若干恥ずかしながら、一つ告白せねばなるまい。
 わたしは、このblogを読んでいただければわかると思うが、かなりの数の映画を観たり、かなりの数の本を読んだりしている。まあ、それは好きだから、なのだが、実はわたしは……本を真面目に読むようになったのは、高校2年の後半ぐらいからで、漫画は別として、いわゆる物語、小説というものは、高校2年ぐらいまで、ほとんど読んでいない。なので、 子どものころの読書体験が、ほぼ、ない。結果として、わたしは児童文学や絵本をほぼ知らない。読んだことがないのだ。幼き日々を思い起こすと、読み聞かせをしてもらった覚えもないし、本が欲しいと駄々をこねたこともない。ほぼ毎日、外で遊んでいたし、夜は、日中フルパワーで遊んでいるので、たしか中学に入るまでは、毎日20時には寝ていたと思う。もちろん、ジャンプ・サンデー・マガジン・チャンピオンは読んでいたし、テレビもそれなりに見ていた。基本的には特撮ヒーローが大好きで、あまりアニメは観ていなかったので、実はアニメ知識も、後年学んで身に着けたものである。

 そんなわたしが、一番好きなのはやはり映画であると思う。映画は、小学校1年ぐらいから相当なオタク英才教育を受けていると思う。ま、幼稚園時代は、毎回必ず『東映まんが祭り』は連れていってもらっていたけれど、今でも鮮明に覚えている、わたしのハリウッド映画初体験は『STAR WARS』である。場所も、雰囲気も、何を買ってもらったかも明確に覚えている。今はなき「テアトル東京」という大スクリーンで、雨の日だったと思う。そして売店で「X-ウイング」の小さいおまけ付きのチョコボール的なものを買ってもらって、ずいぶん長いことその「X-ウイング」で遊んだ記憶がある。もちろん、当時のパンフレットは結構きれいなまままだ家に残っており、今でも大切にしている。オヤジと、下の兄の3人で観に行ったのだが「フォース」が字幕では「理力」と訳されていて、オヤジに「理力って何!? 何なの!?」と問い詰めたこともはっきり覚えている。それ以降、わたしはオヤジや兄に連れられて有楽町~日比谷に通う小学生として映画オタクの道を歩んできたわけだが、中学生になって自室を与えられ部屋にテレビが設置されると、そこからはもう、TBSの月曜ロードショー(解説は荻昌弘ですこんばんは)、日テレの水曜ロードショー(解説は水野晴朗っていいですね)、テレ東の木曜洋画劇場(解説は結構替わった。Hな作品多しw)、土曜はCXのゴールデン洋画劇場(解説はイエーイ高島忠男です)、日曜はテレ朝の日曜洋画劇場(解説は淀川長治。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ)と、ほぼ完全制覇して欠かさず見てきたし、中学からは地元の駅前の映画館の招待券を毎月2枚Getできる伝手を開発して月に2回は確実に映画館で映画を観てきた(たいてい2本立て)。また、夏休みと正月映画の大作はほぼ必ず有楽町方面に観に行っていた(このころから、自転車で有楽町まで行くようになった)ので、80年代映画は異常に詳しい今のわたしはこうして形成されていったわけである。
 
 で。わたしが小説に目覚めたのも、実は映画のおかげである。中学生ごろから、映画の原作やノベライズを読むようになり、文学に決定的に目覚めたのは、忘れもしない、夏目漱石原作、松田優作主演の『それから』を観て以降である。あの映画を観て、わたしは漱石を読むようになり、そこから「なんだこれすげぇ面白れえ!!」とむさぼるように文学作品や普通のエンタテインメント小説を読むようになった。どういうわけか、高校生当時のわたしは、漱石と大藪春彦先生にドはまりで、しかも、わたしはバカなクソ男子高校生だったので、「本を読んでるオレかっけえ」と、もう恥ずかしくて死にたいほどのスーパー勘違い野郎だったのが、今思い返すと笑える。アホだった……。
 ただ、その後大学生になったわたしは、ますます真剣に物語を読むことにのめりこみ、世界名著全集的なものはほぼ読破したし、とりわけ戯曲、シェイクスピアやギリシャ悲劇、フランス喜劇、ドイツ演劇といったものもだいたい制覇した。たぶんシェイクスピアは日本語で読めるものは全部読んだし、大学2年ぐらいのころにドストエフスキーにはまって(これは以前取り上げたColin Wilsonの『The Outsider』の影響)、これまた日本語で読める作品は全部読んだと思う。こうして、わたしの読書体験は相当変な方向というか、やたらと名作率が高いというか、妙に偏ったものとなり、逆に、誰しもが子供の頃に読んだであろう作品や、いわゆる日本のベストセラー小説の類は、ほぼ手を付けていないわけである。

 そしてサラリーマンとなってからも、仕事上ライトノベルや漫画を読む必要が生じたため、「よし、じゃあ会社の資料棚の左から、全部片っ端から読んでやる!!」ということをほぼ完遂し、自ら強化していったわけであるが、昨日、読み終わった作品の著者、有川 浩先生は、そんな中で出会った作家で、わたしが今、新刊が出ると必ず買う作家の一人である。

 というわけで、もういい加減にしろという声が聞こえてきそうなぐらい前置きが長くなったが、有川 浩先生の約15ヶ月(?)ぶりの新刊が先月発売になった。なんと、今回の作品は、あの、「コロボックル」シリーズの公式最新作である。恐らくは日本全国のコロボックルファン並びに有川先生ファンが待ち望んだ作品であろう。
 だがしかし。散々長い前置きで述べた通り、わたしは「コロボックル」というものを、知識としては知っていたものの、佐藤さとる先生による原典は全く読んでいないのだ。実はこの一言を言うためだけにクソ長くてつまらないわたしの過去を書き連ねたのだが、まあ、そういう事である。愚かなわたしの「コロボックル」という存在に対する認識は、えーと、あれでしょ、あの『シャーマンキング』の「ポックル」でしょ? ぐらいなインチキ知識しかない。アニメもやっていたことはうっすらとしか覚えておらず、まあ観たとしても年代的に再放送だと思うが、さっきちょっと検索してオープニングの歌をYouTubeで見てみたところ、全然記憶にないものないので、たぶん真面目には観ていなかったのだと思う。とまあこんなわたしであるので、果たして有川先生の新作とはいえ、読んで面白いものなのかしら、コロボックル知識がなくて大丈夫かしら? と若干の不安を抱きつつ、発売日に書店へ赴いた次第である。

 で、買った。そして読んだ。結論は「コロボックル知識がなくても全然大丈夫」であった。わたしが買ったのは、三省堂書店神田本店である。発売日に行ったら嬉しいことにサイン本があったので、即購入。ちょっといろいろ忙しかったので、読み始めたのは先週末頃で、実質3時間ぐらいで読み終えた。
 物語は、現代である。といっても、主人公が少年だった日々の回想であるので、正確に言うとたぶん1990年代初めのころだと思う。その点に、わたしは少なからず驚いた。てっきり、ドファンタジーなのかと思っていたら、全然そんなことはなく、全くリアルな(20年前の)現代社会が舞台で、その中に一つだけ、ファンタジックな要素が混じる、という、有川先生の基本スタイルそのものであった。
 キャラクターも、有川先生の作品らしい「やましいところのないまっとうに生きる人々」が描かれているので、読んでいてとても気持ちがいい。また、これまた有川先生らしい「まったく無意識に人を傷つける人」も出てくるが、子どもたちには、きちんと「正しいことを毅然と教えてくれる大人」がついているので安心して読める。また、タイトルである『だれもが知ってる小さな国』という意味も、美しく判明する仕組みで、読後感も非常にさわやかで、大変面白かった。はちみつや花についての豆知識も得られ、わたしとしては満足な1冊でありました。しかし、なんというか、……幼馴染っていいですのう……。この本を読むと、来年の夏は北海道に行きたくなりますな。
 ところで、さっき、いわゆる養蜂というものについてちょっと調べてみた。物語の主人公の少年は、いわゆる養蜂家の息子なわけで、全国を引っ越しながら暮らしているのだが、そういう養蜂家は「転飼養蜂」というらしい。そして、各地を巡る際は、「養蜂振興法」という法律があって、その第4条(転飼養蜂の規則)に従い、その地の知事の許可が必要なんだそうだ。そんなこと全然知らなかったので、勉強になりました。

 というわけで、結論。
 有川 浩先生最新作『だれもが知ってる小さな国』は、往年のコロボックルファンはもとより、コロボックルを知らない有川先生ファンにも安心して読んでいただける作品です。ので、わたしのようなコロボックル読んでないんだよなー、と迷っている方がいれば、Don't Worry。全然大丈夫ですので、ぜひ、お手に取っていただきたいと思います。はい。それを言いたいがために、無駄な前書きが長くなってサーセンっした。


↓ やっぱり、これは原典も読んだ方がいいな。俄然興味がわいてきた。