いやあ、すごかった。大変面白かった。物語に超引き込まれた。これは現時点での、といってもまだ2月になったばかりだけど、2018年暫定ナンバーワンだな。
今日、わたしは土曜だというのに朝の7時過ぎには会社に出社して、ちょっとだけ気になってた仕事をせっせと片付けていた。そして9時チョイに、時間だ!とあわててPCを落とし、会社を出て一路上野に向かい、とある絵画展を観てきた(※それは明日記事にします)。そしてその後また会社に帰ろうか、と思ったのだが、通りかかった新しい上野TOHOにて、映画を1本観ていくことにした。それは、何度も劇場で予告を観ていて、非常に気になる作品だったのである。そのタイトルは『THREE BILLBOARDS OUTSIDE Edding, MISSOURI』。邦題はシンプルに『スリー・ビルボード』である。すでに様々な賞レースをにぎわせており、やや話題になっているようだ。まあ、アカデミー賞がとれるかどうかは知らないけれど、2018年オレ的映画祭では相当上位に位置されそうな予感である。ズバリ言って、冒頭に書いた通り大変面白かった。これは相当な傑作ですよ。というわけで、以下、結末まで書かざるを得ないような気がするので、まだ観ていない人は絶対に読まないでください。間違いなく、結末を知らないで観る方が感動?は増加すると思う。これはマジです。
物語は、もう上記予告で描かれている通りである。娘を殺された白人中年女性。進まぬ警察の捜査に業を煮やし、地元のミズーリ州エディングという田舎町の片隅に建つ、3枚の野外広告ボードに、とあるメッセージを載せ、そこから生じるさまざまな人々の生き方を描いた物語だ。ちなみに、メッセージとはこんな感じだ。
1枚目:RAPED WHILE DYING
というわけで、上記予告の冒頭のシーンが、警察署の真正面にある広告代理店を訪れた主人公・ミルドレッドお母さんが野外広告の契約をするシーンである。そして建てられた野外広告。そしてそれを警官が見て、慌てて署長に電話するという流れは予告に描かれている通りである。
果たしてこのミルドレッドお母さんの怒りは何をもたらすのか、本作はずっとその緊張感がピリピリしていて、なんだか観ていてドキドキする。ここで、緊張の構造をまとめておこう。
◆お母さんサイド:事件から7カ月たっていて、全く手掛かりなしでずっとイラついている。もちろん一番憎いのはそりゃあ犯人だろうけれど、何も成果を上げない警察にイラつきMAX。なお、息子を毎日学校へ送っているが、息子は怒れるお母さんのことで嫌な目に遭っている模様で、せっかく妹の死を乗り越えようとしているのに、若干うんざり気味(?)。もう一つおまけに、旦那とはとっくに離婚しているようで、その元旦那は警官でDV野郎だったらしい。現在は19歳の小娘と付き合っているようで、それにもイラついている模様。
◆お母さんサイド応援団:広告代理店の若者レッド君は最初からお母さんに同情的。そして看板付け替え作業人の黒人青年もお母さん擁護派。そしてお母さんの勤務先のお土産屋さんの女性ももちろんお母さん応援団のひとり。
◆警察サイドA_署長:ウィロビー署長は、真面目な男で、実のところ全然手掛かりが得られないことに悔しい思いをしている。ただ、この看板はないでしょ、オレだって頑張ってるのに、的な心情。そして、何と署長はガンに蝕まれており、余命僅か。お母さんはガンのことも知っていて、「知ってるわよ。街中で知らない人なんていないでしょ。(この看板は)あんたが死んでからじゃ遅いでしょ」とバッサリ。そして署長は、この看板騒動とは関係ない、という遺書を残して自殺してしまう。
◆警察サイドB_ディクソン巡査:コイツがまたとんでもないクソ野郎で、何かとけんか腰。わたしは観ていて、このバカがいつ暴発するのか、もうハラハラしながら観ていただのが、なんとその怒りは、署長の自殺で頂点MAXに。そしてかわいそうなことに、その怒りの矛先は広告代理店のレッド君に半ば八つ当たりのようにぶつけられ、レッド君はボッコボコにされてしまう。
このシーンは、うがあ!と怒りが爆発して、つかつかと警察署を出て、真正面の広告代理店のガラスをたたき割って、階段を上って、オフィスのレッド君をボコボコにして、おまけに2階から突き落として、そしてアシスタントの女子を一発殴ってまた階段を下りて、そして道路に放り投げられて足を折ったレッド君をもう一度ボコボコにして、ふーーーっと警察署に入っていく、という一連のバイオレンスで描かれ、何と驚きのワンカットで撮られていた。ここはもう、わたしは本当に度肝を抜かれた。これ、CGでつないでいるのかな? 本物のワンカットなのかな? とにかくその緊張感、張りつめた心情が見ているわたしにも突き刺さって来るほどすごい迫力であった。
なお、実はこのディクソンは、何歳かわからないけどいまだ実家暮らしで、わたしが思うに、ディクソンよりも、同居の母親の方が何倍も邪悪な存在で、このクソばばあと毎日過ごしてたら、そりゃクソ野郎になっちゃうよね、と納得のクソ家族であった。しかし、レッド君をボコったことで警察をクビになり、運命が変わって来る。ズバリ言うと、コイツはラスト近くで超改心します。
とまあ、こういう構造で物語は進むのだが、とにかく、えっ!? という出来事が次々と起こり、劇作として非常に高度で上質なものだとわたしは思った。素晴らしい脚本だったと絶賛したいと思う。
そして、わたしが一番グッと来たのが、この映画の恐らく一番のポイントが、「赦し」にある点だ。わたし自身は、世間的に善人で通っているが、内面はかなり怒りを秘め、多くの人に憤っている男だ。そして、そんなインチキなわたしが思う、人類にとって一番重要? というか、一番人類を救うポイントだと思っていることが「赦し」である。
このことはこのBlogでも何度も書いているような気がするけれど、恨みや憎しみの連鎖を断ち切ることができる、唯一の人間に備わった力が「赦し」だと思う。だが、「赦す」には、相当の気合と精神力と自己抑制が必要だと思う。つまり、並大抵の人間にはなかなかできないということだ。
だが、本作のキャラクターたちは、この異常事態の中で、グッッッと唇をかみしめて、「赦す」のだ。そこがわたしには感動的なのだ。
まず、ボコられて入院していたレッド君は、顔面にやけどを負い、包帯だらけで顔が見えない男が同室にやってきたとき、とてもやさしく対応する。のど乾いてないか?オレンジジュースならあるよ、ストローも付けてあげるよ、みたいな感じに。すると包帯男はそのやさしさに、つい泣いてしまう。そして、自らの名を名乗る。そう、その包帯の男こそ、自分をボコったディクソンだったのだ。それを知ったレッド君は、態度が豹変する。そりゃそうだよね、誰だったそうなるよ、間違いなく。だけど、レッド君は、くそう、てめえなんか!と怒りに身をふるえさせながらも、オレンジジュースをコップに注ぎ、ストローを立て(しかも飲みやすいようにちゃんと角度を直してあげる!)、そっとディクソンの枕元に置いてやるのだ。てめえの顔なんか見たくもねえ、という態度とともに。わたしはこのシーンには非常にグッと来ましたねえ!
そしてそんな優しくされたディクソンは、署長のディクソン宛の遺書の感動的?な内容も相まって、すっかり改心し、バーで聞いた話をもとに、とある男が犯人なのではないかと思い、そいつのDNAサンプルをとるために、その男に敢えてボコられる。そして血だらけになってサンプルを鑑識に回す行動をとる。まあ、その行動は、えっ!?という結果になるけれど、ディクソンの「赦し」には、わたしも彼を赦してやろうと思いました。パンフには、よく知らない日本人監督があざとい脚本と賞していたけれど、上等ですよ。わたしはディクソンの改心は大いにアリだと思いますね。
この辺は、先週観た『DETROIT』とは大きく違っていて、あの作品はホントに現場に観客を叩き込むことしかしないで、ある意味投げっぱなしであり、実に後味が悪かったが(そもそも実話ベースのお話だった)、やっぱり映画は、ちゃんと救いがあってほしいとわたしは強く思う。実話ベースでは難しいかもしれないけれど、本作は完全にフィクションであり、エンディングは非常に救いがあって美しいものだったと思う。
最後に、お母さんの方の「赦し」だ。お母さんの場合は、さんざん小ばかにしていた元旦那の彼女の小娘が言った、ちょっとした一言で、あのすさまじい怒りが解けていく。その一言はこんな言葉だ。
”Anger Begets Anger.”
日本語訳すると「怒りは怒りを生む」という感じだろう。字幕では「怒りは怒りを来す」となっていて、よく分からんけど聖書の言葉なのかもしれない。言葉自体は、冷静であれば誰だってそう思うだろうし、今更かもしれない。けれど、あのバカにしていた小娘が言ったことが重要なのであって、ここもお見事な脚本だったとわたしは称賛したい。お母さんは、看板が焼かれたことに怒り狂って、警察署に火炎瓶を投げ込む暴挙に出るのだが、そのためにディクソンは大やけどをしてしまったわけで、ラストの二人のやり取りは映画的な美しさが際立っていたと思う。
お母さん「警察署に火を放ったのはわたしよ」
ディクソン「……あんた以外の誰だってんだよ。知ってるよ」
ここで初めて見せるお母さんの笑顔。わたしはこの笑顔にも激しくグッと来た。二人はこうして、銃を持って、犯人と思われる野郎が住んでいるオハイオへのドライブに出発するところでブツっと終わる。二人がこの後どういう行動をとるか……もう散々描かれているので誰でもわかるだろう。二人は、きっと「赦す」に違いない、でしょうな。
というわけで最後に本作で熱演を見せた各キャストと監督を紹介して終わりにしよう。
まずはミルドレッドお母さんを演じたのがFrances McDormand女史。60歳だそうで、パンフによれば、最初は殺された女の子の母親役じゃなくて、おばあちゃん役じゃないとできないわ、と考えていたそうだ。しかし結果としてはお母さんでよかったと思うし、素晴らしい熱演だったと思う。アカデミー賞(映画)・トニー賞(演劇)・エミー賞(TV)の全ての主演女優賞を受賞した三冠女優ですな。本作も本当に素晴らしかったです。
次。ウィロビー署長を演じたのがWoody Harrelson氏。予告では嫌な人の役なのかなと思っていたけれど大違い。基本イイ人、でした。でも自殺してしまったのはちょっと突然すぎて非常にびっくりしたっすね。でも、署長の書いた遺書がいろいろと人々の心に波紋を投げかけたわけで、脚本上どうしても外せない出来事だったかもしれないな。とてもいい演技でした。実際素晴らしかったす。
次。イカレ野郎のちイイ奴に改心したディクソン巡査を演じたのがSam Rockwell氏。この人はいっぱい出演作があるんだよな……わたしが一番覚えているのは、何といっても『IRONMAN2』でトニー・スタークのライバル企業の気取った(けど無能な)社長のジャスティン・ハマー役だろうな。なお、ディクソンについては、観る人が見ればゲイであることが明らからしいのだが、わたしは署長の遺書の内容を知るまで全然気が付かなかったすね。彼も素晴らしい演技ぶりでした。お見事です。
次。わたしがとても気に入ったのが、かわいそうなレッド君を演じたCeleb Landry Jones君28歳だ。彼の演技はとてもイイすねえ! いかにもゆとりあふれた青年のような、ひょうひょうとした感じは極めて良かったと思う。そしてわたしは、この顔は絶対観たことがある、けど誰だっけ……と調べないと分からなかったのだが、調べたら20秒で分かった。彼は、わたしがX-MEN映画最高傑作と認定している『X-MEN:First Class』のバンシーを演じた彼だ。えーと、あの口から超音波?を出して空も飛んじゃう彼ですよ。
最後。ウィロビー署長の若い奥さんを演じたのが、3週間前に観た『GEOSTORM』に冷静で有能なシークレットサービス女子で出演していたAbbie Cornishさんですよ。ま、本作ではほとんど出番はありませんが、この方は一発でわかりました。なかなかお綺麗な方すね。
そして監督は、Martin McDonagh氏47歳。この方は恥ずかしながらわたしは全然知らない方なのだが、なんでも劇作家&演出家ということで、舞台人なんだそうですな。映画はまだ長編3本目だそうですが、詳しくはWikiのリンクを観ておいてください。まあ、実に腕の立つお方ですよ、脚本も監督としても非常にクオリティが高いのは間違いないです。前作の『Seven Phychopath』はWOWOWで放送したのを録画してあるような気がする……ので探してみよっと。
というわけで、はーーー長くなっちゃったな……さっさと結論。
今日、ふと観てみようと思い立って観てきた映画『THREE BILLBOARDS OUTSIDE Edding, MISSOURI』は、実に見事な脚本の素晴らしい作品であった。演出的にも非常にハラハラドキドキで緊張感が張り詰めていて、実に上質な、クオリティの高い作品であったと思う。わたしはかなり頻繁に、一体、人類は憎しみの連鎖を断ち切ることができるのだろうか? という問題について思い悩むのだが、可能性として考えられる唯一の方法?は、やっぱり「赦し」しかないんだろうな、と思う。以前もどこかで書いたけれど、カンカンに怒っていて、あの野郎ぶっ殺す! と思っていても、そう思っている自分も、誰かを怒らせている可能性は高いわけで、ひょっとしたら、「赦す」前に「赦されている」のかもしれない。そう考えると、怒りは怒りを生むしかないわけで、どこかで赦すことを自分に言い聞かせないといけないのかもしれないすな。ホント、肝に銘じておきたいと思うよ。
そういや、この映画こそタイトルは『怒り』がふさわしいように思います。ところで、タイトルに入っている本作の舞台、ミズーリ州ってどこかわかりますか?
まあ、要するにド田舎なわけですが、なんというか、アメリカって国は本当に問題山積ですなあ……どうも、ミズーリ州も、いわゆる「南部」のようで、差別バリバリな風土も描かれています。あ、この物語の舞台は現代ですよ。以上。
↓ これ、WOWOWで放送されたのを録画してあると思うんだよな……。。。
今日、わたしは土曜だというのに朝の7時過ぎには会社に出社して、ちょっとだけ気になってた仕事をせっせと片付けていた。そして9時チョイに、時間だ!とあわててPCを落とし、会社を出て一路上野に向かい、とある絵画展を観てきた(※それは明日記事にします)。そしてその後また会社に帰ろうか、と思ったのだが、通りかかった新しい上野TOHOにて、映画を1本観ていくことにした。それは、何度も劇場で予告を観ていて、非常に気になる作品だったのである。そのタイトルは『THREE BILLBOARDS OUTSIDE Edding, MISSOURI』。邦題はシンプルに『スリー・ビルボード』である。すでに様々な賞レースをにぎわせており、やや話題になっているようだ。まあ、アカデミー賞がとれるかどうかは知らないけれど、2018年オレ的映画祭では相当上位に位置されそうな予感である。ズバリ言って、冒頭に書いた通り大変面白かった。これは相当な傑作ですよ。というわけで、以下、結末まで書かざるを得ないような気がするので、まだ観ていない人は絶対に読まないでください。間違いなく、結末を知らないで観る方が感動?は増加すると思う。これはマジです。
物語は、もう上記予告で描かれている通りである。娘を殺された白人中年女性。進まぬ警察の捜査に業を煮やし、地元のミズーリ州エディングという田舎町の片隅に建つ、3枚の野外広告ボードに、とあるメッセージを載せ、そこから生じるさまざまな人々の生き方を描いた物語だ。ちなみに、メッセージとはこんな感じだ。
1枚目:RAPED WHILE DYING
2枚目:AND STILL NO ARRESTS?
3枚目:HOW COME, CHIEF WILLOUGBY?
これは簡単なので、おそらく誰でも日本語訳できるだろう。が、わたしは1枚目の言葉のニュアンスにかなりゾッとした。「死につつある中でレイプされた」とでも訳せばいいのだろうか? えーと何が言いたいかというと、レイプされてその後殺されたということではなく、その両方同時だったというニュアンスにわたしは ゾッとしたのである。そりゃあ、自分の娘がそんな目に遭ったら、「で、逮捕はまだなの?」「ウィロビー署長、なんでなのよ?」と問いたくもなるだろう。というわけで、上記予告の冒頭のシーンが、警察署の真正面にある広告代理店を訪れた主人公・ミルドレッドお母さんが野外広告の契約をするシーンである。そして建てられた野外広告。そしてそれを警官が見て、慌てて署長に電話するという流れは予告に描かれている通りである。
果たしてこのミルドレッドお母さんの怒りは何をもたらすのか、本作はずっとその緊張感がピリピリしていて、なんだか観ていてドキドキする。ここで、緊張の構造をまとめておこう。
◆お母さんサイド:事件から7カ月たっていて、全く手掛かりなしでずっとイラついている。もちろん一番憎いのはそりゃあ犯人だろうけれど、何も成果を上げない警察にイラつきMAX。なお、息子を毎日学校へ送っているが、息子は怒れるお母さんのことで嫌な目に遭っている模様で、せっかく妹の死を乗り越えようとしているのに、若干うんざり気味(?)。もう一つおまけに、旦那とはとっくに離婚しているようで、その元旦那は警官でDV野郎だったらしい。現在は19歳の小娘と付き合っているようで、それにもイラついている模様。
◆お母さんサイド応援団:広告代理店の若者レッド君は最初からお母さんに同情的。そして看板付け替え作業人の黒人青年もお母さん擁護派。そしてお母さんの勤務先のお土産屋さんの女性ももちろんお母さん応援団のひとり。
◆警察サイドA_署長:ウィロビー署長は、真面目な男で、実のところ全然手掛かりが得られないことに悔しい思いをしている。ただ、この看板はないでしょ、オレだって頑張ってるのに、的な心情。そして、何と署長はガンに蝕まれており、余命僅か。お母さんはガンのことも知っていて、「知ってるわよ。街中で知らない人なんていないでしょ。(この看板は)あんたが死んでからじゃ遅いでしょ」とバッサリ。そして署長は、この看板騒動とは関係ない、という遺書を残して自殺してしまう。
◆警察サイドB_ディクソン巡査:コイツがまたとんでもないクソ野郎で、何かとけんか腰。わたしは観ていて、このバカがいつ暴発するのか、もうハラハラしながら観ていただのが、なんとその怒りは、署長の自殺で頂点MAXに。そしてかわいそうなことに、その怒りの矛先は広告代理店のレッド君に半ば八つ当たりのようにぶつけられ、レッド君はボッコボコにされてしまう。
このシーンは、うがあ!と怒りが爆発して、つかつかと警察署を出て、真正面の広告代理店のガラスをたたき割って、階段を上って、オフィスのレッド君をボコボコにして、おまけに2階から突き落として、そしてアシスタントの女子を一発殴ってまた階段を下りて、そして道路に放り投げられて足を折ったレッド君をもう一度ボコボコにして、ふーーーっと警察署に入っていく、という一連のバイオレンスで描かれ、何と驚きのワンカットで撮られていた。ここはもう、わたしは本当に度肝を抜かれた。これ、CGでつないでいるのかな? 本物のワンカットなのかな? とにかくその緊張感、張りつめた心情が見ているわたしにも突き刺さって来るほどすごい迫力であった。
なお、実はこのディクソンは、何歳かわからないけどいまだ実家暮らしで、わたしが思うに、ディクソンよりも、同居の母親の方が何倍も邪悪な存在で、このクソばばあと毎日過ごしてたら、そりゃクソ野郎になっちゃうよね、と納得のクソ家族であった。しかし、レッド君をボコったことで警察をクビになり、運命が変わって来る。ズバリ言うと、コイツはラスト近くで超改心します。
とまあ、こういう構造で物語は進むのだが、とにかく、えっ!? という出来事が次々と起こり、劇作として非常に高度で上質なものだとわたしは思った。素晴らしい脚本だったと絶賛したいと思う。
そして、わたしが一番グッと来たのが、この映画の恐らく一番のポイントが、「赦し」にある点だ。わたし自身は、世間的に善人で通っているが、内面はかなり怒りを秘め、多くの人に憤っている男だ。そして、そんなインチキなわたしが思う、人類にとって一番重要? というか、一番人類を救うポイントだと思っていることが「赦し」である。
このことはこのBlogでも何度も書いているような気がするけれど、恨みや憎しみの連鎖を断ち切ることができる、唯一の人間に備わった力が「赦し」だと思う。だが、「赦す」には、相当の気合と精神力と自己抑制が必要だと思う。つまり、並大抵の人間にはなかなかできないということだ。
だが、本作のキャラクターたちは、この異常事態の中で、グッッッと唇をかみしめて、「赦す」のだ。そこがわたしには感動的なのだ。
まず、ボコられて入院していたレッド君は、顔面にやけどを負い、包帯だらけで顔が見えない男が同室にやってきたとき、とてもやさしく対応する。のど乾いてないか?オレンジジュースならあるよ、ストローも付けてあげるよ、みたいな感じに。すると包帯男はそのやさしさに、つい泣いてしまう。そして、自らの名を名乗る。そう、その包帯の男こそ、自分をボコったディクソンだったのだ。それを知ったレッド君は、態度が豹変する。そりゃそうだよね、誰だったそうなるよ、間違いなく。だけど、レッド君は、くそう、てめえなんか!と怒りに身をふるえさせながらも、オレンジジュースをコップに注ぎ、ストローを立て(しかも飲みやすいようにちゃんと角度を直してあげる!)、そっとディクソンの枕元に置いてやるのだ。てめえの顔なんか見たくもねえ、という態度とともに。わたしはこのシーンには非常にグッと来ましたねえ!
そしてそんな優しくされたディクソンは、署長のディクソン宛の遺書の感動的?な内容も相まって、すっかり改心し、バーで聞いた話をもとに、とある男が犯人なのではないかと思い、そいつのDNAサンプルをとるために、その男に敢えてボコられる。そして血だらけになってサンプルを鑑識に回す行動をとる。まあ、その行動は、えっ!?という結果になるけれど、ディクソンの「赦し」には、わたしも彼を赦してやろうと思いました。パンフには、よく知らない日本人監督があざとい脚本と賞していたけれど、上等ですよ。わたしはディクソンの改心は大いにアリだと思いますね。
この辺は、先週観た『DETROIT』とは大きく違っていて、あの作品はホントに現場に観客を叩き込むことしかしないで、ある意味投げっぱなしであり、実に後味が悪かったが(そもそも実話ベースのお話だった)、やっぱり映画は、ちゃんと救いがあってほしいとわたしは強く思う。実話ベースでは難しいかもしれないけれど、本作は完全にフィクションであり、エンディングは非常に救いがあって美しいものだったと思う。
最後に、お母さんの方の「赦し」だ。お母さんの場合は、さんざん小ばかにしていた元旦那の彼女の小娘が言った、ちょっとした一言で、あのすさまじい怒りが解けていく。その一言はこんな言葉だ。
”Anger Begets Anger.”
日本語訳すると「怒りは怒りを生む」という感じだろう。字幕では「怒りは怒りを来す」となっていて、よく分からんけど聖書の言葉なのかもしれない。言葉自体は、冷静であれば誰だってそう思うだろうし、今更かもしれない。けれど、あのバカにしていた小娘が言ったことが重要なのであって、ここもお見事な脚本だったとわたしは称賛したい。お母さんは、看板が焼かれたことに怒り狂って、警察署に火炎瓶を投げ込む暴挙に出るのだが、そのためにディクソンは大やけどをしてしまったわけで、ラストの二人のやり取りは映画的な美しさが際立っていたと思う。
お母さん「警察署に火を放ったのはわたしよ」
ディクソン「……あんた以外の誰だってんだよ。知ってるよ」
ここで初めて見せるお母さんの笑顔。わたしはこの笑顔にも激しくグッと来た。二人はこうして、銃を持って、犯人と思われる野郎が住んでいるオハイオへのドライブに出発するところでブツっと終わる。二人がこの後どういう行動をとるか……もう散々描かれているので誰でもわかるだろう。二人は、きっと「赦す」に違いない、でしょうな。
というわけで最後に本作で熱演を見せた各キャストと監督を紹介して終わりにしよう。
まずはミルドレッドお母さんを演じたのがFrances McDormand女史。60歳だそうで、パンフによれば、最初は殺された女の子の母親役じゃなくて、おばあちゃん役じゃないとできないわ、と考えていたそうだ。しかし結果としてはお母さんでよかったと思うし、素晴らしい熱演だったと思う。アカデミー賞(映画)・トニー賞(演劇)・エミー賞(TV)の全ての主演女優賞を受賞した三冠女優ですな。本作も本当に素晴らしかったです。
次。ウィロビー署長を演じたのがWoody Harrelson氏。予告では嫌な人の役なのかなと思っていたけれど大違い。基本イイ人、でした。でも自殺してしまったのはちょっと突然すぎて非常にびっくりしたっすね。でも、署長の書いた遺書がいろいろと人々の心に波紋を投げかけたわけで、脚本上どうしても外せない出来事だったかもしれないな。とてもいい演技でした。実際素晴らしかったす。
次。イカレ野郎のちイイ奴に改心したディクソン巡査を演じたのがSam Rockwell氏。この人はいっぱい出演作があるんだよな……わたしが一番覚えているのは、何といっても『IRONMAN2』でトニー・スタークのライバル企業の気取った(けど無能な)社長のジャスティン・ハマー役だろうな。なお、ディクソンについては、観る人が見ればゲイであることが明らからしいのだが、わたしは署長の遺書の内容を知るまで全然気が付かなかったすね。彼も素晴らしい演技ぶりでした。お見事です。
次。わたしがとても気に入ったのが、かわいそうなレッド君を演じたCeleb Landry Jones君28歳だ。彼の演技はとてもイイすねえ! いかにもゆとりあふれた青年のような、ひょうひょうとした感じは極めて良かったと思う。そしてわたしは、この顔は絶対観たことがある、けど誰だっけ……と調べないと分からなかったのだが、調べたら20秒で分かった。彼は、わたしがX-MEN映画最高傑作と認定している『X-MEN:First Class』のバンシーを演じた彼だ。えーと、あの口から超音波?を出して空も飛んじゃう彼ですよ。
最後。ウィロビー署長の若い奥さんを演じたのが、3週間前に観た『GEOSTORM』に冷静で有能なシークレットサービス女子で出演していたAbbie Cornishさんですよ。ま、本作ではほとんど出番はありませんが、この方は一発でわかりました。なかなかお綺麗な方すね。
そして監督は、Martin McDonagh氏47歳。この方は恥ずかしながらわたしは全然知らない方なのだが、なんでも劇作家&演出家ということで、舞台人なんだそうですな。映画はまだ長編3本目だそうですが、詳しくはWikiのリンクを観ておいてください。まあ、実に腕の立つお方ですよ、脚本も監督としても非常にクオリティが高いのは間違いないです。前作の『Seven Phychopath』はWOWOWで放送したのを録画してあるような気がする……ので探してみよっと。
というわけで、はーーー長くなっちゃったな……さっさと結論。
今日、ふと観てみようと思い立って観てきた映画『THREE BILLBOARDS OUTSIDE Edding, MISSOURI』は、実に見事な脚本の素晴らしい作品であった。演出的にも非常にハラハラドキドキで緊張感が張り詰めていて、実に上質な、クオリティの高い作品であったと思う。わたしはかなり頻繁に、一体、人類は憎しみの連鎖を断ち切ることができるのだろうか? という問題について思い悩むのだが、可能性として考えられる唯一の方法?は、やっぱり「赦し」しかないんだろうな、と思う。以前もどこかで書いたけれど、カンカンに怒っていて、あの野郎ぶっ殺す! と思っていても、そう思っている自分も、誰かを怒らせている可能性は高いわけで、ひょっとしたら、「赦す」前に「赦されている」のかもしれない。そう考えると、怒りは怒りを生むしかないわけで、どこかで赦すことを自分に言い聞かせないといけないのかもしれないすな。ホント、肝に銘じておきたいと思うよ。
そういや、この映画こそタイトルは『怒り』がふさわしいように思います。ところで、タイトルに入っている本作の舞台、ミズーリ州ってどこかわかりますか?
まあ、要するにド田舎なわけですが、なんというか、アメリカって国は本当に問題山積ですなあ……どうも、ミズーリ州も、いわゆる「南部」のようで、差別バリバリな風土も描かれています。あ、この物語の舞台は現代ですよ。以上。
↓ これ、WOWOWで放送されたのを録画してあると思うんだよな……。。。