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 【追記:スター・ウォーズEp:VIIIを観ていない方は絶対に読まない方がいいと思います】

 2015年に開幕した、新たなる『STAR WARS』サーガの三部作。もともとサーガが9部作であることは80年代にとっくにLucas監督が言ってたので、復活に驚きはないのだが、10年ぶりとなる新作『Episode VII』は全世界のファンが待望し、待ちに待っていたというブーストもあって、世界的に大ヒットとなった。そして、監督を務めたJJ Abrams氏は、その期待に十分以上に応えた見事な作品を世に送り出し、ファンとしては大歓喜の夜を迎えたのが2年前の話である。
 JJ監督は、わたしは前々から、ファン心理を非常に「わかっている」男としてわたしは高く評価していたが、『VII』は、たった一つだけ問題点はあるものの、実に見事な作品だったとわたしは思っている。そしてその問題点とは、「謎が謎のまま終わっちゃった」ことである。ただしこの点は、「シリーズ」という観点に立てば、瑕疵とは責められないかもしれない。次へ引っ張るヒキとしてはアリであろうし。しかし、全くヒントナシで、悪く言えば投げっぱなし、風呂敷広げすぎ、ともいえるとわたしは思っていたのである。
 よって、次の『VIII』においては、確実に次の点が問題となるはず、とわたしは考えていた。
 1)レイ、君は何者なんだ?
 2)ルーク、あなたに何が起こったんだ? なぜベンと決別したのか?
 他にも、実際のところ謎はいっぱいあって、スノークって何者なんだ? マズ=カナタはなぜルークのライトサーベルを持っていたのか? FN-2187ことフィンはどうして職場放棄できたのか、とか、さまざまあるのだが、重要なのは、上記の1)2)だけ、であると極言してもいいのではなかろうか。
 というわけで、わたしは、昨日から正式公開となった『STAR WARS Ep:VIII』では、完全なる回答はまた『IX』に持ち越しになるかもしれないけれど、謎1)2)についてはある程度の「な、なんだってーーー!?」という衝撃が用意されているものと期待して、昨日の会社帰りに劇場へ駆けつけたわけである。
 しかし―――。結論を言おう。わたしは今回の『Ep:VIII』が全く面白くなかった。もう、これ、本当に、本物の『VIII』なのか? といまだに信じられない。ファンメイドの偽物を観たのではないか? というぐらいがっかりだ。確かに、レイ・ルーク・ベンの3人をめぐる本筋だけの部分は、大変良かった。けれど、本作は、シリーズ最長の153分の上映時間だが、全く不要な、どうでもいい話に多くの時間を割いていて、いらないシーン・いらないエピソードのオンパレードとしか思えず、わたしなら間違いなく120分以内に収められると思った。まあ、もちろん言うだけ詐欺ですが、以下、今わたしが感じている「コレジャナイ!」感をまとめてみようと思う。以下はもちろんネタバレを気にせず書きなぐる予定なので、まだ見ていない人は絶対に読まないでください。間違いなく、何も知らないで観るべきだと思います。じゃあ書くなって? いや、これ、わたしの備忘録なので、書く必要があるのです。わたしには。

 今思い返してみると、すでに予告からして、『VII』の時のような興奮はないように感じる。『VII』の時は、大気圏内を飛ぶファルコン号だけで大興奮だったのに。まあ、10年待ったのと、2年では期待値が違うのは当然といえば当然か……。今回の予告で、「こ、これは!!」と誰しもがドキドキしたのは、宇宙一の親不孝者でおなじみのベン・ソロことカイロ・レンが、今度は母殺しをするつもりか!? というシーンぐらいだったようにも思う。
 さて。それでは、観終わった今、感じたことを書き始めたいのだが、わたしが一番感じているのは、無駄にキャラクターを増やし過ぎたのがマズかったのだろう、という思いだ。主軸であるレイ・ルーク・ベンの3人に集中して物語を追えばよかったのに……。おまけに、その無駄なキャラたちが、おっそろしく無能で、ズバリ愚かなのである。そんな連中の話なんて、ホントどうでもいいわ……と強く感じた。それ故、ここはいらねえと思うシーンが多かったわけである。
 物語の流れとしては、『Ep:V The Empire Strikes Back』に近いというか、物語の進行が『V』の終わりから始めへと逆にたどったような印象だ。故に、かなり舞台がバラバラで分散している。そして、分散している舞台をつなぐ、シリーズではおなじみの「ワイプ」(?)による場面転換は今回は明確には使用されない。おまけに、I have a bad feeling about this もない。その点も、ファンとしては「わかってない」と言わざるを得ないようにも感じた。JJ監督の『VII』ではそういう「作法」も完璧だったのになあ……。そういう「作法」を無視することと、自由に創作することは、全く別の話で、断じて容認できるものではない、とわたしは思う。というわけで、もう、今回は物語をまとめる気にもなれないので、各キャラクターについて思う事を書いていくこととしたい。
 ◆レイ:主人公の女子。最大の謎である、「レイはいったい何者なのか?」は、今回うっすらと語られるだけで、しかもそれが真実とはまだよくわからず、ぼんやりしたままであった。本当にがっかり。ただ、何者であるかはさておき、ルークとのやり取りやベンとの関係は大変素晴らしく、演じたDaisy Ridleyちゃんも芝居がグッと良くなって、実際可愛かったので許してもいい。しかし、いかんせんレイの出自が謎であるために、いったい何故、ルークが驚愕するほどのフォースを身に着けたのか、全く腑に落ちない。一応今回、ジャクーの名もなき両親に、はした金で売り飛ばされた、的な過去は語られるが、それが本当なら、なんだよ、スカイウォーカーの血筋じゃなかったのか……と 相当わたしとしてはがっかり。しかし、本当にそれでいいのかなあ……。次作では、「な、なんだってーー!?」という驚愕の真実が明かされることを祈ります。
 ◆ルーク:ご存知ジェダイナイト。わたしは今回は、『VII』のラストの、ライトセーバーを差し出すレイのシーンから始まるかと思っていたがまるで違ってました(オープニングに関しては後で触れます)。で、始まって10分ぐらいで、その、手渡すシーンが始まるのだが、なんといきなりポイッとライトセーバーを捨てちゃうルークにまず驚き。そしてどうも、ルークとレイは知らない者同士というかまったく過去につながりがない模様(今のところは、と一応言っておこう)。問題の、ルークに何があったのか? に関しても、正直浅いというか、あまり感動的でなかったのも残念。要するに、強力なフォースを操るベンに期待をしていたけれど、いつのまにか? スノークにそそのかされて? ダークサイドの力を身に付けつつあるベンに、「今、殺るしかない」とまで思い詰めてしまって、けど可愛い甥っ子なので出来ない、なんて躊躇しているうちに反撃されたという、極めて残念なオチであった。でも、それだけじゃあ、辺境の星にひきこもってた理由にならないよ……致命的に浅すぎると思う。しかし、やっぱり演じたMark Hamill氏の「ただものじゃない」鋭い眼光は実にカッコよかったし、ラストのベンとのチャンバラは実に映像的にも素晴らしかった。また、そのファイナルバトルのオチ、実は実態は辺境の星にいるままで、虚像を飛ばしていた、というのも実に見事だったと思う。「フッ……最後のジェダイは俺じゃあない。またな、小僧(ニヤリ)」というラストはしびれるカッコ良さだったすねえ! ちなみに、今回ヨーダおじいちゃんも満を持して登場するが、『Ep:I~III』でのCGでバリバリに動くおじいではなく、『Ep:V~VI』のマペットの、動きのぎこちないおじいだったのが新鮮。ただしその言動は、相変わらず無責任なおじいで、「ジェダイなんてもうぶっ壊しちゃえばいいよ」という無責任発言には、もう唖然というか、ああ、やっぱりこのおじいが銀河の平和を壊した張本人なんだな、と改めてその無能ぶりを知らしめてくれたような気がする。これは悪い意味じゃなく、ジェダイといえども神様ではなく、ただの人間なんだ、という意味では十分アリ、だと思う。
 ◆ベン・ソロ=カイロ・レン:前作『VII』ではとんでもないゆとり小僧で、どうしようもなかった彼が、今回大成長! わたしは今回の彼はとても良かったと思う。周りがみな愚かでどうしようもなかったから相対的にまともに見えただけ、という可能性も捨てきれないが、今回、スノークをぶっ殺して、レイと二人共同で戦うシーンにはもう大興奮であった。あれはカッコよかった! 演じたAdam Driver君も、今回は前回ほど虚弱ではなく、まずまずのいい演技だったと称賛したい。予告でわたしがドキドキした母殺しも、オレにはできない!とトリガーから指を離すシーンも良かったと思う(けど、その後のレイアのアレはナシ。断じてナシ!)。しかし改めて考えると、師匠(ルーク)には殺されそうになり、父親(ハン)には疎まれ、そして頼った師(スノーク)にはある意味道具と利用されただけ、とも言えそうで、同情すべき点はあることはある。なので、最後まで信じてくれたように思える母だけはその手にかけられず、自分を支配しようとした奴らを全員ぶっ殺す!という決意は、ガキ臭さはあっても、男としては十分に共感できた。わたしの目から見ると、完全にベンはレイに惚れてますな。そしてその惚れた女に軽く振られたわけで、もうコイツは完全に、「世界をぶっ壊してやる!」と思ってますよ。ホントにもう、ゆとり乙としか言いようがないけれど、非常に分かりやすくて、極めてアリ! だとわたしは思った。まあ。次作でキチンと改心して、レイに許してもらうことですな。
 ◆レイア:今回のレイアは、非常に良かった点と、唖然とするとんでもない点と、両極端だったように思う。まず、反乱軍のTOPとしての振る舞いは実に良かった。愚かな現場連中とは違って大局を見据えての行動は、TOPとしてあるべき姿であり、演じたCarrie Fisherさんの堂々たる演技も相まって、実に貫禄あるお姿だったと思う。しかし……あの、「宇宙空間に投げ出されても、死なないし、宇宙空間を移動できる」謎の能力は完全に物語をぶち壊すとんでもないシーンだったとしか思えない。アレはもう、断じてナシだ。せっかくその直前は、ベンがトリガーから指を離し、レイアは無事、と思わせておいて、その直後ベンの部下による攻撃で死亡、となる流れは完璧だったのに。Carrieさんが去年、急な心臓発作で亡くなってしまったのは大変痛ましいし哀しい出来事だが、ルーカスフィルムは、次の『IX』には、Carrieさんは登場させないと言明したわけで、わたしは今回の『VIII』で、レイアの出番は終わるのだろう、と思っていた。なので、なるほど、こういう最期を迎えたのか……と非常にしんみり悲しい気分だったのに……なんとあろうことか、突然謎の能力が発揮されて生還、結局本作『VIII』のラストまでレイアは元気にしており、次の『IX』に出てこないことの方が不自然になってしまった。何を考えてあんな脚本としたのか、いまだにわたしにはさっぱり理解できない。断じてナシ、だとわたしは思う。ちなみに、レイアは謎の能力で生還したけれど、一緒に被弾したアクバー提督は残念ながら殉職してしまって超ショックだ。ひどくないすか? アクバー提督……あなたの「It's a Trap!」がまた聞きたかったよ……。
 ◆ホルドー中将:今回の新キャラで、レイアが意識不明状態の時に代わって反乱軍の指揮を執る女性中将。わたしはこのキャラはとても素晴らしく、今後の反乱軍はこのお方が率いるのだろうと確信していた。彼女もまた、無能な現場連中とは違って、正しく大局を見据える、将にふさわしい人物だと思いながら観ていたので、その最後にも大変ショックを受けた。演じたLaura Dernさんも大変良い芝居を見せてくれていたのになあ……なんか、このキャラはCG補正されて(妙に首が長く縦に細長く見える)いるのか、素なのか良くわからなかったけれど、Lauraさんの演技はほぼ完璧だったと思う。この方は、若き頃よりもここ数年の、お母さん的キャラの方が断然イイすねえ。せっかく、Carrieさん亡きあとの反乱軍を率いる絶好のキャラだったのに、なぜあんな最後を……これも脚本的にまったく容認しがたい。断然ナシ! とわたしは断罪したい。
 ◆ポー・ダメロン:今回、筆頭クラスの愚か者。まず、冒頭の宇宙戦闘シーンも良くない。これはポーには全く関係ないことなのだが、なんというか、ディズニーは本当に中国市場を一番大切にしているんだな……という事が物語に関与してしまっていて、ダメになっていくんだなあ……と感じたのが、冒頭の爆撃機の中で、中国人美女?と思われる東洋人が必死の思いで活躍するシーンだ。はっきり言って、『STAR WARS』サーガに、そういった本筋に関係ないキャラクターの描写は全く必要ない。あの一連のシーンは全て不要だ。冒頭の宇宙戦闘シーンは、あくまでも、反乱軍が追い詰められていて、大ピンチな状況にある、けれど、レイアの知略とポーたち現場の勇気で何とか持ちこたえている、そしてそれももはや限界にきており、ルークの参戦が、銀河の希望としてどうしても待ち望まれている、という状況を描くだけでいいのに、ポーの独断専行、からの降格、という脚本的な展開は全く不必要だったとわたしは感じた。愚かすぎるし。無駄だし。ただ、ポーは、ホルドー中将の勇気ある最期を見て、やっと改心し、大局観を抱くようになるわけで、その成長は大いにアリだけど、まあ、時すでに遅しだし、お前の成長に何人の人々の命が費やされたんだ! と思うと、若干腹立たしくさえある。ポーよ、君にはかつてのハン・ソロ的な役割を期待したけれど……まったく期待外れだったよ。ラストのスキー・スピーダーでの謎の特攻作戦も、効果ゼロでまったく無意味だったね。そもそも何がしたかったのかさえ意味不明だし、ああいう場面で、さっそうとX-Wingで救援に駆け付けるのが君の役割だっただろうに。全くもってがっかりである。もちろん、演じたOscar Isaac氏には何の責任もありませんが。
 ◆FN-2187ことフィン:今回全く不要だったキャラの筆頭格。何の意味もない行動ばかりで、わたしなら一切カット、別の任務を与えていたと思う。そもそも、なぜFN-2187だけが命令違反できたのか、という謎も一切触れられず。あまつさえ、完全武装の元上司に勝っちゃうし。あれも全くあり得ないというか、断じてナシ、と断罪したい。今回、最もいらないとわたしが感じたのが、新キャラであるローズとの潜入ミッションで、ローズも謎の助っ人も全く不要だったし、そもそもあの作戦自体が全く不要だったと、見た人なら誰しも感じたのではないだろうか? なお、謎の助っ人を演じたBenicio del Toro氏は、役名をDJというらしいが、本編でちゃんと名乗ってましたっけ? 吃音のあるキャラ付けも不要だし、物語においても全く不要だったとしか言いようがない。わたしは助っ人が「ギャンブラー」でコード破りの達人、と話すマズ・カナタの通信を聞いたとき、おおっと、まさかここでランド・カルリジアン将軍登場か⁉ と超ドキワクしたのに……全然違ってました。またローズを演じたKelly Marie Tran嬢も、全く可愛くないし。彼女は生粋のUS生まれのUS市民だそうだが、まあ、中国配慮キャラと見なさざるを得ないだろう。なんであんな無駄なエピソードを入れる必要があったのか、全く理解に苦しむ。しかも見どころもないしそもそも面白くもないし。とにかく、がっかりだ。フィンは伝説のいらないキャラであるジャージャー並みに、今後語り継がれていくのではなかろうかという気がした今回の『VIII』であった。
 ◆ファースト・オーダーなる無能集団:今回の筆頭アホキャラはハックス将軍だが、まあ、彼は最初から小者として、ベンの引き立て役としての役割しかないので、あれはあれでアリ、ではあると思う。しかし、今回最大のがっかりキャラ、最高指導者スノークには深く失望したと言わざるを得ない。そもそも、前作『VII』において、謎の巨大ホログラムとして登場していたスノークだが、今回、生身の姿が出てきて、普通のキモイおじいちゃんだったらがっかりだな、と思っていた。そして今回、そのがっかりは的中してしまったのだが、がっかりはそのビジュアルだけでなく、全然弱かったことに対してももう、失望を通り越して怒りすら感じたほどであった。ただ、それはわたしが過度の期待をし過ぎていただけのことで、物語として、ベンがスノークをぶっ殺すくだりは大変良かったと思う。ベンの、ごちゃごちゃごちゃごちゃ……みんなうるせーーんだよ!!という怒りは非常に分かりやすく上手に表現できていたし、ベンのキャラクターの引き立て役としては十分以上その役目は果たしてくれたとも思う。しかし、しかしですよ。あの、伝説のジェダイナイト、ルークをして、つかめなかったベンのハートをいともたやすく操っていた黒幕、としてはあまりに弱すぎる。そもそも、スノークはなぜ、フォースを操れたのか、スノークの目論見は何だったのか、どうしてそういう野望を抱くに至ったかは、もはや永遠に謎となってしまったわけで、わたしとしてはこの脚本はナシ、とやっぱり断罪せざるを得ない。軽すぎるし、投げっぱなし過ぎる。これじゃあ、ダメだと思うな……。そもそも、ファースト・オーダーの連中の、逃げる反乱軍をただじっと追いかけるだけ、という作戦自体も、脚本的にもう全然ナシ!だ。あれじゃあ、ドラマが生まれようがないよ。

 はあはあ……なんというか、本当にまだ信じられない。わたしが観たのは、本当の『VIII』だったのだろうか? ファンメイドのインチキ『VIII』だったのではないかといまだに思いたいわたしがいる。要するに、とにかく、「わかってない」。キャラクターも生き生きしてない。脚本が0点であるというのがわたしの結論である。
 そんな脚本を執筆し、監督をしたRian Johnson氏にすべての責任があるとわたしは断罪したいのだが、わたしは氏の作品は過去に『LOOPER』しか観ていないので、何とも言えないけれど……確かに『LOOPER』は面白かった。面白かったけれど、大絶賛というほどではなく、どうしてまた、ルーカスフィルム社長のKathleen Kennedy女史がそこまでほれ込んだのか、実は良くわからない。確かに、本作でも画として、ラストのベンとルークのタイマン勝負は猛烈にカッコ良かった。『LOOPER』でも、ラストの1対1のタイマンはカッコ良かったし、そういう場面に優れた才能を持っていることは明らかだと思う。しかし本作は、端的に言ってキャラが多すぎた。そしてそれらのキャラクターを点でばらばらに動かし過ぎて、全く焦点が合わない、ピンボケ作品になってしまったように感じている。やはり、本作にもJJ氏を脚本面でも参加させるべきだったと思う。今回、製作総指揮という肩書でJJ氏はクレジットされているが、やっぱりシリーズは、完全に全体の物語を統括する存在が必要で、JJ氏はもっと物語に関与すべきだったとわたしは思うのである。次回作の『IX』は、JJ氏が再び監督復帰することがすでに発表されているが、わたしは本作でも、JJ氏が作り上げるべきだったと強く感じた。そう考えると、最大の責任者、Kennedy女史にすべての責任があるというべきだろう。ホント、大いに、心の底から反省してほしい。オレの観たかった『VIII』はコレジャナイ!!!

 というわけで、結論。
 超期待していた、2年ぶりの新作となる『STRA WARS Episode:VII The Last Jedi』を観終わって、わたしが真っ先に思ったのは、「オレが今観終わったこの映画は、本当に、本物のSTAR WARS Ep:VIII」なのか? という信じられない思いで、きわめて深く失望した作品であった。わたしが思う、本作の欠点は、登場人物が多すぎて、しかも物語にほぼ無意味な行動をし、結果的に重要な人物や出来事にフォーカスされず、実に緩慢になってしまっている点で、脚本が全くダメだということである。ただ、本筋部分の進行はかなり見どころがあり、レイ・ルーク・ベンの3人は非常に良かった。とりわけ、前作でまったく共感できなかったベンがとった行動は、ガキ臭いものであっても理解はできるもので、その点は非常に評価したい。しかし結局、多くの謎はほぼ解明されず、実に消化不良でもある。しかし……そう考えると、ホントに『V』、帝国の逆襲は素晴らしかったんだなあとしみじみ思いますな。しかし、今回ロゴを赤くした意味も、ほぼなかったすね。黄色に戻っしてほしいですな。マジで。つうか、もうこの『VIII』も、正史として受け入れざるを得ないわけで、大変悲しいです。わたしはいまだに『III』はナシ、と憤っているが、この『VIII』は、『III』よりさらにナシです。以上。

↓ 今日、そういえばWOWOWで放送される『ROGUE ONE』。こちらも若干問題アリだけど、こちらの方がずっとずっと面白かったすね。

 現代の世において、「宗教」というものについて真面目に考えるのは、それなりに意義深いことだとわたしは思うが、残念ながら情報の溢れるこの現代では、ほとんどの人が「宗教」というものにほぼ無関心であろうと思う。形骸化した宗教の残滓にかかわるぐらいしか、現代のわれわれは体験したことがないのが普通だろう。
 それはいい悪いの問題ではなく、単純に現代人には「宗教」にまつわる行為や思考に費やす時間がないのだから、まあ、実際のところ仕方がないと言えるのではなかろうか。かく言うわたしも、それほど深い信仰は持ち合わせていないし、おそらく平均的な日本人と比較すれば、ちょっとだけ深い、ぐらいの程度なので偉そうなことは全く言う資格はなかろうと思う。
 というわけで、今日観てきた映画は、江戸初期に日本へやってきた宣教師の目を通して、キリスト教における「神の沈黙」について、真正面から 取り上げた作品『沈黙―サイレンス―』である。原作は、狐狸庵先生でおなじみの遠藤周作氏。そして監督は、偉大なる名匠とうたわれるMartin Scorsese氏。わたしはこの作品を日本人監督では撮れなかったことがなんとも残念に思う。映画として、わたしは久しぶりに完璧だと感じたスーパー大傑作であった。

 はっきり言って上記予告はかなり出来が悪い。余計なナレーションが入っていたり、映像の編集も時系列が乱れている。ので、あまり参考にならないかもしれないことは一応一言言っておこう。以下、いつも通りネタバレ満載ですので、読む場合は自己責任でお願いします。
 さて。キリスト教における「神の沈黙」。それをごく簡単に普通にわかりやすく言うと、「どうして神様は助けてくれないの? なぜ黙っているの?」ということに尽きるのだろうと思う。本作で舞台となるのは、江戸初期のキリスト教が禁止されていた時代で、禁止どころか時には死罪にもあたるほど、激しい弾圧が加えられていた時代だ。まさしく島原の乱が起こって鎮圧され、鎖国が始まったころの話である。本作は、そんな時代に日本にやってきた宣教師が、日本人なら誰しも習う、「踏み絵」を踏めるかどうかの話だ。踏めば、自由の身、そして信者たちもおとがめなしで解放される。しかし断るならば、信者を殺す。そう突き付けられたときに、宣教師は「踏める」のかどうか。そしてそんなウルトラ大ピンチに、神はどうして何も言ってくれないのか。信者の命を見捨てることで保たれる信仰とは何なんだ、というのが本作のポイントであろう。
 おそらく、わたしを含め、キリスト教信者でない現代の日本人から見ると、もうさっさと踏んじゃえばいいじゃん、それでも心の中ではバーカって言ってりゃ済むじゃん。死んじゃあどうしようもないでしょ、と思うのではないかと思う。実際、登場する日本の武士階級の役人たちも、形式的でいいし、軽く、ちょっと踏むだけでいい、だから頼むから踏んでくれ、オレたちはお前が憎いんじゃないしお前たちを傷つけたくはないんだ、と頼み込む。それは、武士たちにとっては完全に法であり、政策であり、行政ルールだからだ。ごみは分別して出してくれ、と同じぐらいのレベルの話であろう。そして主人公たるロドリゴは、悩みに悩みまくる。
 おそらくこの状況は、登場する日本人武士の方が現代的であり、ロドリゴの方がプリミティヴというか原始的な思考だと言えそうな気がする。どうしてもわたしには、ロドリゴの苦悩が、本質的によく分からない。というのも、わたしは信仰とは心の持ちようであり、生きてこそ、だと思っているので、いかに心の中で、相手に対してクソ野郎だと持っていても、殺すと言われればその靴を余裕で舐めるにやぶさかでないからだ。そこに、神様助けて、と思うような感情は間違いなく発生しないし、クソ野郎の靴を舐める行為が神罰に値するとも思わないし、クソ野郎の靴を舐めたからと言って傷つくプライドも信仰心もないからだ。
 だからもし、ロドリゴが最後まで「踏まず」に、信者を見殺しにして「殉教者」として自らの死を願ったとしたら、わたしの目にはロドリゴは現代のイカれた狂信テロリストと全く同じに見えただろう。だが、ロドリゴは、ある種の決意をもって、「踏んだ」。そして信者を救うことを選んだ。この葛藤は、絶望によるものなのか、神との決別なのか、生への執着なのか、これは観た人それぞれの判断に任せられるポイントだろう。いずれにしても、神は沈黙したままである。神がおわすならば、だが。
 しかし、本作では、どうもやはり、当時のいわゆる隠れ切支丹のキリスト教信者たちも、若干の原始的な信じ方をしているようで、祈れば救われる、天国、パライソへ行けると本気で信じている節がある。そういう意味では来世を信じる仏教的な思想(と言っていいのかな?)とまじりあっているような気がするが、おそらくそれは、キリスト教を侵略の手段として利用しようとしていたヨーロッパの思惑も影響しているのだろう。その点は現代テロリストたちと意外と共通しているのではなかろうか。その意図に気づいたからこそ日本ではキリスト教が禁止されたともいえるわけで、そこに気が付いていないロドリゴたち宣教師は一番の被害者だったのかもしれない。とりわけ信長あたりは、宗教と政治の対立には痛い目に遭ってきた経験もあるわけで、そのカウンターとしてキリスト教を利用しようとした信長と、逆に脅威とみなして禁止した家康と、キリスト教にとっては対照的だが、実際やっていることは同じだったのではなかろうかとも思う。当時の宗教と政治は、日本だけでなく世界中で切り離せないものであったのはきっと確かだろう。それは現代でも、狂信テロリストを生み出す土壌でもあるし、ある意味宗教は道具として使われてしまっている面があるのは間違いなかろう。要するに人心掌握の手段というわけだ。
 そして、本作で一番理解するのが難しいのが、ロドリゴの葛藤よりもキチジローの行動の方だ。キチジローは、家族の前で「踏み」、村の信者の前でも「踏み」、おまけに金のためにロドリゴの居場所を密告したりもする。そしてその度にロドリゴに告解し、許しを求める。こうして書くと、とんでもない裏切り者の、まさしくユダ的人物のように聞こえるかもしれないが、どうしてもわたしには、その時のキチジローの脳裏には、おそらく全く何の悪意もないように見える。死にたくないから「踏む」。金が欲しいから密告する。だけどそんな自分に猛烈に心が痛む。だから助けて司祭様、という、実際のところ心に素直に従っているだけ、の純粋な野郎と言ってもよさそうである。そしてその、言ってみれば「生への純粋さ」のようなものに、ロドリゴは苦しめられる。コイツ、何なんだよ、と、ロドリゴには若干不信もあっただろうし。しかし、キチジローのそういったある意味ボン・ソバージュ的なところは、聖職者であるロドリゴにとっては、どうしても切り捨てることができなかったのだろう。なぜなら、人間誰だってキチジローなる部分を持っているからだ。わたしはキチジローに対して、とんでもねえ野郎だ、とか、そりゃそうなるよなあ、とか、頭に来たり共感したりと色々な感情をもって観ていたのだが、それを苦しみながらも抱え込もうとするロドリゴの姿には、これが聖職者というものであり、また、キリスト教的(というより正確にはカトリック的か?)な許し、なんだろうなあ、と思うに至った。最終的に、ロドリゴは棄教し、江戸で生涯を終えるわけだが、その死までに何度も私は棄教しました、的なことを書類で提出させられたんだそうだ。しかし、ラストで描かれたように、ロドリゴの心には常に神があったわけで、周りからは「転んだ」卑怯者的な扱いを受けても生き抜いたその姿は、やっぱり立派というか、わたしの胸にはとても響くものがあったのである。
 というわけで、そのロドリゴを熱演したAndrew Garfield君は大変素晴らしかったと思う。わたしにとって彼は、SPIDER-MANをぶち壊した野郎ではあるものの、彼に非は全くなく、監督と脚本がダメだっただけで、実際のところ彼は何気に演技派だし、今回の演技は本当に素晴らしかったとほめたたえたい。USではとっくに公開されているけど日本ではこれから公開される『Hacksaw Ridge』も期待してます。
 また、同僚司祭として一緒に日本にやってきたガルペを演じたのが、宇宙一の親不孝者カイロ・レンでお馴染みのAdam Driver君。いつもの汚い長髪&髭面と、相変わらずひょろ長い手足で不気味な男ですが、今回はAndrew君とともに、やはり素晴らしい芝居ぶりでありました。まあ、後半は出番がないのでアレですが、殉教シーンはグッと来たね。STAR WARS次回作ではさっさと善に戻ることを期待します。
 次。二人の司祭の師匠であり、日本で消息を絶った先輩司祭を演じたのが、我らが戦うお父さんことLiam Neeson氏。この人はやっぱり師匠的な役が似合いますね。終盤登場してロドリゴと再会するシーンの問答は静かなシーンなのにすごい熱量でした。あそこも見どころの一つでしょうな。 
 そして日本人キャストも非常に素晴らしかった。キチジローを演じた 窪塚洋介氏、通詞を演じた浅野忠信氏ともに非常な熱演だったし、とりわけわたしは井上筑後守を演じたイッセー尾形氏の芝居が非常に印象に残った。どうやら、原作においては、通詞も井上筑後守も、もとは切支丹で棄教した男、という設定らしいですね。その設定は映画では触れられずであったけれど、そこも描いたらもっと深く感動があったのではないかと言う気がします。それから、可哀想な運命をたどる信者の女子を演じた小松菜奈嬢も大変可憐でしたなあ。芝居ぶりも大変素晴らしく、失礼ながらちょっと驚きました。
 あと、どうでもいいことだけれど、とにかく、役者の着る服、汚れたメイクなど、映像の質感もさすがのハリウッドクオリティで、まあ、ほぼ台湾ロケだったそうなので、風景や村の様子などは若干日本ぽくはないような気もするけれど、 日本映画ではこうはいかなかっただろうなと思う。予算規模も全然違うだろうしね。
 ところで、最後に語られる、「この国にはキリスト教は根付かない」。なぜならこの国は沼地だからだ、という話はどうなんだろう。あれは、要するにまだ日本は戦国を経て江戸幕府という政治形態が生まれたばかりであり、ぐちゃぐちゃだということを意味しているのか、それとも、日本という国の精神性・文化的歴史を沼地と例えたということなのか。このことについては、わたしはまだ理解は出来ていない。この解釈は難しいなあ……わからん……泥の沼……うーん……これを理解するには、原作小説を読むべきかもしれないな……。

 というわけで、キレが悪いですがもう長いので結論。
 Martin Scorsese監督による、遠藤周作先生原作の『沈黙―サイレンス―』は非常なる傑作だと思う。脚本・撮影・演技ともに素晴らしく、パーフェクトとわたしとしては激賞したい。まあ、なんでも神に頼っても、神は 沈黙でしか答えてくれないわけで、やはり自分自身の心のありようが信仰の最も核になるのだろうと思う。なんでも神任せにしたら、イカれた狂信テロリストと同じだもんね。そしてなんといっても、生きてこそ、なんでしょうな。そして、信仰の自由が一応認められている現代は、やっぱり少しは人類は進化したと言っていいのかもしれないすね。なんかどうもキレが悪いけど、以上。

↓ マジで読むしかないような気がします。
沈黙 (新潮文庫)
遠藤 周作
新潮社
1981-10-19
 

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