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 まったく、ワシは何をしとったんじゃあ……
 と、わたしは昨日の夜、WOWOWで録画しておいた映画を観て、つくづく思った。2018年5月公開の作品なので、間違いなく言えることは、この映画を劇場へちゃんと観に行っていたならば、確実に2018年にわたしが観た映画ベストの3位ぐらいにランクしていただろう、と断言できる。なんなら1位にしてもいいぐらいだ。
 ほんとに、ワシは去年、なんでこの映画を劇場に行かなかったんじゃ……アホだった……と深く後悔したわけだが、その映画とは、東映作品『孤狼の血』であります。わたしの髪を切ってくれているイケメンのヘアスタイリストさんとわたしは、どういうわけか『仁義なき戦い』シリーズが大好きという共通点があって、去年、この映画について、観に行かねえとダメなんじゃないすかねえ、とか言っておきながら、わたしもイケメンさんも、まんまと見逃してしまったのだが、さすがわたしの愛するWOWOWですよ。公開から1年もたたずに放送してくれたので、さっそく録画し、昨日の夜、もはや何もかもやる気にならず人生について軽い絶望を抱いたわたしは、そうだ、アレを観よう、と思ったのであった。
 そして観た結果思ったのが上記のことである。本当にこの映画は劇場でちゃんと観るべきだった! と後悔するほど素晴らしい出来で、おまけに予想外な展開には泣けるほどの感動?すらあり、わたしとしてはもう、この映画は大絶賛いたしたく存じます。
 ただまあ、基本ヴァイオレンス&血まみれアリな映画だし、いきなり冒頭からショッキングな拷問シーンから始まるので(※ただしその拷問シーンは物語上とても重要)、そういう方面が苦手な方にはお勧めできないけれど、そうだなあ……これは全おっさんに向けては超おススメ、であります。これは観た方がいいっすよ!
 というわけで、以下、なるべくネタバレしないよう気を付けるつもりだけれど、とにかくまだ観ていない人は、ここらで退場して、観てから戻ってきてください。絶対に何も知らないで観る方がいいと思います。

 というわけで、まあ、物語は予告から想像されるものとは、そう遠く離れていない、とは思う。わたしは去年、何度かこの予告を劇場で観て、まあ、アレかな、Denzel Washington氏がアカデミー主演男優賞を受賞した名作『Training Day』的なお話かな、とか思っていた。要するに、あの作品でDenzel氏演じた悪徳警官を日本が誇る最強役者である役所広司氏、そしてEthan Hawke氏演じた正義漢の若い警官を、若手イケメン松坂桃李くんが演じるのかな、的な想像である。
 実際、その想像は間違ってはいなかったと思うが、わたしは全然わかっていなかったことがあった。それは、ちょっと考えればわかることなのだが、本作は、日本映画であり、東映作品であり、そして舞台は広島、である。つまりそれは往年の『仁義なき戦い』シリーズのDNAを内包していて、日本人のわたしが観ると、『Training Day』とは違った恐ろしさというか、身近な恐怖というか、要するに、より一層リアルでおっかねえ、のである。加えて、本作の時代設定が1988年=昭和63年=暴対法制定以前というのも、当時大学に入りたてだったわたしとしては、十分に時代の空気を知っているため、さらにそのリアル感は増強されていたようにも感じた。
 現代社会では、いわゆる暴力団のことを反社会的勢力とか言って、上場企業の経営企画の人間としては「反社」という略称を使って、あらゆる契約には必ず、「反社との付き合いはないですよね?」と相手先の表明保証を求めたり、取引先の「反社チェック」なんかもよくやるのだが、北野武監督の『アウトレイジ』シリーズがまさしくその「反社」そのものを描いた作品である一方で、本作の主軸はあくまで「警察」である。そこが大きく違うし、また、本作は悪徳警官(としか見えない)役所氏と、若干青臭い正義漢の松坂くん、という二人の演技合戦が真っ向勝負でぶつかっていて、その点も『アウトレイジ』とは大きく印象の違う作品であろうと思う。言うなれば、『アウトレイジ』は「悪VS悪」の対決であるのに反し、本作は「悪VS善」の対決が描かれるわけだが、問題は何をもって善悪を判断するか、という境界線にあって、そこに本作最大のポイントがあると言っていいだろう。
 こう考えると、そういうテーマはわたしの大好きな作品『SICARIO』にも通じるモノがあるのだが、『SICARIO』は完全にドライに割り切った、屈強で冷徹な男たちだったのに対し、日本はですね、やっぱりもっとウェット、というか、ハートがあるんですなあ……! そこにわたしは相当グッと来てしまったのであります。いやあ、本当になんつうか、感動したっすね。役者の芝居も、脚本も撮影も、それらが一体となって見事な作品だったと絶賛したいと思う。
 あーーーくそう、ネタバレを気にすると本当に何も書けない!
 ので、キャラ紹介と演じた役者陣をまとめて終わりにします。が、登場キャラがすごく多いので、あくまでわたしが、重要キャラと思った方だけにします。どうでもいいけど、女優陣はことごとくエロいす。つうか、マジで見た方がいいっすよ!
 ◆大上省吾:おおがみ、と読むことから通称「ガミさん」。広島県警呉原署刑事課所属の巡査部長。マル暴担当で、もうその捜査は違法行為満載で、誰がどう見ても真っ黒け。また、なにやら14年前に殺人に関与したという噂もあって、呉原(=一応架空の街)を仕切る反社組織の尾谷組と仲がいい、ようにみえるが、実は――なキャラ。演じたのは散々書いている通り役所広司氏。とにかく凄い、迫真の芝居ぶりが素晴らしい! 本当に役所氏は日本最高レベルの役者だと思うすね。最高でした。
 しかし思うに、この物語から30年を経た現代では、ガミさんのような刑事はもう絶滅してるんすかねえ……なんでも録画して、なんでも正論をかざした自称正義がまかり通る現代では、生きていけないだろうなあ……。悪には悪を、毒には毒を、的な理論は通じないでしょうなあ。普通で平和な毎日を送っている我々としては、反社なるものは若干の他人事感のような、自分とは関係ない的な感覚を持っていると思うけれど、実際は我々の暮らす日常のすぐ隣に間違いなく存在しているわけで、「法」が我々を守ってくれる、みたいにのんきには思わない方がいいんでしょうな。もはや警察がが守ってくれるとは思えないし、出来ることはやっぱり、君子危うきに近寄らず、しかないような気がしますね。我々、ちっとも君子じゃねーけど。
 ◆日岡修一:広島大学を卒業した警官(たぶん単に大卒なだけでキャリア組ではない)。そのため通称「広大(ひろだい)」と呼ばれている若者。ガミさんと組まされて振り回されるが、実は県警本部から送り込まれた監察官でもある。これは観てればすぐわかるのでギリネタバレじゃない判定をしました。彼は社会経験も少なく、人間としてまだ未熟なわけで、縋るものは「法」しかないわけだが、その遵法精神はガミさんの捜査に同行しても揺るがず、相当な気合で耐え忍んで、ガミさんにちゃんと異議を唱えるガッツある若者でした。わたしはどんどん揺らいでいくのかと思っていたけど、結構軸がブレることがなく、実は相当立派な男なのではないかとすら思った。しかし後半、予想外の出来事にとうとう彼の心は、「境界線」を踏み越えることに―――? 的なキャラ。演じたのは、わたしが若手イケメンで一番カッコイイんじゃないかと思っている、シンケンレッドでお馴染み松坂桃李くん。わたしは彼はかなりの演技派だと思っているのだが、本作でも非常に素晴らしかったすね。本作は、何気にチョイチョイと長回しのシーンがあるのだが、中盤から後半にかけて、役所氏がすっごい長いセリフを言うシーンで、桃李くんは酔っ払っていてただ聞いているだけ、のシーンがあって、そこではもう、役所氏の圧倒的な演技力はもちろん素晴らしいんだけど、実は聞いているだけの桃李くんの方も、その聞き方というか、ちらっと役所氏を見たり、何か口を開きかけたり、というような、受けの演技も超素晴らしかったとわたしは絶賛したいと思う。ホント、桃李くんはイケメンだけじゃあない男ですよ。ラストもカッコ良かったすねえ! きっと広大は、今頃かなり出世していると思います。最高でした。
 ◆高木里佳子:尾谷組の縄張りにあるクラブ「梨子」のママ。とにかくエロイ。ガミさんを深く信頼しているが、その理由は後半明らかにされます。なんか泣けるんすよ……。演じたのは真木よう子さんで、このお方の演技がうまいと感じたことはあまりないけれど、今回は大変良かったすね。そしてなにより、控えめに言ってもエロいす。最高でした。
 ◆岡田桃子:ガミさんがよくけが人を連れて行く薬局のアルバイト女子。冒頭でボコられた広大を連れて行ったとこがきっかけで、その後広大と関係を持つのだが、実は――なキャラ。演じたのは阿部純子さんという方で、わたしは全く知らない初めて見るお方だったのだが、非常に印象に残る演技でした。……なんつうか、メイクやファッション、あるいは暮らしている部屋なんかが醸し出す絶妙な昭和感が、妙にリアルで、なんかエロいんすよ……。実に正統派の美人で、非常にイイすね。ラストに登場する姿も、実に極上です。最高でした。
 ◆上早稲潤子:冒頭の拷問シーンで殺された男の姉として、ほんのワンシーンだけ登場するキャラなのだが、とにかくまあ、エロイ雰囲気バリバリなお方。わたしは、あれはいったい誰が演じてたんだ? と分からなくて調べたら、元グラドル/現ママタレ?のMEGUMIさんであった。そのエロさ、衰えなしの強い印象が残るお役でしたね。最高です。
 ◆一之瀬守孝:尾谷組の若頭。現在尾谷組組長は鳥取刑務所で懲役中なので、実質TOP。わたしとしては本作で一番ヤバイ反社のお方。スーツ姿で頭が良さそうな極道は一番怖いすね。ただ、本作では実はそれほど大きな役割はなく、最終的には――なキャラ。演じたのは見た目クール But 中身凶暴な悪党が良く似合う江口洋介氏。大変カッコ良かったと思うすね。なお、対抗組織の加古村組若頭は、これまたイケメンの竹野内豊氏が演じているのだが、冒頭の拷問シーン以外、あまり出番がないんすよね……それがとても残念というか、イケメンの無駄使いだったような気がします。江口氏と竹野内氏の壮絶バトルもみたかったすね。そこだけ残念す。
 ◆五十子正平:加古村組の上部組織である五十子会の会長。一番の悪党、かな。ラストは超ざまあです。でも、クソ野郎成分としては、この会長よりも手下どもの方が上で、彼らの末路も見たかったかもしれないす。出来れば血まみれで。演じたのは石橋蓮司氏で、登場してきた瞬間に、ああ、このおっさんはタダじゃすまないでしょうな……と思わせるのは、やっぱり蓮司氏の芝居が素晴らしいからだと思う。実際、タダでは済みませんでした。
 ◆瀧井銀次:五十子会の下部組織である右翼団体の長で、ガミさんとは長い付き合い。通称「ギンさん」。ラストの決断は男を見せたっすね。大変良かったと思う。演じたのはピエール瀧氏で、おっかない中にも、本作で唯一コミカルっぽいところも見せてくれました。
 ◆嵯峨大輔:広島県警の監察官で、広大こと桃李くんを呉原署に送り込んだ人。実はコイツの狙いは……というのはまあ、予想通りかも。演じたのは滝藤賢一氏。残念ながらこの人も、出てきた瞬間に絶対悪い奴だろうな、と予感させるお方でした。
 とまあ、他にもキャラはいっぱいいるのだが、大体こんなところかな。とにかく役者陣の演技合戦はとても素晴らしいし、その芝居の元となる脚本も極めて上等、そして役者を引き立てる撮影・演出も大変お見事でした。くっそう、ホント、なんで俺はこの映画を劇場に観に行かなかったんだ……! マジで劇場に観に行かなかったことが悔やまれる傑作であり、大いにお勧めいたしたく存じます。

 というわけで、結論。
 去年劇場公開され、観たかったけれど見逃していた映画『孤狼の血』がWOWOWで放送されたので、さっそく録画し、昨日の夜ぼんやり見てみたわたしである。結論としては超傑作、非常に面白かったと申し上げたい。まず脚本が素晴らしい出来であり、その脚本にキャスト全員が最高の演技で見事にこたえ、撮影や演出もばっちり決まっている、という近年まれにみる素晴らしい日本映画だったとわたしは思う。本当に久しぶりに、ちくしょー! なんで劇場に観に行かなかったのだ! と悔しい思いだ。なんつうか、ひょっとすると、わたしの琴線に一番触れたのは、わたしの青春時代である1988年という時代設定と、画面から伝わる絶妙な昭和感、なのかもしれない。キャラ設定も、実のところよくあるパターンのような気もするけれど、これがまた、現代社会では絶滅してしまった、昭和の男感が溢れているような気もしますね。というわけで、わたしはこの映画がとても気に入りました。恐らく今後、何度もまた繰り返し見るような気がします。控えめに言っても、最高ですね。以上。

↓ これは原作小説を読んでみたい気がしますね。
孤狼の血 (角川文庫)
柚月裕子
KADOKAWA
2017-08-25

そして配信でも観られますので、是非!
孤狼の血
役所広司
2018-11-02

 わたしは映画や小説、漫画などの「物語」というものを、ほぼ毎日味わっているわけだが、好みとして、やっぱり主人公の言動に共感し、ともに物語の世界を歩みたいわけで、主人公に共感できないと、どうしても面白いとは思えないし、読んでいてあるいは観ていて、実に苦痛である。
 これは別に、主人公には善人であってほしい、というわけではなく、悪党であっても、きちんと「だからこうする」という理由のようなものがあって、それが徹底されていればいいわけで、一番わたしが嫌悪するのは、考えの底が浅く、「なんでお前はそんなことを?」というのが全く理解できないような、うすらトンチキ、あるいは悪意の塊、のようなキャラである。そういうキャラは、ああ、コイツはさっさとくたばらねえかなあ、とか思いながら物語を見物することになるが、それが主人公がそういうトンチキだと、もはや結末もどうでもよくなってしまうというか、つまんねー話、という最終結論に至るのである。
 というわけで、わたしは今日、東宝作品『来る』を観てきたのだが……これは……我ながら面白いと思ったのか、つまらねえと思ったのか、まだよくわからないという不思議な作品であった。今現在、わたしが確信を持って言えそうなことは、役者陣の熱演は極めて上質で素晴らしかったことだけであろうと思う。脚本(=物語)、演出、これについては……どうなんだこれ……ズバリ言うと、全然怖くなかったすね。つうか、極論かもしれないけど、この映画って、ひょっとしてコメディだったのかな? そんな気さえしている。
 というわけで、以下はネタバレに触れる可能性が高いので、これから観ようと思ってる人、あるいは超最高だったぜ、と思っている人は読まずに退場してください。

 わたしがこの映画を観ようと思ったのは、この予告を観て次のことを思ったからだ。一つは、うおお、岡田くんカッコいいなあ! ということ、そしてもう一つは、久しぶりに松たか子様の強力な演技が観られそうだぞ!? という2点で、物語としては、幸せな夫婦の娘を狙う「アレ」なるものを祓う話だろう、とうすらぼんやりと見当をつけていた。
 が。ズバリ言うとわたしの予想は大筋では間違っていないものの、物語はかなり予告から想像していた展開ではなく、かなりの変化球であったと思う。物語の具体的な流れはもう説明しないが、おそらく原作小説は、まさしく湊かなえ先生の『告白』的な、1人称小説&章ごとに語り手が変わるタイプなんだと想像する。しかし、映画としてその構造がうまくいってるかは、かなり疑問だ。
 普通に考えて、1人称で語り手がチェンジする物語の面白さは、芥川の『藪の中』、あるいは黒澤明監督の『羅生門』的に、一つの共通した事象について、観る人が変わるとその内容も全然違ったものになる、という点にあると思う。さらに言えば、それぞれのキャラクターの言い分も実は全然事実と違ってた、という展開もよくあって、そこに、な、なんだってー!?という真実が明らかにされる(あるいはまさしく真相は藪の中で終わる)というのが王道だろうと思うのだが……。
 本作では、まず最初に夫がいかに満点パパだったかというなかなか気持ち悪い物語を観せられる。次に妻の視点から、夫は100点どころか0点でさえなく、マイナス100点のクソ野郎だったことが語られる。しかし観客としては、そんなこたあどう観ても分かってて、でしょうな、としか言いようがなく、妻もまた、(夫がクソ野郎だったからとはいえ)なかなか香ばしい人物だったことが提示される。そして、二人がこの世を去った後、第三者が必死で後始末をつける顛末が最後に描かれるわけだが、残念なことに、事件の核心たる「アレ」については、問題とされないのだ。「アレ」こそが核心であり、それを様々な視線から見た時の違いが、映画的に面白くなるはずだったと思うのだが……単に夫婦の裏の顔ともいうべき本性が暴露されるだけなので、はっきり言って底が浅く陳腐だ。結果として、そもそもの「アレ」が何故いつまでも娘を狙っているのかがさっぱり分からない。まあ、「アレ」の行動原理など分かりようはないので、それはそれでいいのかもしれないけれど、わたしにはどうも釈然とせず、結論として、なんだったんだ……としか思えないのであった。
 というわけで、各キャラクターと演じた役者をメモして行こう。
 ◆田原秀樹:夫。最初の語り手。たぶんそもそもの元凶。一言で言えばクソ野郎で、見事死亡する。わたしは心の底からざまあとしか思わなかった。が、コイツが死んでも「アレ」は収まらず。コイツはどうやら幼少時に一人の少女の失踪事件に関係があったようで、それがそもそもの元凶だったのだと思うが、その事件が何だったのかは結局なにも描かれず。単に、その失踪した少女に、「うそつきだからお前もそのうち狙われるよ」と言われていた過去だけが描かれる。そして大人になったコイツは、まさしくとんでもない「うそつき」野郎で、救いようのないゲス野郎に成長。結婚前も後も会社の女に手を出しまくっていたらしい。つうか、お前は結局何だったんだ? なんで「うそつき」な人間なのか、説明が欲しかった。あの実家のクソどもに育てられたからってことかな? こんなゲス野郎を、超見事に演じた妻夫木聡くんは本当に演技派だと思う。何が見事って、コイツのような外面だけよくて実はゲス野郎、っていう人間は、もうそこら中に普通にいそうなんですよね……。そのリアルさが超見事だと思います。しっかし……結婚式などでいかにも訳アリげだった会社の女は、物語において何の役も果たさなかったのは何だったんだ……。
 ◆田原香奈:妻。第2の語り手。この人は恐らく完全に被害者(だよね??)なので許してもいいかも……まあ、精神的に虐待されてたともいえそうだし、実の母もクソ女だし、気の毒だったと思うべきなんだろうな……。余裕で浮気してた(? しかも夫は知ってたっぽい。NTRを喜ぶ変態だったってこと?)ことは、利用されたってことで許してもいいか。でも、まあ、男を見る目がなかったってことですな。そんな薄幸の女子を演じたのが、若干幸薄そうな昭和顔でお馴染みの黒木華さん。これまた超見事な演じぶりで、控えめでおとなしそうな妻の顔、何もしない夫と言うことを聞かない娘にブチギレる母の顔、そして珍しくドぎついメイクで男に抱かれる女の顔、の3つを超見事に演じ分けてらっしゃいました。実際素晴らしかったと思う。初めて黒木華さんをエロいと思ったす。
 ◆津田大吾:どっかの大学の准教授。秀樹の高校時代の親友。ホントに親友なのかは相当アヤシイ。お互いがお互いを利用してただけというか、ま、薄っぺらい友情だったんでしょうな。そしてコイツも残念ながらクソ野郎で、どうやら秀樹が生きているうちから英樹の会社の女や、あまつさえ香奈にも手を出してた模様。しかも、コイツが「アレ」を呼び寄せるお札を仕掛けていた事件の張本人(?)なのだが、この伏線というか仕掛けをもっと物語に上手に盛り込めたはずなのに……ほぼ詳細は語られず。ま、最終的には見事死亡して、心底ざまあです。演じたのは青木崇高氏。優香嬢の旦那ということ以外、よく知らないす。まあ、あんな准教授はいないでしょうな。リアル感ゼロ。
 ◆野崎:第3の語り手。フリーライター。口は悪いけど、本作では一番の善人。とにかく演じた岡田准一氏がカッコイイ! ルックスのカッコ良さはもちろん、しゃべり方もカッコいいし、非常にそれっぽい。要するに演技的に一番素晴らしかったと思う。さすがはジャニーズ演技王ですよ。しかし、野崎についても、元カノと堕胎した子供に関するエピソードは、部外者たる野崎が「アレ」と対峙する重要な動機であるにもかかわらず、中途半端にしか描かれていないのは残念に思った。結果的に野崎はかなりお人よしにしか見えないことに……。
 ◆比嘉真琴:野崎の現・恋人なのか? 職業はキャバ嬢らしいが(キャバシーンは一切ナシ。普段何してるのかちゃんと描写してほしかった)、沖縄のシャーマン的な一家の出身で、霊感バリバリなパンク女子。真言を唱えていたので仏教系術者か? メイクはアレだけど相当可愛い。秀樹→津田→野崎と依頼されて、最初に「アレ」と対峙するが……。演じたのは小松奈菜ちゃん。今までの可愛らしい顔を封印した、気合の演技だったと思う。素晴らしい!
 ◆比嘉琴子:真琴の姉で、超絶パワーの持ち主として、裏では知られた人物らしい。警察さえも動かせる権力を持っている。姉は神道系術者か? 儀式は仏教系と神道系が両方タッグ?で行われていて、あの描写は非常に興味深かったです。きっとこのお姉さまは政治家とかのスピリチュアル顧問のようなことしてるんでしょうな。真琴では手に負えない「アレ」を祓うため、一人術者を派遣したのちに満を持して登場する。演じたのは松たか子様。いやあ、たか子様の演技は相変わらず完璧ですなあ……しかし、演出に問題があるのか、完全にもう、笑わせに来てるというか、極端すぎて漫画のようになってしまったのがとても残念。この演出によって、わたしは「怖さ」をまったく感じなくなったわけで、たか子様の演技が完璧だっただけに、陳腐な漫画的演出は全くの無用だったとわたしは感じた。笑わせたかったのなら、成功だけど。
 ◆逢坂セツ子:真琴では手に負えず、琴子お姉ちゃんが最初に派遣した霊能者。演じたのは柴田理恵さん。どう見ても柴田さんなんだけど、今までにこんな柴田さんは見たことのないような、強力に雰囲気バリバリな霊能者で、素晴らしく超熱演だったと思う。一切笑わない柴田さんは初めて見た。
 とまあ、こんな感じであった。最後に監督について短くまとめて終わりにしよう。
 本作の監督は、中島哲也氏だ。わたしは中島監督の作品をいくつか観ているが(全部は観てない)、まあ、特徴的な画を撮る監督としてもお馴染みだろうし、物語的にも、かなりイヤな人間が多く登場することでもお馴染みだろう。ただ、今までの作品は、クソ野郎であっても、きちんと観客として共感できる面を持つキャラクターが主人公だったと思う(大抵女性が主人公なので野郎ではないけど)。しかし、今回は……まあ、主人公が誰かというのはもう観た人が決めればいいことだし、複数いる場合だってあるので、別に主人公にこだわるつもりはないのだが……とにかく、観せられたのは、薄汚れた人間が謎の「アレ」に狙われ、まともな部外者が一生懸命助けようとする話で、どうにも共感しようがなかった、というのがわたしの抱いた感想だ。しかも「アレ」については一切説明ナシ、であった。妙な時間経過もどうも意味不明というか……その間なんで平気だったのか、どうして急にまた怪異が起き始めたのか、など、まったく触れられずである。
 これはひょっとすると、わたしが世界で最も好きな小説家であるStephen King大先生的な物語を狙っているのかもしれないし、実は原作小説はそれがうまくいっていて超面白いのかもしれない。けれど、この映画だけでは、それが見事に決まったかというと、全然そうは思えなかった。むしろ、これってコメディなの? としか思えず、かといって全く笑えず、怖くもなく、なんだかなあ……というのがわたしの結論である。ただし、何度でも言いますが、役者陣の熱演はとても素晴らしかったのは間違いない。その点では、観た甲斐はあったと思います。
 あ、あと、どうでもいいけど、エンドクレジットはアレでいいのかなあ(今回は2~3秒で全面書き換わっちゃうものだった)……わたしは結構、エンドクレジットで、なんていう役者だったんだろうか、とか真面目にチェックするのだが……あのエンドクレジットでは全く目が追いつかず、であった。わたしはエンドクレジットに関しては、興味のない人はさっさと席を立ってもOKだと思ってるけど、実は柴田理恵さんの演じた役は、柴田さんだろうと観ながらわかっていたものの、あまりにTVなどでお馴染みの柴田さんとはかけ離れていたので、クレジットで確かめたかったのだが……それに、野崎の元カノを演じた方や、秀樹の会社の女を演じた方など。確かめようもなかったのも残念。誰だったんだろうか。ああいう不親切なクレジットは、好意的にはなれないすなあ……。あれって中島監督作品はいつもそうなんだっけ?

 というわけで、もう書いておきたいことがないので結論。
 予告を観て、おっと、これは面白そうだぞ、と思って観に行った映画『来る』。確かに役者陣は素晴らしく、その演技合戦は極めてハイクオリティではあった、が、脚本と演出なのかなあ……まず第一に、全く怖くない。それは「アレ」の説明が一切ないからなのか、それとも過剰な演出が漫画的であったからなのか、各エピソードが散らかっていて中途半端だからなのか、もはやよくわからないけれど、結果として、なんかよくわからねえ、という感想を抱くに至ったのである。まあ、とにかく第1の語り手である秀樹のクソ野郎ぶりがホントに気持ち悪かったすね。そしてわたしにそう思わせた妻夫木くんの演技は、抜群だったってことでしょうな。そして初めて黒木華ちゃんをエロいと感じました。お見事だったすね。岡田くんも実にカッコ良かったし、松たか子様の余裕の演技ぶりは大変満足です。が、演出と脚本が……漫画みたい&説明不足で残念す。以上。

↓ 原作を読めってことかもな……ちょっとチェックしときますわ。

 昨日は昼から映画を観てきたのだが、わたしはいつも、映画を観る時はほぼ常に開場時間のちょっと前には劇場について、開場となればさっさと入場することにしている。それは、まあ、特に理由はないけれど、映画を観る前にほっと一息つくというか、とにかく時間的ゆとりが心のゆとりという信条を持つわたしとしては、まあ当然のことなのである。
 しかし、昨日はあえて、劇場が暗くなって本予告が始まるチョイ前、を狙って入場してみた。その理由は、ズバリ、客層を見てみたかったからだ。あらかたお客さんが入ってから、どんな客層なんじゃろか、と席についている人々を観察するために、そういう行動をとってみたのである。
 結果、わたしが昨日観た映画は、地元シネコンの2番目の大きい箱での上映で、そのキャパ315人。そしてパッと見た感じでは全然半分も入っていないぐらいで、まあ100~120人程度であったと思う。そして客層はというと……ズバリ、わたしと同じ40代以下と思われる人は、わたし以外いなかった。要するに、99%以上が明らかに「シニア」層であったのである。すごかったなあ、あの絵面は。
 そんな、シニア率99%超の作品を観てきたのだが、そのタイトルは『妻よ薔薇のように』といい、実は『家族はつらいよ』シリーズの第3弾である。思いっきりサブタイトルに(家族はつらいよIII)と書いてあるので、実は、というほどじゃないんですけど。まあ、『家族はつらいよ』『家族はつらいよ2』と観てきたわたしとしては、この3作目もやっぱ観とくか、という気になったのである。結論から言うと、わたしは大変楽しめた。前作『2』よりずっと面白かったと思う。

 わたしが「やっぱ観とくか」と偉そうに思ったのは、実はわたしは『2』で、もうあまりのお父さんのダメ親父ぶりにうんざりしていたためである。わざわざ映画を観に行って、ダメ親父にイライラしたくねえ、とか思っていたのだ。
 わたしがいう「ダメ親父」とは、この映画には二人いて、平田家の元祖お父さんである平田周造(演じているのは橋爪功氏)と、その長男であり2代目お父さんの平田幸之助(演じているのは西村まさ彦氏)の二人である。この二人は、引退してゴルフ三昧&居酒屋通いでべろんべろんに酔っぱらう周造と、サラリーマンとして会社では優秀なのかもしれないが、男としてはかなり問題のある幸之助の親子で、2世帯同居しているのだが、まあ、基本的に仲は悪い。
 わたしを含め、世のお父さんたちには大変残念なことに、そもそも、息子というものは、基本的に父親を嫌うものだと思う。同じ男として、やけにダメな点やイヤな点ばっかりに目が行ってしまうからだと思うけれど、とにかく、親父のようにはなりたくねえ、と思う息子が普通というか多いと思う。しかし、さらに残念なことに、息子というものは、40代ぐらいになると、あれほど親父が嫌いだった自分が、いろいろな点において、容貌や言動など、まさしく親父に似ていることを発見してしまうのである。そして絶望的な気分になりながら、この時になって初めて、徐々に親父のことを許せてきてしまうのだ。例えば、サラリーマンの悲哀が分かって来る40代になると、その年齢の頃の親父(つまり自分がガキだった頃の大嫌いだった親父)の気持ちがわかってきちゃうんだな。恐らくこれは、全ての息子が感じるものだと思う。
 というわけで、この『家族はつらいよ』というシリーズには、まあとにかく厄介でダメな親父が二人も出てくるため、わたしはちょっともう、胸焼けするというか、イライラすること甚だしかったわけだが、このシリーズで恐らく一番の常識人であり、一番まともな人が、幸之助の奥さんの史枝さん(演じているのは夏川結衣さん)だ。
 厄介な舅、厄介な旦那、イイ人だけど何も家事をしない姑の富子お母さん(演じたのは吉行和子さん)、そして育ちざかりの二人の息子。彼らの面倒を一手に引き受けるお嫁さんでありお母さんな彼女。とにかく彼女は、常に手を止めることなく動かし続け、毎日一生懸命「主婦業」をこなすわけだが、誰一人省みることなく、ある意味当然と思われている。また、平田家から既に独立している長女一家や、次男&そのお嫁さんといった「家族」全体からさえも、「やって当たり前」と思われているかもしれない。
 そんな常識人の史枝お母さん。これはもう、いつか爆発するぞ……とわたしは思っていたところで、本作の登場だ。本作は、まさしくお母さん爆発の巻で、その爆発をメインに据えた物語ということを知って、わたしは「やっぱ観とくか」と思ったのである。そして観終わった今、わたしとしてはもう、全国の「お父さん」どもに観ていただきたい傑作であったように思う。
 物語は、前作『2』からちょっと時間が経っているようで、平田家の車はプリウスに代わっているし、周造お父さんも『2』でもめた結果、無事に免許を返納したようだ。なので、周造は大好きなゴルフには友達の軽自動車で行っている。そして史枝お母さんは、毎朝、会社に出勤する幸之助お父さんと学校へ登校する子供たち、そしてゴルフに出かける周造お父さんやカルチャースクールに出かける富子お母さんを見送った後、一人で掃除洗濯とせっせに働きまくる毎日だが、ある日、掃除が終わってヤレヤレ、と一息ついた時、ついうとうとと居眠りをしてしまう。そんな時を見計らって平田家には泥棒がやってきて、まんまと史枝お母さんがぜっぜと溜めたへそくりを盗まれてしまうのだ。そのことでしょんぼりな史枝お母さんに、ひどい暴言を吐く幸之助お父さん。ついに史枝お母さんは悲しみと怒りで、家出してしまうのだった……てな展開となる。
 こんなお話なので、まあ見どころとしては幸之助お父さんがどう謝るか、にかかっているわけだが、その顛末はなかなかグッとくるものがあって、幸之助の弟たる庄太が幸之助を説得するのである。庄太は、このシリーズでは基本的に心優しい末っ子的な描かれ方をしているのだが、彼は嫂たる史枝お母さんには特別な想いがあって、高校生の時やってきた兄のお嫁さんに、こう思ったそうだ。
「匂い立つような美しさだった。僕は、この人には幸せになってほしい。心からそう思ったんだ」
 だからそんな史枝さんを泣かせるようなことはしないでくれ、と兄に話すのである。なんかこの言葉だけ抜き出すと、大きなお世話だと兄は余計怒るようなセリフだし、実際幸之助も怒って帰っちゃうんだけど、ここでは庄太を演じた妻夫木くんの芝居が非常に素晴らしいのです。そんなわけで、最終的には幸之助は史枝さんを迎えに行って、ちゃんと謝り、めでたしめでたしとなって物語は終わる。幸之助の謝罪シーンも大変良かったすね。西村まさ彦氏の芝居ぶりも大変良かったと思う。
 というわけで、最後に平田家の皆さんを一覧にまとめて終わりにしよう。
 ◆平田周造(演/橋爪功氏):平田家のお父さん。基本どうしようもないダメ親父。相当性格は悪い。今回はその毒はこれまでより薄め。ゴルフ大好き。駅前?の居酒屋のおかみさん、かよ(演/風吹ジュンさん)が大好きで、スケベな昭和じじいぶりを発揮。また、シリーズには必ず周造の親友として登場するキャラがいて、いつも小林稔侍氏が演じている。けど同一キャラではなく、今回はお医者さんキャラでした。
 ◆平田富子(演/吉行和子さん):平田家のお母さん。亡き兄(だったっけ?)が作家で、その著作権継承者として印税がいまだ毎月振り込まれてくるため金に困っていない。小説執筆のカルチャースクール通いののんきな母さん。家事はお嫁さん任せでほとんどしていない模様。今回、お嫁さんの家出に、わたしが家事をするわ!と張り切るが腰をやっちまって何もできない状況に。
 ◆平田幸之助(演/西村まさ彦氏):平田家長男。サラリーマン。営業部長。それなりに有能?なのか、今回は香港への出張から帰ってきたところで泥棒騒ぎの顛末を聞き、ひどい言葉を吐いてしまう。二人の息子からはそれなりに慕われている模様。
 ◆平田史枝(演/夏川結衣さん):幸之助の妻。しっかり者で常識人で働き者。今は空き家になっている実家へ家出してしまう。家に残した子供たちがどうしているかと考えると、悲しくて泣いちゃうよね、そりゃ。幸之助とは、独身時代の通勤の中央線で出会って、さわやか笑顔に惚れちゃったんだそうな。学生時代はダンス部でフラメンコダンサーだったらしく、輝いていたあの日を思うと今の主婦の自分にしょんぼりな日々を送っている。
 ◆金井成子(しげこ:演/中嶋朋子さん):平田家長女。税理士として自らの会計事務所経営。基本的にキツイ性格。夫に対してもかなりキツイお方。
 ◆金井泰蔵(演/林家正蔵氏):成子の夫。基本的にすっとぼけ野郎。成子の会計事務所の事務員。空気を読まない余計な一言が多い。
 ◆平田庄太(演/妻夫木聡くん):平田家次男。ピアノ調律師。成子の娘や幸之助の息子たちからも慕われている、やさしい叔父さんとしてお馴染み。一家の中では常識人だが、若干頼りないような……。幸之助と史枝さんが結婚したのは庄太が高校生の時だそうで、大学生のころは史枝さんに大変お世話になったのだとか(想像するに親父や兄貴と衝突した際に間に入ってくれたのでしょう、きっと)。
 ◆平田憲子(演/蒼井優さん):庄太の恋人で『2』からは奥さんに。看護師。常識人。今回はあまり見せ場ナシだが、本作ラストで庄太&憲子さんにうれしいサプライズが!
 そして監督はもちろん山田洋次氏。まあ、お見事ですよ。今回主人公を平田家のお嫁さんである史枝さんとしたのも、できそうでできない発想の転換だったのではなかろうか。それにしても、場内の99%超のシニアの皆さんは、もう遠慮なく爆笑の渦だったすね。わたしも笑わせていただきました。先週観た『のみとり侍』も、シニア率90%以上だったけれど、場内の笑い声は圧倒的に本作の方が多かったすね。あと、本作上映前に『終わった人』の予告が流れていたのだが、その予告でも場内大爆笑で、わたしとしてはかなりびっくりしたっす。

 たしかに。確かに面白そうだけど……これを笑えるのはシニアだけでしょうな。みんな、もう通り過ぎた話で、経験した後だから笑えるんだろうと思う。なんつうか、今の日本の映画産業は、ホントにシニアの皆さんが支えてるんじゃなかろうかと思います。

 というわけで、もう無駄に長いので結論。
 山田洋次監督によるシリーズ第三弾、『妻よ薔薇のように/家族はつらいよIII』を観てきたのだが、まずその客層は99%以上がシニアであり、監督の年齢を考えると、シニアのシニアによるシニアのための作品であったことは間違いないだろう。しかし、まだシニア予備軍のわたしが観てもちょっとグッとくるようなところもあって、十分楽しめるお話であった。主婦はそりゃあ大変ですよ。この映画は、全お父さん必見だと思います。面白かった。以上。

↓ まあ、やっぱりシリーズ全部観て予習しておいた方がいいと思います。そういや幸之助夫婦の息子二人はかなり成長して、役者が変わったような? 人んちのガキはあっという間にデカくなりますなあ。

 わたしは月に3本以上映画館で映画を観ているので、かなりの予告編を目にする機会がある。さらに言うとわたしが通うシネコンは、その9割方が家の近所か会社の近所のTOHOシネマズであるため、東宝が制作・配給する邦画の予告もかなり多い。ハリウッド洋画が大好物なわたしでも、そんな邦画の中には、もちろん、お、これは面白そうかも、という作品があるわけで、去年ぐらいか、今年に入ってからか、もはや全然覚えていないが、やけに何度も目にした邦画作品がこれだ。

 最高ですよね、この「予告」は。これはもう、観るしかあるまい、阿部ちゃんは相変わらずキてんなあ! と誰しもが思う、相当傑作な「予告」だ。なので、わたしも公開初日の昨日の金曜日、会社帰りに日本橋TOHOへ向かったわけである。タイトルは「のみとり侍」。女性相手の売春を行う「のみとり屋」稼業に身をやつした真面目な男を描いた喜劇である。わたしは、観る前は、こりゃあ相当の傑作に違いない! とか思って期待していたのだ。
 そして、実際に観てみたわけだが、結論から言うと、物語はおおむね予告通りで、大変笑えるシーンも多いし、熟練の役者陣の演技合戦はとても素晴らしい、のだが……ズバリ言うと、映画の出来としてはいろいろ文句をつけたくなる作品で、ちょっと、いや、かなりもったいないような、若干残念ムービーであったと結論付けざるを得ないように感じた。
 その点を以下、いろいろと覚書として記しておきたいのだが、おそらくネタバレに触れる可能性が高いので、まだ観ていない方はここらで退場していただいた方がよいと思います。まずは映画館へ行って、観てきてください。

 さてと。映画そのものの出来に関しては、残念ながらイマイチ肯定的な感想が書けそうにないので、まず先に本作で描かれる、日本の性文化について、思ったことをまとめておこう。
 わたしは数年前、永青文庫にて開催された『春画展』にも行ってみたのだが、「春画」を観て、そして本作を観て、つくづく思うのは、どうも江戸時代は、性に対してもっとオープンというか、人間なんだからセックスは当たり前だし、誰だって好きっしょ? 的な雰囲気だったのではないかと想像する。これはどうしても根拠が見つからなかったので、単なるわたしの想像だが、現代人たる我々が抱く、セックスに関する抑圧された?というかタブー的な思想は、ひょっとすると西洋キリスト教文化の影響なのではなかろうか。汝誨淫を禁ず、的な。純潔思想も、もちろん日本でも嫁入り前の女子が処女でないことは大いに問題があっただろうし、神道的なというか儀式的?な面でも重要視されたと思うけれど、純潔、あるいは貞操観念なるものは、どうも西洋っぽく、日本では近代以降の思想、常識のような印象を受ける。正しいかどうかはわからんけれど。
 しかし事実として、江戸時代の日本においては、春画というエロ本が多くの人々に受容され、楽しまれていたようだし、売春もある意味普通に行われていたし、男目線からすれば、武家が「家」を永続させるという名目のもとに「側室」をそばにおいてヤリまくっていたのだし、また現代的に言えば最高級コールガールである花魁、その最高峰である「太夫」という存在は、人々のあこがれでもあったわけだし、さらには、本作でも描かれるように、江戸時代は女性が男を買う、なんてこともあったわけで、まあ、セックス大国JAPANはいわば日本の伝統でもあったように思う。夜這いなんてのもあったしね。
 何が言いたいかというと、だから現代はダメなんだということではなく、江戸時代というのは本当に平和で、本当に自由だったんじゃないかしら、ということだ。もちろん厳格な身分制度があって、いわゆる民主的な自由はそこにはないだろう。また、飢饉や意味不明な法令もあって、一般庶民には厳しい時代だっただろうし、貧農から人身売買で売られてきた女性たちの悲劇など、人権的に見ればもうどうしようもなくひどい時代だったことは間違いない。ので、「普通の(?)江戸市民」に限定した方がいいのかもしれないけれど、1600年から1868年という時代は、西洋諸外国においては、そりゃあもう戦争して殺し合いをしまくっていた時期に当たるわけだし、アジア各国は侵略されまくって植民地化されていた時代なわけで、少なくとも、おそらく当時世界最大の都市である江戸に住まう人々は、現代人が思うほど不便でなく、毎日を生き生きと、自由闊達に暮らしていたのではないかしらという気がする。
 本作は、「のみとり屋」なる女性相手の売春宿を中心としたお話だが、まあ、なんつうか、そりゃあ女子だって性欲旺盛ですわな、しかも全然こっそりじゃねえし! という点はとても新鮮で面白かったし、もちろん、日本伝統の男色のための男 for 男の売春夫もいたりなんかして、わたしとしては非常に興味深く物語を堪能することができた。つうか、「のみとり屋」ってフィクションですか? ホントにあった商売なのか? パンフによると本当にあった職業らしいが、なんかホント、江戸という大都会は世界一だったんだなあ、なんてことを非常に強く感じた。
 というわけで、本作『のみとり侍』は、実際笑えるし、ネタとしても大変面白かったのだが、どちらかというと面白いというより興味深い方向にわたしは観ていた。が、残念ながら、映画としては……冒頭に記した通り、残念な部分が多く、いささか期待を下回る感想を持つに至ったのである。
 わたしが感じた残念ポイントは、脚本・演出・音楽の映画三大要素とわたしが感じている根幹の部分で、この芯の部分が若干アレだったのがとても残念である。
 まず、脚本だが、物語として、阿部寛氏(以下:阿部ちゃん)演じる主人公・寛之進が「のみとり侍」に身をやつした理由の裏には、バカ殿の不興を買ったためではなく、実はある種の陰謀があったと分かる後半は、ちょっと問題アリのように思う。物語の背景には時の老中・田沼意次と綱紀粛正を目指す白川藩主・松平定信の権力争いがあって、どうやら主人公の仕えるバカ殿=越後長岡藩主である牧野忠精は田沼への贈賄をしていて、真面目で融通の利かない寛之進がうっとおしかったため、理由をこじつけて藩から追い出した、というれっきとした動機があったのだが、わたしはその理由がナシ、ではないと思うし、むしろアリだけど、その秘密の暴露が、描かれ方的に何の伏線もなくとても突然で、なーんだとしか思えず、非常に残念に感じたのである。また、脚本的に田沼に肩入れしすぎた部分が正直意味不明で、一方の松平定信はほぼなにも描かれず、善悪の対比も明確でなく、結果としてエンディングはなんだか強引に物語が終わってしまうのもいただけない。ついでに言うと、寛之進が「女の悦ばせ方」を指南してもらう江戸No.1プレイボーイ清兵衛の後半の扱いは相当雑で、もはや意味が分からず、非常にガッカリした点であったと思う。
 あと、脚本的にわたしがちょっとなあ、と一番強く感じたのは、寛之進のセリフだ。彼は、どうやら藩邸内や藩の仲間に対して(?)はお国言葉を、江戸市中においては江戸弁を、というしゃべり方の違いを意図しているように感じたけれど、本編内で頻繁に使われる寛之進の心の独白的ナレーションが、お国言葉だったり江戸弁だったりするのはやっぱり変だと思う。おそらく寛之進は江戸詰めが長いのだろうから、全て江戸弁で、もっと武士っぽい言葉遣いにするのもアリだろうし、映画的に面白くさせるためなら、もっと言葉に派手な方言を織り込んで田舎者感を強めた方がよかったと思う。とりわけ、阿部ちゃんの朴訥で真面目なナレーションが一番(?)笑いを誘うんだから、ここはもっとポリシーをもってデフォルメしてほしかった。
 そして演出面では、やっぱり若干古臭さが漂っていたのは誰しも感じるところではないだろうか。もちろん、ここ数年のコミック原作映画のように、コミック的誇張表現をそのまま映像化するような安っぽさやガキ臭さは必要ないと思う。けど、なんつうかなあ……具体的に指摘できないんだけど、せっかくこんなポップで明るい話なのに、昭和っぽいんすよね……。編集もなんだかテンポが悪く、冒頭なんておっそろしくポンポンと話は進むのに、中盤~後半はやけにじっくりだったり、物語の流れの緩急が、妙にリズムが悪く感じられた。これは音楽にも言えることで、なんでもっと明るくポップで派手な音楽にしなかったんだろうか。そして音楽やSEも、ここだ! というタイミングからちょっとズレているとは観れば誰しも感じるのではなかろうか。音楽を担当したのは41歳と若い羽岡佳氏で、アニメや戦隊ものの音楽を担当するなどポップで明るい曲も書ける人のはずなのだが……観終わった後で、全く曲が頭に残らないし……なんだかとても残念です。いっそ、スカパラ的な音楽が似合うと思うんだけどな。
 まあ、御年78歳?の鶴橋康夫監督では、やっぱり古臭いと感じられてしまうのやむないことだろう。昨日わたしが観た回の観客は7割方シニア客だったので、客層には合っているのかもしれないし、若い監督が何か勘違いして漫画のようにしてしまうよりずっとマシだったかもしれないけど、実際問題として、78歳のおじいちゃんがキャッチーなコメディを獲るのはちょっとキビかったように思う。これじゃあ、若い客は観に来てくれないだろうな……。こんなに笑える物語なのに、ホント残念す。
 最後に、そんな脚本演出をものともせず、見事な演技を披露してくれたキャスト陣をざっと紹介して終わりにしよう。
 ◆寛之進:主人公。越後長岡藩士。ド真面目。ド不器用。演じた阿部ちゃんはもうホントに最高でした。この映画も『テルマエ』同様、阿部ちゃんでないと成立しない作品だったと断言できる。「下手くそ……」とショックを受ける寛之進はもう最高すぎて大爆笑必至ですよ。
 ◆清兵衛:もと旗本の次男坊(要するに武士)だが、商人の家に入り婿した色男。寛之進のセックス師匠。演じたのは豊川悦司氏。この人は年を取って太ってしまったのが残念すね……20年前はホントにカッコいい男だったけど、あの頃の体形に戻してほしい。演技ぶりはまあいつもの豊川氏だが、何気にこの人もコメディはいける口なので、本作でも豊川氏のの魅力は大いに発揮されていたと思います。
 ◆甚兵衛:のみとり屋の主人。江戸っ子的なせっかちなオヤジというか、どんどん勘違いして一人納得する様は観ていて笑える。演じたのは風間杜夫氏。ええっ!? なんてこった、風間氏は現在69歳だって。うっそだろ、もうそんな年齢なんだ……演技ぶりは一番素晴らしかったとわたしとしては称賛したい。
 ◆おみね:寛之進の最初のお客の女性で、寛之進の亡くなった奥さんに瓜二つの女性。田沼意次の妾? 最初はド下手くそな寛之進に激怒するも、清兵衛の薫陶を受けてテクを身に着けた(?)寛之進の若干勘違い気味の激しいセックスにもうメロメロに。好きですのう! 演じたのは寺島しのぶさん。わたしはこのお方を今まで気にしたことはなかったけれど、なかなか色気もあって大変良かったと存じます。
 ◆おちえ:清兵衛を婿に取った商家の女主。もともと純情な娘だったのに、清兵衛に性開発されてしまってすっかりハードなドS女に変身。清兵衛さんに浮気防止のためそのイチモツにうどん粉を塗るなど、強烈なキャラに。清兵衛さん……あんた……完全に自業自得だぜ……w 演じたのは前田敦子ちゃん。激しいドSぶりも大変可愛らしいと存じます。
 ◆越後長岡藩主・牧野忠精:寛之進の仕える殿様。演じたのは松重豊氏。バカ殿の演技ぶりはもう最高に良かった! けど、脚本的になあ……ラストの心変わり?も唐突だし、もっと物語に関与できたはず……ホントもったいないと思った。
 ◆田沼意次:様々な時代劇や歴史小説で悪役としてお馴染みだが、本作ではどうも若干イイ人的描写もあって、なんか軸がブレているようにも感じた。演じた桂三枝あらため6代目桂文枝氏も、はっきり言って演技としてはかなり微妙。この人を使う意味はほぼなかったと思う。
 あーーーもうキリがないからこの辺にしておくか。

 というわけで、まとまりなくだらだら書いてしまったのでぶった切りで結論。
 予告を観て、これは相当キてるぞ!? と期待して観に行った映画『のみとり侍』だが、確かに、役者陣の熱演は素晴らしく、とりわけ阿部ちゃんこと阿部寛氏のキャラは最高に笑わせてもらったのだが、映画としての出来は、正直いまいちだったような気がする。本作は阿部ちゃんでなくては絶対に成立しない作品だったとわたしは断言してもいいぐらいだが、ホント、もっともっと笑えて泣ける話に出来たはずなのだが、エンディングはかなり唐突かつぶった切りで、もう少し脚本的になんとかできたはずだと思うととても残念である。ま、変に漫画のようになってしまうよりマシか。でも、音楽も演出も、もっともっとポップでキャッチーな作品できたはずで、興行成績的にも『テルマエ』クラスに大ヒットしたかもしれないのにな。きっとこの映画、10億は超えるとしても、20億30億は厳しいと思うので、来週からの興行成績を注目したいと思う。以上。
【2018/06/11追記:興行的には4週目でもうTOP15ランク圏外=10億は到底無理だったようです。ホントにもったいない……】

↓ ちゃんと原作小説があります。どうやら短編集らしいすね。読んでみるかな……。



 というわけで、またこの季節がやってまいりました。
 そうです。年に1回か2回、大変楽しみにしている『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の最新第6弾にして最終作『VI 誕生 赤い彗星』が公開になったのであります。わたしも、いつも通りガンダムが大好きな元部下のMZ君から連絡を受け、どうしても、とMZ君が希望するので、わたしの大嫌いな新宿ピカデリーへ、安彦監督はじめ声優のみなさんによる舞台挨拶付きの回を観てきたのであります。
 わたしとしてはとにかく新宿ピカデリーの客動線の悪さと構造的に大混雑となる施設自体が大嫌いなので、MZ君から新宿にしましょうと言われたときは、やだよ、とあっさり断ったのだが、今回は『THE ORIGIN』シリーズ最終作ということで、安彦先生の生の発言を聞く価値はあるか……と説得に折れ、推参した次第である。
 そして作品としての評価は、もう毎回書いている通り、素晴らしくハイクオリティで文句なしに楽しめたのだが、今さらというか……わたしは観ていて、この『機動戦士ガンダム』で描かれる「ジオン公国の独立」というものが良くわからなくなってきてしまったのである。一体、彼らの求めるものは何なのか、どうすれば「勝利」なのか、そのゴールが、なんだか今さら分からなくなってしまったのだ。
 というわけで、以下、その辺りをつらつらと書きなぐってみたい。もうとっくに作品としては完結しているので、もう今さらネタバレもないので、ネタバレには一切考慮せず書きます。

 この『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』という作品がどのようなものかはもう今までも散々書いているので短くまとめるが、当時の角川書店(現KADOKAWA)の「ガンダム・エース」というコミック雑誌に連載されていた漫画で、安彦良和先生が直々に執筆された、「1年戦争」を新たに描いた物語だ。かつてのTV版のオリジナルに追加・修正された要素が多く、まあ、30年以上前にガンプラをせっせと作っていた30代後半~40代~50代のおっさんとしては、間違いなく興奮できる非常に優れた作品である。コミックス単行本では全23巻(+1冊後日譚の特別編)で、その「追加」されたエピソードとして特徴的なのは、ジオン・ズム・ダイクンの死から「1年戦争」開戦までの流れがとても丁寧に詳しく描かれていて、その過去の回想部分が、アニメ化され、劇場公開されているわけである。コミックス単行本で言うと、第9巻から第14巻までの6冊にあたり、それが1巻ずつ、1つのエピソードでアニメ化されているわけで、今回の『VI 誕生 赤い彗星』では、コミックス第14巻の内容が描かれているわけだ。
 これまでの具体的な内容は前回の『V 激突 ルウム会戦』の時の記事を読んでもらうとして、今回の『VI』において描かれるのは、ルウムでのジオン大勝利と、レビル拿捕→脱出→南極条約締結という政治面での展開を軸に、その時、シャアやアムロ、セイラさんたちがどこで何をしていたか、なんてことが描かれる。このアニメ版『THE ORIGIN』は、とにかくコミック原作に忠実なのだが、今回はコミックにない新たな追加シーンも比較的多かったと思うが、とりわけ「おおっ!?」というような驚くべきものはなく、内容を補完する程度のものだったので、どこがどう原作コミックと違うか、とかそういうことはもう書かない。
 で、わたしが観ていて、どうしても良くわからないのが、レビル将軍の行動だ。レビルは、ルウム会戦でまんまと黒い三連星に拿捕され、捕虜となる。そしてデギン公王と謁見し、お互い休戦の方向で意見の一致を見たかと思いきや、脱出後、徹底抗戦を唱えてデギンの怒りを買うことになる。そもそも、脱出は、おそらくデギンの指示を受けたキシリアと、キシリアと内通している連邦のエルランの手引きによって行われたものだと思うのだが、どうしてレビルは、デギンとの密約?である休戦を唱えず、徹底抗戦の演説をしたのだろうか?? これは非常に重要なポイントだと思うのだが、わたしには実は良くわからない。コミック版を何度読んでも、分からん。
 このポイントが分からないので、なんだかそもそも、対立構造である「ジオン独立」の意味も、わたしには良くわからなくなってしまっているのである。
 「独立」して、一つの国家として主権と自治権を勝ち取り、その後、ジオンはどうしたいのだろうか? そしてそもそも、その「独立」は、どうすれば勝ち取れるのだろうか? 連邦が、もう分かったから、いいよ、独立しなよ、と文書で認めればいいのかな? それではなぜ、連邦はそれを認めないのか。そして双方とも戦争継続を選んだのはなんでなのか?
 デギンは、ブリティッシュ作戦(=コロニー落とし)の惨事を見て、もう人殺しにはうんざりしている。それゆえ、もう休戦をしたい、と思うのは、おそらく普通の人間なら自然な選択だ。その選択を取らず、さらに殺し合いを続けようと思うのは、明らかに不自然であり、前作でセイラさんが涙を流していったように、もはや「けだもの」と言わざるを得ないだろう。しかし、「けだもの」に落ちてまで得ようとするものは一体何なのか。それがわたしには良くわからんのだ。
 そもそも、ジオンの国力がどのようなものかよくわからないが、「ジオン公国」が仮に「独立」を手にしたとしても、自給自足できるとは思えないし、まさか鎖国のような形で、連邦と一切の交流を断つとも思えない。そして連邦も、その「連邦」がどのようなものか知らないが、そもそも地球圏全体が統一国家となるようなことはまず考えられないし、そこには民族や思想、旧国家を源としたいくつものグループが存在し、そこに対立が存在しないとも決して思えない。一枚岩になることはまずありえず、常に紛争の火種、あるいは紛争そのものがそこにはあるはずだ。そんな中で、「ジオン」グループにある程度の自治を認め、「独立」させてやる、といいながら、経済的に連邦の一部として取り込むのは、意外と簡単にできることなのではなかろうか。
 何が言いたいかというと、人類の半数を死に至らしめるまで殺し合う理由があるとはわたしにはあまり思えないのだ。ジオンサイドから見れば、休戦し、連邦の一員になっても、逆に連邦に潜り込んで、連邦の中枢を支配する方がうまみは大きいだろうし、連邦サイドから見れば、戦争継続よりも、和平条約の中で条件闘争する方がよっぽど安上がりだし、何より人命を失わずに済むはずだと思うのだが……。
 おそらく、わたしが理解できない根本的な部分は、「アースノイド」と「スペースノイド」の心理的な、そして決して相いれない、対立構造なのだろうと思う。
 たぶん、ギレンを動かす衝動は、いわゆる選民思想に基づくもので、「なんで優秀なオレ様が下等な地球人どもに膝を屈せにゃならんのだ」というもので、一方の連邦側の高官たちによる徹底抗戦も、「なんで我々高貴なる地球人が下等な宇宙奴隷どもの言うことを聞かなきゃならんのだ」という思想によるものだろう。要するにハートの問題だ。しかし、ハートの問題と言っても、所詮は権力や金といった私欲であり、巻き込まれた一般市民はたまったものではない。
 まあ、現代の移民問題もまさしくそういったものであり、一般市民層ですらそういった感情を抱えているのは間違いないけれど、この対立を乗り越える存在として、ニュータイプというものがある、とする解決策のようなもの?を提示した『ガンダム』という作品はすげえなあ、とわたしには思える。
 よく、「人と人は分かり合えない」という。実はわたしも、結構そう思っている。そして分かり合えないが故に殺し合いを続けているともいえるが、それが、ニュータイプなる「分かり合えちゃう人類」が誕生したらどうなるか。でも、はっきり言って上記のような、お互い、オレの方が上に決まってんだろ、みたいな闘争は、ちょっと分別があれば、アホくせえことだと現生人類たるホモ・サピエンスにも十分「分かり合える」と思うんですけどね……。でも、実際わたしだってそういった感情がゼロであるとは決して言えないし、少なくともわたしが生きている間に人類は先へ進めそうにはないですな。
 話は盛大にそれてしまったが、レビルがなぜ徹底抗戦を主張したのか、正直わたしには良くわからない。しかしあの徹底抗戦演説が「1年戦争」を生んだことは恐らく間違いなく、あの時点がPoint of NO RETURNだったのだろうと思う。その意味では、本作は極めて重要な、人類の分岐点が描かれているわけで、大変面白かったです。つうか、レビルは後にデギンとともにソーラ・レイの直撃を受けて死亡するわけで、完全に選択ミスだったな、とわたしは冷ややかに思いました。連邦の政治的なTOPって誰だったんだろうか? そういや、よく考えると完全なる軍閥ですな。民主的な国家統一だったわけではなかったんですかねえ……。その辺も、詳しく知りたくなったっす。

 最後に、舞台挨拶のことを少々。
 わたしが観に行ったのは、安彦総監督と、池田秀一さん、そしてザビ家の皆さんの声を担当された声優陣勢ぞろいという豪華な舞台挨拶付きで、銀河万丈さんの「生ギレン」は超迫力がありました。お約束のジーク・ジオンも、万丈さんの生ボイスだとすごいすね。そして、安彦先生は、以前『THE ORIGIN』を全部アニメ化する的なことをおっしゃっておられたが、残念ながら今回が最終作ということで、その野望はかなえられずに終わってしまい、わたしには非常に悔しい?と思っておられるようにお見受けした。安彦総監督曰く、観た皆さんが宣伝し、声を上げていただければひょっとしたら……的な希望を述べられていたのが印象的だった。わたしも、是非最初からすべて新たに作り直した『ガンダム』を観たいので、今回で終わってしまうのはやっぱりちょっと残念です。

 というわけで、もうさっさと結論。
 わたしの大嫌いな新宿ピカデリーへ、恒例の『機動戦士ガンダム THE ORIGIN VI 誕生 赤い彗星』を観てきたのだが、もちろんいつも通り極めてハイ・クオリティな作品で、とても楽しめた。しかし『ガンダム』という作品は、いろいろ考えさせられるところが多く、やっぱり『傑作』でしょうな。この『THE ORIGIN』アニメシリーズ全6作は、ホント、かつてガンプラで遊んだことのある40代以上のおっさんには是非観てもらいたいと思う。絶対に興奮すると思うな。安彦先生、ホントお疲れさまでした。「次」がいつか実現することを祈ってますし、応援しております! 以上。

↓ 今回のお話は(14)巻です。つうか、全部読んだ方が絶対イイですよ。この本は全巻キッチリそろえておくのが大人のたしなみですよ。

 わたしは映画オタクなので、洋画を見る時は字幕以外考えられない。その理由は……当たり前すぎて説明がむしろ難しいのだが、要するに役者本人の声が聞けないと意味がないと思うから? ではないかと思う。まあ、理由はどうあれ、もはや字幕以外で観る選択肢は0%、皆無である。
 しかし、わたしが今日観てきた作品は、どういうわけか役者のしゃべる中国語Verは上映されておらず、なぜか日本語吹替版しか上映されていないようで、極めて遺憾ながら、やむを得ず日本語吹替版を観てきたのだが、まあなんというか、結論から言うと、恐ろしく違和感があって、吹替ってこうなっちゃうんだっけ? と、子供のころテレビの映画放送で見慣れていたはずの日本語吹替作品に、深く失望したのである。
 そう、わたしが今日観た映画は、日本語タイトル『空海 ―美しき王妃の謎―』というタイトルで公開されている、中国語原題『妖猫傳』という作品だ。タイトルコール?には英語でも『Legend of the Damon Cat』と付されていたのだが、ズバリ言うと、実のところ物語としては全く想像していなかった捜査ミステリー風味で、非常に興味深いものであったものの、その中国語原題や英語のタイトルの方が作品にぴったり合っていて、むしろ日本語タイトルの方が異常な違和感を醸し出しており、その点でも非常に、「なんか変」な気持ちがずっと続く作品であった。そして、正直に告白します。わたし、途中で5分ぐらい寝ちゃった……映画館で寝たのは、超久しぶりで、そんな自分にショックだよ……。。。

 上記予告はご覧になりましたか? 主役の空海を演じる染谷将太くんもきちんと中国語をしゃべって……いやいや、この声は染谷くんじゃなくて、白楽天の彼か。でも、どうして、なぜ、字幕版を上映しないのか? 確かに、今やすっかり洋画の売れない日本においては、吹替えの需要は高いのだろうことは想像できる。しかし、この映画のメイン客層は、100%おじさんおばさんであり、もっと言えばおじいちゃんおばあちゃんなわけで……事実、わたしが今日観てきた劇場内もそんな客層だったので、そんな高齢客に、高橋一生氏の声がウリになるのだろうか……、とわたしにはよくわからない。しかも、わたしは確かに高橋氏の最大の魅力はその「声」にあると思っているが、本作の吹替ぶりは、まったく話にならないとダメ出ししたい出来であったように思う。まあ、配給の東宝&KADOKAWAによるマーケティング的判断だろうけれど、わたしとしては中国語&日本語字幕で本作は観たかったと思う。この「なんか変」な違和感のある吹替えによって、本作の魅力は、少なくともわたしにとっては半分以下に減じてしまっているように思われた。これはアカンわ。
 で、物語である。わたしは夢枕 獏氏の原作は読んでいないので、冒頭に記した通り全く想像していなかった展開をたどる物語であった。
 時は804年~805年の、空海、後に「弘法大師」の諡号で知られることになる青年(当時31歳)がエリート僧侶の遣唐使としてに留学しているころである。ある日、空海は当時の世界最大の都市長安で、病に苦しむ皇帝(第12代徳宗皇帝だっけ?)の元に、病平癒の祈祷のために宮廷へ招かれる。しかし空海が駆けつける目の前で皇帝は崩御、そしてその死の場には、謎の「猫」の影があった。時を同じくして、皇帝守護隊の隊長(?)の家にも、同じように謎の「猫」が現れており、なにやら怪しげな空気が漂っていた。皇帝の死に立ち会った空海は、その場に皇室の記録係として同席していた白楽天(後に「長恨歌」で玄宗皇帝と楊貴妃の物語を歌い、超メジャー詩人になる)とともに「猫」の謎を解くための捜査を開始する。そしてその「猫」を追ううちに、二人は40年前に唐にいた阿倍仲麻呂の日記を入手し、鍵は玄宗皇帝時代の楊貴妃の死にあることを突き止めるのだが、そこには驚愕の事実が―――てなお話である。
 要するに、この物語は空海がホームズ、白楽天がワトソン、のようなバディ推理ミステリーで、物語自体はなかなか面白い。また、巨額の予算を投入したセットも見応えがある。そしてもちろん、役者陣も、熱演だったと思う。しかし、わたしにはどうにも性に合わない中華風味がきつすぎて、あまり心から楽しめなかったのである。それはわたしの好みの話なので、中華風味が気にならない人なら十分以上に楽しめるとは思うのだが……やっぱりわたしはダメであった。
 わたしが胸焼けしてしまう中華風味とは、ズバリ言うと、CGの使い方というか……画面そのものに現れるカット自体だ。カメラアングルというか……まあ、演出そのものですな。何と言うか、うまく説明できないのだが、なんか不自然なんすよね。大げさと言えばいいのかな……独特の風味がどうしても好きになれないんすよね……ただし、これは明確に申し上げておきたいのだが、CGの出来自体、すなわち、CGの本物感、に関しては、明らかに日本のレベルを凌駕していて、実にオブジェクトの質感が見事なCGであることは間違いない。このレベルのCGを描ける日本の映画スタジオは存在していないと断言できる。ゲームの世界のCGは日本も負けていないけれど、映画としてのCGは、悔しいけれど中国の方が数段上なのは間違いなかろう。虎や鶴といった生物オブジェクトも、大変上質な描画で大変見事であった。ただまあ……ここまで絶賛しておいてアレですが、肝心の「猫」は……毛並みなどは非常に高品位としても、その表情は若干微妙だったかもな……。
 というわけで、キャスト陣についてまとめて終わりにしたいのだが、残念ながら日本語吹替えのため、はっきり言って中国人キャストの皆さんの芝居ぶりが良かったのかどうか、わたしには良くわからない。一つ言えることは、前述のように吹替ぶりがどのキャラクターもイマイチであったとわたしには感じられてしまった結果、なんだかかなり、うーーーん……な演技に見えてしまった。ので、日本人キャストを少し触れるだけで終わりにしたい。やっぱり、セリフ回しが演技のキモなので、本人の声でないとダメだと思うな……。
 ◆空海:演じたのは染谷将太くん。なんでも、中国本土では染谷くん演じる空海が、常に笑みを浮かべていることに批判が多いそうだが、わたしには全く問題ないように見えた。たしかに、とりわけ前半の空海は常に笑みを浮かべている。が、その笑みは何とも絶妙な、仏像めいたアルカイックスマイルで、お遍路を完遂したわたしとしては、おお、弘法大師様だよ……南無大師遍照金剛……と思わずつぶやいてしまうような空海ぶりであったように思う。なお、中盤で、阿倍仲麻呂の日記を手に入れるために訪れた場所で、松坂慶子さん演じる未亡人との会話部分だけ、きっちり口とセリフが合った日本語演技でありましたな。そうなんです。それ以外はきっちり中国語のようで、口の動きとセリフ音声が合ってなくて、そんな点もやっぱりわたしには違和感が感じられてしまった。彼の中国語での演技を堪能したかったよ……。
 ◆阿倍仲麻呂:演じたのは阿部寛氏。そのローマ人のような彫の深い端正な容貌は誰がどう見ても阿部氏だが、阿倍仲麻呂がどんな男だったのかさっぱり知識のないわたしとしては、とりわけ違和感はなく、またその確固たる意志のみなぎる眼力は迫力があって、大変良かったと思う。
 ああ、いかん、もう書くことがなくなってしまった……。

 というわけで、わたしのBlogでは異例に短いけどもう結論。
 日中合作映画『空海―美しき王妃の謎―』、中国語タイトル『妖猫傳』を観てきたのだが、まずタイトルからして中国語版の方がしっくり内容に合っているし、やっぱり全編日本語吹替というのもわたしにはやけに違和感を感じずにはいられない出来栄えに思え、要するに、なんか変、であり、いまいちであった。ただ、物語自体はなかなかの変化球で、かなり興味深く、なにより空海、弘法大師様を演じきった染谷将太くんはお見事であったと思う。なので一層のこと、染谷くんがきっちり中国語で演技をし、中国人キャストの皆さんの中国語演技も観てみたかった……。わたしには、豪華俳優陣?を起用した吹替版は、まったく心に響くものがなく、ただただ、なんか変なの、という感想しか持ち得なかったのである。実にもったいないというか、残念す。つうか、これ以上はもう、言いたいことは特にありません。以上。

↓ 原作を読めってことなのかなあ……読む気にならないす。今のところは。あ、原作は4巻にもわたる長いお話なんすね。てことは、映画版はかなり縮小濃縮されてたのかな……。

 

 わたしは映画の9割がたをTOHOシネマズで観ている。それは単に家から一番近いシネコンがTOHOだから、なのだが、当然、予告で流れる映画は東宝配給の邦画が数多く、去年、やけに予告を何度も見せられた作品があった。まあ正直、それほど観たいという強い意欲はなかったものの、現在わたしはTOHOシネマズの「シネマイル」が貯まったおかげで何でも無料で観られる無敵状態にあるため、それじゃ観てみるか、と早めの昼食を摂ってから、出かけてみた。
 その作品とは、長澤まさみちゃん主演の『嘘を愛する女』である。まあ、観終わった今、結論を言うと、なかなか悪くはなかったと偉そうな感想を持つに至っている。脚本も悪くない。キャストの芝居ぶりも悪くない。だが、称賛するほどには至らず、いろいろなアラが、わたしの様なクソ映画オタク野郎からすると若干目についてしまったのも事実であろう。わたしが一番、うーむ、と思ってしまったのは、そこはかとなく漂っているように感じられる「リアリティのなさ」なのだが、どういう点にわたしが、嘘くせえ……と感じてしまったのか、ちょっといろいろ思ったことを書き連ねてみようと思う。
 というわけで、以下、ネタバレに触れるかもしれないので、これから観ようという方は以下は読まない方がいいと思います。

 まあ、大体の物語は上記予告の通りである。ずっとそばにいた愛する人が、偽名で正体不明の男だった。いったい何者なんだ? そんなお話である。
 わたしが上記予告から想像していたのは、男のいわくありげな過去が、かなりヤバいもので、驚愕の真実がここに! 的な物語なのだが、ズバリ言うとそんなわたしの想像とは全く違い、意外とまとも、というか、ひどい言葉でいえばスケールは小さく、結構わたしはなーんだ、と思うものであった。
 まず二人の出会いだが、予告にある通り、駅で気分の悪くなった主人公にやさしく男が声をかけるところから始まる。わたしはきっと、何か会社で忙しくしている女子が通勤の際に気分でも悪くなったのかと思っていたが、そこからして全く違っていた。気分が悪くなったのは、まあわたしの想像通り会社の激務?での体調不良のようだったが、これは2011年3月11日の日中のことで、つまり、大震災の日のことだったのである。つまり震災が起きて電車が止まってしまい、東京では多くの人が駅にあふれた、あの時のことであった。
 あの日のことは誰しも忘れられないだろう。わたしも当然覚えている。わたしはあの日、会社の近所に住む当時の部下のYくんのチャリを借りて、全く動かない車の列や黙々と歩く大勢の人々の間を、全く苦労なく20km離れた家に帰ることができたが、あの日の東京は結構寒かった事を覚えている。しかし―――画面に映るイケメン野郎、高橋一生氏のなんと薄着なことよ。わたしはこういう点にいちいち反応してしまうのだが、まずこの出会いのシーンで、嘘くせえ、と思ってしまった。
 しかし、こういった震災がきっかけで男女の仲が深まった事実は、わたしの身近にも結構あって、えーと、わたしが知ってる女性で4人かな、震災をきっかけに結婚したわけで、まあ、ともかく本作の主人公と謎の男は付き合い出し、それから5年(?)、すっかりいちゃつくカップルとして日々暮らしていたのだが、主人公のお母さんが上京して食事をするので、あなたも来てよ、という展開になる。
 しかし、男は現れなかった。主人公はもう怒り心頭である。ほぼ激怒して家に帰ると、男はいない。なんなのよもう!とカッカしているところに、ピンポーン、とインターホンが鳴り、なんで来なかったのよ!!と激怒で玄関を開けると、そこにいたのは警官で、なんと男は近所の公園でくも膜下出血によりブッ倒れて病院に運ばれたのだという。そして、持っていた免許証は偽造されたもので、全く名前もでたらめだったことが判明、主人公による正体探しの旅が始まるーーーてな展開である。
 その正体探しの旅は、男がPCに日々書き連ねていた、謎の小説を手掛かりになされるのだが、正直その部分はどうでもいいとして、わたしが本作を観ながらずっと感じていたのは、主人公が男で、謎の人物が女性だったらどうだっただろう? という思いだ。
 本作では、主人公の女性がバリバリのキャリアウーマンで、ひどい言い方をすれば男を囲っていたという状況である。これって……男女の立場が逆だったら物語は成立しただろうか……? 男は、研究医でバイト程度の収入しかない、という設定だった。故に、一緒に住もうよ、と女性から言われても、いや、おれには家賃出せないよ、と実に弱気な、まるで拾われてきた子犬のような表情でぼそっと言う。すると女性は、じゃ、じゃあさ、その代り家事とかお願いできないか、わたし、料理も掃除もダメなんで、と必死?に説得する。そして、困ったなあ、的な表情でうつむく男、そしてそんな男にそっとキスする女性。まあ、どう考えても、男女が逆だったら、アウト!でしょうな。
 わたしが言いたいのは、くそう、うらやましい! とかそういうつまらないことではなくて(いや、正直に告白するとちょっとある)、どうも、こんなことあるかなあ? と嘘くせえと感じてしまったのがまず一つ。そしてもう一つは、本作の主人公は、どうもやけに男っぽいというか、かなり……なんというべきかな……かなり問題アリな女子なんだな。
 まず、かなり短気で、よく怒る。そして、かなり何度も酔っ払って帰ってきてはひどいことを言う。そしてすぐそんな自分に凹む。さらには結構八つ当たりめいた言動もする。また、これは最後の最後で告白される事実でわたしは非常に驚いたのだが、なんと男を囲っている期間中に、浮気してたことも判明する。これ、男だったら絶対許されないぜ? という思いがずっと頭から離れなかった。まあ、長澤まさみちゃんならすべて許してもいいけど、ズバリ言うと主人公のキャラクターにわたしはほぼ共感できなかった。
 ついでに言うと、わたしは全ての謎が解けた後で、今度は高橋一生氏演じる男にも、なんかその心理が良く理解できなくなった。偽名を使っていた理由はクリティカルすぎるので書きませんが、だからってなぜ、偽名で暮らそうと思ったのかはよくわからない。何しろ、そういった偽りの生活を送るには相当コストがかかるはずで、そう簡単ではなかっただろうことは、東京でまっとうに暮らす人間ならすぐに想像できるであろうからだ。主人公は携帯も銀行口座も持ってないような設定だったようだが(実は良くわからん)、それで生きられるほど甘くないすよ、東京は。バイト程度、と言っても収入はあったのだとしたら、相当いろいろな局面で偽IDは困ったはずだ。また、実は収入は全て過去の貯金の切り崩しだったとしても、口座にアクセスした時点で居場所はバレるのは間違いないだろう。要するに、そういった面でもわたしは、嘘くせえ、と感じでしまったのである。
 つまり、いろいろと甘い、ような気がしてならなかったのだが、わたしが一番、ええ~?と思った制作上の甘い点は、主人公女子が、男の過去を突き止めて、かつて男が棲んでいた家に行ってみたときのシーンである。家、というものは、人が住んで生活していないとあっという間にボロボロになることは、結構よく知られていると思う。だけどなんだあの保存状態のいい家は。もう7年ぐらい経過しているはずなのに、ほこりもかぶってないし、あれはナイと思うなあ……庭だって、7年放置したらもうとんでもないことになるぜ、普通に考えたら。あれは、ご近所のおじさんが手入れしてくれてたってことなのかしら。
 というわけで、そういう細かい作業がおざなりに感じられてしまったわけで、はっきり言ってそれらは全て監督の責任だろうと思う。監督が一言、これじゃダメ、と言えばいいだけだし、それほど金がかかることだとも思えない。そういう点が邦画を観て、世界に通用しないと感じてしまう点なのだが、キャラについての練り込みをもう少しだけでも深くできたら、この脚本はハリウッドに売れる出来と思う。基本プロットは悪くないですよ。実にアリ、な脚本だったのに、大変もったいないように感じた。そしてキャスト陣も、激賞はできないけれど、悪くないと思う。メインキャストを紹介して終わりにしよう。
 ◆主人公:実は役名が全く印象に残らなかったので、以下役名は省略します。主人公のバリバリキャリアウーマンを演じたのは長澤まさみちゃん。実に可愛いのは間違いないし、そのむっちりボディは極上なのも言うまでもなかろう。芝居ぶりとしては、え、ど、どういうこと?と戸惑う表情は大変良かった。キャラとして喜怒哀楽が激しく、それぞれの表情も悪くないす。ただなあ……この女子とはちょっと付き合えないかなあ……ちょっと遠慮したいタイプでした。なお、ラストの5分ぐらいはあるんじゃないかという超長回しのロングカットでの演技はお見事でした。何テイクぐらい撮影したのかなあ。
 ◆謎の男:演じたのは高橋一生氏。男からすると、そんなにイケメンか?と思ってしまうけれど、それはまあひがみなんでしょうな。この人の一番の魅力は「声」のような気がしますね。あとは笑い皺なのかな。演技ぶりは、現在時制では意識不明で寝ているだけだけれど、回想としてチョイチョイ出てくるイチャイチャシーンは大変絵になりますな。どうでもいいけどこのお方、歯並び悪いすね。それも魅力なのかな……。
 ◆探偵:ある意味主人公女子に振り回される気の毒なおっさん探偵。演じたのは吉田鋼太郎氏。キャラとして有能なんだかよくわからない探偵。加えて彼の家庭の話が必要だったのか、若干微妙のような……。あれはなくても物語にはあまり影響ないような……彼は、自分の妻の秘密(=嘘)を知ってしまって、「知らなければよかった」と思っているわけで、主人公女子にも「秘密を知ってもロクなことがないぜ」と言い聞かせるわけだが……じゃあなんで秘密を飯のネタにする探偵をやってるんだか、その点がやや消化不良のような気がする。その意味で言うと、「嘘を愛する女」というタイトルは非常にいいタイトルだと思うけれど、どうも内容に合っていたのか、若干微妙な気がする。
 ◆探偵の助手:いわゆる「椅子の男」として探偵をサポートする若者。演じたのはDAIGO氏で、彼は非常に良かった。キャラとしても一番有能で、使える男だったすな。しかし今回、ロン毛の怪しい風貌で、ぱっと見ではDAIGO氏には全くみえず、だけどしゃべると明らかにDAIGO氏で、彼のある意味いつも通りなひょうひょうとしたしゃべり方は、演技としてとてもナチュラルで、わたしとしては本作で一番素晴らしかったと称賛したい。彼は役者としてイケるんじゃないかしら?
 ◆謎のゴス女子:謎の男と交流があって、半ば謎の男のストーカーと化していた変態女子。演じたのは元AKBの川栄李奈嬢。大変可愛い。けど、ズバリこの役は物語に不要だったと思う。ただし、演技ぶりは悪くなく、今後役者として成長する可能性大だと感じた。アイドル的な作品よりも、シリアス系で十分イケるような気がしますね。笑顔よりも、ちょっとキツめの表情がかなりいいと思った。
 そして本作を撮った監督は中江和仁氏なる人物だそうだが、全く知らないす。ワンカットワンカットはとても丁寧でいいと思うけれど、もうチョイ、細部のリアルにこだわってほしいと感じたのは散々書いた通りです。

 というわけで、さっさと結論。
 去年、かなりの回数劇場で予告を観た東宝作品『嘘を愛する女』を観てきたのだが、メインプロッとは大変優れていて、うまくやればハリウッドに売れる脚本だと思うが、いろいろ制作上の詰めの甘さが目立って、その結果、何となく全体的に嘘くせえ、とわたしには感じられてしまった。その点は非常に残念だと思う。せっかく面白くなりそうな脚本だったのに、もうちょっとだけキャラを練り込んで、そして細部までこだわった画作りに徹してほしかった。しかしこの物語、男女が逆だったら完全アウトだろうな。男だったら到底許されそうにないというか……まあ、そこは長澤まさみちゃんだから許されるんすかね。実際、許します、わたしとしては。なので、結論としては、悪くないす。以上。

↓ よく分からんのだが、ノベライズ?というべきなのかな? 一応小説版もあるようです。
嘘を愛する女 (徳間文庫)
岡部えつ
徳間書店
2017-12-01



 というわけで、ごくあっさり年は明け、2018年となった。
 年末の大みそかは、わたしは一歩も家を出ずに、せっせと掃除などしていたのだが、午後からは、ずっと放置しっぱなしだったHDDレコーダーの中身をせっせとBlu-rayに焼いて移す作業に忙殺され、12時間ぐらいかかって13枚の50GBのBD-DL-REへ、これはとっとこう、という作品を移す作業をしていた。
 だいたい、BR-DLには、作品の長さにもよるけれど、わたしがいつもWOWOWを録画する録画モードで8本から9本ぐらいの映画が保存できるのだが、焼くのに1時間半から2時間弱かかる。なので、その間は「録画したはいいけどまだ観ていない」作品をぼんやり観る時間に費やしてみたのだが、何を観よう? と思って、そうだ、これにするか、と1番に再生を始めた作品が、2016年9月に公開された『怒り』という邦画である。なお、WOWOWで放送されたのはその1年後の2017年9月だったようだ。
 そして観終わった今、結論から言うと、役者陣の熱演は素晴らしかった。これはもう間違いなく、キャスト全員の熱は十分以上に感じられた。けれど、物語的に、3つのエピソードが交錯する形式であるのはいいとして、そのうちの2つは実は全く本筋に関係ない、という点はちょっと驚きだったし、肝心の、キャラクターそれぞれが抱く「怒り」の伝わり具合が少し弱いというか……うまく言えないけれど、天衝く怒り、身を引き裂かれんばかりの怒り、我を忘れんばかりの怒り、というものを描いた作品とは少し趣が違っていて、わたしの想像とは結構違うお話であったのに驚いたのである。
 というわけで、以下ネタバレまで触れる可能性があるので、気になる人は読まないでください。まあ、もうとっくに公開された作品なので今更ネタバレもないと思うけれど。

 というわけで、本作は3つの物語からなっているのだが、わたしはその3つが最終的に美しく合流するのだろう、と勝手に勘違いしていた。けれど、ズバリ言うと全然そんなことはなく、ほぼ、3つの話は重ならない。あ、そうか、正確に言うと4つの物語、かな。
 1)八王子で起きた殺人事件の話。
 八王子の住宅街で、暑い夏の昼間に、一人の主婦が絞殺され、さらにその夫も包丁で刺し殺される。現場には、被害者の血で書いたと思われる「怒」の一文字が残されていた……という事件で、犯人は誰なんだ? というのがメインの本筋。
 2)房総のとある漁港での父娘のお話。
 一人の初老の男が歌舞伎町を行く。そして、とある風俗店で、身も心もボロボロになった少女を見つける。それは、男の娘だった。男は娘を房総の家に連れて帰り、また元の生活を送る。そしてそこには、数か月(?数週間)前に房総の漁港にふらりと現れた、素性は良くわからない、けど無口で真面目でよく働く青年がいた。娘はやがて、その青年と恋に落ちるが……てなお話で、つまりその青年が八王子の殺人事件の犯人なのか? と観客はずっと怪しみながら観ることになる。
 3)東京のとあるゲイの青年のお話。
 東京で、非常に派手で羽振りの良い青年が、なにやら男だらけのパーティーを楽しんでいる。そしてその青年はパーティーを抜け出し、一人ハッテン場のサウナ?で、一人の若い青年と半ば無理やり行為に至り、その青年を自宅の高級マンションに囲う生活を送るようになるが……というお話。ここでも、拾われた訳アリ風の青年が怪しい、と観客は思うことになる。
 4)沖縄での少女と少年と怪しい青年の話。
 どこまでも透けるような美しい海を行く小さなボート。舳先に乗る少女と、操縦する少年。二人は無人島へ行き、ひと時の休暇を楽しんでいるようだ。しかし、一人島内を散策する少女は、廃墟に住む謎の青年と遭遇する。その後何度も島に通い、心を通じさせていく少女と謎の青年。ある日、少女は少年と那覇で映画デートをしているときに、あの怪しい青年が那覇にいるのを見かけ、3人は仲良く飲むが、帰りに少女に大変な悲劇が襲い掛かる……というお話。もちろん、その謎の青年も怪しい、というわけで、観客としては、この3人の誰が犯人なんだ、というのが本作の表向きのポイントだ。

 わたしは、観ながら、これはひょっとすると時間がズレているのかな? と思いながら鑑賞していた。実はこの怪しい3人の青年は全部同一人物で、それぞれ何年前、とか、時間がズレているのかと思った。「犯人は顔を変えている」がという情報も出てくるし、そういうこと? と盛大に勘違いしながら観ていたわけだが、しかし、結局それはわたしの無駄な深読みであり、どうやら時間はすべて同時進行だったようだ。そして、犯人も明確に判明する。なので、犯人捜し、という表向きのポイントは、え、ああ、そうなんだ、で終わってしまうような気もする。
 そして、わたしはさきほど、この房総と東京と沖縄の3つの物語は交錯しない、と書いたけれど、それぞれに登場する「怪しい青年」は、それぞれの物語のキャラクターたちに、「ひょっとしてこの人はあの八王子の……?」と怪しまれてしまう事態に陥る。そういう意味では、3つの話につながりがあるのだが、各キャラたちは出会うことはなくそれぞれの物語に終始する。
 また、3つの物語のキャラクターたちは、何かに深い「怒り」を抱いているという共通点もあるにはあるわけだが……、やっぱりわたしは冷たい男なんだろうな……あっさり言ってしまうと、日頃まっとうに生きることを旨とし、そして比較的普通に家に育ち、殺人などという事件には幸いなことに縁のないわたしから観ると、キャラクターそれぞれの抱く「怒り」にはそれほど深い共感はできなかった。
 というのも、それぞれのキャラクターが抱く「怒り」は、そうなってしまった結果としての現在へ怒っているようにわたしには観えたのである。つまり、そうならないための努力をしてきたのだろうかこの人たちは? とわたしは感じてしまったのだ。
 もちろん、いかに冷たい男のわたしでも、彼らの運命を「自業自得だよ」とは思わない。東京で病に倒れた青年はもうどうしようもなかったろう。そして房総のつましく暮らす父娘も、頑張って頑張った結果なのだとは思う。そして沖縄の物語は大変痛ましいものだった。
 しかし、どうしても、避けられたのではないか、そうならない未来、も有り得たのではないかという思いが捨てきれない。とりわけ沖縄の少女に起きた事件は、回避できたはずだ。あまりに無防備すぎた。その無防備を責めることはできないし少女には何の罪もないのは間違いない。でも、やっぱりどう考えても、回避できたはずだと感じてしまうわたしがいる。しっかし、夜の那覇の街って、本当にあんなにもヒャッハーな危険地帯なのだろうか? だとしたらもう、一生沖縄には行きたくないな……。
 まあ、結局のところ、観客たるわたしが、あれは避けられたはずだと考えても、物語で起きてしまったことはもはや取り返しがつかず、本作はそういう、人間の犯してしまうちょっとした誤りが決定的に人生に影響してしまうのだ、ということを描きたかったのだとしたら、わたしは全力でこの物語を否定したいように思う。そんなの分かってるし、それならちゃんと、そういった怒りに対する癒しを描いてほしかった。そういう意味では、房総の話と東京の話はきちんと癒しが描かれていて文句はないけれど、沖縄の話は全く救いがなく、実に後味が悪いまま終わっている。ここがちょっとわたしとしては問題だと思う。

 というわけで、なんだか非常に重い空気が全編に漂う映画であったと言えよう。しかし、とにかく役者陣の熱演は本当に素晴らしかったと、その点は心からの称賛を送りたい。以下にざっと素晴らしい演技を見せてくれた役者陣を紹介しておこう。
 ◆房総のお父さん:演じたのはハリウッドスターKEN WATANABEでお馴染みの渡辺謙氏。お父さんの背景はほとんど描かれないが、実直に真面目に生きてきた漁師(正確には漁業法人の代取)として実にシブい男であった。もう少し背景が分からないと、娘への気持ちが実際良くわからないように思った。
 ◆房総の娘:演じたのは、いつもは大変可愛いけれど今回はほぼノーメイクで熱演した宮崎あおいちゃん。精神が病んでしまったのか、何とも抜け殻のような儚さのある少女。薬もやらされてた風な描写であったが、正直やっぱり背景が良くわからない。なぜ歌舞伎町で風俗嬢をやっていたのかさっぱり不明。いや、なんか説明あったかな……あったとしても忘れました。そういった背景がわたしには良くわからず、彼女は果たしてこうならないような努力をしていたのだろうか? と思ってしまった。
 ◆房総に現れた素性が謎の青年:演じたのは松山ケンイチ氏。あまりセリフはない。つまりあまりしゃべらない=そのコミュニケーションロスが更なる悲しみを生んでしまったわけで、かと言って彼の背景からすれば容易に人を信用できるわけもなく、大変気の毒な青年。
 ◆東京の羽振りのいいゲイの青年:演じたのは妻夫木聡氏。わたしとしてはナンバーワンにいい芝居ぶりだったように感じた。ただ、描写として、ゲイを隠しているのか、気にしていないのか良くわからないし、病身の母を見舞う優しい青年であることは分かっても、謎の若者を囲うに至る心情は、実はわたしには良くわからない。最初の頃は若者を信用していなかったわけだし。淋しかったってこと? それならもうチョイ、仕事ぶりとか描いて、むなしい日々を送ってる的な描写がほしかった。
 ◆囲われるゲイの青年:演じたのは綾野剛氏。セリフは少ない。ラスト近くで、彼の秘密の暴露が行われるが、正直なーんだレベル。演技は素晴らしいけれど、やっぱり物語的に薄いような気がする。それよりも、ワンシーンのみの出演となった、青年の秘密を知る少女を演じた高畑充希ちゃんの演技ぶりが素晴らしくて、大変印象に残った。
 ◆沖縄の少女:演じたのは広瀬すずちゃん。大変印象的な表情が多く、この方は何気に演技派なのではないかと思う。大変素晴らしかったと絶賛したい。あまりに無防備なのは、すずちゃんの可憐な姿からも醸し出されており、ひどい目に合わせた物語には断固モノ申したい。とにかくすずちゃんの演技は非常に良かったと思う。
 ◆沖縄の少年:演じたのは佐久本宝君19歳。映画初出演らしい。演技ぶりは勿論まだまだだが、つらい役だったね。よく頑張りましたで賞。
 ◆沖縄の小島に隠棲する謎の青年:演じたのは森山未來氏。演技ぶりは大変素晴らしく、やはり森山氏のクオリティはとても高い。けれど、やっぱり脚本がなあ……キャラクター像が薄いと感じてしまった。最後の最後で明らかになる彼の秘密の暴露も、正直唐突だと思う。もう少し緻密な伏線が張り巡らされている物語を期待したのだが、なんだか……なーんだ、と感じてしまったのが残念す。

 というわけで、もうさっさと結論。
 年末に、WOWOWで録画しておいた映画を何本か観たのだが、一番最初に観たのが本作『怒り』である。公開されてもう1年以上経過しているが、やっと観てみた。内容的には、非常に重苦しい雰囲気が全編漂い、キャラクター達が抱く「怒り」も重いお話である。しかし、うーん、これは尺が足りないということなのだろうか? それぞれのキャラクターの背景までがわたしには汲み取れず、若干浅さ、薄さを感じてしまった。その結果、彼らの「怒り」にそれほど共感できず、で終わってしまったのである。ただし、それぞれの役者陣の熱演は本物で、実に素晴らしかったことは間違いない。犯人捜しが一つの軸であるはずなのに、どうもその軸がぶれているようにも思う。故に、最終的な種明かしも、わたしは若干なーんだ、で終わってしまったように思う。大変残念というかもったいなく感じた。これはアレか、原作小説を読めってことなのかな……どうも今回は小説を読んでみようという気になってません。何故なんだろう……要するに、そんな暗い話は今さら味わいたくないと逃げているってことなのかも。我ながら良くわかりませんが。以上。

↓ 同し吉田先生ののこちらの作品は、小説を読んでから映画を観ました。
悪人(上) (朝日文庫)
吉田 修一
朝日新聞出版
2009-11-06

悪人(下) (朝日文庫)
吉田 修一
朝日新聞出版
2009-11-06

 わたしは映画オタクとして、年間に40本ぐらいは映画館へ行って観ているのだが、そりゃあやっぱり好みというものがあり、一番の大好物は、ハリウッドアクションものである。が、別に邦画に偏見を持っているわけではなく、観たいな、と思えば邦画でも普通に観に行く男であることは、このBlogの過去記事をあさってもらえばご理解いただけるであろうと思う。問題は、観たいな、と思う作品が少ないということだ。
 ところで。ビートたけしこと北野武氏の作る映画は、たぶん全部ではないけど、ほぼ観ているつもりである。面白い! と思う作品もあれば、こりゃあ微妙すぎると思う作品も当然あるわけで、北野武監督作品だからと言って全作肯定派では全然ない。わたしの中では、北野作品でナンバーワンだと思っている作品は『あの夏、いちばん静かな海』なのだが、監督デビュー作の『その男、凶暴につき』(なんと28年前かよ! 当時わたしは大学生でした)からはじまった北野氏の、一連のヴァイオレンス系も結構好きで、近年の代表作といっていい『アウトレイジ』シリーズは、北野作品の中では2番目に好きだ。とにかく緊張感あふれる物語の流れ、そして突然始まる暴力、そういった、静と動の対比が実に上品で、いやもちろん画面に写される行為自体はとても上品じゃあないけれど、わたしにとっては非常に面白く思えるのである。
 というわけで、今日は待ちに待ったシリーズ第3弾にして完結編の『アウトレイジ 最終章』を観てきた。結論から言うと非常に面白く、これは今年のベスト10に入る出来栄えだとわたしとしては大満足であった。今のところ2位か3位かな……しかしあれすね、なんというか、シリーズの中で一番わかりやすく、そしてヴァイオレンス成分はいままでよりは抑えめで、そして、とても心に刺さるものがある作品だったと思う。以下、キャラの最終的な生死についても書いてしまうかもしれず、それは決定的なネタバレかもしれないので、知りたくない人は決して読まないでください。

 まあ、今までの流れを説明しだすとまた長大になってしまうので、今回の『最終章』だけ、ちょっと軽く物語をまとめてみよう。前作はラストで、警察のクソ野郎をぶっ殺した主人公大友は、その足で韓国へバックレて幕切れとなったわけだが、今回はその続きである。なお、本作はシリーズの「1」「2」両方とも観ていないと全く話になりませんよ。完全なる続編ですので。で、今回は、済州島で静かな日々を送っている大友の様子から始まるのだが、大友の世話になっている韓国ヤクザの管理する娼婦を日本から来たヤクザがギタギタにするという事件から物語は動き出す。当然大友としてはそんな奴は許せないわけで、乗り込んでいくと、そいつは何と、前作で出てきた関西の巨大組織、花菱会の幹部であることが判明する。とはいえ、ここは済州島、花菱だからなんだってんだ、というわけで、そのクソヤクザも強く出るわけにもいかず、金で解決することで話はまとまる……のだが、自分はさっさと日本に帰ったものの、手下が大友の世話になっている組織の若造をぶっ殺してしまい、コイツはケジメをつけてもらわねえといけねえ話だぜ……と大友は数年ぶりに日本へやってくるのだがーーーてなお話である。その先はもう観てもらった方がいいだろう。
 わたしがこのシリーズを通して強く感じるのは、「義理」と「責任」という問題だ。本作では、たいていの場合、「義理」を欠いた奴はその命で「責任」を取ることになる。これはまあ、我々普通の一般人からすれば、相当恐ろしいというか極端な話だけれど、わたしは、そういった「義理」を欠き、「責任」を取らずに平気な顔をしてるクズのような人間を、今までのサラリーマン人生で数多く目撃してきたので、そういった連中が命で償う場面には心底ざまあと思うし、正直非常にスッキリする思いである。多分、ここが、わたしがこのシリーズが大好きな一番の理由であろうと思うし、おそらくは、わたしと同じように感じる人もいっぱいいるのではないかと想像する。
 そして本作は、前述のようにシリーズの中では一番わかりやすく話が進むので、とても爽快?でもあった。たぶん、冒頭での済州島で偉そうにしていたヤクザが、さっさと謝っていれば(そしてそもそも変態SM趣味がなければ)話はここまで大きくならなかったはずだ。この点では、実はこのお話は結構、わたしの大好きな『John Wick』とか、そういったハリウッド作品にも通じるものがある。しかし、謝り方を間違えてしまったわけで、ビジネスの世界にも非常に通じるものがあるというか、ホント、サラリーマン諸氏にも深く共感できる物語なのではないかと思う。
 わたしは、サラリーマンとしてすでに20年以上働いているわけだが、仕事上の鉄則として、よく部下にも指導していることがある。それは、「相手がどんなクソ野郎であっても、絶対に相手を怒らせないこと。怒らせたらそれは自分が悪いと思え」という、わたしの仕事上の掟である。そして、万一やっちまったら、「即座に全身全霊でごめんなさいと謝ってこい。ひとりで行けないなら俺も行く。お前の言い分は後だ。まずはごめんなさいに行くぞ!」と言っている。
 わたしが思うに、仕事上でも何でもいいけれど、人を怒らせていいことはひとつもない。怒らせていいのは、相手を完全にぶっ殺す(仕事で言えばもう取引停止する)場合しかない。生かしておけば、確実に遺恨を残してしまう。なので、全身全霊で謝っても、それが通じないなら、殺す(しつこいけど仕事の場合はもう取引しない)しかないとわたしは思っている。
 だが、それが非常に難しい場合がある。それは、相手が「身内」の場合だ。社外の取引先なら、別に縁を切って、他の取引相手を探せば済むけれど、社内の人間だと、どうしたって顔を合わせる場面も生じてしまうわけで、しかもそれが、能力もないくせに役職だけは高い者の場合だと、はっきり言って最悪だ。そういう場合は、そいつと同等かさらに役職が上の「兄貴」や「叔父貴」に出馬願うしかない。
 本作の中では、そういった身内の抗争も出てきて、解決策としては殺す、命を奪うという行為に至るわけだが、それができないサラリーマン社会は、意外とヤクザ社会よりもよっぽどつらいのかもしれないな、なんて平和な感想をわたしは抱いた。まあ、だからこそサラリーマン社会はストレス社会であり、様々な人間の精神に変調をきたす出来事が起こるのだが、そういう人は、わたしを含め、この映画を観て、とてもすっきりするのだと思う。これはどうかなあ、女性もそうなのかなあ? 男だけ、であるとは思えないけど、男のように単純に女性がこの映画を楽しめるのか、ちょっとわたしには良く分からんです。
 そして本作は、明確にシリーズ完結編であることも、結構重要だ。はたして大友は、自ら信じる「義理」を通し、どのような責任の取り方をするのか。わたしは本作のエンディングは、実に北野作品らしい、正々堂々とした、見事なラストだったと思う。これ以外ないと思うし、これ以外は観たくなかったとさえ思う。このエンディングで、わたしとしてはこのシリーズが完全に傑作に登りつめたと絶賛したいと思います。素晴らしかったすね、本当に。

 さてと、一応キャストもざっとメモしておこうかな……と思ったけれど、主要人物が多すぎて、わたしが気に入った3人だけを紹介しておこう。もちろん、主人公大友を演じた北野氏は、もう書かなくていいすよね?
 まずは、シリーズ初参戦となった大森南朋氏だ。済州島で大友の世話係?として一緒に過ごしている男で、大友とともに日本へやってくる、今回唯一の味方だ。役名は市川かな。今までのシリーズからすると、まず間違いなく市川はクライマックス前に死亡するはずだ、とわたしは思っていたので、まあ、きっとそういう運命だろうな……と思っていたのだが、生き残れてよかったね! なんか、うまく自分の気持ちが整理できていないけれど、市川が生きて、済州島に帰ることが出来て、わたしはとてもうれしかったです。良かったねえ、という安堵感というか……ホント、市川だけでも助かってよかったよ。まあ、大森氏はイケメン?のわりに体つきが恐ろしく中年で、今まであまりかっこいいと思ったことはないけれど、今回の芝居ぶりは、どこかひょうひょうとしていて憎めない野郎でしたな。大変良かったと思います。
 次は、前作『ビヨンド』で超ヤバいというかおっかねえヤクザオヤジを演じた塩見三省氏だ。役名は中田、かな。前作であれだけヤバかった中田だが、今回はどうも中間管理職的に、出来に悪い部下を持ったために、上から散々叱られるような立ち位置にあって、その変わりぶりも、やっぱりわたしはサラリーマン社会を連想せざるを得なかったすね。しかし、どうも演じた塩見氏が脳出血で倒れて、リハビリ明けということで体調も良い状態ではなかったようですな。それもあってか、今回の塩見氏の演じる中田はほとんど怒鳴り散らすシーンはなく、ぐぬぬ……と耐えているような静かな演技が多かったすね。でも、その迫真のぐぬぬ……が大変素晴らしく、物語においても間違いなくキーパーソンの一人であり、塩見氏の演技は非常に良かったとわたしは称賛したいと思う。
 最後。これも前作『ビヨンド』から登場した、韓国裏社会のフィクサー的存在の張(チャン)というキャラクターを演じたのが金田時男氏という方だ。この方は、実は全く役者ではなく、普通に実業家の方だそうで、この方の息子が北野監督と仲良しで、その縁で出演に至ったのだという。よって前作ではほとんどセリフはないものの、ただものではない恐ろしいオーラを纏っているお方だが、今回は結構セリフがあり、しかも、一度スーパー激怒するシーンもあって、やっぱりこの方が一番怖い、ということがよーーく分かります。いやあ、ホントヤバいす。そして最高でした。

 というわけで、さっさと結論。
 公開を待ち遠しく思っていた、北野武監督作品『アウトレイジ 最終章』を今日観てきたわたしだが、わたしの期待にかなう、大変な傑作であったと思う。仕事においても、まあちょっと大げさかもしれないが人生においても、「この人は絶対に怒らせたらヤバい」という人に、誰でも出会うと思う。けれど、まあ、とにかく相手がだれであれ、人を怒らせて得るものなんて、何もないとわたしは思います。そして、万一やっちまったら、もう謝るしかないよね。全身全霊で。それすらできないクズも多いし、そもそも責任を取ろうとしないクズも、嫌になるほどいっぱいいますわな。そういうストレスと戦っている人には、この映画は超おすすめです! ただし! シリーズ「1」「2」の両方とも観てないとダメですよ! ぜひ、まずは1作目2作目を観て、その勢いで映画館へ足を運んでください。わたし的には、最高だと思います。以上。

↓ 今は配信で、今すぐにでも見られますが、どうやらAmazon Videoにはないようです。HuluとdTVであればラインナップに入ってるみたいですよ。
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2010-12-03

アウトレイジ ビヨンド [Blu-ray]
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2013-04-12

 わたしは映画や小説が大好きである。それはもう、このBlogを読んでもらえれば理解していただける通りであろう。実際、わたしがクソオタク野郎であることは、わたしの周りの人々にも認知されている事実だ。映画や小説、あるいは漫画、そういったものの他にも、好きなものはいっぱいあって、宝塚歌劇も大好きだし、登山やマラソンなどの持久系スポーツも得意だ。そんなわたしだが、歴史も日本史・世界史問わず好きで、中でも、信長の台頭から関ケ原に至る流れは、結構詳しいつもりでいる。
 なのでわたしは、司馬遼太郎先生の『関ケ原』が映画化されると聞いた時は、そりゃあ観に行かないとダメだな、と断定し、キャストも、石田三成をジャニーズ最強演技王の岡田准一氏が演じるとなれば、こいつは傑作の匂がするぜ……? とさえ思いこんでいた。
 というわけで、昨日から公開された映画『関ケ原』を早速観てきたのだが、のっけからもう、わたしはこの映画に対して、若干イマイチだったという旨を表明せざるを得ないだろう。確かに、確かに役者陣の熱演は素晴らしく、実に見ごたえはあった。三成の岡田氏、家康の役所広司氏など、本当に素晴らしい、渾身の演技だったことは間違いない。だが、はっきり言って、期待したほどは面白くなかった。それは一体なぜか? 以下、考察してみたい。いや、考察というか、答えはもうごく簡単で、一言で言えば、まとまりがない、ように思えたのである。おそらくそれは、本作を観た人ならばほぼ確実に感じることなのではないかとわたしは思う。

 とまあ、予告の出来は素晴らしくイイ! この予告を観たわたしのような歴史オタは、こ、これは期待できる! とゴクリと唾をのんだはずだ。だけど、観終わったわたしが真っ先に思ったのは、何とも言いようのない、もやもやした思いである。何がそうさせたのか。すでに前述のように、まとまりがない、とわたしは評したが、それは次のような点からそう思ったのである。
 ◆とにかく説明がなくて分からん
 1)登場人物が多すぎて誰だかわからない。
 まあ関ケ原の戦いを描くとなれば、そりゃあキャラクターが多いのはやむなしであろうとは思う。しかし、それにしても多すぎる。誰かが名を呼ばないとわからないようなキャラも多く、例えば大谷刑部井伊直政の鎧のような、ビジュアル的特徴がある場合は、わたしのような歴史オタならすぐに分かっても、残念ながらそうでない観客もいっぱいいるはずだ。わたしが観た回は、けっこう子供連れの親子も多く、ちびっこには100%理解不能だったのだろうと断言できる。なぜ断言できるかって? だって、わたしの隣に座ってた小学生ぐらいのちびっこ、通路を挟んだ隣の中学生ぐらいのガキ、二人とも、ぐっすり寝てましたよ。そりゃあ無理だったんだろうな。わたしですら、エンドクレジットを観て、あ、上杉景勝は登場してたんだ、そうか、五大老がそろうシーンがあったんだから、そりゃあいただろうな、でも、どれだったんだ? とか、もうさっぱりである。
 2)視点が定まらず、群像劇として軸がブレている。
 この、膨大ともいえるキャラクターたちの中で、本作の物語の軸となる主人公は、三成ようでいて、家康のようで、あるいは初芽や金吾だったりと、いわゆる群像劇のようになっているのだが、ほぼ、キャラクターの背景などの説明はないため、どうしてそのキャラがその行動をとるかという説得力に欠ける。この点も、歴史オタには通じても、そうでない観客には通じないだろう。群像劇は、それぞれをしっかり追う必要があるものだと思うけれど、かなり描かれる情報量に濃淡があって、どうも1本筋の通った軸が感じられず、あれもこれも、と手を出した結果、ブレブレにしか感じられなかった。俯瞰的な、神様視点で関ケ原の戦いを描きたかったのだろうか? だとしたら、失敗していると言わざるを得ないだろう。戦場の様子も正直良く分からず、どうして今の状況で、金吾がどう動くかで戦いの趨勢が決まるのか、まったく伝わっていない。おそらく関ケ原の戦いについて知識のない人が見たら、まったく理解できなかっただろうとわたしには思えた。
 3)端折りすぎて事件の経過も分からない。
 さらに理解を妨げるのは、場面がかなり時間的にも空間的にも飛びまくる点だろう。省かれてしまった出来事が多すぎて、なぜそうなったのか、キャラ説明もないだけに、明らかに説明不足だ。わたしが致命的に感じたのは、例えば、直江兼続と三成が挟み撃ちにするという作戦を立てるシーンを入れたのに、なぜ上杉軍は動かなかったのか、一切説明はなく省かれている点だ。また、三成が襲撃を察知して家康のところに転がり込んだ後の奉行解任・佐和山蟄居の流れも一切カット。さらに、珍しく薩摩島津家も登場させた本作だが(しかも『DRIFTERS』でおなじみの豊久までちゃんと出演させたのは大興奮!だけどまったく出番なし!)、島津家の思惑もまったくふわっとしか描かれず、何のために出てきたのか全く謎のままであった。アレじゃあ分からんだろうなあ……と思う。

 以上の3点は、重なり合っていて、上手く分類できなかったが、結局のところ「キャラが多すぎ、それぞれの背景も分からず、それぞれの思惑が分からない」ということに尽きると思う。これはたぶん誰が観てもそう感じることだと思う。わたしとしては、「軸のブレ」が非常に気になったことで、とにかく、本作のような群像劇は完璧な計算が必要なはずなのだが、どうも配分というか、共感度合いというか、ポイントが絞れておらず、結論としてわたしは「まとまりがない」と思うのである。逸話としての有名なエピソードをあれもこれも、と取り入れいるうちに、逆に重要な情報がそがれていき、軸が失われてしまったような印象だ。本当に残念である。

 しかし。以上の点は役者陣には一切責任はなく、各キャストの熱演は本物であり、パーツパーツでは大変見ごたえはあったことも間違いないと思う。というわけで、素晴らしい熱演で魅せてくれた役者陣に最大級の敬意を表して、各キャラ紹介をしておこう。
 ◆岡田准一氏 as 石田三成:素晴らしいの一言。NHK大河で演じた黒田官兵衛もすさまじい気迫あふれる渾身の演技だったが、今回も素晴らしかった。本作での三成は、秀吉の治世を「利害による治世」であると否定し、「義による政体」を樹立すべきであるとする男として描かれている。それはそれで美しいけれど、まあ、現代も利害によって国が成り立ち世界が成り立っているのは間違いないわけで、やっぱり「大一大万大吉」の世は夢と消えるのはどうしようもないでしょうな。いずれにせよ、とにかくカッコよく素晴らしい演技であった。
 ◆役所広司氏 as 徳川家康:まあ、本作は三成視点の方に重点が置かれているので、悪役としての登場だけれど、役所氏の演技は相変わらず素晴らしく、歴代家康史上でも最高峰の家康ぶりであったように思う。今回の描かれ方は、確かに憎々しい悪役テイストではあったけれど、客観的に見れば現代ビジネスの世界ではごく当たり前の気配りによる調略で、なんというか、ここが家康の凄いところだ的なものは感じられなかったように思う。まあ、そりゃあ三成は、こんな家康の配慮の前には孤立しますわな。
 ◆有村架純嬢 as 初芽:歴史上の人物ではなく創作キャラ、だと思う。わたしは正直、まーた架純ちゃんを登用して変なLOVE展開でも付け加えるんだろうな、と大変失礼な高をくくっていたのだが、実に、実に素晴らしい演技で、大絶賛したいと思う。本作では、関ケ原の戦いが情報戦であったことも描こうとしていて、その情報戦の主役たるスパイ=忍の者、にも結構大きな役割が加えられている。各陣営に雇われている伊賀者が、陣営の壁を越えて夜集まる「忍び市」なる情報交換会が行われていたという描写があって、それは非常に興味深かった。しかし、やっぱりいろいろと説明不足であったし、これは忍びの者としての演出なので架純ちゃんには全く非がないことだが、非常に早口で、セリフが聞き取りづらかったのも少し気になった。ただ、架純ちゃんの演技はとにかく素晴らしかったと絶賛したい。
 ◆平 岳大氏 as 島左近:わたしにとって左近といえば、原哲夫先生の漫画や、その原作である隆慶一郎先生の小説『影武者徳川家康』で超お馴染みの武将だが、演じた平氏はそのビジュアルといい、演技ぶりといい、もう完璧であったと思う。とにかくカッコイイ。これまた歴代左近史上最高だと思った。
 ◆東出昌大氏 as小早川秀秋 a.k.a."金吾":さまざまな関ケ原に関する物語で、「裏切り者」と言われる金吾だが、本作では、本当は三成に協力したかったけれど家康によって配備されていた柳生宗章に無理やり徳川につかされたという描写になっていた。そして、戦いの後に捕縛された三成からはやさしい言葉をかけられるなど、裏切り者としてよりもかわいそうな人、という扱いであった。演じた東出氏は、まずまずであったと思う。ちなみに、剣聖・柳生石舟斎もチラッと出てきてわたしとしては大興奮であった。
 ◆福島正則加藤清正黒田長政の「三成ぶっ殺し隊」トリオ:正直存じ上げない方が演じていたので割愛。描写としては、これまでもよく見た「過激な若者たち」で、特に思うところはない。ただ、一つメモしておくと、有名な長政の兜(水牛の角のアレ)と正則の兜(以後、長政の兜としておなじみの一の谷型のアレ)を交換して和解するシーンがあるのだが、2年前、福岡で開催された「大関ケ原展」での解説によれば、一の谷型の兜は、当時はゴールドの金箔が張られていた可能性があるらしいのに、本作では現在残っているもののようなシルバーであった。まあ、その後の調査でも、うーん、金だったのか銀だったのか、良く分からんというのが現在の結論のようなので、文句は言わないけれど、ゴールドの一の谷兜も観てみたかったすね。わたしは実物を福岡で観ましたが、意外と長政は小柄なお方だったようですな。
 ◆松山ケンイチ氏 as直江兼続:もう完全にワンシーンのみ。マツケン氏の芝居は全く文句はないけれど、三成最大の同盟者たる上杉家についてはほぼ何も描かれずだったのは残念です。まあ、本作においては本筋ではないという判断なのだろうけれど、三成の「義」を強調した物語なのだから、「義の上杉家」をカットするのはちょっともったいないと思った。
 あーイカン、キリがないので、あと大物を二人だけ。
 ◆西岡徳馬氏 as 前田利家:いやーカッコ良かった。大納言様がカッコイイとやっぱり締まりますな。三成ぶっ殺し隊の若者たちを一喝するシーンはとてもカッコ良く、西岡氏の貫禄が非常に大納言・利家にマッチしていたと思う。
 ◆滝藤賢一氏 as 豊臣秀吉:いやー、やっぱり滝藤氏は演技派なんすねえ。実にいい芝居であったと思う。ただし、本作においては若干チョイ役で、秀吉の執念じみたものにはあまり重点は置かれていなかったように感じた。

 思うに―――といっても完全な素人映画オタクの浅はかな考えだけれど、やっぱり取捨選択を一本筋の通ったものにする必要があったのだろうと思う。例えば、完全にもう”情報戦”というコンセプトに絞って、いかに三成と家康は自らの陣営を整えていき、三成の切り札は上杉家と金吾の動きであり、家康の切り札は金吾の寝返りに尽きる、というような、そこが崩れれば負けてしまう、という、両陣営ともに実にあぶなっかっしい、ギリギリの戦いだった、ということに絞ればよかったように思う。そうすればもっと登場キャラクターを整理して絞ることが出来たろうし、画面に登場させなくても忍びの報告で状況は説明できたのではなかろうか。そして最大のポイントである「義」と「利」の対立も、もっと明確に描けたのではなかろうかと思うのである。期待した大作だけに、とても残念だ。

 というわけで、結論。
 かなり期待して観に行った『関ケ原』であるが、どうも、何もかも説明不足で、「一見さんお断りムービー」に仕上がってしまっていたように思われる。しかし、キャスト陣の熱演は素晴らしく、とりわけ三成を演じた岡田准一氏は素晴らしい! また、有村架純嬢も、期待よりもずっとずっと見事な演技であった。もう少し、コンセプトを絞って、徹底的な緊張感のある凄い映画にしてほしかった……ちなみに、パンフレットは非常に分厚く、物語に描かれなかった情報満載で大変読みごたえがあります。が、パンフで補完されてもね……なんというか、実に残念です……。以上。

↓ 今わたしが一番見たい映画。関ケ原の戦いという題材は日本人なら誰でも知っているお馴染みのもので、イギリス人ならだれでも知っているらしいダンケルクの戦いに近いような気がするんすよね。果たして天才Nolan監督は、そんなダンケルクの戦いをどう描くのかが楽しみです。

 かつての寅さんでおなじみの『男はつらいよ』という作品は、年に1本~2本公開されることが当たり前だったわけで、いわゆる「プログラム・ピクチャー」というものだが、本作もそのような人気シリーズになるのだろうか。
 去年3月に公開された山田洋次監督作品『家族はつらいよ』を観て、大変笑わせていただいたわたしとしては、今日から公開になった、続編たる「2」も当然早く観たいぜと思っていたわけで、今朝8時50分の回で、早速観てきた。結論から言うと、お父さんのクソ親父ぶりは増すまず磨きがかかっており、おそらくは日本全国に生息するおっさんたちは、笑いながらも感情移入し、そして日本全国のお母さんや子供たちは、ああ、ほんとウチの親父そっくりだ、とイラつきながら笑い転げることになろうと思う。ただし、笑えるのはおそらく40代以上限定であろう。今日、わたしが観た回は、わたしを除いてほぼ100%が60代以上のベテラン親父&お母さんたちであり、映画館では珍しく、場内爆笑の渦であった。まあ、若者には、平田家のお父さんはクソ親父過ぎてもはや笑えないだろうな。

 というわけで、あの平田家の皆さんが1年2か月ぶりにスクリーンに帰ってきた! 詳しい家族の皆さんについては、前作を観た時の記事をチェックしてください。もう一人一人紹介しません。
 今回のお話の基本ラインは、73歳(だったかな?)のお父さんの免許をそろそろ返納すべきなんじゃねえの? という家族たちの思惑と、ふざけんなコノヤロー!と憤るお父さんの家庭内バトルである。そしてそこに加えて、お父さんがばったり出会った旧友と飲み明かし、べろべろになって家に連れ帰り、なんと翌朝、その旧友が冷たくなっていて―――という、とても笑えない状況の2本立てである。
 まず、免許証の返納だが、正直これはわたし個人も、老いた母の運転が心配であり、実に切実な問題だ。なにしろ本作で描かれる平田家のお父さんは、ぶつける・こする・追突する、と愛車のTOYOTA MarkIIはもうボロボロである。10数年乗っているという設定だったと思うが、劇中使用車はおそらく7代目のX100型だと思うので、2000年に生産終了しているはずだから、もう17年物である。そんなぼろぼろのMark IIでは、そりゃあ家族も心配だろう。幸いわが母はまだぶつけたりしていないが、たまに母運転の助手席に座ると、実は結構怖いというかドキドキする。母の場合、ブレーキングやアクセルワークよりも、車幅感覚が危なっかしいように感じてしまうが、まあ、平田家のお父さんはよそ見運転で追突したりと、要するに完全に不注意であり、これはきっと性格の問題だろう。
 平田家のお父さんは、とにかく観ていてイラつくクソ親父だ。それはまず間違いなく誰しもそう思うと思う。何といえばいいのかな、日本全国のクソ親父のすべての成分を凝縮させているというか、まったく同情の余地がなく、若者が観て共感できるわけがない。早く死ねよとすら思う若者だっているだろうと思う。なにしろ、わたし自身がそうだったのだから。
 しかし、そんなクソ親父でも、死んでしまった後になると、結構許せてしまうのだと思う。それは理由が二つあって、一つは、単純に時が過ぎて思い出に代わるから。そしてもう一つは、あんなに嫌いだったクソ親父に、自分自身も似てきてしまうからだ。そう、男の場合は、おそらく誰もが、大嫌いだった親父に似ている自分をある日ふと発見し、その時初めて、クソ親父を許せるようになってしまうのである。その時、許すとともに、自分を後悔するのが人間の残念な性だ。もうチョイ、やさしくしてやればよかったかもな、いやいや、クソ親父はひどかったし! いやでも……それでももうチョイ言い方はあったかもな……なんて思えるようになるには40歳以上じゃないと無理だと思う。なのでわたしはこの映画は、若者が観てもまったく笑えない、むしろイライラし腹を立てることになるのではないかと思うのである。まだ親父を許せていないから。
 本作では、西村雅彦氏演じる長男が、もう完全にお父さんそっくりになりつつあり、かつまた、現役サラリーマンという社畜のおっさんで、実にコイツもクソ親父である。まったくこの長男にも共感のしようがなく、きっと夏川結衣さん演じる奥さんもあと15年後には大変な苦労をすることが確実だ。今回、免許返納にあたって、まずこの長男が、奥さんに対して「親父にきつく言っとけよ!」と命令し、いやよそんなのできないわ、そうだ、じゃあ成子さん(長女で税理士のしっかり者。演じるのは中嶋朋子さん)にお願いしましょう、となり、成子もいやよ、わたしの言うことなんて聞きやしないわ、じゃあ、庄太(次男。やさしい。ピアノ調律師。演じるのは妻夫木聡くん)に言わせましょう、お父さん末っ子には甘いんだから、というように、見事なたらい回しで、お父さん説得役が回されていく。この様子はもう爆笑必至なわけだが、前作ではまだ付き合っているだけだった庄太の彼女、憲子さん(演じるのは蒼井優ちゃん。かわいい!)が、本作ではもう結婚して奥さんになっていて、しかたなく庄太と憲子さんが平田家を訪れる、という展開である。
 この流れの中に、一人足りない、とお気づきだろうか? そう、お母さんですね。でも、お母さんは最初からあきらめているし、今回は前半でお友達と北欧へ旅行に行ってしまうので、不在なのです。そんな中、もうしょうがないなあ……と全く乗り気のしない庄太は憲子ちゃんを伴い平田家にやってくる。そして、話をしようとした矢先、お父さんから、庄太、お前にオレの愛車をやるよ、とお父さんの方から話が始まる。おおっと、お父さん!自分で決断して車を手放す決心をしてくれたんだね!と感激の庄太&憲子ちゃん。
 父「(真面目な顔でしんみりと)オレもなあ……大切に乗った愛車だし、愛着あるんだけどなあ、しょうがないよ」
 庄太「お父さん! 大切に乗らせていただきます!」
 父「お前が乗ってくれるなら安心だよ」
 庄太「お父さん、ありがとう!」
 父「オレもとうとうハイブリットだぜ!(じゃーん!と超嬉しそうにカタログを開いて) TOYOTAプリウス! こいつに乗り換えだ!」
 一同「ズコーーーッ!!」
 わたしはこのやり取りが一番笑ったかな。
 そして後半の、旧友とのエピソードは、何気に重くズッシリ来るお話なので、これは劇場で観ていただいた方がいいだろう。まあとにかく、最後までお父さんはトンチキな行動でどうしようもないクソ親父なのだが、一人、憲子ちゃんだけが「人として当然」という行動をとるわけで、それが本作ではほとんど唯一の救いになっている。ほんと、憲子ちゃんはいい子ですなあ……。
 というわけで、わたしは大変楽しめ、実際うっかり爆笑してしまったわけだが、前作が最終的な興行として13.8億しか稼げなかったことから考えると、本作もそれほど大きくは稼げないだろうな、という気がする。なにしろ観客のほとんどがシニア割引きで単価も安いしね……それに、前作を観てなくて、いきなりこの「2」を観て楽しめるのかも、わたしには良く分からない。最近だと、きちんとこの「2」の公開前に、前作をTV放送したりするけれど、そういった配慮は全くナシ。大丈夫なのかな……本作が10億以上売れて、シリーズ化がきちんと進行することを祈りたい。
 
 というわけで、ぶった切りで結論。
 山田洋次監督作品『家族はつらいよ2』を早速観てきたわけだが、劇場はおじいちゃんおばあちゃんレベルのシニアで満たされており、若者お断りな雰囲気であったが、内容的にも実際若者お断りな映画なのではないかと思う。無理だよ、だって。この話を若者が観て笑うのは。お父さんがクソ親父過ぎるもの。誰しもが観て笑うと思っているとしたら、そりゃあちょっと年寄りの甘えというか、ある種の傲慢じゃないかなあ。でも、一方で、わたしのような40代後半のおっさんより年齢が上ならば、間違いなく爆笑できる大変楽しい映画だと思います。それはそれで大変よろしいかと存じます。が、なんというか……日本の映画の未来はあまり明るくねえな、とつくづく思いました。アニメが売れることはいいことだし、一方でこういうシニア向けがあってもいい、けど……なんかもっと、全年齢が楽しめるすげえ作品が生まれないもんすかねえ……。無理かなあ……。タイトルデザインは、かの横尾忠則氏だそうですが、ズバリ古臭い。そりゃそうだよ。もう80才だもの。若者には通用しねえなあ……。以上。

↓やっぱり前作を観ていることが必須なのではなかろうか……。

 昨日、先週のNHK大河『おんな城主直虎』を録画したのを観ていて、しっかし地味というか、井伊家は人材不足だなあ……つーか、まだちびっ子の虎松(後の井伊直政)に対する直虎さまのスパルタ教育振りは、きっと現代のお優しい方々からまた変なクレームがつくんじゃなかろうか……とまったく大きなお世話なことを思いながら、それにしても井伊家は、さっさと家康の手下になって、勝ち組になるわけで、徳川四天王なんて言われるほどに出世するのは、今のところのドラマの流れを見ると、実力というよりもまるっきり運だったのかなあ、と極めてテキトーなことを感じた。まあ、後に青年となった直政が24~25歳ごろの小牧・長久手の戦いで超頑張るわけで、家康に仕えて以降は実力なのは間違いないと思うけれど、はたしてNHK大河『おんな城主』はどこまで描くことになるのだろうか……? 直虎さまの死までだろうけど、それは時代的に一体どの辺りなんだろうか?
 などとぼんやり考えていたのだが、そういや、「ひこにゃん」でお馴染みの井伊家の赤備えのあの鎧が、超印象に残るシブイ映画があったっけ、あれは……そうだ、あの作品だ、と一つの映画を思い出した。それは、2011年に観た『一命』という作品である。

 この作品は、珍しく邦画でかつ時代劇なのに3D作品として公開され、わたしも3D版で観て、ああ、なるほど、チャンバラに3Dはアリだな、そして雪の舞うシーンも3Dだとイイじゃないですか、と大変面白かった覚えがある作品だ。わたしは実は三池監督作品はあまり好みでないし、主演の市川海老蔵氏にも何も思い入れもないのだが、あの『一命』という映画は大変素晴らしかったと称賛したいと思っている。
 ところで、その『一命』という映画は、実際のところ1962年に発表されたとある映画のリメイクであることはもう有名であろう。いや、リメイクってのは違うか、同じ小説を原作にしている、というべきか。まあ、とにかくわたしはその古い方の作品は観ていないのだが、昨日、あれ、そういや、『一命』がWOWOWで放送されたときに、一緒にその作品も放送されたんじゃなかったっけ? 一緒の時期じゃないとしても、そのオリジナル作品も録画したような気がする……ぞ? という気がしてならず、おまけに井伊家のあの鎧が何故か頭から離れないので、HDD内および焼いたBlu-rayディスクを捜索したところ、ちゃんと『一命』とセットでその古い作品の方もBlu-rayに焼いてあるのを発見した。さすがオレ、抜かりないぜ! と自画自賛しつつ、それじゃその古い方を観てみよう、という気になったのが、昨晩20時ころのことである。
 その作品こそ、1962年の松竹作品『切腹』である。監督は小林正樹氏。脚本は数多くの黒澤明作品でもお馴染みの橋本忍氏、そして音楽は巨匠武満徹氏だ。わたしとしてはこのお三方揃い踏みという時点で、これは絶対面白いに違いない、という予感を抱いたわけで、実際観てみたところ、実に素晴らしかったのである。

 まず、物語は正確に比較したわけではないが、わたしの記憶にある『一命』そのままで、『一命』の脚本って、この『切腹』の脚本を丸ごとそのまま使ってんじゃね? と思うぐらい一緒だった。でもまあ、結果的にそりゃ当たり前か。で、どんな物語かというと――
 時はおそらく1600年代前半。芸州広島藩・福島家に仕えていた浪人者の主人公が、井伊家にやって来て、もう生きてても仕方ないので切腹したいんだけど、その場として井伊家の玄関先を貸してくれないか、とお願いするところから始まる。この背景にある、福島家改易といえば、戦国武将オタクには大変有名な事件で、城の補修が武家諸法度に違反するとして秀忠にケチをつけられたあの事件のことだ。福島正則といえば、三成が大嫌いで東軍についたけれど、そもそもはバリバリの秀吉配下の武闘派の男であり、徳川家からすれば超・目の上のタンコブである。あの事件が1619年のことで、本作の物語はそれから10年後ぐらいなので、まあ大体1630年ごろの話と思っていいだろう(主人公は、関ケ原(だったか大坂の陣かも)に出陣した時以来、数十年ぶりに人を斬るってセリフがあった)。 で、当時、そういった食い詰めた浪人者が江戸にはいっぱいいて、「押しかけ切腹」というものに、各武家は大変迷惑していたという背景があったそうだ。なんでそんな浪人者の「押しかけ切腹」がブームになっていたかというと、それを最初にやった浪人者が、「まさしく武士の鑑だ、ならばうちで雇って進ぜよう」と思わぬ再就職に成功したことがあったらしく、その後それを真似した奴がいっぱい出てきて、各武家は「ちょっともう勘弁しろよ……超迷惑……じゃあ、ちょっとだけ金やるから、さっさと失せやがれ」とあしらうようになり、結果的に、「押しかけ切腹は金になる」ことを発見した不届きな浪人者が多かった、てなことらしい。
 というわけで、物語では、 主人公が切腹させてくれと井伊家に現れ、井伊家の留守居の家老が、またかよ……と思いながら、ところであんた、元福島家中のお人って言ったね、そういやちょっと前にも、同じ元福島家の野郎が来たんだよ……と、その時の話を主人公に聞かせる。いやあ、あいつはホントダメな奴で、じゃあ、どうぞ、腹切しなさいよ、って言ったら動揺しちゃって、まあ見苦しかったね。結局、無理矢理にでも切腹してもらったけどさ、だからあんたも、さっさと帰んなさいよ、なんて話をする。そして、実は主人公こそ、その無理矢理切腹させられてしまった男の義父だったことが分かり、主人公はとある決意をもって井伊家にやってきたことが判明する――てなお話である。
 わたしはこの脚本は極めて精巧で実に見事なものだと手放しで賞賛したい。回想と現実の順番というか組み合わせ方が実に素晴らしく、グイグイと物語に引き込まれる傑作だ。そしてわたしが今回観た1962年Verは、とにかく役者陣の演技も素晴らしかった。わたしが特に感銘を受けたのが、以下の4人の方々だ。
 ◆主人公:津雲半四郎
 演じたのは仲代達也氏。すごい迫力&眼力。どうやら当時30歳ぐらいらしい。わたしは『一命』においてこの役を演じた海老蔵氏(当時33歳か34歳ぐらいかな)は、ビジュアル的に、お話の割には若すぎるんじゃなかろうか? という印象を持ったが、調べてみれば当時の仲代氏の方が若いんすねえ。しかしそれでもまったく違和感なし。もう完全に後がない、超切羽詰まった心境がすさまじく伝わり、深く、激しく、静かに怒り狂っているそのオーラに心を鷲掴みにされた気分です。とにかくすごい。
 ◆井伊家馬廻り番:沢潟彦九郎
 演じたのは、丹波哲郎氏。当時40歳ぐらいらしい。これが超ニヒルというかクールで、超おっかない見事な演技であった。物語的には悪役なのだが、彼の主張は実のところ至極ごもっともなことばかりで、確かに冷たい男ではあったけれど、法的には、というか当時の常識的にはなんの瑕疵もないド真面目な侍だったと思う。とにかく怖くてカッコイイ。そして『一命』においてこの役を演じたのは青木崇高氏か。確か丹波先生Verよりももっと嫌な奴で、悪党っぽく描かれていたと思う。なので最終的な物語の結末にざまあと思った記憶がある。
 ◆井伊家家老:斎藤勘解由
 演じたのは三國連太郎氏。当時39歳か? やはり眼力が凄い。この役は、最初は冷静に淡々と話を聞き、話すのだが、だんだんと津雲半四郎の正体が分かって来るにつれて動揺してくる、というように、観客の理解にシンクロする非常に重要な役で、やっぱり物語的には悪役かもしれないけれど、この人も別に何も悪いことはしていないと思う。この役は、『一命』では役所広司氏が演じ、わたしの好みとしては役所氏の方が良かったかも。役所氏も実にシブかったすね。ただ、やっぱり『一命』における役所氏の演じた斎藤勘解由の方が、悪役色は強かったかも。
 ◆津雲半四郎の娘:美保
 演じたのは、若き頃の岩下志麻さん。当時21歳かな!? 超美人というか、やっぱり若いころは相当可愛かったんですなあ。今ももちろんお美しい方ですが、びっくりするぐらいの別嬪さんでした。芝居ぶりも極めて上物。『一命』でこの役を演じたのは、満島ひかりさん。確かに彼女も儚く美しく、演技ぶりも大変良かったと存じます。
 しかし、やっぱり記憶にある『一命』は当然カラー(そして3D)で、今回観た『切腹』はモノクロなわけで、その点だけでもかなり違うはずなのに、印象としてはそれほど違いがないのは、やっぱり当時の時代劇のライティングや撮影が見事だからなんじゃなかろうか……という気がしてならない。演出・撮影ともにパーフェクトに近いとわたしは感じた。
 ただ、やっぱりカラーだと、「赤」が鮮明に目に焼き付くわけで、この作品では「赤」という色は、極めて重要だろうと思う。まずは「血」。そして、やっぱり「赤備え」のあの鎧だ。赤は、基本的にモノクロでは「黒」(あるいは「グレー」)として描画されるわけで、モノクロゆえのインパクトも当然あるのだが、本物の「赤」の鮮烈さにはやっぱり敵わないのかもしれない。とにかく、暗い画が続く『一命』の中で、赤い血と赤備えの鎧が非常に強いインパクトとして記憶に残っている。
 また『一命』で、無理矢理切腹させられた男を演じた瑛太氏の演技も素晴らしかったのが印象的だ。この役は、『切腹』で同じ役を演じた石濱朗氏よりも、瑛太氏の方が優っていたような気がするのだが、それでも、モノクロで描かれた、ぎらついた、切羽詰まった眼や必死の形相は実に迫力があったと思う。素晴らしい演技ぶりであった。

 というわけで、もう言いたいことがなくなったので結論。
 NHK大河を観ながら、井伊家つながりで『一命』『切腹』という映画を連想するのは映画オタとしての習性なのかもしれないが、もし井伊家に興味がある方は、ぜひこの2作を観て見比べていただきたいと思う。両作ともに大変な傑作だとわたしは思う。『一命』は、三池監督作品にしては珍しく(?)落ち着きがあるというか重厚でオススメだし、小林監督Verの『切腹』も、役者陣の熱演と恐ろしく緊張感に満ちた画面は一見の価値ありであろう。実にシブく音楽もイイ。しかしホント、脚本レベルではどのぐらい違いがあるんだろうか。『一命』のスタッフクレジットには『切腹』の脚本を書いた橋本忍氏の名はないのかな……どうなんでしょう。『一命』の脚本家がまさか『切腹』を観てないわけないしな……。ちょっと今度『一命』をもう一度見てみよっと。以上。

↓ こちらが原作。『一命』公開時に復刻?されたっぽい。元は「異聞浪人記」という短編みたいですな。
一命 (講談社文庫)
滝口 康彦
講談社
2011-06-15

↓ こちらが『一命』の配信Ver。
一命
市川海老蔵
2013-11-26

↓ おっと、『切腹』も配信されてら。便利な世の中だなあ。
切腹
仲代達矢
2013-11-26

 わたしはもう受験生の頃からずっと朝型で、社会人になってからも当然朝型生活を続けている。わたしとしては全く自然で当たり前のことなのだが、どうも世間的には希少種らしく、わたしの行動を聞いて驚く人が多い。まあ、そんな人はどうでもいいのだが、要するに、わたしにとっては朝の方が何事も集中できるし、電車もガラガラだし、何かとストレスが少なく、快適だからそうしているだけだ。わたしの長年の経験によると、ズバリ言って早起きは誰でもできる。誰でもできない、結構難しいことは、「早寝」の方だ。早く寝ちまえば誰だって朝起きる。ズバリ、いつまでも起きているから朝起きられない。それだけのことなのだが、実は「早寝」はなかなか難しく、習慣化しないとすぐには出来ないことだと思う。ついでに言うと、もうここ20年以上、目覚ましより後に起きたこともない。どういうわけか、自動的に目が覚める。これは普通じゃねえかもな。 
 ま、そんなこともどうでもいいのだが、今朝、1月3日だというのに、わたしは普通にAM6:00に目が覚めた。会社のある日はもっと早く起きているわけだが、休日でも、遅くても6時半には目覚める。それ以上寝ると、もう頭痛がひどくなって一日がパーになる。ので、この正月休みも6時起きがわたし的デフォルトである。
 で。コーヒーを淹れながらTVをつけっぱなしにして、昨日の箱根駅伝の往路の様子を新聞でトレースしながら、あーあ、まーた青山学院が勝っちまうなあ……こりゃあもう6区の山下りで差を縮められないと決まりだろうな……なんて思いながらふとTVに意識を戻したところ、わたしが毎週日曜日の朝見ている、CXの「はやく起きた朝は」という番組が始まってることに気が付いた。あれっ!? 今日何曜日? つか火曜じゃん? と思いながら見ていると、どうやら皆さんお着物だし、正月スペシャルらしい。というわけで、ぼんやり見ていたところ、途中で、磯野貴理子女史がとある映画を激賞しはじめ、森尾由美ちゃんや松居直美ちゃんにも絶対観ろと激しくお勧めしていた。
 その映画は、たしか10月ごろ公開になってとっくにFirst Runは終わってるはずだが、貴理子女史によれば、まだ都内で続映中の映画館があるという。そしてとにかく素晴らしいから観ろ、とのことであった。 わたしも確かに公開時にちょっと気になっていたものの見逃していた映画であったので、そんなに貴理子女史が勧めるならば、まあ、どうせもう箱根は青学で決まりだし、午後はちょっくら観に行くか、と上映館を調べてみた。
 すると有楽町でまだ上映していることが判明したので、すぐさまチケットを予約し、午後観に行くことにした。というわけで、わたしが2017年1本目として観てきた映画は、宮沢りえちゃん主演の『湯を沸かすほどの熱い愛』である。はっきり言ってちょっと出来すぎな美しさはあるものの、確かにわたしも泣かされてしまったのであった。ホント、宮沢りえちゃんは美しく年を取ってますなあ……。以下、いつも通りネタバレを含んでいますので、自己責任でお願いします。

 公開前に予告は何度か見ていたが、まあ、時系列はかなり入れ替わっていたりするけれど、大体物語は上記予告の通りである。余命宣告を受けた主人公のお母ちゃん、が、心残りとならないよう様々なことを頑張るお話である。
 わたしはまた、散々観てきた余命モノとあまり変わらないんだろうな、と思っていたし、実際、それほどこれまでにあったお話と変わるところはない、と言えそうではある。しかし、この映画は、そういった物語よりも、やはり役者陣の芝居ぶりを堪能する映画であろうと思う。主演の宮沢りえちゃんをはじめ、二人(じゃなくて三人か)の子役も素晴らしいし、実に泣けるお話であった。
 ただ、一つだけわたしがイライラムカムカしたのは、やっぱりオダギリジョー氏演じる夫のキャラクターだろう。とにかくスーパーちゃらんぽらん過ぎて、全く笑えないというか、実際おっそろしくひどい男だと思う。ちょっと説明のために、各キャラ紹介を軽くやっておこう。
 ◆双葉:主人公の「お母ちゃん」。前向きポジティブな頑張り屋さん。宮沢りえちゃんの熱演は素晴らしかった。
 ◆一浩:主人公の夫。1年前、実家の銭湯と家族をほっぽり出して失踪。ただし探偵を雇って調べたら隣町に住んでいたことがあっさり判明。すごすご戻ってきたクソ野郎。無責任&無計画。一切情状酌量の余地なし。とにかくひどい男。いくらオダギリジョー氏でも許せん。
 ◆安澄(あずみ):主人公夫婦の娘。高校生。学校でいじめられている。演じた杉咲花ちゃんが素晴らしい!よくもまあ、グレずにいい子に育ったもんだ。ちなみに杉咲花ちゃんは、味の素のCMで回鍋肉をバクバクもりもり食べるあの娘さんです。後半、重大な秘密の暴露があり、泣ける……!
 ◆鮎子:夫が浮気して出来た娘。失踪中の夫が一緒に住んでいた。銭湯に戻った夫についてくる。演じたのは伊東蒼ちゃんという子役で、とにかく彼女の芝居が素晴らしくイイ!!! しょんぼり顔がもうたまらなく悲しそうに見えるし、笑顔も可愛いし、まあ最高すね、おっさん的には。
 ◆拓海:お母ちゃんと安澄と鮎子の三人旅の途中で出会った青年。演じたのはシンケンレッドこと松坂桃李くん。この人はカッコいいですなあ、ホントに。トンデモゆとり青年が、お母ちゃんと出会ったことで変わるのだが、まあ、なんというか、出来すぎというか美しいわけで、ちょっとアレですが、カッコいいから様になるんだよなあ……全然許せちゃうのはさすが殿ですね。

 というわけで、ストーリーは別に説明しなくてもいいと思うのだが、見どころはもう、お母ちゃんそのものですよ。学校でいじめに遭って、休みたいという娘に対して、休んではダメだ、逃げちゃあダメ!!! と叱り飛ばす姿は、たぶん今のお優しい、ゆとりあふれる世の中とは正反対でしょうな。そりゃそうだよ。お母ちゃんには、もう、時間のゆとりがないんだもの。逃げて先送りにしている暇はないわけで、そしてその叱咤激励に応える安澄ちゃんもまあ健気なことといったら、とても勇気のある行動で、本当に素晴らしい演技でした。
 そして、やっぱり、クライマックスで、ちゃらんぽらんな夫がお母ちゃんに見せた心意気に、死にたくない、生きたいと涙するお母ちゃんの姿には、もう場内盛大にみなさんくすんくすんであった。もちろんわたしも泣けました。参ったっす。
 ただ、タイトルの意味が分かるエンディングは、正直ちょっと……という気もしなくもない。引っ張りすぎというか、もうチョイ前で終わりにしても良かったような気もしなくない。社会的通念という常識に照らし合わせても、ちょっと……どうなんだろうという気もする。しかし、どうもこの作品は原作小説などのない、オリジナル脚本のようだが、おそらくはこのエンディングが先にありきで、ここに至る物語を書いたのだろうと想像する。なので、まあ、ちょっとアレのような気もするけれど、このエンディングなしにはこの物語は成立しないんだろうな、と思うので、結論としてはアリとしておきたい。
 しかし、ある日突然、余命宣告をされたら、オレはそれを受け入れられるのだろうか、と、わたしはそんなことを考えながらこの作品を観ていたわけだが、たぶん、どのくらいかわからないけれど、1週間で済むのか1か月以上かかるのかわからないけれど、まずはもう、悲観に暮れてどうしようもなくなるでしょうなあ。けれど、おそらく、ある時点で、受け入れて、残りの時間を大切に使おうという心境に至るんだろうと思う。いや、思いたい、かな。そして淡々とその日に向けて暮らし、その直前に、死にたくない、ともう一度泣きわめくことだろう。わたしはもうかなり、色々なことに達観してしまったおっさんなので、それなりな覚悟――死なない人間はいない――をしているつもりだけれど、まあ、取り乱すだろうな、きっと。そして、この物語の主人公のような、最後の命の炎を燃やすエネルギーというか、オレにはそういうエネルギーになる「強い思いを残しているもの」はないかもしれないな、と思った。まあ、しょうがないよ、もはやどうにもならんし。淡々と受け入れるしかねえかもしれないなあと思うと、やっぱ淋しいもんですね。

 というわけで、なんかぶった切りですが結論。
 TVで磯野貴理子女史が激推ししていた映画『湯を沸かすほどの熱い愛』を、超今更観てきたわけだが、たしかに貴理子女史の言う通り、泣ける素晴らしい映画であった。いろいろ突っ込みどころもあるとは思うけれど、宮沢りえちゃんの熱演に身をゆだねて涙するのも、悪くないんじゃないでしょうか。いやはや、もう場内みんなくすんくすんという状態でありました。そりゃ泣けますよ。間違いないす。以上。

↓ おっと? 一応ノベライズかな? 小説化されてるっぽいすね。著者は監督&脚本の中野氏本人みたい。最近監督本人による小説が流行ってますね。売れてなさそうだけど。



 

 というわけで年末である。
 大掃除、というものは、普段からせっせときれいにしていれば、とりわけ必要がないわけで、わたしも別に部屋の大掃除はしないが、それよりも……と、HDDにたまっている、WOWOWで録画したはいいけれど観てねえ、というたまった映画を大掃除する必要があった。
 ので、昨日の夜からせっせと観始めているわけである。まず一発目として、じゃ、観てみようと再生ボタンを押してみたのが、日本映画の『人生の約束』という作品だ。公開されたのは今年2016年の1月。ちょうど1年ほど前ということになるが、散々劇場で予告は観ていたものの、正直どんな映画なのか、まるで予備知識はなく、予告で観た竹野内豊氏のカッコよさと、江口洋介氏が相当怒っている表情が印象的だったので、観てみようと思った次第である。どうも、原作小説などは存在しない、オリジナル脚本のようですな。そして観終った今、結論から言うと、役者陣の熱演は素晴らしいし泣けるお話であある。しかし、どうも演出や、やっぱり脚本かなあ、とにかく、ポイントポイントで、若干残念というか、もっと面白くできたんじゃねえかなあ、と生意気な上から目線の感想を抱くに至ったのであった。

 予告はいくつかのVerがあるようで、わたしが去年の今頃劇場で散々見た予告は別のものだったように思うが、上記の予告は、比較的物語を伝えてくれていてわかりやすい。まあ、だいたい上記予告のような物語である。ただし、少しだけ補足しておいた方が良かろうと思うので、ちょっと大まかな流れを説明しておこう。
 竹野内豊氏演じる主人公は、新興IT企業で、上場もしている大きな会社のCEO。現在大きなM&Aの最中であり、完全なワンマン社長で、200億でまとまりそうなバリュエーションも、180億まで叩け、と取締役たちや経営企画の若造どもといった、取り巻きのイエスマンたちに指示している。そのやり口は強引であり、一人異論をはさむ若者(演じたのはシンケンレッドこと松坂桃李くん)に対しては、あいつはクビにしろ、とイエスマンどもに命じるような男だ。
 そんなCEOのもとに、数日前からとある男から電話が何度もかかってきている。が、取らないで放置していたところ、あまりに何度もかかってくるので、ええい、なんだよもう!と取ってみたところ、無言電話。何なんだよ、と思うも、その相手は、かつて主人公とともにこの会社を起業した親友であり、経営方針をめぐって解任した男(当時の副社長)で、もう3年会っていないし消息も知らない男であった。そんな男の携帯からの着信、そして無言電話。そのやり取りを見守っていた有能な秘書(演じたのは優香ちゃん。相変わらずかわいい)は、何かあったのでは、一度お会いした方が良いのでは、確か故郷に帰られてるはず、と具申し、CEOもやけに気になるので、秘書を伴い、親友の故郷である富山県氷見市へ向かう。そこでは、まさにその親友の葬儀が行われていて――てなお話である。
 そして親友が大切にしていた地元の祭りで象徴として町中が大切にしていた山車が隣町に譲渡されてしまったことや、祭りを通じて「繋がる」ことの意味を知ってゆく主人公、さらには、東京では自分の会社が金融商品取引法違反(どうやら粉飾決算)で東京地検特捜部の強制捜査が入り、自らも任意出頭を求められるなど会社として超マズい状況にも陥り、すべてを失ったことで主人公は、亡くした親友の存在がかけがえのないものだったことを知ってゆくのだった――という展開である。
 わたしも経営企画として会社の経営に携わり、M&Aも数多く経験しているので、冒頭のあたりは思い当たる光景が続き、ああ、懐かしいと非常に身に染みて思った。ま、会社のTOPだけしか見ていない取り巻きのイエスマンなんてのはきっとどの会社にもいるんだろうし、わたしだって、そりゃあ積極的にイエスマンになった覚えはないけれど、結果的には、心の中でそりゃあ違うんじゃねえすか、と思っても明確に反対意見を表明するようなこともせず、へいへい、そうっすか、と従ってきた身としては、この映画で戯画化されているイエスマンどもと本質的な違いはなかろうし、明確に反対意見を述べる松坂桃李くんのキャラは、現実的にはこんな奴ほぼいないとは思っても、やっぱりとてもまぶしく見えた。そして会社側の人間であった身としては、CEOの気持ちもわからないでもない。はっきり言えば、多かれ少なかれ、会社のTOPはこの主人公に通じるものがあると思う。このあたりは、たぶん普通の人には全く伝わらないことだろうし、普通の人が観たら冒頭の主人公は単なるイヤな野郎にしか見えないと思う。
 というわけで、わたしはかなり主人公よりの視点でこの映画を観ていたわけだが、どうしてもここは……と思う点がいくつかあった。
 ◆やけに素直でイイ奴な主人公
 おそらくはまだ若いからかもしれないが、主人公はやけに素直でイイ奴だ。きっちり自分の非を認めるし、自分が起業した会社を手放すことになっても素直に応じる。それはそれで美しいし、泣かせるポイントでもあるけれど、まあ、現実はこうはいかねえだろうな、とわたしは冷ややかに思った。加えて言うと、IT企業のTOPたる男が、親友の正確な所在地を知らぬまま、取り敢えず故郷の町へ行ってみようと行動するのも若干違和感がある。親友の葬儀に偶然行き着いたわけで、あれは変というか、ばっちり調べてから行くか、秘書が知ってた、という流れであるべきだったと思う。空振りだったらどうするつもりだったんだろう。
 ◆ポイントとなる親友と、その残された娘
 この亡くなった親友は、逆光での影と声しか登場しない。キャストクレジットにも、誰が演じたか公開されていない(声は上川隆也氏っぽかったけれど、どうだろう?)。故にどうも実在感がない。おそらくこの親友とのやり取りがリアルであれば、主人公の改心にも説得力が増したはずだが、そこが若干薄いのが残念に思った。この親友を一切見せなかった演出は、結果論としてはかなり微妙だと思う。もちろんあからさまに登場させても全く別の感想になった可能性が高いわけで、どっちが良かったのかは正直分からないけれど……。また、カギとなる親友の娘も、どうしてもよく分からない。彼女は、亡くなった親友(彼女にとっては父)のことを、「あの人」と呼び、若干心の距離があるようなのだが、その点についてほぼ説明がない。彼女にとっての父がどういう存在だったのか、その点も非常にドラマとして重要だと思うのだが……そして父のことを嫌っていた的に描かれているのに、妙に主人公になついていく様子も正直よく分からない。もっと言えば、主人公がこの親友の娘の存在を知らなかったという点も、どういうことなのか分からない。ただし、娘を演じた高橋ひかるちゃんはウルトラ可愛くて、とても魅力的だった。超可憐です。名前を憶えておきたいと思った。
 ◆カット割りや演出面
 正直イマイチ、だと思う。間がわざとらしいというか……たとえば、主人公が東京の豪華マンションで携帯を机に置く。そして数秒そのままのカット。わたしはきっとこの携帯が鳴るんだろうな、と思うと、その通り携帯が鳴り、主人公はそれを取る、みたいに、意図が分かるというか先が読めるような場面が多いし、場面のつなぎもテンポが悪い。それに……ラストシーンの中途半端感が半端ないように思う。どうも余韻というか、え、ここで終わり感もあったように感じる。わたしはまたエンドクレジットでなにがしかのその後の物語を示唆する映像があるのかと思った。あそこで終わらすならもうちょっと別のラストショットがあっても良かったような気がしてならない。

 というわけで、脚本や演出面でわたしとしては若干残念に思う所があったものの、一つ一つのセリフや役者陣の熱演は素晴らしく、その点ではとても美しくて良かったと思う。胸にグッとくる名セリフはいっぱいあったなあ。上記に貼り付けた予告にも、それらのグッとくる台詞は収録されていますね。
  つっぱしるだけじゃなく、立ち止まってしか見られない風景もある。
 人生の踊り場。過去も未来も見渡せる年齢。
 失くしてから気付くことばっかりだよ、人生は。 
 全くその通りなんだろうな、と、まさしく主人公たちと同年代のわたしには心に響く。まあ、わたしは主人公たちよりちょっとだけ上なのかな。もう人生の踊り場を過ぎて、先に登ってしまったわけで、後はもう登りきるだけ、なのかもしれない。キャスト陣も、良かったすねえ。町会長の西田敏行氏、親友の奥さんの兄の江口洋介氏、イヤーな隣町の町会長を演じた柄本明氏、など、皆さん芸達者でグッとくる演技を見せてくれます。その点では非常に上質で素晴らしかったと思います。

 というわけで、結論。
 『人生の約束』という映画は、美しく泣ける話、ではあるものの、演出や脚本には若干残念なところもある微妙作、というのがわたしの総合判定である。ただし役者陣の熱演は素晴らしく、見ごたえは十分であろう。興行的には10億に届いていないので、最終的には赤字かなあ。だとしたら大変残念だ。オリジナル作品が売れてくれないと、ホントに邦画の未来は暗いとしか言いようがないのだが……今に邦画はコミック原作とアニメしかなくなっちゃうぜ。なんか、とても残念です。以上。

↓ もうとっくに配信もされてるし、いつでも観られます。
人生の約束
竹野内 豊
2016-07-06

 わたしは相当本を読む男として周囲に認識されているが、どうも、「本屋大賞」なるものは好きではない。まあ、理由は単純で、わたしの趣味とあわない作品が受賞することが多いから、というだけである。そういう意味では、「直木賞」も「芥川賞」も、実際どうでもいい。しかしながら、不況がもはや恒常的になった出版界においては、そういった賞を獲ると売り上げがググッと伸びるわけで、出版関係者からすれば、「本屋大賞」は一番欲しい賞でもある。あ、今ふと思い出したけど、例外的にわたしが超好きな作品で「本屋大賞」を獲った例があったことに気が付いた。上橋菜穂子先生の『鹿の王』は、あれは「本屋大賞」を獲ってうれしかったっけ。
 のっけから矛盾したわたしの心中を書いてしまったが、 まあ要するにわたしの場合、「本屋大賞」を受賞したから、ということが本を買って読む動機になりえないわけで、2013年に、第10回本屋大賞を受賞した『海賊とよばれた男』という作品も、最初から全く読む気はなかったし、今現在も読んでいない。著者に対する微妙な偏見もあったことは正直に告白しよう。あいつの作品なんて買うわけねーじゃん、と思ったんだと思う。たぶん。
 しかし、今回その『海賊とよばれた男』が映画化され、あまり積極的に観たいとは思わなかったものの、前作『永遠の0』は、物語的には十分面白かったと思うし、映像も一部見どころがあったので、まあ、今回も観てみましょうか、という気になった。それに主役は、ジャニーズナンバーワン演技派の岡田准一氏である。おそらくはきっと、その芝居ぶりは素晴らしいだろうという期待もあって、映画館へ出かけたわけである。
 そして観終った今、確かに物語は美しく泣ける話だとは思う。そして期待通り、岡田氏の演技は素晴らしかったと思う。思うのだが、いくつか気になる点があったので、以下、備忘録として書き留めておきたい。いつも通り、以下ネタバレがいっぱいあるかもしれませんので、自己責任でお願いします。

 物語は、上記予告から想像できる通りであるので、物語について書くのはやめておく。
 はっきりと最初に書いておこうと思うが、映画としてこの作品は非常に泣ける。とても素晴らしい映画だと思う。なので、あまりこの映画に対してケチをつけたくないという気持ちが大きいので、わたしは自分の行動を若干後悔しているというか、ああ、調べなきゃ良かった、と思っているのだが……実は、わたしが観終って真っ先に思ったことは、この物語は、事実にどれぐらい基づいているんだろう? という興味であった。
 冒頭に、確か英語でこう出たように記憶している。
 This Story is inspired by True Event.
 正確には単語が違ってたかもしれないが、要するに「この物語は実際に起きた出来事にインスパイアされています」ということで、わたしはその冒頭の文字を観て、ああ、なんだ、事実に基づいているんじゃあないんだ、創作なのね、と少し肩透かしを食らった。わたしはまた、出光興産の創業者出光佐三氏の物語かと思っていたので、その点は明確に違うんだなということを冒頭で知らされたわけだが、別にそれは、作品そのものの本質には関係ないので、実際のところ特に問題だとは思わない。
 しかし、だ。やっぱり、物語が出来すぎている。実際、わたしも泣きそうになるぐらいグッと来てしまったわけであるが、映画館を出た瞬間に、わたしは、はたと「事実はどうだったんだ?」ということが気になってしまったのである。
 で、インターネッツ神にお伺いを立て、さまざまに調べてみたところ、なるほど、『海賊とよばれた男』の物語はおそらくは事実とだいぶ違うんだろうな、ということが想像できた。あくまで推測だが、ポイントは、おそらくは出光佐三氏の親族に関する描写であろうと思う。映画には一切登場しない、佐三氏の息子(それぞれ第2代・第5代の出光興産の社長)はもっと重要人物であっただろうし、そもそも出光興産が上場したのはつい最近、というか2006年のことで、それまではいわゆる同族経営の会社であり、多くの親族が重要なポストについていたのは間違いなかろう。その辺は一切映画では描かれない(映画には兄は出てくる)。日章丸事件でのイランとの交渉ももっと時間がかかったはずだし、交渉役もまた佐三氏の弟だったようだ(映画では元大日本帝国陸軍中野学校出身の、元GHQ通訳が入社して大活躍)。
 つい最近まで株式上場してなかった事実に関しては、映画の中でも石油メジャーと呼ばれる外国企業との資本提携を一切断ることからも想像できるとおり、本物の出光佐三氏の意向だろう。そして今現在、昭和シェルとの経営統合に向けて出光興産は動いていることが報道されているが、出光佐三氏が存命であったなら絶対ありえないだろうし、実際に、上場後は経営から退いている(?)出光家の人々も大株主としてその経営統合には反対の意見表明をして対立している。このような事実から想像するに、会社経営において一族の影響力は絶大だったはずだ。そして、物語に息子を登場させなかった理由も明白だろう。息子が出てきては、一番泣ける、一番ラストの「ユキ」さんのエピソードに影響してしまうから、であろう。
 つまり、結論から言えば、『海賊とよばれた男』という作品はどうやら相当美化されてんじゃねえかな、というのがわたしの結論である。しかも、意図的に、である。あからさまに言ってしまえば、「泣かせるために」であるとも邪推できる。なので、その点に関して言えば、わたしは原作小説に対して、なーんだ、という気がやっぱりしてしまうし、やっぱり小説を読んでみたい気持ちには全然なれなかった。出光家の人々や、現在の出光興産の人々がこの映画を観てどう思うのかなあ、という言わばどうでもいいことが、わたしは非常に気になった。まあ、佐三氏が絶対にダメ、と言っていた外資との経営統合も検討せざるを得ないほど、現在の出光興産の業績は厳しいわけだけど。<※追記:今回の出光と昭和シェルの合併は、むしろ昭和シェル救済の意味も強いみたいですね。出光興産の業績が厳しいのは事実だけれど、それよりも会社側としては石油業界全体の厳しさゆえの経営統合、なのかもしれない>
 もちろん、そういうわたしの思いはかなりねじ曲がった見方であるので、作品そのものの評価に対してはフェアではなかろう。だからもう一度言っておくが、映画としてはかなり面白かったと思う。おそらく、なんだかんだと文句をつけつつも、映画をほめたい気持ちでいるわたしの心境は、役者陣の素晴らしい演技に対する敬意なのではないかと思う。
 そう、わたしには、いろいろ調べてみた結果においても、岡田准一氏の芝居ぶりには、まさしく出光佐三氏のスピリッツがきっちり受け継がれ、表現されていたと思えるのだ。 冒頭にわたしは、岡田准一氏はジャニーズナンバーワン演技派と書いたが、ホントにいつも思うのは、ジャニーズ演技派の双璧である二宮和也氏と、非常に対照的だなあ、という点である。
 二宮氏が、いわば天然、素の演技派の素晴らしい俳優であるのに対し、岡田氏は明らかに作り上げタイプの役者だ。今回、20代から90代のキャラクターを特殊メイクで演じ切った岡田氏の芝居は、本当に出光氏の魂が乗り移ったかの如く、素晴らしかった。その渾身の演技は誰がどう見てもパーフェクトだと感じることだろうと思う。本当に素晴らしかったとわたしは心から賞賛したい。

 そして、映像に関してであるが、日本のCG技術に関するわたしのいら立ちは、散々このBlogにおいて書いてきたので、もうあまり触れたくはないのだが、やはり、本作でも、ちょっとイマイチかなあ、という出来であるように感じた。問題は、CGで描く対象物の「質感」にある、と何度も書いてきたわたしだが、やっぱり、日本最高技術を誇る白組であっても、正直まだまだ、だと思う。
 冒頭で、わたしは『永遠の0』の映像において一部見どころがあると書いたが、わたしがあの映画でこれはすげえ!と興奮したのは、航空母艦「赤城」のCGただ一点だ。あの赤城は素晴らしい出来栄えで、おお、日本のCG技術もここまで来たかとわたしは大興奮したものの、残念ながらそれ以外の零式艦上戦闘機の空戦シーンなどは全くダメで、ガッカリしたのだが、今回も、ポイントポイントのCGは非常にクオリティは高かったものの、人物やモノなど本撮影したオブジェクトと、CGで描いたオブジェクトの質感が均一化されていない箇所が見受けられ、全体的にCGのクオリティは、現状では日本最高であろうとは思えても、世界基準ではまだまだレベル、映画オタク的に言うと、1993年の『Jurassic Park』ぐらいには十分追いついたかな、レベルであった。同じ山崎監督の『Space Battleship YAMATO』では全く感じられなかった「巨大感」は今回かなり向上されていたことは間違いないが、ホント、もうチョイ質感が上がるといいのだが……今回も空戦がちらっとあるけど、飛行機の質感は前作に比べたら格段に良かったものの、どうにも「本当に飛んでいる」ようには見えず、残念であった。ひょっとしたら、空戦シーンの問題点は、CGの出来の問題ではなく、カット割りの問題なのかもしれない。見せ方、演出の問題なのかもしれないなあ……。ただ、これはホントに言いがかりに過ぎず、普通の人には全く感じられないであろうことはちゃんと書いておこう。あくまで、映画オタクの備忘録なので、わたしとしては次回作に期待したいと思う。

 やれやれ。なんだか非常に散らかった文章になってしまったので、自分のために整理しておくと、
 ◆映画としては非常に良かった。泣ける。岡田准一氏が素晴らしい!!
 ◆ただし、事実とは別物と思った方が良さそう。相当な美化があるのかも疑惑。
 ◆(なので、今更原作小説を読みたいとは思わない)
 ◆CGのクオリティは、前作から確実に良くなっているが、世界的に見たら今一つ
 ◆書かなかったけれど、岡田氏の演技がすごすぎて、共演の皆さんが若干霞む。
 ◆(ただしそれぞれの役者の皆さんの熱演はやっぱり素晴らしい) 
 ということを、わたしは言いたかったようです。

 というわけで、結論。
 いや、結論は上記の◆の通りです。人に勧めたくなるかというと、若干微妙ではある。非常に失礼なことを言えば、描かれる出来事をそのままうのみにしてしまう、Naiveな方にはお勧めですが、事実はどうだったんだろうと興味を持ってしまう人には、「これはフィクションですから」で矛を収められないようならやめておいた方がいいかもしれない。まあ、長大な時間軸をかなり駆け足で描くので、その点も、なにかと難しく考えてしまう人には、ちょっと、あれっ!? と思ってしまうかもしれない。わたしとしては、事実と切り離せば、十分面白い映画であったと思うので、観てよかったと思っています。以上。 

↓  へえ、こんな著作があるんですなあ。非常に気になる。つか、読んでみたいな。


 

 わたしは、黒澤明監督の作品が大好きなわけだが、まあ、やっぱり、一番好きなのはどれかと聞かれると、実はかなり悩むし、未だに結論は出ない。結局のところすべて好きであり、一番はちょっと決められないのが現実なのだが、それでもやはり、『七人の侍』に関しては、一番かどうかは分からないけど、TOPクラスに好きであるのは間違いない。
 とにかく、すげえ。
 わたしは黒沢映画を見ていない人は、断じて映画好きとは認めないし、いろいろなところでそう言っていることはすでに周りではおなじみなので、まさか『七人の侍』を観ずして、わたしの前で「いやあ、オレ映画が好きなんすよ」と抜け抜けと言える人間はもはやいないと思うが、 観ていない人はマジで一度観た方がいいと思う。とにかく、すげえ、のである。
 わたしの記憶では、一番最初に観たのは80年代中頃のTV放送だと思う。1989年~91年まで、わたしはビデオレンタルのバイトをしていたが、当時、『七人の侍」のビデオソフトは発売されていなかったと思う。少なくとも、わたしがバイトをしていたレンタル屋には置いていなかった。その店はかなり大きな店で、置いてあったのは『乱』『羅生門』『静かなる決闘』『白痴』『デルス・ウザーラ』と言った東宝以外の作品と、東宝作品では確か『用心棒』『椿三十郎』ぐらいしかなかったと記憶している。単に置いてなかっただけなのか、発売されていなかったのか、実はよくわからないのだが、とにかくそんな状況だったので、わたしが黒沢作品をすべて見たのは、今はなくなってしまった銀座の「並木座」という名画座での「黒澤明の世界」という特集上映で、あれはたぶん1991年か1992年のことだと思う。
 そして、その当時、わたしの友だちがロスに留学していたのだが、まだインターネッツなどなく、当然メールも携帯すらもない時代、たまに手紙をやり取りするぐらいだった友達から、ある日国際電話がかかってきた。もちろん、家の固定電話に、である。その時のことはいまだに明確に覚えている。こんな電話で、わたしは大興奮したのである。
 友だち「た、大変だーーっ!!」
 わたし「ど、どしたの!? 何があったんだ!?」
 友だち「さっき、こっちのモールで買い物してたんだけど、大変なものみつけちゃった!!」
 わたし「は? 何を?」
 友だち「七人の侍!! ビデオ売ってる!! 49ドル99セント!!!」
 わたし「……な、なんだってーーー!?」
 友だち「どうする? ほしいよね? 買う!? 送ろうか!?」
 わたし「買いでお願いします……!!!!」
  というわけで、当時の友だちもわたしも金がなかったのだが、郵便局でMONEY ORDERという外国郵便為替? みたいなので50US$を送金したのである。懐かしい……。そして、3週間後ぐらいに友だちから送られてきたのが、これ↓である。久しぶりにわたしの本棚から引っ張り出してみた。
7samurai
 全然関係ない写真のパッケージが笑えるけれど、まぎれもなく『THE SEVEN SAMURAI』であり、中身はちゃんと『七人の侍』で、なんと、当たり前だが英語字幕入りである。「たわけ!!」が「FOOL」と訳されていて笑える。要するに、わたしにとっては『七人の侍』という作品はかなり思い入れがある、ということを言いたかっただけです。以上、前振り終了。

 というわけで、いつも通り無駄な前置きが長くなったが、今日、久しぶりにまた、劇場の大スクリーンで『七人の侍』を観てきた。2週間前に観た『生きる』同様、4Kマスターによる「午前十時の映画祭」である。
 この「午前十時の映画祭」という企画は、A日程の劇場とB日程の劇場と別れていて、A日程の劇場ではすでに2週間前に公開されていて、わたしもTOHO新宿へ観に行こうと思ったのだが、さすがに『七人の侍』は大変多くの方が劇場に駆け付けたようで、土日などは完売が相次いだそうだ。わたしが行こうとした初日も完売であった。で、仕方ないので、B日程の始まった昨日、TOHO日本橋へ観に行こうと思ったらまたしてもほぼ完売で、いい席がもうとっくになかったので、今日、地元市川にて観てみることにしたわけである。感心したことに、TOHO市川はちゃんと2番箱を『七人の侍』のために用意していて、キャパ317人の2番目に大きいスクリーンでの上映となっていた。そしてお客さんの入りも結構多く、人気のほどがうかがえる様相を呈していた。まあ基本、60代以上のおじちゃんばっかりだったけど、ちらほら、若い映画オタ候補の青年たちも観に来てましたね。よしよし、えらいぞ君たち。
 そして、肝心の4K修復だが、わたしがこの記事を見て仰天したことは、既にこのBlogでも書いた通りで、かなり、というか相当画質はクリアになっている印象だ。まあ、『生きる』の時も書いたけれど、元のノイズだらけの画像を知らない人だと、ある意味普通に思えることだろうが、はっきり言って超クリアである。音声の方も、一部はどうしても聞き取りずらい部分はあるが(何しろ怒鳴っているようなしゃべり方だし)、それでも、主要キャストのセリフはかなり明瞭になっていると思う。素晴らしい修復だとわたしとしては惜しみない称賛を送りたい。ほぼ、ごみやノイズはゼロ。コントラストもはっきりしていて、実に観やすく分かりやすい映像になっていた。この修復もすげえと思う。苦労のほどは、上記のリンク先のAV-Watchの記事をどうぞ。
 ところで……もう『七人の侍』については説明いらないよね? 物語については、もはや誰でも知ってるよな、観てなくても。なので、今回は自分用備忘録として、七人の侍たちの名前と、最終的に生き残ったのかどうか、をまとめつつ、わたしが名言だと思う名セリフをあげつらっておこう。なので、以下はもう完全ネタバレ全開です。
 ※以下動画は、「午前十時の映画祭」について仲代達也氏が語っているもので23分あります。

 【島田勘兵衛】
 侍たちのリーダー。演じたのは、『生きる』の渡辺さんこと志村 喬氏。最高です。
 百姓たちが侍探しをしているとき、盗人をとある侍が退治する現場に遭遇し、その腕を見込んで百姓たちが一番最初にスカウトした男。ちなみに、勘兵衛に斬られた盗人が小屋から出てきて、バタリ、と倒れるスローモーション(?)のシーンは超名シーンの一つ。はじめ勘兵衛は百姓のオファーを断るが、百姓たちのねぐらにしていた宿で、百姓たちを常々バカにしていた眉がつながった人足(わたしはそのつながり眉から、両さんと呼んでいる)が、「おい!お侍!これ見てくれ!これはお前さんたちの食い分だ!ところが、この抜け作たちは何食ってると思う!? 稗(ヒエ)食ってるんだ。自分たちは稗食って、お前さんたちには白い飯食わせてんだ!! 百姓にしちゃ精いっぱいなんだ!! 何言ってやがるんでい!!!」と怒鳴られ、「よし分かった。もうわめくな。この飯……おろそかには食わんぞ」と言って、百姓の依頼を受けることにする。
 最後まで生き残り、ラストでは「……今度もまた、負け戦だったな……いや、勝ったのはあの百姓たちだ……わしたちではない……」と言って去る。最終決戦当日、「勝負は……この一撃で、決まる!!」と百姓を鼓舞するシーンは超名シーン。カッコいい!!
 【勝四郎】
 唯一の「前髪」で、まったくのゆとり侍。戦経験はナシ。村娘の「しの」とヤっちゃう(ちなみに、むしろしのの方から誘われて行為に至る。最初は手が出せず意気地なし!!と言われちゃうのが笑える)。最後まで生き残るものの、ラストではしのにはあっさり振られる。もっとも、「しの」は生き残るため、という打算をもって勝四郎に近づきモノにしたとも見られ、生き残ることが確定した時点で勝四郎はお払い箱となったわけで、もてあそばれたのは純情な勝四郎坊やの方だった、という見方も十分以上に可能だと思う。いや、むしろその観方が王道かな。
 勝四郎は勘兵衛が盗人を退治するときのやじ馬の一人で、その剣の腕にほれ込み、弟子入りを願う。もちろん断られるがずっとついていき、最初はお前はダメだと勘兵衛にダメ出しを食らって仲間に入れてもらえないが、五郎兵衛と平八に「子供は子供で、働くぞ。もっとも、大人扱いしてやればだが」「じゃ、勝四郎を大人扱いしてやるか」と助け舟を出されて、やっと仲間に。なお、ほとんど戦わない。代わりに伝令係として活躍(?)。演じたのは木村功氏。黒沢映画の常連。わたし的には、『野良犬』の復員兵が一番印象深いかな。
 【片山五郎兵衛】
 勘兵衛が百姓の依頼を受けてから仲間探しを始めて、一番最初に腕を見込んでスカウトした人。勘兵衛による腕試しを「ご冗談でしょう」の一言で見抜いたデキる男。髭もじゃで、笑顔がとても印象的な気のいい男で、事実上ナンバーツー扱い(?)。最終決戦の前に、火縄銃で狙撃され、殉職。なお、その狙撃シーンはなく、銃声と、戸板に載せられて運ばれてくる亡骸だけ。生き残ってほしかった……。演じたのは稲葉義男氏。
 【林田平八】
 金がなくて、茶屋でまき割りをしているところを、そのひょうひょうとした人柄と、腕の良さを見抜いた五郎兵衛がスカウトした侍。勘兵衛には「まき割り流を少々」とふざけた自己紹介をする。後に侍たちの旗印になる旗(有名な○○○○○○△のアレ)を書いた男。野武士のアジトを夜襲した際、妻を野武士にさらわれた百姓の利吉を助けようとして、残念ながら、一番最初に死んでしまう。平八も火縄銃による狙撃でやられてしまった。演じたのは千秋実氏。黒沢映画の常連で、わたし的には『蜘蛛巣城』の三木義明の役(=マクベスでいうところのバンクォウ)が最高。
 【七郎次】
 勘兵衛の旧知の侍。出会いのシーンはなく、勘兵衛がそこでばったり出会ったとアジトに連れてくる。その時、七郎次は俸手振りかなんかをやってた模様。曰く、二の丸が焼け落ちたときはもう終わりかと思ったが、堀に身を沈めて忍び、頭に水草を乗っけて隠れていたそうで、勘兵衛としてはもうとっくに死んだかと思ってた、らしい。勘兵衛曰く「古女房」。小太り&月代がきれいにそられたちょっと丸い人。唯一の槍遣いで、最後まで生き残る侍のうちの一人。演じたのは加東大介氏。わたし的には、『陸軍中野学校』の草薙中佐としておなじみ。
 【久蔵】
 町で果し合いをしているところを勘兵衛たちが見かけ、スカウト。最初は仲間にはならんだろうと思っていたが、ふらりとやってきて仲間に。剣の達人。町での果し合いも、「……無駄だ。真剣なら死ぬぞ……」と忠告したのに、相手がかかってきてしまったので、やむなく斬った。戦いの中でも、火縄銃を「わしがなんとかする」とふらりと一人消え、翌朝、銃とともに村に帰ってくるような孤高の戦士。そのカッコよさに、勝四郎は大感激し、あなたは素晴らしい人だ!! と絶賛。照れくさそうに苦笑いをする久蔵さんが超クール!! そして、最終決戦では大雨の中、野武士のボスの放った銃弾に倒れる……。演じたのは宮口精二氏。『生きる』でもやくざの親分としてちらっと登場。
 【菊千代】
 勘兵衛が盗人退治したときのやじ馬の一人で、以来勘兵衛に付きまとうが、相手にされていなかった。が、久蔵が仲間入りした後で、百姓たちが「すげえ人見つけました!!」とぐでんぐでんに酔っぱらった菊千代を連れてきて、やっと晴れて仲間入り。乱暴な言動だが、実は一番の仲間思いで、優しい男。元々百姓出身。村はずれの家が焼かれて、そこから助け出された赤ん坊が泣きわめくのを抱きしめ、「これは……これはオレだ!! オレもこうだったんだ!!」と思いやりを見せたり、平八や五郎兵衛の墓の前で、いつまでも一人しょんぼりと悲しんでいたのも菊千代だった。
 また、戦いの準備中に、百姓たちが落ち武者狩りで実は鎧や刀を大量に保管していたことを見つけ、勘兵衛たちに、こんなに武器があったぜー!! とウッキウキで報告に来るシーンも、かなりの名シーンだと思う。勘兵衛たちは、浪人であり、それは要するに負け戦を体験し、落ち武者となったことがあるわけで、一同は百姓たちが落ち武者狩りをしていたことに対して、強い反感を抱くのだが、「百姓はバケモンだ。だが、そんなバケモンを作ったのはお前ら侍だ!!!」と菊千代が激怒することで、侍たちと百姓のわだかまりを、とりあえず収めるような、何気に重要な役割を果たす。そんな菊千代も、残念ながら、久蔵さんを狙撃した野武士のボスと相打ちになり、侍最後の殉職者に。
 わたし的には、菊千代と言えば、村に野武士が攻めてきたのを見つけ、「野郎~~~~!! 来やがった来やがったァッ!!!  ヒャッハァアァッツ――――!!」と超うれしそうに(ひょっとしたら恐怖を隠すためのハイテンションで)叫ぶシーンが一番好きですね。最高です。演じたのは、もちろん若き三船敏郎氏。最高です。この人、本当にイケメンだと思う。ちなみに、戦いの中盤で、久蔵さんが一人で火縄銃を奪ってきた活躍をまねして一人で行動し、火縄銃を奪ってくる活躍をするのだが、その潜入ミッションの際に、野武士に化けるために野武士から奪った鎧を着用し、それ以降はずっと、下半身はふんどしのみ&ケツ出しスタイルで暴れまくる。死んだときもケツ出しなのがカッコイイというか哀愁を誘うというか、とにかく最高です。マジで。

 というわけで、わたしは『七人の侍』のBlu-rayも持ってるので、実際のところいつでも見られるのだが、やっぱり映画館の大スクリーン&大音響で観るのは格別ですね。4Kリマスターもホントにクリアで見やすかったと思う。
 そしてこの映画でのポイントの一つは音楽ですよ。不安をあおるような重低音だったり、有名なメインテーマだったり、この『七人の侍』という作品は、その映像だけでなく音楽も非常に素晴らしいと思う。なんとなく、不協和音めいた重低音を響かせる音の使い方は、現代のChristoper Nolan作品の、Hans Zimmer氏による音楽を連想させるような気がした。もちろん、オリジナルはこちらですが。
 しかし……やっぱり、黒沢映画は最高ですね。もし、今まで『七人の侍』を劇場で観たことのない人がいたら、マジで今すぐ、「午前十時の映画祭」のチケットを予約すべきだと思う。大丈夫、あなたがいなくても会社は回りますよ。上映時間が3時間を超える作品なので(途中で10分インターミッションアリ)、10時から始まって14時近くまでかかるけど、この映画を見るためなら、ちょっと会社を休んでも劇場へ行く価値はあると思う。今回を逃したら、まあ、当分映画館で観る機会はないと思うし。あと週末は1回しかないので、次の週末にでも、劇場へ是非観に行って欲しいと思う。

 というわけで、もう全然まとまらないけど結論。
 黒澤明監督による『七人の侍』は、誰が何と言おうと超・傑作です。わたしは、黒沢映画を見ていない人間を映画好きとは一切認めません。当たり前でしょ。ありえないっすよ。黒沢全部見てから出直して来な。とわたしは常日頃申しております。最高です。4Kマスター、Blu-ray出たら買うべきかもな……。つかあれか、ちゃんと最新のAVアンプを買って、音響もきっちりそろえるかな。黒沢映画を観るために、なんかまた無駄遣いしたくなってきましたよ。わたしのアンプはもう20年物の、DOLBY SURROUND PRO-LOGIC2が出た頃のやつなんだよな……最新マシンが欲しい…・・・。以上。

↓ 配信で観てもいいですが、今、せっかく劇場で観られるこの機会を逃しては、映画オタは名乗ってはいけないと思います。
七人の侍
三船敏郎
2015-04-22


 

 先日、どうして土日の日中のTVはこんなにもつまらないんだろうか……? と片っ端からチャンネルを変えながら、しみじみと発見し、絶望したわけだが、どうも最近、翌週のウィークデイの夜にやる番組の、そのまた紹介番組を土日に放送していることが多いような気がした。そして肝心のものは見せず、やけにCM回数も多くて、ああ、こりゃあもう、TV没落も止むねえことですなあ……ということをぼんやり思った。
 なので、なんか映画でも観るか、と、WOWOW放送を撮りためてあるHDDを捜索したところ、ひとつ、邦画で、劇場で観たかったのに見逃していて、そして録画したこともすっかり忘れていた作品を見つけたので、よっしゃ、コイツを観よう、と再生を始めたのである。
 タイトルは、『駆込み女と駆出し男』。2015年公開の松竹映画であり、 原作は確か井上ひさし先生だったな、そして主演はわたしの大好きな戸田恵梨香ちゃんだったはず……と、そんなあやふやな記憶しか持ち合わせず、もちろん物語が鎌倉の東慶寺、通称「縁切寺」を舞台にした作品であることは知っていたけど、ズバリ、それ以外は何も知らないので、さて、面白いか知らん? という感じで視聴を開始したわけである。

 のっけから結論を言うと、実に面白かった。つか、意外と、というと大変失礼だが、とても感動した。危うく泣けそうなぐらいに。
 まあ、まずは上記予告を観ていただきたい。この予告を観ると、大体の雰囲気は分かると思う、が、正直全く物語は伝わってこないと思う。わたしは、もちろん「駆込み」なる制度が存在していたことは、一般常識としては知っていたが、この予告でもチラッとだけ説明されるような、「駆込み」の作法があるなんてことは全く知らなかったので、冒頭からもう、へぇ~、の嵐である。
 まず第一に、江戸時代にそれほどまで「離婚」が多かったことなんて知らなかったわけだが、想像するに、家のための結婚が普通であった当時、女性たちは子供が産めなくてはあっさり離婚されてしまう、ようなことは何となく想像できる。武家の事情なんかは、あまたの時代劇でもお馴染みですな。たぶん、そういった「夫から離婚される」場合が多数を占めていたはずだし、その数は、確かにふと考えると、今より多かったかもな、とは思う。なにしろ女性(妻)は、夫の所有物のようなものだったのだろうから。ポイ捨ては十分考えられそうだ。現代感覚からすればまったくもってひでえ話ですが。
 しかし、女性から離婚を申し立てることはできないわけで、かと言って女性たちにも別れたい理由は無数にあっただろうことも、想像に難くない。そんな時の最終手段(?)がいわゆる「縁切寺への駆込み」であろう。そして、その「駆込み」には、厳密なルールがあって、この映画ではそこをきちんと説明してくれるわけである。これがなかなか興味深い。ちなみに時代背景としては、本作は1841年ということで、明治ももうすぐ、の幕末直前という頃合いを舞台としていました。

 ◆STEP01:駆込み成就
 どうやら、Wikiによるといわゆる「縁切寺」は鎌倉の東慶寺と、群馬の満徳寺の二つがあったそうだが、その山門の内側に入ると、「駆込み成就」らしい。そしてその際、身に付けているもの(草履orかんざし)を投げ込んでもOKらしい。これって常識ですか? わたしは知らなかった。
 ◆STEP02:聞き込み調査
 そして、駆込みの発生が確認されると、山門の門番が当人を、「御用宿」へ連れて行き、事情の聞き取りが行われる。この時、仲介人(御用宿の人)は、相手方の旦那と、親元(あるいは名主)にも話を聞くみたい。そして大体の調べが終わったところで、両者を対面させる。この時、夫サイドが素直に「離縁状」を書けば、もう晴れて離婚成立、となるわけだけど、基本的に、「妻に駆込まれた男」はそりゃあもう激怒しているので、ふざけんな、となるわけだ。
 ◆STEP03:入山~下山
 で、ふざけんな、の場合、女性は縁切寺に「入山」することになる。2年を寺で過ごし、2年後、再び夫が呼び出されて、また御用宿で話し合いになり、2年の時をかけて、女性側からやっぱりあんたが好き! 離婚やめた! となることもあるようだが、基本的に2年後のこの話し合いの場は、夫が離縁状を強制的に書かなくてはならない場となり、晴れて離婚成立、となるようだ。この2年後の場では、夫に拒否権はもうないそうです。どうですか、知ってましたか、こういう段取りがあるって。わたしは残念ながらまるで知らなかったっす。
 ◆STEP03番外編:入山後の女性の日々の暮らし方
 わたしは入山後の女性たちの毎日にも、非常にへえ~と思ったことがあった。どうも、入山時にお寺に「格付け料」という名目の金を払わないといけないらしく、その金額によって、まさしく「格付け」されるんだな。で、一番上の格だと、寺の雑事なんて何もしないで、日々歌を稽古したり書物を読んだりの優雅な毎日を送ることができ、一番下の格だと、掃除洗濯炊事など、要するに住み込みの下女的な扱いになる。なんでも、武芸(なぎなたと弓)はどの格も修行しないといけない必修科目みたいですな。

 とまあ、こんなことになっているわけで、これは明確な「法制度」の一つのようだ。だから手に負えない場合はちゃんとお役人も出張って来る。調停人がいることなんてまるで知らなかったす。

 で、物語は、真面目な「じょご」という名の女子と、どうも訳ありな「お吟」さん、それからとある武家の侍ガール「ゆう」さんの3人の「駆込み」を中心に語られていく。「じょご」の場合、旦那は製鉄業を営む町人で、じょごちゃんも結構腕のいい職人なんだけれど、旦那がなかなかのクソ野郎で、ズバリ言えばDV野郎で逃げてきたという背景があり、彼女の目から見た日々がつづられていくわけだが、まあ、大変健気で頑張り屋さんないい娘さんなわけですよ。演じたのは、戸田恵梨香ちゃんで、実に可憐で最高でした。わたしはこのBLOGで、散々、「幸薄い女子」に魅かれるというか大好物であることを表明してきたが、今回もまあ幸薄いこと甚だしい。戸田恵梨香ちゃんの表情は本当にグッとくるものがありますな。マジ最高のしょんぼりフェイスでした。
 そして、「お吟」さんを演じたのが、満島ひかりさん。お吟さんのキャラも非常に良かったですな。最初の登場時は、なんなんだこの人偉そうに、と思うじょごちゃんも、だんだん親しくなっていって、ラスト前でのお吟さんとの別れのシーンは、大変感動的でした。わたしが泣きそうになったのはこのシーンです。「ずっと妹だと思ってたよ」と告げるお吟さんにはとてもグッときましたね。それから、お吟さんの旦那を演じた堤真一氏も、最後はとてもカッコ良かった。なかなかの漢でしたな。
 で、侍ガールの「ゆう」も、まあひどい目に遭ってきた女子で、実に幸薄く、大変魅力的でした。演じたのは内山理名ちゃんですね。わたしはこの方がまだ10代の頃に街でばったり見かけたことがあるのだが、超可愛かったことを覚えてます。すっかり落ち着きのある、イイ女になりましたな。キッとしたまなざしが印象的ですが、今回もつらい過去を背負い、やや運命に囚われてしまった気の毒な女子を大変お美しく演じてくれたと思います。最後はすっきりとした顔になって、良かったね、本当に。
 こういった、美しく可憐で不憫な女子を相手に、ひとり奮闘する「駆出し男」が大泉洋氏で、もういろいろな映画やドラマに出演しているけれど、やっぱり上手い、と言わざるを得ないでしょうな。はっきり言って、いつ見ても同じ大泉洋氏、だし、今回も弁舌で乗り切るちょっとお調子者な男ということで、まあ、誰もが思い浮かぶ大泉洋氏の「いつもの」役のような気がするのに、なぜか引き込まれてしまう。きっとこれは、演じているキャラクターというよりも、大泉氏本人の人柄?のようなもののせいなんじゃなかろうか。要するに、大泉氏は実際イイ奴で、なんか誠実さのようなものが、役を支えてるんじゃないかな、という気がしました。それは現在放映中のNHK大河『真田丸』でも滲み出ているように思う。きっと、非常に真面目な男なんでしょうな、大泉氏は。現在の日本の男優の中でも、非常に独特な存在感がありますね。ちなみに、なぜ「駆出し男」なのかは、見ればすぐに分かりますので説明はしません。
 あと、キャストで備忘録として記しておきたいのが、二人、わたしの愛する宝塚歌劇出身の元ジェンヌが出演していたので、ちょっと驚いた。陽月華さん(通称うめちゃん)が、東慶寺の院代を務める法秀尼様を演じ、その直属の部下(?)である法輪尼様を演じたのが大鳥れいさん。二人ともわたしは現役時代を知らないので詳しくないけど、うめちゃんは最初に登場したところですぐに分かった。わたしは出演されていることを全然知らなかったので、ちょっとびっくりした。

 というわけで、もういい加減長いので結論。
 ふとしたきっかけで観てみた『駆込み女と駆出し男』という映画だが、まったく予期せぬ感動作であった。大変面白かったと思う。しかし、この映画の興行成績としては、どうやら10億に届かなかったようで、8億~9億ぐらいで終わってしまったようだ。はーーー。劇場に観に行くべきだったなあ……今年の『殿、利息でござる!』のように、非常に面白く、また知らないことを教えてくれる良質な映画で、松竹の映画作りは地味ながらさすが、ですな。機会があれば、ぜひ多くの人に観ていただきたい映画だと思います。全然まとまりませんが、以上。

↓ 配信で観られますよ!

↓そしてわたしとしては、原案とクレジットされている井上ひさし先生のこちらが大変気になる。「オール読物」で11年にわたり連載された作品だそうですね。
東慶寺花だより (文春文庫)
井上 ひさし
文藝春秋
2013-05-10

 わたしは25年ぐらい前の学生時代に黒澤明監督作品をすべて観たのだが、その時の話は以前このBlogでも書いたのでもういいとして、わたしが思う黒澤映画のすごいところは、その「現代性」にある。とりわけ、現代劇の場合に顕著なのだが(現代劇といっても、作られた昭和20~30年代当時の現代)、今の平成の世に生きる我々が見ても、全く通用するテーマが描かれている作品が多くて、とにかくその先見性というか普遍性というか、現代社会の問題点を60年70年前にとっくに作品として残しているのだ。要するにそれらの問題点は、今もなお問題であり続けているわけで、結局人間はいつの時代にもかわらねえんだなあ、と、黒澤作品を観るといつも思うのである。なので、なんというかわたしは、黒澤作品を観ると、過去を学ばないで同じことを繰り返す人間の性、のようなものに愕然とし、しょんぼりし、恥ずかしくなるのである。
 で。
 黒澤映画は、もはやどんなに状態のいいフィルムでもひどい映像で、とりわけ音声が潰れてセリフが聞き取れないような状態にあるのだが、近年、デジタル化の技術向上により、かなり画質も音声も良好になった、いわゆる「デジタルリマスター」の製作が進んでおり、だいぶ前にこのBlogでも取り上げた通り、とうとう黒澤作品の本命である東宝作品も、4K技術によりデジタルマスターの作成が進んでいる。
 わたしがこの記事を見て仰天したことは、既にこのBlogでも書いたが、なんと光学録音されたサウンドトラックを、「画像データとして修復」するという目からウロコの荒ワザで、音声の状態もかなり良くなったらしい。そしてその4Kマスターの『七人の侍』と『生きる』が、「午前十時の映画祭」で公開されるというニュースを知ったのが今年の2月のことで、わたしはもう、ずっと今か今かと待っていた。そしてとうとう先週から『生きる』の上映が始まり、わたしも超・楽しみに劇場へ向かったわけである。ちなみに、TOHOシネマズ日本橋では、次の次の作品が『七人の侍』であるので、自分用備忘録としてメモっとこう。10/22~11/4だから忘れんなよ、オレ!!

 というわけで、とうとう、4Kマスターの実力を味わってきたのだが、おそらくは、映写機側も4K対応機でないと意味がないわけで、たぶん、わたしが観たTOHOシネマズ日本橋は、TOHOシネマズとしては新しく建った部類に入るけれど、4K対応映写機かどうか、かなり怪しいような気がした。わたしが使っている4Kテレビは、異様なほどきれいで逆に違和感を感じるくらいにくっきりはっきりだけれど、どうだろうな……ちょっと分からない(※追記:どうやらTOHO日本橋はSONY製4K映写機を導入しているっぽいです)。しかしそれでも、映像も音声もかなりクリアになっている印象だ。でも、これはたぶん、それまでの従来の映像・音声で見たことのある人でないとわからないと思う。初めて見た人なら、これが普通、と思うのではなかろうか。特に音声は、オリジナル(というか古いフィルム)の状態はとにかくセリフが聞き取れないレベルなのに、今回は明確に聞き取れて、これは非常に良いと思った。この分だと、『七人の侍』も相当期待できそうな修復レベルであろうと、今から楽しみだ。
  ところで、もはや『生きる』という作品について、説明はいらない……よね? はっきり言って最高に面白い。しかし、わたしももう10回ぐらい見ている作品なのだが、今回初めて、ああ、『生きる』ってコメディだったんだな、と初めて認識した。実はわたしが観に行ったのが今週の月曜日の朝で、ちょっと仕事をサボって観てきたのだが、客の入りは結構多くて、かなり多くの人々が、この映画を観て笑い声をあげている現場に遭遇したのである。
 ただし、コメディといっても、これは皮肉・風刺・デフォルメが込められた、ブラックコメディである。わたしはもう何度も観ていて物語を知っているし、周りの人々から「アイツは真面目な野郎だ」と称される人間なので、主人公の姿は非常に痛々しく、とても笑う気にはなれないのだが、なるほど、普通の人からするとこういう真面目に生きてきたことだけが全ての男の生きざまは、笑いの対象なんだな、と初めて理解した。何とも悲しいというか残念なお知らせだが、それが普通、なんだろうね、きっと。おまけに、ラスト近くの、左卜全さんの名セリフ「……助役って言えぇッ!!!」で笑いが起きるなんて、わたしはちょっとびっくりしたよ。あそこは、一緒になって怒るところだとわたしは思ってたのに。
  と、ここまで、わたしが何を言っているか分からない人と、自分用の備忘録として物語を少しまとめておこう。以下、完全ネタバレです。これから見ようとする人は自己責任で。そして、どうせ皆さん見やしないだろうから遠慮なく書きまくります。

 『生きる』は1952年、すなわち、ええと、昭和27年になるのかな、もう64年前の作品である。ちなみに、この作品の次に黒沢監督が撮ったのが『七人の侍』で、1954年公開です。
 主人公の渡辺勘治は、とある市役所の「市民課」の課長である。どうやら、お役所行政の世にあって、市民の声の窓口として、「市政に関する皆様の不平・不満・注文・希望、何でも遠慮なくお申し出ください」という意図で設置された部署らしいが、そこの課長として毎日働く渡辺さんの、胃のレントゲン写真が画面に映し出され、淡々としたナレーションからこの作品は始まる。ナレーション曰く、
 「これは、この物語の主人公の、胃袋である――。噴門部に胃がんの兆候が見えるが、本人はまだそれを知らない」そしてそこに、奥さん連中がやってきて、近所の水たまりになっている空き地を何とかしてくれ、臭いし蚊はわくしでたまらん、公園にでもしてほしいのだが、という陳情にやってくる。せっせと書類にハンコを押し続ける渡辺さん。話を聞いた部下が、陳情が来てますけど、というと、顔も上げずに一言「土木課」とだけ答える。そして再びナレーション。
 「これがこの物語の主人公である。しかし、今この男について語るのは退屈なだけだ。なぜなら――彼は時間をつぶしているだけだ。彼には生きた時間がない。つまり彼は生きているとは言えないからである」
 すると突然、市民課の女子が笑い声をあげる。なんだ? とみんなが驚くと、女子は、回ってきたメモを読んで笑ったらしい。メモ曰く「君、一度も休暇を取らないんだってね」「うん」「君がいないと役所が困るってわけか」「いや、僕がいなくても全然困らんということがわかっちゃうと、困るんでね」課内はシーーン、である。そして再びナレーション。
 「ダメだ、これでは話にならない。これでは死骸も同然だ。いや、実際、この男は20年ほど前から、死んでしまったのである。その、以前には、少しは生きていた。少しは仕事をしようとしたことがある」
 ここで、せっせと押していたハンコに、朱肉が詰まったようで、渡辺さんは引き出しを開けて、紙を破りとる。その紙には、昭和5年に提出した、「業務効率化に関する私案」と書かれている。かつての渡辺さんの熱意が分かる一瞬のシーンだ。そして再びナレーション。
 「しかし、今やそういう意欲や情熱は少しもない。そういうものは、役所の煩雑きわまる機構と、それが生み出す無意味な忙しさの中で、まったくすり減らしてしまったのだ。忙しい。まぁったく忙しい。しかしこの男は、本当は何もしていない。この椅子を守ること以外のことは。そしてこの世界では、地位を守るには、何もしないのが一番いいのである。しかし、いったい、これでいいのか? いったいこれでいいのか!? この男が、本気でそう考えだすには、この男の胃がもっと悪くなり、それから、もっと無駄な時間が積み上げられる必要がある……」
 そして場面は、奥さんたちの見事なまでのたらいまわしが映される。
 市民課→土木課→公園課→保健所→衛生課→環境衛生係→予防課→防疫係→虫疫係→再び市役所の下水課→道路課→都市計画部→区画整理課→消防局→再び市役所の児童福祉係→市議会議員→市役所助役→市民課(スタートに戻る)。この一連の、役人連中の無責任さと責任のなすりつけあいは、確かにもう、笑うしかない。
 しかし、奥さん連中にとっては笑えない話であり、市民課に再びやってきた奥さんたちはとうとう、ブチ切れる。「あたしたちはねえ、あんたたちヒマ人と違うんだよ!!! だいいちねえ、あたしたちはあの臭い水たまりを何とかしてくれって言ってるだけじゃないか!!! 市民課でも土木課でも保健所でも消防署でも、そんなことはどうでもいいんだよ!! それを何とかしてくれるのが市民課じゃないのかい!!」 ちなみに、このブチ切れる奥さんは、若き日の菅井きんさんである。
 ここまで、映画が始まって冒頭10分しか経過していない。そしてこの10分で、観客はもう完全に物語に入り込むことができるだろうと思う。見事なオープニングだ。
 そもそも、ナレーションで語られる、主人公の仕事ぶりは、おそらく、この映画を観る社畜リーマンの観客でも、まだ「死んでいない」人からすれば、これはもう完全にウチの会社のアイツだ、と思い当たることだろうし、主人公と同様に「死んでいる」ようなどうしようもないダメリーマンが観れば、もしまだ心が残っているなら、「これはオレだ」とドキッとするだろうし、完全に死骸となったゾンビ・リーマンに成り下がっていれば、他人事として笑えることだろう。スクリーンに映る渡辺さんが自分自身であることに気が付かずに。こういう点が、わたしの言う黒沢映画の「現代性」だ。これって、ほんと、今のサラリーマンが観ても、すぐ自分や自分の周りに置き換えて観ることができるよね。そこがすごいわけです。
 で、物語は、主人公ががんであることを知り、息子に打ち明けようとするも、息子と嫁は、さっさと家を出たい、ついては父さんの退職金も結構あるだろうから、なんて皮算用をしている。そんな話を聞いた主人公は、、自暴自棄になり、飲み屋で知り合った小説家とキャバレーやストリップに行ったりする。そして、冒頭で爆笑していた市民課の女子と町でばったり出会い、市役所を辞めるからハンコをくれ、いや、うちに置いてあるから来る? 行く! という展開になって、その後、その女子と仲良くなっていく。そして、息子に対する愚痴を言う。今までは息子のために頑張ってきた。けど、その息子も全然自分のことなんてどうでもいいと思ってるんだ。
 その時、女子は、もう既に市役所を辞めて、おもちゃ工場で働いているのだが、こんな話をする。
 「うちのお母さんもそんな話を時々するわ。お前のために苦労してきたって。でも、生まれたのは赤ん坊の責任じゃないわよ。息子さんに、そんな(課長が一生懸命働いてきたことに対する)責任はないわよ」
 そういわれた主人公は、意を決して息子夫婦と話をしようとするが、大失敗。とにかく口下手で話ができず、挙句に、最近の放蕩を説教されてしまう。しょんぼりする主人公は、また女子と会い、とうとう打ち明ける。
 「つまりそのう……」
 「つまりなんなのよ!」
 「つまりそのう……わしは君とこうやってると……楽しいから……」
 「老いらくの恋!? だったらお断りよ!」
 「そうじゃ……わしはただ……」
 「ねえ、もっとはっきり言ってよ! そんな雨だれみたいにポツンポツン言わないで」
 「…………わしは、そのう……自分でもわからない。どうして君の後ばかり追い回すのか……ただ、わしに分かっているのは………………きみっ! わしはもうすぐ死ぬんだ!! わしは胃がんだ。君、わかるかい? どんなにじたばたしても、あと、1年か半年で……子供の頃に溺れかけたことがあるが、その時とそっくり同じなんだ。目の前が真っ暗で、もがいでもあばれても、な、何にも捕まえられない……ただ、君だけ……しかし、しかし君を見てると、何か、何かあったかくなる。その……つまり君は、若い、健康で、ただその……つ、つまり、つまり、君はどうしてそんなに活気があるのか、まったくそのう、活気が、それがそのう、わ、わしには、それがうらやましい。わしは死ぬまでに、一日でもいい、そんな風に、生きて死にたい!! それでなければ、と、とても死ねない!! わしは、な、何か、することが、いや、何か、したい。そ、ところが、それが、分からない。ただ君はそれを知ってる。い、いや、しらんかもしれんが、現に君は……教えてくれ! 君のように……」
 「わたし、働いて、食べてるだけよ!!」
 「そ、それだけか!」
 「それだけよ!! ほんとよ!! あたし、ただこんなもの作ってるだけよ!!」
 工場で作っているおもちゃを取り出す女子。
 「こんな物でも、作っていると楽しいわよ。これを作り出してから、日本中の赤んぼと仲良しになったような気がするの……ねえ、課長さんも、なんか作ってみたら?」
 「役所で……いったい……何を……」
 「そうね……あそこじゃ無理ね……あんなとこやめて、どっか……」
 「………もう……遅い……(1分以上の長い間)………いや……遅くない……いや、無理じゃない。あそこでもやればできる。ただ、やる気になれば……!!」
 そして女子と別れて喫茶店を出る主人公。この時、喫茶店では女学生たちが誕生日会をやっていて、盛大に「Happy Birthday」の歌がかかる。まさしく、主人公が新たに生きはじめ、新たな「誕生」を迎えた超・名シーンだ。
 そして、場面は、5か月後、主人公の葬式の場面に移る。そしてお葬式では、どうやら主客と思われる市役所の助役が偉そうなことばかり言っている、そのうち、新聞記者が、「あの公園を作った立役者は渡辺さんですよね」と取材に来たり、冒頭の陳情奥さん軍団もお焼香に現れ、渡辺さんを想って涙を流す。それを見ている市役所の連中と助役。助役はいたたまれなくなって、さっさとバックレ、助役がいなくなると、今度はみんなで助役の悪口を言う。最初は、みんなも役所の各部門の成果だと言ってたのに、一人だけ、心ある課員が、渡辺さんを称える。すると、そういえばこんなことがあったんですよ、と、5カ月にわたる渡辺さんの、ある意味不気味な執念が、回想で描かれる。やくざ者の脅しや、助役の強硬な態度にも、まったく屈しなかった渡辺さん。そりゃあそうだよね。もう、何も怖いもの、失うものがないんだから。そして場の空気は、みんなが、やっぱ渡辺さんスゲエ、というように変わっていく。そして、渡辺さんの手柄を横取りするあいつは許せない、という話になったところで、もうべろべろに酔っ払った市民課課員のおじちゃんが怒鳴るのである。「(アイツじゃなくて、ちゃんと)助役って言えぇ!!」と。そしてみんな、よーし、これからはオレたちも、渡辺さんを見習って、生きた仕事をしようぜ、お―!! 的な空気になって場面は終わる。そしてラストは、一人心ある課員の視点だ。結局、葬儀の場で盛り上がったみんなも、なーーんにも変わらない。残ったのは、この公園と、公園で遊ぶ子供たちの笑顔だけだ……と、物語は終了する。
 このエンディングは、『七人の侍』とよく似ているとわたしは思う。『七人の侍』のラストは、無事に野武士団を撃退した村の百姓たちが、歓喜の下に田植えをしているシーンで終わる。その百姓たちを見て、激闘を生き残った七人の侍のリーダー、勘兵衛はつぶやく(言うまでもなく、勘兵衛を演じたのは、『生きる』で主人公・渡辺勘治を演じた志村 喬氏。最高です)。「勝ったのは、わしらじゃあない。百姓どもだ……」命をかけて戦い、散って行った侍たちは顧みられることなく、後に残るのは村と村人のみ。そして生き残った侍はクールに去る――。こういった、人間のエゴ(?)を黒澤監督は生涯テーマとして描いていたとわたしは思っているが、別にほめられたいから、誰か人のために、人は行動するのではなく、あくまで人は自分自身のために、自分の「納得」を求めて生きる。『生きる』の渡辺さんも、実のことろ、陳情奥さん軍団のために公園を作ったのでは決してなくて、あくまで、自分自身が「生きている」実感を得るため、なんだよね。わたしは黒澤映画を観ると、いつもそんなことを思うわけであります。黒澤映画は最高です。

 はーーー長すぎた。もう好きすぎてカットできなかったわ……そして台詞を書き出すために、わたしが持ってるBlu-rayを見ながら書いたので、映画館に行った日からかなり時間がたってしまった……やれやれ。
 どうですか。このクソ長い文章を最後まで読んでくれた人はほとんどこの世にはいないと思うけれど、面白そうでしょ? つーか完全ネタバレですが。
 
 というわけで、結論。
 黒澤明監督による『生きる』は、誰が何と言おうと超・名作です。4Kマスターは、やっぱり私の持ってるBlu-rayと比較してもかなりクリアな映像と音声ですね。4Kマスター版のDiskが発売になったら、買ってもいいかも。そして、黒沢映画を見ていない人は、わたしは一切、映画好きとは認めません。絶対に。そこは譲れませんな。映画好きと名乗りたいなら、黒澤を全部見てから出直して来な、とわたしは周りの連中によく言ってます。最高です。以上。 

↓ ほほう、今は配信でも見られるんですな。わたしとしては『七人の侍』の4Kリマスターも超楽しみっす!!
生きる
志村喬
2015-04-22
 

 わたしは大学生時代の1990年代初めころ、ビデオ&CDレンタルの店でバイトをしていたのだが、当然、当時はVHSであり、CDもまだまだ売れている時代であった。
 その店は駅前という立地もあって、金・土・日や、平日でも19時過ぎはかなり忙しかったのだが、やはり平日の昼はヒマで、そんな時にシフトに入ると、わたしはたいてい、店のモニターに何か映画を流して、ぼんやり観ていたものである。ほかのバイトの仲間は、スピーカーは流行りのCDをかけて音楽を流すのがある意味普通だったが、わたしは断然、映画の音声を流して、勝手に映画鑑賞としゃれこんでいたものだ。 ま、厳密にいうと確実に法に触れるような気もしなくもないが、完全に時効であろうからお許しいただきたい。
 で。
 わたしは当時すでに相当な映画オタ青年だったので、よく回転する人気作=新作なんかはたいてい劇場で見ているため、用はなく、わたしが店で勝手に流す映画は、わたしが観たことのない、古い名作といわれる作品ばかりだったように思う。なんでこんな思い出話を書き始めたかというと、昨日の夜、例によってHDD内に撮り貯めてある、WOWOWで録画した映画リストを眺めながら、 「おお、そういやシリーズ一挙放送があったときに録画したっけな、ちょっくら観てみるか」と思って観始めた映画があるのだが、その作品が、わたしとしてはまさしくあの当時、ビデオレンタル屋で平日の昼間にぼんやりと店のモニターで観た映画だったからだ。
 その作品こそ、『陸軍中野学校』である。1966年公開の大映による作品で、当時の大映TOPスター市川雷蔵氏が珍しく現代劇に出演した異色作として有名な作品である。
 お、配信もありますな。↓で、冒頭の3分弱が観られます。


 まあ、予告編動画はねえだろうなあ、と思って漁ってみたが、町山氏によるWOWOWの解説番組が、公式動画としてYouTubeにUPされていたので、とりあえず貼っておこう。なお、23分もあるクソ長い動画なので、観るのは最初の3分ぐらいまでいいと思います。それで、大体どんな映画かわかると思うので
 わたしがこの映画を見るのは、まさしく、あのビデオレンタル屋でバイトをしていたとき以来だから、およそ25年ぶりである。細かい部分はすっかり忘れていたが、 観始めて、わたしはとても驚いたことがあった。
 これはもう、たぶん世の中的には知られていることだと思うが、先般アニメ化されて人気を博した、柳広司先生による『ジョーカー・ゲーム』そのものなのである。もちろん、こちらの映画が先だから、正しく言うと、『ジョーカー・ゲーム』はそのものズバリ『陸軍中野学校』なのである。そうか、『ジョーカー・ゲーム』を初めて読んだとき、すんなり世界観に入り込めたのは、20年以上前にこの映画を見てたからなんだな、と自分的には実に納得できた。
 ただ、こう書くと、なんだ、柳先生はパクったのかよ、という方向性を生じさせてしまうかもしれないが、柳先生の名誉のために、断じてそんなことじゃないと申し上げておきたい。いや、だって同じ題材で物語を描いたら、そりゃあ似てくるのは当然だし、わたしは全くパクリだとは思わない。実際、キャラクターの描き方はかなり違うし、『ジョーカー・ゲーム』の主人公たる結城中佐的な、伝説的スパイ・マスターは出てこない。
 なんというか……本作『陸軍中野学校』は、実際のところもっと人間臭い物語だ。『ジョーカー・ゲーム』は、もっと登場キャラクターたち一人一人が「超人」的で、そういう意味ではかなりデフォルメされていると言っていいように思う。だからこそ面白いのだが、『陸軍中野学校』のキャラクターたちは、極論すれば「普通の人」である。
 その、「普通の人」が故の苦悩を描いた作品が、『陸軍中野学校』である。
 そしてとにかく、主演の市川雷蔵氏が素晴らしい!
  ちなみに、雷蔵氏は、ほとんどセリフがない。
 だが、恐ろしくクールで無機質な、ナレーションがすげえのです。
 物語の舞台は1938年。まだ大戦前夜である。雷蔵氏演じる主人公は、大学を出たのちに、士官学校(?)を卒業、少尉として陸軍に入隊するが、すぐに陸軍省へ出頭命令が下る。そしてそこで、靖国神社のそばのバラックへ出張せよとの命令を受領する。婚約者(演じたのは小川真由美氏。これまた超・素晴らしい!!!)がいる彼は、当然軍務なので詳しいことを話すことができず、「出張」と言い残して出頭するのだが、そこには18人の大学出の若者が集まっていた。そしてそこに現れた草薙中佐から、1年間のスパイ教育を受けることとなる……といった物語だ。
 陸軍の軍人だから、当然集まった若者たちはみな坊主頭。だが、草薙中佐は、髪を伸ばし、軍服の着用も禁じる。また、錠前外しのテクニックを学ぶのに府中刑務所に服役している伝説的鍵師の泥棒を講師に呼んだり、スパイとして女性をたらしこむための勉強・実技訓練なども行う。この辺は『ジョーカー・ゲーム』そのものだ。 しかし決定的に違うのは、『ジョーカー・ゲーム』の結城中佐が、「魔王」と呼ばれるほどの伝説的な男であるのに対し、『陸軍中野学校』の草薙中佐は、どちらかというと熱血漢の、スクール・ウォーズ的な熱い男なのだ。その熱意に、18人の若者たちは感化されて一生懸命頑張るわけで、その物語の流れは『ジョーカー・ゲーム』とは全然違うものだ。
  この映画に関しては、出来るだけネタバレはしたくないので、核心に迫る物語を書くことは避けるが、ラストのクライマックスにおける、市川雷蔵氏によるナレーションが、最高にクールでカッコ良くて、わたしはもう大興奮であった。このセリフははっきり覚えていたけど、こんな超・クールな声のトーンだったことはすっかり忘れていました。曰く、
 「わたしもスパイだった。わたしの心も、死んだ」
 このナレーションが流れる状況を説明したら台無しだと思うので、これは書きたいけど書けない!!
 気になった方は、ぜひ、レンタルか配信でご覧ください。探すとAmazonだけじゃなくて結構いろいろな配信プラットフォームでHDリマスター版の配信があるみたいすね。

 ところで、 本作は1966年公開作品ということで、当然(?)のことながらモノクロであり、上映時間も90分ほど、である。たぶん、当時は2本立てが当たり前だったんじゃないかな。だから短いんだと思う。そして、今の映画と一番違うのは、終了後に延々とエンドクレジットが流れるようなことがないという点だろう。今の映画は長すぎですよ。この当時の映画は、終わるとそこで本当に終わるのが当たり前だからなあ。ま、それだけ今と当時ではスタッフの数も違うのかもしれないすね。
 あと、これもすごいことなんだが、この作品が公開されて、2年のうちにシリーズ5作品が公開されている。今は絶対ありえないよなあ。これはいわゆる、「プログラム・ピクチャー」ってやつで、80年代までは普通にあったよね。夏とお正月の年2回、必ず公開される映画ってのが。 そういう映画がなくなったのは、やっぱり、TV局資本のTVドラマの映画化が邦画界のメインになって以降だろうなあ。ま、そのTVからの映画化という流れも、今やすっかり少なくなり、漫画の実写化の流れに代わってきているし、別にどうでもいいんだけど。
 しかし、つくづく思うのは、本作及びシリーズは、この1作目でしっかりキャラクターが誕生するまでを描き、続く作品ではもうそういった主人公が何者かを示す必要がなくなって、スパイアクション的に派手な活劇へと進化していったわけで、どうして『ジョーカー・ゲーム』も、もっと原作に忠実に、きっちりと結城中佐及びそのスパイ養成課程を丁寧に描かなかったのか、そこが実に残念だ……そうすれば、2作目以降のシリーズ化が出来て、ドル箱に成り得たのに……それだけのポテンシャルを持った素晴らしい原作を、良くわからない架空の設定にして、1作で物語を潰してしまったのは本当にもったいないと思う。実に残念だよ……。まあこれも、現代の映画製作体制の功罪かもしれないですな。最初から続編ありきで考えられるような時代じゃないってことか。ホント、みなさん、「リスク」って言葉がお好きですのう……。やれやれです。

 というわけで、結論。
 わたしとしては25年ぶりぐらいに観る『陸軍中野学校』という映画は、まず間違いなく『ジョーカー・ゲーム』のORIGINと言っていい作品だと思う。そして主演の市川雷蔵氏の超クールなナレーションと、素晴らしい演技ぶりは、実に観る価値ありです。おっさんやお姉さまたちだけでなく、『ジョーカー・ゲーム』が面白いと思う若者にも超お勧めしたいと思う。以上。

↓ シリーズ前作録画してあるので、次は第2作目の『雲一号指令』すね。完璧に第1作目のエンディングからの続きです。冒頭からいきなり、えええっ! と驚きの展開です。シリーズ全作、Amazon配信があるみたいすね。

 

 もう、このBlogで何回書いたか、もはや忘却の彼方にあるが、何度でも言う。
 わたしは、女子のしょんぼりしている顔に弱い。無条件で、どしたの? と声をかけたくなる。まったく知らない赤の他人でも、だ。とはいえ、そんなことをしては、世間的に善人と見なされているわたしでも逮捕されかねないので、全精神力をフル動員して、心の中で呼びかけるにとどめているわけだが、そんなわたしが思うに、日本の芸能人で、わたしが最も愛する「The Mostかわいい・しょんぼりフェイス」だと思っているのは、元AKBの大島優子さんである。もちろん、彼女は別にいつもしょんぼりしているわけではなく、むしろ常に笑顔の可愛い女性だが、時たま見せる、あの、八の字の下がり眉の「困ったなぁ……」というような表情は、 もう、この世で最もグッと来てしまうものの一つであり、わたしはずいぶん前から彼女の大ファンである。
 そんな彼女が、どうやら映画に主演する、しかも、かなりしょんぼりした表情満載らしい、ということを知って、そいつは観たいぜ、と思っていた映画がある。その映画は結局見逃してしまったわけで、わたしの彼女への愛も大したことねーなー、と我ながら残念至極だが、その映画が先週、WOWOWで放送になったので、おっと、待ってたぜ!! とばかりに録画し、昨日の夜、ぼんやり観てみたわけである。
 その映画のタイトルとは『ロマンス』。特に原作はないのかな? 良く分からないがオリジナル作品らしい。 監督は、活躍著しいタナダユキ女史である。結論から言うと、やっぱり大島優子さんは、わたしにとって日本人最強KAWAIIガールであった。本当に大島優子さんは可愛くて素晴らしかった。

 物語は、大体上記予告で示されている通り、と言って良さそうである。主人公、北條鉢子ちゃんは小田急のロマンスカーで車内販売を担当し、その営業成績はトップクラスのデキるお嬢さんである。しかし彼女は、どうもだめんず愛好家らしく、同棲する彼氏はヒモ野郎のようだ(この点で、そのヒモを演じた出演時間わずか1分ぐらいの窪田正孝くんに軽い殺意を抱いた。許せない)。そして、そのだめんずについ甘くしてしまって、ちょっとした自己嫌悪で出勤する鉢子ちゃん。そして、出掛けに覗いたポストには、なにやら手紙が入っていて……。
 しかし、バッチリ制服を着こなしてからは、キリッとした表情に変身し、プロとして今日も一日、勤務が始まる。そして終点の箱根湯本に近づいたとき、彼女のワゴンから、お菓子を万引きした男をとっつかまえる。ひと悶着あって、再び新宿行きへ乗ろうとするも、ふと、朝ポストに入っていた手紙が気になり、一読してゴミ箱へ破り捨てる。それを観ていた万引き男は、捨てた手紙を拾って読んでみると、どうやらそれは自殺をほのめかす遺書めいた文章だった。男は問いただす。これは一体誰なのか。手紙の主は母であることを継げる鉢子ちゃん。それを聞いて、鉢子ちゃんの手を取り、「探しに行こう!!」と無理やり連れて行く万引き男。かくして、1日だけの鉢子ちゃんと万引き男の奇妙の旅が始まった――てなお話である。

 で、道中、ずうずうしい万引き男にイラつきながらも、かつて、一度だけ家族旅行で来たことのある小田原~箱根の思い出の地めぐりが始まり、鉢子ちゃんの母についてと、そんなダメな母親に育てられた鉢子ちゃんの幼少期が語られる。離婚後、すっかり男に依存するだめんず愛好家になった母親の、母親失格ぶりと、それによっていじめを受けたりした鉢子ちゃん自身のつらい過去だ。それ故に、鉢子ちゃんは母親を嫌っているわけで、自分は母親のようにはなりたくない、と、真面目に毎日を生きているわけだが、実のところ、自分もだめんず愛好家になっているわけで、恐らくはそういう同属嫌悪的なものもあるんだろう。そんな中でも、どうやら唯一の美しい思い出が、箱根旅行だったらしいということが丁寧に描かれる。
 そしてまた同時に、万引き男のこれまでの過去も語られる。映画のプロデューサーとして失敗続きで、最後にやらかした大きな損で告訴され、追われる身らしい。だが、そこで語られる男の過去は、はっきり言ってわたしには何にも響かなかった。どうも彼は、失敗してもまったく成長していない男であり、そんな男の過去には、観客としては共感しようがない。知らんがなそんなの、の一言でわたしとしては終了である。残念ながらこの万引き中年男も、だめんず野郎だった、の一言でまとめていいと思う。
 というわけで、真面目に実直に生きるわたしには、まったく心に響かない物語だったのだが、それでもやはり、大島優子さんだけはとにかく可愛くて、しかも芝居振りも極めて上等で、怒っている顔、しょんぼりしている顔、そして最後に見せる晴れやかな笑顔が、もう日本人最強クラスに魅力的であった。

 タナダ監督の作品は、わたしは『百万円と苦虫女』と『ふがいない僕は空を見た』の2作しか観ていないが、ともに、どうも「心さすらっている女子」を描くのが得意らしい。いや、得意なのかどうかは分からないが、すくなくともその2作は共通してそういうお話だった。ついでに言うと、男の描き方も、共通してだめんずで、わたしとしては、まったく心に響かない。今回も、そういう、心さすらう女子モノだったわけだが、 恐らく、今回の物語を『苦虫女』を演じた蒼井優ちゃんが演じては物語はまったく別物になってしまっただろうし、また一方で『ふがいない僕』で主演した田畑智子さんが演じては、もっと暗い感じになってしまっただろうと思う。やはり、この映画は大島優子の、大島優子による、大島優子のための映画であることは間違いのではなかろうか。何度でもいいますが、最強に可愛かったです。
 ただ、ひとつ、演出上の、画としての出来として、わたしは1箇所だけ文句を言いたい。 
 劇中で、鉢子ちゃんが風呂に入りながら涙を流すシーンがある。上に貼った予告でもチラッと挿入されているが、あそこは本当にもったいないと思った。恐らく問題は照明と、画角?なのではないかと思うのだが、残念ながら、「涙がこぼれているのが、画的にまったく見えない」のだ。大島優子さん渾身のいい表情だったのに、極めてもったいないと思う。アップにしろとはいわないけれど、やはり、「涙を流している」ことは明確に観客に見せるべきだと思う。色的な問題のような気もしたので、照明の問題かと思ったのだが、あのシーンはひじょーーーーーにもったいない。どうにもならないことだったのか、ホントにわたしとしてはあのシーンは残念に思う。

 というわけで、結論。
 大島優子という女優は、わたしとしては日本人で最も可愛らしく、魅力的だと思う。この映画は、彼女の素晴らしさを存分に味わうことが出来ます。本当に素晴らしく可愛かった。が、風呂のシーンだけは実にもったいなかったと思います。以上。 

↓  ホント可愛ええ……何らかの宇宙的奇跡が起きて、ばったりどこかで出会えないかのう……。



 

 世にはいろいろなことをいう人々がいて、インターネッツなる銀河にはさまざまな情報が満ち溢れているのだが、「落ちモノ」なるジャンルが小説や漫画に存在することをご存知だろうか。
 語源としては、どうやら宮崎アニメの名作『天空の城ラピュタ』に由来するのではないかと推察するが、要するに「ある日、美少女が空から落ちてきた」的な、Boy Meets Girl な作品を称して、「落ちモノ」とくくるわけである。『ラピュタ』を観たことのない日本人はもはや稀であろうから、分かりますよね? 冒頭、空から落ちてくるシータを、屋根の上でトランペットを吹いていたパズーがキャッチする、あの名シーンだ。
 ああいった、唐突ともいえる出会いに、あこがれ、心ときめかない男は、まあ、普通はいないと思う。もちろん、誰だってそりゃあファンタジーだと分かっているし、ありえないよそんなの、なんて言うことは、野暮の極みというか、『キャプテン翼』の話で盛り上がってるのに突然物理学の話を持ち出すようなもので、そういう野暮な空気を読めない人間とは付き合わないことをおススメしたい。まあ、つまらん奴でしょうよ、きっと。
 というわけで、わたしが今日観てきた映画は、「ある日玄関先に、スーパー・イケメンが行き倒れてた」というファンタジックな場面に遭遇した女子のお話、『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』である。まさしく女子向け「落ちモノ」であり、これがまた大変素敵な物語なのであった。以下、ネタバレ全開です。

 物語は、ほぼ上記予告で語られる通りである。原作小説が出たのが、2009年、かな。だからもう7年前か。わたしは有川先生の作品はすべて発売されたらすぐに読んでいるので、読んだのも7年前である。なので、若干細部の記憶は怪しいが、今回の映画はほぼ原作通りだったと思う。
 空気感も大変に好ましく、主題歌の歌詞の通り、「あなたをつつむすべてが~やさしさで溢れ」ているわけで、実にいい。うら若き女子が見れば、「いいなぁー」と思うだろうし、男が、ましてやわたしのようなおっさんが観ても、「ええのう……」と、つぶやかざるを得ない。この空気を作り出した二人の主人公の芝居振りは大変素晴らしかったとわたしは思う。
 わたしの場合、もともと、女子のしょんぼり顔愛好家なので、今回の高畑充希ちゃんのしょんぼりフェイスは最高級にグッと来た。主人公の「さやか」ちゃんは、都内で不動産会社に勤務する一人暮らしの24歳の女子だ(※充希ちゃん本人も24歳だそうですな)。やたらとあたりの強い、部長と呼ばれる上司に、日々しょんぼりな毎日を送っている。まあ、こんな上司にめぐり合ってしまったら、そりゃあ、毎日しょぼーんとしてしまうのも無理はない。大勢のいる前で叱責したり、あまつさえ、大声である。大体、世の女子の大半が一番苦手とするものが、「男の大声」だ。これは全世界の女性に申し上げたいですが、大声でがなる男の9割がたはクソ野郎なので、近づかないほうがいいですよ。部下だったり、お店の店員さんだったり、とりわけ自分より立場の低い人間に対してがなる男は、これはもう100%クズなので、そういう場合は、そいつより上の人を味方につけるに限ります。わたしはもう、会社で自分より上の人の方が少なかったので、心底思うけれど、そういう奴は確実に、上には弱腰ですよ。わたしの部下にはキツイ文句を言うくせに、わたしが出て行くとコロッと態度が変わる小者ばっかりだったからね。とにかく、この物語の主人公のさやかちゃんは、日々、ずっとしょんぼりしている。その様が、非常に良いとわたしは感じた。わたしはもともと、高畑充希ちゃんは可愛いと思っているし、歌も上手で大好きな女優の一人だが、今回のその、しょんぼりフェイスで、さらに好きになった。この人は……いい。大変魅力的である。
 ちなみに、なぜわたしが、そういったしょんぼり女子が好きか。それは、そういった女子が笑顔になると、ウルトラ可愛いからだ。要するに、「オレがキミを笑顔にしてやんぜ!!」と、妙にわたしの内面が燃えてくるのである。まあ、若干変態じみていることは否定できないが、そういうことです。
 しかし、である。既におっさんのわたしの場合、そこにはあまり恋愛感情めいたものはないし、実際下心もほとんどない(あくまで、ほとんど。ゼロじゃあない)。おまけに、別にそれはわたしが優しいからでもない。純粋に、このしょんぼりGirlが笑ったら、可愛いだろうな、と思うだけなので、わたしとしては大変残念なのだが、わたしの周りの先輩のお姉さんたちには「あんたはタチが悪い」と叱られてしまうことになるのである。曰く、「付き合う気もないのに、優しくしちゃダメよ!! 勘違いされちゃうでしょ!!」というわけである。はーーー。まったくもって難しい世の中である。ま、わたしの話はどうでもいいや。
 で。日々うなだれているさやかちゃんは、ある日、自宅前で腹ペコで一歩も動けないという青年「いつき」君と出会うことで、徐々に笑顔を取り戻していく。なにしろ、カッコイイし、料理も出来るし、やたらとハイスペックで、本人の言うとおり「しつけが行き届いている」スーパー・イケメンだ。そりゃあ、惚れますよ。そりゃあもう、間違いナシ、であろう。だが、お互い苗字も知らない、過去も知らない、極論すれば何も知らない状態である。そして、いつき君は、充希ちゃんという極めて可愛い女優の演じるさやかちゃんと同居しているにもかかわらず、一切手を出さない。まったくもってしつけの行き届いたイケメン君である。この、ちょっとした緊張感が物語的に最初のポイントとなる。下衆な言葉で言ってしまうと、「いつ二人はヤっちまうんだ?」という、一線を越えるタイミングである。ここはもう、書かないでおきます。たぶん、女性が観ても男が観ても、大変いい流れで、原作でもわたしはここを読んで、もうおじいちゃん的視点から、「若いもんはええのう……」とほほが緩んでしまった。
 というわけで今回、スーパー・ハイスペック・イケメンを演じたのが、EXILE一族の若き王子様の岩田剛典くん27歳だ。もう、完全にこの人には勝てない。と、普通の男なら全面降伏せざるを得ない、本物のスーパー・ハイスペック・イケメンである。まあカッコイイ。そもそも、わたしのような不細工野郎が女子になにをしてあげったって、「どうせ <※イケメンに限る>でしょ」という世の真理が存在していることを承知しているので、わたしも特に下心なく、気後れもなく、女子に接することが出来ているわけだが、彼のようなイケてる男が、ちょっとでも女子に優しく接したらもう大変だろうな、とまったくもって大きなお世話だが、心配になる。なので、果たして、この物語において、いつき君には最初から下心があったのかどうか、その点にわたしは少し興味がある。正直、わたしにはわからない。が、たぶん、彼にはまったくその気はなかったのではないかと想像する。おそらくは、さやかちゃんとふれあい、日々を共に過ごす中で、しょんぼり顔だったのがどんどん笑顔になっていき、その笑顔に徐々に惚れて行ったのだと思う。男としては、そうなんだろうとわたしは勝手に想像している。
 だが、実際分からないのは、さやかちゃんの方だ。彼女は、イケメンを前に、やっぱり一目ぼれ的感情はあったのだろうか? まあ、あったんでしょうな。少なくとも好意がなければ、部屋に入れないよね。だとすると、はあ……やっぱり「※ただしイケメンに限る」というのは真実なんだなあ、とブサメン歴40数年のわたしとしては残念に思うほかなかろう。やっぱりね……。いいよ。もうそれ、知ってたし!! と強がっておくことにするか……。あーあ……イケメンに生まれてきたかった……。
 そして物語は、いつき君の突然の失踪で、大きな山場を迎えるのだが、いつき君失踪後のさやかちゃんの暮らしぶりが、わたしは原作の中で一番好きな、そして最も切ない部分だ。ここでの充希ちゃんもとても良かった。冒頭でクソ上司に対してしょんぼりしているよりも、いつき君を喪ったさやかちゃんのしょんぼり振りの方が、より痛ましくて、わたしなら絶対に放っておかないような、淋しそうな表情は、大変にグッと来た。なので、最後に再会し、幸せな笑顔でエンディングを迎えた充希ちゃんは、より一層、可愛く見えたと思います。

 というわけで、結論。
 『植物図鑑 運命の恋、ひろました』は観ていてとてもうらやましくなるような、非常に素敵な恋愛ドラマであります。原作ファンも、キャストのファンも、ぜひ劇場で観ていただきたいと思う。わたし的には、大変楽しめました。以上。

↓ わたしとしては、どこでロケをしたのか凄く知りたいんだよな……あれは荒川の土手かな? どこの河原なんだろう。コイツにはロケマップが収録されているようなので、チッ……買うしかねえ、か……。




 というわけで、すぐ観たかったのに、時間が合わなくて先延ばしになっていた『殿、利息でござる!』を観てきた。いきなりだが、やはり、真っ先に思うのは、タイトルのセンスの良さである。2年前の映画、『超高速!参勤交代』のレビューを書いた時にも触れたが、タイトルだけで、「ん?」と思わせるのは映画を商業作品として考えた場合、非常に有効なことだ。
 いまだに、映画業界人の中には、「映画は公開してみないと(ヒットするかどうか)分からない」と寝言をほざく古き人々がいるが、わたしは、断じてそれは許しがたいと思っている。
 少なくとも、関係者は、「いや、この映画は絶対売れるっす!!!」と、根拠がなくたって構わないので断言すべきだし、そのためのあらゆる努力をすべきだ。公開する前から「分からない」というのは、100%言い訳というか、予防線を張っているだけのChicken Shit以外の何者でもない――と、わたしは偉そうに考えている。違うかな?
 で。既に『殿、利息でござる!』は公開されてもう2週間以上が過ぎており、興行収入もちょっと見えてきた。わたしのあまり当てにならない計算では、おそらくは、最終的に15億に届くかどうかまでは行くものと予想している。公開土日の数字は、最終的に15.5億を稼いだ『超高速!参勤交代』より若干少なかったと記憶しているが、その後のランキングの推移を観ると、どうも同等か、チョイ下か、ぐらいだからそう予想するわけだが、ズバリ、観てきた今現在、わたしとしては『参勤交代』よりも『利息でござる』の方が面白かったので、わたしの予想が外れてもっと売れてくれればいいなー、と思っている。なお、15億稼ぐと仮定すると、これは十分な大ヒットと言っていい数字であろうと思う。製作費や宣伝費などはまったくデータがないので、想像するしかないが、15億稼げば、余裕で黒字であろう。劇場公開といういわゆる1次スクリーンだけで黒字というのは、素晴らしいことだ。あ、いや、どうかな、時代劇は金がかかるからな……余裕で黒字かどうかはあまり自信はないです、はい。
 ちなみに、わたしが観たのはおとといのファーストデーの夕方の日本橋TOHOシネマズだが、もう公開2週間以上経過しているにもかかわらず、結構なお客さんの入りであった。スーツ姿のおっさん&お姉さんの二人組がやけに目に付いたし、どういうわけか一人客のお姉さんも結構いたのがちょっと意外だった。もっとおじいちゃん・おばあちゃん主体かなと思ってたのに、へえ~、である。 
 ※2016/06/20追記:7週時点でまだ12億程度のようで、ちょっと15億は難しそうな情勢です……残念だなあ……

 物語については、大体上記予告の通りと言っていいと思う。おまけに言うと、予告の最後にある通り、実話だそうだ。ただ、この予告では描かれていない重要なポイントが二つある。というか、わたしはこの予告を観て、二つ、ええと、どういうことだろう? と疑問に思ったことがあった。
 1)お上に金を貸す……ってなんで? お上は金に困ってるの?
 2)貸す原資はどうやって調達するんだろ? 予告では「家財道具を売り飛ばし」的な流れのようだけど、それで足りるのか? 貧しいんだろ?
 という点だ。なのでわたしは、その点に大変興味があって観に行ったのだが、共に本編内できっちり説明さていて、それでいて、とんでもない無茶な設定でもなく、実にグッと来る、いいお話であったのである。わたしは、結構感動した。以下、もうネタバレ全開ですので、自己責任で読むなり去るなりしてください。

 まず、第1のポイントは、結論から言うとお上は金に困っていた。
 舞台となるのは、仙台藩で、時代としては1766年から7年(8年か?)ぐらいにわたる、意外と時間軸的に長期のお話であった。なので、この物語で言う「お上」とは、伊達家のことである。時の藩主は、仙台藩伊達家7代当主の伊達重村である。昨日、ちょっとWikiで調べてみたところ、重村は1742年生まれ。なので物語の始まる1766年時点で24歳ってことか(ちなみに家督を継いだのは1756年・15歳の時らしい)。わたしは全く予備知識がなかったので、「お上」=江戸幕府のことかと思ってたが、全然違ってました。
 そして今回、その重村を演じたのが、ゴールドメダリストとしてお馴染みの羽生弓弦くん。彼は今、えーっと、21歳、なのかな? なので、重村より若干若いけれど、十分許容範囲内というか、全然問題ナシだし、実際、芝居振りも、意外と言ったら大変失礼だけど、全然違和感なくお見事であった。仙台出身だしね。なので、このキャスティングをひらめき、そして実現させたプロデューサーはもう、素晴らしい仕事を成し遂げたと褒め称えられるべきだとわたしは思う。お見事だ。
 で、なんで金に困っているか。仙台藩といえば、一般常識的には大きな名門で、金に困ってるとはあまり思えないのだが、どうも、残念ながら、7代の重村は15歳で当主の座に着いたからなのかわからないけど、Wikiによれば「失政」をやらかし、おまけに天明の大飢饉も重なって、財政的に大変ピンチに陥ったそうである。ただ、天明の大飢饉は、1782年~1788年ぐらいらしいので、今回の物語よりも後の話だから、まあ、それはあまり関係がないかもしれない。よくわからんけれど。
 なので、今回のお話の段階で、仙台藩が金に困っていた状況というのは、「若き重村が官位を賜るために京の有力者たちへの工作資金が必要だった」と映画では説明されていた。しかも官位が欲しい理由は、なにかと張り合っていた薩摩藩島津家に負けないため、だったらしい。そういう背景があったんだなあ、というのは、わたしはまったく知らない話だったので、へえ~、と面白く感じた。ははあ、なるほど、である。恐らくその点は史実通りなんだろうと思うが、まあ、はっきり言って庶民からすれば大変迷惑な話ですな。

 で。第2のポイント、一体全体、つましい暮らしをしている庶民がどうやって金を集めたか、である。ズバリ言うとこの点がこの映画の根本的なお話で、その金集めに苦労する顛末を描いたお話であると言っていいと思う。結論から言うと、とある人物がせっせと貯めていた金が決め手になるわけで、その、何故せっせと金を貯めていたのか、が実に泣けるというか、グッと来るのだ。
 物語は、京での商いから帰ってきた村の切れ者の男・篤平治が、藩から押し付けられている「伝馬」という仕事で財政的に疲弊している自分が住む村の窮状に、「そうだ、藩に金貸して、逆に利息をもらって、その利息で伝馬を運営すればいいんじゃね?」とひらめくところから始まる。そして、その貸す金集めが始まるのだが、当然、みんなそんなに金を持っているわけがない。おまけに、ここが一つのポイントで、実に分かりにくいのだが、正確に言うと、藩に「金を貸す」のではない。「金を上納する」のだ。つまり、出した金は「帰ってこない」のである。これはとても分かりにくいとわたしは感じた。返ってくる金なら出してもいいけど、返ってこないんでしょ? というわけで、なかなか金を出してもいいという人は集まらないのである。そりゃそうだよね。
 たぶん、この構造は、現代的に言うと、出資であろう。出資金は、はっきり言って普通は帰ってこない。そのかわり、出資者(もっと分かりやすく言うと株主と言ってもいいかも)は、「配当」をもらうわけだ。この映画では、その配当を、村のために使おう、という構造なんだろうと思う。どうだろう、ちょっと自信がないな。わたしの理解は正しいのかな? なので、この映画は、実際のところ、金を貸して、利息をもらう、というものではなくて、出資してリターン(配当)をもらう、という方が正しいように思った。まあ、上場株であれば、出資(=株を買う)しても、いつでも時価で売って現金化できるけれど、まあ、非上場の小さい会社なんかの場合は、出資した金はめったなことでは返ってこないのが普通なので(いや、もちろん株を買い取れと請求すればいいんだけど)、そういう行動と今回の映画は似ていると思う。
 というわけで、ちょっと話は脱線してしまったが、要するに金を出しても自分に返ってこないわけで、そりゃあなかなか金が集まらない。そこで、今回の物語で最大の鍵となるのが、「無私の心」という思想である。コレが非常にグッと来るわけです。物語は、なかなか金が集まらない中、村のみんなからは、「あいつはケチでがめつい守銭奴野郎だ」と言われていた男が、自らの身代をつぶしてでも金を出そうと申し出ることで、道が開ける。そして、何故、今まで、ケチでがめつく金を貯めていたかが明かされる。このエピソードがいいんすよ、とても。しかも、その男を演じた妻夫木聡くんの演技がまた抜群にいいんだな。これはぜひ、劇場で味わっていただきたいと思う。
 どうやらその「無私の心」というものは、パンフレットによると関一楽という人の書いた儒学の書物「冥加訓」にベースがあるらしいのだが、要するに、「善を行えば天道にかなって冥加(=神仏の助け・加護)があり、悪を行えば天に見放されて罰が与えられる」という思想らしい。これって、本当に、心に留めておきたいことだとわたしは激しく感動した。それと、金を出し合うメンバーはみんなで「慎みの掟」を定めて、その掟を守ることを連番状にまとめるのだが、その内容が、お互い喧嘩はやめようとか、自分が出資者であることは内緒にして、村を救ったなんてひけらかすようなことは慎みましょう、とかそういう内容で、大変気持ちが良かった。これって、現代で言うところの「株主間協定」と呼ばれる契約書そのものですよ。しかし現代の株主間協定というものは、基本的に相手を信用していない、裏切りを前提とした、実につまらんことをあげつらった契約が大半なので、たいていの場合、読むとウンザリするものだが、この映画でみんなが決める掟は実に「善なる」行為を表す美しいものだったと思う。
 というわけで、この映画は、基本的にはコメディで、芸達者な阿部サダヲ氏や瑛太くんの面白くも感動的(?)な芝居振りが予告をはじめ各種のプロモーションでは前面に押し出されているけれど、じつはかなり多くの名言が出てくる感動作だったのがわたしは結構意外だった。この映画、実のところすっげえド真面目な映画ですよ。そういう不意打ちも、実に見事だとわたしは思った。予告にもあるけれど、「あんたはどっちを見て仕事をしてるんだ!!」という瑛太くんの叫びは、日本全国のサラリーマンに観てもらいたいと思う。これは、藩の上級武士と村のみんなの板ばさみになってしまった、村の長的なキャラクターへ向けた怒りの爆発シーンなのだが、サラリーマン生活をしていると、ホント、そういう奴はいっぱいいますよね。上ばっかり見て、下のみんなを見ない野郎。現代のそういうクソ野郎は、大抵何を言っても無駄で、変わらない野郎ばかりだけれど、この映画ではきっちりと改心してくれて、みんなの味方になってくれるわけで、きっとこの映画は、サラリーマンが観るととてもグッと来ると思います。大変良かった。ぜひ、多くの方がこの映画を観て、そして、自らをちょっとでもいいから振り返って欲しいものです。

 ああ、もういい加減長いのでこの辺にしておこう。本当はキャスト一人一人書こうと思ったけど、もうあきらめた。はっきり言って、全員素晴らしい演技だったと思う。とりわけ、妻夫木くん、瑛太くん、阿部サダヲ氏、西村雅彦氏、他にもゴセイレッドとしてわたしにはお馴染みの千葉雄太くんも良かったし、意地悪な役人の松田龍平くんも大変良かった。女優陣も、竹内結子さんや、出番は少ないけれど草笛光子さんなど、みんな本当に素晴らしかったです。
 あとそうだ、もう一つ。わたしはずっと「金(=カネ、お金)」と書いてきましたが、実はこの物語でみんなが集めるのは「銭=ゼニ=硬貨=コイン」であって、「金=キン=GOLD=小判」ではない。この点もちょっとしたポイントになっているのも面白い。「武士は、銭は受け取れん。金(=小判)で持ってこい」と仙台藩の役人に言われてしまうのだ。で、銭と小判の両替レートが現代の為替のように流動的なんだな。だから、せっかく目標額に達しても、両替すると、やべええ!! 結構足りねええ!! みたいなことが判明したりと、意外とわかりにくい江戸期の通貨制度についておもしろ知識も得られて、わたしとしては大変満足の行く映画でありました。非常に面白かったと思う。

 というわけで、結論。
 『殿、利息でござる!』という映画は、コメディではあるけれど実話ベースの真面目なお話で、はっきり言って感動作である。わたしは非常に気に入った。そりゃあ、「無私」という思想を徹底して生きることは非常に難しいとは思う。けれど、やっぱりですね、真面目に生きて、少なくとも自分は「善」だと思える自分でありたいわけで、インチキをしたり、他人を踏みにじるような生き方はしたくないわけですよ。この映画を観て、そう思う人が増えるなら、日本人もまだまだ、世界に誇れるんじゃないすかね。少なくともわたしは、そう生きたいと思ってます。以上。

↓ 一応原作らしい。どうも、そういう無私に生きた日本人のエピソードを集めたものなのかな? 小説なのかな? ちょっと、読むしかねえかもな……。
無私の日本人 (文春文庫)
磯田 道史
文藝春秋
2015-06-10




 

 すっげえものを観た。
 4日前に、わたしの尊敬してやまない作家の先生からメールがポロリンと来て、おや、お久しぶりっす、と内容を読んでみると、「ぽっかりスケジュールが空いたのだが、暇ならちょいと飯でもどうか?」とのことであった。半年ほどお会いしていない方だったので、「オッス、承知っす」と即レスし、昨日銀座で会ったところ、これから映画館へ行こう、とのこと。「映画? ええと、イイっすよ。何観るんすか?」と連れて行かれたのが、東銀座の東劇である。というわけで、わたしが昨日観たのは、いわゆる「ゲキ×シネ」という劇団☆新感線の公演を撮影し、映画館で上映するもので、演目は『蛮幽鬼』という作品であった。
 2009年に上演され、ゲキ×シネとしても2010年に公開されている作品なので、超いまさらなのだが、わたしは昨日、初めて観た。これが大変面白く、とにかく熱くて大興奮。わたしは、こりゃあすげえ、ともう完全脱帽せざるを得ないのであった。

 物語は、一人の男の復讐譚である。中国と思われる国に留学していた4人の男。リーダー格の男が殺され、主人公はその犯人として逮捕抑留される。残りの二人が、「アイツが犯人だ!!」と証言したゆえである。そんな主人公が、監獄から10年後に脱出し、二人への復讐のために故国へ舞い戻ってくるという話で、どうやら『モンテ・クリストフ伯』をベースにしたお話らしい。
 しかし、物語的には、観ていてちょっと主人公や周りのキャラクターが迂闊すぎるというか、えええっ!? と思えるような行動を取るので、意外と突っ込みどころは多々あるし、客席へ向けたギャグがちょっと過剰なのでは、と言うような部分もあるのだが、もう、はっきり言うと、そんなこたあどうでもいいというか、そんな点を突っ込むのはもう野暮の極みであろう。とにかく、凄まじい熱量で圧倒的なのである。
 このゲキ×シネというものはわたしは初めて観たのだが、役者の表情も良く見えて、生での熱量には恐らく及ばないだろうけれど、生で遠い席にいたら全然見えないような役者の細かな表情まで見れる点は明らかにメリットであろう。しかし、それでもやはり、わたしとしては、これはライブで観たかった。これ、生で観ていたらもう、ぐったり疲れるというか、確実に興奮はさらに倍増していただろうなと思う。なので、生で見られなかったのは実に残念に思う。わたしは特に劇団☆新感線のファンではないので、全然この作品を知らなかったのだが、セットや衣装もかなり金がかかっているし、非常にクオリティは高い。恐らくは、日本の演劇界において別格クラスの存在であろうということは想像に固くない。高い人気が、高いクオリティに支えられたものであろうことは、作品を観ればよく分かる。とにかく、何度も言うが、熱量が凄まじいのだ。この恐ろしく超ハイカロリーな作品を支えているのは、おそらくは役者陣の汗だくな熱演であろうと思う。
 しかし残念ながら、全然詳しくないわたしは、出演している役者も知らない方が多く、もうちょっと予習してから観るべきだったという気もしている。だがこの作品は、新感線の方ではない、有名な俳優も多く出演していて、わたしはとりわけ以下の4人の役者の熱演に圧倒されたのである。
 恐らくは主役から紹介すべきだとは思うが、わたしが一番驚き、すげえと思ったのは、早乙女太一氏だ。名前と顔は知っていても、わたしは彼の演技を初めて観た。そして驚愕した。この人は、おっそろしく殺陣が華麗で美しく、相当な技量を持っていることを初めて知った。これはカッコイイ。しかも、さっき調べたところによれば、早乙女氏は1991年生まれ。現在24歳だが、この作品当時の2009年は18歳と言うことになる。すげえ。とにかく美しい。恐らくはダンスも相当な使い手なのではないかと思わせる華麗な殺陣は、わたしが知る限りにおいてナンバーワンだと思った。ただ、台詞回しは舞台では完璧なものの、ちょっと映像作品向きではないような気もする。声が非常にカッコ良く、まるで声優のような台詞回しだが、自然さが求められる映像作品ではどうなのか、気になるので今後、注目して行きたいと思う。とにかく、殺陣が素晴らしい役者である。
 そして主役は、上川隆也氏である。これまたわたしは全然知らなかったのだが、元々この方はキャラメルボックス出身で、演劇人なんですな。そうだったんだ。さんざんテレビドラマや映画でお馴染みだが、彼の演技も、思い起こすと、映像よりも舞台栄えのするもののように思う。今回もうずっと汗だく。滑舌も素晴らしく非常に聞き取りやすい。基礎がきっちり訓練されていて、素晴らしい熱演だった。
 さらに、この作品には近年とみに活躍が目立つ堺雅人氏がとあるキーキャラクターを演じている。笑顔で人を殺す暗殺者ということで、これはまあ、いつもお馴染みの堺氏の演技であったが、わたしは野暮を承知で言うけれど、彼の野望や行動原理が最初からバレバレで、ちょっと主人公が迂闊すぎだろ、というか、別に驚きはなく、物語としてはとりわけ共感はできなかった。ただし、演技は凄まじく高品位なもので、物語の世界に引きずり込まれることは間違いない。すっげえです。熱が。
 最後、ヒロインを演じたのが稲森いずみ嬢である。このところあまりお見掛けしないような気もするが、物語の進展にしたがってどんどんと重要な役割となるヒロインを熱演しており、非常に素晴らしかった。美人ですなあ、はやり。線は細いけれど若干背が高いですね。まあ、華奢な体でゴツイ男たちの中で見劣りしない堂々たる演技ぶりだったと思うし、流す涙は生のライブでは到底分からなかっただろうと思うと、ゲキ×シネではアップで見られたので、この点ではゲキ×シネの大きな優位性を感じることが出来た。
 なお、脚本は、新感線の座付脚本家としてお馴染みの中島かずき氏。元・双葉社の「クレヨンしんちゃん」の担当編集としても有名だが、2010年に退職したんだそうですな。逆に言うと2010年までは社員だったわけで、よくもまあ、そこまで精力的な活動が出来たものだと驚きである。わたし的に中島氏は「仮面ライダーフォーゼ」の脚本家としてお馴染みだが、特徴(?)として、小さな役のキャラクターにもしっかり性格付け・動機が設定されており、且つ又物語が常に熱い(=これは要するに、キャラの台詞がいちいちカッコ良くてグッと来るからなんだと思う)、そんな作品を書く人だというのがわたしの認識である。本作でも、その熱さやキャラの隅々まで行き渡る性格付けは本当にお見事でした。素晴らしい作品だったと思います。

 というわけで、今日は短いけれど結論。
 何の予備知識もなく突然観ることになったゲキ×シネ『蛮幽記』は、想像をはるかに超えたスケールと熱演で、ものすごいカロリーの高いエンターテインメントであった。とにかく凄かった。マジでこれはライブで、生で観たかった。まだまだわたしも勉強が足りないですなあ。全然知らなかったことが実に悔やまれる思いであった。以上。

↓ 一応、DVDは出ています。が、これは大スクリーン&爆音で観るべきだと思うな。

 

 去年の12月に、『母と暮らせば』を観て大いに感動し、立て続けにWOWOWで録画して観もせずに放置していた『小さいおうち』『東京家族』を観て、ああ、やはり山田洋次監督は偉大なるFILM MAKERだと今更ながら認識するに至ったわたしだが、1月に、舞台『書く女』を観に行った際に、山田監督のトークショーで直接の生の発言を聞く機会があった。曰く、「喜劇が一番難しい。そして劇場でお客さんが笑っている姿を観るのが一番うれしい」と、山田監督は仰っていた。かつて、『男はつらいよ』のシリーズで日本に笑いをもたらしていた山田監督。日本人に愛され続けた寅さんシリーズの監督がそういうんだから、「喜劇が一番難しい」というのはきっと真実なのだろう。
 以前も書いた通り、山田監督は一貫して「家族」をテーマとした作品を作り続けている。人間社会の基本単位である家族。それは、人間にとって一番のよりどころとなるものであり、また一方では一番厄介な、生まれてから死ぬまで、決して「なかったこと」にはできない繋がりであろう。だからそこには、喜びも怒りも悲しみも、すべての人間の感情が詰まっているはずだ。
 というわけで、山田監督最新作は、タイトルもズバリ『家族はつらいよ』である。これがもう、めっぽう面白かったのである。

 散々報道されていることだが、まずは客観的事実を先にいくつか書いておくと、実はこの作品、「山田監督最新作」と言っていいのかちょっと微妙である。というのも、去年の春にはとっくに完成していたそうで、制作の順番的には『母と暮らせば』の方が後であるが、公開順が入れ替わったのである。その理由は、去年2015年が戦後70年の節目の年であり、その年に『母を暮らせば』を公開したかったことが一つ。そして今年、2016年が松竹の創業120周年だそうで、本作『家族はつらいよ』はその記念作品という位置づけにされているためだ。まあ、これは別に、ああ、そうなんすか、で流してもらっていい情報で、正直どうでもいい。
 もう一つこの作品について言っておかなければならないのは、2013年に公開された『東京家族』と全く同じキャストであり、また役柄も全く同じという点だ。人名もほぼ同じで、『東京家族』が平井家、『家族はつらいよ』が平田家とちょっと違うだけで、下の名前も漢字が違ってたりするけれど、ほぼ同じである。これは非常に面白い取組である。なので、出来れば、本作を観る前に『東京家族』を観ておいた方が一層楽しめると思う。本作を観てから『東京家族』を観る、という逆もアリだと思いますが、何しろ『東京家族』はしんみり系のドシリアスなので、先に観ておいた方がいいような気がするな……どうでしょう。
 さて。で、今回の『家族はつらいよ』である。
 物語は、もう予告の通りだ。ある日、母が誕生日のお祝いに、父に欲しいものがある、と言う。父は、いいよ、何でも言ってみ? と聞く。母が差し出したのは離婚届。これに署名捺印が欲しいな、というところから物語は始まる。
 舞台となる平田家をちょっと紹介しておこう。
 【父】:演じるのは橋爪功氏。作中では70代と言ってたかな。定年後、ゴルフをしたり呑みに行ったり気ままなおとっつあん。はっきり言って、部外者のわたしから見ると、自分の親父を思い起こさせるクソ親父成分が濃厚で、あまり同情の余地なし、とわたしの目には映った。
 【母】:演じるのは吉行和子さん。お父さんにずっと耐えてきた昭和の母。亡くなった妹が著名な作家だったと言う設定で、その印税が入るのでお金にあまり困らない事情アリ。現在、カルチャースクールに通って創作の勉強中。なお、吉行和子さん本人も、故・吉行淳之介先生の妹であることはご存知の通り。もちろん、その事実を受けての役柄設定でしょうな。
 【長男】:演じるのは西村雅彦氏。サラリーマン。40代の設定(だったと思う)。上に部長がいるようなので、課長クラス。二人の子供アリ(小学生&中学生)。父が苦手なくせに、父の性格をそのまま受け継いでいそうな感じがするので、将来が心配だw うっかり者っぽい。両親と二世帯住宅に住む。今回かなりズッコケ演技を見せてくれる。
 【長男の嫁】:演じるのは夏川結衣さん。非常に常識人(?)。旦那の両親に対してきちんと気を遣い、旦那に対してもそれなりに立てている風。ただし子供にはきっちりと厳しく、しっかり者のお母さん。夏川さん本人は、若いころは美しいモデルさんだったが、すっかり演技派の素晴らしい女優ですね。
  【長女】:演じるのは中嶋朋子さん。税理士として事務所を運営。恐ろしく外面はいいが、キツイ性格。顧客に対しては超・猫なで声(ここの芝居は超笑える)。両親は兄が面倒を見るものと決めつけている。仕事バリバリ系。かつての蛍ちゃんも、すっかり歳を取りましたなあ。お綺麗だと思います。
 【長女の旦那】:演じるのは林家正蔵氏。うだつの上がらないダメ人間。嫁の事務所で助手として働く。お父さんに、「髪結いの亭主の癖に生意気言うな!!」と言われてブチ切れる。いや、お前……事実じゃんか……。持ちネタ「どーもすいません」を炸裂させたのは余計だったと思いますw
 【次男】:演じるのは妻夫木聡くん。 心優しい青年で、両親と兄夫婦家族と同居。仕事はピアノ調律師。折り合い悪い父親と兄の間に入って、家族をとりなす、本人曰く「接着剤」の役割を果たす。そのため、本当は一人暮らしをしたかったが実家住まいをしており、兄嫁は彼を非常に頼りにしている。しかし、そろそろ結婚を意識し、家を出ようとしている。今回もお見事な演技ぶりだったと思う。
 【次男の彼女】:演じるのは蒼井優ちゃん。 看護師さん。いい人。初めて連れてこられた平田家はとんでもない修羅場の最中で……という展開。相変わらず可愛い別嬪さんでした。この人が、さっそうとチャリンコを漕いでいる姿がわたしは非常に好き。
 とまあ、こんな平田家の皆さんが、お母さんの離婚届けによって大騒ぎ、というお話である。非常に分かりやすく、わたしはずっと笑って観ていた。
 しかし、である。
 残念ながら、この映画を楽しめるのは、おそらくは40代後半以上のおっさん・おばさんだろうと思う。ひょっとすると30代以下は、観ていてイライラするのではなかろうか。それは何故かと言うと、やはり、30代ではまだ、自分の親父を許せていないからだ。橋爪氏の演じるお父さんは、日本全国に生息する「お父さん」そのもので、酔っ払って帰って来て大声で喚くし、服は脱いだらほっぽり投げたままだし、しかも裏返しのままだし、靴下なんかも、ポイッとそのままで平気な、「昭和のお父さん」だ。そういう父親の姿は、息子や娘からしたら、実にウザい、最悪の存在である。お母さん可哀想……と、きっと誰でも思うことだろう。
 しかし、わたしのように、「絶対ああはなりたくない、ならない!!」と固く心に誓っている男でさえ、きわめて残念ながら、自分が嫌いでたまらなかった親父に、どんどん似てきてしまうのだ。そしてそのことを自覚した時初めて、若干の絶望とともに、父親を少し許せるようになるのだとわたしは思う。わたしの場合は、わたしが30になるチョイ前に亡くなってしまったので、少し早めに親父のことを許せるようになったが、おそらく普通の人は40代に入らないとそれが分からないと思う。もちろん、許すと言っても、否定はしたい。なので、許すというより「理解する」と言うべきかもしれない。いずれにせよ、親父の気持ちが分かってくるのは、40代後半以降であろうと思う。なので、おそらくこの作品は、30代以下には全く通じないのではないかとわたしは思うわけである。
 ところで、観に行って非常に興味深かったのは、観客の反応だ。
 わたしが観に行った時の客層は、60代以上と思われるおじさん一人客&老夫婦&おばさんのグループというように、おっそろしく年齢層は高かった。まあ、そりゃそうだとは思うが、注目すべきはその反応である。
 わたしの隣には、70代と思われる老夫婦が座っていて、時間ぎりぎりによっこらせと入ってくるし、始まってるのに服はガサゴソ脱ぐし、あまつさえ缶コーヒーをギリギリプシュウと開けるし、上映中に良くしゃべるし、正直イラッとするどころか、いい加減にしてくんねーかなーとさえ思ったのだが、お母さんは良く笑って楽しそうに観ているし、チラチラ観察したところ、お父さんも、声には出さないけれど、ずっとにニヤニヤと笑顔なのだ。もう、わたしはそのお父さんの笑顔で、全部許してもいいやと思った。
 おそらく、そのお父さんも、家族から煙たがられている存在なのではないかと勝手に想像するが、同じ様を映画で見せつけられて、あまつさえお母さんは爆笑していて、気分良くないのでは? と思ったのだが、なんだ、ちゃんと笑ってるじゃん。なるほど、きっとこのお父さんは、もうそういう段階は既に通過しているんだろうな、と想像すると、なんというか、もう、そういう人生の先輩に対しては怒りの感情は持てないというか、終わったところで「面白かったっすね」と声をかけたくなるほどだった。全く見知らぬ老夫婦は、どこから来たのか知らないし、どんな家族を持つのか想像もつかないけれど、きっと、お幸せなんでしょうな。この映画を夫婦で観て笑えるなんて、正直うらやましいよ。

 というわけで、結論。
 山田監督は、「喜劇が一番難しい」と仰っていたが、ご報告があります。わたくし、『家族はつらいよ』を拝見させていただきましたが、場内大爆笑でしたよ!! 勿論わたしも、笑わせていただきました。さすがっす。以上。

↓ あれっ!? 小説が出てたんですな。しかし、小説で読んで面白い話なのかな……。そして音楽は、名匠・久石譲先生です。
家族はつらいよ (講談社文庫)
小路 幸也
講談社
2015-12-15

「家族はつらいよ」オリジナル・サウンドトラック
久石譲
ユニバーサル ミュージック
2016-03-09

 今日の昼に、今年のNHK大河ドラマ『真田丸』(の再放送)を観ていて、うーん、やっぱり三谷幸喜氏による脚本ってどうなんでしょうなあ……大河に向いているのかしらん……などとぼんやり思ったのだが、2004年に放送された三谷氏による『新選組!』をあまり面白いと思えなかったわたしは、今回の『真田丸』も、今のところ、ちょっと乗れてない感じである。まあ、最後まで観ないと面白かったかどうかすら判定できないので、毎週観るつもりでいるが、途中で観るのをやめちゃわないか、若干自分が心配である。
 で。そういや2004年の『新選組!』では、今回の『真田丸』の主役を演じる堺雅人氏は、沖田総司だったっけね、なんてことを思い出し、他のキャストはどんな感じだったっけ、とGoogle先生にお伺いを立ててみたところ、総司は藤原竜也氏で、堺雅人氏が演じてたのは山南敬助だということを思い出した。しかし、どうしても、堺雅人氏=沖田総司のイメージが頭から離れない。あれぇ!? なんでだっけ? というわけで、再びGoogle先生にお伺いを立ててみたところ、わたしが思った堺雅人=沖田総司は、映画『壬生義士伝』であったことが5秒で判明した。なるほど、超・勘違いでしたわ。しかし調べてみて、ああ、この映画泣けるんだよなあ、という事も思い出したのだが、どうも細部はあまり覚えていないことも判明し、たしか録画したのがあったはず…・・・とBlu-rayを探したら見つかったので、10年以上ぶりに見てみた。そして、うむ、やっぱり中井貴一氏は素晴らしい役者だ、ということを再認識したわけである。

 上記の動画は、松竹の公式動画なのだが、冒頭の3分ほどが観られるものの、とても予告とは言い難い。続きは300円で見られるよ、というプロモーション用である。なので、これだけでは全くわからないと思うが、物語は大正時代まで生き残った新撰組三番隊組長でおなじみの斎藤一と、「守銭奴」と呼ばれた新撰組撃剣師範、吉村貫一郎のお話である。わたしは上記3分動画を観て、あ、はいはい、これか、と物語の全体像を思い出すことに成功したが、上記の動画にあるように、老いた斎藤一が若き日の新撰組時代を回想する形で物語は進行する。実はわたしは浅田次郎先生の原作を読んでいないので、原作通りの流れなのか知らないし、さらに言うとわたしは戦国オタであるけれどあまり幕末の歴史に詳しくないので、史実通りなのかもよく分かっていない。
 しかし、わたしにはこの物語は、非常に現代性を持つものとして極めて興味深く写った。
 幕末社会……これは、現代に例えると、250年続いた巨大企業が倒産の危機にある物語として読み取れるのではなかろうか。
 安定した巨大企業グループの一員である岩手の子会社に在籍していた中間管理職のサラリーマンがいる。しかしグループ会社の連結業績はもはや建て直しのきかないレベルまで落ちてしまい、本社HDの取締役会は機能しないし、海外からのM&Aの脅威にさらされていて、給料も減り、もはや妻子を養うのも厳しい状態。まさに時代が変わろうとする端境期である。そんな時、江戸の本社持株会社からスピンアウトして、京都に本拠地を置いた、保守派の新撰組を名乗る一派がいた。福島の子会社が出資した新撰組へ行けば、給料もなかなかいいらしい。しかしそこでの業務は、端的に行って人殺しである。本社の言うことを聞かない連中を殺すのが仕事のテロ集団である。また、本社にやたらと噛み付いて、社長交代を求め、新会社を設立しようとする山口や鹿児島、高知の子会社連中もいるし、他の地方子会社も本社につくか、新会社につくか、グループ上げての大混乱にある。主人公たるサラリーマンは、株式会社岩手には恩義があるけれど、はっきり言って妻子も養えないのであれば、どうしようもない。ならばオレは、敢えて人殺しの悪名をかぶろう、グループ会社を守るため、そして愛する家族を養うために!
 ――と、この物語をまとめたら怒る人が多いかもしれない。
 人殺し=テロ、と言ってしまったら、日本の歴史を全否定、あるいは人類の歴史すらも全否定してしまうことにもなるので、かなり抵抗があるのだが、新撰組は、一面では恐怖で治安維持しようとしていたことも事実であろうから、そういう意味ではテロリストと言わざるをえまい。もちろん、それは21世紀の現代にぬくぬくと暮らしている身だから言えることだけど、彼らの死闘があって今の日本があるのもまた事実だろうから、誰が悪いという話ではない。しかし……確実に現代とは全く違う価値観が世を支配していた時代を、現代感覚で断罪することは出来ないが、はっきり言って恐ろしい時代である。
 だが、価値観の違いはあれど、主人公の行動は我々現代人の心に刺さるモノがあるのも事実であろう。間違いなく、会社が傾いても、それでも、なんとか頑張ろうとするのがやっぱり一番正しいと思う。まずは自分にできる全力を尽くすべきだ。かと言って、責任を取るべき役職者連中が全く責任を取らず、リストラで人を減らして生き残ろうとする姿を見れば、もはやこれまで、と思うのも理解できる。まあ、せっかく何とか頑張ろうとする若手の意見も聞かなかったり、責任も取らない役職者が一番悪いし、一方では何も変えようとせず、自らも変わろうとしないまま、そのうち業績も回復するだろ、という絶対に訪れない未来に期待して頭を低くしているだけの現場連中も悪質だ。
 株式会社江戸幕府ホールディングスの代表取締役社長だった徳川慶喜は、最終的には引退する決断を下した。そして山口や鹿児島の子会社が興した株式会社明治政府HDが、(株)江戸幕府HDを吸収合併し、大半の資産と人員を継承したわけだが、京都に本社を置いた株式会社新撰組は、その枠組みから外れ、消滅することとなってしまった。出資していた大株主の株式会社福島が徹底的に新会社につぶされたためだが、手段はテロとはいえ、新撰組という存在は、本気で「何とかしたい」と頑張ろうとした人々の集まりであったことも確かであろう。
 繰り返して言うが、誰が悪いという話ではない。
 これは、そういう時代の端境期、言葉を変えればそれまでの世が崩壊する時にあって、どう本人が「納得」するかという話である。人を殺しまくっていた斎藤一も、自分の「納得」した生き方をしたし、最後まで家族に金を残すことを考えた吉村貫一郎も、自身の「納得」のもとに行動した。結果として、斎藤一は大正の世まで生き残り、吉村貫一郎は江戸幕府とともに殉じたわけだが、斎藤一の言葉を借りると、「最も憎んだ男であり、ただ一人の親友と呼べる男」という間柄であり、それはきっと、二人ともに「納得」が行っていたからこそ、お互いを認め合うことが出来たのだろうと思った。ええと、うまくまとめられないけれど、何が言いたいかというと、わたしはもう、納得のいかないことはしたくないし、納得した道を生きて行きたいですな、ということです。

 というわけで、結論。
 中井貴一氏の演じる吉村貫一郎という男の生き様は、他人から見ると非常に、何なんだコイツ? と思われるものだったのかもしれない。けれど、そこには、明確に「納得」がある。なんというか、信念とか覚悟とか、そういう言葉ではなくて、「納得」という言葉が一番正しく表しているんじゃないかと思う。中井貴一氏の芝居振りも素晴らしく、10年以上ぶりに見る『壬生義士伝』は非常に心に響きました。未見の方はぜひ、ご覧ください。以上。

↓ やっぱりこれ、原作を読まないといけないね……。ちなみに、映画の前にTVドラマにもなっていたそうで、TV版で主人公・吉村貫一郎を演じたのは、ハリウッドスターKEN WATANABEこと渡辺謙さんだそうです。そっちも見たいなあ……。


 というわけで。
 現在公開中の『母と暮らせば』を観て、大いに感動してしまい、黒木華ちゃんという女優や吉永小百合さんや二宮くんはホントに素晴らしい、と、そこら中で事あるごとに話しているわたしだが、やっぱり山田洋次監督というのはすげえ、ということを今さら認識し、その後、WOWOWで録っておいて観ていなかった『小さいおうち』も観て、これまた感動し、ちょっとこりゃあ、山田洋次監督の作品は全部見ないと、映画オタクとして大変恥ずかしいのであろうということを、まったくもって今さらながら、明確にな事実として了解したわけである。
 と、Wikipediaで、山田洋次監督のフィルモグラフィーをチェックしてみたところ、意外と平成に入ってからの作品は既に観ていて、あとは『東京家族』を観れば、全部観てるかも、という事実が発覚した。なのでさっそく、『東京家族』をどこかのネット配信で観るか、と思ったのだが、いやまてよ、ひょっとしたら……と録りためてあるBlu-rayを漁ってみたところ、ちゃんとWOWOWで放送したのを録画してBlu-rayに焼いてあるのを発見した。さすがオレ。万事抜かりない男である。
 と、自画自賛する人間には、おおよそ、ろくな人間がいないと思います。

 この映画は、実のところ、小津安二郎監督による『東京物語』の平成リメイクである。ほぼ筋書きは同じ。なので、きっと自称・映画通の方々は、本作を小津作品と比較して、どうでもいいことを抜かす場合が多いのではないかと思うが、そんな比較は、わたしにはまったくどうでもいい。そんな1953年(昭和28年)の作品と比べて何か意味があるとでもいうのかね……? 家族の在り方なんて、まったくもって変わってしまっているというのに。
 それと、実はわたしは、黒澤明監督は大ファンで、生前一度だけお目にかかったことがあるし、全作品とも何度も観ている。ので、黒澤映画を語りだすと、おそらくは127時間ほどしゃべり続ける自信はあるのだが……小津安二郎監督の作品は、実はあまり好きではないのです。なんというか、あのまったり感? というか、静かなのっぺり感? がどうしても苦手で、黒澤的なギラギラ感の方がどうしてもわたしの好みなのである。実のところ、小津作品は、『東京物語』を含め、遺作の『秋刀魚の味』、それから『晩春』『お早よう』の4本しか見ていない。しかも、全部20年以上前に観たっきりである。
 なので、小津監督による『東京物語』のストーリーは薄らぼんやりとしか覚えていない。確か、尾道から出てきた両親が、(戦後の)東京の子どもたちの家にやって来て、あまりいい思いをせず帰ったところで母が亡くなり、そのお葬式に今度は東京の子どもたちが尾道ににやって来て、また嫌な感じでさっさと帰っちゃう、けど、戦争で亡くなった次男のお嫁さんだけはいい人だった、みたいな感じで、正直なところ正確なディテールは忘れている。確か長女がやな奴じゃなかったけ? ぐらいの印象しか残っていない。

 とまあ、こんなわたしが、昨日の夜、クリスマスイブだというのに、ぼんやりと、平成の世に生まれ変わった山田洋次監督による『東京家族』を観たわけだが、結果としては、映画の神様ごめんなさい、この映画を劇場に観に行かなかったオレは本当にバカでした。と深く謝罪をせねばなるまいという結論に至った。ホントすみませんでした。素晴らしかったです。
 山田洋次監督は、『寅さん』シリーズでも一貫して「家族」というものを描いてきた監督である。また、震災を経験した我々日本人にとっては、まさしく「家族」というものは極めて大きなテーマであり、山田洋次監督がこの作品を2013年に公開したことにも、大きな意味があると思う。
 この映画で描かれた物語は、間違いなく、わたしのような40代のおっさんや、50代ぐらいの人間には猛烈に突き刺さるはずだ。間違いなくやって来る親の死。それが10年後なのか20年後なのか、ひょっとしたら明日なのか。それは誰にもわからない。けれどその日は、100%確実にやって来る。親孝行は、親のためというよりも、自分のためだというのがわたしの持論だが、親を亡くした時に、胸を張れる自分でいられるかどうか。後悔をしなくて済む自分かどうか。やましい気持ちにならずに済んだ自分であるかどうか、それが親孝行の判定基準だとわたしは思っている。
 この物語の登場人物たち、特に子供たちはどうか。また、愛する妻を亡くした父も、どうなのか。たぶん、みんな後悔している。ああ言ってあげればよかった、こうしてあげればよかった、と。それはもう、どうしようもない。あまりに亡くなるのが急だったし、倒れて一度も意識は戻らなかったし。だがそういった気持ちは、あくまで自分が思うことであって、第三者にとやかく言われるものではない。
 そこが難しいところで、例えば、わたしとしては、仕事が忙しいと言って東京に来た母をあまり構わなかったくせに、葬式では母のアレが欲しいからちょうだい、とか言い出す長女なんかには、この人は嫌な女だなーと思うものの、実際のところ、その長女の本心はわからない。それを批判するには材料が足りなすぎるし、そもそもまったくの赤の他人なので、別にどうでもいいとしか言えない。
 しかしそれでも、少なくとも、なるべくこうはなりたくないなあ……という意味での一つのビジョンは示してくれる。やっぱり、映画というものは、まあもちろん小説でも漫画でもそうだけれど、観客や読者といった受け手自身に、自分のこととして振り返らせるような、心に突き刺さる作品が、傑作と呼んでいい作品なのだろうと思う。わたしはこの映画を観て、既に父を亡くしている男としては、残る母をどう送るか、が、おそらくは今後の半生における最大の問題であろうという認識をあらたにした次第だが、この映画は非常にわたしの心に突き刺さった。

 で。
 役者陣は、相変わらず素晴らしい芝居ぶりで文句はほぼない。やっぱり、妻夫木くんの適当でいながらやさしい次男とか、その彼女の蒼井優ちゃんは、若手ではトップクラスであろうことをこの映画でも証明してくれていると思う。妻夫木くんも、二宮くんと同じように、いつも本当に自然というかナチュラル系ですね。作りこみ系ではないですな、この人は。実に良いと思います。蒼井優ちゃんも、非常に可愛い娘さんを好演しておりますね。素晴らしい。また、長男夫婦、長女夫婦も、まあ先ほど書いた通り長女とは永遠に友達にはなりたくないが、演技としては非常にハイクオリティであった。長男の嫁を演じた夏川結衣さんは、非常にいいですな。物語上も結構いい人で、嫁として十分以上に夫の両親に対して優しい役だし、演技ぶりもとても良かった。
 そして老いた両親を演じた橋爪功お父さんと吉行和子お母さんもお見事でした。優しくていつも厳しい父親との間に立ってくれたお母さん。とても胸にしみました。元先生で、次男を理解しようとしない堅物のお父さんも、お母さんの偉大さが身に染みたでしょう。今後は、ちゃんと次男にも優しくしてあげないとダメですよ。まあ、現実にはホント、家族ってのは難しいですな。決して美しくはならないのが現実の家族であることは間違いない。たぶん、この映画で描かれた家族も、母を亡くしても、結局はそうあまり変わって行かないと思う。なので、たまにはこういう映画で、他人の家族を冷静に眺めて、自分に立ち戻って考えてみる必要があるんでしょうな。自分の家族ってやつを。

 というわけで、結論。
 『東京家族』は、40代以上の日本国民は全員観るべき価値のある作品だと思います。そして、やっぱり自分に置き換えて、今後どう生きるか、ちょっとだけでも振り返ってみた方がいいと思います。
 そして、『東京家族』とまったく同じキャストで贈る喜劇『家族はつらいよ』は絶対に劇場に観に行こうと思います!!


↓ 可愛いのに、なんかわたしの周りは嫌いと言う人が多いのは何故? わたしはもちろん大好きです。

 おとといの月曜日の夜に、『母と暮らせば』を観て大いに感動したわたしは、昨日はずっと、黒木華ちゃんの天然昭和フェイスに頭の中が占領されていたわけです。
 なので、昨日はさっさと帰って、WOWOWで録画したはずの『小さいおうち』を観よう、と思い、いざHDDの発掘作業をしてみたわけです。
 確かに録ったはず。それはたぶん間違いない。ので、まずはデッキのHDDから手を付けた。しかし、2TBの容量なのにあともう100GBぐらいしか残ってないことからも明らかなように、録っただけで観ていない映画がごっそり詰まっていて、30ページぐらいスクロールしてみないと一体どこにあるのかすらわからない状態であった。
 しかし、全ページチェックしても、ない。おかしい。次に、USB接続しているHDDは、3TBの容量で、こちらにも録画した映画を結構移してあるので、最初からせっせと探してみるも、やっぱりない。あれえ!? 嘘だろ、消しちゃったのか?  バカバカ!! オレのバカ!! というわけで、あきらめて、WOWOWのWebサイトで、次に放送があるのはいつなんだろう、つーか、また放送してくれるかしらん? と調べてみたら、来月、1回だけ放送されるようなので、とりあえず自宅PCのディスプレイに、「1/16:WOWOW:小さいおうち」と付箋を貼って、Googleカレンダーにも、予定を書き込んでみた。
 そこで、ふと、未整理の、Blu-ray DISKの山が目に入ったので、ひょっとしたら、BD-REに焼いたんだっけ? という気がしてきたので、中身のインデックスを書いていないDISKを片っ端からPCのドライブに突っ込んで、中身をチェックしてみた。わたしはたいてい、50GBのRE-DLに焼くので、それぞれのDISKは10本ぐらいは映画が入っている。そのDISKの山を、この際だから何が入っているか、ちゃんと書いておこうと、メモを取り始め、ああ、このDISKにはこんなの入ってら、あ、これ、観てないな、とか、延々と作業をしていたら、9枚目のDISK に、『小さいおうち』が入っているのを発見した。良かったー、消してなかった。さすがオレ、抜かりないぜ。と、60分ほどの作業を要したことを棚に上げて思うわたしは、もう、本当にダメな男だと思いました。
 というわけで、山田洋次監督作品『小さいおうち』を、今さらながら昨日初めて観たわけである。

 結論から言うと、やっぱり素晴らしい作品であった。物語・脚本・演出・そして役者陣の芝居ぶり。ほぼパーフェクトと言っていいような気がする。そして、この作品でもやはり、黒木華ちゃんの天然昭和フェイスは非常に美しく、そして可愛らしく、大変わたしとしては満足のいく作品であった。ヤバイ。どんどん華ちゃんが好きになってきたんですけど、どうしたらいいのでしょうか。
 物語は、詳しくはWikipediaの方を参照していただくとして、どうやら中島京子先生が直木賞を受賞した原作小説と、今回の映画版では、微妙に物語が違うようだ。
小さいおうち (文春文庫)
中島 京子
文藝春秋
2012-12-04

 わたしは残念ながら原作を読んでいないので、以下、あくまでも映画版の物語限定で記します。
 映画では、現代の平成の世と、戦前・戦中の昭和10年代とが入れ替わりながら物語は進む。冒頭は、とある老女のお葬式。その遺品整理中に、遺族の若者が老女の自叙伝を見つける。それは、自分が自叙伝でも書いたら? と勧めていたもので、映画はその自叙伝で描かれる昭和初期と、自叙伝執筆中の老女の生前の姿と、亡くなって以降と3つの時制で語られる。
 昭和10年代。タキは山形から住み込みの女中奉公のために東京へやって来て、とある小説家の娘が嫁いだ先の平井家に奉公することになる。平井家は比較的裕福で、新築したばかりの、赤い瓦屋根が可愛らしい小さなおうちに住んでいた。奥さん、時子は美しく聡明な女性で、タキを「タキちゃん」と呼び妹のようにかわいがってくれた素敵な奥さんだった。旦那はおもちゃ会社の常務で毎日を忙しく過ごしており、決して悪い奴ではないけれど、まあ昭和初期の男なので、家庭にはあまり興味がない。また、子どもも一人いて、小児まひにかかってしまうけれど、タキの懸命な看護で小学校に上がる頃にはすっかり元気ないい子に育っていた。
 そのような、いわば「家政婦は見た」的な平井家の生活が、平和に、そして楽しく過ぎていく。そしてある正月、旦那の会社に入社した、美大出身のデザイナー(?)が挨拶にやって来て、時子奥さまとそのデザイナーが出会い、次第にお互い魅かれて行き……というお話。

 やはり、この映画でも役者陣の芝居は本当に素晴らしい。
 筆頭に挙げたいのは、この作品では華ちゃんでなく、はやり時子奥さまを演じた松たか子ちゃんであろう。この人は本当に上手ですな。演技にかけては、現役最強と言っていいような気さえする。もちろん、エルサですっかりおなじみになったように、歌も、ミュージカルで鍛えた実力派だ。わたしは20年ぐらい前に、松たか子ちゃんが歌手としてCDを出し始めたころから彼女の声がすごく好きで、CDも持っていたほどだったのだが、歌はうまいけど、顔は微妙かな……と大変失礼なことを思っていた。のだが、どういうわけか、これまた10年ぐらい前、たぶん、山田洋次監督の『隠し剣、鬼の爪』を観て以来だと思うが、あれっ!? 松たか子って、こんな人だっけ? ちょっと可愛いんじゃね? つーかすげえ可愛いじゃんか!! と急に彼女の可愛さに目覚めた謎の過去がある。今ではすっかり大ファンなのだが、今回の時子奥さまの品のある所作や悩める表情、そしてタキちゃんにぶつける激情など、完璧だと言っていいほどお見事であった。
 そして、もちろん、本作でも華ちゃんこと黒木華さんはおそろしく可憐で、おそらくは日本全国の男全員が、タキちゃんに惚れることは確実であろうと思われる見事な芝居であった。いやあ、ホントにいい。今回の華ちゃんは、女中さんなので基本的に常にうつむき加減なのだが、時に見せる笑顔が最上級に素朴かつ魅力的である。また時に涙を流す姿は、誰しもが、どうしたの、大丈夫か? と思わず肩を抱きしめたくなるような、放っておけないオーラが放出されており、もうわたしは一緒に泣くしかない有様であった。
 まあ、これ以上書くと、我ながらキモイのでやめておきますが、この松たか子ちゃんと黒木華ちゃんの素晴らしい演技を劇場に観に行かなかった、そしてあまつさえ録画しておいたにもかかわらずさっさと見なかったわたしは、オレは本当に観る目がねえなあ、と絶望的な気持ちになりました。まったくもって映画オタを名乗る資格なしである。情けない。
 そのほかの役者陣に関しては、平成部分の老いたタキを演じた倍賞千恵子さんと、タキの妹の孫にあたる若者を演じた妻夫木聡くんの二人が素晴らしかったことを付け加えておこう。長年、寅さんの妹さくらを演じてきた倍賞さんは、山田洋次監督の信頼厚い役者さんだろうと思うが、やっぱり上手なのは間違いなく、非常に良かった。すっかりおばあちゃんとなった、かつての可憐なタキちゃんが、長年抱えてきた秘密。その想いから、長く生き過ぎたと涙を流す姿は、猛烈にわたしのハートを揺さぶるものだった。そして、平成の若者らしく調子のいい青年を演じた妻夫木くんも、何気におばちゃん思いのイイ奴で、悪くない。非常に良かったと思います。

 しかし、改めて思うのは、やはり山田洋次監督は、日本が誇る名監督である、という事実である。もちろん、そんなことは知ってるよ、お前が知らなかっただけだろうが!! と年配映画ファンに怒られてしまうのは確実だと思うが、一体、この事実は、どうしたら現代の若者に伝わるのだろうか? おそらくは、20代や30代の若者は、まったく山田洋次監督の作品に興味はなかろうと思うし、実際、興行はシニア中心である。もっともっと、若い人に見てもらいたいのだが……おととい観に行った『母と暮らせば』のように、若者を呼べるキャストを使っていくのが一番手っ取り早いのかな……。昨日も書いた通り、『母と暮らせば』には、おそらくは二宮くん目当ての若い女性客が結構入っていた。この『小さなおうち』の、時子奥さまと魅かれあうデザイナーが、吉岡秀隆ではなく、もっとイケメンだったらなあ……と思ってしまったわたしは、実は……ファンの方には大変申し訳ないのだが……吉岡くんがあまり好きではないのです。サーセン。まあ、とにかく、若者層が劇場へ来るようなキャストで、次回作を撮っていただきたい。と思うのだが、実はもう、山田監督の次回作は既に完成しちゃってるんだよな……↓これ。2016年3月公開『家族はつらいよ』。

 わたしはもう、心を入れ替えて、今後の山田洋次監督の作品は、ちゃんと劇場へ観に行くことにするが、はたしてこの『家族はつらいよ』が、若者に届くかどうか……難しいだろうなあ……もう、ずっと二宮くんを起用すればいいのに……!!
 
 というわけで、結論。
 『小さいおうち』は2014年の作品なので、ちょっと前の作品だが、もし観ていない人は是非、今からでも観てほしい。極めて上質な役者陣の芝居に没入していただきたいと思います。松たか子ちゃん、黒木華ちゃんがとにかく最高です。なお、松たか子ちゃん演ずる時子奥さまの旦那は片岡幸太郎氏が演じておりますので、歌舞伎ファンも是非!! 以上。

↓ この映画での松たか子ちゃんは、超可憐でけなげな女中さん。最強に可愛い方言遣い。この映画で惚れた。 ヤバいな……また観たくなってきた。今日もさっさと帰って、久しぶりに観るか……。
隠し剣 鬼の爪 [Blu-ray]
永瀬 正敏
SHOCHIKU Co.,Ltd.(SH)(D)
2010-12-23

 最初にまず告白しておきたいのだが、わたしはこれまで、山田洋次監督の作品をほとんど見ていない。もちろん、『男はつらいよ』は何本か見ているが、とりわけファンというわけでもないし(もちろん、観た寅さんは大変面白かった)、最近の作品も数本しか見ていない。なので、山田洋次監督作品と聞いて、よーし観に行くか、という気にはあまりならない男である。また、井上ひさし先生の芝居も著作も、実際のところほとんど観たことがないし読んだこともほとんどない。なので、わたしが昨日観てきた映画『母と暮せば』という作品が、井上ひさし先生による『父と暮らせば』という作品と対になっているなんてことは、全く知らなかったし、今も、それは別にどうでもいいことだと思っている。
 というわけで、映画や小説や芝居を愛してやまないオタク野郎のわたしであっても、上記のようにまるで山田洋次監督や井上ひさし先生について思い入れがないわけで、じゃあ、なんでまた『母と暮せば』を観に行こうと思ったかというと、理由は2つあって、ひとつは、主役の二宮和也くん、吉永小百合さん、そして黒木華(くろき・はる、と読む)の3人の芝居ぶりを観たかったのと、もう一つは、現実に年老いた母と暮らすわたしとしては、タイトルが非常に気になったからだ。そして実際に観て、あろうことが劇場で号泣するという醜態をさらす結果となったのである。大変お恥ずかしい限りである。

 わたしは観る前にストーリーを少し知って、ああ、これは大林宣彦監督の名作『異人たちとの夏』のようなお話かな、と思っていた。死んでしまった大切なあの人にもう一度会いたいと思う主人公が、幽霊となって現れたその人に出会うという物語は、実際のところ洋の東西を問わず結構数多く存在しているものだが、わたしとしては日本映画の中では『異人たちとの夏』という作品が一番好きである。まあ、若干『牡丹灯籠』も混じったテイストの不思議な映画だが、この作品では、当時、たぶん役者として初めて本格的に映画に出演した片岡鶴太郎さんが演じるお父さんが非常に素晴らしい。

 たいていの場合、人生の岐路にある主人公が、既に亡くなった大切な人の幽霊と出会って、再び生きる道を見つけ、最後は幽霊とお別れして終わるというのが王道パターンであろう。なので、本作『母と暮せば』もまた、そういうお話であろう、と勝手に思い込んで観に行ったのだが、半分正解で、半分全然違っていたのであった。いや、サーセン。半分も正解じゃないか。8割方想像と違ってました。
 まずもって、これまでの既存のお話と大きく違うのは、幽霊となって現れるのは、息子、である。父や母といった、「通常であれば先に亡くなった人」が幽霊となって会いに来るのではない。先に息子が亡くなっていて、母が一人遺されているという「普通ではない」状態である。それは舞台が1948年の長崎であることからも明らかなとおり、1945年8月の段階では長崎医科大学の学生だった息子は、投下されたプルトニウム爆弾によって、一瞬のうちに亡くなっているわけだ。その悲劇から3年が経ち、遺された母がやっとの思いで、息子の生存をあきらめるところから物語は始まる。何しろ遺体もないし遺留品もない。亡くなったことが信じられない母は、3年かかってやっと、息子の死を受け止めようとするわけであるが、3年目の命日に、墓前で、亡き息子の婚約者だった女性に、あきらめよう、と言うことで心の区切りをつける母。その日から、ひょっこりと息子は幽霊となって母の前に現れる。息子の幽霊は言う。
 「母さんは、いつまでもぼくのことをあきらめんから、なかなか出て来られんかったとさ」
 この、出現の動機も、原理?的なものも、最後まで説明はないが、まあ説明できるわけがないよね。幽霊なんだもの。母を慰めるために出てきたのか、単に現世に未練があって出てきたのか。それは、最後まで観た人がそれぞれに思えばいいことなので、まあ、詳しくは書きませんが、「あきらめてくれたからやっと出てこられた」というのは非常に面白い。
 そして出てきた息子の幽霊に、思わず母は聞く。「元気だった?」と。それに対して息子は答える。
 「なーに言ってるの母さん。ぼくは死んどるよ。相変わらずおとぼけやね」
 こんなやり取りは、たぶん誰にも経験があるのではなかろうか。久しぶりに会う人に、見るからに忙しそうでゲッソリしていて、明らかに元気じゃないのに、つい、「元気か?」と声をかけてしまうような。わたしはもう、この冒頭のシーンからすっかり物語に入り込んでしまった。この息子の幽霊は、生前からおしゃべりだったという性格のまま、幽霊なのにやたらとおしゃべりで、全く変わることがない。母を心配し、遺してしまった婚約者のことを想っている。婚約者の幸せを望みつつも、誰かの妻となることに素直に祝福できない。そりゃあそうだろうなと、わたしもすっかり主人公の気持ちと同化してしまう。戦後の厳しい時代を懸命に生きようとする母と婚約者。母からその苦労や自分のいなくなった世界の話を聞いて、「悲しくなって涙を流す」と姿が消えてしまう幽霊。こんな3人の芝居は、本当に素晴らしいものであった。

 この映画で、何がわたしをして号泣せしめたか。物語? 脚本? 演出? どれも間違いなくYESであろう。だが、おそらくはわたしのハートに直撃したのは、役者の演技そのものだ。二宮くん、吉永さん、華ちゃん、この3人の演技がものすごく素晴らしいのだ。二宮くんは、わたしが最も好きな監督No.1であるClint Eastwoodに認められた男である。おそらく、ジャニーズにおける演技王決定戦を開催したら、岡田准一くんと優勝を争うことになろう素晴らしい俳優だ。彼の素晴らしいところはその表情とセリフ回しであろう。何とも普通な、自然な表情にかけては、岡田くん以上かもしれない。そしてしゃべり方、話し方も、極めてナチュラルでいて、観ている者のハートに突き刺さるのは何故なんだろう。たぶん、脚本上のセリフではなくて、表情や声や話し方という、演技そのものにグッとくるのだとわたしは思う。岡田くんも、もちろんのこと素晴らしい俳優だが、彼の場合は役になりきる系と言えばいいのか、ナチュラルというより作りこみの結果なのではないかと思う。上手く言えないが、そういう点で非常に対照的だと思うのだが、二人とも最高級に素晴らしい役者であるのは間違いない。とにかく、二宮くんの芝居は必見であると言って良かろうと思う。
 母を演じる吉永さんは、正直なところ、いつもの吉永さんの芝居であるとも言えそうだが、今回は、そもそもの脚本が吉永さんを念頭に当て書きしたものらしいので当然かもしれないけれど、キャラクター的にはちょっと天然で可愛らしい女性、だけど、母としては芯が強く、慈愛に満ちているという、恐らくは吉永さんご本人そのままなんじゃないかという人物設定で、「戦後の、美しく老いていく母」そのもののように感じた。とりわけ、後半以降の吉永さんが弱っていく過程は、わたしも観ていて本当に、母さん大丈夫かよ……と心配になってくるほどで、ラストシーンはもう、ぐすんぐすんと鼻をすすらざるを得ないことになってしまったわけである。吉永さん主演の作品は、わたしは結構見ているつもりだが、泣かされたのは初めてである。
 そして婚約者を演じた黒木華(くどいようだが「はる」と読む)ちゃんだが、この女性はまあ、世に「昭和顔」と称せられるように、どこか懐かしい感じの正統派和風美女であると言って良かろう。わたしは前々から気にはなっていたのだが、きちんとこの人の演技を観るのはたぶん初めてだ。が、観ていてなるほどと思ったのは、まず顔の昭和テイストが非常にわたし好みであるのが一つ、そして身体つきも非常に昭和っぽいといえそうな気がする。腰から足のラインが、現代風に作られた(?)美しさではなく、自然な女性らしさと言えばいいのかな、とにかく人工的・技巧的なラインではなく、きわめて自然な体形だとわたしには強く感じられた。妙にウエストや手足が細かったり、やけに胸はでかいとか、何か努力や作意が働いた結果のラインではなく、いわば、ド天然の女性のラインなのだ。たぶん、わたしはそこにグッと来たのだと思う。もちろん顔も、ド天然である。スーパーに並べられた、規格に沿った見栄えの美しい野菜ではなく、まったくの天然モノ。それがどうやらわたしが黒木華という女優に感じる魅力なのだとわたしは了解することにした。声もいい。芝居ぶりも自然。極めて上物である。大変気に入った。
 わたしが今回、非常にグッと来たのは、華ちゃんが、主人公を亡くし、その魂とともにずっと一人で生きていく、それは私の運命なのだから、と母に告げるところで、母は「それは違う。運命なんかじゃあない。地震や天災で亡くなるのは、そりゃあ運命かもしれない。どうにもできないのだから。でも、浩二は原爆で死んだ。原爆は人の行いで、避けることができたはずのものなんだから。だから、運命なんて言ってあきらめないで。あなたは幸せになっていいのよ!!」的なこと(※正確なセリフは再現できてないと思います)を言って華ちゃんを諭す。このシーンでの吉永さんと華ちゃんは非常に良かったです。
 あともう一人、今回の作品でわたしが素晴らしいと感じたのは、『上海のおっちゃん』という役名で出てくる加藤健一氏である。この人は、演劇人でテレビや映画にはほぼ出ていない役者だが、わたしがこの人で一番記憶に残っているのは、中学生のころに観た映画『麻雀放浪記』における「女衒の達」というシブイ役である。若き日の真田広之や鹿賀丈史と戦う雀士としての演技が非常にカッコ良かったのだが、今回は27年ぶりの映画出演だそうだ。ひそかに母に恋心を抱いていて、せっせと闇物資を運んでくるちょっとお調子者のおっちゃんを、とても印象的に演じてくれている。

 というわけで、わたしは結構何も考えずに観に行った『母と暮せば』という作品だが、この作品が観る人すべてに涙を約束するかというと、これは全く断言できない。おそらくは、女性が観ると全く違う感想を抱くのではないかと思う。この作品は、明確に母と息子の物語である。なので、たいていの男は、吉永さん演じる母に、自分の母を重ねることだと思う。その実際の母が年老いていれば、相当この物語にグッとくるとは思う。
 だが、女性が観たらどう思うか? これはかなり微妙かもしれない。例えば、華ちゃん演じる婚約者に対しても、女性目線であれば、わたしのようにコロッと簡単に好感を抱くかどうかはちょっと怪しい。また、幽霊である息子が、婚約者の女性に対してある種の執着を見せるのも、男ならそうだよなと思っても、女性からすればかなり、そりゃ違うと思うかもしれない。わたしが尊敬する、とある女性は、「女は過去なんて忘れるものよ。ごくあっさりね。先のことしか見ない生き物と思っていいわ」と仰っていたので、そうだとすれば、息子の婚約者に対する想いは、最終的には生きている婚約者の幸せを最優先に考えるものの、ちょっと引くかもしれないとは思った。なので、全女性に対してオススメかというと、正直なところ、わたしは良くわからんです。


 というわけで、結論。
 『母と暮せば』は、男に対しては強くオススメできる。特に、自分の母が年々老いてきて心配な男は観るべし、である。そして女性は……まあ、二宮くんの大ファンは必見ということで。結構若い女性客が多かったけど、まあ二宮くん目当てなんでしょうな。それはそれでアリです。
 あと、わたしとしては、この作品を「演劇」で観たいと強く希望する。
 これは、生の役者の生の演技で、ぜひとも見てみたい。場面転換も、登場人物も絞れるので、非常に舞台向きだと思う。そして、舞台化は、絶対のこの3人のキャストはそのままでお願いしたい。二宮くん、吉永さん、黒木華ちゃん。この3人でないと絶対ダメというか、この3人以外では観たくないかも……。こまつ座で実現してくれないかな……あ、こまつ座で実現したら、役者が変わっちゃうか。うーん。ジャニーさん、よろしくお願いします!! 以上。

↓ というわけで俄然、山田洋次監督作品および黒木華ちゃんが観たくなってきたので、コイツを見てみようと思います。たしか、WOWOWで録画して、HDDの中に埋もれているはずなので……発掘してみるか。
小さいおうち Blu-ray
松たか子
松竹
2014-08-08
 

 この秋~冬は有川浩先生大忙しである。
 10月に『図書館戦争 The Last Mission』が公開され、 また10/28には『だれもが知ってる小さな国』という新刊が発売になり、そして今回の『レインツリーの国』の映画公開である。また、来年かな、『植物図鑑』もすでに撮影済みで公開を待つばかりというからすごいものだ。というわけで、『レインツリーの国』を男一人で観てきた。
 予告は以前貼り付けたけれどもう一度貼っておこう。

 お話としては、↑の予告を観ていただけば分かると思うが、以前書いた通り、とある青年が、とある本のことがきっかけで、とある女性が運営するWebサイトに行きつき、運営者たる女性と恋に落ちるが、彼女は聴覚障害を背負っていて……というお話である。世に「ベタ甘」と評される有川先生の作品の中では、若干のビター・スウィートであろうか。原作は、聴覚障害のある方々にも非常に好意的に受け入れられているようなので、その点で大変リアルなのだと思うが、健聴者でその苦悩を知らないわたしとしては、観ていて少々痛々しい場面が含まれている。
 聴覚障害を知られたくないヒロイン、そしてなんでそれを先に言ってくれないんだと思う青年。どちらの言い分も、そりゃそうだよなと頷けるものの、どうしてもすれ違う二人。わたしが「痛々しい」と思う事すら、それは同情か、同情ならいらない! とヒロインを怒らせてしまうかもしれない。ヒロインが障害を知られたくないという気持ちも、理解できる。だって、そりゃそうだよ。初めて会う相手、しかもこれ一度きりしか会わないかもしれない相手に、そんな自分の心の傷をさらけ出すことはしないだろうし、女子として、「普通のデート」にあこがれる気持ちも理解できる。まあ、男としては、そりゃ当日はスーパーハイテンションだろうね。やったーー! 会える! どうしよう可愛い子だったら! と思って、のこのこ約束の場所にやってくることは、全男を代表して断言してもいい。浮かれてるにきまってるよ。そして実際に会って、想像をはるかに超えたスーパー美女だったら、もう完全にブッ飛ぶね、いろんなものが。完全に。
 で、青年がヒロインの障害に気付くのは、初めて実際に会って、ちょっとしたデートの最中に、エレベーターの定員オーバーのブザーにヒロインが気づかないシーンだ。わたしとしては、初めて会った女子に、あそこまで 言わなくたっていいじゃんと思うのだが……わたしが主人公の青年だったら、たぶん、もう少し前にヒロインの異常に気付けたと思うし、エレベーターの前であんなひどいことは言わない。と思う。思いたい。もっと静かなところがいい、と言われり、映画は字幕がいいとこだわるあたりで、わたしなら、えっと、それはまたなんで? とズバリ聞いてしまうと思う。まあ、おそらくはそれでも、しれっと何かそれらしい理由を聞かされて流しちゃうかもしれないけれど、それでも、もうちょっと連想が働くのではなかろうか。いや、でもやっぱり無理かなあ。主人公の青年は、劇中に出てくる通り、恋愛偏差値が非常に低いので仕方あるまいと思うが、しかしなんというか、もうちょっと察していただきたいと思いながら観てました。基本的に主人公の青年は真面目でいい奴だけれど、正直、わたしとはまったく違う感性の持ち主なので、残念ながらこの男には感情移入できなかったが、ヒロインは、そのかたくなな心のありようや、次第に心がほどけていく過程もがっちり心に響いた。こんな女子が周りにいたら、まずほっとけないと思う。だいたい、超美人でウルトラ可愛いし。なので、わたしとしては観ながら、青年のある種不器用な言動にいちいちイラつく気持ちもあったが、いつもしょんぼりしているヒロインがやがて笑顔を見せるようになる物語は非常に好感が持てた。最終的には、お熱いこって! 幸せにな、お二人さん! あばよ!! という若干柳沢慎吾めいた気持ちで映画館を出ました。はーーー。リア充めw

 ところで、この聴覚障害というものについては、わたしもまったく詳しくないので、いろいろ調べたいところではあるが、この作品のヒロインは、
 1)後天的である。10年前の事故で外傷を負い、その結果聴覚障害を背負うことになった。
 2)なので(と言っていいのかすらわからないけど)、しゃべることはできる。
 3)可聴音域に問題を抱えていて、高音の周波数帯が聞こえない。そのため、男の声はなんとか聞こえるが、女性の声が極めて聞こえづらい。つーかほぼ聞こえない。結果、会社の意地悪なOLたちにいじめられる。わたしとしてはこのOLどもが一番腹が立った。もちろん、スケベオヤジには心の底から怒りを感じたし、街でぶつかってヒロインを突き飛ばしたクソ野郎には、わたしならあの瞬間ブチ切れて絶対に後ろから蹴り飛ばしてボコってやるけれど、それでも、一番悪質で悪意のカタマリなのは、同僚のいじわるOLだと思う。
 おそらく、現実に同じような症例は多いのだろう。なお、ヒロインは補聴器は装着しているものの、ダメな音域はダメで、なまじ一部聞こえる故に、なかなか理解を求めることは難しいのではなかろうか。それは非常に厄介なことだと想像する。けど、あの会社はダメだ。もっと、優しい会社はいくらでもあると思うな。そもそも、障碍者雇用は会社の義務なので、小さめの会社だとむしろ歓迎してくれると思うな。ヒロイン程度であれば、といったら全国の聴覚障害を持つ方々に失礼かもしれないけれど、彼女は全く普通に仕事できるレベルだと思う。本人もしっかりしているし賢いし。なにもあんなに嫌な奴ばっかりの会社で働く必要はない。
 しかしまあ、これからもいろいろな難しい問題が二人に降りかかるかもしれないけれど、主人公の青年は、心の真っ直ぐな好青年なので、ホント、二人には幸せでいていただきたいと思います。

 最後に、出演者についてちょっとまとめておこう。
 ヒロインを演じるのは西内まりやちゃん。正直良く知らないけれど、ウルトラ可愛いのは間違いないところであろう。元々は「二コラ」のモデルからキャリアをスタートさせて、歌手でもあるんですな。芝居ぶりは、まだまだレベル。まあ経験少ないんだろうし、若いからこれからでしょうな。あ、意外と身長高いな。Wikiによれば170cmですって。
 青年は、Kiss-My-Ft2の玉森祐太くん。こちらも芝居ぶりはまだまだレベル。やっぱり、どうなんだろう、生粋関西人から見たら、若干インチキ関西弁っぽいのか、それとも完璧なのか、その辺は関東人のわたしには良くわからないが、この人はネイティブ関西人ではないんでしょうな、とは感じた。まあこれからも元気に活躍していただきたいものだ。しかし、玉森くんを否定するつもりは全くないけれど、どうせなら関ジャニの誰かを使ってもよかったのでは? ああ、錦戸くんは『県庁』で使っちゃったか……。
 ほか、脇を固める俳優陣では、やはりヒロインの母を演じる麻生祐未さん、青年の母を演じる高畑淳子さんがとてもいい感じなのと、青年と同じ会社の元気な可愛い女子を演じた森カンナちゃんが非常にわたしには魅力的に映った。イケイケでチャラけた娘ではあるけれど、オレならその仮面を外させてみせるさ、なーんて出来もしないことを妄想しながら観てました。森カンナちゃんといえば、わたしとしては仮面ライダー・ディケイドのヒロインとしておなじみではあるが、その後、いろんなドラマに出演して、順調に芝居ぶりは成長していると思う。元々可愛いしね。応援して行きたい所存である。

 というわけで、結論。
 『レインツリーの国』は、アリです。若干のビターテイストが甘さを引き立てていると言って良かろうと思う。だけど……オレならもっとヒロインを早く笑顔にできたね。と、まあ言うだけ詐欺ということで、ひとつよろしくお願いしたい。以上。
 
↓ おとといの記事にも書いたとおり、本作は、元々は『図書館内乱』の中で出てきた作品です。それを本当にまるまる一冊書き下ろすとは、すごいですな。

  今日は14日である。14日というと、わたしが映画を見るシネコンであるTOHOシネマズは、「トー・フォーの日」として、1,100円で映画が見られるので、お得なのです。世の女性には「レディースデー」なるお得な日が毎週あるにもかかわらず、男にはそのようなサービスデーがないのは非常に逆差別を感じざるを得ないが、まあ、仕方ない。
 というわけで、今日は帰りに『図書館戦争 THE LAST MISSION』を見てきた。個人的にこの作品にはいろいろ関係があるのだが、まあそれは置いておくとして、一観客として、十分に楽しめた作品であった。

 原作はもはや紹介の必要はなかろう。有川 浩先生によるベストセラーで、第1巻目に当たる『図書館戦』がハードカバー単行本で発売されたのは2006年。改めて考えるともう発売から9年が過ぎている。それは、発売当時すぐに読んだわたしからすると、ちょっと驚きだ。もうずいぶん経ったものだ……読んで、ああ、これはすごい小説だと思ったが、以降、シリーズとして、第2作目の『図書館内乱』、3作目の『図書館危機』、そして完結編となる『図書館革命』という4冊が発売になり、さらに加えて、番外編というかキャラクターごとのスピンオフも2冊出版されている。全て非常に売れている作品だ。また、既にアニメ化・漫画化も行われており、数多くにファンに愛されているすごいコンテンツである。
 実写映画は、今回2作目。前作は2013年に公開されたが、基本的には第1巻の『図書館戦争』に沿った展開であった。そして今回の『The Last Mission』は、原作でいうところの第3巻『危機』の内容を踏襲している。てことは、2作目の『内乱』はどうなった? とまあ普通は思うことだと思うが、その第2巻の内容は、先週TBSで放送された(この映画はTBS主幹事製作)、スペシャルドラマ『図書館戦争 ブック・オブ・メモリーズ』で描かれている。ので、そちらを見る必要がある。この『内乱』にあたるドラマでは、主人公・笠原郁と両親の関係を描くエピソードや小牧と毬江ちゃんのエピソード、それから手塚と兄と柴崎の関係性も描かれているので、派手な戦闘は控えめではあるものの、シリーズ全体から見るとかなり重要だと思う。すぐに再放送されることはまあ常識的に考えて難しいとは思うが、見逃した方は、どうやら今日、DVD/Blu-rayが発売になったようなので、そちらを見ていただきたい。こちらのドラマも非常に良かった。
図書館戦争 BOOK OF MEMORIES [Blu-ray]
岡田准一
KADOKAWA / 角川書店
2015-10-14

 で。今回の映画第2作『The Last Misson』である。原作とは若干の違いがあったが、正直全く問題なし。非常に流れもよく、うまく2時間にまとまっていた。監督と脚本は、第1作から引き続き佐藤信介監督と野木亜紀子さんのコンビだ。パンフレットによれば、有川先生がとても信頼する二人だそうで、野木さんはTVドラマ『空飛ぶ広報室』でも有川作品を手がけており、おそらく、有川作品への愛が最も深い脚本家ということのようだ。先ほども書いた通り、物語は若干原作よりも駆け足展開だが、映画として何ら齟齬はなく、問題はない。一つだけ注文を付けるとしたら、何か季節を表すセリフなり情景が欲しかった。何しろ、現在の現実世界は秋である。が、映画世界は春になる少し前(これ原作通り)で、キャラクターはコートを着ている。ひょっとしたら、原作を読んでいない人だと、年末に向かう冬だと思ってしまうかもしれないので、何かちょっとした季節感を表すものが欲しかったかもしれない。ちなみに、この『図書館戦争』という作品では、「カミツレ」という花が重要な意味を持っているのだが、さっきいろいろ調べたところによると、この花は春の花で、3月~5月あたりに咲く花なのだそうだ。花言葉は「逆境に耐える」。作中では極めて意味が深い。ちなみに、我々としては「カモミール」という名の方が知られているだろう。ハーブティーやハーブアロマオイルでおなじみのアレだ。「カミツレ」とは「カモミール」の和名なんですって。へえ~。まあ、「カミツレ」が咲いている=「春」ということで、季節感を表現できているとも言えるのかもしれないが、なんとなく、わたしにはクリスマスへ向かう雰囲気のように見えて、ちょっとだけ気になった。

 キャストもまた、前作から引き続き同じメンバーである。主役の郁、堂上のコンビは、かの「ダ・ヴィンチ」の有川先生特集の号において実施された、「映画化するならキャストは誰がいい?」投票で1位になった榮倉奈々ちゃんと岡田准一くんのコンビである。原作では、この二人は背の高さのギャップがあって、女子の郁の方が背が高く、男の堂上の方がちょっと背が低い設定になっていてそこがまたひとつのポイントなのだが、きっちりそれも映画で実現している。しっかしホントに、榮倉ちゃんはデカイ。顔が非常に童顔なだけに、なんだかひょろっとした不思議な感じがするが、だがそれがいい、のであろう。前作のときに舞台あいさつで遠くから本人を目撃したのだが、実際非常にかわいい女子でした。なんというか、芝居ぶりが非常に、原作読者が想像していた「笠原 郁」そのものなのだ。とてもいいと思います。一方、岡田くんも、おそらくはジャニーズNo.1の演技力で、去年の日本アカデミー賞では、最優秀主演男優賞と最優秀助演男優賞を同年ダブル受賞した実力派である。去年のNHK大河ドラマ『軍師 官兵衛』でも、素晴らしい演技を披露してくれたことは記憶に新しい。また、この映画には、偶然なんだろうけど『官兵衛』のキャストが数人出ている。岡田くん演じる堂上の相棒である小牧を演じたのは、田中圭くん。『官兵衛』では、石田三成をイヤ~な奴として見事に演じていた。また、今回の映画からの新キャラ(※実際は2作目『内乱』にあたるスペシャルTVドラマで既にチラッとお目見え済み)である、手塚 慧には、わたしにとってはシンケンレッドでおなじみの松坂桃李くんがカッコよくエントリー。彼は『官兵衛』では岡田くんの息子、すなわち黒田官兵衛の息子たる黒田長政を演じた男だ。どこかで聞いた話では、桃李くんは今でも岡田くんのことを「父上」と呼んでいるそうですよ。そして長政といえば、三成ぶっ殺し隊のリーダー格であるので、不思議な因縁のキャストになっているが、まあ、偶然でしょうな。しかし、桃李くんは本当にカッコよくなった。もちろん、デビュー作の『侍戦隊シンケンジャー』のシンケンレッドの時からカッコ良かったが、どんどんそのカッコ良さは磨かれているように思う。また、劇中で弟役となる福士蒼汰くんも、デビュー作『仮面ライダー・フォーゼ』から見事に成長し、すっかりイケメンとしておなじみとなった。なんだか見るたびに痩せていっているような気がするが、今後も頑張って活躍してほしいものだ。
 ちなみに、どうでもいいことを一つ付け加えておくと、先ほど前作を観たときにキャストの舞台挨拶を観たと書いたが、その時のわたしの印象に一番強く残っているのが栗山千明様だ。劇中でも非常に、まさしく原作でイメージしていた通りの柴崎を演じているが、本人のちびっ子さ、華奢さ、そして、マジでハンパないオーラというか、完全に一般人が気安く声をかけることはできないような、超絶な可愛さは、本当にビビった。はあ……千明様と京都に旅に出たいわ……いや、無理ですけどね。

 というわけで、結論。
 脚本もキャストも演出も、すべて良かったと思う。おそらく、この映画を観た有川先生はきっとうれしいだろうなと想像する。有川先生の作品に共通するのは、キャラクターが常に、心にやましいところのないように、まったくもってまっとうで、真っ直ぐに生きようとしている人々を描いている点にあると思う。だから、読んでいる我々は、自らを省みて、ちょっと自らを恥ずかしく思うこともあるし、また、同時に深く感情移入できてしまう。「こうでありたかった自分」を思い出さずにいられないのだ。また、普段の生活ではまったく自覚していない、自らの不用意な言葉や行いが、どれだけ他者に影響を与えてしまうかを振り返らせてくれることもある。そういう点が魅力なのだと思う。『図書館戦争』も実際のところそういう部分はあり、映画でも存分にその魅力は伝わったのではなかろうか。興行収入が前作を超えるとうれしいのだが。
(※10/21追記:興行収入が2週目まで出ている→こちらを参照)


↓ 次の有川先生の新作。なんと「コロボックル」ですよ!


 というわけで、今日は昨日から公開になった映画『バクマン。』を観てきた。おそらくは、漫画を読むことが好きな人ならば、タイトルぐらいは聞いたことがあるだろうと思う。天下の「週刊少年ジャンプ」に2008年から2012年にかけて連載された漫画で、わたしも単行本をすべて持っている。どうして今、実写映画化されたのか明確な理由は分からないが、映画化の発表があってから、公開を楽しみにしていた人も多いのではなかろうか。

 監督は、『モテキ』で名を成した大根仁。実のところ、わたしは『モテキ』を観ていないので、この監督の作品を見るのは初めてだ。演出に関する感想としては、とりわけ特筆すべき点はなかった。漫画製作時のプロジェクションマッピングを使用した、描いているそばから絵が浮かび上がってくる演出や、ペンを持ったキャラクターが殺陣さながらに縦横無尽に立ち回るシーンの演出などを見所のひとつとして挙げているレビューが多いようだが、わたしにはふーんの一言しかない。なんとなく、わたしには熱が伝わらず、なんだか軽く見えてしまった。たぶん、手書きの原稿の熱をCGで表現されてもな……とわたしは思ってしまったのだと思う。漫画の生原稿を見たことのある人なら誰もが息をのむ、あの圧倒的な迫力を感じさせてほしかった。
 そしてキャストである。まず、主役の二人だが、この物語は、二人の10代の少年が、それぞれ作画と原作を担当し、ひとつの漫画を仕上げるという作品で、作画担当のサイコー(真城最高:ましろ もりたか)というキャラクターを佐藤 健が演じ、ストーリー担当のシュージン(高木秋人:たかぎ あきと)というキャラクターを神木隆之介がそれぞれ演じている。この二人、キャストが発表になったときは、役が逆じゃね? ということでも話題になった。サイコーが神木くん、シュージンが佐藤くんのほうが合ってるのでは? という声がWebを中心に持ち上がった。わたしも実はその声には賛成していて、うーん、キャラクター的に逆だろ……と思っていた。が、今日、映画を観て、まったく考えを改めた。サイコーが佐藤くん、シュージンが神木くんでまったく問題なし、というか、むしろこれで正解だよ、と思った。元々のコミックでは、サイコーは比較的静かで職人的、逆にシュージンは良くしゃべるし茶髪だし、見た目だけでいえばちょっとチャラい感じ、であるので、それまでのイメージから逆じゃないかと思っていたが、今回の佐藤=サイコー、神木=シュージンはまったく違和感がない。二人とも非常に巧く演じており、素晴らしい。が、大変申し訳ないのだが、まったく高校生に見えない。佐藤くん26歳(電王の良太郎がもうそんな歳に!)、神木くん22歳なので、どうしても制服姿などはコスプレにしか見えないのが残念。これはもう、どうしようもなかろう。
 また、主人公のライバルとなる新妻エイジを染谷将太が演じている。雰囲気というか、ビジュアルイメージは非常に原作コミックに似せて来ており、その点では評価したいが、性格がやや違うように思う。原作では、ライバルながらも主人公たちとは友好的で、いい意味での切磋琢磨する間柄だが、映画では、そういう面よりも単にエキセントリックな、嫌な奴っぽさが目立ち、その点では残念。ストーリー上でも、その天才ぶりや主人公たちが闘志を燃やすような、孤高の強さのようなものは皆無。単に天才と言われているだけで、その凄さがまったく描かれていない。まあ、ストーリー上の問題点はあとでまとめて書くことにしよう。
 ほか、主人公たちの仲間の3人の漫画家も、ビジュアルイメージはコミックに忠実だし、性格付けもコミックに準じている。今回の映画ではこの3人組が非常に良かった。とりわけ、新井浩文が演じる、作中で「ラッコ11号」という漫画を描く平丸というキャラは非常に原作通りの雰囲気で良かった。

 以上が演出やキャストについてだが、肝心の物語はどうなのか。この作品は、ジャンプコミックスで全20巻。それなりの長さがある。それを果たしてどう2時間にまとめるか。今回のわたしの最大の興味はその点にあった。結論から言えば、この映画では作画担当のサイコーが病気で倒れ、せっかく巻頭カラーを描くチャンスをフイにしてしまいそうになるところを、一番の山場としている。原作での6巻かな。ただ、そこまでの道のりが全然原作と違う。どうしても仕方ないとは思うが、やっぱりかなり駆け足である。この駆け足展開の犠牲になっているのが、原作では結構いろいろな場面で重要な役割を果たす、見吉という女子キャラだ。彼女は原作では、シュージンの恋人で後に奥さんになる女子だが、彼女はこの映画には登場しない。また、原作では主人公二人のペンネームとなる「亜城木夢叶」も出てこない。こうした原作改変は、あまり物語には影響しないように脚本が書かれているので、わたしとしては十分容認できる範囲内だが、改めて原作をぱらぱら読んでみると、ヒロイン亜豆との関係性を考えると、見吉がいないことによってこの映画は物語的にかなりうすっぺならものになってしまったように思う。
 というのも、どうしてもうーーん、と思ってしまったのは、サイコーの恋人、亜豆美保の描かれ方だ。特に、サイコーが倒れたときの亜豆の言動がまったく違う。原作では、倒れても漫画を描こうとするサイコーを止めに来たはずだし、そこでのやり取りで、サイコーと亜豆の関係はもっと深まる、ちょっと意味のあるシーンだったはずだ。なにしろ、夢を叶えるまでは会わないとまで約束していたのに、その約束を破ってまでも止めに来たのだ。とても重要なエピソードなのだが、映画では違う。演じた小松菜奈という女優は、ビジュアル的に非常に可愛いし原作の亜豆とも似ているのだが、サイコーとの恋模様があまり描かれていないので、キャラクター的に極めて軽く、浮いている。そもそもサイコーがどうして亜豆が好きなのかという理由も描かれていないし、亜豆がどうしてサイコーが好きなのかという理由も描かれていない。この点は、わたしが思うに『バクマン。』という元のコミックでは非常に重要な要素のはずなのだが、ここがばっさりカットされている。結果的に、見吉も不要になってしまったと見られる。恋愛を描くには見吉は決して外せないキャラクターだが、そこがまるまる省略されているのだ。そのためにどうにも薄っぺらな印象が拭いきれないと思った。また、恋愛要素以外にも、主人公コンビと編集者との関係、編集者同士の関係など、編集部視点のエピソードがばっさり省かれている。その点も、物語を薄っぺらにしている要因だ。原作ではそこも極めて重要なんだけどな……。

 結局、映画は、ジャンプという日本最強のコミック誌への連載を勝ち取る若者二人の物語、というやや味気ないものになってしまっていると思う。なんというか、「ジャンプ」のPVのようなものになってしまった。しかも、主人公二人もある意味での天才なので、ジャンプのモットーである友情・努力・勝利のうち、努力の部分がやや軽い。時間経過がわかりにくいのも、あっさり感を増してしまっている。着ている服の季節感も、メリハリが薄い。原作ではもっと努力のシーンが多いし、時間経過もかなりあるのだが……。原作を読んでいない人に、果たしてこの映画は物語の面白さを伝えることができたのか、かなり怪しいような気がする。

 というわけで、結論。
 正直イマイチ。演出や芝居に文句はあまりないが、やはり脚本だろうと思う。
 この映画は、原作を知らない人が観て、面白いのかどうか、さっぱり分からない。むしろ知らないほうが楽しめるのかな……この映画、最初の週末でどれくらいの興収を得られるのか楽しみだ。わたしの想像では……2億チョイ、3億は行かないのでは、と思う。わたしが見た回は、まったくガラガラだったことを考えると、下手すると1億台もありえるかも。いや、さすがにそれはないか。最終15億は厳しいかなという気がするが、果たして『モテキ』の22.2億を超えられるか。月曜日の興行通信社の発表を待ちたい。

 ↓ 原作はとても面白いです。コンテンツ業界人なら必読かと。「会社と作家が対立したとき、作家の側に付くのが編集者だ!」は名言。


 一般社団法人日本映画製作者連盟という団体がある。通称「映連」というものだ。そしてその映連のHPには、毎年10億円以上の興行収入を獲得した作品のランキングが掲載されている。基本的に映画産業は、それほど落ちず、かといって成長もせず、ズバリ言えば停滞している。たまにすごい作品が出ると数字が伸び、あまりいい作品がないと数字が沈む。だいたい、年に2,000億円前後を行ったり来たりしている。
 2014年は、かの『Frozen』、日本公開タイトル『アナと雪の女王』が254.8億円の興行収入をあげたことで、対前年106.6%と若干の伸びを見せたが、まあ、要するに『アナ』がなければマイナスだったという事だ。日本映画も、ここ数年のトレンドだった「TVドラマの劇場映画化」の勢いもかなり減退し、今は「コミック原作の実写映画化」が新たな柱になってきている。それと、やはり強いのはファミリー動員の見込める「アニメ」だ。まあ、いろいろ数字を出すのは簡単だがめんどくさいので、興味のある人は、「映連」でGoogle検索して勝手に調べてくれ。

 邦画に限って言うと、今やシネコン時代となった影響だとわたしは断言していいと思っているが、東宝の一人勝ちの状態である。もちろん、企業としての東映や松竹は、業績的には別に赤字でもなく、普通に、とはいえあまりたいした数字ではないが、まあ、つぶれることなく元気にやってはいる。が、こと映画興行に関して言うと、かつてのなんとか松竹、とか、なんとか東映、みたいな直営館(※なんとか、の部分は地名が入る。例えば渋谷東映とか、上野松竹とか)が姿を消してしまい、東映や松竹の製作・配給作品はよほどの大作か話題作でないと、そもそもの公開スクリーン数が少なくなってしまっていることもあって、興行収入ランクに入らなくなってしまってきている。
 2014年の実績でいうと、劇場公開された邦画は615本あって、そのうち、興収10億円以上のヒットとなった作品が31本。この時点でのヒット率は約5%。で、その31本の内訳は、東宝配給作品が20本、松竹配給作品が5本、東映配給作品が4本、ワーナー配給作品が2本となっている。こうしてみると、東宝以外ダメじゃんというのが分かってもらえると思うが、ちょっと注目したいのが松竹である。たった5本、というのは少ねえなあ、とは思うものの、実は5本の興収10億以上作品が出たのは、松竹にとって2007年以来の久々のことなのである。なので、松竹としては、2014年は、結構がんばった年と言っていいのだ。

 そんな2014年の松竹配給作品で、一番稼いだのは『ホットロード』という少女漫画の実写化作品なのだが、まあ、能年玲奈ちゃんがかわいいのはわたしも全面同意するが、この作品はどうでもいい。去年、おそらくは業界で、「おっ!?」と話題になったのは、2014年の松竹配給作品で2番目の興収となる15.5億円を稼いだ、『超高速! 参勤交代』の方である。

 わたしは、去年この映画が公開されたとき、そのタイトルのキャッチ―さに、ほう、これは、なかなか。売れる匂いがするな、と思っていた。実際、15億超まで伸びるとは思っていなかったが、タイトル一発で興味をそそるというのは、非常に素晴らしいことだと思っていたし、一方では、なんでこういうのをうちで撮れねえんだろうな……ぐぬぬ……という気持ちもあって、すごく観たいけど、劇場に観に行ってやらないもんね、ふんっ! という屈折した心情によって、観に行くことはしなかった。が、先週だったかな、WOWOWで放送があったので、録画して昨日の夜、観てみたわけである。

 この映画は、確かに講談社より小説が発売になっているが、もともとは城戸賞を受賞したシナリオがオリジナルで、最初から映画のために書き下ろされたオリジナル脚本である。その点でもわたしとしては非常に評価したい。ただ、この脚本を書いた土橋章宏という人は、まあはっきり言えばたいした実績もなく、小説もこの人自身の手によるものらしいが、特に売れたと言う話も聞いていないのでどうでもいいし、監督も、どうやら松竹のベテラン監督のようだが、これもまた別にどうでもいい。
 わたしが昨日、この映画を見て思ったのは、やっぱり「タイトル」と「一発ネタ」が重要なんだな、という事である。だって、実際に観てみたところ、まあ、もちろんいいお話だし、キャストの芝居もとてもいいのだが、はっきり言って物語的にはまったくもってイマイチであったからだ。

 おそらくは、このタイトルを見た時、普通の人――といっても、わたし以上のおっさん限定かもしれないが――ならば、「参勤交代が超高速って、一体全体なんのこっちゃ?」と思うはずだ。その時点で、映画としてはまず合格であろう。興味を持ってもらえた時点で、いわゆる「つかみはOK」である。そして、予告編を見せて、「えっ! 5日で江戸まで? これって舞台はどこなのよ? なんでまたそんな目に?」とまで思わせれば、ほぼ勝ちである。その答えを知りたければ、もう劇場に観に行くしかない。その結果が15億もの興収をもたらしたわけである。たいしたもんだ。何度も言うが、どうしてこういう企画を立てられんのだ! 

 ただ、である。物語としてはまったくもって見るところがなかった。なにしろ、冒頭で明示される、物語上一番のカギとなる「5日で江戸まで来い!」と命じられる理由が、あまりに半端なのだ。ここは、100%脚本家の責任と言っていいだろう。0点。もうちょっと、あり得そうな理由か、いっそコメディなんだから常識を振り切った理由でもよかったように思う。
 役者陣の方はというと、主役のお人よしの藩主を演じる佐々木蔵之介の芝居は非常にいいし、西村雅彦を筆頭家老とした、ちょっと間抜けな家臣団も、愉快で素晴らしい。また、腕の立つ助っ人忍者の伊原剛志もカッコイイし、道中で出会う深田恭子も今回は非常にかわいい。だが、悪役陣が、イマイチすぎる。悪の親玉である陣内孝則は、いつものオーバーな芝居のままで、確かにそういうキャラクターだからまあ5万歩譲って良しとしても、その手下たちの隠密連中は、完全にもう素人同然で0点、どころかマイナス▲100点でも足りないぐらいだ。完全にこの作品をぶち壊しているとわたしには思われた。

 まあ、そういうわけで、非常に残念な内容の映画ではあったが、撮影は、あきらかにこれスタジオだろ、という部分以外の、ロケシーンはなかなか悪くない。ああ、こういう風景がまだ日本のどこかにはあるのね、というような懐かしさのある日本を少し垣間見ることができる。舞台となるのは、現在の福島県いわき市にあたる、湯長谷藩だ。磐城平藩の支藩にあたる1万石チョイの小さな藩で、実在の藩である。知ってた? わたしは、大学時代にまさにいわき市出身の奴がいて、話を聞いたことがあったので、偶然知ってた。普通は知らないだろうな……というぐらい小さな藩であろうと思う。が、ロケ自体は日本各所で行われたようで、別にいわき市でだけ撮影されたものではないようだ。
 また、主人公たち湯長谷藩の面々は非常に生き生きとしたキャラクターで、ここは高く評価したい。とりわけ藩主のお人良し具合は、佐々木蔵之介の好演もあって非常に魅力的だ。「情けは人の為ならず」を作品のちょっとした伏線にしているのも、わたしとしては非常に好感が持てる。この藩の面々には、また別の物語で出会いたいものだと思った。ちなみに言うと、佐々木蔵之介の演じる主人公、内藤政醇(ないとう まさあつ)は実在の人物で、劇中でも時の将軍・徳川吉宗に謁見するシーンがあるが、本物の内藤政醇も、暴れん坊将軍こと吉宗に御目見したことはあるそうだ。これは知らなかった。なお本作では、将軍吉宗を、歌舞伎通には「亀ちゃん」の愛称で知られる4代目・市川猿之助が演じている。さすが松竹作品だ。

 というわけで、結論。
 『超高速! 参勤交代』は、ある意味では一発ネタムービーではあるが、まあ、水戸黄門的な勧善懲悪を観て、悪党は死ね! とほっこりするのも悪くない……かも。
 あと、佐々木蔵之介、こいつ、殺陣が結構うまい。非常にキレのある殺陣で、カッコよかった。遣う剣法が居合であるため、静と動のキレが強調されることも影響したのかもしれないが、ひょっとしたら、日本時代劇界は、ズラも似合って殺陣も上手な逸材を発掘したのかもしれない。

 ↓ この映画の脚本家の次の作品らしい。これって、伝説の『まらそん侍』と関係あるのか??





 ↓これが伝説の映画。大学時代、ビデオレンタル屋のバイトしているときに観た。大映ってことは、今版権を持っているのは……この先は言わなくてもわかるね? ↑の小説の映画化は決まってるらしいから、オレなら今のうちにDVD化の準備をするね。
まらそん侍 [VHS]
勝新太郎
大映
1987-09-25


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