泣けた。いやあ、本当に心に沁みた。コイツは超名作です。
 先日、わたしが最も仕事上でお世話になり、最も尊敬している大恩あるお方から、ぽろりーんとメールが来た。曰く、
「先日、早川書房から出ている『ありふれた祈り』という小説を読んだけど、すごく良かった。君の大好きなStephen Kingの「スタンド・バイ・ミー」的なテイストでね。」
 とのことだったので、ほほう、それは読むしかないですな、と思い、即座に検索し、メールをもらって約50秒後には、電子書籍版を購入完了した。そして読んだ。結果、久しぶりに小説で泣いた。確かにこれは素晴らしい!! わたしは、この小説を読んで、初めて、キリスト教の、いや、宗教というものの本質的なものに触れたように感じたのであった。
ありふれた祈り (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
ウィリアム ケント クルーガー
早川書房
2014-12-10

 読書好きなら常識だが、そうでない人には全くなじみがないと思うが、早川書房という出版社がある。散々わたしはこのBLOGにおいて、嫌いな出版社のことを挙げてきたが、逆に好きな出版社ももちろんあって、わたしの中では、早川書房は好きな出版社の相当上位に位置している。ここ数年ぜんぜん買っていなかったが、早川書房が出しているシリーズに、「早川ポケットミステリー(通称:ポケミス)」というレーベルがあって、判型がちょっと特殊な、新書とも文庫とも言い難い、独特の、縦長サイズのレーベルなのだが、本書、『ありふれた祈り』は、ポケミスから2014年に刊行された作品である。なので、ちょっと古いのだが、全然ノーチェックだったことが悔やまれる。本書を読め、とわたしに教えて下さったお方は、とある1部上場企業の代表取締役なのだが、超忙しいのにわたしよりも本を読んでいて、おそらくは日経の書評か、いろいろなところがやっている海外小説ランキングに入っていたことから本書のことを知ったのだと思うが(文春の2015ベストで海外部門3位、「このミス」海外編でも3位だったそうだ)、こういう情報を教えてくれる先輩がいてくれることをわたしは嬉しく思うし、まあ、ちょっとした誇りに思っている。こういうのを、幸せというのだろうと思う。実に有り難いことです。
 で。本書は、ジャンルとしてはミステリーなのかもしれないが、これは、とある家族を襲った悲劇と癒しの物語であり、成長の物語だ。物語を詳しく説明することは避けるが、まずはその家族について簡単にまとめておこう。
 ■お父さん:名前はネイサン。大学で法律を勉強し、弁護士を目指していたが、第2次世界大戦の勃発により出征、戦地での深い心の傷によって、戦後は神学校に通い、現在は牧師として地域の信頼を集めている。
 ■お母さん:名前はルース。明るく社交的で、お父さんや子供たちを深く愛している。音楽が大好きでピアノの名手。現在は聖歌隊を指導しながら教会運営を支えている。料理が下手なのが玉に瑕。
 ■お姉ちゃん:名前はアリエル。18歳。家族の太陽として皆に愛される少女。音楽の才能に恵まれ、ジュリアード音楽院への進学が決まっている。彼氏アリ。
 ■お兄ちゃん:名前はフランク。13歳。平和な田舎町に住む、普通に明るく元気で活発な少年。両親やお姉ちゃん、弟を心から愛している。本作の語り部。
 ■弟:名前はジェイク。10歳(?)。吃音があるため、人前ではめったに喋らない、おとなしい少年。周りをじっくり観察し、洞察力に優れた心優しい少年。いつもお兄ちゃんの後にくっついて行動する。家族みんなを愛している。
 物語は、大人になったフランクが、人生を変えた「あの夏」の出来事を回想する形で描かれている。1961年、ミネソタ州の片田舎で穏やかに暮らす家族に悲劇が起きるのだが、実のところ、本作はその悲劇の謎を解こうとするミステリーでは決してない。犯人候補の怪しい人物が何人か出てくるのだが、この物語の本質は、語り手であるフランクと家族が、如何にしてその悲劇を乗り越えていくかという心の旅路にあり、そこに深い感動があるのだ。
 あらすじを追いかけてもあまり意味はないので、わたしの心に沁みた場面を紹介しよう。とにかく、本書には、ずっと大切にしたいような、感動的な名シーンがたくさん詰まっている。ああ、たくさんありすぎて選ぶのも難しいな……。よし、じゃあ、ベストシーンではないかもしれないけれど、とにかくわたしが感動したシーンを一つだけ紹介しよう。
 家族に起きた悲劇にによって、弟とちょっと気まずくなってしまったお兄ちゃん(主人公)。そんな中、お父さんが牧師として信徒に説教をする姿を見たお兄ちゃんは、心を改めて、弟に話しかける。そのシーンにわたしはとてもグッと来た。
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 わたしは自分のベッドにすわって言った。「おまえに言ってないことがあるんだ。重要なことだ」
 「へえ?」どうでもよさそうにジェイクは言った。
 「おまえはぼくの一番の友達だ、ジェイク。世界一の友達だ。ずっとそうだったし、これからもそうだろう」
 表で信徒たちが別れの挨拶を交わしあい、ドアがあちこちでしまる音、車が教会の駐車場の砂利を踏んで走り去る音がした。ジェイクは両手を頭のうしろで組んで天井をじっと見あげていた。ピクリとも動かなかった。ようやく通りの向こうのざわめきがすっかり消えて、ジェイクとわたしと静寂だけが残った。
 <略>
 「全部が正しくない気がするんだ、フランク」
 「全部?」
 「昼も。夜も。食べてるときも。ここに寝転がって考えごとをしているときも。正しいことがひとつもない。<略>」
 「わかるよ」
 「ぼくたち、どうしたらいいのかな、フランク」
 「進みつづけるんだ。いつもしていることをしつづけるんだ。そうすればいつかまた正しいと感じられるようになる」
 「そうなの? 本当に?」
 「うん、そう思う」
 ジェイクはうなずいてから、言った。「今日はなにする?」
 「ひとつ考えがあるんだ。でも、おまえはいやがるかもしれないな」
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 こうして兄弟は、毎週日曜日に必ず行っていた、おじいちゃんの家の庭仕事をしに出かける。そして、いつもは口うるさくてがめつい爺さんだと思っていたおじいちゃんの、意外な優しさに触れて、お兄ちゃんは少し気分が軽くなる。しかし、帰り道、車で送るというおじいちゃんの誘いを断って、二人歩いて帰る兄弟。その帰りのシーン。
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 ジェイクがいきなり足をとめ、急に空気が体から抜けてしまったかのように、しょんぼりとたたずんだ。
 <略。どうしてもジェイクは悲しくてならないという>
 「そのうち楽になるよ」
 「いつだよ、フランク?」
 <略>
 わたしは弟の肩に腕をまわした。「わからない。でも、きっと楽になる」
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 なんて美しいんだとわたしはもう、感動に打ち震えたね。
 ああ、うちの兄貴たちもこうだったらなあ、と心底うらやましく感じました。
 おそらく、誰もが経験したことがあるだろうし、またこれから必ず経験することになると思うが、人間は、どんなに悲しいことがあっても、腹は減るし眠くもなる。そしてそのことに腹立たしく思ったり、さらに悲しみが深まったりする。だけど、それを乗り越えなくてはならない。毎日をこれまで通り過ごす。それがどんなに尊いものか。ここは本当に素晴らしい場面で、わたしは弟ジェイクのように泣いたね。
 とにかく、こういった心に残るシーンが多くて、感動の嵐である。そして、タイトルの『ありふれた祈り』の意味が分かるのが、35章である。ここで、弟ジェイクにちょっとした奇跡が起こる。ほんの「ありふれた祈り」をささげたジェイク。その祈りで母は救われ、父も魅入られたような、幸せな表情を浮かべる。そんな弟を見たお兄ちゃんも、畏敬の念に近いものをもって弟を見、心の中で思う。「神よ、感謝します」と。わたしもこのシーンでは、この家族に幸あれ、と心から祈りたくなった。

 最後に、著者についてちょっとだけ備忘録。著者のWilliam Kent Krueger氏は、その名の通りドイツ系移民でしょうな。1950年生まれの現在65歳か。本作で、エドガー賞を受賞しているとのこと。ミネソタ州在住だそうで、毎日05:30に起床して近くのカフェで執筆しているそうだ。他の作品も読んでいたいものです。
  
 というわけで、いつものようにまったくまとまりはないが、結論。
 『Ordinary Grace』、『ありふれた祈り』という作品は超名作である。もう全人類に読んでもらいたいほどだ。わたしの今年の暫定ナンバーワン、どころか、これまでに読んだ小説の歴代ベストに入れてもいいような気さえする。超おススメです。そして、この本を教えてくれたお方にも、心から感謝の念を捧げたい。わたしにこの本を紹介してくれて、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。以上。

↓この著者の作品は、他にどんなのがあるんだろう? と調べたら、日本語で読めるのはこのシリーズだけっぽいですな。あーーでも、くそう、これも在庫切れ……電子で読むしかないね。
凍りつく心臓 (講談社文庫)
ウィリアム・K.クルーガー
講談社
2001-09-14