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 2020年。仕事始めは明日の1月7日の月曜日だが、今日は朝からチラッと会社へ行って気になっていた仕事を4時間ほどで済ませ、13時過ぎには会社を出て、帰りに「そうだ、アレ行っとくか!」と思い立ったので、両国へ向かった。そうです。両国駅前の江戸東京博物館で絶賛開催中の『大浮世絵』展であります。
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 この展覧会は、去年の11月から始まってあと2週間ほどで終わってしまうのだが、わたしが前売券を買ったのは、もう去年の9月ぐらいじゃなかったかな、ずっとチケットホルダーに入れっぱなしであったのだが、今日、そのホルダーを持ち歩いてて良かったよ。うっかり忘れるとこだったが、問題は時間で、こんな昼過ぎに行ったら、くっそ混んでるんじゃね!? いやいや、正月だし、どうかしら……? というのんきなことを思いながら江戸東京博物館に入ると……まあ大変な行列でチケットブースは混んでいた。わたしはもうチケットがあるので、うわあ、こりゃあかんかも……と思いながらエントランスへ向かうと、思いっきり「混雑」の札が立っていた。
 うーーん、出直す? どうする!? と自らに問うこと15秒。ま、行ってみっか! と入場したところ、まあ、見えないことはないし、十分鑑賞はできる、けど、はあ、やっぱり美術鑑賞は朝イチに限るな、といつもの感想を持つに至った。自分もその混雑を生成する一人なのでお前が言うな大賞だけど、やっぱ邪魔っすね、これだけ入場者がいると。
 で。
 今回の展覧会は、そのタイトルにある通り、名だたる浮世絵作家の豪華夢の競演、であったのは間違いないと思う。点数も100点強はあったのかな。貰って来た出品リストによると、かなり細かく2週間ぐらいごとに展示作品がチェンジされてたみたいで、リスト全品は観られなかったのはちょっと残念。でも、その物量はそれなりに圧巻で、大変楽しめました。
 展示は、完全に作家ごとの5章構成になってました。ちょっと、自分用備忘録として、いつごろ生きた人なのかもメモっとこう。
 ◆第1章:喜多川歌麿<1753?年生~1806年没>
 歌麿先生は婦人画から始まって、風俗画っていうのかな、日常の一コマ的な? 作品でまとめられていた。とにかく、着物の柄が細かく素晴らしい! 色もいいっすねえ! なんとか小町的な、街で評判の美人さんたちを描いたシリーズは、ホント今のファッション誌的というか、読者モデルの先がけっすな。大変イイ感じでした。
 ◆第2章:東洲斎写楽<1763?年生~1820?年没>
 写楽先生は、もちろん?役者絵ですな。歌舞伎役者勢ぞろいで、恐らくいちばん有名な「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」もありました。今日展示されてたのはベルギー王立美術歴史博物館の所蔵品だったそうです。前々からこの作品は、手が変な形だなあ、とか思ってたけど、どうやら解説によるとわざと、らしいす。へえ、そうなんだ。
 ◆第3章:葛飾北斎<1760年~1849年>
 北斎先生は、メインはやっぱり「富嶽三十六景」ですかね。もちろん超有名な「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」もそろって展示されてました。わたし、「浪裏」は結構何度も観たことがあるけど、ひょっとすると「快晴」は初めて生で観たかも。赤い富士が超見事! まさしくビューティフル! 今日観た中では、なにげに「深川万年橋下」がなんか気に入ったす。もちろん今でもある橋で、何度も通ったことがあるす。小名木川が隅田川に合流するチョイ前っすね。当時はホントに富士山が見えてたのかなあ。
 ◆第4章:歌川広重<1797年生~1858年没>
 広重先生のメインもやっぱり「東海道五十三次」ですな。いわゆる広重ブルーがとにかく鮮やか! 東海道ということで、海と、川が写り込んでる作品が多いすね。それ以外にも「木曽海道」「近江八景之内」「名所江戸百景」も展示が多く、万年橋はこちらでも描かれてました。全然カメラアングルが違ってて、一番メイン?に「亀」がぶら下げられてるのがおもろい! 亀は万年!ってこと?
 ◆第5章:歌川国芳<1798年生~1861年没>
 そしてラストの国芳先生は、もちろん武者絵と戯画、ですな。何年か前に渋谷Bunkamuraでやってた『国国展』でも多くの作品を観たけれど、もう国芳先生の作品は完全なるポップ・アートですよ。ラノベの挿絵的な、物語のワンシーンを描いたものや、サイズもでっかいものも多くて、大変面白いすね。観たかった「宮本武蔵の鯨退治」は、残念ながらもう展示が終わってて見られなかった。くそーー!
 とまあ、こんな感じに、わたしとしては大変興奮いたしました。面白いよなあ、ホント。そして浮世絵とは、ズバリ言うと版画なわけで、同じ作品でもすり色が微妙に違う作品とかもあって、非常に興味深いすね。しかし、つくづく残念なのは、多くの作品が海外に渡ってしまっていて、常設ではなかなかここまでの規模では見られないことなんすよね……でもまあ、我々の日本代表として、世界各国で高く評価されているのは喜ばしいことなのかな。ぜんぜんわたしなんか関係ない人間なのに、NYCのMETに堂々と展示されてるのを観たときなんか、すごくうれしくなったっつうか、誇らしく感じたっすね。これぞまさしく、COOL JAPANってやつでしょうな。最高です!
 
 というわけで、さっさと結論。

 ずいぶん前に買っておいた前売券で、今日ふと思い立って両国へ行き、『大浮世絵』展を観てきた。わたしが浮世絵を観て、うおお、すげえ! と感動するのは3つポイントがあって、一つは「線」。超細かい! とくに女性の着物の柄なんてすごいっす! そして「色」。版画だよ!? オール人力だよ!? この色、どうやって出したんだ!? という感動が凄いす。そして「デフォルメ」と言っていいのかな、アングルというか、超広角だったり、その「構図力」が完全に西洋絵画とは別物で、ホントにすごいと思う。そりゃあゴッホやモネたちは浮世絵に大興奮したでしょうなあ! 神がかってるとしか言いようがないすね。というわけで、わたしも大興奮して楽しめました。やっぱいいっすねえ、浮世絵は! できれば、春画もさりげなく混ぜてほしかったす。アレはアレでやっぱりすげえので。でもまあ、江戸東京博物館じゃ展示は無理なのかな……。でも、美人画の中には、ポロリしてる作品もありましたよっと。以上!

↓ 江戸の風景を観てると、やっぱり当時は両国のあたりが一番栄えてたんだなって、よくわかるっす。両国辺りに住みてえなあ……!

 というわけで、朝イチで上野の森美術館の『ゴッホ展』を観てから、帰ろうと国立西洋美術館の前を通りかかったところ、全く列ができておらず、あれっ!? 空いてるのかな? と思い、すでに買ってあるチケットをかばんからごそごそ出しつつ、入場ゲートに歩を進めたわたしであります。美術展を観るときは、開場30分前現地到着がオレルールとか言っておいて、実はこういうこともたまにします。いわゆるハシゴですな。そして観てきたのがこちらであります。
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 そうです。現在、上野の国立西洋美術館にて絶賛開催中の『ハプスブルグ展』であります。まあ、宝塚歌劇を愛する歴史好きのわたしとしては、これは観に行くしかない! と決意したのはずいぶん前なのだが、『ゴッホ展』のチケットを事前に買うときに一緒にこちらのチケットを買っておいたいたものの、今日行くつもりはなく、正月休みに行くつもりだったけど……まあ、それほど混んでないようだし……というわけで、国立西洋の入り口をまたいだわけです。
 国立西洋の企画展は、たいてい地下から入場するのだが、入場ゲートのガラスを利用したエントランスディスプレイはとてもきれいでした。
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 あわわ、この写真ではわからないか……まあいいや。
 で。今回の『ハプスブルグ展』は、もちろん絵画が中心ではあるけれど、絵画以外の工芸品なども数多く、わたしが一番観たかった「甲冑」も実にかっこよく展示してありました。西洋甲冑は日本の鎧のカッコ良さとはちょっと違う、工業製品的な美しさもありますな。もちろん鎧も大好きですけど。
 ちょっとへえ~!? と思ったのは、展示してある甲冑の多くは、右の胸に、なんかフックがついてるんすけど、これはどうやら、「槍」を構えるときに支えになるパーツのようですね。まあ常識なのかもしれないけどわたしは初めて知りました。こういった機能美? のようなものもすごく感じられる一品でありました。手のパーツや足のパーツもすごく細かく分割されていて、動きを損なわない組み立て方になっていて、うおお、こりゃすげえ! とわたしは大興奮ですよ。でも唯一良くわからんのは、眼が開いてないというか、かなり視界が悪そうだなあ? とは感じたっすね。でもそれも、何らかの機能に基づいたデザインなのではなかろうか。すごい、モビルスーツというか、なんかのロボット的で実にカッコ良かったす。あれ、一度でいいから着てみたいなあ。相当重いんだろうなあ……。
 しかも、この展覧会のミソは、ほとんどすべてが歴史的人物の絵だったり、愛用品だったりするわけで、歴史ファンとしてはもう大興奮なわけです。甲冑も、意外と背が低いんじゃね?とか、実際に着用した人物への妄想がいろいろ沸くっすね、ああいうのを見ると。これは日本の鎧も同じで、黒田長政は意外とチビだったんだなとか、前田慶次の鎧を米沢で観た時はそのデカさにビビり、うお、慶次はマジでデカかったんだ!? とそれだけで白米3杯イケるっすね。面白いものです。
 で。わたしが観たかったのは、甲冑以外にも当然あります。特に、宝塚歌劇ではおなじみの3人の肖像が、非常に観たかったのです。それぞれポストカードを買ってきたので、スキャンして載せときましょうか。
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 まずはこちら。かのMarie Antoinette王妃の肖像。こちらは、お母さんであるMaria Theresia神聖ローマ帝国皇后に、「お母さん、私は元気にやってるわ」という意味を込めて送ったものだそうです。ご存じの通りAntoinetteはもともとドイツ語を話すハプスブルグ家のお姫様だったところ、『エリザベート』のゾフィー様のセリフでお馴染み「ハプスブルグは結婚で絆を結ぶのです!」政策によってフランス王ルイ16世に14歳で嫁入りしたわけです。フランス語ができないのに。それが1770年のことで、まあとにかくお母さんとしては心配でしょうがなかったんでしょうな。で、この絵は1778年の作だそうで、その年は結婚8年目にしてやっと子供ができた年だそうで、お母さんを安心させるために、この絵を描かせて送ったんですってよ。なお、右上の方においてある胸像はルイ16世だそうです。薔薇を一輪手にしていて、まさしくヴェルサイユのばら、ですな。
 おまけにこの絵は、これがまたサイズが超デカい!! そのサイズ、なんと縦273cm×横193.5cmだそうで、ド迫力&強力なオーラにあふれてました。
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 そしてこちらはもう説明不要でしょう。ミュージカル『エリザベート』の主人公、Elisabeth皇后であります。こちらの作品は1858年制作だそうで、つまり21歳、結婚4年目、かな? ゾフィー様と絶賛大バトル中すね。ちなみに日本に換算すると1858年って明治維新の10年前なわけで、そうか、よく考えると天璋院篤姫様とほぼ同年代なんだな。自分用メモ:篤姫は1836年生まれ(=エリザベートの1歳年上)で1856年に13代将軍家定と結婚、1883年に47歳で亡くなったそうです。
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 最後はこちら、『エリザベート』でお馴染みのFranz Joseph I世皇帝陛下であります。この作品は1916年ごろの制作だそうで、つまり、ええと、第1次世界大戦のさなかであり、フランツが亡くなった年か、最晩年68歳ってことかな。愛するElisabeth皇后が亡くなったのが1898年だから、一人寂しく18年過ごしたってことか。激動の人生だったすね、このお方は……。見た目は完全におじいちゃんだけど、最期までその眼力衰えず、って感じすね。つうか、フランツの68歳も今考えると全然若いし、アントワネットもエリザベートも、マジですっごい若いよね。今じゃ考えられないよな、ほんとに。なんつうか、現代社会に生きる我々は、さまざまな技術の進歩によって長寿を得たわけですが、果たしてそれって、いいことなんじゃろうか……と考えちゃいますな。初老を迎えたわたしはホントにもう、髪は薄くなるわ、歯はガタガタになるわでもうガックリなことばかりで、生きる希望が失せかけてます。。。生きてて何かいいことあるのかなあ。。。。

 というわけで、これ以上話が脱線する前にもう結論。

 観に行こうとは思ってたけど、正月休みあたりにするかと考えていた『ハプスブルグ展』へ、『ゴッホ展』の帰り道で衝動的に行ってまいりました。朝イチじゃないので、少し混雑してましたが、それほど激混み、ではなく、解説がちゃんと読める程度の混雑具合であったす。そして展示されている甲冑や絵画は、おそらくは当時、すごい宮殿に納められていたはずの作品ばかりで、やっぱりその放つオーラはただごとじゃあないすね。非常に見ごたえがあって面白かったというのが結論であります。そして俄然「ハプスブルグ家」について勉強したくなってきたっす。でも、『ゴッホ展』ではAERA特別編集の「完全ガイドブック」が売っていて、非常に出来の良い本だったので買ったんだけど……こちらの『ハプスブルグ展』で売ってたぴあ謹製のガイド本は、まったく出来が悪そうで、知りたいことが載ってなかったので買わなかったす。アレはダメだ。きちんとハプスブルグ家の歴史の流れと、周辺世界の出来事を対比した年表をその起源から滅亡まで載せてくれないとダメだと思うな。ま、別の本を探してみようと存じます。以上。

↓ かなりイマイチな出来だと思うな……全くお勧めしません。

 というわけで、やっと行ってきました。
 わたしは絵画を中心とした美術鑑賞も大好きなわけだが、このところ、せっかくチケットを事前に買っておいても結局行けない、なんてことがたびたびあって、我ながら大変残念に思うことが多かった。けど、今回はちゃんと行ってまいりました。
 そうです。こちらの↓「ゴッホ展」であります。
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 わたしの絵画の好みに関しては、もうこのBlogでも何度も書いている通り、ゴッホ・ターナー・マグリットの3人の画家がオレ的三大巨匠であります。それぞれ時代も国も全く別の画家たちだけど、好きなんすよねえ……よく考えたらフランス人がいねえじゃん。まあ、特にフランス人が嫌いということは全くないけど、結果的にそうなっているだけです、はい。
 で。現在、上野の森美術館で開催中の『ゴッホ展』。まあ、日本人に大人気のゴッホは、数年に一度はこうした「ゴッホ展」が開催されるわけで、そのたびにせっせと足を運ぶのは、何もわたしだけではあるまい。つうか、何万人もいらっしゃることでしょう。
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 わたしは美術展を観に行くときのお約束として、会場30分前現地到着、を自分ルールとしている。これも何度も書いてきたことだが、とにかく昨今の美術展はすごい混雑で、ビッグネームの作家の単独企画展となるとえらいことになる。それが嫌だから、朝イチに限る、と思っているわけだが、今回わたしは9時半開場のところ、8時55分ごろに現地に着いた。その時すでに待っている方々は20名弱。まあこれなら余裕であろうと寒空の下、待つこと30分で開場となって入場した。
 ま、だいたい1/2~1/3ぐらいの人は音声ガイドを借りるので、さらにわたしの前は人が減ってガラガラになる。大変良い鑑賞環境で観られたのは言うまでもなかろう。なお、チケットは、上記画像にある通り「当日券」だけど、行こう、つうか今週末行く!と心に決めた日の帰りに上野駅構内のチケットブースであらかじめ買っておきました。当日買うのはさらに並ぶのでダメですよ。開場時はながーーーい列になってました。
 今回の『ゴッホ展』は、展示総点数が83点、そのうち、ゴッホじゃない作品が31点というわけで、ゴッホ率は過半数を超えている。最初の方をかっ飛ばしてメインまで行っちゃう人をよく見かけるけど、今回は冒頭からゴッホ作品で、独学で練習というか勉強していた時代の作品から、影響を受けた作家とその影響が見える作品、そしてアルルを経て、さらなる研究へ、という構成になっていた。今回はジャポニズム系はナシ、です。
 そして今回のメイン作品は、おそらく上に貼ったチケット画像にある通り『糸杉』だろうと思う。だけどわたし、この作品はMYCのThe Metropolitan Museum of Artでじっくり観たので、おお、お久しぶりだね、ぐらいの感覚であったのだが、そのすぐ近くにあった、『薔薇』という作品の方が今回一番気に入りました。どうやらこの『薔薇』はWashingtonのNational Gallery of Art所蔵作品みたいすね。行ってみたいなあ……。
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 前もどっかで読んだけど、ゴッホは「色」の研究のために、お花の絵をかなり多く描いているわけですが、背景の淡いミントグリーン? がとてもいいすねえ……。色の研究に「白」のバラを描くってのは、非常に意味があるような気がしますな。もちろん言うまでもありませんが、現物はこんな画像の1億倍の美しさとオーラに包まれています。
 はっきり言って、昨今の絵画展は入場料が高いと思う。今回は当日券1800円だ。まあ、映画も同じ料金だけどさ、高いよね、やっぱり。でも、わたしとしては高いからやめよう、というハードルとして機能するなら、混雑解消の一つの解でもあるような気がするので、甘んじて受け入れることにやぶさかではないです。そして、やっぱり「本物」を目の前にしたときの、なんつうかな、心の高揚? のようなドキドキ感みたいなものは、ほかでは代えられないものだと思うので、高いけどアリ、だと思う。まあ、この入場料の価値があるものかどうかは、自分の胸に聞いてください。

 というわけで、さっさと結論。

 なんか数年ごとに決まって開催される『ゴッホ展』。その度にわたしも足を運ぶわけだが、正直、切り口がもうネタ切れなんじゃなかろうかという気もする。単に来日作品が違うだけ、だよね。ズバリ言うと。かぶってる作品もあるし。でも、それでも。わたしはやっぱり観に行くんだろうな。だって、好きなんだもの。もうしようがないす。こればっかりは。だけど、わたしのようなゴッホ好きが日本に数万人いるからと言って、開催側はきちんとオリジナリティーを見せてほしいと思う。なんか、はっきり言ってそういう努力は全く感じられない、フツーのゴッホ展だったな、というのがわたしの感想です。あと、どうでもいいんだけど、そろそろ暗い会場に暖色系LED証明ってやめてくれないかなあ……直射日光はそりゃアカンだろうけど、わたしとしては「自然光」のもとで、ゴッホ作品を観たいす。ま、無理な話なのかな……以上。

↓ 今回も買いました。AERAムックの解説本は大変出来がいいです。図録よりいいかもよ。

 というわけで、土曜日は愛する宝塚歌劇を観劇した後、日比谷から千代田線に乗って乃木坂へ赴き、ちょっくら美術鑑賞もしてきた。なんでも、その展覧会には、かのエリザベート皇后陛下の肖像画が来ているらしく、おまけにフランツ・ヨーゼフ1世皇帝陛下の肖像と対になっているそうで、コイツはヅカオタとしては、皇帝夫妻(の肖像)が日本に来ているなら、ご挨拶申し上げねばなるまい、と思ったのである。その展覧会が、こちら、『ウィーン・モダン クリムト。シーレ 世紀末への道』であります。
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 まあ、19世紀末のウィーンというテーマで、Gustav Klimt氏やEgon Schiele氏の作品をメインに据えてみましたという展覧会なわけだが、ミュージカル『エリザベート』が好きな方なら是非、行ってみていただきたいと思う内容になっていて、実に興味深い展覧会だとわたしは感じた。
 というのも、絵画だけではなく、当時の食器やいすなどの調度品や服、それから建築など、当時のウィーンの生活や風景が感じられるような展示物が多く、なんとなく想像力を掻き立てるのです。そこが大変面白いと感じました。
 わたしはドイツ文学を専攻した男なので、それなりにウィーンという街の歴史や建物のことは知っているつもりだし、ドイツ語も普通の人よりずっと読んで話せるため、いちいち、作品に記してあるドイツ語を読んでみたり、知識としては知ってる、けど実物としては知らなかったBurgtheater(=ブルク劇場)やRinkstraßeのことなどが結構出てきて、ドイツ語文化を学んだ人も、おお、これが、的にいちいち面白いと思う。ひとつ、笑ったというか、へええ?と思ったのは、なにやら螺鈿細工で装飾された椅子が1脚展示してあって、ドイツ語でなんか書いてあるわけですよ。これを読んでみると、こう書いてあったんだな。
 「DEM BÜRGERMEISTER HERRN KARL LUEGER ZU SEINEM 60. GEBURTSTAGE」
 これは簡単なドイツ語なので初心者でも意味が分かると思う。英語にすると
 「To the Mayer Mr.Karl Lueger, to his 60th.Birthday」みたいな感じで、要するにウィーンの市長、カール・ルエーガーさんへ60歳の誕生日に送られたもので、そのメッセージが、思いっきり螺鈿で記されているのです。現物がこんな奴なんだけど……
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 この椅子は、なんかルイ・ヴィトンのモノグラムみたいでちょっとカッコイイし、おしゃれ、つうか、ゴージャスなんだけど、メッセージはいらねえっつうか、むしろ台無しじゃね……みたいな。なんでまたそんなメッセージを入れた?と作った方に聞いてみたくなったりします。ちなみに1904年の品だそうで、つまり日本で言うと……明治37年、日露戦争中ってことか。
 そう、展示物が19世紀後半から20世紀初頭のものが多くて、わたしはいちいち、日本で言うところの明治直前か、とか、大正●年ぐらいか、とか考えてしまい、それほど遠くない過去だという妙な実感がして、なんか面白かったすね。その、それほど遠くない過去、ということもあって、展示されていた銀食器などはもう新品のような輝きだし、服もそれほど傷んでなくて、大変興味深かったす。
 あまり関係ないけれど、20世紀初頭の建築物の模型とか写真もいっぱいあって、それを見ていたら、そういや東京駅っていつ建築されたんだっけ?ということが気になって調べてみたところ、東京駅が出来たのは1914年なんですってね。つまり大正3年、だそうで、今回展示してあった様々な建築作品と結構同時代で、観ながら東京駅を連想したのも、なるほど、であった。ちなみに東京駅を設計したのはドイツ人のFranz Baltzerさんという方だそうで、ウィーンの都市建築にはほぼ関与してないようだけど、ベルリンで活躍してた人みたいですな。へえ~。
 いけねえ、本題からズレまくってしまった。まあ、わたしは作品を観ながら、こういった余計な横道にハマりがちなんですが、やっぱり、わたしが一番見たかった皇帝夫妻の肖像は、意外とデカくて、趣ありましたなあ……!
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 というわけで、↑ こちらがエリザベート皇后陛下の肖像であります。1855年の作だそうで、描かれたのが1855年の皇后陛下だとすると、御年18歳だか19歳ぐらいのハズ。嫁に来て2年目だから、『エリザベート』の劇中歌でいうところの、「2ね~んめ~におん~なのこがうま~~れた~~」の頃なんでしょうな。つまり、ゾフィー様とのバトル勃発中というか、「むすめはどこ~~」「ひきとりました~~」「かえしてください~」「おことわりよっ!!」のあたりなんだと思うけど、要するに絶賛嫁姑バトルの真っ最中のはずなんだけど、それにしては、意外と生き生きとした、イイ表情に見えますね。
 で、これと対になっているフランツ1世皇帝陛下の肖像もあるんだけど、それは是非、会場へ直接観に行ってください。とても若々しくて、まあ、イケメンと言って差し支えないと思います。皇帝陛下に関しては、一つはまずその対になっている肖像画の、額がやけに質素なもので(エリザベート皇后の方はちょっと豪華な額)、ちょっと驚いた。想像するに、きっとあの肖像はこれまで相当流転の運命にあったのか、持ち主が変わって行ったり、ぞんざいな扱いを受けたのではなかろうかと、勝手に妄想したりもしました。
 そしてもう一つ、フランツ1世皇帝陛下が自室で何かしている別の絵画も展示されているんだけど、それは1916年の作品で、もう完全にお爺ちゃんぽく年老いている陛下なんですが、その部屋にですね、まさしく上に貼ったエリザベート皇后陛下の肖像画が飾られているのが描かれているんだな。
 なんつうかもう、わたしはその作品を観た時は、頭の中でずっと「夜のボート」が鳴りやまなかったすね。若き頃の最愛の女の肖像を、自室にひっそりと飾っているわけですよ。「い~つ~か~ たが~~いの あ~や~まちを~~み~と~め~あえ~るひ~が くる~~でしょう~~」とエリザベート皇后は歌ったわけですが、フランツ皇帝陛下は皇后亡き後、一人遺された自室で、そんな自らの過ちに思いをはせていたんすかねえ……男としては泣けるっすわ……。。。
 で。
 メインのGustav Klimt氏に関しては、特に説明はいらないだろう。しかしわたしは一つの作品の前で、すげえテンション上がったす。それは、作品制作前の鉛筆かな、素描というか下書きだったのだが、それはまさに、わたしがNYCのMetropolitan美術館で観て、一番気に入った、あの作品の下書きだったのです!! その作品とはこちら!
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 ↑これは、写真撮影OKって書いてあったので、わたしがMETで撮影したものなんですが、Klimt氏の「メーダ・プリマヴェージ」という作品で、これの下書きが今回展示してあって、わたしは、こ、これは! NYCで観たアレだ! と一発で分かった。わたしはKlimt氏でこんなピンクの可愛らしい、ポップな作品があることなんて全然知らなかったので、METで観た時強く印象に残ったんだけど、うれしかったなあ、また日本で会えるとは! 

 というわけで、まとまらないのでぶった切りで結論。
 かのエリザベート皇后陛下の肖像が来ているというので、宝塚歌劇とミュージカルを愛するわたしとしては、それは是非ご挨拶に行かねばなるまい、というわけで、宙組公演を観た後ちょっくら乃木坂の国立新美術館にて絶賛公開中の『ウィーン・モダン クリムト。シーレ 世紀末への道』という展覧会へ行ってきたのだが、思いのほか、絵画以外の美術品の展示も多くて、大変楽しめたのでありました。『エリザベート』が好きなら、足を運んでみる価値はあると思います。もう、フランツ1世皇帝陛下が自室でなにか物思いにふける画が最高なんです。その部屋にはエリザベート皇后陛下の肖像が飾ってあるなんて、泣けるっすなあ……というわけで、まだ会期は8月までとだいぶ残ってるようなので、是非、行ってみてください。おススメであります。つうかアレか、本物のファンなら、やっぱり一度、ウィーンに行け!ってことか。行きてえなあ……くそう。マジで行ってみたいすわ……。以上。

↓ つうかマジで計画立てるしかないね! できればザルツブルグとかも行きたいなあ……!

 というわけで、あっという間に月日は流れてゆき、2019年となった。ホント早いもんだなあ……おまけに正月休みもあっという間に過ぎ去り、今日、1月4日はいわゆる「仕事始め」である。ただし、まあ、一般的な企業の仕事始めは連休明けの1月7日のところの方が多いんじゃないかな。わたしの場合は、まったくもって自分で勝手に決められるため、ずっと家にいてばあ様(※80歳となった母のことです)の世話をするのも飽きたので、今日は朝から出かけ、その後出社してちょっくら仕事でもするか、という気になった。
 というのも。
 おとといの夜、電撃的に、そろそろ行かねえとなあ、と思っていた絵画展のチケットを買い、今日は朝の7時半前ぐらいに家を出て、まずは会社の前に上野へはせ参じたのである。そうです。コイツを鑑賞するためであります。
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 ご存知、というか、日本で大人気のJohannes Vermeer氏の作品9点を集めた、『フェルメール展』であります。まあ、わたしも絵画好きとしてはいかねばなるまいと思っていたものの、大混雑は必至であり、それを緩和するために「日時指定チケット」が発売されているわけだが、実際のところ、仕事をしている身としては、急に、明日行こう!とか思い立つわけで、なかなか事前に「日時指定」することが出来なかったので、思い立ったおとといの夜、チケットを購入してみた次第だ。
 ただし、である。やっぱりちゃんと前もって計画しないとアカンものですなあ……わたしとしては若干ガッカリしたポイントがあった。
 それは、本展覧会は、現存すると言われるVermeer氏の35点の絵画のうち、9点が観られるのだが、わたしが今日、観ることが出来たのは実は7点である。というのも、1点は去年中に展示終了となってしまっており、そしてもう1点は来週からかな、後の展示だそうで、今日は7点だったのです。おおう、マジかよ! でもまあ、もはや仕方ないしどうにもならんので、見損なった作品は今後、現地へ観に行くなどして、いつかお目にかかりたいもんだと楽しみにしておこうと思う。
 実は、わたしはそのことを知ったのは現地についてからなのだが、初めはとても、なんだよガッデム! と頭に来ていた。ま、八つ当たりも甚だしいのだが、とにかく、くそう! と思っていた。しかし、全てを観終わった今思うのは、なかなか気の利いた展示会だったな、という主催者への賛辞であります。上から目線でサーセン。
 気が利いてるポイント1):みんな大好き「音声ガイド」が無料!
 ま、わたしはめったに利用しないのでどうでもいいし、入場料も2,500円とクソ高いので、最初からガイド貸し出し料コミなんじゃね、と思わなくもないが、無料にしたことは大いに偉いと思う。ヒドイ言い方をすると、高いと文句があるなら観に来なきゃいいので、わたしとしては別に料金に文句をつけるつもりもないし、1段ハードルを設けて、普通なら超混雑する「フェルメール」をちょっとでも見やすくることにも貢献してんじゃねえかとも感じた。その代り、普通なら1500円ぐらい取られる(そんなしないか? 1000円とかだっけ? 利用しないからわからん)音声ガイドが無料ですよ、というのは、結構頭のいいやり方だと思った。ちなみに、音声ガイドの声を担当したのは石原さとみちゃんだそうです。
 気が利いているポイント2):作品一覧が小冊子になっとる!
 わたしは入り口でこの「小冊子」をもらって、中を見ずに入場したのだが、普通は各作品に付けられている「解説」の類が一切会場内に見当たらないことに、一瞬戸惑った。が、手元の小冊子を見て納得である。そう、作品解説も全てこの小冊子に収録されているのである。↓こんなの
フェルメール小冊子1
 うお、画像がデカイな……実物は天地147mm×左右105mm、要するに(ほぼ)文庫本サイズである。で、中身はもう味気なく文字だけで、こんな感じ↓
フェルメール小冊子2
 でもまあ、これって、アリですよ。普通の絵画展は、ぺら1枚の作品リストが入り口に置いてあるけど、こういう小冊子形式は実にアリっすね。ま、ここに作品の画像が入ってたら文句なしだけど、そしたら図録が売れなくなっちゃうから、無理でしょうな。そもそも、絵画展では作品横の解説を読むのも大変な時があるわけで、なかなか冴えたやり方だと感心したっすね。
 気が利いてるポイント3):やっぱり日時指定の効果はある……かも?
 近年ではビックネームの絵画展は、ホントにびっくりするぐらいの来場者なのはもうお馴染みの光景だが、わたしはぼんやりと鑑賞している時に人が前にいるとイライラするたちなので、イライラしないためにも、わたしはもう絵画展は「朝イチ」が絶対ルールだ。1時間とは言わないまでも、そうだなあ、たいてい、開場時間の45分前には会場についているのがオレルールである。そもそも土日しか行けないしね。で、普通、フェルメールともなれば超激混みは必至なわけだが、この日時指定チケットがあるから、どうだろうか、やっぱみんな早く来てるんだろうか、と思いながら、わたしが今日会場に着いたのが8時15分ぐらい。結果、待ち人数ゼロ、であった。時間指定なんだからそりゃそうかとは思うものの、実際びっくりしたっす。で、まあ、一人突っ立ってるのもアホくさいので、ちょっとタバコを吸ったり公園をぶらぶらして8時25分ぐらいに会場を遠めから見たら、5人ぐらい並び始めていたので、わたしも8時半ぐらいに並ぶことにした。わたしの前は20人弱ほど。このちょっと前に、わたしははじめて、今日は「7点のみの展示」であることを知ってガッデムと思っていたのだが、この人数なら快適に観られるぞ、と少し気分が良くなった。そして開場時は、控えめに言って200人ぐらいは並んでいたので、ああ、時間指定でもやっぱり早起きは得か、と思いながら入場した。ズバリ、時間ギリに来てもやっぱダメだと思うな。そして、時間指定チケットの人を入れた後に入場できる、フリーの当日券も売ってるんすね。そちらも、20~30人ぐらいは並んでたっすな。

 というわけで。入場すると、まず迎えてくれたのはオランダ絵画の人物画でありました。笑っちゃうのが、入場者のほぼ全員が「フェルメール作品」以外はスルーして、どんどん先に行っちゃったことすね。すげえというか、その潔さというか、なんか得体のしれないフェルメール欲旺盛な方々ばかりでびっくりしたす。わたしは一応、すべてじっくり見ました。この冒頭の人物画群は、17世紀前半の作品なんだけど、いわゆるRembrandt的な、黒バックに中央にズドーンと人物がいる的な作品が多いのだが、ホント、不思議というか当たり前というか、謎なんだけど、部屋のはじから見ても真ん前から見ても、描かれている人物とずーーっと「目が合う」んす。こちらが観ているというより、こちらを観られているというか……これは、NYCのメトロポリタン美術館で観た「Rembrandt-ROOM」もそうだったけど、なんつうか落ち着かないんすよね。じっと観られている感じがして。こわ楽しいす。
 で、ぐんぐん先に行くと、あっさり(実のところ総点数50点もないので、結構あっさり終わる)皆さんお待ちかねのフェルメール・ルームなんですが、まあ、とにかく来場者の方々は熱心で驚きでありました。もう、詳しいことは公式サイトを見てもらった方がいいので、一つ一つ感想は書きません。
 わたしが観た7点のうち、4点は既に日本で観たことがある作品で(そのうち1点はNYCでも観た)、既に日本に来たことある、けどわたしは観たことがなかった作品が2点、初来日でわたしが初めて観た作品は1点、であった。この、初来日&わたしも初見、な作品、「ワイングラス」が今回わたし的ナンバーワンだったような気がします。こんなの↓
wineglass
 構図としては、お馴染みの「左側に窓」&「中央やや右に人物」&「背景の壁に何やら絵画」&「超!目に鮮やかなカラフルな服」の、誰が観てもVermeer作品だと分かるものだと思う。これは買ってきたポストカードのスキャンだが、とにかく本物の色はもう、全然こんなものじゃあない! 女性の着ている服のオレンジ色が超鮮やかで、凄いです。そして謎のイケメンも超カッコイイ! さらに、よーく観るとワイングラスの透明感というか透けてる先に描かれる女性の口元が超すげえ! そしてもちろん、窓のステンドグラスがですね、これがまた超ヤバいんすよ! これは絶対実物を見るべきでしょうなあ! 実に最高でしたね。

 というわけで、わたしとしては大興奮でスゲースゲーとか思いながら会場を後にしたのだが、今回は図録は買わなかった。一番大きい理由はデカくて重いから、なのだが、実のところ、コイツが非常にいい出来立ったのでこっちを買ったから、であります。

 これはAERAムックだから朝日新聞出版かな、たぶんフツーの本屋でも買えるはずだけど、売店に売ってて、パラ観してみたところ、まさしくわたしの知りたいことが載ってたので買って、今、鋭意読んでいるところです。ズバリ、わたしが知りたかったことは、
 ◆一体全体、その「Vermeerの現存ずる35点」は世界のどこに展示されているのか?
 ◆で、その中で、日本に来た作品はどれなんだ?
 ◆さらに言うと、どの作品がいつ日本に来たのか知りたいんですけど?
 これらはすべて、上記の「フェルメール展公式ガイドブック」に解答が書いてありました。もちろん作品解説もキッチリしてます。ので、これはおススメっすね! 朝日のくせに、なかなかいい本だと思います。

 はあ、なんつうか、アレっすね、きっとわたしと同じ思いの方も大勢いらっしゃると思いますが、こうなったらその「35点」全てを制覇したいものですなあ! どうやらわたしが買った朝日謹製の「公式ガイドブック」によると、1点は個人蔵、1点は盗難されて行方不明、だそうなので、33点しか無理だろうけど、よーし、マジで全制覇の旅に出ようかしら! という気になった展覧会でありました。おしまい。

 というわけで、結論。
 日本人の大好きなJohannes Vermeer氏の作品を集めた「フェルメール展」にやっと行ってきたのだが、やっぱり作品の持つパワーは凄いすね。もう、うおお、とか、すげーとか、そんな言葉しか出ないっす。そして、今回の展覧会は、なかなか工夫された冴えたやり方がわたしにはとても好ましく感じられました。大変結構かと存じます。どうやらこの展覧会はまだ2月まで開催され(そして日本初来日作品が来週1点追加される!)、おまけに2/16~5/12の大阪展ではさらに1点追加されるらしいので、これは大阪も行かねえとダメかもな……つうか、ホント、Vermeer全制覇を目標とした旅に出るのもアリかもしれないすね。なんか、まったく生きる目標のないわたしとしては、ちょっと、いっちょ挑戦するか? という意味で生きる希望が湧いたようにさえ感じたっす。そして、朝日謹製の「公式ガイドブック」は大変面白いので、買いでお願いしたいと思います。いやあ、大変結構なお点前でありました。以上。

↓ なんかいつもVermeer氏のことを書く時に挙げてますが、この映画はおススメです。Vermeer氏本人役をColin Firth氏、そして「真珠の耳飾りの少女」を10代だったScarlett Johansson嬢が演じてます。ズバリ映画としてはイマイチですが、当時の人々の生活風俗など、大変興味深いっす。 
真珠の耳飾りの少女 (字幕版)
スカーレット・ヨハンソン
2013-11-26

 昨日の記事で書いた通り、わたしは昨日の土曜日、朝7時過ぎに出勤して、ちょっと気になっていた仕事をさっさと片づけて、9時になったところで一度切り上げ、会社の戸締りをして上野へ向かった。そうです。これを観に行くためであります。
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 そう、ずっと行きたかった、『生頼範義展』であります。今日が最終日かな、もうだいぶ前にチケットを買っておきながら、行く時間が取れずにいたため、昨日はもう絶対行かねえと、というギリギリのタイミングだったのでした。
 ところで、生頼範義(おおらい のりよし)大先生については説明はいらないすよね? えっ!? 知らないだって!? この『STAR WARS Ep-V: THE EMPIRE STRIKES BACK』のポスターを描かれた、日本のイラストレーション界の巨人ですよ! 2015年に惜しくも亡くなられてしまったけれど(享年79歳)、その作品はいまだ強い輝きを放っているのです。
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 映画のポスターや出版物のカバーイラストなど、様々なイラストを手掛け、日本国内ではスーパースターと言っても過言ではない巨匠だが、日本版の小説かな、かの「スター・ウォーズ」の挿絵を担当された生頼先生のイラストが、George Lukas氏の目に留まり、2作目の「帝国の逆襲」の公式イラストに起用されたわけです。もうそのあたりの話は半ば伝説化されていて、有名なエピソードだと思う。わたしはもちろん生頼先生のイラストは大好きで、この「帝国の逆襲」のイラストの下敷きを小学生から高校生ぐらいまでずっと使っていたこともあり、わたしとしては、その原画が来ているなんて、絶対に観に行くしかねえじゃねえか!とワクワクしていたのだ。
 この展覧会は、実は2014年だったかな生頼先生の地元である宮崎で開催され、その後2015年、2016年にも3回にわたって開催されていて、わたしも最初の2014年には、こ、これは行きたい!と周りの部下たちにも散々言っていたものの、2014年はわたしのサラリーマン人生で最も忙しかった頃合いであり、どうしても行けなかった。なので、今年とうとう東京で開催されると聞いて、さっさとチケットも買っていたのだが、最終日前日の昨日、やっと生頼先生の本物の生原画を観る機会に恵まれたのであります。
 一言で言えば、もう圧巻である。とにかくすごくて、もう大興奮であった。
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 わたしが昨日、↑この上野の森美術館についたのが9時25分。列が見えなかったので、お、これはガラガラか? と思ったら、すでに15人ほどの熱心な方々が寒空の中、並んでおられた。でもまあ、15人ならこれは最高の状態で鑑賞できるな、と思い、わたしも列に並ぶこととした。すると、10時の開場にはおよぞ100名弱の列となり、まずまずな盛況であったと言えるだろう。わたしが帰る頃にはもっと混雑していたようで、やはり絵画展は朝イチに限る。
 で、入ると、いきなりの「スター・ウォーズ」コーナーである。もうのっけから大興奮ですよ! ただ、上に貼った「帝国の逆襲」のポスターイラストは、原版はなくて、下絵として構図を試し描きした作品しか展示されてなかった。おそらく原画は、LUCASフィルムの倉庫に眠ってるんじゃないかなあ。分からんけど、きっと買い取られたんだと想像します。でもその下絵でもその迫力は尋常じゃない。そして続く展示は、様々な映画のポスター、となった原画である。
 実はわたしが今回一番観てみたいと思っていたのが、こちらの『MAD MAX2』だ。
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 このイラストは、わたしが持っている『MAD MAX2』のパンフレットに付属していたA3サイズのミニポスターに使われているイラストで(2つ折りで挟み込まれていた)、中学生当時のわたしの部屋にしばらく貼られていたことがある。超カッコよくて、今ではパンフと一緒に大事にしまってあるけど、中学生当時のわたしは無造作に画鋲で貼っていたので、もう結構ボロボロになってしまっているのが悔やまれる。中学生当時のわたしをぶん殴りたい気分だ。
 で、この作品も、本物の原画が展示してあって、わたしはもう失神するんじゃねえかというぐらい興奮した。まず、わたしはそもそも生頼先生の使っている画材は何なんだろう? 油彩じゃあないだろうし……? と思っていたのだが、どうやらほぼすべて、カラー作品に使われている画材は「リキテックス」のようだ。いわゆるアクリル絵の具ってやつですな。油彩のような厚塗りもできるし、とにかくその筆力に放つ迫力は、圧倒的である。これは原画をぜひ見てもらいたいものだ。そして、想像以上に原画のサイズがデカイ! ほぼすべてのポスター作品は、キャンバスサイズP40号であった。つまり、天地1000mm×左右727mmである。要するに、だ、通常の映画のポスターサイズは現代ではB1サイズが一番多く使われると思うけれど、B1=1030mm×728mmなわけで、要するに、「原寸大」で描かれている、ということだ。これって、凄くないですか? 今やイラストレータの大半はデータで描く方が多く、手書きの方もそれほど大きなサイズのイラストを描くことはまれなのではなかろうか。この原画を前に興奮しない奴とは友達になれないすね。ホント最高です。

 というわけで、この後はゴジラや小松左京作品のカバーイラスト、海外SF小説のカバーイラストなどのカラー作品が続き、その後、鉛筆によるモノクロ作品が圧倒的物量で展示されていて、もう窒息寸前、脳の血管ブチ切れ寸前の大興奮の嵐である。総数248点、圧巻である。
 わたしがひとつ、へええ!?と思ったことは、モノクロ作品(主に人物画)にみられる「点描」の手法である。なんと、生頼先生は、新聞広告に使われることを想定して、そのための技法として点描を選んだのだそうだ。これって、意味が分かりますか? 出版に携わったことのある人なら分かるでしょ? つまり、新聞(や印刷物)での、「網点」に、最初から自分で分解していたわけなんすよ!! だから、印刷された時に、原画の迫力がそのまま伝わるわけで、そこまで計算している現代イラストレーターはいないのではなかろうか。
 そしてもう一つ、重要なポイントとしてメモしておくと、生頼先生のイラストの最大?の魅力は、その構図、どのキャラをどう配置するか、というそのコラージュ力にあるわけです。これは、イラストレーターのセンスが一番問われるもので、多くの場合は編集者から、このキャラを真ん中にズドーンと、そしてこのキャラとこのキャラをテキトーに配置してほしい、みたいなオーダーがあって、イラストの構図やキャラが決まっていくものだと思うけれど、その配置や場面描写に、イラストレーターのセンスが強く反映されるわけです。で、生頼先生の場合は、まずは原稿(=小説)を完璧に読み込んで、キャラクターを完全に把握してから考えるのだそうだ。きっと映画の場合は、先に観てから考えるんでしょうな。だから、小説や映画という元の作品の世界観が完璧に再現されるわけで、これも、現代イラストレーターには失われつつある努力だろう。わたしが編集者時代には、先にきっちり原稿を読み込む人と、全く原稿を読まないで、特徴だけ書き出したメモを欲しがる人、両方のイラストレーターがいましたね。まあ、スケジュール感が違うだろうから、後者の人を非難するわけには全くいかないけれど、まあ、生頼先生は、きっちりと世界観をつかまないと描けっこないじゃん、という方だったのでしょうな。そしてその残された作品は、ある意味永遠に輝き続けるわけで、本当に素晴らしい作品群でありました。

 最後に、展覧会の運営としてちょっとどうなの、と思ったことをメモしておこう。ただし以下は完全なるわたしのいちゃもんであり、会期終了間際に訪れたわたしの罪であるので、自戒の意味を込めて備忘録としておこう。
 まず、入場列について。2列で並ばせるのはまあ当たり前だし、4列だっておかしくはない。でも、チケットもぎり要員が一人だけで、入場直前に1列にするのはどうなんだ? おまけに前売りを持っている人と持っておらず当日券を買う人を同じ列に並ばせるのも、まあ間違ったやり方だろうな。簡単に改善できるので何とかしてほしいものだ。
 そして、わたしが非常に困ったのが、普通の絵画展なら必ず入場口に置いてある作品一覧が、置いてなかったことだ。なんだ、ないんだ……とがっかりしていたわたしだが、帰りに聞いてみたところ、当日券を買う窓口に置いてあるから、欲しかったらもう一度、入場列に並べ、なんて言われ、ええっ!? それはひどくないですか? と列整理の女子に軽く文句を言ってみたら、見かねたのか?運営関係者のおじさんが1枚持ってきてくれた。聞くところによると、実はもう用意していた分がなくなってしまい、欲しい人だけ、とりわけ外人客に渡す用に、両面コピーをちょっとだけ用意してあったという。ううむ……まあ、終了直前だったから仕方ないのかな……まあ、めんどくさい客ですみませんでした。今後はやっぱり終了直前に観に行くのは避けないと、とわたしも深く反省します。
 あともう一つ。何と公式図録も売り切れていて、買えなかった。今回は買う気満々だったのだが……まあ……しょうがないか……在庫になるより売切れ御免の方が、ビジネスとしては正しいのは良くわかる。だから運営のせいだとは思わず、終了直前に行ったわたしの愚かさの戒めとして、やっぱり終了ギリギリに行くのはダメという教訓としたい。
 最後にもう一つ。本展は、珍しく一部で撮影OKとなっていた。のだが、やっぱり、撮影OKってどうなんだろう、という気がしますね。確かにね、わたしも興奮して撮影したくなる時は良くあります。なので、ファンとしては嬉しい配慮であるのは間違いないとは思う。しかし、わたしは今回結局撮影はしなかった。というのも、わたしが大興奮で、うおおお!と観ているわきで、一心不乱に撮影をバシャバシャして、ろくに作品を「自分の目」で見ることもなく、さっさと次々に作業のように撮影している人々がいっぱいいて、そいつら観てたら、なんか、ああはなりたくねえわ、と思ってしまったのである。撮影自体が悪いんじゃなくて、まずはその眼で、きちんと作品を味わったらどうなのよ、せっかく「本物」が目の前にあるのに! なんか、一心不乱に撮影している姿は実に気持ち悪かったす。ああ、そういや、本展は、わたしの年齢±10歳ぐらいのおっさん率が異常に高かったすね。そりゃそうだ。70年代以降の映画オタク・SFオタクいはもう、たまらない展覧会であったと思う。ホントに最高でした。

 というわけで、結論。
 日本が誇る稀代のイラストレーター生頼範義氏の作品展『生頼範義展:THE ILLUSTRATOR』を終了前日にやっと観に行くことができた。2014年に宮崎で開催されて以来、やっと御対面がかなった生頼先生の本物の肉筆原画は、想像以上のすさまじい迫力とオーラで、わたしはもう本当に失神しかけ、逝っちまいそうになるほど大興奮であった。とにかくすごいよ。これは本当に、自分の目で見ないとダメでしょうな。印刷や写真じゃ絶対に伝わらないと思う。本当に最高でした。そして、会期終了に行くのは絶対にダメ、という教訓も得られ、図録を入手することはできなかったけれど、自戒として受け止めたい。もうチョイ、長く開催してほしかったなあ。今回の東京展は1か月もなくて、非常にもったいないと思った。もっともっと、多くの方に生頼先生の放つオーラを感じてほしかったすね。はあ……それにしても最高でした。いまだ興奮が冷めないす。以上。

↓ 画集を買えってことなのかもしれないな……。
生頼範義: The illustrator
生頼範義
宮崎文化本舗
2014-02

生賴範義Ⅱ 記憶の回廊 1966-1984
生頼範義
宮崎文化本舗
2015-07

生賴範義Ⅲ THE LAST ODYSSEY 1985‐2015
生頼範義
宮崎文化本舗
2016-12-03

 19世紀の末に、日本は明治の世となり、開国されたわけだが、その後、数多くの西洋人が日本にやってきて、おそらくは「なんてこった、こいつはすげえぞ!」と大興奮で買いあさって自国へ持って帰ったもの、それが浮世絵であることはもはやお馴染みであろう。その結果、いわゆる「ジャポニズム」なる一大日本ブームがヨーロッパで起こったわけだ。
 今、Wikiiで軽く復習してみたところ、どうやら明治になる前、1856年にはもうすでにフランス人が「北斎漫画」を目にして興奮していたようだし、1862年のロンドンの万国博覧会で日本文化は紹介されていたそうだから、どうやらその興りは江戸末期から、と言った方がよさそうだ。
 まあ、起源はどうもわたしのインチキ知識よりも古いようだが、そういった初期のフランスでの盛り上がりは「ジャポネズリー(日本趣味)」というそうだ。しかし何といってもわたしが「ジャポニズム」と聞いて真っ先に思い出すのは、やっぱりゴッホやモネと言った印象派~ポスト印象派の作家たちによるもので、そのような「ジャポニズム」の影響が見られる作品を我々日本人が見ると、なんかうれしくなるのはわたしだけではないだろう。
 そんな、なんかうれしくなる「ジャポニズム」というテーマは、比較的何度も、数年ごとに展覧会が行われているような印象があるが、今日、わたしは、二つの展覧会をはしごして、ぼんやりと美術鑑賞としゃれこんでいた。というわけで、わたしが今日観てきたのは、こちらの二つの展覧会である。
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 一つが、東京都美術館で開催中の『ゴッホ展~巡ゆく日本の夢』。こちらはチケットはとっくに買ってあったものの、あと少しで終わってしまうので、やばい、そろそろ行かないと、ときょう若干慌てて観てきた。
 こちらは、わたしが好きな三大作家のひとり、ゴッホの作品にみられる日本、というテーマでの展示であり、大変わたしとしては楽しめた。上の画像にある「花魁」をとうとうこの目にできて大満足だ。この作品、すごいのは、センターの花魁ももちろん、元になった作品があるし、周りのもの、例えば、足元にガマガエルがいるでしょ? このガマガエルも全く同じ構図の作品があるんだな。浮世絵で。
 本展覧会は、そのように、基本的に各作品ごとに「元となった浮世絵作品」と対になるように展示されていて、非常に分かりやすく、観ていると、マジかよ、完全パクリじゃん!と大興奮である。パクリ、というのはもちろん現代語で、ネガティブイメージがある言葉なのでふさわしくないかもしれないが、もうまさしくパクリ、であって、そこにはゴッホの「なんだよ、浮世絵ってすげえ! ちょっとおれもこうした構図で描いてみたい!!」と思わせる興奮と尊敬、そしてあこがれが存在しているのは間違いないと思う。
 わたしは今日初めて知ったのだが、どうやらゴッホの身近には、日本とつながりのある人々が4人いたそうだ。その4人によって、未知なる国、日本へのあこがれがゴッホの中でむくむくと沸き上がったんだそうだ。ちょっと2人だけメモしておこう。
 まず、一人は、叔父にあたる人物で、軍人として日本に滞在したことのある人物だそうでヨハネス・ファン・ゴッホなる方が、いろいろゴッホに、日本はすげえ国だぞ的なお話をしてたらしい。そしてもう一人は、画商のジークフリート・ビングなる人物で、この人は商売として浮世絵に注目して、日本に来日もして仕入れて、パリで店を開いていた人だそうで、ゴッホはそのお店で初めて浮世絵の実物を見て、「うああ!なんだこれすげえ!この倉庫は天国じゃん!」ぐらいの大興奮で通っていたそうです。サーセン、セリフはわたしが勝手に妄想で創作しました。
 そして、これもわたしは初めて聞いたように思うが、有名なアルルへの移住も、ゴッホ的には「ここはフランスの日本だ!」てな思いが強かったんだそうです。アルルと言えば、南仏の、太陽の光あふれるような温かいイメージがあるけれど、ゴッホが初めてアルルを訪れたのは冬で、その雪景色に日本を感じちゃったらしいです。へええ~。知らなかったわ。
 というわけで、本展覧会はゴッホ好きなら大興奮間違いなしであろうし、ゴッホに興味がなくとも、浮世絵の与えた影響の大きさを知ると、かなり興味深く作品を見ることができるのではないかと思う。わたし的には大興奮で大満足であった。ちなみに、この『ゴッホ展~巡ゆく日本の夢』は、年明けからは京都へ会場を移して、3月4日まで引き続き開催されるようですな。
 で。わたしは今日、9時半開場の『ゴッホ展』に8時55分ごろに着いて、寒空の中ぼんやり開場を待っていたのだが、わたしの前には15人ぐらいしかいなくて、大変快適に作品を鑑賞することができた。そして会場を出たのが10時半ごろで、次に、国立西洋美術館へ向かい、そのまま『北斎とジャポニズム~HOKUSAIが西洋に与えた衝撃』を観てきた。
 しかし、チラッと見た限り、全然列がなかったので、これは大丈夫かな、と思って入場してみると、中は大混雑で、ああ、やっぱり絵画展は朝イチじゃないとダメだ……というため息のもと、来館者のあふれる館内に、わたしのテンションは下がりまくり、なんか、流して観てきてしまいました。
 こちらは、基本的なコンセプトは同じ、だけど、ゴッホ以外の作家の作品での「ジャポニズム」全開で、またこちらは北斎の作品がメインとして、北斎の作品とそれを基にした西洋絵画、という形で対になっていて、これはこれで大変面白かった。作品展数という意味でのボリュームもこちらの方が大きくて、大変満足である。
 わたしがこの展示を見て思ったのは、よくもまあ、オリジナルの浮世絵を探し当てたものだなあ、という若干のんきな思いで、後世の美術研究家たちの丹念な作業に実は一番感動した。ドガのこの作品は北斎漫画のこのページのこれ、とか、モネのこの作品は北斎のこの作品、とか、ロートレックのこの作品には、北斎のこの作品が、みたいな、その照合作業がものすごいと思った。とにかくその数は膨大で、実に興味深い。他にも、有名な北斎の「富嶽三十六景」のひとつ、「神奈川沖浪裏」がこれほどまでに多くの作品に影響を与えていた、なんてことも、結構感動モノである。すごい数ですよ。しかも絵画だけでなく、カミーユ・クローデルは彫刻で「浪」を作ってるし! 実に興味深く、面白く楽しませてもらった展覧会であった。あと、わたし的にとても感激したのが、現在ビル建替え中で長期休館中の、ブリジストン美術館が持っているセザンヌの「サント・ビクトワール山とシャトー・ノワール」が展示されていた! のである。何年ぶりだろう、お久しぶりっす!と思わず心の中で挨拶してしまったぐらい、わたしには大変おなじみの作品で、学生時代、何度も平日のガラガラのブリジストン美術館で観た作品で、とても思い入れのある作品だ。いったいいつ、新たに新装オープンするのか知らないが、早くまた、常設で会いに行きたいすな。はあ……あの頃、何度この作品の前で、若き悩みをくよくよ考えてぼんやりしたことだろう……とても懐かしく、また会えてうれしかったよ。
 そして、観終わったわたしが、ショップで見かけて、おお、これは面白い! と思って買ってきたのが、これである。
Joponism02s
 わかるかな、真ん中のものなんですが、「ミニ図録」なるものです。左のピンクの袋は、この「ミニ図録」を買うと入れてくれる紙袋で、デザインも色も、大変可愛らしくて良いじゃあないですか。そして右にあるのが、『ゴッホ展』で買った「花魁」のポストカードで、「ミニ図録」の大きさ比較用に並べて撮影してみた。わたしは図録を毎回買うわけではないけれど、図録を買う時は、作品を眺めるため、というよりもむしろ解説を読み物としてあとでじっくり読みたいからである。その目的からすると、この「ミニ図録」は実にわたしにとって都合がよく、大変気に入った。中も、左に北斎のオリジナル、そして右にその影響を受けた作品、と見開き単位で整理されており、大変観やすく、かつ面白い。普通のデカい図録は保管するのも大変だし、重いし、高いし、で、今後すべての展覧会でこういう「ミニ図録」があればいいのになあ、と思った。これは大変いい企画商品ですよ。全然知らなかったけれど、結構既に前から「ミニ図録」ってあったんですな。かつて、雑誌の女性誌も、「バッグサイズ」という縮小版が流行ったことがあったけれど、図録のミニサイズは大いにアリですよ。大変気に入りました。
 
 というわけで、わたしとしては短いけれど、結論。
 今日は美術展を二つはしごしてきた。東京都美術館で開催中の『ゴッホ展~巡ゆく日本の夢』と、国立西洋美術館で開催中の『北斎とジャポニズム~HOKUSAIが西洋に与えた衝撃』である。ともに、「ジャポニズム」を共通のテーマとしており、我々日本人が見るととても面白い企画だと思う。なんか、嬉しくなりますな、こういう日本の影響を有名な作家の有名な作品に観ると。まさしくCool Japanの先駆けですよ。そういう、これまで世界になかったもの、を生み出す力が我々日本人にはあるはずと信じたいですな。近年すっかり日本の世界的プレゼンスは低下してしまったけれど、偉大なる先達の作品を見ると、うれしくなるし、ちょっとした勇気が出てきますな。やっぱり、もう世界を相手にしないと。日本でしか受けないガラパゴス映画ばっかり作ってる場合じゃないと思いました。以上。

↓ 以前もこのBlogに書いたと思うけれど、有名なモネのこの作品「ラ・ジャポネーズ」は、数年前に世田谷美術館で観ました。想像よりも実物はすげえデカくてびっくり。凄いオーラでした。

 人間の心理には「怖いもの見たさ」という謎の情動が存在しているが、どういうわけか、やめときゃいいのに、「怖いもの」に妙に惹かれてしまうわけで、現在、上野の森美術館で開催されている絵画展『怖い絵展』は、連日大変な混雑となっているそうだ。
 わたしは、↓この中野京子氏による著作を10年前、朝日出版から出た当時(※現在は下記の通り角川文庫から出ている)に、知り合いに勧められて読んだが、特に、ふーん、ぐらいの感想しか抱かなかった。
怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)
中野 京子
角川書店(角川グループパブリッシング)
2011-07-23

 そして今、上野で開催されている『怖い絵展』に関しても、あ、これ、アレか、とすぐに思い出したものの、実はあまり観に行く気にはなっていなかった。
 しかし、である。先週観劇した『Lady Bess』というミュージカルが大変素晴らしく、16世紀のイギリス史に大いに興味を持ったわたしとしては、そういえば今やってる『怖い絵展』のメインである「レディ・ジェーン・グレイの処刑」は、まさしくその時代で、『Lady Bess』に登場するメアリー1世、俗にいう”ブラッディ・メアリ―”に処刑されたシーンを描いたものだ、ということを連想し、やっぱ上野に行って来よう、とあっさり気が変わり、本日朝7時過ぎに家を出て、現地に7時54分に到着したわけである。
kowaikabe
 あちゃあ……朝日が射していて思いっきりボケてる……ホント写真の才能ねえなあ……。ま、そんなことはともかく、開場は9時というので、おっそろしく混んでいると噂の本展でも、1時間前に着けば何とかなるだろう、と根拠なく思い、実行したわけだが、わたしが到着した7時54分には、およそ5~60人の熱心な老若男女が集っており、へええ? と思わせる盛況であった。なお、開場時にはその列はおよそ10倍以上伸びており、わたしが観終わって出てきた時には同じぐらいかそれ以上の入場待機列となっていた。ちょっと早起きすりゃいいのに……そうしない理由がわからねえ。
 というわけで、小1時間、周りはみな複数での来場の中、わたしは一人突っ立って電子書籍を読んでいると、感覚的には結構あっという間に時間がやってきて、いざ入場となった。当然チケットは事前に購入済みだ。
kowaiticket
 入場に際しては、音声ガイドを借りる人と借りない人で分かれていて、驚いたことに2/3ぐらいの方は「借りる」人の列に並び、結果的にわたしは「借りない人」の最初の20人に含まれることとなった。そして開場して、借りる人20人、借りない人20人、と20人ずつの入場であった。なので、会場内は全くのガラガラで、気分よく見られたのが非常にありがたかった。
 音声ガイドは、わたしもたまーーーに借りることがある。実際、知らないことをいちいち教えてくれる便利なアイテムで、本展では女優の吉田羊さんがナレーションしてくれるらしい。まあ、借りる借りないは全く自由だが、今回わたしは元々の中野氏の著作を読んでいるのでスルーである。
 で。本展は、構成としては6章に分けられていて、総タイトル数は……83点かな、なかなか見ごたえのある作品が多く集められていた。意外と時代的に新しい作品が多いのがちょっと意外だったかも。
 が、作品ごとにちゃんと解説が展示されているのだが、ズバリ言って、わたしが怖いという意味で、コイツはヤバい、と感じた作品はごくわずかで、実際わたしは43分であっさり鑑賞を終えてしまった。
 主に前半は神話や聖書、ギリシャ悲劇をモチーフとした「怖い」作品がそろっている。この辺りは、わたしはほぼ知っているエピソードを題材にした作品で、興味深くは感じても、怖さは感じない。例えばセイレーンやオルフェウスだったり、あるいは現在絶賛公開中の映画『THOR:RAGNAROK』でもお馴染みの雷神トールがムジョルニアを振りかざしている絵だったり、映画に出てくる死の女神ヘラの元になったヘレネ―だったりと、キャラとしては有名人が多かったように思う。なので、怖いというより、おお、これはあの!的な感動の方がわたしは大きかった。
 そう、ズバリ言うと、わたしがこいつはヤバい!と感じたのは、『切り裂きジャックの部屋』とメインの『レディ・ジェーン・グレイの処刑』の2点だけだ。
 まず、『切り裂きジャックの部屋』である。1906-07年の作だというので、切り裂きジャック事件の約20年後という事になる。
Jackthelipper
 解説によると、作者のWalter Sicket氏は『スカーペッタ』シリーズでおなじみのPatricia Cornwellおばちゃんが7億円だったか、大金をかけた最新の科学調査によるDNA判定の結果、ジャック本人と推定されている人だそうだ。以前、切り裂きジャック関連の小説を読んだときに、調べてたことがあるのに、すっかり忘れていたよ。そうそう、画家だった、と思い出した。
 しかし、わたしとしては、その正体の真偽は実際どうでもいい。この絵そのものがはらむ、底知れぬオーラ、妖気めいたものに、わたしは漫然と怖さを感じたのである。上記の画像じゃあそれは全然伝って来ないと思うけれど、本物のこの絵は、実際ヤバイと感じた。なんだろうな……言葉にできないす。
 そしてもう1点は、メインの『レディ・ジェーン・グレイの処刑』だ。この絵の迫力はただ事ではないですよ。超生々しくて、マジ怖い!
LadyJaneGray
 そもそも、その大きさからしてわたしの想像を超えていた。この絵、どのぐらいの大きさだと思いますか? わたしは、120㎝×150㎝ぐらいかしら? と特に根拠なく思い込んでいたのだが……なんとその大きさは246㎝×297㎝、わたしの想像の倍のデカさであった。はっきり言って誰しもが圧倒され、息をのむのではないかと思う。この絵は、解説によると1833年の作で、その後ロシア貴族の手に渡り、長らく公開されずにいたものの、20世紀になってイギリス貴族が購入し、ロンドンのナショナル・ギャラリーに寄贈されたんだそうだ。そして、その後洪水で水をかぶった(?)ものの、修復リストの下の方に埋もれ、長らくその所在すらも忘れられていたところ、ひょっこり、こ、これは! と再発見されたものらしい。
 とにかくすごいのが、その強烈なコントラストで、黒と白のパキッとした色彩はおそろしく印象的だ。なんというか、奥行き感がすごく、白の衣装のグレイ嬢が浮き上がって見える超立体感がすごい。そして各人物の表情がこれまたヤバイ。ちなみに、右端の斧を手にしたタイツの男が処刑人です。ミュージカル『Ledy Bess』では処刑人をフランスから呼んだと言っていたけど、ビジュアル的にかなりイメージが違うし、やけにリアルで怖い! 現在の、いわゆる「ロンドン塔」での処刑だが、実際はこの絵に描かれているような室内ではなく、野外で執行されたらしいですな。くっそう……ロンドンもやっぱり1度訪ねてぶらついてみたいものですなあ……。

 とまあ、こんな感じに、ラストにこのメイン『レディ・ジェーン・グレイの処刑』がズドーンと展示されているのだが、まあ、これは混雑の中で観るとそのすごさが実感できないのではなかろうかと思う。この絵の前に人が立ってほしくないし、全体を見渡せないとダメなんじゃなかろうか。わたしが観たときは、部屋に10人ぐらいしかいなかったので、超快適に、視界に絵以外誰も入らないというほぼ独り占め状態で鑑賞することができた。
 そして観終わって、今回はどうするか少し悩んだけれど、読み物としても面白そうだし、人に見せる機会もあろうと思われたので、図録は買うことにした。2500円ナリ。ミュージアムショップも、きっと普段は混雑していると想像できるが、わたしが行ったときは3人しかいなかったっす。ま、結論としては早起きは三文の徳、ですな。

 というわけで、さっさと結論。
 10年前に読んだ中野京子氏の著作『怖い絵』を題材にした(?)『怖い絵展』を上野に観に行ってきた。やっぱり絵画鑑賞は朝イチに限ります。全く快適でした。そして、正直、本当に怖い作品は、わたしには2点しかなかったです。ただ、全く怖くないけれど、わたしの大好きなTuner氏の作品も1点展示されていて、わたしとしては大満足でありました。会期は残り約1か月かな、気になる方は今すぐGO!でお願いしたいですが、まあ、ちょっと早起きして、朝イチに行った方がいいですよ。観終わる頃に、上野の町のお店は開店し始めて、お茶でも飲んで買い物でもして下さい。わたしも、観終わった後、出来たばかりの上野パルコをぶらついてきました。以上。

↓ そういやこれもチケット買ったはいいけどまだ行けてないので、そのうち行ってきます。くそ、今日一緒に行ってくりゃ良かったかも……。
hokusaiandjaponism

 今日の東京は台風一過、フェーン現象で相当暑いのだが、そんな連休最終日、わたしは朝イチAM0600に家を出て、チラッと会社に寄って気になっていた仕事を80分で済ませ、すぐに上野へ向かい、東京都美術館へ推参した。会社を出たのがAM0820頃で、こりゃあいくらなんでも早い、ま、公園で本でも読むか、ぐらいの気持ちで、まだ人気の少ない上野公園にAM0845頃に到着したところ、既に東京都美術館の前には11名の人が並んでいたので、ま、日陰だし、並んで本読んで待ってよっと、と決めて列に並んだ。
 本を読んでいると、本当に時間の流れを意識することがなく、わたしとしては結構あっという間に、実際のところ30分以上たっていたわけだが、正式な会場時間より早く、0920には敷地内に入れてくれて、定刻ちょっと前にいざ鑑賞と相成った。
 というわけで、今日、わたしが観てきたのは、これであります。
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 展示のタイトルとしてはちょっと長い。『ボストン美術館の至宝展――東西の名品、珠玉のコレクション』である。ボストン美術館といえば、我々日本人的には、浮世絵を多数収蔵していることでもおなじみの美術館だが、今回のメインは、上記のチケットに印刷されている通り、Vincent van Gogh氏の『ルーラン夫妻』と、英一蝶(はなぶさ いっちょう)氏の『涅槃図』であろうと思う。
 というわけで、順にみていくと、最初は古代エジプトの遺物から始まって、中国美術なんかも来ていた。しかし、毎回思うけれど、エジプトのいわゆるヒエログリフを読めるようになったらカッコイイよなあ……ちょっと真面目に勉強したい、といつも思うのだがどうやって勉強すればいいんだろうか……。あ、すげえ、Unicodeはヒエログリフに対応してるんだ。へえ~。なんか夢がありますなあ。
 で。それらを抜けると、日本美術コーナーに移る。そして、かなりいきなり、ズドーンと現れるのが、今日のメインの一つである、英一蝶氏(1652-1724)の『涅槃図』だ。デカい! そして色鮮やか! そのサイズは縦2.9m×横1.7mだそうで、表具を含めると4.8m×2.3mになるそうだ。すげえ! とわたしも大興奮である。1713年の制作だそうだ。えーと、つまり304年前の作品ってことになる。それを、1886年にErnest Fenollosa氏が日本来日中に購入し、ボストンに持ち帰ったんですって。だけど、デカいし劣化が進んでしまって、この25年は公開できずにいたところ、今回の展示にあたって170年ぶりに本格的な解体修理が行われたんだそうだ。その模様は、今回ビデオで紹介されてました。まあ、とにかく一見の価値ありですよ。
 で、わたしが今回気に入った作品としては、この日本美術ゾーンに展示してあった、この作品を紹介しておきたい。ポストカードを買ってスキャンしてみた。
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 これは、酒井抱一氏(1761-1829)の作品である。どうも制作年代ははっきりしていないようだが、18世紀の作品であることは間違いないようだ。花魁を描いた、実に趣ある作品で、わたしは大変気に入った。この作品の隣には、喜多川歌麿氏(1753-1806)による美人画も展示されていて、そちらも実に色気のある作品なのだが、わたしとしては今回は抱一氏の作品の方にやけにグッと来た。
 わたしは以前、抱一氏について色々調べたことがあるのだが、このお方はその名の通り、徳川家最古参の譜代である酒井家の出身で、姫路酒井家の御曹司なんだよね。スーパー金持ちのお坊ちゃんだったはずで、そうだ、兄貴は姫路藩主だったかな、とにかく、名門の出なんすよ。だけど、酒井家が「雅楽頭家(うたのかみけ)」と呼ばれる通り、アートに理解のある家で、おまけに金持ちで遊郭通いとかもしてたようで、相当なヤンチャ小僧だったのではないかとわたしはにらんでいる。その後、兄の死去とともに出家したり、そして尾形光琳私淑して、「琳派ヤバい!すげえ!」と盛り上がって光琳100回忌を開催して、江戸琳派の創始者なんてWikiには記されている。要するに、抱一氏は、200年前に生きていたアート大好き野郎だったみたいなんすよ。なんかすごい面白いと思って、わたしは非常に興味を持ったのだが、今回展示されていた花魁の作品は、非常に色のセンスのいい、大変な傑作だとわたしは思った。この緑と赤、本物はもっと鮮やかというか深みもあって、とてもきれいでした。なんか、マジでほしい! いくら出せば買えるのだろうか……。
 で。後半はフランス絵画とアメリカ絵画、そして現代ポップアート、という構成になっていた。今回のメインであるGogh氏の「ルーラン夫妻」は有名ですな。特に、旦那さんの方の『郵便配達人ジョセフ・ルーラン』の方は、まったく同じ(に近い)構図で、ルーラン氏を描いた作品が6点あるのかな、わたしもたぶん何度も観たことがあるモデルのおじさんですな。彼はGogh氏の友達、といっていいんだろうね。そしてその奥さんであるルーラン夫人も、やっぱり何点もあって、4点かな、存在している。今回、この「ルーラン夫妻」がそろって同時展示されるのは日本で始めてらしいです。そして、ルーラン氏の方は6点あるうちの一番古い作品が今回来日しているみたい。まあ、相変わらずのGogh氏の強烈な色と筆遣いがすごいパワーを放ってますな。すごいオーラですよ。
 最後に、今回の展示でわたしが気に入った、アメリカ20世紀初頭の作品を紹介して終わりにしよう。こちらも、買ったポストカードをスキャンしてみた。
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 どうすか。いい表情すねえ! 母娘だそうで、母の表情はなんとなく、ハリウッド美女のElle Fanningちゃんに似てませんか? そして娘も可愛いですなあ! この作品は、John Singer Sargent氏(1856-1925)による、『フィクス・ウォレン夫人(グレッチェン・オズグッド)と娘レイチェル』という作品だ。1903年の制作だそうで、えーと、つまり明治36年かな。夏目漱石氏が『猫』でデビューしたのが明治38年だから、まあ、要するにそんな時代ですな。娘の着るちょっと強めのピンク、そしてお母さんの着る淡いピンク。これはとてもイイ! 展示の解説によると、最初、お母さんは「わたしは緑の服が好きなの」と言って緑の服を着ようとしたところを、Sargent氏が、「いやいやいや、奥さま、ここはピンクにしましょうよ!」とお願いして着替えてもらったんですって。その現場はどうんな感じだったんでしょうなあ……和やかな雰囲気だったのか、ちょっと張りつめていたのか。まあ、奥さまのこの表情を観る限り、平和に衣装チェンジしてくれたと思うことにしたい。

 というわけで、さっさと結論。
 連休最終日、上野の東京都美術館で開催されている『ボストン美術館の至宝展――東西の名品、珠玉のコレクション』を観に行ったわたしであるが、確かに、その作品はすべて「至宝」と呼ぶべき作品たちだったと思う。全部で80点かな、展示されていたのは。まあ、1時間ほどで観ることはできると思うが、わたしが帰る頃は結構行列ができてましたな。ま、やっぱり美術展は朝イチに限りますな。まったくノーストレスで気持ちよく観ることが出来た。会期はもうあと3週間で終わってしまうので、ご興味ある方はお早めに! 以上。

↓ こういうので、ちゃんと勉強した方がいいかもなあ……わたしの知識はテキトーすぎるので。

↓そしてヒエログリフも勉強してみたい!
古代エジプト文字ヒエログリフ入門
ステファヌ・ロッシーニ
河出書房新社
2015-05-21

 ちょっと前に、どっかの駅のホームの目の前に、ズドーンと掲げられている告知看板を見て、なんだこれ? と思ったことがある。それは、野菜や花を組み合わせて人の顔になっており、何とも不思議というか、とにかくやけに印象に残るものだった。ええと、言葉では説明できないので、要するにこれです。
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 どうすか? 変というか……なんだこれ!? でしょ?
 わたしはこの絵を見て、なんというかそのやけにリアル系な描写に、結構年代としては新し目の、近現代のシュールレアリスム系の作家なのかな? と勝手に、そして恥ずかしいほど盛大に勘違いしていた。しかし、ちょっとインターネッツなる銀河に住まうGoogle神にお伺いを立ててみると、それは16世紀の作家の描いた作品だということが判明して驚いた。
 作家の名をGiuseppe Archimboldo(ジュゼッペ・アルチンボルド)といい、イタリア・ミラノ出身で、なんと神聖ローマ帝国(=ハプスブルグ家)に仕えた宮廷画家なんだそうだ。しかも、ハプスブルグ家第4代のフェルディナント1世→第5代のマクシミリアン2世→第6代のルドルフ2世、と、3代にわたって仕えたそうで、宮廷の祝祭や馬上試合の衣装デザインや演出まで手掛けていた、総合アートディレクター的な仕事をしていたらしい。まったくもって、へええ~!である。わたしもそれなりに美術愛好家のつもりだが、そんな画家の、こんな作品があるなんて、まるで知らなかったす。
 というわけで、わたしは連休中日の今日、朝から上野へ推参し、国立西洋美術館で絶賛開会中の『アルチンボルト展』を観てきたのだが、結論から言うと、その本物が放つオーラは強力で、こりゃあすげえ、と大興奮してきたのである。これは一見の価値があると存じますよ。
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 上野の森や東京都美術館なんかは結構頻繁に行っているような気がするが、わたしとしては国立西洋美術館は結構久しぶりのような気がする。9時半開場ということで、わたしの標準である「開場30分前」に到着したところ、40人ほどが列を作って待っていた。へえ。全然マイナーだろうから、ガラガラかなあ、と根拠なく思っていたが、そんなことはまるでなく、まあ、覚悟の上で30分前に来たわけで、待つのは全然かまわないというか、40人ほどなら上等だぜ、と列に並ぶことにした。わたしのすぐ後ろに並んだおっさんと中学生らしきガキの、まったく交わらない、内容のない会話(むしろおっさんが一方的にどうでもいいことをしゃべり続け、息子は超うぜえ、という顔をしていた)をうるせえなあ……と聞き流しながら、くっそ暑い……ちょっとだけでも早めに開場してくれねーかなーとぼんやり待つこと30分。気の利いた、暑さへの配慮は全くなく、まったく時間通りの会場で、冷房の効いた館内へ入館した。ちなみに、帰りは10時半ぐらいだったと思うけれど、チケット購入に20分、入場するのにまた30分ぐらい待つ、と入場待ちも結構行列になっていました。前売りを買っておく、のは美術展ではもはや必須だと存じます。上野駅構内でも売ってるしね。

 で。まあ、観てみて、いろいろなへえ~という発見があったのだが、それらをいくつかまとめておこう。
 ◆思ったより全然古い人だった。
 Archimboldo氏は、1527年生~1593年没、のイタリア・ミラノ出身だそうで、要するに、かの有名なLeonardo da Vinci氏(1452~1519)のすぐ次の世代に当たるそうだ。お父さんはda Vinci氏の友達の友達なんですと。で、若き頃は当然イタリアで主に教会のステンドグラスや絵画やタペストリーの仕事をしてたそうだが、35歳の時(1562年)にウィーンに行ってハプスブルグ家へ仕え始め、66歳、亡くなる年に引退してミラノに戻ってその生涯を終えたんですって。どうやら、歴代皇帝たちに非常に気に入られていたらしいですな。時代的には、宗教改革アウグスブルクの和議(1555年)で(ルター派も一応認めてやるよ、と)決着した直後あたりにウィーンに来たってことになるんですな。まあ、その争いの続きは三十年戦争へと至るわけですが、その前にはもう亡くなっているわけで、Archimboldo氏のいたウィーンは、それなりに平和だったかもしれないすね。いや、平和かどうかわからんな。サーセン。テキトーに言いました。
 ◆そもそもArchimboldo氏自身の作品は少ない。
 今回の展覧会は、『アルチンボルド展』と題するものの、作品としては77点展示されていて、それが全部Archimboldo氏自身の作品というわけではなく、もらってきた作品リストによると、17点なのかな、明確にArchimdoldo氏の作品であるのは(一部は「After Archimboldo=アルチンボルトに基づく」「Attributed to Archimboldo=アルチンボルトに帰属する」という良く分からないクレジット作品が何点かある。これって……模写とかってこと?)。つまり他は 別の人の作品で、da Vinci氏の作品もチョイチョイ展示されていました。
 ◆ただし、メインはすげえオーラ!
 今回のメインである『四季』『四大元素』『司書』『法律家』『ソムリエ』『庭師/野菜』『コック/肉』に関しては、実物のオーラはすさまじく、そしてかなり面白い。つかこのデザインセンスはすげえ!と大興奮でありました。どんな絵なのかは、公式サイトにほぼ網羅されていますので、そちらを見てください。あ、なんだ、この動画を見れば一番わかりやすいんじゃね?

 この多くのお花や魚とか、なんでそんな絵を書いたのか、ということも、上記動画でちゃんと説明されてますな。要するに、当時、da Vinci以降の自然科学研究が進んで、百科事典的な、博物学的な知識を求めるのが王宮のステイタスのようなもので、そういう研究が盛んだったらしいです。で、さらには世界から様々な珍しいものもどんどん集まるようになり、そういう学究的な下地があったってことらしい。基本的に宮廷絵描きは、普通は肖像画がメインの仕事だと思うけれど、Archimboldo氏はこういう作品で、皇帝たちを虜にして、皇帝もその絵を見て大興奮して、この絵すげえだろ!と親せきに送ったりしてたそうで、なんかそういう話って、非常に面白いですな。
 あと、どうでもいいことだが、わたしが結構驚いたのは、このメイン級の作品でもいくつかの作品は「個人蔵」となっていて、つまり世界のどっかの金持ち?だか誰かが個人的に所有している作品があるという事実だ。いいなあ……本物の、すげえオーラを放つ芸術作品が家にあるって、ものすごく気分がアガるよね、きっと。わたしもいつか、なにかいい作品と出会って所有し、毎日ニヤニヤ眺めたいものです。

 で。個人所有といえば、国立西洋美術館へ行ったならば、当然常設の「松方コレクション」にもご挨拶申し上げないとイカンだろう、というわけで、そちらも久しぶりに見物してきた。大変失礼ながら前半の宗教画はすべてスルーし、国立西洋自慢の「モネルーム」やルノアール作品をはじめとする名作たちをを堪能してきた。やっぱり、絵が飾ってあるって、ホントいいすねえ……わたしはこの部屋で仕事したら超はかどるんだけどなあ……という妄想を沸かせながら、久しぶりの国立西洋を後にしました。ああ、そういや世界遺産に指定されてから初めての訪問だったんだな。まあ、何度行っても気持ちのいい場所ですね、国立西洋は。

 というわけで、結論。
 恥ずかしながら全く知らなかった作家であるArchimboldo氏の展覧会、『アルチンボルト展』を観てきたわたしだが、メイン級の作品は思ったより大きくて(モノによってサイズはバラバラなのも意外だった。大体タテ100~70cm×ヨコ60~40㎝ぐらいか? 作品リストにサイズが書いてない!)、わたしとしては大変楽しめた。なんだってこんな変な絵を? という疑問は、正直明確には解けなかったのだが、要するに「誰もが描くような普通な作品じゃなくて、なんかすげえものを描く!」というようなArchimboldo氏のアート魂の爆発だとわたしは理解することにした。それって、宮廷画家としてはある意味画期的といか、かなりあり得ないチャレンジなのではなかろうか? それでちゃんと皇帝たちがご機嫌になるんだから大成功、ってことですな。Archimboldoさん、あんたすげえっす。わたしも大変楽しく鑑賞させていただきました。あざっす! 以上。

↓ わたしの大嫌いな宝島社は、すぐにちゃんとこういう本を作る、その機動力は悔しいけどすげえと思う。これは素直に称賛したい。したくないけど。

 わたしの場合、USの都市「DETROIT」と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは、当然のごとくに『ROBOCOP』である。あの映画の中では、DETROITという都市は完全にもう治安が崩壊していて、そこでロボット警官=ROBOCOPが導入されるわけだが、現実世界においても、自動車の街として栄えたDETROITは、近年ではかなり治安がよろしくない、全米ワーストCityとさえ言われているという話を聞くに至ってしまっている。ちょっと「デトロイト 治安」と検索するだけで、マジかよというぐらいの数多くのバイオレンスな情報が溢れているわけで、ますますもって『ROBOCOP』が必要な街にならないことを祈るばかりである。まあ、ある意味、日本車の快進撃でDETROITは倒れたとも言えるかもしれないが、とにかく、デトロイトという都市は2013年には財政的にもアウトとなり、なんと市の美術館の作品を売り払って何とかしのごうとさえしたそうだ。
 その話を小説に書いたのが、原田マハ先生による『デトロイト美術館の奇跡』という作品だ。
デトロイト美術館の奇跡
原田 マハ
新潮社
2016-09-30

 わたしは全然知らなかったのだが、原田先生は、NYCのMoMAにも勤務したことのある本物のキュレーターでもあるそうだ。へえ~。全然知らなかった。ま、わたしは先生の作品は1冊も読んだことがないし、今回の作品もあまり読むつもりになっていないので、何も言えないけれど、まあいずれにせよ、その美術品を売って財政補てんしようぜ、という行政企画はポシャったらしい。良かった良かった、と素直に喜んでいいのかどうか、詳しいことは分からないが、まあ、売り払われなかったおかげで、我々は↓コイツを観られるわけだ。
Detroit
 はい。というわけで、行ってきました『デトロイト美術館展』。上野の森美術館にて、来年1月21日までの開催なので、あと1カ月ほど、すね。
 わたしは今回、この絵画展を観に行くにあたって、大変楽しみにしていることがあった。なんと、デトロイト美術館の計らいによって、「いや、ウチの美術館は作品の写真撮影OKにしてるから、日本でも写真撮影OKでいいよ」なーんてことを言ってくれたのである。作品の状態保存のために普通は撮影禁止が常識の我々日本人としては、ホントにいいのかと若干ビビるかもしれないが、まあ、NYCのMETもMoMAも、普通にみんなバシバシ撮影してたし、メリケン人的には当たり前、なのかもしれない。
 というわけで、とても面白い試みというか、せっかくなら撮影させていただこうとわたしもちょっと張り切って会場に向かった。ただし、会期中、撮影OKの日程は決まっていて、毎日OKなわけではなく、月曜と火曜だけ、の限定OKであるのだ。なのでわたしは今日の火曜日を狙って、(ちょっとだけ仕事をサボって)上野に参上した次第である。
 会場前に着いたのが9時12分ぐらいだったと思う。9時半開場なので、ま、ちょっと早いかぐらいに行ってみたところ、わたしより早く来ていたのは、年齢不詳のソロ参戦おじさん、おばさまチーム3人組&2人組、の合計6人しかいなかった。会場の時間になっても、たぶん30人いたかどうか、ぐらいで、2週前に行ってきた『ゴッホとゴーギャン展』@東京都美術館では、ほぼ同じ時間に着いてもう100名弱の人々が行列を作っていたのに、ずいぶん違うもんだなー、と謎のガラガラ具合であった。まあ、おかげで非常に快適に観賞できたわけだが、これは、おそらくは2つ理由があるのではないかと思う。ひとつは、まだ会期に余裕があるから、ではなかろうか。『ゴッホとゴーギャン展』はもうそろそろ終わっちゃうしね。こちらはまだ年明けまでやってるし。そしてもう一つの理由は、観終わって思ったのだが、若干ボリュームが少ない、ような気はした。入ってすぐのところに置いてある作品リストを見ると、今回の『デトロイト美術館展』は作品数52点だそうだ。そして一方の『ゴッホとゴーギャン展』は68点だったみたい。まあ、量としてはそんな感じに、ちょっと少ない感じはした。
 けれど、ですね。質としては、今日観た『デトロイト美術館展』の方が、上のような気がします。作家も豊富でバラエティに富んでいるし、何より、スーパー・オールスターですよ。名だたる名画がごっそりで、大変観ごたえはあったと思う。
 入場していきなり出迎えてくれるのはルノアールを筆頭としたチーム印象派だ。わたしも、さっそく写真を撮りながらのんびりと観賞開始である。印象派ゾーンでは、やっぱりモネの「グラジオラス」の鮮やかさと、冒頭のルノアールの「白い服の道化師」がいい表情でよかったすね。撮影した写真をここに載せようと思ったけど、あまりきれいじゃないのでやめときます。
 続いて、ポスト印象派ゾーンになって、ゴッホやセザンヌが現れ、その次は2階に移り、急に20世紀ドイツ絵画として、カンディンスキーの抽象画がいきなり迎えてくれて、わたしはちょっとビビった。おもわず、うおっ!? と声が出てしまうほどに。ここでは、ココシュカの「エルサレムの眺め」という少し大きな作品がとても心に残った。そして最後に20世紀フランス絵画ゾーンになり、ここではピカソの作品が6点、それもかなり年代が幅広く選ばれて展示されていた。ほかにはマティスやルオー、モディリアーニなどを観ることができる。
 で、わたし的に今回、一番気に入った作品を写真入りで紹介しよう。
 ↓これです。
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 絵画に慣れ親しんだ人なら、一発でわかるよね。まさしく、いかにも、セザンヌ。「サント・ヴィクトワール山」というタイトルの、1904年制作の作品だ。
 わたしがなぜ、この作品が一番気に入ったかというとですね、実は、わたしはこの作品と同じ山を描いた、別のセザンヌの作品があることを知っていて、しかも何度も何度も観に行って、大好きな絵があるんだな。
 ↓これです。※本物は、もっと青が深い印象があります。
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 この絵は、今、ビルの建て替えで長期休館中のブリジストン美術館が持っている作品で、セザンヌの「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」という作品です。わたしは勝手に、「黒屋敷(=シャトー・ノワール)」と呼んでます。前にもこのBlogで書いたけれど、ブリジストン美術館は本当に常設が充実していて、わたしの趣味的には国内ナンバーワンの常設コレクションだと思う。しかも大学生当時のわたしが行くような平日の日中なんてガラガラで、もう貸し切り状態で観賞できるような贅沢な時代だった。ブリジストン美術館は元々東京駅から歩いて5分ぐらいのところにあったんだけど、現在は再開発でビルを建て替え中で、いつ再開されるかさっぱり不明です。せめていつ頃に再オープンとなるか、それぐらい示してくれてもいいのにね。まあ、新たらしくできたビルで、ふたたびこの「シャトー・ノアール」に再会したいですな。
 というわけで、わたしは今日の展示の中で、セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」が一番気に入りました。今日はもう、わたしは、あーーっ!! ヴィクトワール山だ!! と、観るなりいきなり大興奮しましたね。セザンヌは、この山が大好きだったようで、何枚もあるんだよね、この山を描いた作品が。今日観た作品は紺から藤色の塩梅が超絶妙で大変美しかったと思います。いやー、イイ。とてもイイです。

 というわけで、結論。
 現在、上野の森美術館で開催中の『デトロイト美術館展』は、月曜日と火曜日に限って写真撮影を許された、日本ではちょっと珍しい美術展である。若干ボリューム不足のような気はするけど、質は極めて高く、絵画好きなら迷わずGO!! でしょうな。そして、写真を撮りたいなら、絶対に朝イチで行った方がいいですよ。人の頭を撮影してもしょうがないし、撮影してる野郎が邪魔でじっくり観られないかもしれないしね。ま、撮影する気がないならほかの曜日の方が空いてるかもしれないすね。会期はあと1か月なので、お早めに! 以上。

↓ くそー。ほしい。。。

 そういえば、そろそろ行かねえと終わっちまう……と昨日の夜、ふと気が付いたので、今日は朝から上野へ行ってきた。目的はこれ↓。上野の東京都美術館にて絶賛開催中の『ゴッホとゴーギャン展』である。
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 まあとにかく、昨今の絵画展はビックネームの場合はもう確実に混雑は必至であり、わたしは大抵朝イチに行くわけだが、今日は9時半開場ということで、9時10分ぐらいに現地到着を目標に家を出た。実際に上野の森美術館に着いたのは9時09分だったが、既に80人ぐらいかなあ、100人まではいかないかな、ぐらいの方々が、寒空の中、列を作っていた。しかし今日は9時20分に開場してくれ、館内へ移動し、それからもうすぐ会場入りすることができたので、寒さに打ち震える時間はごくわずかで済んだ。お気遣いあざっす。そしていざ入場した館内の混雑具合は大したことがなく、十分堪能できたと言えるだろう。
 以前、このBlogにも書いた通り、わたしが好きな三大画家はゴッホ・ターナー・マグリットである。なので、ゴッホ展となればわたしは迷わず会場へ足を運ぶわけだが、今回来日した作品は、主にオランダのゴッホ美術館からやってきた作品がメインで、風景・静物・人物と基本は揃っていた。が、正直、ちょっと地味かな、という印象である。去年、NYにて観たMetropolotan-Museumの常設の方が質・量ともに圧倒的に勝っているのは、まあ当たり前かもしれないが、しかしホントに、METはすげえなあと思う。METに行くためだけにでも、またNYに行きたい……。そして今回の企画は、あくまで『ゴッホとゴーギャン展』なので、もちろんのことながらゴーギャンの作品も多いのだが、いわゆるタヒチものは少なく、ゴーギャンの作品もやや地味、であったように感じた。また、比較的わたしが知っていることが多く、えっ、そうなんだ!? 的な驚きのようなもの少なく、実にスッと観終ってしまったような気がする。ただし、会場はご存じのとおり3層になっている東京都美術館なので(エスカレーターで2回、上階に登る)、点数は多く、見ごたえはあったことは間違いない。
 実は……どうも書くことがないんすよね……。いまさらゴッホとゴーギャンのアルルでの生活を長々と書いても仕方ないしなあ……。
 というわけで、今日、わたしが一番気に入った作品を紹介してお茶を濁そう。
 今日の展覧会の中で、わたしが一番気に入った作品のポストカードを買ってきたので、スキャン画像を貼ってみよう。これです↓。実物の作品の大きさは、かなり小さくて24cm×19cmだって。B5サイズ=25.8cm×18.2cmだから、まさにB5判ってとこすね。
Armond_Gogh
 これは、「Blossoming Almond Branch in a Glass」という作品で、アーモンドの花、なんですって。わたしは、この作品を一目見て、「あれっ!? なんかやけに日本ぽいな!?」と思った。わたしのゴッホ知識では、確かにアーモンドの小枝がグラスに生けてある作品があることは、画集か何かで観て、おぼろげに記憶にあったのだが、こんな絵だったっけ?と思った。てゆうか、わたしはこの絵を見て、「桜」の小枝かと思った。だから日本っぽい、と感じたのかもしれない。
 この絵のことが妙に気になったので、さっき帰って来てから調べてみると、おお、これこれ、これとオレは勘違いしたんだ、という作品が見つかったので紹介しておこう。
Blossoming-Almond-Branch-in-a-Glass-with-a-Book
 ↑ これっす。Wikiによれば、この二つの作品はいずれも1888年の作品で、別に創作時期が違うってわけではないみたい。なのに、これほど作風が違うって、面白いと思いませんか?
 実は、なぜこれほどタッチが違うのか、今日の展示にはヒントというか答えが書いてあって、わたしが「やけに日本っぽい」と感じた理由がズバリ書いてあった。というのも、ゴッホは日本の浮世絵が大好きだったわけですよ。有名ですわな。いわゆる「ジャポニスム」ってやつですが、今日わたしが観たアーモンドの作品は、ゴッホが浮世絵をイメージして描き上げたものなんですって。そう聞くと、すごい腑に落ちませんか? わたしは、ああ、なーるへそ、と妙に納得である。 
 ちなみに、下の、いかにもゴッホらしいタッチの作品は、誰かの個人が所有している作品だそうで、ああ、ホント、こんな作品を家に飾れたら、最高でしょうなあ。いつか本物を、自分のものにしてみたいすねえ。金の問題じゃないんだろうなあ、こういう作品を所有するというのは。でも、金を出せば買えるなら、いつかその野望をかなえてみたいと、あきらめないで、日々頑張って生きていきたいものですな。
 わたしの生涯の野望は、ゴッホ・ターナー・マグリットという、わたしの大好きな三大画家の作品を家に飾ることなんですが、そうだなあ、15回ぐらい生まれ変わらないと無理かなあ。がんばろっと。

 ちなみに、現在上野では、今日わたしが行った東京都美術館の対角線(?)にある上野の森美術館において「デトロイト美術館展」が開催中である。そちらでも、ゴッホの作品がメインとして来日している。こちらは、なんと月曜日と火曜日限定で、展示作品の写真撮影が可能!!! と日本では珍しい展覧会となっているらしいので、わたしは今日一緒に観ちゃおうかと思ったけど、せっかくならやっぱり月曜か火曜に行こうと決め、今日は前を通るだけにしておきました。来週……は無理か、まあとにかく、近日中にそちらも行ってこようと思っています。

 というわけで、結論。
 上野の東京都美術館で開催中の『ゴッホとゴーギャン展』だが、もう始まってからだいぶ経ったし、朝イチだったので、超快適に観賞することができてよかった。帰りに入り口を通ったけど、それほど混んでいる様子はなかったすね。展示されている作品はもちろん素晴らしいけれど、若干地味かも。その中でわたしは「グラスに生けられたアーモンドの小枝」という作品が一番気に入りました。そして、早めに「デトロイト美術館展」も行こうと思います。以上。

↓ これの会場限定のホットチョコスプーンをお土産に買ってきたっす。うまそう!冬はホットチョコに限りますな!

 

 わたしは映画や読書や観劇以外にも、高校生ぐらいからかな、美術館へ絵画を観に行くことを趣味としているわけだが、その辺のことは以前も書いた通りである
 で、その時も書いたのだが、たぶん、日本で一番人気のある作家は、やはりPierre-Auguste Renoir氏だと思う。まあ、いつも通り根拠はありませんが。時代的には、1841年生まれの1919年没、なので、江戸末期から大正8年までの方であり、活動期としては、ほとんど明治時代のお方である。フランス人なので、1870年の普仏戦争にも従軍しているし、第1次世界大戦には息子が従軍して負傷したんだそうだ。まあ、そんな時代の画家であり、Claude Monet(1840-1926)とは完全に同時代人である。わたし的には、Renoir氏よりもMonet氏の作品の方が好みだが、やはりRenoir氏の大きな展覧会ならば、そりゃあ行っとかねえとな、と思うわたしである。
 というわけで、4月から開催されていて、現在、残りの会期が1カ月ほどとなった『オルセー美術館・オランジェリー美術館所蔵 ルノアール展』に超・今さらながら、行ってきた。そして、やはり日本でのRenoir氏の人気はすげえなあ、と思いつつ、そういいながらわたしもせっせと出かけているわけで、やっぱりその作品には人を惹き付ける、「何か」があるように感じた展示であった。
 まあ、詳しいことは、こちらの公式Webサイトを見てもらった方がいいでしょうな。
 そして↓こちらが、チラシのスキャン画像です。右側の<田舎のダンス><都会のダンス>のセットがとてもいいですな。この対になっている作品が揃って来日するのは45年ぶりだそうですよ。
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 というわけで、行く前から想像していた通り、やはり結構なお客さんが集まっていて、大変賑わっていた。わたしが出かけたのは、おとといの水曜日の午前中で、ぽっかりスケジュールが空いたので、そうだ、そろそろ行かねえと終わっちまう! と思い、当然のように10時開場の10分前ぐらいに現場着だったのだが、もうすでに数十人のおばさまたちが、今か今かと開場を待っている有様で、へえ、さすがだなあ、と感じた。何しろ、もう開催から3カ月が経過しているし、ド平日の朝イチである。ま、わたしの場合、既にわたしの仕事ぶりに文句を言える人間は存在しないので、時間が空けばさっと会社を出られるわけだが、平日なのに並ぶんだなあ、というのはさすがのRenoir人気と言っていいのではないかと思う。おそらくは、土日はもっと大変な混雑となるのではなかろうか。ちなみに、わたしの会社から乃木坂までは15分ほどなので、観て、すぐ帰れば1時間半程度、席を不在にする感じである。
 で、会場内に入ると、もう、かなり人はばらけるので、ズバリ言えばかなり空いている中で、自由に気に入った作品の前でぼんやりしたり、(怒られない程度に)作品に顔を近づけたりと気ままに観ることができて、たいへん快適であった。
 今回の展示の目玉は、おそらくは上記チラシの左側の作品、すなわち『ムーラン・ド・ギャレットの舞踏会』と題された作品だろうと思う。想像よりも大きくて、図録によればサイズは131.5cm×176.5cmだそうだ。たいへん迫力があり、強めの紺色をベースとして、やはり手前のピンク&青の縦ストライプのドレスと、その右後ろでダンスを踊る女性のピンクのドレスに強い印象が残る。また、その女性の柔らかな表情も、もう誰がどう見てもRenoir作品そのものだ。
 これは会場で自由に喋りまくるおばさまたちのおしゃべりから漏れ聞こえたことなのだが、「優しいお顔ねえ~」と言っているおばさまの声を3回ぐらい聞いた。勿論まったく別々のおばさまたちなのだが、要するにその、「Renoir氏独特の人物の表情」がRenoir人気の最大のポイントなのだと思う。この点に、人々はひきつけられるのだろう。
 しかし、わたしの場合は実のところ、人物の表情よりも、Renoir氏の作品で一番、うおお……と唸ってしまうのは、「肌色の表現」の多彩さと言うか、複雑さ?にある。
 Renoir氏は、結構な数の裸婦像も残している画家だが、わたしはいつも、その「肉の色」にグッとくる。まあ、Renoir氏による裸婦は、かなり高い確率で「ぽっちゃり系女子」が多いのだが、その肉付きというか、肌色がとにかく凄い、といつも思う。何と言えばいいのか分からないけど、そのむっちり感ではなくて、肌の色、なんですよね、わたしがグッとくるのは。なお、解説に書いてあったので、わたしは初めて知ったのだが、Renoir氏も、結構な数の「お花」の静物画を遺しているのだが、お花の絵を描くのは、画家にとっては「色の実験」のため、という側面もあるのだそうだ。自然に存在する美しい色を最も象徴的に体現しているもの、それは「お花」である、ということで、「お花」を描くことで、色の感性を磨くというか、絵の具の可能性、再現性を実践して試していたということらしい。へえ~、ですな。
 ↓こちらは、上に貼ったチラシの裏側です。
ルノアール02
  このように、今回も当然、裸婦を描いた作品も多く、わたしの言うところの「肉の色」がこれでもかと堪能出来て、わたしは大変お腹がいっぱいで大満足である。
 以前もこのBlogに貼りつけたけど、わたしはNYのMetropolitan-Museumで観た絵が大好きなのだが、どうも、わたしの記憶では、20数年前まで、親父の部屋にこの絵(のレプリカ)が飾ってあったような気がしてならないんだよな……。あの絵は一体どこに行っちまったんだろう……23年前に家を建て替えた時に捨ててしまったのかなあ……。もう一度会いたい……。
 ↓これっす。どういうわけか、超見覚えがある。NYで出会って、あれっ!? この絵知ってるぞ!? とびっくりした。
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 で、わたし的に、今回の展覧会で、気に入った作品は、以下の3点すね。
 まずは、冒頭にも取り上げたこの2点。
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 これは、左側が【田舎のダンス】というタイトルが付いていて、右側が【都会のダンス】というタイトルが付いていた。ご覧の通り、まあ、セットですな。ちなみに、会場ではこれが左右逆に展示されていました。【田舎】が右側、【都会】が左側だったすね。そこ何か意味があるんだろうか? あと、【田舎】の方の赤い帽子をかぶったご婦人は、なんとRenoir氏の奥様だそうです。奥様になる直前、だったかな? いや、もう奥様だったと思うけど自信なしです。いい表情すね。Renoir氏は奥様が大好きだったらしいすよ。大変いいお話すなあ。
 そしてもう一つ、わたしが気に入ったのがこちら。
ルノアール04
 膝に抱く猫も非常にいい表情だけれど、女の子も、これもひじょーにいいすねえ。たぶん、天使クラスに可愛らしい女の子だったんでしょうな。1887年制作なので、えーと、明治19年、てことか? どんな人生を送ったのだろう。この時10歳とすると、第2次大戦でパリが陥落した時には恐らく60歳をちょっと超えてるぐらいだよね。きっと子供も従軍し、いろいろつらい目に遭ったんだろうな。でも、戦争を生き抜き、幸せな最期を迎えられたと信じたいですな。こういう絵画を見ると、ホントにいろんな妄想が沸きますね。
 あっ!! すげえ!! さすがインターネッツ。何でも情報が転がってるものだなあ。彼女の<ジュリー・マネ>という名前から察するに、画家のEdouard Manetの娘かな、と思って調べてみたら、どうやらManetの弟の娘、つまり姪っ子みたいすね。しかもお母さんは女流画家のBerthe Morisotさんで、Manetのモデルとしても良く知られてる方ですね。ああ、やっぱり娘のジュリーは1878年生まれだから、この絵は11歳の頃の絵ですな。英語版のWikiには、ちゃんとJulie Manetの記事がありますね。それによれば亡くなったのは1966年7月14日だそうです。えっ!? 7/14だって!? なんだよ、昨日じゃん。わたしが国立新美術館で観たのがおとといだから、命日の前日だったんだなあ。何たる奇遇だ。つか、7/14って、パリの革命記念日じゃん。へえ~。しかし、無事に戦争は生き延びられたんだなあ。88歳まで生きたなんて、天寿を全う出来たんだね。良かったなあ。いやー。安心したわ。しかもWikiには15歳当時の写真も載ってますね。ああ、これは美人だ。間違いない。素敵な女性に成長したんですなあ……。
 うおっ!! すげえ!! さらに面白い情報を発見した。

 このジュリーちゃんは、日記を遺していて、出版されてるんだ。へえ~。相当賢い娘さんだったんだなあ。ヤバイ。どんどん面白くなってきた。この日記も読んでみたいなあ……とっくに絶版なので、図書館に行ってみるかな。いかんいかん、もう完全にストーカーめいてきたので、この辺にしておこう。

 というわけで、ぶった切りですが結論。
 絵画がお好きな方は、おそらくほとんどの方がRenoir氏の作品も好きだと思う。であれば、今すぐ乃木坂の国立新美術館へGO!! でお願いします。なお、Renoir氏以外の作品も数点、ちょっとだけ展示されてました。GoghとかPicassoとか。で、お気に入りの作品を見つけて、わたしのようにいろいろ妄想すると楽しいと思いますよ。ま、わたしはちょっとやりすぎ、すかね。しかし、それにしてもJulie Manetちゃんは大変可愛いと思います。以上。

↓ 部屋に飾りたい……。この時ジュリーちゃんは15歳ぐらいすね。かわええ……。

 先日の日曜日、午前中にぶらっと、久しぶりに京王線に乗って「芦花公園駅」に降り立ったわたしである。隣の千歳烏山は、親戚が住んでいて、わたしには大変お馴染みな街なのだが、わたしが芦花公園駅に降り立つのは、おそらく30年ぶり以上の久々だ。各駅しか止まらないため、何気に新宿から時間のかかるこの駅に、わたしは一体何のために降り立ったのか?
 えーと、サーセン。分かるわけないっすね。
 なので素直にお話しますが、↓コイツを観に行ってきたわけであります。setagaya05
 「世田谷文学館」というところで開催中の、『上橋菜穂子と<精霊の守り人>展』である。
 ロケーションとしては、京王線の芦花公園駅から歩いて5分もかからないぐらいの閑静な住宅街の中にある。駐車場もあるらしいので、最初は車をかっ飛ばしていくかとも思ったのだが、まあ、首都高の渋滞にイラつくのも嫌だし、ま、ここはおとなしく電車で行ってみるか、というわけで、久しぶりの京王線乗車と相成った。駅から、まっすぐ歩いていくと、↓こんな感じにズドーンと看板もあるので、実際迷いようはないです。
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 10時OPENということで、わたしが現地についたのは9:55頃だが、ガラガラだろうな、と思っていたら、5人ぐらい、親子連れや熱心なファン(?)と思われる方が既に並んで待っていた。わたしはNHKのドラマから入った超・にわかファンなので大変失礼ながら、上橋先生のファンの規模の想像がついてませんでした。さすがすね。
 で。すぐに会場になり、チケットを買って入っていくと、すぐ、チケットもぎりの横に、こんな風に、「バルサの短槍」がこれまたズドーンと展示してあって、さっそくテンションが上がってきました。
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 これは実際の放送で使った奴っぽいですよ(?いや、サーセン。興奮しててちゃんと文字読まなかったので未確認)。ここは写真撮っていいよゾーンでした。
 中は、まず前半は、「守り人シリーズ」関連の展示があって、後半は上橋先生ゾーンとなっている。これまでの「守り人シリーズ」の歴史が分かる展示、実際に上橋先生が使ってたPC(富士通のFM-Vだった)や、初稿ゲラや入稿原稿などを観ることができる。そして「国際アンデルセン賞」のメダルや、デンマーク王室からの手紙だったり、上橋先生の活躍の軌跡を知ることが出来る展示となっている。
 そしてメインの広い展示では、NHKドラマでの衣装や小道具などの展示や、残念ながら今年、若くして亡くなってしまった、挿絵を担当されていた二木真希子さんの生原稿なども展示されていた。
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 ↑ ここも、撮影していいよゾーンでした。左の衣装が、まさしく綾瀬はるかちゃんが着ていたバルサの衣装ですな。右と真ん中はチャグム君の衣装ですね。ホントはさらに右にも、ジンの衣装だったかな? も、展示されてます(シュガの衣装だったかな……いや、ジンだったと思う)。ちなみにジンを演じた松田悟志さんは、わたしにとっては「仮面ライダー龍騎」における、仮面ライダー・ナイトでお馴染みの、大変カッコイイ人です。
 ちなみに、わたしがとても、へえ~、と思ったのは、この「守り人シリーズ」の刊行前に、上橋先生が偕成社の編集に原稿を送る時に同封した手紙が展示されていたのだが、その中で、もし出版して、挿絵をつけるなら、二木真希子さんにイラストを担当してほしい、と要望していることが書かれていて、このこと自体は確かあとがきでも書かれていたと思うけれど、原稿を送る時点ですでに指名してたんだなあ、というのは大変興味深かった。
 で、後半は、上橋先生の文化人類学者としての研究史のような感じにさまざまなものが展示されている。文系で博士号を取得するのは非常に大変で、わたしは博士前期課程(=いわゆる修士)でさっさと見切りをつけてしまった男なので、修士論文を書くことで終わりにしてしまったが、文系の博士号取得者にはもう、無条件ですげえと思ってしまう。しかも文化人類学という、フィールドワークが基本の学問だ。机にかじりついていればいいものでは全くないだけに、わたしの上橋先生に対する尊敬は三倍増しである。ほんとうに、地道で孤独な日々だったと思う。修論を書くのにかなり苦労したわたしには、博士論文なんて、そりゃあもう、精神的にも肉体的にも相当過酷であったことは想像に難くない。

 というわけで、わたしは『上橋菜緒子と<精霊の守り人>展』を楽しく堪能してきたわけであるが、わたしはつくづく思ったことがある。それは、おそらく「守り人シリーズ」は、その発表があと10年遅かったなら、完全にいわゆる「ライトノベル」に分類されるものだったのではないか? ということだ。もちろん、偕成社という児童書の出版社から刊行されていたらやはり児童書として区分されたかもしれないけれど、実際、10代20代、あるいはもっと上のわたしのようなおっさんが読んでも非常に面白い作品でもあるし、ライトノベルのどこかのレーベルから刊行されても全く違和感のない作品である。この「守り人シリーズ」を、ライトノベルではなく児童文学にカテゴライズさせた一番の要因は何なのだろう?
 時代? 出版社? そもそもの内容? おそらくはそれぞれが要因であることは間違いないが、おそらくもっとも重要なのは、会社の売上や利益よりも、作品本位で作品そのものを大切にする編集者や営業・宣伝との出会いが一番の要因ではなかっただろうかとわたしは思うのである。昨今のライトノベルは、無理矢理アニメ化してアニメが終わったらもう誰も見向きもしないような実に残念な状況だ。それじゃあ、作品が育つわけはない。
 ちなみにわたしが、日本の小説で最も好きで、今すぐ新作を読ませてくれるなら、そうだなあ、1,000万払ってもいいと思っている作品は、小野不由美先生の『十二国記』シリーズだ。あの作品も、元々は「講談社X文庫ホワイトハート」から刊行されたもので、女子向けラノベだったわけで、数多くの才能が、ライトノベル界には存在しているはずなのは、現在も変わりないと思う。だから、もっともっと、凄い作品が生まれてきていいはずなのだが……時代が許さないんすかねえ……それとも、幸せな作家と編集・営業との出会いが生まれてないのかなあ……もっと、第2第3の上橋先生や小野先生が生まれてこないと、ホントにもう、ライトノベルはつまらなくなってしまうだろうな、と、おっさんとしては思うわけである。まったくもって残念だ。

 というわけで、結論。
 上橋先生や、「守り人シリーズ」のファンの方は、ぜひ、京王線に乗って、芦花公園で降り、ちょっくら世田谷文学館へ足を運んでいただきたい。そして編集者も是非行ってみて、当時の上橋先生と編集部のやり取りの手紙などを見て、ちょっとだけでも自分の作家との付き合いを振り返ってほしいものである。しかし、それにしてもドラマの第2シーズンが待ち遠しいですな。また、綾瀬はるかちゃんのバルサに出会いたいものです。そして、それまでにはシリーズを全部読んでおきたいですな。「守り人シリーズ」は、読んでいないなら超おススメです。以上。

↓ 早く電子書籍出てくれ……もう耐えられそうにないんですけど……。紙で買ってしまいそう……。


 

 いわゆる良くある話のネタとして、「ネコ派? イヌ派?」的な話題がある。わたしは生まれてもう40年以上人間として生きているのだが、その間、我が家に犬か猫が「いなかった」ことがなく、もう多くのわんこ、にゃんことともに暮らし、その死を看取ってきた。他人がなんと言おうと、彼・彼女たちはわたしの可愛い家族であり、その死は常につらく悲しいものだが、最後にわんこが亡くなったのがもう15年前で、それまでわんこ歴20年以上であったのだが、現在我が家に暮らすのは、一人のにゃんこである。
 現在共に暮らすにゃんこを溺愛しているわたしだが、元々は野良猫で、ある日ウチの庭先にお母さん猫とともに現れ、そのまま娘の彼女だけ、居ついたわけで、金で買った命ではない。まあ、別に金で買っても構わないけれど、40数年、我が家のわんこ・にゃんこたちは全て縁あってもらって来たり、居ついてしまったというパターンだ。
 で、冒頭の「ネコ派? イヌ派?」という話題だが、わたしは実際どちらも大好きなので、どっちでもないというのが正しいと思うが、「どっちでもねーよ」と本音を語ると、冷たい人認定されてしまうのが平成の世である。ので、わたしは問われれば、「まあ、一緒に遊ぶのはわんこの方が楽しいっすね。でも、ねこも普段はツーンとしてても、甘えてくると超可愛いので、実際どっちも好きっす」と、善人の皮をかぶって答えるようにしている。まあ、事実そうなんでお許しいただきたい。そしてその時には、現在我が家に暮らす可愛いけれどスーパー・ツンデレなうちのかわい子ちゃんの、ウルトラ可愛い姿を脳裏に描いている場合が多いので、わたしがどんなツラをして、そう喋っているか、想像もしたくない。ひょっとすると、にやけた不細工ヅラを晒している可能性があるので極めて危険だ。よって、あまりわたしに、猫の話題を振らないでいただきたいと密かに思っている。
 なお、わたしは、うちの猫は、この銀河で最も可愛い生物であると信じている。つーか、おそらく間違いない。

 というわけで、どうでもいい前振りを書いてしまったが、今朝、新聞を読んでいたら、とある広告が目に留まった。へえ、と思い、ううむ、昼辺り行ってみるか、と心を決め、昼休みの小一時間で覗いてみてきたのが、↓これである。
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 いやあ、楽しかった。かわええ……とぼんやり見ながらにやけていたような気がするので、まあ、わたしを知っている人に見つかるとヤバいが、いつも通りのボッチ行動なので、思う存分堪能してやりました。
 まず場所だが、日本橋三越本店の7階である。わたしの会社から歩いて15分ほどなので、近いのだが、平日の昼という事で、おばさまたちがわんさか来場していた。ガラガラではなく、まあ、そうだなあ、十分余裕のあるほどよい混雑ぶりというレベルだろうと思う。公式サイトはこちらっすね。詳しくはリンク先を見て下さい。もう来週には終わっちゃうのかな。

 ところで、現在、本屋さんに行くと、びっくりするぐらい多くの「ねこ写真集」が出版されている。わたしもついうっかり、眺めてしまうわけだが、今回の展示会の写真家、岩合光昭氏は、その「ねこ写真」の第一人者(?)で非常に著名な方だ。まあ、NHK-BSで「岩合光昭の世界ネコ歩き」なんて番組をやってたぐらいだから、ご存知の方も多いだろう。岩合氏自身のWebサイトでも、数多くの写真が観られるので、興味のある方は覗いてみていただきたい。わたしは岩合氏について、全然知らないのだが、元々野生動物専門(?)の写真家で、なんと、かの「ナショナル・ジオグラフィックス」の表紙も2回起用されている凄い人だそうだ。へえ~。
 まったくの素人考えだが、おそらく動物写真というもので一番必要なのは、そのタイミングを逃さないことであり、その時が来るのをじっと耐える忍耐力と、一瞬を切り取る判断力が必要になるのだろう。それと、おそらくはほんの少しの「運」というモノも必要か。何しろ、被写体の思考は、さっぱり人間には予測不能だし、外であれば、光の芸術である写真というものには、その時の天候も大きく影響するのだろうし、とにかく、一瞬、なんでしょうな。大事なのは。
 今回の展示は、上記に貼ったチラシにも書いてある通り、「ネコは小さなライオンだ。ライオンは大きなネコだ。」というコンセプトの元、ネコとライオンの、とても似ている姿の写真を対にして、数多くの作品が展示されていて、つい、わたしのようなおっさんも、にやけてしまうようなラブリーなショットが多く、また一方では、ライオンのおっかない姿などもあって、大変に楽しめた。会場では、ネコグッズも数多く販売されていたので、全国の猫好きな方には大変おススメのイベントだったと思う。そりゃあまあ、かわええ写真満載だったっす。

 しかし、ホント、ネコやイヌが嫌い人はどういう人なんだろう。まあ、一緒に暮らしたことがないんだろうな。アレルギーって言われても……知らんがな。基本的に、ネコやイヌが嫌いと言う人とはなるべく近づかない方がいいとわたしは密かに思っている。もちろん、一緒に暮らしたことのない人も出来ればお断りしたいが、まあ家の環境もさまざまだからなあ……。また、現代の平成の世は、どうも妙な世の中で、逆に異常な溺愛というか、ちょっとどうなんだ? という人もいるので、そちらも実際お断りしたいところだ。その丁度いい塩梅というか、わたしが納得するネコやイヌとの付き合い方を言葉で表現するのは難しいのだが、要するに、嫌いと言う人とは付き合いたくないし、超溺愛している人も遠慮したい。わたし? 溺愛してるけど、結構ドライっすよ。つか、もう、完全に家族なので、居て当たり前というか、だからと言って常に抱っこしてるわけでもなく、普通に共存してます。そもそも、うちの可愛い子は、超超・スーパー・ツンデレ・キャットなので、呼んだって、こっちを向きもしないし、ほぼ常に、ツーンとしてますね。超・自由気ままに生きてますな。おまけに小食でがっつくことが皆無で、ごはんで釣ることも不可能。しかし、どういうわけか、わたしが風呂に入ろうとすると、「あら、あなたお風呂? それを早く言いなさいよ、付いていくわ」という顔をして、何故か急に甘え出し、わたしが全裸になろうとする足元にすり寄って来る不思議キャットである。そしてそれが一通り気が済むと(?)、また元のツーンとした態度で、スタスタスタ……と去っていく。何なんだ一体。まったくもって、実に可愛いネコである。うちのネコについてわたしは、おそらくは、The Most かわいい Cat in the Galaxyであろうとにらんでいるのであります。

 というわけで、結論。
 現在、日本橋三越本店で開催中の、岩合光昭写真展『ネコライオン』は、大変楽しかった。ちなみに、うちのにゃんこは、黒ベースのキジトラなので、どっちかっつーと、ライオンじゃなくて、虎っすね。歩き方も、すげえ虎っぽくて、この銀河で最も可愛い生物だと思います。以上。

↓ わたし、この写真集を持ってます。岩合氏の作品ではありませんが、超・イイっす。おすすめ。紙の本、電子書籍、両方持ってます。たまに、ぼんやり眺めるといいと思いますよ。
飛び猫
KADOKAWA/角川マガジンズ
2015-02-20




お、Kindle版だと、中がちょっとだけ観られるすね。2枚目のキジトラはうちの銀河一可愛いにゃんこに似てるっす。
飛び猫 (角川マガジンズ)
KADOKAWA / 角川マガジンズ
2015-02-20

 今、わたしはほぼ毎日せっせと『みをつくし料理帖』を読んでいて、全10巻のうち、現在9巻が終わりそうで、あとチョイで全部読み終わるところまで来ている。舞台は、このBlogで1巻2巻を紹介した時にも書いたが、1802年1812年から6年間ほどのお話で、要するに江戸後期、第11代将軍・徳川家斉の時代である。元号で言うと享和から文化から文政のころであり、時代劇で言えば田沼意次が失脚したのちの松平定信による寛政の改革の緊縮財政や風紀取締り、思想統制といった抑圧から開放され、江戸市民がやれやれ、と一息ついて元気を取り戻しているような、そんな時代であろう。
 この、19世紀初頭というのは、日本の文学や美術といった芸術史上「化政期」と呼ばれる 重要な頃合いで、今現在我々が知っている有名人が、まさに活躍していた時期である。ちょっと、1802年において、誰が何歳だったか、ちょっと調べてみた。面白いから芸術家以外の有名人も載せてみよう。
<※2016/04/25追記修正:間違えた!!! 澪ちゃんが淀川の氾濫で両親を亡くすのが1802年で、物語はその10年後だ!!! なので、澪ちゃんが江戸に来たのは1812年のようで、以下の有名人の年齢は10歳プラスしてください。どうも馬琴(=清右衛門先生)が若すぎると思った……なので、澪ちゃんは1794年生まれっすね>
 ■葛飾北斎:42歳(1760年生→1849年没)浮世絵師
 ■喜多川歌麿:49歳(1753年生→1806年没)浮世絵師
 ■歌川広重:  5歳(1797年生→1858年没)浮世絵師
 ■歌川豊国:33歳(1769年生→1825年没)浮世絵師
 ■歌川国貞:16歳(1786年生→1865年没)浮世絵師
 ■歌川国芳:  5歳(1797年生→1861年没)浮世絵師
 ■上田秋成:68歳(1734年生→1809年没)読本作家・俳人・歌人
 ■山東京伝:41歳(1761年生→1816年没)浮世絵師&戯作者(作家)
 ■十返舎一九:37歳(1765年生→1831年没)戯作者(作家)
 ■曲亭馬琴:35歳(1767年生→1848年没)戯作者(作家)
 ■為永春水:12歳(1790年生→1844年没)戯作者(作家)
 ■小林一茶:39歳(1763年生→1828年没)俳人
 ■渡辺崋山:  9歳(1793年生→1841年没)画家(文人画)
 ■酒井抱一:41歳(1761年生→1829年没)画家(琳派)
 ■杉田玄白:69歳(1733年生→1817年没)医者 
 ■前野良沢:79歳(1723年生→1803年没)医者
 ■桂川甫周:51歳(1751年生→1809年没)医者
 ■平田篤胤:26歳(1776年生→1843年没)医者・国学者
※この頃はもう亡くなっていたけど、時代的に近い有名人
 ■東洲斎写楽(1820年没らしいが、1794年~1795年の10カ月しか活動してない)
 ■平賀源内(1728年生→1780年没)何でも屋の天才
 ■中川淳庵(1739年生→1786年没)医者・玄白の後輩
 ■本居宣長(1730年生→1801年没)国学者
 ■伊藤若冲(1716年生→1800年没)画家
 ■円山応挙(1733年生→1795年没)画家

 ああ、いかん。面白くなってきて収拾つかなくなって来たので、この辺でやめとこう。
 もう、ある意味GOLDEN AGEの凄いメンバーだと思う。
 で、この中で言うと、『みをつくし料理帖』に出てくる戯作者の清右衛門先生は、明らかに馬琴のことであろうと思うわけで(りう婆ちゃんが語る清右衛門先生の作品内容は明らかに『南総里見八犬伝』)、その友達の絵師、辰政先生は、どうも北斎っぽい(同じく、初登場時にりう婆ちゃんが興奮して説明した内容は馬琴作・北斎画の『椿説弓張月』のことだろう)。そして医者の源斉先生も、まさに上記の偉人たちの活躍期ということで、蘭学が発達して近代医学が芽生え始めていたことが分かると思う。桂川甫周先生は、『居眠り磐音』シリーズでもお馴染みですな。時代的に、『磐音』の物語のちょっと後で、澪ちゃんは坂崎空也くんの5~7歳年下になるのではないかと思う。<※2016/04/25追記:そうか、10年ずれると言うことは、ラスト近くで亡くなったという源済先生の恩師って、杉田玄白のことなんだな、きっと>
 こういう時代背景なので、わたしは近頃この19世紀初頭という時代に大変興味があるわけだが、今日、わたしが朝イチに一人で観に行ったのが、渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されている『ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞』という浮世絵の展覧会である。これが非常に痛快というか、実に楽しく面白い作品ぞろいで、また、まさしく『みをつくし料理帖』とほぼ同時代で当時の風俗や人々の姿を観ることができて、極めて興味深い展覧会であったのである。
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 ↑チラシです。 ↓お、プロモーション動画もあったので貼っとくか。

 上記の動画でも分かる通り、そして、『俺たちの国芳わたしの国貞』というタイトルからも分かると思うが、この展覧会は、歌川国芳と歌川国貞の浮世絵を、当時のPOPカルチャーとして捉え、そこに現代性を観ることをコンセプトとして企画されている。非常に面白い取り組みだが、正直、シャレオツ感を盛りすぎていて(髑髏彫物伊達男=スカル&タトゥー・クールガイと読ませたりとかw)、性格のねじ曲がっているわたしとしては、若干鼻につくというか、敬遠したくなるのだが、企画意図は非常に興味深いと思う。実際、この企画通り、明らかに浮世絵は現在で言うところの小説挿絵だし、ズバリ言ってしまえば、ライトノベルのイラストそのものだ。また、美人画や役者絵は、もう現代のアイドルグラビアそのものであろう。
 そういう視点は、実際以前からもあったとは思うが、ここまでPOPカルチャーとして明確に振り切った企画展示は初めてのような気がする。これが、単に「歌川国芳・歌川国貞展」では、来場者はおっさんおばちゃんばかりになってしまうだろうが、実際のBunkamura展示会場内は非常に若者たちも多く来場していて、この企画が実に成功していることが良く分かる風景となっていた。何となく悔しい気分がしてならないが、これはもう、お見事、である。むしろ、とことんPOP色に染めているので、定番のお客さんであるおっさんおばちゃんに敬遠されてしまうのでは? と要らぬ心配もしたのだが、全然そんなこともなく、老いも若きも熱心に展示を観て、そして結構うるさく喋りまくっているような、ちょっとあまり例のない展示会だったように思う。うるさい、とは言いすぎか、みんな気を遣って超小声なんだけど、とにかくそのぶつぶついう声は明らかに普通の美術展よりも大きく聞こえてました。でも、まあ、去年の『春画展』の時も書いたけれど、観て、一緒に行った人としゃべりたくなる気持ちは十分わかる。おそらくは、春画も含めて浮世絵というものには、明確にストーリー、物語が存在しているのだ。だから、観て、そういった物語に触れると、どうしても人と語り合いたくなってしまうのではないかと思う。ま、あっしはいつも通り一人なんで、しゃべる相手はいねえってこってす。はい。やれやれ。
 
 で。今回、わたしがハッとした作品を二つだけ紹介しよう。共に国貞の作品だ。
KUNISADA_OUGIYA
 まずは↑これ。詳しくは、Museam of Fine Art BOSTONのWebサイトにあるのでそっちに任せます。なんと、藍色の単色刷りと見せて、唇だけ赤を使っているのがなんともイイ!!! 藍の濃淡も非常にBeautiful。これはシリーズもので、5人の大夫を描いたものの中の1枚です。実物はすごい綺麗です。そしてもう一枚がこちら↓
KUNISADA_OUGIYA02
 こちらの作品のBOSTONのWebサイトはこちら。これは、上の大夫をカラーで描いたもので、3枚組の中の1枚。両方とも、「江戸町壱丁目(=吉原の一等地)」にあった、「扇屋」という楼閣のTOP大夫「花扇」さんを描いたものです。なんでわたしがこの絵に深く感じるものがあったか、知りたい人は『みをつくし料理帖』を全巻読んで下さい。そして、読んだ人ならわかりますよね。これは、まちがいなく、作中に出てくる「翁屋」のことですよ。どちらも1830年頃に描かれた作品だそうで、186年前のこういった作品を観られるって、やはりわたしはとても感動してしまう。実に素晴らしい。
 国貞が1786年生まれだから、当時44歳。そしてそのころ、『みをつくし料理帖』の主人公、澪ちゃんは46歳36歳だね。あと少しで読み終わるけれど、澪ちゃんが幸せになることを祈ってやみません。そんなことを思いながら、今回の『俺たちの国芳 わたしの国貞』をわたしは堪能させてもらった。大変、楽しくて興味深い美術展でありました。ちなみに、Museam of Fine Art BOSTONのWebサイトでは、たぶんほとんどのコレクションを検索で探せて、今回日本に来ていない作品もいっぱい観ることができた。こういうサービスは、日本でももっともっと充実してほしいですな。
 最後に、きっと検索でこのBLOGにたどり着いた人が一番知りたがることを書いておこう。ズバリ、土日は混んでます。なので、朝イチに行かないとダメです。昼に行っても、人の頭しか見えないと思います。浮世絵って、とにかく線がとてもとても細かくて、サイズ的にも画自体大きくないので、朝イチに行かないと魅力の半分も味わえないと思いますよ。わたしは当然、いつも通り朝イチ&前売券購入済みで楽々入場して存分に鑑賞できました。あと、図録は2500円と、まあ標準的なお値段でしたが、かなり論文や読む部分が多くて、少なくともわたしは満足です。装丁も、やけに手触りがいいのが気に入りました。

 というわけで、結論。
 何でもそうだと思うけれど、やはり、ある程度、何事も準備して損はないと思う。突然行って何の知識もなくぼんやり見るのも、別にそれはそれでアリだけど、背景をある程度知ってからの方が、その面白さや感動はもっともっと深く、豊かになると思いますよ。『俺たちの国芳 わたしの国貞』展は、ちょうど最近私が興味のある時代と一致していて、大変楽しゅうございました。以上。

↓ あとは10巻だけ。澪ちゃん……幸せになっておくれよ……。
天の梯 みをつくし料理帖 (ハルキ文庫)
高田 郁
角川春樹事務所
2014-08-09

 

 去年の11月、ニューヨークを旅した時、わたしにとってのメインイベントの一つが、The Metroplitan Museum of Art(通称:MET)を堪能することだった。詳しくはこちらに書いたので、ご興味のある方はどうぞ
 しかしMETの中は恐ろしく広大で、とにかく絵画だけは全部見ようとおよそ3~4時間ほど見物したわけだが、とても全部は見られなくて、ミイラで有名な1階のエジプト系の展示はほとんどざっとしか観ることができなかったのが残念であった。いや、別に一人でぶらっと行ったので、ちゃんと6時間でも10時間でも、好きなだけ時間をかければよかったのかもしれないけど、ズバリ言って疲れちゃったんだよね……。
 で、とにかく西洋絵画はほぼ全て回ったつもりなのだが、その中でも、わたしが事前の調べでコイツだけは外せないという作品があった。 全作品が30点ほどしか残されていない、17世紀オランダの画家、Johannes Vermeerの作品群である。どうやら、METには、Vermeerの作品が5点あるらしい。その5点の中でも、「水差しを持つ女」という作品がどうも一番有名で、まだ日本に来たことがないという。ならばここ、ニューヨークでじっくり堪能させていただこう、と、広大なMETの中を迷いながら、Vermeerが展示されている部屋に赴いたわけである。
 確か部屋は、2階の真ん中の一番奥の端っこだったと思う。どうやらGallery632らしいですね。 で、ようやく辿り着き、よし、ここか!! と勇んで展示を観た……のだが、おかしい。あれっ!? いち、にい、さん、よん……4点しか展示がない。むむ? 肝心の「水差しを持つ女」はどうした? 別の部屋か?? と思ってよく見てみると、なんと海外貸し出し中! となっていた。複製というか、解説類が展示されていたけれど、現物不在であった。マジかよ!! HOLY SHIT!! とはこのことである。
 なので、ちょっとがっかりしたものの、ほかの展示は質・量ともにすさまじく、わたしの大好きなゴッホやターナーなどは、日本での企画展なんかよりも物凄い量の展示があって、大興奮&大満足でMETを後にしたわけだが、その日の夜、ホテルの部屋でちょっと調べてみたところ、なんと貸出先は日本で、京都にて展示中だったのだ!! な、なんだってーー!? 超・入れ違い!! マジか…… こいつはBigなHOLY SHITだぜ!! と再度叫んだことは言うまでもない。
 そんな、ちょっとしたすれ違いだったVermeerの「水差しを持つ女」という作品だが、京都での展示を終え、ようやく東京に来てくれた。ならば会いに行かねばなるまい。というわけで、1/14から六本木にて開催中の『フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展』に行って、ようやくの対面を果たしたわけである。
Vermeer
 まず、この絵のことを書く前に、言いたい放題の文句を言わせてもらおう。わたしは六本木ヒルズの上にある、この美術館が前々から好きではない。何しろ、行き方がめんどくさい。何度も行っているので迷うことはないが、とにかく無駄にシャレオツで、導線もひどく悪い。わたしは常に朝イチで行くが、人出が多い時間帯に行こうものなら、もうたどり着く前に帰りたくなるレベルだ。それに、わたしはこの点が一番イラッとするが、前売券を持っているのに、いちいち窓口に並んで入館証に引き換える必要があるのも、勘弁してほしい。それなら当日チケット買うためにならぶのと同じで、意味ないのだが……。また、ライティングも、色付きLEDの暖色系で、薄暗く、作品が持つ本来の色を実に損ねているような気すらする(勿論計算されつくされた展示だろうから、決してそんなことはなく単にわたしの言いがかりだと思う)。日本の美術展は、もうそういう、無駄な雰囲気出しの演出はやめて、きっちりはっきり見えるようにしてもらいたいものだが、今回の展示もとにかく暗くて見えにくいこと甚だしく、イライラしたことを自分用記録として記しておこう。わたしにとっては、出来ることなら行きたくない美術館の筆頭である。というわけで、今回も、さほど混んでいない時間帯なのに並ばされ(1列待機の複数窓口じゃなく、複数列待機なので、列によって進む速さが違う)、長ーいエレベーターに乗せられ(待つ時もいちいち立つ場所を指示される)、半ば、やっぱりここに来るんじゃなかった、さっさと京都に観に行くべきだった、つか、もう帰りてえと思いながら会場入りした。
 で。意外とメインのVermeerに至るまでに展示されている17世紀オランダ作品が素晴らしくて、おお……こりゃあいい、と気分は上がるものの、やっぱりライティングが暗くて、画の端の方とかよく見えないんだよ!! と再びイライラしながら順番に観ていくと、ほぼラスト近辺に、お目当ての作品が展示されていた。これぞまさしく、Vermeerの「水差しを持つ女」。NYで会えなかった君に、ようやく会えた、ということで、わたしのテンションはあっさり上昇、大興奮である。
Vermeer_woman
 この絵は、やっぱりまず目を引くのが、目にも鮮やかな青であろう。この青は、一番有名な「真珠の耳飾りの少女」のターバンの青よりも深い青で、実物は非常に美しい色味であった。何気に、袖部分の3本線がスカート部分の青と同色で、デザインとしてもちょっとカッコイイ。左腕の部分、女性の被っているベール(?)が薄手なんだろうか、青いラインが透けているのもいい感じである。このベールの透け加減は、頭の部分でも、少し髪型が分かるぐらい光が透過している。光について言うと、構図的に、左に窓、そこから入る光、人物はセンターから若干左寄り、人物背後の壁には何かがかかっている、と、完全にVermeerでおなじみの構図であるので、例えば、窓にはうっすらと空と雲が映っているようだし、左手の水差しの下の銀のたらいは、テーブルクロスの赤を美しく反射している、など、非常に写実的というか写真のようだ。おそらくは朝なんでしょうな。
 この絵は、サイズは45.7cm×40.6cmだそうで、正方形に近く、ちょっと小ぶりである。まあ、Vermeerの作品はそんなにデカいものはないので、標準サイズぐらいと言っていいと思う。なお、背後の壁にかかっているのはオランダの地図だそうで、近年の科学調査によると、書き始めた時点では、もうちょっと左の方まで大きく書かれていたそうだ。ちなみにこの絵が制作されたのが1664~1665年頃だそうで、まさにオランダ(ネーデルラント)がスペインから独立して10数年の頃合いという事になる。日本で言うと江戸初期、4代将軍の家綱時代であろう。長崎の出島も築造されていて、鎖国政策の下に唯一付き合いのあった国だ。そういう歴史的背景を頭に入れておくと、Vermeerという作家の作品を観る時にいろいろ妄想が沸くので楽しいと思います。なお、もうひとつのメインのレンブラントは、たった1点だけ。METで観たレンブラントルームはすっごい充実していて大興奮だったのに、残念だよ……。

 というわけで、結論。
 ようやく会えた「水差しを持つ女」は、やはり色彩鮮やかな、美しい作品であった。これはVermeerが好きなら絶対に観に行くべきでしょうが、会場としてはあまりお勧めできないので、4月からの福島での展示に行った方が楽しいかも。そっちの方が空いているだろうし、じっくり見ることができるかもしれない。車で3時間半ぐらい、新幹線を使えば3時間かからないぐらいで行ける。日帰り楽勝なので、ちょっとした小旅行に最適だと思います。つーか、マジでもう一回、会いに行こうかな。以上。

 ※なお、当時のオランダの生活模様を知りたい人は、以前も書いた通り、この映画を観るといいと思います。その時も書いたけれど、映画としてはそれほど面白いというものではないものの、当時の生活の様子や、特にVermeerについてもっと知りたい人には超・オススメ出来ると思う。もちろん、この映画撮影当時19歳のScarlett Johansson嬢も非常に可愛いです。オランダ女性がかぶっているベールの意味もこの映画を観るとわかります。なかなか興味深いです。
真珠の耳飾りの少女 [Blu-ray]
スカーレット・ヨハンソン
アミューズソフトエンタテインメント
2013-06-26
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 永青文庫、というところをご存じだろうか? 目白台の椿山荘のすぐ近くにある、まあ博物館というか美術館のような施設なのだが、元々は、肥後熊本藩、細川家の江戸屋敷があった場所だそうで、細川家伝来の美術品や工芸品などを展示・研究することを目的として昭和25年に財団法人化され、昭和47年からは一般公開をしているんだそうだ。ちなみに熊本藩細川家といえば、宮本武蔵を客分として迎え入れ、武蔵終焉の地としてもおなじみだが、もう一つ、細川家といえば、元首相のあの人の家でもある。実際、現在の公益財団法人永青文庫の理事長は、まさにあの細川元首相その人である。まあ、永青文庫とはそんなところで、わたしも、母校に近いのでかつて2回か3回は訪れたことがあるのだが、今、連日大変な来場者でにぎわっているというニュースが報道されている。何故かというと、とある展示会がめっぽう評判だからである。わたしも、開催前からこいつは観に行く価値があるな、と思ってチケットを早々に入手していたのだが、やっと昨日、観に行ってきた。↓これ。
syunga02
 そう、わたしが観てきたのは、『SHUNGA 春画展』である。報道通りかなりの盛況であったが、これが想像よりもはるかに生々しく、ちょっと、女子と一緒に行くと若干アレかもしれないが、一度観に行った方がいいと思う。わたしが行った時は、だいたい50人ぐらいかな、人が並んでいて、まあ、会場内のうるせえことといったらもう、もうちっと静かに鑑賞できんのかね? というぐらいみんな感想を喋りまくっていて、それもちょっと驚いた。
 とはいえ、わたしも順番に展示を見始めて、すぐに理解した。確かに、観ていてしゃべりたくなる気持ちがすごくわかる。なんというか、この展覧会に限って言うと、黙って神妙な顔をして観ている方がちょっと変かもしれない。なので、わたしも、とある春画の前では、マジか、なんだこれすげえ! とか声に出してしまったり、ちょっと笑ってしまったり、普通の絵画展とはちょっと違う、なんとも不思議時空が発生していたことが印象的である。だって、展示されている絵のほぼすべてが、Hしてる絵だよ? そりゃ異様だわな。なんというか、とりあえずなんかリアクションしないと、と思ってしまう気持ちは、たぶん実際に行って体験してもらえば分かってもらえると思う。アレだね、家族でTVを観てるときに、ちょっとお色気シーンが出てきた時のような、なんとも微妙なあの空気感に近いのではなかろうか。

 というわけで、『SHUNGA 春画展』である。そもそもは、2013年秋から2014年にかけて、かの大英博物館にて開催された春画展を、日本でも開催しようとして主催者は各方面に働きかけたらしいのだが、どこの美術館も、「いやー、それ最高っすね、やりたいなー。でも、うち、公立なんで、なんかくだらんクレームとか問題視されたらマズイんすよね、いやー残念だなー、うちで開催できればなー」と、ことごとく断られてしまったんだそうだ。そういう状況で、「うちでやりましょう」と名乗りを上げてくれたのが細川家のある意味私有地である永青文庫だったんだそうだ。まあ、残念だが各美術館関係者が尻込みする気持ちもわからないではない。そして求めに応じた永青文庫はなかなかあっぱれだと思う。
 わたしがそう思うのは、実際に実物を観たからである。これは……いくら芸術だと言っても、馬鹿な文句をつける奴は絶対いるであろうということは想像に難くない。わけのわからん人権団体だとか、プロ市民の目に留まったら、一発で問題視される可能性があると思う。それほど、マジですごい生々しいというか、まあ、実際のところエロ本だもの。

 ところで、わたしが興味があるのは、春画で描かれている絵柄とか芸術性ではなくて、春画という存在そのものである。なんと言えばいいかな、絵じゃなくて、なんでそんな絵が存在しているのか、というその理由だ。いわゆる、レゾンデートルって奴ですな。
 わたしは、職業上これまでにいわゆるエロゲーと呼ばれるものもやったことがあるし、エロゲーの原画集や、もはやこれはエロ本としか言いようがないのでは、という本も仕事の中で接してきたし、そういうイラストを描くイラストレーターと仕事をしたこともあるので、実際のところ、全く抵抗はない。それは商売として成り立つ以上、倫理的にこれはちょっと……というものでない以上は、冷静にその価値を判断できないといけないわけで、別に恥ずかしくもなんともない。そんな、エロイラストに慣れ切っているわたしでも、生で見る「春画」は、すごいインパクトである。だいたい、「春画」って、いったいどういうものなんだろう? 目的は? 誰向け? など、そういうことをわたしは知りたいのだ。なので、わたしは今回の展覧会でその謎が解けるのではないかと期待したのだが、そういう、そもそも論については、会場ではちょっとわからず、やや残念であった。いや、実際には冒頭のボードに書いてあったかもしれないけれど、混んでて読めなかった。また、各作品にもきちんと解説が付いていたが、これもやっぱり人が多くて、じっくり読んでいられなかった。そんな状況なので、9割方はわたしの努力不足だったかもしれない。が、もうちょっと……分かりやすくしてほしかった。
 なので、その辺の解説を期待して、ある意味仕方なく図録を買ったのだが、これが4,000円と、まあ高い買い物になってしまった。なお、この図録は、変な判型(B5変形か?)で、また束(厚さ)も60mmあって非常に読みにくい。この点では問題アリだと申し上げておこう。本は、デザイナーはそりゃシャレオツなものを作りたがる気持ちは十分に分かるけれど、この判型・このデザインはないよ。これじゃあ、保管もしにくいし。絵が小さいのも致命的で、4,000円は高すぎると思う。ただ、紐綴じなので、180°以上開くことが容易で、単に絵を見るだけなら見やすくはある。が、なんだかすぐにバラけてぶっ壊れそうな気もしてちょっと怖い。もう少し、何とかしていただきたかった。そろそろ、業界的な統一フォーマットと統合販売ポータルサイトを準備して、図録を電子化してもいいんじゃないかな。いろんな情報もバラバラだしね、美術館ポータルサイトがあれば、非常に便利だと思う。

 ともあれ、会場内での解説や、図録を読んでいろいろ分かったことがある。これがまたすっごく面白知識満載で、ちょっと全部は披露できないが、いくつかわたしが知ったことをご紹介しよう。
 ■大きく分けて2つに分類される
 どうやら「春画」には2種類あって、肉筆(直筆)のものと、木版画の2種類に分けられる。もちろん木版画は、江戸以降の浮世絵の発達によるもの。そして肉筆のものは、かなり保存状態の良いものが多い。なんでか分かる? こっそりしまわれている場合が多かったから、だそうだ。そりゃあ、堂々と家に飾っておくものではないわな。何でも、客が来た時などに、ちょっと見せて、「どうでゲス、すごいでやんしょ? グフフフフ……」みたいなことが多かったようだ。ちょっと笑える。
 ■そもそも、何のために「春画」というものが生まれたのか?
 どうやら、「春画」には時代時代によっていろいろな存在意義があったようだ。展覧会の冒頭に展示されていた「勝ち絵」と呼ばれる春画は、なんと戦に赴く武士の鎧櫃に入れておくものとして開発されたものだそうで、春画を入れておくと勝つ、みたいな俗習があったんだそうだ。まあ、日本各地には男根崇拝とかいろいろあるわけで、ははあ、なるほど、である。ほかにも、お嫁に行くうら若き女子に、母親がそっと渡すなんてことも普通にあったらしい。要するにその場合はHow To本という事だと思う。で、江戸以降になると、木版によって大量生産が可能になり、広く一般市民にも行き渡ったそうで、貸本屋の常備シリーズとして大人気だったらしい。まあ、はっきり言って現代の「エロ本」と同じ、と言ってよいだろうと思う。みんな大好きですな。しかも、どうもこの当時は、女子も普通に見て楽しんでいたようだ。これはわたしの推論だけど、要するに、Hに対するタブー的な思想は、たぶんキリスト教的価値観なんじゃなかろうか? 江戸時代にはそんなものはなかったわけで、どうも現代人よりオープンだったように思える。
 ■同人誌の原点?
 観ていて、へえー、と非常に感銘を受けたのだが、実は江戸期の「本」の体裁になっている「春画」には(※体裁としては、屏風絵や掛け軸のような1枚ものと、木版印刷により本として綴じられているものの2種類がある)、そもそも元になる物語の本が別にあって、そのエロ・パロディともいえる2次創作本が非常に多かったらしいのだ。
 それってまさに同人誌じゃん!? とわたしはちょっと驚いた。そして笑ってしまったのが、かの葛飾北斎の作品だったのだが、絵の背景に、セリフがすごい書き込んであるのよ。そのセリフはもちろん我々素人には全く読めない崩し字なんだけど、会場にはきっちりなんて書いてあるか解説があって、その内容が、もう完全にエロ同人漫画なんだな、これが。喘ぎ声や擬音まで入ってて、それがまあ、いやらしいわけw。ここはわたしは思わず声に出して笑ってしまった。好きですのう、北斎先生!! ちなみに、北斎はもとより、歌麿や北尾正成、菱川師宣といった超一流のプロ浮世絵師たちはほぼ全員、「春画」を描いている。彼らこそが、プロ同人作家の元祖だったわけだ。しかも、おそらくはすべて版元(=出版社)からの発注で描いているわけで、そういう意味ではまさしく現代のイラストレーターと完全に一致している。これは面白い!! だから、高尚な芸術である、と理解する必要は全くないと思うな。実際エロ本だと思うよ。
 ■取り締まり
 いつの時代にも、これはわいせつじゃ!! けしからん!! と言い出す奴はいたようで、江戸期にも、お上の弾圧はあったそうだ。いわゆる寛政の改革によって、一時期「春画」は取り締まられ、発禁となったらしい。18世紀末のころのことで、かの有名な版元の蔦谷重三郎は財産を半分なくしてしまったそうである(もちろん全部が「春画」のせいではないけれど)。でも、そういう取り締まりが行われたからといって創作活動をやめるわけもなく、単に地下に潜っただけのようで、そのあたりも現代と全く変わりないわけだ。これは、たぶん表現の自由とか、そういう問題じゃないと思う。純粋に、商売として儲かるから、ほしい人がいっぱいいたから、続けたんだと思うな。我々現代人にとっては、表現の自由は絶対に守られるべきものではあるけど、江戸人にそんな感覚はなかったと思う。
 ■BLの起源!?
 はい、腐女子の皆さんお待たせしました。ありましたよ、ばっちり。いわゆる「衆道」の「春画」も結構展示されていた。ので、観て、うわぁ……とやや引きました。どうも江戸以前の作品に多かったような印象です。BLとか衆道という言葉が分からない良い子の皆さんは、わからなくていいんだよ……。

 もっともっと、いろいろなことを書きたいが、キリがないのでこの辺にしておく。なお、わたしとしては果たしてこういう「春画」的なものは日本独自のものなのか、それとも世界中どこにでもある文化なのか、それが非常に知りたかったのだが、その辺の解説のようなものがなくて残念であった。ただ、やっぱり幕末期に日本を訪れた外国人は皆一様に驚いたらしい。なんじゃこりゃ、と。あと、中国やインドあたりでは古くから、いわゆる『カーマ・スートラ』的な、「房中術」として春画めいた絵はあったようだが、基本的にはHow Toとしての実用書的性格のものだったようだ。娯楽としての春画は、まだわたしもはっきりわかっていないが、どうもCOOL JAPAN ORIGINALっぽい。実際のところどうなんだろう。たぶん、西洋キリスト教文化においては存在し得ないものではなかろうか? あったとしても、もっと全然アングラというか素人的なものしかなかったんじゃないかな……。もうちょっと調べてみたいと思う。

 というわけで、結論。
 『SHUNGA 春画展』は、真面目な話、かなり必見であると言っておきます。非常に興味深い。ただ……どうなんだろう、性的なものに対して抵抗のある方、免疫のない方は、やめたほうがいい。完全モロなので、そういう方にはちょっと刺激が強すぎると思います。一人で行った方がいいのかな……ぼっちのわたしは自動的に一人で行かざるを得なかったが、さすがに、仲の良い女子に「春画展行こうぜ」と誘う勇気はなかったです。平日は20時までやってますので、定時ダッシュ出来れば見れますよ。あと、この展覧会も前期展示と後期展示に分かれるようなので、後期展示を観にまた行くつもりです。

↓ コイツでも買って、ちょっと真面目に勉強してみたい。高っけえんだよな……27,000円ナリ。

 わたしはこう見えてかなり美術、とりわけ西洋絵画と日本の陶芸に大変興味があり、大学生の頃から足しげく美術館に通っている。上野はもちろん何度も何度も通っているし、わたしが大好きな美術館である目黒の東京都庭園美術館や、表参道の一番奥にある根津美術館には、当時バイク野郎だったわたしは何度も通って3時間ぐらいぼんやりしていたものだ。この二つの美術館は庭が広くて、当時はバイクを置く場所もあり、とても気持ちのいい場所だった。それから、東京駅から歩いてすぐのブリジストン美術館も、たぶん、わたしが思うに常設で持っている作品のクオリティが最も高い美術館として、何度も通ったものだが、つい先日、何も調べないでふらっと行ってみたら、なんと長期休館中だった。どうやらビルの建替えのようで、いつ再開するか不明らしい。まあ、生まれ変わって再開する日を待つしかなかろう。
 そんなわたしが愛する、絵画の三大作家と言えば、ゴッホ・ターナー・マグリットの3人で、それぞれ時代も国籍もばらばらである。ゴッホはご存知の通りポスト印象派の代表選手でオランダ人だし、ターナーはロマン主義を代表するイギリス人、そしてマグリットはシュールレアリスムを代表している、かは微妙かも知れないが、まあ有名なベルギー人だ。ゴッホは、いつでも新宿の東郷青児美術館に行けばかの『ひまわり』に会えるし、マグリットも、一応横浜美術館が持っている作品があるので、コレクション展で見ることができる(常設で常に見られるわけじゃない)。ターナーは、残念ながら国立西洋美術館に素描ぐらいしかないので、見たくなったらロンドンのナショナルギャラリーか、テート・ギャラリーに行くしかない。
 実はわたしが、この3人の作家を知ったきっかけは、小説や漫画に出てきたからである。
 ゴッホは、もちろんそれ以前からよく知ってはいたが、大学生のときに読んだColin Wilsonの『The Outsider』というものを読んでからより深く好きになったという経緯がある。↓この本。わたしが持っているのがこの集英社文庫版。とっくに絶版です。
アウトサイダー (集英社文庫)
コリン ウィルソン
集英社
1988-02

 Colin Wilsonは、小説家でもあるけど同時に思想家でもあり、この『The Outsider』はわたしの大学時代の哲学科の友達にもらったもので、これは……小説ではなくてまあ思想書ですな。1956年に発表され、当時の若者に非常に支持されたベストセラーだということは、その哲学科の友人に教えてもらって初めて知った。映画オタクのわたしは、Francis Ford Coppla監督の『The Outsiders』の原作か? と軽く勘違いしながらも、そういうことを教えてもらって、ふーん、と思って読んだことを良く覚えている。そして、確かにめっぽう面白かった。この本には、何人かの「アウトサイダー」と定義される局外者、何と言えばいいのかな、要するに社会に適合しない、その外側にいる人? というニュアンスかな、そういう人物について考察された本だけど、その中で、ゴッホがかなりのページ数を割いて論述されていて、それ以降、ゴッホがすごく好きになった。時折りしも時代はバブルであり、まさしく当時の安田火災が大金をはたいて『ひまわり』を購入し、自社所有の東郷青児美術館で公開した直後の頃の話である。あの頃は、わたしも10代の小僧でしたのう……。
 ターナーは、高校生の頃に出会った作家だが、きっかけは、夏目漱石の小説である。そもそも漱石の小説には、絵画について言及される部分がけっこうあるが、ターナーについて語るのは、『坊ちゃん』でのあの小憎らしい「赤シャツ」である。その部分を読んで、へーと思っていたら、ちょうど国立西洋美術館で「ターナー展」が開催され、確か学校帰りに観に行った覚えがある。これは1986年のことで、当時お金が全然なかったのに、奮発して図録を買った高校生当時のわたしを褒めてやりたい。今でもたまに眺めることがある、大切な一品だ。おととし2013年にも開催されたターナー展には、赤シャツが『坊ちゃん』の中で言及している絵も来ていて、ああ、漱石はこの絵を100年以上前のロンドン留学中に、今のオレみたいにボケーっと見てたんだなあ……と思うと非常に感慨深かった。↓この絵ね。
tuner
 で、最後のマグリットだが、実はこの作家の作品を知ったのは漫画である。かの藤子不二雄先生の『魔太郎がくる!』の中でマグリットの絵が紹介され、それについて非常に印象深い話になっているのだ。たぶん、わたしが読んだのは小学生の頃だと思うが、わたしと同年代で、『魔太郎がくる!』という漫画を知っている人なら、絵画に興味がなくても、この絵を見たら、あれっ!? どっかで見たことがある!と思うのではなかろうか。↓これ。
magritte
 以来、ずっとこの絵の本物が見たいと思っていたが、たしかこれもわたしが大学生のときだったが、竹橋の国立近代美術館で大きな「マグリット展」が開催され、念願の対面を果たした思い出がある。本物はやっぱりすげえ!! と大興奮したものだ。もちろん、今年の春に新国立で開催されたマグリット展も喜び勇んで出かけたが、確か、↑の絵は来てなかったと思う。なお、わたしの人生の野望は、いつか、マグリットの本物を手に入れ、自分の部屋に飾ることだ。出来ないことじゃない! と、たまーに自分を叱咤しています。無理かなぁ……。

 というわけで、今日も相変わらず無駄に前置きが長くなったが、わたしの趣味はどうでもいいとして、おそらく、日本人に一番人気のある絵画は、いわゆる「印象派」の作品であろうという気がする。まあ、根拠は特にないのだが、やたらと印象派の作品展が多いような気がするし、なんとなく、これまた根拠はないけれど、日本人で一番ファンが多い画家と言えば、かのルノアールなのでは、と思う。いや、もちろん、喫茶店のルノアールじゃなくてPierre-Auguste Renoirのことですよ。そして、おそらくは、ルノアールと並んで人気のある印象派の作家と言えば、『睡蓮』シリーズでおなじみのモネだろう。非常に繊細かつ大胆な筆致と絶妙な色彩センスがすごいとわたしは思っているのだが、今日、久しぶりにその真髄に触れてきた。
 現在、上野の東京都美術館で開催中の『モネ展』は、いろいろ報道されている通り、非常に賑わっており、激混み必至である。基本的に、わたしは混みそうな絵画展に行くときは、必ず朝イチで行くようにしている。その様子を事前に調べ、ホントにヤバそうならば、開場の60分前には現場着ぐらいの勢いで出かけることが多いのだが、まあ今日は天気が悪いしね、と勝手に決めつけ、40分前に現場に到着したら、すでに結構な人だかりとなっていた。それでも、会場時にはわたしの後ろに5倍ぐらいかな、もっとかな? とにかくまあすごい多くの人々が並んでいたので、まあ許される範囲であろうと自己納得することにした。わたしが朝イチにこだわるのは、当然ながら邪魔されたくないからである。うおーーーー……と絵にひたっているのに、前をちょろちょろされたくないし、人の頭越しに絵を見たくもない。なので、なるべくベストな状態で見るには、もう朝イチに行くしかないからしょうがないのだ。そして、必ず事前にチケットは手に入れておくこと。開場して、チケットを買う、ではダメなんだよね。ま、気持ちの問題ですわ。今日は、わたしの前に100人はいなかったと思う。で、傘を傘立てに置く人(※長傘は館内に持ち込めません)やチケットを買う人、荷物をロッカーに入れる人などを置き去りにして、館内に入ったわたしの前にはたぶん3~40人ぐらいだったんじゃないかな。これなら十分OKラインだ。と、いうわけで、じっくり堪能させてもらった。
 わたしは、もちろんモネも好きだが、それほど執着はないのであまりに混んでいるならやめとくか、とは思ったのだが、今回の『モネ展』には、どうしても観ておくべき作品が来ている。それが↓これ。
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 1872年制作の「印象、日の出」という作品である。なんでも21年ぶりの東京での展示だそうで、90年代後半は、わたしはあまり絵画展に行っていないので、わたしは(たぶん)初めて観ることになった絵だ。この絵がどうして「観ておくべき」なのかというと、「印象派」という名前の元となった作品だからである。この作品をもって、印象派という流れができたわけだが、50cm×65cmなので、あまり大きな絵ではない。が、やっぱり本物のオーラはただ事ではないものがあって、この絵を前にしたわたしは、う…おぉ……といううめきのようなため息しか出ない。すげえ!! と大興奮である。なんでも、天文学者や数学者が集まって、この場所のこの位置に太陽が来るとすると……と計算したところ、この絵は1872年11月13日のAM7時25分から35分の間であろう、という結果が出たそうだ。へえ~。そこまで正確に計算しなくても、別に、えーっと、はい、大丈夫ですので。と思ったw
 また、今回の展示のライティングも非常に優れていて良かった。やっぱり、LEDってのは偉大な発明なんだろうなと思わざるを得ない。だいたい、絵画展では照明が非常に、いや極めて、つーか最も重要だと思う。なにしろ、色をちゃんと見るためには、当然太陽光の自然光で見るのがいいのかもしれないが、基本それはもう現代の美術展ではほぼあり得ない。だからライティングが最重要で、つい最近までは普通に蛍光灯、スポット白熱灯だったので、熱の問題もあるし、なにより色味が台無しになる恐れがあったのだが、偉大なるLEDはその問題をかなり容易にクリアできる可能性を秘めている。で、今回のこの<印象、日の出>のライティングは、非常に絶妙で、まるでバックライトで照らされたかのように明るく色が鮮やかだったのだ。上に貼った画像では本物の色を想像できないと思うよ。どうやら、わたしと同じ想いを抱いた人も多いようで、近くに立っている係員に「これ後ろから光当ててるんですか?」と聞くおじいちゃんもいた。登りつつある太陽は極めて強いオレンジで、まるで直接太陽を見たかのように目に焼き付くし、水色、緑も非常にヴィヴィットだった。ホント、お見事な展示でありました。わたしとしては、この企画に奔走したであろうと思われる学芸員の皆さんに賞賛の拍手を送りたい。

 が、しかし。ひとつだけ文句がある。なんで? なんでこの<印象、日の出>を通期公開しないのよ!? まあ、なんらかのやむを得ない事情があるんだろうけどさ、明日10/18までの限定公開ってホント意味ないと思うんだけど。わかんねえ。何でそんなことするんだろう。実際、最近の絵画展や博物展は、前期・後期で作品を分けて展示することが非常に多い。まあ、もちろんそれには、主催者としても断腸の思いがあるような、複雑な事情があることは想像に難くないが、もし、万一それが、リピーター獲得のため=動員を伸ばすため=儲けるため、とかだったら、マジふざけんなと言いたい。そんなことがないことを願います。

 というわけで、結論。
 やっぱりモネもすごかった。そして混雑振りもすごかった。わたしが帰るときはズラーーーーっと並んでいて、これで絵が見られるのかしらと他人事ながら心配なレベル。もうちょっと、早起きして来ればいいのに。
 いずれにせよ、絵画であれ、演劇であれ、コンサートでも何でもいいけど、とにかくやっぱり、生で観ることには大いなる意義がありますな。映画もそうだと思う。いくら大画面でも、劇場で観るべきだと思います。そしてそういう、生でないと本当の体験にはなりにくいんじゃなかろうか。そう思いませんか?


↓ この着物を着ている女性の絵も、モネです。ご存知の通りモネも浮世絵大好き作家です。ちなみに、この赤い着物を着た女性の絵は、タイトルが「ラ・ジャポネーゼ」というのだが、去年の世田谷美術館で開催された『華麗なるジャポニズム展』のメインとして来日し、展示されました。当然わたしも観に行ったのだが、これがまたすげえデカイ絵で、縦2m以上はあったんじゃないかな。その迫力に、うぉっ!! マジか!! とビビりました。非常に素晴らしい絵でしたよ。

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