ちょっと前の夕飯時、80歳を超えたばあさまたる母が、なにやらこんな話をした。
 「今年は除夜の鐘は鳴らさないんだって」
 なんのこっちゃ? と思い話を聞いていると、どうやら、要するに近所迷惑という声があって、お寺としても、じゃあやめます、てな経緯だったらしい。そのお寺は、家から直線距離で2kmぐらい離れているのだが、毎年の大みそかの夜、ゴーーン……と響くあの音が、今年は「近所迷惑」なる理由で取りやめたのだそうだ。
 なんつうか……もうこの国はダメだな、と思った。もう、それしか言葉が出ない。この感覚は、ひょっとすると、わたしがすっかり初老を迎えたおっさんになり果てたからなのかもしれない。ホントに近所だったら、わたしもうるせーなあ、とか感じたのかもしれない。分からんが……まあ、明らかに、この世は変わり続けていて、それが良かれ悪しかれ、待ったなしで我々に変化を求めてくるのだろう。わたしに言えるのは、この国はもうダメだな、という捨て台詞だけであり、実際のことろ、どうでもいいような気もする。わたしはきっとあと20年とかそんなもんでこの世とはおさらばすることになるだろうし、この国が終わろうが、どうなろうが、後のことはもうどうでもいい、つうか、知らん。
 というわけで、わたしは今日、そんなこの世にあと30年もいないかもしれない、ようなおじさんおばさん、というよりおじいちゃんおばあちゃん、ばかりが客席に座っているような映画を観てきた。
 その映画は、『男はつらいよ お帰り 寅さん』。もう20年以上前にこの世を去った「寅さん」の、遺された家族の「その後」を描いた物語であります。

 わたしは実はこの『男はつらいよ』シリーズを全作観ているような大ファンでは全然ない。おそらく劇場で観たのは3本ぐらい、テレビやWOWOWで観たのを入れても、たぶん10本ぐらいしか観ていない。それなのに、どういうわけかキャラクターやこれまでの経緯は知ってるんだから我ながら不思議だよ。
 今回のお話は、寅さんの甥っ子のだめんず野郎、満男の「今」がメインだ。なにかとダメな奴で、わたしは満男が嫌いだったが、どうやら今、満男は娘と二人暮らしでおり、妻を病で亡くして七回忌なのだとか。明るく朗らかな娘と違って、満男は相変わらずはっきりしない、ウダウダ野郎のようで、たしかシリーズ最後にはサラリーマン(靴メーカーかなんか)だったはずだが、今はサラリーマンを辞め、小説家としてデビューしている。そして出版社の担当編集の若い娘からは次回作と、サイン会開催を求められている。そして、やっといやいやながら引き受けたサイン会で、かつての恋人、あの、泉ちゃんと再会するのであった――的なお話で、折に触れて、「叔父さん」こと寅さんの姿が満男の目には映るのだった――的な構成になっている。
 満男は、今でも、叔父さんのアドバイスを求め、叔父さんに会いたいと思っているわけだが、それは満男だけではなく、母であり、叔父さんの異母妹のさくら、そしてその夫の博、さらにはあのリリーさんや泉ちゃん、泉ちゃんのお母さんたち、みんなが、「寅さん」への想いを忘れていない。誰しもが、ずっと忘れず覚えている寅さん。
 時折挿入される寅さんのエピソードは、今の現代人にはどう映るんだろうか。おそらくは、除夜の鐘が近所迷惑だなんて言う世の中なのだから、まあ、もう寅さんを観て面白いと思う人は絶滅しかかってるんじゃなかろうか。空気を読まないし、実際、とんでもなくめんどくさい、扱いにくい人でしょうよ。でも、みんなが忘れず、覚えていてくれる人って、凄いよな。まあ、寅さんを覚えている我々も、もう近い将来確実に絶滅するわけで、そんな国に生きててもしょうがないような気がしますね。終わりだよ、この国は。ホント、今日、この映画を見て、なんか非常に強くそう思ったね。
 というわけで、本作での各キャラの現在と、役者陣をまとめて終わりにします。
 ◆諏訪満男:さくらの息子=寅さんの甥っ子。シリーズでは子供時代から大学卒業、就職まで描かれていたが、50チョイ前ぐらいかな、今は新人小説家。あいかわらず、何とも頼りないような男。演じたのは勿論、パンフレットによると27作目(1981年!)から満男を演じている吉岡秀隆君。吉岡君自身はわたしとほぼ同じ歳の1970年生まれだそうだから、11歳からずっと演じてるんだね。吉岡君も来年50歳か。わたしは、吉岡君の声とか演技があまり好きではないんだけど、満男と黒板純だけは、もう吉岡くんじゃないとダメなのは明らかでしょう。本作でも当然、誰がどう見ても満男でした。ほぼ同世代だけに、満男の老け方も自分を見ているようで、なんか、いろいろ自分のことも考えちゃったす。奥さんとは死別したという設定で、その奥さんは写真のみの登場だけど、くそう、誰だったか分からなかったな。でもまあ、いつまでも「叔父さん」のことを忘れないで、娘さんと幸せに生きて行ってほしいと思ったすね。
 ◆諏訪さくら:寅さんの異母妹で満男の母。随所に挿入される回想シーンでの、若いさくらが飛び切り可愛くてびっくりしたっすね。あ、こんな可愛かったっけとか思いました。さくららしい年の取り方で、いいおばあちゃんでしたなあ。ホント、お兄ちゃんがいなくて寂しいね……。演じたのは勿論、倍賞千恵子様78歳。画面では全く分からなかったけど、あのお団子屋さん「くるまや」は、今はカフェになってるそうです。これからもお元気でいてくださいね。。。
 ◆諏訪博:さくらの夫で満男の父。元々は、くるまやの裏にあった印刷工場で働いていた。さくらと結婚する時の泣かせるエピソードも、今回ちゃんと回想で挿入されてます。その時のさくらが妙に可愛かったすね。いいお父さんですよ。演じた前田吟氏も現在75歳だって。
 ◆及川泉:泉ちゃんは何回出てきたんだろう、満男の高校時代の彼女であり、最終的に二人は結ばれたのかと勝手に思ってたけど、どうやら泉ちゃんはヨーロッパに旅立ち(そのエピソードがかつて描かれていたかか全然思い出せない)、現在は国連難民高等弁務官事務所でバリバリ働くキャリアウーマンとなっていた。そして既にオランダ?で結婚し、二児の母、となっている。そして久しぶりの日本での仕事のあと、ふと立ち寄った書店で満男のサイン会のポスターを発見し、再会する。演じたのは当然、後藤久美子さんであります。23年ぶりの芸能仕事だそうですが、そうか、F1レーサーのジャン・アレジ氏と結婚したのは1996年、23年前なんだな。驚きというか、時が流れたんだのう……。。。満男も泉ちゃんも、それぞれの時を過ごしていろんなことがあったわけですが、二人とも後悔はなく、今をきちんと納得している一方で、二人の「もしあの時……」的な想いは観ててグッとくるものがありましたなあ……。まあ、こういうのは女性より男の方が後を引くわけで、泉ちゃんはきっとこの後もバリバリ仕事するのでしょう。満男、お前も頑張れよちゃんと!
 ◆松岡リリー:シリーズでお馴染みのリリーさんは、現在神保町のジャズ喫茶のママをやってるらしい。今回、泉ちゃんとばったり再会した満男が連れてくる。リリーさんもいいっすねえ、やっぱり。ずっとリリーを演じてきた浅丘ルリ子さんは現在79歳だそうですが、ホントお綺麗ですな。
 ◆及川礼子:泉ちゃんのお母さんであり、かつては寅さんとイイ感じになったこともある夜の女。別れた亭主である泉ちゃんの父は、現在介護施設に入っていて、そこで泉ちゃんと久々再会するが、泉ゃんと喧嘩してしまう様子なんて、年老いた母と暮らすわたしにはとてもグッと来たっすね。満男の仲裁も非常に優しく、満男にしちゃあ上出来だったぞ。演じた夏木マリさんはカッコイイ系の女性を演じさせたら随一っすね。
 ◆高野節子:シリーズ初登場。満男の担当編集者。なんか満男といい雰囲気なのが若干解せない。あんなののどこがいいんだ!? 演じたのは池脇千鶴ちゃん。え、あっ!?もう38歳なんだ!? おおう、いつの間にそんな年齢になったんだ……。相変わらず大変可愛らしく、良いと思います。
 とまあ、こんな感じかしら。他にも、お馴染みの方々も多く出てくるし、なにより、回想で今は亡き大女優がいっぱい出てくるのが、完全に若者お断りな映画であったようにも思います。さっき調べてびっくりしたけど、大地喜和子さんなんて亡くなってもう17年もたってることに驚きだし、しかも、亡くなった時は48歳、マジかよ、今のおれより若いじゃん! ということに改めて信じられない思いすね。ああ、事故死だったんだな……他にも、八千草薫さんなんて、若い頃は超可愛かったとか、とにかく多くの女優たちが「寅さん」に出演していて、なんとも感慨深いですな。ま、そういう意味でも完全シニアムービーだったと言わざるを得ないでしょうな。わたしもシニア予備軍なので、ギリギリセーフぐらいす。満男と同級生ぐらいなんで。

 というわけで、結論。

 「寅さん」で日本全国でお馴染みの渥美清さんが1996年に亡くなってもう23年が過ぎた。渥美さんが亡くなったことで、そのシリーズ最終作となってしまった作品は、第48作目だったそうだが、その後1998年に特別編が公開されて、それを入れて今回の『お帰り 寅さん』が第50作目、としてカウントされるそうだ。というわけで、観てきた『男はつらいよ50 お帰り 寅さん』だが、まあ、なんつうか、今の現代人が観て面白いと思うかはかなりアヤシイと思う。しかし、あと20年とか30年であの世に行きそうな我々準シニア以上が観ると、やっぱり今までの自分のことを振り返ってしまうのではないかと思う。寅さんが日本全国を旅していた70年~80年代~90年代。20世紀に青春を謳歌した我々にとっては、寅さんはもはやある意味「原風景」に近く、ああいうおっさんは普通にいたわけだが、令和の今、完全にもう、絶滅しつつあるわけで、なんつうかレクイエムのようにも感じたっすね。思うのは、誰しもが寅さんを忘れずにいる一方で、わたしはきっと死んだら数カ月で忘れ去られるだろうな、という確信めいた思いが募りますな。まあ、この先のことはもう、知らん、つうか、分からん。ので、どうでもいいかなって気がします。少なくとも、除夜の鐘の聞こえない大晦日が当たり前になった世には、未練はないっすね。あーあ。大みそかに思うことじゃあないすね、我ながら。以上。

↓ この作品は25作目だそうで、劇場で観たことをすごく明確に覚えてる。小学生だった。