というわけで、昨日書いた高田郁先生による『あきない世傳』シリーズの(2)巻を帰りに買い、電車の中で読み始め、ちょっと切りが悪かったので駅ナカのカフェで小一時間読み、家に帰って34.0℃のクソ暑い部屋でじっとり汗をかきながら読んでいたらあっという間に残り50ページぐらいになってしまい、やっべえ、もう寝よっと、と寝苦しい夜をグースカ眠り、今朝、通勤電車の中で読み終わってしまった。

 結論から言うと、今回、主人公「幸」の運命はかなり大きな変転を迎え、この(2)巻ラストでも、な、なんだってーーー!? という事態が勃発し、もう、高田先生、次の3巻はまだっすか!! と大変続きが気になる終わり方で終了した。そして、やっぱり次男の惣次が意外とイイ奴であることも判明し、しかしこのラストは……ええい!! 続きが気になるわ!! という感じでありました。以上。

 と、終わらせてしまうとアレなので、いくつか、へえ~と思ったことを書き連ねようと思います。
 物語の内容に触れることは今回は避けようと思いますが、物語の背景にある時代性? に関連することでいくつかあげつらっておこう。
 ◆1730年代の女性の地位について
 まず、時代として18世紀初頭、江戸中期という事で、元禄を経て質素倹約の時代である。そんな時代の女性はどう生きていたのかについて、いくつかの視点がある。それは、場所的な違いと身分的な違いによってかなり差があると想像できるが、まず第一に、(1)巻で描かれた主人公・幸の故郷での、母親のセリフを引用すると――
 「女子に学は要らん。お尻が重うなるだけやわ。先生(=夫)も何で、女子にまで読み書きを教えはるようになったんか。ほんに余計なことやわ」
 「母さんを見なはれ。読み書きは出来んけど、よう働いて先生を支え、あんたらを産んで丈夫に育て、きちんと家を守ってますやろ。女はそれで十分やわ」
 ――とまあ、こんな感じ。恐らくこういう価値観は、下手をすれば戦前・戦後の都会ではない地方ではずっと変わりなく存在していたかもしれない。つまり、この幸の時代の後の200年間、ずっと変わってなかったという事だ。しかし、先生(=幸の父)が、賢く知識欲の強い幸に対して、「お前が男だったら」と嘆くのも、現代人の我々からすれば、なんとも嘆く方向性が違うような気もする。まあ、仕方ないけれど、そんな時代だ。そして、奉公に出た先の、ある種の都会であり、商人の家である「五鈴屋」では、女中というか「女衆」の先輩のお姉さんたちは幸に対してこう告げる――
 「あのなあ。丁稚は半人前でも『ひと』なんや。しっかり仕事を覚えて、手代から番頭へと、店を背負って立つ大事な『ひと』なんだす」
 「(女衆は)ひとのはずないやろ。出世も暖簾分けも関係あらへん。ずーっと鍋の底みがいて、土間掃いて、ご飯炊いて、洗い物して……ここから嫁に行くか、お松どんみたいに年取って辞めるか、どっちかやわ」
 ――というわけである。一応、女衆は月給制のようだが、幸のような幼い場合は、最初の5年間は無給で、そのかわり、住む場所と食事や衣服、つまり衣食住は保証されるという事で、父が亡くなったとこで収入の途絶えた幸の母としては、幸を奉公にやるしかなかったわけだ。厳しい時代だけど、これもきっと、戦前・戦後辺りまでは普通だったのかもしれない。
 ◆幸と商(あきない)と、知恵。
 こういう女性に対する価値観が時代背景としてある中で、女性はどう生きるかとなると、一つは、従来通りの価値観に身をゆだねて、『ひと』でない生き方をするという方法もあるが、もう一つは、テキトーな言い方だが「手に職をつける」という事だろうと思う。まあ、それは男女関係ないし、現代でも変わりないか。例えば、高田先生の『みをつくし料理帖』で言えば、主人公の澪ちゃんは、女性の料理人なんていなかった時代に、料理人として生きる道を選んだ。これは、時代的に本作より80~90年後の世であり、江戸という大都会であり、経済的な安定もあった時代だからできたことかもしれないが(たぶん、そもそも幸の時代には料理屋はまだほとんどなかったと思う)、何か「モノ」を作って売る、なんらかの「価値」を創って提供する、という経済活動がどうしても必要になる。
 どうやら、幸の父は、「モノ」を作って売る方を「職人」と呼び、「価値」を創造して提供する方を「商人」と呼んで、モノを右から左に渡すだけで手の綺麗な人々=商人を蔑んでいたように感じるが、今のところ、技能のない(=職人にはなれない)幸は、「商(あきない)」に非常に関心を持っている。
 というのも、幸が欲しいものは「知恵」である。それは、大好きだった亡き兄が「知恵は、生きる力になる」と教えてくれたこともあるが、七夕の短冊に知恵が欲しいと書くぐらい、知識欲旺盛な娘だ。そんな幸は、様々な素朴な疑問をぶつけて、その回答を得ると、へえ~、なるほど、と納得して、父が蔑んだ「商=あきない」に興味津々なわけだが、その過程が読んでいてとても楽しめる部分だ。
 例えば、(1)巻で、幸は優しい三男の智蔵にズバリ聞いてみる。どうして、反物は問屋から五鈴屋、五鈴屋からお客さん、の順に移っていくのか、どうして問屋はじかにお客さんに売らないのか、と。それを智蔵や大番頭の治兵衛さんから、直接的な回答でなく幸が考えてゴールに行けるように優しく誘導されて答えに至るわけで、周りの人に恵まれていたことも大きいし、幸の向学心も、大変読んでいて心地よい作品だと思う。
 また、この(2)巻では、(1)巻の段階では商才はあるけど意地悪というか嫌な奴だった次男の惣次も、営業周りに幸を同行させることで幸の魅力に気付き、少しずつ、商売の面白さを伝えたり、惣次自身の、店内では決して見せない、お客さん向けの営業フェイスを見せることで、幸に影響を与えていくわけで、この次男とのエピソードも、実に現代的な営業センスが問われる話で大変面白かった。
 全然物語には関係ないけれど、この惣次が売り出したいと思っている「石畳の柄」の反物がなかなか売れなかったのに、江戸で、歌舞伎役者の佐野川市松が同じ柄の反物で衣装を作って「市松模様」として江戸で大流行になった、という話を聞いて悔しがるというエピソードは、ちょっと、へえ~と思った。つまり惣次は、美的センスというか目利きとしての嗅覚も非常に優れた商人というわけですな。
 ◆「商売往来」
 幸が奉公に来たばかりの時に、番頭の治兵衛さんが丁稚たち相手に読み書きを教えるために使っていた教材が「商売往来」という本で、内容的にも商売の心得的なものが書かれた書物だそうで、これは実在する本なんだそうだ。(2)巻の巻末の企画ページによれば、1694年に刊行され、明治期まで増補改訂がなされたものだそうで、大変な人気のある本だったそうですよ。内容がとてもいいんすよね。曰く、
 「挨拶、應答(あしらい)、饗應(もてなし)、柔和たるべし。大いに高利を貪り、ひとの目を掠め、天の罪を蒙らば、重ねて問い来るひと稀なるべし。天道の動きを恐る輩は、終に富貴、繁昌、子孫栄花の瑞相なり。倍々利潤、疑い無し。よって件の如し」
 もう、これは現代サラリーマンにも心に刻んでおいてほしい言葉ですな。映画の『殿、利息でござる!』に出てきた「冥加訓」にも似てますね。「善を行えば天道にかなって冥加(=神仏の助け・加護)があり、悪を行えば天に見放されて罰が与えられる」。まったくですよ。そういう世の中であってほしいものです。今も昔も、いやな野郎ばっかりですからね、少なくとも自分は、まともでありたいですな。この(2)巻では、とにかくどうしようもないクソ野郎の長男。徳兵衛に重大なことが起こるが、まあ、天に見做されたという事なんでしょうな。おっと、これ以上はネタバレだから書かないぜ!!

 というわけで、結論。
 いや、もう結論は上の方に書いてしまいましたが、とにかく、(1)巻を読んで、まあ、面白いんじゃね? と思った方は今すぐこの(2)巻を買いに、本屋さんへ直行していただきたいと思います。正直、この(2)巻でもまだ序盤、という感じかも。どうも、大きく物語が展開されるのは次以降なのかもしれないです。つーかですね、早く次の(3)巻が読みたいのですが、また半年後かな……楽しみにしておりますので、高田先生、よろしくお願いいたします!! 以上。

↓ コイツもやっぱり、宝塚歌劇を愛する身としては読んておくか……。