"There is no murder in paradise"
 昨日の夜観た映画は、この言葉から始まる。この言葉が一番最初にスクリーンに現れたとき、それなりに教養ある男を自負する私でも、これが誰の言葉なのかは知らなかった。が、それはすぐに明らかになる。これは、かのヨシフ・スターリンの言葉なのである。しかし、
 ――「楽園には、殺人は存在しない」。
 昨日観た映画は、この言葉の恐ろしさを嫌というほど教えてくれるものであった。
 その映画のタイトルは『Child44』という。

 結局、昨日は、開始時間がちょうどよかった方の映画を観たわけだが、『Child 44』は、邦題に「森に消えた子供たち」というサブタイトルが付いている。まあ、正直このサブタイトルはどうでもいい。一応ちょっとだけ解説しておくと、この作品は2008年にアメリカでベストセラーとなった、トム・ロブスミスによる小説が原作で、日本でも新潮社から出版されている。なんでも、2009年(?)の「このミス海外編1位」なんだそうだ。海外ミステリ好きなわたしも、話題になっていたことは知っていたが残念ながら読んでいなかった。ちょど今、本屋に行くと、この著者による新作「The Farm」(日本語タイトル「偽りの楽園」)という小説が新潮文庫で並んでいるのを見かけるが、それ以外にも実は『Child44』の続編は既に2作(?)出ていて、今回の映画の主人公の物語はまだ続いているようなので、これは買うしかないかな、と今思っている。 

 で、冒頭の言葉だ。
 要するに、スターリンの規定する共産国家ソヴィエトは、人類の欲望などは超越しており、楽園であると。故に、殺人など起こるはずもない、という意味である。どうですか、ゾッとしませんか? わたしは、その意味を映画の冒頭で知ってこれほど恐ろしい言葉は、なかなかないんじゃないかと思った。だって、あり得ないでしょ。そんなことは。つまりこの言葉は、わたしには完全に人間を、あるいは人間性?といえばいいのかもしれないが、とにかく人間というものを全否定しているように聞こえる。おそらくは、北の将軍様だってそんなこと言わないんじゃないかという気がするが、どうなんだろうか。もちろん、21世紀に生きる我々は、スターリンの夢見た楽園計画が完全に失敗に終わったことを知っている。わたしは、その失敗の原因を端的に物語る言葉だと思った。ははあ、やっぱりスターリンという男は、人間というものを知らない三流思想家だったかと納得のいく言葉だと思う。
 映画の話に戻ろう。この映画というか物語は、一部では子供を狙った連続殺人がソヴィエトで起きて、それを主人公が追う、という話だと思われるかもしれないが、それはあくまで表面的な事象に過ぎない。 この物語は、一人の男の目を通いて、ソヴィエトという狂った社会実験の顛末を追ったものだと解釈した方が良いのではないかと思った。
 
 物語は、主人公の男の幼少時代から始まる。第2次大戦の始まる前の1933年、ウクライナでは毎日数万人がスターリン政権下で餓死していて(しかも計画的飢餓、というらしい。そんなアホな!)、孤児が多く発生していた。主人公もそうした孤児の一人であり、孤児院を脱走し、軍人に助けられ、1945年のベルリンを開放したソヴィエト軍兵士として、偶然ベルリンに最初にソヴィエトの旗――赤字にハンマーと鎌のアレ――を掲げた兵士として新聞に載り、英雄扱いを受けることになる。戦後は、MGB(国家保安省、のちのいわゆるKGB)のエリート将校として毎日を忙しく送っていた、というところから物語は展開していく(ちなみにここまで冒頭の6分ぐらいで語られる)。物語の舞台は、1953年の戦後の冷戦がはじまる頃のモスクワだ。
 物語の流れはいくつかあって、ちょっと複雑なのだが、まず、最初に語られるのが、妻との結婚生活の模様。どうも、主人公は奥さんが大好きなのだが、奥さんはイマイチそうじゃないっぽいことがほのめかされる。もう一つが、スパイ容疑の男を追う話。その過程で部下との確執が描かれる。そして3つ目が、ともに戦争を戦った親友の息子が、「殺人が存在しない国」において「殺される」事件の話だ。

 この3つの流れが一つに合流していくわけだが、とりわけ、3つ目の事件が大きな柱になっているので、変な邦題が付いたのだろう。主人公は、MGB将校であるため、「殺人」という言葉を使う事が許されない。あってはならないことだからだ。故に親友に対しても、「あれは事故である」というでたらめな調書を伝えに行かされるはめになる。もちろん、親友も、特に親友の奥さんは全く納得ができない。だが、「殺人だ!」と主張することは、国家への反逆とみなされ、投獄はおろか粛清の対象にすらなりうる。だから黙るしかない。
 なんて恐ろしいことなんだとわたしは観ていてビビった。これが共産主義、これがスターリン体制下の常識なのか、と。それ以降も、主人公はかなりひどい、ほんとに、もうやめたげて! と言いたくなるような目に遭う展開なのだが、まあ、それは観ていただいた方がいいだろう。これ以上はネタバレなのでこの辺でやめておく。

 いずれにしても、この映画は、「ベストセラー小説を完全映画化!」みたいな惹句で宣伝されていたが、原作を読んでいないわたしとはいえ、それはどうだろう、と実は感じている。というのも、どうにもキャラクターの行動原理がいまいち明確でないのだ。どうしてそうなる、というのがやや説明不足だと思う。とりわけ、犯人の動機と、主人公の奥さんと、イカレた部下のキャラがイマイチつかめなかった。もちろん、それらしき描写はあるといえばあるのだが、うーーん……これはきっと原作ではきっちり描かれているのであろうな……と強く感じた。なのでまあ、要するに原作を読めってことか、と私は了解することにした。
 なので、東京に帰ったら、原作と、続編の2作も読んでみようと思う。
 それは、前述のキャラクター造形の若干の物足りなさが、わたしをそう駆り立てるわけだが、それ以外にも、映画としては全く問題ないきっちりとした終わりであるのは間違いないけれど、この主人公のその後があるなら読んでみたいと単純に思うからだ。結局のところ、わたしはどうやらこの主人公に非常に魅かれたということであり、映画としては非常に面白かったというのが結論であろう。、

 なお、キャストは非常に豪華と言っていい布陣を敷いている。主役のレオは、先日紹介した2代目MADMAXでおなじみとなったTom Hardyだ。イギリス人の彼が、いかにもロシア人っぽい英語をしゃべるのは何とも色気があり、世の女性に人気が出るのもうなずける。その奥さんを演じているのは、スウェーデン人のNoomi Rapaseで、正直彼女は別にうまいとは思えないが、彼女の出世作である『Millennium』シリーズ3部作は、ハリウッドリメイクであるDavid Finchter版よりもずっと面白い。もともとスウェーデンの大ベストセラーである『Millenium』の、かの「ドラゴンタトゥーの女」ことリスベット・サランデル役は、確実に彼女の方が原作のイメージに忠実で、非常に合ってると思う。なお、Noomi Rapaceは、ハリウッド進出のために英語を特訓した努力の人でもあり、今回のロシア人っぽい英語は雰囲気があって悪くない。ほかにも、Gary Oldmanや、4代目ジョン・コナーとしておなじみのJason Clarkeなど、脇もきっちりと有名俳優で固めている。あとヴァンサン・カッセルも出てますな。こいつは別にあまり好きじゃないからどうでもいいや。

 というわけで、結論。
 『Child44』は、わたしとしては十分面白かった。しかし、この面白さを味わい尽くすには、どうやら原作を読むことは必須なんじゃないかな、と思う。興味を持たれた方はぜひ、映画と小説、両方を味わっていただきたい。


↓ 今回の原作(上下巻)。その下が、どうやら2作目、さらにその下が3作目です(※めんどくさいので、いずれも上巻のみ)。

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)
トム・ロブ スミス
新潮社
2008-08-28

グラーグ57〈上〉 (新潮文庫)
トム・ロブ スミス
新潮社
2009-08-28




 
エージェント6(シックス)〈上〉 (新潮文庫)
トム・ロブ スミス
新潮社
2011-08-28