というわけで、最新ラノベを読んでみようというわたしの試みの2作目として選んだのは、この作品である。

 著者は、既に『デート・ア・ライブ』という作品でアニメ化を経験し、それなりに売れた作品を世に出した実績のある橘 公司先生、またイラストレーターも、ご存知『とある魔術の禁書目録』で大ヒットを記録した実力派のはいむらきよたか先生ときた。こうした、著者、イラストレーター共に実績のあるコンビの新作なので、まあ、大丈夫だろうな、という期待をこめて読み始めた。
 正直に言うと、本作はシリーズ化が前提の第1作なので、描かれていないことが多く、よく分からない部分が非常に多いが、そういう前提を受け入れるならば、昨日読んだ作品のような、編集の怠慢といえるような瑕疵は特に見当たらず、きっちりまとまっているとも言えると思う。
 構成も起承転結まとまっているが、若干バランスはほんの少し悪いかもしれない。プロローグのあと、第1章が起、第2章から第3章までが承、第4章が転、第5章と最終章が結、といったところだろうか。シリーズのはじめだけに、いろいろな紹介にページ数を割いているので、ちょっとだけ承が長いが、まあ、特に問題はないと思う。ただ、タイトルはまったく意味不明だ。メインタイトル「いつか世界を救うために」何なのか、よく分からない。救うために観察するってことか? 読み終わっても今ひとつピンと来ない。サブタイトルの「クオリディア・コード」に至っては、この1巻では一度も登場しない単語だ。まあ、このタイトルという部分では、まったくナシ、だと思う。著者のあとがきによれば、この作品は複数作家とのシェアードワールドものらしいが、この作品を買った読者にはまったく、何の関係もない。わたしも読み終わって、あとがきを読んで初めて知ったことだ。意味不明のタイトルは、やはり避けるべきだと思う。

 なお、物語は、謎の、宇宙侵略生物とも異世界生物ともよくわからない侵略勢力に対する戦争があって、開戦から20数年経過し、戦争もひと段落している世界が舞台となっている。そして戦争中は冷凍催眠させられていた当時の子供たちが、今は冷凍催眠から目覚めていて、世を動かす大きな存在になっていると、で、まだ、たまにやってくる謎勢力を撃退する必要があり、軍事的な教育・訓練を目的とした学園都市があって、実力ナンバーワンの女の子が首長的な役割も果たしている、と。そして主人公は複数の学園都市を統括する政府組織の人間で、とある学園都市ナンバーワンの女の子を暗殺する指令を受けて派遣されてくるが、果たしてその女の子をなぜ暗殺しなきゃいけないのか、そこを見極めるために、「観察」をする、が、いくら観察しても暗殺されるいわれがなく、主人公も悩む、というのが1巻の物語だ。そして全体のトーンはコメディタッチで軽く、主人公だけが真面目に任務を果たそうとするギャップがまたおかしい、という王道展開である。主人公の「観察」も、まじめを通り越してもはや単なるストーカーのように展開される中、ラブコメ要素も投入され、まあ、イマドキの読者にも満足なんでしょうな、という作品に仕上がっていた。
 
 しかし、である。この作品を楽しむには、やはりなんというか、ラノベのお約束をきちんと弁えておく必要があり、ズバリ言ってしまえば、普通の人が読んで面白いものではまったくない。とにかく、「ライトノベル」の名の通り、軽い、のだ。まったく後に何も残らない。まったく考えさせるものもない。その場限りの、ほんの2時間半ほどの物語体験で終わってしまうものだ。まあ、それがライトノベルというものだとして、了解すべきかもしれないが、これでは……本当にこのジャンルは衰退してしまうのではないかという危惧が心をよぎる。それでいいのだろうか? これでは、どんどんと新しいエンタテインメントが発明される現代において、常に先頭を走るエンタメにはなりえないのではないか。どうも、読者への媚びが過ぎるように思うのは、おそらくわたしが想定読者から外れたおっさんだからだろう。確かに、読者の期待に応える要素は必須ではある。が、もう少し、おっ!? という驚きや読後のすっきり感がないと、確実に読者は飽きる。そしてこのジャンルは衰退する。それは非常にマズイ事態だ。最近の作品は、どうにもお約束が前面に出すぎており、一見さんお断りな作品が多い。慣れていないと物語に入れないというか、楽しむための前提を――ある意味無意識に――理解しておく必要がある作品が多いように思う。今回の『いつか世界を救うために』も、この1冊単体では、ズバリ言ってまったく面白くない。ちょっと引いて考えれば、謎だらけ穴だらけ、である。だからこそ、次の2巻をわくわくして待つのが正しいラノベファンのあり方かもしれないが、その「待ってくれている」ファンを当てにするのも非常に危ういと言わざるを得まい。そんな待ってくれている保証は何もないし、時間というものは、我々おっさんや、おっさんになりつつある著者と、読者たる10代の人間とでは、明らかにその流れる速さが違う。我々にとって1年は、ついこの前、あっという間のものだが、10代にとっては1ヶ月や3ヶ月ぐらいでも長く感じるものだし、1年前なんてものは、「昔」と表現されるぐらい長いものだ。その感覚の違いを承知しておかないと、確実に作品は忘れられる。そこは非常にシビアだ。
 
 わたしは、いわゆるラノベなるものの記念碑的作品として、『ブギーポップは笑わない』という作品が果たした役割は大きいと思っている。『ブギー』は、普通の人が呼んでも十分に面白い。そこには、お約束はなく、純粋に面白い小説として成立しており、この作品から、ライトノベルは大きく市場を拡大したと思っている。おそらく、『ブギー』クラスの、ジャンル全体の流れを変える傑作が今後生まれないと、ライトノベルというジャンルはもう、もたないだろうと思う。もしそんな大傑作が生まれるとしたら、それはたぶん、突然現れるのではないかと思っている。だから、どうかそれを発掘する編集者は、その登場を見逃すことなく目を光らせておいて欲しいものだ。

 というわけで、結論。
 この作品も、ハズレだ。『デート・ア・ライブ』からまったく進化していない。あとがきによれば、2巻といわば上下巻の関係にあるようだが、そんなことは知ったことじゃない。2巻を買って読もうという気にはなれない。

 ↓ 『ブギーポップは笑わない』。この作品は、もう既に発売から17年。今もなおライトノベル史上最高傑作と言っていいのではないかと思う。
 
ブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))
上遠野 浩平
メディアワークス
1999-06