わたしは映画オタとして、当然1989年公開のTim Burton監督版『BATMAN』を劇場で観ているし、天才Christophe Nolan監督の超傑作『DARK KIGHT』も観ているので、両作に共通するBATMANの敵、「ジョーカー」という存在について、それなりに知っているつもりである。わたしのジョーカーというキャラクターについての知識は、要するにジョーカーは「普通の人間には理解不能のナチュラル・ボーン・悪党」であって、「世界が炎に包まれ燃えあがるのを見て笑う狂気の男」であるというのが、これまでのわたしの理解だった。
 なので、今般『JOKER』なる映画において、ジョーカー誕生秘話が語られることになったという話を聞いて、わたしはまず第一に困惑した。今さら、実はジョーカーには悲惨な過去があって、それであんな奴になった、とか、ある意味、感動的な物語を観せられても困るというか、ジョーカーに対して共感できる物語なんて必要ないんじゃね? とか思っていたのだ。
 というわけで、わたしは今日、やっと日本公開となったその映画『JOKER』を観てきたのだが、結論から言うと、わたしの愚かな予断を吹っ飛ばすほど素晴らしい映画で、なるほどねえ……と非常に満足のいく内容だったと思う。ズバリ言えば、ジョーカー自身は、どんな理由があっても間違いなく悪党で、同情の余地はなく、共感する必要はないと思う。だが重要なのは、ジョーカーという存在は実に社会的な存在とでも言えばいいのだろうか? つまり、ジョーカーは「ゴッサム」という街、後に「悪徳の栄える街」と呼ばれる社会が生み出した怪物だ、ということだ。その点が非常に見事に描かれていたように思うのであります。言いたくないけれど、超・強いて言うならば、ジョーカーは社会の被害者、とすら言えるのかもしれない。しかし、くれぐれも勘違いしたくないのは、だからジョーカーは悪くない、とは絶対に思えないし、思いたくないですな。
 というわけで、まずは予告を貼っときましょう。

 というわけで、お話は、ジョーカーという怪物がいかにして誕生したか、である。以上。終わり。
 と、終わらせてはアレなので、ちょっとだけ解説しておこう。後に「JOKER」を名乗ることになるアーサーという男がいる。彼は、どうやら脳の障害によって、突然笑い出す発作を持っている。さらに、ゴッサムという街は相当な格差社会であり、貧富の差は激しく、世には仕事がなく、アーサーはド底辺でピエロの仕事をしている。彼は、「人を笑顔にしたい」という希望があって、ピエロの仕事をして街頭で店の宣伝をしたり、小児科病棟に慰問に行ったりとせっせと仕事をしてはいるが、夢はコメディアンとして舞台に立ち、憧れのTV番組に出演したいなあ、とか思っている。また、家には病身の母がいて、献身的に介護を行う、絵にかいたような優しいイイ奴だ。
 しかし。世間はまったく彼に優しくない。
 観ていてつらいほど、ひどいことばかり起きる。
 この辺はもう、わたしの現在の心境に極めて近く、こりゃあ、アーサーじゃなくたって、誰だって怒りを身のうちに育てていってしまうだろうと思う。そして、とあるきっかけから、アーサーは3人の男を撃ち殺すに至る。そして、さらに追い打ちをかけるように、母の言葉が嘘だったことが明らかになった時、完全に正気を失い、「ジョーカー」と変貌するわけだ。
 わたしは観ながらずっと、わたしとアーサーの違いはどこにあるんだろうか、と考えていた。わたしも、ズバリ言うと世の中には絶望しているし、内心では街でバカをやっている連中だったり、電車内でマナーのヒドイ高齢者や若者を見かけると、死ね! とか、ぶっ殺すぞこの野郎! とか、普通に思っている。オレとジョーカーはどこに違いがあるんだ? とずっと考えていたのである。
 日本には銃がないから? うーん、まあ、そうかも? 銃があったらオレも乱射してるか? いや、それはないな。つうか、ないと思いたい。
 オレは金に困ってないから? まあ、それは今までのオレの頑張りだけど、ジョーカーことアーサーもそれなりに頑張っていたし、どうにもならんかったかもしれないぜ?
 家族の愛? うちの母はジョーカーの母とは違う? うーん、そうかも? これが決定的な違いか?
 それともやっぱり、「報われない社会」だからか? いやいや、現代日本も十分「報われない社会」と言えるよね。残念ながら。
 とまあ、いろいろ考えても、実は今のところ結論は出ていない。一つ確かなことは、本作で描かれた境遇に自らを置いてみた時、自分がジョーカーにならない道を選べたかどうか、結構怪しいんじゃないかということだ。 
 わたしは、なにかと人のせいにしたり、社会のせいにしたりするような人間が一番嫌いだし、そういう人間こそ、真の邪悪だと思っている。そういう奴って、本当にどうしようもないクソ野郎だと思うし、さっさと死んでほしいと思う。
 しかし、ジョーカーは、実は全く「社会や他人のせい」にしたりしていない。そういう意味で、ジョーカーは「邪悪」ではないとわたしは感じた。そう、わたしの結論は、ジョーカーは完全なる「病人」であり、完全に精神が「ぶっ壊れちまった」存在なのだ。もはや人間とはいえないのかもしれない。まさしく、「怪物」。そうとしか言えないように思う。もちろん、わたしは病気だとか、心神喪失だとかで、罪を免じられるような、現代社会の法律を全く信頼していない。法律は、病人や罪人は回復/矯正可能という前提にあるとわたしは考えているが、残念ながら、回復しない病気もあるし、ズバリ言えばクソ野郎は死ぬまでクソ野郎で、死ぬまで社会と隔絶しておくしかないとさえ思っている。ジョーカーは、わたしにはそういう、一生を監獄に監禁すべき病人であり、人間であることができなくなった怪物だと思えた。その意味で、わたしにはジョーカーに同情しないし、共感もしない。ただし、まったく人ごとじゃあない、オレもそうなってたかもしれん、という思いだけは、これは否定しようがないと思う。
 いやはや、なんかまとまらないけど、とにかく言えることは、この映画はすげえ! ということでしょうな。これは、やっぱり傑作だと思う。

 というわけで、最後に役者陣を称えて終わりにしよう。と言っても、讃えるべきはただ一人、主人公アーサー=ジョーカーを演じたJoaquin Phoenix氏だ。本当に素晴らしかったと思う。もちろん、『DARK KNIGHT』でジョーカーを演じたHeath Leger氏の演技はすさまじく素晴らしかったのは言うまでもなかろう。しかし、ジョーカーとしては素晴らしくても、その前のアーサーとしては、もう今回のJoaquin氏は完璧だったと思う。Heath氏にアーサーは演じることができただろうか?? できたかも、としか言えないかな。もう亡くなってしまったのが本当に残念だが、今回のJoaquin氏は実に見事で、これはマジでアカデミー賞もあるかもしれないすな。本作は、コミック原作の皮をかぶった完全なる社会派映画と言ってもいいほどなので、作品賞すらあり得るかもとわたしは感じたっすね。なにしろ、現代社会は本作で描かれたゴッサムという街そのままだし。格差、不信、怒り、そして報われないという思いが蔓延する現代社会を見事に描いていると思う。
 この見事な社会の縮図を描いて見せたのが、監督のTod Phillips氏48歳。おっと、意外と若いな。わたしはこの監督の作品を『HANG OVER』シリーズしか見てないけど、画の質感といい、若干の長回しだったりキャラの表情を切り取る画のセンスと言い、かなりの腕前っすね。後のBATMANことブルース・ウェインとの因縁も実に上品に、さりげなく、そしてガッツリと描いてくれましたな。全くもっておみそれしました! 

 というわけで、書くことが亡くなったので結論。

 BATMANの敵でお馴染みのジョーカーという怪物がいかにして生まれたのか、を恐ろしくリアルに描いた作品『JOKER』がやっと日本公開されたので、さっそく観に行ってきたのだが、ズバリ一言で言えば、これはすごい、素晴らしかったと思います。観ながらわたしはもう、いろんなことを考えてしまったのだが、一体、ジョーカーとわたしを分ける、決定的な違いは何なんだ? という問題は、今後折に触れて考えてしまうように思う。わたしは、現代社会に生きる我々は誰しもがジョーカーになり得るのではないかと思う。生きててもいいことなんてねえんだもの。でも、それでも、ジョーカーになったらある意味負けというか、人間であることを放棄することだけはしたくないですな。ジョーカーを肯定しないし、同情もしないよ。けど、ジョーカーになってはダメだ、という思いだけは、しっかり胸に刻みたく存じます。いやあ、すげえ映画でした。これはひょっとすると、オレ的2019年ナンバーワンかもしれないす。ホント、観ててつらかったす……。でも、目をそらしてはいけないのでしょうな。キツイすねえ……生きるってのは……。以上。

↓絶対に観ておかなくてはならない作品の一つです。
ダークナイト (字幕版)
クリスチャン・ベール
2013-11-26