わたしは映画や小説が大好きである。それはもう、このBlogを読んでもらえれば理解していただける通りであろう。実際、わたしがクソオタク野郎であることは、わたしの周りの人々にも認知されている事実だ。映画や小説、あるいは漫画、そういったものの他にも、好きなものはいっぱいあって、宝塚歌劇も大好きだし、登山やマラソンなどの持久系スポーツも得意だ。そんなわたしだが、歴史も日本史・世界史問わず好きで、中でも、信長の台頭から関ケ原に至る流れは、結構詳しいつもりでいる。
 なのでわたしは、司馬遼太郎先生の『関ケ原』が映画化されると聞いた時は、そりゃあ観に行かないとダメだな、と断定し、キャストも、石田三成をジャニーズ最強演技王の岡田准一氏が演じるとなれば、こいつは傑作の匂がするぜ……? とさえ思いこんでいた。
 というわけで、昨日から公開された映画『関ケ原』を早速観てきたのだが、のっけからもう、わたしはこの映画に対して、若干イマイチだったという旨を表明せざるを得ないだろう。確かに、確かに役者陣の熱演は素晴らしく、実に見ごたえはあった。三成の岡田氏、家康の役所広司氏など、本当に素晴らしい、渾身の演技だったことは間違いない。だが、はっきり言って、期待したほどは面白くなかった。それは一体なぜか? 以下、考察してみたい。いや、考察というか、答えはもうごく簡単で、一言で言えば、まとまりがない、ように思えたのである。おそらくそれは、本作を観た人ならばほぼ確実に感じることなのではないかとわたしは思う。

 とまあ、予告の出来は素晴らしくイイ! この予告を観たわたしのような歴史オタは、こ、これは期待できる! とゴクリと唾をのんだはずだ。だけど、観終わったわたしが真っ先に思ったのは、何とも言いようのない、もやもやした思いである。何がそうさせたのか。すでに前述のように、まとまりがない、とわたしは評したが、それは次のような点からそう思ったのである。
 ◆とにかく説明がなくて分からん
 1)登場人物が多すぎて誰だかわからない。
 まあ関ケ原の戦いを描くとなれば、そりゃあキャラクターが多いのはやむなしであろうとは思う。しかし、それにしても多すぎる。誰かが名を呼ばないとわからないようなキャラも多く、例えば大谷刑部井伊直政の鎧のような、ビジュアル的特徴がある場合は、わたしのような歴史オタならすぐに分かっても、残念ながらそうでない観客もいっぱいいるはずだ。わたしが観た回は、けっこう子供連れの親子も多く、ちびっこには100%理解不能だったのだろうと断言できる。なぜ断言できるかって? だって、わたしの隣に座ってた小学生ぐらいのちびっこ、通路を挟んだ隣の中学生ぐらいのガキ、二人とも、ぐっすり寝てましたよ。そりゃあ無理だったんだろうな。わたしですら、エンドクレジットを観て、あ、上杉景勝は登場してたんだ、そうか、五大老がそろうシーンがあったんだから、そりゃあいただろうな、でも、どれだったんだ? とか、もうさっぱりである。
 2)視点が定まらず、群像劇として軸がブレている。
 この、膨大ともいえるキャラクターたちの中で、本作の物語の軸となる主人公は、三成ようでいて、家康のようで、あるいは初芽や金吾だったりと、いわゆる群像劇のようになっているのだが、ほぼ、キャラクターの背景などの説明はないため、どうしてそのキャラがその行動をとるかという説得力に欠ける。この点も、歴史オタには通じても、そうでない観客には通じないだろう。群像劇は、それぞれをしっかり追う必要があるものだと思うけれど、かなり描かれる情報量に濃淡があって、どうも1本筋の通った軸が感じられず、あれもこれも、と手を出した結果、ブレブレにしか感じられなかった。俯瞰的な、神様視点で関ケ原の戦いを描きたかったのだろうか? だとしたら、失敗していると言わざるを得ないだろう。戦場の様子も正直良く分からず、どうして今の状況で、金吾がどう動くかで戦いの趨勢が決まるのか、まったく伝わっていない。おそらく関ケ原の戦いについて知識のない人が見たら、まったく理解できなかっただろうとわたしには思えた。
 3)端折りすぎて事件の経過も分からない。
 さらに理解を妨げるのは、場面がかなり時間的にも空間的にも飛びまくる点だろう。省かれてしまった出来事が多すぎて、なぜそうなったのか、キャラ説明もないだけに、明らかに説明不足だ。わたしが致命的に感じたのは、例えば、直江兼続と三成が挟み撃ちにするという作戦を立てるシーンを入れたのに、なぜ上杉軍は動かなかったのか、一切説明はなく省かれている点だ。また、三成が襲撃を察知して家康のところに転がり込んだ後の奉行解任・佐和山蟄居の流れも一切カット。さらに、珍しく薩摩島津家も登場させた本作だが(しかも『DRIFTERS』でおなじみの豊久までちゃんと出演させたのは大興奮!だけどまったく出番なし!)、島津家の思惑もまったくふわっとしか描かれず、何のために出てきたのか全く謎のままであった。アレじゃあ分からんだろうなあ……と思う。

 以上の3点は、重なり合っていて、上手く分類できなかったが、結局のところ「キャラが多すぎ、それぞれの背景も分からず、それぞれの思惑が分からない」ということに尽きると思う。これはたぶん誰が観てもそう感じることだと思う。わたしとしては、「軸のブレ」が非常に気になったことで、とにかく、本作のような群像劇は完璧な計算が必要なはずなのだが、どうも配分というか、共感度合いというか、ポイントが絞れておらず、結論としてわたしは「まとまりがない」と思うのである。逸話としての有名なエピソードをあれもこれも、と取り入れいるうちに、逆に重要な情報がそがれていき、軸が失われてしまったような印象だ。本当に残念である。

 しかし。以上の点は役者陣には一切責任はなく、各キャストの熱演は本物であり、パーツパーツでは大変見ごたえはあったことも間違いないと思う。というわけで、素晴らしい熱演で魅せてくれた役者陣に最大級の敬意を表して、各キャラ紹介をしておこう。
 ◆岡田准一氏 as 石田三成:素晴らしいの一言。NHK大河で演じた黒田官兵衛もすさまじい気迫あふれる渾身の演技だったが、今回も素晴らしかった。本作での三成は、秀吉の治世を「利害による治世」であると否定し、「義による政体」を樹立すべきであるとする男として描かれている。それはそれで美しいけれど、まあ、現代も利害によって国が成り立ち世界が成り立っているのは間違いないわけで、やっぱり「大一大万大吉」の世は夢と消えるのはどうしようもないでしょうな。いずれにせよ、とにかくカッコよく素晴らしい演技であった。
 ◆役所広司氏 as 徳川家康:まあ、本作は三成視点の方に重点が置かれているので、悪役としての登場だけれど、役所氏の演技は相変わらず素晴らしく、歴代家康史上でも最高峰の家康ぶりであったように思う。今回の描かれ方は、確かに憎々しい悪役テイストではあったけれど、客観的に見れば現代ビジネスの世界ではごく当たり前の気配りによる調略で、なんというか、ここが家康の凄いところだ的なものは感じられなかったように思う。まあ、そりゃあ三成は、こんな家康の配慮の前には孤立しますわな。
 ◆有村架純嬢 as 初芽:歴史上の人物ではなく創作キャラ、だと思う。わたしは正直、まーた架純ちゃんを登用して変なLOVE展開でも付け加えるんだろうな、と大変失礼な高をくくっていたのだが、実に、実に素晴らしい演技で、大絶賛したいと思う。本作では、関ケ原の戦いが情報戦であったことも描こうとしていて、その情報戦の主役たるスパイ=忍の者、にも結構大きな役割が加えられている。各陣営に雇われている伊賀者が、陣営の壁を越えて夜集まる「忍び市」なる情報交換会が行われていたという描写があって、それは非常に興味深かった。しかし、やっぱりいろいろと説明不足であったし、これは忍びの者としての演出なので架純ちゃんには全く非がないことだが、非常に早口で、セリフが聞き取りづらかったのも少し気になった。ただ、架純ちゃんの演技はとにかく素晴らしかったと絶賛したい。
 ◆平 岳大氏 as 島左近:わたしにとって左近といえば、原哲夫先生の漫画や、その原作である隆慶一郎先生の小説『影武者徳川家康』で超お馴染みの武将だが、演じた平氏はそのビジュアルといい、演技ぶりといい、もう完璧であったと思う。とにかくカッコイイ。これまた歴代左近史上最高だと思った。
 ◆東出昌大氏 as小早川秀秋 a.k.a."金吾":さまざまな関ケ原に関する物語で、「裏切り者」と言われる金吾だが、本作では、本当は三成に協力したかったけれど家康によって配備されていた柳生宗章に無理やり徳川につかされたという描写になっていた。そして、戦いの後に捕縛された三成からはやさしい言葉をかけられるなど、裏切り者としてよりもかわいそうな人、という扱いであった。演じた東出氏は、まずまずであったと思う。ちなみに、剣聖・柳生石舟斎もチラッと出てきてわたしとしては大興奮であった。
 ◆福島正則加藤清正黒田長政の「三成ぶっ殺し隊」トリオ:正直存じ上げない方が演じていたので割愛。描写としては、これまでもよく見た「過激な若者たち」で、特に思うところはない。ただ、一つメモしておくと、有名な長政の兜(水牛の角のアレ)と正則の兜(以後、長政の兜としておなじみの一の谷型のアレ)を交換して和解するシーンがあるのだが、2年前、福岡で開催された「大関ケ原展」での解説によれば、一の谷型の兜は、当時はゴールドの金箔が張られていた可能性があるらしいのに、本作では現在残っているもののようなシルバーであった。まあ、その後の調査でも、うーん、金だったのか銀だったのか、良く分からんというのが現在の結論のようなので、文句は言わないけれど、ゴールドの一の谷兜も観てみたかったすね。わたしは実物を福岡で観ましたが、意外と長政は小柄なお方だったようですな。
 ◆松山ケンイチ氏 as直江兼続:もう完全にワンシーンのみ。マツケン氏の芝居は全く文句はないけれど、三成最大の同盟者たる上杉家についてはほぼ何も描かれずだったのは残念です。まあ、本作においては本筋ではないという判断なのだろうけれど、三成の「義」を強調した物語なのだから、「義の上杉家」をカットするのはちょっともったいないと思った。
 あーイカン、キリがないので、あと大物を二人だけ。
 ◆西岡徳馬氏 as 前田利家:いやーカッコ良かった。大納言様がカッコイイとやっぱり締まりますな。三成ぶっ殺し隊の若者たちを一喝するシーンはとてもカッコ良く、西岡氏の貫禄が非常に大納言・利家にマッチしていたと思う。
 ◆滝藤賢一氏 as 豊臣秀吉:いやー、やっぱり滝藤氏は演技派なんすねえ。実にいい芝居であったと思う。ただし、本作においては若干チョイ役で、秀吉の執念じみたものにはあまり重点は置かれていなかったように感じた。

 思うに―――といっても完全な素人映画オタクの浅はかな考えだけれど、やっぱり取捨選択を一本筋の通ったものにする必要があったのだろうと思う。例えば、完全にもう”情報戦”というコンセプトに絞って、いかに三成と家康は自らの陣営を整えていき、三成の切り札は上杉家と金吾の動きであり、家康の切り札は金吾の寝返りに尽きる、というような、そこが崩れれば負けてしまう、という、両陣営ともに実にあぶなっかっしい、ギリギリの戦いだった、ということに絞ればよかったように思う。そうすればもっと登場キャラクターを整理して絞ることが出来たろうし、画面に登場させなくても忍びの報告で状況は説明できたのではなかろうか。そして最大のポイントである「義」と「利」の対立も、もっと明確に描けたのではなかろうかと思うのである。期待した大作だけに、とても残念だ。

 というわけで、結論。
 かなり期待して観に行った『関ケ原』であるが、どうも、何もかも説明不足で、「一見さんお断りムービー」に仕上がってしまっていたように思われる。しかし、キャスト陣の熱演は素晴らしく、とりわけ三成を演じた岡田准一氏は素晴らしい! また、有村架純嬢も、期待よりもずっとずっと見事な演技であった。もう少し、コンセプトを絞って、徹底的な緊張感のある凄い映画にしてほしかった……ちなみに、パンフレットは非常に分厚く、物語に描かれなかった情報満載で大変読みごたえがあります。が、パンフで補完されてもね……なんというか、実に残念です……。以上。

↓ 今わたしが一番見たい映画。関ケ原の戦いという題材は日本人なら誰でも知っているお馴染みのもので、イギリス人ならだれでも知っているらしいダンケルクの戦いに近いような気がするんすよね。果たして天才Nolan監督は、そんなダンケルクの戦いをどう描くのかが楽しみです。