わたしは友達が少ないことでお馴染みだが、そんなわたしにも、一応友と呼べる男は少ないながらもおり、K氏はわたしが最も信頼する男の一人である。
 彼は、晴れやかなイケメン野郎で、アメリカ映画で例えると、わたしはギーグでモテないブサイク野郎であるのに対し、K氏はもう完全にアメフト部のキャプテンと言ってよかろう。ねたみ・そねみを自らに抱えるクソ野郎のわたしからすれば、実にけしからん男だが、どういうわけか気の合うナイスガイである。あまつさえ、超美人のCAの妻を持ち、息子もまたイケメン君でしかも賢く、この春から有名私立中学に通う、絵にかいたような幸せ満点家族である。もちろん、友とはいえ、その内情は知る由もなく、幸せの中にもそりゃあいろんな苦労があることは想像に難くはないが、外面的には非の打ちどころのない、スーパーリア充野郎である。
 そんなK氏とわたしは、いつも、仕事に全く関係ない、どうでもいいことを楽しく語り合い、完全に男子高校生の日常的な会話ばかりするのだが、毎週、週刊少年チャンピオンやヤングマガジンの巻頭グラビアを見分し、グラビア品評会が開催されるのも日常の一コマである。ほう、この娘はいいですな、うむ、この寄せて作り上げた谷間には夢があふれておりますな、ははあ、これは相当なPhotoShop職人の努力の跡が見るのう、おお、このポージングはなかなか分かっておるわ、というような、縁側で日向ぼっこをしているおじいちゃんめいた口調で、男子高校生のような内容をアホみたいに話すのが我々のグラビア品評会の光景である。
 そして、そんな我々にとって、ちょっと特別な位置に属している女性がいる。
 その名を「壇蜜」と言い、年齢は既に30半ばの女子である。しかし、我々にとって30半ばなんてものは十分にうら若き女子であり、まったくもってストライクゾーンど真ん中である。 なので、どうも本人はいつも「わたしなんて……」と年齢を気にしている風な発言をされているようにお見受けするが、我々的には壇蜜さん、通称みっちゃんは、アリ、であって、そのシュッとしたたたずまいと、素晴らしいBODYに我々二人のおっさんはメロメロなのである。また、わたしは多分に「声フェチ」でもあり、みっちゃんの声が大好きだ。なんか、特徴ある声っすよね。最高です。
 そんな特別な存在のみっちゃんこと壇蜜さんだが、実は数年前、わたしとK氏は偶然生身のみっちゃんを目撃したことがあった。わたしとK氏が打ち合わせに向かって歩いていた時、前方からみっちゃんが歩いてくる場に遭遇したのだ。わたしは常に360度センサーをオンにして哨戒状態にあるし、視力もいいので、わたしは約20メートル前から気が付いた。あれ? 何あの女子。超可愛いじゃん。つか、オイちょっと待って!!? あれってまさか、まさか!?  げええええーーーー!! み、みっちゃんだ!! 本物だ!!! とわたしは大興奮し、隣を歩くK氏に、(ねえ、あれ!!  あれ!! みっちゃんじゃね!?) と超・合図したのだがK氏が気づいたのはすれ違う直前で、わたしはもうとっくに気づいてみっちゃんをガン見しながら、漂ってくる超・いい香りに脳が侵され、ある意味イッちゃっていたのだが、すれ違いざま、思わずK氏と顔を見合わせ、二人で超・ナイス笑顔で、(みっちゃんだ!!!)と囁き合い、以降、長らくみっちゃんこと壇蜜さんは我々おっさんの心の偶像(IDOL)なのである。いやー、すげえいい香りで、ちょっとちびっ子で、超華奢で、すさまじく可愛かったことを今でも覚えている。みっちゃん……最高です。
 さて。なんでまたこんなどうでもいい話をしたかというと、先日、とある書籍を買って読み、非常に感銘を受けたからである。わたしが買って読んでみた書籍とは、これです。
どうしよう
壇 蜜
マガジンハウス
2016-02-18

 お、発売時のサイン会?の動画があったから貼っとくか。

 この本を買ったきっかけは、まったくの偶然で、先日本屋さんで偶然見かけ、へえ? と思って手に取り、ちょっとだけ立ち読みしてみたところ面白そうだったので、気になり、その場では買わなかったものの、気になって調べたら電子書籍版も販売していて、ううむ……えいっ!! とポチってみたわけである。よく考えると、タレントのエッセイを買うのは初めてかもしれない。しかし、内容は大変面白く、また、みっちゃんは文章がかなり上手で大変感銘を受けるに至ったのである。ははあ、やはりみっちゃんは、言葉を大切にしている人なんだな、というのが非常に感じられる文章であった。
 また、50本のショートエッセイから成る本書は、各エピソードがことごとく同じ分量なので、これはきっとどこかの雑誌連載コラムを一冊にまとめたものなんだろうな、と勝手に想像していたが、なんとこれはすべて書き下ろしだそうである。この事実にわたしはかなり驚いた。ここまで各エピソードを決まった分量で書くことは、かなり技術的にも難しいことだと思う。素直に、すげえ、これは明らかに努力の人なんだなあ、とますますみっちゃんが好きになった。
 で、肝心の内容である。すべて、彼女が常々思っていることや、遭遇した出来事についての飾らない心情を書き綴ったもので、意外とテーマは幅広い。様々な場面における「どうしよう」といった出来事について書かれているわけだが、そこにはみっちゃんのこれまでの生き方(その由来含む)や、これからの生き方が明確に映し出されていて、彼女の性格が非常に良く表れているように思う。もちろん、話したことのない、永遠の偶像(IDOL)なので、これも当然わたしの妄想に過ぎないのだが、壇蜜こと斎藤支静加という一人の女性は、どうやら、いたって真面目な人間であるらしいことは良くわかった。以下に、わたしが本書を読んで、へえ~と思ったり、そうなんだ、と知ったことをいくつかまとめてみよう。
 ■壇蜜≒斎藤支静加ということ。
 まあ、当たり前かもしれないが、我々が知るタレントの壇蜜さんと、現世に生きる人間である斎藤支静加さんは、似て非なる別人格なんだな、ということが随所で感じられる。もちろんベースは共通しているのは当たり前だが、タレントとしての「壇蜜」という存在は、かなり人工的な存在であるらしい。それは要するに「壇蜜」に求められるものを体現する努力をしているという意味なのだが、それは極めて冷静な視点から作り上げられた姿らしい。ただ、現在はどうやらかなりそれが重なって来て、人工的なイメージに合わせた「壇蜜」という存在と、素の斎藤支静加という人間の同化が静かに進行中であるようだ。どうやら、もはや「壇蜜」としての過去のイメージを消すことはできないと自覚しているものの、もっと楽に、自然に在る「壇蜜」でいる方向性を選んでいるように感じられた。だから、両者の同化は、「壇蜜」の否定ではなく、一方的に壇蜜を消して元の斉藤支静加に取り込まれるものではない。0:10ではなくて、5:5なのかわからないけど、とにかくちょうどいい塩梅に融合して行っているという感じなのではないかとわたしは感じた。
 ■モノを持たないということ。
 どうも、この本の中で何度か出てくる話なのだが、みっちゃんは、とにかくモノを持たない、捨てる女なんだそうだ。一人っ子であり、女子高育ちの彼女は、基本的な人格形成において、かなり厳格な環境にあったそうだが、それまでは彼女は何でもとっておく傾向のほうが強かったものの、30代になって初めて一人暮らしを経験してからは、捨てることを生活方針と定め、それはもはや宗教的な敬虔さを持って、意識的に、バンバン捨てる、そしてシンプルな、整然と片付けられた部屋に暮らすことを旨としているそうである。へえ~、である。そして、どうも、そういった彼女の生活スタイルは、物質としてのモノだけでなく、精神的な「思い」すらも捨てて生きようとしているようにわたしには思えた。つまり、執着しない、ということなのだが、年齢を経ていろいろなことに対して柔軟に、そして、それでいて、ブレない芯を持った生き方を真摯に追求しているわけで、みっちゃんの凛とした姿はそういう内面の表れなんだろうな、と思うに至った。やっぱり、ちょうどいい感じにやわらかく、きちんと芯を持っているのがいい女なんでしょうな。
 ■だって、にんげんだもの。
 みっちゃんは、本書でいろいろなことを告白し、自分の生き方をさらけ出している。だが、全部それを実践できているかというと、そりゃあそんなこともないわけで、結構頻繁に、自分でツッコミを入れている。「とはいえ、●●なんですけどね」と、こうありたいという姿と、現実のギャップを、若干の恥じらいと自虐をこめて結ぶ話が多い。そりゃあ、だって、にんげんだもの。しょうがないというか、そうなっちゃいますわな、と、読んでいてやや安心するというか、そういった柔らかさもまた読んでいて心地いい。

 とまあ、書き出すときりがないのでこの辺にしておくけれど、みっちゃんはその過激な露出グラビアや、一面だけを切り取って報道される言動からは、だいぶかけ離れた一人の、おとなしい、真面目な女子であることが、この本を読むと良く分かる。もちろん、みっちゃんのすべてを肯定するわけではないし、それはどうなんだろう、と思うようなことももちろんある。けれど、みっちゃんの素直な心根は、大変好ましいというか、きっとわたしは、ええーーーと思うことがあっても、まあいっか、と許してしまうような気がする。
 ただ、本書で残念なことが一つだけある。それは、常にクールなみっちゃんは、一体何に、何をしている時に、一番テンションが上がるのだろう? みっちゃんが、浮かれて、ふわーーい!! と喜んでいる様が観てみたい。それがどんな時なのかが書かれていないような気がするのが、わたし的にちょっと残念である。女子はですね、やっぱり、笑顔が一番っすよ。みっちゃんはどんな時に、どんなものに一番喜びを爆発させるのか、それが知りたいわたしであった。

 というわけで、結論。
 壇蜜さんのことをわたしは勝手にみっちゃんと呼んでいるが、何らかの宇宙的な奇跡が顕現し、みっちゃんと話す機会があったなら、わたしは迷わず、大ファンです、と告げるだろう。まあ、そんな奇跡は起きないから奇跡と呼ばれるわけだが。はーーー……。とりあえず、わたしとしては、この本を読んで、ますますみっちゃんが好きになりました。以上。

↓ K氏には友情の証として、この写真集を差し上げました。まだ持ってるかな?