最初にまず告白しておきたいのだが、わたしはこれまで、山田洋次監督の作品をほとんど見ていない。もちろん、『男はつらいよ』は何本か見ているが、とりわけファンというわけでもないし(もちろん、観た寅さんは大変面白かった)、最近の作品も数本しか見ていない。なので、山田洋次監督作品と聞いて、よーし観に行くか、という気にはあまりならない男である。また、井上ひさし先生の芝居も著作も、実際のところほとんど観たことがないし読んだこともほとんどない。なので、わたしが昨日観てきた映画『母と暮せば』という作品が、井上ひさし先生による『父と暮らせば』という作品と対になっているなんてことは、全く知らなかったし、今も、それは別にどうでもいいことだと思っている。
 というわけで、映画や小説や芝居を愛してやまないオタク野郎のわたしであっても、上記のようにまるで山田洋次監督や井上ひさし先生について思い入れがないわけで、じゃあ、なんでまた『母と暮せば』を観に行こうと思ったかというと、理由は2つあって、ひとつは、主役の二宮和也くん、吉永小百合さん、そして黒木華(くろき・はる、と読む)の3人の芝居ぶりを観たかったのと、もう一つは、現実に年老いた母と暮らすわたしとしては、タイトルが非常に気になったからだ。そして実際に観て、あろうことが劇場で号泣するという醜態をさらす結果となったのである。大変お恥ずかしい限りである。

 わたしは観る前にストーリーを少し知って、ああ、これは大林宣彦監督の名作『異人たちとの夏』のようなお話かな、と思っていた。死んでしまった大切なあの人にもう一度会いたいと思う主人公が、幽霊となって現れたその人に出会うという物語は、実際のところ洋の東西を問わず結構数多く存在しているものだが、わたしとしては日本映画の中では『異人たちとの夏』という作品が一番好きである。まあ、若干『牡丹灯籠』も混じったテイストの不思議な映画だが、この作品では、当時、たぶん役者として初めて本格的に映画に出演した片岡鶴太郎さんが演じるお父さんが非常に素晴らしい。

 たいていの場合、人生の岐路にある主人公が、既に亡くなった大切な人の幽霊と出会って、再び生きる道を見つけ、最後は幽霊とお別れして終わるというのが王道パターンであろう。なので、本作『母と暮せば』もまた、そういうお話であろう、と勝手に思い込んで観に行ったのだが、半分正解で、半分全然違っていたのであった。いや、サーセン。半分も正解じゃないか。8割方想像と違ってました。
 まずもって、これまでの既存のお話と大きく違うのは、幽霊となって現れるのは、息子、である。父や母といった、「通常であれば先に亡くなった人」が幽霊となって会いに来るのではない。先に息子が亡くなっていて、母が一人遺されているという「普通ではない」状態である。それは舞台が1948年の長崎であることからも明らかなとおり、1945年8月の段階では長崎医科大学の学生だった息子は、投下されたプルトニウム爆弾によって、一瞬のうちに亡くなっているわけだ。その悲劇から3年が経ち、遺された母がやっとの思いで、息子の生存をあきらめるところから物語は始まる。何しろ遺体もないし遺留品もない。亡くなったことが信じられない母は、3年かかってやっと、息子の死を受け止めようとするわけであるが、3年目の命日に、墓前で、亡き息子の婚約者だった女性に、あきらめよう、と言うことで心の区切りをつける母。その日から、ひょっこりと息子は幽霊となって母の前に現れる。息子の幽霊は言う。
 「母さんは、いつまでもぼくのことをあきらめんから、なかなか出て来られんかったとさ」
 この、出現の動機も、原理?的なものも、最後まで説明はないが、まあ説明できるわけがないよね。幽霊なんだもの。母を慰めるために出てきたのか、単に現世に未練があって出てきたのか。それは、最後まで観た人がそれぞれに思えばいいことなので、まあ、詳しくは書きませんが、「あきらめてくれたからやっと出てこられた」というのは非常に面白い。
 そして出てきた息子の幽霊に、思わず母は聞く。「元気だった?」と。それに対して息子は答える。
 「なーに言ってるの母さん。ぼくは死んどるよ。相変わらずおとぼけやね」
 こんなやり取りは、たぶん誰にも経験があるのではなかろうか。久しぶりに会う人に、見るからに忙しそうでゲッソリしていて、明らかに元気じゃないのに、つい、「元気か?」と声をかけてしまうような。わたしはもう、この冒頭のシーンからすっかり物語に入り込んでしまった。この息子の幽霊は、生前からおしゃべりだったという性格のまま、幽霊なのにやたらとおしゃべりで、全く変わることがない。母を心配し、遺してしまった婚約者のことを想っている。婚約者の幸せを望みつつも、誰かの妻となることに素直に祝福できない。そりゃあそうだろうなと、わたしもすっかり主人公の気持ちと同化してしまう。戦後の厳しい時代を懸命に生きようとする母と婚約者。母からその苦労や自分のいなくなった世界の話を聞いて、「悲しくなって涙を流す」と姿が消えてしまう幽霊。こんな3人の芝居は、本当に素晴らしいものであった。

 この映画で、何がわたしをして号泣せしめたか。物語? 脚本? 演出? どれも間違いなくYESであろう。だが、おそらくはわたしのハートに直撃したのは、役者の演技そのものだ。二宮くん、吉永さん、華ちゃん、この3人の演技がものすごく素晴らしいのだ。二宮くんは、わたしが最も好きな監督No.1であるClint Eastwoodに認められた男である。おそらく、ジャニーズにおける演技王決定戦を開催したら、岡田准一くんと優勝を争うことになろう素晴らしい俳優だ。彼の素晴らしいところはその表情とセリフ回しであろう。何とも普通な、自然な表情にかけては、岡田くん以上かもしれない。そしてしゃべり方、話し方も、極めてナチュラルでいて、観ている者のハートに突き刺さるのは何故なんだろう。たぶん、脚本上のセリフではなくて、表情や声や話し方という、演技そのものにグッとくるのだとわたしは思う。岡田くんも、もちろんのこと素晴らしい俳優だが、彼の場合は役になりきる系と言えばいいのか、ナチュラルというより作りこみの結果なのではないかと思う。上手く言えないが、そういう点で非常に対照的だと思うのだが、二人とも最高級に素晴らしい役者であるのは間違いない。とにかく、二宮くんの芝居は必見であると言って良かろうと思う。
 母を演じる吉永さんは、正直なところ、いつもの吉永さんの芝居であるとも言えそうだが、今回は、そもそもの脚本が吉永さんを念頭に当て書きしたものらしいので当然かもしれないけれど、キャラクター的にはちょっと天然で可愛らしい女性、だけど、母としては芯が強く、慈愛に満ちているという、恐らくは吉永さんご本人そのままなんじゃないかという人物設定で、「戦後の、美しく老いていく母」そのもののように感じた。とりわけ、後半以降の吉永さんが弱っていく過程は、わたしも観ていて本当に、母さん大丈夫かよ……と心配になってくるほどで、ラストシーンはもう、ぐすんぐすんと鼻をすすらざるを得ないことになってしまったわけである。吉永さん主演の作品は、わたしは結構見ているつもりだが、泣かされたのは初めてである。
 そして婚約者を演じた黒木華(くどいようだが「はる」と読む)ちゃんだが、この女性はまあ、世に「昭和顔」と称せられるように、どこか懐かしい感じの正統派和風美女であると言って良かろう。わたしは前々から気にはなっていたのだが、きちんとこの人の演技を観るのはたぶん初めてだ。が、観ていてなるほどと思ったのは、まず顔の昭和テイストが非常にわたし好みであるのが一つ、そして身体つきも非常に昭和っぽいといえそうな気がする。腰から足のラインが、現代風に作られた(?)美しさではなく、自然な女性らしさと言えばいいのかな、とにかく人工的・技巧的なラインではなく、きわめて自然な体形だとわたしには強く感じられた。妙にウエストや手足が細かったり、やけに胸はでかいとか、何か努力や作意が働いた結果のラインではなく、いわば、ド天然の女性のラインなのだ。たぶん、わたしはそこにグッと来たのだと思う。もちろん顔も、ド天然である。スーパーに並べられた、規格に沿った見栄えの美しい野菜ではなく、まったくの天然モノ。それがどうやらわたしが黒木華という女優に感じる魅力なのだとわたしは了解することにした。声もいい。芝居ぶりも自然。極めて上物である。大変気に入った。
 わたしが今回、非常にグッと来たのは、華ちゃんが、主人公を亡くし、その魂とともにずっと一人で生きていく、それは私の運命なのだから、と母に告げるところで、母は「それは違う。運命なんかじゃあない。地震や天災で亡くなるのは、そりゃあ運命かもしれない。どうにもできないのだから。でも、浩二は原爆で死んだ。原爆は人の行いで、避けることができたはずのものなんだから。だから、運命なんて言ってあきらめないで。あなたは幸せになっていいのよ!!」的なこと(※正確なセリフは再現できてないと思います)を言って華ちゃんを諭す。このシーンでの吉永さんと華ちゃんは非常に良かったです。
 あともう一人、今回の作品でわたしが素晴らしいと感じたのは、『上海のおっちゃん』という役名で出てくる加藤健一氏である。この人は、演劇人でテレビや映画にはほぼ出ていない役者だが、わたしがこの人で一番記憶に残っているのは、中学生のころに観た映画『麻雀放浪記』における「女衒の達」というシブイ役である。若き日の真田広之や鹿賀丈史と戦う雀士としての演技が非常にカッコ良かったのだが、今回は27年ぶりの映画出演だそうだ。ひそかに母に恋心を抱いていて、せっせと闇物資を運んでくるちょっとお調子者のおっちゃんを、とても印象的に演じてくれている。

 というわけで、わたしは結構何も考えずに観に行った『母と暮せば』という作品だが、この作品が観る人すべてに涙を約束するかというと、これは全く断言できない。おそらくは、女性が観ると全く違う感想を抱くのではないかと思う。この作品は、明確に母と息子の物語である。なので、たいていの男は、吉永さん演じる母に、自分の母を重ねることだと思う。その実際の母が年老いていれば、相当この物語にグッとくるとは思う。
 だが、女性が観たらどう思うか? これはかなり微妙かもしれない。例えば、華ちゃん演じる婚約者に対しても、女性目線であれば、わたしのようにコロッと簡単に好感を抱くかどうかはちょっと怪しい。また、幽霊である息子が、婚約者の女性に対してある種の執着を見せるのも、男ならそうだよなと思っても、女性からすればかなり、そりゃ違うと思うかもしれない。わたしが尊敬する、とある女性は、「女は過去なんて忘れるものよ。ごくあっさりね。先のことしか見ない生き物と思っていいわ」と仰っていたので、そうだとすれば、息子の婚約者に対する想いは、最終的には生きている婚約者の幸せを最優先に考えるものの、ちょっと引くかもしれないとは思った。なので、全女性に対してオススメかというと、正直なところ、わたしは良くわからんです。


 というわけで、結論。
 『母と暮せば』は、男に対しては強くオススメできる。特に、自分の母が年々老いてきて心配な男は観るべし、である。そして女性は……まあ、二宮くんの大ファンは必見ということで。結構若い女性客が多かったけど、まあ二宮くん目当てなんでしょうな。それはそれでアリです。
 あと、わたしとしては、この作品を「演劇」で観たいと強く希望する。
 これは、生の役者の生の演技で、ぜひとも見てみたい。場面転換も、登場人物も絞れるので、非常に舞台向きだと思う。そして、舞台化は、絶対のこの3人のキャストはそのままでお願いしたい。二宮くん、吉永さん、黒木華ちゃん。この3人でないと絶対ダメというか、この3人以外では観たくないかも……。こまつ座で実現してくれないかな……あ、こまつ座で実現したら、役者が変わっちゃうか。うーん。ジャニーさん、よろしくお願いします!! 以上。

↓ というわけで俄然、山田洋次監督作品および黒木華ちゃんが観たくなってきたので、コイツを見てみようと思います。たしか、WOWOWで録画して、HDDの中に埋もれているはずなので……発掘してみるか。
小さいおうち Blu-ray
松たか子
松竹
2014-08-08