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 はあ……もう読み終わって2週間。余韻がいまだ抜けないですなあ……。。。
 なんのことかって!? そんなの『十二国記』の話に決まってるでしょうが!!
 と、半ばキレ気味に、とうとう読み終わってしまったシリーズ最新刊『白銀の墟 玄の月』(1)(2)(3)(4)について、思ったことや考えたことをまとめようと存じます。
 しかし、ああ、くそう、なんて幸せな読書時間だったんだ……それが終わってしまって、大変な喪失感ですよ……そして内容的にも、絶望から希望への期待、そしてあとはもう、一気に行くぜ、からの、超絶な絶望への突き落とし、そして終局へ、という山あり谷ありの激しい展開には、本当にもう、何て言えばいいのかな……結論としてはやっぱり、最強最高のエンターテインメントだったな、ということになるのかな……はあ……もう、ずっと読んでいたかったよ……。
12koku
 というわけで。先月、(1)巻(2)巻の発売日は前回書いた通り、台風に襲われて近所の本屋さんは軒並み臨時休業と相成り、やむなくわたしは翌日やっと手に入れたわけだが、今回の(3)巻(4)巻は、わざわざ07:30開店の上野駅構内のブック・エキスプレスまで発売当日の朝に買いに行き、07:31からむさぼるように読み始めた。結果、(3)巻をその日のうちに読み終わってしまい、(4)巻は、ちょっと落ち着つけオレ! と言い聞かせたものの、我慢できず2日で読み終わってしまった。
 構成をまとめるとこんな感じだったように思う。
 ◆(1)巻:「起」であり、物語の始まり
 ◆(2)巻:「承」であり、数々の謎投入&まさか?的な軽い絶望も
 ◆(3)巻:「転」であり、ついに主要メンバー集合、反撃だ!的希望にあふれる
 ◆(4)巻:「結」であるけど、残り100ページぐらいですべてがパーになり、うそでしょ、ど、どうなるんだよ!? 的な深い絶望とハラハラ感を抱かせつつ、結末へ!
 てな感じで、まあとにかく、(4)巻がヤバかったのは、読んだ方なら全員が同意してもらえるのではなかろうか。わたし、マジでバットエンドもありうるのか!? と超・超・絶望しちゃったす。
 読み終わった今となっては、そんなハラハラを味わわせてくれた物語に深く感謝しつつ、やっぱり十二国は最高だな! と能天気に思うわけだが、わたしが思うに、本作の最大の問題は、【誰が一番悪いんだ?】ということに尽きるのではないかと思う。実はこの2週間、読み終わってからいろいろなことを書いては消し、書いては消し、と試行錯誤してきたのだが、やっぱりわたしが一番考えてしまったことは、いったい誰が一番悪い奴だったのか、ということだ。なので、もうそのことだけに集中して、備忘録として記しておこうと思う。
 【阿選と驍宗さま】
 本作では、これまでの「十二国記」シリーズで最大の謎とされていた、阿選の謀反と驍宗さまの失踪についての謎が明かされるわけだが、(2)巻を読み終わった段階では、実は阿選は謀反を企んだのではないのかも? そして驍宗さまはマジで逝っちまったのかも!? とさえ思っていた。
 が、ズバリ言うと阿選の謀反は真実で、驍宗さまもちゃんと生きてました。
 そして阿選の謀反の動機としては「嫉妬」それから「怒り」と「絶望」のようなものがキーワードとして挙げられている。
 「嫉妬」と「怒り」そして「絶望」……自らが対等のライバルと思っていた驍宗さまが王座に就いたことへの嫉妬。そしてその「怒り」と「絶望」が阿選をして狂わせた、というのが解答だったわけだが、この嫉妬心を、にんげんだもの、しょうがないよ、と読者が思えるかどうかが問題だろうと思う。わたしとしては、わからんでもない、けど、正直なところ、ほんの若干、納得はできないでいる。
 たしかに、自分が同等と思い、自分がライバルだと思ってた奴がいて、さらに言うなら、ちょっとだけ俺の方が上だぜ? と思っていたのに、先に出世し、なおかつ、永遠に自分はその地位に昇格できない、と決まってしまったら、もうそれは深く真っ暗な絶望の闇に落ちてしまうだろう、と想像はできる。わたしも確かに、そんなことが今までの会社員生活でなかったとは言えないし、ちくしょうと思った経験はある。たいてい自分とは別の部署の人事に対してだったけど。
 しかし、わたしの場合で言うと、そのライバルの昇格を決めた上司や社長に対して、怒りを感じることはあっても、そのライバル自身に何か嫉妬を感じることは、あまりなかったような気がする。いや、そんなことないかなあ……後で逆転して、ざまあとか思ったりしたもんな……てことはやっぱり、嫉妬してたのかもしれないな……。まあ、わたしなら、追いつき、抜くことが「永遠に不可能」だと言われてしまったら、そんな会社は辞めますね。そんな天には従わない。仕える天は自分で決めるだろうな。
 しかし、阿選は驍宗さまを王とした「天」に対して、それを無条件に受け入れるしかない身だ。わたしのように「天」に従わず、別の「天」を求めることもできない。そこが阿選の悲劇であり、「十二国」最大の特徴だろう。そう、「十二国」世界の「天」は、我々の言ういわゆる「神様」のような、実体のないものではない。「十二国」世界には、明確に「天」が存在しているのだ。その「天」は、人間には何も声を届けない。
 そういう意味では、いわゆる「神の沈黙」に近いものがあって、なんでだよ、どうしてだよ! というような、人間がどうしても感じてしまうある種の不条理に対して、十二国世界も、我々の世界も、具体的な救いがないのが、人間にとって、そして読者にとって、とてもつらいのである。
 この点で、阿選は天の犠牲者とも言えるのかもしれない。なぜ自分が選ばれなかったのか。それを知ることができて、納得できていれば、悲劇は起こらなかったかもしれない。
 とはいえ、いずれにしても、阿選の謀反によって、数多くの罪なき民が苦しみ、亡くなっていったという結果を見れば、やっぱり阿選はもう、悪い奴、と断じるほかないだろう。阿選に同情して許せるほど、被害は全く軽くないわけで、阿選=悪党の図式は崩しようがないと思う。おまけに、謀反自体の心情を汲んだとしても、クソ野郎の烏衡を使ったり(→それが阿選最大のミス!)、無能な張運に冢宰を任せて、6年間引きこもっていたりと、罪状をあげるときりがないのは、読者ならだれでも感じたことだろうと思う。阿選……国を出て、いざというときに駆け付けるカッコイイ男であってほしかった……。
 そして。一方で、驍宗さまはどうだろうか。
 被害者として、おとがめなしで、いられるだろうか? 
 わたしとしては、どう考えても、驍宗さまにも非があったと言わざるを得ないと思う。それは、王としての器にかかわるぐらい、大きな問題だ。
 驍宗さまが王座に就いた手続きにおいては、実は阿選に対して、一緒に昇山しようぜ、と誘ってすらいたわけで、公平だったのは間違いない。けど、やはり、驍宗さまには、他人の心への配慮、のようなものが足りなかった、あるいは無頓着?だった、と言わざるを得ず、事件の要因の一つであったと考えるべきだろうと思う。TOPたる者、残念ながらすべての結果に対して責任を負う義務があるわけで、わたしとしては驍宗さまを悪党とは言わないけど、やっぱりおとがめなしには到底できない。今回は登場&復活してもほぼ全く活躍できずでしたが、まあ、今後の永い治世で、今回の事件の責任は善政という形で民に施してほしいです。今回亡くなった人々が多すぎて、ほんと悲しいす……どうか驍宗さま、彼ら彼女らの魂を弔ってください……。
 【琅燦と「天」】
 とまあ、阿選と驍宗さまは、ある意味では「人間」に過ぎず、嫉妬やミスや欠点は、そりゃあ、にんげんだもの、あったんだろうことは想像できるわけだが、問題はやっぱり、「王を選んだ存在」=「天」だ。
 「天」の意思は、例外を許さない(?)明確なルールに則った「システム」として機能している。例えば、十二国世界では、他国へ軍事侵攻はできない。もしそのルールに反してしまうと、王は「急にぶっ倒れて死ぬ」ことになる。ほかにも、2代続けて同じ姓の人間が王になることはない、というルールなんかもあって、いろいろ、誰が決めたかわからない謎ルール=天の理なるものが存在している。そしてそれは、完全に「自動的に」機能しているのである。
 そこには、「何で?」という疑問をさしはさむ余地は一切なく、誰も「天」に疑問を投げかけることはできないのだ。なぜ、あいつを王に選んだのか? なんてことは、一切、問いただすことはできない(※裏ワザとして、これは大丈夫ですか? と問い合わせるルートはある)。
 しかし、わたしには「沈黙する天」が悪いとはあまり思えない。なぜなら、おそらく天なるものは、人間の尺度で測れるものではないからだ。良いも悪いもなく、十二国世界の人間たちはその意思を受け入れざるを得ず、そのルールの下で生きるしかないのだから。なので、阿選はそんな「天」に対する反逆を起こしたとも言えるわけだが、それで数万の民を犠牲にしていいわけがない。ゆえに、阿選はやっぱり悪党としか言えないと思う。思うのだが……問題はやっぱり琅燦だよ。
 わたしの結論は、今回の物語で、最も罪の重い悪は、琅燦だ。
 琅燦の意図は、突き詰めて言えば「天への実験」であったのだろうと思う。阿選はその実験台にされてしまったのだ、というのがわたしの結論だ。明らかに琅燦は、阿選のくすぶる心に油を注ぎ、火を焚きつけた張本人だ。琅燦には全くそのつもりはなかったとしても。
 琅燦こそが、阿選は絶対に王になれないことを阿選に教え(=驍宗さまと同じ姓なのでアンタは王になれないとズバリ教えた)、阿選の絶望と嫉妬をより深め、行動させた張本人であろう。あまつさえ、阿選の謀反にいろいろと手を貸している(たぶん妖魔の使い方とかも教えている)。どう考えても、琅燦が身近にいなければ、阿選は反逆することはなかったはずだよね、きっと。
 そもそも、たぶん普通に読めば玄管=耶利の主公=琅燦なんだろうけど、じゃあなんで、阿選に妖魔の使い方教えたりしたんだよ!! すごくしっくりこないというか、わたしとしてはいまだに、玄管=耶利の主公はいいとしても、それが琅燦だったとは認めたくない気持ちです。ひどすぎるよ!
 琅燦……ホント、わからんわ……この人は。

 とまあ、読み終わって2週間も経っているのに、いまだ上記のようなことをくよくよと考えてしまうわたしであります。ホントはほかにもいっぱいあるんすよ。あのキャラのこと、このキャラのこと、いろいろ語りたいのだが、もういい加減長いので終わりにします。
 でも一言だけ! 「鳩」!! 鳩が阿選の放った妖魔だったというのは、いいよ、それはよく分かった。でも、せめて駆除したら魂を抜かれた人間は正気に返る設定であってほしかったすねえ……! あの鬼設定は悲しかったよ……。。。恵棟と帰泉の二人は本当に気の毒でしたなあ……いい人だったのに……飛燕の最後も泣けたっすねえ……ご主人さまの李斎を守り抜いて逝ってしまうなんて悲しいよ……。それから朽桟や鄷都のラストも泣けました……。ホント、多くのキャラクターが逝ってしまって悲しいす……。
 あと、どうしてもわからなかったのだが、(3)巻で登場した「博牛」はいったい何者だったのでしょうか……。わたしは博午こそが臥信、あるいは剛平とか基寮だと思ってたのだが、まるで別人だったようで……。あと巖趙はラストどこ行っちゃったんだよ! 知っている人がいたら教えてください。。。

 というわけで、もういろいろな想いが尽きないのでぶった切りで結論。

 18年ぶりの発売となった、小野不由美先生による「十二国記」シリーズ最新刊、『白銀の墟 玄の月』(3)(4)をむさぼるように読んだのだが、まず第一に、最高に面白かったのは間違いない。そして読み終わって2週間も経つのに、いまだにいろいろ考えてしまうわけで、要するにわたしは「十二国記」が大好きだ! が結論であろうと思います。まあ、いろいろ本作から生まれた謎もあるし、「その後」も大変気になるわけで、来年発売になるという「短編集」が猛烈に楽しみっすね! 願わくば、クソファッキン新潮社が全シリーズ電子書籍で出してくれることを祈ります。いつでもどこでも読み返したいので。いやあ、本当に面白かったなあ……『十二国記』は最高です! 以上。

↓ Ck先輩は買ったそうです。くそう、おれも録画したのをDVD(!)に焼いたはずなんだが……どこに埋もれてるのかわからん……。
十二国記 Blu-ray BOX
久川綾
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2015-11-26

↓ つうか、わたしはこっちを買うべきかも。山田章博先生のイラストも最高です。はよ「第二集」出してほしいのだが……クソファッキン新潮社には期待できない……。

 わたしはこのBlogで何度も、世界で最も好きな作家はダントツでStephen King大先生であると表明しているが、日本人作家に限定すると、恐らくは上遠野浩平先生、田中芳樹先生、そして、小野不由美先生が、TOP3だと思っている。このお三方に順序は付けられない。このお三方が、わたしにとって日本人作家で最も好きな作家である。
 わけても、小野不由美先生による『十二国記』シリーズは、日本の作品でわたしにとっては完全なる別格であり、大好きな作品なのだが、いかんせん、現在物語は、すっごいヤバイところで終わっていて、先が気になる作品ナンバーワンなのである。先が読めるなら500万出しても一向に構わん! とさえ常々いろんなところで発言してきたぐらいだ。
 というわけで、もう前置きはやめた。何が言いたいかというと、その『十二国記』の最新刊が、18年の沈黙を破ってとうとう発売されたのであります!!
 ※ちなみに短編集はその間に1冊、間違えた、2冊になるのか、出ていたので、本編の長編としては18年ぶり、だそうです。もうそんなに経つんだなあ……そりゃオレも年取るわ……。

 しかし、だ。
 『十二国記』シリーズは、その源流たる『魔性の子』は置いとくとして、そもそもは講談社のホワイトハートX文庫から出ていたものが、どういう経緯か知らないけれど、わたしが一番嫌いな新潮社から出し直され、今回も当然のように新潮社からの刊行となったわけだが……わたしとしてはもう本当に、新潮社はさっさと崩壊してほしいと思っている。その理由は2つあって、一つは、今どき電子書籍に全く無関心であること、もう一つが、営業販売施策が非常に不愉快だからだ。
 まず電子書籍に関していうと、今回、発売日と大々的に打ち出した日は、あろうことか10/12(土)、すなわち台風19号が日本を荒らしまくった日である。もちろん台風に新潮社は何の責任もないが、わたしは大雨の中、朝から近所の10km圏内の本屋さんを車で駆け回っても、すべて「臨時休業」。ほんと、電子書籍版を出してくれていたら、今頃読み始めていたのに……と憤死寸前であった。結局わたしは発売日に買うことができず、翌日の昼過ぎにやっと開店してくれた本屋さんで入手した。ありがとう、ときわ書房様! 以上はまあ、言いがかりです。はい。
 そしてわたしが気に入らない営業施策とは、新潮社はいつも、バカみたいに分冊するのである。分冊はまあ許してやってもいい。けど、我々読者目線からすれば、分冊にして、月をずらして刊行する意味は、100%ゼロ、だ。なんで一気に全部出さねえんだよ!! といつも頭にくる。恐らく理由はあるんだろう。だけどそんなこと知ったことか!!! 分冊になって喜ぶ読者なんているとは思えないわけで、そういう点がわたしが新潮社を嫌う理由である。
 まあ、これだけ本が売れない世の中で、電子もやらないで、今後会社として存続できるわけがないとわたしはにらんでいるので、早晩、どこかにM&Aで買われてしまうだろうと予想している。想像するに、所詮売上規模200億もない中小企業で、しかも未来がなければ、必衰間違いなしだろうと思う。いわば、新潮社はもう完全に失道している。おそらく現経営陣に立て直しはもう不可能だろう。

 はーーー。とにかく言いたいことは言った。
 では、さっそく味わい、大興奮した『十二国記』シリーズ最新刊『白銀の墟 玄の月』(1)(2)巻について語ろう……と思うのだが、現状、まだ物語はどのような結末をたどるのか、全く分からない。いろんな妄想がわいてたまらないのだが、今回は、自分用覚書として、(1)(2)巻に登場した人物リストをまとめるだけにしようと思う。けど多いからなあ……たぶん、膨大な分量になると思う。
 それからいくつか、地図と、ちょっとした豆知識もまとめておこう。大前提となる、十二国って何?とか、戴って? 驍宗さまって? とかそんなことはもう書きません。つうか、知らない人がこの本を読むわけねえし、このBlogに興味を持つわけもなかろうから。
 最初は地図から行ってみるか。少しネタバレも含んでいるけど全くクリティカルなものではないので、構わないだろう。今回、(1)巻(2)巻ともに、冒頭に舞台となる「戴」国の地図が掲載されているのだが、ズバリわかりにくく、センスゼロなので、頭にきたからパワポで簡単に作り直してみた。↓タッチまたはクリックすると拡大します。
戴
 こんな感じかな。若干、東の方がスペースがなくて位置がずれちゃったかも。だけど、この地図を理解しないと、今回のお話は分かりにくいし、逆に理解していると、こういうルートを取ったんだな、と、途端に分かりやすくなります。
 で。次に、問題の『驍宗さま失踪までのタイムライン』を本作の中で語られた内容でまとめると、どうやらこういうことだったようだ。
---------驍宗さまの軍の進軍と失踪までの流れ----------
<弘始元年暮れに、土匪が「古伯」を占拠した>
◆年明け、第1陣として英章/項梁たちの派兵が決定
 (※この直前に、泰麒と阿選は漣から帰国したばかりだった)
◆英章たちは首都・鴻基から出撃、半月の行軍で琳宇に到着、陣を張る。そしてその後すぐ古伯を包囲、まずは掃討完了。
◆しかし、完了のチョイ前に、近隣三か所で暴動発生、その後、次々に暴動がおこり、鴻基から援軍として霜元が派遣されることになり、さらに驍宗さま自らも出陣へ(縁の深い轍囲に火が回りそうなため)
◆三月初め、霜元&驍宗さま、英章たちに合流
 ※その時驍宗さまは阿選の軍勢5千を率いていた。
 ※阿選自身は連から帰って来たばかりということで、鴻基に留まる。
◆軍勢は豊沢(地図にないが轍囲の南らしい)へ進軍することに。その際、英章軍(先頭は俐珪)、驍宗軍、霜元軍の順番で出撃。
◆進軍3日目、驍宗さまがいないことが判明。
◆驍宗さまは、後から来る霜元と合流すると言って25騎の選卒(せいえい)を従え消えた。
◆4日目、驍宗さまの騎獣「計都」が陣に戻る。どうやら戻ってきたというより、驍宗さまを探してとりあえず陣に戻ったが、驍宗さまがいないのでイラついてる様子。
◆その後すぐ、鴻基から「白圭宮で蝕が起きた」知らせが入る
◆霜元はすぐに騎獣で鴻基へ飛んで帰る
◆驍宗さまについていた阿選軍は品堅に率いられて鴻基へ戻る
◆代わりに鴻基から土匪討伐のため臥信が派遣される
◆5月、文州の乱は一応平定。だがすぐに承州辺境に乱アリとの報が入り、李斎が派遣される。またその支援のため、霜元が手勢の半分を率いて承州へ(その指示は阿選によるもの)
◆半月後、臥信へ、手勢を半分残して帰還命令が下る
◆6月、李斎から「阿選、謀反」の報が各将に届く
 そして阿選と反阿選の戦いが各地で勃発、阿選側が圧倒して終わる。
----------------------------------------------------------------
 とまあ、こういう流れだったらしい。その後、6年がたった世界が、本作の舞台だ。
 この間のことは、本作でいろいろな人物から語られるが、問題は、一体全体、驍宗さまに何が起こったのか、そして6年経過した今現在、どうしているのか、であろう。
 まだ死んでいないことは、我々読者は知っている。泰麒もとうとう帰還した。さあこれから反撃のターンだぜ!? という期待に胸膨らませて、我々は本作のページをめくったはずだが……その結果が分かるのは来月である。ホント、新潮社が嫌いになるでしょ、誰だって。
 というわけで、以下、本作に出てくる人物表である。出てくる順にしようかと思ったけど、それだと関係のある人物が離れ離れになっちゃうので、いくつか、グループ分けしてまとめてみよう。なお、実際に登場しないけど、回想で言及されるだけの人もいっぱいいます。一応、(1)(2)巻で出てくる名前は全部書き出してみた。
 なお、もちろんネタバレも少し混じっていますが、これは来月(3)(4)巻を読む際のわたしの覚書なので、いいよね、別に。つうか、ここまでこのBlogを読んで、本編を読んでいない人もいないだろうし。

 が……ダ、ダメだ! Windowsの機種依存文字を使う名前が多すぎて文字化けしちまう!! ことに気づいたので、ちくしょう、こうなったら画像にするしかねえな……それぞれタッチ/クリックで拡大しますので。
【1.泰麒と李斎の旅の仲間と、協力してくれる人々/話を聞いた人々】
人物表01
 ※追記:そうだった。泰麒の使令は、穢れを払うために王母様預かりなんだった。CK先輩ご指摘あざっす!
で。次が、【2.驍宗さま失踪前の軍人たち】。ほぼみんな、実際には登場してこない。
人物表02
そして【3.驍宗さま失踪前の官僚たち】がこちら。これまたすでに故人多し。
人物表03
 ※追記:そうか、(2)巻P204で琅燦が「選ばれない理由がある」と言ったのは「同じ姓は連続で王になれないルール」があるからダメ、のことかもしれないすね(※驍宗さまや阿選の本姓はどちらも朴)。CK先輩あざっす!
で、【4.現在の白圭宮にいる人】
※2.3.で触れた人の中には現在も白圭宮にいる人もいるけど、それらは除外します。
人物表04
最後は【5.謎の人物】と【6.謎現象】について。
人物表05
 さてと。あとは、本編で李斎がたどる捜査ルートと聞き込みの内容を手元にまとめてあるのだが……これはもう、相当膨大なので、このBlogに載せるのはやめておきます。この捜査ルートも、地図がないと本当に理解しにくいので、上の方に貼り付けたわたしが作った地図がとても役立ちました。ただ、本当は山がいっぱいあって、それらも入れたかったのだが……ごちゃごちゃになりすぎてやめときました。

 はあ……マジで早く続きが読みたいですなあ……!!
 驍宗さま……マジなのかよ……わたし的には「耶利」がいったい何者なのかが一番知りたいすねえ! 来月が楽しみだなあ! 常々、わたしはこの世に未練はない、いつ逝っても構わん、とか言ってるけど、少なくともあと1カ月は生きていたいと思います!

 というわけで、もう結論。
 わたしの大好きな『十二国記』の最新刊がいよいよ発売となり、もう、むさぼるように読んだわけですが、言いたいことは2つ。まず、小野不由美先生、『十二国記』を書き続けてくださって本当にありがとうございます! マジ最高です!!! まだ途中ですが、超最高です!! ホント、読めてうれしいっす!!! そしてもう一つは、新潮社はホントにどうしようもない出版社で、早晩M&Aでもかまされていただければと思う。さっさと銀行に見放されればいいんだけどな。遠くない将来そうなるでしょう。ま、そんなことはどうでもいいとして、とにかく! 早く! 続きが読みたい!! に尽きますな。まだラストでは景王、延王、その他オールスターにならないかなあ! 楽しみだなあ!! もうこれ以上言うことがないので、以上。

↓ アニメ版も面白かったすね。アニメオリジナルキャラも結構出てきて、原作ファン的には、コイツ誰?的な部分もありますが、わたし的にはアリ、す。

 わたしがシリーズをずっと読んでいて、新刊が出るのを楽しみにしている小説に高田郁先生の『あきない世傳』というシリーズがある。これは、時代的には18世紀中ごろの大坂商人のお話を描いた作品なのだが、実にその「あきない」が、現代ビジネスに置き換えられるような、現代の会社員が読んでも示唆に溢れた(?)いわゆる「お仕事モノ」としての側面もあって、読んでいて大変面白いのであります。
 というわけで、その最新刊である第7巻が発売になったので、わたしもすぐ買った……のはいいとして、ちょっと他の小説をいくつか読んでいたので若干後回しになっていたのだが、いざ読みだすと、いつも通り2日で読み終わってしまった。実に読みやすく、そして内容的にも大変面白く、わたしとしては非常にお勧めしたいシリーズであると思っております。

 もう、これまでのシリーズの流れを詳しく解説しません。詳しくは、過去の記事をご覧いただくとして、本作第7巻がどんなお話だったかというと、まあ一言で言うと、いよいよ念願の江戸に店を開いた主人公・幸(さち)ちゃんが、江戸に来て1年がたつまでに過ごした奮闘の日々、が描かれています。
 まあ、本作に限らず、小説を読んでいるといろいろな、知らないことを知ることが出来て、「へええ~?」な体験こそ読書の醍醐味の一つだと思うけれど、例えば、「呉服」と「太物」ってわかりますか? これはわたしは前の巻だったかな、初めて知ったのですが(単にわたしが無知だっただけだけど)、「呉服=絹100%」「太物=綿製品」なわけで、大坂では明確に扱う店舗が違っているけど、江戸では両方扱ってもOK、と商慣行が違っていたりするわけです。おまけに、大坂では「女名前禁止」というお上の決めたルールがあって、女性は店主になれない=代表取締役の登記が出来ないんだな。ま、それ故、幸ちゃんはそのルールのない江戸に支店を出すことを決めたわけですが。
 で、幸ちゃん率いる「五鈴屋江戸支店」は、要するにアパレル小売店なのだが、当然幸ちゃんたちは大坂人故に、江戸のさまざまな生活カルチャーや、江戸人の考え方自体にも不慣れだし、いきなり店を出店しても商売がうまくいくわけないので、いろいろな工夫を凝らすわけです。その工夫が、現代ビジネスに通じるモノが多くて、大変面白いわけですよ。
 要するに、まず新店OPENにあたっては、いかにしてお店のことを告知していくか、という宣伝広告戦略が重要になるし、いざ知ってもらっても、「五鈴屋」で反物を買ってもらうためには、どうしても「五鈴屋オリジナル」商品が必要になるわけです。いわゆる「差別化戦略」ですな。
 ちょっと五鈴屋のビジネスモデルというかバリューチェーンをまとめると……
 ◆生産者:養蚕家(絹の生糸の生産)、綿農家(木綿糸生産)
  →大坂時代に確保済み&信頼関係構築済み
 ◆加工者(1):織職人(布に織る人、模様を入れて布に仕立てる人)
  →大坂時代に確保済み&信頼関係構築済み
 ◆加工者(2):染付職人(模様や柄を染め付ける人)
  →NOT YET。本作冒頭ではまだ不在
 ◆卸売事業者:製品を仕入れて小売りに卸す人
  →大坂時代に確保済み&信頼関係構築済み。一部は五鈴屋が自ら仕入れ
 ◆小売事業者=五鈴屋=お客さんに売る人
  →江戸店は開店した。が、どうお客を集めよう?
 ◆顧客=お客さん=武家から市井の人々まで様々
  →どういう嗜好を持った人? どんなものを求めている? か研究中。
 ◆加工者(3):仕立て屋さん(布を裁ち、縫製する人)
  →基本的に五鈴屋さんは反物を売っておしまいで、反物を買ったお客さんが、どこかの仕立て屋さんに頼むか、あるいは自分で「服」に加工するので、五鈴屋は現代的な意味でのアパレルショップではない。けど、頼まれれば五鈴屋さんは仕立て屋さんを紹介したり自ら縫製もします。ちなみに、そのため、最初から「服」になっている既製服屋さんとしての古着屋さんもいっぱいあるのです。
 てな感じに、18世紀半ばの時点で、既にこういう分業がキッチリなされているわけですが、五鈴屋の「あきない」のモットー=企業理念は明確で、「買うての幸い、売っての幸せ」を目指しているわけで、つまり上記の関係者全員=ステークホルダーがHAPPY!であることを目指しているのです。
 どうですか。いいお話じゃあありませんか。
 で。今回の第7巻では、主にオリジナル商品開発がメインとなっています。もちろん、宣伝広告も頑張るんだけど、それはもう前巻までにやってきたことなので、説明は割愛します。お店を知らしめるために、神社仏閣の手水場に、五鈴屋のコーポレートロゴである「鈴」の絵柄付き手ぬぐいを寄進しまくったり、来てくれたお客さんのカスタマーロイヤリティ向上のために、無料の「帯の巻き方教室」を開催したりと引き続き頑張り、そこで得たお客さんとの縁が、今回鍵になるわけです。いい展開ですなあ! わたし、これも知らなかったけれど、大坂と江戸では、帯を巻く方向が逆なんすね。そんなことも、幸ちゃんたちとともに読者は「へええ~?」と学んでいくわけです。おもろいすなあ。
 そして今回メインとなるオリジナル商品開発のカギとなるのが、上記ビジネスモデル(バリューチェーン)の中で、唯一まだ縁のなかった「染付」でありました。
 これも大坂と江戸の違いなんだけど、大坂は商人の街であり、江戸は武士の町なわけですよ。で、大坂では普通で誰もが当たり前に着る「小紋」というものが、江戸では基本的に武士のためのもので、あまり町人の着るモノじゃないらしいんですな(※絶対NGではないみたい)。そしてその「小紋」の柄も、どうやら武家のオリジナル模様があって、それはその家中の人間以外は着てはならんというルールもあるらしい。
 だけど、江戸人は「粋」を愛する人種なので、遠目には無地かな? と思わせて、よーく見ると模様が「染められている」小紋はOKなのです。めんどくせえけど、そういうことらしい。なので、売れるのは無地や縞(ストライプ柄ですな)ばっかりだけど、実は「小紋」もいけるんじゃね? つうか、江戸人好みの小紋をつくったらヒット間違いなしじゃね? とひらめくわけです。
 そして、どんな柄にしよう? と考えた時、当然もう、全員が「鈴」の模様で異議ナシ、なわけですよ。だけど、それってどうやって作ればいいの? というのが今回のメインでありました。
 染付職人をどうしよう? つうかその前に、染付の「型」って、誰がどんな風にして作ってるんだろう? というのが段階を経て実を結んでいき、さらに、完成した「五鈴屋オリジナル小紋」を、どうやって世に知らしめよう? と考えた時、思わぬ縁が繋がってーーーという流れはとても美しく、もう読者たるわたしは、正直できすぎだよ、とか思いつつも、良かったねえ、ホント良かった、と完全に親戚のおじさん風にジーンと来てしまうわけで、もうさすがの高田先生の手腕には惜しみない称賛を送りたく存じます。ホント面白かったす!
 そして今回は、重要な未解決案件である「女名前禁止」に関する進展も少しあり、さらには妹の結ちゃんが満を持して江戸へやってきたり、さらには、失踪した5代目がついに姿を現し……といった、今後の引きになる事柄もチョイチョイ触れられていて、結論としては、高田先生! 次はいつですか!! というのが今回のわたしの感想であります。はーー面白かった。

 というわけで、結論。

 わたしが新刊が出るとすぐに買う、高田郁先生による小説シリーズ『あきない世傳 金と銀』の最新7巻が発売になったのでさっそく楽しませていただきました。結論としては今回もとても面白かったです。なんつうか、やっぱり人の「縁」というものは、大事にしないとイカンのでしょうなあ……一人では出来ないことばかりだもんね……そこに感謝をもって、日々暮らすのが美しいんでしょうな……わたしも真面目に生きたいと存じます。そして、5代目の動向が大変気になるっすねえ……! まず間違いなく、次の巻では五鈴屋の存在が江戸に知れ渡ることになり、5代目が「幸が江戸にいる!」ことに気が付くことになるような気がしますね。どこまでシリーズが続くか分からないけど、全10巻だとしたら5代目とのあきないバトルがクライマックスなんすかねえ……! 早く続きが読みたいっす! 以上。

↓ そういや映画になるらしいすね。キャストはNHK版からまたチェンジしたみたいですな。この特別巻が出てもう1年か……あ!映画の監督があの人じゃないか!マジかよ!
花だより みをつくし料理帖 特別巻
髙田郁
角川春樹事務所
2018-09-02

 数日前、このBlogのログを見ていたとき、わたしが新刊が出ると毎回せっせと感想を書いている『あきない世傳』シリーズの記事のPVがやけに上がっていることに気が付いた。そして電撃的に、これって、まさか……? と思い、すぐさま版元たる角川春樹事務所のWebサイトをチェックしてみると、まさしくその予感は当たっていることが判明して愕然としたのである。そう、2月に、新刊第(6)巻が発売になっていたのだ。

 うおお、まじかよ! 超抜かってた!! と思い、すぐさま本屋さんへ向かって確保し、帰りの電車から読みはじめ、翌朝、翌夕、そしてその次の朝、と、わたしの通勤電車2往復分で読み終わってしまった。わたしが電車に乗っているのは片道30分ほどなので、2時間ほどで読み終わったということだ。たぶんこれは、わたしがとりわけ早いわけではなく、おそらく誰でもそのぐらいで読めると思う。実にすらすらと読みやすいのが高田先生の作品の特徴だ。
 で。わたしは読み始めて、冒頭で、えっ!? と思った。そう、ズバリ言うと前巻のラストを完璧に忘れていたのである。そうでした。前巻は、非常にヤバいところで終わったのでありました。
 それを説明する前に、このシリーズのおさらいをざっとしておこう。
 本作は、現在の兵庫県西宮市あたりの村から、大坂は天満橋近くの呉服屋さん「五鈴屋」に下働きの下女として奉公に出た少女が、その持ち前の頭の良さと心の真っ直ぐさで成り上がってゆく物語で、実に現代ビジネスマンが読んでも面白いような、現代ビジネスに通じる様々な「あきない」ネタが大変痛快な物語なのであります。
 そして主人公・幸ちゃんは、まあとにかく凄い激動の人生を送っているわけですが、下女だったのに五鈴屋4代目と結婚し、「ご寮さん(=大坂商人の店主の奥方)」にクラスチェンジし、次に5代目、そして6代目とも結婚してようやく幸せになったかと思いきや……というところで、前巻(5)巻ラストで大変な悲劇に幸ちゃんは見舞われてしまったのでした。
 どうして結婚相手がころころ変わったかと言うと……
 ◆4代目:長男で放蕩野郎。店の金を使い込むクソ野郎。死亡
 ◆5代目:次男で商才はあるが人の気持ちを読まない残念系社長。取引先を激怒させ失踪。
 ◆6代目:三男。作家を夢見るだめんず野郎だけど人としては超イイ奴。
 という感じで、商才盛んな幸ちゃんが自らもう、女社長としてバリバリやればいいんだけど、それが出来ない理由があって、結婚せざるを得なかったわけです。それは、大坂には「女名前禁止」という謎ルールがあって、大坂においては「女は店主になれない」というもので、現代風に言うと男しか代表取締役の登記が出来ない、のです。だから、どうしても男の社長を立てる必要があるわけですな(一応その理由は、女に財産分与して資産隠しや税逃れをする奴がいたから禁止になったらしい)。
 時代背景としては、1731年だったかな、そのぐらいから始まって、最新刊である本書(6)巻では1751年ぐらいまで経過していて、幸ちゃんも少女から現在28歳まで成長している。これは、高田先生の『みをつくし料理帖』が最終巻の段階で1818年ぐらいだったはずだから、それよりも70年近く話で、ついでに言うと『出世花』の2巻目が1808年ぐらいの話だから、やっぱりそれより50年以上前ってことになる。ちなみに、『みをつくし』は1802年ぐらいから始まるので、主人公・澪ちゃんと『出世花』の主人公・正縁ちゃんは江戸の町ですれ違っててもおかしくないぐらいの時代設定だ。
 なんでこんなことを書いたかと言うとですね、そうなのです。ついに! 幸ちゃんが江戸に進出することになったのです!! この、江戸進出はもう既に前から野望として描かれてきたのですが、この、大坂の女名前禁止をどうしても打ち破ることが出来ないなら、江戸進出を急ごう!ってなことで、急がなくてはならない理由、それは前巻ラストでブッ倒れた6代目が逝ってしまったからなのです。
 というわけで、本作(6)巻は、いきなり6代目の初七日の模様から始まります。わたしは6代目がブッ倒れたことを完璧忘れたので、最初のページを読んで、えっ!? と思ったのでした。まあ、すぐ思い出したけど。
 で、今回の物語は、江戸店のオープンまでの様子が描かれるわけですが、今回は、現代ビジネス的な面白エピソードは1つだけかな。それは、江戸店オープン前の宣伝告知活動だ。
 幸ちゃんはバリバリ関西人で、もちろんお店の仲間たちも同じ関西人。当然、江戸の町ににも商慣習にも不案内で、だんだん理解していくことになるわけだが、「引き札(=現代で言うチラシ)」はやらず、彼女の取った方法とは――てのが今回一番面白かったすね。幸ちゃんは今までも、宣伝告知活動には色々な策をとって来て、それがいちいち現代風で面白かったけれど、今回の策も、大変良かったと思います。もちろん、その作戦は大成功で、オープン当日から江戸店にはお客さんがいっぱい来てくれて、ホント良かったね、と思いました。
 あと、今回から、幸ちゃんは本格的に「太物(ふともの=木綿製品)」も扱いを始めようとする。これは常識かも知れないけど、わたしは愚かなことに本作シリーズを読むまで知らなかったのだが、いわゆる「呉服」ってのは、「絹100%製品」のみを指す言葉なんすね。大坂の五鈴屋本店が加盟しているアパレル業界団体は、あくまで呉服屋組合であるため、木綿製品は扱うことが出来ないこともポイントで、江戸の組合にはそんな縛りはない、ってのも、江戸店出店の動機の一つもでもあるわけです。
 さらに言うと、幸ちゃんの出身地では、綿花の栽培が特産でもあって、木綿は絹よりも圧倒的に安いし、洗えるし軽いし、と使い勝手がいい、要するにコストパフォーマンスに優れているわけで、「買うての幸い、売っての幸せ」を目指す幸ちゃんは、木綿に大変思い入れがあるわけですな。
 あ、あと、今回幸ちゃんが江戸店の、商品ディスプレイに工夫する話も面白かったすね。まあ、やっぱり、こうすりゃいいんじゃね!? とひらめく瞬間はとても気持ちいけれど、普通のサラリーマンにはそれを実行するにはいろんな邪魔が入るわけで、上司に恵まれないと、毎日毎日同じ作業を繰り返すことを仕事と勘違いすることになるわけだが、ま、お店を出すことの面白みの一つでしょうな、そういうひらめきの快感は。大変今回の(6)巻も楽しめました。

 というわけで、さっさと結論。
 大変抜かっていたことに、わたしがシリーズをずっと読んできた『あきない世傳』の新刊が、なんと1カ月以上前に発売になっていたことにハタと気が付き、慌てて買ってきて読んだわけですが、まあ、今回も大変面白かったと思う。これからは江戸を舞台に、またいろんなビジネスプランが展開されるんでしょうな。そしてわたしとしては、主人公幸ちゃんに幸あれと思うわけです。ところで、今後の展開としては、確実に妹の結ちゃんも江戸にやってくることになるだろうし、おそらくは、失踪した5代目と江戸で再会することになるんじゃないすかねえ……。そもそも江戸進出は5代目の夢でもあったわけだし。5代目が現れた時、幸ちゃんはどうするんすかねえ……今さら元サヤはないよ……ね……? どうなるんだろうなあ。そのあたりは、これからもシリーズを読み続けて、楽しみにしたいと思います。つうか、ハルキ文庫も電子で出してくんねーかなあ……。そうすりゃ100%買い逃すことないのに……。以上。

↓ 五鈴屋江戸店は、浅草の近くの「田原町」にオープンです。現代の今は仏具屋さんがいっぱい並ぶあの街っすね。銀座線で浅草の隣す。


 去年劇場公開された映画『孤狼の血』を、まんまと劇場で観逃してしまい、先日やっとWOWOWで観て、こりゃあ面白い、劇場に観に行かなかったワシはホントダメじゃのう……と思ったわけだが、そのことを会社の若者に話したときの会話は以下の通りである。
 わたし「いやー、『孤狼の血』やっと観たんだけど、すっげえ最高だったね。マジで劇場に行くべき作品だったよ。超抜かってたわ……!」
 若者「お、観たっすか。おれ、劇場で観たっすよ。いやあ、マジ最高だったすね。続編が楽しみっすねえ!」
 わたし「えっ!? 続編!? やるの!? マジで!?」
 若者「いや、わかんねーすけど」
 わたし「なんじゃい! でもアレだろ、原作小説があんだから、そっちの続編が先に出ないと……」
 若者「いや、だからその小説の続きが出たんすよ。アレじゃないかな、去年映画が公開されるちょっと前じゃなかったかな、単行本で出たはずっす」
 わたし「うぉい! マジか、全然知らんかった! 超抜かってた!!」
 というわけで、わたしと若者はその場ですぐ調べて、あ、これっすね……と見つけたのが柚月裕子先生による『孤狼の血』の正統なる続編『凶犬の眼』という作品である。
凶犬の眼
柚月裕子
KADOKAWA
2018-03-30

 わたしはこの本のことを知って、約60秒後にはすぐさまその場で電子書籍版を買ったのだが、実は、ポチっと購入する15秒前には、ちょっと待て、原作の『孤狼』を先に読んだ方がいいんじゃね? という逡巡があった。だが……ええい、いいんだよもう! 今すぐ読みたいの! という欲がまさって購入に至り、読み始めたのである。
 結論から言うと、この判断は、ナシではなかったとは思うけれど、やっぱり本来的には小説原作の『孤狼』は読んでおいた方がいい、と思った。というのも、どうやら映画『孤狼』と、原作小説『孤狼』とでは、若干設定や物語が違うらしい、と思えるような点が、『凶犬の眼』を読んでいるといくつか見受けられたからである。
 例えば映画『孤狼』で江口洋介氏がカッコ良く演じた、おっかない若頭「一之瀬」というキャラは、ラストで物語の主人公である日岡くん(以下:広大=広島大学出身のため「ひろだい」と呼ばれている)に裏切られることになるが、どうやら原作小説ではその展開はなかったらしく、『凶犬』では広大と信頼関係が続いていることになっていた。また、映画では真木よう子さんが演じた恐ろしくエロいクラブのママは、『凶犬』では登場せず、全然別の小料理屋のおかみさんが出てきて、どうやら真木ようこさんの演じたあのキャラは映画オリジナルで、小説では『凶犬』のおかみさんがその役に相当する、みたいな、微妙な違いがチラホラ出てくるのである。
 なので、やっぱり小説の『孤狼』を読んでから『凶犬』を読む方が正しい行為だとは思うのだが、映画を観た後すぐに『凶犬』を読んだわたしでも、『凶犬』という小説はとても面白く、大変楽しめた作品であったのは間違いないのである。
 というわけで、物語をざっとまとめてみよう。
 物語は『孤狼』の事件の2年後が舞台だ。それはつまり、世は平成となっており、主人公の広大こと日岡秀一巡査は1年前から広島の山奥の駐在所勤務である。要するにあの事件の後始末が終わったところで、いろいろ「知りすぎた男」の広大は警察にとっても都合の悪い存在で、へき地勤務に飛ばされたのだ。そんな、ある意味鬱屈していた毎日を平和に送っていた広大くんは、ある日、私用で広島市内にやってきていて、ちょっと寄り道となじみの小料理屋で飯を食う。するとこそには、あの一之瀬がなにやら客と話し込んでいて、その客は、全国指名手配中の男だった。一之瀬は、マズいとこ見られちゃったな、と思いつつも、やむなく、広大のことを警官だけど信頼できる男だし、あの「ガミさん」の一番弟子だ、と客に紹介する。すると客は、「まだやり残したことがある。それが終わったら、必ずあんたにワッパをかけてもらうよ」と約束。広大は、その男の眼を見て、その約束を信じるがーーーてな展開である。
 どうですか。少なくとも映画『孤狼』を面白いと思った人なら、読みたくなるでしょ。わたしとしては本作でのポイントは2つあって、まず一つは、とにかく広大くんがきっちり「ガミさん」の教えを守って大きく成長している点だ。肚が坐ってるんすよ。非常に。とてもカッコいいし、非常に共感しやすいと思う。そしてもう一つは、本作の最大のポイントなのだが、その客の男がやけに「仁義」の男で、これまた大変カッコイイんだな。凶悪な人殺しの極道で、純然たるBAD GUYなのに、完璧に筋が通っていて、広大くんならずとも、男なら誰しも、心魅かれてしまうような人間なのです。頭もイイしね。こういう、二人の筋の通った仁義の男の行動ってのは、もう鉄板というか、読んでいて実に気持ちのいいものだ。
 
 というわけで、以下は完璧ネタバレなので、知りたくない人はここらで退場してください。絶対知らないまま読む方が面白いと思いますので。



 はい、じゃあイイですか?
 最終的に、広大と極道の男は、「兄弟」分として強く結ばれるわけだが、その過程がとても共感できる流れだったと思う。その盃を交わした瞬間、冒頭で描かれる旭川刑務所で話し合う二人が何者かがわかる仕掛けになっていて、それが分かった時は、そういうことか、と思わず最初を読み直してしまうほどだったすね。実にお見事でした。
 最後に、キャラ紹介を短くまとめて終わりにしよう。
 ◆日岡秀一:主人公。『孤狼』で「広大」と呼ばれていた彼も、もはやそう呼んでくれるガミさんは亡くなっているので、本作では広大と呼ばれるシーンはありません。田舎の駐在所に飛ばされて、ちくしょうと思っていて、指名手配犯を逮捕して県警本部に戻る野望を胸に秘めている。基本的に今でも善人ではあるけれど、ガミさんに叩き込まれた、毒には毒を、の気持ちも習得しているし、世の中は清濁併せ呑むことで成立していることを骨身にしみて理解している。そんな彼が、極道と盃を交わす決断の瞬間も、ガミさんならどうしたか、を考え、行動に移すわけで、実に男らしかったと思う。わたしは映画版を観終わった時、きっと現在の広大は、50代半ばを過ぎて、警察機構の中で出世してるんだろうな……と妄想していたけれど、本作の事件を経て、さらに広大は大きく成長しただろうな、と思います。
 ◆国光寛郎:読んでいるとかなりおっさんな印象を受けるけれど、まだ30代半ばだったはず。高校時代からやんちゃだったが神戸商船大学に進学するなど頭はイイ。が、あっさり辞めて極道入り。極道に入ったのも、とある親分に人間として惚れたためで、金を稼ぐのが上手いインテリヤクザとして活躍していたが、仁義を絶対に守る男として、親分のために人殺し&服役も経験。現在日本最大規模の抗争の首謀者として逃走中。彼がやりたいのは、親を守ることとケジメをつけることで、それが叶えば満足。自分がどうなろうとも……な男。まあ、読んでいれば誰だって、広大のようにコイツを外道とは思えなくなってしまうでしょうな。極めて筋が通っていてカッコイイ。手下にも大変優しいのもポイント高し。そして手下たちも、国光に惚れているため、まったく道に外れたことはしようとしない、極道だけどイイ奴らです。
 ◆晶子:ガミさん行きつけの「小料理や志乃」のおかみさん。今では広大の行きつけに。どうやらこのキャラが、映画版で真木よう子さんが演じた里佳子さん、なのかも。元々一之瀬(?)の奥さんだったのかな? 元極道の妻で、とても面倒見のいいおかみさん。美人に間違いないでしょうな。映画版にも出てきた、ガミさん作成の警察内部の不正をまとめたノートは、広大が晶子さんに預かってもらっている模様。広大はいざとなればその極秘資料があるので、今頃は警察で成り上がっててほしいすな。なんかこの設定は、『新宿鮫』に似てますな。
 ◆一之瀬守孝:現在は尾谷組の組長になっている。映画版では広大に見事はめられて裏切られたけれど、ありゃどうも映画オリジナルなのかもしれない。本作では、広大を信頼しているし、広大も一之瀬を信頼している、っぽい。まあ、信頼と言っても、お互いを利用しているだけなんだけど、本作では何かと情報源としてチラホラ登場します。ちなみに、映画版でピエール瀧氏が演じたギンちゃんこと瀧井銀次も冒頭に登場します。元気そうで何よりです。
 ◆畑中祥子:広大の勤務する駐在所近辺の豪農の娘で女子高生。頭がイイ。父親は広大と祥子を結婚させてがっていて、祥子の家庭教師を広大にやらせている。そして祥子も、広大が大好きなのでまんざらでもなし。しかし、彼女の「女」としての本能は、広大に会いに来た晶子の姿を観てめらめらと嫉妬の炎を燃やしてしまい……な感じ。わたしはまた、彼女が人質とか、ひどい目にあわされるんじゃないかと心配でならなかったのだが、全くそんなことにはならず、むしろ彼女の攻撃?の方が事件を大きく動かす結果をもたらしてしまったことに大変驚いた、というか、祥子も立派な女だったな、と腑に落ちたっすね。恐らく超絶カワイイ女子だと思います。
 他にも登場人物は多いけど、上記を押さえておけば大丈夫だろう。
 
 というわけで、結論。
 映画『孤狼の血』を劇場で観逃して、やっとWOWOWで観て、くっそう、コイツは最高に面白いじゃねえか、劇場に行かなかったおれのバカ! とか思っていたわたしだが、会社の若者にその続編小説『凶犬の眼』という作品があると聞いてさっそく読んでみたところ、まず第一に、とても面白かったと思うし、こりゃあ最初の小説版『孤狼の血』も読まないとダメなんじゃね? と現在思っている。仁義を通す、ということは、何も極道の世界だけでなく、平和にのんきに暮らす我々にも求められてしかるべきだと思うけれど、まあ、なんと世には「仁義」を守らない奴の多いことか。実に嘆かわしいというか、そういうクソ野郎には本当に頭に来ますな。本作で描かれた二人のように、「仁義」なるものを通すには、相当の代償が必要となるわけで、まあ実際難しいことも多いのだが……それでもやっぱり、だからと言って「仁義」を守らないクソ野郎にはなりたくないっすね。たとえどんな艱難辛苦があろうと、仁義を最優先で生きていきたいものです。というわけで、本作はわたしは大変楽しめました。実にカッコイイす。以上。

↓ そのうちちゃんと読もっと。ガミさんが小説ではどんな感じなのか、楽しみっす。
孤狼の血 (角川文庫)
柚月裕子
KADOKAWA
2017-08-25

 出版界において、ある出版社から刊行されていたある作品が、時を経て別の出版社から再び出し直される、ということはフツーにあることだ。ま、元の出版社からすればいろいろ思うことはあるだろうけど、別に読者にとってはほぼ関係ない。ちょっとだけ困るのは、出し直されたときにタイトル変更をされると、やった、新刊キタ!とか喜んで買って読んだら、これもう読んだやつじゃん!ということが分かった時のイラ立ち感は、経験したことのある方もおられるだろう。わたしもあります。つうか、タイトル変わってないのに、新刊かと勘違いして買ったことすらあるっすね。まあ、ちゃんと奥付近くに「本書は●年に●文庫から刊行されたものを改題したものです」とか書いてあったりするけれど、買うとき気が付かなきゃアウト、である。自己責任なんだろうけど。
 というわけで、わたしがずっとシリーズ第51巻まで読み続けた時代小説『居眠り磐音』シリーズが、元々刊行していた双葉社から、どういう経緯か知らないけど、今年の2月から文藝春秋社に移籍して出し直されることとなった。そして恐らくはそれを盛り上げるため?に、このお正月に文春文庫から『磐音』にまつわる「書き下ろし新刊」がまさかの発売となったのである。まあ、シリーズを愛してきたわたしとしては、これは買って読まない理由は皆無であり、さっそく楽しませていただいたわけである。
 そのタイトルは『奈緒と磐音』。まあ、このタイトルだけで、ファンならば「おっ!?」と思うだろう。わたしはマジかよ、と思った。主人公磐音の幼少期からの幼馴染であり、許嫁であり、悲劇によって引き裂かれてしまった奈緒。ここで奈緒と磐音の物語かよ、これは……切ない予感がするぜ? なんて思い、コイツは読みたいぜ欲がムクムクと立ち上がったのであります。

 しかし―――もう最初にズバリ言っておくと、物語はわたしの想像とまるで違っていて、本書は1754年~1770年ごろの、主人公磐音が9歳の頃から江戸勤番で佐々木道場に入門して1年半ぐらい過ぎたころまで、が描かれていて、折々の出来事が語られる5つの短編から構成されるものであった。
 なお、上記の年代は、本書のP.262に、1769年に24歳の磐音が初めて江戸に行ったことが書いてあったので、逆算したものです。なので、±1年ズレてるのかも、です(そして以下、この情報から年を逆算して記しています)。
 では、さっそく本書の感想をまとめていきたいのだが、その前に、自分用備忘録として簡単に年代と磐音の年齢を記しておこうかな。ちょっと既刊本が手元にないから確かめられないので、ホント単純逆算です。そしてネタバレにも触れてしまうかもしれないので、まだ読んでいない方はここらで退場してください。ファンならば、こんなBlogを眺めるよりも、今すぐ本屋さんへ行って買って読んだ方がいいと思います。
 ◆1772年:磐音27歳:『磐音』1巻での悲劇が起きた年。
 ◆1795年:磐音50歳:『磐音』51巻の年かつ『空也十番勝負』の開幕、だったと思う。
 ◆1798年:磐音53歳:『空也十番勝負』最新刊の時代。空也20歳でいいのかな(?)
 ええと、なんでこれを書いておいたかというと、前述の通り本書はある意味短編集なのだが、それぞれのお話の冒頭は、磐音が還暦を過ぎていて(=1805年以降ってことになる)、穏やかな毎日を過ごしつつ、若き日を回想する、という形式をとっているためであります。つまり、還暦をすぎた磐音が暮らす江戸には、まず間違いなく空也くんが武者修行を終えて帰ってきている可能性が高い、とわたしは思ったのだが、勿論本書には、空也くんは一切登場しません。そりゃまあ、ある意味当然でしょうな。登場したら十番勝負の方が台無しになっちゃうしね。ま、読者としては、無事に修行を終え、眉月ちゃんと幸せにしている思いたいですな。
 さてと。それでは本書で語られたエピソードをまとめておくか。
 【第1話:赤子の指】
 磐音9歳の頃(1754年)の話。磐音・慎之輔・琴平の三人が湾内の無人島へ、いわばキャンプに行くお話だ。幼い3人組は、どこの道場に入門するかということがもっぱらの関心事で、各々考え方が違っていて、三人それぞれの性格が良くわかるエピソードになっている。また、この段階で早くも『磐音』シリーズ序盤の大問題、関前藩の財政破綻と宍戸文六の暗躍もほのめかされていて大変興味深い。なんつうか、ズバリ言ってしまうと、磐音の生涯でずっと続くことになる苦労は、ほぼすべて藩主たる福坂実高の無能によるものだったわけで、ある意味、主を選べない侍ってのもつらいですなあ……ホントに。そして磐音は9歳にしてすでにしっかりしたお子様だったことが分かるこのお話は、大変面白かったと思います。そしてタイトルにある「赤子」とは誰なのか、は読んでお楽しみください。ここも大変良いエピソードでありました。運命って奴なんですかねえ……。
 【第2話:梅雨の花菖蒲】
 磐音13~14歳の頃(第1話の4~5年後=1758~1759年ぐらいか?)の話。ちなみに磐音の母は、妹の伊代ちゃんを妊娠中。お話としては、いよいよ三人が中戸信継先生の神伝一刀流道場に弟子入りした日に起きた出来事が描かれている。さらに、ここでは琴平の家の窮状や、奈緒(4歳!)の「磐音様のお嫁になります」宣言なんかもあって、たれこむ暗雲の気配と後の悲劇への序章的な、なんとも心苦しい部分も感じられて、ちょっとつらい気持ちになったす。
 【第3話:秋紅葉の岬】
 磐音17歳(1762年)の話。豊後15家の大名家が数年に一度、主催する大名家の城下に若侍を集めて「豊後申し合い」というトーナメントをしていて、それに磐音たち三人が関前藩福坂家代表として出場するお話である。この時すでに磐音の剣術家としての基礎というか、ベースがしっかり築かれている様子が語られるけれど、まだ磐音は、これでいいのか、と絶賛悩み中でありました。そしてこの話でも、小林家の窮状は悪化していて、ホント、読んでいて、こりゃあいろいろとマズいなあ……と後の歴史を知るだけに、気の毒な想いがしました。かと言って、磐音はこの時に出来る、おそらくは最善のことをしたわけで、後の悲劇を避けるための分岐点はとうに過ぎていたんだなあ……的なことも感じたお話であった。
 【第4話:寒梅しぐれ】
 磐音22歳(1767年)の話。関前に100年に一度ぐらいの大雪が降った日のこと。そんな雪の中、他の門弟はみんな来れない中、中戸先生の道場にやってきたのは磐音一人。磐音は中戸先生の提案で雪見酒をご相伴するが、その時中戸先生は、いよいよ江戸勤番が決まりかけた磐音に対し、とある極秘ミッションを託すのだった―――的なお話で、この雪見酒の半年後に初めて磐音は中戸先生から「そなたの構えはなにやら春先の縁側で居眠りをしている年寄り猫のようじゃな」といわれたそうです。そしてこの話のラストは、磐音初めての真剣勝負が! 大変面白かったすね。そして、この話で初めて、後の磐音と行動を共にすることが多くなる中居半蔵様が登場して、わたしは興奮しました。この頃からの付き合いだったんですなあ。
 【第5話:悲劇の予感】
 磐音24歳(1769年)で初めて江戸勤番として東上し、佐々木玲圓先生と会い、住み込み弟子となる。そしてそれから1年半後には、関前から慎之輔・琴平も江戸へやって来て合流、住み込みをやめて通い弟子となって、藩政改革の第一歩を踏み出した頃のお話。もうタイトル通り、悲劇の予感ですよ……。
 
 とまあ、こんな5話構成で、なるべく肝心なことは書かなかったつもりだが、とにかく思うのは、磐音というキャラクターは本当に子どものころからよく出来た人間で、すげえや、ということです。そして本書は、そんな磐音が、どうしてそうなったのか、ということも分かるような物語になっている。しかし、一つだけ、タイトルの『奈緒と磐音』が示すような、奈緒との大恋愛エピソードのようなものはなくて、生まれた時からの縁、のようなものだったのがやや心残り……かも。何といっても、奈緒は生まれた時から磐音が大好きで、ずっと一途に惚れぬいている。そして磐音もその想いに応えていた、というような感じで、とりわけきっかけめいたものはなかった。
 でも、だからこそ、のちの悲劇と数奇な運命が残酷に感じられるのかな……。いずれにせよ、磐音は子供のころから凄かったというのがはっきりとわかるお話であり、わたしとしては大変楽しめましたとさ。
 ところで! この『居眠り磐音』と言えば、かつてNHKでドラマ化されていたわけですが(わたしは全然観てませんでしたが)、ついに! 映画化が決定ですよ! しかも磐音を演じるのは、わたしが若手俳優で一番イケメンだと思っている松坂桃李くんです。カッコイイ……けど、どうなんだろう、磐音にあってんのかな……そして他のキャラはどうなのかも気になるし、これは観に行って確かめようと思います。予告によればシリーズ2000万部だそうで、それすなわち、印税は、640円×10%×2000万部=12億8千万円てことですな。すげえなあ! 本当にスゲエや! 


 というわけで、さっさと結論。
 双葉社から文春文庫へ移籍となる『居眠り磐根』シリーズ。物語は完結しているし、現在では磐音の息子、空也くんの新シリーズが展開されているわけだが、移籍&出し直しに合わせて、磐音の子供のころから青年期にかけての書き下ろし新作が発売となった。タイトルは『奈緒と磐音』。二人は大変な悲劇に見舞われ、結ばれることはない、という運命を知っている我々読者としては、幼少期の奈緒と磐音、そして慎之輔や琴平の、懐かしい過去を読むことができたのは大変うれしいことであり、実際大変面白かったと思う。悲劇の裏には、故郷関前藩内部の権力闘争があったわけだが、ま、ズバリ言うと藩主である福坂実高が無能だったわけで、のちに奥さんの反乱(というべき?)も出来して、ホントダメな殿様だと思うな……。しかし、かつての親友との日々を読むと、ホントに『磐音』1巻の悲劇が悲しいすね……なんか、また51冊、読み返したくなりますな。文春版を買い直す気はまったくありませんが。以上。

↓ 文春の「決定版」とやらは来月発売です。


 はーーー……やっぱ面白いすなあ……
 というのは、今朝読み終わった小説の感想である。そうです。わたしがずっと読み続けてきた『居眠り磐音』シリーズの続編ともいうべき『空也十番勝負』最新刊が発売になったので、すぐさま買って読み始め、もったいないからちょっとずつ……とか思ってたのに、上下巻を3日で読み終わってしまったのでありました。たまには書影を載せとくか。こちらであります。
kuuya05


 というわけで、もはやこのBlogでも散々書いてきたので詳しい説明はしないが、本作『空也十番勝負 青春篇 未だ行ならず<上><下>』は、磐音の息子、坂崎空也くんの武者修行の旅を追ったもので、今回は5作目となるわけだが……上記に貼りつけた写真の帯に書かれている通り、「完結編」と銘打たれている。なので、わたしはその「完結」という文字を見た時、おいおい、十番勝負なのに、5番勝負で終わりなの? うそでしょ!? うそって言ってください佐伯先生! ぐらいわたしは大きなショックを受けた。
 この「完結」ということに関しては、ズバリ言うと<下巻>のあとがきに佐伯先生自身の言葉で理由が明確に記されているので、まあそちらを読んでいただければと思う。ただし、本編を読み終わった後に読んだ方がいいと思いますよ。そして、せっかちな方に申し上げておくと、あくまで「青春篇」の完結であって、空也の旅はまだ続くものと思われますので、ご安心いただければと思う。つうかわたしが安心しました。
 さてと。物語としては、前作の続きで、平戸から長崎へ向かい、五島で出会った長崎会所の高木麻衣ちゃん、そして対馬で出会った長崎奉行所の鵜飼寅吉くんと再会し、長崎に結構長く逗留することになるのだが、その逗留期間で空也くんが出会った人や出来事、そして当然、空也くんを狙う東郷示現流の酒匂一門との対決へ、という流れで締めくくられる。まあ、それはもう、シリーズを読んできた人なら誰でも想像がつくことですな。そしてもちろん、愛しの眉月ちゃんとの再会もあるし、一方そのころ江戸では、という部分も丹念に描かれ、薬丸新蔵くんのその後も描かれるのだが、まあとにかく、今回は上下巻ということで、様々な出来事が起こり、非常に読みごたえのある物語だったと思う。
 今回は物語の流れについて記すのはやめにして、本作を読んで、わたしの心に残った出来事について、箇条書きでまとめておこうと思う。書いていく順番は、物語の流れとは一致しません。単に思いついた順に記します。
 ◆福岡藩士・松平辰平はさすが空也の兄弟子ですよ!
 空也くんが長崎へ到着し、長崎には福岡黒田家と佐賀鍋島家が長崎警護のために詰めている、ということを知って、わたしとしては当然、かつて自らも武者修行の旅に出て、途中で磐音一統に合流した佐々木道場の弟子、松平辰平くんが登場するものかと思っていた。辰平くんは、博多のとあるお嬢さんと恋に落ちて、黒田家に仕官して福岡住まいとなったのに、『磐音』シリーズのラストで磐音たちが九州にいた時は入れ違いで江戸に赴任していたため、空也くんの旅立ちには立ち会えなかったのがわたしはとても残念に思っていたのだが……いよいよ長崎で会えるか!? と期待したわたしの考えは、まったくもって甘すぎたのであります。どういうことかというと、ズバリ、会いたい、けど会えない、けどやっぱり会いたい……という思いの詰まった「ぶ厚い」手紙だけを託して、辰平くんは空也に会いに来なかったのです。それは、空也が物見遊山で長崎にいるわけではなく、武者修行の身であり、そんな旧交を温めてる場合じゃねえ、と思うからなわけです。さすが辰平、こういう点が、空也にとっては尊敬する兄弟子なわけですよ。あれっすね、これが利次郎だったら、きっと普通に会いに来てるでしょうな。そして辰平の手紙に書かれていた「初心を忘れるな」が空也くんの胸にも響くわけです。真面目な朴念仁だった辰平らしいと、わたしはとてもグッと来たっすね。
 ◆狂剣士ラインハルトとの死闘は意外と(?)大事だった。
 前々巻で闘ったラインハルトは、長崎会所と長崎奉行所のおたずね者で、空也くんは見事勝利したわけだが、そのことは結構大きなことだったようで、空也くんは長崎の様々な場所で、あのラインハルトを倒した男か、と歓迎を受けることになる。中でも印象的だったのは、出島の阿蘭陀商館からも大歓迎を受けて、オランダ製(?)の短刀を頂くことに。この時、空也くんは麻衣ちゃんが用意した南蛮衣装を着せられていて、その情景が非常にわたしの脳裏に印象に残ったすね。ちなみにその衣装と短刀は、江戸へ向かった眉月ちゃんに託され、磐音やおこんさんのもとに届けられました。この、眉月ちゃんと磐音たちの対面も、とても良かったすね。そうなのです。今回、とうとう眉月ちゃんは江戸へ戻ることを決意し、まずは長崎へ行って空也くんと再会したのち、眉も長崎に残りとうございます、的な泣かせることを言いながら、江戸へ先に向かったのです。超積極的な眉月ちゃんと空也くんが江戸で再会できるのはいつの日でありましょうなあ……その日が楽しみですなあ……。
 ◆長崎と言えば……奈緒どのの悲劇のスタート地点でしたなあ。
 作中時間で20数年前、身売りした奈緒が最初に連れていかれた場所であり、そして、その後を追って若き磐音が、医者の中川順庵先生とともにやってきた地でもあるわけです。しかし奈緒の超絶美人ぶりに、こりゃあ長崎じゃもったいない、江戸の吉原へ、とすぐに連れていかれ、長崎には数日しかいなかった奈緒。そして入れ違いに会えなかった磐音。そして磐音は、奈緒が描いた絵と句を見て運命の残酷さを知った若き日。今回、そのかつての悲恋がちょっとだけ触れられ、そんなことは全く知らなかった空也くんは初めて父の若き日のことを知るわけです。このエピソードは、今回折に触れて語られ、わたしとしては非常に時の移ろいを感慨深く思ったし、空也の心のうちにも、非常に大きなものを残したようですな。大変結構なことかと存じます。
 ◆武左衛門、お前って奴は本当に……。
 今回、江戸パートでは、新蔵が新たに自分の道場をたてることになるけれど、江戸の人間からすると新蔵の道場は土間で稽古も裸足という点で、ちょっとアレだなあ、と全然弟子希望者が集まらないような状況に。そこで武左衛門が、かわら版屋にテキトーで盛りに盛った話をして、そのおかげで弟子殺到、みたいな展開となるのだが……ホントに武左衛門よ、お前って奴は……まあ、ある意味今回は結果オーライだけど、わたしはこの男を『居眠り』シリーズの時からどうしても好きになれないす。こういう奴って、ホント、いるんだよなあ……いつの時代も……。
 ◆憎しみの連鎖は、一体どうすれば……酒匂家の運命は……。
 空也くんと新蔵には非はないとしても、憎しみや恨みというものは理屈ではないわけで、今回も当然、酒匂一派に狙われているわけだが、本当にどうしようもないことなんだろうか……。
 酒匂家当主:空也1番勝負で敗北。尋常な勝負であるときちんと理解していた。
 長男:謎に包まれた酒匂家最強剣士。今回とうとう登場。結果は本編を読んでください。
 次男:江戸在府の剣士。今回、新蔵に挑む! 結果は本編を読んでください。
 三男:兄弟で一番体がデカイ剣士。空也2番勝負で敗北したが、空也に一太刀浴びせ重傷を負わす。
 しかしまあ、なんというか、死をもってしか決着できないというのは、現代人としてはとても悲しく、つらいすね……。剣術は、どうしても「人殺しの技術」に過ぎないんすかねえ……だとすれば、それを極めようとするってのは、非情に尽きるのかなあ……。
 今回の空也くんは、端的に言えば「武者修行」ってなんなんだ? という壁に突き当たることになる。折しも時代は銃や大砲が実用化され、武力としての「剣術」も、形骸化しつつある世の中だ。そんな時代に「剣の道」を征こうとする空也くん。おまけに言うと、空也くんは、武者修行と言いながらも、相当な超リア充でもあって、行く先々で人々の好意に助けられ、お互い愛しあう人もいて、さらに今回の長崎では、そのリア充ぶりは拍車がかかっているようにも思える。カステイラを食して喜んでる場合じゃないだろうにね。
 こんなリア充の空也くんが、いかんいかん、こんなんじゃダメだ、と思うのは、自らが命を狙われているからであって、逆に言うと、酒匂一派との因縁がなければ、果たして空也くんは厳しい「武者修行」を続けることが出来たのだろうか、という気すらしてくる。空也くんは、当然のことながら無用な戦いはしたくない、けれど、命を狙われている状況だからこそ、武者修行にも魂がこもる、とも思えるわけで、わたしは今回の空也くんの悩み?に対して、実に皮肉だなあ……と感じたのでありました。まあ、その皮肉な運命にケリをつけようと、空也くんは今回長崎へ来たとも言えるわけだが……この後どうするのか、続きがとても楽しみですなあ!
 ◆「捨ててこそ」とは?
 この言葉は、武者修行を行う空也くんが一番心に留めているものだ。「捨ててこそ」。超リア充である空也くんには、いろんな「捨てたくない」ものがあるはずで、眉月ちゃんへの愛、そして偉大なる父に感じる無意識のプレッシャーなど、背負っているものがいっぱいある青年だ。決して、失うものなど何もない、ような状況ではない。そんな空也くんが思う「捨ててこそ」とは、一体いかなるものか。これが、わたしが思う本作の最大のポイントである。本作を読んで、わたしはまだ空也くんが悩みまくっているように思えたし、そりゃ当たり前だとも思っている。だからこそ、本作はタイトルが「未だ行ならず」なわけだしね。
 空也くんは、高野山の奥で生まれたことから、大師様=空海からその名を「空也」と名付けられたわけだけど、「くうなり」とも読めるのがわたしとしては大変興味深い。仏教でいう「空(くう)」。この概念をわたしは理解しているとは言い難いし、大学時代、「空」について卒論を書いた哲学科の友達の受け売り程度の知識しかないわたしだが……別に全てを捨て去ることが「空」ではないと思うのだが……空也くんの考える「捨ててこそ」は、若干、命すら投げ捨てる方向のようにも感じられて、かなり心配である。まあ、それが正しい解釈なのかどうか分からないけど……難しいというか、まだわたしにはわからんすね……。とにかく思うのは、空也よ、お前は絶対に、生きて江戸に戻らないとダメなんだぞ! という親心のようなものです。きっとそれは、この作品を読んでいる人全員が思ってることだと思います。

 というわけで、もう長いしまとまらないので結論。
 シリーズ5作目にして最新作『空也十番勝負 青春篇 未だ行ならず<上><下>』が発売になったのでさっそく買って読んだところ、やっぱおもしれえなあ、というのが第一の感想でありました。そして主人公・坂崎空也くんの5番勝負が終わったところで、作者の佐伯泰英先生のあとがきによれば、次作の刊行はちょっと時間が空くらしいことが判明した。「青春篇」はこれにて完結だそうで、続く「再起篇」を期待したいですな。しかしなんつうか、わたしとしては長崎会所の高木麻衣さんが大変気に入っております。間違いなく美人でしょうな。空也くんはホントにリア充だなあ……。リア充で武者修行が出来るのかはともかく、ホントにマジで! 生きて江戸へ戻って来るのだぞ! そして眉月ちゃんの愛に応えるがいい! その日を楽しみにしたいと存じます! 以上。 


↓ なんと!『居眠り磐音』は文春文庫から出し直し&双葉文庫版は絶版になるらしく(?)、その新装版刊行に合わせて、こちらの描き下ろし新作も発売になるそうです。マジかよ……文春め……!

 恒川光太郎氏は、わたしが思うに、わたしが大好きなStephen King大先生に、日本の作家で最も近いテイストの作品を描く作家の一人、のような気がしている。その著作の全てを読んでいるわけではないけれど、新作が出ると、かなり気になるお気に入り作家の一人だ。
 というわけで、先日、わたしの愛用する電子書籍販売サイトBOOK☆WALKERにて、コイン還元率の高いフェアを実施してる時に、なんか面白そうな作品はねえかなあ、と渉猟していたところ、おっと、これはこの前単行本で本屋さんに並んでた作品だな、よし、じゃあ、読もう! と買ったのが、恒川先生の新作『滅びの園』という作品である。新作と言っても、2018年5月発売だから、もう半年近く前か、出版されたのは。
滅びの園 (幽BOOKS)
恒川 光太郎
KADOKAWA
2018-05-31

 わたしは読み始めて、何故かすぐに、この話、オレ、読んだことがある、と妙な感覚にとらわれた。その理由は実はいまだに謎なのだが、推測するに、どうもわたしは刊行されてすぐのころに、試し読みかなにかで最初の部分を読んでいたのだと思う。完璧忘れてたけど、それしか考えられない。そして、その時なぜすぐに買って読まなかったのか、その理由も全く記憶にない。もう病気かもしんねーな……この異常な記憶力の低下は。
 まあ、そんなわたしの若年性ボケはどうでもいいとして、物語はというと、結論から言うなら、大変面白かった。つうかむしろ、超面白かった! と絶賛したいぐらいだ。おまけに結構感動作でもある。そして、物語が提示するある種の「究極の選択」に、わたしは非常に心が痛くなったのである。なんつうか……つらいというか……まあ、この世のあらゆるものに関して、ほぼ興味を失いつつあるわたしとしては、どちらかというと主人公サイドの気持ちの方が心地よいというか、理解できてしまうように思うけれど、でもなあ……うーん……。と、読み終わっていろいろ考えてしまうわけで、読者に強烈な問いかけをする物語だということは言えるように思う。
 まずは、物語の構成をメモしておこう。本作は、6つの章からなっているのだが、そのページ分量は結構バラバラで、次のような構成になっている。なお、ページ分量はわたしが読んでいた電子書籍の書式によるもので、紙の単行本とは全然一致しないと思います。
 第1章 春の夜風の町:60ページ分
 第2章 滅びの丘を越えるものたち 80ページ分
 第3章 犬橇の魔法使い 12ページ分
 第4章 突入者 57ページ分
 第5章 空を見上げ、祝杯をあげよう。 13ページ分
 第6章 空から落ちてきた男 33ページ分
 とまあ、こんな感じなので、かなりバラバラでしょ、分量的に。どうやら本作は、元々は第1章、第2章、それから第4章と比較的長い3つはKADOKAWAから出版されている『幽』という雑誌に掲載されたものらしい(※『幽』が定期誌なのかムックなのか分からんす)。そして短い第3章及び第5、第6章が書き下ろしだそうだ。うーん、ひょっとしたら『幽』掲載時に第1話だけ読んだのかもな……。ともあれ、物語は、ある意味短編連作風でもあって、各章で登場人物が違い、全体の大きな世界観を描いた構成となっている。それでは、各章ごとの内容を、ごく簡単にまとめておこう。
 以下は、完全に核心的なネタバレに触れる可能性が高いので、ネタバレが困る方は以下は一切読み進めず、今すぐ退場していただきたい。ネタバレなしに感想は書けないので。
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 ◆第1章:春の夜風の町
 冒頭は外回り営業に心身ともに疲れ切った主人公の様子が描かれる。名前は鈴上誠一。彼は、ほんの些細なきっかけで、ふと電車を降りて、駅の外へ。するとそこは、見たことのない土地で、住民とも微妙に話が噛み合わない。自分がどうしてここで降りたのか、ここはどこなのか、そんなこともわからずぼんやりしていると、電車にかばんを置き忘れたことに「あっ」と気付く。しかし、勤める会社は完全ブラック企業で、ああ、どうしよう、これはまたこっぴどく罵倒される……なんてことを思った時、誠一は、「もういいや」と頭の中で糸が切れ、「このままどこかに消えてしまいたい」と思うに至る。そしてとぼとぼと町を散策すると、そこは誠一にとって妙に居心地がよく、いろいろな「?」がありつつも、住民たちに溶け込み、そこで生活を始めるのだがーーてなお話で、誠一の感覚では6年が過ぎてゆき、その間、誠一はすっかりその謎世界の一員として生活し、友達も出来て、さらには結婚、そして子供までできる。ちなみにわたしは、ま、まさかこの世界は恒川先生の『スタープレイヤー』のあの世界なのか!? とドキドキしたけど、全然そんなことはなく、単にわたしの先走り妄想でした。
 で、幸せが誠一を包み、何の不満もなかったのだが、この謎世界には「魔物」なる存在がたまに出現し、それを住民たちが協力して退治していた。そしてある日、「人間型の魔物」が誠一の前に現れ、驚愕の事実を誠一に告げるのだった――という展開となる。
 まあ、ズバリ言うと、この謎世界の秘密、というか事実、は、明確に説明される。なんでも、地球上空に「未知なるもの」なる謎の存在がやってきて、そこから地表に「プーニー」と名付けられた、白くてスライム上の謎生命体が蔓延し、人類は滅亡の危機にあると。そして主人公の鈴上誠一は、理由は不明だけど、「未知なるもの」のコア(核)に取り込まれていることが観測の結果判明したらしい。そして誠一の前に現れた「人間型の魔物」は、誠一に、核の破壊を依頼しに来たというのだが……その正体はーーというラストに至る。
 問題は、そこで誠一が下した決断はーーということになるのだが、おそらくわたしも、誠一同様の選択をしただろうな、と思う。ま、だからこそ面白いと思ったし心に響いたわけですが、「現状の自分の幸福」を取るか、「将来の人類の幸福」を取るか、そしてこれは両方を同時に選べるものではなく、どちらかを選べば、一方は破棄されるという、サンデル教授的な「強制的な二者択一」である。
 わたしは「どちらがより善」なのか、というよくある哲学問答には、実際のところほぼ興味がない。いわゆる強制的な二者択一、という状況はほとんどが机上の空論であるし、第3の選択、第4の選択、第5の選択、そういった可能性を探るべきだと思うからだ。
 たしかに、ある程度普遍的な「善」なるものが存在するのは間違いなかろうと思う。しかし、その普遍的な善なるものが、自分自身の犠牲を強いるものであった時、それに背を向け、自らの幸福を求めて何が悪いというのだろう。わたしが誠一の立場だったら、まず間違いなく、誠一と同じ選択をしただろうと思うし、それをけしからんと思う人がいるとしたら、その人のことはとても信用する気になれないすね。嘘くさいすよ、自分が犠牲になることを強いるなんて。
 そりゃもちろん、犠牲の程度にもよるだろうし、かかっているものへの愛着?にもよるだろうと思う。わたしだって、今わたしが命を投げ出さねば、愛する者が死ぬ、とかいう状況で、どんなに考えても万策尽きたなら、そりゃもう、命をなげうつのにためらうことはないだろう。でも、誠一の状況はそうじゃあない。なにしろ、誠一は、完全にかつての人類生活を嫌悪し、何の未練もないのだから。要するに誠一にとって、もはや人類は救う価値がないのだ。そこにわたしは、妙に共感してしまったわけで、これは普通の読者なら、誠一の決断は断じて認められないのかもしれないな……という気もする。でも、残念ながらわたしには、人類に救う価値があるとはあまり思えないでいる。誠一ほど、まだ精神がイッちゃってないという自覚はあるけど、ま、実際、ほぼ何の未練らしきものはないすね。こんな感じで、第1章は「選択」を行った誠一の物語が語られて終わる。
 ◆第2章:滅びの丘を越えるものたち
 で、第2章である。今度は、「未知なるもの」がいかにして地球に襲来し、「プーニー」がどのように地球上で増殖していったのか、が「私」の目を通じて語られることになる。ここで事件を物語る「私」は、初登場時中学1年生の女子、相川聖子さんだ。ここでの物語でポイントとなるのは、「プーニ―」への耐性が人によって違っていて、弱い人はもう近づくだけで感染(?)し、自らもプーニ―に同化して死んでしまうのに対し、強い耐性を持つ人もいて、その耐性が検査によって数値化されているという点だろう。耐性100以上がAランク(※最弱のランクDが耐性0~10。100以上というのはかなり数値的に大きい)という中で、相川さんの耐性はなんと400越え。この数値だと、相当なプーニ―に囲まれても平気なレベルであるため、世がプーニ―に溢れ、対プーニ―処理班が結成されると、相川さんは中学生ながらスカウトされ、プーニ―処理の仕事を行っていくことになる。
 そしてこの第2章で描かれるのは、やっぱり人間の醜さ、と言ってもいいだろう。耐性の強い人への嫉妬が世を覆っていくのだ。しかもあからさまではなく、裏でコソコソと、である点がホント嫌になる。相川さんはその嫉妬の対象になっても、あまり動じないメンタルで、実に性格付けが面白い。これは相川さんの中1~成人過ぎまでの時間軸で描かれているのだが、相川さんの言動はかなりぶっきらぼうというか、どうも、あまり執着を持たない人物のようだ。ただし、あくまで「あまり」であって、「全然」ではないのもポイントで、ある意味人間らしいとも思える。
 そしてこの第2章では、プーニ―への耐性の強い人間には、プーニ―を操る能力が発現する可能性も描かれていて、相川さんは救助作業中に、とある「プーニ―使い」の男と出会う。その男、野夏 施(のなつ めぐる)は、相川さんよりもさらに強い、耐性500レベルだったのだが、自分の能力が発現したばかりの頃は、プーニ―の操作をミスって、何十人もの死者を出してしまったのだとか。それゆえ、野夏の存在が世に知られると、世論は「けしからん! 人殺しじゃないか!」と糾弾する人々と、「素晴らしい! せひその力でプーニ―を処理してくれ!」と救世主的に持ち上げる人とに分かれてゆく。なんか、すげえありそうな話ですよ、これは。そして第2章は、野夏の身に起きた事件で幕が下ろされるのだが、まあ、なんつうか、読んでいて実に残念に思ったし、やっぱり人類は救う価値なんてねえんじゃねえかなあ……と軽い絶望を禁じ得なかったす。
 ◆第3章:犬橇の魔法使い
 この章はとても短く、ある意味で幕間的なものだ。ここで描かれるのは、第1章の後の謎世界での誠一の様子で、さらに、第2章の野夏が謎世界にやってきて、誠一と知り合う様子が描かれる。
 ◆第4章:突入者
 この章では、再び地球上の話だ。人類の研究によって、「未知なるもの」がどうやら別の次元に属していて(それゆえ謎世界の誠一の感じる時間の流れと地球の時間はまったく違っていて、誠一は6年と感じていたが地球では20数年時が経っている設定)、「未知なるもの」の観測が進み、最初はモノを、そして次の段階ではヒトを「未知なるもの」へ送ることが可能となる。そして、その次元なんとか装置で送り込まれた人を地球では「突入者」と呼び、完全片道切符だけど人類の英雄として称賛されていることが語られる。そしてプーニ―耐性が強い突入者ほど、自らの姿を保ったまま謎世界で存在できるようで(耐性値が低いと謎世界では人間の形状ではなくなる)、第1章で誠一の前に現れた「人間型の魔物」こそ、人類が送り込んだ「突入者」であることが明らかになる。
 で、この第4章でのメインは、耐性500オーバーの大鹿理剣(おおしか りけん)という少年が突入者となって送り込まれるまでのお話だ。しかし……なんつうか、ここでも、嫌になるぐらい人間の醜さが描かれてゆく。耐性値の高い人間への嫉妬、あるいはクソ野郎の父親など、とにかくまともな人間の方が少ないぐらいの印象だ。そしてこの章のラストで、理剣は突入者となって派遣され、そのままの姿で謎世界で再構成され、さあ、夢の世界をぶっ壊すか! というところで終わる。
 ◆第5章:空を見上げ、祝杯をあげよう。
 この章は再び相川さん視点で、「未知なるもの」が崩壊し、地球が救われるまでの模様が描かれる。
 ◆第6章:空から落ちてきた男
 最後の章は、エピローグ的な物語だ。ここでは、「未知なるもの」崩壊後、空から落ちてきた第1章の主人公、誠一のその後が描かれる。そして誠一視点での、魔物=突入者との最終決戦も語られるのだが、何とも実に悲しいお話であった。しかし、世論としては、またしても「誠一は被害者で、責められるべきではない」とする意見と、「事件の元凶だ、許すまじ!」という意見に分かれるという様相を呈してしまう。
 誠一はラスト近くで、人類を「下劣で醜い生物」と断じる。ま、実際のところ、今の人類は、ごく少数の声のデカい奴が世論を動かし、自分に甘く他人に厳しい連中が常に人を貶めようと隙を狙って攻撃してくるし、闘争に明け暮れ、殺し合いに余念がないわけだから、わたしも、主人公による「人類=下劣で醜い存在」だという断罪にはかなり同意したいようにも思う。
 しかし、そうはいっても、自らもその人類の一員であることは間違いなく、さらに言えば幸福が何らかの「犠牲」のもとにある、とか言われたら、うーん……やっぱりその犠牲に対して、そんなの知るかとほっとくことも出来そうにないだろうな……。なので、どうしてもわたしは誠一サイドに共感してしまう一方で、相川さんや野夏、理剣の行動も十分理解できるし、彼らを善悪の強制的な二者択一で評価したいとは全然思わない。
 おそらく、わたしがこの物語を面白いと思ったのは、実のところキャラクターたちの言動というよりも、キャラクターたちそれぞれが「納得」をして行動しているその姿そのものにあるのではないか、という気がする。もちろん彼らも葛藤する。しかしその葛藤は、「納得」をへて行動に移ってゆくわけで、そこには極限状態であっても、強制されない自由な人間の心があって、その点にわたしはグッと来てしまったのではなかろうか。
 なんつうか、描かれている事件そのものは完全ファンタジーだけれど、一方で描かれる人間の心情は極めてリアルで、そういう点でも、やっぱり恒川先生はKing大先生に通じるようなものがあるように思えますな。いやはや、大変楽しい読書時間を過ごせました。ズバリこの作品は、オススメであります!

 というわけで、なんか同じようなことばかり書いてるしクソ長いので結論。
 わたしのお気に入りの作家の一人である、恒川光太郎先生の新作『滅びの園』を読んでみたところ、実に興味深く、非常に考えさせる物語で、わたしとしては実に面白かったと絶賛したい気分であります。まあ、映画だとこういった「人類共通の敵」のようなものに対して、国家を超えて人類が団結する、みたいな話や設定が多いけれど、わたしはひそかに、そんなことにならないだろうな、と思っている。常に利害が対立して、意志がまとまることなんかないのではなかろうか。もちろん、それが悪いと言いたいのではなくて、まとまることはなくても、どういうわけか、全体としてみると、よりよい善にいつの間にか向かっている、という作用が人類には働くような気がしますな。無責任に言うと、なるようになる、ということかな。いや、そうじゃないな、なるようになっても、何とかなる、というべきか。つまり、どんな状況に陥っても、意外と受け入れられちゃう、あるいは慣れてしまう、ということで、そこに至るまでにはおそらく厳しい選択によって弾かれる人も多いだろうけど、まあ、それが淘汰ってやつで、適者生存なんでしょうかね。何が言いたいかもうさっぱりわからなくなってきたので、以上。

↓ そういやこれも読んでないな……と思いきや、これは双葉社から出ていた作品『金色の獣、彼方に向かう』を改題して」出し直したものだそうです。なーんだ。
異神千夜 (角川文庫)
恒川 光太郎
KADOKAWA
2018-05-25

 現在、劇場公開されている映画『検察側の罪人』。

 3週終わった時点で19億強の興行収入となっているそうで、なかなかのヒットで大変喜ばしいことだが、わたしも、上記の予告を観て、これは観たいかも、とは思っていたものの、監督がわたしの好みではない方なので、まあ、これはWOWOWで放送されるのを待つか……とあっさり見送ることにした。のだが、そうだ、じゃあ、原作小説を読んでみよう、という気になった。
 そして読み終わった今、改めて上記予告を観ると、これはちょっと、ひょっとしたら原作とはそれなりに違うところがあるのかもな……という気がする。ま、その予感が正しいのかどうかは観てみないと分からんので、1年後ぐらいにWOWOWで放送されるのを楽しみにしようと思う。
 というわけで、本稿はあくまで原作小説についての感想だ。大変申し訳ないが、核心に迫るネタバレに触れないと語れそうにないので、ネタバレが困る方はここらで退場してください。ネタバレなしでは無理っす。※追記:さっき映画を観た人と話したら、どうやら映画と小説はかなり結末部分が違うみたいすね。なので、小説のネタバレが困る方は以下は読まない方がいいと思います。
検察側の罪人 上 (文春文庫)
雫井 脩介
文藝春秋
2017-02-10

検察側の罪人 下 (文春文庫)
雫井 脩介
文藝春秋
2017-02-10

 物語としては、極めてまっすぐに進むので、妙な謎解きとか読者をだまそうとするような著者の小手先の惑わしのようなものは一切なく、サクサクと展開していく。非常に心地いい、と言ってもいいと思う。ただし、描かれている内容自体は、全くもって心地よくない。実に重く、苦しいお話だ。
 ごく簡単に物語をまとめると、蒲田で老夫婦が刺殺される事件が起こる。その背景には金の貸し借りがあって、どうやらアヤシイ容疑者は何人かいる模様だ。そして警察及び検察はアヤシイ奴らのアリバイを洗って、容疑者を絞っていくわけだが、その中に一人、23年前に根津の女子中学生殺人事件で容疑者となっていた男、松倉がいた。そしてその根津の事件は、主人公の一人である現在の東京地検検事、最上が学生時代に住んでいた学生寮のお嬢さんであり、最上自身も仲の良かった女の子が殺された事件で、すでに時効が成立していた。蒲田の事件捜査が進む中、松倉は激しい取り調べによって、確かに23年前の事件は自分がやったと自供、だが蒲田の事件は全く無関係だと主張し、否認する。そして捜査が進むと、蒲田の事件には別の真犯人がいることが判明するが、最上はその証拠を握りつぶし、真犯人を自らの手で処刑し、時効で逃れた23年前の事件を償わせるために、松倉を蒲田の事件の犯人として起訴するのだがーーーてなお話である。
 こうまとめると、かなりトンデモ系というか、相当無理やりなお話のように聞こえるかもしれないが、無責任な読者であるわたしは、読みながら最上に共感しつつ、果たして物語はどのような結末に至るのだろうか、とドキドキしながらページをめくる手が止まらない状態であった。
 もうちょっとうまくやれたんじゃね? とも思う。しかし実際無理だろ、と思ってしまうし、最上の行動が正しいのかと問われれば、そりゃあもう、純然たる「犯罪」に他ならない。じゃあ、なんかいい手はなかったのか? と思っても、はっきり言って皆目見当がつかない。もし自分が最上だったら……と考えると、おそらく登場人物の中で最もブレない、最上の行動は、わたしとしては本作の中で最も筋が通っていたように思う。人殺しには違いないのだが……。
 一方で、最上と対峙する若き検事、沖野に関しては、わたしはやっぱり共感できなかった。おそらくは、沖野が最も法に忠実で正しいのだということは認めるしかないだろう。ある意味、沖野の言動や沖野の感じる法感覚は最も「あるべき正義」であったとは思う。でもやっぱり、もはや50に近い、25年以上仕事をしている人間から見ると、ガキは引っ込んでろ! と思ってしまうのも正直な感想だ。ズバリ言ってしまえば、あらゆる経験が足りていないアラサーぐらいのガキにとやかく言われることは、我々アラフィフ世代には一番腹が立つことだ。最上がラストに言う言葉、「君には悪いことをした。君のような将来ある人間を検察から去らせてしまった。そのつもりはなかったが、結果としてそうさせてしまった。それだけが痛恨の極みだ。ほかには何も悔いることはない。俺はそれだけだ」というセリフは、沖野のような若造に対する明確な拒絶であり、「ガキは引っ込んでろ」という別れの言葉に他ならないと思う。沖野がその後、どうなるかは知らないが、絶望しただろうし、それをわたしは、ある意味でざまあ、と思いつつ、妙にすっきりした気持ちで本書を読み終えることができたように思う。
 というわけで、最上と沖野に対して感じるものは、きっともう読者の数だけ違うものがあると思うし、わたしの抱いた思いが相当ズレていて、若造どもからすれば老害と言われるかもしれないという自覚はあるものの、わたしも最上のように、分かってもらおうとは全く思わないし、自らの納得のもとに行動した最上の方に、より共感してしまう事実も否定したくないと思う。要するに、大変面白かった、というのがわたしの感想だ。
 それでは主なキャラをちょっとだけ紹介して終わりにしよう。
 ◆最上毅:主人公。東京地検の検事。40代後半か。恐らくわたしと同世代。経験豊富なベテラン検事。最上がどうして人殺しを実行しようとしてしまったのか、に関してはかなり丁寧に描写されており、わたしとしてはすっかり共感してしまった。なので、これはもうどうしようもなかったと思えてしまう。が、少し穴がありすぎだっただろうな……薬莢、ワゴン車……この二つに関して無頓着すぎたんだろうな……たぶん、ちゃんと薬莢を回収して、車も別の方法で何とかしていれば、最上の計画は完遂できたと思う。でも、まあ、無理だったかな……。なお、映画版で演じたのは木村拓哉氏。これは相当カッコイイだろうなと想像できますな。読みながらわたしの脳内ではずっと拓哉氏のイメージそのものでした。
 ◆沖野啓一郎:もう一人の主人公。30前か、30チョイ過ぎか?ぐらいの前途ある賢い若者。賢すぎたし、まっすぐすぎたんだろうな……。わたしがコイツに対して一番許せないのは、自らの事務官の女子(もちろん美人)とデキちゃうのはアウトだと思う。それはお前、やっちゃあいけねえことだぜ? 双方合意の元とはいっても、現職で検事と事務官がデキちゃうのは凄い違和感があった。この部分はいらなかったような……。また、捜査の当事者であったのに、退職したからと言って弁護側に回るのも、まあ、そりゃあマズいだろうと思う。個人情報保護的に何らかの犯罪行為なんじゃなかろうか? 大丈夫なのかな? また信頼という点においても、その後弁護士となったとしても、誰も信頼しないのではなかろうか。コイツの将来に幸があるとは思えないなあ……一生、後悔することになっちゃうんじゃないかしら……。そういう、自らの行動への筋の通った確固たる決意のようなものが感じられなかったのが、若干残念かも。映画版で演じたのはジャニーズ演技王の一人、二宮和也氏。二宮氏の演技は本当に上手なので、さぞや沖野役にぴったりだったでしょうな。
 ◆松倉:23年前、根津で中学生を強姦して殺したクソ野郎。確かにコイツは蒲田の事件はやっていなかったのだが、いっちばんラストでのこのクソ野郎の真実の姿は、沖野を絶望させるに十分であったでしょうな。時効ってのは、残酷ですよ……。しかし、最上の中に、蒲田の真犯人を普通に逮捕して死刑求刑し、一方で根津の事件を自白した松倉をぶっ殺す、という選択はなかったのだろうか? アホな一般人のわたしは、そういう手も考えてしまうけど、それだと違う、ってことなんでしょうな、検事としては。難しいですのう……。でも、このクソ野郎松倉がのうのうと生きていける世の中は、やっぱりなんか間違ってるとしか思えなかったすね。※コイツの最期は映画版と小説では全然違うようです。映画版のエンディングを聞いて、そりゃあ、ざまあ! だなと思ってしまった……。
 ◆諏訪部:闇社会の調達屋。物は売っても人は売らない、という明確なポリシーを持った、実際悪い人。ただし、本作の中では最上に次いでカッコ良かったと思う。最初と真ん中と最後に、物語を締めるように登場して、登場シーンは少ないのにやけに存在感あるキャラでした。どうやら映画版では松重豊氏が演じたようですな。これもイメージぴったりですよ。※聞いた話によると、どうやら映画ではラストにとある行動を取るみたいですが、それは小説には一切ないです。
 ◆橘沙穂:沖野付きの事務官。沖野よりちょっと年下。美人で冷静沈着で有能。諏訪部からも気に入られるほどの度胸もある完璧美女。ま、はっきり言って沖野にはもったいないすね。きっと、完璧女子からすると沖野の危なっかしさは、母性本能をくすぐっちゃったのだろう、と思うことにします。
 ◆最上の学生時代の仲間たち:丹野は、弁護士から国会議員になった男で、義父の大物代議士の身代わりになって自殺。その死への決意が、最上に影響することに……。前川は細々と自分の法律事務所を経営する弁護士でイイ人。水野はちょっと先輩で、法曹界に進まず根津の事件をずっと追いかけるジャーナリストに。そして小池は出番は少ないけど、企業法務の大手法律事務所に勤務する弁護士。まあ、彼らがきっと最上の味方として動いてくれるから、最上が娑婆に出られるのもそう先ではないんじゃないかしら。
 ◆松倉弁護団:小田島は国選弁護人として、ズバリ言えば松倉の無罪をまったく信じてなかったしがない弁護士。しかし沖野の勢いに負けて、渋々事件を捜査する。ただし決して悪い奴ではなくむしろ人のいい野郎。そして白川という弁護士が出てくるのだが、こいつがまたなかなかのクソ野郎で、人権派・冤罪無罪職人と世間的に知られる有名弁護士。コイツは、松倉が犯人だろうと無罪だろうと、本心ではどうでもよく、単純に裁判に勝てればいいと思っている。そして裁判に勝つ=死刑判決を避けることで、無期になれば勝ちだと思っている。非常にいやーな野郎。どうやら映画版では、この白川弁護士を演じたのは山崎努氏のようですが。読んでるときはもっと若いイメージだったけど、どうなんでしょう。

 とまあこんなところかな。なんつうか、イカン、マジで映画版が観たくなってきたすね! どうしようかな……うーーん……やっぱり、監督がちょっと苦手な人なので、やめとくかな……。物語もちょっと小説と違うようだし。WOWOWで放送されるのを待とうという結論は変えないでおこうと思います。そして、やっぱ劇場に行くべきだった、と1年後ぐらいにWOWOWで観て、後悔すればいいや。

 というわけで、結論。
 わたしは映画が大好きで、その映画に原作があるなら読んでおこうと思うことが多いのだが、映画は観ないけど、原作を読もうと思うことも、結構頻繁にある。そして現在公開中の『検察側の罪人』という作品についても、予告の出来がとても良くて、これは観ようかしら、と思ったものの、監督の前作『関ケ原』が予告は最高に面白そうだったのに、わたしとして相当ひどい映画だとしか思えなかった前歴があるので、今回の映画版は観ず、原作小説を読んでみることにした。結論から言うと、原作小説は実に面白かったと思う。正義とはなんなのか……? それはこの際、読者それぞれの中に答えがあると逃げてもいいと思う。この物語を読んでどう思うか。それが恐らくは読者それぞれの正義感なんだろう、と思うわけで、わたしの場合は、最上に深く共感しつつも、やっぱり最上を正義とは断じることはできないし、沖野もわたしからすれば全然正義とは思えない。じゃあ、どうすればよかったのか……そうだなあ、まず、真犯人をきっちり死刑判決まで持ち込み、そして松倉も、自分の持てる全ての力を使って、社会的に抹殺していた、とか、そんなつまらんものしか浮かばないすなあ……。いずれにせよ、正しく真面目に生きていきたい、という思いが強まる作品でありました。大変面白かったです。以上。

↓ わたし思うに、劇場版シリーズ最高傑作。多分一番ダークで冷酷なお話かと。超カッコイイす。






 わたしが新刊を待ちわびる小説は数多いが、その中でも、日本の小説で、ここ数年毎年8月と2月に新刊が発売さてわたしを楽しませてくれているのが、高田郁先生による時代小説である。しかし今年の8月は、一向に新刊発売のニュースが聞こえてこず、おかしいな……と思って、かなりの頻度で版元たる角川春樹事務所のWebサイトを観に行ったりしていたのだが、いよいよ、今年は9月に新刊発売! というお知らせを観た時のわたしの喜びは、結構大きかった。そして、おっと、来たぜ! とよく見ると、なんとその新刊は、現在シリーズが続く『あきない世傳』の新刊ではなく、何と驚きの『みをつくし料理帖』の新刊であったのである。この嬉しい予期しなかったお知らせに、わたしはさらに喜び、9月2日の発売日をずっと待っていたのである。
 しかし―――愚かなわたしは8月末から別の、大好きな海外翻訳小説を読んでいて、すっかりその発売を忘れており、おととい、うおお! 忘れてた!!! と焦って本屋さんに向かったのであった。角川春樹事務所は電子書籍を出してくれないので、ホント困るわ……こういう時、電子書籍なら確実に、新刊出ましたよ~のお知らせが届くのにね。
 というわけで、昨日と今日でわたしがあっさり読み終わってしまった本はこちらであります!
花だより みをつくし料理帖 特別巻
髙田郁
角川春樹事務所
2018-09-02

 そのタイトルは、『花だより』。紛れもなく、高田郁先生による「みをつくし料理帖」の正統なる続編であり、本編の「その後」が描かれた物語である。あの澪ちゃんや種市爺ちゃんたち、みんなにまた会えるとは! という喜びに、わたしはもう大感激ですよ。そして読み終わった今、ズバリ申し上げますが、超面白かったすね。間違いなく、既に完結済の『みをつくし料理帖』が好きな人なら、今回の「特別巻」も楽しく読めるはずだ。それはもう、100%間違いないす。いやあ……なんつうか……最高っすわ!
 というわけで――今回の『花だより』は、シリーズが完結した4年後の1822年から、その翌年1823年が舞台となっている。軽くシリーズのラストを復習しておくと、主人公の澪ちゃんは宿願であった、幼馴染の野江ちゃんことあさひ大夫の身請けに成功し、超お世話になった大金持ちの摂津屋さんの助力を得て、夫となった源斉先生と、自由の身となった野江ちゃんとともに大坂に旅立ったわけである。もちろんそこに至るまでの道のりが、まさしく艱難辛苦の連続で、数々の超ピンチを乗り越えての幸せGETだったわけで、読者としてはもう、本当に良かったね、幸せになるんだぞ……と種市爺ちゃんのように涙したわけです。
 あれから4年が過ぎ、はたして澪ちゃん去りし後のつる家は、繁盛しているだろうか? 澪ちゃん&源斉先生夫婦は大坂で元気にやってるだろうか? そんな、読者が知りたいことが知れる、まさしく高田先生から読者への「お便り」が本作であります。
 本作は、これまでのシリーズ同様、短編4本立てで構成されていて、それぞれがそれぞれの人々を描く形で、それぞれの「その後」を教えてくれるものだ。というわけで、まあ、ネタバレになってしまうかもしれないけれど、簡単にエピソードガイドをまとめておこう。ネタバレが困る方はここらで退場してください。つうか、こんな文章を読んでいる暇があったら、今すぐ本屋さんへ行って、買って読むことをお勧めします。絶対に期待を裏切らない内容ですので。
 ◆花だより――愛し浅蜊佃煮>1月~2月のお話
 主人公は種市爺ちゃん。もう74歳となって、体もきかねえや、てな爺ちゃんだが、とある事が起きて、もうおらぁダメだと超ヘコむ事態に。すっかり気落ちした爺ちゃんは、年に1回は必ず届いていた澪ちゃんからのお手紙も届かず、いよいよ心はふさぐばかり。しかし、そんな爺ちゃんに、恩師を喪って同じく気落ちしていた清右衛門先生が大激怒!! 「この戯け者どもが! 真実会いたいのなら、さっさと会いに行けば良いのだ! それを遠いだの店がどうだ、と見苦しい言い訳をするな!」 というわけで、清右衛門先生、坂村堂さん、種市爺ちゃん&ちゃっかり(小田原まで)同行するりう婆ちゃんの、東海道五十三次珍道中の始まり始まり~!!!  つうか、やっぱり清右衛門先生の言う通りですなあ……会いたい人には会っとくべきですし、行きたいところには行っとくべきですよ。人間、いつどうなるかわからないものね……。
 ◆涼風あり――その名は岡太夫>5月~6月ごろ(梅雨時)のお話
 主人公は、かつての想い人、小松原さま、こと小野寺数馬、の奥さんである乙緒(いつを)さん。17歳で数馬のお嫁さんとなって早6年だそうです。この乙緒さんは、侍女たちからは「能面」と呼ばれるような、超クールで感情を表に表さないお方だそうで、別に冷たい人では決してなく、まあそういう教育を受けてきたからなんだけど、きっちりと真面目にコツコツやるタイプのようで、亡くなった小松原さまのお母さん(里津さん)が、亡くなる前に「小野寺家の掟」のようなものをきっちり伝授し、里津さんからも、この娘なら大丈夫と思われていたようなお方。そんな乙緒奥さんが、夫の「かつての想い人」である「女料理人」のことを聞いてしまい、おまけに2人目の子供の妊娠が発覚し、身も心もつらい状況になってしまう。しかし、そんな時にふと思い出したのは、里津お母さんから聞いた、とあるお話だった――てなお話です。まったく、不器用な夫婦ですよ……!
 ◆秋燕――明日の唐汁>8月のお話
 主人公はかつてあさひ大夫だった野江ちゃん。野江ちゃんは、摂津屋さんの助力で大坂で商売を始めていたのだが、これは高田先生の『あきない世傳』でも何度も出てきた通り、大坂商人には、「女主人はNG」というルールが当時あったわけで、摂津屋さんが業界組合を説得して3年の猶予をもらっていたけれど、その3年が過ぎようとしているという状態。要するにその3年間で、結婚して旦那を主として据えろ、というわけだ。しかし、野江ちゃんの心には当然、野江ちゃんをその命と引き換えに火事から救った又次兄貴がいまだいるわけでですよ。というわけで、又次兄貴との出会いの回想を含んだ、野江ちゃんの心の旅路の物語であります。泣ける……!
 ◆月の船を漕ぐ――病知らず>9月ごろから翌年の初午(2月)までのお話
 お待たせいたしました。主人公は澪ちゃんです。大坂へ移って料理屋「みをつくし」(命名:清右衛門先生)をオープンさせて早4年。大坂には死亡率の極端に高い流行病(コレラ?)が蔓延していた。源斉先生をもってしても、治療法が見つからず、数多くの人々が亡くなっていたのだが、「みをつくし」がテナント入居していた長屋のオーナーお爺ちゃんも亡くなり、後を継いだ息子から、つらい思い出は捨て去りたいと、長屋を売りに出すことになり、「みをつくし」も立ち退きを要求されてしまう。さらに追い打ちをかけるように、日夜患者の元を駆け回っていた源斉先生も体力的にも限界、おまけに医者である自分の無力さにハートもズタボロ、その結果、愛しい源斉先生もブッ倒れて寝込んでしまう。こんな艱難辛苦に再び見舞われた我らがヒロイン澪ちゃん。何とか料理で源斉先生を元気にさせようと頑張るも、まったくもって空回り。下がり眉も下がりっぱなしな状況だ。そんな時、とあることがきっかけで、澪ちゃんは忘れていた大切なことを思い出すのだが―――てなお話であります。
 というわけで、まあ、なんつうか……まったく澪ちゃんの人生はこれでもかというぐらいの艱難辛苦が訪れるわけですが、それを乗り越えるガッツあふれるハートと、とにかくキャラクターたちみんなが超いい人という気持ちよさが、やっぱり本作の最大の魅力だろうと思います。やっぱり、頑張ったら報われてほしいし、そういう報われている姿を読むことは、とても気持ちのいい、読書体験ですな。わたしとしては、久しぶりに会うみんなの、「その後」を知ることが出来て大変うれしかったです。まあ、控えめに言って最高すね。高田先生、素敵な「お便り」を有難うございました!

 というわけで、さっさと結論。
 高田郁先生による人気シリーズ『みをつくし料理帖』。既に物語は美しく完結していたわけだが、この度、各キャラクターの「その後」を描いた最新作『花だより~みをつくし料理帖 特別巻』が発売になったので、さっそく読んで味わわせていただいたわたしである。読後感としては、大変好ましく、実に面白かったというのが結論であります。我々読者の心の中に、キャラクター達は生きているわけで、既に完結した物語の「その後」が読めるというのは、やっぱり本当にうれしいものですね。高田先生、ありがとうございました! そして、次の『あきない世傳』の新刊もお待ち申し上げております! 以上。

↓ ドラマは結局あまり見なかったす。澪ちゃんを演じた黒木華ちゃんは最高だったんすけど、又次兄貴と種市爺ちゃんのイメージが、あっしが妄想していたのと違い過ぎて……。。。

 というわけで、そろそろかな、と思っていた新刊が発売になっていたので、さっそく買って読んだ。昨日の土曜日、わたしは朝の8時ぐらいから会社で仕事をしていたのだが、駅前の本屋さんが開く10時過ぎに買い、そのまま仕事をして12時過ぎには一区切りついたため、やれやれ、かーえろ、と乗った電車内で読みはじめ、そのまま昨日はずっと読んでいたら18時くらいには読み終わってしまった。やっぱ面白いわ。というのが端的な感想である。
 で、何を読んでいたかというと、もうこのBlogではおなじみの、佐伯泰英先生による「居眠り磐音」の続編シリーズ最新刊、『空也十番勝負 青春篇 異郷のぞみし』であります。「十番勝負」というのだから、まあ、おそらくは全10巻になるんでしょうな。今回の新刊は、その「第4番勝負」の模様を描いたもので、主人公・坂崎空也くん19歳の冒険を読者は味わうことができる。

 以下はネタバレに一切考慮せずに書くので、未読の方は、ここらで退場してください。まあ、できれば今すぐ本屋さんに行って、買って読むことをお勧めします。こんなBlogを読んでる場合じゃないすよ。今回は、前回よりかなり面白かったように思いますぜ。
 さてと。これまでの空也くんの旅をざっとおさらいすると、「磐音」シリーズ最終巻での大団円ののち、磐音の息子である空也くんは、父の故郷である豊後関前藩(架空の藩・まあ大分のあたりなんでしょう)から武者修行の旅に出た。その時16歳。そして薩摩へ向かい、運命の出会いを経て、東郷示現流との「1番勝負」に勝利。そしてその後、人吉藩~熊本藩に出て、追ってくる示現流との「2番勝負」にも勝利、そこから船で今後は五島列島へ渡り、狂える神父剣士との「3番勝負」に勝利したところまでがこれまでのお話である。
 ちなみに旅に出てから既に2年半経過していて、今回の「4番勝負」は、1798年の正月、空也くんは19歳まで成長している。そして今回の場所は、五島から北上して対馬から物語は始まる。対馬は、朝鮮との貿易の窓口なわけだが、まあ、ある意味当然、外国貿易をしている裏にはなにやら「お上に知られたくない」ことがあるようで……という流れはまったく自然に読めるし、実際面白い。しかし、実のところそういった政治めいた部分は、あまり関係がない。そりゃそうだ。空也くんは武者修行であって、密偵でもないし、水戸黄門的な世直しの旅をしてるわけではないのだから。
 そもそも、空也くんが対馬へ向かった理由は、もうシリーズを読んでいる方には想像がつくだろう。そうです。空也くんがぞっこんLOVEな運命の女子、眉月さまには高麗の血が流れているわけで、愛する女子のもう一つの故国をその眼で見たかったから、でありますよ。冒頭で対馬の北の端っこの岬に立ち、「眉姫様、それがし、そなたの祖国をわずか十二里の海を挟んで見ておりますぞ」と見つめる空也くんは大変カッコイイというか、その情景が浮かびますね。
 で、当然今回は対馬での戦いになるのだろうと思ったら、そうではなかった。対馬での抜け荷をめぐる冒険で、幕府密偵?と出会い、さらには朝鮮剣士との戦いはあるものの、結構あっさり対馬を去り、壱岐島のすぐ北にある辰ノ島へ舞台は移る。そしてそこで、後々いろいろ影響が出てきそうな孤高の朝鮮剣士との無言の修行の日々があって、その後で平戸島に上陸する。そしてその地で若き平戸藩主・松浦清と出会い、充実の稽古と、今回の「4番勝負」に勝利したのち、いよいよ本土に戻り、長崎を目指すことになる。長崎と言えば、前巻で知りあった密偵女子の高木麻衣ちゃんを思い出すが、まあ、再会は次回あるものと思いたいですな。そして今回出会った幕府密偵のトラ吉も。きっと今後ちょいちょい出てくるのでしょう。つうか、平戸って島だったんですな。無知なわたしはそんなことも知らなかったす。今は橋でつながってるみたいだけど、平戸は元々は貿易港として栄えたけれど、鎖国以降の、本作の舞台となる時代ではその地位はすっかり長崎に取られてしまってたんですな。そんな歴史豆知識も今回は非常に興味深く味わえました。
 というわけで、空也くんは充実の武者修行継続中なのだが、なんつうか、やっぱり何度も書いている通り、『密命』シリーズの清之助くん的な、超人的強さがどんどん身について、スーパーマン化しつつあるのが、物語の面白さという意味において若干心配ですな。そしてもう4番勝負が終わってもまだ九州にいるわけで、これから今後当然江戸方向に向かうにしても、10番じゃすまないような気もしてきます。あれかな、どこかから船で一気に東上するのかしら。まあ、兄弟子ともいえる辰平の仕える福岡はもうすぐだし、利次郎の生地である土佐、それから自らの生地である高野山あたりも行かないとイカンのではなかろうか。
 で、本作でも当然、一方江戸では……という様子も描かれており、今回江戸での磐音周辺ではいくつかの、今後に影響する出来事があった。まず一つ目は、すっかり小梅村が気に入ってしまったことでお馴染みの薬丸新蔵くんの元に示現流一派が喧嘩を売りに来て、まあごくあっさり撃退するも、これ以上ここにいたら迷惑なのでは、と新蔵くんは出て行ってしまう。江戸での新蔵くんとの戦いが最後の十番勝負なんじゃないかという気もするけれど、彼もまた、間違いなく今後出演してくれるでしょう。
 二つ目は、現在の11代将軍・徳川家斉がなんと尚武館にお忍でやってきて、薩摩藩前藩主・島津重豪と対面するシーンがある。これは、速水様がしくんだっぽい対面なのだが、要するに、もう示現流の連中が空也くんと新蔵くんを追うのはいい加減にしとけ、という釘を刺すためのもの?とわたしは受け取ったが、この理屈がわたしには面白く感じられた。つまり、空也くんは、将軍様が直々に対面して授けた刀である「備前長船派修理亮盛光」を携えているわけで、ある意味天下御免の存在なわけだ。そして空也くんは賢いことに、薩摩入りした時はその刀を持っていかず、丸腰だったことも効いていて、「薩摩での出来事は(おれがくれてやった刀は持ってなかったから)許してやる、けど、今は、(その刀を持っている)空也になんかあったらマジ許さんぜ」と将軍は言ってるんだろうとわたしは理解した。まあ、薩摩藩としては最初から空也くんも新蔵くんも別に敵だとは思っておらず、示現流の連中の勝手な暴発なわけで、それはちゃんとお前の責任で何とかしろ、という釘を刺したということなんだろうと思う。困ったすね、薩摩藩的には。実のところ、将軍・家斉の正妻は島津重豪の娘なわけで、つまりは舅なんだけど、この対面シーンがわたし的には非常に印象に残った。
 そして薩摩で言うと、今回は江戸にいる眉月ちゃんのお父さんも尚武館を訪れ、磐音と対面するシーンもあったし、なにより眉月ちゃんも、そのお父さんから江戸に戻って来いとの文を受け、絶賛お悩み中である。眉月ちゃんは今後、空也くんの足取りを推理しながら長崎へ行くのか、それとも江戸へ直行するか分からないけど、まあ、江戸での再開は間違いないだろうし、おっさん読者としては、幸せにな、お二人さん! と見守るしかなかろうと思います。
 そして今回は、空也くんが人吉で知り合った常村又次郎くんもまた江戸にやってきて、空也くんが薩摩でもらった刀を磐音に届けるシーンもあった。ここでの、空也くんの妹である睦月ちゃんの素朴な疑問が大変良かったすね。
「兄がどうしてかくも皆様方に好意的に受け入れられるのか、妹のわたしにはわかりませぬ」
 まあ、そりゃ睦月ちゃんからしたら、兄貴は単なる朴念仁の剣術野郎だもんな。これに、又次郎くんが何と答え、睦月ちゃんは納得したのかは、ご自身で読んで味わってください。ま、要するに人柄ってことなんすかね。いずれにせよ、空也くんの武者修行の旅はまだ当分続きそうだし、出会いもこれからまだまだいっぱいあるのでしょう。江戸に帰ってきて、修行を終えた空也くんがどんな男になっているか、旅に同行しながら味わいたいですな。
 最後に、ひとつふと思ったことが。本書の舞台は冒頭に記した通り1798年であるわけで、それはつまり、明治維新の約70年前ってことで、ということは、空也くんの子供か孫世代=磐音の孫かひ孫世代は、幕末を生き抜いてるんだなあということだ。何が言いたいかというと、現代を生きる我々の5~6世代ぐらい前、なわけで、意外と近いような気がした、ということです。サーセン、それだけ。特にオチはないす。

 というわけで、結論。
 わたしが新刊が出るのを楽しみにしている、佐伯泰英先生の『空也十番勝負』の新刊が出たので、さっそく買って読んだところ、なんか今回は一番? 面白かったような気がします。いや、1番?かどうかは分からないけど、前巻よりはかなり面白かったすね。しかし、わたしは五島も対馬も壱岐も平戸も行ったことがないけれど、なんか行きたくなりますな。空也は19歳で、まあ、言わば着の身着のままのぶらり旅を敢行中なわけだが、どんな景色を見て、何を思っているんすかねえ……現代人には想像がつかない旅だけど、まあ、なんつうか、カッコいいすな。ホント、どんな男となって江戸にもどってくるか、大変楽しみであります。もうほぼ無敵だし、重大なピンチもこれから訪れるだろうけど、きっと見事に修行を終えることでありましょう。まったく、お前は大した野郎だよ。そして空也よ、江戸で眉月ちゃんを娶って、幸せになるがよい! 以上。

↓ 今回のお話で登場する、平戸藩主・松浦清はかなりやり手の頭のいい男として描かれてました。参勤の折は尚武館に弟子入りしよう、とか思うほど、剣術の腕もある男で、なんかいい殿様だったすね。というわけで、平戸に今わたしは超興味津々す。
日本の城 改訂版 69号 (平戸城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2018-05-08


 わたしが今、日本の小説で一番新刊を待ち望んでいる作品、それが高田郁先生による『あきない世傳』というシリーズである。そして、この度最新の(5)巻が発売になったので、やったー! とさっそく買い求め、一気に読み終わってしまった。というわけで、さっそくネタバレ満載で感想をつづってみたい。本当にネタバレまで書いてしまうと思うので、気になる方は読まない方がいいと思います。なお、以上は(4)巻の時の記事を丸々コピペしました。手抜きサーセン。というわけで、今回は(5)巻です。

 この『あきない世傳』という物語は、もうこれまでも散々書いた通り、現代ビジネスの視点から見ると大変興味深く、普通のサラリーマンが読んでもとても面白い作品だと思う。もう(5)巻なので、これまでのお話のあらすじは記さないが、前巻のラストでは、主人公の幸ちゃんが所属する大阪天満の呉服屋さん「五鈴屋」がずっとお世話になっていた老舗の桔梗屋さんが、とんでもないクソ野郎に買収されかかるという事態に陥り、ちょっと待ったー! そのM&A、わたしもビットに参加させてもらう! と幸ちゃんが名乗りを上げるところまでが描かれた。ビジネス的に言うと、いわゆる「ホワイトナイト」ってやつですな。詳しい話は、前巻(4)を読んだ時の記事をご覧ください。こちらです→http://ebat42195.blog.jp/archives/72127438.html
 で。今回の(5)巻はその続きであるので、当然ながらM&Aのその後が描かれる。が、これがまたきわめてスムーズかつ順調で、五鈴屋はとうとうこれまでのお店を本店、そして桔梗屋さんを2号店として事業拡大に成功するのだが、ここでのポイントは、桔梗屋さんの思いだ。
 まず、桔梗屋さんは前巻で「卒中風」、現代で言うところの脳卒中を発症してしまい、半身にまひが残る状態となってしまったわけだが、それはともかくとして、M&Aというものは、現代では非常に難しいというのが常識だろう。わたしも長年の経営企画としての経験から言うと、はっきり言って、当初目論んだ、いわゆる「シナジー効果」なんてものは、なかなか現れず、うまくいかない場合が多い。それは、結局のところ企業とは人であり、要するにM&Aは、買収する側とされる側の「ハートの問題」になってしまいがちだからだ。これは理屈ではないので、いったんこじれると実に厄介なことになる。通常、M&Aでは、まずは買収(=株式取得)があって、しばらくはそのまま、屋号も変わらず、単に子会社として並列するものだと思うし、本作でも、あくまで幸ちゃん=五鈴屋=買収した側は、桔梗屋さんはこれまで通り桔梗屋さんとして、あきないに励んでもらいたい、だたまあ同業なので、仕入れ先などの統合や効率化は進めていきましょうという常識的なオファーを出す。そのことで、桔梗屋さんの現場の従業員たちも、良かった、何も変わらないんだ、桔梗屋は桔梗屋でいいんだ、という安心感をもてるわけだ。しかし! 桔梗屋さん本人の想いが、わたしには非常にグッと来た! なんと、桔梗屋さんは、もう買収されたのだから、桔梗屋の名を捨てて、五鈴屋の新たな部門として一体化したい、という逆オファーを幸ちゃんに進言するのである。
 このことがどういう意味を持つか、現代的に言うと、要するに買収だけではなく、吸収合併を望むということである。つまり、桔梗屋という屋号を捨てる、ということだ。この決断は、現代ではなかなかできないことであろうと思う。これは、オーナーたる桔梗屋さん本人ではなく、雇われている従業員の心情からして、現代では非常に難しいのだ。というのも、現代的に言うと、従業員サイドから見ると、吸収合併にはメリットとデメリット、両方あるためだ。
 まず、デメリットから言うと、これは完全に、まさしくハートの問題、モチベーションの問題で、普通の場合、やっぱり誰しもが自分の会社に愛着や誇りがあるわけで、なかなかその社名を捨てることはできない。どうしても反発や、なんというか……従属意識が芽生えてしまう。おれたちは買われたんだ、おれたちの会社はなくなっちまうんだ、的な。これは、おそらく実際にそのような事態にならないと、実感できないかもしれないが、わたしはもう、そういう光景を何度も何度も観てきたので、この桔梗屋さんの決断には深く敬意を抱いた。現場の反発は全部自分が説得する、という態度である。これは非常に立派ですよ。一方で、現代においては従業員にも実はメリットがあって、単なる買収で子会社としてそのままだと、まさしく何も変わらない、のだが、これが吸収合併となると、すべての制度が買収した側に合わせることになるので、例えば、上場企業の羽振りのいい会社に吸収合併されれば、当然自分もその上場企業の一員となるので、人事制度が変わって給料が上がる可能性が出てくるし、ある程度の「上場会社の社員」として社会的ステータスが向上する可能性もある。なので、小賢しい奴は、口では吸収合併に反発しても、実は内心喜ぶ、なんてことも実に頻繁にある。まあ、本作における桔梗屋さんの従業員のみんなは、そんなことに喜ぶ人々ではなく、桔梗屋という屋号が消滅することを悲しむ人ばかりだが、そこを、桔梗屋さん本人がきっちり言い聞かせるのだ。そこにわたしはグッと来たのである。
 というわけで、今回の(5)巻は、この企業統合の話がメインになるのかな、と思ったのだが、まったくそんなことはなく、この辺りのお話は実にスムーズに進み、本題ではなかった。今回の(5)巻で一番のメインとなるビジネスプランは、もっと根本的なもので、かつ、実に現代的なものであったのである。それは、現代で言う新商品開発と、ブランド戦略である。
 そもそも、五鈴屋さんは呉服屋さんであり、それすなわち、現代で言えばアパレル業だ。もっと細かく言うと、小売店であり(一部卸もやってるんだっけ?)、一般消費者と一番違いところに位置している。そのアパレル業として、呉服を売っているわけだが、幸ちゃんは今回、「帯」に注目をする。1枚の呉服でも、「帯」を変えることで何通りもの着こなしが可能、なわけだが、周りの呉服屋さんは「帯」をそれほど推していないし、メイン商材としても扱っていない。これは、「帯」の販売に拡大の余地があるんじゃね?と気が付くのである。この辺りの幸ちゃんの思考は実に現代的で、「帯」も、太さがこの頃変わってきているし、結び方もいろいろある。これをお客さんに提案していこうじゃないの、というわけで、ある種のトータルコーディネートの提案であり、ファッションの流行を自ら作ろうという思考だ。そうすれば、お客さんも買ってうれしいし、五鈴屋も売上UPで嬉しいし、ということになるわけで、本作でよく出てくる「買うての幸い、売っての幸せ」という言葉は、高田先生の『みをつくし』で言うところの「三方よし」という思想に近いものだ。
 で、このアイディアはもちろん大成功し、やったぜ! になるものの……ここでまた、桔梗屋さんを買収しようとしていたクソ野郎、真澄屋がパクリ戦略で、同じように帯に力を入れ始め、何と五鈴屋の方がパクリじゃんか、と世間に言われてしい、五鈴屋及び旧桔梗屋の従業員一同が、ぐぬぬ!と悔しい思いをしてしまう展開となる。まあ、これも現代では良くあることですな。画期的なアイディアはすぐにパクられるのはもうどうしようもない。
 しかし、このピンチに幸ちゃんがひらめいたのが、「ブランド戦略」である。そもそも、前巻だったかでも登場していた通り、五鈴屋は、「鈴」の絵柄を自社のコーポレートアイデンティティとして、販促に使っていたのだが、とうとうその「鈴」の絵柄を商品にも使って、五鈴屋のブラント品として販売していくことをひらめくのだ。その販売にあたっても周到な準備を行い、以前、浄瑠璃で成功したように、今度は歌舞伎の舞台で、プロダクトプレイスメントを成功させ、ロゴが入っているので、今度は真似されることがなく、大ヒットとなるのである。そもそも、「ブランド」とは、牛の焼き印のことで、この焼き印の入った肉はうまいぜ、という目印なわけで、その目印があれば安心だぜと消費者に伝えるモノであるわけで、五鈴屋の「鈴」も、おお、あのおしゃれな帯は……鈴の柄が可愛らしいじゃないか! そうか、あの鈴は、五鈴屋さんの帯だよ! と目印になるわけです。大変お見事でした!
 とまあ、そんなわけで、本作は本当に現代ビジネスマンが読んでもとても面白い作品だと思う。わたしも大変楽しませていただきました。
 ただ、今回は、幸ちゃん自身に大変な不幸が立て続けに起こる。これはもうここには書きません。大変気の毒で痛ましいが、幸ちゃんはそれにも負けずに頑張り、「いつか江戸支店を出店する!」という野望に向け、本作ラストではその布石を打つところで、さらに最大の不幸?かも知れない不吉な報せが入るところで終わる。この終わり方はもう、続きが超気になりますな!
 あと、これは幸ちゃんに降りかかる不幸の副産物?として、どうしてもメモしておきたいのだが、その結果として、妹の結ちゃんが、五鈴屋さんに住まうことになる。彼女はまだあきないを分かっていない娘なわけだが、彼女の存在も、徐々に五鈴屋になじんで、何気にコーディネート見本のモデルとしても活躍したり、素朴な疑問で幸ちゃんにひらめきを与えたりと、存在感が増してきそうな気配ですな。結ちゃんもイイ男を見つけて、幸せになってほしいですよ、ホントに。おっさん読者としては、完全に見守る親戚の叔父さん風な想いを抱きましたとさ。

 というわけで、結論。
 わたしが新刊を待ち望む作品の一つである高田郁先生の『あきない世傳 金と銀』の最新(5)巻が発売になったので、さっそく買い求め、読んだところ、今回も実に興味深く、楽しませてもらったのでありました。現代ビジネスを戦うリーマンの皆さんにもぜひ読んでいただきたいですな。なんつうか、ビジネスの様相は250年前も今も、根本は変わらないと思いますね。でも、現代では買って良し・売れて良しの気持ちのいい関係は薄れてるんすかねえ。まあ、顧客第一はビジネスの基本であろうと思う。幸ちゃんが江戸に店を出して、「あきないの戦国武将として天下を取る」日を楽しみに、今後も読み続けたいと存じます。そして結ちゃんの天然ぶりは、今後も幸ちゃんの助けになってほしいですな。きっとまた、とんでもないピンチが起きるとは思うけれど、次の(6)巻が大変楽しみです。以上。

↓ M&Aのポイントは、そのスキームやテクニカルな面ではなく、「その後」の事業展開にあるのは間違いないと思う。なので、こういう本を読んで役立つのか、さっぱりわかりません。

 やっぱり最初に言っておいた方がいいと思うので書いておきますが、ズバリ結末までのネタバレを書いてしまうと思うので、未読の方は今すぐ見なかったことにして立ち去った方がいいと思います。知らないで読む方が絶対楽しいと思いますよ。

 さてと。前巻が出たのが去年の9月だから、4カ月ぶりか。この度、わたしの大好きな時代小説のシリーズ『居眠り磐音』シリーズの続編で、主人公を磐音の息子、坂崎空也に据えた新シリーズ『空也十番勝負』の第3巻が発売になったので、よっしゃ、待ってたぜ! と発売日に買い求め、さっそく読み始めた。ら、1.5日ほどで読み終わてしまったのでありました。

 まあ、結論から言うと、今回の三番勝負は面白かったけれど、肝心の三番勝負の相手がなかなか登場せず、登場したと思ったら結構あっさり敗れ、空也くんのスーパーマンぶりが増してきていて少し心配になってきたのである。まあ、仕方ないよな……敗北=死、だし。
 そしてズバリ今回の三番勝負の相手は何者が、を書いてしまいますが、わたしがこのシリーズの1巻目の感想をこのBlogで書いたときに、こんな相手もアリっすよねえ、と妄想したことが現実になってしまったのであります。そう、今回の相手はなんと異人! サーベル使いの狂える(?)自称プロイセン人でありました。まあ、タイトルからして「剣と十字架」なわけで、実際わたしは読む前から、もしや……と思っていたので、わたしと同じように想像した方も多いでしょう。正直に告白すると、わたしとしてはもう少しその相手のバックグラウンドや人となりが知りたかったように思う。そういう点ではキャラが薄く、若干の物足りなさを感じたのは事実である。
 ただし、その三番勝負へ至る直前に出てくる、一人の女性が大変キャラが立っていて、この新キャラ女子にはまた会いたいな、と強く感じたのも間違いない。彼女については、大体の経緯は説明されるけれど、まあ、間違いなく美人でしょうな。というわけで、ヒロイン眉月ちゃんの出番が少ない中、空也くんを中心とした恋のライバルになりえるような気もするので、今後の展開も大変楽しみであります。
 というわけで、ざっと物語をまとめておこう。今回も、空也くんの武者修行の旅と江戸での磐音ご一統様たちの様子、という二元中継な形であった。そりゃ当たり前か。
 まず空也くんだが、前巻ラストで本人もどこに行くかわからない船に乗って、東郷示現流の追手から逃れたわけだが、着いた先はなんと五島列島最大の島、福江島である。

 おっと、今は空港もあるんですなあ。当時は福江藩五島家の支配地であり、お城もあったけれど、本作の空也くんが訪ねた時代には、城はもう焼失していて陣屋だけしか残ってない、ようなことになっていた。そして空也くんは福江島にある道場にまた居候させてもらいながら修行をつづけ、また山に登ったりと、ほんのひと時の平和な時間を味わうけれど、八代でとある事件が発生して、ここにも示現流の手が伸びる、が、その直前に、ここまで船に乗せてくれた船頭さんが手配した船で、さっさと中通島へ移動。さらに、船頭さんとの密談で、さらに北の野崎島で落ち合う約束をする。
 しかし、野崎島へ行く前に、中通島で出会いがある。それが、わたしの言う新キャラ女子で、新キャラ女子は、どうやら長崎会所に所属する密偵?的な役職らしく、長崎で謎の通り魔殺人を犯した犯人を追跡中なのだとか。かくして出会ったふたりは、お互い信頼できないような関係ながらも、西洋剣術使い討伐のためにチームを結成、隠棲していると思われる野崎島へ上陸するのであったーーー的な展開でありました。
 一方江戸の様子はというと、小梅村が超気に入ってしまった薬丸新蔵くんのお話を中心に、武左衛門さんと新蔵くんがちょっと仲良くなったり、睦月ちゃんの恋の行方がちょっと進展?したり、あるいは真面目な常識人でおなじみの品川柳次郎くんがちょっと出世したりというエピソードを交えながら、基本的には空也くんが心配でならないおこんさん、暇そうな(?)磐音、の元に何度か熊本から手紙が届いて一喜一憂するーーー的な、いつもの展開でありました。熊本の眉月ちゃんは今回あまり出番なし、です。手紙はよく書きますが。

 というわけで、わたしとしては面白かったものの、若干の物足りなさもあって、読み終わったそばから続きが読みたくてたまらない状態であります。しかしなあ、せっかく熊本にいたのに、剣聖・武蔵がらみの話はなかったのが残念す。そして適当にわたしが妄想した、西洋人との戦いが実現して驚いたすね。本作ラストで、再び船に乗ってどこかへ向かった空也くん。今度は、どうやら空也くんの希望の地へ行くようで、どうもそれは、対馬~朝鮮半島のような気がしますね。
 というのも、実は設定として、空也くんの愛する眉月ちゃんには、高麗の血が混ざっていて、空也くんとしては、その源流の地を訪ねてみたい、と思っているようなんだな……。わたしは全く詳しくないのだが、当時の朝鮮半島事情はどうなっているのだろうか? 秀吉の侵攻以降、100年以上経過してるのかな。100年じゃすまないか。えーっと? 物語の現在時制は……1798年かな? てことはもう朝鮮攻めから200年経ってるか。てことは当時の朝鮮半島は……? わからん! Wikipedia先生教えてください! とサクッと調べてみると……高麗が滅んだ後のいわゆる李氏朝鮮の後期で、カトリックが中国経由で伝来していた頃、なんだな。ああ、でも弾圧されているっぽいな……てことは今回の西洋剣術使いの因縁もありうるのだろうか? つうか、どういう武術が盛んだったのかはわからないな……基本は中国拳法的なものだろうか? わからんわ。
 まあ、もし空也くんが高麗(正確には李氏朝鮮)を目指したとしても、そう簡単にはたどり着けないような気もするし、まだまだドラマが待っていそうですな。対馬あたりで止まっちゃうかもしれないし、おまけに示現流の追手も絶対に追跡をやめないだろうし、今後の空也くんがどんな旅をして、どんな出会いを経験するのか、大変楽しみですな。
 あと、もう一つ、今回ちょっとわたしが興味を持ったのは、もう既に、この時代、鉄砲が進化した短筒、つまり拳銃の元があったわけで、そんな「もはや剣の時代は終わった」時代に、何故剣術修行をするのか、という根本的な問いだ。
 空也くんも、今回大砲や短筒を目にして、そんな時代であることを実感するわけだが、彼は、とある人に「なんで今どき剣なのか?」と尋ねられた時にこう答えるシーンがあった。
 「剣術とは、技を磨くことだけが目的ではございますまい。万が一の大事に至った折り、肚が据わっているかどうか、そのために鍛錬するのではありませんか」
 わたしはこの言葉に、結構グッと来た。まあ、精神修行だってことだろうし、剣は手段であって目的は別にあるってことなんだろうな、と思う。要するに、相手を倒すことが目的では全くなく、強いて言えば相手は自分自身であり、自分自身をより高めるための修行、という事なんでしょうな。
 まだ空也くんは18歳(本作ラストで19歳)。とてもしっかりした男ですよ、やっぱり。さすがは磐音の息子ですな!

 というわけで、さっさと結論。
 わたしの大好きな時代小説シリーズ3作目となる『空也十番勝負 青春篇 剣と十字架』が発売になったので、さっそっく買ってきて読んだ私であるが、実際面白かったのは間違いない、けれど、ちょっとだけ物足りないかなあ、というのが偽らざる感想である。今回、主人公坂崎空也くんは、五島列島の島々で修業を行い、とある新キャラと出会って、西洋剣術使いとの死闘を演じることになり、三番勝負を終える。しかし、この時代にプロテスタントが日本いたってことには驚きでした。これって常識なんだろうか? ともあれ、残りは7番。どんな戦いが待ってるか、大変楽しみです。そしてわたしとしては、今回の新キャラ、高木麻衣ちゃんのいる長崎にもぜひ立ち寄って、再会してもらいたいと存じます。そしてもちろん、大きく成長した空也くんが江戸でヒロイン眉月ちゃんと再会する日が楽しみであります。以上。

↓ ちょっと興味がわいてきたっすね。色々調べてみたいす。


 



 おととい、わたしが世界で最も好きな作家であるStephen King大先生の日本語で読める最新刊『FINDERS, KEEPERS』がもう店頭に並んでねえかなあ(正式発売日は今日の9/29)、と神保町の一番デカい本屋さん(と言えばきっとわかりますよね)に行ったところ、1階の新刊書・話題書のコーナーには見当たらず、ちょっと早すぎたか、とガッカリしたのだが、いつ入荷するんだろうな、と思って店内検索機で探してみて、ひょっとしたら入荷情報とか載ってるかも、と期待を込めて検索したところ、ごくあっさり、「店内在庫アリ」と出てきた。な、なんだってー!? と興奮し、良く見ると2階の文芸の棚にあるという表示なので、マジかよと慌てて2階に行ってみたところ、検索機の表示する番号の棚にきちんと置かれていた。というわけで、すぐさまGetしたのだが、その時同時に、げえーーーっ!? いつの間にか新刊が発売になってる! 超抜かってた! と慌てて買った作品、それが今回感想をこれから書こうとしている『空也十番勝負 青春篇 恨み残さじ』という作品である。
 わたしとしては、正直King大先生の新刊の方が読みたくてたまらないものの、100%間違いなく本作『空也十番勝負』の方が早く読み終わることは確実なので、先にこちらを読むことにした。その結果、3~4時間ぐらいだったかな、実にあっさり読み終えてしまった。結論から言うと、今回も大変楽しめたので、シリーズファンが読まない理由はないと存じます。というわけで、以下ネタバレ全開になると思うので、ネタバレが困る人は読まないでください。

 もう既に発売から2週間経ってたのか……くそう、抜かってたというか、ホントにわたしもダメな奴になっちまったもんだ……。
 ま、そんなことはさておき、本作は、かの佐伯泰英先生による一大人気シリーズ『居眠り磐音 江戸双紙』の直接の続編にあたる。主人公が前シリーズの坂崎磐音から、その息子の空也くんに代替わりしている作品で、今回はその第2巻にあたる。
 ちょっとまず振り返っておくと、前作、この『空也十番勝負 青春篇』の1巻目である『声なき蝉』は、『居眠り磐音』シリーズ最終第51巻のラストで、九州の関前藩(※架空の藩で、磐音の故郷)から武者修行の旅に出た空也くん16歳が、最初の修行の場として選んだ薩摩藩での様々な出来事が描かれており、確か2年(3年だっけ?)ぐらいの時間経過が描かれていたはずだ。
 薩摩藩は完全に異国であり、国境警備も厳しく、なにより、空也くんが一番の目的として考えていた、島津家御家流の「東郷示現流」も、門外不出で、とても道場に弟子入りすることはできない。まあ、結局空也くんは示現流を学ぶことはできなかったのだが、代わりに、運命的な2人の人間と出会うことになる。
 一人は、薬丸新蔵という男で、空也くんとは剣を通じて知り合い、新蔵の遣う「野太刀流」は空也くんに大きな影響を及ぼす。示現流ではない、けれど、源流は同じというか、まあ詳しいことは省くけれど、空也くんは新蔵と知り合って、示現流の基礎である技の修練法を身に着けていく。そして新蔵はとある事件があって薩摩を出奔し、江戸へ旅立ち、空也くんとは別れることに。
 もう一人は、おそらく将来的に空也くんの嫁となるであろう、お姫様だ。名を渋谷眉月といい、江戸の薩摩屋敷の生まれ&江戸育ちの美少女である。彼女は、おじいちゃんが島津家八代目の重豪(=天璋院篤姫のひい爺さんかな?)の側用人であったのだが、藩主代替わりで薩摩へ戻ったおじいちゃんに付いて来て、初めて薩摩暮らしとなったのだが、そんな彼女は、とある事件に巻き込まれて意識不明の半死半生となって川に流れついた空也くんを救い、献身的に看護したため、空也くんにとっては命の恩人でもある。まあ、若いお二人さんはもう完全にお互いぞっこんLOVEなのは言うまでもなかろう。
 で、1巻ラストでは、空也くんは姫にも別れを告げ、薩摩を去るわけだが、今回はまさしくその続きで、隣国の人吉藩~熊本藩が今回の舞台となっていた。もちろん、時折江戸にいる父の磐音や、母のおこんさん、また妹の睦月ちゃんといった、シリーズのファンなら絶対にご存知のメンバーもちらほら出てきて、ファン大満足の物語であろうと思う。わたしとしても、大変うれしい限りだ。さらに、江戸にたどり着いた新蔵のその後も語られており、後半ではとうとう新蔵は尚武館道場に現れ、磐音と対面もしたりして、大変わくわくする展開でもあった。どうやら新蔵は今後もちらほら江戸の場面では登場するようですね。
 しかし、問題は空也くんである。
 わたしとしては、やっぱりそうなるか……とある意味予想通りではあるのだが、空也くんは前作ラストで、示現流の達人と果し合いをして勝利、相手を死に至らしめたため、またしても「恨みは晴らさでおべきか!」と怒りに燃えた示現流の刺客に追われる身となってしまったのである。なんというか、完全なる尋常な勝負であり、死んでしまった達人も遺書に遺恨残すなかれ、と書いていたし(?)、現藩主たる九代目藩主の斉宣も復讐禁止を命じているのに、どうしても示現流の皆さん及び親族は許せない。その気持ちは痛いほど理解できるけれど……やっぱりちょっと悲しいすね。
 どうも、今後の展開としては、やっぱり空也は追われる身で、ゆく先々で死闘が待っているようだ。なんか……ますます『密命』シリーズの金杉清之助くん的な物語になっていきそうで、ちょっと心配だ。わたしは『密命』も好きだけれど、もう後半の清之助は強すぎというかスーパーマンになっちゃったからなあ……なお、空也くんは今回のお話で、下段から斬りあげる(?)必殺技を身に着けようとし始めており、ますます「寒月霞斬り」を思わせるような気もした。
 ところで、わたしが今回、んん? と思ったのは、中盤での空也くんの「山賊退治」のエピソードだ。空也くんは、人吉藩のタイ捨流丸目道場での修行を許されて、その長屋を仮の住まいとするのだが、何度か、その長屋から出て山籠もりの修行をしに行く。まあ、元々空也くんは高野山の奥の山の中で生まれ育った青年なので、どうも丸目道場が物足りないらしい。そんな彼が山奥で出会った人々の住む集落で、用心棒的な働きをするエピソードが出てくる。村人曰く、非常に貧しい村だけれど、年に一度、村の木材(?)を売ったお金が支払われるそうで、その金目当ての山賊がいるらしい。しかもどうやらその山賊には、その村の出身者がいるというのだ。そこで空也くんは山賊撃退チームを編成して待ち受け、返り討ちにしてやるわけだが、それがですね、妙にエピソードとして浮いているんだな。確かに、お話し的には『七人の侍』的で面白い、のだが、示現流とも何も関係がなく、ズバリ言うと本筋には全く関係ない。後々関係してくる……とも思えない。どうして佐伯先生はこのエピソードを入れたのか分からないけれど、正直あってもなくてもいいものだったと思う。特に得たものもないのだが、強いて言えば、こういう暮らしをしている人もいるんだ、というような、空也くんの見識が広がった、ぐらいな意味合いしかないような気がする。なんかオチも特になかったし。
 で。やっぱり薩摩とモメている空也くんとしては、人吉藩に迷惑をかけるわけにはいかず、本作ラストでは人吉を発って、熊本の八代へ向かうことになる。そこから、どこへ行くか聞かされていない船に乗って旅立つという計画を丸目道場に立ててもらい、それに乗っかったという形だが、一足違いで、人吉へやってきた眉月ちゃんと会えない。わたしは、ああ、こりゃあきっと、「吉川英治版・宮本武蔵」の、武蔵とおつうさんのように、これから先はずっとすれ違いの二人で、江戸の尚武館で、何年後かにやっと再開できる展開なのかな、と思っていた。
 しかし! 眉月ちゃんはわたしが想像していたような、か弱い女子じゃあなかった! 超積極ガールで、空也くんを追って船で先に八代入りし、空也くんの到着を待ち受けるという攻めの女子だった! そして今回もまた示現流との死闘を終えた空也くんが八代に到着、結果的に結構あっさり二人は再会、という展開であった。これも、わたし的にはちょっと驚いた。というか、あれっ!? と肩透かし? 的な気持ちになった。なんだよ……空也くん、君は武者修行のわりに、すげえリア充じゃん! やるじゃないの!
 というわけで、愛しい女子との再会も無事果たし、いつの日か江戸で、と約束も交わし、再び行先も知らぬ船で旅立つのであった、というエンディングであった。なお、その後、本書の一番終わりは、新蔵のその後が描かれ、なんと小梅村に逗留するようで、新蔵のことも含め、大変今後も楽しみな終わり方であったと思う。

 というわけで、なんかまとまらないのでもう結論。
 大人気シリーズ『居眠り磐音 江戸双紙』の直接の続編である『空也十番勝負 青春篇』の第2巻『恨み残さじ』が、いつの間にか発売になっており、抜かっていたわたしは発売から2週間たってやっと買い、そして結構あっという間に読み終えた。感想としては、もちろん今回も面白かった。しかし、タイトルにある通り「十番勝負」なわけで、残りはあと八番。いったいどんな強敵と戦うことになるのか。そして戦いの末に、空也くんはどんな男になるのか。現在空也くんは19歳ぐらいまで成長しているはずだが、もうすでに相当強く、父・磐音を超える男になれるのか。その成長を楽しみに見守りたいと思うわたしであった。八代からどこに向かうんだろうなあ……まずは長崎あたりなのかなあ……もっと進んで出雲の方まで行っちゃうのかな……それとも南下して九州をぐるっと回って、四国~紀伊方面なのかな……瀬戸内に回り込むのは遠回りすぎるし……尾張まで行っちゃうとかもありうるかもな……ともあれ、大変楽しみであります! 以上。

↓ こういう本もあるんですなあ……。東郷示現流といえば、やっぱり「チェストーー!」が頭に響きますな。




 わたしが今、日本の小説で一番新刊を待ち望んでいる作品、それが高田郁先生による『あきない世傳』というシリーズである。そして、この度最新の(4)巻が発売になったので、やったー! とさっそく買い求め、一気に読み終わってしまった。というわけで、さっそくネタバレ満載で感想をつづってみたい。本当にネタバレまで書いてしまうと思うので、気になる方は読まない方がいいと思います。

 さてと。一応、発売日は昨日なのかな。わたしはおとといの帰りに本屋さんで売っているのを見かけて、おおっと!新刊キター!とさっそくレジに向かったのだが、おそらくは日本全国でわたし同様に喜んだ方々はきっと70,000人ぐらい存在しているのではなかろうか。何しろ売れている。高田先生の前シリーズ『みをつくし料理帖』はちょっと前にNHKドラマ化も果たしたばかりだし、その知名度も上がっていようことは想像に難くない。しかもそのドラマでの主演は、わたしが高田先生の作品を読むようお勧めしてくれた、当時わたしが大変お世話になっていた美人お姉さまが、映像化するならきっとあの女優がいいわね、と言っていた通りの黒木華ちゃんがヒロインを演じ、わたしもせっせと見ていたが、華ちゃん=澪ちゃんは極めて役柄にぴったりで、大変楽しませてもらったところである(ただしNHKドラマは、え、ここで終わるんだ、という変なところで最終回的な空気もなく結構バッサリ終わっちゃった。まあ、きっと続編が作られるんだろうと勝手に予想している)。

 で。この『あきない世傳』であるが、(1)~(3)巻までの詳しいことは、過去の記事を読んでもらうとして、ざっくり話をまとめると、ヒロインである幸(さち)ちゃんは、現在の西宮あたりの村に住む少女だったが、父を亡くし兄を亡くし、と、立て続けに一家の働き手を失ったため、母と妹を故郷に残し、大坂は天満橋の「五鈴屋」という呉服屋さんに奉公に出る。その時9歳。時代は1733年、かな。その後、幸ちゃんは持ち前の賢さから熱心に商売の勉強をし、皆に可愛がられるのだが、(2)巻で大変な事件が起こり、なんと、その五鈴屋の4代目となったバカ男(長男)の嫁になる。しかしその4代目がとんでもないクズ野郎で、幸ちゃんはどうなっちゃうのよ……とハラハラしていたらそのクズは死亡、そして(2)巻ラストで、その弟(次男)が5代目を襲名してもいいけど、幸ちゃんを嫁としてもらうぜ!宣言が起こる。この時点での幸ちゃんは17歳まで成長している。
 続く(3)巻では、5代目の次男は、冷酷で意地悪なやな奴、かと思いきや、商売には超有能で、売掛金の回収サイトの変更や在庫処分セールの実施など、様々なビジネス構造改革を断行し、いろいろな反発は食らうものの、きちんと成功はするのだが、その成功の要因として、なにかと幸ちゃんの提案する事業計画というか販促宣伝プランがうまくいったこともあって、夫として若干面白くない、と思っていたところに、先行投資として出資していた生糸の生産地の村へ貸し付けが、両替商の倒産でデフォルトとなってしまい(わかりやすく言うと、五鈴屋は生糸の生産地の村に、増産のための設備投資に必要な資金を両替商の発行する約束手形で貸し付けたが、その両替商が倒産したために、村に貸し付けた事実だけが残って、手形は紙くずになり、村は借金だけを背負うことに)、その結果ステークホルダーから、あんたのせいだ、とある意味逆ギレされてしまって5代目は大ピンチに陥ってしまう。この時点で幸ちゃんは21歳まで成長、もちろん、すっかり大変な別嬪さんである。
 で、今回の(4)巻は、その続きである。
 経営企画として長い経験があるわたしにとっては、今回の(4)巻も、ビジネスの観点から見て大変に興味深く、実に面白いという感想を得た。
 まず、メインストーリーをズバリ書いてしまうが、やらかしてしまった次男こと5代目は、この(4)巻冒頭で失踪してしまう。ただし、無責任に姿を消すのではなく、きちんと地元呉服屋協会に「隠居」届を提出し、妻たる幸ちゃんにも離縁状的なものを提出し、まあ、一応きちんと(?)辞任届を提出して筋は通すという次男のキャラらしい失踪の仕方である。しかし、これはわたしは知らなかったが、当時の大坂商人の常識として、女子は店主=代表取締役になれないらしいんだな。というわけで、五鈴屋は存亡の危機に陥るのだが、ここでも次男はちゃんと手を打っていて、弟である三男に、おまえが店を継いで6代目になるんだよバカヤロー! と一発ぶんなぐっていたのであった。
 しかしこの三男が、これまた問題のある野郎で、大変心の優しいイイ奴で、実際、幸ちゃんのことはその少女時代(自分も少年だった時代)から大好きだったのだが、これがまたとんでもなく夢追い人のだめんず野郎で、おれは作家になるんだ!と9年前に実家たる五鈴屋を出て行ったというか追い出された野郎だったわけです。イイ奴なんだけどね。で、散々説得されて、お前ももういい年なんだから、夢見てんじゃねえよ、という趣旨のことを元営業本部長(番頭さん)で現在は引退していた社外顧問的なやさしいおじさんにやんわり諭され、また2代目の女房たる祖母の健康状態も良くないこともあって、ようやく、よし、オレにはビジネスの才はないけれど、大好きな幸ちゃんと一緒になれるなら6代目を就任してもいい、そしてオレは完全にお飾りの、対外的には店主を演じるけれど、実質的には幸ちゃんを代表取締役として、人形のように幸ちゃんに操ってもらうよ! と、こう書くと果てしなく情けないダメ男だけれど、まあ、そういうわけで、なんと(4)巻冒頭で幸ちゃんは3人目の旦那と結婚することになるのであった。
 これは何というか……まあ、わたしとしては、きっと幸ちゃんは将来的にはやさしい三男と結ばれて、幸せになるんだろう、と想像していたので、驚愕はしなかったけれど、まさかこんな早いタイミングで!? というのは驚いた。幸ちゃん、3回目の結婚である。
 そして、まあ二人は仲良く、五鈴屋を大きく成長させていくわけだが、今回の(4)巻でのお話を現代ビジネス風にまとめると、以下の4つのビジネスプランが実行される。これが非常に面白い!
 1)販路の拡大
 これまで五鈴屋は、基本的に大坂内だけの、こちらから品物を持っていって買ってもらうという訪問販売と、お店に来られる常連客への販売が基本ビジネスだったが、それだと当然顧客も限られ、売上拡大にも限界があり、どうしても販路の拡大が必要なわけだ。要するに、こちらから行けない、お店にも来られない、お店を知らないような、遠く離れた人にも売りたい、ってことですな。これは、今で言えば、たとえばWeb通販のようなものと言っていいだろう。お取り寄せ、あるいは移動販売、的な感じかな。まあ、当時は当然Webなんぞあるわけもなく、幸ちゃんが採用した販路拡大作戦は、「行商人への卸売り」だ。つまり、主に東北地方を行脚している近江商人=行商人に、五鈴屋の取り扱う反物も一緒に持って行ってもらって、地方の人々に売ってきてもらう、という手である。競合と戦わない市場開拓、という意味ではブルーオーシャン戦略ですな。確かに、上物の反物は高価なので実際に購入してくれるお客さんは限られているかもしれないけれど、間違いなく日本全国で需要があり、行商人も結構あっさり取り扱いを決めてくれる。しかも委託販売でもなく、回収サイトの長い掛け売りでもなく、現金即金払いと破格の条件で買い取ってくれたのだから凄い。しかし行商人に関しても、わたしの常識? とは違って、天秤棒で担いで売るんじゃなくて、商品を前もって拠点となる宿に先に船便で送って、そこをベースに得意客を回るものなんだそうだ。へえ~~である。まあ、正直出来すぎな展開だが、結果的にこの策は当たり、行商人に卸した商品もきっちり売り切れ、追加発注までもらって五鈴屋は大儲けであった。おもしろいすねえ!
 2)フランチャイズ展開による在庫処分
 行商人がうまくいった幸ちゃんの元に、かつて五鈴屋で頑張っていた、けど、(3)巻だったかな、5代目と衝突して(いや、(2)巻で4代目のクソ野郎と衝突したんだっけ?)、五鈴屋を退職していた二人の手代が、再就職先が倒産して困っているという話が伝わる。彼らを再雇用するというのもアリだが、それよりも、彼らが独立して商売ができるような手はないかしら、と思った幸ちゃんがひらめいたのは、五鈴屋で在庫となってしまった反物を彼らに預け、行商してもらえばいいんじゃね? というアイディアだった。その際、彼らには五鈴屋のロゴ入り風呂敷に荷物を包んでもらって、運んでもらえばブランド戦略にもなるし! みたいな展開である。ここでは、売った分だけでいい、という「委託販売」の方法にを採っている。そうすれば彼らも元手はかからないし、というわけで、これは現代的に言うと、わたしには「フランチャイズ展開」に近いだろうな、と思えた。いわばロイヤリティを取るけど、商品仕入れはこちらでやるし、ブランドロゴも用意し、あとはあなたたちの努力次第、みたいな感じである。ちなみにこの時、大きな助けとなったのが、(1)巻で4代目のクソ野郎に最初に嫁いで後に離婚した菊栄さんで、彼女は現在実家に戻ってお店を弟(兄だっけ?)とやっているのだが、お鉄漿で大ヒットを飛ばし、人気店として頑張っている。そして、そのお鉄漿の生産地には、もうかっているけど田舎なので金を使う道がなくて、きっと五鈴屋の反物を求めている人がいっぱいいるわよ、と紹介状を書いてくれて、それがあって元手代たちは最初の在庫を見事売り切り、みんながハッピー、Win-Win-Winぐらいの大成功となる。まあ、これも正直出来すぎ、ではあるけれど、いいの! 読んでいて楽しいから!
 3)プロダクトプレイスメント
 そして3つ目が、これはビジネス改革というより宣伝プランなのだが、なんと幸ちゃんは、現代で言うところの「プロダクトプレイスメント」までひらめき、実行し、大成功してしまうのである。えーと、まず「プロダクトプレイスメント」ってのは何か説明すると、ごく簡単に言うと、ドラマや映画などで、主人公が何気なく使う品、を提供して、劇中で使ってもらい、さりげなく広告する手法だ。まあ、普通はスポンサーだとかの商品が不自然に置いてあるとか、やけにロゴがアップで写るとか、そういう形で行われるので、下手にやると下品極まりないけれど、幸ちゃんの実行したやり方は実に面白かった。現在の夫は、元作家志望のだめんず野郎だけあって、浄瑠璃の世界にも知り合いがいるわけですよ。その、浄瑠璃の人形に、五鈴屋の「桑の実色」の反物を無償提供するんだな。もちろん、一切、五鈴屋の宣伝をしてくれとかお願いせず、ただ、無料提供するだけである。そして、幸ちゃんが、同じ反物から作った着物を着て、その浄瑠璃を観に行くわけですよ。ここでポイントなのは、そもそも幸ちゃんが超美人で目立つ、ってことですな。お客さんは、おお、あの人形の着物はきれいな色でいいねえ! と思う→ふとみると、おっと!なんだあの別嬪さんは!人形と同じ着物着てるぞ!?まるで人形のような美しさじゃないか!!とざわつく→幸ちゃんは一切しゃべらず、にっこりするだけで去る→これを10日連続で行い、現代的に言うと、完全にBuzzるわけですな。結果、五鈴屋さんには「あの桑の実色の反物をくださいな!」とお客さん殺到。しかも周到なことに、幸ちゃんはあらかじめ「桑の実色」の反物を買い集めておいて、在庫もしっかり確保してるわけですよ。えーと、しつこいですが、やっぱり出来すぎ、ではあると思う。けど、痛快ですなあ! わたしは大変楽しめました。
 4)M&Aによる事業規模の拡大
 そして今回、最大のポイントがラストに待っていました。いままで、かなり五鈴屋の味方になってくれていた同業の桔梗屋さんが、後継ぎもいないし、もう歳だし、ということで、お店を売りに出すことになる。その時、よし、じゃあわたしが桔梗屋さんを買い取りましょう、ちゃんと従業員は継続雇用するし、お店の名前も桔梗屋さんのままでいいですよ、といいことづくめのように見えたが……まあ、実は全然いい話じゃなく、買い手はクソ野郎だった、ということで、桔梗屋さんは激怒&手付をもらっていたために大ピンチに陥る。そこで幸ちゃんが下した決断はーーー! というのが最後のお話で、これは実際に今までさんざんM&Aをやってきたわたしには、超何度も見かけたお話で、とても面白かった。わたしの経験では、M&Aはたいてい失敗しますよ。これは経験上、わたしは断言してもいいと思っている。お互いがお互いを尊敬し思いやるような、心の美しさがM&A成功のカギで、結局のところ、人、がすべてなのだが、最初に言っていたことを反故にするのなんて、もう何度も目にしてきたし、上手くいったのはほんの一握り、なのが現実だ。買収前後のゴタゴタは本当につらいことなのだが、幸ちゃんの決断は実に胸のすくもので、今回はここで終わりか! というエンディングだったので、次の(5)巻が今からもう楽しみでたまらないのであります。次はまた、年明けあたりだろうな……とてもとても、楽しみです!

 というわけで、もう長すぎなので、ここで結論。
 高田郁先生による最新刊『あきない世傳 金と銀(4)貫流編』が発売になったので、すぐさま買い、すぐさま読んだわたしだが、今回も非常に面白かった。高田先生の作品は、おそらく主に女性読者に人気なのだと思うけれど、この『あきない世傳』シリーズは、世のビジネスマンが読んでも大変面白い作品だとわたしは確信している。とりわけ今回のビジネスプランは実に面白かった。そしてとうとうM&Aまでがテーマとなり、これは全国の経営企画室の人々にぜひ読んでもらいたいと思う。そして、自らが手掛ける案件を想い、真面目に、誠実に、まっとうに、嘘をつくことなく、職務を全うしてもらいたいな、と思った。現代ビジネスの世界は、ほとんど契約に縛られているので「情」の出る幕は実はほとんどないのが現実だけど、やっぱり、「情」のない奴との仕事はつまらんというか……そういうやつとは付き合いたくないですな。幸ちゃん……あなた、生まれるのが250年早かったかもね……部下に欲しかったよ、君のような女子が……以上。

↓ お、DVDは発売されてますね。華ちゃん=澪ちゃんはいいすねえ! 華ちゃんは大阪人だから、澪ちゃんにぴったりでおますなあ! 女子のしょんぼりフェイス愛好家のわたしには、華ちゃんの「下がり眉」は最高でした。
みをつくし料理帖 DVD-BOX
黒木華
ポニーキャニオン
2017-11-15

 先日、インターネッツなる銀河をあてもなく逍遥している際、新潮社のサイトで、妙な告知を見た。曰く「≪担当編集者からお願い≫『すごい小説』刊行します。キャッチコピーを代わりに書いてください!」というもので、それを目にしたときは、アホかお前、自分の仕事を放棄するつもりか? と呆れたのだが、どうやらその小説を7/14~7/27の2週間限定で全文公開する(※まだ修正途中の原稿なので、校了したものではないらしい)ので、まずは読んでくれ、というものらしい。要するに、話題作りの一環であろうと思われる。炎上マーケティング、ではないけど、なんか近いものがあるような……。

 そしてその原稿は、各電子書籍サイトでも配布する、とあったので、わたしの愛用する電子書籍販売サイトでダウンロードし、とりあえず読んでみた。それが、『ルビンの壺が割れた』という作品である。


 まあ、ズバリページ数も少なく(わたしが読んだフォーマットで113ページ)、これで本当に全文なのか、良くわからないが、2時間かからずあっという間に読める。
 そして読み終わった感想としては、なるほど、という一言だけだ。
 ネタバレは絶対禁止のようなので、核心を突くことは書けないのだが、簡単に構造だけをメモしておくと、とある男女のメールのやり取りだけで構成されていて、地の文?のような、第三者目線の語り手はいない。お互いがお互いに宛てて書いたメールだけである。そしてどうやら二人は現在50代、Facebookで偶然、かつて結婚の約束をしていた女性を見つけた男が、一通のメール(メッセンジャー?)を送るところから始まるお話である。

 最後まで読めば、なーるほど、とすべてわかる仕掛けは確かにお見事で、大いに称賛したいと思う。
 しかし、わたしにはそれ以外の感想は特にない。新潮社社内では、「年に100冊小説読んでるけどここ5年で最も驚かされた作品」だとか、「大満足の読書体験をお約束します。この作品、売れる予感しかない!!」とか基本、大絶賛の方向だが、そんな(自分の会社の商品を絶賛しているという意味での)自画自賛には、しらけるというか、ふーん……としか思えないのだが……。
 わたしがふと思い出したのは、大学の文学史の授業で、フィクション小説の元祖は、18世紀の書簡体、あるいは日記体小説で、その頃はまだ散文において「物語る第三者」の概念が発明されておらず(この辺は記憶があやしい)、基本は一人称で、たとえばLaurence Sterneの『Sentimental Journey』なんかがその例だ、なんてことを習った記憶だ。それが正しいのかどうか、もうよく覚えていないが、まあ、手紙(≒メール)という形式の小説はある意味古典的で、別に珍しくはないものだ。
 書簡体小説――あるいはいっそ一人称小説、とひとくくりにしてもいいのかもしれないが――の特徴は、それはあくまで、それを書いている人自身の心情の吐露であり、ある意味一方通行であり、その結果、そこに書かれた相手の誰か、の心情は書き手によるまったくの想像にすぎず、事実あるいは真実とはズレがある、という点にあろうと思う。そしてそれ故に、別の誰かの手紙では、同じことがまったく別の一面をさらけ出すことになる、というのも定番コースだろう。まさしく、本作のタイトル「ルビンの壺」のように、「壺」以外の何物でもない、と思ってたら、別の人は「見つめあう二人」だと思ってた、というそのギャップが、読者たる我々に、な、なんだってーーー!?という驚きをもたらすわけで、基本中の基本ともいえるだろう。そういうパターンで、近年のわたし的ベスト作品は、やっぱり湊かなえ先生の『告白』じゃないかしら。ありゃちょっと違うか?
 とまあ、そういう意味で、本作『ルビンの壺が割れた』を読んだわたしも、その結末に、なーるほど、と思ったわけだが、それは、そういうことですか、という納得?であって、決して驚きではない。なので、それが面白かったかというと、まあ、わたしは年間に100冊は小説は読んでいないけれど、別にありがちだし、キャラクターに魅かれた点もないし、ふーん、という感想で終了、であった。
 じゃあ、なんでこんなBlog記事にしようと思ったのか。わたしも最初は書くつもりもなく、流そうとは思ったのだが……なんというか、要するにこういう商法が気に入らなかったんだろうな、きっと。そして、きっとこの本はそれなりに売れるだろうし、場合によっては映像化までされちゃうかもな、と思って、それに対するやっかみ?のようなものを感じたんだと思う。たぶん。つまり、わたしの心が狭く醜いということの証左に他ならないと認めます。
 
 しかし、やっぱり誰しも、Facebookで、元カレ・元カノ探しって、したことがあるもんなんすかねえ。わたしはズバリない。理由は簡単で、今の名前を知らないから、だ。まあ、きっと、今頃は幸せにしているであろうよ……と思うに留めといた方がいいんじゃねえかなあ。知らないでいた方がいいことってあるもんなあ。知ってしまったがために、気にやむようなことは避けた方がいいような気がしますね……。そういう、知らない方が良かったことが、ごくあっさり分かるという、変な世の中になりましたなあ……というのがわたしの本作に対する一番大きな感想です。はい。壺と思っとけばいいじゃない。改めて、別の見方をしなくても……ねえ。
 ところで、わたしが本作を読んで一番興味を持ったのは、果たして宿野かほる氏なる著者は一体何者なんだろう? という疑問だ。男? 女? 若いの? 中年以上? そんな疑問を実は一番強く感じたのだが、まあ、それも敢えて知る必要もないか。どれもあり得るだろうし、分かったところで何の意味もなかろうし。若い女子ってのがありそうかなあ。一つだけそう思う理由はあるけど重大なネタバレなので書けない! それにまあ、若い野郎・おっさん・おばさん、そのどれかなら普通過ぎて面白くないしね。

 というわけで、どうでもよくなってきたので結論。
 新潮社が8月に刊行するという作品が、2週間限定で全文読める、そしてそのキャッチコピーを募集! という妙な企画があったので、とりあえず作品を読ませてもらったのだが、結論としては、面白い、と判定するに全くやぶさかではないので、2時間ほどお時間の取れる方は是非読んで、オレならどんなキャッチコピーにするかなあ、と考えてみるのは結構アリだと存じます。わたしとしてはまあ、普通の面白さで、とりわけ深く思うことは何もない。少なくとも、わたしにとっては、この5年で読んだ小説の中で一番驚いた作品、なんて感想は持ち得なかった。たぶん、世の小説好きの皆さんも、そこまでの感想をもつのか、若干疑問です。なんか、そこまで持ち上げてハードル高めて大丈夫か、と他人事ながら心配だが、ま、話題作りってことでしょうな。以上。

↓ そうだなあ……ここ数年で読んだ中で、一番、な、なんだってーーー!? とわたしが驚いたのはなんだろうなあ……小説じゃないけど、映画だとこれかなあ……

手紙は憶えている(字幕版)
クリストファー・プラマー
2017-05-03

いや、やっぱり、こっちかなあ……

小説の完成度では、やっぱりこれかなあ……。7年前だけど……。


 おととい土曜日にこのBlogで感想を書いた、高田郁先生による『出世花』という作品だが、すでに書いた通りわたしは痛く感動し、大変楽しめたわけだが、昨日の日曜日、その続きとなる『蓮花の契り 出世花』という作品をすぐに読み出して、実は140分ほどで読み終わってしまった。そして、まあある意味当然だが、今回もまた、大変心にしみる泣けるお話であったのである。以上。
 で、終わらせてもいいのだが、近年とみに記憶力の低下しているわたしであるので、いつも通り、いつかの備忘録のため、エピソードガイドを簡単にまとめておこうと思う。今回もネタバレ満載なので、以下を読む場合は自己責任でお願いします。かなりクリティカルなネタバレも含んでいると思いますので。※昨日の記事にキャラ紹介まとめてあります。
蓮花の契り 出世花 (ハルキ文庫)
高田 郁
角川春樹事務所
2015-06-13

 というわけで、本作は、『出世花』の直接の続編であり、完結編である。前作同様4話構成で、1806年から1808年の2年間のお話であった。それすなわち、主人公のお縁ちゃんは22歳から24歳、ということになるみたい。初登場時が9歳で、15歳で「三味聖」となり、それから7年の時が経ってるわけですな。たしか前作のエンディング時は19歳ぐらいじゃなかったっけ? それからも少し時が経っているということになりますね。ちなみに言うと、この時代背景は『みをつくし料理帖』にとても近くて、たしか『みをつくし』の冒頭が1812年ぐらいで、その時主人公の澪ちゃんが18歳ぐらいだったので、本作の主人公お縁ちゃんは澪ちゃんより10歳ぐらい年上ってことになりますな。きっと江戸ですれ違ってるかもしれないすね。お縁ちゃんは世俗と離れてるから「つる屋」のことは知らないかもしれないけど、澪ちゃんは「三味聖」のうわさを聞いたことがあるかもしれないですな。
 さて、どうでもいい前降りはいい加減にして、さっさとまとめるか。
 ◆第1話:「ふたり静」
 前作でお縁が出会った神田明神の近くの岡場所所属の遊女「てまり」さんのお話。半年前江戸を襲った大火で、神田明神の近くも焼け野原になり、以来ずっと、4年前、お縁ちゃんが18歳の時に出会ったてまりさんは無事かしら、と大変心配していたが、ある日、ばったりと四谷の近くで、てまりさんそっくりな女子に出会う。しかしその日はあっさり見失うものの、翌日(だっけ?)、お縁ちゃん愛用の数珠のひもが切れてしまい、佛具師に紹介してもらった四谷の数珠職人の元へ行くと、なんとそこには、まさしくてまりさんが! しかし、完全に記憶を失っていて、数珠職人の元武士の男と暮らしていたのだった。聞けば、男の母(若干ボケ気味)が、亡くした男の妻と勘違いして疑似家族的に暮らしているとか。そしてその母がとうとう亡くなり、お縁ちゃんによる湯煎を見て、てまりちゃんはすべてを思い出し――てなお話。男の過去の話も泣けるし、てまりちゃんがなんとも泣かせる……!
 ◆第2話:「青葉風」 
 お縁ちゃんが15歳の時、養女にしたいと言っていた「桜花堂」の若旦那、仙太郎さんが青泉寺にやってくる。……もう、皆さん前作を読んでいると思うので、スーパーネタバレだけどいいすよね? そう、この桜花堂のおかみさん、お香さんこそ、まさしくお縁ちゃんを幼少期に捨てて別の男と逃げた実の母なわけですな。で、お香さんは結局その一緒に逃げた男とも死別し(だっけ?)、桜花堂の旦那さんの後添えとして迎えられ、さらにその旦那さんを前作で亡くしているわけです。つまり、わかりにくいと思うけれど、若旦那の仙太郎さんは、血のつながらない息子なわけだ。その仙太郎さんが、お縁ちゃんを桜花堂で預かりたい、という話を持ってくる。その理由は、どうもお香さんと仙太郎さんの嫁のお染さんが、とにかく折り合いが悪く、嫁姑バトルが激しくて奉公人たちも参っており、その険悪な空気の中に、お縁ちゃんを投入することでちょっとは改善されるんじゃねえか、と思ったかららしい。お縁ちゃんとしては、正直、実の母とはいえ、若干お香さんに対してわだかまりがあり、全く気が進まないものの、和尚さんである正真さんに、「行ってきなさい」と言われて、半年間桜花堂で過ごすことに。そして、桜花堂で大変な事件が起こる。桜花堂の名物、桜最中を食べたお得意様が急死し、毒物混入疑惑が持ち上がって仙太郎さんが番屋にしょっ引かれてしまうのだった―――。
 このお話では、定回り同心の新藤さまが再び登場し、またも検視官ミステリーめいた展開で大変興味深く面白かったすね。そして実家に戻ってしまうお嫁さんのお染さんがなんかとても可哀想というか……なんか仙太郎さんが女心を分かってなさ過ぎてつらい……。
 ◆第3話:「夢の浮橋」
 桜花堂のピンチを救ったお縁ちゃんは、ますます桜花堂での存在感を増し、お香さん、仙太郎さん、そして奉公人のみんながお縁ちゃん大好きになっていく。そんな中、実家に戻ってしまったお染さんとばったり出会ったお縁ちゃんは、仙太郎さんとお縁ちゃんの関係修復のために、富岡八幡へのお祭りに連れて行ってくれという口実で、仙太郎さんをお染さんの実家のある深川へ連れていくことに成功するが、大川(隅田川)にかかる「永代橋」で、とんでもない大事故が発生してしまう。九死に一生を得たお縁ちゃんだったが、千人を超える死者を出した事故現場で、お縁ちゃんは三味聖として死者の悼むのだった。そして約束の半年が過ぎたとき、お縁ちゃんは一つの決断を下す――てなお話。ここで描かれる永代橋崩落事故は、どうやらWikiによると本当に起きた大惨事らしいですな。何とも痛ましい事故で、読んでいてつらい……。
  ◆最終話:「蓮花の契り」
 大事故から2か月後。青泉寺に戻ったお縁ちゃん。しかしある日、いつも青泉寺へやってきてはお菓子ばっかり食って帰る臨時回り同心の窪田さまが、どうやらお縁ちゃんの、三味聖としての死者を悼む姿が江戸市中では読売で評判となり、その神々しさに、あれぞまさしく「生き菩薩」だ、と大感動の渦だという知らせを持ってくる。そして窪田さまは、それはそれでいい話だけれど、あまりに目立った存在は、幕府に目をつけられて、「人心を掴むもの=幕府の敵」として何かよからぬことが起きねばよいが……と不吉な予感を告げる。そしてまさに寺社奉行の役人がやってきて、青泉寺を閉門せよと言ってくる。 あまつさえ、正真さま、正念さまが番所に連れていかれてしまう。青泉寺最大のピンチ。寺社奉行管轄外の「墓寺」であっても、僧籍を持つ正真さま・正念さまは僧侶として寺社奉行の支配下にあり、その決定は逆らえない。おまけに正念さまの実家からも、還俗のお願いが来て――と非常にピンチが重なるお話で、そんな大ピンチに、お縁ちゃんが最終的に下す決断がとてもすがすがしく素晴らしい。完結編にふさわしい、とてもいいお話でありました。まさか三味聖引退か!? とはわたしは一瞬も思わなかったすね。もう、前話でお縁ちゃんの心は決まってたもんな。実母であるお香さんとのわだかまりも、きちんと解くことができたし、ホントにすべてがきっちり収まるところに収まってホッとしましたよ。正念さんもまったく素晴らしい男ですな。

 とまあ、こういう展開で、わたしは大変楽しめました。
 しかし、わたしもまったく世俗にどっぷり浸かっている男なので、定回り同心の新藤さまがお縁ちゃんに言うセリフが、わたしとしては非常に心に残りました。新藤さまは、利発でまじめなお縁ちゃんをいたく気に入って、ホントにお前はイイ女だよ、と大絶賛するのだが、一方で、その思いつめたような、ある意味かたくなな心に、こういってあげるわけです。
 「 お縁、ひとに惚れる、ってのも良いもんだぞ。物言わぬ骸ではなく、血の通った相手に目を向けることも忘れるなよ」
 このシーンはとてもイイすねえ。わたしは非常にグッと来た。お縁ちゃん、三味聖として生涯をささげることに、何も異を唱えるつもりはないけれど、この新藤さまの言葉は忘れない方がいいぜ。そして君は君のしあわせを、三味聖としてつかんでおくれ。とまあ、そう願わずにはいられないすね。

 というわけで、結論。
 高田先生による『出世花』第2巻にして完結巻、『蓮花の契り 出世花』をかなりあっという間に読み終わった。そして今回も大変泣けるお話で、大変心にしみました。いいすねえ……お縁ちゃん、あんた、ホント、幸せにおなりなさいな。君に幸あれ――そう願っております。やっぱり、真面目にまっすぐに生きる人間が報われるお話は、ほっとしますね。ほんと、現実の世もそうあってほしいものですよ。まあ、報いを求めるつもりはないけれど、いつかイイことがあるさ、と思うことぐらい許してほしいす。ちゃんと真面目に生きますので。高田先生の作品は、なんか勇気をくれますね。そこが高田作品の魅力なんでしょうな。まあ、要するにですね、最高です。以上。

↓  高田先生の作品で読んでないのは、あとこれだけかな。すでに購入済み。母曰く、これも大変イイお話とのこと。ちょっとインターバルを置いて、そのうち読もうと思います。
あい―永遠に在り (時代小説文庫)
高田 郁
角川春樹事務所
2015-02-14

 湯灌、という言葉を現代の若者が知っているのかどうか、相当怪しいような気がする。実際わたしも、その場に居合わせるまで知らなかったし、そもそもそのようなことを知りもしなかった。
 わたしはちょうど20年前に父を亡くしているのだが、わたしはまさしくその時、初めて知った。湯灌とは、遺体を棺に納める前に、湯で洗うこと、要するに最後の風呂に浸からせることだ。今から考えると、結構珍しいことのような気がするが、わたしの父の場合は自宅で葬儀を執り行ったのだが、今はもう都市部においては、自宅での葬儀というのはほとんど見かけないすね。いつからそうなったのか……さっぱりわからないが、現在では葬儀はほとんどが●●会館のような専用施設で行うのがほぼ一般化されているといってよいだろう。そういう場合は、湯灌も専用設備があるのだと思うが、わたしの経験した父の葬儀の場合は、まさしく自宅で、葬儀社が持ってきた専用の、ちょっと特殊というか見慣れない、そうだなあ……深さ50㎝ぐらいだったかなあ? やけに浅い湯船のようなもので湯灌が執り行われたのである。その光景は、極めて厳粛なものとして、いまだに忘れられない。
 というわけで、わたしが昨日の帰りの電車内で読み終わったのが、高田郁先生による『出世花』という小説である。すでにこのBlogでも散々書いている通り、『みをつくし料理帖』や『あきない世傳』シリーズでおなじみの高田先生の小説デビュー作である。もう最初に書いちゃいますが、まあ泣けましたなあ……泣ける度合いとしては、わたしとしてはこれまでの高田先生の作品の中では随一ではなかろうかと思う。まあほんとに超いいお話でありました。

 物語は、江戸時代中~後期にかけて、江戸は内藤新宿の先の下落合の「墓寺」を舞台に、湯灌師として働くことを決めた一人の少女の目を通して語られる人情話である。いつもの高田先生の作品のように、本書は4つのエピソードからなる短編連作と言っていいだろう。今回は、キャラ紹介、エピソードガイド、そしてこの作品を読んでわたしが初めて知ったこと、をまとめてみようと思う。いつも通りネタバレ満載ですのでご注意を。
【キャラ紹介】
 ◆お艶(→お縁→正縁):主人公の女子。初登場時は9歳。下級武士の娘。母が不義密通で駆け落ちし、父とともに妻敵討ち(めがたきうち)の旅に出るも、江戸で野垂れ死に一歩手前で行き倒れているところを、下落合の墓寺「青泉寺」の住職に助けられる。父はそのまま死亡。父は死の間際、住職に、この子の名を新たに与えてほしい……と頼んで、艶から「縁」に名が変わる。その後お縁と名を変えて青泉寺で養育されるが、湯灌された父の、すべての苦悩から解き放たれた安らかな死に顔をみて、湯灌師になりたいという希望を持ち、15歳の時に「正縁」という名を得る。なお、僧籍にない、湯灌の手伝いをする人々を「毛坊主」(剃髪してない坊主もどき的な蔑称)と呼ぶのだが、上方では「三昧聖(さんまいひじり)」と呼ぶそうで、以後、正縁は、人々の間では三昧聖と呼ばれ、「三昧聖の手にかかると、病みやつれた死人は元気なころの姿を取り戻し、若い女の死人は化粧を施され美しく輝くようになる。三昧聖の湯灌を受けた者は、皆、安らかに浄土へ旅立ってゆくのだ」という評判が立つようになる。現代で言うところの納棺師というものですな。まあ、とにかくいい子ですよ。大変けなげで大変泣かせてくれます。当然美少女です。
 ◆正真:青泉寺の住職さん。いい人。年齢表記があったか覚えてないけどイメージ的に50代ぐらいか?
 ◆正念:青泉寺の若いお坊さん。超いい人。実は僧籍に入る際に深い事情があって……それは第4話で明かされます。その話がまた泣けるんすよ……。
 ◆市次:青泉寺の下働きの男の一人で最年長。正縁の先輩。これまたいい人。
 ◆仁平:青泉寺の下働きの男の一人で真面目な人。正縁の先輩。もちろんいい人。
 ◆三太:青泉寺の下働きの男の一人で最年少。正縁の先輩。まだ若干俗世間的な執着はあるけどなんだかんだ言って正縁の味方のいい人。
 ◆お香:内藤新宿の(今でいう四谷三丁目あたりか?)菓子司「桜花堂」のおかみさん。幼いお縁を養子にもらおうと思うが、お香本人も知らなかった驚愕の事実が……! 
【エピソードガイド】
 ◆第1話:出世花
 物語の始まりから、三味聖として生きる決意をするまで。成長のたびに、「お艶」→「お縁」→「正縁」と名前が変わるのを、出世魚じゃねえんだからよ、おれたちにとっちゃお縁坊はお縁坊だぜ、と市次兄さんがいうのを聞いていた正念さんが、「正縁は魚ではない。さしずめ「出世花」というところかな。仏教で言うところの「出世」とは、世を捨てて仏道に入ることだ。正縁は名を変えるたびに御仏の御心に近づいていく。まことに見事な「出世花」だ」と泣かせることを言って幕が閉じる。なぜ泣けるかは、ぜひ自分で読んで感じてください。わたしは、「出世」という言葉は、「世に出る」ことかと思ってたけれど、仏教的には「世を出る」ことだったんすねえ。逆だったのか……なるほど、てことは、現代の出世した、と言われる人々は、ほとんど出世してねえってことなんだなあ。むしろ逆に、より一層世に縛り付けられることが現代の出世なわけで、なんか感じるものがあるすね……かつて社会的に結構出世したわたしも、今は本当の意味での出世に近いのかもなあ……。いや、まだまだか。どっぷり世に浸かってるし。
 ◆第2話:落合蛍
 いつも青泉寺に棺を納品に来る龕師(=棺職人)岩吉さんの泣けるエピソード。岩吉は無口で容貌が超おっかない鬼の形相だし、おまけに棺職人なので、残念ながら人々に避けられている孤独な男なのだが、これまた超イイ奴で、その儚くも報われぬ恋の顛末を描く物語であった。残念ながら、ただしイケメンに限る、のは今も昔も変わらないようで……岩吉さんの優しさが心にしみますなあ……。そしてこの話から、若干犯罪捜査ミステリー的な面も出てくる。大変面白い。
 ◆第3話:偽り時雨
 この話は、神田明神そばの幕府非公認岡場所の遊女が、はるばる下落合の青泉寺にやってくるところから始まる。容態が悪く、死に瀕した先輩遊女が、どうしても最後は三味聖に湯灌してほしいと言っているとか。そこでお縁は、その遊女の案内で、初めて江戸を横断して神田明神界隈へ。そこで、それまで全然世間を知らなかったお縁は、江戸市井の人々の生き方を知る。そしてこの話は、検視官的犯罪ミステリーでもあって、かなり面白かった。この話で定回り同心の新藤さまと知り合う。
 ◆第4話:見返り坂暮色
 最終話。正念さんの超泣けるエピソード。ある日、立派な身なりの武家が青泉寺へやってくる。聞けば危篤の奥方がいて、どうしても正念さんに会わせたいのだとか。しかし正念さんは、もはや出家の身、それすなわち俗世との縁はすべて断ち切った身であり、行くことはできないときっぱり断るのだが、どうやらその危篤の奥方とは、正念さんのお母さんであるようで――てなお話。ここで語られる正念さん出家の理由がまあ泣けますよ。そしてやっぱりお縁の湯灌の様子も、ホント心にグッときますなあ……。
【初めて知ったへぇ~な事実】
 ◆「墓寺」ってなんぞ?
 江戸時代、寺社仏閣は、もちろん「寺社奉行」の管轄であり、町奉行の手の及ばないところというようなふわっとした知識は、まあ誰でもお持ちだろうと思う。時代劇なんかでもおなじみですな。寺社奉行の歴史は古くて一休さん(※時代的に室町時代の足利将軍時代)に出てることででおなじみの新右衛門さんも、寺社奉行のお人でしたね。
 で、墓寺というのは、どうやら寺社奉行の管轄外=幕府非公認のお寺だそうで、お葬式専門のお寺のことなんだそうだ。へえ~。そんなお寺があったんすね。それは、背景としては、江戸市中ではすでに火葬が一般的ではあったんだけど、火葬場施設を持っていない幕府公認の普通のお寺もまだ多かったし、幕府公認の公設火葬場も5か所しかなく、どうやら簡単に言うと、全然足りない状況だったらしい。ゆえに、葬儀専門寺としての「墓寺」というものの需要が高かった、ということだそうだ。へえ~。全然知らなかった。
 ◆「湯灌」の作法
 ・逆さ水:ふつうのお風呂は、沸かした熱い状態に水を入れてちょうどいい温度にしますわな。しかし、湯灌の場合は、先に水を入れて、湯を注いでちょうどいい温度にするんだそうだ。へえ~。
 ・「使用後の湯」の捨て方:これはあらかじめ定められた「日の当たらぬ場所」に捨てることが決められているらしい。まあ、湯灌師は「屍洗い」という蔑称で呼ばれていた時代(ま、現代でも湯灌を見聞したことのない人はきっと、その仕事の尊さは全く理解できないだろう。本作でも、「見ず知らずの死人を洗う、などと、考えただけでも身の毛がよだちます」なんていわれてしまう)、その湯灌に使ったお湯をそこらに無造作に捨てていたら、そりゃちょっとアレですわな。だからきちんと、ひょっとしたら仏教的な意味も明確にあると思うけれど、捨てる場所が決まっていたんだそうだ。へえ~。
 ・「湯灌」時の服装:これもきっちりルール化されていて、「縄帯に縄襷を身に着けるべし」と決まっているそうだ。なるほど。へえ~。
 ・場所について:家持でない者の自宅での湯灌は許されない。よって当時はたいてい、寺院の一角に設けられた湯灌場にて僧侶立会いの下に行われるのが常であったそうです。へえ~。わたしの家は持ち家だったから許されたのかな。あの時お坊さんは来てたっけ……ああ、確かに来てたような気がするな。でも、納棺師の方は、縄帯・縄襷ではなく普通にスーツにネクタイだったかな。
 ◆ところで……このお話って、あの映画に似てるよな……
 わたしは本書を読み始めて、真っ先に思い出したのが、第81回アカデミー外国語映画賞を受賞した『おくりびと』だ。あの映画はわたしも公開初日に観に行って深く心にグッと来た作品であったが、本作も、同じ納棺師を主役としている点で共通している。ただ、まあ好みとしては本作の方が味わいは深いかな……いや、どうだろう、比べることに意味はないか。どちらも素晴らしいと思う。わたしが興味深いと思ったのは、本作『出世花』は2008年6月刊行、そして映画『おくりびと』が2008年9月公開であったという、非常に近い時期に世に出た作品であるという共通点である。ま、どっちが先かなんてことはどうでもいいけれど、ここまで似た作品がこんなに近いタイミングなんで不思議すね。偶然?なんだろうな。他に何か理由があるのかな。あ、元々は祥伝社の小説公募で2007年に奨励賞を受賞した作品なんすね。へえ~。知らんかったわ。

 というわけで、もう長いので結論。
 高田郁先生による『出世花』という作品を読み終わった私であるが、またしてもわたしは高田先生の作品にいたく感動してしまったのである。大変グッときましたよ。素晴らしいお話でありました。実は本作『出世花』には、第2巻があって、それで完結しているらしいので、早速そちらも読み始めようと思っております。しかしなんというか、現代人が忘れちまったことを、いろいろ思い出させてくれますね。そういう作品ばっかり読んでいると、ホント、現世が嫌になってしょうがないす。あーあ……いったいいつまで生きねばならんのだろうか……いつあの世へ行けるのか、正確にわかっていれば、相当いろんな悩みから解放されるというか、きっちり計画的に生きられるんだけどなあ……まあ、明日突然でもいいように、毎日真面目に、清く正しく美しく生きたいと思います。以上。

↓ この作品も漫画化されてるんすね。ちょっと気になるわ……。全4巻みたいすね。ああそうか、各話ごとってことか。なるほど。電子化されてればすぐ買うのに……。
 

 わたしが高田郁先生の作品と出会ったのは、去年の春である。当時大変お世話になっていた美人お姉さまのHさんに、これを読んでみろ、と教えてもらったのが『みをつくし料理帖』というシリーズで、教えてもらってすぐに本屋で1巻2巻を買い、その後読み終わってすぐに全10巻まで買いそろえて毎日せっせと読んだ。そしてさらに、高田先生の新シリーズである『あきない世傳』シリーズも読み始め、現在もなお続くシリーズの新刊をまだかなーと待ちわびている状態である。それらの感想は散々このBlogでも書いたので、再び詳しくは触れないが、まあ実に面白い。その面白さの源は、わたしとしてはキャラクターの心根のまっすぐさ、すなわち、まっとうに生きる登場人物たちが真面目にコツコツと生きる姿であり、お天道様に顔向けできないようなことは決してしない、誠実さに、とても心惹かれるのだと思う。
 わたしは生きる指針として、自分で「そりゃあ違うなあ……」と思ったことは、もうしたくないと思っている。遠回りであれ、めんどくさく、つらく厳しい道であろうとも、自らが正しいいと思う、やましさのない道を生きていこう、とおととし決意し、今に至っているわけだが、まあ、実際なかなか難しい生き方であり、損か得かで言うと、経済的にはまったく損な道ではあるが、精神的にはまったくストレスのない、どうやら人間にとって大変好ましい道なんじゃないかしら、と思いつつある。おととし決意していなかったら、まあ確実に経済的には現在の3倍以上稼げていたが、金は勿論この現代社会においてほぼ一番重要であるとわかってはいるものの、まあ、年収が1/3になっても、金じゃねえさ、と若干の強がりを抱きながら日々暮らすわたしである。 カッコつけ、と思われるかもしれないが、そう、まさしくわたしは、心のありようとして、カッコ良く生きたいと思っているのだ。真面目に、誠実に生きること。それをわたしはカッコいいと思っているのである。
 で。わたしは高田先生の作品を読み続けていて、実は読み終わった後に、わたしの年老いた母に、これ、なかなか面白かったぜ、読んでみたら? と渡していたのだが、どうやら母のハートにも大変響くものがあったようで、『みをつくし』も『あきない世傳』も母は読破し、最近よく「次の新刊はまだかしらねえ」と言うので、まあ次の新刊は夏か秋じゃねえの? と答えていたところ、「ところで高田先生のほかの作品はないのかしら?」と母がつぶやくので、ああ、そりゃあるわな、と当たり前のことに気が付き、現在発売されている高田先生の他の作品を買って来て、先に母に読ませることにした。わたしはわたしで他に読む本が待機中なので、お先にどうぞ、ということである。
 というわけで、わたしは現在電子書籍でとある翻訳小説を読んでいるのだが、これがまたひじょーに時間がかかっており、ふと、母が読み終わった高田先生の作品を読んでみよう、という気になった。そんなわたしが、真っ先に手にしたのが、『銀二貫』という作品である。ちなみに、我が母絶賛のお墨付きである。

 何故この作品にしようとしたかというと、この作品は、2015年にわたしが愛する宝塚歌劇にて上演されたことがあるからだ。残念ながらわたしはその公演を観られなかったが、大変泣けるお話だということは聞いていたので、原作小説を読んでみたいと思っていたのだ。ちなみに2014年かな、NHKドラマにもなっているし、漫画化もなされているようだ。
銀二貫 (A.L.C. DX)
黒沢明世
秋田書店
2014-02-28

 おっと、おまけにどうやら今年の6月から、大阪松竹座でお芝居としても公演があるみたいだな。すげえ、大人気じゃん。わたしはそれらの二次創作を一切味わっていないので、実は物語もよく知らない、ほぼまっさらな状態で読み始めたのである。そして、結論をズバリ言ってしまうと、またもや非常にイイお話で、真面目に生きることを信条とするわたしとしては大変楽しめたのである。これは泣けたわ……。
 
 さてと。まずは簡単に物語をまとめておこう。以下、ネタバレもかなりあると思いますので、読む読まないの判断は自己責任でお願いします。
 時代は1776年から22年にわたる長い物語で、江戸中~後期の大坂を舞台としている。主人公・鶴之輔は、とある藩士の長男だったが、その父は藩で刃傷沙汰(?)を起こして逃亡していた、が、京・伏見で仇討の追っ手と出会い、斬られる。そしてその場に居合わせた、寒天問屋を商う和助は、思わずその場に割って入り、鶴之輔をも斬ろうとした侍に、「その仇討、銀二貫で買わせてもらいます!」と、伏見の寒天製造者から取り立てたばかりの全財産を差し出すのであった。その「銀二貫」は、金に直せばざっと33両。大火が続いて焼けてしまった大阪の天満宮へ寄進するために工面した大金であったが、何とかその金で矛を収めたお侍から、生き残った鶴之輔を連れて大阪へ戻り、鶴之輔を「松吉」という名で丁稚として雇用するに至る。そしてその「銀二貫」を再び貯めるべく、松吉としての第2の人生を歩むことになった鶴之輔の、苦労の多い、そして幸福な人生を描く――という物語であった。サーセン。かなり端折りました。
 物語としては、これでもかと言うぐらい艱難辛苦が降りかかるが、やっぱりキャラクターなんすよね。グッとくるのは。辛いことばかりでも、人は生きていくしかないわけで、迷わずにまっすぐ進むのは難しいわけだけれど、この物語に出てくるキャラは、みな、真面目に頑張るわけで、この物語を読んで、味わって、つまらんという人とは、まあ友達にはなれないすなあ。というわけで、主なキャラ紹介をしておこう。
 ◆鶴之輔改め松吉
 登場時10歳。寒天問屋の丁稚として真面目に働く。結構あっという間に大人になる印象。もと士分ということでやたらと姿勢がいいが、それは商人の丁稚スタイルじゃないと怒られることも。あきないは信用第一であり、その信用とは、自分個人が他人に信頼してもらうことではなく、暖簾に対する信頼が最重要だと教わる。初恋の相手、真帆ちゃんの父(料理人)から、もうちょっと硬い寒天があれば料理に幅が出るのだが……という話を聞いて、当時存在しなかった硬めの寒天づくりに奔走し、とうとう成功、それを用いた「練り羊羹」(=我々現代人が羊羹と聞いて思い浮かべるアレ。どうやら当時は「蒸し羊羹」しか存在せず、寒天を混ぜた練り羊羹は超画期的発明、らしい)の開発に成功する。大変真面目で不器用な好青年。NHKドラマ版では林遣都くんが演じたそうです。そりゃちょっとイケメン過ぎのような気が……。
 ◆和助&善次郎
 寒天問屋「井川屋」の店主&番頭。二人ともとてもいい人。松吉を救うために和助が「銀二貫」を手放してしまい、天満宮に寄進できなくなってしまったことを善次郎はずっと根に持っている。それは善次郎がかつて火事で奉公先を焼け出されたことがあって、天満宮への信仰が篤いためで、松吉としても大変心苦しく思っている。なお、作中で2回かな、あとチョイで銀二貫が貯まる、というタイミングで悪いことが起こり、その度に二人はせっかく貯めたなけなしの金を別のことに使ってしまうことになるが、まったく気にしないというか、また貯めるしかないね、と納得して金を手放すことに。なんていい人たちなんでしょう、この主従は。もちろん奉公人も大切に扱う善人。
 ◆真帆
 初登場時は10歳、かな。その時松吉は15歳。歳の差5歳すね。彼女の父、嘉平は、もともと井川屋が寒天を卸していたとある有名料亭の料理人だったが、その料亭が井川屋から仕入れた寒天の産地偽装をしていて、井川屋としてはもう付き合えまへん、と取引中止したことがあり、嘉平はそんなインチキ料亭を退職し独立していた。真帆は独立後の忙しい父のもとに寒天を配達に来る松吉と仲良くなり、まあ、はた目から見ればお互い完璧ぞっこんじゃん、という状態だったけれど、真帆も松吉もそれを表に出さず、あくまで発注元・発注先の関係だったが、火災によって嘉平死亡、真帆も顔の半分をやけどに覆われてしまう。その後、数年生死不明であったが、ある日松吉は美しく成長した真帆らしき女性にばったり出会い、再会を果たす。のだが、顔のやけどや命の恩人である女性への思いから、なかなか二人の想いは交差せず、読者としては大変いじらしく、またじれったく、ああ、この二人に幸せが来ると良いのだが……と見守るモードで物語を追うことになる。ま、当然最後はハッピーエンドでしょ、という期待は裏切られません。まったく……不器用な二人ですよ。だがそれがいい!のであります。ははあ、NHKドラマ版では、幼少期を芦田愛菜ちゃん、大人期を松岡茉優ちゃんが演じたんだ。そりゃあ可愛かっただろうな。
 ◆梅吉
 活躍するのは後半、井川屋の商売が厳しくなって奉公人が皆いなくなったときに、松吉と梅吉だけが残るのだが、松吉の同年代の同僚として結構心の支えになってくれるナイスガイ。君も最終的にはとても幸せになれて、ホント良かったな。
 ◆お広
 真帆が目の前で父を亡くした時、その場で同じく子を亡くした女性。気がふれて(?)、真帆を我が子「おてつ」だと思い込み、以降ずっと真帆をおてつと呼んでともに暮らす。団子屋を営み、味の評判は上々。真帆はどうしても彼女を放っておけなかったわけで、それが松吉との恋の障害になるわけです。しかし、お広も、亡くなる前には真帆と松吉との幸せを願っていたわけで、そのくだりは大変泣けます。
 ◆半兵衛
 もともとは、井川屋の仕入れ先である伏見の寒天製造業者の職人であり、松吉が鶴之輔として父の死後直後に伏見の業者に一瞬預けられていた時に出会っている。その後、故郷で独立し、伏見を襲った大火で仕入れ先を失った井川屋の、第2の仕入れ先になる。そして、松吉が追い求める従来品よりも硬めの寒天を製造するのに尽力する。まあ、彼も大変善人で、義理堅い男。ほんと、世の中こういう善人ばかりだと、生きるのも悪くないと思えるんだけど……悪い奴ばっかりだからなあ……やれやれっすわ。

 とまあ、こんなお話&登場人物で、しつこいけれど、大変イイお話である。この物語を読んで、出来すぎてるよ、とか思う人とは近づきたくないなあ。出来すぎてたっていいの! 真面目に生きる人が報われるお話なんだから、読んだら、自分もやっぱ真面目に生きていきたいもんだぜ、と思ってほしいのです、わたしは。しかしまあ、高田先生の作品はこのような、艱難辛苦にめげない、清く正しく美しい人々が描かれていて、大変読後感は爽やかですな。人気があるのもうなづけますね。わたしは今回も、たいへん楽しませていただきました。

 というわけで、結論。
 母のために買った高田郁先生の『銀二貫』という小説を読んでみたところ、まあ、いつも通りの面白さで大変気持ちの良い物語であった。やっぱり、高田先生の作品の魅力の根源は、キャラクターにあるんでしょうな。そして、きっちりと綿密に取材された時代考証は、わたしとしてはいつも、へえ~と思うような知らなかったことが多く、そういう点でも読みごたえは十分だと思う。わたしの母はもう80近い婆さまだが、どうやら高田先生のお話が大好きなようだ。女性向け、って訳ではないと思うが、やっぱり読者層としては女性層がメインなのかな。それでも、おっさんのわたしでも、毎作品楽しめる安定のクオリティだと思います。以上。

↓ 次はこれを読む予定。母曰く、こちらも大変面白かったとのことです。
あい―永遠に在り (時代小説文庫)
高田 郁
角川春樹事務所
2015-02-14





 

 今、本屋さんの文庫売り場に行くと、表紙カバーにコミック調のイラストを起用した作品がやけに多く目立つ状態にあるのは、もうお馴染みの光景だろう。わたしは、その先鞭をつけたのは、「メディアワークス文庫」というレーベルであると思っているのだが、その、「メディアワークス文庫」の書店店頭における存在感を一躍押し上げたのは、間違いなく『ビブリア古書堂の事件手帖』という作品だと思う。思うというか、間違いない。この作品のミリオンを超える大ヒットによって、似たような、ヒドイ言い方をすればパクリ企画が横行したのは、たぶん出版関係者なら、口では認めなくても心の中では認めるはずだ。わたしも、この『ビブリア古書堂の事件手帖』は、一番最初の(1)巻が発売されたときから読んでおり、大変面白く、楽しませてもらっている作品である。
 その物語は、ごくざっくり説明すると、北鎌倉の駅のそばにある「ビブリア古書堂」という古書店を舞台に、超美人の店長、栞子さんが、古書や文学史・出版史にまつわるトリビアを交えつつ、店を訪れる人々の問題を解決するというもので、実に面白い作品である。膨大な知識に基づいた、ある種の安楽椅子探偵じみた推理は読んでいて実に爽快だし、またキャラクターも大変よろしい。まあ、残念ながらこの現世には、モテない読書好きの男が夢に描く理想を体現したかのような「栞子さん」は存在しないと思うが、とにかく、少なくともわたしの好みには、物語も栞子さんも超ど真ん中のジャストミートである。
 というわけで、一応の(?)完結編となる第(7)巻が発売になり、わたしもさっそく読んだ。以下、ネタバレも混ざっているので、気にする人は以下は読まないでください。

 ちなみに、どうでもいいことなのだが、実は紙の文庫版では2月にとっくに発売になっていて、電子書籍では1か月遅れでやっと発売になり、ようやくわたしも読むことができた。しかし電子での発売日に買って読み始めて1.5日で読み終わってしまったので、読み終わったのはもう数日前になる。なんだか、この記事を書くのに妙に時間がかかってしまった。一応ですね、わたしもそれなりにちゃんと働いておりますので、ヒマではないのです。
 そしてもうひとつちなみに、本書は、明確に続きモノで、いきなりこの(7)巻を読んでも全くわからないと思う。まあ、いきなり(7)巻だけ読んでみようという人はいないと思うが、実のところ2年2カ月ぶりの新刊になるのかな、わたしはもうすっかり、前巻がどう終わったのか忘れていたので、(7)巻の電子版発売前に、復習として少し前の巻をパラパラ読み直しておいた。あ、わたしが持っているシリーズは電子書籍だから、パラパラ、じゃないか。1巻から4巻まで紙で読んでいたけれど、5巻が出た頃に、電子で全部買い直しました。
 で。何から書くか……。続きモノなので、説明すると膨大になるんすよね……この(7)巻の物語における前提がいっぱいあるからな…… ひとつだけ、大きな前提となるポイントとして挙げておかなくてはならないことは、栞子さんの母親についてであろうか。
 栞子さんは、北鎌倉に妹の文香ちゃんと二人で暮らしている。栞子さんはもう大学を卒業していて、文香ちゃんはまだ女子高生、(7)巻時点で、栞子さんが26歳(?)で文香ちゃんが3年生かな。 この姉妹のお父さんはすでに亡くなっているのだが、母親は、「10年前に失踪」してしまっている。一応、物語の中でチョイチョイ姿を現すものの、家には帰ってこない。そもそも栞子さんは母親の身勝手さを許していないし、母親も、破天荒というかまったく娘たちを放置していてるひどい状況にある。栞子さんは母親が嫌いだし、母親は栞子さんの書籍知識をまだまだだと思っている。そんな、世間一般的でない関係の二人なのだが、母がなぜ「失踪」したかというと、どうもなにやら幻の本を追って世界中を巡っているらしいことしか分からない。そしてまさしく今回の(7)巻で、その因縁の「本」にまつわる物語は一応の決着がつくという形になっている。それゆえ、冒頭で「一応の完結編」と書いたのだが、三上先生のあとがきによれば、キャラごとのスピンオフ的なものはまだ書く気がある、とのことなので、今後もまだ、『ビブリア』キャラたちに会えることもあるみたいですね。
 さてと。肝心の(7)巻だが、読んでわたしが何を感じたかというと、完結と言っても、なんかすっきりしたような、しないような、若干微妙な感じを真っ先に受けた。唯一すっきりしたのは、栞子さんと五浦くんの関係ぐらいだろうか。
 この巻で問題となる本は、Shakespeareの「ファースト・フォリオ」というものである。去年、また1冊発見されそうで、2016年4月時点で234冊現存するそうだが、要するに、世界で最初に出版された、Shakespeare最初の全集本で、没後7年経った1623年に出版されたもの、なんだそうだ。栞子さんのお母さんが探し求めていたものがまさにこの本で、作中の記述によればその価値は億円単位らしい。この、世界にその存在が認めらていない幻の本(推定1億円以上)を巡って、栞子さんのおじいさん世代の因縁がからんでの謎解き合戦となる。
 今回登場する悪役的なキャラは、かつておじいさんの番頭的なポジションだった男で、当然年寄りなのだが、非常に『ヴェニスの商人』のシャイロック的な言動で(勿論わざとであって、自らそういうキャラを演じているのだが、素でそういう男なのかも。よく分からん)、栞子さんと、栞子さんのお母さんに挑戦してくる。それは、おじいさんが持っていたとされるファースト・フォリオがこの4冊のコピーのうちの一つにまざっている。それを見分けられるかな? 的なもので、古書店協会の競売に出品して、お母さんと栞子さんがそれをめぐってオークションバトルをするというのが本編のクライマックスだ。
 だけど、その競りも結構あっけないというか、所詮は持ち金の多寡で決まってしまうわけで、売れば億単位のものなんだからもっと必死で競ればいいのに、と、わたしは無責任に思った。結局はいくら資金を用意できるかの問題であって、栞子さんが相当な覚悟で金を用意してきたのに、お母さんはそんなもんなんだ、というのがわたしが感じたあっさり感の源であろう 。まあ、わたしなら五浦くんの10倍、はきついけど5倍ぐらいは用意しただろうな。そう、なんかその本を手にしたいという迫力というか執念のようなものがまるでないんすよね。結局、本を手に入れる目的が金のため、だからなのだろうか? 心の底からその本が欲しい、とは到底感じられなかったのが、どうもわたしの感じるあっさり感の根底にあるような気がする。読んでいて納得できるような執着心がなく、じゃあアナタはなんで欲しかったの? というのが良くわからなかった。
  加えて言うと、まあ結局のところ、栞子さんは無事にGetでき、借金もしないで済んだし、文香ちゃんの大学進学資金もできたし、おまけに五浦くんからきちんとプロポーズされて、OK出したし、めでたしめでたし、なわけだが、お母さんとの関係は、正直あまり変わっておらず、お母さんはまたさっさとどっかへ行ってしまうエンディングには、なんというか、どうも全てすっきり終わったとは感じられなかった。
 うまく言えないのだが……やっぱりこれで完結、という気がどうにもしない。その点がわたしとしては若干残念に感じたポイントだろう。栞子さんも、ズバリ、あまり初登場時から成長していないし。唯一、五浦くんとラブラブになって、ちょっと積極的になったぐらいだろうか。ラブコメならこれでいいけれど、なんというか、栞子さんの成長がきちんと描かれてほしかったように思う。
 ちなみに、本シリーズは、基本的には五浦くんの一人称語りであるため、正確に言うと主人公はこの語り手である五浦くんであるというべきだろう。ただ、まあ、五浦くんは大変イイ奴だし、栞子さんをモノにする(我ながらなんてゲスな表現!)のは実にうらやまけしからんけれど、彼も成長したのだか、初めからあまり変わっていないのだか、実に微妙な気がする。読んでいる時は面白いからいいけれど、うーん、まあ、栞子さんと五浦くんの将来に幸あれ、と読者としてはクールに去るのが礼儀だろうか。ま、ホント、お幸せにな、お二人さん! あばよ!
 あと最後に、今回の最終巻に合わせて、アニメ化と実写映画化が発表されるというトピックスもあった。わたしはアニメは観ないと思うけれど、映画は、「誰が栞子さんを演じるか」には大変興味がある。数年前のTVドラマ版はなあ……あの女優は別に嫌いじゃないし、実際可愛いと思うけれど、栞子さんと言えば「黒髪ロング&巨乳」なのに、なぜショートカット&つるペタだったんだろうか……わたしは彼女には全く罪がないと思う。むしろ絶対いろいろな批判が出る役なのに、ホント頑張ったと讃えたいぐらいで、そもそも批判されるべきなのはキャスティングしたプロデューサー以外いない。だって、いわば、ケンシロウの役にアンガールズの山根くんをキャスティングするようなものじゃあないか……。ま、いずれにせよ、映画に関してはキャストの続報を楽しみに待っていたいと思う。
  
 というわけで、まとまらないけれどもう結論。
 メディアワークス文庫『ビブリア古書堂の事件手帖』の本編完結となる(7)巻が発売になり、さっそく読んでみたところ、まあ、安定の面白さ、であることは間違いないのだが、結末的にどうも完結のすっきり感が乏しく、また、一番の謎だった母親の求めていた本への執着もあまりなくて、ちょっと……なんというか、だいぶあっさり感を感じた。でもまあ、間違いなく言えることは……栞子さんは最高です。以上。

↓ うおっと!すっげえプレミア価格になってる……。

 いきなりだが、↓この写真を見て、何と書いてあるか読めるだろうか? そして、この碑がどこにあるか知っている人はいるだろうか? いや、そりゃあまあいるだろうけど、たぶん非常に少ないのではないかと根拠なく思う。
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 阿弖流為とは、アテルイ、母禮は、モレ、と読む。そして場所は、京都の清水寺の境内だ。わたしがこの写真を撮ったのは、ファイルのタイムスタンプによれば2002年の2月のことのようだ。懐かしい……早朝のまだ誰もいない静かな清水寺を一人訪れて、まさかこの場に阿弖流為の碑があるとは知らなかったわたしは、へえー!? と興奮して撮影したのである。
 そしてなぜ、わたしが阿弖流為という人物を知っていたかというと、これがまた我ながら変化球で、わたしの大好きな原哲夫先生の漫画に、『阿弖流為II世』というとんでもない漫画があるからだ。

 ↑これっすね。内容は、まあとにかくトンデモストーリーで、ギャグとして笑って読むのが正しいと思うけれど、蝦夷の英雄、阿弖流為が現代によみがえってさあ大変! というもので、石原慎太郎氏にそっくりなキャラが都知事として出てきて、壮絶にぶっ殺される痛快なシーンが忘れられない傑作である。
 ま、それはともかく。きっかけは原哲夫先生の漫画ではあったけれど、わたしは子供のころから気になったことはとりあえず調べてみる男なので、原哲夫先生の漫画を読んだ後で、果たして一体、阿弖流為なる人物とは何者なんだろうか、つか、実在の人物なの? と実は全然知らなかったので、調べてみたことがある。すると、どうやら奈良時代~平安時代にかけて、蝦夷(えぞ、じゃなくて、えみし)の武者として、朝廷との壮絶な戦を闘いぬいた勇者であるらしいことが判明した。そういうわけで、2002年の2月に一人で冬の京都を旅している時に、清水寺で偶然、上に貼った碑を見かけて大興奮、となったのである。

 そして写真を撮ってから15年が過ぎた。 わたしは阿弖流為のことをすっかり忘れていたのだが、先日、わたしが愛する宝塚歌劇において、そしてこれまたわたしが一番応援している礼真琴さん主演で、とある演目の発表があったのである。そのタイトルは――ミュージカル『阿弖流為―アテルイ―』といい、そのまんまの、まさしく阿弖流為であった。もう夏が待ちきれねえぜ! とわたしは現時点ですでに相当テンションが上がっているわけだが、ちょっと待て、オレ、阿弖流為といっても、ちゃんと知ってるのは原哲夫先生の漫画(しかもトンデモストーリー)だけじゃん、劇団☆新感線の芝居も観てないし、NHK-BSでTVドラマ化された作品も観ていない。このままじゃマズいんじゃね……? という気がしてならないので、では、基本の原作小説から読んでみようという気になり、高橋克彦先生による『火怨 北の耀星アテルイ』を買って読んでみることにしたのである。


 そして、読み始めた。そしてどんどん熱くカッコイイ男たちに夢中になり、大興奮のうちに読み終えたのである。ズバリ、ラストはもう、泣けて仕方がなかった。金曜日の電車の中でラスト10ページぐらいを残して終わり、我慢できず会社に着いてコートも脱がず読み、読み終えたわたしはもう、涙と鼻水でとんでもないことになった。いやあ、最高です。ホント面白かった。これは登場キャラクターも多くて、さながら三国志や水滸伝的なので、礼真琴さんのミュージカルを観る前に予習しといてよかったわ、と心から満足である。ちなみに2000年に吉川英治文革新人賞を受賞した作品らしいですな。これ、愛する礼真琴さんが主人公・阿弖流為を演じるわけだけど、超泣けるものになるんじゃないかと、早くも傑作の予感がしてならないすな。
 で。物語は、西暦780年の第2期蝦夷征討から、803(?)年までの23年にわたるお話で、非常に興味深く、小説としてももちろん読んでいてワクワクするような、実に上質な作品であった。
 現代の我々はきっとほとんどが知らないことだろうが(偉そうに言うわたしも知らなかった)、794ウグイス平安京、でお馴染みの、平安京(=京都)へ遷都するまでは、都(=天皇の住んでいるところ)は、平城京にあり、要するに奈良、である(※正確に言えば、平城京から784年に長岡京に遷都して、そのわずか10年後に平安京に遷都)。だから「奈良時代」と呼ばれているわけだが、そのころの東北地方は、朝廷の権力のあまり及ばない、ほぼ異国であった。そしてその地に住む「蝦夷(えみし)」と呼ばれる人々は、都の人から見たら獣同然の、人に非ざる存在として認知されていたのである。
 本書によれば、朝廷が蝦夷征伐を意図した理由はいくつかあって、まず、そのころ奈良の大仏などの建立により、「金」(かね、じゃなくてGOLDの金)が欲しかったこと。そして当時の東北地方には金鉱がいっぱいあったことが挙げられている。また、上記のように2回も遷都をすることで、京の人々は疲れて朝廷への忠誠が薄れかけていたため、蝦夷という外敵を明確に設定して、それをもって人心を一つにまとめようとしていたこと、などが挙げられている。 
 そして、この時代はには、まだ、いわゆる「武士」は存在しない。武士とは、要するに職業軍人である。だから朝廷軍の兵士たちは、きちんとした軍事教練を受けていない、ただの平民が徴募されたもので、ただの寄せ集め部隊であるし、司令官もただの貴族が役職として任命されているだけである。 ただし、数は膨大で、万単位の兵力で蝦夷に攻めあがるわけで、いかに素人軍団と言っても蝦夷からすれば十分以上の脅威だ。
 こういう状況なので、物語は、いくつかの氏族からなる蝦夷が一致団結するところから開幕する。そしてその、中心となるのが、物語の開幕時は18歳の少年である阿弖流為だ。その強さとカリスマ性をもった阿弖流為が、仲間を増やし、訓練して練度を上げ、戦略をもって大軍と戦うさまを描いたのが、本作のメインストーリーだ。 しかし、物語は後半、朝廷側の将、坂上田村麻呂が登場することで変化が起きる。都にも潜入し、自らが戦う相手を知っていくことで、阿弖流為は「終わらない戦い」を「終わらせる」にはどうしたらいいのか、が最大の焦点となる。そして阿弖流為が選択した道は――と感動のラストへと至る物語は、もう男ならば泣けること間違いなし、である。
 ダメだ、全然わたしの興奮を伝える文章が書けない!!!
 というわけで、物語に登場する熱い男たちを紹介しておこう。
 ※2017/06/16追記:とうとう宝塚版の配役が発表になって、やけにこのBlog記事のPVが上昇しているので、おまけとして配役もメモしておこう。なお、わたしはこの小説を大絶賛しているのだが、物語的に非常に「少年マンガ」的な熱い男たちの物語なので、女性が読んで面白いのか良くわかりません。
 ◆阿弖流為:胆沢の長、阿久斗の息子。腕っぷしの強さと人を惹き付けるカリスマを持った若きリーダー。アラハバキの神のお告げ?的な、後に蝦夷を率いる将となるヴィジョンを観る。そのまっすぐで優しい心が人を魅了するわけで 、実にカッコイイ。宝塚版で演じるのは勿論まこっちん!超カッコイイことはもう確定的に明らかです。どうでもいいけど、大劇場じゃない公演もDVDじゃなくてBlu-rayで発売してもらいたいものだ。今時DVDなんてホント意味不明だよ……。
 ◆飛良手:「ひらで」と読む。一番最初に阿弖流為の仲間となる、蝦夷最強の剛の者。もともと蝦夷を裏切って朝廷に付こうとするが、阿弖流為の心にグッと来て仲間に。以降、最後まで阿弖流為の側近として付き従う。ラストはもう泣ける!!! 宝塚版で演じるのは、予想外の天華えまさん。『桜華』『スカピン』で新公初主演の98期。応援してるぜ!
 ◆母礼:「もれ」と読む。飛良手が、真っ先に仲間にすべきと阿弖流為に進言して会いに行った男。黒石の長。頭脳の男で蝦夷の軍師として大活躍。まあ、要するに諸葛孔明的な存在。阿弖流為より7つ年上。妹の佳奈は阿弖流為と結婚したので、文字通り義兄弟に。ラストはもう、マジ泣いたわ……。宝塚版で演じるのは綾凰華さん。同じく98期。『スカピン』新公でロベスピエール役。期待してるぞ! そして母礼の妹であり。後に阿弖流為の妻となる佳奈を宝塚版で演じるのが、同じく98期のくらっちこと有沙瞳ちゃん。歌ウマなくらっち、間違いなくまこっちんとのデュエットは美しいに決まってますね。いつか、まこっちんとTOPコンビにならねーかなー……。
 ◆伊佐西古:「いさしこ」と読む。江刺の長の息子。もともと父は鮮麻呂とともに朝廷に従属していたが、阿弖流為と出会い(もとは太伊楽という名だったが、鮮麻呂の叛乱後、すぐに伊佐西古の名を受け継ぐ)、友となる。阿弖流為より3つ年上で、勇猛果敢なでぶちん。基本的に好戦的だがいつも阿弖流為や母礼の策を聞いて、なるほど、とちゃんと作戦を守るタイプ。伊佐西古の最期も涙なくしては読めない。カッコ良すぎるぜ伊佐西古さん! 宝塚版で演じるのは、まこっちんと同期のひろ香祐ちゃん! マジか! 頼んだぜ!
 ◆猛比古:「たけひこ」と読む。元鮮麻呂の配下で、命知らずの強い武人。阿弖流為の「我々は美しい山や空のために戦っているのだ」という言葉に感動して仲間に。以後、飛良手と猛比古の二人は阿弖流為の軍勢の最強2TOPとして大活躍。伊佐西古とともに果てる。宝塚版では……クレジットがないな。出てこないのか……え―超残念!
 ◆天鈴:蝦夷ではなく、物部(もののべ)の一族の長、二風の息子。二風亡き後棟梁に。元々は出雲の出で、現在は蝦夷とともに陸奥に住む豪族。経済的な支援と、情報網を駆使して阿弖流為をバックアップ。天鈴がいなかったら阿弖流為の活躍はなかったと言えるほどの重要人物。宝塚版で演じるのは、まさかの101期生、颯香凛さん。まじかよ、老け役のベテランが演じるかと思ってたぜ。
 ◆多久麻:阿弖流為が一番尊敬していた伊治の鮮麻呂(あざまろ)の配下。一時は朝廷に従属していた鮮麻呂による朝廷への叛乱ののち、阿弖流為配下に。頼りになる男。宝塚版で演じるのは99期生の天路そら君。もう体調は大丈夫? 頑張って!
 ◆取実:軽米の若者。飛良手が鍛えた軍勢で成長した若者で、軽米の長達が優柔不断で頼りにならず、父からの勧めで阿弖流為の本営に移籍。後半のみの出演。取実の最期も泣けるんすよ……!! 宝塚版ではクレジットなし。残念だけど、出番は後半のみだし仕方ないか……。
 ◆和賀の諸絞(もろしま)、気仙の八十嶋(やそしま)、稗貫の乙代(おとしろ)、志和の阿奴志己(あぬしこ):阿弖流為の親父世代の各地の長。ラストの諸絞の心意気がもう泣けてたまらん! この中で言うと、宝塚版では、先日娘役転向を(わたし的には突然)発表した音咲いつきさんが、諸紋を演じるようで、これがラスト男役になるんでしょうな。諸紋はなにかと阿弖流為たち若者に文句をいうものの、超いいおっさんなんすよ……ホントにラストの諸紋は泣かせてくれますぜ!
 ◆坂上田村麻呂:朝廷で唯一蝦夷を理解する男。そして阿弖流為の宿命の敵。ただし、敵とは言っても二人は固い絆に結び付けられていて、お互いを尊敬しあう仲。田村麻呂もまた立派な男よ……。ちなみに、今現在、阿弖流為の碑が清水寺の境内に設置されているのは、清水寺が田村麻呂が寄進したお寺だから、だそうです。本作を読んだ今聞くと、大変泣かせる逸話ですな。そして、この超重要人物を宝塚版で演じるのがまこっちんと同期のせおっちでお馴染み瀬央ゆりあさんだ。 田村麻呂がカッコ良くないと、この物語は面白くなくなるんだからな、せおっち、頼むぜ!
 ◆御園:田村麻呂の片腕で都最強の男。飛良手との一騎打ちもカッコイイし、最期は伊佐西古と刺し違える。最後のセリフはもう号泣モノ。宝塚版で演じるのは、94期の漣レイラさん! おっと! 御園は田村麻呂の唯一の理解者でもあるわけで、せおっちのこと、よろしく頼むよ! 期待してます!

 とまあ、こんな熱い男たちの泣ける物語で、わたしはもう大興奮でした。特に、下巻後半の阿弖流為の悲痛な決意は超ヤバイすね。永遠に終わらない戦いのケリをつけるには、これしかないという選択なわけで、 ほんと、平和な現代は、さかのぼるとこういう男たちの血と涙が築き上げたものなんだなあ、と思うと、なんというか泣けるし、そしてそういう過去をまるで知らないというのは、ひどく罪深いような気がしますな。罪深いってのは大げさか、なんというかな……申し訳ない気持ち、かな。なんだかとても、感謝したくなりますな。いろいろなものに。

 というわけで、もう長いのでまとまらないけど結論。
 高橋克彦先生による『火恨』という作品は、北の英雄・阿弖流為の戦いを描いた、熱い男たちによる泣ける傑作であった。実に北斗の拳的な、わたしの大好物な男たちの物語で、わたしはもう超感動しました。そしてこの作品をミュージカルとして、わたしが最も愛する礼真琴ちゃん主演によって、この夏上演されるわけで、こりゃあもう、1度じゃすまないね。3回ぐらいは観に行く所存であります。ただ、非常に長い時間軸のお話なので、これはちゃんと予習しておいてよかったと思う。もし宝塚ファンで、夏の『阿弖流為』を観に行くつもりなら、本作を読んどいたほうがいいような気がしますよ。それにしても泣けそうだなあ……実に楽しみであります! 以上。

↓ つーかですね、こっちもチェックしといたほうがいいかもしれねえなあ……。 
アテルイ [DVD]
市川染五郎
松竹
2008-02-15
 

 去年の3月頃、わたしはその時大変お世話になっていた美人のお姉さまに教えてもらった小説、高田郁先生の『みをつくし料理帖』というシリーズをせっせと読んでいて、これがまたとても面白く、最後まで楽しませてもらったわけだが、『みをつくし』は全10巻で完結していて、一気に全巻を読破してしまったわたしとしては、主人公の澪ちゃんにもう会えないのか……と一抹の淋しさを感じていたのであります。しかし、既に高田先生による『あきない世傳』という新シリーズの刊行が始まっていて、じゃあそっちも読んでみよう、というわけで、夏ごろにその新シリーズの2巻が出るころのタイミングで1巻・2巻を読んでみたところ、こちらもやはり面白く、これはしばらくこのシリーズを楽しんでいけそうだ、という確かな手ごたえを感じたわけである。そして先日、『あきない世傳』の3巻目が発売になったので、待ってたぜ!と早速買い求め、読み出したところ、2日で読み終わってしまった。今巻でも、またもや、なかなかのピンチに陥る主人公「幸(さち)」ちゃん。果たしてこの女子に幸せはやって来るのだろうかと大変心配だが、結論から言うと今巻もとても面白かった。

 ハルキ文庫は、どうも電子書籍には興味がないようで、まだ紙の本しか買えない。版元である角川春樹事務所の作品で電子書籍化されているのは、どうやらごくわずかなようだ。たしか、社長たる角川春樹氏は、どっかで本屋さんの味方です的なことをしゃべっていたと思うが、まあ、電子で出ないなら出ないでそれでも構わない。いっそ、電子では出さない、という方針を明確にしてくれた方が、電子版が出るまで待つか……とイラつくこともないので、わたしとしてはその判断はアリ、だと思う。
 しかし、紙の本の場合は、発売日が非常にあいまいで、これは流通上やむを得ないというか業界的な慣習なので仕方ないのだが、版元のWebサイトでの発売日の告知は昨日だったと思うが、おとといには書店店頭に並んでいて、わたしもおととい買い、昨日読み終わってしまった。ま、そんなことはどうでもいいけど。
 さて。まずはおさらいと行こうか。本作『あきない世傳』シリーズは、舞台を大坂のとある呉服屋さんに据え、そこへ女衆として働きに出た当時9歳の少女「幸(さち)」ちゃんが、その賢い頭脳を駆使して、成り上がるサクセスストーリーである(たぶん)。現在はまだ序章的な始まったばかりなので、全然サクセスしてませんが。時代と時間軸をまとめると、こんな感じ。
 【1巻】:冒頭は1731年。幸は7歳。武庫川のほとりの今でいう西宮あたりの農村在住。学者だった父や、優しく賢く大好きだった兄を亡くし、大坂の「五鈴屋」という呉服屋さんに奉公にあがることになる。その時9歳(1733年夏)。1巻ラストでは13歳まで成長。五鈴屋の三兄弟が非常に対称的で、今気が付いたけれど、そういえばカラマーゾフの兄弟の三兄弟に、キャラ的に結構似ているような気がするな。長男は荒くれ者で色里通いのクソ野郎だし、次男は冷徹な商売のことしか考えない野郎、そして三男は心優しい、的な。それぞれのキャラ紹介は、1巻を読んだときの記事を参照してください。
 【2巻】:長男のクソ野郎が、とてもいい人だったお嫁さんと離縁し、幸ちゃんを嫁に迎えることになり、幸ちゃんは女衆から一気に「ご寮さん」(大坂商人の旦那の奥方)にクラスチェンジ。ただし長男がとことんクソ野郎でえらい目に遭う。が、ラストで長男死亡、そして次男が、じゃあ幸ちゃんを嫁にもらっていいなら、後を継いでもいいぜ、と衝撃の展開に。このラストの時点で幸ちゃんは17歳まで成長。長男のクソ野郎の唯一褒められる点は、幸ちゃんを力づくでモノにしようとはしなかった点で、まあ、幸ちゃんもまだ子供だったので助かった、という展開。
 で、今回の【3巻】ですが、今回もまたかなり大変な展開が待っていました。時間軸的には、主人公幸ちゃんは、ラストでは21歳かな? だいぶ成長しました。そしてすっかり別嬪さんにおなりで、大変よろしいかと存じます。
 そして今回、商売部分のポイントは、現代ビジネス視点からも非常に面白く、長男のクソ野郎が毀損してしまった五鈴屋の信用をどう回復するか、そして次男のビジネス改革を店員たちや顧客にどう受け入れてもらうか、という点にあった。
 次男のビジネス改革は、主に3つのポイントにまとめることができる。
 ◆売掛金の回収サイトの変更
 これは、当時は年末一括払いというのが当たり前(?)だったのを、年5回の売掛回収とするという方針で、さらに、店員たちに毎月の販売ノルマを課すというおまけ付きであり、当然みんな、え―――っ!? と困ることになる。現代ビジネス感覚から言えば、回収サイトが早まればもちろんキャッシュフローも良くなり、経営にとってはいい話だけれど、長年の付き合いのある顧客からすれば、ちょっと待ってよ、と反発を喰らうのは当然だろう。しかし、次男は、「ガタガタいう顧客は切っていい」と強気で一歩も譲らない。まあ、わたしとしては、この改革は実際アリ、だとは思う。従来は年1回の回収ということで、ちゃんと利息も取ってたそうで、その利息分、安く提供できるじゃん、というのが次男の理論らしいが、それはアリとしても、社長たる自分は何もせず、従業員に押し付けるのはちょっとどうかな、と言う気もしなくもない。が、とにかくこの改革は成功する。
 ◆宣伝広告をするのだ!
 この、売掛回収期間の変更を周知させるにはどうしたらいいか。どうやら当時も、現代で言うチラシ的なものはあったそうだ。しかし、幸ちゃんのアイディアで、貸本の草紙本の空きスペースに広告を出すことを思いつく。そしてそれはまんまと成功。また、かつて2代目五鈴屋時代に、傘に店名を入れたものをレンタルしていたことがあった、という話を聞いた幸ちゃんは、そ、それだ――!! と喰いつき、五鈴屋オリジナル傘を販促のために配布するアイディアをひらめく。そして次男もその策を採用し、瞬く間に評判になる。この宣伝広告、あるいは販促施策は非常に現代的で読んでいて面白かった。ま、雑誌広告みたいものだし、販促アイテムの配布も、まさしく現代でもやってることですわな。ここは大変面白かった。
 ◆仕入先の変更
 従来、五鈴屋は、京の問屋から仕入れた反物を販売する小売店なわけだが、それではどうしても、五鈴屋オリジナルの商品がなく、競合店との差別化ができないわけです。どこかいい織物を織っている産地はないものかと次男は悩んでいたのだが、幸ちゃんのひらめきで、有名な生糸の産地に、糸だけじゃなくて織物も生産してもらえばいいじゃね?ということに気づき、生糸の産地へ交渉に向かう次男。ついでに設備投資の資金を貸し付けて、独占契約を結べば、小売りだけではなく卸もできるじゃん、とイイこと尽くしのように見えたが……ラストに大問題が発生してしまう。
 この大問題は、次男の性格に由来するもので、読んでいる読者から見れば、まあ、そうなるわな、と非常に残念なお知らせだ。こと、ここに至るまでの間に、幸ちゃんと次男の間の関係性が丁寧に語られていて、大変分かりやすい物語だと思った。
 次男は、とにかく商売優先で、あきないに情けは不要、というポリシーを貫いている。幸ちゃんとしては、そういう次男の態度にはいちいちイラッとしてしまうわけだけれど、あきないに対する情熱は本物だと思ったから、嫁になることも承諾したわけで、そういう次男のポリシーが産む軋轢(対店員、対顧客、対仕入れ先、対同業者組合、とステークホルダーをことごとく怒らせる困った社長)を、少しでも解消してあげようと思っていたわけです。しかし、宣伝広告や仕入れ先など、ことごとく幸ちゃんのアイディアが生きてしまって、社長としては面白くないわけですよ。つまらん男のプライドですな。その果ての暴走が、ラストの大問題を引き起こしてしまうわけで、こういった点も、現代ビジネスマンが読んでも非常に面白いと思う。
 わたしも営業経験があるし、経営の根幹にも携わってきたので、今回の話は大変興味深かった。まあ、次男は残念ながら社長の器にあらず、でしょうな。有能なプレイヤーが有能なマネージャーになれるかという問題は、現代でも難しいわけで、有能な人間は自分で何でもできてしまうから、人の使い方が下手、ってのは非常に良くあるパターンであろう。わたしは、商売、というより、ビジネス全体に対して常に思っている鉄則がある。それは、目上であれ目下であれ(買う側であれ売る側であれ)、「相手を怒らせたら負け」という鉄則だ。常に、相手を笑わせ、気持ちよくさせるのが勝利の鍵だとわたしは信じているので、心の中では「ちくしょうこのクソ野郎お前との取引はこれが最後だ死ねバカ」と思っていても、満面の笑顔で商談できるし、何かお願い事がある時は、全身で「お願いしますアナタが頼りなんです」的オーラを醸し出して、何気にこちらに有利な条件で相手を説得することも得意技だ。勿論、感謝も全身で伝えるし、仕事に関係ないようなどうでもいいアホ話だけしかしないで帰ることもある。極論すればそれらのわたしのテクは、まさしく情に訴えかける方向性であり、相手を怒らせることは、一番やってはいけないことだと思っている。何しろそこですべて終わってしまうし、相手の怒りを鎮める手間も時間ももったいない。
 現代社会のビジネスは、ほぼ契約に縛られているので、実際のところあまり情に訴える必要はなく、クールに淡々とこなせる部分も多いかもしれないが、次男の態度では、いずれ破たんが起きるんだろうな、というのは読みながらずっと思っていたことなので、ラストの大問題発生も、残念ながら自業自得としか言いようがない。
 今回、その大問題発生で物語は終了したのだが、はたして今後、どう続くのだろうか?
 わたしは、実は最初から、きっと幸ちゃんは心優しい三男と結ばれるんでしょうな、と思っているので、長男死亡、そして次男がこのまま立ち直れなかったら、いよいよ三男の出番か? と短絡的に考えてしまうが、次男は次男で、5年以内に江戸進出を果たす!など、経営者としてのビジョンはしっかりしているので、ここで退場させてしまうのは実にもったいないような気がする。しかし一方で、幸ちゃんは、商売における戦国武将になる!的な野望があるので、実際のところ次男とは恐らく今後も折り合うことはないような気もする。ということはあれか、幸ちゃんは江戸支店長に抜擢、単身江戸に向かう、そして三男も作家として江戸でデビュー、とかいう展開はアリかもなあ。

 というわけで、結論。
 高田郁先生による『あきない世傳 金と銀(3)奔流篇』を読み終わったわけだが、今回は非常にビジネス面でも興味深く、また各キャラクター達の動向も大変面白かった。つーかですね、公式発売日の翌日なのに、大変恐縮なのですが……高田先生! 次の4巻はいつですか!!! 超楽しみに待ってます!!! あ、あと、『みをつくし料理帖』がNHKドラマになるそうで、しかも主人公の「澪」ちゃんを演じるのが黒木華ちゃんであることが発表されました!! わたしに『みをつくし』を進めてくれた美人お姉さまが言った通りのキャスティングで驚きです。さすがHさん、お元気にしてますか!? たまにはご連絡くださいませ! 以上。

↓ わたしの愛する宝塚歌劇で舞台化された、高田先生のこの作品、そろそろ読んでおくかな……。
※2017/4/12追記:やっと読みました。大変面白かったです。記事はこちらへ

 去年のちょうど今頃、わたしがずっと読んできた、いわゆる時代小説のシリーズが51巻でめでたく完結した。NHKでも実写映像化されていた、『居眠り磐音』というシリーズである。完結に当たって、わたしは、主人公・坂崎磐音の息子、空也が武者修行の旅に出るエンディングに対して、空也の物語は読者が想像するのが良い、ここでシリーズを終わらせた、著者の佐伯泰英先生は素晴らしい、と、このBlogにも書いた
 あれから1年。
 この年末の新聞に出ていた広告を見て、わたしは驚愕し、げえーーー!! な、なんだって―――!? と声を上げ、マジか、マジなのか!? と、やおら興奮したのである。なんと、その空也を主人公とする新たな物語が、佐伯先生の手によって上梓されるという驚愕のお知らせであった。
 というわけで、年末に初めてそのことを知り(抜かってた……全然知らなかった……)、マジかよ、マジなのかよ……と発売を楽しみにし、発売日にすぐ買ったのだが、まだ読んでいる本があったので、ちょっとだけ待っててくれ、と興奮を抑え、一呼吸置いたところで、おとといから読み始め、上下本なのに3日で読み終わってしまった。
 そして、その作品は紛れもなく、正真正銘、坂崎空也の旅のお話だったのである。いやー、佐伯先生、ありがとうございます!!! まさか空也に、いや、磐音ファミリーみんなにまた会えるなんて、1年前は全く考えてなかったよ……というわけで、もうのっけから結論を申し上げますが、最高でした。「居眠り磐音」シリーズを読んできた人ならば、今すぐ最寄りの本屋さんへ走り、絶対に買って読むべきです!!! 


 というわけで、物語は、まさしく「居眠り磐音」第51巻の後のお話であった。以下、ネタバレもあると思うので、気になる方は今すぐ立ち去ってください。そして読む場合は自己責任でお願いします。
 さて。前作、あえて「前作」と言わせていただくが、「居眠り磐音」の最終巻51巻がどういうエンディングを迎えたか覚えているだろうか? わたしは明確に覚えていた。すべての事件が終結し、九州の関前藩(※架空の藩で実在しない。大分?のあたりっぽい)ですべての決着をつけた主人公磐音一行は江戸へ戻るが、16歳の嫡男、坂崎空也は一人、武者修行に旅立つところで物語は終わったわけである。
 空也の目指す地は、まず島津。薩摩藩である。しかし、これは世間一般にも知られている通り、島津家薩摩藩は超・閉鎖的かつ武門の誉れも高い、ヤバい国である。そんな地へ何もあてもなく赴く空也に、母親のおこんさんならずとも、読者一同大変心配していたわけである。大丈夫かしら、いや、大丈夫に決まってるよ、磐音の息子だもの、と読者たるわたしは思い、きっと空也は立派な青年となって、剣術もすさまじい腕に育つのだろう、空也よ、江戸に帰ってくる日を待っているぞ――と、物語に別れを告げたのであった。
 なので、まさかの佐伯先生による、その空也の武者修行の旅が読める日が来るとは! と感慨もひとしおであり、もう楽しみで仕方がないわけです。が、物語は、とんでもない衝撃的な幕開けから始まる。
 江戸の磐音の元へ、薩摩藩江戸屋敷から、一人の使者がやって来るのだ。そして伝えられた報せは―――なんと、空也、死す、の訃報であった。
 これには、磐音ならずともわたしももう衝撃のあまり絶句である。マジかよ、空也、お前何やってんだよ!!! と嘆くしかない。だが、である。江戸はおろか、日ノ本最強の武士である坂崎磐音の息子である。幼少期から体を鍛え、やっと道場でのけいこが許されたばかりとはいえ、きっちりと基礎体力は叩き込まれた若者だ。死ぬわけない!!! と、普通は思うだろうし、わたしもそう思った。
 というわけで、江戸では磐音が空也死す、の報を受け、一方九州では、利次郎と共に九州に残った霧子が、空也の誕生からずっと成長を見守り、ともに苦難を共にした姉として、危険な薩摩国境へ、空也のその後をたどるために、利次郎の許しを得て旅立っていた(時間軸的には磐音のもとへ訃報が届く半年前という設定)。そんなオープニングである。
 で、かつては忍びの者であった霧子にもなかなかその足跡はたどれず(なにしろ空也はある意味素人なので、動きが読めないし、とある事件に巻き込まれていた)、ようやく空也の姿を捕らえた霧子が観たのは、薩摩国境を守る影の集団に襲われ、滝つぼへ転落する場面であった――というのが上巻である。
 しかし、ある意味当然、空也は瀕死の状態ながらも生きており、きっちりと復活する。おまけに、なんと空也in LOVEですよ。今回、下巻で空也をかいがいしく看病し、その復活を手助けしてくれる姫さまがとてもいい。こりゃあ、空也ならずとも、もうぞっこんですよ。ただし、空也は平成の世に生きるゆとりKIDSとは違い、薩摩入りに際しては「無言の行」を己に課しているため、一切喋らない。この、しゃべらない空也と姫さまが心を通わす展開が実にイイのです。
 というわけで、下巻では、空也復活から、姫さまとの交流を描きつつ、薩摩藩内部の抗争に巻き込まれながらも、生涯の友、と言えそうな男との出会い、そして「野太刀流」という剣の流派の技を身に着けていく様など、非常に読みごたえがある。
 結局、空也が薩摩に行こうと思った本来の目的である「東郷示現流」を学ぶことはできないが(門外不出のため、どうしてもできなかった)、それでも薩摩へ来た価値は十分すぎるほどあって、ラストは空也の恋の行方も大変気がかりのうちに幕を閉じる。まあ、修行中ですから、恋はお預けですよ。江戸での再会が、もう、我が子のように空也を思ってしまうおっさんのわたしとしては、大変楽しみであります。
 なお、本作は、そのタイトルにある通り、「十番勝負」なわけで、今回が最初の「一番勝負」ということで、まだ先が読めそうで大変楽しみだ。また、今回のサブタイトルである「声なき蝉」というのも、上下巻を読み通せばその意味は非常に深く意味が分かるだろうと思う。いやはや、本当に素晴らしい物語で、わたしは大感激であります。

 ただ、ですね。わたしは佐伯先生の『密命』シリーズも大好きだったのですが、『密命』でのラストは、若干残念に思っているのです。つーかですね、『密命』シリーズの後半は、もはや完全に主人公が、元の主人公である金杉惣三郎から、その息子の清之助に移っていくのですが……この清之助も武者修行で各地を回る展開なのだけれど、とにかく強すぎなんですよね。
 無敵すぎて、なんというか……強さのインフレが進行してしまった感が若干あります。登場時は子供だったし、惣三郎のいうことを聞かないで、あろうことか年増の女と心中騒ぎまで起こす、ちょっとした問題児だったのに。まあ、その後、鹿島で修業を積んで、心身ともに鍛え抜かれたわけですが、とにかく後半の清之助はもう超無敵すぎで、父の必殺技である「寒月霞切り」をしのぐほどの「霜夜炎返し」を編み出して、もう事実上無敵になっちゃたんすよね……まあ、父を超えることは男の生涯の目標であろうし、牙をむく息子に真っ向から応える惣三郎もカッコイイし、納得はできるのですが……もう異次元の強さになんだよな……
 なので、この『空也十番勝負』も、そういった無敵すぎる空也、になってしまうような気がして、実はわたしは大変心配です。ただ、負けて死んでしまっては話が成立しないので、仕方ないかもしれないなあ……まあいずれにせよ、空也のこれからの修行の旅と、そして恋の行方の方も、大変楽しみであります。薩摩がらみの問題は、まだ完全解決したとは言えそうにないし、次はどこへ行くんでしょうかね……でも、空也もまた、柳生新陰流とは無縁でいられないだろうな……尾張での対決は避けられないだろうな……今のところまだ九州にいるから、まずは熊本で剣聖・武蔵がらみの話も出てくるのかなあ……長崎で、異人との闘いなんかもあってイイと思うな……いやあ、夢が広がりますねえ。マジ楽しみっす!!

 というわけで、結論。
 わたしにとっては突然の発売となった『空也十番勝負』という佐伯泰英先生による小説は、驚きの「居眠り磐音」事実上の続編であった。そしてさっそく読んでみたところ、シリーズのファン必読の、素晴らしい物語でありました。武者修行を続ける坂崎空也の旅の「一番勝負」は、島津・薩摩での死闘。生き残ることはできたものの、この先も、どんどん強敵が出てくることでしょう。しかし、空也よ、強くなるのだぞ! そして、江戸で姫さまと再会するのだ!! その日まで精進あるのみぞ!!! いやあ、マジ最高でした。以上。

↓こちらが『密命』シリーズ。佐伯先生の言によれば、「月刊佐伯」としてフルスピードで書いていたため、今思うとかなり直したいと思うポイントが多いそうで、「完本」として現在出し直し中です。

 この年末、わたしはせっせとHDDにたまっている未視聴の映画(主にWOWOWで録画)を観ていたわけだが、まあ、残念ながらハズレが多くこのBlogに書くネタとしてはちょっとなあ……と思うような作品が多かったのだが、読書の方は、結局1冊しか読まなかった。
 その1冊とは、買ったのは2週間ぐらい前なのだが、発売をずっと楽しみにしていたコイツであります。なお、紙の本ではもう数年前にとっくに出ていた作品なので、正確に言うと、電子化されるのを待ってたわけです。

 去年2016年に、わたしをとても楽しませてくれた上橋菜穂子先生による「守り人」シリーズの番外編第2巻、『炎路を行く者』である。本編は既にちょっと前にこのBlogで書いた『天と地の守り人』で美しく完結しているが、この番外編は2つの中編から成っていて、一つはタルシュ帝国の密偵であり、元ヨゴ皇国民であったヒュウゴの幼き頃のお話であり、もう一つは、シリーズの主人公バルサの15歳当時のお話であった。
 まず、ヒュウゴを主人公とした中編「炎路の旅人」は、なぜヒュウゴが自らの故国を攻め滅ぼしたタルシュ帝国の密偵となる道を選んだのか、が語られる、なかなか泣かせるお話でありました。このお話によると、ヒュウゴは元々ヨゴ皇国内における帝の親衛隊「帝の盾」の家系であり、いわば裕福層の武人家庭に育ったお坊ちゃんだったのだが、タルシュ帝国の侵略により、ヨゴ皇国は吸収併合され、枝国となる。その際、タルシュ帝国は、一般のヨゴ皇国民の生命は保証する代わり、後の復讐を抑えるため、軍人(=武人)階級のみ、一切の例外なく粛清する。その粛清の嵐の中、ヒュウゴは母と妹とともに逃げる際、自分一人だけ助かってしまい、落ち伸びると。で、瀕死のところをとある少女に助けられ、なんとか少年時代を過ごすのだが、その少年時代は常に虚しさを抱えたものであり、街の悪ガキとなってヤクザ予備軍として顔役的な存在までのし上がっていた頃に、自らも別の枝国出身であるタルシュの密偵と出会い、その男の話を聞いて心が揺らぐという展開である。
 曰く、彼もまたタルシュに征服された国の出身なので、ヒュウゴから見たら卑怯な男に見えるかもしれない。しかし「<帝の盾>の息子殿にはとうてい許せぬ、やわな忠誠心だろう。え? 卑劣な風見鶏に見えるか? いいや、おれは石よりも硬い忠誠心を持っているよ。仕えているいる相手への忠誠心じゃないがな。おれは、自分に忠誠を誓っている。――それは決して揺るがぬ。殺されてもな。」
 いやはや、大変カッコイイセリフだと思う。
 つまりこの密偵は、「自分の目で世界を見極めろ」という話をしているわけで、彼の言葉をきっかけに、ヒュウゴは自らの狭い視野に映っていた小さな世界からの脱出を決意するわけだ。それは、それまでヒュウゴがまったく考えていなかったものであり、たとえばタルシュに併合されたことで、逆にヨゴ枝国の生活インフラがどんどん整っていったり、武人は殺されたのに帝本人はどうやら生きているらしい、といった現実など、様々な思惑の結果としての現在を改めて見つめ直すきっかけとなるわけで、この後のヒュウゴの活躍の基礎となる話なので、シリーズとしては結構重要なお話だと思いました。ヒュウゴがいなかったら、チャグムは故国を救えなかったし、そんな重要キャラの行動の動機を知ることができて、わたしは大満足です。ズバリ、面白かった。

 そしてもう一本収録されているバルサの話「十五の我には」は、『天と地の守り人』でチャグムと別れる直前の夜に交わした会話をバルサが思い出し、もっと気の利いたことを言ってやればよかったと思いながら、自分がチャグムぐらいの時なんて、もっともっと幼かった……と回想するお話である。
 『天と地の守り人』で、バルサとチャグムが別れる時に話していたのは、殺人を経験してしまったチャグムが、この苦しみはいつか心の折り合いをつけられるのか、それとも永劫に続くのか、と問うものであった。その時バルサは、その苦しみはなくならない、というよりもなくしちゃいけない、と答えた。その答えに自信のないバルサが、かつて自分にはジグロという素晴らしい先生がいたことを想い、自分はチャグムの心を支えてあげられたのだろうか……と想いながらかつての少女時代を思い出すという展開である。バルサの過去話というと、番外編第1巻『流れ行く者』でも語られたバルサの少女時代と重なっているお話で、当時、いかにジグロに守られていたか、そして厳しいながらもなんと幸せだったか、という感謝となつかしさ、そして、それをまるっきりわかってなかった自分に対する自嘲めいた痛み、が語られる。
 いまや30歳を超え、15歳の時に見えなかったものがたくさん見えるようになった。けれど、それでもまだまだ分からないことが多い今。あの日のジグロのように、わたしはチャグムにとって良き先達となっているのだろうか、と述懐するバルサは、やっぱりとてつもなく優しく、まっとうな女だと思う。
 用心棒稼業で、身を守るためとはいえ、人を傷つけあまつさえ命を奪うことすらある毎日を、バルサは悩みながらも、「仕方なかった」と心を麻痺させることなく、常に痛みを忘れずにいるという覚悟をバルサは持っている。やっぱり、カッコいいですな。カッコいいってのは違うか、なんだろうこれは。バルサに対するわたしの敬意、なのかな。まあ、現代日本に平和に生きる我々には持ちようのない、想像を絶する境地だろうと思う。しかし、想像を絶するけれど、想像してみることに意味があるんだろうな、きっと。ホント、わたしは上橋先生による「守り人シリーズ」に出会えて良かったと思います。ちょっと大げさか、な。バルサやタンダ、そしてチャグムに幸あれ、と心から願いたいですね。素晴らしい物語でした。

 というわけで、結論。
 上橋菜穂子先生による「守り人シリーズ」の、最後の物語『炎路を行く者』を読み終わってしまい、本当に、これでもうお別れとなってしまった。とても淋しく思う一方で、読者としてとても幸せな余韻がまだわたしの心の中に漂っている。いやあ、本当に面白かった。いよいよ今月から始まるNHKの実写ドラマ第2シーズンも楽しみですね。成長したチャグムに早く会いたいですな。そしてもちろん、綾瀬バルサにも、また会いたいです。以上。

↓ しかし第1シーズンのバルサとチャグムの別れのシーンは泣けたっすね……あそこのシーンは原作を超えたといっても過言、じゃないと思うな。
精霊の守り人 シーズン1 Blu-ray BOX
綾瀬はるか
ポニーキャニオン
2016-08-17


 

 いやー。マジで泣けたというか、これは「感動」だろうな。
 悲しいのではなくて、何か熱いものがこみ上げるというか、……何かとてつもなく大切なものを感じ、心が動かされたわけで、わたしはこの作品が大好きだと全世界に宣言したい気分である。本当にラストは泣けました。最高です。


  わたしは、この上橋菜穂子先生による『守り人』シリーズと呼ばれる一連の作品を、存在は知っていたが、実際に読んだのは今年の春である。紙の本は、もう10年?近く前に刊行されている作品なので、もはや世の中的にはお馴染みだろうし、アニメにもなった作品なので、大勢のファンがいるだろうと思う。だから、わたしがこうして感動に打ち震えているのも、実のところ、超いまさら、な話ではあろう。わたしはこの『守り人』シリーズを読むよりだいぶ前に、『獣の奏者』や『鹿の王』などを読んで、これまたいたく感動していたので、上橋先生の作品が素晴らしいことはもちろん分かっていたつもりだが、この『守り人』シリーズも、ホントにまあ、素晴らしく、心に残る作品であった。
 わたしが読み始めたきっかけは、実のところNHKの実写ドラマ化だ。そのドラマ化に合わせて、電子書籍化もなされたため、それじゃ読んでみるか、と今年の春に買ってみたわけである。
 しかし、春の段階では、まだ電子書籍では全巻発売になっておらず、最後の完結編である『天と地の守り人』の3部作だけはおあずけ状態となっていたのだ。なので、早く出ないかなー、つかもう紙の本で買っちまおうかしら、と何度も悩んでいたところ、ようやく先週、わたしが愛用する電子書籍販売サイトBOOK☆WALKERから、「新刊が出ましたよ~」とお知らせが来たのである。このときは、わたしはものすごくうれしくて、すぐさま購入し、読み始めたわけである。
 一応、この完結篇たる三部作以外は、このBlogでもいちいち記事を書いたので、ちょっと自分用にまとめてリンクを貼っておくとしよう。
 1作目の『精霊の守り人』の記事はこちら
 2作目の『闇の守り人』の記事はこちら
 3作目の『夢の守り人』の記事はこちら
 4作目の『虚空の旅人』んぼ記事はこちら
 5作目の『神の守り人<来訪編><帰還編>』の記事はこちら
 6作目の『蒼路の旅人』の記事はこちら

 というわけで、今回の『天と地の守り人』は、シリーズ7作目にあたる。そして3分冊になっていて、ボリュームとしてはシリーズ最大の読みごたえがあり、物語としても非常に濃厚かつ劇的で、そして結末としては(ほぼ)すべてに明確な回答が描かれ、完結編として完璧な完成度であるといってよいのではないかと思う。
 シリーズを読み続けてきた人(そうじゃない人でいきなりこの7作目を読む人はいないよね?)であれば、間違いなく喜び、悲しみ、怒り、楽しんで、そしてラストは非常にすがすがしいものを感じるだろうと思う。これまで出てきたほぼ全てのキャラが今回総出演だし、何といっても、チャグムのまっすぐでりりしい成長には、誰しも目を細めることだろうと思う。
 そもそも、本作は、明確に前作『蒼路の旅人』のラストシーンからの続きである。1作目でまだ幼かったチャグム、バルサと出会い、成長し、バルサとの別れにしょんぼりするチャグム。あの少年がすっかり成長し、外交官的な役割をもって周辺諸国に赴き、世界を知っていく過程は、読者も一緒にこの物語世界を体験していくことにシンクロするわけだが、前作でとうとう戦争が起こり、囚われの身として南の大陸にあるタルシュ帝国の帝都に連行され、その後、海に一人飛び込み、行方不明になったわけで、もう読者としては心配で心配でならなかったわけだ。本書はそこからのスタートである。
 ここで、関係各国の思惑を簡単にまとめておこう。
 ◆タルシュ帝国
 領土拡大でどんどん栄えている新興軍事国家。南の大陸はほぼ手中にしており、侵略した国々を「枝国」として併合し、現地人を徴兵し、税を徴収することで国家を運営している。ただし、とりわけひどい圧政というわけではなく、有能な人間なら枝国出身者でも重要ポストに出世できる柔軟性を持っている(実際、皇帝の右腕である宰相や兄王子の右腕も被侵略国出身)。そして現在はもう拡大の余地は北の大陸しかない、という状況でもある。なんとなく、豊臣家的な、家臣に与える土地がなく朝鮮出兵するしかない的な状況だったり、M&Aで外見的には成長を続けているように見える(けど実際の本丸は何も変わらずシナジーとやらもまるで生み出していない)、よくある大企業のパターンと少しだけ似ているかもしれない。そしてこの国の皇帝は、もはや余命いくばくもなく、二人の王子が手柄を競って次期皇帝の座を狙っていて、実は一枚岩ではないという状況にある。
 前作で、チャグムが出会ったのは、「南翼」と呼ばれる弟王子の方で、北の大陸侵攻軍の総司令官的な立場にあるが、本作では「北翼」の兄王子も登場。その関係性が結構大きなポイントでもある。あ、各キャラクターにつていは、上記の過去の記事を参照してください。
 ◆ロタ王国
 第5作目の舞台となった国。騎馬民族。聡明な王がいるが病弱で、王弟が政務を任されている。国は実際のところ南部の富裕層と、北部の貧困層に分かれていて、その溝は深い。王弟は悪い奴ではないし、話の分かる男だけれど、北部に肩入れをしているため、南部では人気がない。タルシュ帝国の北の大陸侵攻に際しても、意見が分かれたままであり、あまつさえ、南部の富裕層は密かに「北翼」側のスパイたちと共謀していて……という状況。そんなことは知らないチャグムは、まずはロタ王国へ向かい、同盟を求めるが……。
 ◆サンガル王国
 第4作目の舞台となった国。すでにタルシュに下っている。海洋国家で、王はあくまで最も強く影響力のある人間=その人間について行けば利益がある、というような存在とみなされていて、悪い言葉で言えば日和見な国民性があり、この国も一枚岩ではない。ある意味ビジネスライクな国民性のため、利に聡いし、交渉力も強くしたたか。今のところ、おとなしくタルシュに従う体ではあるが、内心では、従うつもりはない。本作ではほとんど出てこない。
 ◆カンバル王国
 第2作目の舞台となった国。バルサの故国。高地民族。北の山の向こう側の痩せた地に住み、豊かではない。現王はまだ若く経験不足であり、王としての器も若干問題アリ。「王の槍」と呼ばれる屈強な男たちがいる。その「王の槍」の筆頭であるカームは、もはやタルシュに隷属するしかないと考えていたが、彼もまた「北翼」側のスパイにいい話しか聞かされておらず、チャグムとバルサの到来で、事件の背景を知るに至り――てな展開。
 ◆新ヨゴ皇国
 シャグムの故国。元々は200年前に南の大陸から侵攻・移住してきた人たちの国。設定として、帝=神の子であるとされていて、実に古めかしい政治体系を採っている。この国では、皇太子チャグムを追い落とそうとする勢力があって、そいつらは、基本的に戦争さえも神の力で何とかなると考えており、そんなのんきな連中が牛耳っている。もはや征服される一歩手前で状況は極めて切迫しているが、愚かなことばかりしていて、さっさとチャグムは死んだものとして盛大な葬式までやっちゃった。戦争に対しては、民間人を徴用して場当たり的にしのごうとしていて、タンダも草兵として徴兵されてしまうが――と、超ハラハラする展開が待ってます。
 
 というわけで、物語は、まず、バルサはチャグムと無事に再会できるのか(そりゃできるに決まってる)、そして北の大陸の各国は同盟が組めるのか(そりゃ組めるに決まってる)、そして、タルシュとの戦いの趨勢は――という点が重要なのだが、結論が分かっていても、その過程は非常に読みごたえがある。とにかくですね、チャグムはかなり傷だらけ&血まみれになるし、バルサももちろんいつも通り全身傷だらけ&血まみれだし、もうとにかく一瞬たりとも飽きさせないペースで、読者としてはもうずっとハラハラドキドキであった。
 今回、わたしが一番素晴らしいと感じたのは、やっぱり故国に凱旋したチャグムと、父である帝とのやり取りであろうと思う。このやり取りで、本作のタイトル「天と地の守り人」の意味もはっきり分かる仕掛けになっていて、わたしはいたく感動した。チャグムは、まったく現実を直視しようとしない父=帝に対して、もはや弑するしかないのか、と悩むわけですが、この葛藤はとでもグッときましたね。この国の現実的な人々はみな、もう帝をぶっ殺すしかない、と思っている中での、チャグムと帝のそれぞれの決断は、実にまっすぐで美しく、これしかない、と納得の結末であった。
 また、バルサとタンダの関係も、非常に良かったすねえ……。一兵卒として戦場に駆り出されたタンダ、そしてチャグムを見送った後に、戦場に消えたタンダを探すバルサ。この二人の最終的な結末も、読者として本当に良かったね、と心から安心したし、二人に幸あれと心からの祝福を贈りたいと思った。
 上橋先生の作品は、常に「まっとうに」生きる主人公が、時にひどい目に遭ったり、あるいは過去に苦しむことがあっても、真正面からそういった苦難に向き合い、逃げることなく、最後にはその「心にやましさのない、まっとうさ」故に救われるお話だと思う。そういう意味では、チャグムやバルサは、上橋作品の主人公たる資質を最後まで失うことなく、読者としては共感してしまうわけで、実に読後感も心地よいと思う。
 それから、サブキャラでは、やっぱりヒュウゴが光ってますね。命を懸けて、タルシュ帝国を変えようとするヒュウゴも、今回大活躍だったし、ヒュウゴがいなければ、この物語は成立しなかった大功績者ですよ。
 チラッとしか出てこなくて、若干残念だったのは、第5作目で出てきてバルサと戦ったシハナと、同じく5作目のキーキャラであるチキサとアスラの兄妹かな。シハナは、ロタ王国内でバルサとチャグムを助けてくれるけれど、あまり活躍の場はなかったし、結局どういう立場にいるのか、の明確な説明はなかったかも。チキサとアスラは、冒頭でタンダのところにやって来るけれど、物語的な役割としては特に重要ではなかったかな。どうせなら、サンガルのタルサンや、女海賊のセナも出てきてくれたら嬉しかったのだが、まあそれは贅沢というものかな。

 つーかですね、わたしは読み終わって、ますます来春放送予定のNHKでの映像化セカンドシーズンが楽しみになってきました。シハナを真木よう子さんが演じることが発表されているけれど、綾瀬バルサVS真木シハナは相当かっこいいでしょうな。大人になったチャグムにも、早く会いたいと思います。詳しいキャストは、NHKのWebサイトに載ってます。超期待すね。

 探したけれど、セカンドシーズンの予告動画はyoutubeにはアップされてないな……なのでDVD&Blu-rayセールス用の予告でも貼っとくか。NHKの公式Webサイトhttp://www.nhk.or.jp/moribito/には、一つだけ、30秒の短い動画が置いてあります。そちらでは、ちらっとだけ、綾瀬バルサVS真木シハナが収録されてますので、それを観てテンションを上げておくのが良いと思います。また、上橋先生のセカンドシーズンへ向けたお言葉なども掲載されているので、必見かと存じます。うおー、楽しみだ!

 というわけで、なんかまるで取り留めないけれど結論。
 上橋菜緒子先生による「守り人」シリーズは最高である! そしてその完結編、『天と地の守り人』三部作は感動のフィナーレであり、物語はすべて収まるところに収まり、美しくて心にグッとくる見事な作品であった。わたし的には、『守り人』『獣の奏者』『鹿の王』は甲乙つけがたく、どれも最高だと思います。読んだこののない人は、ぜひ一度読んでもらいたいものです。マジ最高です。以上。

↓ 後はこれだけ、外伝が1冊残ってますが、勿論すでに購入済み。正月ゆっくり読むんだ……

 

 というわけで、昨日書いた高田郁先生による『あきない世傳』シリーズの(2)巻を帰りに買い、電車の中で読み始め、ちょっと切りが悪かったので駅ナカのカフェで小一時間読み、家に帰って34.0℃のクソ暑い部屋でじっとり汗をかきながら読んでいたらあっという間に残り50ページぐらいになってしまい、やっべえ、もう寝よっと、と寝苦しい夜をグースカ眠り、今朝、通勤電車の中で読み終わってしまった。

 結論から言うと、今回、主人公「幸」の運命はかなり大きな変転を迎え、この(2)巻ラストでも、な、なんだってーーー!? という事態が勃発し、もう、高田先生、次の3巻はまだっすか!! と大変続きが気になる終わり方で終了した。そして、やっぱり次男の惣次が意外とイイ奴であることも判明し、しかしこのラストは……ええい!! 続きが気になるわ!! という感じでありました。以上。

 と、終わらせてしまうとアレなので、いくつか、へえ~と思ったことを書き連ねようと思います。
 物語の内容に触れることは今回は避けようと思いますが、物語の背景にある時代性? に関連することでいくつかあげつらっておこう。
 ◆1730年代の女性の地位について
 まず、時代として18世紀初頭、江戸中期という事で、元禄を経て質素倹約の時代である。そんな時代の女性はどう生きていたのかについて、いくつかの視点がある。それは、場所的な違いと身分的な違いによってかなり差があると想像できるが、まず第一に、(1)巻で描かれた主人公・幸の故郷での、母親のセリフを引用すると――
 「女子に学は要らん。お尻が重うなるだけやわ。先生(=夫)も何で、女子にまで読み書きを教えはるようになったんか。ほんに余計なことやわ」
 「母さんを見なはれ。読み書きは出来んけど、よう働いて先生を支え、あんたらを産んで丈夫に育て、きちんと家を守ってますやろ。女はそれで十分やわ」
 ――とまあ、こんな感じ。恐らくこういう価値観は、下手をすれば戦前・戦後の都会ではない地方ではずっと変わりなく存在していたかもしれない。つまり、この幸の時代の後の200年間、ずっと変わってなかったという事だ。しかし、先生(=幸の父)が、賢く知識欲の強い幸に対して、「お前が男だったら」と嘆くのも、現代人の我々からすれば、なんとも嘆く方向性が違うような気もする。まあ、仕方ないけれど、そんな時代だ。そして、奉公に出た先の、ある種の都会であり、商人の家である「五鈴屋」では、女中というか「女衆」の先輩のお姉さんたちは幸に対してこう告げる――
 「あのなあ。丁稚は半人前でも『ひと』なんや。しっかり仕事を覚えて、手代から番頭へと、店を背負って立つ大事な『ひと』なんだす」
 「(女衆は)ひとのはずないやろ。出世も暖簾分けも関係あらへん。ずーっと鍋の底みがいて、土間掃いて、ご飯炊いて、洗い物して……ここから嫁に行くか、お松どんみたいに年取って辞めるか、どっちかやわ」
 ――というわけである。一応、女衆は月給制のようだが、幸のような幼い場合は、最初の5年間は無給で、そのかわり、住む場所と食事や衣服、つまり衣食住は保証されるという事で、父が亡くなったとこで収入の途絶えた幸の母としては、幸を奉公にやるしかなかったわけだ。厳しい時代だけど、これもきっと、戦前・戦後辺りまでは普通だったのかもしれない。
 ◆幸と商(あきない)と、知恵。
 こういう女性に対する価値観が時代背景としてある中で、女性はどう生きるかとなると、一つは、従来通りの価値観に身をゆだねて、『ひと』でない生き方をするという方法もあるが、もう一つは、テキトーな言い方だが「手に職をつける」という事だろうと思う。まあ、それは男女関係ないし、現代でも変わりないか。例えば、高田先生の『みをつくし料理帖』で言えば、主人公の澪ちゃんは、女性の料理人なんていなかった時代に、料理人として生きる道を選んだ。これは、時代的に本作より80~90年後の世であり、江戸という大都会であり、経済的な安定もあった時代だからできたことかもしれないが(たぶん、そもそも幸の時代には料理屋はまだほとんどなかったと思う)、何か「モノ」を作って売る、なんらかの「価値」を創って提供する、という経済活動がどうしても必要になる。
 どうやら、幸の父は、「モノ」を作って売る方を「職人」と呼び、「価値」を創造して提供する方を「商人」と呼んで、モノを右から左に渡すだけで手の綺麗な人々=商人を蔑んでいたように感じるが、今のところ、技能のない(=職人にはなれない)幸は、「商(あきない)」に非常に関心を持っている。
 というのも、幸が欲しいものは「知恵」である。それは、大好きだった亡き兄が「知恵は、生きる力になる」と教えてくれたこともあるが、七夕の短冊に知恵が欲しいと書くぐらい、知識欲旺盛な娘だ。そんな幸は、様々な素朴な疑問をぶつけて、その回答を得ると、へえ~、なるほど、と納得して、父が蔑んだ「商=あきない」に興味津々なわけだが、その過程が読んでいてとても楽しめる部分だ。
 例えば、(1)巻で、幸は優しい三男の智蔵にズバリ聞いてみる。どうして、反物は問屋から五鈴屋、五鈴屋からお客さん、の順に移っていくのか、どうして問屋はじかにお客さんに売らないのか、と。それを智蔵や大番頭の治兵衛さんから、直接的な回答でなく幸が考えてゴールに行けるように優しく誘導されて答えに至るわけで、周りの人に恵まれていたことも大きいし、幸の向学心も、大変読んでいて心地よい作品だと思う。
 また、この(2)巻では、(1)巻の段階では商才はあるけど意地悪というか嫌な奴だった次男の惣次も、営業周りに幸を同行させることで幸の魅力に気付き、少しずつ、商売の面白さを伝えたり、惣次自身の、店内では決して見せない、お客さん向けの営業フェイスを見せることで、幸に影響を与えていくわけで、この次男とのエピソードも、実に現代的な営業センスが問われる話で大変面白かった。
 全然物語には関係ないけれど、この惣次が売り出したいと思っている「石畳の柄」の反物がなかなか売れなかったのに、江戸で、歌舞伎役者の佐野川市松が同じ柄の反物で衣装を作って「市松模様」として江戸で大流行になった、という話を聞いて悔しがるというエピソードは、ちょっと、へえ~と思った。つまり惣次は、美的センスというか目利きとしての嗅覚も非常に優れた商人というわけですな。
 ◆「商売往来」
 幸が奉公に来たばかりの時に、番頭の治兵衛さんが丁稚たち相手に読み書きを教えるために使っていた教材が「商売往来」という本で、内容的にも商売の心得的なものが書かれた書物だそうで、これは実在する本なんだそうだ。(2)巻の巻末の企画ページによれば、1694年に刊行され、明治期まで増補改訂がなされたものだそうで、大変な人気のある本だったそうですよ。内容がとてもいいんすよね。曰く、
 「挨拶、應答(あしらい)、饗應(もてなし)、柔和たるべし。大いに高利を貪り、ひとの目を掠め、天の罪を蒙らば、重ねて問い来るひと稀なるべし。天道の動きを恐る輩は、終に富貴、繁昌、子孫栄花の瑞相なり。倍々利潤、疑い無し。よって件の如し」
 もう、これは現代サラリーマンにも心に刻んでおいてほしい言葉ですな。映画の『殿、利息でござる!』に出てきた「冥加訓」にも似てますね。「善を行えば天道にかなって冥加(=神仏の助け・加護)があり、悪を行えば天に見放されて罰が与えられる」。まったくですよ。そういう世の中であってほしいものです。今も昔も、いやな野郎ばっかりですからね、少なくとも自分は、まともでありたいですな。この(2)巻では、とにかくどうしようもないクソ野郎の長男。徳兵衛に重大なことが起こるが、まあ、天に見做されたという事なんでしょうな。おっと、これ以上はネタバレだから書かないぜ!!

 というわけで、結論。
 いや、もう結論は上の方に書いてしまいましたが、とにかく、(1)巻を読んで、まあ、面白いんじゃね? と思った方は今すぐこの(2)巻を買いに、本屋さんへ直行していただきたいと思います。正直、この(2)巻でもまだ序盤、という感じかも。どうも、大きく物語が展開されるのは次以降なのかもしれないです。つーかですね、早く次の(3)巻が読みたいのですが、また半年後かな……楽しみにしておりますので、高田先生、よろしくお願いいたします!! 以上。

↓ コイツもやっぱり、宝塚歌劇を愛する身としては読んておくか……。

 今年の春ごろ、わたしがせっせと読んでいた『みをつくし料理帖』という時代小説がある。とある美人お姉さまに、面白いから読んでみたら? とオススメされて読み始めたわけだが、わたしとしては、その主人公「澪」ちゃんのけなげさが非常に気に入り、全10巻を読破し、このBlogにもせっせと感想を綴ったわけで、とても面白かった作品である。
 著者は、高田郁先生という方で、元々は漫画の原作を書かれていた方らしいが、件の『みをつくし料理帖』はドラマ化もされたし漫画化もされ、ほかの作品、『銀二貫』という作品は、わたしの愛する宝塚歌劇で舞台化もされているという、大変人気のある先生である。ちなみに、さっき初めて知ったが、先生は兵庫県宝塚市のご出身だそうで、自らの作品が宝塚歌劇で演じられたことは、ものすごく嬉しかっただろうな、と思う。
 そんな高田先生の、新シリーズが今年の初めに発売されていたわけだが、わたしはなんとなく手に取る機会がなくて、読んでいなかったのだが、そのシリーズの2巻目が発売になっていて、少し大きめの展開がなされていたので、それじゃ読んでみるか、と、まずは1巻を買って今日の朝読み終わった。それが、『あきない正傳 金と銀 源流編』と言う作品である。

 結論から言うと、本作はシリーズ第1巻という事で、まずはキャラクター紹介的な面が大きいのかもしれない。やや、本筋の物語の始まる前段階、いわばBigins的な位置づけだとわたしは勝手に解釈した。主人公「幸(さち)」の生い立ちとバックグラウンドとなる幼少期から大阪へ奉公に出て、様々な人々と出会うまで、であった。
 なので、面白かったかと言われると、正直まあこれからっすね、というのが偽らざる感想だが、やはり、高田先生の描く主人公は、健気でかわいいし頭もいい、ということで、わたしとしてはとりあえず続きは読みたいと思っているので、今日の帰りにでも、新刊の第2巻を買って帰ろうと思う。
 というわけで、今回は各キャラクター紹介を短くまとめて終わりにしたい。いや、短くなるか分かんねえな、わたしのことなので、また無駄に長くなることは確定的に明らかなような気がしますな。そしてやっぱりどうしても、ある程度のネタバレに触れざるを得ないと思うので、お許しください。さて、行ってみようか。

 ◆舞台:時代としては、享保16年(1731年)から始まる。要するに、我々に分かりやすく言うと、江戸では大岡越前が活躍していた時代であり、経済政策の真っただ中で、将軍様はもちろん、暴れん坊でお馴染みの徳川吉宗である。ただし、この作品の舞台は大坂であり、主人公の「幸」は、今で言うまさしく兵庫県宝塚市あたりの、武庫川の西側の「津門」出身だ。いや、海にもほど近いようだから、もっと南の西宮か。まあ、そんなあたりの生まれである。時代背景としては、作中の言葉によると「元禄時代の華やかなりしバブル崩壊後の倹約が旨とされる時代」である。つまり、商売人には厳しい時代、というわけである。
 ◆幸:さち、と読む。本作の主人公。この冒頭の段階で幸は7歳。なので、1723~1724年生まれぐらい(※どうも11月~12月生まれっぽいので、たぶん1723年生まれかな?)。父は学者で村の私塾の先生。読書や勉強が大好きで、母からは女が学問をしても意味がないと言われ続けながらも、10歳年上の賢く心優しい兄、雅由に見守られながらすくすくと育つ。七夕の短冊に書いた欲しいものは「知恵」。知恵が欲しいって、凄いよな。しかし、大好きだった兄を病で亡くし、翌年に父を喪いという事件が起こり、父を支援していた村の豪農と付き合いのあった、大坂の呉服屋「五鈴屋」へ、奥向き女中として奉公に出される。母と妹「結(ゆい)」を郷里に残し、一人旅立つ幸はその時9歳(1733年の夏)。そして1巻の終わりでは1737年11月、幸は13(~14?)歳までが描かれる。
 ◆富久:通称「お家さん(おえさん)」。幸の奉公先である大坂の呉服商「五鈴屋」2代目の妻。すなわち3代目の母であり、4代目の祖母。1巻ラストの段階(1737年)で58歳。基本的にとてもいい人。
 ◆治兵衛:「五鈴屋」の要の大番頭。初代2代目の頃から勤務している。20歳年下の奥さんとまだ2歳の息子がいる。かなりいい人。どうやら40代っぽい。
 ◆徳兵衛:4代目の現店主。3代目の長男。1733年時点で20歳。両親とも(=3代目夫婦)に15年前に死去。色里通いのダメ人間。弟が嫌い。嫁をもらうが、毎夜、超・激しいらしくて(笑)、お嫁さんはくたくた。基本的にどうしようもないクソ野郎。
 ◆惣次:3代目の次男。1733年時点で19歳。商才のある男でいつもカリカリしている。兄が大嫌い。コイツも基本的にクソ野郎(今のところ)。ひょっとしたら、後にイイ奴に……ならないだろうな……。※追記:2巻読書中。イイ奴になりそうな予感!!
 ◆智蔵:3代目の三男。1733年時点で16歳。商売に興味なし。いつも本を読んでいるやさしい文学青年。幸の向学心に感心していて、いろいろ目をかけてくれる。いがみ合う二人の兄の間を取り持つ的な存在でもあったのだが、幸の奉公3年目に起こる、とある出来事が智蔵の運命を(ある意味、いい方向に)変えてしまう。
 ◆お梅どん:20年来のベテラン女中。良く喋り良く笑う人。笑うとえくぼができる。悪い人ではない。
 ◆お竹どん:同じくベテラン。いつもイライラ。40代。チーフ女中的な人。赤ん坊のころから世話をしてきた智蔵の優しい人柄を見守っている。悪い人ではない。最初はおっかないけど。
 ◆チーム「手代」の5人:鉄七、伝七、佐七、留七、末七。名前に「七」をつけるものらしい。へえ~。
 ◆チーム「丁稚」の3人:広吉、安吉、辰吉。名前に「吉」をつけるらしい。へえ~。
 ◆菊栄:徳兵衛の嫁として、幸の奉公2年目(1735年の夏)に嫁いで来る。この時17歳(なので旦那の5つ年下、幸の6歳年上)。明るく元気なお嬢さん。幸を気に入り、いろいろと優しくしてくれる。浄瑠璃好きで、智蔵とも仲良し。「五鈴屋」の奉公人たちからも好かれていたのだが、肝心の夫の徳兵衛がいかんせんクソ野郎で……。

 とまあ、こんなキャラクター達の間で展開される、大坂商人の日常的な物語である。上記のリストに入れなかったけれど、幸の父は、あまり出てこない。冒頭の故郷での生活の際に出てくるけれど、どうやら元・士分だったようで、妙にプライド高いのか、商人=汗水たらして働かないインチキ野郎、と決めつけていて、わたしから見れば、お前も世間を何も知らない学者野郎じゃん、という気もする。なので、父は幸に、「手の綺麗な(畑仕事で手があれていない)人間は信用するな」と言い聞かせ、「商(あきない)とは、即ち詐(いつわり)なのだ」という自説を幸やお兄ちゃんに押し付けていた。しかし、お兄ちゃんは父よりももっと聡明で、世の中のことを洞察していて、商を貶めて良いものではない、ときちんと分かっていた。そんな環境で育った幸なわけで、非常に賢く、奉公に上がってからも、何度もお家さんや智蔵、治兵衛に鋭い質問を投げかけることで、おっと、この娘は只者じゃない、かも、と認められていくわけだが、いかんせん、最初に書いた通り、この1巻の段階ではまだまだ、幸が中心の話ではないので、この作品世界のメインストーリーではないのだろうと思う。

 というわけで、もう結論。
 高田郁先生の『あきない正傳 金と銀 源流編』は、どうも物語の始まりのための、バックグラウンドを描くお話で、本格的に物語が動くのは、次巻以降なんだろうと思う。わたしとしては、今回だけではまだ物足りないというか先が気になるので、まあ、とにかく今後、幸がどんな人生を歩んでいくのか、大変楽しみにしながら、シリーズを追っかけて行こうかな、と思います。以上。

↓ というわけで、2巻が出たばかりっすね。帰りに買うの忘れんなよ……!!

 わたしは山に登る男だが、何度かこのBlogで書いた通り、ランニングや登山などを趣味としていると、100%間違いなく、「何でわざわざそんな辛いことするの?」と聞かれることがある。
 その度ごとに、世間的に善人で通るわたしとしては「うるせーな、一生走ったり山に登ったりしないお前には永遠にわかるわけねーだろ」 と心の中で思いながら、さわやか営業スマイルで「まあ、気持ちいからっすね」と答えるようにしている。実際それがわたしの心を最も正確に表現しているのだが、そういう話をしていると、これまた100%確実に、「ストイックですよね、ホントに」とかいう感想を聞かされることになる。
 するとわたしは、心の中で、「お前なあ、ストイックって言葉の意味知ってるのか? 大体お前、ストア派の哲学を理解して言ってんのか? ストイックってのは、ストア哲学派っぽい、って形容詞だぞ? オレは全然欲望に満ち溢れてるっつーの!!」 と、我ながら小学生じみためちゃくちゃな理論が頭の中を渦巻き、内心かなりイラつくのだが、ま、もう慣れているので、「そんなことないっすよ、はっはっは」的にテキトーにあしらい、その人間と、お疲れっした~、と別れた直後、すぐにどこかタバコを吸える場所を探して一服し、はあ、あいつとは永遠に分かり合えねえな、という判定を煙とともに吐き出すことにしている。まあ、その人の印象やどんな顔をしてたかすら、煙とともに虚空に消え去るわけだが、ちなみに、わたしは、そうだなあ、たぶん100人近い人々から、「ストイック」だと評されたことがある。あーあ。人は分かり合えませんなあ。
  というわけで、わたしがさっき読み終わった本が、わたしの好きな作家の一人である湊かなえ先生による『山女日記』である。湊先生と仲良しのお方に聞いた話によると、湊先生も結構山に登るお方だそうで、ハードカバー単行本で出たのが2014年とちょっと前なのだが、ついうっかり文庫が出るまで待つか……リストに入れてしまったため、ようやく先日発売になった文庫を買い、読んでみたわけである。
山女日記 (幻冬舎文庫)
湊 かなえ
幻冬舎
2016-08-05

 結論から言うと、本作は、湊先生の『花の鎖』や『物語の終わり』のような、短編連作でキャラクターが次々と入れ替わりながら、それぞれ関係していて最後、美しくまとまる系のお話で、大変に面白かった。さっさと単行本で読めばよかったと思う。
 で、内容は、タイトル通り、登山を趣味とする女子たちのお話で、何人か登場するキャラクターたちが少しずつ関係があってつながっており、読みながら、ああ、この人は前の話に出てたあの人か、みたいな感じで読み進めるように書かれていて、それぞれ全く性格が違ったり、思わぬところでつながったり、とても楽しい時間を過ごせる物語であった。
 さて、じゃあ、今回は、それぞれのキャラクターをまとめておいて、読む際の人物相関図的なものをイメージできるような記事にしようかな。サーセン。ネタバレも含んでると思います。
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 第1話:「妙高山」
 ◆江藤律子:通称りっちゃん。超しっかり者。30代。婚約者との結婚を前に、若干悩み中。丸福デパートの婦人服売り場担当。「アウトドアフェア」でDannerの登山靴に一目ぼれし、山デビューを決意。第1話の語り手。由美のいい加減さが実は大嫌い。学生時代は剣道部。
 ◆芝田由美:超ルーズな今どき女子。同じデパートの同期。部長と不倫中。勢いだけで参加した。何も考えてなさそうな女子だが、意外とかなり心優しい女子(?)。
 ※ちなみに、Dannerのブーツは、山を趣味にしている人ならだれでも知ってる有名なブランドなのだが、わたしは、高いし、デザインもあまり好みでないし、とにかく重くて硬いのでわたしの登山スタイルに合わないので買ったことはない。けど、知らない人が見て、これぞ「ザ・登山靴」とあこがれる気持ちはよくわかる。
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 第2話:「火打山」
 ◆神崎秀則:40代。この第2話の段階では、まだ下の名前は不明で、「神崎さん」としか出てこない。お見合いパーティーで美津子に一目ぼれ。曰く、「クールビューティーなところ」に惚れたのだとか。
 ◆美津子:40代。この第2話の段階では苗字は不明。バブル入社で証券会社へ入社したものの、倒産。現在は老人ホームの事務員。バブル時代のキメキメスーツやメイクを同僚の若い女子にバブルと揶揄されることを腹立たしく思っている。実は大学時代は山岳部で、バリバリの元アウトドア人種。
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 第3話:「槍ヶ岳」
 ◆わたし:たぶん第1話で律子にいろいろアドバイスしてくれた牧野しのぶさんだと思う。子供のころから父と山に登っているベテラン。大学の山岳部の団体行動が耐えられず、部を辞めてもっぱら単独行。律子たちの一つ年上で、丸福デパートの贈答品売り場担当。落ち着いた雰囲気の女子
 ◆永久子さん:直接は出てこないが、「わたし」の山岳部の1つ先輩。永久子さんも部を辞めた。後に、やっぱり単独行は不安だからと山岳ショップ主催の登山で知り合った男と来年結婚するかも、という状態。郵便局勤め。
 ◆本郷さん、木村さん:「わたし」が出会う年配の登山者。実にうっとおしい。わたしなら確実に無視して一切しゃべらないと思う。
 ※わたしも常に単独行だが、不安は感じたことはない……かな。やっぱり、どうしてもペースの合わない人とは行けないし。ちなみに、わたしは山で出会った人と同行を求められたことは一度もないのだが、この話を読んでいて、その理由が分かった。わたしは、どの山でも基本的にほとんど休憩しないで歩き続けているので、話しかけられる余地が一切ないんだった。そうか、休憩しないと、話も出来んわな、と納得できた。やれやれ……。
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 第4話:「利尻山」
 ◆宮川希美:第4話の語り手。35歳。実家は玉ねぎ農家(場所はよくわからないが田舎らしい)。都内の外大を出た後、フリーの翻訳家を名乗りながら収入はわずかで、母を亡くした父とともに実家暮らしで畑を手伝っている。友人に立花柚月という帽子デザイナーがいる。しっかり者の姉に、いつも見下されているように感じていて、若干苦手。
 ◆お姉ちゃん:下の名前は不明。「お姉ちゃん」としか呼ばれない、希美の姉。しっかり者。大阪の女子大を卒業。栄養士として勤務した病院で知り合った医師と結婚。娘が一人いる。大学の時に、同じ寮の同級生、内藤美佐子に誘われて山岳サークルへ。なので、元・山ガール。長女としてのしっかり者プレッシャーからなのか、寝ているときに歯ぎしりする癖がついてしまったのがコンプレックス。何やら旦那との関係で問題発生のようで……
 ※利尻山は、たぶん登場人物と全く同じコースでわたしも登ったことがあるけれど、往復で確か5時間チョイぐらいだったので(AM4時過ぎから登って10時前には下山完了していた)、ああ、やっぱり普通の人は倍かかるんだ、とこの話を読んで初めて知った。あの時も、登りで一回休憩したぐらいだったなあ……。
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 第5話:「白馬岳」
 ◆お姉ちゃん:今回はお姉ちゃんが語り部。苗字も名前も、この話でも判明せず。読み飛ばしちゃったのかな……?
 ◆七花:お姉ちゃんの娘。小学5年生。賢く、パパ・ママが大好きないい子。
 ◆宮川希美:この話も、妹である希美も参加。
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 第6話:「金時山」
 ◆梅本舞子:丸福デパートの、律子・由美の二人と同期の同フロア。本当は妙高山にも一緒に行く予定だったが熱を出して不参加だった。元バレーボール選手だが、膝を壊して大学3年で引退。「日本一」にこだわるバリバリ体育会系女子。目標を定めて一つ一つこなすタイプ。妙高山以来、律子と由美が仲良くなったのが若干面白くない。いつも、しっかり者の律子が由美にキレて、まあまあ、と間に入るのが舞だったのに。
 ◆小野大輔:舞子のちょっと年下の優しい彼氏。劇団員の夢追い人、と思っていたら、実は意外な過去が……。
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 第7話:「トンガリロ」
 <10数年前>
 ◆立花柚月:旅行会社のニューカレドニア支社駐在員。色黒。大学では山岳サークル所属。日本にいる長距離恋愛中の彼氏、吉田くんとニュージーランドで待ち合わせ、トンガリロへ向かう。その後、ニューカレドニア支社がバブル崩壊で閉鎖され帰国、通販をやっている子会社へ出向。そしてその会社を辞め、専門学校に通って技術を身につけ、今では予約しても納品に半年かかる人気の帽子製作者。
 ◆吉田くん:柚月の彼氏。柚月曰く、デブは嫌いだが、「硬いデブならアリ」というゴツイ男。元ラガーマン。
 <現在>
 ◆立花柚月:10数年ぶりに懐かしのニュージランドトレッキングのツアーに一人で参加してみる。その理由が明らかになるラストはとてもジーンと来た。
 ◆石田真由:現地のツアー添乗員の女性。推定20代前半とまだ若い。
 ◆神崎秀則&美津子:第2話の二人。めでたく結婚している。ハネムーンとしてツアー参加。美津子さんはさすがにブランド物に詳しく、柚月の帽子の愛用者で……。
 ◆牧野しのぶ&太田永久子:第3話の「わたし」と先輩の永久子さんもこのツアーに参加。永久子さんの結婚が決まったのでその壮行トレッキングに来た。
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 最終話:「カラフェス」
 ◆宮川希美:第4話から3年が経過している。あれ以来、山の楽しさに目覚めるが、いかんせん彼女は単独行よりも仲間が欲しいと思っていて、「山女日記」というWebサイトで、「クマゴロウ」なる女子の書き込みを見て、涸沢で行われる「カラフェス」へ参加しようとやってくる。
 ◆熊田結衣:希美が出会った若い女性。希美は、彼女が「クマゴロウ」本人だったことに驚き、仲良くなる。
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 はーーー。長くなったけど以上かな。
 
 というわけで、もうこれ以上長く書いてもしょうがないので、結論。
 湊かなえ先生による『山女日記』はとても面白かった。わたしもすべて単独行で、今後もそれは変わらないが、そりゃあ、山友達がいればなあ、と思わないこともない。が、いつも、前に書いた通り、休憩しないでとにかくずっと歩いているので、知り合う機会がないわけで、今度はちょっと、休憩をとるようにしてみようかな。でも、オレ、とにかくがらーーーんとした山が好きなので、実際のところ人に会わないことの方が多いんだよな……アルプスは人が多すぎて行く気になれないし。そもそもの問題はそれか!! まったく……やれやれ、だぜ。以上。

↓ ちなみに、本作は、北村薫先生の『八月の六日間』にもとてもよく似ている。確かこの作品、映画化が発表されてたんじゃないかな。偶然、こちらは2014年に単行本で出たときに読んでいたのだが、とにかく、本作はよく似ていると思う。こちらも結構おススメです。
八月の六日間 (角川文庫)
北村 薫
KADOKAWA/角川書店
2016-06-18

 わたしは結構本を読む男の部類に属していると自分でも思うし、周りからも思われている。そんなわたしだが、近年はすっかり電子書籍野郎にトランスフォームしたものの、電子書籍は紙の本より後に発売されることがままあり、そんな時は、軽くチッ、と舌打ちをして、紙の本を買うわけだが、まあ、やっぱり紙の本にも紙の本ならでは、の魅力は当然ありますな。電子書籍最大のメリットは、「本を収納する・保管する・置いておく空間を要しない」ことに尽きると思うが、逆に言うとそれしかない。そして一方紙の本には、電子書籍では味わえない、なんというか、質感? 物体としての存在感? みたいなものがあって、まあやっぱり、ページをめくること自体が楽しく、特に面白い作品を読んでいるときには、ああ、あとこれだけで終わっちゃう……みたいなのもリアルに味わえて、より一層、本を読む楽しみが増す、ような気がする。
 というわけで、おととい買った本をもう読み終わってしまい、読みながら、なんとも終わりまで読むのが惜しいというか、淋しくなっちゃったわたしである。そして、その本とは、これです。
アンマーとぼくら
有川 浩
講談社
2016-07-20

 ご存じ、有川浩先生の最新作『アンマーとぼくら』であります。
 有川先生の作品は、すべて文庫まで待てず、電子まで待てず、出たら即買っているのだが、本作も発売日に神田三省堂本店にて購入した。レジ前ワゴンに陳列されてました。
 有川先生の作品は、いつも、「おてんとうさまに顔向けできないことはしない」という「正直さ」というか「まっとうさ」が根底にあって、登場人物はそういった人なので、読んでいてとても気持ちがいい。真面目に生きることを信条としているわたしには、いつも大変心に響くものがあるわけで、結論から言うと、今回も大変満足、ではある。のだが、今回は……ネタバレは一切しちゃダメ、という気がするので、いつもネタバレ満載の記事を書くわたしとしてはちょっと書きようがなくて困っている。なお、いつもはタイトルに公式Webサイトへのリンクを貼って記事を書いてますが、どうもネタバレの恐れがあるような気がするので、今回はやめておきました。

 今回は、ネタバレなしで言ってもいいかなと思うのは、
 ◆沖縄のお話である。
 ◆30代半ば? の男が、家族を回想するお話である。
 ああ、こりゃイカン。やっぱり何も書けないや。
 なので、わたしとしては、とりあえず、有川先生の作品が好きな人は、今すぐ本屋さんへ行き、本書を買い、むさぼるように読み始めてくれ、としか、もう書けない。帯に書いてあるのだが、有川先生は本作を「現時点での最高傑作です」と堂々と宣言されているわけで、ならば、読まない理由は何一つない、よね。

 なお、本作は、「かりゆし58」というバンドの曲がモチーフとなったそうだが、一つだけ言っておくと、おそらく本書を買うと、その「かりゆし58」なるバンドのチラシが封入されていると思う。だけど、そのチラシを、絶対に読んではダメだ。なぜなら、わたしは、本作のタイトル『アンマーとぼくら』について、
 「アンマーって、なんじゃろか?」
 と思いながら読み始め、ちょっと中断するときに、うっかり、くだんのチラシをしおり代わりに使ってしまったのだが、そこには思いっ切り「アンマー」という沖縄言葉の意味が書いてあったのだ。もう……台無しだよ……と思ったのはわたしだけかもしれないが、これは、作中で意味が分かる時が来るので、正直、その時に知りたかったわ……と強く思ったのであります。もう、マジ勘弁、と思いました。わたしは。なので、封入されている「かりゆし58」のチラシは、見てはいけません。
 なお、これはわたしが興味がないから、というだけの話だと思うけど、ひょっとすると、「かりゆし58」なるバンドを知っている人は、とっくに「アンマー」の意味は知ってるのかもしれないね。まあ、しつこいけれど、本書のタイトルを見て、「?」と思った方は、絶対に「かりゆし58」なるバンドのチラシは読了前には見ることすら避けた方がいいと思います。本作を読み終わった後に、存分にチラシを読んでください。わたしは、全く興味がないので、つい、カッとなって捨てちゃった。八つ当たりしてしまって、ファンのみなさんホントにサーセン。あ、もちろん、インターネッツなる銀河でその言葉の意味を検索してもダメですよ!!
 絶対に、読みながら意味が分かる方が、グッと来ます。これは断言できる。と思う。

  というわけで、今回はわたしにしては全然短いけれど、もうこれ以上は書けないので結論。
 本作『アンマーとぼくら』は、これまでの有川先生の作品とは、ちょっと違う、うまく言えないけど、どこかふわふわした空気感が漂うお話で、わたしは非常に楽しめた。沖縄か……行ったことないんだよな……一度、行っとかないとダメかもな……チャリを輪行して、沖縄を自転車で走るのもアリかもな……なんて思いました。そして、もう老いた母を持つ身としては、やっぱりグッと来るものがありますね。有川先生の作品は、やっぱり発売即購入が正しいと思います。以上。

↓ 沖縄っつーと、わたしが思い出すのは、やっぱりこれっすね。ある意味、『弱虫ペダル』以上の、熱い物語です。ま、今読むと、ちょっといろいろ古いですが、年に1回は読みたくなりますな。最後の『ツール・ド・おきなわ』が超泣ける!!



 

 というわけで、このところずっと読んでいる、上橋菜穂子先生による「守り人シリーズ」。
 その第7作目『蒼路の旅人』を読み終わったので、その感想を書き連ねてみたい。
 結論から言うと、これまた超・面白かった。ひょっとしたら、今のところナンバーワンに好きかも。

 しかし自分で言っておいてナンですが、あくまでこの作品を一番面白いと思うのは、今までのシリーズを読んで来て、皇子チャグムのこれまでの人生を知っているから、そう思えるのであって、まあ、なんというか、シリーズ全体として物語を理解しないと意味がないので、シリーズの中で一番面白いのはどれか、と問うのも実に野暮な話のような気もする。
 いずれにせよ、今回は「守り人」ではなく「旅人」ということで、第4作の『虚空の旅人』同様に、今回はチャグムの冒険のお話であった。現在この作品世界では、『虚空の旅人』で示された通り、南の強大な「タルシュ帝国」が北の大陸への侵攻を意図していて、一番南に突き出している半島と島々からなる海洋国家「サンガル王国」が、「タルシュ帝国」と戦火を交えつつある状況にあり、本作では、既に「サンガル王国」が、「タルシュ帝国」に屈したところから物語は始まる。
 一方そのころ、「新ヨゴ皇国」の皇子、我らがチャグム君は、父である帝から疎まれている状況にある。その理由はいくつかあって、まず、チャグムを一度殺そうとした帝としては、チャグムのことは実際のところ嫌いだし、近年ますます、帝の血族に対する嫌悪を隠さないチャグムを憎んでいること、そして、第三の妃に男児が生まれ、チャグムが死んでも代わりが出来たこと、そして、まだ幼いその子を帝位に付けたがっている勢力があること、といった事情が絡み合っているためである。
 チャグムとしては帝位に何の興味もなく、譲れるものなら皇太子の地位なんて譲りたいのだが、死去した場合以外は帝位継承権を譲ることができない掟があるため、チャグムも日々、フラストレーションがたまっている状態にある。
 そんな中、「タルシュ帝国」による北の大陸侵攻作戦が始まり、南で国境を接する「サンガル王国」より、「新ヨゴ皇国」に援軍要請が来る。「新ヨゴ皇国」は、帝=神という設定の国であり、おまけに帝も祈ってれば大丈夫と本気で思っている愚かなかつのんきな国なので、もう完全に罠だとわかっているのに、チャグムは少ない艦艇で出陣する。そして予想通り捕らえられて、チャグムは「タルシュ帝国」の帝都へ連行されることに。そこで侵攻軍総帥であるタルシュ帝国の皇帝の次男・ラウル王子に謁見するのだが――というのが話の大筋。ええ、今回も相当はしょりました。

 今回、鍵になる人物はやはり2人かな。
 ■ヒュウゴ
 わたしの頭の中のイメージは、超イケメン。言動がなんとなくシャアっぽくて、とにかくカッコイイ。南の大陸にある、ヨゴ王国出身。ヨゴ王国は、チャグムの「新ヨゴ皇国」の祖先の国だが、現在はタルシュ帝国に征服・併合されているため、「ヨゴ枝国」と呼ばれる属州扱い。で、ヒュウゴはヨゴ出身だけれど、極めて有能で、タルシュ帝国でも出世していて、密偵として活動している。彼は、祖国の悲劇を「新ヨゴ」で繰り返させたくないと考えており、捕らえたチャグムを帝都に連行する旅の中で、チャグムに対して「いさぎよく、賢くて……心がやさしい。平時であれば名君と呼ばれるような、すばらしい為政者になっただろうに」と好意を抱く。今のところ、まだ帝国内での地位がそれほど高くないので、出来ることは少ないけれど、何かと助けてくれたりする人物。今後のキーキャラになる可能性大。※追記:おっと!! TV版では、このヒュウゴを鈴木亮平君が演じるらしいですな。楽しみだ!!
 ■ラウル王子
 タルシュ帝国の王子。帝国の「北翼」を治める。「南翼」を治める兄王子とはライバル関係にあり、 手柄を争う仲。北の大陸への侵攻軍総司令官。性格は傲慢で冷酷、のように今のところ描写されているが、今後どういうキャラになるか分からない。現状ではチャグムを子ども扱いし、さっさと降伏しろと迫る。タルシュに下れば、チャグムも民も命は保障すると言っている。ただし、現在の帝には死んでもらうと明言。チャグムと対面した時、ラウルはチャグムに世界地図を見せる。このときの二人の会話は非常に対照的だ。
 ラウル「このような地図を、見たことがあったか」
 チャグム「ありません――はじめて見ました」
 ラウル「これを見て、なにを思った」
 チャグム「世界は広いと思いました。――すべての国を、見てみたい」
 ラウル「十歳で、はじめてこの地図を見たとき。おれは、それとは逆のことを思った。世界は狭すぎる。――これからおれが手に入れられる国は、もうわずかしか残っていないと思った。そのとき胸に宿ったあせりにも似た気持ちは、いまもおれの中にある」
 そして、新ヨゴ皇国やロタ王国のある北の大陸を指して言う。
 ラウル「あそこは、おれに残されている獲物だ。」
 こんな男なので、もう話し合いの余地はない。戦いは不可避だ。

 そして、本作でチャグムは、タルシュ帝国の強大さを身を持って実感し、また、タルシュに下り、「枝国」となったらどうなるのかをその目で見る。この国にはかなわない、という絶望に近い思いを抱きつつも、チャグムはラストで、二つの大きな決断をする。その内容はもはや書かないほうがいいだろう。これはぜひ読んで確かめて欲しい。そしてわたしは、これまでの物語を思いながら、チャグムの成長に本当に胸が熱くなった。たいした男に成長したよ。どうやら本作は、第1作目から4年程が経過している時間設定になっているが、チャグムの決断は実に立派で、物語の主人公にふさわしい、魅力的なキャラクターに成長したものだと思う。実にいい。本作は、ラスト、チャグムが決断を下し、大きな一歩を踏み出すところで終わるのだが、わたしとしてはもう、先が気になって仕方ない展開だ。
 この先は、3部作の『天と地の守人』で、物語は完結を迎えるが、早く読みたい!!! と思っているものの、残念ながらまだ、電子書籍版が発売になっていないため、わたしとしては大変困っている。早く出してくれないかなー。どうやら、次の巻では、まずは「ロタ王国」が舞台となるようだが、チャグムの決断をバルサはどう受け止めるか。そもそも二人は再び出会えるのか。とにかくもう、期待でいっぱいである。そうだなあ、もし6月中に電子版が出なかったら、もうリアル本を買ってでも読みたいぐらいだ。というわけで、偕成社の電子化作業を心待ちにしていようと思います。

 というわけで、結論。
 「守り人シリーズ」第7作、『蒼路の旅人』は大変面白かった。今回は非常に現代的? というかファンタジー色は薄く、とうとうこの物語世界にも本格的な戦争が舞台となるが、実に読みごたえがあり、シリーズを読んできた人なら、皇子チャグムの成長に胸が熱くなること請け合いであろう。次巻は再びバルサが登場するはずで、最終エピソードに入るわけで、バルサとチャグムの活躍を心待ちにしたい。以上。

↓ こっちを買わずに、電子が出るのを我慢できるか自信なし……。もう、紙も電子も両方買っちゃえばいいしじゃん!!>オレ!! あ、でも買うなら偕成社版だぜ!!

 



 

 というわけで、今日も昨日に引き続き、上橋菜穂子先生による「守り人シリーズ」です。第5作目・6作目となる『神の守り人<来訪編>』と『神の守り人<帰還編>』を読み終わったので、その感想を書き連ねてみたい。
 昨日、シリーズ4作目の『虚空の旅人』について結構詳しく書いてしまったので、今日はあまり書くことがないのだが、 昨日書いた通り、本作『神の守り人』は、バルサとタンダが大活躍のお話であった。


 昨日書いた通り、本作は、時系列的には、ほぼ、前作『虚空の旅人』と同時期で、『虚空の旅人』でサンガル王国に赴いたチャグムが活躍している頃、バルサとタンダは本作において、ロタ王国で別の事件に巻き込まれていた、という事になっているのだと思う。
 おおよその話の筋は、次のような感じである。
 タンダとともに、薬草の大きな市へ出かけたバルサは、幼い兄チキサとその妹アスラが人買いに連れられているのを見て、つい助けてしまう。何やら追われている二人だが、妹のアスラは、実は身に謎の存在を宿していて、バルサは妹アスラを助け、タンダは兄チキサを助けながら逃走を手助けする。しかし、アスラの身に宿る力を求めるロタ王国の勢力が迫り――てなお話である。サーセン。超はしょりました。
 ポイントとなるのは、ロタ王国国内の複雑な情勢だ。登場人物も多く、それぞれの思惑が微妙に違っているので、読んでいて混乱するレベルではないけれど、改めてまとめてみようとすると結構難しい。よし、ちょっとやってみるか。
 ■ロタ王国・国王ヨーサム
 国民の信頼の厚い善人。本作ではすぐに「サンガル王国」の「新王即位ノ儀」に出かけてしまうため(→それが4作目の『虚空の旅人』で描かれた話)、不在。体が弱い。弟を信頼しているが、弟は伝統を無視するところがあるため、万一自分のあとを弟が継ぐことになったら大丈夫か心配している。
 ■ロタ王国・王弟イーハン
 兄を敬愛する善き弟。ただし、かつて「タルの民」というロタ王国では虐げられ差別されている民族の女性に惚れてしまい、以来、なにかと伝統を無視するような言動を取っており、南部の裕福な豪族からは嫌われている。なお、イーハンが惚れてしまった女性は、自らの存在がイーハンに迷惑をかけることを憂い、自ら姿を消した。※追記:マジか!! TV版では、このイーハンをディーン・フジオカ君が演じるらしいですな。
 ■スファル
 カシャル<猟犬>という、王の密偵的な役割を果たす呪術師のリーダー的存在。王に忠誠を誓っていて、歴史も重んじる男。王(というより王国)にとって危険な存在であるアスラを狙う。
 ■シハナ
 スファルの娘でカシャル随一の使い手。バルサともいい勝負をするほどの腕前。歴史的な伝統よりも、イーハンの思想を支持しており、父さえも欺こうとする。アスラを手中にして、その身に宿る力を利用しようとする。※追記:うおー!! こっちもマジか!! TV版では、このシハナを真木よう子様が演じるらしい。コイツは超アリっすね!!
 ■南部の豪族たち
 ロタ王国の南部は肥沃な土地で、経済的に豊か。既得権益を守るため、イーハンの改革が気に入らない人々。ただし、とりわけ特別な行動を取ろうとはしていない。生粋のロタ人のため、タルの民を忌み嫌っている。
 ■北部の氏族たち
 一方でロタ王国の北部山岳地帯は、非常に厳しい気候風土で作物も生らず、経済的に貧しい。そのため、イーハンの改革を歓迎しているが、若干考えが甘く、彼らもまたロタ人のため、タルの民に対する同情はとくにない。
 ■タルの民
 何故「タルの民」が差別を受けているかというと、それは建国の歴史までさかのぼる話になるのだが、要するに、かつて、「ノユーク」(=新ヨゴ皇国で言うところの「ナユグ」)の神的存在を武器として用いて残虐なことをしたためで、以来、「タルの民」は、終生影の存在として生きることをロタ建国の祖に誓っているわけで、要するに、自ら謹慎してるようなものだと言える。だが、一部の人々はもはやそんな昔のことで今でも差別を受けるのはいやだと思っており、アスラの身に宿った力=ノユークの神の力を欲している。
 ■アスラ
 幼い少女。本作の鍵を握る存在。タルの民。母の処刑の場に立ち会った際に、ノユークの神の力を身に宿す。母から聞かされたタルの民の歴史とその雪辱のために、その力を行使することに喜びを見出してしまうが、バルサはその危険性を憂いている。特に、バルサは人を殺すことに対して身を持って知り尽くしているため、なんとかアスラに人殺しはさせたくないと思っている。※追記:な、なんだってーーー!? TV版では、母のトリーシアをみっちゃんこと壇蜜様が演じる!!。やっばい!!
 ■チキサ
 アスラの変容を心から心配しているが、なかなか再会できないかわいそうなお兄ちゃん。アスラに妙な信仰を植え付けた母に、内心腹を立てている。とてもけなげないい子です。

 というような人物関係で、少し複雑(?)なのだが、端的に言うと、抗いがたい波に飲み込まれようとしている幼い少女にかつての自分を見て、自分と同じような凄惨な人生を送らせてはならないということだけがバルサのモチベーションで、ロタ王国がどうなろうと、タルの民がどうなろうと関係ない。だから、まったく迷いはない。そして、今回も何度かひどい重傷を負ってしまう。そんなバルサと、そっと寄り添い癒そうとするタンダの姿に、我々読者はやっぱりグッと来てしまうし、もちろんそれは、きちんとアスラの胸にも届き、事件は何とか終結に至るというわけだが、今回のエンディングは、今までよりも若干、完全なハッピーエンドには至っていないので、まあ、続きがあるんでしょうな、とわたしとしては先の物語が大変楽しみであった。とはいえ、この先、アスラやシハナがまた登場してくるかどうかは微妙かな……わからん。
 とにかく、やっぱりバルサという女用心棒は大変共感できるというか、素晴らしいキャラクターだと思う。このお話が映像化されるのかわからないけれど、綾瀬はるか嬢が演じたら相当イイだろうな……という予感はする。タンダもなあ……とてもいい奴なんだが、バルサよ、タンダの想いも受け止めて、あんた自身が幸せになっておくれ……とおっさん読者としては思うのでありました。
 いずれにせよ、まだまだバルサの旅は続きそうだし、一方では今回一切登場しなかったチャグムも、どうやら次のお話では主人公として活躍するようだし、もう残ったお話は少ないけれど、楽しみに先を読み続けようと思います。

 というわけで、結論。
 今回のお話は、「ロタ王国」が舞台となって、幼い兄妹を助けるバルサとタンダの冒険であった。また、持たざる者、虐げられていた者が、思わぬ力を手にしたとき、その力を行使して、自分がやられていたことを相手に返そうとするお話なわけで、なんとなくテーマ的には、先日の『ズートピア』に繋がる話だと思いました。要するにですね、「論語」的に言えば「己の欲せざる所は人に施す勿れ 」ってことですよ。それはずっと心に刻んで生きていきたいですな。以上。

↓ 今回のお話読み終わって、ふと、改めて読んでみたくなってきたっす。

 というわけで、このところずっと読んでいる上橋菜穂子先生による「守り人シリーズ」第4巻、『虚空の旅人』について、読み終わったのはちょっと前だけど書こうと思います。

 最初に告白しておくと、愚かなわたしは4作目を勘違いして、先にシリーズ5作目の『神の守り人<来訪編>』を読んでしまったのであります。バカだよなあ……わたし、電子書籍で購入して読んでいるわけですが、 電子書籍だとですね、表紙が小っちゃくて、タイトルがもはや見えないわけですよ。で、買った時に電子の本棚に並べる際に、順番間違っちゃってたんだなあ、これが。何の疑いもなく『神の守り人<来訪編>』を読んで、よーし、次は『神の守り人<帰還編>』だ、と表紙をタップしたら『虚空の旅人』が立ちあがり、アレッ!? 並べ間違えてら、と気づき、さらには作品の順番も間違っていたことに気付いたわけです。アホでした。
 というわけで、5作目の『神の守り人<来訪編>』は読んでしまったものの、とりあえず前に戻って4作目の『虚空の旅人』を改めて読んだわけですが、どうやら実は、このわたしのうっかりミスは、結果的に一つだけ役立つことになったのであります。というのも、どうも時系列的には、『神の守り人<来訪編>』の冒頭部分というのは『虚空の旅人』よりちょっと前っぽいのです。なので、4作目『虚空の旅人』で舞台となる、「サンガル王国」の王の即位式には、5作目『神の守り人<来訪編>』で舞台となる「ロタ王国」の王も出席していて、しかも先に5作目を読んでしまっているわたしには、4作目を『虚空の旅人』を読み始めてすぐに、ああ、これがロタ王が(5作目で)言っていた即位式か、と分かったわけです。
 むむ……説明が難しいな。ま、とにかく、時系列的に偶然正しかったという事が言いたかっただけです、はい。まあ、正確に言うと、4作目と5・6作目は、ほぼ同時に起こっている出来事、という事かな。4作目では、「サンガル王国」における事件に巻き込まれたチャグムを描き、一方同じころ「ロタ王国」ではバルサとタンダがとある事件に巻き込まれていた、みたいな感じだと思う。でも、読む順番はやっぱり、先に『虚空の旅人』を読んでおいて間違いないと思います。 

 さて。というわけで、今回の4作目『虚空の旅人』である。
 今回の主人公は1作目で「精霊の守り人」にされた「新ヨゴ皇国」の皇太子、チャグム君と言っていいような気がします。今回、バルサやタンダは一切登場しません(=しつこいですが同時期にロタ王国で起こった事件に巻き込まれているバルサたちの活躍は5巻6巻で描かれる)。ともあれ、1巻目の事件から4年(3年?)経過していて、チャグム君もかなり立派にすくすく育っており、おっさんファンはもう胸が熱くなります。
 物語としては、チャグムの住む国「新ヨゴ皇国」と南で国境を接しているお隣の「サンガル王国」のお話で、サンガルでの新王即位式と、そこに出席するためにやってきたチャグムが、サンガル内部の陰謀とその背後に隠された、海を隔てた南の大国「タルシュ帝国」の陰謀に巻き込まれるお話でありました。
 わたし的に、一番興味深いと思ったのは、第1作目でチャグムが憑依(とは違うか?)された、「ナユグ」という異世界が、この物語のそれぞれの国で、同じように伝承されていることである。
 ちょっと、各国の情報を、今後のためにまとめておこうか。
 ■新ヨゴ皇国
 →チャグムの国。この国は、もともと南の海の先にあった「ヨゴ国」の人々が戦争から逃げて海を渡って渡来し、先住民族の「ヤクー」を制圧し建国した国。まだ250年程度の歴史しかないが、現在はもう、かなり混血化も進んでいる。で、建国の祖の直系の子孫が「帝」であり、高貴なる神のような存在として君臨している国。先住民ヤクーの間では、現世と同時に存在している「ナユグ」という異世界があることが認識されている(が、もうそれを伝承する人はかなり減ってしまっている)。なお、もともと南の大陸にあった「ヨゴ国」は、現在では新興国家「タルシュ帝国」に侵略・併合されて国としては消滅している(が、「枝国」と呼ばれる属州としては存在していて、チャグムの先祖たるヨゴ人たちはその帝国内で現在も生き延びている)。
 ■カンバル王国
 →バルサの故国。第2作目『闇の守り人』の舞台。王族と氏族がいて支配。新ヨゴ皇国の北の青霧山脈を超えた先にあり、峻厳な高山地帯であるため、基本的に貧しい国。この国には「ナユグ」に相当する異世界はどうも伝承されていないようだが、この国には独特の「山の王」という信仰(?)対象があって、ほかにも「ティティ・ラン(=オコジョを駆る狩人)」という小人がいたり、カンバル人を密かに監視する「牧童」と呼ばれる先住民もいる。なお、王を守る軍事組織の「王の槍」と呼ばれる男たちがいて、相当強い。バルサを鍛えたジグロは「王の槍」のいわば隊長だった最強の槍の使い手で、第2作目終了時はカームという男が最強の座に。ちなみにカームは第4作目にチラッとだけ登場する。
 ■サンガル王国
 →新ヨゴ皇国と南で国境を接していて、海に突き出た半島と島々からなる海洋国家。第4作目『虚空の旅人』の舞台。ここも王族がいるが、元々は海賊の出で、一番強いものが王となった経緯があり、有力氏族たちは単に、王についていれば利益があるという思いから従っているため、結束力は微妙。なお、王の長男に二人目の男児が誕生すると、王はその長男に王位を移譲するしきたりがあって、その際「新王即位ノ儀」が行われ、隣国の王族も招かれる。4巻の『虚空の旅人』は、まさにそれが舞台になっている。で、この海洋国家「サンガル王国」では、「ナユグ」に相当する「ナユーグル」という異世界があることが認識されている。サンガルでは、王族の女子たちが大きな力を持っていて、有力氏族へ嫁ぐことで王家の監視役にもなっている。また、海上生活を営む自由な民もいて、かなり緩やかな統治(それゆえ、海を隔てた大国・タルシュ帝国の陰謀に巻き込まれる)。土地は豊かで海産物もあり、富める国。
 ■ロタ王国
 →新ヨゴ皇国の西で国境を接している国。第5・6作目『神の守り人<来訪編><帰還編>』の舞台。ここも王族がいる。この国は、南部の肥沃な地に住む豪族と、北部山岳地方の痩せた地に住む氏族の対立があり、さらに人種間でも、多数を占めるロタ人の他に、「タルの民」という少数民族がいて、「タルの民」は虐げられた民族として不満を抱えている。また王家に代々仕える「カシャル(=猟犬)」と呼ばれる密偵的な「川の民」と呼ばれる民族もいる。この国では、「ナユグ」に相当する「ノユーク」という異世界が認識されていて、神々の世界と崇められている。王と王弟がいて、王はサンガルの「新王即位ノ儀」に出席するため、冒頭で旅立ってしまうので、5・6作目の事件の際には不在。
  
 はー、長くなってしまった。
 話を今回の4作目『虚空の旅人』に戻そう。
 お話的には、サンガル王国の「新王即位ノ儀」を舞台に、南の大陸にある強大な「タルシュ帝国」の陰謀が進められるわけだが、そのカギとして、現在はそのタルシュ帝国に侵略・併合された「ヨゴ」出身の術者が暗躍していて、その呪術に、 いち早く気づくのが「新ヨゴ皇国」の代表として訪問していたチャグムとシュガの二人で、何とかサンガル王国を助けるために奮闘するのだが――てなお話。
 しかしまあ、チャグムは本当にしっかりとした、利発な青年に成長しつつあって、外交にもきちんと頭が回るし、もちろん自分の立場もしっかり弁えているし、何気に、かつてバルサに特訓してもらった格闘術も使えて、大変素晴らしい若者として描かれている。もう、おっさんファンとしてはそのまっすぐな成長ぶりがまぶしくて、嬉しくてたまらないですな。今回、とにかくチャグムがカッコ良くてですね、わたしは次のセリフに大変グッときました。
 「シュガ。ひとつだけ、約束してほしいことがある。これからも、おまえがなにかの陰謀に気づいたとき、わたしを守るためにその真相を隠すようなことは、決してせぬと約束してくれ。……陰謀の存在を知りながら、だれかを見殺しにするようなことを、けっして、わたしにさせるな」
 このセリフを聞いては、思わずシュガも、「……誓います、殿下」と約束せざるを得ない。シュガは、今までは散々そういった謀略を目にしてきたけれど、チャグムは「自らの、かがやく玉のような清いものを汚して、何を守るって言うんだ!!」と、本気で言っていることに気づくわけで、甘い考えであろうと、その清らかなハートは守るべき尊いものだと思うわけです。この二人の主従関係は読んでいて非常に心地いいですな。

 結局のところ、この一連の「守り人シリーズ」という作品群の素晴らしさは、そういう、「人としての正しさ」というような、「まっとうさ」が事件を解決させるカギになるわけで、読んでいてわたしは大変気持ちがいい。真面目に生きることを旨とするわたしとしては、上橋先生の作品は万人にお勧めできる極めて質の高い物語だと思います。今回も大変楽しめました。

 というわけで、結論。
 チャグム君、本当に君は、いろいろつらい目に遭ったけれど、バルサと出会えて大きく成長したね。読者としては大変うれしい思いであります。そして、次の『神の守り人』も読み終わったので、明日レビューを書きます。以上。

↓ コミックもチェックしといた方がいいんすかね……どうしようかな。



 

 昨日に引き続き、NHKのTVドラマ版からすっかり気に入ってしまった上橋菜穂子先生による「守り人シリーズ」第3巻、『夢の守り人』について、読み終わったのはちょっと前だけど書こうと思います。本作では、舞台を再び第1作目『精霊の守り人』で描かれた「新ヨゴ皇国」に戻し、成長したチャグムや、タンダ、トロガイ、シュガといった人々が登場するお話で、第2作目『闇の守り人』が主人公バルサの過去の清算だったのに対して、今回は偉大なる呪術師トロガイの過去の清算がメインテーマとなる話であった。いや、どうだろう、それは違うか? トロガイの過去というより、第1作『精霊の守り人』の事件の後始末的な話と言うべきか? うーーん、ちょっと難しいな。まあいいや、ちょっとまとめてみよう。

 お話としては、第2巻の後、バルサが新ヨゴ皇国に戻ってからのお話である。
 タンダの姪っ子が謎の「眠り病」にかかり、昏睡してしまう事件が発生する。なんでも、王宮においても、第1皇女もまた同様に、眠りから目覚めないらしい。そして謎の病は、チャグムにも感染してしまう。そんな中、タンダは危険を承知で<魂呼ばい>の儀式を行い、姪の魂の糸をたどって追跡を開始するが――という話。
 本作では、ポイントが2つあって、まず1つは、「眠り病にかかった人々は、現世がいやで、夢の世界に逃避し、目覚めたくない」と思わされているということであろうか。タンダの姪は、勧められている結婚話が嫌でしょうがないと思っていたり、第1皇女は、第1作で息子を亡くした痛みから現実逃避し、チャグムもまた、本当は自分は皇太子になりたくなかった、バルサと旅を続けたかった、というように、各人がそれぞれ、現世でのつらい出来事から目をそらしたいという願望を、心の底で持っている。こういった思いをどう断ち切るか、が、第1のポイントであろう。
 そしてもう1つは、タンダの身に起きる出来事である。タンダは、背景としては親族からは白い目で見られているちょっとかわいそうな境遇にあると。それは、普通の農耕作業をするわけでもなく、トロガイに弟子入りして良くわからない呪術を勉強しているからであって、もちろん、一面では地域の医者的役割も果たしているため、一定の尊敬を受けてはいるものの、親族的には、あいつは変わりモンだ的な評価をされていると。そしてタンダは、ほんの少し、それを残念に思い、ちょっとだけ傷ついている状態にある。だから、自分に懐いてくれている可愛い姪っ子は、どうしても助けたいというモチベーションがあって、危険を承知で<魂呼ばい>の儀式を行い、いわば幽体離脱状態になって、霊体となって姪っ子を助けに行くと。しかし、まんまと人の魂を縛る<花>に捕まり、現世の肉体に戻れなくなってしまう。あまつさえ、現世の肉体は乗っ取られ、儀式を邪魔しようとするバルサに襲いかかり――、と、実に気の毒なことになってしまう。この状態で、タンダは夢に囚われた人々を救えるのか、そしてバルサはタンダの魂を取り戻せるのか、というように、2つの方向での戦いが繰り広げられ、さらにそこに、トロガイの若き頃のお話が関係してきて……というのが、シリーズ第3作『夢の守り人』のお話である。
 結論から言うと、実はわたしは、結局<花>と呼ばれるモノの目的というか、バルサやタンダと敵対する相手の勝利条件が良くわからなかった。これは、わたしがこの本を3時間ぐらいで読んでしまった付けであろうという気がしている。うーーむ……ちゃんと読んだはずなのだが、この部分がはっきり理解できなかったのはわたしの落ち度だろうと思う。トロガイの過去の部分も、ちょっと分かりにくく、夢の世界なのか現実なのか、その境界線が非常に付けにくいように感じた。なので、正直に告白すると、実はわたしは、キーになる<歌い手>のことが良くわからなかったのであります。ええと、あいつは別に、意図を持って人々に歌を聞かせ、人々を夢に誘い込んだわけじゃないんだよね? だとすると偶然ってこと?? 花に意識はなく、種に込められた生存・自己増殖のDNAプログラムに従ったまで、ってことだろうか? うーーむ……。サーセン。また今度、ちゃんと読み直してみようと思います。
 ただ、物語として、心地いい場所に浸っていたい、いやなことばかりの現実に戻りたくない、という本作のテーマは、誰しもが誘惑される、甘い蜜であり、その点はとても面白かった。そして真っ先に夢の世界から帰って来るチャグムの成長ぶりに、おっさんとしてはもう本当に嬉しくなりますな。1巻ラストで、強く成長したチャグム。TV版で、「逃げない」とバルサに誓ったチャグム。よく頑張ったな、とわたしはチャグムの成長が本当に嬉しく思った。
 まあ、別に、逃げたっていいんだけれど、気持ちのいいぬるま湯にずっと浸かって、逃げっぱなしじゃあダメだ。そんなことをこの物語は教えてくれたと思います。ぬるま湯は気持ちいからなあ、ずっと浸かっていたいと、誰だって思うよなあ……でもそれじゃあ、風邪ひいちまうし、体も弱っちまうし、エイヤッと気合入れて、ぬるま湯から出る必要がどうしてもあるんでしょうな。わたしもだいぶ長いことぬるま湯につかってたような気がするけど(いや、そんなことないか、むしろ熱湯風呂だったかもw)、オラァッと気合入れてぬるま湯から出たものの、まあ世の風は冷たいすな。超・孤独だし。さっさと体拭いて服を着て、冷たい風の吹く厳しい世界で頑張ろっと。上橋先生による「守り人シリーズ」第3作『夢の守り人』は、そんなことを思わせてくれる大変素晴らしいお話でした。

 というわけで、結論。
 まあ、もう結論は上記の通りですが、気持ちのいい、甘い蜜を吸いながらぬるま湯に浸かってたら、魂が死んじまうわけで、いつまでも寝ぼけてるんじゃねえ!! ってお話ですな。わたしとしては、『夢の守り人』という作品も大変楽しめたし、やっぱり心に響きました。引き続き、シリーズを読み続ける所存であります。以上。

↓ 4作目はこれか。もう買ってあるんだけれど、「暗殺者グレイマン」シリーズを先に読み終えたいので、ちょっとだけ、読み始めるのは待ちです。

 現在、わたしはNHKのTVドラマ版からすっかり気に入ってしまった上橋菜穂子先生による『守り人シリーズ』をせっせと読み続けているわけだが、第2巻の『闇の守り人』と、第3巻の『夢の守り人』を読み終わったので、まずは『闇の守り人』のレビューを書いておこうと思う。ズバリ、非常に面白かった。 
 この第2巻は、1巻目の『精霊の守り人』のちょっと後から始まる物語で、前巻で新ヨゴ皇国の皇太子となったチャグムとの旅を経て、自らの養父であるジグロの気持ちを実体験として理解した主人公バルサが、自分とジグロの故国であるカンバル王国へ赴く話である。
 その目的は、ジグロの弔いのためであり、ジグロの親族に会ってその最期を伝えたい、というものだった。 バルサは、自分とジグロに追っ手をかけたログサム王が10年前に既に亡くなっていて、もうほとぼりが冷めていると思っての里帰りだったのだが、現在のカンバル王国では、ジグロの弟が「天下の大罪人ジグロを討ち取った英雄」として、若き王の後見役に座り、実質的な実権を握っていた……という展開である。
 本作で重要なキーとなるのは、ジグロの過去と、カンバル王国の秘密である。ジグロが務めていた「王の槍」。そしてその中で最強の者が<舞い手>となり、<闇の守り人>と技を競う儀式おこなうこと。さらに、そこで勝者となって初めて、カンバル王国は貴重な鉱石である<青光石>を<山の王>から贈られること。その財をもって、カンバル王国のやせた地では収穫できない穀物を買い付けるのがこれまでのカンバル王国の在り方で、<山の王>から贈られる<青光石>がなければ民が飢えに苦しむことをはじめてバルサは知る。そして、かつてバルサやジグロを追ってきた刺客が全て<王の槍>と呼ばれる男たちであり、カンバル王国の秘密を知る人間がもうごくわずかになってしまったことや、現在実権を握っているジグロの弟が、でたらめを吹聴して、<山の王>の宝を奪おうとしている陰謀などを知って、バルサは少ない味方の人々の力を借りて、陰謀を阻止しようとする。
 非常に綱渡りな作戦で、読んでいてかなりドキドキするし、その最中で、今回もまた、バルサはジグロの想いを知ることになる。かつての友だった<王の槍>の男たちと戦わなければならなくなったこと、戦いの後に常に悲しみを背負っていたこと、そして、すべてはバルサのためだったこと。
 そのすべてに決着をつけ、バルサはジグロの遺した心をを弔い、自分もまた、解放された思いを得ることができるわけだが、ラストで、タンダの待つ新ヨゴ皇国へ帰るバルサの心はとても晴れやかだっただろうと読者としても納得のできるお話だった。
 亡くなった人に対して、出来ることとはなにか。これが本作の大きなテーマの一つだと思う。
 まあ、普通の物語では、恨みを晴らすとか、汚名を雪ぐとか、そういうことを描く場合が多いと思うけれど、そんなことじゃなくて、生き残った者が一番目指すべきこと、そして亡くなった人が、恐らくは一番喜ぶこと、それは、「自分が幸せになること」に他ならないんだということを、本作は教えてくれるものだと思う。もうね、どうでもいいんだよ、過去は。そんな過ぎ去ったことはどうでもいいから、幸せになっておくれ。それが、一番目指すべきことなんだ、ということを、わたしははっきり理解できた。そりゃそうだよ。人が死ぬとき、一番気がかりなのは、残された愛する人には幸せになって欲しいってこと以外に、ないもんね。そういう意味では、幸せを求めて生きることは、我々生者の義務なのかもしれないなあ。まあ、それが難しいわけだけれど。
 本当に面白く、グッときましたよ。非常に心に響きました。このお話を、綾瀬はるかちゃんが演じるのをぜひ見たいですな。

 というわけで、短いけれど結論。
 シリーズ第2作、『闇の守り人』も大変面白かった。前回も書いた通り、どうやらこの『闇の守り人』は、TVでは一番最後に描かれるらしいが、その意図が非常に良くわかる。このラストを迎えることで、バルサは本当に自由になるのだから、TV的に最後に回したのは実に物語を分かっている配慮なのではなかろうか。3年後だか2年後?の放送となるらしいが、心から楽しみに待っていたい。以上。

↓ 次はこちら、『夢の守り人』です。

 

 

 先日、第1シーズン全4話の放送が無事に終了した、NHK放送90周年記念の大河ファンタジー『精霊の守り人』だが、わたしも全話見て、大変楽しませてもらったわけで、ラストのチャグムとバルサの別れのシーンに、実にグッと来てしまったのだが、放送後、とりあえずすぐに読み始めた原作も、読み終わった。勢いですぐに第2巻となる『闇の守り人』、そして第3巻の『夢の守り人』まで現在み終わってしまった。
 というわけで、今回はまずは第1巻の『精霊の守り人』について書こうと思います。

 わたしが読んでいるのは上記の偕成社版の電子書籍版です。イラスト付き。新潮社版なんて読みたくないので。ま、比べていないので、偕成社版と新潮社版が同じなのか違うのかわからないけれど、少なくともオリジナル版ではあると思う。
 この、第1巻である『精霊の守り人』は、主人公である女用心棒、バルサと、水の精霊の卵を産み付けられてしまった「新ヨゴ皇国」の第2皇子チャグムのお話だ。ただ、読み終わって、だいぶTV版とお話の印象が違うなとは思った。とはいえ、大きく印象が違うのが、新ヨゴ皇国の帝と聖導師の二人なので、はっきり言って物語上はどうでも良い存在(そんなことないか)で、面白さを損ねているという事は全くなく、TV版も大変良かった。特に、バルサを演じた綾瀬はるかちゃんの熱演は素晴らしかったし、少年チャグムを演じた小林 颯くんも非常に良かったと思います。バルサの師匠・養父のジグロを演じた吉川晃司兄貴も抜群にカッコ良かった。
 TV版で、これは……? と思った改変は、第4話の一番ラストであろう。原作上、第2巻『闇の守り人』の舞台となる、バルサの故郷・カンバル王国の王様が、原作と別人なのだ。これって……大丈夫かな、と心配だが、まあ余計なお世話であろう。実際のところ、一番の悪党なので、この王様が今も生きている設定(原作ではバルサの悲劇の大元の悪党で、10年前にすでに死んでる設定)の方が、ドラマチックに描きうるとも思えるので、来年の放送を楽しみに待っていようと思う。
 おっと、NHKの公式Webサイトに、上橋先生が直接お話されている記事が載ってますな、ははあ、なるほど、TV版の第2シーズンは『神の守り人』『蒼路の旅人』『天と地の守り人』になるんだな……そうか、まだ読んでないけど、第2巻の『闇の守り人』は最後に映像化されるわけか。なるほど、これは既に第2巻を読んだわたしには何となくうなづけるところだ。第2巻でバルサは、過去の因縁ときっちり決着をつけるのだから、その話を最後に持ってくるのはアリかもしれない。そういうことですか。
 ま、いいや。原作第1巻『精霊の守り人』の話に戻ろう。
 上橋菜穂子先生は、以前書いた通り、文化人類学の博士号を持つ学者でもある。その作品群は異世界ファンタジーと分類されるもので、異民族や異種間の交流を描く場合が多く、常に、異文化に対する相互理解がテーマとして内包されているように思う。本作も、一つは舞台となる「新ヨゴ皇国」の文化、そして先住民である「ヤクーの文化」がそれぞれ存在し、謎を双方から解こうとする流れがあって、それぞれを代表する、星読博士のシュガ、呪術師のトロガイが「精霊の卵の謎」に迫る。ただ、それはあくまで物語の本流ではなく、あくまで、本作は、元・カンバ王国民であり現在は国を追われ、用心棒として生きているバルサという31歳の女性と、新ヨゴ皇国の第2皇子として生まれ、「卵」を産み付けられてしまったチャグムのお話と言っていいだろう。
 本作で、バルサの背景はあらかた語られ、これまでの生涯がおおよそ説明される。その説明を読んだ読者としては、バルサがチャグムに抱く母性は非常に分かりやすい。説得力は十分だろう。バルサは、チャグムを守り、鍛えることで、初めて、ジグロが自分に向けてくれた愛情を実感として理解するのだ。恐らくは、この点が本作で一番重要なポイントだろうと思う。最初は皇子として、高飛車な態度だったチャグムが、徐々に心を開き、バルサを頼っていく様は読んでいてとても心に響くし、強くあれとチャグムを見守るバルサも、大変カッコ良く、同時に、バルサの慈愛に満ちた母性も強く感じられた。
 これは、TV版でもそうなのだが、事件が終わり、二人が別れるシーンは非常にグッとくる。泣きはしなかったけれど、泣きそうになりましたね。
 迎えが来て、王宮に戻りたくない、バルサと一緒に旅を続けたいと言うチャグム。そんなチャグムを抱きしめ、耳元で「ひと暴れしてやろうか?」と囁くバルサ。チャグムは、バルサがここで暴れれば、逃げることはできるかもしれないけれど、その後ずっと追われる立場になってしまう事が分かっている。非常に甘く、心が望む誘いであっても、キッパリと断り、世話になったタンダやトロガイに抱きつき、それぞれへ「ありがとう」と明確な感謝を告げ、別れを告げるあのシーンだ。バルサも、チャグムと別れたくないし、「暴れてほしい」と言われること本心では期待しながらも、チャグムの決断の正しさを理解し、抱きしめてチャグムの感謝を受け入れる。ここは、TV版の役者の演技でグッと来たし、原作ではちょっとだけ違う、「いいよ。暴れなくていいよ。……暴れるのは、別の子のために取っておいてあげて」というチャグムのセリフにも、とても心に響いた。
 ホントに、このラストのチャグムの涙はTV版の映像ならではというか、ホントにもう、泣かされそうになりましたなあ。子役の小林くんは本当にお見事でした。一度迎えの輿に向かって歩いて行き、やっぱりもう一度、とバルサに駆け寄って抱きつきくあのシーンは、もう大感動ですよ。
 「ありがとう……バルサ、ありがとう……」
 「礼など必要ない……。わたしは……金で雇われただけだ」
 このバルサのセリフは、そしてそれを演じた綾瀬はるかちゃんは最高にカッコ良かった。わたしも、今後、いろんな場面でパクらせてもらうと思います。「礼はいらない……わたしは、金で雇われただけだ」。もう使いまくると思うな、きっと。この別れのシーンは、わたしにとってはここ数年でナンバーワンに完璧で、美しいものだったと思う。本当にお見事でした。今後のチャグムの成長を、心から楽しみに、シリーズを読み続けていきたいと思う。

 というわけで、結論。
 わたしは上橋菜穂子先生の作品を読むのは、『獣の奏者』『鹿の王』に続いて3作(3シリーズ)目だが、やっぱり、非常に好きです。この先の作品も順次読んでいますが、もう完全に、頭の中では、バルサ=綾瀬はるかちゃんです。やっぱりはるかちゃんは、あまり笑わない、寂しげな笑顔がとってもいいですな。小説もTVも、たいへん楽しませていただきました。これは読んでいない方には超おススメです。以上。

↓ 実はもう2作目も3作目も読み終わったので、明日レビューを書こうかな。



  

 というわけで、全10巻読み終わった『みをつくし料理帖』。
 大変面白く楽しませてもらったわけで、昨日、あの話は何巻だっけな、と後で振り返れるように、各巻エピソードガイドを自分用記録として書いてみた、のだが、これがかなり労力の要るもので、(3)巻~(6)巻を書いたら力尽きた。ので、今日は続きです。基本ネタバレ全開ですので、ネタバレが困る人は読まないでいただければと存じます。
 それでは、行ってみよう。

<7巻『夏天の虹』>

 ◆冬の雲雀――滋味重湯
 霜月から師走(11月~12月)の話。(6)巻ラストでの澪ちゃんの決断がまだつる屋のみんなには伝わっておらず、話はそこから始まる。皆になんと言えばいいのか。既につる屋には、美緒ちゃんに代わる料理人を雇う話も進んでいて、ますます澪ちゃんの下がり眉は下がりっぱなし。そして、なにより小松原様に対して申し訳ない気持ちでいっぱいの澪ちゃんはもう食欲もなく、追い討ちをかけるように、年末恒例の料理番付からもつる屋の名前は消えてしまい、萎れていくばかり……。そんな澪ちゃんのために、御寮さんが作ってくれた重湯が澪ちゃんの心と体に染みるのだった……。
 ◆忘れ貝――牡蠣の宝船
 文化13年睦月から如月(1816年1月~2月)の話。三方よしの日に又次兄貴が助っ人にまた来てくれることになり、喜ぶふきちゃん。おまけに薮入りで健坊もやってきた。ふきちゃんが健坊に作ってあげた、紙の宝船。ふきちゃんの弟への想い乗せた紙の船をヒントに、澪ちゃんはようやく新たな料理を思いつく。心配してくれたみんな、そして澪ちゃんを思って決断してくれた小松原様、そして、つる屋へ来てくれるお客さん、皆への幸せの祈りがこもった料理を……。
 ◆一陽来復――鯛の福探し
 弥生(3月)の話。突然、澪ちゃんの嗅覚がなくなってしまってさあ大変。何を食べても味がしない。味が分からないのは料理人として致命的。澪ちゃんは料理が作れなくなってしまう。完全にストレス性のもので、源済先生に診てもらっても治す方法はなく、絶望的な気持ちの澪ちゃん。そこで、種市爺ちゃんが吉原に出向き、扇屋さんに直談判し、又次兄貴を2ヶ月間レンタル移籍してもらうことになる。そんな中、何も出来ずしょんぼりな澪ちゃんは、かつてキツイ一言をいただいてしまった一柳へ。器の見方など、鼻と舌が休んでいるときでも出来ることはあるはずだと叱咤激励される。また、おりょうさんが長らく看護していた親方のために、食べる愉しみを思い出してもらおうと、献立に工夫を始める澪ちゃんであった……。
 ◆夏天の虹――哀し柚べし
 卯月の話。シリーズ最大の哀しい出来事が起きてしまう。すっかりつる屋の主要メンバーとなった又次兄貴。ふきちゃんも又次兄貴に懐き、料理の手ほどきを受けるほどに。またお客からも覚えられ、又次兄貴は人生で最も楽しい日々を過ごすが、扇屋との約束は二月、今月末には吉原に帰らなくてはならない。あっという間にその日はやってきて、吉原に帰る又次兄貴。そして吉原では、火災が発生し――。まさかここでこんな悲劇が起こるとは、まったく予想外で驚きの展開でした。大変悲しいお話です。

<8巻『残月』>
残月 みをつくし料理帖 (ハルキ文庫)
高田 郁
角川春樹事務所
2013-06-15

 ◆残月――かのひとの面影膳
 皐月から水無月・文月(5月~7月)の話。(7)巻ラストでの悲劇を引きずるつる屋メンバー。澪ちゃんの鼻と舌が元に戻ったのは吉報だが、喪失感がみんなの心に居座っている。しかし、お客さんには料理を楽しんでもらいたい気持ちは皆一致していて、頑張ってお店を回すみんな。そんな時、つる屋にどこぞのお大尽らしきお客が現れる。それは、吉原・扇屋で出会った、摂津屋の主人だった。摂津屋さんから、幼馴染の野江ちゃんことあさひ太夫の消息を聞く澪ちゃん。火事があっても、又次兄貴が命を賭けて守り抜いた太夫。しかし摂津屋さんは、太夫と澪ちゃんの関係を知りたがり――みたいなお話。折りしも江戸では疫痢が流行していて、源済先生も忙しい。源済先生は、澪ちゃんに「食は、人の天なり」という言葉を教える。この言葉が、ずっと澪ちゃんを支えていくことになる。
 ◆彼岸まで――慰め海苔巻
 処暑の頃から彼岸の話だから、まあ8月~9月かな。ようやく長らくつる屋を留守にしていたおりょうさんもウェイトレスとして復帰。りう婆ちゃんもそのまま継続。干瓢を店先に干していたつる屋に、戯作者の清右衛門先生が、絵師の辰政先生を連れてくる。店先で絵を描いていた太一くんの才能に感心する辰政先生。そして久しぶりにつる屋を訪れた元・花魁菊乃ことしのぶさんから、失踪中の元・若旦那、佐兵衛の消息らしき情報が寄せられる。どうやら、現在は捨吉を名乗っているらしい。そしてある日、とうとう佐兵衛と母である御寮さんは対面するのだが……。
 ◆みくじは吉――麗し鼈甲珠
 彼岸過ぎから長月(8月~9月)の話。伊佐三さんとおりょうさん夫婦が、神田金沢町の裏店から引越しをするという話から始まる。澪ちゃんと御寮さんの、知り合いのいない江戸暮らしを支えてくれた夫婦が、引っ越してしまうことに寂しく思う澪ちゃん。そして、大嫌いな登龍楼から呼び出しがかかる。火事で焼けてしまった、登龍楼吉原店を新装開店するに当たってチーフシェフとして雇いたいという引き抜きのオファーだった。澪ちゃんはついカッとして、4000両出せば考えると吹っかける。すると店主の采女は、上等だ、ならばこれなら確かにその価値があると思える料理をもってこい、と返答、思わぬ料理バトルが始まってしまう。予想外の展開に困った澪ちゃんは、帰りにいつもの化け物稲荷をお参りし、ふとおみくじを引いてみる。そんな中、仮営業中の扇屋に招かれた澪ちゃんは、野江ちゃんことあさひ太夫と面会、又次兄貴の言葉を伝える。そして決意を新たに、新作メニューに取り掛かり……という話。ここで出来た新作「鼈甲珠」が、後々澪ちゃんの運命を変えていくことになる。
 ◆寒中の麦――心ゆるす葛湯
 神無月(10月)の話。つる屋店主の種市爺ちゃんが、戯作者の清右衛門先生から、澪ちゃんとあさひ太夫の関係や又次兄貴の思いをすべて聞かされ、澪ちゃん応援のために、つる屋を退職させ、あさひ太夫身請けのための大金を稼げる環境を無理やりにも整える決心をする。つる屋に縛り付けてはそれが出来ない、と。そんな中、以前、御寮さんが気に入ってべたべたしてきたうざい房八さんが結婚するので、その宴の料理を作って欲しいというオファーが来て、それを快諾する澪ちゃん。無事に料理は好評を得るが、その場で一柳の柳吾さんと息子の坂村堂さんが口論、柳吾さんは高血圧か? ぶっ倒れてしまい、すぐさま源済先生が呼ばれる。命に別状はないが、御寮さんに看護を依頼する坂村堂さん。そして御寮さんの看護で、柳吾さんと坂村堂さんの関係も修復でき、柳吾さんは澪ちゃんに「寒中の麦」の話を聞かせる。そして、柳吾さんは御寮さんにまさかのプロポーズを行うのだった――。

<9巻『美雪晴れ』>

 ◆神帰月――味わい焼き蒲鉾
 霜月(11月)の話。澪ちゃんを一人にして、自分だけ幸せをつかむわけには……と悩める御寮さん。つる屋では寒くなってきた季節に入麺を出しで好評を得る。昆布のご隠居にも好評だが、ご隠居曰く、蒲鉾が死ぬほど食いたいという。当時値段の高い蒲鉾。大坂人の澪ちゃんも江戸の焼き蒲鉾は馴染みがなかったが、歯ごたえといいこれは素晴らしいと思っていたので、いっちょ蒲鉾を自作してみようと思い立つ。そんな中、元・若旦那の佐兵衛が妻子を連れてつる屋を訪れる。自分の初孫と始めて対面する御寮さん。息子・佐兵衛に、柳吾さんからプロポーズされたことも打ち明け、ひと時の幸せな時間が流れる。そしてつる屋を訪れた柳吾さんに、プロポーズ受諾の返事をする御寮さん。翌年の初午(2月の最初の午の日)に結婚が決まる。御寮さんの寿退社によって、ウェイトレス班の人手が足りなくなり、柳吾さんから一柳勤務のお臼さんがつる屋に異動となってやってきた。でっかい女性でまさに臼のよう。これまた明るくいいキャラでみんな一安心。そして完成した蒲鉾は好評を得て、人を笑顔にする料理を作る、という心星は間違いないのだと確信する澪ちゃんだった……。 
 ◆美雪晴れ――立春大吉もち
 師走(12月)から文化14年睦月(1817年1月)の話。師走と言えば料理番付発表だが、種市爺ちゃんは、前話の焼き蒲鉾を番付に合わせて発売しようとしていたところ、「お前は番付のために料理屋やってんのか!!」と清右衛門先生に激怒されたこともあって、今年もまた番付入りを逃しちゃったなー、と思っていたら、まさかの関脇入り。何だと!? と見ると、番付に載ったのは(7)巻の冒頭で作った「面影膳」だった。番付発表後から、つる屋には「面影膳を食わせろー!!」とお客が殺到。困るつる屋メンバー。あれはあくまで、又次兄貴の追悼のために作ったもので、「あれは三日精進の文月13日~15日のみ」と張り紙をすることで対応。新メンバーのお臼さんは、今出せばバカ売れなのに、儲けじゃない、というその対応に深く感心する。また、柳吾さんも同様に、つる屋は素晴らしい店だと改めて感心する。そして、柳吾さんは、澪ちゃんこそ、跡取りのいない一柳の後継にふさわしいとスカウト。そして澪ちゃんは、前巻で対登龍楼用に開発した鼈甲珠を柳吾さんに味見してもらう。折りしも、登龍楼はこの鼈甲珠をパクッた商品を売り出し、料理番付で大関位を射止めていた。しかし決定的に味は澪ちゃんの鼈甲珠のほうが上で、柳吾さんも間違いないと太鼓判。しかし、澪ちゃんはこの鼈甲珠を武器に、あさひ太夫の身請けという成し遂げたい野望があり、スカウトを辞退。そして年が空け、御寮さんは一柳へ引越し、澪ちゃんも、神田金沢町の思い出の詰まった裏店から引越し、しばらくはつる屋で暮らすことに。ラスト、摂津屋さんが大坂での調査から帰ってきて、つる屋にやってきた。過去の事情を、澪ちゃんがしゃべらないために、自分で調査していた摂津屋さん。ほぼ事情がバレ、澪ちゃんもすべてを打ち明けることに。
 ◆華燭――宝尽くし
 睦月から如月(1月~2月)の話。いよいよ御寮さん&柳吾さんの結婚式。そしてつる屋を出る澪ちゃんの後釜となる料理人、政吉が登場。彼は(6)巻で一瞬出てきたあの時の料理人で、実はお臼さんの旦那だった。元々、お臼さんと共に一柳に勤務していたが、一柳のような一流店よりも、つる屋のような庶民派の店の方が好きだし、自分で店を持つ野望もなく、雇われ料理人希望の男で、さすがに一柳で鍛えられただけあって腕は確か。(6)巻に登場したときは、ちょっとやな奴だったが、お臼さんにぞっこんで、お臼さんの言うことは聞くし、実際話をしてみると意外といい奴だったため、澪ちゃんは淋しいながらも安心する。御寮さんの結婚前夜、つる屋の皆はささやかなパーティーを開催。息子の佐兵衛もやってきて、得意だった包丁細工で、大根を剥いて鶴を仕上げる。佐兵衛はもう料理はしないと言っているが、その技はまださび付いていないのだった……。
 ◆ひと筋の道――昔ながら
 桃の節句の頃の話。桜が近づき、仮営業中の扇屋が新装オープンするタイミングで、鼈甲珠を売り出すためにつる屋を離れる、と皆に宣言していた澪ちゃんだが、久しぶりにやってきた辰政先生の話では、まだオープンは先かも知れないが、毎年恒例の桜の移植と一般客開放の桜まつりは今年も開催するし、どうも思ったよりも早く新装開店するかもしれないという。いよいよその時がやってきたかと決意すると共に、淋しさが募る澪ちゃん。鼈甲珠の原料の仕入先は確保したものの、卵料理なので夏場は厳しい。だが今なら大丈夫だし、おまけにこの、桜まつりという絶好のタイミングで売り出さずしてどうする、と悩める澪ちゃん。ついにつる屋退職日を如月晦日(2月末日)と決め、吉原桜まつり期間中に一人で棒手振りで売り出す決心を固める。しかし、吉原のルールを何も知らない澪ちゃんは初日惨敗。扇屋さんに相談し、普請中の現場軒先で売ることを許してもらうが、やはり苦戦。そして、売り出すためのいろいろなアイディアを形にしてとうとう大成功となり、扇屋新装オープンの際には、扇屋さんへの卸売りの約束も得ることに成功するのだった。

<10巻『天の梯』>
天の梯 みをつくし料理帖 (ハルキ文庫)
高田 郁
角川春樹事務所
2014-08-09

 ◆結び草――葛尽し
 葉月(8月)の話。雨が少ない梅雨が過ぎ、日照り続きの江戸は青物の質が落ち、水不足もあって、つる屋では6月以来、三方よしの日が開催できないでいた。そんな中、扇屋の主人、伝右衛門さんがつる屋を訪れ、新生扇屋を長月九日(9月9日)、重陽に合わせて新装オープンすると知らせるとともに、その際に是非とも鼈甲珠を商いたいと申し入れに来る。まだ原料仕入れ先の都合もあるので、そちらを確認しないと返事ができない澪ちゃん。親友美緒さんが子供を抱えているところにバッタリ遭遇。日本橋で火事を出してしまった美緒さん一家は、飯田町近くに家を構え、どうやら商いを小規模ながら再開させてもらえそうだという。そんな中、無事に久しぶりに再会した三方よしの日も無事に終え、とうとう澪ちゃんがつる屋を離れて近所に一人暮らしを始める日が来る。鼈甲珠に必須の「流山の味醂の搾りかす(=こぼれ梅)」も無事ゲット。鼈甲珠の初出荷も無事に果たす。菊の花が敷かれた吉原で、新装なった扇屋へあさひ太夫が入る時、こっそり入ろうとしたのに思いっきり姿が周りに見られてしまう。その時、あさひ太夫は澪ちゃん謹製の鼈甲珠を手にし、天に翳した姿が超絶に美しく、後々錦絵となって有名になってしまうが、それは最終話の話。それを知らない澪ちゃんは、親友・美緒さんを元気づけるために、葛を使った料理で友の心を癒すのであった……。
 ◆張出大関――親父泣かせ
 長月から神無月、霜月、師走の(9月~12月)の話。すっかり有名になった鼈甲珠。伝右衛門さんはバンバン大量に売りさばきたいのだが、作っている澪ちゃんはかたくなに一日30個を守って増産してくれない。見れば、澪ちゃんは一人暮らしの自宅の軒先で、御総菜屋さんを開いている。そんなのじゃなくて、鼈甲珠を作れば儲かるだろ、と言っても聞いてくれない。澪ちゃんはクオリティ重視で質を落としたくないのだ。そんな時、つる屋さんに、とあるお侍がやって来て、江戸城勤務の同僚たちにお弁当を毎日10個作ってくれないかというオファーが来る。以前、つる屋がお弁当を販売していた時の評判を聞いてのオファーだった。澪ちゃんはそのオファーを快諾。また、つる屋では、新シェフの政吉さんから、自然薯の料理を教わり、澪ちゃんは自分がいなくなってもつる屋はもう大丈夫だと心から安心する。その自然薯料理はお客にも大好評で、「親父泣かせ」とみんなが呼ぶようになる。また、澪ちゃん謹製のお弁当も好評で、発注したお侍は江戸城内で、それどこの弁当だよ、と聞かれまくるほどに。どうやら、かつての想い人、小松原様こと小野寺様にもその評判は伝わっているらしいことを知る。そんな中、澪ちゃんの一人暮らしの自宅に、源斉先生のお母さんが来店。御典医である源斉先生のお父さん経由で、小野寺様が澪ちゃん謹製弁当を食べたいと言ってるらしい。翌日、澪ちゃんがちょっとした用で留守をふきちゃんに頼んでいる間に、お弁当を取りに来たお母さん。しかし、うっかりふきちゃんがお母さんにお弁当のおかずの酢の物を出してしまったからさあ大変。よそった器の釉薬が酢で溶け出し、食あたりが発生するという大事件が勃発してしまう。源斉先生のとりなしで何とかなったものの、大いに反省する澪ちゃんであった。そして早くも師走。師走と言えば料理番付。何と今年は、新シェフ政吉さん考案の「親父泣かせ」が張出大関に!! 喜ぶつる屋メンバーの眼には涙が……。
 ◆明日香風――心許り
 文化15年正月(1818年1月)の話。一柳へ年始の挨拶に行った澪ちゃん。なにやらお客の忘れ物があったらしく、みんなで、こりゃなんだと頭をひねる。澪ちゃんはつい、粉を舐めてみると、ほのかに甘い。ここから物語は怒涛の展開へ。どうやらそれは、幕府御禁制の「酪」らしいことが判明。なんと一柳の主人、柳吾さんが逮捕・連行されてしまう。そして、この「酪」の密造には、どうやら憎き登龍楼が関係しているらしく、おまけに佐兵衛さんが失踪した時の原因でもあったらしく――、というわけで、ここから物語はラストまでかなり激動があります。ここから先は、もう読んでもらった方がいいです。
 ◆天の梯――恋し栗おこし 
 弥生(3月)の話。「酪」の騒動も終結し、再び日常が返ってきた。が、摂津屋さんが訪れ、あさひ太夫がヤバいことになっていると知らされる。というのも、鼈甲珠を手にした大夫の錦絵が出回り、これまで伝説の存在としてその存在が隠されてきた大夫が、皆に知られてしまったのだ。こうなってはもういわゆる「年季明け(27歳になって引退すること)」まで、大夫を留めておくことはできない。身請けするにはもう結論を出さないとマズイ、と言う展開に。ここで澪ちゃんは摂津屋さんの助けを借り、一世一代の勝負に出る――!! 果たして澪ちゃんは宿願の野絵ちゃん身請け作戦を成功させられるのか、そして、澪ちゃんを常に優しく見守ってきた源斉先生と澪ちゃんはどうなるのか!! という最後のお話です。

 はーーーーー。超疲れた。
 改めて、全巻をパラパラ読みながら書いたけれど、とにかくまあ、美しいエンディングを迎えられたことは、とても嬉しかったですなあ。本当にいろいろなことが起きて、艱難辛苦が続いたけれど、最後には蒼天を拝めることができて、心から良かったと思います。
 なんというか、冷静に考えると、結構、澪ちゃんの決断は、ええっ!? と思うようなものだったり、なかなか決断できない様には、イラッとすることもあるにはあるとは思う。とりわけ、小松原さまとの件は、やっぱり全部小松原さまに任せてしまったのは、当然仕方ないけれど、ちょっとどうかと思わなくはないし、かと言って他にどうともできなかっただろうというのが分かるだけに、小松原さまの男らしさがわたしとしてはかなり印象に残った。源斉先生も、ちょっと優しすぎで、最終的な結末へ至る部分は、若干駆け足かなあとは思う。けど、源斉先生が澪ちゃん大好きだってのは、最初から分かってたし、まあ、これでいいんでしょうな。

 というわけで、もういい加減長いのでぶった切りで結論。
 澪ちゃんは結局、納得できる自分の生き方を曲げなかったところが凄いわけで、それは現代でも難しいことだし、ましてや19世紀初頭の江戸では、想像を絶する困難だったろうと思う。やはり、澪ちゃんを支える周りの人に恵まれたってことだろうな。そして、その周りの人と言うのは、全部、澪ちゃんの作る料理に込められた想いに引き寄せられたんだろうと思う。なので、結論としては、何事も真面目に心を込めて、生きていきましょうってことでしょうな。わたしも見習いたいと思います。ホント、素晴らしかった。以上。

↓高田先生の、新シリーズ。こいつぁ……読まねぇと、いけねぇでしょうなあ……。

 

 いやー……読み終わってしまった。
 何がって、そりゃあなた、『みをつくし料理帖』ですよ。約一ヶ月かけて、全10巻読了いたしました。非常に面白く、とても楽しませていただきました。はあ……もう、最後はわたしも種市じいちゃん同様、これでお澪坊ともお別れだよぅ……的に悲しくもあり、幸せに旅立つ澪ちゃんを祝福したくもあり、もうほんと、娘を嫁に出す気分ですわ。はあ……読み終わってしまって、すげえ淋しいっす……。
 ま、実は読み終わったのはもう2週間ぐらい前なんですが、1巻と2巻のときと同様に、各巻のエピソードガイドをまとめて、記録として残しておきたいと存じます。いやー、ほんと思いは尽きないところではあるが、いいお話でした。高田先生、あざっした!!
 ところで、2週間前に行ってきた、渋谷Bunkamuraでの浮世絵展の記事なんですが、先ほど、1巻目をぱらぱらチェックしてたら、物語の舞台となる年を間違えてたことに気が付きました。1802年は、澪ちゃんの両親が水害で亡くなった年で、江戸に出てきたのはその10年後、みたいです。なので、1812年ぐらい、が正しいようですので、浮世絵の記事も修正入れました。
 なお、渋谷Bunkamuraで開催中の『俺たちの国芳わたしの国貞』は、この『みをつくし料理帖』を読んだ方なら超おススメです。ちょうど同年代の作品ばかりで、非常に興味深いですよ。
 というわけで、各巻エピソードガイド、行ってみよう。長くなるので、2回か3回に分けます。
<3巻『想い雲』>

 ◆豊年星――「う」尽くし
 3年目の水無月(6月)の話。にっくき富三の話で、せっかく種市じいちゃんが取り戻した珊瑚のかんざしを再び富三に奪われてしまう、ご寮さんが可哀相な物語。又次兄貴大激怒でカッコイイ。料理のほうは、土用ということで、うなぎではなく、卯の花、瓜、豆腐を使った「う」尽くしで。一応、富三から、若旦那・佐兵衛が釣り忍売りをしてるという情報を得る。
 ◆想い雲――ふっくら鱧の葛叩き
 立秋が過ぎた頃の話。源済先生のお母さんがうなぎを差し入れに来たり、薮入りで健坊が来たりのつる屋さん。そこに、指を怪我した又次兄貴登場。どうやら、又次兄貴勤務の吉原・翁屋で鱧をさばこうとて噛み付かれたらしい。鱧といえば上方育ちの澪ちゃんの出番となるが、何かと厳しい吉原では、女料理人なんて認めないぜ的空気で……もちろん、ラストは、主の伝右衛門さんも、う、うめえ!? で一件落着。そして、後に何度か出てくる菊乃ちゃんと知り合い、ついに野江ちゃんことあさひ太夫と再会か――!?
 ◆花一輪――ふわり菊花雪
 十五夜の頃の話。家事で焼けてしまった、神田御台所町の旧つる屋跡に、偽つる屋出現!! しかも経営者はにっくき登龍楼の板長、末松だ!! 久々の小松原様も、味で勝る本家つる屋は大丈夫、と言ってくれるのだが、めっきりお客さんが減ってしまう。おまけに、なんと偽つる屋は食中毒を起こしてしまい、本家つる屋もその風評被害で大ピンチに。ここで、今まで酒を出さないつる屋で、月に3回、3の付く日(3日、13日、23日)を「三方よしの日(三方よし=近江商人の心得、売り手よし・買い手よし・世間よし)」として営業時間を延長し、夕方からは酒を出すことを思いつく。さらに、前話で、吉原の伝右衛門さんに貸しの出来た澪ちゃんは、「三方よしの日」は又次兄貴をつる屋の助っ人に来てもらう交渉に成功する。元々、夜は物騒で帰り道が怖いから早仕舞いしていたという理由もあったのだが、又次兄貴が帰りも送ってくれるので一安心。つる屋の行き届いた料理に、お客さんたちの誤解も解けてゆくのだった……的なお話です。
 ◆初雁――こんがり焼き柿
 神無月(10月)の話。すっかり秋めいた江戸。「三方よしの日」企画は大成功で、その日だけ吉原から来てくれる又次兄貴も生き生きと仕事をしてくれている。ふきちゃんは飯田川の土手の柿が気になるようだ。そんな時、ふきちゃんの弟の健坊が、つる屋の店先に現れる。なんでも、奉公先の登龍楼から無断で出てきてしまったと。そしてもう帰りたくないと。お姉ちゃんと一緒にいたいと。何とか説得して返すことが出来たものの、翌日、健坊が行方不明になったという知らせが――という話。久しぶりのりう婆さんもつる屋の助っ人にやってきてくれて、まあ最終的にはめでたしめでたしで終わる。いい話っす。

<4巻『今朝の春』>

 ◆花嫁御寮――ははぎき飯
 神無月(10月)中旬の話。日本橋両替商のお嬢様、美緒ちゃんが嫁入り修行を始める。大好きな源済先生と結婚したい美緒ちゃんだが、源済先生は御典医の息子で士分。武家作法を学ぶために大奥奉公をするのだとか。その入試に料理があると言うので、澪ちゃんに基礎を習いにやってくる。一方、つる屋には謎のお侍や武家の奥方様がお客としてやってくる。澪ちゃんがちょっとお話した奥方様は、どうやら腎臓が悪いらしく、源済先生に相談して「ははがき(ほうき草)」の実を料理に取り入れようとする。そして、なんとその奥方様が、常連の小松原様のお母さんで、小松原様は実は御膳奉行の小野寺様であることを知る澪ちゃんであった――てなお話。このお話でお母さんはすっかり澪ちゃんを気に入ってしまい、今後の物語の大きなポイントになる。
 ◆友待つ雪――里の白雪
 霜月(11月)の話。版元の坂村堂さんと戯作者の清右衛門さんがつる屋で飯を食いながら、なにやら新刊の打ち合わせをしている。聞いてびっくり、どうも、清右衛門先生は版元の金で吉原を取材して、謎の「あさひ太夫」を主人公とした物語を書こうとしているのである。いろいろ探られては困る存在のあさひ太夫こと澪ゃんの幼馴染・野江ちゃん。しかし、清右衛門先生の取材能力は高く、野江ちゃんを吉原に売り飛ばした女衒の卯吉を発見するにいたり――という話。吉原を身請けされた元・菊乃ちゃんがしのぶさんとして再登場したり、怒り狂う又次兄貴の立ち回りがあったり、澪ちゃんもとうとう清右衛門先生に野江ちゃんとの関係をすべて告白して、ならば自分が身請けするというアイディアをもらったりと何かと動きのあるお話でした。
 ◆寒椿――ひょっとこ温寿司
 冬至の頃の話。仲の良い夫婦のおりょうさんと伊佐三だが、なんと伊佐三さんに浮気疑惑が発生。おりょうさんは日に日に元気がなくなる。年末と言うことで、去年の料理番付で関脇になったつる屋だが、小松原様の話によると、今年は番付が出ないらしい。なぜなら、評判料理を多く作りすぎて、票が割れてしまったためだと言う。一方のおりょうさんと伊佐三さん夫婦は、太一君の教育方針を巡っても若干もめている様子。しかし、伊佐三さんは、太一君のために密かにあることをやっていたのだということが判明し、めでたしめでたしとなる。
 ◆今朝の春――寒鰆の昆布締め
 年末が近づく頃の話。料理番付を発行している版元の男がつる屋を訪れる。なんでも、番付は出せなかったが、それでは年が越せない、いっそ、つる屋と登龍楼で、料理バトルを行ってくれないか、とのオファーであった。つる屋チームは、バカ言うな、そんな番付のために料理を作ってのではないと断るが、既に登龍楼はノリノリだと。しかし、清右衛門先生や坂村堂の話を聞いているうちに、有名になれば失踪した佐兵衛の耳にも届くかも、ということで、オファーを受諾、料理バトルが始まる。献立のアイディアに悩む澪ちゃん。またも助っ人のりう婆ちゃんが来てくれたり、昆布のご隠居が差し入れくれたり、何とかこれで行こうと思ったところで、「御膳奉行」切腹の噂を耳にし、動揺する澪ちゃん。結果、左手中指と人差し指をザックリやってしまい……という話。このお話のラストの澪ちゃんと小松原様のやり取りが大変良いと思います。シリーズ屈指のいいシーンかも。

<5巻『小夜しぐれ』>
小夜しぐれ (みをつくし料理帖)
高田 郁
角川春樹事務所
2011-03-15

 ◆迷い蟹――浅蜊の御神酒蒸し
 文化12年睦月(1815年1月)の話。薮入りで健坊が来たり、種市爺ちゃんの元妻が現れたりと正月早々ばたばたなつる屋メンバー。元妻のせいで愛する娘が死んでしまった種市爺ちゃんの怒りと恨みが爆発するが、それをぶつける相手(元妻の浮気相手)にもつらい現実があって……シリーズ随一の悲しいお話。タイトルの迷い蟹とは、浅蜊の中にいた小さい蟹のことで、それを見て種市爺ちゃんが、ちゃんと家に帰ってれば……と亡き娘に想いを馳せるしんみりした話です。
 ◆夢宵桜――菜の花尽くし
 如月(2月)の頃の話。普段から患者のために奔走して大忙しの源済先生がぶっ倒れた!! というところから始まる。症状は重くなく、澪ちゃんは滋養になる料理で源済先生を見舞う。一方、つる屋には吉原・扇屋の楼主、伝右衛門さんがやってきて、弥生(3月)の花見の宴の料理を澪ちゃんに依頼。幼馴染の野江ちゃんことあさひ太夫に会えなくても近くにいけるのなら、と澪ちゃんは快諾。献立に悩む中、久しぶりにやってきた小松原様に相談すると「料理でひとを喜ばせる、とはどういうことか。それを考えることだ」と言われ、さらに悩むことに。そんな澪ちゃんに、優しい源済先生は「あさひ太夫に食べてもらいたいものを作ってみては?」とアドバイスをもらい、見事菜の花を使った料理と桜酒で客からの満足を受ける。帰りしな、伝右衛門さんから「世費わらに店を出さないか」というオファーを受け、悩む澪ちゃんであった……
 ◆小夜しぐれ――寿ぎ膳
 弥生(3月)の末から卯月、皐月の初めまでの話。友達のお嬢様、美緒ちゃんが嫁入り確定!! しかし源済先生が大好きな美緒ちゃんはまったく乗り気じゃない模様。最終的には、源済先生が実は澪ちゃんがすきということに気づいた美緒ちゃんは、「あなたのことが嫌いになれればよかったのに」と涙を流す。ちなみに澪ちゃんは、この段階ではまったく、源済先生の気持ちに気づいておらず、小松原様が大好き状態です。そしてこの話で、みんなで浅草に遊びに行った際、失踪中の佐兵衛さんを見かけ、取り乱す御寮さんのエピソードも。最後は澪ちゃんによる心をこめたお祝いの膳で締めくくり。
 ◆嘉祥――ひとくち宝珠
 唯一の、澪ちゃんが出演しない話で、小松原様こと、御膳奉行・小野寺数馬のお話。水無月(6月)に行われる「嘉祥」という将軍家主催のイベントに出す菓子を何にするか悩む数馬が、澪ちゃんのことを思いながらいろいろ試行錯誤する話で、妹の早帆さんやその夫で竹馬の友の駒沢弥三郎が出演。前の話で、澪ちゃんが、好きなお菓子は「(大好きなあなたと食べた)炒り豆です」と答えたことがちょっとしたヒントになる。

<6巻『心星ひとつ』>

 シリーズの中で極めて大きな出来事が起きる、重要な(6)巻。
 ◆青葉闇――しくじり生麩
 梅雨が明けた頃の話。坂村堂さんがつる屋に房八という恰幅のいい脂ぎったご隠居を連れてくる。なんでも坂村堂さんのお父さんの親友だとか。なんと坂村堂さんは、もともと「一柳」という江戸最強料亭の息子なんだとか。房八爺さんは御寮さんに惚れてしまい、実にうざい客でみんな大迷惑。空梅雨で青物の出来が悪く、献立に困った澪ちゃんは、七夕の夜、久しぶりの大雨でびしょぬれでやってきた小松原様と話した翌日、ふと、大坂では普通にある「生麩」が江戸にないことに気づき、自分で生麩を作ってみようと奮戦するのだが……初めて澪ちゃんが料理に失敗し、おまけに「一柳」の店主・柳吾さんからもキッツイことを言われてしょんぼりする話。
 ◆天つ瑞風――賄い三方よし
 葉月(8月)の話。小松原様の妹、早帆さまと澪ちゃんが知り合う話。再び吉原・扇屋の伝右衛門さんがつる屋訪問。吉原に店を出さないかというオファーの返事を求める。悩む澪ちゃん。そして同時に、ライバルで大嫌いな登龍楼の店主からも、2号店をたたむので、格安で買わないか、とのオファーが舞い込む。柳吾さんには、ずっとつる屋にいたら、成長できないと断言されてしまったし、さらに悩む澪ちゃん。そんな折、チーフウェイトレスのおりょうさんが、世話になった方の手伝いで長期離脱することになり、代わって再びりう婆ちゃんが登板。人生経験豊富なりう婆ちゃんに相談すると、澪ちゃん、あんた人のこと考えすぎ、自分のやりたいことを見極めて自分で決断すべし、とアドバイスする。そして出した決断とは――。ラスト、澪ちゃんはとうとう野江ちゃんと話をすることが出来、更なる決意に身を引き締めるのであった……。
 ◆時ならぬ花――お手軽割籠
 重陽の節句の頃(=9月)の話。なんとご近所での火事発生の影響で、飯田町では炊事の火を使う時間が制限されてしまう。料理屋に火を使うなと言うのは死活問題。困った澪ちゃんが編み出した秘策は、「そうだ、お弁当作ろう!!」であった。この作戦が大成功し、飛ぶように売れるお弁当。そんな中、先日知り合った早帆さまが澪ちゃんに料理を習いに通ってくることに。そして火の取り扱いの制限も撤廃され、元に戻るつる屋。そして早帆さまの最終日、早帆さまが自宅に来て欲しいと依頼。そこで出会った大奥様は、なんと(4)巻で知り合った小松原様のお母様!! つまり早帆さまは、小松原様の妹君であった。そして、澪ちゃんの将来を決する重大なオファーがもたらされる――!! という話。
 ◆心星ひとつ――あたり苧環
 神無月(10月)の話。前話のオファーがつる屋の皆にも知らされて一堂驚愕。どうする澪ちゃん!? と揺れまくる澪ちゃんが見つけた、揺るがない「心星」とは。源済先生も小松原様もカッコイイ男ぶりを見せてくれる、シリーズ最大の衝撃!! というわけで、詳しくは自ら読むことをおススメします。

 はーーーーーー。これまた疲れた。残る(7)巻~(10)巻は明日以降にしよっと。

 というわけで、結論。
 『みをつくし料理帖』シリーズは大変面白いです。まずはこの(6)巻までで、澪ちゃんの大きな転機が訪れますが、この先もまた大事件が発生して、本当に澪ちゃんは艱難辛苦に苛まれます。でも、本当に真面目に生きるのが一番ですなあ。わたしとしては、非常に励まされると言うか、ホント、読んでよかったと感じております。続きはまた明日!! 以上。 

↓今はせっせと、こちらのシリーズを読んでおります。3巻目まではもう読み終わりました。うん、やっぱり非常に面白いです。

 先日読んだ、『みをつくし料理帖』が大変面白かったので、とりあえず2巻目を買ってきた。で、これまた非常に気に入ったので、もう、オラァッ!! と全10巻買って読み始めています。
 毎回読み終わるたびに、ここに書いていくと10回にもなるので、今後は数巻ずつまとめて感想を書こうと思います。今日は2巻だけですが。
花散らしの雨 みをつくし料理帖
高田 郁
角川春樹事務所
2009-10-15

 ええと、……どうすべか。ま、エピソードガイドにしておこうか。
 まずは復習。『みをつくし料理帖』はこんなお話です。
 主人公、「澪」ちゃんは18歳。舞台は1802年の江戸。半年前に大坂から出てきたばかり。澪ちゃんは当時珍しいはずの女性料理人として大坂のとある有名料亭「天満一兆庵」に勤務していたのだが、火災に遭って焼け出されてしまう。やむなく、その江戸店に移ってきたところ、江戸店を任せていた経営者夫婦の息子が、なんと吉原通いに熱を上げてしまっていて、店もすでになく行方知れずになっていたのです。散々行方を探すも見つからず、経営者の旦那さんは亡くなってしまい、奥様(=「ご寮さん」と呼ばれている。本名は「芳」さん)も心労でぶっ倒れてしまったため、困っていたところ、とある縁で、神田明神下で「つる屋」という蕎麦屋を経営する「種市」おじいちゃんと知り合い、その「つる屋」で料理人として雇用されるに至ると。物語は、既に大坂からやって来てから半年後(?)の、つる屋で毎日元気に働く澪ちゃんの姿から始まる。
 で、問題は澪ちゃんの味覚なわけだが、料理は上手でも、完全に大坂テイストが身に付いていて、時には江戸っ子のお客さんたちから、なんじゃこりゃ、と言われてしまうこともあり、江戸の味を覚えるのに必死なのが最初のころ。で、何かと親切にしてくれる医者の「源斉」先生や、謎の浪人風のお侍「小松原さま」と知り合って、いろいろ味を進化させていくという展開。
 1巻は、江戸の高級料亭「登龍楼」というライバルの嫌がらせにより、つる屋に大変なことが起きて、それでも何とか頑張っていくところまでが描かれた。なお、これは有名な話だが、当時、江戸のレストランランキング的な「料理番付」というものが実在していて、この1巻では登龍楼は大関にランクされていて、つる屋は澪ちゃん考案のメニューによって小結にランクされるなど注目を浴びる(その結果、嫌がらせを受けちゃったけど)。
 そして、これは前回も書いた通り、この物語にはもう一つの軸がある。澪ちゃんは幼少期に淀川の氾濫によって両親を亡くしているのだが、同時に一番の親友だった幼馴染の消息も失ってしまっている。そして、かつて、少女の頃に占ってもらったところによると、澪ちゃんは、「雲外蒼天」の運命にあり、またその消息が分からなくなってしまった親友の「野江」ちゃんは、「旭日天女」の運命にあると言われたことがある。
 澪ちゃんの「雲外蒼天」というのは、辛いことや艱難辛苦がいっぱいあるけれど、その雲を抜ければ、誰も観たことがないような蒼天を観ることができる、つまり超・大器晩成ですよ、ということで、一方の野江ちゃんの「旭日天女」というのは、天に昇る朝日のような勢いで天下を取れる器ですよ、というものだが、1巻では、子どものころに被災した水害で行方が分からなかった野江ちゃんが、どうも現在は吉原のTOP大夫の「あさひ大夫」その人なんじゃないか、ということが明らかになる。それは1巻の最後に、大変な目に遭った澪ちゃんに届けられた現金に添えられていた手紙で「ま、まさか!!」となるわけだが、まあ、読者的にはもうまさかじゃなくて、あさひ大夫=野絵ちゃんと言うことは確定してます。
 はーーー。まーた長く書いちゃった……。とまあ、こんな感じの1巻であったのだが、2巻は以下のようなお話でした。大変面白かったです。前回も書いたように、基本的に短編連作の形で、どうやら毎巻4話収録っぽいですな。
 ■俎橋から~ほろにが蕗ご飯
 前巻ラストで大変な目にあった「つる屋」は、神田明神下から俎橋へ引っ越し、リニューアルオープンを果たすところから始まる。「俎橋」は今でも交差点で名前が残ってますね。九段下のチョイ秋葉原寄りの、ちょうど首都高が靖国通りの上を通るところですな。
 このお話で、「ふき」ちゃんという新キャラ登場です。彼女の行動は微妙に怪しくて……またも大変な事態が発生するのだが、それでもふきちゃんを信じる澪ちゃん。そして登龍楼に乗り込んでタンカを切る澪ちゃん、頑張ったね。キミは本当にいい娘さんですよ……。そしてもう一人、戯作者(=今で言う作家)の「清右衛門」先生もここから登場。この人は、とにかく毎回、澪ちゃんの料理に難癖をつける嫌なおっさんなのだが、言う事はまともで実際のところ、つる屋が気に入って何気に応援もしてくれている人で、この後レギュラー出演します。
 ■花散らしの雨~こぼれ梅
 季節はひな祭りの時分。新キャラとして、流山から「白味醂」を売りに来た留吉くんが登場。そしてなにやら吉原で事件があったようで、あさひ大夫に何かが起こったらしく、あさひ大夫専属料理人兼ボディガードの又次さんがやって来る。この又次さんは1巻にも出てきた人で、相当おっかない筋のヤバい人なのだが、澪ちゃんにはつっけんどんながらも何かと良くしてくれるいい人で、今回も澪ちゃんに、とある料理をお願いするのだが……みたいなお話。章タイトルの「こぼれ梅」は、大坂時代によく澪ちゃんと野絵ちゃんが好きで食べていた味醂の搾り粕のこと。
 ■一粒符~なめらか葛まんじゅう
 このお話では、澪ちゃんとご寮さんが暮らす長屋のお向さんである、「おりょうさん」一家が麻疹にかかってしまうお話。医者の源斉先生も大活躍。小松原さまもちらっと俎橋に引っ越してから初めて登場するも、澪ちゃんはすれ違いで会えず。また、つる屋で接客を手伝ってくれていたおりょうさんが倒れてしまったので、ピンチヒッターとして70過ぎの「りう」おばあちゃんという新キャラも登場。超有能で、なくてはならない存在に。
 ■銀菊~忍び瓜
 季節は皐月のころ。かなり暑くなってきた江戸市中。涼やかな蛸と胡瓜の酢の物をメニューに入れた澪ちゃんだったが、蛸は冬の食い物だぜ、という江戸っ子のお客さんたち。まあ、一口食って、みなさん、うんまーーい!! となるので一件落着かと思いきや、日に日にお侍のお客さんが減ってしまい、ついにお客さんは町人だけになってしまった。困った澪ちゃんだが理由がさっぱりわからない。そんな折、澪ちゃんが実はもう好きで好きでたまらない小松原さまが久しぶりのご来店だ!! 素直に喜べず、ちょっと怒ったりなんかもして、まったく澪ちゃんは可愛ええですのう。で、小松原さまの話によって、武士が胡瓜を食わない理由も判明し、澪ちゃんの工夫が始まる――みたいなお話。今回も、新キャラの「美緒」さんというお金持ちの両替商の別嬪さんが登場。この人も、この後ちょくちょく出てきますね。源斉先生に惚れている娘さんです。

 とまあ、こんな感じで2巻は構成されていて、今回も大変楽しめた。
 しかし、どうも最初のあたりでは、小松原さまは中年のくたびれた浪人風な男をイメージしていたのだが、どんどんとカッコ良くなってきたような気がする。そして澪ちゃんも、いろいろな艱難辛苦に苛まれる気の毒な女子だ。しかし、それでも健気に、そして真面目に生きていくことで、周りの人も明るくして、様々な縁を引き寄せるんだから、ホント、頑張って生きるのが一番だな、と改めて教えてくれますね。オレも真面目に生きよっと。そんなことを思いましたとさ。

 というわけで、結論。
 『花散らしの雨 みをつくし料理帖~2巻』もまた大変楽しめました。
 真面目に生きているわたしにも、こういう縁がいろいろ訪れてくれるといいのだが……まだまだ精進が足りないっすな。頑張ります。以上。

↓これはレシピ集みたいっすね。はあ……料理の上手な健気な女子と出会いたい……。

 先日、わたしが大変お世話になっている美人のお姉さまに、「あなた、そういえばこれをお読みなさいな」と勧められた小説がある。へえ、面白いんすか? と聞いてみると、既にシリーズは全10巻で完結しており、また以前TVドラマにもなっていて、ヒロインをDAIGO氏と結婚したことでおなじみの北川景子嬢が演じたそうで、その美人お姉さま曰く、「面白いわよ。でも、わたしは、TV版の北川景子さんではちょっと小説でのイメージよりも美人過ぎるというか、彼女よりも、あなたが最近イイってうるさく言ってる、黒木華さんなんががイメージに合うような気がするわ」とのことであった。
 ええと、それはオレの華ちゃんが美人じゃあないとでもおっしゃるんですか? と思いつつも、「まじすか、じゃ、読んでみるっす」と興味津々の体で、すぐさま、その場で調べてみるも、どうも電子書籍版はないようなので、その後すぐに本屋さんへ行き、まずはシリーズ第1巻を買ってみた。それが、高田郁先生による『八朔の雪 みをつくし料理帖』という作品である。

 なお、インターネッツという銀河を検索すれば、TV版の映像も出てくるが、どれも違法動画っぽいので、ここに貼るのはやめておきます。小説を読み終わったばかりのわたしとしては、ははあ、なるほど、お姉さまの言う通り、北川景子嬢ではちょいと感じが違うかもね、というのはうなづけた。もちろんそれは北川景子嬢が悪いと言う話ではなくて、美人過ぎる、からなのであって、北川景子嬢のファンの皆さまにはお許し願いたい。そもそもわたし、ドラマ版を観てないので、とやかく言う資格もないし。俄然見たくなってきたけれど。
 で。この作品は、主人公「澪」ちゃん18歳が、「牡蠣の土手鍋」を店で出して、客から、なんじゃいこりゃあ? と言われてしまうところから始まる。どうやら澪ちゃんは大坂出身であり、江戸っ子たちには牡蠣の土手鍋は未知の料理であると。そして、どうやら「種市」さんというおじいちゃん経営の蕎麦屋「つる屋」の料理人として雇われていて、「お寮さん」と呼ぶ奥様と一緒に、神田明神の近くに住んでいるらしいことがすぐわかる。その後、料理の話を中心に、澪ちゃんとお寮さんの関係や、江戸に来たいきさつなどが判明してくると。で、現在の蕎麦屋に雇われるきっかけとなった出来事も語られたり、何かと澪ちゃんや種市爺さんを気に掛けてくれるお医者さんの「源斉先生」や、謎の常連客の浪人風なお侍「小松原さま」と知り合って、話が進んでいく。
 基本的には、いわゆる短編連作という形式で、1話につき一つの料理を巡って話が進む。その時、必ずカギとなるのが、江戸と大坂の味覚・料理法の違いだ。大坂人の澪ちゃんにとっての常識は江戸では非常識であり、当然逆に、江戸での常識は澪ちゃんにとって、「ええっ!?」と驚くべきものなのだ。このカルチャーギャップが本作の基本で、毎回読んでいて非常に興味深い。例えば、冒頭の「牡蠣の土手鍋」は、関西以西では普通でも、江戸っ子にとって牡蠣は、焼いて食うものであって、「せっかくの深川牡蠣を」「こんな酷いことしやがって、食えたもんじゃねえ」とお客に怒られてしまう始末なのである。こういったカルチャーギャップは、現代の世の中でも話のネタとしては鉄板だ。わたしの周りにも大阪人や名古屋人などが存在していて、よくそういう食べ物系カルチャーギャップの話をする。江戸人に限らず、我々現代人の場合においても、自らのソウルテイストに固執して、違うものを拒絶する傾向が多いと思うが(かく言うわたしも関東人の味付けじゃないと嫌だし)、澪ちゃんはプロ料理人として、江戸風味を理解し、生かしながら、自らの大坂テイストとの融合を模索する。その工夫は特に後半で問題となる、「出汁」の話が非常に面白い。昆布出汁で育った澪ちゃんが、江戸の鰹出汁とどう折り合いをつけ、澪ちゃんオリジナルとして昇華させるか。おそらく読者たる我々も、なんだか作中に出てくる料理を味わいたくなるのが、この作品の最大の魅力の一つであろうと思う。なお、文庫巻末には、作中料理のレシピが付いてますので、誰かわたしに作っていただけないでしょうか。
 ところで、澪ちゃんの最大のビジュアル的特徴は、「眉」である。澪ちゃんは数多くのピンチに苛まれるわけだが、その度に、「地面にくっついちまうぜ」と小松原さまにからかわれる通り、「下がり眉」なのだ。わたしは、しょんぼりと困った顔をして眉が下がっている様の女子が大好きなので、もうのっけから澪ちゃん応援団になってしまった。「下がり眉」愛好家のわたしとしては、現在の芸能界で最強に可愛い下がり眉と言えば、元AKB48の大島優子様だが、澪ちゃんのイメージとしては、優子様ではちょっと美人過ぎるか。もうチョイあか抜けない素朴系……と考えたら、確かに、この作品をわたしに教えてくれたお姉さまの言う通り、愛する黒木華ちゃんが候補に挙がるような気がする。ただ、澪ちゃんはまだ18歳なので、もうチョイ若い方がいいのかな。ま、そんなことはどうでもいいか。
 いずれにせよ、澪ちゃんは非常な困難に何度も直面し、しょんぼりとよく泣く、気の毒な娘さんだが、彼女は一度泣いたあと、きっちりと気持ちを立て直し、常に努力を続ける。じゃあ、これはどうだろうと考えるし、周りの人々のちょっとした話からも、解決の糸口を見つけ出す。その「常に前向き」な姿勢が非常に健気で、わたしとしては彼女を嫌いになれるわけがない。とても良いし、応援したくなる。まさしく彼女は、物語の主人公たる資質をきっちりと備えているわけだ。もちろん、周りのキャラクター達も、そんな澪ちゃんを放っておけない。いわゆる江戸小説らしい人情が溢れており、とても読後感はさわやかである。これは売れますよ。人気が出るのもうなずける作品であるとわたしは受け取った。
 この作品を貫いている一つの大きな柱として、「雲外蒼天」という言葉がある。これは、澪ちゃんが子供のころに占い師に言われた言葉で、曰く、「頭上に雲が垂れ込めて真っ暗に見える。けんど、それを抜けたところには青い空が広がっている。――可哀そうやがお前はんの人生には苦労が絶えんやろ。これから先、艱難辛苦が降り注ぐ。その運命は避けられん。けんど、その苦労に耐えて精進を重ねれば、必ずや真っ青な空を望むことが出来る。他の誰も拝めんほど澄んだ綺麗な空を。ええか、よう覚えときや」という意味である。
 まさしく澪ちゃんは、「雲外蒼天」の言葉通り、艱難辛苦に遭う。そして、それでも頑張り通して、最後には笑顔になることができる。それは澪ちゃんだけでなく、周りの人々をも笑顔にするもので、当然、読者たる我々にも、笑顔を届けてくれるものだ。こういう作品を、傑作と呼ばずして何と呼ぶ? わたしはこの作品が大変に気に入りました。
 
 というわけで、結論。
 『八朔の雪 みをつくし料理帖』は大変面白かった。澪ちゃんにまた会いたいわたしとしては、もはやシリーズ全10巻を買うことは確定である。これはいい。最後どうなるのか、楽しみにしながら、せっせと読み続けようと思います。幸せになっておくれよ……澪ちゃん……。そしてこの作品をわたしに教えてくれた美しいお姉さま、有難うございました!! 以上。
 
↓漫画にもなってるんですな。ドラマ版は、探したのだけれどどうもDVD化されていないっぽいです。

 角田光代先生といえば、2014年に映画化された『紙の月』をはじめ、数多くの著作で有名な日本屈指の小説家の一人である。その活躍は、直木賞などのさまざまな賞を受賞している小説に留まらず、エッセイも多数刊行されているし、絵本の翻訳などもあり、非常に精力的な作家として、ファンも多い大先生なので、もはや説明の必要はなかろう。
 しかし残念ながらわたしは、それほど多くを読んでいるわけではないので、ファンを名乗るもの恥ずかしいぐらいだが 、先日久しぶりに角田先生の著作を買って読んでみた。タイトルは『坂の途中の家』。これがまた非常にわたしには難解で、どう理解したらよいものか、読み終わった今でも全くわからない、非常に重いお話であった。
坂の途中の家
角田光代
朝日新聞出版
2016-01-07

 誤解のないように説明しておくが、わたしが「難解」だというのは、文章的な難しさとか、物語の複雑さとか、そういうものでは全くない。単純に、主人公の内面や考えが、どうしてもわからないというものだ。要するに、主人公という人間が良く分からないのである。
 それは端的に言うと、わたしが男であるからであり、また、わたしが子育てをしたことがないし、結婚すらしていないからであろうと思われる。
 どういうお話か、簡単にまとめてみよう。
 主人公、山咲里沙子は、33歳主婦。4年前に結婚して仕事を辞め、今年4歳になる娘を育児中である。夫は2歳年上。晴れやかないい男で、全く不満はなく、夫の両親とはうまくやっている。ただし、自分の親とは折り合いが良くない。そんな彼女が、ある日裁判員に選ばれる。娘は一番手のかかる時期であり、全く気が進まないが選ばれてしまったのだから仕方がなく、娘を夫の実家に預け、毎日霞ヶ関に通うことになる。担当する事件は、里沙子と同年代の女性の起こした、生後8ヶ月の娘の殺人容疑。裁判の焦点は、殺意があったのかどうか、犯行時の精神状態は責任能力を問えるのか、というものになる。そして、さまざまな証人たちの証言を聞くうちに、里沙子の精神は容疑者の心理に重なっていき、容疑者と自分を重ねるようになって……というお話である。
 検察側は、当然殺人での起訴であり、殺意があった、責任能力アリ、という主張を裏付ける証言を集めてくる。曰く、容疑者は派手好きで夫の稼ぎにも文句を言っていた、理想と離れていく現実に、娘さえいなければ、と思うようになっていた、と。
 一方弁護側は、容疑者は精神的に追い詰められており、その原因は夫や夫の母の言動に問題があった、犯行に殺意はなく、一時的な精神失調であり、自分が何をしているか分からない状態にあった、という証言を集める。
 そういった、相反する証言を聞くうちに、里沙子はどんどん容疑者の境遇に自分を重ねていく。 
 というわけで、わたしには全くどちらが正しいのか、さっぱり分からない。言わばこれは、芥川龍之介の『藪の中』に近いお話だ。どちらが正しいのか、残念ながら分かりようがない。
 しかしこの物語は、事件の審判を下すことにはあまり意味がない。誰の言い分が真実か、誰が嘘をついているのか、というようなミステリーでは全くない。なぜなら、証言をする誰もが、「自分は間違っていないと信じていること」を語っているに過ぎないからだ。
 この物語の最大のポイントは、裁判員として緊張を強いられる状況で公判を聞いている里沙子の精神的な混乱にある。もちろん、混乱するのは良く分かる。誰でもそうなるだろうと思う……のだが、里沙子が物語の最後で下す判断が、それって、本当か? 本当にそういうことなのか? という点が、わたしにはさっぱり理解できないのだ。ついでに言うと、里沙子の最終的な行動も、あんた、本当にそれで良かったったのか? と、わたしには全く理解できない。そういう点で、わたしには非常に難解な物語だった。

 以下、完璧ネタバレなのですが、ちょっと書かずにはいられないのでお許しを。
 里沙子は、公判が進むにつれ、今までの自分の夫や夫の母の言動の底にあるものの正体に気づく。理沙子はそれを、「悪意」だと結論付けた。すべて、自分を攻撃する悪意ある言動だったのだ、と理解する。そして容疑者も、まさしくその「悪意」に攻撃され続けてきたのだと気づく。
 しかし、それって本当にそうなのか? 今でもわたしは良くわからない。本当だとしたら、わたしもきっと、その無意識の「悪意」を人にぶつけてきたのだということを、自覚せざるをえない。でも、でも本当に、そうなのか??
 さらに里沙子は、それはきっと誰にも理解されない、本人以外に分かることではないものだと結論付け、審理に参加しないで、傍観するだけで当たり障りのない、空気を読んだ意見を述べて裁判員の役割を終える。
 本当にそれで、良かったのか?? わたしは、この事件の後に、里沙子は夫とどう暮らすのだろうと心配でならないというか、離婚を決意するのかとさえ思ったのだが、物語は、判決が下り、仲良くなった別の裁判員の女性とぱーっと飲みに行こう! というところで、あっさり終わってしまう。 
 もう、わたしにはさっぱり分からない。
 時間が経てば、あの時のわたしはホントどうかしてたわ、で済む話なのか? それとも、ある種の悟りに近いものを得たということなのか? 非常に難解というか、もう全然分からない。
 なので、これは女性に読んでもらって、意見を聞いてみたい。
 実はわたしも、読んでいて、里沙子の結論である「夫や周りの人の悪意」については、確かにそうなんだろうな、と納得しつつあった。しかし、どうにもエンディングが分からん。結局里沙子は何も成長しなかったのか? それとも、その悪意を理解し、今後の人生も悪意に甘んじる決意をしたということなのか? ……だめだ。さっぱりわからん。

 というわけで、釈然としないまま結論。
 『坂の途中の家』という小説を読んで、わたしがあらためて学んだことがあるとすれば、ただひとつ。それは、自分の言動には気をつけ、常に、自分の常識だけではなくて、相手を思いやることを忘れないようにしよう。ということです。でもまあ、それが難しいわけですが……。以上。

↓ わたし的には、映画版も良かったけど、NHK版の方が良かったかも。だって知世ちゃんだもの。
紙の月 [DVD]
原田知世
NHKエンタープライズ
2014-10-24

紙の月 Blu-ray スタンダード・エディション
宮沢りえ
ポニーキャニオン
2015-05-20

 

 わたしの心の狭さや性格の悪さを端的に示すポイントとして、嫌いなものが多いという事象がある。もちろん、それはなるべく表に出さず、社会人としての外面は保つように自動的に行動出来ているので(たぶん)、ご心配いただかなくて大丈夫だが、まあ、嫌いなものは嫌いで、なるべく嫌いなものには近寄らないように、わたしという人間は自動操縦されている。
 おそらく、普通の人で、あの出版社は嫌い、というような好みがある人はほぼ皆無だとは思うが、わたしは仕事上、嫌いな出版社がいくつかある。一応理由はあるのだが、ま、そんな理由を開陳する必要もなかろう。誰も興味ないだろうし。だが、わたしにとっては、「お! この本面白そう!!」と思って手に取って、出版社を見て、ああ……と、そっと棚に戻すことが実は結構ある。この出版社の本なんて買ってやらないもんね!! という、実にテキトーなオレ・ルールが発動してしまうのである。
 というわけで、年末ぐらいに本屋で見かけ、おっと!! この先生の新刊出てたんだ!! と喜んで手に取り、レジへ向かおうとして足が止まってしまったのが、この『江ノ島西浦写真館』という小説である。 
  著者は、『ビブリア古書堂の事件手帖』でおなじみの三上 延先生。わたしも『ビブリア』は当然発売時から楽しく読ませていただいており、実のところ三上先生がデビューした電撃文庫時代から、たぶんほぼ全著作を読んでいるはずの、わたし的には昔なじみの作家だ。なので、新刊を見つけたときは、当然買うつもりだった。が……よもやわたしの嫌いな出版社ランク4位ぐらいに位置する光文社とは……というわけで、年末に発見した時は買わず、しばらく見なかったことにした、のだが、先日、またも書店店頭で本書と目が合ってしまい、ぐぬぬ……と5分ほど悩んでから、三上先生に罪はないし、この作品にももちろん罪はないッ!! だからオレは買う!! 今すぐ読みたいからだッ!! というわけで、若干自分にカッコ良く言い訳をして、レジに並んだのであった。まあ、普通の人には全く意味が分からないと思うが、簡単に言うと、アホですな、わたしは。
 というわけで、買った帰りの電車内からさっそく読み始め、翌々日の帰りの電車内で読み終わった。片道約25分×5=2時間チョイで読めてしまった。本書のページフォーマットは44文字×18行。それが228P。最近の文庫本は、字が大きく、大体40~42文字×16~17行ぐらいが標準だと思うので、おそらく後に文庫化された場合は288Pぐらいになってしまうかもしれない。何が言いたいかというと、ちょっと短い、のである。なので、とりわけ読むのが速いわけではないわたしでも、2時間ほどで終わってしまった。もちろん、三上先生の作品がとても読みやすくわかりやすい文章であることが大きい。
 この本は、プロローグ+全4話+エピローグという構成になっていて、ところでこれって書き下ろしなのかしら? と奥付付近の初出を見てみると、どうやら第1話だけ、光文社の小説雑誌(?)に掲載されたらしく、他はすべて書き下ろしであった。なるほど。しかし、仮にも『ビブリア』でミリオンセラーを達成した三上先生の作品だというのに、あまりにプロモーションが少ないというか、かなり市場をチェックしているわたしですら、本屋さんで発見して初めてその存在を知るに至ったというのは、ちょっと営業や宣伝の仕事に問題があるような気がするけれど、まあこれは、単にわたしが抜かっていたという事であろう。正式な発売日は12/16だったそうで、全然知らなかったのが悔しい。
 で。どんな内容かというと、こんなお話である。
 主人公、桂木繭は小さな会社の経理を担当するOLさんである。かつては写真家として身を立てようと思ったこともあっのだが、それは江ノ島にある写真館を経営していたおばあちゃんの影響であった。しかしそのおばあちゃんが亡くなり、写真館を売却することになった。本来は、作家をしている母と一緒に、遺品整理に行くはずだったが、母は原稿が忙しくて行けない、ので、あんた一人で行ってきて、と、数年ぶりに江ノ島の写真館を訪れることになる。そこで一人の青年と出会った主人公は、整理を手伝うという青年の申し出を受けながら、片づけをはじめるのだが、「見渡し写真」という、お客さんへ渡されていない写真の束を見つけ……という展開である。
 基本線としては、主人公のOLが、なぜ写真を辞めたのか、という心の傷の物語が縦糸になり、主人公OLの大学時代の話や幼馴染の話、おばあちゃんのやっていた写真館にまつわる数々の人々の物語、江ノ島で出会った青年の素性の物語、などが横糸となってストーリーがつむがれている。
 結論から言うと、わたしは主人公OLに最後まで感情移入できず、若干のここで終わり感もあって、わたしとしては読後感はあまり……良くなかった。どうにも主人公の性格が最後までつかめず、主人公のことが好きになれなかった。この点は、『ビブリア』の女性主人公、栞子さんとはかなり違う。最後まで、主人公OLのビジュアルイメージも明確には沸かなかった。本書のカバーには主人公OLのイラストが描かれているが、わたしには、文章から喚起されるイメージとはちょっと一致せず、しっくり来ないままであった。どうも、身体的特徴やルックスの描写が本文中に少ないのかもしれない。服の描写はあったけれど。たぶんこれは、『ビブリア』においては、五浦君という青年の目から見た栞子さん、という描写が多いために、より分かり易かったのだと思う。それが本作にはないので、イメージが沸きにくかったのではなかろうか。あと、各章トビラにはワンカットのイラストが描かれているが、これらもわたしが文章から得たイメージとやや一致していないような気がする。そう思ったのはわたしだけかもしれないけれど、特に、主人公OLの幼馴染の「琉衣」を描いた絵は、なんかちょっと、ピンと来なかったことを記録に留めておきたい。確実に、これらは編集者に責任がある部分であることも、付け加えておく。栞子さんのイラストは完璧にイメージ通りなんだけどな……。
 なお、この本で、わたしが一番、ほほう、これはいいね、と思ったのはですね、ちょっとまず、買ったらカバーを外して本体を裸にして、表紙を見てみてください。そこに描かれているイラストは、非常にイメージ通りで良かったと思います。

 というわけで、結論。
 三上 延先生の新刊『江ノ島西浦写真館』は、ちょっと今のところ評価保留である。確実に続編が書かれるべき作品で、全体として評価した方がいいのでは、と思った。あと、イラストは……非常に美しく、上手ではあるけれど、ひょっとするとなくても良かったのでは、とも思う。単純に『ビブリア』の商品イメージを踏襲したように見えてしまった。散々なことを書いてしまったが、続きが出たら必ず買って読むと思います。エンディング後が気になるので。以上。
 
↓ 栞子さんは最強に可愛いです。次の7巻で完結予定、だったかな? 待ってますよ!!
ビブリア古書堂の事件手帖 文庫1-6巻セット (メディアワークス文庫)
三上延
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
2014-12-25

 先日、恒川光太郎先生の新作、『ヘブンメイカー スタープレイヤーII』を読んで大いに面白かったという事をここで書いたのだが、その時も書いた通り、1巻目の話をすっかり忘れかけていたので、もう一度読んでみたいと思ったものの、本棚を探しても見つからず、おそらくは誰かに貸してそのままなんだろうという事が判明した。たぶんあの人に貸したような……という心当たりはあるものの、返せというのもかなり今更感があって、じゃあもう一度、電子書籍で買っちゃおう、という決断を下した。もちろん、わたしが愛用している電子書籍サイトのコインバックフェアが開催されるタイミングで買ったので、およそ半額だったのだが、安かったので同時に恒川先生のデビュー作、『夜市』も買った。この本も確実にわたしは持っていたはずなのだが、やはり本棚に見当たらず、どうも『スタープレイヤー』の1巻目と一緒に貸したんだろうと思われる。で、改めて読んでみて、両方とも確かに面白く満足であったが、今日はデビュー作の『夜市』の方のレビューとすることにしようと思います。
夜市 (角川ホラー文庫)
恒川 光太郎
角川グループパブリッシング
2008-05-24


 なお、『夜市』ではなくて、『スタープレイヤー』の方は、ちょっと探してみたら恒川先生自身が語っている動画があったので、貼っておきます。しかしこの動画……再生回数が780回(2016/01/21時点)って、どんだけ観られてないんだよ……せっかくこういうのを公開しても、この再生回数じゃあもったいないというか……営業や宣伝が仕事をしてるのか心配になるな……。
 ま、いいや。
 で、『夜市』である。この作品は以前も書いた通り、2005年に第12回日本ホラー大賞を獲った中編作品(長編でもないし短編というほど短くもない)で、書籍化に当たっては表題作ともう一つ、描き下ろしの『風の古道』という中編の2本が収録されているものである。しかも、その年の134回直木賞の候補作ともなった。デビュー作が直木賞候補とはなかなか珍しいような気もするが、いずれにせよ、非常に高い評価を受けたのであろう。実際、わたしも2005年当時に読んで、ほほう、これはなかなかイケますね、と偉そうに思っていた(当時わたしは小説編集者だったので、素直に認めたくないもんね! という心理があった)。
 わたしは初めて読んだとき、そして今回改めて読んでみて、変わらない感想を持ったのだが、やっぱりこの作品は、わたしが愛してやまないStephen Kingの持つ独特の空気感と、非常によく似ていると思う。特に、Stephen Kingの短編に非常に近い、ような気がする。そこら中でKing自身が語っているように、Kingが描くのは、日常のちょっとした隙間に存在する怪異である。日常の一本裏通り、と言ったらいいのかもしれない。ごく身近な世界のすぐ裏に存在するもの、とりわけKingの場合は、邪悪な存在が多いけれど、そういったごく身近な闇に潜むSuper Natural を描く短編がKingの得意技の一つである。
 ではまず、表題作『夜市』。どんな物語かというと、いつか、どこかで開かれる「夜市」という非・人間たちが集うイベントがあって、そこでは、必ず「欲しいもの」が売られているという。そんな「市」で、少年時代にとある取引をしてしまった男が、大人になってから、その時に手放したものを再び取り戻そうとするお話である。「夜市」にはひとつ、厳格なルールがあって、何かを買わないと元の世界に戻れない。 なので、一度「夜市」に迷い込んでしまったら、何かを買わないと行けないのだが、果たして男は、手放したものを見つけられるのか、そして見つけてもその代償に何を払うのか、が問題となるわけで、とてもデビュー作とは思えないクオリティの作品である。とても面白い。てゆうか興味深い。「欲しいものが必ずある」という設定は、なんとなくKing の『Needful Things』を思い起こすけれど、実際のところ全く違うお話になってます。『Needful Things』はわたしも大好きだけれど、話的には、ずっと邪悪ですな。
 もう一つの『風の古道』は街にある<綻び>から、人間が本来は入れない「古道」に迷い込んでしまった少年のお話だ。これもまた非常にStephen Kingっぽくて、具体的に似た話があったような気さえする。ほんの探検気分で入ってしまった「古道」で少年たちの顛末は、非常に厳しいエンディングを迎える。なんとなく、印象としてKingの作品は、意外と最後は何とか助かる話の方が多いような気がするけど(……いや、そんなことないか?)、恒川先生の描いた『夜市』も『風の古道』も、実に厳しく、ルールを破った罰がきっちりと下される。ただ、それはそれほど後味の悪いものではなく、登場人物には気の毒だとは思うけれど、どうにもできないことだし、その覚悟へと至る登場人物の心の持って行き方は、読んでいて決して不快ではない。非常に良いと思う。
 このような、日常のほんのすぐそばには、人間の人知を超えた何かがある、というお話は、Stephen Kingに限らず、実際のところ世には無数にあるわけだが、わたしとしては、恒川光太郎先生の描く世界は非常に楽しめたし、これからも読んでみたいと思わせるものでありました。まあ、『スタープレイヤー』シリーズはホラーでは決してないけれど、やはり同じように、日常のすぐそばにある不思議な世界を描くという意味では共通しており、よく考えてみれば、小説というものは、程度の差があっても、みな、すべからくそういうものであるべし、と当たり前のことを今さら思った。しかし、久しぶりに『夜市』や『スタープレイヤー』を読み直して楽しかったです。『スタープレイヤー』の3作目をまた今年の暮れあたりに出してくれないかなーと思うわたしであった。

 というわけで、結論。
 もし今、なんか面白い小説ないかなー、と思っている方。そしてまだ恒川光太郎先生の作品を読んだことのない方。そんなあなたには、『夜市』と『スタープレイヤー』は超おススメです。たぶん読書に慣れている人なら、『夜市』は2日もあれば読み終われるし、『スタープレイヤー』も、1週間程度、異世界旅行を楽しませてくれると思います。以上j。

↓ 久しぶりに読みたくなってきた&観たくなってきた。映画版は、主人公(?)を超苦しめる極めて邪悪な存在を、『SW:EP VII』のロア・サン・テッカを演じたことでわたしを驚かせた、MAX VON SYDOWおじいちゃんが超怪しく演じてます。相当イメージ通りだと思うんだけどな……。あ、もう絶版なんだ……。本棚漁ってみるか……。
ニードフル・シングス〈上〉 (文春文庫)
スティーヴン キング
文藝春秋
1998-07

ニードフル・シングス [DVD]
エド・ハリス
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2004-11-26




 

 どんな望みも10個叶えられるとしたら、何を願うか?
 つい先日わたしが読み終わった小説は、非常にファンタジックでいてリアルな、不思議な作品『ヘブンメイカー スタープレイヤーII』である。実はサブタイトルにある通り、この作品は、2014年に出版された『スタープレイヤー』という作品と同じ世界観で描かれており、続編ではないものの、シリーズ第2弾ということになる。前作とのつながりは、ネタバレになるので内緒ってことにしておこう。
ヘブンメイカー スタープレイヤー (2)
恒川 光太郎
KADOKAWA/角川書店
2015-12-02

 ちょっと探してみたら、前作のPVがあったので貼っておきます。

 著者の恒川光太郎先生は、2005年に『夜市』という作品で第12回日本ホラー小説大賞を受賞してデビューした方なのだが、今回の『スタープレイヤー』シリーズはまったくホラーではなく、異世界ファンタジー、と言っていいのかな。ここ数年で散々出版されているような、いわゆる「なろう系」によくあるような異世界召喚モノに基本的な骨格は近い。けれど、面白さは比べ物にならないぐらい高品位で、きわめて質の高いエンタテインメント小説であるとわたしは思う。
 物語は、唐突に始まる。
 ある日、主人公は顔から何から白塗りの、身長2メートルの謎の男から、「運命の籤引き」を引かされ、「1等:スタープレイヤー」を引き当てる。すると、どことも知らない異世界に飛ばされ、「スターボード」というタブレット端末のようなものを手にする。なんでも、「フルムメア」という存在が全てを統括しているらしいのだが、そこには、以下のような「スタープレイヤー」のルールが書いてある。
--------------
一.スタープレイヤーは、スターボードを使用し、<十の願い>という力を与えられる。
一.ただし、元の世界に戻るという願いは、スタートより百日後でないと叶えられない。
一.元の世界に戻る、と願ったら、残りの願いの数にかかわらず終了する。
一.願いはスターボードで文章の形にする必要がある。
一.文章を送ると、フルムメアが審査し、それが通れば、願いを確定させることができる。
一.抽象的だったり、観念的だったり、物理法則の土台を変えてしまうような願い、また十の制限をとったり、矛盾をはらんだ願いは却下される。
一.願いをかなえられるのはこの惑星の中だけであり、スターボードの地図に記入されていない場所には何もできない
--------------
 このルールの下で、いくつかポイントとなる点がある。
 ■願いを上手くつなげる文章にまとめることで、複数のことを実現できる
 →例えば、「最新型のポルシェ911を1台。なお、ガソリンは満タンであり、予備部品も5台分用意し、その整備工具や消耗品の油脂類10年分、整備場なども同時に召喚する」といったように書けば全部呼び出せるし、ついでにガソリンスタンドの設置や予備ガソリン1億ガロンとか、文章次第で、「1つの願い」として申請できる。
 ■まず、願いが通るかどうか審査があり、とりあえず審査だけしてキャンセルするのは自由。
 →まず、可能かどうかだけをチェックできるので、それを利用していろいろできる。また、死者を蘇らせることや、元の世界から特定の誰かを呼び出すことも可能。なので、何かの事故や病気で死んだら、18歳の肉体で蘇る、その際、記憶は引き継ぐ、とかそういう自分の死亡リスクについて願って保険をかけておくこともOK。

 こういったルールの元に、異世界での生活を余儀なくされた人々を描いているのが『スタープレイヤー』シリーズという小説である。生活を進めるうちに、いろいろな出来事が起き、最初のうちは、貴重な「十の願い」を無駄使いしてしまったり、後半になると、その異世界にもともと住んでいる現地人が出てきたり、また別のスタープレイヤーと出会ったり、非常に面白いお話となっている。
 2014年に出版された第1作は、主人公が女性であったが、今回の『ヘブンメイカー』は男が主人公。主人公の追想録と、主人公によってこの世界へ召喚された少年の物語が交互して語られるスタイルである。そして最後はその二つの物語が交差し、いろいろなことが判明するという仕組みになっていて、読んでいてわたしは実にワクワクした。また、第1作目とのつながりも、最後の方で示され、すっかり1作目の内容を忘れつつあるわたしは、もう一度読んでみようかとも思わされた。なお、実を言うと、本作の『ヘブンメイカー』というタイトルからして、「ああ、今回はあそこの話なんだ」と最初からピンと来るべきなのだが、わたしは1巻目の内容をだいぶ忘れてしまっていたので、最後の方で1巻の主人公の女性が出てくるまで、ぜんぜん気が付かなかった愚か者である。恒川先生、ごめんなさい。なので、1巻目を読んでこの物語が気に入った人ならば、本作のタイトルを見ただけでワクワクしたのかも知れない。ちなみに言うと、本作を読んでから、1作目を読むというように順番を逆にしても、なんら問題はないと思うし、本作単独でも、十分に楽しめます。
 というわけで、十の願いを(ほぼ)なんでもかなえられるとしたら、どんな願いを抱くか、がこの作品では一番の重要時になる。もちろん、最初は異世界での生活を快適にするための願いであろう。そして孤独に耐えられなければ、人を召喚したり、現地人と接触しようとするかもしれない。本作、『ヘブンメイカー』の主人公も、序盤はそういう流れで「願い」を消費してしまうが、様々なことを体験し、また多くの人々と出会う事で、「願い」は複雑で高度なものへと成長していく。そして、いよいよ最後の「願い」を使う時が訪れるが、その「願い」はとても重く、わたしはいたく感動した。感動? いや、なんだろう、清々しさというか、そうきたか、という納得であろうか。今回のエンディングは、わたしとしては前作よりも深く心に響いたような気がする。ああ、やっぱりもう一度前作を読み直そう。そう思ったわたしであった。しかし、これだけ面白いと、きっとまた映像化の話が出てくると思うが、くれぐれも、変なアニメや実写映画化は勘弁して欲しい。やるなら、きっちりと金をかけて、気合の入ったものをお願いしたいものである。

 というわけで、結論。
 恒川光太郎先生の『ヘブンメイカー スタープレイヤーII』という作品は、万人にお勧めできる非常に面白い小説である。この小説がどのくらい売れているか分からないが、もし10万部以上売れていなかったら、営業担当者は相当のヘボであろうと断言する。こういう作品を売らないでどうするんだよ、と怒鳴りつけてやりたい。実に面白く、そこらのクオリティの低い素人小説の5万倍は面白いと思います。以上。

↓ 1作目がこれ。本棚にどうしても見当たらないので、もう一度買うか……電子で。たぶん当分文庫にならないんだろうな……文庫になるとしたら、今年の夏フェアかなあ……。ちなみにこの1作目は、NHK-FMでラジオドラマ化されました。
スタープレイヤー (単行本)
恒川 光太郎
KADOKAWA/角川書店
2014-08-30

 おととい、『居眠り磐音』シリーズという、人気時代小説について、つらつらと書いたが、昨日の朝の通勤電車の中で、とうとう完結となる、第51巻『旅立ノ朝』を読み終わってしまった。本当に終わってしまった『磐音』。なんとも非常に淋しく、そして、同時にまた非常にすがすがしい、気持ちのいいエンディングであった。

 主人公・坂崎磐音は、元々は九州豊後の「関前藩」という架空の藩に属する藩士。父は中老。江戸詰めの磐音は、多額の借財を抱える藩政改革に燃え、朋友の二人とともに関前に帰国する。が、 国家老の陰謀により、朋友を上意討ちする役目を背負わされる。婚約者の兄である朋友を斬ることで役目を果たすも、すべてを失った磐音は故郷を去り、江戸市井の長屋に住まう浪人となった。ちなみに磐音は剣の達人でめっぽう強いのですが、「まるで年老いた猫が日向ぼっこしながらうとうと眠っている」ような剣風・スタイルなので、タイトルは「居眠り磐音」なのだと思います。
 とまあ、こんな主人公が、うなぎ料理屋でうなぎ割きのバイトを得て、つましく暮らしながらも、両替商の用心棒に雇われたことを契機に、波乱にとんだ生き方が始まるのだが、その51巻にわたる物語は本当に面白かった。
 たぶん、この長ーい物語は、いくつかのパートに分けられると思う。序盤の磐音は、町奉行所の手伝いをしたり、困っている市井の人々を助けたり、また 古巣の関前藩のために、藩内部の陰謀を阻止したり、関前藩の特産品を江戸で売るビジネスモデルを作ってあげたり、まあとにかく、いろいろな人の、いろいろな事件や困難を助けてあげるという話が続く。いろいろな人と出会って、非常に人脈も広がり、そしてみんなが磐音が大好きになる展開ですね。その人々も、市井の人もいれば、非常に高い身分の人もいて、さまざまな人が、坂崎磐音という男に借りができる。こう書くと、なんだそりゃと思うかもしれないけれど、1巻1巻非常に面白くて、途中でやめる気には全くならない魅力があると思う。やっぱり、この作品は、磐音が出会う人々も非常に生き生きとしていて、キャラクター小説として極めて上等であろう。
 転機となるのは、14巻の、将軍家日光社参に同行する話だろうと思う。 ここで、磐音は、将軍家と接点ができる。ちなみに、時代背景としては、10代将軍・家治の時代。第1巻が1772年のことで、この14巻の出来事は正確な年号は原本を探して確認してみないとわからないな。いつぐらいだろう? たぶん、1777~1778年ぐらいじゃないかな。いずれにせよ、将軍は家治で、この14巻で、将軍家治の長男、家基(15歳ぐらい?)と磐音は親交を結ぶことになる。そして、このことが磐音の運命を決定的に変えてしまうわけです。というのも、家基が1779年に16歳で亡くなってしまうから。これは歴史上の事実。で、この『居眠り磐音』という物語においては、非常に優秀で賢かった家基が、田沼意次に批判的であったために、意次の手の者によって暗殺された、という展開になっていて、そこから磐音と田沼意次の長ーい戦いの話になっていく。それが32巻。ああ、サーセン。これ、ネタバレですね。
 14巻から32巻までの間も、磐音にとっては大きな出来事がいくつもあって、まず、遊女になってしまった元・婚約者が、吉原のTOP大夫になって、山形のお大尽に見受けされた話があって、その後、ずっと磐音のことが大好きだったおこんさんを嫁にもらったと。で、さらには剣の師匠の養子になって、道場の後継になると。そのような磐音にとっては非常に大きな人生の転機があるので、おこんさんとともに故郷の両親に会いに行ったと。これが20巻ぐらいまでのお話。で、帰って来て、主人公坂崎磐音が、佐々木磐音と名前が変わるのが23巻かな。
 で、33巻からは、磐音&おこんさん夫婦は長い流浪の旅に出る。田沼意次が磐音の命を狙っているから。で、旅の途中で長男も生まれて、もちろん刺客もバンバン襲ってくると。ちなみに、歴史上、家基の死から、田沼意次が失脚するまでは、確か7年の歳月が経ってるはず。なので、わたしは7年ずっと旅を続けるのかな? と思っていたのですが、磐音の旅は3年(?)で終わって江戸に戻ってくると。ま、そこからまたいろいろな戦いがありつつ、すべての決着はきちんとついて、エンディングとしては、もうこれ以上ないとわたしは思う。
 もちろん、実際のところ、続けようと思えばまだまだ物語は続けられるはずだ。
 最終巻では、旅の途中で生まれた長男、坂崎空也も16歳まで成長し、凛々しく、そして強く育った姿を我々読者は味わうことができる。磐音の母や元・婚約者には、「空也はおこんさん似で、磐音の若い頃よりずっとイケメン」とか言われちゃうし。そんな空也を物語の中心にして、話を続ける手は十分にあるはずだと思う。だけど、きっとそれは、今、佐伯先生が書くべき物語ではないのだとも思う。佐伯先生の体の具合もあるし、到底数巻程度で終わる話じゃないだろうから、今からそれを書いてくださいと願うのは、酷な話であろう。もちろん、佐伯先生が書きたくなったら、止めないけれど、でもやっぱり、ここがまさしく幕の引き時であり、余韻を残しながら、物語は実に美しく完結できたのではないかと思う。佐伯先生、お疲れ様でした。わたしは『居眠り磐音』を最後まで読めて、とても幸せでした。

 最後に、自分用備忘録として、結構気に入っていたサブキャラたちがどうなったかだけ、まとめておこう。ああ、これもネタバレかも。サーセン。
 ■奈緒:磐音の元・婚約者であり、元・吉原のTOP花魁、白鶴太夫。現・前田屋奈緒。一番可哀想な女子かもしれない。姉を兄の親友(=姉の夫)に斬られ、その親友を斬った兄を、婚約者(=磐音)に斬られ、お家断絶となり、遊女に身を落とし、山形で紅花栽培をする大金持ちに身請けされて、やっと幸せになれると思ったらその亭主にも死なれ、頑張って女手一つで子供を育てながら紅花栽培を続けるも、まーた悪い奴に栽培・販売権を奪われそうになり、江戸で紅屋(=要するに当時の最高級コスメショップ)開店に至って、またようやく落ち着いたと思ったら、50巻、51巻で語られるように、松平定信のいわゆる寛政の改革により、江戸ではコストカット・贅沢禁止が世を覆ったため、故郷の関前で紅花栽培を行うことに。とまあこの女子は本当に波乱に満ちた人生をたどる。でも、最終的に故郷に帰ることができて、本当に良かった。故郷での紅花栽培も51巻では苦労の末にようやく花開いて、感慨もひとしおでしょう。第1巻の悲劇も、約20年の時を経てようやく、本当の意味で決着できたね。あとはもう、幸せにおなりなさい。
 ■幸吉くん:磐音が浪人生活を始めるにあたって、うなぎ割きのバイトを紹介してくれた、「本所深川生活の師匠」。初登場時は10歳にも行ってなかったんじゃなかったけか? そんな幸吉くんも、50巻で、めでたく幼馴染のおそめちゃんと結婚できました。良かったな、幸吉。お前のこと、結構気に入ってたぜ。最後にちゃんと出番がもらえて嬉しかったよ。この二人の行く末がきちんと語られたのが一番うれしかったかも。
 ■辰平&お杏さん:江戸と福岡という遠距離恋愛を成就させたナイスカップル。結婚後は福岡住まい。でも、50巻での磐音の宿願達成時には、辰平も江戸にいてほしかったなあ。51巻では、故郷の関前に向かった磐音一家と入れ違いに江戸に来ていたので、成長した空也にも会えずだったのがとでも残念。まあ、空也には、51巻の完結後の未来に、確実に会えるだろうからいいかな……。
 ■利次郎&霧子ちゃん:この二人は、50巻では、とある極秘ミッションで関前に行っていたので、やはりこの二人も磐音の宿願達成時には江戸不在だった。まあ、51巻では大活躍だからいいかな……。霧子に怒られてばかりだった利次郎よ、お前も本当に強くなったな。二人で幸せにな。
 ■向田源兵衛:50巻でいきなり再登場した向田源兵衛殿。わたし、あなたのことすっかり忘れてました。調べたら、26巻に出てきたあの人だったのね。向田殿も、帰る家が出来て良かったね。小梅村は、あんたに任せたぜ。若僧どもをしっかり支えてやってくれよ。
 ■福坂家:磐音の仕えた関前藩主一族。しかし……殿、福坂実高様。あのね……ずっと言いたかったんだけど、はっきり言ってアンタが無能なせいで、どれだけ磐音が苦労したか、わかってんのか!! 51巻でようやく、隠居し、俊次に家督を譲ったけど、遅せえよ!! かなりの事件が、全部お前の無能のせいだぞ。しかし51巻での堂々とした俊次はカッコ良かったよ。さすが磐音に鍛えられた男。お前に関前藩は任せたぜ。
 ■武左衛門一家:まあはっきり言って、武左衛門の空気を読まないアホさ加減は最後まで直らなかったけど、50巻のラストで亡くなる、どてらの金兵衛さんの死を一番悲しんだのはお前さんらしいね。娘たちがしっかり者に育ったのは、お前さんを反面教師として生きてきたからなんだから、そういう意味では、大いに貢献したな。早苗ちゃんも母になり、秋世ちゃんも紅屋の江戸本店店長で頑張ってるし、息子二人もしっかり職人として生きる道を見つけたし、お前さん、ホント幸せだよ。良かったな。
 ■品川柳次郎一家:武左衛門とともに、磐音の用心棒時代の仲間。君も貧乏旗本とはいえ、お有ちゃんという嫁ももらって幸せそうだね。磐音と出会えて、本当に良かったな。最後まで、お前は一番の常識人だったな。幸せになるんだぞ。
 ■笹塚孫一&木下一郎太:南町奉行所コンビ。笹塚様、50巻で久しぶりに会えて良かったよ。一郎太も元気で良かった。江戸の町は二人に任せたぜ。
 ■チーム今津屋:今津屋さんも磐音と出会えて良かったね。50巻でも、相変わらずの大盤振る舞いで、ほんとに今津屋さんには世話になったね。由蔵さんもそろそろ引退だろうけど、後身をしっかり育ててください。
 ■関前藩士たち:中井半蔵様、やっとバカ殿が隠居して、実は一番安心してるのはアナタでしょうな。51巻では磐音の父、正睦様もやっと隠居できて、後任の国家老を押し付けられてしまったけど、ワンポイントリリーフなのは承知してるわけで、磐音の代わりに坂崎家に養子になった、磐音の義弟、遼次郎のことはアンタに任せたよ。遼次郎もなかなか見どころのある奴だからな。
 
 ああ、いっぱいキャラクターがいすぎて、もうキリがない!!!
 磐音は、50巻、51巻では、とりわけ空也に、「運命」を語る場面がある。波乱万丈の人生だけど、それも運命のままに生きてきただけだ、と。ただし、磐音が言いたいのは、何もかも運命で決まっているから、なにも抗えないとか、努力したってしょうがない、みたいな意味では断じてない。むしろ全く逆で、運命は自分の行いで決まる、不断の努力や、人へのふるまい、そういった、すべて自分の選択した道が、運命を定めるものであり、運命は自分自身が切り拓き、変えることができるものなのだ、ということを磐音は息子である空也に伝えたかったのだと思う。いわばこれも、「人間賛歌」なんでしょうな。JOJO的に言うと。わたしは深く共感します。
 ま、磐音も心配しなくていいよ。空也は、分かってる男だもの。だって、あんたの息子だぜ。51巻、完結のラストで旅立つ空也。帰って来た時、どんな奴になっているか。それは佐伯先生に書いてもらうのではなく、最後まで読んできた我々読者が、それぞれに想像するのが、一番正しいのだと思います。
 (※2016/01/11追記:なんと!!! 空也主役の新シリーズが始まりました!!! マジかとさっそく読みましたが、もうすげえ感無量というか、最高です。記事は↑のリンクへ) 

 というわけで、結論。 
 ついに完結してしまった『居眠り磐音』シリーズ。わたしは大変楽しめました。佐伯先生、ありがとうございました!!! なんか、また最初から読みたくなってきたよ。ちょっと、かなり本棚の奥の方に置いてしまったような気がするので、週末は本棚発掘作業でもするか。

↓ 1巻は2002年か……あの年は、ワールドカップもあって、楽しい年だったなあ……。もう14年前か……老いたわけだよ、オレも……。

 もうずいぶん前、わたしの記録によると2004年のことのようだ。
 当時、急速に時代小説が流行し始めており(もっとも、とっくに流行っていたのだと思うが、わたしが、これは売れてるな、と意識したのがこの頃)、それじゃ、市場調査として、最近何かと評判の佐伯泰英先生の作品を読んで、どんなものか知っておくべきだな、と思ったことがそもそものきっかけであった。
 その当時、なぜ佐伯先生が注目され始めていたかというと、とにかく筆が速く、「月刊佐伯」と呼ばれるほど毎月新刊が発売になることで有名になっていて、へえ、そんなにすごい作家なんだ、と思って、まずはその代表作とされる作品を読んでみようと思った次第である。
 その時、わたしが買ったのは2作あって、一つは『密命』シリーズと呼ばれるもの。
 




 このシリーズは既に2011年に完結しだが、確かわたしが1巻目を買って、こりゃあ面白い、次の巻を読もう、と思った時にはすでに10巻ぐらいまで出ていて、こいつはヤバイ作品にはまっちまったな、と思ったものである。その後最終巻26巻まで、非常に楽しませていただいたわけで、最後の結末は、はっきり言ってちょっとだけ不満だけれど、十分に面白い作品だったと思う。
  そしてもう一つ、わたしが買って読んでみたのが、『居眠り磐音 江戸双紙』というシリーズである。

 こちらも、わたしが1巻目を買った時は、たしかまだ10巻までは出てなかったかな。この『磐音』も、とにかく1巻目から大変面白く、これまた、長ーい付き合いとなったわけで、いよいよ2016年1月4日に最終巻となる第50巻・51巻の2冊が同時刊行となり、とうとうその物語は完結を迎えたのである。 

 というわけで、おとといの発売日にこの2冊を買い、さっそく読み始めたところ、くそう、面白い、けど終わっちゃう、もったいない、落ち着け、ゆっくり味わって読むんだ!! と思いながら読んでいたのに、昨日の帰りの電車内でまずは第50巻の『竹屋ノ渡』を読み終わってしまった。
 この第50巻での舞台は、1793年なので、最初の1巻が1772年だから、作中時間は21年か。ずいぶん時間も経過して、当たり前だけどその分、キャラクターの年齢もずいぶん上がったものだ。1巻の主人公、磐音は27歳。そして完結巻で48歳ってことか。なるほど、わたしの年齢を少し追い越されてしまったのか。そういう意味でも、感慨深いんだな、とさっき気が付いた。
 で。
 どうしようかな、この第50巻の話にすべきか、シリーズ全体の話にするか。
 完結にあたっての感想は、本当の完結巻51巻を読んでからにすることにして、今日は、なんでまた、この佐伯先生の作品がここまで人気が出たか、についての考察にしておこう。
 (2016/01/08追記:読み終わりました。こちらへどうぞ)
 実は、一番最初に読んだとき、ああ、これは売れますよ、そりゃそうだ、と思ったことがある。それは完結を迎えた今でも考えは変わっていないので、総括的な話として、自分用備忘録であるここにまとめてみよう。
 わたしが2004年に初めて読んで、一番最初に思ったことは、以下の二つである。
 ■愛すべき主人公
 わたしが読んだ、『密命』も『磐音』も、ともに共通するのは、
 ・主人公は、強い。剣の達人である。
 ・一方で、優しく、藩から抜けて江戸市井に暮らす浪人さん。
 ・しかし浪人であっても、元の主家を想い、藩のために行動する。
 ※特に『密命』は、そのタイトル通り藩からの密命で、脱藩した経緯アリ。
 ・主人公の人柄は、周りの人々の信頼を得、誰もが主人公を頼りにし、また助けてもくれる。
 といった特徴があり、読んでいて非常に心地いいのである。
 こういった、物語の筋書きよりもキャラクターに魅せられる作品は、世間的にはキャラクター小説と呼ばれているが、映画でも漫画でも小説でも、何でもいいけれど人はたいてい、物語に共感するというよりそのキャラクターにより深く共感するものだとわたしは思っている。たとえば……そうだなあ、いい例えかどうかわからないけど……『DIE HARD』という映画があるでしょ? で、おそらく誰しも見たことのある映画だと思うんだけど、いきなり、シリーズ3作目のストーリーって覚えてる? と聞かれて、きっちり答えられる人はあまりいないと思う。だけど、「たしか、あれでしょ、NYの街が舞台で、またマクレーン刑事が超絶ピンチで、黒人のおっさんとNY中を駆け回る話だよね?」みたいに、どんな出来事だったか覚えてない、けど、そのキャラクターは明確に覚えてるわけだ。もちろん、そのキャラクターが遭遇する事件や出来事が面白くないと、作品として「今回はイマイチだったな」という判定になってしまうけれど、主人公というキャラクターが愛すべき存在であれば、今回はダメでも、「まあ、次に期待するか」という事は思ってもらえるかもしれない。このような、キャラクター造詣という点で、1巻目は非常に重要なわけだが、わたしが初めて読んだ佐伯先生の作品、『密命』と『磐音』は、読者の気持ちをグッと掴むにふさわしい人物描写がなされており、何度も書くが、「読んでいて心地いい」でのある。故に、これは売れるとわたしは思った次第である。
 ■飢えていた読者
 恐らくは、少なくともわたしのような40代以上の日本人にとっては、TVの時代劇ドラマというものは確実に慣れ親しんできたもので、誰しもがきっと、何らかの番組を観ていた経験はあるはずだ。改めて考えると、そういったいわゆるTV時代劇は、たいていが江戸時代を舞台にし、場所も江戸市井であることが多い。そして主人公は基本的に正義の男で、腕も立ち、そして優しく周りから愛されるキャラクターである。そういったドラマをずっと普通に観て楽しんできた我々にとって、小説の世界では、ドラマの原作となった池波正太郎先生や司馬遼太郎先生の作品群だったり、あるいは、舞台は江戸でないことが多いけれど藤沢周平先生の作品だったりが、ド定番として存在してきたわけだ。
 しかし、である。そういったド定番は、もちろんのこと多くのファンが存在し、名作ぞろいであるけれど、一つだけ、極めて残念な共通点がある。それはズバリ、先生方がすでに亡くなっており、「もう新刊が出ない」という点だ。なので、TV時代劇が好きな我々おっさんは、小説を読みたくても、既にド定番作品はとっくに読んでいて、その流れを汲む「新刊の発売」に飢えていたのだとわたしは考えている。折しも、TVからはどんどん時代劇が減っていき、その「飢餓感」に近いものが醸成され、高まっていたのではなかろうか。たぶん、そんな背景があって、佐伯先生の作品は売れていく下地ができていたのではないかと思う。しかも、「月刊佐伯」である。次々に刊行される新刊は、そういった「飢えていた読者」にとってはこの上ないごちそうに見えたのではなかろうか。さらに加えていうと、当時はまだ少なかった、「文庫書き下ろし」というスタイルである。普通、文芸小説は大判の単行本が出て、そのあとで文庫化されるのが通常の売り方だが、「文庫書き下ろし」として買いやすくしたことも、ヒットの要因だと思う。今はもうそこらじゅうの出版社が文庫書き下ろしを当たり前に出しているが、その先鞭をつけたのは、間違いなく時代小説とライトノベルであろう。
 時代劇が好きだったり、藤沢周平先生の作品が好きな皆さんは、おそらくは「口の肥えたうるさ型の」人々が多かろうと思う。だからもちろん、面白くなければ、売れることはない。佐伯先生の作品が、そのような「優しくない読者」をも、きっちりと掴むことができたのは、はやり前述の「心地よさ」であったのではないかと思うが、わたしの知り合いのとあるおじさんなどは、佐伯先生の作品はちょっと軽いというかぬるい、藤沢先生の作品と一緒にするな、と言っていたので、そりゃあ読んだ全員がはまったわけではなかろう。しかし、かえってその軽さのようなものは、今までの時代小説にはなかった「女性読者」という新たな読者層開拓にも成功するのではないかという気もした。故に、こりゃあ売れるな、と思ったわけで、実際、どうやら佐伯先生の作品は、特に『磐音』あたりは女性読者も多いそうです。出版界としては大変喜ばしい才能の登場と言って良かろうと思う。

 ああ、いかん。まーた長くなってしまった。
 というわけで、結論。
 今回の『磐音』完結は、わたしとしては非常に感慨深い思いでページをめくっているわけである。佐伯先生は、50巻で完結させる、という決意があったそうだが、51巻での完結となったわけで、50巻を読み終わった今、たしかに、もう一つきっちりさせなきゃいけないことがあるな、とわたしも納得のストーリー展開である。読み終わった50巻では、主人公磐音の宿願が果たされた。また、ただ一人残っていた、決着を付けなければならない剣者との立ち合いも済んだ。だが、最後にまだ、磐音にはやらなくてはならないことが残っている。それをきっちり51巻で描いてくれるのだろう。非常に楽しみに、そして惜しみつつ、大切に1ページ1ページ堪能したい。ああ、もうちょっとで終わってしまう。これで終わりとは、淋しいのう……。以上。

↓ 『磐音』はNHKでドラマ化されていました。わたしは全部は見ていないけど、結構イメージと違ってたり、逆にイメージにピッタリだったり、キャスト的にどうなんしょう。アリなんですかね……?

 というわけで、2016年一発目は小説です。今日の夕方読み終わった。
 
人魚の眠る家
東野 圭吾
幻冬舎
2015-11-18

 もはや説明の必要はなかろう。現在の日本小説界の売上において、おそらくはナンバーワンに君臨する東野圭吾先生の最新作『人魚の眠る家』である。東野先生の作品を読むのは久しぶりだが、やはりきっちりと面白かった。
 そもそもわたしは、東野先生の初期作品はたぶんほとんど読んでいる。確かきっかけは、広末涼子ちゃん主演の『秘密』だったような気がするが、あの映画を観る前に小説を読んで、こりゃあ面白いとその当時までに発表された作品は全部読んだと思う。去年映画化された『天空の蜂』を読んだのも、この当時のことだ。余談ながら、あの映画は当時19歳(?)の広末涼子ちゃんがウルトラ可愛いのだが、うーん、やっぱり原作小説のほうが面白いかな。が、その後はなんとなく読まなくなってしまい、ここ最近では『使命と魂のリミット』や『ナミヤ雑貨店の奇跡』ぐらいしか読んでおらず、新刊を買うのは数年ぶりだ。その、わたしにとっては最近読んだ『ナミヤ雑貨店の奇跡』は、東野先生の作品では久しぶり(?)のファンタジー要素のあるハートウォーミングストーリーだったが、わたしの東野先生に対する認識は、ミステリー作家ではなく、社会派というか、社会的な問題を扱うエンタテインメント作家というものである。今回の『人魚の眠る家』もそのような、日本の臓器移植や脳死という極めて重い、社会的なテーマを扱った作品であった。

 物語は、とある夫婦の娘さんが、プールでおぼれてしまうという痛ましい事件から始まる。
 すぐさま救命措置がなされ、心臓は動き出すが、心停止時間が長く、脳に深刻なダメージを追ってしまい、脳波はフラット、自律呼吸も停止してしまう。このような状態になると、臓器移植法に従って、いくつかの選択肢が親族には提示されるらしい。
 1)臓器移植のドナーとなることを希望する
 →そうなると、法に従った脳死判定を行う。
 →ただし結果はどうあれ、判定後でも臓器移植は断ることは可能。
 →ただし、脳死と判定された場合は、法的に「死亡」とされ延命処置は停止。
 →結果的に心停止へ至る。
 2)希望しない
 →延命処置(主に人工呼吸器による)を継続。
 →心停止に至るまで継続
 →成人の場合はそう長くはもたないが、子供の場合は長期間心臓が動き続けることも。
 つまり、「脳死」という状態を正式に宣告されるには、「脳死判定」を受けないといけないわけで、医師はたとえ脳波がフラットで自律呼吸が停止していても、「脳死」であると言うことは許されておらず、「おそらく脳死状態であろう」としか言えないのだそうだ。そして「脳死」判定を受けるかどうかは、親族に委ねられる。判定を受けたあとでも、臓器移植は断ることは出来る。しかし、脳死=死亡とされれば延命措置は停止される。それは心臓が「止まる」のを待つのではなく、心臓を「止める」行為に等しい。
 これは、本当に、極めて重い。そのような立場に身を置かない限り、到底どうすべきかなんてことは想像すら出来ない。
 
 この作品は、こんな悲劇に見舞われた夫婦の物語だ。
 まず、夫婦は既に別居をしていて、離婚間際にあるが、娘が小学校に入るまでは、ということでまだ離婚はしていない。というのも、母親の方は、非常に教育熱心で小学校受験に集中しているので、離婚は面接に影響するから、とまあそんな理由だ。この二人が別居に至ったのは、夫の方の浮気が原因ではあるけれど、もはや関係修復は無理であると夫はあきらめているし、妻から歩み寄ることもまずないと。
 こう書くと、妻のほうがちょっと問題があるようにも思えるかもしれないが、まあ、奥さんは普通に優しい母親であると思う。で、父親の方は、妻に浮気がばれてさっさと浮気相手とは別れているあたりも、やけにあっさりしているというか、淡白のように思えるが、父としてはやっぱり普通に優しいお父さんだとは思う。
 こんな夫婦なのだが、父親の方は、とあるハイテク機器メーカーの社長で、聴覚障害者にカメラの映像を電気信号として脳に認識させたり、脊椎損傷で首から下が麻痺状態にある人の脳の電気信号を受信して機械の腕を動かすとか、そういった技術の研究をしている。肝心なのは、あくまで脳は正常だけれど、体に問題がある場合の補助機械の開発、という点だ。
 夫婦は、話し合って、「脳死判定」を受けることにする。娘の臓器がどこかで役に立つのなら、という、悩み抜いての決断だ。しかし、脳死判定を受ける直前に、娘の手が動いたように感じた夫婦は、直前で中止を願い、そのまま延命処置の継続を選択する。そして父親は、自らの会社で行っている研究を思い出し、脳は正常な場合の補助の逆に、脳が活動停止している娘の体を電気的な信号で動かすことを思いつくのだが――という話である。

 この物語は、そういった脳が機能停止してしまったけれど、心臓は動いている娘を死体としてみることが出来るかどうか、という話である。途中で出てくる、臓器移植があれば助かる少女の話もまた痛ましく、非常に難しいというか、心情的に極めてつらい話だ。わたしは、この物語のエンディングは明確にハッピーエンドだと思うが、おそらくは読む人によってかなり思うことは違うだろう。
 けれど、ひどい言い方だが、死んでしまった人間は何も思えないわけで、やはり、これも親孝行と同じで、生きている残された家族が、自分を許せるかどうかが問題なのだから、自分が納得すできるようにすればいいのだと思う。そこで他人がとやかく言う資格はない。
 だから、結論としては、日々、悔いのないように生きる事が大切だということですな。
 まあ、当たり前の結論だけど、それが難しいわけで、まったく、生きるってのは本当に、毎日が試練ですな。

 というわけで、結論。
 なんかまともなことが書けませんでしたが、東野圭吾先生による『人魚の眠る家』は非常に重いテーマを扱いながら、きちんと読者にひとつの生き方のヒントのようなものを提示してくれる、優れた作品であると思います。以上。

↓東野先生のファンタジーと言えば、やっぱり『秘密』かな? でも、この作品も非常に不思議な、あたたかいお話です。
ナミヤ雑貨店の奇蹟 (角川文庫)
東野 圭吾
KADOKAWA/角川書店
2014-11-22

 先日、とあるわたしの尊敬する女性にお会いした時、湊かなえ先生の『境遇』を読んだ話をしたら、その女性曰く、「あくまでも現状までの、だけれど、これまでの作品の中で、湊かなえ先生の最高傑作は『物語のおわり』だと思うわ。でも確か朝日新聞出版発行だったと思うから、文庫になるのは当分先でしょうね」と言われ、文庫にならないと読まないわたしではあるが、そこまでこの女性が絶賛するならば読んでみようと思い、まずは本屋に行ってみた。
物語のおわり
湊 かなえ
朝日新聞出版
2014-10-07

 今、本屋に行くと、集英社から先週発売になったばかりのこちらが最新巻として並んでいると思うが、
ユートピア
湊 かなえ
集英社
2015-11-26

 小説単行本というものはきちんと揃えているところが意外と少なく、最初に行った本屋さんには『物語のおわり』は置いていなかったので、三省堂本店に行ったらちゃんと置いてあった。で、さっそく読んでみた。そして、確かに非常に面白く、極めて読後感の良い素晴らしい作品であったことを確認した次第である。
 以前も書いた通り、湊かなえ先生の作品は、世に「イヤミス」と呼ばれているように、非常に後味の悪い作品というか、イヤーな奴ばっかり出てくる強烈な作品が多いことでおなじみだが、本作は、まったくそんなことはなく、極めて「いい話」である。連載していた作品だから、というわけではないと思うが、8つの短編がつながる連作ものであるので、ちょっとごく簡単にそのエピソードガイドとしてまとめてみよう。

 ■第1話:空の彼方
 このお話で描かれるのは、山陰地方(?)と思われる、山に囲われた小さな町に住む、パン屋さんの少女のお話である。話者はその少女で、1人称視点の叙述である。空想好きが高じて小説を書くようになる少女。やがて、自分の家のパン屋さんの手伝いをしながら、とある男子高校生と知り合う。年を重ね、やがて二人は、愛し合い、婚約するまでになるが、少女(その時はもう24~25歳?)が、とある作家の下で小説家としての修業をするチャンスを得る。悩み、結婚を2,3年待って欲しいと思う彼女だが、彼も、両親も、それはあり得ないと反対。ついに彼女は、家を抜け出して駅に向かうが、駅には彼が待っていた……というところで第1話終了。
 ■第2話:過去へ未来へ
 ここでは、時は現代に移る。どうやら第1話の時代は今から50年ぐらいは昔の話らしいことが分かる。そして、舞台は舞鶴から北海道へ向かうフェリーの中である。話者は、出産を控えた妊娠中の女性。これまたその彼女の1人称視点での叙述。どうやら、ガンを患っているらしい彼女。お腹の子どもとの思い出を作る旅らしく、旦那とは旭川で合流する予定だとか。そんな彼女が、とある女子高生と船内で知り合う。そして、別れ際に渡された小説を読むことになる。この小説は、まさしく第1話で描かれた少女の物語だ。その小説を読み、彼女は、少女のその後を想像する。きっと、こうであったのでは、わたしだったらこうする……という、自らの想いを乗せて……。
 ■第3話:花咲く丘
 舞台は富良野である。ラベンダー畑の写真を撮影している男。彼は、写真家になるために今まで頑張ってきたが、家業を継ぐために、写真家の夢をあきらめるため、最後の撮影旅行へ来ていた。ファインダーを覗いていると、一人の妊婦がいて……と、第2話の彼女と出会い、最後にあの小説を渡され、写真家をあきらめようとしている自分に置き換えて、小説のその後を想像する……というお話。
 以下、基本的にはその話の主人公が前の話の主人公に出会って、話を聞いているうちに、そうだ、この小説を読んでみなよ、返さなくていいし捨てても構わないから、と渡される展開が続いて、最後きちんとその縁がつながるという美しいお話である。ので、詳しいことは書かずに、その話の主人公のことだけ書いておこう。書きすぎるとネタバレになるので。
 ■第4話:ワインディング・ロード
 北海道を旅する自転車女子が主人公。前話の写真家をあきらめた男と旭川で出会う。
 ■第5話:時を超えて
 北海道をバイクで巡る中年男が主人公。自転車女子と摩周湖で出会う。
 ■第6話:湖上の花火
 北海道へ恩師を囲む会に出席するためにやってきた、東京のキャリアウーマンの話。バイク男と洞爺湖で出会う。
 ■第7話:街の明かり
 北海道に旧友の祝賀会のためにやってきた男が主人公。その会場で第6話の女性と出会う(というかすれ違う)。
 ■第8話:旅路の果て
 北海道へ、おばあちゃんと旅行に来た女子高生が主人公。彼女は実は……という話。

 全編通じて、湊かなえ先生の文法にのっとった一人称小説である。なので、基本的には語り手が自分の心の中で思ったことしか書けない。別の登場人物の心中は想像するしかない。故に、どうしても思い込みや若干の誤解が生じるわけだけれど、冒頭のお話のその後を、数人の人々が、それぞれのこれまで生きてきた道のりを思い返しながら、きっとこうなる、こうであってほしい、と、ぞれぞれの「物語のおわり」を想像して行く物語は、それぞれの人生が反映された、非常に共感できるものである。そこには、嫌悪感を抱くような悪意に満ちたものは全くなく、極めてすがすがしいものであった。
 この作品を読んだら、きっと北海道に旅に出かけたくなるのではなかろうか。わたしは北海道が大好きで、この物語に出てくる北海道の地は、偶然ながらほとんどすべて行ったことがあるので、とても情景を思い出しやすく、また今すぐにでも、北海道へ行きたくなった。この物語に出てくるところでは、1か所だけ、網走だけ行ってないんだよなあ。でも今はもう雪が降ってるからなあ……ま、来年の夏は、絶対に北海道だな、と、心に誓うわたしでありましたとさ。あっ! そういえば劇団四季の『Wicked』札幌公演が来年から始まるじゃん!! これはもう確定ですな。久しぶりに、札幌から富良野、旭川、それから網走まで行ってみるか!!

 というわけで、結論。
 湊かなえ先生の『物語のおわり』は、非常に気持ちのいいすっきりとした物語であった。普段、湊先生の「イヤミス」ばかり読んでいる方には強くお勧めしたい。そして、雪が解け温かくなったら絶対に北海道に行こう。そうわたしに思わせる美しいお話でありました。以上。

↓第2話で出てくる「拓真館」でおなじみの前田真三氏作品集。北海道はいいよな……ホント行きてえ。

 というわけで、『空想オルガン』を読んだ。
空想オルガン (角川文庫)
初野 晴
角川書店
2012-07-25

 この作品は、「ハルチカ・シリーズ」と呼ばれる『退出ゲーム』『初恋ソムリエ』に続くシリーズ3作目で、時間軸としては春太と千夏ちゃんが2年生の夏で、舞台は、一冊丸ごと夏の地区大会~県大会~東海地区大会の話である。わたしは全く知らなかったが、吹奏楽部の全国大会――通称、普門館――に至る道のりは、並の運動部よりももっとハードで、県代表レベルでは出場できないものらしい。このことは、シリーズ1巻目の『退出ゲーム』でも出てくるので、ふーん、と軽く読み流していたのだが、ちょっとだけ調べてみた。
 どうやら、全国の高校吹奏楽部の若人が目指す、彼らにとっての甲子園たる「普門館」へ至るには、地区大会→都道府県大会→支部大会をそれぞれ上位で勝ち抜かないといけないらしい。 県によっては地区大会のないところもあるようだが、いずれにせよ、都道府県代表ではダメで、もう一つ先があるということになる。なお、その会場たる「普門館」であるが、東京都杉並区に存在している(していた)、宗教法人立正佼成会の持ち物で、まあ要するに私立のホールという事だ。なお、大会の正式名称は、「全日本吹奏楽コンクール」の「高校の部」で、主催は社団法人全日本吹奏楽連盟と朝日新聞である。なので、なんでまた、 立正佼成会の建物でそんな大会が行われていたんだろう? と素朴に疑問に思ったのだが、どうやら、要するにキャパシティや音響設備、ステージ、あるいは広い駐車場も完備している、といったハードウェア的に最高峰かつ理想的な会場であったから、のようだ。まあ、機材搬入とか、確かに広い駐車場は必要でしょうな。また、そもそも立正佼成会は自身で東京佼成ウィンドオーケストラというプロ楽団も持っていて、課題曲のお手本演奏をしたりしている。いやはや、恥ずかしながらそんなことも知らなかった。このあたりは、吹奏楽の経験者なら常識なのだと思う。ただ、残念ながらその「普門館」は、2011年の震災以降、耐震構造に問題があるということが2012年に分かったそうで(何しろ築40年以上)、現在は名古屋国際会議場センチュリーホールに会場を移してコンクールは行われているそうです。本書に収録されている4つの作品は、3つが2010年に書かれたものなので(もう一つは単行本刊行時の書き下ろし)、当時は「普門館」であったわけだ。とまあ、春太と千夏が出場を目指す「普門館」とはそういう存在であるらしい。

 で。また無駄に前置きが長くなったが、今回も安定の面白さで大変楽しめた。また、各エピソードガイドを備忘録としてメモっておこう。今回はとうとう春太のお姉ちゃんが出てきて、非常にナイスキャラでわたしとしては大変気に入りました。あと、もう一つ、わたしがこのBlogを始めるに当たって、一番最初に取り上げた、わたしの大好きな作家が出てきて、えええっ!? と、マジでびっくりしたわ。

 ■イントロダクション
 いつぐらいか分からないが、数年後、千夏ちゃんが大人になっていて、高校時代を振り返っているという体での導入。ただ、大人になった千夏ちゃんがどんな暮らしをているのかは、今のところまったくわからない。幸せでいてくれるといいのだが……。
 ■ジャバウォックの鑑札
 地区大会会場での出来事を綴ったお話。地区大会会場横の広場で、春太が保護した犬に、二人の自称飼い主が現れた。果たして本当の飼い主は……というお話。そこで出会ったとある人物は、本作でそのあとも何度か出てくるが、一体何者なのか、最後まで読んでいただくと良いと思います。
 ■ヴァナキュラー・モダニズム
 夏休み中の話。ついに春太の一番上のお姉ちゃん登場。職業は一級建築士。超サバサバ系の男前美女で、愛車はホンダ・シビック・タイプR。この車、知らない人にちょっとだけ説明すると、たぶんこの物語が書かれた2010年であるならば、日本最速のFF車(前輪駆動車)で、とにかく、普通の人には扱いきれない、超速(チョッパヤ)マシンです。 で、そんなマシンをぶっ飛ばすアクティブ美人お姉さんと、春太のアパート探しに同行する羽目になった千夏ちゃんとカイユ。とある不動産屋で、やけに家賃が安いアパートを見つけた一行が、そのアパートでまことしやかにささやかれる謎の現象の解明に乗り出す話。とにかく、美人お姉さんが素晴らしく、わたしは非常に気に入った。
 ■ 十の秘密
 静岡県大会会場での話。ギャル軍団「清新女子高等学校」との出会いと、彼女たちの部長の謎を解く話。この中で、わたしが世界で最も好きな作家、Stephen Kingがちょっと関係してくる。しかも小説ではなくて、『小説作法』が出てくるとは本当に驚いた。
 ■空想オルガン
 東海支部大会会場での話。 とある、詐欺師グループの話が前後して挿入される中、会場には、清新女子のボスギャルも、プロを目指す芹沢さんも応援に来てくれ、本番に向けて集中する春太と千夏たち。会場の横で行われている「オルガン・リサイタル」と謎の詐欺師はどういう関係があるのか。また、詐欺師の覚悟は、芹沢さんの心も動かし……と言う話。最後にいろいろなことが見事に明かされるくだりは非常に良かった。この話を締めくくりとして、夏休みは終わり、次の作品は秋、文化祭から始まることになる。

 というわけで、結論。
 本作も、非常に面白く、楽しませていただきました。
 今回は、生徒側では新キャラは登場ナシ。また、先生の過去についても、ほとんど進展なしであった。わたしとしては、既に買ってある3冊は読み終わってしまったので、次のシリーズ第4弾『千年ジュリエット』も買って読むしかないかなと思いつつあります。なんというか、軽い中にもやけに重い話が含まれていて、ちょっとバランスが悪いような気もするけれど、まあ、それもまた持ち味なんでしょうな。誰にでもおススメできるかどうか、正直良くわからない。けど、わたしは面白いと思います。

↓わかったよ。買います。読みますよ。
 ……調子に乗りました……ごめんなさい。先が気になるので、読ませてください!!
千年ジュリエット (角川文庫)
初野 晴
角川書店
2013-11-22

 若干恥ずかしながら、一つ告白せねばなるまい。
 わたしは、このblogを読んでいただければわかると思うが、かなりの数の映画を観たり、かなりの数の本を読んだりしている。まあ、それは好きだから、なのだが、実はわたしは……本を真面目に読むようになったのは、高校2年の後半ぐらいからで、漫画は別として、いわゆる物語、小説というものは、高校2年ぐらいまで、ほとんど読んでいない。なので、 子どものころの読書体験が、ほぼ、ない。結果として、わたしは児童文学や絵本をほぼ知らない。読んだことがないのだ。幼き日々を思い起こすと、読み聞かせをしてもらった覚えもないし、本が欲しいと駄々をこねたこともない。ほぼ毎日、外で遊んでいたし、夜は、日中フルパワーで遊んでいるので、たしか中学に入るまでは、毎日20時には寝ていたと思う。もちろん、ジャンプ・サンデー・マガジン・チャンピオンは読んでいたし、テレビもそれなりに見ていた。基本的には特撮ヒーローが大好きで、あまりアニメは観ていなかったので、実はアニメ知識も、後年学んで身に着けたものである。

 そんなわたしが、一番好きなのはやはり映画であると思う。映画は、小学校1年ぐらいから相当なオタク英才教育を受けていると思う。ま、幼稚園時代は、毎回必ず『東映まんが祭り』は連れていってもらっていたけれど、今でも鮮明に覚えている、わたしのハリウッド映画初体験は『STAR WARS』である。場所も、雰囲気も、何を買ってもらったかも明確に覚えている。今はなき「テアトル東京」という大スクリーンで、雨の日だったと思う。そして売店で「X-ウイング」の小さいおまけ付きのチョコボール的なものを買ってもらって、ずいぶん長いことその「X-ウイング」で遊んだ記憶がある。もちろん、当時のパンフレットは結構きれいなまままだ家に残っており、今でも大切にしている。オヤジと、下の兄の3人で観に行ったのだが「フォース」が字幕では「理力」と訳されていて、オヤジに「理力って何!? 何なの!?」と問い詰めたこともはっきり覚えている。それ以降、わたしはオヤジや兄に連れられて有楽町~日比谷に通う小学生として映画オタクの道を歩んできたわけだが、中学生になって自室を与えられ部屋にテレビが設置されると、そこからはもう、TBSの月曜ロードショー(解説は荻昌弘ですこんばんは)、日テレの水曜ロードショー(解説は水野晴朗っていいですね)、テレ東の木曜洋画劇場(解説は結構替わった。Hな作品多しw)、土曜はCXのゴールデン洋画劇場(解説はイエーイ高島忠男です)、日曜はテレ朝の日曜洋画劇場(解説は淀川長治。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ)と、ほぼ完全制覇して欠かさず見てきたし、中学からは地元の駅前の映画館の招待券を毎月2枚Getできる伝手を開発して月に2回は確実に映画館で映画を観てきた(たいてい2本立て)。また、夏休みと正月映画の大作はほぼ必ず有楽町方面に観に行っていた(このころから、自転車で有楽町まで行くようになった)ので、80年代映画は異常に詳しい今のわたしはこうして形成されていったわけである。
 
 で。わたしが小説に目覚めたのも、実は映画のおかげである。中学生ごろから、映画の原作やノベライズを読むようになり、文学に決定的に目覚めたのは、忘れもしない、夏目漱石原作、松田優作主演の『それから』を観て以降である。あの映画を観て、わたしは漱石を読むようになり、そこから「なんだこれすげぇ面白れえ!!」とむさぼるように文学作品や普通のエンタテインメント小説を読むようになった。どういうわけか、高校生当時のわたしは、漱石と大藪春彦先生にドはまりで、しかも、わたしはバカなクソ男子高校生だったので、「本を読んでるオレかっけえ」と、もう恥ずかしくて死にたいほどのスーパー勘違い野郎だったのが、今思い返すと笑える。アホだった……。
 ただ、その後大学生になったわたしは、ますます真剣に物語を読むことにのめりこみ、世界名著全集的なものはほぼ読破したし、とりわけ戯曲、シェイクスピアやギリシャ悲劇、フランス喜劇、ドイツ演劇といったものもだいたい制覇した。たぶんシェイクスピアは日本語で読めるものは全部読んだし、大学2年ぐらいのころにドストエフスキーにはまって(これは以前取り上げたColin Wilsonの『The Outsider』の影響)、これまた日本語で読める作品は全部読んだと思う。こうして、わたしの読書体験は相当変な方向というか、やたらと名作率が高いというか、妙に偏ったものとなり、逆に、誰しもが子供の頃に読んだであろう作品や、いわゆる日本のベストセラー小説の類は、ほぼ手を付けていないわけである。

 そしてサラリーマンとなってからも、仕事上ライトノベルや漫画を読む必要が生じたため、「よし、じゃあ会社の資料棚の左から、全部片っ端から読んでやる!!」ということをほぼ完遂し、自ら強化していったわけであるが、昨日、読み終わった作品の著者、有川 浩先生は、そんな中で出会った作家で、わたしが今、新刊が出ると必ず買う作家の一人である。

 というわけで、もういい加減にしろという声が聞こえてきそうなぐらい前置きが長くなったが、有川 浩先生の約15ヶ月(?)ぶりの新刊が先月発売になった。なんと、今回の作品は、あの、「コロボックル」シリーズの公式最新作である。恐らくは日本全国のコロボックルファン並びに有川先生ファンが待ち望んだ作品であろう。
 だがしかし。散々長い前置きで述べた通り、わたしは「コロボックル」というものを、知識としては知っていたものの、佐藤さとる先生による原典は全く読んでいないのだ。実はこの一言を言うためだけにクソ長くてつまらないわたしの過去を書き連ねたのだが、まあ、そういう事である。愚かなわたしの「コロボックル」という存在に対する認識は、えーと、あれでしょ、あの『シャーマンキング』の「ポックル」でしょ? ぐらいなインチキ知識しかない。アニメもやっていたことはうっすらとしか覚えておらず、まあ観たとしても年代的に再放送だと思うが、さっきちょっと検索してオープニングの歌をYouTubeで見てみたところ、全然記憶にないものないので、たぶん真面目には観ていなかったのだと思う。とまあこんなわたしであるので、果たして有川先生の新作とはいえ、読んで面白いものなのかしら、コロボックル知識がなくて大丈夫かしら? と若干の不安を抱きつつ、発売日に書店へ赴いた次第である。

 で、買った。そして読んだ。結論は「コロボックル知識がなくても全然大丈夫」であった。わたしが買ったのは、三省堂書店神田本店である。発売日に行ったら嬉しいことにサイン本があったので、即購入。ちょっといろいろ忙しかったので、読み始めたのは先週末頃で、実質3時間ぐらいで読み終えた。
 物語は、現代である。といっても、主人公が少年だった日々の回想であるので、正確に言うとたぶん1990年代初めのころだと思う。その点に、わたしは少なからず驚いた。てっきり、ドファンタジーなのかと思っていたら、全然そんなことはなく、全くリアルな(20年前の)現代社会が舞台で、その中に一つだけ、ファンタジックな要素が混じる、という、有川先生の基本スタイルそのものであった。
 キャラクターも、有川先生の作品らしい「やましいところのないまっとうに生きる人々」が描かれているので、読んでいてとても気持ちがいい。また、これまた有川先生らしい「まったく無意識に人を傷つける人」も出てくるが、子どもたちには、きちんと「正しいことを毅然と教えてくれる大人」がついているので安心して読める。また、タイトルである『だれもが知ってる小さな国』という意味も、美しく判明する仕組みで、読後感も非常にさわやかで、大変面白かった。はちみつや花についての豆知識も得られ、わたしとしては満足な1冊でありました。しかし、なんというか、……幼馴染っていいですのう……。この本を読むと、来年の夏は北海道に行きたくなりますな。
 ところで、さっき、いわゆる養蜂というものについてちょっと調べてみた。物語の主人公の少年は、いわゆる養蜂家の息子なわけで、全国を引っ越しながら暮らしているのだが、そういう養蜂家は「転飼養蜂」というらしい。そして、各地を巡る際は、「養蜂振興法」という法律があって、その第4条(転飼養蜂の規則)に従い、その地の知事の許可が必要なんだそうだ。そんなこと全然知らなかったので、勉強になりました。

 というわけで、結論。
 有川 浩先生最新作『だれもが知ってる小さな国』は、往年のコロボックルファンはもとより、コロボックルを知らない有川先生ファンにも安心して読んでいただける作品です。ので、わたしのようなコロボックル読んでないんだよなー、と迷っている方がいれば、Don't Worry。全然大丈夫ですので、ぜひ、お手に取っていただきたいと思います。はい。それを言いたいがために、無駄な前書きが長くなってサーセンっした。


↓ やっぱり、これは原典も読んだ方がいいな。俄然興味がわいてきた。

 松たか子さん主演で映画化もされた『告白』という小説がある。とある 中学の先生が、殺された娘の復讐を遂げる壮絶なお話である。基本的に、章ごとに話者が変わり、一人称で語られるスタイルで、これを映像化するのはちょっとしんどそうだな、と思っていたら、映画も実に見事なスーパー大傑作で、また松たか子さんの演技も大変素晴らしく、興行的にも大ヒットとなった作品である。
 
  当然わたしも小説は発売当時に読んでいたし、映画も観た。そして唸った。よくもまあ、こんなにも人間を嫌なものと書けるもんだなー、この作家はすごい、と。『告白』という作品においては、当然復讐を遂げようとする主人公も基本的に悪人だし、加害者であるガキも悪党、その母親もイカれてる、そして、これは原作小説よりも映画のほうがより顕著なのだが、とにかくクラス全員のガキどもが、とんでもないクソガキどもで、まあコイツら全員死んだら最高だな、と思いながら映画を観た。とにかく本当にキモチワルイぐらいにいやーーーな奴らばっかりだった。ので、これは非常に見事な大傑作だけど、ちょっと一般ウケしねえのでは? と心配なぐらいだったのだが、どうやら世の中はそういうショッキングで刺激の強い映画がお好きなようで、38.5億という、おそらくは誰も予想しなかった大ヒットとなった。まったくどうでもいいが、橋本愛ちゃんはこの時の委員長役が絶頂期じゃねえかな、とわたしは思っている。今は……ちょっと……ええ、結構です。

 で。もはや説明の必要もないと思うが、この『告白』でデビューした作家が、湊かなえ先生である。その後、わたしはたぶん、湊かなえ先生の作品は、文庫化された作品ならすべて読んでいる。が、残念ながら最近ちょっと飽きてきた。なぜなら、どの作品も非常に面白い作品であることは間違いなく、確実に超一流の小説家であるとわたしは思うのだが、同様に、毎作品、ひじょーーに、いやーーーな奴ばっかりなんだよね、登場人物が。
 世には「イヤミス」という言葉があるらしいがご存じだろうか? 「読んで嫌な気持ちになるミステリー」のことなのだが、湊かなえ先生の作品を称して良く使われる言葉でもある。湊かなえ先生の名誉のために言っておくが、作品自体、わたしは非常にハイレベルの見事な作品ばかりだと思う。だけど……オレ……いやーーな話を読むのはもう……ちょっと疲れちゃった。きっちりとラストはすっきりしますよ、ええ、そう意味ではきっちりカタルシスを味わえます。それは確かです。なので、小説としての完成度は非常に高いと断言してもいいと思います。だけど、ホントサーセン。疲れちゃったんだ……そういう人間の嫌な面を直視するのは。

 という感じのわたしなのだが、湊先生の作品は発売されれば必ず書店店頭で大きく展開され、文庫化された際は必ずベストセラーランキングに登場する。そして、今度は大丈夫かな……なんて思わず手に取ってしまい、ふと気が付いたらレジでお金を払っている。なんなのオレ。というわけで、先月、文庫で発売された『境遇』も、うっかり買って読んでしまったわたしである。(※なお、元々のハードカバー単行本は2011年10月に刊行されているので、結構前の作品です)
境遇 (双葉文庫)
湊 かなえ
双葉社
2015-10-15

 この作品は、あとがきにも詳しく書いてあるが、TVドラマありきの作品だそうで、朝日放送のプロデューサーが湊先生に惚れこんで執筆を依頼し、一緒にストーリーを話し合いながら書き下ろしてもらった作品らしく、ドラマも同時に作られ、朝日放送(関東人の我々的にはテレ朝)で放送されたものだそうだ。そういえば、湊かなえ作品初TVドラマ化、みたいな話題になっていたような気もするが、残念ながら文庫でしか買う気のないわたしは、単行本は読んでいないしTVドラマ版も観ていない。全然ドラマのことなど意識せずに読んで、さっきあとがきを読んで初めて、へえ、と思ったわけである。
 が、読み終わり、あとがきを読んだ今、ちょっとだけ、なるほどと思う事があった。それは、湊先生にしては、ぜんぜん「イヤミス」度が低いのだ。ミステリーとしての謎も、正直最初の方でほぼ見抜けたし、イヤな奴具合も非常に薄い。それから、残念ながら、すべての伏線回収もされていないような気もする。大変失礼ながら、このぐらいの密度でないと、2時間ドラマには無理か、なんて妙な納得をしてしまったわけである。

 今回も、湊かなえ先生の作法にのっとり、基本的に一人称の語りである。一人称という小説は、当然のことながら自分以外の心情はわからないわけで、自分の視線だけしか描写されない。なので、キャラクター同士の思っていることはすれ違う。ある場合には、平気で自分にうそをつくことだってあるので、読者としては、書いてあることを鵜呑みにはできない。そこがまたポイントである。なお、大傑作『告白』も、一人称であるがゆえに、モブキャラであるクラスのクソガキどもは、小説版ではあまり描写されないが、映画版ではきっちりモブキャラどもも描かれているので、たぶんその点で映画版の方がクラスのクソガキ度がぐんとアップしているんだと思う。
 で、本作がどんな物語か簡単に説明しよう。今回、主人公は二人いて、どちらも親の顔を知らない、児童養護施設に引き取られた女性である。一方はすぐに養子となって養父母に愛され、幸せな青春を送り、県会議員の妻となった女性だ。彼女は、うっかり趣味で描いていた絵本を、後援会のイヤなおばちゃんに児童文学賞みたいなのに勝手に応募されてしまい、賞を受賞し、一躍時の人となってしまう。で、もう一方は、高校卒業まで施設で育ち、努力の後に新聞社へ入社し、男運が薄いながらも、決して不幸ではなく頑張って生きてきた女性だ。この二人は学生時代に知り合い、親友になる。そしてある日、絵本の女性の大切な息子が、姿を消し、脅迫状が送られてくる……というものだ。
 鍵となるのは、「果たしてこの二人が親友となったのは、お互いの境遇が似ていたからなのか?」という点である。二人の境遇は、お互いが捨てられた子供であること以外は、実際まるで違うわけで、上記のどちらの女性が思うにしても、若干ゆがんだ想い、と言えそうである。絵本の女性がそう思うとしたら、それはやや自虐的であろうし、新聞社の女性がそう思うとしたら、それはややひがみ混じりであろう。つまり、無意識にお互いの上下関係? 幸せ比べ? みたいなものを前提としているわけで、「あなたはいいわね、幸せで」「ごめんね、わたしだけ幸せで」というある種の人間の醜さというか、誰しも当たり前に抱いてしまう心のやましさを描いているとも言えると思う。まあ、そこがまさに今回の湊かなえ節炸裂ポイントなのであろう。
 なので、結末はなんとなく、今までの湊かなえ先生の作品にあるような、解消不能な憎しみの連鎖はなく、結構美しくまとまっているので、正直わたしとしては、あれっ!? これで終わり!? と若干拍子抜けしたというのが正直な感想だ。先にも書いた通り、ミステリー部分もあっさりしているし。今までの作品が、背脂ギトギトこってりとんこつラーメンだとしたら、今回の作品はバーミヤンの醤油ラーメンぐらい違う(?)とわたしは思った。まあ、わたしはバーミヤン大好きですけどね。

 というわけで、結論。
 湊かなえ先生の『境遇』は、従来比で若干薄口である。読了タイム2時間チョイで行けたことも、それを表していると思う。が、だからと言ってつまらないかというと、まったくそんなことはなく、きっちり面白い作品でありましたとさ。

↓ 一番強力にイヤな奴ばっかり出てくる作品は……どうだろう、コイツかなあ……? そうでもないか……? やっぱり『告白』かなあ……。あえて言うなら映画版『告白』かな。