わたしがDave Eggers氏なる小説家の作品『The Circle』を読んだのは、去年の12月のことで、その時このBlogにも散々書いたが、おっそろしく後味の悪い、実に気味の悪い作品であった。しかし、たぶん間違いなく、Eggers氏は確信犯であり、読者を不愉快にさせ、SNSなんぞで繋がってる、なんて言ってていいのかい? というある種の皮肉を企図している作品なので、その手腕はなかなかのものだと思った、がーーーいかんせん、物語に描かれたキャラクターがとにかく絶望的にひどくて、とりわけ主人公の女性、メイのキャラには嫌悪感しか抱かなかったのは、その時このBlogに書いた記事の通りである。
 ↓こちらが原作小説。あ、もう文庫になってら。映画合わせか。そりゃそうか。
ザ・サークル (上) (ハヤカワ文庫 NV エ 6-1)
デイヴ エガーズ
早川書房
2017-10-14

 というわけで、わたしがこの小説を読んだのは、この作品が映画化されることを知って興味を持ったためなのだが、その映画作品がようやく日本でも公開されたので、さっそく観てきた。
 ズバリ結論から言うと、映画版は小説のエッセンスを濃縮?というか、要するに短くまとめられており、雰囲気は非常に原作通りなのだが、結末はまったく違うもので、映画版はほんのちょっとだけ、すっきりすることができる仕上がりとなっていた。まあ、原作小説通りの結末だと、わたしのように不快に思う人がいると思ったからだろうか? わからんですが。しかし、なんか、うーん……そのせいで、若干中途半端であり、かつ、ある意味、本作の持ち味は相当薄れてしまったようにも思える。
 以下、いつも通りネタバレに触れる可能性が高いので、これから観に行く予定の人は読まないでください。つーかですね、わたしのBlogなんて読んでないで、原作小説をちゃんと読んだ方がいいすよ。

 さてと。えーと……今、ざっとWikiのこの映画のページを読んでみたのだが、ストーリーを記述した部分は……ちょっと違うんじゃね? と思える部分があるので、あまり信用しない方がいいと思う。わたしももう、ストーリーに関しては、さんざん小説版の記事で書いたので、もう書かない。以下に、原作とちょっとキャラの変わった二人の人物を簡単にまとめてみようと思う。
 ◆メイ:主人公。基本設定は小説版のまま変わってはいない、が、やはり、演じているのがハーマイオニーあるいはベル、でおなじみの元祖美少女Emma Watsonちゃんであるため、原作通りの頭の悪い女子を演じさせるのは難があったのだと邪推する。映画版のメイは、小説版よりほんの少しだけ、まともな人間になっていた。なお、小説版ではメイは何度かセックスシーンがあるが、映画版では一切ございません。別に期待したわけでは全くないけれど、メイのキャラクターを表す行動の一つだったので、その点でも映画版のメイは「まともな」人間に見えました。序盤は。わたしが印象的だったのは、かなり序盤で、入社1週間目にやって来る二人のイカレた男女に、結構露骨に嫌そうな顔をしていたシーンだ。その二人がどうイカレているかというと、メイは入社して1週間、頑張って仕事をしていたので、全く自分のプロフィールを編集したりする暇もなく、大量に寄せられるメッセージへの返事なんかも放置していたわけですよ。それを、「なんであなた、プロフィール公開しないの? え! カヤックが好きなの? なんだ、僕も好きなんだよ! それを知ってたら一緒に行けたのに!」とキモ男に言われるのだが、観ているわたしは、(なんでてめーと一緒に行かねえとならんのだこのボケが!)とか思っていたところ、Emmaちゃん演じるメイも、(……なんであんたと行かなきゃいけないのよ……)という顔を一瞬して、すぐに「ええ、ご、ごめんなさい、ちゃんとプロフィールも入力するわ」と慌ててつくろった笑顔を向けるという流れで、わたしはこのシーンにクスッとしてしまった。しかしこのシーンはこの物語を示すのに非常に象徴的であったとも思う。
 そしてラストに描かれる、「メイの元カレを探そう、イエーイ!」のコーナーも、小説版では極めて後味が悪く腹立たしいシーンだが、映画版でも実に気持ち悪く描かれていた。ここは原作通りなのだが、映画版ではこの事件をきっかけに、メイはまともな人間の反応を示す方向に行ったので、ここは物語が大きく原作と変わる重要ポイントとなっていた。そりゃそうだよ、映画版の反応は普通の、自然な反応だと思う。たぶん、小説版ではそれまでの出来事がかなりいっぱいあって、それらは映画版ではかなりカットされてしまったので、小説版のような反応をする説得力を持たせられなかったのではなかろうか。そのため、ごく自然な人間の反応を映画版は描かざるを得なかったように思う。そういう意味では、やっぱり映画版はかなりの短縮版だったと言えそうだ。
 ◆タイ:The Circleの創始者。会社経営のために雇ったCEOともう一人の重役の暴走を傍観するだけの役立たず、であり、小説版ではメイには正体を隠して仲良くなり、最後はごくあっさりメイに裏切られる愚か者、というキャラだったが、映画版では中盤? 前半?の段階でメイに正体を明かす。そしてキャラとしてもかなり変わっていたし、そもそも名前も変わっている。演じたのは、FN-2187ことフィンでおなじみのJohn Boyega君25歳。STAR WARSの”フィン”は確かに熱演だったと思うけれど、あれは元々が素人同然だから頑張ったと称賛できるわけで、はっきり言って、彼はまだ演技が全然だと思う。存在感が非常に薄く、物語的にもほぼ活躍しない。その結果、なぜタイはメイをこいつは使える、と見染めたのかもよくわからないし、エンディングも何となく、小説版のショッキング(?)なものではなく、若干のとってつけた感を感じた。
 とまあ、以上のように、小説がはらむ猛烈な毒はかなり薄まっているような気がする映画であった。小説版が猛毒なら、映画版は軽いアルコールぐらいな感じだとわたしには思えたのが結論であろうか。
 ただし、やっぱり映画という総合芸術の強みはその映像にあり、小説では脳内で想像するしかなかった「Circle」の各種サービスが鮮明な映像として提示されると、非常にリアルで、ありえそう、という実感が増していると思う。
 しかし思うのは、本当に現実の世はこの作品(小説・映画とも)で描かれる世界に近づいているのだろうという嫌な感覚だ。まあ、一企業のシステムに政府そのものが乗っかる、というのはあり得ないかもしれないけれど、現実に、納税とか公共サービスの支払いを既にYahooで支払えたりできるわけで、「あり得ない」が「あり得る」世界がやってきてしまうのも時間の問題なのかもしれない。わたしが願うのは、そうだなあ、あと30年だけ、そんな世界が来るのは待ってくれ。30年経ったらわたしはくたばっているだろうから、そのあとはもうどうでもお好きなように、知ったことかとトンズラしたいものであります。しっかし、メイにプロフィールを更新しろだのメッセージに返事しろ、コミュニティに参加しろ、なんて、「自由意志」よ、といいつつ「強制する」恐ろしい連中に対して、生理的嫌悪をいただかないとしたら、もうホントに終わりだろうな。おっかねえ世の中ですわ。
 あと、そういえばこの映画でわたしがとても痛感したのは、日本の国際的プレゼンスの失墜だ。本作では、主人公メイが透明化して以来、画面にさまざまな言語でコメントが現れるのだが、ロシア語や中国語、アラビア語なんかはかなり目立つのに、わたしが認識した範囲内では、日本語は一切現れなかった。とりわけ中国語が目立つわけで、なんというか、20年ぐらい前はこういう未来描写に日本語は必ずと言っていいほど現れてきたのに、残念ながらそんな世はもうとっくに過ぎ去ったんですな。実に淋しいすねえ……。
 というわけで、他のキャストや監督、脚本については特に思うことはないので終わりにするが、最後に、名優Tom Hanks氏演じたCEOと、メイの父親を演じたBill Paxton氏についてだけ記しておこう。
 本作映画版に置いて、Hanks氏演じたCEOは、結局は金の亡者(?)ともとれるキャラで破滅エンド(たぶん)を迎えたが、小説版ではもっと、本気で自分のやっていることがいいことだと信じて疑わない天然悪だったような気がする。そういう意味では小説版の方がタチが悪く、キャラ変したキャラの一人と言えそうだ。
 そして、Bill Paxton氏だ。彼と言えば、わたしが真っ先に思い出すのは、『ALIENS』でのハドソン上等兵役だろう。お調子者で文句ばかり言う彼が、最後に見せる男気が印象的な彼だ。Paxton氏は今年の2月に亡くなってしまい、エンドクレジットで、For Bill(ビルに捧ぐ)と出るので、本作が遺作だったようだ。享年61歳。まだお若いのに、大変残念であります。
 あ、あともう一人メモしておこう。主人公メイをサークルにリクルートする友人アニーを演じたのが、Karren Gillan嬢29歳。アニーのキャラは、ほぼほぼ原作通りであったが、演じたKarenさんは、わたしは観たことない顔だなーとか思っていたら、なんと、『Guardians of the Galaxy』の超危険な妹でおなじみのネビュラを演じた方だそうです。素顔は初めて見たような気もする。いや、初めてじゃないか、『The Big Short』にも出てたんだ。全然知らなかったわ。意外と背の高い彼女ですが、素顔は……うーん、まあ、わたしの趣味じゃないってことで。

 というわけで、またしても全くまとまりはないけれど結論。
 去年読んだ小説『The Circle』の映画版が公開になったので、さっそく観に行ったわたしである。その目的は、あの恐ろしく後味の悪い嫌な話が、映画になってどうなるんだろうか? という事の確認であったのだが、エンディングは全く変更されており、ほんの少し、まともな結末になっていたことを確認した。まあ、そりゃそうだろうな、といまさら思う。小説のままのエンディングだったら、相当見た人に不快感を与えるであろうことは想像に難くないわけで、映画という巨大な予算の動く事業においては、そこまでのチャレンジはできなかったんでしょうな、と現実的な理解はできた。それが妥当な理解なのか、全く根拠はありませんが。しかしそれでも、世はどんどんとこの作品で描かれる世界に近づきつつあり、小説版を読んだ時の感想と同じく、わたしとしてはその前にこの世とおさらばしたいな、と思います。切実に。長生きしていいことがあるとは、あんまり思えないすねえ……以上。

↓ どっちかというと、この作品で描かれる未来の方がわたし好みです。結構対照的のような気がする。こちらは完全なるファンタジーかつ、わたしのようなもてない男の望む世界、かも。
her/世界でひとつの彼女(字幕版)
ホアキン・フェニックス
2014-12-03