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 すでに公開されているUS本国ではやけに評判がイマイチだとは聞いていた。その理由はどこにあるのか? 単に主演の役者のルックスがあまりにHarrison Ford氏に似てないせいなのか? そんな理由なら全然非難することなかろうに……。
 と、そんなことを考えながら、わたしは昨日の金曜日、会社帰りに、久しぶりに新宿TOHOへ赴いた。理由は勿論、昨日から公開になった『SOLO : A STAR WARS STORY』をIMAX3D版で観るためである。最初は日比谷で観ようと思ったら、どういうわけか? 日比谷TOHOのIMAXは3Dじゃないようなので、なんじゃそりゃ、と思って新宿にしたのだが、こと3Dに関していうと、非常に暗いシーンが多く、これは普通に2Dで良かったな、と思った。つまり、新宿に行く意味はほぼなかったと思う。なんか、画面がしっかりフォーカスが合ってないぼんやりした画のように感じられたのは、単にわたしの視力の問題なのか? この点は、Blu-rayが発売されたら4K ULTRAのくっきり画面で確認してみたい。【追記:どうも、初日の金曜だけ日比谷IMAXは3Dじゃなかったのかな、今は普通にIMAX3Dになってるみたいす。単にわたしの勘違いだった可能性も……】
 そして肝心の内容なのだが……やっぱり、ちょっといろいろ問題アリかもなあ……とは感じるに至った。ただし、役者には全く問題ないと思うし、初めて明らかにされるソロ船長チューバッカの出会いなど見どころはいっぱいあって、部分部分は大変楽しめたのは間違いないと思う。なので、結論としては……アリ、だと思う。いや、うーん……サーセン、何とも言えないかな……ちょっと微妙なのも間違いないので。
 というわけで、以下、ネタバレに一切考慮せずに書くと思うので、まずは劇場で、何の先入観も持たずに観てきてください。そうするべきです。

 というわけで、上記予告は何度も目にしたが、実際のところ、どんなお話なのか、わたしは全く分かっていなかった。そもそも、時代的にいつなのか? もよくわからない。常識的に考えて、ソロ船長の若き頃、なのだから、本編でのEPISODE IIIからIVの間であるのは間違いなかろう。
 しかし……うーん、わたしもSTARWARSシリーズを愛しているとはいえ、実は時間経過をよくわかっていないので、まずちょっとまとめてみようかな。一番初めの、EPISODE:Iの時間を「X」として、それぞれのEPISODEの年を一覧にしてみるか。ローマ数字だと表記しにくいので普通にアラビア数字でEP番号を示します。
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 <EP:1 The Phantom Menace
 X年の出来事。10歳児程度のアナキンがクワイ・ガンに見いだされる。
 <EP:2 Attack of the Clones
 X+10年ぐらいの出来事。アナキンは青年に成長、パドメとFalling LOVE。ラストでクローン戦争開幕。
 <EP:3 Revenge of the Sith
 X+13年ぐらいの出来事。前作ラストで始まったクローン戦争3年目。アナキンはダークサイドへ転落。ジェダイ騎士団壊滅。
 <ROGUE ONE
 EP:4直前の話。ついに完成したデス・スター設計図をめぐる名もなき戦士たちの悲劇を描く。ラストの4へつなぐシーンが超見事。
 <EP:4 A New Hope
 X+33年後ぐらいの話? つまりEP:3から20年後ぐらい、のはず。いや、どうかな、これはよくわからん。EP:3ラストで生まれたルークが20歳にはなってなかったかもしれない。18歳とかそんなもんだっけ?
 <EP:5 The Empire Strikes Back
 X+36年後ぐらいの話? 前作から3年後らしい。
 <EP:6 Return of the Jedi
 X+37年後ぐらいの話。これは前作から1年程度のはず。
 <EP:7 The Force Awakens
 X+67年後ぐらいの話。どうやら、6から30年程度は時が経過している模様。EP:8に関しては、わたしは世紀のトンデモコレジャナイムービーだと思っているので触れません。
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 まあ、こんな感じだと思うのだが、今回の『SOLO』が、EP:3と4の間の20年ぐらいのどこかに位置する物語であることは間違いないけれど、今回、何と驚愕のサプライズ登場したキャラクターが一人いて、わたしは、えっ!? どういうことなんすか?? と混乱しているのである。誰のことを言っているか、観た人なら分かりますよね? そうです。EP:1においてクワイ・ガンを殺し、オビ=ワンに殺されたダース・モールが登場したのです。これは……まあ、ダース・モールという存在がある意味役職的なもので、別人にその役割が引き継がれた、と思えばいいのかもしれないが、正確なところは実際良くわからない。そしてズバリ言うが、全く登場する必要はなかったとわたしは断言したい。混乱を招くだけで、何の意味もなかったと思う。4以降に登場してこないのもおかしいし。この点については後でまた述べますので、ここではこれ以上は触れない。【追記:わたしは全然知らなかったですが、『クローン・ウォーズ』ではモールは死んでない設定だったんすね。そうなんだ……コメントでの情報あざます!】とにかく、今回の『SOLO』が時間的にどこに位置されるのかは重要だと思うが、最後まで何とも判然としなかったのは残念に思った。強いていうなら、EP:4の時のHarrison氏が当時35歳ぐらい、そして今回のAlden君が28歳、てことは、EP:4の7年前ぐらい、なイメージと勝手に思うことにします。
 で。おそらく、ファンが望む本作で「描かれるべき出来事」は、(1)いかにしてチューバッカと出会うのか、(2)いかにしてファルコン号を手に入れたのか、(3)いかにしてソロ船長はジャバ・ザ・ハットに借金を抱えてしまったのか、この3点に尽きるはずだ。そして本作ではきちんと(1)(2)に関しては美しく、そして結構見事に描いてくれたと思う。しかし(3)が、たぶん時間軸的にうまく描けなかったのだと思う。おそらく(3)はもうちょっと後のことで、それ故、(3)に関してはほのめかす程度で終わってしまっている。その点は若干残念だが、まあ、仕方がなかったのだろう。しかしそれでも、もうチョイうまくやれたと思うのだが……
 結局のところ、本作についてわたしが一番問題視するのは、キャラクターであろうと思う。キャラクターの存在感が薄いというか、なんかきちんと描かれておらず、結構謎が多いままだったし、かなりあっさり死んじゃうし。どうも、若干の底の浅さがわたしには実に気になったのである。もっとちゃんと考えてほしかったような……。
 というわけで、各キャラごとに見ていこう。
 ◆ハン・ソロ:彼については、とりわけ問題点はなく、演じたAlden Ehrenreich君28歳の熱演も悪くなかったと思う。でも、やっぱりしぐさやしゃべり方は、もうチョイ研究の余地があったはずだと思うな……。そしてわたしがソロ船長について、初めて知って、へえ~そうなんだ、と思ったポイントは以下3つです。
 ・ソロ船長はなんと帝国軍の軍学校出身だった! これは故郷の星「コレリア」から脱出するため、そして操縦技術を身に着けるため、に軍に入隊したという事情があってのことで、別に帝国軍に心酔していたとかそういうことでは全然なく、それなりの説得力はある。しかし、そういう過去があるのなら、これまでのシリーズで帝国軍知識が生かされたと思うのだが……。そういう意味では、アリのような、ナシのような、微妙さを感じた。これは……どうでしょう、もっと幼少時代から描いて、師匠たる強盗団で鍛えられた、みたいな方が良かったような……。そしてたとえば 、「I have a bad feeling about this」は実は師匠の口癖だった、的なのがあれば良かったのにね。
 ・名前の「ソロ」の意味は、「ひとり者」という意味だった! これは、前述の帝国軍へ入隊する際に、名前を聞かれ、名字がなく、帝国軍の入隊事務官が、そうか、親兄弟もいない一人ぼっちか、じゃあ、「ソロ」でいいな、とテキトーに名づけられるシーンで明らかになる。これはなかなか良かったすね。アリですこれは。ちなみに、お父さんは元々なんとかって宇宙船メーカーの技師?で、宇宙船製造ドックに勤務してたそうです。
 ・なんと! ソロ船長は「ウーキー語」がしゃべれた! これは最高でしたね! EP:3で登場したキャッシーク星人であるチューイだが、ソロ船長は何でチューイの言うことが理解できるんだろう? とずっと謎だったが、そういうことだったんだ、とわたしは大興奮したっすね。出会いもなかなか良くて、実にアリ、だと思った。
 ◆チューバッカ:ご存知ウーキー180歳。EP:3でのクローン戦争でヨーダを支援した後、ウーキー族は気の毒なことに奴隷的に扱われていたことが今回判明。帝国軍の牢屋?でソロ船長と出会い、ともに脱出して熱い友情を結ぶ。この展開は実にアリでわたしは大変うれしくなったすな。若干、EP6冒頭のジャバの屋敷のアレのオマージュっぽかったし。チューイに関しては、本作は何の問題もないと思う。けど、もうチョイ活躍してほしかったかも……。
 ◆ベケット:若きハン・ソロの師匠ともいうべきベテラン&凄腕の窃盗団リーダー。演じたWoody Hrrelson氏はおっそろしくカッコよく、存在感もたっぷりでとても良かったのだが……なんか、ハンとの絆というか、精神的なつながりが薄く、それにしては窃盗団の仲間には優しく、若干ちぐはぐな印象を持った。「誰も信用するな」という教えはアリだし、ラストの裏切りもアリだと思う。けれど、あの最後はやっぱりおざなりですよ。悪党として死なせるのは非常にもったいなかったし、あっけなさすぎる。やっぱり、ラストは実はハンを守るための裏切りだった的な展開が欲しかったように思う。ハンとの疑似的な父と子的な絆が欲しかったすねえ……。そのためにも、もっと子供のハンと出会うべきだったような気がしました。彼の窃盗団の仲間の二人が結構イイキャラだったのに、前半であっさり逝ってしまうのももったいなさ過ぎたと思う。彼らも、ハンの育ての兄・姉として、もっと見せ場を作れたはずなのに……。
 ◆キーラ:ハンの恋人、のち、マフィアのナンバーツー。多分わたし的には彼女の役割が一番気に入らなかったんじゃないかと思う。そして彼女がダース・モールとつながりがある必要はゼロだったと思う。むしろ、ジャバと明確につながっていれば良かったのにね。そして、明確に彼女は死ぬべきだった。生き残っちゃったし、ハンと敵対したままだったし。なので、彼女の立ち位置がまったくエモーショナルでなく、非常に残念に感じた。もっと、やむにやまれる感が必要だったし、ハンを助けて死ぬ、というのが王道だと思う。なんだか、本作で描かれた彼女は、かなりクールかつ積極的に悪の道に進んだ印象があるし、何より問題なのは、ハンよりも自分の命優先な態度は、かなり残念だと思う。若干中途半端すぎるとわたしは思った。ただし、演じたEmilia Clarke嬢31歳は大変可愛くて素晴らしかったのは間違いない。なんか、顔つきがカトパンでお馴染みの加藤綾子嬢に似てましたね。Elilia嬢に関しては、わたしは『TERMINATOR:GENISYS』でのサラ・コナー役しか見たことがなかったけど、あれっ!? こんなに可愛かったっけ? と驚いたす。結構ちびっ子ですな。実に可愛かったと思う。
 ◆ドライデン:キーラの仕えるマフィアのボス。強いんだか弱いんだかわからない人。どうやら本作の世界では、マフィア団がいろいろあって(ジャバの組織はハット・カルテルだったっけ? 一瞬名前は出ました)、その中のデカい組織のボスが彼なのだが、どうも、帝国軍やシス卿といった勢力とはつながりはなかったように見えた。なので、ラストでキーラがダース・モールに連絡するのも非常に唐突かつとってつけた感があったのだが、どうせならこのドライデンの組織は、明確にジャバと敵対・競合する組織であり、エンフィス・ネスト(というのが本作では競合組織のボス)はまるでいらなかったように思える。なお、このドライデンを演じたのは、わたしはもう、声で一発で誰だかわかった。そう、わたしの大好きなMCUにおいて、JERVIS/VISIONさんでお馴染みのPaul Bettany氏でした。この人はとにかくでかい! たぶん190cm以上あると思う。
 ◆ランド・カルリジアン:ご存知宇宙に名をはせるギャンブラー。ファルコン号の持ち主。演じたのはこのところチョイチョイ見かけるDonald Glover君34歳。彼と言えば、『The Martian』でNASA長官に重力ターンの航路を「ギュイーーンと来てガーーッと行くんすよ!」とプレゼンする若者だったり、『SPIDER-MAN:Home Comming』でちょっとした悪者アーロンを演じたことが記憶に新しいですが、今回は雰囲気あって大変良い演技でした。ランドの若き頃の姿としては大変似合っていたように思う。だだし……本作では若干活躍の場がなく、やや中途半端だったようにも思う。ファルコン号Getというポイントは、物語の中で重要な出来事なのに、若干軽かったすね。そして、ソロ船長の伝説の一つである「ケッセルランを12パーセクで飛んだ」というエピソードは本作できっちり描かれました。しかしなんつうか、彼よりも、ランドの相棒のドロイド、L3のキャラが素晴らしかったすな! そんなL3もかなりあっさり破壊されてしまうのは残念であったけれど、L3に蓄えられていた銀河の航路データは、ファルコン号に吸収されたわけで、つまり今でもL3はファルコン号とともに生きてるのさ……と考えると、まあアリ、であろうと思う。しかし、やっぱりアレすね、ランドは新三部作に出てくるべきですよ、絶対に。あのクソ駄作「8」はホント許しがたいわ……。

 とまあ、キャラについてはだいたい以上かな。要するに、わたしとしては、ハンはもっと少年時代にベケットに拾われ、窃盗団の中で成長し、腕も磨き、育ての父・兄・姉を帝国軍から助けるために宇宙一速い船=ファルコン号が必要となって、ギャンブル勝負で勝ち、ついでに、ベケットとは犬猿の仲だったジャバをやむなく頼ってしまったことで、借りが出来てしまい、密輸屋になった、的な流れだったらなあ、と思ったわけです、はい。まあ、それで面白くなったかはわからんですが。なんか……山場が盛り上がらないというか……若干物語の流れが平坦だったように感じたっすね。

 というわけで、最後に監督について書いて終わりにしよう。本作を撮ったのは、大ベテランRon Howard監督64歳だ。ただし、さんざん報道された通り、本作は途中で監督がチェンジしてしまうなどの製作トラブルがあっての就任で、ま、そのゴタゴタも、そしてあの「8」のトンデモぶりも、すべてルーカスフィルム社長のKathleen Kennedy女史の責任と断言できる。ま、それはともかく、そんなゴタゴタの結果、もう出来上がってしまった脚本、もう撮影されてしまった部分などがある中で、Ron Howard監督は全力を尽くしてくれたと思う。冒頭に書いた通り、画が妙にパキッとしない作りだったのが気になるが、そうだなあ、撮影というか映像的にわたしが一番すごいと思ったのは、冒頭のスピーダー・チェイスのシーンかなあ……。あのシーンのスピーダーは、本当にもう飛んでいる(宙に浮かんでいる)としか見えなかった凄い出来だったし、金属や街の質感も雰囲気抜群でしたな。

 というわけで、もう書きたいことがなくなったので結論。
 全世界のSTARWARSファンが待ち望んだスピンオフ『SOLO : A STAR WARS STORY』をさっそくIMAX3D版で観てきたのだが、わたしが思うに、まず第一に、3Dで観る必要はなかったのが一つ。そして物語としては、心にグッとくるようなエモーショナルな点がなく、かなり冷徹かつさらっとしているという印象を受けた。なんつうか、いらないキャラも多いように感じたし、正直、もっと面白くできるのになあ、と、いつもの言うだけ詐欺な感想を抱くに至ったのである。ただ、まあ、チューバッカとの出会いは実によかったすね。そして、全世界からのプレッシャーの中、頑張ったAlden Ehrenreich君は、確かにHarrison Ford氏には似てないす。でも、見かけは似てなくても、あの特徴的なニヤリやしゃべり方は、もうチョイ研究の余地があったかもしれないすね。そうすればここまで酷評されずに済んだのではなかろうか。結局のところ、本作の問題は、要するにキャラ造形、すなわち脚本でしょうな。まあ、「8」よりずっとマシですが。「8」を面白いと思う人とは永遠に分かり合えないと思います。わたし、心が狭いんで。以上。

↓ しかしそれにしてもEmilia Clarke嬢は可愛かったすなあ……久しぶりにまた視てみるか……。
ターミネーター:新起動/ジェニシス (字幕版)
アーノルド・シュワルツェネッガー
2015-10-21

 いやあ、すごかった。大変面白かった。物語に超引き込まれた。これは現時点での、といってもまだ2月になったばかりだけど、2018年暫定ナンバーワンだな。
 今日、わたしは土曜だというのに朝の7時過ぎには会社に出社して、ちょっとだけ気になってた仕事をせっせと片付けていた。そして9時チョイに、時間だ!とあわててPCを落とし、会社を出て一路上野に向かい、とある絵画展を観てきた(※それは明日記事にします)。そしてその後また会社に帰ろうか、と思ったのだが、通りかかった新しい上野TOHOにて、映画を1本観ていくことにした。それは、何度も劇場で予告を観ていて、非常に気になる作品だったのである。そのタイトルは『THREE BILLBOARDS OUTSIDE Edding, MISSOURI』。邦題はシンプルに『スリー・ビルボード』である。すでに様々な賞レースをにぎわせており、やや話題になっているようだ。まあ、アカデミー賞がとれるかどうかは知らないけれど、2018年オレ的映画祭では相当上位に位置されそうな予感である。ズバリ言って、冒頭に書いた通り大変面白かった。これは相当な傑作ですよ。というわけで、以下、結末まで書かざるを得ないような気がするので、まだ観ていない人は絶対に読まないでください。間違いなく、結末を知らないで観る方が感動?は増加すると思う。これはマジです。

 物語は、もう上記予告で描かれている通りである。娘を殺された白人中年女性。進まぬ警察の捜査に業を煮やし、地元のミズーリ州エディングという田舎町の片隅に建つ、3枚の野外広告ボードに、とあるメッセージを載せ、そこから生じるさまざまな人々の生き方を描いた物語だ。ちなみに、メッセージとはこんな感じだ。
 1枚目:RAPED WHILE DYING
 2枚目:AND STILL NO ARRESTS?
 3枚目:HOW COME, CHIEF WILLOUGBY?
 これは簡単なので、おそらく誰でも日本語訳できるだろう。が、わたしは1枚目の言葉のニュアンスにかなりゾッとした。「死につつある中でレイプされた」とでも訳せばいいのだろうか? えーと何が言いたいかというと、レイプされてその後殺されたということではなく、その両方同時だったというニュアンスにわたしは ゾッとしたのである。そりゃあ、自分の娘がそんな目に遭ったら、「で、逮捕はまだなの?」「ウィロビー署長、なんでなのよ?」と問いたくもなるだろう。
 というわけで、上記予告の冒頭のシーンが、警察署の真正面にある広告代理店を訪れた主人公・ミルドレッドお母さんが野外広告の契約をするシーンである。そして建てられた野外広告。そしてそれを警官が見て、慌てて署長に電話するという流れは予告に描かれている通りである。
 果たしてこのミルドレッドお母さんの怒りは何をもたらすのか、本作はずっとその緊張感がピリピリしていて、なんだか観ていてドキドキする。ここで、緊張の構造をまとめておこう。
 ◆お母さんサイド:事件から7カ月たっていて、全く手掛かりなしでずっとイラついている。もちろん一番憎いのはそりゃあ犯人だろうけれど、何も成果を上げない警察にイラつきMAX。なお、息子を毎日学校へ送っているが、息子は怒れるお母さんのことで嫌な目に遭っている模様で、せっかく妹の死を乗り越えようとしているのに、若干うんざり気味(?)。もう一つおまけに、旦那とはとっくに離婚しているようで、その元旦那は警官でDV野郎だったらしい。現在は19歳の小娘と付き合っているようで、それにもイラついている模様。
 ◆お母さんサイド応援団:広告代理店の若者レッド君は最初からお母さんに同情的。そして看板付け替え作業人の黒人青年もお母さん擁護派。そしてお母さんの勤務先のお土産屋さんの女性ももちろんお母さん応援団のひとり。
 ◆警察サイドA_署長:ウィロビー署長は、真面目な男で、実のところ全然手掛かりが得られないことに悔しい思いをしている。ただ、この看板はないでしょ、オレだって頑張ってるのに、的な心情。そして、何と署長はガンに蝕まれており、余命僅か。お母さんはガンのことも知っていて、「知ってるわよ。街中で知らない人なんていないでしょ。(この看板は)あんたが死んでからじゃ遅いでしょ」とバッサリ。そして署長は、この看板騒動とは関係ない、という遺書を残して自殺してしまう。
 ◆警察サイドB_ディクソン巡査:コイツがまたとんでもないクソ野郎で、何かとけんか腰。わたしは観ていて、このバカがいつ暴発するのか、もうハラハラしながら観ていただのが、なんとその怒りは、署長の自殺で頂点MAXに。そしてかわいそうなことに、その怒りの矛先は広告代理店のレッド君に半ば八つ当たりのようにぶつけられ、レッド君はボッコボコにされてしまう。
 このシーンは、うがあ!と怒りが爆発して、つかつかと警察署を出て、真正面の広告代理店のガラスをたたき割って、階段を上って、オフィスのレッド君をボコボコにして、おまけに2階から突き落として、そしてアシスタントの女子を一発殴ってまた階段を下りて、そして道路に放り投げられて足を折ったレッド君をもう一度ボコボコにして、ふーーーっと警察署に入っていく、という一連のバイオレンスで描かれ、何と驚きのワンカットで撮られていた。ここはもう、わたしは本当に度肝を抜かれた。これ、CGでつないでいるのかな? 本物のワンカットなのかな? とにかくその緊張感、張りつめた心情が見ているわたしにも突き刺さって来るほどすごい迫力であった。
 なお、実はこのディクソンは、何歳かわからないけどいまだ実家暮らしで、わたしが思うに、ディクソンよりも、同居の母親の方が何倍も邪悪な存在で、このクソばばあと毎日過ごしてたら、そりゃクソ野郎になっちゃうよね、と納得のクソ家族であった。しかし、レッド君をボコったことで警察をクビになり、運命が変わって来る。ズバリ言うと、コイツはラスト近くで超改心します。

 とまあ、こういう構造で物語は進むのだが、とにかく、えっ!? という出来事が次々と起こり、劇作として非常に高度で上質なものだとわたしは思った。素晴らしい脚本だったと絶賛したいと思う。
 そして、わたしが一番グッと来たのが、この映画の恐らく一番のポイントが、「赦し」にある点だ。わたし自身は、世間的に善人で通っているが、内面はかなり怒りを秘め、多くの人に憤っている男だ。そして、そんなインチキなわたしが思う、人類にとって一番重要? というか、一番人類を救うポイントだと思っていることが「赦し」である。
 このことはこのBlogでも何度も書いているような気がするけれど、恨みや憎しみの連鎖を断ち切ることができる、唯一の人間に備わった力が「赦し」だと思う。だが、「赦す」には、相当の気合と精神力と自己抑制が必要だと思う。つまり、並大抵の人間にはなかなかできないということだ。
 だが、本作のキャラクターたちは、この異常事態の中で、グッッッと唇をかみしめて、「赦す」のだ。そこがわたしには感動的なのだ。
 まず、ボコられて入院していたレッド君は、顔面にやけどを負い、包帯だらけで顔が見えない男が同室にやってきたとき、とてもやさしく対応する。のど乾いてないか?オレンジジュースならあるよ、ストローも付けてあげるよ、みたいな感じに。すると包帯男はそのやさしさに、つい泣いてしまう。そして、自らの名を名乗る。そう、その包帯の男こそ、自分をボコったディクソンだったのだ。それを知ったレッド君は、態度が豹変する。そりゃそうだよね、誰だったそうなるよ、間違いなく。だけど、レッド君は、くそう、てめえなんか!と怒りに身をふるえさせながらも、オレンジジュースをコップに注ぎ、ストローを立て(しかも飲みやすいようにちゃんと角度を直してあげる!)、そっとディクソンの枕元に置いてやるのだ。てめえの顔なんか見たくもねえ、という態度とともに。わたしはこのシーンには非常にグッと来ましたねえ!
 そしてそんな優しくされたディクソンは、署長のディクソン宛の遺書の感動的?な内容も相まって、すっかり改心し、バーで聞いた話をもとに、とある男が犯人なのではないかと思い、そいつのDNAサンプルをとるために、その男に敢えてボコられる。そして血だらけになってサンプルを鑑識に回す行動をとる。まあ、その行動は、えっ!?という結果になるけれど、ディクソンの「赦し」には、わたしも彼を赦してやろうと思いました。パンフには、よく知らない日本人監督があざとい脚本と賞していたけれど、上等ですよ。わたしはディクソンの改心は大いにアリだと思いますね。
 この辺は、先週観た『DETROIT』とは大きく違っていて、あの作品はホントに現場に観客を叩き込むことしかしないで、ある意味投げっぱなしであり、実に後味が悪かったが(そもそも実話ベースのお話だった)、やっぱり映画は、ちゃんと救いがあってほしいとわたしは強く思う。実話ベースでは難しいかもしれないけれど、本作は完全にフィクションであり、エンディングは非常に救いがあって美しいものだったと思う。
 最後に、お母さんの方の「赦し」だ。お母さんの場合は、さんざん小ばかにしていた元旦那の彼女の小娘が言った、ちょっとした一言で、あのすさまじい怒りが解けていく。その一言はこんな言葉だ。
 ”Anger Begets Anger.”
 日本語訳すると「怒りは怒りを生む」という感じだろう。字幕では「怒りは怒りを来す」となっていて、よく分からんけど聖書の言葉なのかもしれない。言葉自体は、冷静であれば誰だってそう思うだろうし、今更かもしれない。けれど、あのバカにしていた小娘が言ったことが重要なのであって、ここもお見事な脚本だったとわたしは称賛したい。お母さんは、看板が焼かれたことに怒り狂って、警察署に火炎瓶を投げ込む暴挙に出るのだが、そのためにディクソンは大やけどをしてしまったわけで、ラストの二人のやり取りは映画的な美しさが際立っていたと思う。
 お母さん「警察署に火を放ったのはわたしよ」
 ディクソン「……あんた以外の誰だってんだよ。知ってるよ」
 ここで初めて見せるお母さんの笑顔。わたしはこの笑顔にも激しくグッと来た。二人はこうして、銃を持って、犯人と思われる野郎が住んでいるオハイオへのドライブに出発するところでブツっと終わる。二人がこの後どういう行動をとるか……もう散々描かれているので誰でもわかるだろう。二人は、きっと「赦す」に違いない、でしょうな。

 というわけで最後に本作で熱演を見せた各キャストと監督を紹介して終わりにしよう。
 まずはミルドレッドお母さんを演じたのがFrances McDormand女史。60歳だそうで、パンフによれば、最初は殺された女の子の母親役じゃなくて、おばあちゃん役じゃないとできないわ、と考えていたそうだ。しかし結果としてはお母さんでよかったと思うし、素晴らしい熱演だったと思う。アカデミー賞(映画)・トニー賞(演劇)・エミー賞(TV)の全ての主演女優賞を受賞した三冠女優ですな。本作も本当に素晴らしかったです。
 次。ウィロビー署長を演じたのがWoody Harrelson氏。予告では嫌な人の役なのかなと思っていたけれど大違い。基本イイ人、でした。でも自殺してしまったのはちょっと突然すぎて非常にびっくりしたっすね。でも、署長の書いた遺書がいろいろと人々の心に波紋を投げかけたわけで、脚本上どうしても外せない出来事だったかもしれないな。とてもいい演技でした。実際素晴らしかったす。
 次。イカレ野郎のちイイ奴に改心したディクソン巡査を演じたのがSam Rockwell氏。この人はいっぱい出演作があるんだよな……わたしが一番覚えているのは、何といっても『IRONMAN2』でトニー・スタークのライバル企業の気取った(けど無能な)社長のジャスティン・ハマー役だろうな。なお、ディクソンについては、観る人が見ればゲイであることが明らからしいのだが、わたしは署長の遺書の内容を知るまで全然気が付かなかったすね。彼も素晴らしい演技ぶりでした。お見事です。
 次。わたしがとても気に入ったのが、かわいそうなレッド君を演じたCeleb Landry Jones君28歳だ。彼の演技はとてもイイすねえ! いかにもゆとりあふれた青年のような、ひょうひょうとした感じは極めて良かったと思う。そしてわたしは、この顔は絶対観たことがある、けど誰だっけ……と調べないと分からなかったのだが、調べたら20秒で分かった。彼は、わたしがX-MEN映画最高傑作と認定している『X-MEN:First Class』のバンシーを演じた彼だ。えーと、あの口から超音波?を出して空も飛んじゃう彼ですよ。
 最後。ウィロビー署長の若い奥さんを演じたのが、3週間前に観た『GEOSTORM』に冷静で有能なシークレットサービス女子で出演していたAbbie Cornishさんですよ。ま、本作ではほとんど出番はありませんが、この方は一発でわかりました。なかなかお綺麗な方すね。
 そして監督は、Martin McDonagh氏47歳。この方は恥ずかしながらわたしは全然知らない方なのだが、なんでも劇作家&演出家ということで、舞台人なんだそうですな。映画はまだ長編3本目だそうですが、詳しくはWikiのリンクを観ておいてください。まあ、実に腕の立つお方ですよ、脚本も監督としても非常にクオリティが高いのは間違いないです。前作の『Seven Phychopath』はWOWOWで放送したのを録画してあるような気がする……ので探してみよっと。

 というわけで、はーーー長くなっちゃったな……さっさと結論。
 今日、ふと観てみようと思い立って観てきた映画『THREE BILLBOARDS OUTSIDE Edding, MISSOURI』は、実に見事な脚本の素晴らしい作品であった。演出的にも非常にハラハラドキドキで緊張感が張り詰めていて、実に上質な、クオリティの高い作品であったと思う。わたしはかなり頻繁に、一体、人類は憎しみの連鎖を断ち切ることができるのだろうか? という問題について思い悩むのだが、可能性として考えられる唯一の方法?は、やっぱり「赦し」しかないんだろうな、と思う。以前もどこかで書いたけれど、カンカンに怒っていて、あの野郎ぶっ殺す! と思っていても、そう思っている自分も、誰かを怒らせている可能性は高いわけで、ひょっとしたら、「赦す」前に「赦されている」のかもしれない。そう考えると、怒りは怒りを生むしかないわけで、どこかで赦すことを自分に言い聞かせないといけないのかもしれないすな。ホント、肝に銘じておきたいと思うよ。
 そういや、この映画こそタイトルは『怒り』がふさわしいように思います。ところで、タイトルに入っている本作の舞台、ミズーリ州ってどこかわかりますか?

 まあ、要するにド田舎なわけですが、なんというか、アメリカって国は本当に問題山積ですなあ……どうも、ミズーリ州も、いわゆる「南部」のようで、差別バリバリな風土も描かれています。あ、この物語の舞台は現代ですよ。以上。

↓ これ、WOWOWで放送されたのを録画してあると思うんだよな……。。。

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