2013年に公開された『MAN OF STEEL』は、DCコミックヒーロー「SUPERMAN」のオリジン物語で、まあ、何度もこのBlogで書いてきたことだが、残念ながら期待通りの面白さにはならず、まったくアレな作品になってしまった。それは、物語の進行が恐ろしくリアルで、「現実的」という意味では全く破たんなく、そりゃそうなるな、とある意味見事な物語だったのだが、残念ながら映画としてまるで面白くなかったのである。
 ある日、子供のいないカンザスの片田舎に住む夫婦のもとに、宇宙から赤ん坊が降ってくる。夫婦は喜んでその赤ん坊を育て、赤ん坊もすくすく育つのだが、成長するにつれ、自らの持つ「スーパーパワー」に戸惑いつつも、愛を知り、地球を守るスーパーな男になっていく、てのが「SUPERMAN」の物語だ。
 しかし。もしその赤ん坊が、邪悪な心に目覚めてしまったら?
 というのが、わたしが今日観てきた映画『BRIGHTBURN』の物語だ。まあ、はっきり言ってこの画を撮りたかっただけじゃね? というネタムービーであったと断じてもいいような気がするなあ……だって、相当後味悪いっすよ、このお話は。

 もう、物語は上記予告から想像できる通りに進む。つうかこれ以上の説明は全く不要だろう。なので、わたしとしては、これはいったいどんな結末を迎えるんだろうか、という興味だけで観に行ったわけだが、それはちょっと書かない方がいいだろうな。知りたいことはそれだけだし。
 というわけで、わたしとしては、本作に対して特に面白かったとか、おススメするというつもりはないのだが、一つ観ながら思ったのは、どうしてこうなってしまったのか、どこが「SUPERMAN」と違うのか、という点である。
 同じカンザスの田舎に落っこちてきた宇宙人という意味では共通しているわけだが、片や人類を守る超人に、片や人類を支配しようとする大魔王になってしまったわけで、何が道を分けたのか、これはちょっとだけ考えてみる価値はあるだろう。いや、まあ、ほとんどないけど。
 本作の場合のクソガキ君は、ある日突然、自分の乗ってきた宇宙船(納屋に隠してあった)から発せられた謎の「人類死ね死ね電波」に感化され(て本性が刺激され)たともいえるわけだが、その点では、そもそも「SUPERMAN」はその本性から善良だったけど、今回は最初から邪悪な謎宇宙人だった、という違いもあるのだろう。一体全体、どこから来たのか、彼は何者なのか、という点に関しては、本作では一切説明はない。まあ、そこを描き出したら、恐らく軸がぶれるだろうし、実際必要ないことだろう。本作は、上映時間91分と非常にコンパクトで、映像にキレがあって無駄がない点は称賛して良い点だろう。ホント、本作を作った人々は、ただ単純に、SUPERMANが邪悪な心に染まっていたらどうなった? と描きたかっただけで、他のことは特に何も考えてないというか、どうでもいいことなのだろうと思う。
 しかし思うに、自分が「スーパーな特別な存在」であることを自覚する年齢が違っていた点は、小さくない違いのような気がする。本作では、12歳(だったっけ?)の誕生日に、「どうやらオレは他の人間と違うみたいだ」ということに気が付く。まあ、予告にある通り、人間であれば反抗期まっさかりで、そんなお年頃に「やべえ、おれ、すげえかも」とか思っちゃったら、まあマズいですわな。その力を使うことに躊躇しないクソガキ年齢なわけで、言ってみれば、中2病のクソガキに、本当にスーパーパワーが宿っていた、的な物語だ。これが、自覚するのがもうチョイ、そうだなあ、5年早くて、まだまだちびっ子だったなら、教育で何とか道を正せたかもしれない。お父さんだってお母さんだって、決して悪人ではなく、善良な心を持っていたのだし、周りの環境だって、まあ、フツーだよね。ゲームや漫画でそういうバイオレンスに染まった(笑)わけでもないし。
 でも、猛獣だって、生まれた時から人間に愛情をもって育てられたら、普通懐きますわな。本作では、もう一切躊躇なく、自らの力をふるって人を殺しまくるわけで、そこが非常に異質であり、我々人類には全く理解しがたい存在となる。クソガキ君の表情が、ほぼ常に無表情ってのも、不気味さに拍車をかけてましたな。その点も、本作は非常に見事だったすね。
 そして残念ながら本作も、いろいろと見事で賞賛すべき点はあるんだけど……やっぱり面白くないんだよな……何も得られないというか……なんなんだろう、この気持ちは。とにかく無力なんだよね。人類には理解できないし、そりゃ宇宙人だから当たり前なんだが……まったく救いがないお話は、面白くはないすね。やっぱり。
 というわけで、演じたクソガキ&お母さん&お父さんの3人キャストをメモしてさっさと終わりにしよう。
 ◆ブランドン:宇宙からやってきた赤ん坊。12歳で悪意の波動に身を委ね、人類の脅威に。ブランドン、という役名は、まあ、『SUPERMAN RETURNS』でSUPERMANを演じたBrandon Routh君から来てるんでしょうな。で、今回恐怖のブランドンを演じたのはJackson A. Dunn君16歳。2003年生まれだそうな。おっと! なんと、『AVENGERS:ENDGAME』でANT-MANが赤ん坊になったり少年になったりお爺ちゃんになるあのギャグシーンで、12歳のANT-MAN=スコット・ラングを演じたのが彼だって!? まじかよ、あとでBlu-ray見直してみよっと。本作では、とにかく無表情なツラがホントに宇宙人っぽくて大変な好演だったと思います。結構なイケメンに成長すると思いますね。名前を憶えとこうと思います。
 ◆トーリ:不妊に悩んでいるところで宇宙から赤ん坊が降ってきて、愛情をもって育てたお母さん。せめてお母さんは許してやってほしかった……気の毒すぎる。。。そんな気の毒すぎるお母さんを演じたのは、Elizabeth Banksさん45歳。うおお、もう45歳なんだ。かつては可愛かったのだが……まあ、今でもお綺麗ですが、すっかりお母さん役が似合う年齢になりましたな。
 ◆カイル:宇宙人を育てたお父さん。その本性に気づき、頭を打ち抜こうとするが、あっさり返り討ちに……。まあ、宇宙人は即座に通報しないとダメだったんでしょうな……。演じたのはDevid Denman氏46歳。結構いろんなところで見かける方ですな。屈強系アメリカ人です。
 とまあこんな感じですが、エンドクレジット前の「その後」に出てきて、何やらジャーナリスト?めいたイカレたことをわめいている人物は、Michael Rooker氏が演じてて驚きだったすね。なんでこんなところにMichael氏が!? と思ったけど、要するに本作のプロデューサーJames Gunn氏に対する友情出演のようなものだったのだろうと思う。
 そう、本作は、MCUの『GUARDIANDS OF THE GALAXY』の監督でお馴染みのGunn氏が、昔のアホなツイートでMCUをクビになった時、に、その才能に眼をつけたSONY PICTURESがすぐに声をかけて作らせた作品で、その後Gunn氏はMCUに復帰することになったけど、あの時はDISNEYに対して『GUARDIANDS』のキャストたちが一斉に擁護する動きを見せたわけで、そのつながりなんでしょうな。わたしはGunn氏に特に思い入れはないのでクビになろうが復帰しようがどうでもいいけど、まあ、本作は、確かに映画としてとてもキレがあって映像的にもかなり高品位、であったけど、お話的にオチがないというか救いがなく、面白いとは思えなかったすね。まあそれが結論す。本作は、US本国では全然売れなかったみたいすね。評価もかなり微妙判定だな……Rottentomatoesによると。日本では売れるんだろうか。。。
 ※追記:サーセン、一部わたしの勘違いでした。本作は、Gunn氏がMCUをクビになる前からSONYがGunn氏に作らせていた作品で、出来上がってから、Gunn氏のツイート騒動が起こってプロモーションができなくなった、結果、あまり売れなかった、というのが正しいみたいです。Wikiによると。でもどうかな、予定通りコミコンなどでのプロモーションが出来ていても、ちょっと厳しかったような気がしますね……根拠ナシですが。

 というわけで、なんかどうでもよくなってきたので結論。
 
 今日観てきた『BRIGHTBURN』という作品は、もしSUPERMANが邪悪な心の持ち主だったら?という物語を描いているわけですが、結論としては、そういう宇宙人はとにかく無慈悲&無造作に人類をぶっ殺すだろうし、それに対して人類はまるで無力、愛さえもまるで通じないという、ある意味当たり前の結果となるお話であった。なので、面白いとは思えないすね。ただし、本作でその邪悪な宇宙人を演じたJackson A. Dunn君は、その無表情な演技は極めて上質であったし、物語自体のキレはとても鋭くシャープで、大変高品位な映画であったと思います。とにかく、Dunn君の表情がですね、人間を虫けらのように見るまなざしが、無慈悲かつ超冷酷で、その点は非常に見ごたえがあったかと存じます。やっぱり、上にも書きましたが、宇宙人が来たら即通報、の方が良さそうすね。ただし、それだとSUPERMANは誕生しませんが。以上。

↓ 宇宙人に心があって、善良な場合、はこうなります。