を見れば理解できなくもない。でもそれならなぜ、『BvS』のドゥームズデイとの戦いに参戦してきたのか。そもそも、SUPERMAN VSゾット将軍の超絶バトルにはどうして絡んでこなかったのか。そういう、何か理由があるだろうこと、をDC-EUはきちんと答えてくれないのだ。わたしとしては、『BvS』で、ブルースがダイアナに画像データを送った時、「これは君か?」の一言だけじゃあなく、「I need your help. PLEASE」君の助けが必要だ。頼む。という一文があればよかったのだと思う。そして『BvS』のラストで、ダイアナは、「これきりよ」と言いながら、あの「わたしは100年前に人類に背を向けたの……」のセリフにつなげ、そしてブルースのセリフがあればよかったのだ。そして、「昔……同じことを言った男がいたわ……死んでしまったけれど……わたしの大切な人……」みたいなことをダイアナにはつぶやいてほしかった! そうすれば完璧につながったし、ダイアナがもう一度、人類のために戦う決意を示せたのに!!!
 まあ、そんな風に思うわたしの方が圧倒的少数であろうから、別にもういいけれど、何となくもったいないような気はする。しかしそれでも、やっぱり本作のヒロイン、ダイアナを演じたGal様の美しさと可愛らしさは一切損なわれておらず、実に楽しめたのは間違いない。
 Gal様は、もうご存知の通りイスラエル国民であり、たまーにInstagramにヘブライ語で投稿する絶世の美女だ。そしてイスラエルは女性にも兵役義務があり、Gal様も軍務経験があるお人である。先日、と言っても結構前か、出産したばかりとは思えないスリムなプロポーションで、今回のWonder Womanの衣装が超似あってましたね。ブーツもカッコ良かったなあ。なんというか、聖闘士星矢の「聖衣」っぽい、なんか金属のような質感でしたな。インスタにこんなのがありますね。

Wonder Woman boot making 💪 #flashback #wonderwoman

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 Gal様、足の型をとるの図。これはブーツ製作のためでしょうな。おお、なんて可愛らしいんでしょう! 身長177㎝だそうで、まあ、スーパーモデル体型ですなあ……お美しい……とにかくわたしがグッとくるのは、その目と唇ですね。何ともセクシーかつキュート、もはやこの世にGal様に対抗できるのはCate様しかいねえ、というのがわたしの見解であります。とにかくGal様にとってWonder Womanというキャラクターはハマり役であり、今後もまだその活躍が観られるのは大変うれしい限りだ。まずは秋の『JUSTICE LEAGUE』、正直、物語的に面白いかどうか非常に心配だが、Gal様目当てに観に行くことは確実であります。
 さて、これ以上Gal様への想いを書いても変態的になるだけなので、もう男性キャストには触れないで、最後に監督についてだけ、備忘録として記して終わりにしよう。本作の監督はPatty Jenkins氏という46歳の女性だが、長編監督デビュー作『MONSTER』においてCharlize Theron様に栄光のアカデミー主演女優賞をもたらした才媛である。ただ、その2003年以降はどうやらTVの方で活躍していたそうで、劇場作品は本作が2本目の監督作品だそうだ。へえ~。しかし、本作はUS本国で4億ドルを超え、世界中で大ヒット中であるし、その評価もとても高く、どうも来年2月のアカデミー賞監督賞候補、なんて声もあるようだ。でも監督賞……うーん……そこまで優れた演出があったかとなると、どうだろうなあ……むしろキャラの見せ方や画自体の質感はDC Extended Universの生みの親(?)たるZack Snyder氏に近いものがあったように見受けられたが、うーん……わたしには若干わからないす。

 というわけで、結論。
 『BATMAN v SUPERMAN』でその勇姿の一端をさらしたWonder Woman。とうとう待ちに待った単独主演映画『WONDER WOMAN』が公開されたので、超ワクワクしながら観に行ったわたしであるが、完全に独立した一本の作品として観るなら、Gal様の美しさにあふれた最高の作品である、と断言してもいい。が、一方で、DC Extended Universの中の一つと考えると、どうも若干引っかかる点もあるようにわたしには思えた。ま、そこが、わたしの愛するMCUとの違いで、DCのダメなところだが、もはや完全にオタク野郎としてのわたしのいちゃもんに過ぎないので、普通の人がこの作品を観たら、存分に楽しめるのは間違いないと思います。そして、何度でも言うけれど、Gal様は最高です! 以上。

↓ Gal様のハリウッドデビュー作がこれ。4作目かな。大変かわいくて小悪魔的な「ジゼル」を演じていらっしゃいます。Gal様の魅力に気づいていない、そんな時期がオレにもありました……。


 2013年に公開された、新たなSupermanの物語を描いた映画『MAN OF STEEL』。今日の夜にテレビ放送があるようだが、わたしは2013年8月31日の公開翌日に、これはIMAXで見ないとイカンだろうと思って、まだ当時少なかったIMAXシアターの中から、行ったことがないところとして、わざわざ「109シネマズ菖蒲」まで車をかっ飛ばして観に行った。少年時代にChristopher Reeve版のSupermanに大興奮していたわたしとしては、超・期待していたのだが、しかし、極めて残念ながら、観終わって深い失望を味わう結果となったのである。わたしが観たかったのはコレジャナイ。と。
 このことについては、実はこのBlogを描き始めた去年の8月に、5回の長~~い連載記事で書いたので、正直今更なのだが、あれを読んでもらうのは苦行に等しいと思われるので、『BATMAN v SUPERMAN』を今日の夜観る前に、もう一度、簡潔にまとめておこうと思った次第である(※2016/03/26;というわけで観てきた感想はこちら)。一応、8月に書いた記事のリンクだけ貼っておこう。
 さてと。
 結論から言えば、『MAN OF STEEL』は、その物語の進行には一切矛盾がなく、極めて正しい道筋をたどっている。まったくもって納得のいく物語進行である。その意味では、脚本には一切問題がなく、完璧と言ったら言いすぎかもしれないが、お見事、ではある。しかし、その「完璧さ」ゆえに、まったくもって「面白くない」のである。どういうことか、分かりやすく説明してみよう。出来るかわからんけれど。恐らく、問題点を端的にあらわすキーワードは「リアル」という言葉であろうと思っている。なお、以下ネタバレ全開です。

 さて問題です。
 アメコミヒーロー「Batman」と「Superman」の最大の違いは何でしょうか?
 映画ファンなら間髪いれずに答えられると思いますが、そうでない人にはわからんかも。
 答えは簡単。「Batman」はあくまで人間であり、お金と頭脳を駆使して数々のアイテムを作っているただのおっさんなのです。もちろん、その精神は超人的で、肉体的鍛錬も重ねているので、非常に強いヒーローには違いない。が、あくまでも彼は「人間」なのだ。そして、「Superman」は、端的に言えば「宇宙人」である。ここが大きく違う。まずは、この点をちょっと覚えておいてください。

 で。Batmanと言えば、近年で言えば天才Christopher Nolan監督による3部作、『Batman Begins』『The Dark Knight』『The Dark Knight Rises』が非常なる傑作として世に知られているわけだが、映画オタクたちは、最終作、「Rises」には厳しい批評を向けている人が多いような気がする(たぶん)。かく言うわたしも、もちろん、2作目の『The Dark Knight』は凄まじいまでの傑作であると思っているが、「Rises」だけは、手放しで賞賛できない。あれはちょっと変というか、問題アリだ。
 以前も書いた通り、Nolan監督はバリバリのイギリス人である。アメコミには何の興味もない男だ。なので、彼はBatmanの監督を託された時に、すべての基礎となるひとつの理念をしっかりと定める必要があった。彼が決めたのは、「もし本当にBatmanが存在していたら?」という理念である。この理念に基づいて脚本を描き、映像を撮って、編集した作品がNolan-Batman3部作である。なので、恐ろしくリアルである。とりわけ、Batmanことブルース・ウェインと、敵対するジョーカーというキャラクターの造形は完璧で、もちろん演じた役者の素晴らしい演技あってこそだが、本当に生きた人間として、リアルに描くことにNolan監督は成功していると思う。
 しかし、その完璧な作品であるはずの中で、なぜわたしが3作目の「Rises」だけダメ判定しているかというと、Nolan監督が「リアル」さを手に入れたのとトレードオフで、失ってしまったものがあるからだ。それは、原作では極めて重要な舞台装置である「Gotham City」の描き方に端的に現れている。なんとNolan監督は、Gotham Cityを、単なる実在のシカゴそのものとして描いてしまったのだ。なので、街としては非常にリアルではある、が、漫画的な「悪の栄える街」というビジュアル的表現が不可能になってしまったのである。
 この結果、「Rises」におけるVillan(悪役)、ベインというキャラクターが完全に浮いてしまっている。彼は「Gothamの申し子」として、ある意味、Gothamという街が生み出した怪物、のはずなのだが、残念ながら完全に滑ってしまった。Gothamが普通の街にしか見えないため、彼の言葉も行動もまったく意味不明なのである。ちなみにBatmanも、ある意味父の作り上げた街であるGothamを浄化するために、悪の栄える街となってしまったGothamで悪党退治にいそしんでいるローカルヒーローが本来の姿なのだが、リアルすぎる描写によって、Nolan-Batmanは(Gothamにこだわらない)普遍的ヒーローのようになってしまった。「Rises」はこの点だけが極めて残念で、他の点は完璧だっただけに、大変がっかりである。
 とはいえ、わたしがダメ判定している「Rises」も興行的にはスーパー大ヒットとなった。WarnerがここまでうまくいったDCコミックヒーロー映画をやめるわけがない。折りしもライバルたるMarvel Studioは、憎っくきDISNEYの傘下となり、そのヒーロー映画をことごとく成功させ、あまつさえ、ヒーロー大集合映画『Avengers』は当時の歴代最高記録を更新するほどのウルトラ大ヒットとなったばかりだ。そもそも、ヒーロー大集合と言えば、DCコミックの「JUSTICE LEAGUE」の方が歴史は古い。Warnerが、Nolan-Batmanの大成功によって、じゃあウチも、「JUSTICE LEAGUE」作るか!! と考えるのは当然だろう。そんな情勢の中、『MAN OF STEEL』の企画は始まったはずだ。
 しかし、Warnerは、ちょっと落ち着いて考えてみるべきだった。
 Nolanの核にある「リアル」路線でSupermanを描いたらどうなってしまうか、を。
 Batmanはあくまで人間である。だから、リアルな人間として描くことで、物語の深みを増すことが出来たと言える。人間だから、悩み、苦しむ。だって人間だもの、がNolan-Batmanの根本である。しかしそれでも、「Rises」では限界が露呈してしまった。やはりコミックヒーローを描くには、リアルにも限度があったのだ。
 そのことにWarnerは気づくべきだったのだが、Nolan-Batmanの成功に浮かれすぎて、誰も指摘しなかったのだろう。『MAN OF STEEL』は、まさしくNolan流の「リアル」路線で、ズバリ言えば「Supermanが本当に存在していたら?」という視点で作られてしまっているのである。
 
 なので、冒頭に書いたとおり、『MAN OF STEEL』は、恐ろしくリアルで、ことごとく、しかるべき道筋をたどる極めて真面目なストーリーだ。ある意味、「もしスーパーパワーを持つ宇宙人が地球に飛来したら?」という仮定を正確にシミュレーションしたものとなっている。
 宇宙から赤ん坊がやってきて、おまけにものすごいパワーを秘めていたら(この点はもうリアルとかそういうことは度外視しないと話は始まらない)、そりゃあ育ての親は、「その力を見せてはならん」と言いますよ。そりゃ当たり前だ。わたしでも、絶対に隠しておけ、と言って育てると思う。しかし、その親の教育方針は完全にSupermanにとっては呪いとなって心と肉体を蝕み、あろうことか、目の前で父が今まさに死のうとしているのに、そして自分には余裕で助けることができる力があるのに、「力を見せるな」という呪いが発動して一歩も動けず、あっさり父は死んでしまう。まさしく「呪縛」だ。親を見殺しにするSupermanの姿なんて、誰が観たいのよ!? とわたしは劇場で椅子から転げ落ちそうになるほど驚いた。そして「父を助けることも出来なかった、オレの力って何なんだ、つーかオレって何者なんだ!?」とアイデンティティクライシスに陥り、世界を放浪するSuperman。まったくもって矛盾はなく極めてリアルな展開だが、マジかよ……何やってんだお前……と、わたしはもう、あっけにとられた。
 その後、地球での母の言葉と、亡き実父・ジョー=エルのデータ化されたビジョン的存在によってSupermanはトラウマを克服し、地球に侵攻してきたゾット将軍一行との戦いに挑むわけだが、ここも、何というか人間味はなく、正直、観ていてあまり感動はない。しかし人間味がないのは当然だ。だって宇宙人だもの。なので、リアルではあるけれど、ここは、全世界なんてどうでもいい、ただ、惚れたロイスを助けるためにオレは戦うんだ!! という地球育ちの宇宙人という設定を生かした展開であって欲しかった(なお、『MAN OF STEEL』ではまったくロイスとのLOVE展開はナシ。その意味では、本作においてロイスは何の役割もないとも言える。ロイスの役割は、例えば母でも十分代用可能だった)。
 おまけに、戦いに赴く前に、じゃあまずは軍に投降して地球人の誤解を解いておくか、という展開になるのだが、それは非常にリアルで、確かにそうなるかも、と理解はできるものの、わたしは断言するけれど、あのくだりは必要性ゼロだと思う。手錠をかけられたSupermanに何の意味があるって言うんだ? まったく物語には必要ないと思う。Supermanは単純に、地球を、ロイスを助けたいから闘えばいいだけなのに。ちなみに、今回のゾット将軍は、かつての『SUPERMAN II』で描かれたような漫画的な悪党ではなく、明確にSupermanことカル=エルを狙う理由が説明されており、その侵攻の手順も極めて軍人の流儀に叶っていて、彼には彼の正義があることがはっきりと描かれる。その点も非常にリアルでかつ矛盾や突飛な飛躍はない。
 そして始まる、宇宙人同士の超絶バトル。この戦いの様相は、まさしく地球人の目にはとても捉えることの出来ないもので、速すぎて何をしているのかよくわからない。せっかくスローモーションで漫画的な画を見せるのが世界一上手なZack Snyder監督なのに、全く生かされていない。ここもリアルすぎるのだ。また、彼らには、いわゆる必殺技、これが決まれば勝てると言うものはなく、単なる殴り合いで、観ていて全然面白くない。だって、別に殴ったって、銃で撃ったって、痛くもなんともないんだぜ? 殴り合いには何の意味もないよね。その格闘戦で体力を削って、フラフラになった時にライダーキック、あるいはスペシウム光線をかます、というような漫画的表現は皆無である。ただただ、殴り合っている(たまにヒートビジョンをかますも効果なし)。結果、街はその余波でぼろぼろである。建物はぶっ壊れる、車は爆発する、戦闘機は撃墜される。そりゃそうだ。そうなるよね、と、とにかくリアルな惨状が延々と見せつけられる。これ、観てて面白いか? そして対決の結末は、わたしはもう、劇場で「えええっ!!?」と声が出てしまったほどだ。なんと、決め技はスリーパーホールドからの絞め技で首の骨をボキン!! である。もう、なんて地味な決着なんだというのがひとつ、そしてSupermanが人殺しをしたという驚愕の事実に、わたしはもう席を立ちたくなった。なんじゃいこりゃあ、である。
 以上が、わたしが観たかったのは、コレジャナイ。と思う理由である。

 Batmanは人間だからこそ、リアルに描くことで、その苦しみや怒りに共感できた。犬にかみつかれれば血を流すし、常に満身創痍で治療を受けるBatmanは、あり得ないけどあり得るかもしれない一人の人間として、描く価値があったのだ。
 しかし、Supermanが本当にいたら? と超真面目にリアルに描いてしまったら、もう『MAN OF STEEL』で描かれたお話にならざるを得ない。この映画を観た我々は、Superman=恐ろしい存在としか感じられないのだ。まったくもって迷惑な存在でしかなく、いわば地球にとっては害悪以上の何物でもない。そんなSupermanの物語が面白いわけがない。お前のせいで何人死んだと思ってんだ!! と思うのが普通の反応だ。
 が、まさしくそこに、今日から公開される『BATMAN v SUPERMAN』のポイントがあるようだ。
 一番最初に公開された予告で示された通り、今回のお話は、まさしく『MAN OF STEEL』事件の余波で殺された人々の怒りをBatmanが代弁するお話、という一面があるようだ。
 
 BatmanはSupermanに問う。「Tell me, do you bleed?(お前、血を流すのか?)」
 答えないSupermanに、Batmanは宣言する。「You will !! (流すことになるぜ。つか、オレがお前に血を流させてやる!!)」。もう、Batmanは完全に激怒してますよ。そりゃそうだ。いや、もちろん最高にカッコ良くて大興奮のシーンなのだが……大丈夫なのかそれで。
 ※2016/03/26追記:上記のシーン、劇場版字幕では「お前の血は赤いのか?」「真っ赤に染めてやる!!」となってました。その日本語訳もカッコイイですな。
 Batmanの怒りは良くわかるし、対宇宙人用アーマースーツを纏ったBatmanはとてもカッコイイ。人間が宇宙人と戦うには、人類の知恵と経験を総動員した準備が必要だろう。非常にリアルである。けど、どうやって二人は折り合いをつけるのだろう? BatmanはSupermanを許せるのか? Supermanは『MAN OF STEEL』事件の落とし前をどうつけるつもりなんだろう? これから正義の味方として人類に奉仕するので許して下さい、と土下座でもする気か? 別の予告では、アメリカ議会に出席しようとするSupermanの画もあったが、もう、『MAN OF STEEL』で描かれたリアル路線を覆すことができないので、どんどん変な方向に話が進んでしまっているような気がしてならない。しかも、今回は、とうとう参戦するWonderwomanや、噂ではAqua-Manまで登場するらしい。リアル路線を追求したら、もう収拾つかないぞ。

 というわけで、ぶった切りですが結論。
 要するに、コミックヒーローを描くには、ある程度のファンタジックな部分はどうしても捨てられないはずなのだが、クソ真面目に、超リアルに描いてしまったために『MAN OF STEEL』はわたしに失望しかもたらさなかったわけです。全然うまく説明できずにごめんなさい。
 そして、わたしとしては『BATMAN v SUPERMAN』が心配でならないわけだが、あと12時間後ぐらいには観終わっているはずなので、わたしの心配が果たして杞憂に終わるのか、やっぱりな……となってしまうのか、答えはもうすぐに出る。その結論は、今日の夜書いて、明日の朝にはUPしようと思います。以上。

↓ 何故か評価の低い『RETURNS』。でも、わたしはかなり傑作だと思っています。『MAN OF STEEL』よりもずっとずっと面白いと思う。ただし、この映画はChritopher Reeve版の「1」と「2」を観てないとダメです。つーか明確に続編です。あの、お馴染みのメインテーマ曲をきっちり使っていることも非常に良いです。
スーパーマン リターンズ [Blu-ray]
ブランドン・ラウス
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2016-02-24

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