過去、アカデミー監督賞を2年連続受賞した監督というと、偉大なるJohn Ford監督とJoseph Leo Mankiewicz監督の二人しかいなかったわけだが、今年、そこにAlejandro Gonzalez Inarritu監督が加わって3人となった。そしてその作品『The Revenant』は、作品賞は逃したものの、5回のノミネートの末にとうとうLeonard DiCaprio氏にオスカーをもたらしたわけである(※ノミネートのうち1回は助演男優賞)。これはもう、観ないとイカンだろう、というわけで、公開前から大変話題となっている『The Revenant』 (邦題:レヴェナント 蘇えりし者)をさっそく観てきた。
 しかし……である。もちろん、DiCaprio氏は素晴らしく、これはもう主演男優賞の価値があるとわたしも納得であるし、その映像の迫力は凄まじいのだが、全体としてはどうもわたしの期待よりも下だったように思える。撮影が超過酷で大変だったとか、本物の内臓を食っただとか、はっきり言えば観客にはどうでもいいことが大きく取り上げられているような気がするが、物語としては、ズバリ問題アリで、若干気持ちが醒めてしまったのが残念にわたしには思えた。

 物語は実話ベースである。Hugh Glassという男が、西部開拓時代のアメリカにおいて、灰色熊(グリズリー)に襲われて重傷を負うも生還した話は伝説的に有名らしいが、日本人のわたしには知らない話である。映画は、年代や時代背景の説明が一切なく、いきなり始まる。だからどうにも、これは一体いつごろの話なんだろうとわたしは落ち着かなかったのだが、今さっき調べたところによると、Hugh Glassがグリズリーに襲われたのは1823年のことらしい。しかも実話では夏の話だそうだ。ま、映画は冬という設定になっているのだが、そういう改変はまったく問題ないし、不満はないけれど、せめて年代は教えて欲しかった。
 物語としては基本的には予告の通りではある。グリズリーに教われて瀕死の重傷を負うも、息子を殺されて、その復讐のために、息子を殺した男を追跡する話である。であるのだが、実際のところ、どうも話がつながらない。グリズリーに襲われるのは分かった。そして息子をぶっ殺されるのも分かった。でも、襲われて重傷を負うことと息子が殺されることに、どういう関連があるのかが良くわからない。ので、わたしは予告を観た段階では、一体どういう状況から息子が殺されるのだろう? という点が、今回の物語上の一番のカギだろうな、と思って劇場に向かったのである。
 そして観終わった今、そのつながりはよーくわかった。が、冒頭に書いた通り、やはりどうも、期待ほどの興奮は、わたしにはもたらされなかったのである。どうやらわたしは、物語、脚本がいまひとつ気に入らなかったのだと思う。わたしが観ていてよく分からなかった点が3つあるので、ちょっとまとめておこう。
 1つ目は、グラスの負傷の具合についてである。グリズリーに襲われたグラスは、完全に足折れてたよね? 明らかに変な方向に捻じ曲がってたよな? しかし……添え木も何もしてないのに、なんで歩けるんだ? もしかして隊長の「足を引っ張るんだ!!」「ゴキッ!!」というあの手当てで治っちゃったのか? ここがどうにもよくわからんポイントの一つで、要するに、グリズリーに襲われて負った傷の具合が良くわからんのである。どう見ても助かりそうにない重傷で、当初、一歩も動けずで、意識も混濁している。けど、どうして半ば埋められちゃっても這い出ることが出来たのだろう? わからん。どうしてなんだ? ひょっとして、それなりの時間経過があったということなのかな? それである程度回復したってこと? うっそお、そんなものか? 相当な出血だし、足折ってるし、栄養状態も悪く、衛生環境もひどくて普通は感染症で一発アウトだと思うのだが……。この、グラスの超人的な回復力と体力には、どうにもあり得なすぎて、わたしとしてはかなり、醒めてしまったのが現実だ。おそらく、時間経過、そして地理的・距離的な状況が観客にはわかりにくいのが難点なのではないかというような気がする。
 そして2つ目ののポイントは、フィッツジェラルドの行動だ。グラスはフィッツジェラルドの問いかけ「もうお前はもたない。楽にしてほしかったらまばたきで答えろ」に、明確に反応して、YESと答えたよな? 確かに、フィッツジェラルドはまったく同情できない悪党で、息子を殺した罪はどうやっても弁解できない100%有罪だけれど、グラスを捨てようとしたことについては、実際のところ常識的な判断ではなかろうか。誰がどう見ても、もうアウトだったし、ぐずぐずしていれば自分と仲間の命がヤバイことも明白で、踏ん切りがつかない若者たちに決断を下させるためにはやむなし、という判断は、もちろん冷酷ではあるかもしれないけれど、十分理解できるものだと思う。だとすれば、フィッツジェラルドも、きちんと息子に、お前の親父はもうダメで、親父自身も殺ってくれって言ってるぜ、とちゃんと説明すればよかったのに。そもそも、冒頭の襲撃を受けるシーンも、元はと言えばグラスが発砲して銃声をとどろかせてしまったから、だよね? フィッツジェラルドが、グラスに対して怒っていても、そりゃ無理ないと思う。冒頭の狩りのシーン、映像は素晴らしかったけれど、アレはいったいどういう意味があったんだろうか。
 ちなみに上記2点のわたし的よくわからんポイントについて、パンフには、「最愛の息子を失った悲しみと絶望、フィッツジェラルドに対する怒りと憎しみを原動力に死の淵から蘇った」と書いてある。そんなバカな。あんな重傷を負って、そりゃ無茶ですよ。おまけに絶望したら生きる気力なくなるのが普通だろうと思う。わたしはこのあたりがどうも納得できないというか、よくわからなくて、映画から心が離れてしまったように思う。もちろん、ここでグラスが死亡すれば物語もそこで終了なので、まあ、5万歩譲って、アリだとしよう。物語的にはそうしないと進みようがない。が、もう少し何か、グラスが生き残るための伏線や準備があっても良かったと思うし、フィッツジェラルドが息子を殺す動機も、大金を得るために邪魔だったのは分かるとして、グラスが死ぬことを承諾する部分は、正直、物語上不要だったと思う。むしろ、あそこは、グラスはあくまで死を受け入れない描写にした方が、それでも殺そうとするフィッツジェラルドとして悪党ぶりが明白になったのではなかろうか。
 そして、3つ目のよくわからんポイントは、追っ手であるアリカラ族だ。彼らは要するに、白人(今回の場合はフランス人)に拉致された娘ポワカを奪還するために旅をしていたわけで、実のところ、グラスの敵ではないわけだ。もちろん彼らにとっては白人や他部族は本来的には敵なのかもしれないけれど、彼らはきちんと、敵であっても一番の目標であるポワカ奪還のためには白人も利用する賢さがあるわけで、だとすれば、ここはやはりグラスを助ける役割をアリカラ族に付与しても物語は成立したような気がする。わたしはまた、重傷を負ったグラスを助ける存在がいて、それが追っ手であるアリカラ族なのかと想像していた。アリカラ族の使い方がイマイチすぎるのは、全体の流れの面でも、実にもったいない瑕疵であったように思えるのだが、どうだろうか。途中で、グラスを助けるなんとか族の男が出てくるけれど、彼の使い方ももったいなさ過ぎる。非常に雰囲気のあるカッコイイ男だったし、命の恩人なのに、彼の死にあまり意味がないのも実に残念だし、大変気の毒であった。
 というわけで、以上のような、脚本的な「何じゃこりゃポイント」が多かったのが、わたし的にイマイチだと思わせる原因なのではないかと思っている。これ、誰も気にならないのかな? 変に思ったのはわたしだけ? うーーん……。わたしとしては、実にもったいない残念ポイントである。

 ただし、である。冒頭にも書いたとおり、DiCaprio氏の演技ぶりはもう非常に素晴らしいもので、この点では劇場に観に行く価値アリである。凄い。わたしが瞠目したのは、やはりDiCaprio氏の狂気をはらんだ眼力であろう。オスカーにふさわしい、渾身の演技だったと思う。また、Tom Hardy氏の、なにか口の中に入ってんのか? と思うようなモゴモゴした声は正直いつも通りだが、その目に宿る狂気はDiCaprio氏に負けないほどの迫力があり、こちらも見ごたえ十分である。そして、高潔な隊長を演じたDomhnall Gleeson氏も『SW:EP VII』や『Ex Machina』での若干気弱そうな若造ではなく、毅然とした勇気ある男としてかなりカッコ良かったと思う。今回、DiCaprio氏、Tom Hardy氏ともに、顔のクローズアップがとても多く、ある意味二人の顔芸が凄まじいのが、一番のセールスポイントではなかろうか。
 しかし、これもわたしは実に気に入らないのだが、配給社のプロモーションはそういった作品そのものよりも、やたらと、Behind the Scene的な点に重点が置かれているように感じた。撮影現場が過酷な大自然の中であろうと、実は快適なスタジオで撮って背景は全部CGです、言われようと、観客としては正直どうでもいい。また、予算オーバーしただとか、スケジュールがガタガタになったとか、その様相はさながら『地獄の黙示録』のような撮影になったとか、そんなのは、プロデューサーの責任であって、観客には関係ない。映画として素晴らしく、観客の魂を引きずりこむ演技を見せてくれれば満足なのだから、そんな作り手の大変さを強調されても困る。ベジタリアンのDiCaprio氏が生肉にかぶりついた、とか言われても、そんなの知らんがな、である。もっともっと、DiCaprio氏の演技で称えるべき点があるのに、20th Century FOXのプロモーションはそんなことばかり前面に押し出していて、そんなのは、パンフのプロダクションノートに書いとけばいいだけだし、Blu-Rayの映像特典に入れて、うおお、マジか、すげえ!! と後で知ればいいだけの話だ。もっと、映画そのものの素晴らしさを宣伝してほしいものである。でも、仕方ないか……昨今の日本市場における洋画の低迷を考えれば、少しでも観客に興味を持ってもらうためには、こういうプロモーションも必要と言うことか、と納得することにしたい。

 はあ、全然まとまらない。映画としての出来は、もちろん非常に高いが、脚本上の問題点と、日本でのプロモーションの方向性がどうも気に入らなくて、散らかったレビューになってしまった。最期に、監督と音楽について触れて終わりにしよう。Inaritu監督による、自然光のみの撮影による画と、得意の長回し(のように見えるだけでCGを使っているのか、ホントに長回しなのかもう判別不明)の画は最高級に素晴らしく、見ごたえ十分である。話題のCGによるグリズリーも、超恐ろしい出来で本物にしか見えない。……けど、ほんとにナイフだけで戦えるのか、その点は若干謎だが、役者の演技と映像は見事にシンクロし、映画としての完成度は非常に高いと思う。ホントこれで脚本が完璧だったらと思うと非常に残念だ。
 で、音楽なのだが、正直ちょっと邪魔なぐらい音が大きくて、これは坂本龍一氏に責任はないと思うが、あまり印象には残らないものだった。エンドクレジットで流れる曲も、いま一つ物語と寄り添っていないような気もしたので、音楽としては先日見たばかりの『SICARIO』の方が断然上だと思う。オスカーを受賞したのは『The Hateful Eight』だが、確かに素晴らしかったけれど映画によりマッチしていたのは『SICARIO』だったとわたしは思っている。

 というわけで、結論。
 待ちに待った『The Revenant』をさっそく観に行ったものの、映画としてのスケールや完成度は抜群に高いのは間違いない、けれど、脚本上の妙なポイントがわたしを醒めさせてしまい、さらにはプロモーションの方向性も気に食わず、なんか文句ばかりになってしまったが、実際のところ、すげえ映像でわたしはとりあえずは楽しめました。でも、マジでもっと面白く創れたと思います。大変残念。と、いつもの言うだけ詐欺で締めよう。以上。

↓ Tom Hardy氏の悪党ぶりは、この名作でのバーンズ軍曹ことTom Berenger氏の芝居を参考にしたとのことです。でも、バーンズのほうがおっかないと思います。この映画の方がわたしは好き、かな。
プラトーン [Blu-ray]
トム・ベレンジャー
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2014-02-05