湯灌、という言葉を現代の若者が知っているのかどうか、相当怪しいような気がする。実際わたしも、その場に居合わせるまで知らなかったし、そもそもそのようなことを知りもしなかった。
 わたしはちょうど20年前に父を亡くしているのだが、わたしはまさしくその時、初めて知った。湯灌とは、遺体を棺に納める前に、湯で洗うこと、要するに最後の風呂に浸からせることだ。今から考えると、結構珍しいことのような気がするが、わたしの父の場合は自宅で葬儀を執り行ったのだが、今はもう都市部においては、自宅での葬儀というのはほとんど見かけないすね。いつからそうなったのか……さっぱりわからないが、現在では葬儀はほとんどが●●会館のような専用施設で行うのがほぼ一般化されているといってよいだろう。そういう場合は、湯灌も専用設備があるのだと思うが、わたしの経験した父の葬儀の場合は、まさしく自宅で、葬儀社が持ってきた専用の、ちょっと特殊というか見慣れない、そうだなあ……深さ50㎝ぐらいだったかなあ? やけに浅い湯船のようなもので湯灌が執り行われたのである。その光景は、極めて厳粛なものとして、いまだに忘れられない。
 というわけで、わたしが昨日の帰りの電車内で読み終わったのが、高田郁先生による『出世花』という小説である。すでにこのBlogでも散々書いている通り、『みをつくし料理帖』や『あきない世傳』シリーズでおなじみの高田先生の小説デビュー作である。もう最初に書いちゃいますが、まあ泣けましたなあ……泣ける度合いとしては、わたしとしてはこれまでの高田先生の作品の中では随一ではなかろうかと思う。まあほんとに超いいお話でありました。

 物語は、江戸時代中~後期にかけて、江戸は内藤新宿の先の下落合の「墓寺」を舞台に、湯灌師として働くことを決めた一人の少女の目を通して語られる人情話である。いつもの高田先生の作品のように、本書は4つのエピソードからなる短編連作と言っていいだろう。今回は、キャラ紹介、エピソードガイド、そしてこの作品を読んでわたしが初めて知ったこと、をまとめてみようと思う。いつも通りネタバレ満載ですのでご注意を。
【キャラ紹介】
 ◆お艶(→お縁→正縁):主人公の女子。初登場時は9歳。下級武士の娘。母が不義密通で駆け落ちし、父とともに妻敵討ち(めがたきうち)の旅に出るも、江戸で野垂れ死に一歩手前で行き倒れているところを、下落合の墓寺「青泉寺」の住職に助けられる。父はそのまま死亡。父は死の間際、住職に、この子の名を新たに与えてほしい……と頼んで、艶から「縁」に名が変わる。その後お縁と名を変えて青泉寺で養育されるが、湯灌された父の、すべての苦悩から解き放たれた安らかな死に顔をみて、湯灌師になりたいという希望を持ち、15歳の時に「正縁」という名を得る。なお、僧籍にない、湯灌の手伝いをする人々を「毛坊主」(剃髪してない坊主もどき的な蔑称)と呼ぶのだが、上方では「三昧聖(さんまいひじり)」と呼ぶそうで、以後、正縁は、人々の間では三昧聖と呼ばれ、「三昧聖の手にかかると、病みやつれた死人は元気なころの姿を取り戻し、若い女の死人は化粧を施され美しく輝くようになる。三昧聖の湯灌を受けた者は、皆、安らかに浄土へ旅立ってゆくのだ」という評判が立つようになる。現代で言うところの納棺師というものですな。まあ、とにかくいい子ですよ。大変けなげで大変泣かせてくれます。当然美少女です。
 ◆正真:青泉寺の住職さん。いい人。年齢表記があったか覚えてないけどイメージ的に50代ぐらいか?
 ◆正念:青泉寺の若いお坊さん。超いい人。実は僧籍に入る際に深い事情があって……それは第4話で明かされます。その話がまた泣けるんすよ……。
 ◆市次:青泉寺の下働きの男の一人で最年長。正縁の先輩。これまたいい人。
 ◆仁平:青泉寺の下働きの男の一人で真面目な人。正縁の先輩。もちろんいい人。
 ◆三太:青泉寺の下働きの男の一人で最年少。正縁の先輩。まだ若干俗世間的な執着はあるけどなんだかんだ言って正縁の味方のいい人。
 ◆お香:内藤新宿の(今でいう四谷三丁目あたりか?)菓子司「桜花堂」のおかみさん。幼いお縁を養子にもらおうと思うが、お香本人も知らなかった驚愕の事実が……! 
【エピソードガイド】
 ◆第1話:出世花
 物語の始まりから、三味聖として生きる決意をするまで。成長のたびに、「お艶」→「お縁」→「正縁」と名前が変わるのを、出世魚じゃねえんだからよ、おれたちにとっちゃお縁坊はお縁坊だぜ、と市次兄さんがいうのを聞いていた正念さんが、「正縁は魚ではない。さしずめ「出世花」というところかな。仏教で言うところの「出世」とは、世を捨てて仏道に入ることだ。正縁は名を変えるたびに御仏の御心に近づいていく。まことに見事な「出世花」だ」と泣かせることを言って幕が閉じる。なぜ泣けるかは、ぜひ自分で読んで感じてください。わたしは、「出世」という言葉は、「世に出る」ことかと思ってたけれど、仏教的には「世を出る」ことだったんすねえ。逆だったのか……なるほど、てことは、現代の出世した、と言われる人々は、ほとんど出世してねえってことなんだなあ。むしろ逆に、より一層世に縛り付けられることが現代の出世なわけで、なんか感じるものがあるすね……かつて社会的に結構出世したわたしも、今は本当の意味での出世に近いのかもなあ……。いや、まだまだか。どっぷり世に浸かってるし。
 ◆第2話:落合蛍
 いつも青泉寺に棺を納品に来る龕師(=棺職人)岩吉さんの泣けるエピソード。岩吉は無口で容貌が超おっかない鬼の形相だし、おまけに棺職人なので、残念ながら人々に避けられている孤独な男なのだが、これまた超イイ奴で、その儚くも報われぬ恋の顛末を描く物語であった。残念ながら、ただしイケメンに限る、のは今も昔も変わらないようで……岩吉さんの優しさが心にしみますなあ……。そしてこの話から、若干犯罪捜査ミステリー的な面も出てくる。大変面白い。
 ◆第3話:偽り時雨
 この話は、神田明神そばの幕府非公認岡場所の遊女が、はるばる下落合の青泉寺にやってくるところから始まる。容態が悪く、死に瀕した先輩遊女が、どうしても最後は三味聖に湯灌してほしいと言っているとか。そこでお縁は、その遊女の案内で、初めて江戸を横断して神田明神界隈へ。そこで、それまで全然世間を知らなかったお縁は、江戸市井の人々の生き方を知る。そしてこの話は、検視官的犯罪ミステリーでもあって、かなり面白かった。この話で定回り同心の新藤さまと知り合う。
 ◆第4話:見返り坂暮色
 最終話。正念さんの超泣けるエピソード。ある日、立派な身なりの武家が青泉寺へやってくる。聞けば危篤の奥方がいて、どうしても正念さんに会わせたいのだとか。しかし正念さんは、もはや出家の身、それすなわち俗世との縁はすべて断ち切った身であり、行くことはできないときっぱり断るのだが、どうやらその危篤の奥方とは、正念さんのお母さんであるようで――てなお話。ここで語られる正念さん出家の理由がまあ泣けますよ。そしてやっぱりお縁の湯灌の様子も、ホント心にグッときますなあ……。
【初めて知ったへぇ~な事実】
 ◆「墓寺」ってなんぞ?
 江戸時代、寺社仏閣は、もちろん「寺社奉行」の管轄であり、町奉行の手の及ばないところというようなふわっとした知識は、まあ誰でもお持ちだろうと思う。時代劇なんかでもおなじみですな。寺社奉行の歴史は古くて一休さん(※時代的に室町時代の足利将軍時代)に出てることででおなじみの新右衛門さんも、寺社奉行のお人でしたね。
 で、墓寺というのは、どうやら寺社奉行の管轄外=幕府非公認のお寺だそうで、お葬式専門のお寺のことなんだそうだ。へえ~。そんなお寺があったんすね。それは、背景としては、江戸市中ではすでに火葬が一般的ではあったんだけど、火葬場施設を持っていない幕府公認の普通のお寺もまだ多かったし、幕府公認の公設火葬場も5か所しかなく、どうやら簡単に言うと、全然足りない状況だったらしい。ゆえに、葬儀専門寺としての「墓寺」というものの需要が高かった、ということだそうだ。へえ~。全然知らなかった。
 ◆「湯灌」の作法
 ・逆さ水:ふつうのお風呂は、沸かした熱い状態に水を入れてちょうどいい温度にしますわな。しかし、湯灌の場合は、先に水を入れて、湯を注いでちょうどいい温度にするんだそうだ。へえ~。
 ・「使用後の湯」の捨て方:これはあらかじめ定められた「日の当たらぬ場所」に捨てることが決められているらしい。まあ、湯灌師は「屍洗い」という蔑称で呼ばれていた時代(ま、現代でも湯灌を見聞したことのない人はきっと、その仕事の尊さは全く理解できないだろう。本作でも、「見ず知らずの死人を洗う、などと、考えただけでも身の毛がよだちます」なんていわれてしまう)、その湯灌に使ったお湯をそこらに無造作に捨てていたら、そりゃちょっとアレですわな。だからきちんと、ひょっとしたら仏教的な意味も明確にあると思うけれど、捨てる場所が決まっていたんだそうだ。へえ~。
 ・「湯灌」時の服装:これもきっちりルール化されていて、「縄帯に縄襷を身に着けるべし」と決まっているそうだ。なるほど。へえ~。
 ・場所について:家持でない者の自宅での湯灌は許されない。よって当時はたいてい、寺院の一角に設けられた湯灌場にて僧侶立会いの下に行われるのが常であったそうです。へえ~。わたしの家は持ち家だったから許されたのかな。あの時お坊さんは来てたっけ……ああ、確かに来てたような気がするな。でも、納棺師の方は、縄帯・縄襷ではなく普通にスーツにネクタイだったかな。
 ◆ところで……このお話って、あの映画に似てるよな……
 わたしは本書を読み始めて、真っ先に思い出したのが、第81回アカデミー外国語映画賞を受賞した『おくりびと』だ。あの映画はわたしも公開初日に観に行って深く心にグッと来た作品であったが、本作も、同じ納棺師を主役としている点で共通している。ただ、まあ好みとしては本作の方が味わいは深いかな……いや、どうだろう、比べることに意味はないか。どちらも素晴らしいと思う。わたしが興味深いと思ったのは、本作『出世花』は2008年6月刊行、そして映画『おくりびと』が2008年9月公開であったという、非常に近い時期に世に出た作品であるという共通点である。ま、どっちが先かなんてことはどうでもいいけれど、ここまで似た作品がこんなに近いタイミングなんで不思議すね。偶然?なんだろうな。他に何か理由があるのかな。あ、元々は祥伝社の小説公募で2007年に奨励賞を受賞した作品なんすね。へえ~。知らんかったわ。

 というわけで、もう長いので結論。
 高田郁先生による『出世花』という作品を読み終わった私であるが、またしてもわたしは高田先生の作品にいたく感動してしまったのである。大変グッときましたよ。素晴らしいお話でありました。実は本作『出世花』には、第2巻があって、それで完結しているらしいので、早速そちらも読み始めようと思っております。しかしなんというか、現代人が忘れちまったことを、いろいろ思い出させてくれますね。そういう作品ばっかり読んでいると、ホント、現世が嫌になってしょうがないす。あーあ……いったいいつまで生きねばならんのだろうか……いつあの世へ行けるのか、正確にわかっていれば、相当いろんな悩みから解放されるというか、きっちり計画的に生きられるんだけどなあ……まあ、明日突然でもいいように、毎日真面目に、清く正しく美しく生きたいと思います。以上。

↓ この作品も漫画化されてるんすね。ちょっと気になるわ……。全4巻みたいすね。ああそうか、各話ごとってことか。なるほど。電子化されてればすぐ買うのに……。