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 ライトノベル、という言葉が普通に通じる世になって、もう15年近くたつのではなかろうか。たぶん21世紀はじめの頃だとテキトーに思うので、15年ぐらいとテキトーに発言したが、今、本屋さんへ行くと、文庫コーナーはまあなんつうか、カバーに漫画的イラストを用いる作品が多く、何をもってライトノベルというのか、実際良くわからない状態になっているように思える。
 そもそもは、中高生向けのファンタジー小説を起源としているのは間違いないと思うが、わたしが思うライトノベルの定義は、簡単かつ厳格だ。ズバリ言うと、わたしは「主人公が10代の少年少女であること」、この1点をもってライトノベルと見做している。この認識はおそらく世間一般とずれていることは自覚しているけれど、なぜわたしがそう思うのかについても、ごく簡単な理屈である。それは、「主人公が10代の少年少女」である時点で、現実の10代の少年少女が読んでも面白いはず、だと思うからだ。つまり、「10代の少年少女が読んで面白いもの」、それすなわちライトノベルである、という理屈である。
 そしてある意味逆説的?というべきなのか、若干怪しいけれど、そういったわたしの言うライトノベルが、10代だけが面白いと思うかというとそんなことは決してなく、わたしのような40代後半のおっさんが読んでも十分以上に面白い作品はいっぱいあるのは、厳然たる事実である。
 何が言いたいかというと、たとえカバーが漫画チックであったり、一般的にライトノベルといわれるレーベルであったりしても、面白い小説を読みたいならばそこに変なフィルターは全く必要なく、貪欲に本屋さんで渉猟すりゃいいんじゃね? ということだ。
 というわけで、今朝の電車内で読み終わった本がこちらであります。

 これは、わたしには大変思い入れのある(?)、竹宮ゆゆこ先生による『あしたはひとりにしてくれ』という作品で、何でも3年前「別冊文藝春秋」に連載されたのち、2年前に文庫として発売された作品だそうだ。なので、もはや超今さらなのだが、先日、わたしが愛用している電子書籍販売サイトで、大きめのコインバックフェアがあった時、なんかおもしれ―小説ねえかなー、と探していて見つけ、買って読んでみたのである。全然本屋さんで出会ったわけではないのが上で書いたことと矛盾してるが、ほぼ毎日本屋さんに通っていても、こうして見のがす作品もいっぱいあるわけで、世はわたしの知らない「面白いもの」が溢れているものよ、とテキトーなことを言ってお茶を濁そうと思う。
 さて。竹宮ゆゆこ先生というと、アニメ化された作品もあり、いわゆるライトノベル界でも有名だし、近年はその活動をいわゆる一般文芸の世界にも広げており、わたしが思う日本の才能ある作家TOP10に余裕で入るお気に入りの作家のお一人だ。実際この本は文春文庫というレーベルから出されているわけで、それゆえ「いわゆる」と表現してみたけれど、その1点をもってのみ、一般文芸とするのは、冒頭に記した通りわたしとしては変な感じで、わたしの感覚では、本作は紛れもなくライトノベルであった。
 わたしが思うゆゆこ先生のすごいところは、なんで先生は女性なのに、男子高校生の日常及び心の中を、これほど詳しくあからさまにご存知なんすか!? という点に尽きる。とにかく、先生の描く主人公(大抵は男子高校生、たまに大学生)がおっそろしくリアルで、そしてその周辺の友達たちとのやり取りが、もうこれ、当時のおれたちそのまんまじゃん、と思えてしまうほどナチュラルで、そして愛すべきバカばっかりなのだ。
 ゆゆこ節とも言える、主に会話文で繰り広げられるキャラクター達のやり取りは、そりゃあ万人受けるすものではないのかもしれない。とりわけ女性受けするのかどうか、わたしには良くわからない。だが、かつて男子高校生だったわたしにはもうジャストミートである。これはもう、わたしがいかに面白いかを語ってみても無駄なことで、読んでもらわないと通じないだろう。
 物語は、ざっと要約すると、とある男子高校生が謎の女性に出会い、いつしか彼女を愛するようになる顛末を描いたものだ。こりゃざっと要約しすぎだな、うん。でもまあ、物語の筋は結構複雑なため、要約するとこうとしか書けない。なのでいつも通り、キャラ紹介をまとめておこう。
 ◆月岡瑛人:主人公。通称「エイト」。高校2年生。それなりな進学校に在籍し、日々の「ルーティン」を守って「イイ子」であることを己に課している少年。なぜエイトが「イイ子」であろうとするのかは、結構序盤で分かると思う。出生の秘密は意外とすぐ明かされるし、本人も周りに秘密にしているわけではないので。
 ◆高野橋さん:月岡家に居候している「親戚のおじさん、またはお兄さん」。20代?の無職の男。エイトを溺愛し、甘やかす。この人の秘密はラスト近くで明かされるが、え!と驚くけどそれほど感動的じゃあないかな。いずれにせよ、普通にはないシチュエーションだと思う。
 ◆アイス:エイトが「拾って」きた女性。どうやら20代。華奢。土に埋められていた。アイスの本名や、一体何者かということも当然ラスト近くで明かされるが、意外と現実的というか、現実的じゃないか、なんつうか、ずっとその存在はこの世のものならぬというか、不安定?な感じを受けるけれど、実のところ普通の人間だという秘密の暴露は、なんか安心、あるいは納得できた。
 ◆お父さん&お母さん:おっそろしく心の広い夫婦。なんつうか、この二人が一番ファンタジーなのではなかろうか。
 ◆月岡歓路:エイトの妹。体育科の有名な女子高に通う。彼女はレスリング部で、それゆえ身体能力が高く、朝練のため朝も早い。頭の出来は残念な女子高生。みかんが好き。
 ◆藤代:エイトの友達A。分厚い眼鏡を着用し、肩下までのロン毛をきゅっと一つに束ねている少年。まあ要するにキモオタ風な容貌らしいが、大変面白いイイ奴。
 ◆車谷:エイトの友達B。自称「わがままボディ」のデブ少年。絵にかいたような「食いしん坊」キャラ。コイツも大変イイ奴。
 とまあ、主なキャラクターは以上の通りだ。
 本作のどこが面白いのか、もちろん端的に言えばそのキャラクター(の言動)だろう。いそうでいない、絶妙なファンタジーでもあると思うし、細部のやり取りなんかは妙にリアルだし、そのバランスがとても見事な作品だとわたしは思う。まあ要するにですね、安定のゆゆこ節はやっぱおもしれえな、ということで、わたしはとても好きであるというのが結論です。

 というわけで、結論。
 いや、結論はもう書いちゃったけど、久しぶりに読んだ竹宮ゆゆこ先生の作品はやっぱり面白かった。本作、『あしたはひとりにしてくれ』は、珍しく? 男子高校生と年上の女性の関係が描かれているけれど、その恋愛?というよりも、それ以上に、メインテーマは「家族」と言っていいんでしょうな。シチュエーションがかなり特殊なため、深く感動したとか共感したとかそういう感想は持たなかったけれど、最後まで大変面白かったっす。以上。

↓ この辺りはまだ読んでないので、そのうち買って読むか……。これは主人公が社会人のようなので、わたし的にライトノベルじゃない判定す。
応えろ生きてる星 (文春文庫)
竹宮 ゆゆこ
文藝春秋
2017-11-09


 電撃文庫というレーベルは、間違いなく今もライトノベル界の王者でありナンバーワンレーベルであろうと思うが、いまだ、電子書籍に関しては「紙の書籍の1か月後」の発売を堅持しており、今イチそのポリシーは納得できないが、まあ、ある意味ルールとして明確ではあるし、街の本屋さんの味方ですよアピールも理解はできるので、受け入れざるを得ない。きっと電子書籍を享受している編集者が編集部にいないんだろうな、と想像する。
 しかし結果として、毎年2月に発売される「電撃小説大賞受賞作品」も、電子書籍では3月の発売で、そう遅れてしまうとわたしもなんか、次のコインバックフェアの時でいいや、という気持ちになり、安くなるのを待てばいいやリスト入りとなってしまう。 待てば必ず電子化される以上、もはや紙の本を買う気にならないので。
 というわけで、今年の2月に発売になった、今回の第23回電撃小説大賞で「大賞」を受賞した『86―エイティシックス―』という作品をつい先日やっと買って読んだわたしである。
86―エイティシックス―<86―エイティシックス―> (電撃文庫)
安里 アサト
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2017-04-09

 わたしの印象では、たとえ王者電撃文庫とはいえ、「電撃小説大賞」を受賞した作品が常に面白いかというと、実際そうでもなく、なんでこれが受賞したんだと思うこともある。しかし、少なくともグランプリである「大賞」受賞作品はさすがにレベルが高く、面白い作品がそろっているように思う。
 で。今回の「大賞」受賞作品『86―エイティシックス―』だが……結論から言うと、どうもテンプレ的な、どっかで聞いたような読んだような、という印象がぬぐい切れず、わたしとしてはそれほど賞賛すべきポイントは見当たらなかった。ただ構成としてきっちりまとまっているし、最後まで読ませる力は十分以上に備えているので、優等生的作品ではあると思う。
 物語は、ここではないどこかのお話で、帝政を敷く外国からの侵攻を受けた「共和制」の民主国家が、「民主的な意思決定」プロセスを経てとある人種を「優勢人種」であると定め、その人種以外の「劣等人種」と定めた人々を徹底的に差別迫害し、人権を剥奪して帝政勢力と戦わせる兵士として使い捨てにするお話である。
 なかなか突っ込みどころの多い基本設定だが、まあ、それをあげつらってもしかたあるまい。たぶん、政体としての共和国とその現状、エイティシックスと呼ばれる被差別民の人口動態や開戦からの時間経過(たった9年なのかもう9年なのか、人口や状況の推移などから非常に何とも言えない微妙な時間経過)など、かなりの点で設定が甘い。相当あり得ないというか、おかしい点はいっぱいある。
 しかし、わたしをして最後まで読ませたのは、やはりキャラクターであろうと思う。冒頭に書いた通り、ズバリ言えばキャラクターもどこかでみたような、テンプレ設定ではある。しかし、きちんと生きているように感じさせるのは、なんだろうな、キャラクターがぶれないのと、必死な生きざまをみせてくれること、であろうか。主人公とヒロインは、次のようなキャラクターであった。
 ◆シン
 被差別民であるエイティシックスの少年で主人公。機動兵器M1A4ジャガーノートを駆る軍人で戦隊長。ちなみにライトノベルの世界で極めて頻繁に見かけるように、本作でもやたらとドイツ語もどきの固有名詞が多く登場するが(カタカナでルビがふられていても、もう元のドイツ語が想像できない場合が多い)、なぜか主人公機は英語。しかもM1A4って……完全にM1A1エイブラムス戦車だよな……。で、シンはどうもニュータイプのような謎の異能力を備えていて、文字通り鬼神の大活躍。亡くした兄とのとある出来事から、感情を亡くした的なクールな男。まだ16歳だかそこらの若者。コールサインは「アンダーテイカー(葬儀屋)」。
 ◆レーナ
 共和国軍人で16歳にして少佐。本作のヒロイン。当然美少女。とにかく共和国内では完全に人々は享楽にふけり堕落しているという描写(とりわけ軍がひどく、それゆえ16歳でも少佐に。もちろん生まれがいいという点もあるけど)だが、きちんと産業は機能しているようで科学技術も発達している。まじめに働いている人もいっぱいいるんでしょうな。レーナも、堕落した共和国ではド真面目で例を見ないほどエイティシックスに対して同情を持っているが、所詮はお嬢様育ちの上から目線の同情であることに途中でちゃんと気が付く。

 まあ、こんな二人が上官と部下という形で出会い、戦いの中で絆を深めていくお話だが、本作で描かれる戦争は、完全に安全な塀の中である共和国から、謎技術を使った遠隔通信装置を使って、塀の外である戦場にいる兵士たちを管制して戦わせるもので、主人公とヒロインはお互いに顔を合わせることはない。なんかそんな点はどことなく『ほしのこえ』的な印象も受けた。また、敵勢力たる帝国も、無人戦闘マシーンによる侵攻で、一切人間は出てこない。ターミネーター的終末世界観も漂わせている。感覚的には『ターミネーター4』に近いすね。
 応募作品ということで、この1作できっちり完結している点は、実際見事だといえるだろう。逆に、この後、変な続編を書かれてもその方が違和感があるような気すらする。まあ、物語としては美しくまとまっており、その点はわたしは大いに評価したい。

 というわけで、もう書くことがないのでさっさと結論。
 今年の電撃小説大賞<大賞>受賞作である『86―エイティシックス―』という作品をやっと読んでみたところ、まとまりは非常に良く、読み易さも評価すべき作品であったが、内容的にはどこかテンプレに過ぎており、オリジナリティという点においてはそれほど評価すべき作品ではなかった。しかし、テンプレとはいえ、描かれたキャラクターたちの息遣いは生々しく、きちんと生きたキャラクターであって、作者オリジナルと明言してもよかろうと思う。超面白かったとは思わないが、きちんと最後まで書ききった作者の努力は並ではなく、称賛したいと思う。もしわたしが選考側だったとしたら、三次選考以上には上げたと思います。以上。

↓ やっぱりわたしとしては、電撃小説大賞の過去最高傑作はこれでしょうな。永遠にこの作品を超える応募作は出ないんじゃないかしら……。
ブギーポップは笑わない<ブギーポップ> (電撃文庫)
上遠野 浩平
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2015-01-10

 

 散々このBlogでも書いている通り、わたしはいわゆる「ライトノベル」にも特に偏見を持っておらず(ただしレーベルには大いに好き嫌いがある)、面白そうなら普通に買って読む男である。であるが、昨今のライトノベルには残念ながらあまり面白そうな作品がなく、それ故に読む冊数も減っているわけだが、先日、なんか面白そうなのねえかなあ、と本屋さんで渉猟していたところ、とある作品が目に留まった。タイトルとイラストがとてもイイ。それだけの理由で、あらすじもチェックしていない。だが、わたしはこれまたこのBlogでも散々書いている通り、すっかり電子書籍野郎に変身しているので、本屋さんで手に取って、へえ? と思った後、帰りの電車内で、さっきの作品は電子書籍で買えるのかな? とさっそくチェックしてみたところ、ちゃんと売っていたので、とりあえずチェックを入れて、その数日後にコインバックフェアがあったので、早速買ってみた。
 わたしが愛用している電子書籍販売サイトBOOK☆WALKERは、その運営会社の資本的に、どの出版社の作品でも扱っているわけでなく、たとえばAmazon Kindleでは売ってるけど、BOOK☆WALKERでは売ってない、みたいなことがあるので、本作がわたしの嫌いな、そしてBOOK☆WALKERではほぼ取り扱っていない小学館の作品だったので、買えるか心配だったのだが、ライトノベルの品ぞろえに強みを持つBOOK☆WALKERだからなのか、小学館の作品でもガガガ文庫はきちんと扱っていて助かった。さすがBOOK☆WALKER。あざっす。
 というわけで、この度わたしが買って読んでみた作品が、小学館ガガガ文庫から今年の9月に発売になった『やがて恋するヴィヴィ・レイン』という作品である。

 わたしは小学館が大嫌いなので、ガガガ文庫を買うのはたぶん2冊目なのだが、その著者、犬村小六先生は、わたしは読んでいないけど、アニメ化(劇場アニメ)もされた『とある飛行士への追憶』で世の中的には大変お馴染みの作家だ。結構売れたはずだけれど、わたしは単にガガガ文庫が嫌い、という理由だけで読んでいないので、大変失礼ながら犬村先生の作品は初めてである。では、なんでまた嫌いなガガガ文庫を買ってみようと思ったかというと、前述のようにタイトルが気に入ったのが一つ、そして、こちらが最大の理由なのだが、わたしはイラストを担当している岩崎美奈子先生の描くイラストが大好きだから、である。今回も、大変良いと思う。淡くて柔らかいタッチは大変わたし好みで、結論から言うと、いわゆるジャケ買いした、というのが実際のところである。
 というわけで、さっそく読み始めた。
 物語は、まあいわゆるファンタジーに属するものだろう。ただしその世界観は、とりわけ珍しくはなく、ズバリ言えばどこかで読んだ様な気のするものだ。世界はどうやら3層に分かれていて、下層は魔物の世界、上層は天界のようなイメージ、そして中間層が普通の人間界、みたいな感じである(読み進めていくと、上層に住むのは高度に文明の発達した普通の人間、下層も魔獣はいるけど普通の人間の住むところと分かって来る)。
 で、物語は中間層に住む一人の奴隷的立場の少年が、「空から降ってきた少女」と出会うところから始まる。なんだ、ラピュタかよ、と思いつつ読み進めると、ごく初めの段階で少女は亡くなり、その後、少年は少女がいまわの際に残した「ヴィヴィ・レインを探して……」という言葉に従って、各地を巡る旅に出る――が、金がなくなると傭兵となって軍に参加する生活を送り、そこで「王国」の姫君に出会い――てな展開である。
 というわけで、どっかで読んだようなお話なのだが、それが悪いということでは決してない。結論から言うとわたしは最後までかなり楽しんで読ませてもらった。この少年、ルカのキャラクターがとても好ましく、出てくるヒロインも(ライトノベルの例に違わず複数のヒロイン候補が出てくる)非常に好感が持てる。物語の端々に、本作がシリーズの1巻であり、後に・・・・・となることをまだ知らない、的な語りが出てくるのが正直興ざめだが、今後の物語の展開に大変期待したいような、新たな物語の始まりとしては非常に楽しめたのである。
 この作品で一番独創的なのは、上層階(=「エデン」と呼ばれる)と中間層(=グレイスランド)は妙な交流があって、中間層での戦争で派手な戦いや劇的な戦い、大規模な戦いに勝利すると、エデンから「グレイスポイント(GP)」というものが与えられ、そのポイントを集めると、エデンから先進兵器が「下賜」されるんだそうだ。読み進めていくと、エデンの人々が飛行船でグレイスランドの戦争を娯楽として見物している描写が出てくるが、要するにそういうことらしく、エデンの先端技術で製造された兵器である「機械兵」という、まあ要するにロボット的な兵器が、戦局において重要な役割を担っているらしい。なんかそんな点もラピュタっぽいけれど、この「ポイントをためて引換える」というのは、世界観にふさわしいか良くわからないが、独特で興味深いポイントだろう。また、科学技術的な面では、特に説明がないが、機械兵は「ソーマ」なる燃料を燃焼させて動力を得る「ソーマエンジン」なる内燃機関があるらしく、とりわけポイントとなるものではないが、そういった謎テクノロジーも、若干のスチームパンク的な雰囲気を醸し出している。
 で。わたしがとりわけ気に入ったのは、主人公ルカのキャラクターなわけだが、彼は全く持たざるもので、身体能力的にも全く普通。だけど、彼は読書を通じて知力を鍛えることに余念がなく、すべては頭で勝負する少年だ。作中で、ルカの所属する陣営が城塞都市を陥落し、軍のお墨付きで「麻袋に入る分だけ」の略奪が許され、周りの兵士たちは待ってましたと金目の物を漁るのに対し、ルカも、戦後の「ヴィヴィ・レイン」を探す旅のための金を得たいと思うものの、彼が選んだ略奪物は、その都市の図書館に収蔵されていた稀覯本だった、というエピソードも、わたしとしてはなかなか好ましい。そしてその、ルカにとってとても大切な本を、後半でやむなく別の目的に使ってしまうくだりもイイ。また、ルカの頭の良さを見抜いて登用する姫様も大変よろしいキャラクターで、二人のちょっとしたドキドキ感も読んでいて心地いい。二人の運命は、謎の予知夢的なものによって、将来的に対立することがほのめかされてしまうが、それもある意味お約束なので、まあ許せる部分だろうと思う。
 ただ、わたしとしては、ルカや周りのキャラクターの言葉遣いあたりは、あまりに現代日本的すぎて、若干興ざめではあると思った。なんか、ファンタジー世界のキャラクターが、現代若者言葉で話し始めると、急にガッカリしますなあ……。ま、このあたりはわたしがおっさん読者だからであろうと思うし、主要読者であるゆとりKIDSたちには全く問題ない点だろう。とりわけ、キーキャラとして中盤から登場するアステルは、キャラ的にも若干とってつけた感があるし、しゃべりの内容も性格付けも、正直テンプレっぽさは感じる。このキャラに妙なツンデレ的言動をさせても仕方ないと思うのだが、まあ、そういう需要があるんすかね。別にどうでもいいんだけどな。
 というわけで、わたしとしてはなかなか楽しめた本作だが、明確にシリーズ1巻であり、次巻以降へのヒキとして、かなり多くの謎が残されたままになっている。そのラストのヒキも、まあ普通のありがちな終わり方ではあるものの、わたしとしてはおそらく次巻も買って読むであろうほどには、本作を気に入った、というのが結論であろう。しかし、やっぱりタイトルがとてもイイすね。とりあえず1巻の段階では、まだタイトルの意味は(明確には)判明しません。薄らぼんやりとほのめかされます(?)けど。

 というわけで、結論。
 いや、もう結論書いちゃったけど、本作『やがて恋するヴィヴィ・レイン』は、大変期待の持てる第1巻であった。わたしが飽きずにこのシリーズを読むとしたら、読者に媚びたような恋愛話やハーレム展開にページを割くのではなく、ヴィヴィ・レインという存在の謎を、主人公ルカには真摯に追って行っていただきたいと思う。結論としては、面白かっす。そして、やっぱり岩崎美奈子先生のイラストは極上ですね。以上。

↓ 2巻は1月の発売のようですな。楽しみです。まだamazonには登録されてないようなので、コイツを貼っとくか。

 ライトノベル、というと主に中高生を対象としたファンタジックなイラストの付いた小説、というイメージがあるが、実際のところ読者層は幅広く、30代40代でも読んでいる人は多いし、小説としての完成度も、大人が読んでも十分以上に面白い作品はそれなりに多い。もちろん、そうじゃない、どうしようもない作品の方もまた多いと思うが、とにかく、ライトノベル、というレッテルで作品を評価してしまっては、その本当の価値に気づけないと思う。
  2009年に創刊された「MW文庫」というレーベルは、ライトノベルナンバーワンの電撃文庫というレーベルから、「ライトノベルを卒業した大人」に向けて企画開発された小説文庫で、特徴として「書き下ろし」で「カバーイラスト」を用いるという、まさしくライトノベルの手法を用いているが、そこから多くのヒット作が生まれ、『ビブリア古書堂の事件帖』がミリオンセラーに至った後、各出版社もこぞって、書き下ろしで、イラストカバーの付いた小説文庫を出版するようになった。ま、要するにパクリ、と断言してよかろう。
 というわけで、今、本屋さんの文庫売り場に行くと、 とにかくカバーがカラフルで、イラストを用いている作品がとても多い。これは、MW文庫創刊以前には見られなかったことで、それだけ見ても、MW文庫の先見性は証明可能だと思う。
 そして3日前、本屋さんの店頭で、なんか面白そうな作品はねえかなー、とずらりと並んでいる文庫をぼんやり眺めていたところ、とある文庫のカバーイラストに描かれた少女と目が合ってしまった。ん?と手に取ってみると、著者は、電撃文庫で大変おなじみの竹宮ゆゆこ先生であり、タイトルも、ちょっと気になるものだったので、へえ?と思って良く見たら、わたしが嫌いな出版社の筆頭クラスである新潮社の本だったので、マジか、新潮社の本かよ……とそっと元に戻して立ち去ろうとしたのだが、どうにも、カバーに描かれた少女の目が気になって気になって仕方なく、「買わないのね……そう……残念だわ……」という幻聴すら聞こえたような気がするので、ええい!分かったよ!! 買います、読ませてください!! と、レジに並んだ次第である。その本が、これ、です。

 いいイラストですな。本屋さんで目が合ってしまったら、手に取らざるを得ないというか……わたしには、このイラストの表情は、なんというか悲し気な、「いいわ、仕方ないもの……」といったセリフが聞こえるような気さえした。このイラストを描いたのは、浅野いにお先生で、大変人気のある漫画家である。わたしは『ソラニン』の1巻しか読んだことがないので、ファンでも何でもないのだが、このカバーイラストは非常に素晴らしいと思った。
 で、著者の竹宮ゆゆこ先生は、電撃文庫では数多くの作品を発表していて、アニメ化された『とらドラ』を始め、大変人気のある作家だ。わたしも竹宮先生の作品はたぶんほぼすべて読んでいるが、わたしが竹宮先生の作品で凄いと思うのは、女性なのに、どうして男子高校生の日常や心理をここまでリアルに分かっているんだろう? という点で、とにかくキャラクターの造詣が毎回素晴らしく、わたしは特に、女子キャラよりも男子キャラの心理描写が非常に上手だといつも思う。なので、竹宮先生の作品なら、外れナシだろう、と、全く何の予備知識もなく、あらすじすらチェックすることなく、購入し、読み始めた。
 で、読み終えた。
 結論から言うと、大変面白かった。わたしは本屋さんでカバーを付けてもらっていて、読みながら一度も外さなかったので、ついさっき初めて帯をしげしげと見たのだが、帯の惹句はこんな感じである。
 ≪最後の一文、その意味を理解したとき、あなたは絶対、涙する≫
 ま、結論からするとわたしは涙しなかったので、この帯の惹句には、ふーん、としか思わないが、確かに、構成的に最後になって初めてわかるトリッキーな部分があった。わたしももちろん、ラストで、あ、そういうことなんだ!? と驚いたし、帯の表4(裏側)にある、伊坂幸太郎氏の推薦文にもこう書いてある。
 ≪高校生活の日常やキャラクターの掛け合いがメインとなるこういった小説を苦手な方もいるのではないでしょうか。実は僕もそうなのです。けれど、この作品を読み終えた時、その野心的な構造に興奮しました。この作家は、キャラクター小説を小説の持つ悦びの深いところまで繋げようとしています。≫
 とまあ、良く読むと若干上から目線なことが書かれているが、はっきり言って、そんな構造上のトリックというか試みなんかは、二の次でいいと思う。わたしが一番この作品でグッと来たのは、伊坂氏が苦手というキャラクターの掛け合いに他ならない。それはもはや「ゆゆこ節」とも言うべき、竹宮先生の真骨頂であり、そこを楽しめないでこの作品が楽しめるわけがないとわたしは思うわけで、伊坂氏の推薦文には妙な違和感しかわたしは抱かなかった。じゃあアナタは、ずっと面白くねえなあと思いながら、最後に、あ、そういうことか、こりゃあ面白い、とでも思ったのだろうか? 良くわからんけれど、わたしはもう、最初からずっと、それぞれのキャラクター達に魅了され、とても本作を楽しめたのである。むしろ、最後に明かされるものは、意外すぎて、あれっ!? アレッ!? ちょっと待って、そういうこと!? と逆に戸惑ったぐらいだ。

 とにかく、本作はその部分のネタバレは、別にそれほど大きな意味を持たず、事前に知っていても、特段問題ないような気がするが、それよりも、とにかくストレートに作品世界に没入するのが正しいと思う。そして、各キャラクターに共感し、一緒になって笑い・怒り・悲しむべきではなかろうか。
 実は意外と重い、本作の物語の流れを書くつもりはないが、わたしはとにかく、主人公濱田清澄のキャラクターにとても共感したし、ヒロイン(?)蔵本玻璃の可愛さにも非常に萌えた。また、脇を固める清澄の親友やクラスメイトの女子もとてもイイ。わたしは男なので、やはり一番清澄が気に入ったのだが、その勇気は素直に称賛したいと思う。たぶん、わたしには出来ないことだろうと思うから。たぶん、清澄の言葉で一番彼を表すのが、次の文章だ。
 ≪俺は誰かが友達になってくれることが当たり前ではないと知っている。誰かが俺を大事に思ってくれることも、全然当たり前のことなんかではないことを知っている。「在る」のが「難しい」から「ありがたい」のだと知っている。それを知ることができたのは、あの孤独があったからだ。あの孤独の中で、自分の無価値さと向き合うしかない静かな闇を、一人で味わって生き延びたからだ。そこに差し伸べられた手が、俺なんかに向けられた友情が、どれほど嬉しかったことか。(略)今の俺にとって、孤独だった頃は、正直あまり思い出したくない手痛い過去ではある。でも同時に大切な宝物で、財産でもある。捨て去ることなど決してできない。(略)孤独は一人で抱えていればやがて宝にもなるものだが、いじめはそうじゃない。いじめは、痛みと傷しか残さない。叩き潰されれば未来を失う。それに耐える意味などない≫
 清澄は普通のバカな男子高校生だけど、まったく立派ですよ。そういう点では、わたしは大いに感動したといってもいいと思う。
 そして、こういう作品を読むと、男子校で6年間過ごしたオレって、ホント人生損したのかな……と若干ほろ苦い気持ちも浮かび上がって来る。もちろん、男子校には男子校にしかない素晴らしいくて楽しい点はいっぱいあるし、わたしは男子校に通ったことを常日頃後悔はしていないのだが、それでもやはり、あの、素晴らしき青春時代に女子がいたら、どうなっていたのだろうか、と、こういう作品を読むととても心に響く。まあ、もう完全なおっさんなので、ノスタルジーってやつですな。結局、明確に言えることは、過ぎ去った過去であり、どうにもならんことは承知しつつも、そういった憧れめいた思いに胸を焦がせさせるような作品は、大変素晴らしいってことでしょうな。そして、恐らくは現役で青春真っ盛りな若者も、たぶんこの作品を読んで思うところはいっぱいあるはずだ。なので、わたしとしては全年齢に向けてお勧めしたいと思うのであります。

 というわけで、もう長いし纏まらないので結論。
 わたしがいいたいこと、それは、竹宮ゆゆこ先生による『砕け散るところを見せてあげる』は、大変面白かった、ということです。日本の文芸界は、狭く閉鎖的でいまだに「書き下ろし文庫」に対して、一段下のものという認識がなされている部分があるが、決してそんなことはなく、レーベルや形態に妙な先入観を持たずなく、本屋で出会った作品を片っ端から手に取って読むのが一番楽しいと思います。出版社によって好き嫌いの激しいわたしが言うのも大変アレですが。以上。

↓ これは新潮文庫Nexの創刊ラインナップじゃなかったっけ? だいぶ前に読んだけど、今回の作品『砕け散る~』の方がわたし好みでした。

 おととい、結構楽しみにしていたライトノベルが発売になって、やったー、と早速買い、今回は424ページとかなり分厚かったのだが、昨日のうちに読み終わってしまった。恐らくは現在のライトノベル業界で最も初版部数の大きい作品であろう(※根拠なし。一番じゃなくてもTOP5には入ると思う)作品、『ソード・アート・オンライン(以下『SAO』と略)』シリーズの最新(18)巻である。

 まあ、長かった「アリシゼーション編」堂々の完結、である。
 もうこれは、この作品を知っている人なら常識なのだが、川原先生による『SAO』は、元々は川原先生個人のWebサイトで連載して大人気になった作品で、それを電撃文庫として書籍化したものだが、相当な加筆修正がなされているそうで、Web版を読んだことのある方でも楽しめる作りになっているそうだ。要するに、元から原・原稿が存在していたわけだが、この(18)巻で、その元々あったお話は完結したそうである。つまり、次の(19)巻以降は全く新しい、まだ誰も知らない書き下ろしの作品になるようですね。
 なので、この(18)巻はある意味、集大成としての意味合いもアリ、本の作りもちょっとだけ豪華になっていて、なんと驚いたことに、巻末にもカラーページが奢られたたいへん贅沢な作りになっている。そしてさらに、モノクロページだけれど、最後には≪Kirito will return≫と堂々と宣言してあり、我々はまだまだ、あらたな物語を楽しめることになるんだそうだ。ホント、楽しみですなあ。まあ、恐らくはその前に、『SAO』の別シリーズである「プログレッシブ」が1作ぐらい刊行されるんだろうな、と思う。今までの刊行順からすると。それに、川原先生のデビューシリーズである『アクセル・ワールド』の新刊もあるだろうし(川原先生のTweetによれば12月発売らしいすね)、新シリーズの『アイソレータ―』もあるだろうから(これはどうかわからんけど)、川原先生のファンの皆様も、新刊欠乏症で手が震えることもなかろう。だぶん、だけど。まったく、すごい先生ですなあ。その作品を生み出すエネルギーは、とてつもないですな。
 ええと、今のところのわたしの文章は、ネタバレコードには引っかからないよね? そこら中でレビューとかあるだろうし。まだ内容について何も書いてないし。

 今回、何を書こうかと思って、ノープランでキーボードをたたいているわたしだが、まあやっぱり、この作品を楽しみにしている人がおそらく20~30万人は存在しているだろうから、ネタバレはやめておきたいかな、と思った。つか、ネタバレなしでは何も書けないのがつらいです。まあ、シリーズを読んできた方で、この(18)巻を読まない理由は何一つないですわな。なので、まだ読んでいない人は、今すぐ本屋さんへ行き、購入してくるのが間違いないと思います。

 ひとつだけ、書いておくとすれば、これは誰しも想像しているだろうし、その想像通りなので許されることだと思うから書きますが、物語は、大変綺麗に、決着はつく。
 わたしは個人的に、川原先生の作品はたまーに、もうやめてーー!! と言いたくなるぐらい、主人公たちは厳しい状況に陥るのが、ホントに苦しく感じる。例えばわたし的には、『アクセル』のダスク・テイカーの話では、とても精神的にイヤーな気持ちになり、さっさとブッ倒されろよこの野郎、とか思ったのに、決着が次の巻に持ち越しになった時なんかは、おいマジかここで終わりかよ……と思ったものだし、今回の『SAO』も、前巻(17)巻でアスナたちが満身創痍になってボロボロになる姿にとても心が痛んだわけで、絶対大丈夫、と分かっていても、とても読んでいて苦しいものがあった。だからこそ、今回の(18)巻でスッキリ決着したのは大変気持ちがいいわけだし、早く次が読みたい、と思うわけで、ホントに、めでたしめでたしで良かった良かった、と思える内容になっていたと思う。
 まあ、ひとによって受け取り方は違うので、誰しもそう感じるかは知らないけれど、まあとにかく、安心して、早く最新刊を読んでほしいな、と思うばかりだ。そして、ユージオの存在の大きさを感じるのもいいし、キリトとアスナのラブラブぶりに、ぐぬぬと歯を食いしばるのもいい。とにかく、物語に登場するみんなに幸あれ、とわたしは思った。まあ、まだ先がありますけどね。ホント、続きが大変楽しみですな!

 というわけで、肝心なことはまったく何も書いてないけど結論。
 川原礫先生の『ソード・アート・オンライン』は、やっぱり現在のライトノベルの頂点に君臨する作品であるのは間違いないし、シリーズを読んできた人は一刻も早く読んでいただきたい。たぶん、期待は満たされることだと思います。以上。

↓ わたしはこの作品が大好きなんですけど、テクノロジー的には全く別物だけど、結構近いものがあるっすよね。『SAO』ファンにはぜひお薦めしたいものです。
シフト〈1〉世界はクリアを待っている (電撃文庫)
うえお 久光
アスキーメディアワークス
2008-06-10

 というわけで、先日、上遠野浩平先生による「事件シリーズ」を電子書籍で一気買いし、以来、せっせと順番に読んでいるわたしであることは先日書いた通り。つか昨日も書いた通り
 で、今日は昨日に引き続き、そのシリーズ第3作目となる『海賊島事件』を自分用備忘録としてまとめておこうと思う。もうなんか同じことばかり書いているが、この3作目も大変面白かった。そして、致命的にいろいろなこと忘れていて、ホントに自分の記憶力のダメさ加減に呆れましたわ。あ、こんな話だっけ、と恐ろしく新鮮に感じたわたしは、もう、なんか脳に重大な疾患があるんじゃないかと心配でなりません。

 本作『海賊島事件』は、わたしの記憶では、第1作『殺竜事件』でED、ヒース、レーゼの三人が一度立ち寄った「海賊島」が舞台で、そこでの殺人事件を解き明かすミステリーじゃなかったけ、と思っていたのだが、まるで違っていてびっくり&あきれました。
 本作が紙の本で出版されたのが2002年12月。なので、14年ぶりの再読である。しかし、こんな風に、1作目の『殺竜』が2000年、2作目の『紫骸城』が2001年、と、1年ごとに出てたんだなあ、という事も完全に記憶から消失していました。ああ、あの頃は、たぶんわたしのサラリーマン生活で最も楽しい時分だった……と妙に郷愁というか、ノスタルジーめいたものを個人的にはを感じますね。たった15年ほど前のことなのに。随分この期間に世界は変わったもんだなあ。
 ま、そんなことはどうでもいいや。
 さて。本作『海賊島事件』は、「最も美しい死体」として発見された「夜壬琥姫」の謎を解くお話なのだが、事件の起こった「落日宮」で事件の真相解明をするEDと、一方で事件の最重要容疑者が逃げ込んだ「海賊島」に、容疑者引き渡しを迫るダイキ帝国とそれを拒む海賊島の対立が勃発し、その仲裁にやって来るリーゼとヒース、というように、二つの場所での出来事を同時進行で追う物語になっている。相変わらず各キャラクターが素晴らしくて、最高です。というわけで、今日も昨日と同じく、登場人物やキーワードをまとめておいて、数年後再び記憶が消失する際の備忘録としよう。
 ◆夜壬琥姫:聖ハローラン公国の紫月姫の従姉妹。落日宮に3年滞在し、故国に戻れない事情があり、「キリラーゼ」という男が迎えに来るのを待っている、と周囲に話していた。超絶美人で気高く頭もいい。冒頭で、「水晶の結晶の中に閉じ込められた死体」として登場。今回はその謎解き話。ちなみに、第1作の時点から時間が経過していて、この時、月紫姫は聖ハローラン公国の事実上の最高権力者になっている。ちなみにそれは第1作でヒースと出会ったことによって決断した結果で、名目上の公主たる白鷺真君はまだ幼い子供なので、役職としては摂政についている。曰く、「世界一有名で人気のある国家権力者」。本作は、冒頭で第2作に出てきたウージィが登場し、夜壬琥姫殺害の重要容疑者として世界中から捜索されている男が、「海賊島」に匿われていることを月紫姫に教える。また、EDが落日宮に到着知った際も、「月紫姫の代理人」と名乗った。
 ◆落日宮:モニー・ムリラという国にある、世界最高のリゾートホテル。
 ◆ニトラ・リトラ:落日宮の支配人(オーナー)。以前は海賊だった男で、ムガンドゥ1世と2世に仕えていたが、3世の襲名後、引退して落日宮を作った。ムガンドゥ3世のことは、子どもの頃から知っていて、姿を衆目にさらしたことのない3世の本当の姿を知る、ほとんど唯一の人間。
 ◆カシアス・モロー:元料理人で貿易商。あらゆる感覚を「味覚」で表現する。七海連合にスカウトを受け、面接の場所としてやってきた落日宮で事件に遭遇、後にやってきたEDの助手的な役を演じる本作の語り部。容貌は丸くて小太りでイケてないが、冷静で頭は切れる。
 ◆サハレーン・スクラスタス:落日宮に滞在していた芸術家。彼固有の魔法を用いた水晶彫刻で世界的な有名人。自信家で女好き。夜壬琥姫にちょっかいを掛けていたことが周囲にも知られていた。夜壬琥姫殺害の容疑で追われる身だが、海賊島で匿われている。精神が崩壊しつつある。
 ◆ムガンドゥ1世:インガ・ムガンドゥ。犯罪組織「ジェスタルス」の頭首。後に、最大最強の海賊として世界中の領海に縄張りを持ち、やがては無数の貿易会社を従えて表社会にも歴然たる影響力を持つことになる巨大組織「ソキマ・ジェスタルス」の初代支配者。
 ◆アイリラ・ムガンドゥ:ムガンドゥ1世の唯一の子供(娘)。父を毛嫌いしていたが父の財力・影響力で放蕩三昧の毎日を過ごしていた。
 ◆ムガンドゥ2世:ニーソン。元々、別の組織からインガ・ムガンドゥ暗殺のために「ジェスタルス」に入った男だったが、「夢」=「未来」を持つムガンドゥに魅かれ(?)、忠誠を誓う。そしてインガの死後、アイリラを娶うことでムガンドゥ2姓を名乗り、組織を引き継ぐ。現在の「海賊島」を建造した男。
 ◆ムガンドゥ3世:アイリラとニーソンの実子イーサー。幼少時から、2世の指示で、身分を隠して「海賊島」の最底辺の仕事をさせられていた。そんな幼少時代に、ニトラ・リトラを見込んで自らの正体を明かしている。ニーガスアンガーによる防御呪文の刺青で全身が覆われているが、普段は幻惑魔法(?)で隠している。素性が一切謎の人物として世界では知られ、その姿を見たものは海賊島のメンバーにもいない。ムガンドゥ3世の顔を知っているのは、ニトラ・リトラと第1作で面会したED、ヒース、リーゼ、この4人だけ。第1作で見せたリーゼの度胸が大変気に入っている様子で、恐ろしい男だけどリーゼにはかなり好意的。
 ◆タラント・ゲオルソン:第1作で、海賊島を訪れたEDたちとギャンブル勝負をした男。当時は賭場のイカサマチェック係だったが、リーゼとの勝負で精神的に大きく成長し、本作では「顧問役」として海賊島でもっとも頼りになる男として描かれている。今回、容疑者引き渡しを迫るダイキ帝国に、「ならば第三者に仲介と調停を要請する」ことを認めさせた。その判断に、ムガンドゥ3世から「よくやった、タラント・ゲオルソン」と直接誉められる。そしてリーゼとヒースが海賊島へやって来るというストーリー展開。
 ◆ダイキ帝国:この世界の「西の大陸の中でも最大の国土を誇る」国。今回、この国の「不動」と称せられる将軍ヒビラニ・テッチラが海賊島に艦隊でやって来て、容疑者引き渡しを迫る。しかし、その裏にある目的が、ちょっとだけ、軽いというかイマイチなのはやや残念かも、とは思った。

 てな感じかな。重大なネタバレはしてないつもりだけど、大丈夫かしら。
 ホント、毎回書いているけど、上遠野先生の作品は、もっともっと売れてしかるべきなのに、知名度的にライトノベル界にとどまっているのは本当に残念だと思う。出版社の営業の怠慢だと言いたいね。確実に、日本の小説家の中ではTOPクラスの実力だと断言できるし、わたしとしては日本人の作家ではナンバーワンに好きな作家だ。とにかく面白い。これを世間に広めるには、どうすればいいものか……。まあ、作品内容的には、ファンタジーに分類されてしまうので、その時点で読者を選ぶことになってしまうのだろうか。もったいないなあ……。 

 というわけで、結論。
 上遠野浩平先生による「事件シリーズ」第3作目『海賊島事件』も大変面白かった。何度でも言いますが、上遠野先生の才能は、日本の小説家の中で確実にTOP5に入るレベルだと思う。この才能があまり一般的に知られていないのが、心の底から残念だと思います。以上。

↓ 次の第4作はこれか。これも、今回久しぶりに読んで、まったくストーリー展開を覚えてなくてびっくりした。かなり面白いです。しかし、やっぱり電子書籍って、昔読んだ本を再読するのに向いてますな。

 


 

 というわけで、先日、上遠野浩平先生による「事件シリーズ」を電子書籍で一気買いし、以来、せっせと順番に読んでいるわたしであることは先日書いた通り
 今日は、そのシリーズ第2作目となる『紫骸城事件』を自分用備忘録としてまとめておこうと思う。いやはや、ホントに面白い作品で、たしか発売当時は、ミステリー愛好家の皆さんから、ミステリー部分が弱いとか言う批判もあったような記憶があるが、わたしはまったくそんな風には思わず、読むのはこれで2回目だが、初めて読んだときと同様、大変楽しめたのである。

 紙の本で出版されたのが2001年だそうなので、わたしにとっては15年ぶりの再読である。しかし、ホントにわたしも適当な男で、この作品は超面白かったという事は明確に覚えていたし、おおよその物語の流れも記憶通りだったけれど、細部は全然忘れているもので、ホント、読みながらまるで初めてかのようにドキドキワクワクしながら読めたわけで、これはもちろん上遠野先生の紗宇品が素晴らしいからなのは間違いないとしても、わたしの記憶力の乏しさも影響したのかもしれない。ま、そんなことはどうでもいいや。大変面白かった。
 本作は、「紫骸城」で行われる「限界魔導決定会」を舞台に起こる殺人事件の謎を追うミステリーである。今回は、EDやヒースは最後にちょっと出てくるだけだし、リーゼは出てこない。代わりに、主人公を務めるのは「決定会」の立会人として招集されたフロス・フローレイド大佐で、「キラル・ミラル」と呼ばれる双子の戦地調停士が初登場する。というわけで、また登場人物やキーワードをまとめておいて、今後のシリーズ作品を読む際のメモとしておこう。
 ◆紫骸城 :「バットログの森」の中にそびえる城。300年前、リ・カーズがオリセ・クォルトとの最終決戦のために築いた、呪詛集積装置。現在では、中に入るには特殊な転送魔法が必要。なお、リ・カーズとオリセ・クォルトの超絶魔法バトルが勃発して、紫骸城周辺が「魔法汚染」され、生態系が破棄されたためにバットログの森が生まれたわけで、バットログの森の中に紫骸城があるのではなくて、紫骸城の周辺が現在はバットログの森と呼ばれている、という方が正しい。
 ◆限界魔導決定会:魔導士ギルドが5年に1度開催する、最も優れた魔導士を決める大会。紫骸城で開催される。もう200年の歴史のある由緒正しい(?)大会。
 ◆フロス・フローレイド:本作の主人公。わたしは愚かなことに、理由は我ながらさっぱりわからないけれど、ずっと女性だと思って読んでいて、終盤で「彼」という人称代名詞で呼ばれるところで初めて、あ、男だったんだ、と認識した。なんでなんだ、オレ。フロスは、かつて「風の騎士」ヒースとともにとある事態を鎮圧したことがあり、世間的に「英雄」として有名になっている。ただし本人は、「あれをやったのはほとんど風の騎士」であるため、自分が英雄と呼ばれることに抵抗を感じている。ヒッシパル共和国の魔導大佐。
 ◆ナナレミ・ムノギタガハル:謎の「ブリキ製の子供の人形」をいつも抱えている、頭のイッちゃった風な魔導士の女性。貴族令嬢だが恋人と駆け落ちし、その恋人を殺されたという噂。今回の大会には副審として招集された。
 ◆U2R:魔導擬人機。我々的には、C3-PO的なドロイドを想像すればいいと思う。ただし3POよりもっと有能で、大会の管理をしている。もう相当古い機械らしい。
 ◆キラル・ミラル:「ひとつの戦争を終わらせるのにそれまでの戦死者に倍する犠牲者を生む」と世に悪名高い双子の「戦地調停士」。姉のミラロフィーダ・イル・フィルファスラートと、キラストラル・ゼナテス・フィルファスラートのコンビ。ともに絶世の美形で顔は瓜二つ。姉のミラルは、基本的に「良し(ディード)」と「否(ナイン)」しか言わない不思議系美女。どうやらEDのことが大好きで惚れてるらしい。弟のキラルはEDをつまらん男としか思っていないようだが、その実力は認めている模様。なお、二人の姓「フィルファスラート」というのは、リ・カーズが人間だった(?)時の姓。二人とも、超絶に頭は切れる。
  ◆ニーガスアンガー:前回優勝者。世界最強の「防御呪文」の使い手。「海賊島」のムガントゥ三世の全身に防御呪文の入れ墨を施したのもニーガスアンガーで、シリーズでちょいちょい名前が出てくる。シリーズ4作目の『禁涙境事件』では若き頃のニーガスアンガーも出てくる。そして、本作では第1の被害者として冒頭で殺害される。
 ◆ウージャイ・シャオ:中盤で出てくる、「女盗賊」。まだ10代の少女。「聖ハローラン公国」の月紫姫と友達のようで、次の3作目『海賊島事件』の冒頭にも出てくる。大変ナイスキャラ。 
 ◆死人:大会審判長のゾーン・ドーンという人物は「死人」だそうで、一度死んだが手遅れの蘇生呪文の作用で 生体活動が戻った者のことを、この世界では「死人」という。彼らには以前の意思も人格も記憶もなくなっていて、生きている時とはまるで別人になっているらしい。ただし、知識だけは残されていることが多く、言葉や道具の使い方は前と変わらないという設定になっている。ちなみに、第4作目・第5作目に出てくるネーティスも「死人兵(しびとへい)」。

 とまあ、こんな感じかな。
 本作は、一応「密室モノ」と言っていいと思うのだが、ミステリー部分はもちろん、いろいろな人物の行動が大変興味深くて、非常に面白かった。第1作目の『殺竜事件』とはだいぶ趣が違って、本当に上遠野先生はすげえなー、と思うばかりである。 この才能をもっともっと世に知らしめたいものだが……だれか、この「事件シリーズ」を超絶クオリティで2時間にまとめて劇場アニメにしてくれないかな。絶対面白いはずなんだが。映像にするには地味すぎるかもな……でも、最高の小説原作として映像に向いていると思うな。なんなら、ハリウッドで実写化してもらいたいもんだぜ。

 というわけで、結論。
 上遠野浩平先生による「事件シリーズ」第2作目、『紫骸城事件』も最高に面白かった。15年ぶりの再読だというのに、なんでこんなに新鮮に感じて面白く読めちゃうんだ。あ、それはわたしの記憶力がニワトリ並ってことか!? HOLY SHIT……否定できない……。けど、間違いなく最高に優れた小説だと思います。以上。

↓ やっと電子でも発売になったので昨日から読んでます。しかし本当に早川書房は素晴らしい出版社ですよ。紙の本の発売から1週間で電子書籍発売。大変ありがたし。
暗殺者の反撃〔上〕 (ハヤカワ文庫 NV)
マーク・グリーニー
早川書房
2016-07-22

暗殺者の反撃〔下〕 (ハヤカワ文庫 NV)
マーク・グリーニー
早川書房
2016-07-22

 

 というわけで、先日、上遠野浩平先生による「事件シリーズ」を電子書籍で一気買いし、以来、せっせと順番に読んでいるわたしである。作品自体は、発売当時に紙の本で買って読んでいるので、知っている話なわけだが、改めて読んでみると全く忘れていることも多く、実際初めて読むかのように楽しめてしまい、わたしの記憶力も本当に大した事ねえなあ、とやや残念ではあるが、まあ、同じお話でここまでまた楽しめるなんて、おれも随分お得な奴だな、という気もする。とにかく、一度読んだことのある小説なのに、またしてもこんなに面白いなんて、と上遠野先生の作品の素晴らしさをわたしとしては最上級にほめたたえたい。実に面白い作品である。
 そんな感じのわたしなので、また、数年後、記憶が消失することはほぼ確実なので、それぞれの作品に関してメモというか備忘録的に、登場人物や思ったことなどをまとめておこうと思った次第である。
 まず、シリーズ共通の物語の舞台だが、「呪詛」をベースとした「魔法文明」の発達した、「ここではないどこかの世界」である。我々の文明の主要エネルギー源が、太古の生物の死骸が堆積圧縮されて液化した「石油」であるように、その世界では「生命エネルギーの二次利用」だという。つまり、生命エネルギーの1次利用とは「生きていること」そのものだが、それは当然死ぬときに終わる。だがその生命の残滓というものがこの地上に残り、それが「呪詛」と呼ばれる魔法の源になるエネルギーなのだそうだ。で、そのエネルギーは生物の「思考の流れ」に反応するらしく、「呪文」はその思考の流れを整える(?)もので、さらに言うと「呪符」にそのスイッチ的な役割を与えられると。そういった「呪詛」を用いて火をつけたり、冷やしたり、ということをして文明を築いている、そんな世界である。
 まずはこちら、シリーズ第1作の『殺竜事件』から行ってみよう。

 本作は、2000年6月に発売になった作品で、大変失礼な言い方で申し訳ないのだが、上遠野先生の『ブギーポップ』シリーズの人気の最盛期で、間違いなく当時の電撃文庫の不動の4番バッターだった頃だ。なので、わたしの大嫌いな講談社からこの作品が発売されたときは、本当に腹立たしく思ったのだが、読んでみるともう最高に面白くて、くっそう、面白れえ……ぐぬぬ……!! と憤死寸前だったことをよく覚えている。
 で、物語はというと、タイトル通り、今世界に7匹棲息するとされる「竜」のうちの1匹が死ぬという事件が起こり、その謎を解くミステリー(?)である。その謎に挑むのは、以下の3人組で、直近で「竜」に面会した記録の残っている、容疑者と思われる人々のもとを訪れて、話を聞いていく展開である。
 ◆ED:本名はエドワース・シーズワークス・マークウィッスル。世界に23人しかいない、「弁舌と謀略で歴史の流れを抑え込む」と言われる七海連合の特殊戦略軍師「戦地調停士」の一人。常に仮面を着用している男。ヒースとは子供のころからの親友。「オビオンの子供たち」の生き残り。本人曰く、本職は「界面干渉学」を研究する学者。
 ◆ヒースロゥ・クリストフ:本来はリレイズ国の軍人だが、七海連合に出向している少佐。いくつもの勇名を馳せる世界的な有名人。世界最強の戦士の一人。リーゼとはかつて同じ国際学校で学んだ友人。朴念仁。EDは、ヒースを「世界の王」にしようと思っている。
 ◆リーゼ・リスカッセ:カッタータ国の特務大尉。女性。常識人でありEDの奇行・言動に振り回される役回り。ただし、肝の据わった精神的にも肉体的にも非常に強い女性であり、密かにヒースのことが大好き。
 ◆容疑者(1):聖ハローラン公国「スケノレツ」卿
 聖ハローラン公国というのは、このシリーズで何度も出てくる、この世界に存在する大国なのだが、まず3人はこの国へ行く。だが、竜に面会したとされる「スケノレツ卿」は半年前になくなっていることが判明。代わりに、「ハローランの塔に住むとても美しい姫」と半ば伝説化されている「月紫姫」と面会。ハローランの政治的内情を知ることになり、「月紫姫」は一つの決断を下すことに(事件には何の関係もない)。姫は第3作『海賊島事件』で再登場する。
 ◆サロン(宿屋)「水面の向こうがわ」にて情報収集
 3人が次に向かったのは、情報交換の場として有名な港町ム・マッケミート。そこで、サロンを経営するナーニャ・ミンカフリーキィとその娘ソーニャに会いに行く。この母娘の「ミンカフリーキィ」は「暗殺王朝」として有名なレーリヒという国に仕えていた「ザイラス公爵」の末裔で、情報やとしても有名な存在。ここでEDはすべての竜が現在棲息する地を記した「地図」を入手する。また、このサロンは「界面干渉学」の情報交換の場でもあり、いろいろな「この世界に流れ着いたもの」が取集されていて、我々の世界の車や拳銃などもある。また、EDの仮面を製作したのがナーニャであることも語られる。
 ◆容疑者(2)海賊島の領主「ムガントゥ三世」
 この世界での一大歓楽地として有名なソキマ・ジェスタルス島。別名「海賊島」。ここの三代目は一切世間に顔の知られていない謎の男だが、殺された竜に面会した記録が残っていたことから「海賊島」へやってきた3人。そこで出会ったタラント・ゲオルソンとのギャンブル勝負でリーゼが大活躍。それを見張っていたムガントゥ三世は、リーゼを気に入り三人の前に姿を現すのだが――。ゲオルソンやムガントゥ三世は第3作の『海賊島事件』で再び登場する。
 ◆容疑者(3)名もなき空白の地に住む「竜」
 「竜」を殺せるのは「竜」だけか? と、現在生きている別の「竜」に会いに行く3人。ここでの竜との問答で、EDは一つの確信を得る。
 ◆容疑者(4)竜探しの「アーナス」
 竜との面会後、世界に存在するすべての竜をその目で直接視認するという夢をもっている冒険者のアーナス・ブラントと出会う(※竜を見たといううわさを流せば二日以内に必ず現れる男なので、偶然を装って出会うよう仕向けた)。そして3人は、次なる目的地「バットログの森」の道案内をアーナスに依頼する。
 ◆容疑者(5)バットログの森の「ラルサロフ・R」
 3人+アーナスの一行は、300年前にリ・カーズとオリセ・クオルトという二人の超絶魔導士が戦い、その影響で魔法汚染されてしまって生態系に異常をきたしている「バットログの森」へ。殺された竜の面会記録の住所欄に、バットログの森に住むとされる人物の名前があったからだ。そして「ラルサロフ」と出会う。彼は「暗殺王朝」レーリヒの血を継ぐと自称している暗殺者で、EDたちの捜査を妨害するために雇われた刺客だった――。
 ◆容疑者(6)戦士の中の戦士「マーマジャール・ティクタム」 
 最後の容疑者は、「世界最強の男」として名高いマーマジャール・ティクタム。最新刊『無傷姫事件』にも登場する戦士。ヒースよりも戦闘力では凌駕する。わたしはこの人のことをすっかり忘れていたので、『無傷姫』を読んで電撃的に思い出したのだが、やっぱり、この第1作目の『殺竜事件』では、無傷姫についての言及はなかったすね。いずれにせよ、EDはマーマジャールとの対話で、事件の真相に気づく。

 というわけで、本作は犯人捜しのミステリーなので、ネタバレにならないように書いてきたつもりだが、たぶん、わたしのこの無駄に長い文章を読んでも、物語の面白さには一切影響ないと思う。非常に面白いので、ぜひ読んでいただきたい。たぶん、この作品だけでも十分に面白く、いつもの「上遠野ワールド」の基礎知識はいらないと思うな。ほんと、16年前に出版された小説だけど、改めて読んでみて、その面白さを再認識しました。最高です。

 というわけで、いい加減、もう結論。
 上遠野浩平先生は、確実に日本小説界の中でTOPクラスの実力を持つ最強の小説家の一人であろうと思う。そして、先生が2000年に書いた本作『殺竜事件』は、その代表作の一つであり、その面白さは私が保証します。ええ、何の保証にもなってませんが。以上。

↓ シリーズ2作目はこちら。紙の本が出たのが2001年。15年ぶりに読んだけど、ホント面白い。

 というわけで、先日まとめて買った上遠野浩平先生の作品をあらかた読み終わった。今日取り上げるのは、今年の2月? あたりに出た新刊で、もともとは講談社の「メフィスト」というまったく売れてないと思われる小説雑誌に掲載された作品で、6本の短編とそれぞれの短編をつなぐちょっとした幕間が描き下ろしで追加されているものであった。
 タイトルは『彼方に竜がいるならば』。まあ、上遠野先生の作品を読んできた人ならば、なんとなく想像がつくだろう。本作は、すべて「事件シリーズ(あるいは「戦地調停士シリーズ」)」と呼ばれる上遠野先生の作品群と、デビューシリーズである「ブギーポップポップシリーズ」 の夢のクロスオーバー作品であった。結論から言うと、超面白かったす。

 6つの短編は、全て現在の我々の住む日本、が舞台で、「戦地調停士シリーズ」の異世界ではない。が、全て、今までの「戦地調停士シリーズ」とつながっていて、まあ、向こうの異世界からこちらへ漂着した「魂」?めいた存在が、こちらの世界の人々に影響をもたらすお話、と言っていいのではないかと思う。具体的に言うと、6つの短編はそれぞれ次のようなものになっていた。
 ◆『ドラゴンフライの空』
 『殺竜事件』に繋がる話。ビルの屋上で、飛び降りようとした女性が、先日この世で亡くなったミュージシャンの幽霊に出会う話。しかし、その幽霊は、どうやら同時期に異世界で死んだ「竜」と融合しているらしく――的なお話。
 ◆『ギニョールアイの城』
 『紫骸城事件』に繋がる話。謎の死に方をした男の調査にやって来る雨宮世津子(=ブギーポップシリーズでお馴染みの「リセット」)。その男の死に様は、空から落下してきた「何か」に貫かれたものだった。そしてその「何か」とは、異世界の「紫骸城」の破片らしく――的なお話。
 ◆『ジャックポットの匙』
 『海賊島事件』に繋がる話。木村陽子の物語(※木村陽子=第1作目『ブギーポップは笑わない』に出てきた木村明雄くんの妹)。その精神的な同一性からか(?)、『海賊島』のムガンドゥ(?)と会話できるようになってしまった彼女は、その指導の元、超一流ギャンブラーとして勝負に挑むが――的なお話。
 ◆『アウトランズの戀』
 『禁涙境事件』に繋がる話。土に埋まっている姿で発見された男の赤ん坊。彼の舌の付け根には「あちらの世界」の高度な「防御魔法」の刺青が刻印してあり、成長した彼は統和機構の観察対象になるが、やがて一人の女性と恋に落ち――的なお話。
 ◆『ヴェイルドマンの貌』
 『残酷号事件』に繋がる話。モデルの女性がひょんなことから手に入れた「仮面」。その仮面は、人の悪意を吸収する能力があり、どうやら『残酷号』で語られた「ヴェイルドマン計画」のアレらしく――的なお話。
 ◆『ドラゴンティスの雪』
 『無傷姫事件』に繋がる話。とある男女二人組が手にした紙。そこには謎の紋章が刻印されており、どうやら「竜の委任状」らしく、なんでもOKな無敵パワーを手に入れた二人だったが――的なお話。

 という感じに、シリーズを読んできた人なら興奮間違いなしのお話であった。
 どれも、こちらの世界では解析不能な、向こうの世界の魔術と呼ばれるものや呪詛といったものが事件の根幹にあり、それをリセットが調べに行く形式になっているが、さすがにリセットさんは、原理は分からなくても危険なものは危険、だけれど、危険でないなら放っておく、というプロ意識の高いお人なので、読んでいて大変面白い。まあ、言ってみれば、逆・界面干渉学、ですな。
 で、これら短編をつなぐ幕間には、毎回「ブギーポップ」がいつものようにしれっと登場して、各短編のキャラクターが、「世界の敵」なのかをチェックし、結局、やれやれ、僕の出番はないようだな、と去っていくという展開になっていて、大変ファンとしては面白い。

 というわけで、わたしは読んでとても面白かったわけだが、が、しかし、である。
 これはもう、どうにもならないのだが……完全に一見さんお断りの世界になりつつあり、上遠野先生の面白さは、どうしてもやはり、すべて読んでいないと存分には味わいきれないという、極めて残念な特徴がある。これはなあ……どうにもならないよなあ……そこが非常に残念で、なかなか人にお勧めしにくく、本作も、いきなりほかの作品を知らないで読んで、おもしろいのかどうか、実際のところさっぱりわからない。ちょっと無理、だろうな……。
 こういう点は、実はわたしの愛するStephen King氏の著作にも、ちょっとだけ当てはまることで、King氏の作品でも、一部の作品は、長大な『The Dark Tower』シリーズを読んでいないと分からないようなところもあるのだが、おそらくKing氏は意図的に、読んでいなくても大丈夫なように書いていて、基本的にはシリーズを読んでいなくても大丈夫、だけど、読んでいればより一層面白い、というように書いてくれているので、かなり一見さんのハードルは低く設定されている。これはおそらく、エージェントや編集者からの配慮なのではなかろうか。「King先生、オレはもう最高だと思いますけど、ここはちょっと、知らない人には全然通じないっすよ」という指摘が入るんじゃなかろうか。そんなことないかな? どうなんだろうなあ。
 つまり、何が言いたいかと言うとですね、上遠野先生の担当編集は、もうチョイ、一見さんでも読めるようにした方がいいんじゃねえかしら、という、まったくの大きなお世話を感じてしまったという事です、はい。せっかく、日本最強レベルの小説家なのに、イマイチ知名度が低いのは、この一見さんハードルが高すぎるからだというのは間違いないとわたしは思う。実にもったいない。ホント残念だ。

 というわけで、結論。
 上遠野先生による『彼方に竜がいるならば』という作品は、上遠野先生のファンなら絶対に面白い、と唸るはずだと思う。けれど、読んだことのない人には、さっぱりわからんのではないかと思うわけで、実に残念です。はーー何とかならんものか……以上。

↓ と言いつつ、わたしも実は上遠野先生の作品を全部読んでいるわけではありません。例えばこっちのシリーズはまだ全然読んでません、なぜなら、祥伝社が嫌いだからです。
 

 はー。くそう。妙に忙しい。
 というわけでまったく書くネタがないので、今朝、電車の中で読み終わった作品を取り上げる。
 おととい、ここでも取り上げた、わたしが大ファンの作家、上遠野浩平先生の、2007年の作品になるのかな? その作品の存在は前から知っていたけど、わたしの大嫌いな講談社から出ているので、なんとなく今まで読んでいなかったのだが、先日『無傷姫事件』を読んで、やっぱり上遠野先生の作品は全部読まないとアカン、と認識を新たにし、おととい、電子書籍を買ってみた作品が、『酸素は鏡に映らない』という作品である。

 恐らく、上遠野先生の作品をずっと読んでいる人には、このタイトルからして、ははあ、アレか、と思い当たることだろうと思う。わたしも実際、このタイトルを見て、「お、これはひょっとすると……」と予想したのだが、まさにその通りの物語であった。
 上遠野先生の『ブギーポップは笑わない』という作品は、先生のデビュー作であり、また、現在のライトノベルの市場を形成するにあたり多大なる貢献をしたのは間違いない。そのことは、3月に、このBlogでその「ブギーポップ」シリーズの最新作を読んだときに書いた通りだが、「ブギーポップ」シリーズには、「オキシジェン」というキャラクターが出てくるのである。確か、わたしのあまり当てにならない記憶によると、シリーズ11作目かな? 『ジンクス・ショップへようこそ』という作品で出てきたキャラクターで、それ以降何度か登場していたと思う。シリーズの中でかなり重要な人物で、「統和機構」の「中枢(アクシズ)」であり、どうやらその役割は終わりつつあって、次の「中枢」を担う者を探している(?)というキャラクターだ。そして、その候補者として、第1作目から我々読者にはお馴染みの、通称「博士」、本名・末真和子ちゃんが選ばれる――と、当時大興奮の展開となったわけで、とにかく、「酸素」と聞けば、我々上遠野先生のファンは、「ははーん。オキシジェンの話だな?」と想像がつくわけである。
 というわけで、ここまで、私が何を言っているか分からない方は、以下を読んでもまったく無駄ですので。さようなら。

 で。分かる人は、まあ大半の方は既に本作『酸素は鏡に映らない』を当然のように読んでいると思うので、これまた以下を読んでも、たぶん、超今さらです。わたしも、さっさと読んでおけば良かった、と実に後悔している。なぜなら、非常に面白かったからだ。

 物語は、とある小学生・健輔が、公園で偶然(?)、オキシジェンと出会うところから始まる。クワガタが飛んでいるのを追いかけてきた小学生、ブランコに止まったので、獲ろうとすると、そこには男が座っていた。まったく気が付かなかったことに驚く健輔。だが、我々は彼を知っている――!! その存在感のなさは、まさしく「オキシジェン」。クワガタが欲しい健輔は、問いかける。
 「その虫――えと、あなたのですか」
 そんな馬鹿なと自分でも思う健輔。犬や猫じゃあるまいし、と思いながらもつい聞いてしまった彼に、オキシジェンは答える。
 「……ふたつにひとつ、だ。」
 「え?」
 「欲しいものをあきらめるか、それとも死ぬか……どっちがいい……?」
 こんな出会いから二人の物語が始まるわけで、このあと、元売れっ子俳優の青年・守雄と、健輔の姉の絵里香が登場し、三人はオキシジェンの言葉を元に、謎に包まれた「エンペロイド金貨」を調べ始めるという展開である。この「エンペロイド金貨」というのは、後の作品『螺旋のエンペロイダー』にも出てくるのだが、どうも初めて出来たのはこの作品なのかな? わたしは、逆に後の『エンペロイダー』の方を先に読んでいたわけで、おっと、ここで出て来るんだと驚いた。
 そして、たぶん本作で一番の特徴は、元売れっ子俳優の守雄が出演していた、変身ヒーロー番組のストーリーが、時折ゴシック体で記述される点であろうと思う。これがまためっぽう面白い。この番組観てみたいわ、と思わせる面白さで、しかも本作のストーリーにも関係していて、非常にイイ。
 そもそも、上遠野先生は、デビュー作の『ブギーポップは笑わない』を書くときに、「変身ヒーローモノ」を書こうとした、と、どっかで語っていたと思うが、確か、上遠野先生は仮面ライダーが大好きだったはずだ。その「変身ヒーロー」番組の主役をやっていた青年を登場させたのは、そんな背景もあるのだろうか。つか、上遠野先生が書いた特撮ヒーロー番組が見たいですな。きっと凄まじく面白いと思うのだが。わたしも仮面ライダーが大好きなので、本作は非常に楽しめた。

 あと、本作のキモとなるのは、やはりオキシジェンと健輔の会話にあるのは間違いないけれど、これがまた非常に、なんとも説明しがたく、これはもう読んでもらうしかなかろうと思う。ある意味哲学的な問答なのだが、わたしが非常に驚いたというか、そうなんだ、と思ったのは、オキシジェンは健輔との対話を「楽しんでいた」のである。健輔のどこに、オキシジェンは惹かれたのか。これは非常に難しい。健輔は普通の小学生であり、ひょっとしたらそういった子供の素直さに興味を持ったのかもしれない。しかしそうなると、別に誰でも良かった可能性もあり、健輔ならではのポイントがあったはずなのだが、残念ながらわたしには、これだろうという決め手になる部分は分からなかった。以下、オキシジェンと健輔の、最後の会話部分だけ、記録として引用しておこう。
 「どうでもいい子供……自分はそういうものだと、思うか……?」
 「え、そりゃあ、だって、おれみたいな小学生なんて、どこにだっているし」
 「そこにでもいると、意味はないのか?」
 「意味ないってことは、ないだろうけど――でも、やっぱり大したことはないよ。だってさ、世の中にはもっとこう、すごい人とかがいてさ、みんなからも認められてて、そんでもって――」 
 「…………人間は、わかりやすい意味に突き動かされて、生きている……力のため、美のため、富のため……そういうものに意味があると信じている……しかし、そのどれもが人間の錯覚にすぎないとしたら……そうそれこそどうでもいいものなのだとしたら……そして……自分が望んでいたはずのものを手にしながらも、なおも不幸であり続ける人間が後を絶たないこの世界に……その真の意味がどこにあるのか、見つけられた人間はまだ存在していないのかもしれない……だから人は求める」
 「……って何をさ? だからさ――あんたはおれに何をさせたいんだよ? おれなんか、なんにもできないよ」
 「いや――もう、してもらったよ。君にはもう充分なことをしてもらった。僕は――君に会えてよかった。あるいは僕にとっては――君が、求めていたものだったのかもしれない……」
 「な、なんのことだよ? おれ、なんかしたかなあ?」
 「酸素と、同じだ……それが必要だったと、思い出せた――人であったことの、これが最後の……想い出だ。君と、とりとめのない話をして、なんとなく楽しかった……それだけだ」
 「は?」
 「それだけだが、それでも……続けてきた意味があった、と思う……」
 「続けた? って何を? ……えと」
 ここでもう、オキシジェンの姿は健輔の目には映らなくなって姿が消えてしまう。
 この部分だけ呼んでもまったく意味不明だろうけれど、一体おどういうことなのかは、本作を読んで、いろいろ考えてみると大変面白いと思う。まあ、わたしには良く分かりませんでしたが、一応、いろいろ想像はつくわけで、そういった、書かれていないことをぼんやり考えることこそ、読書の醍醐味かもしれないすな。

 というわけで、結論。
 本作『酸素は鏡に映らない』は、上遠野先生のファンならばやっぱり読んでおいた方がいいですな。そして完全に一見さんお断りの世界なので、本作だけ読んでもまるで意味不明なのではなかろうか。なお、ラストに、大学生になった末真博士が――既に「カレイド・スコープ」の護衛のついた状態で――出てきます。たぶん、一連のシリーズの時間軸的には、かなり後半だと思う。なので、その意味でもかなりシリーズにおける重要度は高い作品だと思います。しかし……ホントに上遠野先生は、現代日本の作家の中で、確実にTOPクラスの天才であり、また、現代日本の思想界におけるTOPクラスの哲学者ですよ。最高です。以上。

↓さて、次はコイツを読むか……。

 以前も書いた通り、わたしはライトノベルでもまったく躊躇せず手に取り、読む男だが、中でも、最強レベルに別格の天才だとわたしが思っているのが、上遠野浩平先生である。
 3月に、上遠野先生の代表作である『ブギーポップ』シリーズの最新刊を読んで、やっぱ最高に面白い、つか、もう電子書籍で全巻買い直してくれるわ!! と調子に乗って、とりあえずその時は、電撃文庫の作品を全巻買ったものの、実はその時、こっちはどうしよう……と悩んで保留してしまったシリーズがある。
 それは、講談社ノベルスから出ている『事件シリーズ』という作品群なのだが、こちらもめっぽう面白く、わたしは大好きである。が、この時、わたしは重大な、きわめて罪深い過ちを犯してしまった。な、なんと、今年の1月に、その『事件シリーズ』の最新刊が発売になっていたのに、全く気が付かずスルーしてしまっていたのだ!!! 何たる愚か者か!!! 実に自分が腹立たしい!! というわけで、先週の末に、「げええーーーッ!? こ、これは新刊!? 嘘だろ!? ドッゲェーーーッ!! なんでオレは買ってなかっただァ―――ッ!!」と、激しく動揺し、即購入し、読み始め、こ、これは超傑作だ!!! と感動に打ち震えることとなったのである。その新刊のタイトルは――『無傷姫事件』。今年読んだ小説で現状ナンバーワンです。いやあ、本当に上遠野先生は天才だと思う。超最高に面白かったです。
 なお、以下、シリーズを知らない人は、わたしが何を言っているかさっぱりわからないと思うので、たぶん読んでも無駄です。さようなら。

 はい。シリーズを知っている人は続きをどうぞ。
 しかし……わたしとしては大変に盛り上がったわけで、その興奮をとりあえず書いてしまったわけだが、『事件シリーズ』の新刊は約7年ぶりになるのかな。だいぶ間が空いてしまっていて、登場人物など細かいことは結構忘れている。が、それでも今回の新刊『無傷姫事件』は大丈夫、と申し上げておきたい。
 冒頭、シリーズの主人公(?)たる「戦地調停士」のEDがとある地方に調査にやってくるところから始まる。それは、「無傷姫」と呼ばれた、とある国家元首の調査で、「無傷姫」が代々保持しているという噂の「竜の委任状」の存在をEDは確認しに来たのだが、その調査は、4代続いたそれぞれの「無傷姫」の生涯を紐解く作業であった――的なお話でした。
 ところで、わたしは完璧に忘れていたけれど、今、Wikiをチェックしてみたら、この「無傷姫」という存在は、シリーズ1巻目の『殺竜事件』でも言及されてる存在なんですね。そうなんだっけ? もう全く記憶になかったっす。すげえなあ。だって、『殺竜事件』が出版されたのって……ええと、2000年の話だぜ? 16年目の伏線回収と言っていいのかもしれない。いやあ、本当に興奮します。そして、完璧にそんなことを忘れていたわたしでも、まったくもって大変に楽しめました。
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 ※2016/08/04追記:現在、シリーズの最初からまた読み直しているのですが、上記の情報はサーセン、ウソでした。第1作には、マーマジャール・ティクタムは明確に登場するけれど、「無傷姫」に関する言及は一切ありませんでした。ホントサーセン。
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 キャラクター的には、EDや「風の騎士」ヒースロゥ、レーゼ、それから「ミラル・キラル」の二人といった、今までのお馴染みのキャラも出てくるけれど、本作は、70年ほど前の初代「無傷姫」の誕生からの、この世界の歴史を過去から順に追うものなので、基本的な時制は過去で、現在のEDたちは章の合間にチラッと出てくるだけです。そしてEDの過去的な部分もちらっとほのめかされるというか、垣間見えて、そりゃあもう大興奮ですよ。
 で、なにより興奮するポイントとしては、わたし的には大きく分けると3つあった。

 1)初代「無傷姫」
 上遠野先生のシリーズを読んできた我々には、300年前に「リ・カーズ」と「オリセ・クォルト」の超絶大喧嘩があったことは大変おなじみだと思いますが(さすがにわたしでもこれは覚えてた)、な、なんと、ですよ、初代『無傷姫』は「オリセ2号」として開発された合成人間なのです。これは、もう冒頭すぐに分かることなので、ネタバレですがいいよね? その、オリセ2号=オリセの妹、とされる合成人間が、現在時制から約70年前に、とあるきっかけで封印から目覚めるところから物語は始まるのだが、この設定だけで、我々ファンは白米3杯いけますね。のっけからもう大興奮。そしてそのキャラ造形が恐ろしく上遠野先生の描くキャラそのもので、実にイイ!! そして初代の跡を継ぐ3人の「無傷姫」もそれぞれ全く違うキャラクターで、読んでいて大変わくわくした。
 初代は合成人間、2代目は生真面目な少女、3代目は自由奔放な少女、そして4代は自分を持たない少女。それぞれがそれぞれの時代の「無傷姫」を演じ、務めるその生き方は、読んでいて大変爽快であり、かつ、非常に感動的とすら言える生き様だったと思う。
 そして、各「無傷姫」のイラストも大変素晴らしいと思う。このイラストを担当したのは獅子猿氏。もうキャリアもかなり長いベテランの方だが、非常に各姫のキャラクターを表す姿で、髪型や服装のデザインもとても特徴があって、完璧な仕事だと思う。もし、『殺竜』の金子一馬氏だったらと想像しても、今回の獅子猿氏のイラストは決して引けを取らないだろうし、極めて美しくカッコ良いと思った。素晴らしい。

 2)七海連合誕生秘話&戦地調停士誕生秘話
 このシリーズの主人公EDの所属する組織が「七海連合」だが、その創設秘話が本作では語られる。ただ、秘話と言っても、非常に成り行きで、じゃあそういう組織を作っとくか、名前もなんかカッコイイし、みたいな実に緩い(?)成り立ちで、この部分も非常に面白いと興奮した。その創設者たるユルラン・ヤルタードという人物も今回たぶん(?)初登場で、しかも彼は「無傷姫の天敵」と呼ばれる存在だったことが明かされる。でも、ユルランはあえてその通り名を世に広めていた的な秘密が非常に興味深かった。彼の根本的な望みは、「強いということがどういうことなのか」を知ることであり、生涯、初代無傷姫ハリカ・クォルトの謎を追求しようとしていたわけで、そのための資金稼ぎのために「ヤルタード交易社」を設立し、後にそこから3代目のマリカ姫に、勧められて作った集団が「七海連合」となる。「七海連合」の名付け親は、その3代目マリカ姫だったことが語られる部分は非常に爽快と言うか、そうだったんだ、そう来たか、と痛快でありました。
 そして、「戦地調停士」という職業(?)も、ユルランが設定したもので、第1号調停士となったハローラン・トゥビーキィも、その名から想像できる通り、今までシリーズに何度も出てきた「聖ハローラン公国」の第17王位継承者たる皇子で、元々王族に嫌気がさして音楽を作っていた変わり者で、ユルランの紹介で3代目マリカ姫と対面してからこの物語に登場するのだが、出番は少な目だけれど非常にキャラが立っていて、これまた大変に上遠野キャラ成分濃厚で良かったと思う。

 3)今まで名前だけ出てきたキャラが何人か登場&初登場キャラがイイ!!
 もう、いろいろめんどくさくなってきたので、キャラをずらずらあげつらってみようと思う。
 ◆バーンズ・リスカッセ大佐 :シリーズのファンならわかりますよね? リーゼのおじいちゃんがまだ若い頃の姿で初登場!!
 ◆オース・クラングルタール博士:リスカッセ大佐とともに無傷姫に会いに行く。付け髭のなかなかいいキャラ。何を研究している博士かって? そんなの当然「界面干渉学」ですよ!! しかも「界面干渉学」の始祖だそうです。
 ◆ユルラン・ヤルタード・・・無傷姫の天敵として上に書いた通り、「七海連合」の創設者。
 ◆ハローラン・トゥビーキィ:漢字で書くと、「波浪蘭飛毘行」。上に書いた通り、聖ハローラン公国の第17王位継承者にしてユルランの親友であり、後に第1号戦地調停士になる。
 ◆ヒギリザンサーン火山:人ではないけど今まで何度か出てきた山の名前。今回、その噴火の当時の様子が語られる。かなり重要な事件。
 ◆人食い皇帝メランザ・ラズロロッヒ:暴虐な男。2代目無傷姫と会談をする。今まで何度か名前は出てきてる。
 ◆ダイキ中将:ラズロロッヒの部下だったが凡庸な男。後の「ダイキ帝国」はこの人の名前から来ていることが今回判明!!
 ◆マーマジャール・ティクタム:『殺竜』にでてきたあの人。「戦士の中の戦士」という最強の男。確か、「竜」と喋れたり出来たんじゃなかったっけ? 今回、彼がまだ少年の頃に、2代目無傷姫と出会うシーンがあって、わたしはもう大興奮!!
 ◆オピオンの子供たち:人の名前ではないけれど、EDもまさに「オピオンの子供たち」の出身。今回、「オピオンの子供たち」にはどのような事が起きたのかが少し触れられる。

 はーーー。全然まとまらない散らかった文章になってしまったが、最期に一つだけ、ちょっと記録として残しておきたいことがある。それは、今回のエピローグ、エンディングが、上遠野先生の作品としては最高レベルにさわやかで、温かいのだ。ちょっと感動すら覚えるぐらい、非常にグッと来るエンディングで、そんな点もわたしがこの作品を現状の「2016年ナンバーワン」に位置づけるポイントでもある。
 また、あとがきも、いつもの上遠野先生節が全開で炸裂しているけれど、非常に考えさせるもので、かと言っていつものような難解な話でもなく、とても面白かった。要するにですね、この作品は最初の1ページ目から最後のページまで、完全にもう素晴らしいということですな。ホント最高に面白かったです。

 というわけで、全然まとまりがないけど結論。
 『無傷姫事件』は、まあ、記憶がフレッシュだからだと思うけれど、わたしとしては「事件シリーズ」最高峰、と言いたい気分です。ので、本当にそうか、もう一度「事件シリーズ」全作品を電子で買って、読み直そうと思います。 とにかく面白かった。最高です。そしてそんな最高の作品を、出版後半年経って読むなんて、ホントにオレはもう抜かってたとしか言いようがありません。もっと頑張ります!! 以上。

↓ やっぱり、1作目の『殺竜』は面白かったなあ……電子で全部買う。もう決めた!!
 

 すっかり春めいてきたな、と思わせて今日の雨はなんなんだ。
 残っている仕事があるので今日も出社しているわけだが、ズバリ、飽きてきたので、日課のBlogを書いてしまおうという気になった。今日は、昨日読み終わった電撃文庫の3月新刊、『血翼王亡命譚I ―祈刀のアルナ―』である。
血翼王亡命譚 (1) ―祈刀のアルナ― (電撃文庫)
新八角
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
2016-03-10

  以前ここで書いた通り、電撃文庫が毎年募集している新人公募は、賞を獲った作品を毎年2月に発売しているのだが、今年は本作のように「銀賞」を獲った作品は3月の発売となったようだ。まあ、毎月のお小遣いが限られている少年少女に、賞を獲った作品を2月にまとめて刊行してしまっては、全部読んでもらえないことだろうから、発売月をズラしたのだろう。ま、それによって売上が上がるなら、作品にとってもいいことであるが、実際のところ効果があるのか、良くわからんですな。
 作品自体については、電撃文庫のWebサイトに、この作品の特集ページがあるので、まあ、そちらを見てもらった方がいいだろう。本作は異世界ファンタジーであり、独特の用語も出てくるので、予習しておいても害にはなるまい。わたしはまっさらな状態で読んだのだが、うーーん……結論から言えば、新人としては非常に面白かったと言ってよいと思う。が、どうしてもやはり、いくつかの点で問題があり、「新人としては」という枕詞がなければ、後半部分でむにゃむにゃしてしまったのが惜しいと思う作品であった。
 わたしは、タイトルの「亡命譚」という言葉から、きっと、田中芳樹先生の名作『アルスラーン戦記』のようなお話で、ヒロインたる王女は、国を追われ、別の国へ流れて、そこで再び祖国を取り戻すために仲間を増やして、祖国奪還の戦いに挑むようなお話かな、と勝手に思いながら読んでいたのだが、全く違っていた。しかも、珍しくタイトルに「I」とあるのだから、シリーズとして続いていくことを想定しているわけで、恐らく今回は、何とか逃げ切ることに成功して、今回は逃げるしかなかったけど、今に見てろよ! と祖国奪還を決意するところまでかな、と思っていたのだが、これまた全く違っていました。

 わたしが思うことを、ここで指摘するにはネタバレざるを得ないので、もう気にしないで書いてしまうが、まず、構成をチェックしておくと、本作は「序」+1~6章+結という章立てになっているが、おおよそ次のような構成だと思う。
 【起】:序+1……世界観の説明、主人公(ユウファ)とヒロイン王女(アルナ)の紹介、主人公の師匠(ヘイダス)の紹介、物語の発端である儀式、儀式を邪魔しようとする勢力の襲撃、落ちのびるユウファとアルナ、襲撃者の一人に紛れていた少女(イルナ)との出会い。
 【承】:2+3+4……ユウファ+アルナ+イルナの3人での逃避行。イルナの依頼人である地方長官の領地を目指す。道中、各キャラクター説明や世界観の補足。
 【転】:5……味方かもと思っていた長官の裏切り、黒幕の判明。事件の全容把握
 【結】:6+結……事態の収束。
 という感じなので、一見、起承転結のまとまりはあるように思えるのだが、若干やはり「承」が長いのと、【転】【結】の唐突感もあって、微妙にバランスは整っていないようにも感じた。
 特に問題は、師匠の行動がさっぱりわからないことだ。師匠の動機は、この事件全体の根幹にかかわるものなので、もう少し周到な伏線や読者が納得できる背景が事前に提示されていてほしいのだが、それがないため、かなり唐突であるようにわたしは感じた。
 結果として【結】は、えっ? えっ!? えええっ!? と、物語の流れについていくのに、やや苦労したことを記録にとどめておきたい。この物語の鍵となる概念「言血」なるものが、なかなかイメージしにくいものであるだけに、描写されている場面を脳内で描くのに脳のリソースが取られているので、師匠の行動はなかなか理解が難しい。いや、実際のところ単純な動機なのだが、じゃあなんで? という疑問も生まれてしまい、すんなりとは腑に落ちなかった。また、師匠と瓜二つの双子の兄まで出てくるので、その分かりにくさに拍車がかかってしまっているようにも思う。このキャラクターは必要だったのだろうか? ちょっとわたしには何とも言えない。

 しかし、この作品は「応募原稿」であり、デビュー作なので、物語の構造や流れを刊行・発売までに手直しすることは事実上無理だろう。だからその点は、今回は問題にすべきではなかろうと思うのでこれ以上のツッコミはしない。ただ、もしわたしが担当していたら、必ず指摘したのではないかと思われる点が一つだけある。
 それは、各キャラクターのセリフだ。特に、わたしなら間違いなく、主人公ユウファのセリフに対して著者と話し合うだろうと思う。ユウファは、幼少期から武芸の訓練を受けた護衛官(作中では「護舞官」と呼ばれる)である。その彼が使う一人称が「俺」でいいのかどうか。勿論普段はいいだろう。しかし師匠や王女に対して「俺」でいいのか。この「俺」を使うことで、非常に物語が軽くなってしまっているように感じるのだが、気のせいだろうか? はっきり言って、ユウファの言葉遣いは教養を感じさせない幼さが前面に出てしまっている(作中では、護舞官は教養ある職業とされている)。加えていうと、この物語は基本的にユウファの一人称小説である。なので、「俺」がかなり頻繁に地の文でも出てくる。うーん……やはりわたしならセリフの「俺」は問題アリと指摘しただろうし、語りの視点も三人称の方がいいのでは? と作家と話し合ったことだろうと思う。この点は、100%編集の仕事と言っていいだろう。編集と作家との間でどのようなやり取りがあったのか知る由もないが、もう少し、本作をさらに面白くすることのできる余地があるのではないかと感じずにはいられなかったことも、記録に残しておきたい。ま、余計なお世話ですかね。わたしだって著者を説得できたかどうか、相当自信がないっすな。
 ほか、文体として、序盤は非常に装飾華美に感じたのだが(やたらと日常にない表現が多い)、これはすぐに慣れたというか、中盤以降は全く気にならなくなったので、まあ世界観を彩るために必要な舞台装置の一部と見做すことで、問題なしとしておきたい。
 
 というわけで、結論。
 いろいろ口うるさいことを指摘してしまったが、本作は電撃小説大賞の銀賞の水準には明確に到達しており、十分以上にきっちり書かれた作品だと思う。わたしがうるさく言うのは、基本的には作家に対してではなく、担当編集に向けてだ。これはどうでもいいことだが、電撃文庫のはほぼ必ずあるはずの「あとがき」がないことも少し驚いた。うーん……ページの都合か? とも思ったが、巻末のADをやりくりすれば2Pは入れられたはずなんだが……もう少し、なんとかなったのでは? という点が目立つような気がしました。以上。

↓ 今、このシリーズを読み始めてます。とあるお姉さまに是非お読みなさいと勧められたので。面白いっす。

 今現在、たいていの本屋さんには「ライトノベル」と呼ばれる中高生向け小説の棚がきちんと設置されている。すっかり市民権を得たというか、「ライトノベル」という言葉が通じてしまう世の中になった。もちろん、おそらくは50代以上には通じないとは思う。なぜなら、そもそもは1980年代後半から1990年代にかけて生まれたジャンルであるため、それが約25年前として、その頃既に大人だった人は知りようがないわけだ。逆に言うと、25年前に15歳だった人が今、40歳なのだから、少なくとも30代以下の人にとっては、おそらくは普通に知っているものであろうと思う。
 要するに、カバーにイラストが描かれている10代向けの小説と思っていただければいいわけだが、ありがたいことに、いまだに読み続けてくれている30代~40代も非常に多く、市場として、出版業界が厳しい中、今でもそれなりの規模を誇っているのが「ライトノベル」という小説ジャンルである。
 で。
 わたしはライトノベルに相当詳しい人間の一人であるという自負があるが、そのわたしが断言してもいいと思っていることがひとつある。それは、1998年に発売されたとある作品が世に現れることがなかったならば、今のライトノベルの隆盛(もちろんここ数年は落ち込んでいる)は、決して存在しえなかっただろう、ということだ。
 その作品の登場によって、ライトノベルのナンバーワンレーベルである「電撃文庫」の今がある。その作品の大ヒットがなければ、確実に、「ライトノベル」そのものが、もちろん存在はしていたかもしれないが、今のようにどこの本屋さんでも棚が造られるほど、世に認知されることはなかった。それはもう、コーラを飲んだらげっぷが出るのと同じように確実な事実であると断言する。 
 その作品とは、上遠野浩平先生による、『ブギーポップは笑わない』という作品だ。
 1998年2月に発売された作品なので、正直、今読むとやや古い。あの当時はまだ携帯もそれほど普及していなかったし(当時わたしはポケベルから進化してPHSを使っており、携帯に移行するまさにそのあたりの時期) 、インターネットも、既に存在していたけれど、まだまだ原始的なWebサイトしかなかった。amazonだってまだ日本でのサービスは開始していないし、googleマップなんてまだない時代である。しかし、そういった時代を反映する小物類は古いかもしれないが(なにしろ主人公の女子高生はルーズソックス着用だ!)、物語としてはまったく色褪せないものがあり、実際、今読んでも非常に面白い作品である。
 『ブギーポップは笑わない』という作品が真に偉大な点は、例えば、それまで異世界ファンタジー主体だったライトノベルに、現代の現実世界を舞台として導入したことなど、実はいろいろあるのだが、わたしが最も重要というか、最大のポイントだと思っていることは、「普通の大人が読んでも非常に面白い」点にある。要するに、小説としての完成度が抜群に高いのだ。しかもデビュー作である。電撃文庫は、この才能を得たことを永遠に感謝し続けるべきだと思う。1998年からすでに18年が経過したが、いまだに『ブギーポップは笑わない』よりも小説として優れた作品はないと思う。この点は自信がないので断言しないが、たぶん、わたしと同じぐらい小説を読んでいる人ならば同意してもらえるような気がする。
 そんな『ブギーポップ』だが、もうすでにシリーズとしては20冊近く刊行されていて、おそらく今から新規読者を獲得するのは難しいかもしれない。さらに言えば、上遠野先生の作品はどのシリーズでもちょっとしたつながりや明確な関連があり、その全貌を理解するのは全作品を読まないといけない。しかし、タイトルに『ブギーポップ』とついていない作品も含めるとその数は40冊近くなる。そんな点も、新規読者には障壁となってしまうだろう。去年だったか、とうとう電子書籍での刊行も始まったので、わたしはこの期にすべて電子で揃えようかと考えている。まだ実行していませんが。
 というわけで、またいつものように長くなったが、以上前置きである。
 今月、電撃文庫より『ブギーポップ』の久しぶりの新刊『ブギーポップ・アンチテーゼ オルタナティブ・エゴの乱逆』という作品が刊行されたので、わたしは喜んで買ってさっそく読み、うむ、やはり上遠野先生は すごい、そして『ブギーポップ』はライトノベル最高峰の作品であろうという認識を新たにしたわけである。
ブギーポップ・アンチテーゼ オルタナティヴ・エゴの乱逆 (電撃文庫)
上遠野浩平
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
2016-03-10

ブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))
上遠野 浩平
メディアワークス
1999-06

 というわけで、今回の新刊について少し感想を書き留めておきたいのだが、既にさんざん前置きで書いた通り、『ブギーポップ』シリーズは巻数も多く、登場人物もかなり膨大でわたしもはっきり言って「コイツ誰だっけ?」と思うぐらいだし、話もかなり忘れかけているので、詳しい説明はもうあきらめることにし、あくまで新刊の話だけに絞って書こうと思う。
 今回のお話は、「カミール」こと織機綺(おりはた あや)をめぐる、統和機構に属する二つの勢力の争奪戦である(もう、統和機構って何? とか、カミールって誰? という説明はしません。シリーズを読んできた人にはおなじみの言葉)。どうやら、カミールはこれまでは「無能力」として放置されていたのだが、実はその「無能力」こそが重要で、「合成人間を人間に戻すことができるかもしれない存在」として、二つの陣営はカミールを確保したがっているという状況である。そこに、綺の恋人たる正樹くんも巻き込まれていくという展開なのだが、今回はある意味シリーズ最強のキャラクター、綺の保護者であり、正樹くんの腹違いの姉である「炎の魔女」こと霧間凪は登場しない。この戦いの趨勢は、いつもの通り読み応え抜群で大変面白かったし、今後の綺の立ち位置も、これまでとは決定的に変わってしまうところで終了である。
 実のところ、上遠野先生の作品は、思想としてあるいは哲学として極めて興味深い記述が多く、おそらくわたしがこのシリーズを大学生当時に読んでいたなら、この思想について、本気で論述して卒論を書いたかもしれないとさえ思う。上遠野先生の人間に対する観察眼は非常に厳しく、示唆に富んだ指摘が多く、また、その指摘は極めて鋭い。その思想は小説として描かれているので、前面に出てくることはないが、おそらく現代日本においてTOPクラスの思想家ではなかろうかと思う。中沢新一先生あたりが本気で論述してくれたら面白そうなのだが、もはやわたしにとって上遠野先生の作品は、ある種の哲学書として楽しむべきものと認識している。
 今回、問題となるのは、タイトルにある「オルタナティブ・エゴ」というものだ。作中では、シリーズ随一の頭脳の持ち主としておなじみの末真和子と、前述の「炎の魔女」霧間凪の会話(を綺が思い出す回想シーン)で以下のように説明しされている(P.123)。
「とにかくオルタナティブ・エゴよ。我を張るくせに、そこには自分がなんにもないのよ。そういう例よ、それって」
「それってあれだろ、もう一人の自分とかそういう意味だろ」
「それはアルターエゴよ。心理学でいう自己の分身って方。ここでのオルタナティブ・エゴっていうのは、代案とかもう一つの選択とか傍流とか、そういった方の意味。要は、"なんか別のもの"とかいうような感じ」
「もう一つの自分、ってなんだよ」
「自分ではないのに、自分になってしまっているものよ。そういうものが人間の心の中にあるってこと」
(略)
「まあ、俺なんかはエゴの塊だからな」
「でも凪のエゴは決して利己的なものではなくて、理不尽と戦うための武器になっている。誰でもない自分という誇りがある。そういうのが正しいエゴだとすれば、オルタナティブ・エゴは誰でもいい自分、とでもいうべきもの。それは縄張り意識だけがとても強くて、内面の充実をほとんど考慮しない――そして何よりも、嘘つき」
「ああ、親父が嫌いそうな話だな」
「気にするのはいかに責任を逃れるか、破たんを避けるかということだけで、自分が何かを生み出したいとか、達成したいとかいう夢がない。そういう形でのエゴ――意志なき傲慢。無思考の厚顔無恥。それがオルタナティブ・エゴ。目的が、単なる言い訳になっている……卑怯者の自己正当化よ」
 今回の事件の中で、綺はかつて末真さんから聞いた上記の話を思い出し、まさしく自分も、そして自分を狙ってくる勢力も、オルタナティブ・エゴにとらわれているのではないかと考え、そこからの脱出を決意する。それが今回のお話の筋である。
 この「オルタナティブ・エゴ」という概念は、わたしには非常に興味深いものだ。なにしろ、リーマン生活を続けていると、出会うのはそんな奴らばかりなのだから。どうだろう、要するに思考停止の木偶の棒、ってところだろうか? 与えられ植え付けられた価値観を自分固有のものと「勘違い」して、中身のない言動をとる。中身がないだけならまだましで、その空っぽな言動で他者を攻撃し、とにかく空っぽな自らを守ろうとする。そういう奴、いっぱいいるでしょ? ただ問題は、そういう空っぽ星人どもをどうすべきかという事で、だからどうする、が明確には語られていない。作品の中で描かれるのは、そのことに気付いた綺の行動だけである。だからその「だからどうする」については、参考例として綺の決断と行動を描くので、あとは自分で考えろ、というのが上遠野先生のスタイルである。また、上遠野先生は、おそらく、だからダメなんだという価値判断も下していない、と思う。もちろん上遠野先生は、作中人物の末真さんの口を借りて、「卑怯者」とネガティブ判定しているわけだが、上遠野先生お約束のあとがきを読むと、それが人間だもの、しょうがないよ的なある種のみつお的な諦念めいたものも感じられる。これは、哲学系・思想系の本で非常に良くあるパターンだ。想像するに、ちょっとカッコイイこと書いちゃったけど、オレもそんな立派じゃねえしな、という著者の迷いのようなものなのではないかといつもわたしは感じている。なので、わたしはちょっと安心したりするわけで、そういった思想をエンタメ小説という形で発表し続ける上遠野先生は、本当にすごい作家だと思います。

 というわけで、いつにも増してまったくまとまりがないけれど、結論。
 やはり上遠野浩平先生も、作品を通じて自らの思想を表現しているという点において、手塚治虫氏先生同様の天才であると思う。本作も大変楽しめた。が、あまりに長いシリーズなので、やはり電子書籍ですべて買い直して、最初から読み始めよう、そして、今後の上遠野先生の作品は必ず読もう、と心に誓ったわたしであった。以上。

↓ 上遠野先生のJOJO好きは有名だが、コイツは本当に超・傑作。素晴らしすぎて最高です。

 ライトノベル界におけるナンバーワンレーベルの電撃文庫は、「電撃小説大賞」という小説公募を毎年行っていて、その受賞作が毎年2月に発売になる。今月発売になった受賞作品は、第22回というから、もう22年、ずいぶんと長い時間が経ったものだ。というわけで、さっそく、まずは「大賞」を受賞した作品を買って読んでみた。タイトルは『ただ、それだけでよかったんです』という良くわからないもので、あらすじもチェックせずに、全くまっさらな状態で読んでみた。 
ただ、それだけでよかったんです (電撃文庫)
松村涼哉
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
2016-02-10

PVもあったので、ついでに貼っておこう。

 今、初めて上記のPVを観てみたのだが、プロモーション用映像として非常に良いと思う。しかし気になるのが、再生回数が今、2016/02/17の朝の現在で3,039回というのは、たぶん非常に少ない。恐らくこの作品は2万部以上は売れているのだろうから、こういうPVがその売れ数の10倍以上観られてもおかしくないはずなのだが……。きっと店頭販促などでも用いられていて、Web以外で流すために制作されたものかもしれないので、十分に役に立っていると信じたいのだが、ちょっともったいないような気がしてならない。ま、大きなお世話か。
 物語の大筋は上記PVの通りである。一人の中学生が自殺した。その遺書に書かれた「菅原拓は悪魔です。誰も彼の言葉を信じてはいけない」というメッセージ。基本的な物語の構造は、自殺した少年の姉が事件の謎を追う話と、悪魔と指名された菅原拓くんの独白とが交互に折り重なる形で構成されている。わたしはまた、湊かなえ先生の『告白』のような物語かなと思って読んでいたのだが、当然ながら全く別物でした。
 で。非常に興味深い作品であったのだが、いかんせん、おっさんのわたしにはリアリティを感じられない物語だ。ただ、それはあくまでわたしがおっさんだからであって、現役中高生には、ある意味ゾッとするような身近な話なのかもしれない。
 この物語の最大のキーは、「人間力テスト」というものにある。それは、主人公たちの通う中学校で各学期末に行われているもので、生徒が生徒同士を格付けしあうものだ。それが数値化されて、自分の学年内の順位がはじき出されるのだが、校長曰く「今の時代に必要なのは学力(学歴)ではなくコミュニケーション力」であるため、そんな「人間力テスト」を行うことにしたという設定だ。
 まあ、この時点でわたしのようなおっさんは、ふーーん……? と相当首をかしげることになると思う。実際、たぶんあり得ないと思うし、そんなテストには何の意味もないと、おっさんなら直感的に思うのではなかろうか。結局、数値化と言っても単なるアンケートで、得点ではなく順位が重要になってしまうものでは、そもそも「テスト」じゃあない。正解もないし。それに、おそらくは同数票の同順位がたくさん生まれるだけではなかろうか。上位10%ぐらいは票数が違うかもしれないけれど、下位は同着で固まってしまうはずだと思う。要するに単なる人気投票であり、まさしく格差を生むシステムそのものである「人間力テスト」なるものが公立中学で実施されるハズもないと、おっさんとしては思う。
 しかし、おそらく現役中高生には、深く共感出来てしまうのだろう。校内ヒエラルキーだの、いじめだのが実際に横行する現場に近い現役中高生には、ひょっとしたら身につまされるリアルな物語なのかもしれない。だとしたら、気楽なおっさんとしては、3年なんてあっという間なんで、しっかり勉強して、高校受験に集中した方がずっといいよ、とアドバイスしたくなってしまう。学校にいる時間だって、6時間程度だし、そんなのもあっという間なんだけどね。悩むことなんて何一つないということが、まああと5年もすれば分かることだし、リーマンになったらもっと恐ろしい毎日が待ってるわけなんだが……。それが分かれば苦労しないか。人間だもの、ね。
 というわけで、読み終わって思ったのはそんなことで、幸いにも楽しい中学高校生活を送ったおっさんには、正直理解に苦しむお話であった。もし本当に、現役中高生がこうした悩みに日々悶々としているなら、それはおそらく学校や社会というシステムの問題でなく、極論すれば家庭の問題なのではないかと思う。そして想像力の欠如。それが今、そこにある危機的な問題だと思います。
 そして、タイトルの意味は、最後まで読めばきちんと理解できます。が、わたしにはふーーん……という感想しかありませんでしたが。タイトルは、もうちょっと尖ったものにしても良かったような気もする……けど、まあいいのかな……。
 以上のような物語上の問題点というか論点は、もうこれくらいにして、一つ明確なポイントとして、もう一つだけ記録に残しておこう。恐らくこのような作品は、電撃文庫以外ではありえなかったのではないかと思う。ほかのレーベルでは全く論外だったのではなかろうか。作品としては非常に野心的(?)だし、作家の能力も十分以上に高いと思うけれど、この才能を才能として見出し、今後、磨いて行けるのは、電撃文庫ぐらいじゃなかろうか。まったく、流行のいわゆるラノベではない、ある種異彩を放つ作品を「大賞」に選んだ電撃文庫は、要するにそういうところがナンバーワンたる所以なんでしょうな。

 というわけで、結論。
 『ただ、それだけでよかったんです』という小説は、わたしの好みには全く合わないし、まだまだ粗削りで、直すべきところもいっぱいあると思うが、デビュー作として、光っているモノがあるのは間違いない。今後の活躍を心から願いつつ、新刊が出たら買って読んで応援したいと思います。以上。

↓ 次は「金賞」のこれを読んでみます。
ヴァルハラの晩ご飯 ~イノシシとドラゴンの串料理~ (電撃文庫)
三鏡一敏
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
2016-02-10
 

 電撃文庫は依然としてライトノベル界におけるNo.1レーベルだと思うが、毎月1冊か2冊買って読んでいるものの、最近は既に実績のある作家先生の続編や新作しか読んでおらず、まったくの新人の作品はほとんど手に取っていない。まあ、実際面白そうなものがないから、ではあるが、毎年2月にデビューする「電撃小説大賞」の受賞作ぐらいは読んでみるかとは思っている。
 で。今月の1月刊で買って読んでみたのは、『魔法科高校の劣等生』でおなじみの、佐島 勤先生による別シリーズ、『ドウルマスターズ』の3巻である。
ドウルマスターズ (3) (電撃文庫)
佐島勤
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
2016-01-09

 この作品シリーズについて、詳しくは公式サイトを観てもらった方が早かろう。勝手に引用していいのかわからないが、1巻目のあらすじを引用すると、こんなお話である。
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――『ドウル』。
 それは、パイロットの『超能力』を拡張させ、物理的な戦闘力へと変換する人型機動兵器である。
 新米ドウルマスター・早乙女蒼生は地球の貧しい都市機構『オートン』に所属し、姉の朱理と共に横浜ポリス軍と交戦していた。
 強力な敵機体から最期の一撃を喰らいかけたその時、蒼生の類い希なるサイキック能力が覚醒、『エクサー』として目覚める。
 それを契機に、ドウルの最強最新鋭部隊『ソフィア』へ入隊を果たした蒼生は、宇宙(そら)へと向かう。
 そこでは、純白の専用機『ミスティムーン』を駆るエリートドウルマスター・玲音との運命の出会いが待っていた――。
 壮大な近未来宇宙を舞台に、少年と少女の『世界』を賭けた闘いが、今始まる。
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 簡単に言うと、超能力的な力を持った人間が操るロボット(=ドウル)があって、そのロボットを操縦する少年・少女の戦いの顛末を描くもので、まあ、要するに『ガンダム』的なお話である。そうだなあ、『ガンダムSEED』的な感じだろうか。どうやら、その世界観やロボットの設定において、かの名作ゲーム『Armored Core』のパクリじゃん的な物議を醸したそうだが、わたし的には別にどうでもいい。問題はこの物語が面白いのか否かである。
 実際のところ、この作品の面白さは各種の設定にあると言っても良さそうな気がする。キャラクターに関しては、まだ3巻で主人公もそれほど成長していないし、ロボット類もまだその真価を発揮していないので、どれだけ物語世界の状況を描いているかの方が重要な気がする。まあ、結局のところまだ導入と言っていいのかもしれない。
 まず、時代は2417年(かな?)。200年前に地下資源争奪を発端とした地球規模の大きな戦争があったと。で、今や荒廃した地球は、ドームで覆われた「ポリス」と呼ばれる複数の都市国家と、それ以外の「オートン」に分かれていて、単純に言えば「ポリス」=文明を維持した「持てる者」たちの住む特権社会で、「オートン」は「持たざる人々」の住むエリアというわけだ。さらに言えば、各ポリスもそれなりに仲が悪く、利害衝突なんかもあると。で、これらの対立構造の上には、ある種の上位レイヤーとして、各ポリスや一部のオートンにエネルギー供給を独占的に行っている「太陽系開発機構、別名・太陽系連盟」が存在していると。 太陽系連盟は、各ポリスの利害調整なんかもやっているわけで、自身の軍事力も持っている。その軍事力が強力なために各ポリスに対する発言力も強いと。で、その強力な軍事力を支えているのが、「エクサ―」と呼ばれる強力な能力者たちが操る「ドウル」で、ドウル自体はポリスやオートンも所有しているけど、その強さは「エクサ―」が駆るドウルとは到底比べ物にならない程度のもので、弱いと。そのエクサーたちを要する軍事組織は「ソフィア」と呼ばれていて、一応、立場的には公平(?)で、威力と武力によって調停をする存在である、そして、この世界には、「太陽系連盟」に対して反抗勢力があって、それは裏ではポリスに援助を受けていたりするのだが、とにかく太陽系連盟が気に入らない人たちの組織「ゲノムス」という連中もいる、とまあそんな世界を舞台としている。ちなみに、人類は宇宙進出もある程度果たしており、コロニー的な施設は宇宙にあって、「ドウル」は宇宙空間が得意なもの、地球上での重力下での戦いが得意なものみたいなものもあって、そのあたりも非常にガンダムチックである。
 わたしが一番、興味を惹かれたのが、本作の「ドウル」に用いられている「慣性中和」という技術だ。これって……現状の人類には、おそらくは「重力制御」と同じくらいの不可能レベルなのではなかろうか。なにしろ、「ドウル」はこの「慣性中和」が可能なので、
 ■質量兵器(=要するに、弾丸とか打撃とか)が無効。運動エネルギーをゼロに出来るから。
 ■パイロットの負荷Gがない。
 という特徴がある。こういうトンデモ科学理論は佐島先生の代表作たる『魔法科高校の劣等生』でもお馴染みで、それを非常に「それっぽく」説明し、非常に効果的に使っている。もちろん、結局のところ科学技術というよりも「超能力」的な作用によるものであるが、その「それっぽさ」は佐島先生の最大の持ち味であり魅力であろう。それは、明らかに長所であって、決して、ツッコミどころというような、ネガティブなポイントではない。小説は、それでいいのだとわたしは思っている。まあ、そういう意味では、本作はSFというよりファンタジーかもしれないけれど。
 で。お話的には1巻で主人公の少年が、選ばれし超・能力を秘めたエクサ―であることが判明し、元々オートンに住む民であったところを、ソフィアにスカウトされて、宇宙空間のコロニー的な施設にある訓練校へ行くと。その際、既にオートンの傭兵ドウル使い(=ドウルマスター)として実績のあった姉(=エクサーレベルではない)と、別のポリスで戦っていたドウルマスターの青年も一緒に訓練校にスカウトされると。そこで、ちょっと素性が謎(読者には謎ではない)の美少女ドウルマスターと出会って切磋琢磨する姿が描かれると。で、2巻では、ゲノムスとの戦闘時に、一緒に訓練を受けていた青年が殉職、したように見せて、じつはゲノムスの構成員だったという事が描かれる。
 そしてこの3巻では、それまで宇宙空間を舞台としていたが、今回の舞台は地球上になる。しかも海中での戦いがメインで、水中戦が得意な専用ドウルを駆る、敵方に寝返った元仲間の青年との戦いとなる。主人公や姉、それから美少女ドウルマスターたちは、自分専用機のドウルを持っているのだけど、今回は地球に訓練のために降下してきたので、その専用機がなく、苦戦を強いられる展開だ。ポイントは、これは2巻で既にほのめかされている通り、美少女はほぼ元・仲間が裏切ったことに感づいている一方で、主人公は全く分かってない、という点で、なかなかややっこしいことになっている。

 えーと、一生懸命説明しようとしたのですが、ダメだ、ぜんぜんこの作品の魅力を伝えられないな……。なんというか、最近のライトノベルにはあまりロボットアクションものは見当たらないような気がするけれど、本作は、ある意味王道な、正統派のガンダム的ロボットアクションで、わたしはまずまず楽しんで読んでいる。主人公の性格は、かのアムロ・レイのような複雑なものではないし、また一方で、刹那・F・セイエイ的な、冷静なオレ強ええ系男子でもなく、比較的優等生と言うか、よく考えるとこれまであまりいないタイプ? かもしれない。現在の3巻の段階では、若干おどおど君である一方で、好きな美少女のためにもっともっと強くなりたい、と焦っている状況です。
 また、あとがきにも書いてあるので、ちょっとだけネタバレですが、とあるキャラクターが今回の3巻では殉職してしまう。結構メイン級キャラだったので驚いたけれど、そんな出来事もあって、主人公の強くなりたい願望はよりいっそう強まっているので、今後、アナキン的なダークサイドに陥らないか、若干心配ですな。選ばれし者だし。それから、今回の3巻では、ソフィア陣営のエース・エクサーが10人揃って登場しますが、なかなか癖のありそうな連中ばかりで、今後、主人公の少年と美少女(この女子もエースの一人)、それから他の9人のエースたちの関係性もなかなか面白いことになりそうです。

 というわけで、結論。
 佐島 勤先生による『ドウルマスターズ』シリーズは、まだ始まったばかりで、キャラやロボットもまだ顔を見せ始めたばかりなので、今後の展開に期待したいというところでしょうか。わたしはまあ、続巻はしばらく買うと思います。十分に楽しめています。以上。

↓佐島先生の代表作は、まあこっちでしょうな。毎巻楽しませてもらってます。ええと、次の19巻は3月の発売ですな。楽しみです。
魔法科高校の劣等生 (18) 師族会議編 (中) (電撃文庫)
佐島勤
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
2015-11-10




 

 以前、最近のライトノベルは面白いのか、試しに各レーベルから新作を買って読んでみよう、と、ひとりラノベフェアを実施してみたところ、まあ、正直外ればかりだったのだが、1作だけ、これはなかなか良いではないですか、と言う作品に巡り合った。それが、スニーカー文庫の『保育の騎士とモンスター娘』である。
 まあ、比較的ほのぼのとした癒し(?)ストーリーで、大変気に入ったのだが、10月の末に2巻が出ていたので、早速買ったものの、ちょっと読むタイミングが遅れてしまって、昨日から読み始めたら、あっというまに読み終わった。まあ、軽~いお話なので、数時間で読了可能です。

 というわけで、1巻からちょっとお話を復習しておくと、人間と魔族の戦争があって、それがこのたび休戦に至ったと。で、魔族側から、「魔族の幼体をひとところに集め、人間の管理を受けさせる」ことが休戦条件の一つだったと。で、作られた国立保育園ができたわけだが、そこへ派遣された騎士見習いの主人公は非常に真面目で、院長代理を務める人間の娘とともに、魔族の子供たちの面倒を見ることになる――というもので、前巻では、職務を全うするにあたり、いちいち、騎士道がどうたら、とか、真面目一徹で、それが園児たちの巻き起こす騒動とのミスマッチが非常にほのぼのとして面白い、というものだったが、この2巻では、主人公のまじめぶりは全く変わらず、だいぶ保育士としての信頼も上がって、みんながこの主人公が大好き、という環境になっている。そこに、人間の世界から、かつての後輩見習い騎士(女子)がやって来て――ちょっとした騒動を起こす、というのが今回のお話である。
 相変わらず、魔族の子ども、モンスター娘(チルドレン)たちは非常にかわいらしく、とても生き生きと、魅力的に描かれている。今回は、園児の中で一番やんちゃで元気のいいドラゴン族の子と、言葉遣いが非常に大人っぽく、常に足が隠れるロングドレスを着こなす妖艶なアラクネ族(=大蜘蛛)の子、この二人がいつも喧嘩ばかりしているのを何とかしようとする話を核に、主人公の後輩で何かと突っ走りがちな元気女子を派遣した人間界の陰謀などもからまって、ひと騒動起きるわけだが、比較的多めのキャラクターもきちんと書き分けられて、性格付けもしっかりしているので、読んでいて混乱はない。今回は、魔族側から派遣されている魔族将軍(女子)が非常に良い。おっかない将軍なので、基本的にまったく無口なのだが、主人公との掛け合いで若干のデレ成分が生じてきて、かなりのハーレム展開になりつつあるのが、読んでいて非常にうらやま、けしからん思いである。
 とはいえ、この作品の一番のポイントは、可愛い子供たちや園長先生や魔族将軍といった女子陣ではなく、やはり主人公ライナスという少年であろうと思う。まあ、17歳という設定なので少年と呼ぶことにするが、彼の真面目さが、非常に芯が通っていて、好感が持てるのだ。だからこそ彼はみんなに好かれ、ハーレム的な環境にあるわけだが、当然彼は全くの朴念仁なので、女子とのイチャイチャ展開は皆無である。しかし、その真面目さが生むズレが、とても読んでいて楽しく、真面目であるからこそ、周りのある意味ハチャメチャさも際立って面白い、というわけだ。わたしがここまで褒めるライトノベルは、なかなか他にはないと思う。自分で言うのもちょっとアレですが。
 ただし、である。杞憂であればよいのだが、昨今のライトノベルの市場動向や、新刊の販売状況などを眺めていると、ちょっと売り上げ的に厳しいような気がする。神秋先生がこの後どういう展開を用意しているのか分からないが、何らかのテコ入れをしないと、ちゃんと3巻が出るのか心配だ。
 わたしとしては、物語の展開として舞台となる「保育園」が、ほぼ作品の世界観から切り離されているのが問題なのではないかと思う。作中の世界情勢からすれば、非常に重要な施設(?)のはずなのだが、基本的に園児たちの可愛さがメインとなっているため、政治や保育園設立に至った人間・魔族の両サイドの思惑から分離してしまっているように思える。本来はもっと、悪い奴のたくらみが進行していて、それを主人公が打破する、そしてその時にはピンチの主人公を園児たちが救うような展開が、まあ恐らくは王道展開なのではないかと思う。しかし、いまだ、キーとなる園長の女子についてもふんわりとしか説明がないし、そういった陰謀めいた不穏な空気も(皆無ではないが)非常に希薄である。
 もちろん、それを前面に出してしまうと、せっかくの持ち味であるほのぼのテイストは失われてしまうので、極めて難しいトレードオフとなってしまうのは目に見えている。あくまで中心は園児たち、という姿勢は崩すべきではない。園児たちの可愛らしさが損なわれるようなことは絶対に避けないといけない。が、もう少し、この物語の世界を動かすストーリーが必要なのではないかと思う。魔族側の大人は、子どもたちの保護者として結構登場しているが、もう少し人間側の大人が出てきてもいいのではなかろうか。今巻の後輩女子は、まあ人間サイドの陰謀(?)の一端として利用されていたわけではあったけれど、もうちょっと具体的な悪い奴が出てきてもでもいいように思います。
 そういえば、今さらなのだが、保育園に魔族の「女の子」しかいないように読めるのは何か理由があるんだっけな? 「男の子」もいるんだっけ? 「男の子」もいれば、もっとお話を膨らませることができそうなのだが。なんか理由があったような、ないような? サーセン。もうちょっとちゃんと読んでおきます。

 というわけで、結論。
 まあ、読んでいて非常に楽しい作品であることは間違いないので、ライトノベルに抵抗のない人にはぜひ読んでいただきたい。おすすめです。あまり売れてないのかな……ちょっと先行き心配だが、これからももっと続きを読んでみたい作品である。以上。

↓ いわゆる「お仕事系ラノベ」と言うと、これかな。 この作品では、魔王サイド/勇者サイド共にこちらの世界にやって来ているわけで、そこに普通の女子高生が絡んでくるという3つの視点があるのだが、それを『保育の騎士』に応用するとなると、やはり魔族将軍と園長がもう少し物語に絡む必要があるのかもね。
はたらく魔王さま! (電撃文庫)
和ヶ原 聡司
アスキーメディアワークス
2011-02-10

 現在の電撃文庫の中で、新刊が刊行される際の初版部数が一番大きいのは、おそらくは『ソード・アート・オンライン(通称:SAO)』の新刊であろう。著者の川原 礫先生は、恐ろしく筆が早い。もちろん、作品のベースは自らのWebサイトや投稿サイトで公開していた作品だから、という事実があるにしても、それでも早い。当然すべての作品はWeb公開されたままの姿ではなく、実際のところ手が入るわけで、およそ2カ月~3カ月ごとに新刊を刊行していくのは、尋常ならざる努力と熱意のたまものであろう。
 そんな川原先生は、現在電撃文庫において3つのシリーズを同時並行で展開しているが(SAO_プログレッシブは別シリーズにカウントすべきかも。だとすれば4つのシリーズ) 、そもそものデビューのきっかけとなったのが、第15回電撃小説大賞にて<大賞>を受賞した『アクセル・ワールド』というシリーズである。『SAO』もそうだが、この『アクセル・ワールド』ももちろんアニメ化されており、ちょっと前に、新作アニメがまた製作されることが発表された。前回のアニメ化はかのサンライズ制作のTVアニメだったが、新たなアニメは、川原礫先生描き下ろしのオリジナルストーリーとのことで、TVなのか劇場版なのかOVAなのか、すみません、わたし、良くわかっていません。

 まあ、いずれにしても、アニメはあまり興味がないので置いとくとして、10月の電撃文庫新刊で、アニメ告知の入った帯をまとった最新『19巻』が発売となったので、シリーズをずっと読んでいるわたしもさっそく購入し、読んだ。そして、安定の面白さに、大変満足であった。
アクセル・ワールド (19) ―暗黒星雲の引力― (電撃文庫)
川原礫
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
2015-10-10

 物語は、現状では2047年を舞台としている。今から約30年後の世界である。そこでは、「ニューロリンカー」という、首に装着するデバイスを誰もが装着しており、まあ、いわばウェアラブルPCがものすごく進化したものと思ってよいと思うが、ネット接続は当然で、あらゆることをこのニューロリンカーを通じて行っているという世界である。
  で、主人公はチビでデブという自らの容姿に深いコンプレックスを抱いており、学校でも孤立した存在だったのだが、生徒会副会長の「黒雪姫」と呼ばれる超絶美少女と出会った彼は、その美少女から謎のアプリケーションをもらい、フルダイブ型格闘ゲーム「ブレインバースト」を戦う戦士、バーストリンカーとなる――みたいなお話だ。
 そういえば、今から30年後の世界を舞台としている、という点で、先日世界的に大いに盛り上がった『Back to the Future Part.2』のことを今ふと思い出した。かの傑作映画も、30年後の2015年を描いていて、1985年の当時高校生だったわたしは、30年後の2015年が映画で描かれたような時代になってんだろうなーと漠然と感じたものだが、残念ながら車は空を飛んでいないし、空間投影立体映像も実用化されていない。何となく、あの当時と何も変わっていないような気が一瞬するが、明らかにPC技術は劇的に変化し、インターネッツの発達により、ある意味映画で描かれた世界よりも進んでいる部分がある。同じように、この『アクセル・ワールド』で描かれているような世界が30年後に実現されるのかな……なんてことをぼんやり考えてみると、あり得そうだしあり得なそうだし、非常に微妙ないい線をついているような気がする。おそらくは、「ニューロリンカー」的デバイスは、既に現状の技術の延長線上で実現できそうだ。作中で意外と重要な設定である「そこら中にソーシャルカメラが設置されていてある意味監視されている」という世の中も、実際あり得そうだ。ただまあ、そういうハードウェア的な進化はありそうだけれど、人間の全意識を電脳空間へダイブさせるというような、ソフトウェア的な面は、どうなんだろう、ちょっと現状では想像できない。いわゆる人間の五感のデータ化・電気信号化は、理論的には可能なんだろうけど、おそらくは膨大なデータとなるはずで、それを支えるプログラムやIC回路、大容量データ通信インフラは、何らかのブレイクスルーがないと厳しそうだ。あれ!? そうか、それも結局はハードウェアの発達の方が大きいかもな。

 まあとにかく、『アクセルワールド』が描く30年後の世界は、そんな絶妙な設定の下で描かれており、またそこに登場するキャラクター達も非常に生き生きと描かれている。もう19巻となる本作では、これから始まる大きな戦いへの準備が話のメインで、サブタイトルの『暗黒星雲の引力』が示す通りの内容となっている。なお、シリーズをずっと読んでいる人なら、「暗黒星雲」が何を指しているかは当然明白だろう。黒雪姫先輩が率いる軍団(レギオン)、「ネガ・ネビュラス」のことだ。本作は、まさしくサブタイトル通り「ネガ・ネビュラス」に引き寄せされたキャラクター達が集い、「ネガ・ネビュラス」が大きく成長する話である。読んでいて非常に、そう来たか……と思うような、それでいて、そうですよね、と十分納得できるもので、大変面白かった。あまり書くとネタバレなので、やめときますが、とあるキャラが、実はリアルではまた超絶美女で、仲間になってくれるとは思わなかった。これはいい展開で、非常に面白かった。あとは、いろいろ何でも知っている「黒系・刀スキル系の人」、まさかと思うけど、あの人じゃないよね?

 ところで、この『アクセル・ワールド』という作品では、「ブレインバースト」を実行すると仮想空間へダイブする仕組みであるが、ダイブ中は時間が「加速」しており、「ブレインバースト」実行中の電脳世界では、実世界の1000倍の時間が経過する設定になっている。つまり、電脳世界での1時間=3600秒は、実世界の3.6秒なのだ。この設定によって、すでに19巻目であるのに、実世界の時間経過はまだ第1巻からまだ1年も経過していない(かな?)。電脳世界での戦いが話のメインだけに、非常に長い戦いであっても、実世界では数分も経過していないのだ。この点は、ちょっと今後いろいろな影響が出るのではないかと若干危惧されるが、まあ、川原先生なら何も心配することなく、我々読者は物語を楽しめば良かろう。
 あと、これは最初からずっと、この作品においてわたしが理解できないのは、恐ろしくそもそも論なんだけど……「どうして黒雪姫先輩は主人公ハルユキが大好きなんだ?」という点が実はピンと来ていない。ハルユキのひたむきな努力に惚れたってこと……ですよね? うーーーん……ちょっとなあ……実際、この主人公ハルユキ君は、現実世界でのビジュアルはチビ・デブのオタク少年だのだが、確かに、何においても努力で頑張ろうとする姿勢は非常に好感が持てるし、主人公の資格は十分に備えているが……出てくる女子にことごとく好かれる、いわゆるハーレム型でもあって、若干うらやま、いやけしからん。まあ、そういうことをほざいているので、わたしはモテないんでしょうな、と反省するしかなかろう。ただしイケメンに限る、のは、現実世界だけで十分か。わたしも頑張って生きていきたい所存である。

 というわけで、結論。
 『アクセル・ワールド19 暗黒星雲の引力』は、安定の面白さであり、シリーズをずっと読んでいる人なら買わない理由は皆無です。早く続きが読みたいですな。お見事です、川原先生。

↓TVアニメは、正直なところ「これからが本番だぜ!」というところで終わっている。人気的には『SAO』の方が高いけれど、わたしとしては電撃大賞受賞作であるこちらの方がより応援したい。
アクセル・ワールド Blu-rayBOX <初回生産限定版>
三澤紗千香
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2015-12-23

 最新ラノベを読んでみよう、という自己企画を進行中のわたしだが、第3弾として、スニーカー文庫から『保育の騎士とモンスター娘』という作品を選んでみた。
 
 以前も書いた通り、タイトルとイラストだけ、あらすじはチェックしない、というオレルールで適当に選んだ作品である。カバーイラストからは、騎士が保育園の先生的な話であるらしい想像はつく。モンスター娘というのも、カバーイラストに描かれているちびっ子たちだろう。なんとなく話は見えたような気がするが、また同時に、タイトルの音・リズム? のようなものが、なんとなく気に入った。ただ、タイトルのセンスとしては、新人の応募作っぽさというか素人くささも感じるが、まあそれはご愛敬という事で別に気にはならない。分かりやすいことはそれだけで美点であると思う。

 で。実際読んでみたところ、大方は事前の予想通りの物語の展開であったが、今回はいい方向に裏切られた。実に面白かったのである。
 主人公は、騎士見習いの少年といっていい年頃の男。文中の言によれば――カバーイラストからはまったくそうは見えないが――17歳だそうだ。物語は、彼が保育園に派遣され、当地に到着するところから始まる。なんでも、人間と魔族の戦争があって、それがこのたび休戦に至ったと。で、魔族側から、「魔族の幼体をひとところに集め、人間の管理を受けさせる」ことが休戦条件の一つだったと。で、作られた国立保育園ができたわけだが、そこへ派遣された主人公は非常に真面目で、院長代理を務める人間の娘とともに、魔族の子供たちの面倒を見ることになる――というのがあらすじで、途中で、どうして魔族はそういう条件を出したのか、また主人公はなぜ派遣されたのかという内情がほのめかされる。ほのめかされるだけで、明確な回答はおそらくは今後、きっちりと説明されるのだろうが、この作品の中ではまだ、ふんわりとした説明しかない。また、院長代理の娘についても、その素性は明かされるが、なぜ彼女が選ばれたかについては明確には説明されない。
 というわけで、そういった設定部分での説明不足はあるものの、それがまったく気にならないのは、ひとえにキャラクターが魅力的だからであろうと思う。主人公のまじめぶりがもたらすミスマッチの笑いもいいし、本人は全く本気で取り組んでいる姿も好感が持てる。いわゆる、お仕事小説の面も少しだけ併せ持っていると思う。わたしのようなおっさんからすると、こわもて男が幼稚園に、とくれば、Arnold Schwarzeneggerのなつかしい『KindergartenCop』(邦題:キンダーガートン・コップ)を思い出すが、基本的なノリは近いものがある。いや近くないか。まあ、ちょっと思い出しただけです。サーセン。
 そして、なにより保育園に通ってくるちびっ子どもが可愛いのだ。非常にステレオタイプな描かれ様だとは思うが、やっぱり可愛いものは可愛い。可愛いは正義であろう。主人公に突っかかる子、すぐに慣れて大好きになっちゃう子、ちょっと大人びた子、いつまでもオドオドしている子、といった、本当にテンプレといったら失礼だが、それでも、それぞれの子どもに個性付けが明確になされており、読んでいてとても楽しかった。
 一方、登場する大人も、おっかない、けれど実際話せば非常に理論的で、かつスーパー親ばかな魔族の女王とか、超腕が立つけど、この保育園に魔族側として派遣されてきているおっかない魔女将軍とか、魔族側の大人も、当然人間は嫌いなんだけど、主人公のまじめ一徹な行動に、ちょっとだけ魅かれ始めるという展開は読んでいて非常に好ましい。子どもたちも、最初は怖がったり、嫌ったりしているけれど、当然徐々に懐きはじめ、みんなが主人公を好きになっていく展開である。なにしろ、主人公は、まったくぶれないのだ。そして読者への媚びのようなものもなく、ただひたすら真面目に自分の任務を考え、それを全うしようとする。そのまっすぐさがとてもすがすがしく、作中のキャラクターだけでなく、読んでいる読者もきっと、主人公に好感を持つようになる。
 これだよ、こういうのをわたしは読みたいのだ。王道展開でとりわけひねったようなところもなく、スッと読み終わってしまうが、構成もしっかり組み立てらえており、山場の盛り上がりが少しおとなしめではあるが、非常にわたしの満足度は高かった。これが応募原稿なら、間違いなく選考に残すと思う。大変気に入った。
 読み終わった後で調べてみたところによると、著者の神秋昌史先生は、わたしは聞いたこともない知らない作家だが、どうやら集英社のスーパーダッシュで賞を獲ってデビューした人らしい。なので、一応の実績はあり、素人ではないと。また、イラストを担当する森倉円先生も、どうやら今まで実績がそれなりにある方らしい。そういえば電撃文庫で描かれていたなということも思い出した、というか分かった。どういう経緯で神秋先生がスニーカーで描いてくれたのかは知らないが、スニーカー編集部は神秋先生を大切にした方がいいと思う。面白かったです。

 というわけで、結論。
 2巻が出たら買います。主人公の今後の奮闘を、もっと読みたいし、ちびっ子どもの成長を見守りたいものだと思った。院長代理の女の子とのラブ展開は、まあどうでもいいかな。どうせちびっ子がやきもち焼くんでしょw

 ↓ シュワちゃんの『KindergartenCop』は1991年の映画か……懐かしいのう……。
キンダガートン・コップ [DVD]
アーノルド・シュワルツェネッガー
ジェネオン・ユニバーサル
2012-05-09

 というわけで、最新ラノベを読んでみようというわたしの試みの2作目として選んだのは、この作品である。

 著者は、既に『デート・ア・ライブ』という作品でアニメ化を経験し、それなりに売れた作品を世に出した実績のある橘 公司先生、またイラストレーターも、ご存知『とある魔術の禁書目録』で大ヒットを記録した実力派のはいむらきよたか先生ときた。こうした、著者、イラストレーター共に実績のあるコンビの新作なので、まあ、大丈夫だろうな、という期待をこめて読み始めた。
 正直に言うと、本作はシリーズ化が前提の第1作なので、描かれていないことが多く、よく分からない部分が非常に多いが、そういう前提を受け入れるならば、昨日読んだ作品のような、編集の怠慢といえるような瑕疵は特に見当たらず、きっちりまとまっているとも言えると思う。
 構成も起承転結まとまっているが、若干バランスはほんの少し悪いかもしれない。プロローグのあと、第1章が起、第2章から第3章までが承、第4章が転、第5章と最終章が結、といったところだろうか。シリーズのはじめだけに、いろいろな紹介にページ数を割いているので、ちょっとだけ承が長いが、まあ、特に問題はないと思う。ただ、タイトルはまったく意味不明だ。メインタイトル「いつか世界を救うために」何なのか、よく分からない。救うために観察するってことか? 読み終わっても今ひとつピンと来ない。サブタイトルの「クオリディア・コード」に至っては、この1巻では一度も登場しない単語だ。まあ、このタイトルという部分では、まったくナシ、だと思う。著者のあとがきによれば、この作品は複数作家とのシェアードワールドものらしいが、この作品を買った読者にはまったく、何の関係もない。わたしも読み終わって、あとがきを読んで初めて知ったことだ。意味不明のタイトルは、やはり避けるべきだと思う。

 なお、物語は、謎の、宇宙侵略生物とも異世界生物ともよくわからない侵略勢力に対する戦争があって、開戦から20数年経過し、戦争もひと段落している世界が舞台となっている。そして戦争中は冷凍催眠させられていた当時の子供たちが、今は冷凍催眠から目覚めていて、世を動かす大きな存在になっていると、で、まだ、たまにやってくる謎勢力を撃退する必要があり、軍事的な教育・訓練を目的とした学園都市があって、実力ナンバーワンの女の子が首長的な役割も果たしている、と。そして主人公は複数の学園都市を統括する政府組織の人間で、とある学園都市ナンバーワンの女の子を暗殺する指令を受けて派遣されてくるが、果たしてその女の子をなぜ暗殺しなきゃいけないのか、そこを見極めるために、「観察」をする、が、いくら観察しても暗殺されるいわれがなく、主人公も悩む、というのが1巻の物語だ。そして全体のトーンはコメディタッチで軽く、主人公だけが真面目に任務を果たそうとするギャップがまたおかしい、という王道展開である。主人公の「観察」も、まじめを通り越してもはや単なるストーカーのように展開される中、ラブコメ要素も投入され、まあ、イマドキの読者にも満足なんでしょうな、という作品に仕上がっていた。
 
 しかし、である。この作品を楽しむには、やはりなんというか、ラノベのお約束をきちんと弁えておく必要があり、ズバリ言ってしまえば、普通の人が読んで面白いものではまったくない。とにかく、「ライトノベル」の名の通り、軽い、のだ。まったく後に何も残らない。まったく考えさせるものもない。その場限りの、ほんの2時間半ほどの物語体験で終わってしまうものだ。まあ、それがライトノベルというものだとして、了解すべきかもしれないが、これでは……本当にこのジャンルは衰退してしまうのではないかという危惧が心をよぎる。それでいいのだろうか? これでは、どんどんと新しいエンタテインメントが発明される現代において、常に先頭を走るエンタメにはなりえないのではないか。どうも、読者への媚びが過ぎるように思うのは、おそらくわたしが想定読者から外れたおっさんだからだろう。確かに、読者の期待に応える要素は必須ではある。が、もう少し、おっ!? という驚きや読後のすっきり感がないと、確実に読者は飽きる。そしてこのジャンルは衰退する。それは非常にマズイ事態だ。最近の作品は、どうにもお約束が前面に出すぎており、一見さんお断りな作品が多い。慣れていないと物語に入れないというか、楽しむための前提を――ある意味無意識に――理解しておく必要がある作品が多いように思う。今回の『いつか世界を救うために』も、この1冊単体では、ズバリ言ってまったく面白くない。ちょっと引いて考えれば、謎だらけ穴だらけ、である。だからこそ、次の2巻をわくわくして待つのが正しいラノベファンのあり方かもしれないが、その「待ってくれている」ファンを当てにするのも非常に危ういと言わざるを得まい。そんな待ってくれている保証は何もないし、時間というものは、我々おっさんや、おっさんになりつつある著者と、読者たる10代の人間とでは、明らかにその流れる速さが違う。我々にとって1年は、ついこの前、あっという間のものだが、10代にとっては1ヶ月や3ヶ月ぐらいでも長く感じるものだし、1年前なんてものは、「昔」と表現されるぐらい長いものだ。その感覚の違いを承知しておかないと、確実に作品は忘れられる。そこは非常にシビアだ。
 
 わたしは、いわゆるラノベなるものの記念碑的作品として、『ブギーポップは笑わない』という作品が果たした役割は大きいと思っている。『ブギー』は、普通の人が呼んでも十分に面白い。そこには、お約束はなく、純粋に面白い小説として成立しており、この作品から、ライトノベルは大きく市場を拡大したと思っている。おそらく、『ブギー』クラスの、ジャンル全体の流れを変える傑作が今後生まれないと、ライトノベルというジャンルはもう、もたないだろうと思う。もしそんな大傑作が生まれるとしたら、それはたぶん、突然現れるのではないかと思っている。だから、どうかそれを発掘する編集者は、その登場を見逃すことなく目を光らせておいて欲しいものだ。

 というわけで、結論。
 この作品も、ハズレだ。『デート・ア・ライブ』からまったく進化していない。あとがきによれば、2巻といわば上下巻の関係にあるようだが、そんなことは知ったことじゃない。2巻を買って読もうという気にはなれない。

 ↓ 『ブギーポップは笑わない』。この作品は、もう既に発売から17年。今もなおライトノベル史上最高傑作と言っていいのではないかと思う。
 
ブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))
上遠野 浩平
メディアワークス
1999-06

 現在、わたしが主に使用している電子書籍販売サイト「BOOK☆WALKER」にて、大きなフェアをやっており、ライトノベルが50%引きとなっていたので、最近の作品で面白いのがあるのかどうか、ちょっといくつか買って読んでみることにした。まあ、フェアを開催している理由はとんでもなくアホくさいというか、ユーザーには全く興味のない、関係のないことだが、ユーザーとしては、安売り大歓迎であるので、とりあえず、MF文庫J、スニーカー文庫、富士見ファンタジア文庫からそれぞれ1冊買ってみようと思い、さっそくBOOK☆WALKERにて作品を漁ってみたのだが、条件としては、なるべく新しく、当然1巻であり、表紙イラストやタイトルからちょっと気になるもの、そしてあらすじとカラー口絵のチェックはしない、というテキトーな基準で選んでみたところ、まず最初に、MF文庫Jからは、『Digital Eden Attracts Humanity 最凶の覚醒』という作品を買ってみた。2月刊なので、ちょっと古いかとも思ったが、7月に2巻が出たようで、まあ、それじゃ1巻読んでみるか、という気になった。
Digital Eden Attracts Humanity 最凶の覚醒 (MF文庫J)
櫂末 高彰
KADOKAWA/メディアファクトリー
2015-02-24

 決め手は、なんだこのタイトル? という素朴な疑問である。英語部分はまったく意味不明であり、おまけに「最凶」だの「覚醒」だのときたもんだ。 こりゃあ、相当な中二臭がぷんぷんしますぞ……というわけで、さっそく読み始めた。読み終わるのにかかった時間は、およそ2時間15分ほど。物語全体と、あとは編集的な部分で、いくつか気になったことがあったので、いつもの通り自分用備忘録としてあげつらっておく。

 まずは、普通ならどうでもいいと思われる、編集的視点からの「なんだこりゃ?」から。
 いくつかの本文イラスト(本文中に挿入されるモノクロイラスト)が、わたしとしては少しだけ気になった。まず一番最初の、狼男を描いたイラスト。直前の描写は「だらしなく着崩しているものの、長袖のシャツにジーンズという出で立ち」とあるが、イラストでは上半身だけではあるが、着崩したじゃすまないほどボロボロ。おまけに、この狼男は巻頭のカラー口絵にも描かれているが、着ているのはどう見てもTシャツ。なんだこれ。
 もうひとつ、イラストで気になったのは2枚目のモノクロイラストで描かれている佐嶋という女子キャラ。彼女は、本文中の描写だとスパッツの上に短パンを着用しているらしいが、イラストはどう見てもキュロットっぽい。それから、重要なアイテム、万年筆型の携帯端末、とやらを胸ポケットに装着していることが描写されているがそれらしきものは全くイラストにない。ちなみに、彼女もやはりカラー口絵に描かれていて、その万年筆型携帯端末らしきものを手にしている絵なのだが、それをしまう(装着する)ポケットは見当たらない。そして戦闘ジャケットの下に着ているのは学校の制服(のスカート)。なんだこれ。
 イラストというか、容姿や服装の点でいうと、もう2つ、なんだこれがある。一人、白衣&パンブラのみというセクシーお姉さまが出てくるのだが、本文中には、なんでそんなカッコをしているのか、まったく理由は書かれていない。しかし、そういう非常識な格好には理由が絶対に必要だと思う。わたしなら、どんな屁理屈だろうが絶対に理由を本文中に書かせると思う。でないとホントに意味不明。なんだこれ。
 もう一つは、「尻尾」について。これは、とある状態で尻尾が生えるキャラクターが何人かいるのだが、それがどういう状況なのか、全くイメージできない。パンツに穴が開いてるのか? わたしなら、何らかの文章描写が必要だと指摘するだろうと思う。どうなってんだろう? わからん。なんだこれ。
 次に、言葉遣いというか文体と言うか、全くどーでもいいことがいくつか。
 これは、わたしもかつて九州出身の作家の原稿で指摘したことがあるのだが、「カッターシャツ」という言葉は、たぶん東京の人間には通じない。特に、想定読者である10代の子どもたちには、想像はつくかもしれないが、普段使うことは100%ないと断言できる。当時わたしも調べてみたのだが、どうも「カッターシャツ」という単語は、愛知県以西では普通らしいが、静岡県以東では使わない言葉らしい。さっき調べたところによると、著者は広島出身なので、当たり前に使う言葉だろうけど、わたしが編集なら絶対指摘する。ま、物語上はどうでもいいことだが。
 そしてもう一つこの作家の癖? なのかわからないが、この作品はプロローグとエピローグを合わせて12章から成っているが、そのうち10の章が「セリフ始まり」、である。この「セリフ始まり」は、非常に陳腐と言うか、初級というか、カッコ悪いというか、とにかくわたしは嫌いで、やめてくれと思っている。素人くさい。この作家は、既に他のレーベルでは十分以上の実績を持っているようなので、もう少し、工夫と言うか技巧を凝らしてほしいものだと思った。まあ、これもどうでもいいことだが。
 あと、最後にもうひとつ。タイトルについて。正直なところ、最初に書いたとおり、英語部分はまったく意味不明。しかも別にカッコイイ響きでもない。そして、読み終わった今でも、タイトルの意味が非常にうっすらとしか分からない。これは、想像するに作家の意向でこういうタイトルになったのではないかと思うが、もし編集がつけたタイトルなら、まあ0点だと思う。代案としてこういうタイトルでどう? というアイディアもなくはないが、わたしのセンスもたいしたことがないので、人のことを批判する資格もズバリ言えばゼロなのだが、ま、実際このタイトルはない。なんだこれ。

 と、最初にどうでもいいチェックをしてしまったが、これは、作家の責任ではなく、100%編集者の責任に当たる部分であると思う。こういうチェックこそが編集の仕事だと思うのだが、こういう点が残っている原稿で許されるのは、新人の応募原稿だけだ。本として出版する際は、プロである編集がこのような「なんだこれ」をきっちり修正させないといけない。これらは、ごく軽度の修正で済む部分なのに、それすらなされていないのは非常に残念だ。

 一方、物語はどうかというと、わたしが一番評価したい点は、物語の起承転結がしっかりとしていて、骨組みがきちんとしている点だ。構成は、こんな感じになっている。
 プロローグ:物語のカギである「デジタルウィルス」なるものの紹介。ただしこれは別に本編中でも出来たはず。ここで紹介されてる「悪魔」なるキャラ――どうやら2巻で出てくるらしい――を出したかっただけなのではないかと思う。
 001~003まで:「起」にあたる。主人公の紹介と事件の始まり。正義側(?)組織の登場
 004~006まで:「承」にあたる。物語を進める天才少女(主人公の幼馴染)登場。「起」で出会った組織とのやり取り、連続する事件への関与開始、主人公も変身へ。
 007~008まで:「転」にあたる。連続事件の犯人推定完了、妹の謎判明
 009~010まで:「結」にあたる。事件の決着、主人公の「覚醒」。
 エピローグ:正直なところ、このエピローグもイマイチ的がズレているというか、一番書いておきたいことが中途半端だと感じた。「覚醒」した主人公を待ち受けるこの後の展開を予感させる終わり方になっていないといけないのに、そのヒキが非常に弱い。これだけなら、結に含ませていい内容にしかなっておらず、エピローグとして独立している意味がない。どうせなら、冒頭の「悪魔」をここでも登場させてもいいと思った。

 というわけで、構成はしっかり組まれているのがこの作品の美点であるが、物語そのものは、なんだか『テラフォーマーズ』や、ある意味『魔法科高校の劣等性』も若干混じっており、目新しさはほとんど感じられない。この作品の独自性は、「デジタルウィルス」なるものの存在だが、もう少し、インチキ理論でもいいので、設定を固める必要があるように思う。アイディアは非常にいいと思うが、設定が甘すぎる。発明者である主人公の父がいて、その父に「仕組まれた」体を持つ主人公、という図式は、そういえばわたしの嫌いな『進撃の巨人』も少し混じっているような気もする。
 また、設定という点では、肝心のデジタルウィルスである「オラクル」と、そのワクチンである「ネメシス」の違いをもっと明確にして欲しいと思った。そのウィルス感染者・ワクチン接種者の違いも、たまに混同しやすい。ここは一番重要な鍵なので、もう少し、明示的に分かりやすくする必要がある。そもそも、ワクチンは、主人公は天才少女謹製のアイテムで「接種する(=見て聞く)」シーンがあってわかりやすいが、他の正義組織の隊員の接種方法がよく分からない。ウィルス感染者の変身も、なんだか任意に出来るのか、それとも常態として変態してしまうのかも良く分からない。たぶん、この著者は『テラフォーマーズ』が大好きなのだろう。しかしどうせ参考にするなら、ここは仮面ライダー方式のほうがよかったのではないか。すなわち、「ベルト」という明確なアイテムと、「変身!」という明確なプロセスが必要だ。そこがあいまいなので、ウィルス感染とワクチン接種が混合してしまっている。これじゃあ、ダメだ。
 あと、これは主人公の動機という点で、最も重要だと思うが、主人公と妹の関係性をもっと描写すべきだと思った。非常に薄い。もっとページ数を費やしていいから、妹への思いを丁寧に描かないと、最終的な決断を下す行程が軽く読めてしまう。今のままでは、単に妹がかわいくてHしたいだけに読める。これはネタばれだが結構冒頭で分かることなので思い切って書いてしまうが、主人公と妹は、血縁関係がない。が、主人公にとってそのことは、やった、じゃあ妹とは恋人同士になれるじゃん! と喜んでいるように読める。それで、いいのか?? 妹で思い出したが、冒頭では妹は「パジャマ」を着て寝ているという描写があり、その後、「寝間着」と表現が変わる。これって、別にどうでもいいことだが、校閲のレベルも低いと言わざるを得ない。もっとプロの仕事をして欲しい。

 こうしてみると、これらを改善して作品の完成度を高めるのも、やっぱり編集の仕事だと思う。はっきり言って、非常にレベルが低い。腹立たしささえ感じる。また、この作品に、どうでもいいお色気サービスシーンは不要だ。あからさまに狙って入れているのは、著者の好みなのか、編集の指示なのか判断できないが、必然性のないものを入れて、売れると思っているようなら、このジャンルは本当に衰退するだけだ。編集に本当に面白いものを作ろうという気概を感じることが出来ない作品は、一時的な売上げは確保できても、確実に、一瞬で消えてなくなってしまう。これではダメだと思う。『テラフォーマーズ』を面白いと思ったら、まずは、ちくしょー!と悔しがってくれ。そしてそれを超えるものを作ってくれ。

 というわけで、結論。
 編集がもっと仕事をして欲しい。せっかく、種としては大きな花に咲きそうな要素は十分にあるのに、編集がきちんと栄養と水を与えていないという印象しか残らなかった。

 ↓ はっきり言うが、2巻を読む気にはまったくならない。
Digital Eden Attracts Humanity 2 (MF文庫J)
櫂末 高彰
KADOKAWA/メディアファクトリー
2015-07-24

 ライトノベル、という言葉が発明されておそらく10年ぐらい経つと思うが、わたしがかつて営業や編集として携わっていた頃は、そういう言葉はなく、わたしが書店向けの注文書なんかを作るときは、「ティーンズ文庫」と称していた記憶がある。
  わたしが携わっていたレーベルは、わたしが営業部に異動になった当時は、首位の富士見ファンタジア文庫とは大きく離されていて、シェア3位、というかレーベル自体も5つ(?)ぐらいしかなかったが、その後1位に上り詰めることができ、レーベルが乱立した現在でも1位を堅持している。これは自慢じゃあない。これは、わたしの誇りだ。

 で、何が言いたいかというと、わたしは映画や小説が大好きだが、ライトノベルもイケる口ですぜ、と主張したかったわけです。 むしろ、おそらくはライトノベルのことならば、日本国内で最も詳しい人間の一人であろうとも思う。いや、だってそれが仕事だったし。回りくどくてサーセン。

 というわけで、ライトノベルと呼ばれる小説群にも、わたしは全く抵抗がないわけだが、正直に言えば、今現在、わたしをして感動せしめる作品は、ごくわずかしかない。 もちろん面白いシリーズはあるし、新刊が出れば必ずチェックする作家はいる。が、非常に少なくなってしまったのが現在のライトノベルと呼ばれる市場だ。
 その背景には、わたしが歳を取ってしまったという、残念な事情も深く影響していると思う。まぎれもない事実として。でも……アニメでもそうだけど……残念ながら、質の低い、クソつまらん作品が大半だというわたしの嘆きに対して、賛同する方は多いのではなかろうか。

  そんな中、先日タイトルに魅かれて読んでみた作品が『戦うパン屋と機械じかけの看板娘』という作品だ。ホビージャパン文庫というレーベルから出ている作品で、著者はSOWと名乗る良くわからん作家。そして「看板娘」は、「オートマタンウェイトレス」と読む。うーーん……なんというか、ムズイ世の中だ。



 わたしが編集部に在籍してた時は、新人のデビューの際、「あのな、ペンネームってのはさ、たいてい一生使うんだぞ? ふざけたペンネーム使うと、ホントに後悔するぞ。本当にそれでいいのか?」と何度も指導したことがあるが、今はそんなことはないのだろうか。ともかくSOWというペンネームは、わたしが担当編集だったら1ミリ秒で「ふざけんなバカ」の一言で却下だ。

 この本を買ってみた理由はただ一つ。わたしもパン屋になりたいからだ。
 あらすじはごく簡単。元軍人のこわもて男が、除隊後パン屋になり、奮闘するが、そのこわもてぶりから客がまったく来ない。そんなある日、超絶美少女がウェイトレスに雇ってほしいとやって来て――まあいろんな事件が起きるわけだ。

 いいじゃない。プロット的には、わたしとしては大いに気に入った。
 わたしもパン屋を始めたら、超絶美少女を雇って、日がなパンを焼きながら、たまに軽くセクハラして、キャッキャウフフという毎日を送ってみたいものだ。
 
  というわけで、早速読み始め、およそ2時間で読み終わっってしまった。話が薄っ! まあ、ライトノベルという事で、その辺は別に全く問題ない。しかし、うーーーーん……わたしが担当していたら、いくつか書き直しを命じるポイントがどうしても目についてしまった。

 まず、一番大きいポイントは、主人公ルート・ランガードについて。
 なんだよ、イケメンじゃねーか! イラストでは、彼は全く普通のイケメンであり、「こわもてゆえに客が来ない」という基本設定がまったくもって嘘くさいというか、全然活きない。おそらく、わたしが担当編集だったら、この点は何とか別の方法を考えただろう。
 例えば、そうだなあ、いっそ戦争によって顔や腕とか、体の一部をサイボーグ化してるとか? あるいはもっとビジュアルイメージをひどくして、例えば看板娘がやってきた後に、髪やファッションを磨かれて、実はあらやだイケメンじゃない! と変身させてもいいかもしれない。元軍人でこわもての店主、というと、わたしが真っ先に思い出すのは、『キャッツアイ』の海坊主なわけだが(おっさん趣味でサーセン)、あそこまでいくとちょっとライトノベルとしてはキツかろうし、ルートが若い青年であることは、ストーリー上意味があるので、怖いおっさん化させるわけにはいかないことは理解できる。いずれにせよ、「こわもてゆえに客が来ない」設定はアリなだけに、もうちょっと工夫していただきたいと思った。やり方なんていくらでもあるだろうに、もったいないことだ。

 もう一つは、やって来る看板娘の言動だ。
 とある事情があって、看板娘は主人公が好きで好きでしょうがない状態で、それは全く問題ない設定だが、性格付けが、もう少し工夫が欲しかった。看板娘の正体は、読者からすれば最初に主人公のパン屋にやってきた時からバレバレなので(そもそもタイトルの、看板娘の読み方からしてネタばれしとるがな)、もっと、それっぽい性格付けが出来たはずだし、話の納得性を増すことも出来たはずだ。何しろよくしゃべるし、真の正体の割りに、いやに世の中に詳しいし、なんというか、まあ、くだけすぎ? なのだ。これってどうなんだろうと、わたしとしては普通の読者の意見を聞いてみたい。わたしだったら、たぶんもっと無口にしたほうがいいんじゃね? という指摘をしていただろうと思う。いわゆるツンデレはもはや古すぎるかもしれないが、ここまでおしゃべりだと、どうも違和感を覚えてしまう。もうちょっと、ミステリアスな雰囲気、あるいは、世間知らずのイメージが欲しかった。
 ただ、そうなると、看板娘として店の再生を図るに当たって問題が出てしまうかもしれない。彼女は、愛する主人公のために非常な働きをして、店のアピールを行い、主人公の作るパンのうまさを大々的に宣伝することで、店を救ってくれる展開なので、その時無口キャラだとちょっと厳しいかもしれない。ただ、その役は、主人公の店の唯一の常連である少年に振ってもいけると思うのだが。超絶美少女は、無口でも大丈夫……なんじゃねえかな、と無責任に思った。

 というわけで、Webでいろいろな人のレビューをチェックしてみたが、わたしと同じような指摘をするレビューはとりあえず見当たらない。もっと、前半の、店再生で主人公と看板娘がキャッキャウフフな展開を望む声が多く、物語は後半、ちょっとしたバトル展開になるのだが、その点にみな不満を抱いているようだ。わたしは逆に、それは全然気にならなかったが。

 結局、いろいろなレビューを見て思ったのだが、やはり、わたしは既に、想定読者から外れているんだろう、という、ごく当たり前の結論に至った。まあ、おっさんだからなあ。そりゃ仕方ねえな。
 ただ、やっぱり最後に一言モノ申しておきたい。
 編集者は、もっともっと努力すべきだ。今は、いわゆる「なろう系」と呼ばれる、アマチュアの作品が星の数ほど存在し、読者を獲得している。そしてその星屑の中から作品を釣り上げて、本にする形が爆発的に増えている。そんな状況で、ホントにいいのか。「アマチュア」に負けてどうする? 「プロ」なら「プロ」らしく、腕を見せてほしい。やっぱこっちのほうが面白れえ! と、読者に言わせる努力を、24時間考え続けていただきたいものだ。ああ、完全にわたしも老害かもな……。

 というわけで、結論。
 『戦うパン屋と機械じかけの看板娘』は、まあまあ面白かった。
 が、新人の応募作なら許されるレベル、だと思う。新人が書いたものなら、十分金賞ぐらいは取れると思う。が、プロの作品としては……まだまだ、だね。

 ↓既に2巻も出ています。やっぱりまあまあ面白いです。でも、ちょっと、大きな展開への引きが強すぎね?




 

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