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 以前、わたしが敬愛する、とある女性の作家先生とメシを食っているとき、こんな話を聞いた。
 「男と女の恋愛に対する想いの違いを教えてあげる。女はね、【上書き保存】なの。そして男は【名前をつけて保存】するわけよ。分かるでしょ? 女はどんどん上書きして、心の中にはひとつの最新Verしか持ってないのよ。でも、男は、過去の恋愛をひとつずつご丁寧に取っておくでしょ。おまけに、たまに眺めてはその思いにふけって、ちょこちょこ勝手に修正して美化するもんだから、女はイラッとするわけ」 
 こんな話をしたのは、わたしが『母と暮せば』を観て大いに感動したと興奮しながら話していた時だったと思う。確か、「オレが死んだら、そりゃあ恋人には幸せになってもらいたいけど、でも、完璧忘れられるのも淋しいすねえ……」、なんてことを話しているときだったと思う。その先生は、ズバリ「ああ、そりゃあダメよ、女は忘れる生き物よ」みたいな話から、上記のことをわたしに話してくれたのだが、 わたしはこれを聞いて、なるほど、確かに、超思いあたるっすね、みたいなことを返したと思う。実に、頷けてしまったわたしだが、果たして世の女性たちも、そんなの当たり前だと肯定するのだろうか。
 というわけで、おとといの14日(木)の夕方、そろそろ定時になろうとしているときに、おっと、そういや今日は14日、トーフォーの日で映画が安く観られる日じゃねえか、と気がつき、帰りにぶらりと日比谷シャンテに映画を観に行ったわたしである。
 観た作品は、『BROOKLYN』。今年のアカデミー賞で、主演のSaoirse Ronanちゃんが主演女優賞にノミネートされた作品で、作品賞と脚色賞にもノミネートされた作品であり、わたしもずっと見たいと思っていたのだが、やっと日本でも公開になったものの、公開規模が小さく、こりゃあWOWOW待ちかな……と劇場へ行くことをあきらめかけていたのだが、トーフォーの日だし、ちょうど時間もぴったり合う、というわけで観てきたわけである。そして結論から言うと、大変素晴らしかった。実にいい作品で、全女性に強くお勧めしたいと思う。

 上記予告にある通り、US本国でも非常に評価は高く、わたしの評価も高かったのでお勧めしたい映画なのだが、まずは物語を簡単に説明してみよう。まあ、大きな流れは、予告編の通りである、が、もっと密度が高くて、もっともっと面白かった。
 舞台は1950年代。アイルランドの片田舎に住む主人公・エイリッシュは、優しく美しいお姉ちゃんのローズと、お母さんの3人暮らし。父は既に亡く、エイリッシュは、恐ろしくいや~なクソバアアの経営する雑貨屋で日曜だけ勤務するパート暮らしである。何故賢い彼女がそんなパートをやっているかというと、ズバリ当時のアイルランドには仕事がないためだ。お姉ちゃんはとある工場(?)で会計士としてきっちり働いていて、二人の仲はとてもいい。そんなエイリッシュに、お姉ちゃんが懇意にしているNY在住の牧師のコネで、NYで働き、NYに住むというチャンスが訪れる。母やお姉ちゃんと別れるのは本当に悲しいけれど、嫌味で悪意に満ちたクソババアのもとで働くよりずっといい。というわけで、エイリッシュは一大決心の元、NYへ旅立つ――というのが物語の始まりである。このお姉ちゃんとの関係がとても美しくて、船で出発するエイリッシュを見送るシーンでわたしは早くも泣きそうである。泣いてないけど。
 旅客機なんてない当時、もちろんのことながら船旅である。しかし慣れない彼女は思いっきり船酔いして、まあ大変な目に遭う。そこで出会う、洗練された女性がとてもいい。ちょっと世間慣れして浮ついた風でいて、実はとても面倒見が良くて、エイリッシュにいろいろアドバイスし、何とか船旅もマシなものになっていく。入管審査では、おどおどしたりしてはダメ、毅然とするのよ。咳は絶対にしちゃあだめ。隔離されて送還されるわ。なんて、いろいろ教えてくれる、「大人の女性」。この女性はその後一切物語に登場しないのだが、観ているわたしに非常に強い印象を残してくれたし、エイリッシュの心にも強く残ることになる。
 そしてようやく着いたNY、BROOKLYN。慣れない環境や仕事に、あっさりホームシックにかかり、すっかり笑顔が消えてしまうエイリッシュ。お姉ちゃんからの手紙にうえ~~んと泣いちゃう姿に、わたしはまたも一緒に泣きたくなったよ。悲しいつーか、エイリッシュの表情は、もう全世界の男ならば放っておけないものを感じるはずだ。しかし、それでも、4人の先輩同居人や寮母さん的な(?)おばちゃんたちは(女子たちはちょっと意地悪だったり、寮母さんも若干おっかないけれど)、根はとてもいい人たちだし、NYでの仕事を紹介してくれた牧師さんも大変善良で、学費を出してあげるから、ブルックリン大学の夜間コースで簿記の勉強してみたらどう? なんて、多くの人の善意に支えられて、エイリッシュも何とか頑張っていく。エイリッシュも、非常にド真面目な女の子なので、実に応援したくなる健気さだ。
 で。エイリッシュは、あるときから急に明るく元気になる。
 分かりますよね。恋ですよ、恋!
 寮母さん公認のダンスパーティーで知り合った、イタリアから移民でやってきた若者、トニーとの出会いがエイリッシュに再び笑顔を取り戻させるわけですな。そしてまたトニーもイイ奴なんですよ。エイリッシュの学校が終わる時間には頼んでないのに迎えに来てくれるような優しい奴で、そりゃあもちろん下心もあるんだろうけれど、一切そんな風は見せず、実に紳士的で、健全なお付き合いが始まる。そんなエイリッシュの変化を、職場(デパートの店員さん)のちょっと怖い主任的なお姉さんも、好意的に捕らえてくれて、実はかなりいい人だったことも描かれる。
 そんな風にして、エイリッシュのNY、BROOKLYN生活は徐々に彩りを取り戻していく。二人で海水浴に行くデートなんて、非常にほほえましくて良かったし、その水着選びも、職場の主任のお姉さんが張り切っていろいろ手伝ってくれたり、あるいは初めてトニーの家に行って家族と食事することになったときも、寮の女子たちが皆で、イタリア料理はこうやって食べるのよ、とパスタを食う練習まで付き合ってくれたりして、もう観ているわたしとしては、完全に田舎から上京した娘が東京で頑張っているさまを観ているようで、嬉しくて、ほほえましくて、大変もうニヤニヤしながら観ていたと思う。完全に変態ですが、暗いから誰にも見られてないと思うので大丈夫だったと思います。
 しかし――故郷のアイルランドから、突然の悲報がエイリッシュにもたらされる。ネタバレすぎるので何が起こるかは書かないで置くけれど、ネタバレを心配するにはもう手遅れかな。とにかく、その悲報で、一時アイルランドに戻るエイリッシュ。そして、そこで出会ったイケメンに、次第に心引かれていくわけで、端的に言えば、アイルランドに残るか、NYへ戻るか、という人生の岐路に立ってしまうわけだ。
 物語がこういう展開となったとき、わたしが観ながらずっと考えていたことが、冒頭に書いた「男と女の恋愛に対する想いの違い」だ。そうだ、女は「上書き保存」だった、と観ながらわたしは思い出したのである。なので、NYのイタリア男、トニーは振られちゃうのか? あんないい奴なのに? マジかよ……? やっぱり女は常に「最新Verの恋」ただひとつなのか……? と、もうなんだかわたし自身が振られた気分がして、ずーーんとしょんぼりである。
 最終的に、エイリッシュが採った決断は、書かないでおく。どちらを選んだかは、劇場で確認してください。ただ、彼女の決断が、とある外的要因によるものであったのではないか、ということには、わたし的にどうにもまだ整理できていない。もし、あのイヤな出来事がなければ、選択は変わっていたのだろうか? それは彼女にも、二人の男にもまったく関係のない出来事で、冒頭に出てきた故郷の嫌味なクソババアの悪意が彼女の決断に影響を及ぼしたのは間違いないのではないかと思うのだが、どうなんだろうか?
 というわけで、お願いです。わたしの周りの女性の皆さん。どうかこの映画を観に行って、女性の視点からの意見をお聞かせいただきたい。はたしてエイリッシュの決断は、女性から見たらどうなのか。その点は、おっさんのわたしには、どうしても、やっぱり分からんのです。いい悪いの問題じゃなくて。こういうものなんでしょうか、女心というものは。それが分からんから、わたしはモテないわけですか、なるほど。納得……したくねえなあ……。

 さて、物語の説明は以上である。
 とにかく、本作は、主役のSaoirse Ronanちゃんが抜群にイイ!! しょんぼり顔愛好家のわたしにはたまらないし、非常に繊細で、可愛らしくも美しく、わたしとしては最高級に褒め称えたい。彼女は、13歳でアカデミー助演女優賞にノミネートされた『Atnement』(邦題;「つぐない」日本では2008年公開)で世界的に有名になった女優だが、実はわたしがSaoriseちゃんを初めて観たのは、2009年公開の『The Lovely Bones』(邦題「ラブリー・ボーン」)だ。映画としては、タイトルからは想像できないほど重苦しい、キツイ映画だけれど、あの映画でわたしは、なんて綺麗な目をした女の子なんだ、と非常に驚いた。調べてすぐに、ああ、この娘がちょっと前に13歳でオスカーノミニーになった娘か、と知ったわけで、以来、Saoriseちゃんはずっと注目している。とにかく目が綺麗。吸い込まれそうな美しいBlue Eyesの持ち主で、世界最高の美しい瞳だとわたしは勝手に認定している。まあ、順調にキャリアを重ねているSaoriseちゃんだが、まだ22歳。若いですなあ。ただ、10代前半の超絶美少女から、順調に欧米人にありがちな大人顔になりつつあって、最近はさほど気になる存在ではなかったのだが(サーセン)、やっぱり芝居ぶりは若手No.1の評判は伊達じゃないすね。本当に素晴らしい演技でした。Sarioseちゃん自身も、アイルランドの人(生まれはNYだけど幼少時に両親の故郷のアイルランドに移住)で、ロンドンへ上京した時のことを思い出しながら、演技をしたそうですよ。
 ほかの役者は、正直あまりメジャーな方ではないようだけれど、本当に各キャラクターは素晴らしかったと思う。わたしは特に、エイリッシュのお姉ちゃんを演じたFiona Glascotさん、職場の主任のを演じたJessica Pareさん、そして、NYへの船中で出会う女性を演じた女優、役名を忘れちゃったから誰だかわからないんだよな……そもそも役名あったっけ? たぶん、Eva Birthistleさんじゃないかと思うけど、いや、この人は同じ寮に住んでいるバツイチの彼女役かな……ま、とにかく、この3人の女性がわたしはとても気に入った。みな、エイリッシュを助け見守る大人の女性で、とても心に残る演技だったと思います。特に、お姉ちゃんが本当に素晴らしい演技だったと思います。
 で、エイリッシュに恋する二人の男は、NYのイタリア男・トニーを演じたのがEmony Cohen君26歳。知らない役者だけれど、実に良かった。実にお前はいい奴だよ。イタリア訛りの英語も大変似合っていて、ちょっと今後注目したいすね。そしてもう一方の、一時帰京したアイルランドで出会うイケメン君を演じたのが、今や多くの話題作にちょこちょこ出て有名になりつつあるDomhnall Gleeson君33歳だ。『STAR WARS』のへなちょこ将軍ハックスや、『The Revenant』でのカッコイイ商隊の隊長、あるいは『Ex Machina』でAIロボ・ガールに心惹かれる青年など、多彩な芝居ぶりですね。どうやらちゃんと次の『SW』にも出るようだから、無事にスター・キラーから脱出していたようですな。わたしはまた、スター・キラーもろとも殉職しちゃったかと思ってたよ。今回の役は、とても物静かな紳士的なイケメンで、これまた今までとちょっと雰囲気が違ってましたね。お前も実にカッコ良かったよ。彼は今後、きっとどんどんいろいろな作品に出演していく注目株なんでしょうな。
 で、最後に監督と脚本をチェックして終わりにしよう。まず、監督はJohn Crowley氏。どうもアイルランドで舞台中心に活動してたっぽい人ですな。まだ映画もそんなに多くないすね。正直知らない人ですが、本作の演出は非常に、なんというのか、しっかりとしていて、堅実な感じですな。ちょっと名前は憶えておきたいです。そして今回は、脚本が非常に良くて、かなり名言と言うか、心に残るセリフが多く、大変良かった。その脚本を書いたのが、なんとわたしが去年絶賛した『Wild』(邦題:わたしに会うまでの1600キロ)を書いたNick Hornby氏だった。アカデミー脚色賞ノミネートも納得の素晴らしいDialogがとても多くて、もう、どのセリフを紹介したらいいか迷うけど、やっぱりこれかな。
 You'll feel so homesick that you'll want to die, and there's nothing you can do about it apart from endure it. But you will, and it won't kill you... and one day the sun will come out and you'll realize that this is where your life is.
 「あなたはきっと、ホームシックにかかるわ。それも重症。死にたくなるぐらいに。何をしても耐えられないでしょうね。でも、きっと耐えられる。ホームシックでは人は死なないの。……いつか、太陽が顔を見せるし、ここがわたしの生きる場所なんだって、分かる時が来るわ」
 ま、わたしのテキトーな訳で、字幕は覚えてないけれど、エイリッシュがラスト近くで、まるでかつての自分のように元気のない少女に向かって言うこのセリフが、そしてこのセリフを言うときのSaoriseちゃんの表情が、わたしにはとても強く心に残った。いやあ、ホントに素晴らしい映画でした。

 というわけで、結論。
 本作『BROOKLYN』は、とにかく多くの女性に見ていただきたい傑作である。特に、地方から上京して一人暮らしをしている女性には、初めて上京した時のことを思いだして、かなりグッとくるんじゃなかろうか? それから、さっき、インターネッツでこの映画のことを、実写版『ZOOTOPIA』だ、と評しているレビューを見かけた。確かに物語的に似ているかも。なので、『ZOOTOPIA』が好きな女子たちにもオススメです。わたし的には、ほぼ同じ時代のNYを描いた『CAROL』と非常に対照的?というか、別の道筋をたどったキャロル、というようにも感じた。キャロルも、本作のエイリッシュも、二人ともデパートガールだし(※ただし性格はかなり違うし、キャロルはマンハッタン、エイリッシュはブルックリン、かな)。なので、『CAROL』にグッと来た人にも、強くオススメしたいと思います。FOXも、さっさと公開すべきだったんじゃなかろうか。いやー、ホント、素晴らしい作品でした。以上。

↓ 原作小説は、パンフレットによるとアイルランド現代文学の巨匠Colm Toibin氏によるものだそうです。知らなかった……
ブルックリン (エクス・リブリス)
コルム トビーン
白水社
2012-06-02

 

 

「PCT」と聞いて、ああ、あれね。とすぐにピンと来る日本人はそうめったにはいないと思う。かく言うわたしも、もちろんなんだそりゃ、である。しかし、あらためて、「Pacific Crest Trail」と聞けば、若干の想像は付く。まあ、「PCT」でも「Pacifit Crest Trail」でも、分からないことはGoogle先生にお伺いを立ててみれば3秒で分かることだ。
 とりあえず、詳しい説明はWikipediaに任せるとして、 要するにアメリカ西海岸の山岳地帯を、メキシコ国境からカナダ国境までつらぬく、長ーーーい自然遊歩道のことだ。
 この遊歩道を歩き通す。そんな冒険野郎が世界にはいるようで、この映画『Wild』――邦題:『わたしに会うまでの1600キロ』――は、そんな冒険女子のお話だ。


 わたしは、とりあえずこの邦題を見て、まーた自分探し系の痛い女子モノかと若干の不安を抱いた。どうせまた、忙しい日常に自分を失ったアラフォー女子が、甘い考えでPCTに挑戦して、苦労の果てに無事にやり遂げて、よかったよかった的なハッピーエンドなんでしょ、と。
 ズバリ言えば、このわたしの完全なる予断は、7割方合ってはいた。しかし、主人公をPCTへと駆り立てた動機は、わたしの想像よりもずっと深刻で重く、はっきり言ってわたしは大いに感動してしまったのである。

 最初に言っておくと、これはいわゆる「based on a true stoy」である。実話ベースの物語で、全米ベストセラーの原作付き映画だ。日本語訳は、帰りに本屋で探してみたところ、映画にあわせて静山社から発売になっているようだ。 文庫だったら買ってもよかったのにな。ちょっとお高いので、本屋で5分ほど悩んで結局買わなかったが、ちょっと気にはなる。
 なお、PCTとはいえ、ずっと大自然の中を歩き通す、わけではなく、持てる荷物もそりゃ限界があるわけで、何度か山を降りて街で補給するし、途中でベースキャンプ的な、日本で言うところの山小屋めいた施設(?)も出てきて、そこ宛に荷物を送ってもらって受けとる、みたいなシーンもあった。そりゃそうだ。PCTの達成には数ヶ月もかかるんだから。

 というわけで。ネタばれにならない範囲で簡単に説明すると、最愛の母を失ったことで精神失調となってヘロインに手を出したり家庭崩壊に陥った主人公が、母がかつて言っていた「美しい地に身を置きなさい」という言葉を思い出し、偶然手に取ったPCTの本を見て、挑戦を決意するというのが話の大筋である。
 問題は主人公に共感できるかどうか、にすべてかかっているのだが、こんな短い説明だけでは、まあピンと来ないだろうとは思う。しかし、主人公を演じるReese Witherspoonの演技は確かであるし、また、なんと言っても母を演じるLaura Dernの演技が非常にすばらしいため、単純なわたしはもう、簡単に、映画を観ながら「がんばれ!」と完全に応援体制に入ってしまった。
 わたしがこうもたやすくこの映画に入り込んでしまったのは、おそらくこのPCTが、日本のお遍路に近いものであると感じたためであろうと思う。わたしのことを知る方ならご存知だと思うが、わたしは2007年にお遍路を実行し、5ヶ月かけて「結願」(※けちがん、と読む)達成した男だ。もっとも、わたしは一日も会社を休むことなく、土日だけを利用して、チャリンコでお遍路修行を行ったので(※5回に分けて行った)、歩いたわけではないが、何か、漠とした「わたしはこれをやり抜くんだ」という思いを抱きながら、黙々と旅を続ける姿は、わたしには完全にお遍路に重なる。そう。この映画は、まさしく「お遍路ムービー」なのである。

 人がお遍路をする動機は、きっとさまざまで、人の数だけ思いはあるものだろうと想像する。まあ、わたしがなぜお遍路に旅立ったかについては、小1時間ほど時間が必要なのでここでは触れないが、おそらく共通するのは、誰か大切な人を亡くしたことがきっかけになっている場合が大半だと思う。じゃなきゃ行かないよね。そして、そこにはいくばくかの「後悔」が含まれているはずだ。あの時こうしていれば……という思い。基本的に、お遍路は今はなき人の魂の冥福を祈る行為であり、今を生きる自分が抱えるなんらかの後悔めいた思いを乗り越えるためのものだとわたしは認識している。誰かを思って歩き通す。そしてあの時の自分を肯定あるいは許すための自虐。それがお遍路と言うものだ。

 そんな個人的事情もあり、わたしはすっかり主人公を応援する体制にはまったわけだが、その背景にはやはり、Laura Dern演じるお母さんの素晴らしさが存在する。常に明るくポジティブで、恐ろしくひどい目にあっても前向きな母。そんなお母さんをなくしたら、主人公でなくてもお遍路に出たくなると思う。母は、過酷でつらい目に遭いながらも「生きること」の喜びを主人公に説きつづけ、「もっと生きたかった」と語る。主人公はPCTを、常にいろいろなことを思い出しながら、母の思い出と共に歩き続けるわけだが、人に「つらくない? やめたいと思わないの?」聞かれれば当然、「ええ、2分ごとにもうやめたいと思うわ」と答える。だけどやめない。ただただ、歩き続ける。
 これは、マラソンやトライアスロン、あるいは登山をたしなみ、あまつさえお遍路も経験しているわたしには、非常にうなずけるものだ。わたしもよく、マラソンなど「つらくない?」と聞かれることがある。そんなの、つらいに決まってんだろうが! バカな質問するなよな、と心の中で思いながらも、わたしはいつもこう答える「ええ、走ってるときは何にも楽しくないっすよ。ホント、何やってんだオレって思います」と。すると、大抵こう聞かれる「じゃ、なんでやるのそんなこと」と。
 わたしとしては、「その答えが知りたいなら、お前も走れ!」と言いたいところだが、世間的に善人で通るわたしは、「まあ、ゴールしたときの爽快感・達成感っすね。とにかく、ゴールしたときの気持ち良さは他には代えられないっす」と、まじめに答えることにしている。事実、そうとしか言えない。おそらくは、実際にやることのないあんたには永遠にわからんだろうな、と思いながら。

 だから、この映画が誰しもに感動を与えるかどうかは、正直よく分からない。もちろん、わたしでも、ちょっとこれはと思うところもある。例えば、明らかに何も鍛えていない主人公が、出発の際に重い荷物を背負って、ただ立ち上がるだけでも非常に苦労するシーンがあるが、その後は、なんか結構へっちゃらで歩いていて、えーと、これはどうなの? と思わなくもないし、本当はもっともっと過酷だっただろうに、その旅路の過酷さはそれほど描写されていない。まあ映画のポイントはそこじゃないということなんだろうが、若干あっさりゴールにたどり着いたな、とは思った。
 
 ただ、ゴールを前にした主人公の表情、とりわけ、ゴール直前の森の中で出会う少年の歌を聞いたときの、主人公の涙。そこには、理屈ではなく、万人の感動を誘う何かがあるようにわたしには感じられた。Reese Witherspoonの演技もかなりいいです。監督のJean-Marc Valleeは、前作『Dallas Buyers Club』で完全に一皮むけ、いい作品を撮るようになった。今後わたしの要チェック監督リストに入れたいと思う。

 というわけで、結論。
 『Wild』――わたしに会うまでの1600キロ――は、なかなかお勧めです。自分の大切な人のことを思いながらみていただきたい。そして、自分の今までの生きてきた道のりを振り返っていただければ、この映画を製作した人々は嬉しいだろうと思う。

 ↓うーーん……どうしよう……原作、読もうかしら……。映画の感動が崩れるような気がするんだよな……。
わたしに会うまでの1600キロ
シェリル・ストレイド
静山社
2015-07-24





 

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