このBlogにおいて、わたしは何度か書いているような気がするが、わたしはいわゆる「会社側」の人間として仕事をしている期間の方が長いので、労働者の権利とか言われたら、権利を主張する前にちゃんと義務を果たせよ、とか思ってしまうし、一般社員へ会社の決定をすべて知らしめる必要なんてないと、実は考えている部分が多い。同様に、政府が国民に知らせないで、政策を進めることだってそりゃあるだろうと思うし、それはそれで別に構わないと思っている。
 こう書くと、けしからん!と言われるとは思うが、わたしがそう思うのは一つ大前提があって、あくまで会社や政府には「大義」がなくてはならず、要するに、凄いひどい言い方をすると、いちいちうるせーこと言わねえで、何も考えられないお前らに代わって、お前らの働く会社、お前らの暮らす国のことを考えてやってんだから、心配すんな、という(上から目線のものであっても)「善意」らしきもの、なんつうか、「大義」と書くとなんでも許される感がアレだから、そうだなあ……「良心」としておこうか。自らの胸に手を当ててやましいと感じられない、無私のもの。そういった「良心」が絶対に存在していること。それが大前提だ。
 しかし、その前提がなく、私欲や狂信のようなものに憑りつかれた場合は、もうアウトである。そんな私欲や狂信にかられた人間がTOPにいる会社や国は、滅んでいくのは間違いなかろうと思うし、それでもそんな悪党がのさばるならば、闘うしかない。まあ、そういう闘いは極めて困難なもので、非常に勝ち目は薄いのだが、会社の場合なんかは、取締役が結託して叛乱するしかないだろうし(一般社員にはTOPの行動に違法性がない限りまず不可能。会社の経営に異を唱えられるのは株主か取締役だけ)、国の場合は、「大勢の国民(=mass)」が「情報を分かち合い(=communication)」声を上げていくしかなかろう。その際、情報を分かち合う媒体が必要になるわけで、それすなわち、「マスメディア」というわけだ。
 まあ、現代日本では、文春砲なるものがマスコミを称しているが、あんなものは雑協のデータによると発行部数65万部に過ぎず、仮に8割売れているとしても50万ちょいの規模なので、たいしてマスではないけれど、あんな主観バリバリなものの記事で国会がオタオタするのだから、もう滑稽としか思えない状況だ。
 というわけで、以上はどうでもいい前振りである。昨日、わたしは『The Post』(邦題:ペンタゴンペーパーズ/最高機密文書)という映画を観てきたのだが、その映画を観てわたしがぼんやり思ったのは上記のようなことだ。この映画は、ニクソン政権(及びその前の数代にわたる大統領たち)の取った私欲にかかられた行為に対して、「The Post」、すなわちThe Washington Postというワシントンの地方紙が戦いを挑む姿を描いた映画である。結論から言うと、意外なほど「The Post」の闘いは、権力への監視というよりも、やっぱりマスコミとしての名誉欲の方が大きかったんだろうな、という展開で、想像していたものとはかなり違うものであったのが新鮮だった。以下、ネタバレに一切配慮せずに書きなぐると思うので、まだ見ていない人は読まない方がいいと思います。

 この映画は、上記予告からわたしが想像した話とはかなり違っていて、いや、違うというよりもっと規模がデカイというべきなのかな、とにかく、ああ、そういうことなんだ、と観ていて非常に興味深かった。簡単にまとめると、以下の4つの陣営の思惑が交錯するお話である。
 1)大統領を頂点とするUS政府
 泥沼化するベトナム戦争に対し、国内は反戦運動が勢いを増している中、おそらく本音としては、さっさとこんな戦争からは撤退したいと思っていたはず。だが、撤退する理由と方法が見つからず、まさしく泥沼化していたわけで、大統領の頭にあったのは「アメリカ建国史上初の<敗戦>大統領になりたくない」というある種の恐怖であり、決断できない状況なのだったと想像する。これは、ペンタゴン文書暴露事件(1971年)当時の大統領ニクソンに限らず、ベトナム戦争にかかわった歴代大統領全員が擁いていたはず(?)の感情で、JFKでさえそうだった、とこの映画では描かれている。ただし、ニクソンの違法性は甚だしく、本作はウォーターゲート事件発端のあの事件(ウォーターゲートビルへの不法侵入及び盗聴)の始まりが描かれて幕を閉じる。わたしとしては同じスタッフ・キャストでそちらも描いてもらいたいと思った。
 2)情報を漏らした人々
 そもそもの「ペンタゴン文書」は、JFK及びジョンソン大統領時代の国防長官ロバート・マクナマラが、「今は戦時で非常時であり冷静な判断はできない。のちの世の歴史家によって判断が下されるべき」として当時の状況を、だれが何をどう判断したのか、つぶさに記録せよ、と命じてまとめられたものと本作では説明されていた。Wikiによるとちょっと違う?ようだが、その動機や事実はどうあれ、変な官僚の忖度という改変などがない、生情報として記録されたことは大いに価値のあることだろう。
 そしてそれらが外部に漏れた経緯として、漏らした張本人ダニエル・エルズバーグの心情は、本作の冒頭に描かれている。彼は要するに、お役人、いわゆる官僚で、ベトナムの状況を調査するために最前線の兵士に同行して現地を生で体験し、その体験から、こりゃあアカン、という文書を作成、上司はその報告をもとに、軍に対しては何しとんのじゃあ!と叱責するも、国内に帰ってマスコミの前では、ええ、わが軍は快進撃中です、なんて大本営発表をかます。そんな姿を見て、これはもうダメだ、と情報漏洩を決意したように本作では描かれていた。
 問題は、この情報漏洩行為の違法性だ。おそらく、普通に考えて重大な犯罪行為だろう。しかし、この泥沼化する事態において、大統領サイドに大義がなかったとしたら? ということが大きな問題となって浮かび上がってくるのだ。つまり、納得の問題で、エルズバーグはどうしても納得ができないわけで、自分にできることは何なのかと考えた時、これは国民の判断を仰ぐべきだと考えたのだろう。もちろん違法ではあるかもしれない。しかし、納得できない以上、ここで黙っていることはどうしてもできないのだ。そういう意味で、わたしは本作の主人公は彼、エルズバーグだと思う。
 3)The Postの現場編集チーム
 そして「ペンダゴン文書」は、NY TIMESによって暴露される。そう、The Postではないのだ。実はわたしの目には、(本作の名目上の主人公である)The Postの記者たちのモチベーションは、TIMESにすっぱ抜かれたことに対する焦りと記者としてのプライドばかりが目についた。彼らは要するに、文春砲に負けた週刊新潮で、ひどい言い方をすれば二番煎じ記事なのである。折しも、TIMESには、政府から「文書」の記事公開停止の仮処分も出ており、チャンス!という状況でもあった。彼らは、政府による検閲だ、そんなの許せるか!と憤って、自らも「文書」を入手し、記事をまとめようと奮闘する。そりゃあ当たり前だし、間違っていないとは思う。けれど、どうもわたしの目には、お前らも結局「スクープをものにしたい=有名になりたい、金を稼ぎたい」っていう私欲が一番根底にあっで動いてんじゃん、義憤なんてそれを美しく言い換えただけだろ、というように見えてしまい、実のところ彼らに肩入れする気にはなれなかった。勿論それが悪いことではないと思うし、当たり前の行動だとはわかっているけれど、そういう意味でわたしとしては、なーんだ、という気にもなってしまったのである。
 4)The Postの経営陣
 わたしがこの映画で、一番立派だと思えたのが、The Postの社長であるキャサリン・グラハム女史の決断だ。彼女はFRB議長を務め、The Postをメイヤー家から買収したユージン・メイヤーの娘である(ちなみに現在のThe Postは、Amazonのジェフ・ペゾスが買収してます)。父から夫に受け継がれ、夫の自殺によって当時のThe Postの社主・発行人の立場にある彼女は、父の影響で政界にも太いつながりがあり、「文書」作成を命じたマクナマラともお友達だ。おまけに経営者としてはお嬢さん育ちの素人(のように見えた)で、The PostのIPOに向け、銀行や投資家への説明に悪戦苦闘しているところである。さらに言えば、記者としての経験もなく、記事内容に関してもド素人だ。
 そんな彼女に対して、The Postの法律顧問や取締役会は「文書」の公開に反対する。それはIPOの際の趣意書に反する行為ではないか(その結果上場廃止の可能性も)、また「文書」入手の経緯、それから「文書」公開そのものも違法なのではないか、という理由があるからだが、彼女は、たった一つの理由から、「文書」公開にGOサインを出す。
 その理由は、端的に言うと「アメリカの若者の命を救うこと」である。彼女は、Tom Hanks氏演じる編集主幹に問う。「この文書を公開することで、若者がベトナムに行かなくて済むようになるのね?」これに主幹は「100%」と答える。それに対する彼女の答えは、「ならやって」である。これももちろん、私欲とも言えるかもしれない。しかしそこには、明確な「大義」と「良心」があるとわたしには映った。そして、彼女は、本心でそう思っている。訴訟リスクは高く、経営者にとってこの判断は相当気合がないとできないものだと思う。この判断は損得ではないわけで、その点にわたしは非常に共感できてしまったのである。まあ、映画なので事実なのか知らないけれど、演じたMeryl Streepさんはさすがですな。最初はお嬢さん育ちのお飾り社長かと思わせておいて、見事に将たる器のある女性を演じきっていたと思う。こういう役柄は、Merylさんじゃあないと、ダメでしょうな。(主演/助演合わせて)21回のアカデミー賞ノミネートは本物ですよ。

 最後に、本作を撮ったSteven Spielberg監督について少しだけ。本作は非常に金がかかっていて、さすがのSpielbergクオリティで大変見ごたえがあったと思う。冒頭のベトナムの様子なんて、ほんの数分しかないのに完全に本気で全力で撮っていて、根拠はないけど邦画1本分、あるいは余裕でそれを超えるぐらいの予算を使っているんじゃないかしら。また、舞台は70年代なわけだけど、それなりにロケシーンが多いにもかかわらず、もう街は完全に70年代のにおいがするし、機械類(数千ページの「文書」をコピーするコピー機が超ドでかい70年代マシン!)だったり、ファッションだったり、いちいち金がかかっていると思う。故に本物感がすごいわけだが、本作に登場する人々の、実際の写真を先ほどいろいろWikiなどで観てみたところ、ちゃんと本人に似せてメイクもされてるんですね。ま、当たり前だけど、なんというかな……手抜きの一切ない徹底ぶりは、ほんとにSpielberg監督作品だったな、とわたしは感じた。そして音楽はもちろんJohn Williams御大で、安定のゴールデンコンビであったと思います。Spielberg監督ももう71歳だって。日本では数週間後に最新作『READY PLAYER ONE』の公開も迫っており、衰えることなく大変お盛んですな。80年代が青春だったおっさんのわたしとしては、これからも活躍を期待し、作品を楽しみたいと思う。

 というわけで、結論。
 実は特に理由もなくあまり観るつもりのなかった『The Post』(邦題:ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書)という映画を観てきたのだが、マスコミ嫌いのわたしには、The Washington Postの現場連中に対してはあまり魅かれるものは感じなかったものの、社長であるキャサリン・グラハム女史にはいたく感服したのである。それは恐らく、彼女の願いが私欲ではなく、大義に基づいているようにわたしには感じられたためで、大義に基づいた決断ができるTOPというのは、まさに将たる器がある人物だということなのではなかろうか。演じたMeryl Streepさんも、まあ見飽きた顔だけど、やっぱりお見事ですよ。もちろん映画なわけで、全部が事実だとは思えないし、かなり美化された部分もあるのは分かっているつもりだが、Merylさんの貫禄と説得力には脱帽すね。そしてわたしとしては、同じスタッフとキャストで、ぜひ「ウォーター・ゲート事件」の顛末も描いてもらいたいと強く感じた。ここで終わりかよ! とエンディングで思った方は少なくないと思います。そういう意味では、この映画は「前編」として、ぜひ続きが観たいすね。以上。

↓ 一応原作というか、キャサリンさん本人の回顧録もあります。まあ、そりゃあ美しくいいことしか書いてないんでしょうな、きっと。読んでみないとわからんす。